上小倉神社
和歌山市下三毛508 its-mo


鳥居 と 拝殿
 



交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→小倉もしくは船戸
小倉駅から東へ徒歩15分、岩出海南銭北側
船戸駅から西へ徒歩15分、岩出海南銭北側


 
祭神
手置帆負命
配神 彦狹知命、皇大神
合神 譽田別命、伊弉諾命、伊弉册命、須佐男命、崇徳天皇



由緒
 和銅年間の創立、華麗さは界隈無比であったと言う。 天正の乱で社殿社寺を焼失、慶長年間に再建された。 九頭神社と呼ばれていたが明治の神社合祀時上小倉神社と改称された。 初期大和政権の宮殿等の建立に手置帆負命、彦狹知命の二命の孫がこの地にて材木の調達を行い、建設に大いに貢献したので、地領を与えられ、子孫が祖神を祀ったと伝わる。 大工の神様として今日まで崇敬されている。
 紀伊の忌部氏の祖神を祀る神社と言う事である。忌部氏は阿波から紀伊に多くの足跡を残す氏族であり、和歌山市内には井辺と言う地名が幾つか残っている。井辺前山古墳群は6基の前方後円墳と60基の円墳がある。また船戸駅の南東に御茶屋御殿山があり、古墳群がある。
 紀伊の忌部氏は鳴神社を氏神としていたとも伝わる。

 大工の神が祀られているのは流石に木の国和歌山らしい。南紀だけではなく紀ノ川沿いも樹木層が厚い。



お姿
 田園の中に鎮守の杜が際だっている。かっては聳えるようにたつ一本松が有名であったが昭和45年おしくも枯れてしまった。 これらも戦後の空気の悪化への神々の警告ともとれる。 それでも楠木など多くの木々に恵まれている。


本殿



お祭り
11月3日 秋季例大祭



紀伊国名所図会




『紀伊続風土記』 那賀郡 小倉荘 下三毛村 から

○九頭明神社   境内周四町
 本社 一丈四尺 一丈三尺  脇宮 八尺 六尺七寸  御供所
  鳥居    鐘楼

村の東四町半にあり 下三毛上三毛山崎三箇村の産土神なり
九頭は即国主にして大国主神を祀る脇宮は白山権現を祀るといふ 寛永記に古は神の来由を書せり巻物伝はりしに天正の兵火に社伝記録等焼亡し社領も皆没収せらる 後村民力を合わせて本社を再興すといふ
 境内古松鬱蒼として殊に[木豫]楠欅(クヌギ)の古木あり 享保の頃高野領調月村に奇性の説を偽作して古書なりといふ者あり 社家の徒これに欺かれて神名を改め唱ふる者あれとも皆無稽の言なれは一も信するに足らす 今皆改めて寛永記の説に従えり
 今 神主を原田氏といふ
   別当   神宮寺
 



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