船霊について



『魏志倭人伝』

 邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使者を派遣する際に持衰を置いた。持衰が船に乗ったのか乗らなかったのか議論があるようだ。
 渡海して中国にゆききするときには、つねに一人(の人に)は、頭 (髪)を梳(くしけず)らず、しらみを(とり)去らず、衣服は垢(あか)によごれ(たままにし)、肉をたべず、婦人を近づけず、喪に服している人のようにさせる。

 この持衰は船の中で海の神(船玉神)を祭っていたのであろう。天文気象も見たのだろう。「婦人を近づけず」とは船玉神が女神と思われていた証ではなかろうか。
 持斎の名で北前船の頃までこの風習が残っていたと聞くが定かではない。 なお、乗船はしないが、居残った者(女性)が、さまざまなタブーに服する風習は世界的にみられると云う。



続日本紀 幸頼船霊

 廃帝淳仁天皇天平宝字七年(763弁)八月
 最初、高麗に遣わす船を名付けて能登と言った。帰国の日に風波が荒れ狂い、船は海中を漂いさまよった。船中の人は神に祈って「幸い船の霊力によって、無事に国に帰り着いたなら、必ず朝廷にお願いして、錦の冠を頂き船に酬いたいと思う」と言った。「幸い船の霊力によって」は「幸頼船霊」と記されている。
 古い信仰である一つの証。



住吉大社神代記



住吉大社摂社の船玉神社

 船玉神 今謂。齋祀紀国紀氏神。志麻神。静火神。伊達神本社。

 摂津国住吉郡の式内社船玉神社を指しているようだ。現在は住吉大社の摂社。

 『住吉大社神代記』には、住吉神の子神の條に船玉神があげられており、表題の注がある。
 注は、船玉神は、紀の国の紀の氏神である志麻神、静火神、伊達神の本社であると理解できる。
 真弓常忠氏は、紀氏神とは紀国造の奉祀した日前・国懸両宮であるが、元来、紀氏神として紀伊三所神(上記三神のこと)が奉ぜられており、これらの神々が住吉大神を奉祀したのであろうとし、祭られる神→祭る神→祭られる神の循環を反映していると説く。
 紀の国の在地勢力が祀っていた神々であるが、この神々が神功皇后を通じて住吉大神に仕える姿を示しているとの解説のようだ。
 『日本書紀』「神功皇后摂政前紀」に、師船を導いた住吉大神の荒魂とあり、すなわち船魂神であり、師船に付き従った紀氏の船を導いたのが三所神との理解である。

 住吉大社の配置図  上が北
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−船玉神社−−−−−−−−−−−−第四本宮−−五所御前−
海−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−→東
−鳥居−−−第一本宮−−第二本宮−−第三本宮−−楠の神木−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 五所御前は高天原と呼ばれていると言う。住吉大神がこの杉の木に降臨、それぞれの本殿に招かれるの。
 船玉神は第四本宮の神功皇后を巫女として住吉大神に奉斎する。
 この船玉神を祀ったのが紀の国の人々だと言う。



紀伊三所神

三所神の配置
  昔の鎮座地                    現在の鎮座地
−−−−和泉山脈−−−−−−−−−−− −−−−和泉山脈−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− −−−伊達神社−−−−−−−−−−−
−−−−−紀の川−−−−−−−−−−− −−−−−紀の川−−−−−−−−−−
−−−伊達神社−−−−−−志摩神社−− −−−志摩神社−−−−−十五社神社−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−−−日前国懸神宮 −−−−−−−−−−−−日前国懸神宮
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−−−−−−−−−−−静火神社−− −−−−−−−−−−−−竃山神社−−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−摂社静火神社−
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 先ず、紀伊三所神についてであるが、共に延喜式神名帳の名神大社である。

 志麻神は志磨神社[シマ]で、現在は中津嶋姫命を市杵島姫命として祀っているが、宮司曰わく「鎮座地は紀の川の中州にあり、洪水などの脅威を受けていたので、中州を神聖視し、中之島として祀った。」とある。当社は途中で衰えており、所在不明社であったが、九頭神社を志摩神社と改称、再建している。最初は足利義満が明徳四年(1397年)に命じているとあり、その後の戦乱で幾度か兵火にかかっている。

