神武と久米・来目

日本

倭 旧唐書 日本国は倭国の別種なり。その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名と為す。
↓    8世紀初 倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。
日本(ヤマト) 日本は旧小国、倭国の地を併す。

年表

     シナ資料           考古遺跡       日本文献

前333 越国滅亡、越人四散。倭人の起源か。              
前300                   遠賀川式土器が畿内へ伝わる。                
                      物部 遠賀川流域から畿内へ。        
前119 徐福出発                                  
前 50   奴国              池上曽根遺跡・唐古鍵遺跡
                                 
0 奴国伊都国                     
                                     
                      高地性遺跡           
57 漢委奴国王印
107 倭国王帥升等(吉備)生口120人を献ず。
147 『魏志倭人伝』倭国乱れ相攻伐すること暦年〜188
                      吉備 楯筑墳丘墓
184 黄巾の乱
190 卑弥呼共立・倭国乱終焉。卑弥呼、邪馬台国に都
『晋書』四夷伝倭人 卑弥呼、その女王、使いを遣わし帯方に至りて朝見す。 
     
                                  大物主神「海外の国も自ら降伏するだろう。」
                                  武埴安彦の反乱
239 卑弥呼、親魏倭王に册封。
248 卑弥呼死去・男王たつも国乱れ台与共立  四道将軍の派遣
                       箸墓古墳(卑弥呼)吉備特殊器台
                                  狭穂彦王反乱    
270 『梁書』台与の死後、復た男王を立て、並びに中国の爵命を受く。  
                       桜井茶臼山古墳 正始元年三角縁神獣鏡出土
                       黒塚古墳 景初三年三角縁神獣鏡(洛陽製)出土
                       西殿塚古墳(台与)
365 河内王朝
670 『新羅の記録』倭国が号を日本に改めた。

天孫降臨

瓊々杵尊
『記』竺紫の日向の高千穂のくじふる嶽に降臨。
天忍日命(大伴連の祖)と天津久米命(久米直の祖)の二人、さまざまな武器を持ち御前に立ちて仕え奉りき。
瓊々杵尊は笠沙岬に行く。野間岬のこと。先祖が最初に上陸した記憶の地と思われる。
華南あたりから対馬海流にのると到着する岬。ヤシの実が来る。鑑真和上もここに漂着。

日子穂穂出見尊(山幸彦)と海幸彦の物語り
失われた釣り針の神話がインドネシアのケイ島・セレベス島やハワイに残る。
熊襲から皇室に伝わった伝承。


神武(神日本磐余彦火火出見)の素性
三代前の祖母 阿陀隼人の木花咲耶姫、祖母は海神の娘豊玉姫、母は同じく玉依姫。
神武の血  天孫1/8 阿陀隼人1/8  海神3/4 南九州の血 7/8。殆ど熊襲の血。

『紀』の来目歌の歌い手。神武5、皇軍2,道臣(大伴の祖)1。神武は来目だ!

熊襲と久米
熊:肥人(くまびと)+襲(日向の襲:隼人) 
久米(来目)は肥人。肥前国球磨郡久米郷(熊本県球磨郡多良木町久米)
南さつま市野間岳の東 加世田遺跡 奈良時代の土師器椀  「久米」墨書き土器出土。
神武一家は肥人の一族。肥人の主導権を取れず、はみ出されて出てきたのだろう。裔の景行が攻めている。

海人隼人
『肥前国風土記』値嘉の郷 その島の白水郎は容貌が隼人に似て、つねに騎に乗って弓を射ることを好み、その言語は世人と違っている。(安曇連百足は言語を理解したようだ。)



神武の四代前は天忍穂耳、三代後が玉手看、ミミ族の真ん中にいる。
久米直の祖を味耳と言う。 伊予国温泉郡 式内阿沼美神社の祭神。
南方系の海人族に大きい耳輪をさげる風習があった。神武と久米は南方海人系と云える。

