登志神社摂社五十猛神社
福岡市西区今津1570 its-mo


鳥居

交通案内
今宿駅から承和バス 今津下車北へ



祭神
登志神社  豐受姫大神、中筒男命、姫大神
五十猛神社 五十猛命
陰若神社 息長帶姫命
稲荷神社 倉稻魂神、宇賀竜神、大己貴神
志賀神社 上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神


拝殿へ登る


由緒

 登志の湊の産土神として、登志大明神と四所大明神が中世以来祀られていたと云う。豊受姫大神はの平安時代初期に伊勢外宮から勧請したとされる。
 当社に伝わる人形芝居は良く知れ渡っており、県の無形民俗文化財に指定されている。詳細は今津人形芝居をご覧下さい。


社頭の人形芝居の写真

 当社の鎮座地は糸島の根っ子にあたる。この付近には白木神社また五十猛神社として五十猛命が多く祀られている。新羅からの渡来人にまつわる伝承や史蹟が多く、当所は渡来人の祖神を祀っていたものと『日本の神々1』で奥野正男氏が指摘されている。当社より北西の草場や西浦妙見の白木神社にも五十猛命が祀られている。北の川辺郷には郡の大領の肥君猪手(ひのきみのいで)の居地、また猪手は怡土郡の渡来豪族宅蘇吉士(たくそきし)とは婚姻関係にあったと云う。このように渡来人の満ちあふれた地域であり、イタキソ、イダテの言葉が渡来人の理解の範囲にあったのかも知れない。


社殿


お姿

 登って左にずれてまた登る、と云う神社である。一本調子でないのは古形を残しているのかも知れない。 摂社の祠があるのだが、名前が記載されておらず、五十猛神社がどれであるのか判らなかった。


摂社
 

お祭り

  登志神社 4月 24日 春季例祭
登志神社 1月 15日 今津の十一日松囃子
  この神社を氏神として三味線、太鼓、鉦で囃しながら「山車引き歌」を歌い、山笠や山車で町内を練り歩く姿には、博多の山笠やどんたくの原初的な形が見られるという。

平成祭礼データ 登志神社略記

 往昔中国の船が来集していた登志の湊の鎮守のためにまつられたものとして字尾の上にある。人皇五十代桓武天皇の延暦三年伊勢国山田原から奉城遷座と伝えられている。社号は登志郷の名を冠している。民部省図帳によれば登志湊の神貢云々の事のみにて朝廷の厚く尊敬ありし事も詳でまた筑前国志摩郡に往昔より社領多かったという。天文七年三月二十七日九州探題白杵安芸守親連の時に社領従前の例に任せ中通六町今津二町寄附ありその他にも寄進状を伝えている。神宝として縁起猿楽の面五ッが存していたが嘉永二年(一八四九)兵乱のため大破焼失したという。
 以上

 

参考 『平成祭礼データ』、『日本の神々1』

九州の五十猛命
五十猛命ホームページ
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