大宮神社

岩出市宮75


鳥居と拝殿


交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→岩出
岩出駅 西へ徒歩10分、紀ノ川北岸 岩出橋手前 mapfan


 
祭神
熱田大明神(日本武尊)

配祀神 神祇官八神(高皇産霊神、神皇産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮賣神、御食津神、事代主神)素戔嗚尊等十二柱の大神



由緒
 元明天皇御代(712年)、尾張の熱田神宮より日本武尊を勧請し、村社となった。
 神祇官八神は康治元年(1142年)、興教大師覚鑁が根来寺を開くにあたり、守り神として祀ったのもで、金剛部、仏部、蓮花部に分かれており、三部権現と称した。覚鑁が仏法保護のため1000神余を勧請、総社明神と称した。
 素戔嗚尊はその子神の五十猛命と共に多くの樹種をまかれ、優れた木々が育ち、紀の国の根源であり、郷土の神として祀っているのである。
素戔嗚尊と日本武尊とがよく似た神格である事は江戸時代の国学者も再来と信じた程である。
(1)火雷神格を持つ巡行神 (2)農耕と製鉄 (3)荒ブル神から福神へ化生 (4)相聞と神婚 (5)草薙剣 (6)尾張地方



お姿
 秀吉の根来攻めで焼失、頼宣により再興された。和歌山に多いケースである。本殿は新築である。社域は広く、あわせて2万平方米である。 鎮守の杜の木々も豊かである。

本殿



お祭り
10月6日 例祭 斎刺(ヨミサシ)祭りは社域確認のお祭りである。深夜の渡御が名高い。

紀伊續風土記 巻之三十 那賀郡 岩出荘 宮村から

○熱田明神社 ○総社権現社   境内周八町  禁殺生
  本  社 一社方一丈 一社方三間三扉 神楽殿
  御供所  鐘楼
 末社四社
  衣毘須 大黒天 社     正八幡宮
  住吉社           春日社
村中にあり 岩出ノ荘宮村清水大町高塚溝川高瀬西野備前中迫荊本十箇村の産土神なり 社伝にいはく  鳥羽上皇の勅願所覚鑁上人の創建なり 熱田明神は舊より此地に鎮り坐しゝ神ゆえ岩出ノ里の神といひ伝ふ 康治元年(1142)覚鑁上人佛法擁護の為に一千與座の神を此地に勧請して総社権現とも號す 金剛部佛部蓮華部を本地佛とす 因りて三部権現とも號す 根来左学頭園満院を神宮寺とし寺社領も寄付ありしに天正の兵火に神祠佛宇寶物等皆[火畏]燼となる今の社は火災の後修造する所なり 拝殿鐘楼等は 南龍公修造といふ 本社の後に玉塚といふ塚あり 大治元年(1126)覚鑁上人信貴山に於て毘沙門天より感得の寶珠を蔵む 因りて玉塚といふ 上人感得の玉三顆あり 一顆は根来八角堂不動尊の烏瑟に籠め一顆は 鳥羽上皇の御所望に依りて獻すといふ然れは此地に廃るも其三顆の内の一なるへし 神主を熱田氏といふ



紀伊国名所図会から

『平成祭礼データ』から
当社は人皇四十三代元明天皇の御代和銅五年(西暦七一二年)に日本武尊を愛知県熱田し神宮より勧請し古くは東熱田の森に鎮座したるを此地に遷座し、明治六年村社に加列、大正十二年三月二十七日郷社に列せられる。
齋刺祭 旧神領地を確認する神事として東へ一里、西へ一里半の御旅所に、深夜神職等集へて神興渡御し、神籬を建てる。その榊の枝を戴くと、東は上の、西は下の体の悪い所が治ると言われている。
玉塚 大治年間、覺鑁上人が信貴山に上り授けられた宝玉の一つを長承元年、高悌兼海に遣わして此の塚に納めたとされる。
以上

古代史街道 紀ノ国編
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