志磨神社

 現在地より北西の紀ノ川に近い松島に十五社神社が鎮座、志摩神社と同格との伝承がある。本来の志摩神社の鎮座地かも知れない。この地は名草平野を潤した宮川の取水口であり、紀氏にとっても重要な地域であった。紀氏が守らねばならない地域で、これを島と呼んだのかも知れない。

 志摩神社を船玉神と関連付けようとすれば、造船所があったのかも知れない。


静火神

 静火神 静火神社(しずひじんじゃ) 、現在は竃山神社の境外摂社で火結神を祀る祠がポツンと置かれているだけ。本来は平地の、恐らくは田の中に鎮座していた神で、竃山神社の鎮座地こそ静火神社の鎮座地であったとの見解もある。 名草山の東側に、朝日と言う地名が残る、これは浅い樋、静火は沈んだ樋(深い樋)のことではないかとの『紀伊続風土記』の見解がある。
 農業にかかわる神とすれば、船玉神とは関係がないが、文字通り鎮火の神とすれば、造船時、航海時の火結神としては有効。

伊達神社

 伊達神 伊達神社[イタチ] 伊太氏の神を祀る。『播磨国風土記』飾磨郡の因達の里の條に「因達と称するのは、息長帯比売命が韓国を平定しようと思って御渡海なされた時、御船前(先導神)の伊太氏の神がこの地においでになる。だから神の名によって里の名とした。」。
 先導した神として紹介されている。渡しの神であり、軍神でもある。『日本書紀』では住吉大神の荒魂と言うことです。紀氏の水軍が伊太氏の神の旗を立てた船で先陣を切って渡海していく、中央には息長帯比売命が乗る指揮艦が住吉大神の旗を立てていると言う状況だろうか。諏訪の大神も見える。周辺は国津神ばかりではないか。

 伊太氏の神は植樹の神である五十猛神であるとも言われる。造船には杉と楠の木がいいとは、素盞嗚尊の託宣であるが、五十猛神は伊太祁曽神社で浮き宝の神として祀られている。渡しの神、造船の神は十二分に船玉神と言えよう。

 紀の国では古来より五十猛三兄妹神への崇敬の気持ちが高く、紀伊三所神をして五十猛神、大屋都比売神、抓津比売神とする考え方がある。三神は、植樹や家屋などの建造物につながる名前であり、船魂神として祀られたことは充分考えられる。

 紀、五十猛神と船とのかかわりは何よりも、『日本書紀』などで語られている雄略朝での紀氏の水軍の朝鮮半島での活躍が根底にあったのだろう。

 武内宿禰が紀の国に三所神を祀ったとも云われる。また住吉大社の神主家の津守氏は田裳見宿禰より出ると云い、田裳見宿禰の母は紀の国の人と云う。



熊野本宮と船玉神

音無川上流の船玉神社

 熊野本宮大社は音無川に鎮座、この川の上流に船玉神社が鎮座、王子社の猪鼻王子の近くとか、こんな山奥に船玉神!!?と言うのが、先ず問われます。
 『熊野の謎と伝説』澤村経夫著によれば、鎮座地を玉滝山と言い、祠から上流10m程に小さな滝があったと言う。祠の左手には岩山があり、石段が刻まれており、登ると依代らしい磐座があるようだ。玉滝は明治二十二年の大水害で埋まってしまったそうだ。 船玉神社に並んで玉姫稲荷があり、船玉神とは夫婦神と言われている。 船玉神社から音無川河口にあった熊野本宮大社へ、月に一回、「みよろの星」と言う霊魂のようなものが、音無川を行き来したと伝わっている。

 熊野坐神社即ち熊野本宮大社は熊野早玉神社(熊野速玉大社略して新宮)からの派生した神社と言う考え方があります。人類の歴史は、川の河口から上流に遡っていく場合が多いのをその理由としています。 河口部の人々がその川の源流を崇め祭る意味で奥宮を祭り始め、それがいつの間にか本宮とされるようになったとの事である。本宮大社の鎮座する音無川の上流に船玉神社が鎮座している、新宮の海人(熊野海人)が遡って行って祭ったのでしょう。海を根の国妣の国とする信仰の流れの人々であったのでしょう。

 『海の民俗学』牧田茂著で、日本全国に船霊信仰を広めたのは熊野修験者や熊野巫女ではないかとの指摘がある。熊野巫女やくぐつと箱の中に人形を入れる船霊信仰との関連を予感されているようである。解明はない。

