三郷八幡神社
和歌山県海南市下津町黒田269 its-mo

一の鳥居、二の鳥居
 


交通案内
紀勢線加茂郷駅 南東の山中



祭神
大鞆和氣神(本殿)、菅原道眞(右殿)、住吉明神(左殿)


三の鳥居


由緒
 下津町の中部の産土神。三郷(さんご)の宮とも呼ばれる。勧請時期は不明だが、社伝によれば久安年間(1、145〜51)丸田の低地から丁(よろ)に遷され、さらに文明年間(1、469〜87)現在地に遷座したと言う。

拝殿



お姿

 加茂郷駅の南の国道42号線を数百メートル西に行くと、三郷八幡神社への登り口がある。六十六部供養塔が再建整備されている。これは法華経を全国六十六ヶ所の霊場に納めて、托鉢しつつ歩き、死後の冥福を祈る修行僧であり、江戸時代には一般人も多く行ったと言う。

 参道は左手に桜並木、右手には葦が繁茂、南国の雰囲気を感じる。そうとうの登りと距離がある。加茂郷駅の案内板には500mとあるのは、先の登り口まで。そこから数百メートル。

 本殿は永禄二年(1、559)の建立で、その後二一年の式年に屋根の葺替えを行って今日に及んでいる。 三間社流造・檜皮葺で室町末期の特徴をよく残している。蟇股や木鼻の浮立彫刻には桃山前期の様式の先駆けがみられ、国指定重要文化財。

本殿



 大根の彫刻がなされていると言う。
 三郷八幡神社【国指定重要文化財】 を参照して下さい。 また、東西廻廊【とうざいかいろう】−日光東照宮−の中で、茄子の彫刻が紹介され、これと匹敵する彫刻として当社が紹介されている。

本殿



お祭り

 
4月第一日曜日 春祭   10月10日 秋季例大祭
 

紀伊續風土記 巻之二十五 海部郡 濱中荘 黒田村から



○八幡宮   境内周十六町
      住吉神
 祀 神  八幡宮  合殿 
三扉方八尺     天 神
   玉 垣  拝 殿  鳥 居  廰  釣鐘堂
丁村の界尾筋にあり、當村及丸田丁三箇所の産土神なり 傳へいふ上村大森に在し惣氏神を此地に移せり 今村々に別に氏神あれとも祭日各八月十五日を用ふるを以て古惣社なりしこと明なり 今上村の八幡宮は又當社より勧請せしといへり
  境外末社
    若 宮  
丁 村
    牛頭天王社  
丁 村
    御旅所  
丸田村
      別 當    神 宮 寺  
三郷山蓮壽院
       天台宗和歌浦雲蓋院末  


『平成祭礼データ』から


御由緒

 当社は、浜中村、大崎村、塩津村と、加茂村の一部の総氏神として、近衛天皇の久安年間(一一四五−一一五一)、浜中の荘、上村大森の地から元山の西尾へ移され、さらに、後土御門天皇の文明年間(一四六九−一四八七)、現在地に遷座したという。
 俗に「さんごの宮」といい、参道は桜並木でトンネルをなし、春祭は大投餅、秋の例大祭は、子ども神輿渡御、神火祭を行い、大いに賑わう。
 国指定重要文化財の本殿は、三間社流造、檜皮葺で、様式的には室町末期の特徴をよく残し、蟇股や木鼻の浮立彫刻には桃山前期洋式の前駆がみられる。昭和三十五年四月より一か年の工期で解体修理を行い、極彩色を施し、りっぱに復元された。永禄弍季(一五五九)釿始六月吉日の記のあるもの他四枚の棟札がある。水野志摩守重盂の奉納による八幡神社縁起書二巻は町指定重要文化財で、八幡宮の額一面も同氏の奉納したものである。境内は、つつじ、紅葉を植え美観を呈している。
 以上

川善味噌さんのご紹介で参詣いたしました。金山寺味噌、絶品です。

三郷八幡神社

古代史街道 紀ノ国編
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