紀伊續風土記 巻之九 名草郡 直川荘 松島村から
○十五社明神社 境内周八十四間
本 堂 方四尺五寸 廰 拝殿
末 社 三十番神 金毘羅大権現
本國神名帳名草郡従四位上島大神
村中にあり 素盞嗚尊稲田姫命及び御子十三座合せぜ十五座を祀る 因て十五社明神と稱ふ 一村の氏神なり 舊は島明神の森に在しヽを後今の智に移すといふ
按するに十五社明神と稱るは後世の事にて本は中野島村に在す志摩明神と同神にて本國神名帳載する所の従四位上島大神即是なり 中野島村及此邊皆郷名の志摩神戸の地なれは志摩神社を兩地に祀り來れるなり
此地のに在せる神後人十五座に合せ祀り十五社明神と名けしより志摩大神の名廢れたるなり 村民或は神名の異なるより志摩大神と十五社明神と別神なりと思ふは謬りなり
祭禮 三月十五日 十月十日 十一月十日なり 土人十月十日の神事を戸閉[トタテ]祭と號す 其義詳ならす
按するに古田舎に始て早稲を刈て隣里の者まで集まりて食ふを新嘗[ニイナメ]といふ 其時は厳重に斎ひ慎みて門を閉て堡く
外人をいれす萬葉集十四巻 爾保杼里能 可豆思加和世乎 爾倍須登毛 曽能可奈之伎乎 刀爾多氏米也母[にほとりの かつしかわせを にへすとも そのかなしきを とにたてめやも]
又東歌に 多禮曽許能 屋能戸於曽夫流 爾布奈未爾 和我世乎夜里氏 伊波布許能戸乎[ たれそこの やのとおそふる にふなみに わかせをやりて いはふこのとを]
とある是なり 當社の戸閉祭も若くは此類にてはあらさるか
社殿にスズを蔵む亨禄の銘あり
○島大神森 境内 東西十六間 南北十間
村の艮三町許にあり 氏神十五社明神は即島大神にて舊は此地に在せしを何れの時か村中に移し奉り猶其形を遺せるにや 此所を古宮と稱ふ 近年石の寶殿を建つ 森の側に古の馬塲跡あり |