 今でこそ、漁業資源を守るためには上流の森を守ることが大切と言われ出して来ましたが、古代の人々には生活実感としてこのような考えがあったのでしょうね。

 速玉之男神を斎く人々が船玉神を祀ったのである訳で、速玉大社の例祭に「早船」が出てくるのが、語呂合わせ的で面白い。
 『海の民俗学』牧田茂著では、天鳥船や船を「はやとり」と言う、とある。ハヤタマ、フナタマ、同義かも。
 唾を吐いた時に生じた速玉神、およそ熊野海人と似合わない神であるが、伊邪那美神の葬送の地との伝承が深く残っている熊野の地、伊邪那美神の死と言うものへの懺悔の気持ちが唾に絡む神を祀ることになったのかも知れない。 伊勢の滝祭神社の神について『坂十仏参詣記』に「滝祭りの神はもと竜であって、沢山の人を呑んだが、後にこれを悔い改めて、御手洗いの所にいて人々の唾を飲んで修行している」との伝えがあると言う。(『アマテラスの誕生』筑紫申真著:講談社学術文庫)

 『ざんげざんげ船玉大明神』に「..懺悔懺悔六根清浄、四大八大金剛童子、哀愍納受の一事礼拝、紀伊国牟婁の郡、音無川の水上に、船玉山船玉十二社大明神・・」と、懺悔と速玉、船玉とはつながっているのかも知れない。

 端唄の「紀伊の国」が江戸時代に作られ、明治初期にはやったと言う。
 紀伊の国は 音無川の水上(みなかみ)に
 立たせたまふは 船玉山(せんぎょくさん) 船玉十二所大明神
 さて東国にいたりては 玉姫稲荷が 三囲(みめぐり)へ
 狐の嫁入り お荷物を 担へは 強力(ごうりき)稲荷さま
 頼めば田町の袖摺も さしづめ今宵は待ち女郎
 仲人は真前(まっさき) 真黒九郎助(まっくろくろすけ)
 稲荷につまされて 子まで生(な)したる信太妻(しのだづま)


 三囲稲荷 東京都墨田区向島 三本足鳥居
 信太森神社(葛葉稲荷) 和泉市葛葉町

 仏教的には深位如来、薬師十二神将、釈迦如来、大日如来、観音信仰などと結びついている。



タクの神とは船霊さんか?

 船霊様は予兆を示す。タク、itak、アイヌ語では話すこと。
 万葉集巻七 一二六六
 [原文]大舟乎 荒海尓榜出 八船多氣 吾見之兒等之 目見者知之母
 [訓読]大船を荒海に漕ぎ出でや船たけ我が見し子らがまみはしるしも
 [仮名]おほぶねを,あるみにこぎで,やふねたけ,わがみしこらが,まみはしるしも
 多気 たけ たく:古語で「船を漕ぐ」「あやつる」 多久魂 船を漕ぐことを守る神

 「タク」の式内社リスト
 越中国婦負郡 多久比礼志神社(たくひれしじんじゃ)塩宮「彦火火出見命 豐玉姫命 鹽土老翁」富山県上新川郡大沢野町塩 由緒 塩の採れる鉱泉を祭祀対象としたもの。

 丹後国中郡  多久神社(たくじんじゃ)天酒の宮「豐宇賀能当ス」京都府中郡峰山町丹波涌田山 由緒 羽衣伝説の天女(豊宇賀能当ス・とようかのめのみこと)を祀ってある神社。この天女は酒作りを伝えたので、甘酒大明神といわれた。

 大和国葛下郡 石園座多久虫玉神社 通称龍王宮「建玉依比古命、建玉依比賣命 配祀 豐玉比古命、豐玉比賣命」奈良県大和高田市片塩町 

 出雲國楯縫郡 多久神社「多伎都彦命、天御梶姫命」島根県平田市多久町274 由緒 出雲国風土記に「多久社」とある神社。北東に大船山があり、当社は大船大明神と呼ばれていた。阿遅須枳高日子命の后・天御梶姫命が多伎都彦命を生んだ地

 出雲国島根郡 多久神社 通称 天王さん「天甕津比女命 配祀 素盞嗚命」島根県八束郡鹿島町南講武 由緒 天甕津比女命と称奉る女神様で八束水臣津命の御子、赤衾伊農意保須美比古佐和気能命の御后神。

