杉山神社
横浜市緑区西八朔町208 ゼンリン


交通案内
横浜線十日市駅 北東1000m 

祭神
 五十猛命、大日霊貴命、素戔嗚尊、太田命



お姿
  神社庁平成祭礼データから
 杉山神社の史籍に於ける初見は、延喜式巻九神祇九に、「都筑郡一座杉山名神」と見 えているのであって、之に依って都筑郡唯一の式内社であること明である。而てこの 神社は地方民のみならず一般の人々の信仰の対象となったものの如くで、続日本後記 巻七承和五年二月庚戌ノ条に、「武蔵国都筑郡杉山名神預之官幣以霊験也」と見えて いる。このように霊験あらたかなことによってか、同書巻十八喜祥元年五月庚辰の条 に、「奉授武蔵国無位杉山名神従五位下」と記され、時の朝廷より贈位の恩命にさえ 接している。然しこの記事を最後として史籍には何等見えていないのであるが、杉山 神社に残る古き棟札及び別当極楽寺の墓碑の年号により推して、延宝年間に現在の場 所に移され武蔵風土記に記された如く、慶安二年八月には徳川幕府より朱印状を下賜 されている。以上の事実によって杉山神社こそ式内社の由緒深きもので、後世、明治 四十三年、無格社神明社外四社合併。大正九年九月、神奈川県告示第三六二号を以て 供進神社に指定せられたり。以上

 吉田東悟『地名辞書』によれば、「神道集・松屋外集・神祇史料にはこの社何神かを知らず、郡村諸所に分祀す、鎌倉大草紙にもこの神祠の名見ゆ。茅ヶ崎にも同神を祭り、新扁風土記にも茅ヶ崎ぞ式内の古祠ならんと述べたり。」とある。

 続日本後記の武蔵國都筑郡杉山神社に当たるとの表示がある。神社の説明碑によると、大国魂神社(東京都府中市宮町)の六の宮を自称し、大国魂神社でもそれを認めている。 これを根拠に式内社に該当すると強調している。それだけに本殿も立派である。由緒書きもあり、地元も崇敬の篤さをしのばせている。江戸時代に杉山社を深く研究した猿渡盛章は社領社境の点が勝れたりとしてここを式内社に推奨している。 名木古木にタワラグミが指定されている。
例祭 11月11日

あかね台ネットから

延喜式内社 武蔵総社六之宮 杉山神社 國魂神社宮司 猿渡盛文拝書から

 一、祭神 五十猛命 配祀 大日霊貴命、素盞鳴命、大田命
 一、由緒 当神社は武蔵國の総社、大国魂神社の六ノ宮である。続日本後紀、承和五年(八三八)二月庚戌の条に武蔵國都筑郡杉山神社預之官幣以霊験也、とある。さらに同書、承和十五年(八四八)五月庚辰の条にも奉授武蔵国元位杉山名神従五位下とある。六所宮武蔵國の総社、大国魂神社の成立は、人皇十二代景行天皇四十一年、都筑郡杉山神社は六の宮として西殿に祭られた。「武蔵総社誌」上巻に六所宮東西の御殿に鎮座す六所大神等は東御殿に一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川神社、以上三所鎮座す。西御殿に四の宮秩父大神、五の宮金佐奈ノ大神、六の宮杉山ノ大神以上三所鎮座す。件の六所を総称して六所宮と称す。この六ノ宮に街頭する神社が西八朔鎮座の杉山神社である。「風土記稿」に「慶安年中社領の御朱印を賜う、其の文左にのす」武蔵国都筑郡西八朔村、極楽寺杉山明神社領、同村之内、五石六斗事、任先規寄附之訖全可收納、並境内山林竹木諸役等、免除如有来永不可有相違者也、慶安二年(一六四九)八月二十四日、御朱印。以上の事実によって当神社こそ式内社の由緒深きものである。
 一、社格 明治六年十二月被列郷社との辞令 神奈川県庁より御下附あり。 大正九年九月十日 神奈川県告示第三六二号を以て神饌幣帛料供進すべき旨同県知事より指定あり。 昭和二十八年八月一日 神奈川県指令第三九九〇号を以って宗教法人杉山神社として同県知事より認証された。
 一、社殿 境内地 昭和五十七年十一月三日改築 遷宮祭執行。境内地千四百六十三坪
 昭和五拾七年拾壱月吉日
 杉山神社宮司 志村文雄 撰文謹書




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