若宮八幡神社
和歌山市有本653 ゼンリン


交通案内

JR阪和線紀伊中之島駅北へ500m

祭神
應神天皇、仁徳天皇、神功皇后
摂社 日吉山王神社「大山神」 足守神社 ほか

由緒
  社伝によれば、鎌倉鶴ケ岡八幡宮を遷座したものと云う。 遷座の由縁は、約550年前の後花園天皇の時代、東国の管領上杉持氏が謀反し、翌十一年二月京都将軍義教が兵を発して、是を伐つ為に鎌倉中大いに騒しくなったため、社僧危難を恐れて御神体を負い当国に逃れ、宇治の里前島に社頭を営むと云う。 その後、現在地に藩祖徳川頼宣が和歌山城築城に際し鬼門厄除の神として社殿を創立したものとする。

鳥居と社殿



お姿

 菩提樹の大木がある。シナノキ科の落葉樹、原産は大陸。12世紀渡来。
 釈迦がその下で悟りをひらいたのはインドボダイジュで別種である。
 当神社の菩提樹は地上すぐで5本の枝幹にわかれ、四方に枝を張り、大きい樹形である。高さは10M。 

菩提樹



お祭り
例祭 10月15日


紀伊国名所図絵から





紀伊續風土記 巻之七 雑賀荘 有本村から

○若宮八幡宮
  境内周三百八十五間  馬塲 
長百八十間餘 幅十五間  禁殺生
  本 社 
三間二間半 拝所  廳  拝殿
   御供所  神楽所  絵馬堂  御太刀蔵
   瑞籬   鳥居 
二基  本地堂  薬師堂   
  末社六社 
   恵老須社 
方一間  御香宮 一間半 一間一尺
   天満宮 三尺 四尺   高良明神社 方四尺
   天照太神社 八幡春日合祭 方五尺   稲荷社 熊野権現合祭 三尺四尺五寸
小名栗林にあり 縁起に云永享十一年京都将軍義教公より鎌倉持氏退治の時三浦時高鎌倉を放火す 此時鶴岡八幡宮焼失す 別當僧神體を負て播州赤穂に逃げる嘉吉元年赤松の亂に畿内中国の兵播州を攻む 別當僧又神體を負て亂を當国に避て莵道村地頭雑賀村の家に宿す 寛文記に云神體を負て鎌倉を出し僧道に死す 其弟子志を継き神體を負て當国に來る    此時莵道村古名三つに分れ莵道市場四日市といふ 市場は恵美須を氏神とし四日市は三部明神氏神とす 莵道神なし 主人依手氏神とせむ事を請ひ社を建て神體を鎮座し又別當寺を建て鶴岡山大道寺と號す
以下省略
 


古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る