和歌山古事記 
ちはやぶる荒ぶる国つ神の時代

ちはやぶる荒ぶる国つ神の時代
00 ここに天忍穂耳命、天(アメ)の浮橋(ウキハシ)に立たして詔(ノ)りたまはく、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、いたく騒(サヤ)ぎてありなり」と告(ノ)りたまひて、更に還り上(ノボ)りて天照大神(アマテラスオホミカミ)に請(コ)ひたまひき。
(中略)
 故(カレ)、この国にちはやぶる荒ぶる国つ神等(ドモ)の多(サハ)にありと以為(オモ)ほす。

[6876] 旧石器と縄文遺跡   神奈備 投稿日:2013年 5月 8日(水)11時31分6秒
 『古事記』には、旧石器時代(〜BC 12,000)や縄文時代(BC 12,000〜BC 1,000)の具体的な記述はありませんが、「にちはやぶる荒ぶる国つ神等の多にあり」の言葉には、自然の声を聞きつつ、生活をしている人々の存在がイメージされます。

 旧石器時代の主な遺跡と概要

和歌山市山東大池遺跡
旧石器、ナイフ形石器、石匙、石鏃、石核、サヌカイト片 が出土しています。サヌカイトは槍の先などとして使われたもので,割るとするどい縁ができる硬いものです。大和の二上山産出。

紀の川市貴志川町平池遺跡
旧石器、ナイフ形石器、石鏃、サヌカイト。

有田郡有田川町土生池遺跡
先土器、ナイフ形石器、削器、掻器、石核、土師器、黒色土器

御坊市壁川崎遺跡`(名田町野島壁川崎)
先土器、ナイフ形石器、石核、石鏃、弥生土

 縄文時代の遺跡

早期 田辺市高山寺貝塚(田辺市稲成町糸田)
 縄文時代早期の貝塚遺跡。田辺湾を望む標高32mの丘陵上、高山寺の境内に所在する。貝塚は1938年(昭和13)の秋に寺の境内西斜面で発見され、発掘調査が実施された結果、近畿では海水産の貝殻からなる唯一のもので、縄文時代早期の高山寺式土器を出土する標式遺跡として有名になった。出土土器は器壁厚1cm以上の厚手押型文土器が主で,無文土器が少量伴う。


前期 和歌山市鳴神貝塚
 縄文時代前期(約6500年前)から晩期(約3000年前)、さらに弥生時代まで人々が住み続けたことが遺物から推定されます。出土する貝が海の貝であることから、当時和歌山平野はまだ海が広がっており、ここ花山の麓は海岸線であったことが推定されます。貝塚の傍には集落があり、墓地からは抜歯した若い女性の人骨も発見されました。縄文時代には抜歯する習慣がありました。鳴神遺跡は、当時の自然環境や風俗・生活を知る上で貴重な遺跡です。縄文土器、骨製品、人骨、弥生土器。


前期 和歌山市禰宜貝塚(和歌山市禰宜字三田)
 縄文土器、石器(匙、錐、鏃、錘、斧)骨角器(骨針、牙製ナイフ)、ハイガイ、ヤマトシジ ハマグリ マガキ
 出土土器の90%を前期の土器が占めており、中・後期は少ない。
 土器の胴部上半に数条の爪形文を、下部に羽状縄文を施すもの、斜縄文だけを施したもの、口縁部に1〜2条の突帯を貼り付け、これに刻み目や縄文を施したものなど、前期前半代に本遺跡の中心が求められる。石器としては、石匙・石錐・石鏃・石斧が出土し、特に有茎の水晶製石鏃は注目される。骨角器としては、骨針・牙製ナイフが出土している。


中期 広川町鷹島遺跡
 縄文土器、弥生土器、石器(石錘)、土錘


後期 海南市溝ノ口遺跡
 貴志川の河岸段丘には、数多くの縄文・弥生時代の遺跡が分布しています。、土器や首飾りなどの玉類、石錘、石の斧、石の矢じり、石の皿、たたき石などの遺物がたくさん出土しました。さらに2300年も昔の円形竪穴式住居跡、なきがらを土器に入れて葬った「甕棺墓(かめかんぼ)」が発掘されました。宮滝式の弥生土器も。
 西日本では珍しいと云えましょうが、ストーンサークルが発見されています。また、この場所は南に黒沢山を頂点とした神奈備山が三つ重なっています。


晩期 和歌山市岡崎遺跡
 縄文土器、石器多数



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