倭・倭人
倭 WOと発音、越と同じ。
竜を崇拝、入れ墨、米、魚を常食とする海洋民族。竜を描いた多くの弥生土器出土。
越人は山東半島付近に来ている。ここから半島や列島に達するのは彼らにとって容易。
『山海経』蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。倭は燕に属す。
 蓋国(山東省北部)は鉅燕の南、倭(江蘇省方面)の北にあり。倭は燕(河北省)に属す。
『論衡』周のはじめに東の果て、日の出るところの夷である倭人は香草を貢した。
 周の都は現在の西安、その東の果てとは山東省南部から江蘇省北部。
『漢書』楽浪海中有倭人。百余国。

弥生土器に彫られた竜

倭国 華南・日本列島と朝鮮半島南部。 → それから日本列島。 → 九州太宰府。

邪馬台国・大倭・大和 → 日本
往古、この国で「山」と言えば三輪山ではなかろうか。三輪山の麓の高楼=山臺。
邪馬台国が九州で、大和に王権があると言う二つのヤマトと言う偶然が起こり得るだろうか。
『魏志倭人伝』奴国2万戸、投馬国5万戸、邪馬台国7万戸。奴国は福岡市が定説、その倍以上の人口の国は吉備だろう。7万は畿内しか考えられない。


日本
山上臣憶良が、大唐(もろこし)に在りし時、本郷(くに)憶(しぬ)ひてよめる歌
0063 いざ子ども 早 日本辺(やまとへ)に 大伴の御津の浜松 待ち恋ひぬらむ



神武東征


 塩土翁「東の良い土地で天の磐舟に乗って、とび降りた者がいる。名を饒速日と言う。

 棹根津日子 亀の背に乗り、釣りしつつ羽擧き来る人、速水門に遇ひき。

 羽人・鳥人 弥生時代の遺跡の角田遺跡から出土した「羽人」の絵とヴェトナム北部の銅鼓の「羽人」 

羽人・鳥人の絵

大伴・久米

『紀』大伴氏の祖の日臣命は大来目を率いて大軍の監督者として、山を越え路を踏み越えて八咫烏の導きのままに追いかけて宇陀についた。 日臣命はよく導いたとして道臣と言う名をもらった。


饒速日尊

長髄彦を裏切って殺し、神武勢に帰順した。

皇后選定

『記』大久米命→神武 倭の 高佐土野を 七行く 媛女ども 誰れをし枕かむ
神武 かつがつも いや先立てる 兄をし枕かむ
伊須気余理比売→大久米命 あめつつ 千鳥ましとと(千人力) など黥ける利目
大久米命 媛女に 直に遇はむと 我が黥ける利目
嬢子「仕え奉らむ。」

黥ける利目

『史記』周の太王には太伯、仲雍、李歴の子がいて、末弟の李歴とその子は聖徳を備えていた。太王は李歴を後継にしたいと考えていた。太伯と仲雍はその胸中 を察して荊蛮の地に落ち延び、文身、断髪して周の人として位に立てられる資格のないことを示した。太伯はその地で慕われ位について呉の太伯と称した。
『魏略』倭人、太伯の後裔と自らいう。
南北朝以降、太伯を瓊々杵、神武に比定する説があった。

神武戦跡

神武紀にある熊野からの侵入地名は標高七〇メートル線上にあり、また神武たちの初期王朝は標高五〇メートル線の湖岸に展開された。(吉本隆明) 奈良盆地が湖であったので、その岸で戦いが行われたものと思われる。奈良時代の創作とは思えない土地勘を感じる。

高地性遺跡

『倭人伝』男子を以て王となし、この間七、八十年、倭国乱れ、相攻伐すること歴年。
高地性遺跡は九州に近い西のものは弥生中期、近畿と東は後期に多い。

神武東征が一世代で完結したものではない事を語っているのかも。

高地性遺跡

卑弥呼は百襲姫か

王権は九州から中央へ動いていた。倭国王帥升の登場である。この時期の最大の墳墓は倉敷の楯築墳丘墓であり、倭国王の墓にふさわしい。記紀では神武は3〜8年吉備で滞在している。
岡山大学の松本武彦氏によると、卑弥呼として立てられたのは、霊力の優れているだけではなく、倭国王帥升の裔であると言う血筋が尊ばれたとする。

