八幡神社
和歌山市府中439 ゼンリン
本殿遠景 許山と言う。
交通案内
阪和線 天王寺→紀伊 西北2km山の上
祭神
應神天皇、大己貴命 配 神功皇后、比賣大神
摂社 高良明神社「武内宿称」
由緒
延喜二年(902年)三月三日、大字田屋の小童が紀ノ川で小箱の流れ来るのを見つけ箱を開こうとしたが封が堅く開かないので家に持ち帰り安置したところ、その夜、神様が現われ、この箱を開くな、これ恐れ多くも石清水八幡大神(京都府八幡市鎮座の石清水八幡宮)の御祭神であって村内の人々を護らんとするものであるとの宣旨があった。
その後夜毎瑞光が府中の乾山を照すので役所に報告し許可を得、神教を奉じ石清水八幡宮の社殿を模し御造営のうえ神箱を殿内に奉祀し府中、田屋、小豆島、橋谷の氏神となった。
また境内神社として、武内宿称を祭る高良明神社があり、特殊神事として毎年旧暦七月末日に氏子崇敬者の繁栄を祈念する放生指祭が深夜区域の境界線で行なわれる。
お姿
阪和線の紀伊と六十谷の中間の北側の山の中腹に銅板葺きの本殿が見える。阪和自動車道からも正面に見えるところがあるようで、それを契機に参詣する人もいると言う。
社殿
高良明神社
お祭り
10月15日 秋季例祭
紀伊国名所図絵から
紀伊續風土記 巻之九 名草郡第四 直川荘 府中村から
○八幡宮 境内七十間 六十間 馬塲 禁殺生
本 堂 方三間 拝所 廳
末 社 高良明神社
村の西北五町許山の半腹にあり 府中田屋二箇村の産神なり 宮殿の美麗此邊の諸庄に比類なし 永仁ノ文書に田屋本郷八幡宮敷地といふ事見えたり
又かたわらの神ノ御社といふも見ゆ 往古は神田七町三段六畝あり 天正年中(1573年ー)八幡宮納處名寄帳今にあり 祭禮に放生會流鏑馬(ヤブサメ)ありしといふ 社傳にいふ 當社は延喜二年(902年)三月三日石清水八幡宮の神託に依て祭るといへり
今按するに古来の国司の中に殊に八幡宮を尊崇する人有りて祀奉せしならん 寶物信國の太刀あり 往古は一郷の氏神ならん 故老の傳に府中田屋小豆島直川高居高居何れの村をいへるか詳ならす まて皆氏下なりしといへり 神主を大平氏といふ |
紀の国古代史街道
神奈備にようこそに戻る |