兵庫県川辺郡猪名川町笹尾(ささう)字掛谷18 ゼンリン 交通案内 祭神 春日神社 五十猛神社 五十猛命 大屋神社 大屋姫命 由緒 多田銀銅山は源満中の代、天禄元(970)年に採掘されたと言う。 確かな史料では長暦元(1037)年能勢郡から初めて銅が献上されたと扶桑略記に記されている。 五十猛命や大屋姫命を奉戴したのは、やはり多田銀銅山が発見されて、精錬がなされて出してからであろう。 一体どこから勧請されたのかであるが、五十猛命を祀る神社で五十猛神社の名が残っているのは 島根県大田市五十猛町が思い浮かぶ。この近くの大田市大屋町には大屋姫命神社があり、大屋都比売命を祭神としている。 岡山県玉野市広岡 五十猛神社 福岡市西区金武 五十猛神社 宮崎県日向市大字財光寺 五十猛神社 後の三社の祭神には大屋都姫は見えない。また大屋神社も近くにはない。こんな事が理屈になるのかどうかであるが・・。 もうひとつの候補は和歌山市伊太祈曽の伊太祁曽神社であろう。五十猛命を祀る本社とされるし、大屋都姫も祀られている。 近くにも大屋都姫神社が鎮座し、ともに延喜式の名神大社に列せられている。地域的には京都の八坂神社元宮とされる姫路の廣峯神社からかもしれない。 なお他に 山形県羽黒町手向字羽黒山の出羽神社の摂社に五十猛神社 山形県立川町大字立谷沢字本沢の月山神社の摂社に五十猛神社、大屋津姫神社、抓津姫神社 がある。 なお八王子をそれぞれ神の名をつけて祠を作ったと言う素直な解釈もできる。 銀銅などの金属の精錬には多量の木炭を要し、この為にはその重量の一桁上の木材を伐採した。日本人はその後の植林を怠らなかったと言う。
これは大陸や半島の人々とは少々違うスピリットを持っていると言うべきであろう。
植林を行い、植林の神々を尊ぶ国として今後とも子々孫々に伝えていくべき「この国のかたち」のひとつである。
摂社群と覆殿内の本殿 舞台 この地域の神社の造りはこの様になっている。 お姿 この近辺は山方にて江戸より寒さ強御座候夫故暑気弱く御座候。村方土目真土砂まじり赤土に而御座候。とある。 神社風景 お祭 秋祭り 参考文献 日本歴史地名大系 兵庫県の地名 平凡社、兵庫県神社誌 神奈備に戻る |