浜王子神社
新宮市新宮王子町1


鳥居、拝殿 左の青板は浜王子跡説明板



交通案内
紀勢線  天王寺→新宮 南へ徒歩30分 its-mo



祭神
稻飯命、配 三毛入野命


由緒
 祭神は稲飯の命と三毛入野命で、神武東征のみぎり、海神の怒りを鎮めるため、この二人の命が海中に身を投じた神話によると言われる。 日本書紀によれば、神武天皇の軍は名草邑で名草戸畔を誅し、そこから狭野を経由し、熊野の神邑にいたり、天磐盾に登り、いったん軍を返して、船で海上に浮かんだ。ここで暴風雨にあい、船は漂った。 そこで皇兄の稻飯命が嘆いて、「父は天神、母は海神なのになぜこんあ目にあうのか」と言い、剣を抜いて海に入り、鏃持[さいもち]の神(ワニ)となり、またもう一人の兄の三毛入野命は、「浪の秀を踏んで」常世郷に去った。と物語が記されている。 三毛入野命は熊野の祭神であり、本宮の家津御子のミコ、出雲のクシミケヌである。


 当社は古来から海の神を祀る海浜の宮であったと思われるが、熊野信仰の発展とともに、熊野神の御子を祀る王子社として知られるようになった。 古代の王子社としての記録はないが、文明五年(1474年)の「九十九王子記」には浜王子と記されているのが初見である。 立地から見ると海神を祀る古社であった所に若一王子が勧請され、熊野信仰が盛んになるとともに熊野の御子神を祀る九十九王子の一つに加えられたようである。
 元享2年(1322)武蔵の国豊島郡の領主の飛鳥山へ移し祀ったも言う。東京都北区王子本町に王子神社が鎮座している。 祭神は伊邪那美命、伊邪那岐命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命である。海神社ではなく王子社として勧請された。地名から見ると阿須賀神社からの勧請も考えられる。

 海辺の熊野参詣の成立や古道としてのルート性格を考えるうえで貴重である。



お姿
   熊野速玉大社から阿須賀神社を経て東南行し、海岸沿いに那智に向かう熊野古道脇に鎮座する。
 戦前には松林に囲まれたゆったりとした景観であったが、今や松林は民家に変わっている。 社格も高く、神域も広大で現在の大浜の森の海浜地までを含んでいたと言う。空襲で市内が焼け野原になり応急に住宅がたてられ、国有地が払い下げられたことによる。
 それでも大浜海岸からは遥か黒潮を感じさせる眺めであり、美しい浜が続き、色々な小石がぎっしり詰まっている常世である。


本殿



曇天の夕方の王子が浜 三輪崎方面




お祭り
 2月17日  例祭


*1 和歌山県神社誌、熊野古道(向陽書房)

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次の王子社 佐野王子


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