住吉神社
和歌山市梶取231 地図


遠景 楠木と鳥居


交通案内
南海本線 紀ノ川 南西1km

 
祭神
表筒男神、中筒男神、底筒男神
境内社 金比羅権現、秋葉明神

秋葉明神 本社 金比羅権現と並ぶ

由緒
 地図では蛭子明神となっている。梶取(かんどり)の氏神、もと総持寺の鎮守、勝手明神、蛭子明神、子守明神 三神を合祀したと言う。現在は子守明神に替わって住吉明神が御祭社となっている。住吉三神を本社とした時期は不詳。

 天正(1573年)の頃まで神田があったが、秀吉の南成の際、没収された。

お姿
 梶取地域は低地でたびたびの大洪水があり、本殿も幾たびか流失したとのこと。現在は社域は児童公園と一体に見える。巨木の楠木が目立つ。もう一本とともに和歌山市指定文化財。

本殿

お祭り
 7月30−31日 夏季例祭

総持寺
 

 受陽山知足院と号し、西山浄土宗。本尊阿弥陀如来。かっては京都東山禅林寺・西山光明寺と並び、九ヶ条目を得たが、寛文年間、禅林寺・光明寺が西山派総本山となり、当寺は両寺の末寺となって、紀伊・和泉の八十八ヶ寺の末寺を有するようになった。

紀伊續風土記 巻之七 名草郡第三 雑賀荘 梶取村から

○住吉明神社   境内周九十四間
南北の中央にあり 一村の氏神なり 社地今総持寺の内に属し総持寺の鎮守とす 勝手明神蛭子神を合祀す 舊は蛭子勝手子守の三神を祀る 住吉を本社とするは何れの時に始れるを知らす 境内に八大龍王妙見菩薩を祀れり 然とも社なし 古は神田あり 豊太閤南征の時没収せらる 今村中田の地の字に御供田御油田宮免なといふ名残れり

紀の国古代史街道

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