上岩出神社
岩出市北大池396 its-mo

鳥居


交通案内
阪和線紀伊駅より粉河駅行きバス北大池森下車北へ1km



祭神
菊理比賣命、伊弉諾尊、伊弉冉尊
近隣の神社36社を合祀 素盞嗚命、天兒屋根命、天忍穗耳命、白山比賣命、市杵嶋姫命、品陀別命、大宜都比賣命、須佐男命、天御中主命、猿田彦命、大日靈命、天太玉命、罔象女命、譽田別命、宇賀魂命、上筒男命、中筒男命、底筒男命、日本武命、事代主命、天照皇大神、少彦名命、若王子、菅原道眞 摂社 祇園社ほか

拝殿


由緒
 大宝元年(701)蔵王権現として鎮座したと『白山権現縁起箱写』にある。すなわち、当初開起は大宝元年亥丑年当時氏社蔵王大権現鎮め奉り神役等相勤め」とある。

 長承二年(1133)春三月、根来開山の覚鑁上人のもとに「われを当山巽の方に奉祀すれば根来の繁栄疑いなからん」との白山大神のご託宣があった。上人はこの地に加賀国石川郡白山比メ神社のご分霊をして巽の宮と称し、地域の産土神として社領二百石を奉納したと伝える。

 戦国時代、根来寺とともに焼失したが、御神鏡が灰燼の中より無傷で出現、小社を営み鎮座奉った。文禄三年(1594)興山木食上人より再建されたのが現本殿である。県指定文化財。




お姿

 拝殿前に、当社に合祀された神社の名と地理を書いた、少し消えかかった表示板がおかれている。このようなケースは珍しいと思う。それによると、合祀された神社は当社から南方に扇形で広がっているようだ。

 県指定文化財の本殿は檜皮葺流造。

本殿



本殿




お祭り
10月5日   秋季大祭

紀伊續風土記 巻之二十九 野上野荘 北大池村から

○白山妙理権現社  境内除地
 末社九社
  住吉社  蛭子社  熱田社
  大神宮  八幡宮  若宮八幡宮
  神之主社 辨財天社 八王子社
 村の北にあり 北大池 南大池 水栖 東阪本 四箇村の産土神なり 本社の中総社権現 蔵王権現 春日明神を合祭る長承二年覚鑁上人越前の白山権現を勧請して社領二百石を寄付す 毎年六月中の丑の日祭礼神輿渡御井に流鏑馬等あり 天正十三年根来寺焼亡の後廃絶す 今猶神前より鳥居まで南北六町 馬場東西三町 古の形残れり 玉垣の内に古碑あり 上に梵字を書す 缺て全からず 下に正平十四年十一月八日と書せり 何の碑なる事を詳にせず

平成祭礼データ

 

 大宝元年(701)の開基と伝えられる当神社は、もと白山妙理大権現といわれ、長承二年(1133)三月十一日に根来寺の覚鑁上人が越前の白山権現を勧請して巽の宮とし社領二百石を寄付。以後、根来寺と盛衰を共にしたという。天正十三年、秀吉の根来攻めのとき焼失する。毎年六月の二の丑の日に神輿渡御や流鏑馬など盛大に行われていた。祭礼もこの焼亡以後廃絶した。しかし、御霊代の神鏡が灰の中から少しの破損もなく現れたため、社人氏子たちが小社を造りお祀りした。

 現存の社殿は、文禄三年(1594)正月十一日に再建された。(棟札有り)建物は三間社流造り、桧皮葺で南面建物全体に丹塗、平彩色が施されている。棟札によると施主は興山上人、本願は覚栄法印、大工は平国家とある。

 明治四十二年、十九社を合祀、更に昭和十二年に四社を合祀している。明治四十三年、上岩出神社と改称。昭和四十四年、県指定文化財となる。なお、境内に古碑二基有り。一基は、正平十四年十一月八日、他の一基は、正平十六年と刻まれ上部に梵字がある。
以上

 


古代史街道 紀ノ国編
丹生都姫伝承

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