神代 国譲り、天孫降臨

国譲り譚

 国譲り譚は、古代ローマ、ゲルマン、インドの神話にもある。概ね次の構成。

1 天にいる祭祀と武力の神々と、地にいる生産労働の神々との間に争いが起こった
 当初は生産労働の神々が富と性的魅力などによって、天側の神々を懐柔した。

2 天の神々が地の神々を麻痺させる無敵の武器を投げることで挽回した。

3 両者は和解。天の神々の統治権を認めるかわりに地の神々も仲間の神とし、互いに協力世界を支配。
天の代表は高皇産霊神・天照大神、地は大国主神、性的魅力は下照比売、武力は経津主神・武甕槌神。


国譲り譚余談

五男神と国譲り交渉経過

天照大神と素盞嗚尊との誓約によって五男神が誕生した。天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命。


1 高皇産霊尊は天忍穂耳尊の御子の瓊瓊杵尊を葦原中國の主としたいと思った。しかしそこは螢火のように光る神や、蝿のように騒がしい邪神がいる。また草木もみなよく物をいう国であった。

2 先ず、天照大神の二男である天穂日命を派遣した。しかしこの神は三年経っても復命をしなかった。その子を遣わしたが同じことだった。

3 次ぎに天国玉神火の子の天若日子を遣わした。ところが天若日子は大己貴命の娘の下照姫を妻にして、葦原中国の統治者になろうとして、8年間も復命しなかった。これを問いただすべく無名雉が遣わされたが、天探女が報告、天若日子は無名雉を射殺してしまった。その矢が高皇産霊尊の下に届き、尊は投げ降ろしたところ、天若日子の胸にあたり、天若日子は死んでしまった。

4 若日子の妻の下照姫は嘆き悲しみ、その声は天まで届いた。下照姫は、8年もいた天若日子との間に御子は生まれなかったのだろうか。


天若日子の正体

国譲りには先ず天照大神の次男の天穂日命が派遣された。
次ぎに遣わされたのは立派な若者と称えられた天若日子である。天照大神の他の皇子よりも優秀な青年がいたことになる。

神話としては、天照大神の三男の天津彦根命を派遣するのが順当なところと思われる。
実際の伝承としては天津彦根命が遣わされたのだが、返し矢で殺された不名誉の死をとげたこともあって、天若日子と言う架空のミコトを作り、彼に置き換えたと考えられる。

『記紀』では、天若日子は呼び捨てされている。
天若日子は天国玉神の子とされている。この名は下照比売の親である顕(うつし)国玉神に対応させている命名と思われる。

伝承としては、天照大神の三男の天津彦根命が遣わされた。この神は近江国蒲生稲寸の祖、また河内国造の祖であり、近江、河内に関連が深い神である。近江には天若日子にちなむ神社が鎮座、また河内は下照姫ゆかりの地。



近江国犬上郡 天稚彦神社

摂津国東生郡 比売許曽神社



日向神話


1.落ち着き先   笠沙の御前 鑑真和上の上陸地、大陸からの渡来人の上陸地、稲作伝来の地?

2.婚姻   神阿多都比売   阿多隼人の姫、木花咲夜比売の愛称、姉は石長比売。
  石長比売を娶らなかったから、天皇の寿命は短い。死の起源説話。 → バナナと石。東南アジア

  一夜孕 天津神の子は一夜で孕まなければならない。神武、雄略にも例がある。

  火中出産 火険法 貞節を検査する方法 インドなど高文明国家に多い。

  竹刀で臍の緒を切る 沖縄、台湾、比国、インドネシアに分布。

3.日向三代  ニニギ、ホホデミ、ウガヤフキアエズには山陵がある。記紀作成の頃には神ではなかった。
ニニギ  可愛の山陵 薩摩国江乃郡 モイヤマ(森山)叢林
ホホデミ 高屋山上陵 大隅国肝属郡 モイドン(森殿)中心の神木



ウガヤ 吾平山上陵 大隅国姶羅郡 地域の先祖を祀る自然林だったか。
彼らを祀る神社があるならば、それは新しく祭られた神社。


天孫降臨神話

日本の天孫降臨神話 古事記 日本書紀 第一の一書
中臣氏
古語拾遺 天孫降臨神話
忌部氏
日本書紀 第四の一書
大伴氏
指令神 天照大神
高木神
天照大神 天照大神
高皇産靈尊
高皇産靈尊
最初の候補神 天忍穂耳命 天忍穂耳尊    
降臨する尊 天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命 天津彦彦火瓊々杵尊 天津彦尊 天津彦国光火瓊々杵尊
携帯した神器
お供した神
出迎えた神
八尺勾玉 鏡 草薙剣

