熊野神社(岡崎)
和歌山市岡崎 its-mo

鳥居


交通案内
阪和線  天王寺→和歌山
貴志川線 和歌山→岡崎 北1km



祭神
熊野速玉男命、与母津解男命、伊弉册命

左殿社 宇迦御魂命、菅原道真、八王子命
右殿社 白山比命、速開津比古命、速開津比賣命、市杵島姫命

由緒
 満願寺の鎮守社。真言律宗古義京都勧修寺末。
鳥羽院の勅願所であった。保安四(1123)年、聖体不豫の時、南方より赫奕たる光明来て南殿を照らして、御脳が平癒したと云う。後の天治二(1125)年に、鳥羽上皇の熊野御幸に共をした僧の頼広が此地で霊佛を見、かも光明を放つ佛の由を奏上し、これによって伽藍を草創した。
上皇は熊野本宮証誠殿の夢の告を信じて、熊野権現を勧請した。その後が熊野詣での際、必駕をよせ杖を止める地域となった。

満願寺と神社拝殿(左側)



岡崎の地名は『日本書紀』雄略天皇九年三月 に出てくる。
紀小弓宿禰、蘇我韓子宿禰、大伴談連小鹿火宿禰に勅して新羅を伐せたまふ條に、是夕大伴談連及紀崗前来目連皆力闘而死とある。
紀の國に配せられた久米部の將であったのだろうが、その後裔の姿は歴史上は見えない。


本殿

お姿

 岡崎小学校の前の小山上に鎮座、寺院は劣化しているようだが、神社は手入れされている。 社殿や鳥居も昭和六十年代に改修されている。

 神社の由緒などを記したものは見えないが、御祭神は丁寧に表示されている。

紀伊續風土記 巻之十六 名草郡 岡崎荘 寺内村
○満願寺から
鎮守七社明神
      白山蔵王両権現   一 社  
 祀 神  熊野三所権現    一 社
      稲荷天神二神    一 社
 本堂の乾にあり 岡崎四箇村の産土神なり 後生住吉八幡宮を合わせ祀るといふ  熊野権現は 鳥羽上皇霊夢に成して勧請し給ふ 左右の両社も各奇異の事ありて祀る所なりと縁起に見えたり

 鎮守社  拝殿 鳥居 反橋


貴志川線沿い古代史街道
紀の国 古代史街道
神奈備にようこそに戻る