玉津島神社 (たまつしま)
和歌山市和歌浦中3-1066 ゼンリン


鳥居


交通案内
南海和歌山市駅、JR和歌山→バス(新和歌浦行き玉津島神社前下車)


祭神
稚日女尊(丹生都比売神)
息長足姫尊
衣通姫尊
配祀神 明光浦霊 あかのうらのみたま(和歌浦の神)
725年、聖武天皇が紀伊行幸の際、「・・この地の弱浜「わかのはま」という名を改めて、明光浦「あかのうら」とせよ。そして番人を置いて、この浦が荒れ果ててしまわないようにさせよ。さらに、春と秋には、都から役人を遣わして、玉津島の神、明光浦の霊を祭らせよ」との詔があった。

由緒
 社伝での説明では、息長足姫(神功皇后)が半島に軍を進めた時、玉津島の神が大変な霊威をあらわされたため、皇后がこれに報われ御分霊を葛城町天野の地にお鎮め申し上げたとある。 以来玉津島と天野に一神両所が並び立ったとある。
 皇后自身も後に合祀された。
 衣通姫は第十九代允恭天皇の妃で絶世の美女であり、その美しさはまさに衣を通して輝いたと言われている。 第五十八代の光孝天皇の夢枕に姫が現れ「立ちかえり、またもこの世に跡垂れむ、名もおもしろき、和歌の浦波」との一首詠じられた故事によるものである。
 玉津島神社はその後、住吉大社、柿本大神(明石)とともに、和歌三神と言われた。

社殿

奠供山山麓の本殿

お姿
 丹生都比売を祀る神社らしく美しい社である。背後は奠供(てんぐ)山である。古代はこの地域は島々であったと思われる。和歌の神様らしく、境内には万葉集歌碑があり、山部赤人の歌が刻まれている。

万葉歌碑


 やすみしし わご大君の常宮と 仕え奉れる 雑賀野ゆ
 そがひに見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒ぎ
 潮干れば 玉藻刈りつつ 神代より しかぞ貴き 玉津島山

 若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る



鹽竈神社(しおがま)

交通 玉津島神社の南すぐ

祭神 鹽槌翁尊(鹽推神として古事記神代編に登場する。また製塩の法を伝えた。 )

由緒 もともと玉津島神社の祓い所であった。神社としては実にあたらしく、1917年である。
 近くの布引の浜では大正後期まで製塩が行われ、いまは和歌海苔を産している。

お姿 岩のくぼみが御神体であった。

鹽竈神社

お祭り
玉津島神社 例祭日 4月13日 鹽竈神社 9月16日

万葉館
鹽竈神社の前の太鼓橋を渡り、海岸沿いの道を南下する。数分で左手に茶色の建物が見える。万葉館である。 紀の国の万葉107首とそれにまつわる写真や解説シアター、資料などが豊富である。

紀伊国名所図絵




古代史街道紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る