天児屋根命
布刀玉命
天宇受売命
伊斯許理度売命
玉祖命
思金命
手力男神
天石門別神

天忍日命
天津久米命

猿田彦大神
八坂瓊曲玉 八咫鏡 草薙剣
天児屋根
太玉命
天鈿女命
石凝姥命
玉屋命

猿田彦大神
八咫鏡 草薙剣 矛・玉
天児屋根
太玉命
天鈿女命
斎庭の穂
天忍日命
天槵津大來目

猿田彦大神
天忍日命
天槵津大來目
降臨の目的 統治 統治 統治  
降臨先 竺紫の日向の高千穂の久士布流多気 → 笠狭の御前 日向の襲の高千穂の槵触峯 日向の高千穂の槵触の峯 日向の襲の高千穂の槵日の二上峰 笠狭の崎



天孫降臨神話の源流と改竄

 支配者の先祖が天孫降臨して来たとする神話は、この国の氏族にそれぞれの形で伝承されていたようだ。その源流は後で見るようにどうやら大陸北部・半島から伝わったようだ。おそらくは指令神は高皇産靈尊だけだったのが本来の姿であったろう。大伴・久米氏が降臨と神武東征に古くから付き添っている氏族であり、中臣・藤原氏は飛鳥時代以降に力を持って来た氏族であり、皇室はもとより忌部氏や久米氏の祖神である高皇産靈尊とは無縁の氏族だったので、天照大神を皇祖として担ぎ出して忌部氏などに対抗したものと思われる。

近隣国の天孫降臨神話 湖南省広西チワン族
ヤオ族の神話
雲南省
トールン族
モンゴル
ゲセル神話
古朝鮮  三国遺事
檀君神話
最高神 天神 天神 木崩格 デルクエン・サガン 天帝・桓因
最初の候補     子のチュルマス  
降臨する神 水仙姫
地上から来た若者
木美姫(天神娘)
彭根朋(地上の少年)
チュルマスの子ゲセル・ボグドゥ 桓因の子の桓雄
携帯した 神器など 穀物の種子
ゴマの種子
ヒエ・ソバ・トウモロコシ・燕麦の種子
各種の鳥獣など
稲籾は盗み出した
主宰神の知謀
祖父の黒い軍馬
英雄の準備金
祖父の黒い軍馬蹄縄
祖父の短い槍
一人の妻
天符印三個
神々 風師・雨師・雲師
神々 穀物・生命・疾病

部下3000人
降臨の目的 かけおち

天との行き来不可
天神の娘を娶る マルトの民の滅亡を防ぐ。 人間を治める
降臨先 地上 洪水の後の地上   太白山頂の神檀樹の傍



三種の神器

三種の神器 壇君神話 高句麗 新羅 紀第一 仲哀紀
五十迹手
古語拾遺 古事記 継体天皇 持統天皇
  天符印
三個
鼓角 玉帯 八坂瓊曲玉 八尺瓊 八咫鏡 八尺勾玉
    丈六尊像 八咫鏡 白銅鏡 草薙剣
    九層の塔 草薙剣 十握剣   草薙剣    
        中臣伝承 伊都県主 齋部伝承     養老神祇

三種の神器について

 皇位継承のシンボルとなる神器は剣と鏡の二種であることは、継体天皇・持統天皇の例を見るまでもない。では曲玉は何なのだ。これは天皇家の家長を継ぐ標しであるとの説があり、同意できる。実際に剣は熱田神宮、鏡は伊勢神宮と皇室外に祀られているのに対して、玉は皇居内に祀られている。
 朝鮮半島や日鉾の末裔と称する五十迹手には三種まとめての神器と言う意識があったようだ。
 北九州の福岡県糸島市にある平原弥生遺跡からは、鏡が42面出土しており、その中に漢の中期〜後漢前半とされる国内最大の鏡(直径46.5cm)がある。この鏡の大きさは江戸時代にかいま見たとされる伊勢神宮の鏡の箱の大きさから推測される神体と同じ大きさとされている。この鏡が皇室に伝わったのは伊都県主の五十迹手によったのかも知れない。

平原弥生遺跡出土鏡



天孫降臨神話の必要性

 高句麗好太王の碑によれば西暦400年、高句麗5万の兵士で倭国軍は敗北している。最高権力とは軍事と外交を司るものであり、当時の倭政権(三輪山付近を根城にしていた政権)これに失敗した。当然のこととして、政権交代が行われ、佐紀大王家が発展し、所謂河内政権が誕生した。
 倭の五王である。王権の血統意識が高まり、加えて世襲観念が強くなっている。ここに唯一至高神の高皇産霊神の導入と皇祖神化が行われた。
 倭王武(雄略天皇に比定)の南宋への上表文は、「東は毛人を征すること五十五国、云々。」となっており、実際には国譲りはなかったのではなかろうか。
 河内王朝は血統重視の王朝。この時期に国生み神話や天孫降臨神話などが語られたか。

