船津八幡神社
和歌山県岩出市岡田46 its-mo


明神鳥居と入母屋の拝殿


交通案内
阪和線  天王寺→和歌山 (60分820円)
和歌山線 和歌山→岩出 東北500m


祭神
譽田別命 合祀 手置帆負命、天忍穗耳命、天照皇大神、素戔嗚命、市杵姫命、菅原道眞、菊理姫命
境内社 大将軍 蛭子

由緒
 岡田の宮と呼ばれ、岡田の産土神。 天正年間根来寺の戦禍により、旧記などを焼失、由緒は不明。
 伝承によると、船津八幡大神は鎌倉より流れ来てこの地に留まったとされる。 紀ノ川の下流には若宮八幡神社が鎮座。ここの社伝では鎌倉からの直接の勧請のようになっているが、ここを経由しての勧請であるのかどうかは不明。
 また船津八幡の社名であるが、船着き場に祭られた八幡神の意であるが、往古の紀ノ川の水運から考えるとやや下流に船戸と云う地名が残っており、八幡神以前には蛭子神などが主に祭られていたのではなかろうか。

 いにしえには、回廊、舞台、篭堂、宝蔵、御供所を備えて社領も十七町あったと言う。

お姿
  紀ノ川の支流の春日川の側、鬱蒼とした社叢であるが、竹藪が多い。


木造銅瓦葺流造の本殿



お祭り
10月 6日 例祭(秋祭)  子供御輿ともち投げ
 1月15日 講祭(おとう祭り) 講員の中で家を継ぐ者が12から13才になると”おとうをけぐ(継ぐ)儀式として報告祭をし、古くより伝わる黒箱を開けて記帳する。 この時、神前には、古くからの習わしにより、鰹の焼いたもの、こんにゃくにごぼうを串刺しにしたものが供えられ、細部にわたるしきたりの中厳粛に行われる。

 このような祭事にかかわれることは大いなる幸せだと思う。

『和歌山県神社誌』
舩津八幡神社
〒 649−62 那賀郡岩出町岡田四六番地
JR和歌山線岩出駅下車旧国道東ヘ七〇〇m
問い合せ先 пZ七三六−
祭神(主祭神)誉田別命
 (配祀神) 手置帆負命 天忍穂耳命 天照皇大神
    素盞嗚尊 市杵嶋姫命 菅原道真 菊理姫命
境内社 末社 大将軍 蛭子
例祭日 十月六日
宮司 三浦一起
禰宜 三浦美智子

主たる建造物
 本殿 (木造 銅瓦葺 流造 三〇平方米) 
 庁舎 (木造 瓦葺入母屋造 四八平方米)
 鳥居 (石造 明神鳥居)
境内地 四〇五五平方米
氏子地域 岩出町大字岡由
氏子戸数 一二〇戸
崇敬者数 一五〇人

由緒
 当神社は、通称岡田の宮と言い、旧岡田村の産土神である。天正年間根来寺の戦禍により、旧記など共に 焼失した為、由緒は不詳であるが、いい伝えによると、御祭神船津八幡大神は鎌倉より流れ釆て、この地にとど まったと言われ、古には回廊・舞台・篭堂・宝蔵・御供所を備えて社領も十七町あった。焼失後本殿、庁舎などは、その後の建立奉加によるものである。
 前には春日川が流れ、荘厳なる鎮守の森の中に静かに鎮座している。

(社叢) 春日川のほとり竹林の中、参道横には子供達の遊び場があり、憩の場として親しまれている。また竹は、のぼりや飾り、清掃具にいたるまで利用されている。

(祭儀) 例祭は現在十月六日に行なわれ、午前中祭典、子供みこしの祓の後、みこしの行列を組み地域を廻る。午後より行列が神社に戻り子供たちが集まる中、投餅の儀が行をわれる。
 祇園火燈祭は七月七日より十四日まで。期間中、夜子供たちが神社に集まり次々と提灯にろうそくの火を入れ、境内に吊していく夏の素朴を祭である。
 講祭(おとう)は宮講のお祭りで、毎年一月十五日に行われる。 講員の中で家を継ぐ者が十二〜三歳になると”おとうをくぐ(継ぐ)儀式”として報告祭をし、古くより伝わる黒箱を開け記帳する。黒箱はこの時のみ開けられ、記帳を確認後すぐ封印をし、大切に保管される。
 この時の神前には、古からの習わしにより鰹の焼いたもの、こんにゃくにごぼうを串刺しにしたもの等が供えられ、細部にわたるしきたりの中厳粛に行をわれる。

紀伊續風土記 巻之三十 那賀郡 岩出荘 岡田村から
○船津大明神社    境内除地.
 村の坤にあり 祀る神詳ならす 一村の産土神なり 村民相伝ふ 鎌倉より八幡宮の神体流れ来て此所にいます故に船津八幡といひ習はせり 昔は回廊舞台参所宝蔵御供所等あり 社領も十七町ありしと寛文記に出たり 近き頃まて神宮寺もありしに宝暦十四年に廃絶すといへり
 

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