伊久比売神社
和歌山市小路330番地 its-mo


鳥居と楠木



交通案内
南海電鉄紀ノ川駅 東700m

祭神
伊久比売命
摂社 妙見社 ほか

由緒
 市姫大明神とも呼ばれる。古来よりのたびたびの洪水、火災にて、由来は今 や不明である。江戸時代、式内社と考定し称号を決めたのである。
 吉田東悟『地名辞書』には、「鳴滝伊久比売も伊也比売の誤にあらずや。」としている。なお、「伊也土神社は大彌彦神を祀るとし、大屋毘古神のこと。」としている。

お姿
 本殿は木造檜皮葺き。県指定の天然記念物の楠木三本が見事。樹齢500 年。楠木の一つが枯れかかっていて、樹木医の治療を受けている。がんばれ!

本殿




お祭り
例祭 10月13日



紀伊国名所図絵から



紀伊續風土記 巻之八 市小路村から

○伊久比賣神社  境内周四町四十六間 禁殺生
  延喜式名草ノ郡伊久比賣ノ神社
  本國神名帳名草ノ郡久比賣ノ神
宮村にあり 土人は市姫大明神といふ 荘中四箇村の産土神なり 此地紀ノ川の海口にして屡洪水の為に淪没し戦争兵火の為に薫煌燼滅へ當社の來由絶て考ふへきものなし まして七八百年前は此地海中にて式内の神の古く鎮座あるへき理なし 意ふに往古は當社此地より東北の邊に鎮りましゝに海口變革して此地に村里を開きしより此地に移したるなるへし 村名を市小路といふときは其比此地市塲となりしならん 當社其地に鎮り坐せるより土人は市姫と唱ふるか
京五條に市姫神社といふあり 市塲の神なるにや  封初伊久比賣ノ神社の遺跡を尋させ給ひ當社を其神社と考定し土人の稱號を改められ享保十一(1726)年に至り境内四至に禁殺生のを立られ漸く古祠の姿に復し給ふ 猶山口荘谷村山王権現の條を併せ考へし
 


拝殿と楠木



古代史街道 紀ノ国編
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