 べつの説(築紫申真氏 アマテラスの誕生)では、天孫降臨神話の作成は天武〜文武朝での仕業としている。「現に慶雲2年(705)に、八咫烏神社を大和宇陀に祭る。」とあり、この時期にこの神社を創建しているのは、神話に合わせた神社建立と指摘している。天孫降臨、神武東征譚はこの時期に造られ、その証拠物件の伊勢神宮も造られたとの意見もある。

 持統天皇の諱名は高天原広野姫天皇、高天原は名についた初めての天皇。高天原神話はこの頃の作成とすれば、高天原は大和、皇孫は出雲を制圧して九州に天孫降臨、それから神武天皇が再度大和へと言うストーリーになろうか。あたかも、聖書ではヤコブはカナンの地から旅をして、最後はカナンに戻る。



天孫降臨の役者

 猿田彦神と天宇受女神の登場  宮廷祭祀は猿女君にお任せ。
猿田彦神 縄文の神、太陽神、岐神、男根の神 日神を運ぶ神の祖。

大湯環状列席 日時計



天宇受女神 巫女神、踊る巫女、ホトの神

国津神が天津神の女を娶ったと言う珍しいお話。



高天原とは

 地理的条件 天の香久山があり、鉄がとれる。天の安河が流れている。
 大伽耶(高霊、谷那鉱山 川がある。)であろう。
任那は562年滅亡。『魏志東夷伝弁辰条』国出鉄。
任那  継体天皇は任那に未練を持っていない。欽明以降の政権は任那奪回を悲願とした。
韓国慶尚北道高霊郡の伽耶大学校内にある石碑 →



天孫降臨ルート

『日本書紀』巻一第六段一書第一
 日神所生三女神令降於筑紫洲。因教之曰。汝三神宜降居道中、奉助天孫、而爲天孫所祭也。
 日神が生んだ三柱の女神を、築紫の国に降らせられた。そして教えて言われるのに、「お前達三柱の
神よ、海路の途中に降り居て、天孫を助けまつり、天孫のためにお祀りをされよ。」と。
一書第二 市杵嶋姫命、遠瀛者。田心姫命、中瀛者。湍津姫命、海濱者。
一書第三 市杵嶋姫命・湍津姫命・田霧姫命 今在海北道中。號曰道主貴。
ルート 半島 沖島 宗像 遠賀川 九州。と考えられていた。



もうひとつの天孫降臨

北九州への降臨は皇祖と言っても応神天皇の降臨の伝承ではあるまいか。神である息長帯比売の胎内のままでの降臨、いかにも卵生神話の半島からに相応しい。
 より古い伝承としての瓊々杵尊の降臨の地について。
 『記』竺紫の日向の高千穂のくじふる嶽に降臨。天忍日命(大伴連の祖)と天津久米命(久米直の祖)の二人、さまざまな武器を持ち御前に立ちて仕え奉りきとある。古代において山上に降臨することは常識としてはありえない。神霊としてなら十分考えられる。海から漂着した瓊々杵尊集団に神霊による催眠があったのかも知れない。
 人間瓊々杵尊は笠沙岬に漂着。野間岬のこと。先祖が最初に上陸した記憶の地と思われる。華南あたりから対馬海流にのると到着する岬。ヤシの実が来る。鑑真和上もここに漂着。



日子穂穂出見尊(山幸彦)と海幸彦の物語り


失われた釣り針の神話がインドネシアのケイ島・セレベス島やハワイに残る。
熊襲から皇室に伝わった伝承だろう。


神武(神日本磐余彦火火出見)の素性


三代前の祖母 阿陀隼人の木花咲耶姫、祖母は海神の娘豊玉姫、母は同じく玉依姫。
神武の血  天孫1/8 阿陀隼人1/8  海神3/4 南九州の血 7/8。殆ど熊襲の血。

『紀』の来目歌の歌い手。神武5、皇軍2,道臣(大伴の祖)1。神武は来目だ!



熊襲と久米


熊:肥人(くまびと)+襲(日向の襲:隼人) 
久米(来目)は肥人。肥前国球磨郡久米郷(熊本県球磨郡多良木町久米)
南さつま市野間岳の東 加世田遺跡 奈良時代の土師器椀  「久米」墨書き土器出土。
神武一家は肥人の一族。肥人の主導権を取れず、はみ出されて出てきたのだろう。裔の景行が攻めている。

参考文献
大林太良 『日本神話の起源』 『シンポジウミ日向神話』 吉田敦彦 『日本神話と印欧神話』
溝口睦子 『アマテラスの誕生』 黛弘道 『古代学入門』

神奈備にようこそ