 隠岐国知夫里郡 燒火神社(たくひじんじゃ)通称 隠岐の権現さん「大日ルメ貴尊」由緒 日本海の船人に海上安全の神と崇められている。古くは船玉大明神と云う。熊野から来たとされる。

 対馬国下県郡 多久頭魂神社(たくづたまじんじゃ)「天照大御神、天忍穗耳命、日子火能迩迩藝命、日子穗穗出見命、鵜茅草葺不合命」長崎県下県郡厳原町大字豆酘字龍良山 由緒 近くに高御魂神社が鎮座、また安曇氏の拠点、豆酘はツツで、住吉神との関連も指摘あり。船玉神のルーツか。

 対馬国上縣郡 天神多久頭多麻命神社「多久頭魂命」長崎県上県郡上対馬町佐護字洲崎西里 由緒 側に神御魂神社が鎮座、女房神。天道の母神。

 甘く見て半分程度は海や船にまつわるか。



船玉神の一般論


 『日本の古代8:海人の伝統』に中の「海人の信仰とその源流」田辺悟筆があり、その中で、船神にかかわる南方的な流れとして「オナリ神信仰」を挙げておられる。
 この信仰は、姉妹神が美しい蝶になって弟を守りにやって来たとか、白い鳥となって兄の船のトモにとまっているとの沖縄や奄美の信仰に見るように、(船に乗っている場合のみではなかろうが)女兄弟が男兄弟の守り神となる「妹の力」の現れを指している。

 また、造船儀礼には「山の神」から樹木を頂き、樹木の守り神を船の守り神としてしまう信仰がある。熊野の山奥や伊太祁曽神社の植樹神が船の守り神となっていくのは自然の流れのようである。これとは全く反対に、船材について来た山の神の霊を振り落とす習俗もある。コケラオドシと言い、船を揺さぶる。船霊を船に安定させることが本当の所、赤子をゆさぶってあやすのも、不安定な魂を安定させるためと折口信夫は言う。
 船霊とは特定の神ではなく、祖霊のようなもので、船頭の家の女が祀っている神が船を守るのであって、それゆえに女の髪の毛などが御神体とされる。

 船玉髪の御神体は人形、毛髪、賽二個(海上浮遊の木で海亀がついているものは尊ばれる)、青銭などの幾つかをいれる。若狭の冠山には船そのものも御神体とする神社がある。船内に船玉様を納める場所は、帆柱の根元の筒と呼ばれる所、またはモリと呼ばれる所、住吉の筒男の筒はここからとの見解があるが逆だろう。

 船に女が一人で乗ることはタブー。理由はいくつか推測されている。船霊がその女に憑いてしまうからとか言う。もし一人で乗る場合、人形または鏡などを持って乗ればいいと言う。
 船下ろし(新造船の進水)の場合には、二人の女を船に乗せるとか、一人の場合には一度降りてからまた乗るようにする。



大阪の船玉神を祀る神社一覧



摂津国西成郡 八阪神社摂社船魂社「船魂大神」 大阪府大阪市大正区三軒家東6-14-12
摂津国西成郡 鴉宮摂社船玉神社「船玉大神」 大阪府大阪市此花区伝法2-10-18
摂津国西成郡 澪標住吉神社摂社十三社「船玉神」 大阪府大阪市此花区伝法3-1-6
摂津国西成郡 恵美須神社摂社稲荷神社「船玉大神」 大阪府大阪市福島区玉川4
摂津国住吉郡 住吉大社摂社船玉神社「天鳥船命、猿田彦神」 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
摂津国住吉郡 生根神社摂社船玉神社「住吉大神ほか」 大阪府大阪市西成区玉出西2-1-10
和泉国大鳥郡 開口神社摂社舟玉神社「天鳥船大神」 大阪府堺市甲斐町東2-1-29
和泉国大鳥郡 大津神社「合祀 船玉命」 大阪府泉大津市若宮町4-12
和泉国南郡  楠本神社「船玉大神」 大阪府岸和田市包近町1448番地

一覧終わり

参考
神社本庁 平成祭りデータCD
白水社 日本の神々
岩崎美術社 海の民俗学 牧田茂
中央公論社 日本の古代8 海人の伝統

神奈備にようこそ