熊野三所神社
和歌山県西牟婁郡白浜町744 its-mo
北側の鳥居
北側の二の鳥居
交通案内
紀勢線 天王寺→和歌山→白浜 白浜バスセンター下車
祭神
伊弉册尊、事解男命、速玉男命
拝殿
由緒
斉明天皇の行幸地である腰掛石を磐座として文禄四年(1595)に勧請し、三社権現社として崇敬され、熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の参拝に替えたと口伝された。
覆殿の中に本殿(流造)
お姿
白良浜北端にも鳥居がある。緑豊かな森をなす御船山に鎮座する。その先端の岬を権現岬と言う。
この神社の社叢は県指定文化財。外縁部にはクロマツ、ウバメガシ、ベラヤブツバキ、ハマヒサカキ、ヤブニッケイなど塩風に近い植物が生え、内部にはクスノキ、ホルトノキ、オガタマノキ、ナギ、特にホルトノキが覆い。和歌山の南の海岸地帯には黒松型、ウバメガシ型、タブ型などが多いが、この社叢は稀にみるホルトノキ型と言う密林で、数百年に渡って人の手が加えられていない結果と言う。
摂社 恵美寿神社 八坂神社・地主神社
斉明天皇行幸の地の碑
孝徳天皇の皇子であった有間皇子の勧めもあって、牟婁の湯に天皇、中大兄皇子など来ていた。都を留守にしている間に蘇我赤兄が有間皇子に斉明天皇の大がかりな土木工事などを批判してみて、謀反をすすめ、有間皇子がその気になった所を捕らえ、当地に護送し、帰路に藤白の地で扼殺した。
御座船奉安所
戦艦長門で田辺湾から上陸された昭和天皇を南方熊楠が神島等に案内した時に使った船を記念のために保存。
お祭り
10月 15日、16日
恵美須神社
白浜町瀬戸623 its-mo 祭神 事代主神 お祭り1月 10日 例祭
蛭子神社
紀伊續風土記 巻之七十一 牟婁郡 田辺荘 瀬戸村から
○三社権現社 境内森山周八町
摂 社 地主明神社 拝 殿 舞 台
村の坤にあり 其の地別に海に突き出て島の形をなせり 一村の産土神にて熊野三所権現を祀るといふ 境内に御腰掛石といふあり 斉明天皇此の地 行幸のとき御腰を掛けたまふ石なりといふ 又火雨塚といふ穴あり 深さ知るへからす 人作の穴の様なれとも何の為に穿つといふ事知るものなし 其の穴より一町余北の礒を御舟谷といふ その穴此の地に通すといひ伝ふ 御舟谷は斉明天皇行幸の時の古蹟ならん
○衣比須社 村中にあり
|
古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る |