住吉神社
和歌山市北島158 地図
鳥居
交通案内
バス 新道下車 東南へ300m
祭神
底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命
由緒
紀ノ川の北側にあたり、洲渚の地形を形成しており、北島・狐島・鵜島などの地名が残っている。 永正七年(1510)矢の宮より勧請して一村の氏神とした。
大阪の海産物問屋からの奉納になる献灯が残っているようだ。
昭和二十年の戦災で社や樹木は全焼し、古記録は失われてしまった。
拝殿
お姿
町の民家に並んで神社は南面して鎮座している。本殿の左右に摂社が並ぶ。秋葉山大権現、金比羅大権現、稲荷大明神など。
本殿
お祭り
10月 31日 秋季大祭
紀伊續風土記 巻之八 名草郡 雑賀荘 北島村から
○住吉明神社 境内周五十二間
本社 方五尺 拝殿
摂社 秋葉権現社
末社 熊野権現 蔵王権現 天満宮 合殿 観音堂
村中にあり 永正七年総社矢宮より勧請して一村の氏神とす |
『平成祭礼データ』
参拝のしおり 御由緒
住吉神社の分神(末社)で、墨江の三神、つまり海の神様をお祀りしている。
「・・・大谷平井より以下皮り年々砂土を流し出し海面よりも風浪ゆり動かして処々砂土を集めるにより自然に遠浅の地となれり、或いは州渚となれり、是れより北島、鵜島、狐島などの名あり・・・・・、云々。」(紀伊続風土記より)と記せられている。
昔は海岸で漁業、水産業が主に行なわれていた様で、従って氏神さまに海神をまつり豊漁を祈願した様に想像される。
この様に五百年近い歴史をもつ氏神も、昭和二十年七月の戦災により、お社をはじめ樹木に至るまで焼失してしまい、現在古い記録は何も残っていない。幸い御霊は氏子総代の方々により焼土の中より掘り出され、今なお安置している。
焼失したお社は当時の氏子総代の方々が中心となり、復興委員により昭和二十二年三月四日、春日神社の前田宮司の奉仕により、遷宮され、お祭りしてきたが、何分戦後の建物であり、常に改築を望んでいた総代各位の御尽力により、昭和三十九年三月二十六日、住吉神社のお社にふさわしい住吉造りで木のかおりも豊かに遷宮された。同時に末社の改築を計画されたが、資金の面より出来ず、昭和五十六年七月十一日に末社も住吉神社にふさわしい建築により改築された。
以上 |
古代史街道 紀ノ国編
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