東南アジアの信仰

焼き畑 万物にカミが宿っている。
稲作  土地の神 稲の神 祖先の神 に収斂していく。

霊 phi トカゲ 神使い 水を司る。
     カラス 偵察者 外敵の接近を知らせる。

魂 khwan 人間 稲 舟 水牛 など限られたもの。

信仰空間(左下が東南アジアと日本に共通)

クメール族

魂については、人と稲を特別扱いする。
日本の皇室においても同様。

カミ カモーイ タモープ アラ ポルン
ヴィンヤーン クルー クルオ ドン・ラー

寺院 ラオス・タイ 寺院の境内に小祠があって土地神を祀っている。日本の寺院も同様。

先祖 東南アジアに多い話 地面の中から先祖が出てきた。
日向国吐濃明神 地面の中から頭黒という土地神が頭だけ出てきた。

クメールの呼び方
Kur Kmir Khamen Caoman 基本はKMR 特徴:入れ墨 被髪 はだし くがたち

久米氏

日本での本拠は肥国球磨郡久米郷と思われる。くま くま くめ の三重奏。
愛媛 久味国

天熊人 月読神が保食神を打ち殺したので、天照大神は天熊人を差し遣わした。
天熊人は、神に供える米を作る人。米はクマシネ。瓊々杵と久米が持ち込む。

熊襲の渠帥 アツカヤ セカヤ カヤ:マレー・インドネシア語での富める者 全能の意味と関連

隼人の楯

 

「久米」の分布


畿内 大和 高市郡久米郷 久米御縣神社
『紀』には、即位した神武天皇が翌年、論功行賞により「大来目をして畝傍山の西の川辺の地に居らしめたもう」とある。
その西を流れている川は来目川と言う。現在の檜前川。

畿内 摂津 難波来目邑 遠里小野
雄略死後、星川皇子が皇位を狙って大蔵を占拠。同調した草香部吉士漢彦は助命嘆願し処刑をまぬがれたので、難波来目邑の大井戸の田十町を大伴室屋大連に贈った。

南海 紀伊 紀崗前来目連  和歌山市岡崎
雄略九年、新羅討伐に参加した大伴談連と紀崗前来目連は力闘して死んだ。
日前国懸神宮は先に国懸神社があり、後に
日前神社が出来た。紀氏と久米氏の祖神を祀る。

南海 阿波 名方郡国府 久米姓が多い。
  伊予国喜多郡久米庄(久味国造久米直の族裔)からの移住者。

南海 伊予 久米郡 喜多郡久米郷 伊予地域には伊余国と久味国があったようだ。

伊予豆比古神社が鎮座、久米の蘇神を祀る。

西海 筑前 志麻郡久米郷 肥前 球磨郡久米郷

東海 常陸 久慈郡久米郷 隣接の倭文郷は茨城県那珂市 静神社は倭文神社の縮まった名。

山陰 伯耆 久米郡久米郷 倭文神社  建葉槌命は織物の神、また天津甕星を退治した武神。
  鳥取県倉吉市志津 三宮  伯耆国川村郡、因幡国高草郡にも倭文神社。

山陽 美作 久米郡久米郷 倭文神社 建葉槌命のルーツは不明、久米氏の出だったのかも。
  岡山県久米郡久米町 久米郡久米郷は全国で2つ、そこに倭文神社が命中。
倭文神社は19社、久米と倭文の関連は否定できない。


山陽 周防 都濃郡久米郷

東海 伊勢 員弁郡久米郷 遠江 磐田郡久米郷 常陸 久慈郡久米郷

琉球 久米島 稲作の盛んな「米の島」、柳田国男の久米氏北上の痕跡とした「球美島」。


文献
角林文雄『日本国誕生の風景』井上秀雄『倭・倭人・倭国』

神武東征譚

神奈備にようこそ