相賀大神社
橋本市市脇2-7-8 mapfan


社殿


交通案内
和歌山線、南海高野線 橋本
西へ 1km


祭神
天照皇大神、伊弉那岐命、伊弉那美命

由緒
当社は、三部大明神とも呼ばれている。 大日如来を知徳の方面から開示した金剛の教理、大日如来を慈悲の方面から説いた胎蔵を真言宗では両部神道と言うが、これに本地縁起神道を加えて三部神道とするようである。
この市脇という字名は永承三年(1049)関白藤原頼通公「高野参詣記」に、この宮の境内で昔市が行われた所であると書かれている。 なお境内には昭和40年4月に県指定文化財となった天平10年(1355年)の年号の入った石灯籠一基がある。

お姿
 本殿裏には、昭和43年5月に市指定文化財となった市脇相賀古墳群がある。
全体に新しく再建されている。背後の神体山の木々が相当倒れている。昨年(98年)の台風7号の被害であろう。

本殿



お祭り
10月15日 例大祭

『紀伊続風土記』伊都郡 相賀荘 市脇村 から

○総社三部明神社   境内 社より遊覧所まで三町許 
 本 社  幣頭堂  宝 蔵   拝 殿 八間二間
 鐘 楼  末 社 四神相殿
伊勢街道の北にあり 東家寺脇市脇脇野四箇村の産土神なり この荘根来寺の領地となりし時当社を以て荘の鎮守に勧請す 今猶根来寺より供料等寄附の文書を蔵む 又正和神事の定番あり 古文書の部に出せり
 其外 綸旨 院宣等も数通ありしか皆火災に焼失せり 宝蔵に古写大般若経の畸冊あり 奥書に承久三年(1221)歳次辛巳散位従五位下中臣連遠経一男中臣忠基とあり
 祠前に古き石燈籠一基あり 正平十年(1355)十一月一日と彫りたり
 平正の頃は生地贅川両家の産土神と称し相賀荘二十九箇村の總産土神にて生地氏神主なりしといふ 此石燈籠は生地氏の建しならん
 神主を山本某といふ
 

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