白髭神社
姫路市別所町佐土字北出口499 its-mo


鳥居


交通

JR山陽本線御着駅 北北東1500m



祭神

猿田彦大神



由緒

 『白髭神社縁起』によれば、天正元年(1573)増位山に拠点を持っていた黒田官兵衛の叔父が攻め込まれて寺社は焼失した。この時、叔父は衆徒と共に佐土村に退去、同時に鎮守神を移転したと云われる。それが別所町佐土字北出口の猿田彦神社で、その後当地大村山麓に遷座したと云う。
 僧円珍が唐からの帰国の際、その船縁に現れ、仏法守護を云われた新羅明神を白髭神と誤り伝えたと云われる。
 近江国の園城寺に新羅善神堂が鎮座、園城寺開祖の智証大師円珍が唐から帰朝の時、船中にあらわれた新羅の国神を祀ったと言う。これが新羅明神であり、素盞嗚尊とも五十猛神とも云われる。

 また、民間伝説では、神功皇后が半島征伐に行く途中、的形の沖にさしかかった時に波が荒れて思案の最中に波間から一人の老人が現れ「このまま行けば必ず遭難する。海が穏やかになってから出発せよ。」とのお告げがあったと云う。その老人を祀ったのが当白髭神社と云う。


絵馬殿と大村山頂上



お姿 

 佐土のバス停から北へ20分ほど歩く。木材団地を越して東側の山の中腹に鎮座する。南面。神社の背後の山は禿げ山であり、九州の豊国の香春神社を想起させる。境内に目立った磐は置かれていないが、磐座信仰がベースにあったような気がする。
 神社の裏は禿げ山の麓にあたり、ここには木々が多い。


絵馬殿   本殿


お祭り 

   10月 第二日曜日  例祭

神社本庁平成祭りデータCD

 当神社は初め飾磨郡増位山随願寺の鎮寺なりしも、天正元年別所長治のため寺堂を焼かれしかば衆徒は叔父黒田官兵衛のよれる御着城下なる当村に退きし時、共に村内北出口に遷座せられ、後、今の山麓に遷座した。

『姫路の神社』神戸新聞総合出版センター 『兵庫県神社誌』(昭和十三年) 『平成祭礼CD』神社本庁

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