紀の国の民話・昔話・伝承 伊都郡、橋本市編
流された神様
奈良県の吉野からまだまだ奥深いところに、川上村ちゅう村があるんや。ここらあたりまでくると、あの紀ノ川も細うになって、ジャブジャブと歩いて渡れるはどになってんねやしょ。
それでもこの村は、材木の産地として有名でな、長い長いイカダを組んで、和歌山の港まで下って、きたもんや。
あちこちの岸辺の宿で泊りながら、長い時には十四、五日もかかってようやく和歌山の港へ着くんやして。
イカダは今ではもう見ることも出来やんよになったけど、ゆったりゆったり流れて、なかなか風情のあるもんやったで。
ある年のことに、この川上村に、えらい流行病があって、村の人はどんどん死んでいった。
なんでも村の氏神さんの森の木を伐ったんで、神さんか罰を当てはったんやとある人か云い出してな、カンカンになった村の人たちは
「神さんが罰あてるてけしからんやないか。
もうそんな神さんはいらん。紀ノ川へ流してしまおら・・」
ちゅうことに話が決まったんやと。
そこで神さんを鶏の姿を浮き出しに織りあげた神主さんの古い装束に包んで、あのギイギイ音のするハネツルベのある井戸の中へ一晩つけといて、夜中に紀ノ川へ流してしもたんやて。
えらい気の毒な神さんは、プカリプカリと流れてきて、やがてかつらぎ町の大薮ちゅうとこで浅瀬のところへ打ちあげられた。
その晩のことに、ここからずっと北の山手に住むある人の夢枕にこの神さんが出てきてな
「わしはここに住みたい。明白朝早ように拾いに来てくれ・・」
と云われたそうや。
そこで、その人が大薮へ行ってみると、ちゃんと神さんがあった。
この人はかつらぎ町のどんと奥の、滝ちゅうとこの人やったが、神さんを背負て、よいしょよいしょと坂道を登ってきたんや。
柏木という在所まで釆た時、神さんが急に重とうなって、もう一歩も動けやんよになった。
(ハハーン、神さん。ここが気に入ったんやな、ほいで動かはれへんのや…)
と考え、村人と相談して、ここにお祀りしたんや。なかなか立派なお社やで。
そいで柏木の人らは、神さんの嫌うハネツルベを使うのと、鶏を飼うのは一切やめにしたんや。
これは長い間、守られてきたんやと。
近くの神社 北辰妙見神社 伊都郡かつらぎ町滝946 祭神 妙見尊
花園のタヌキ
紀州もずうっと山深いところ、高野山の隣りに花園村ちゅうとこがあらして。
この里の久木ちゅう在所にな、大層動物好きな弥左ヱ門ちゅうおじいさんが住んどったそうな。
ある日のことにな、山へ仕事に行ったんやが、なんやら生きもんの悲しそうな声が聞こえてくるんや。
そこでひょいと茂みの奥の方をのぞいてみると、どうやら親にはぐれたらしい子ダヌキが鳴いてるんや。
弥左ヱ門さんはかわいそに思て、フトコロに入れて家まで連れてきてな、まるで自分の孫のように大事に育てたんやと。
そいでなかなか立派なタヌキに育っていったんやが、その頃から村のあちこちで
「タヌキに化かされた・・」
という評判がたち始めたんやしょ。
それも弥左ヱ門さんとこのタヌキに化かされたんやないか…ちゅう噂が広まってな、弥左ヱ門さんもホトホト弱ってしもたんや。
「ヤイ、タヌ公!」 まさかお前が村の人を化かしたりしてるんとちがうやろな。
お前は、小さい頃からこのわしが孫のように可愛がって育ててきたんや。
そのお前が村の衆を化かすというようなこと、よもやせえへんやろな?」
とタヌ公に尋ねてみるんやけど、キョトンとした顔をしてるだけで、とても人をだますような悪ダヌキには見えへんねや。
ある晩のことに、弥左ヱ門さんが戸を開けて外に出てみると、下の方の道から松明をつけてお医者さんの乗ったらしい駕籠が登ってくるんやしょ。
(はて、おもしやいなあ、どこぞの家に重病人でも出たんやろか・・)
そう思て見送ってると、かなり向うへ行ってから松明の灯がパッと消えてしもたんや。
(アレ、おもしやいこともあるなァ…ひょつとすると、あれはタヌキかキツネの仕業かも…)
急に心配になってきて、あわてて家へ入ってみるとやっぱりタヌ公はいてへん。
「アーァ、子ダヌキの頃から手塩にかけて育てたけど、やっばりタヌ公の子はタヌ公や。
育ての親のこのワシまで化かそとするとはけしからん。
もう家から出ていってもらおら…」
と決心してな、あくる日の朝、帰ってきたタヌ公に腹いっぱいご馳走して、山へ戻してやったんやとい。
近くの神社 丹生神社 伊都郡花園村久木291 祭神 丹生都比賣神、高野御子神
鬼の架け橋
役の小角という人は、修験道の元祖みたいな人で、続日本紀という本には「文武三年(六九九)五月、役ノ君小角、伊豆嶋一一流サル」とあるくらいやよって、やっばり実在したんやろな。
この人のエネルギーは、どうやら山野をかけめぐる間に、自然を吸収したものらしく、紀州と和泉の国境いの山中には、いたるところにその遺跡が残されてるで。
ところで、この役の小角がなぜ伊豆へ流されたかというと、おもしろい話が伝わってるんや。
橋本市の北東の方に杉尾という在所があるが、ここに明王寺という古いお寺があって、その裏の石段をウンウン云いながら六百何十段も登って行くと、不動さんを祀ってある小さな祠があり、あたり一帯には大きな岩がゴロゴロ横たわっていて、なにやら不気味な風景やけど、これが役の小角がやりそこねた「鬼の架け橋」の名残りらしいわ。
むかし、むかし、まだ役の小角が生きていて大活躍してたころの話やが、大和の吉野の金峯山(現・金峯山修験本宗総本山金峯山寺、開基は役の行者)へ通うにしても、間に紀ノ川が流れてたり、深い谷があったりして不便でしょうがない。
そこで、この杉尾と吉野をつなぐ空中橋を架けて、それを通い路にしてやろと考えた。さて橋を架ける人足じやが、そのへんにウジャウジャいてる鬼どもを使うことにしたんや。なにさま鬼など足元にも及ばぬ法力の持ち主とあって、やむなく鬼どもも働くことになったが、やはりその恐ろしげな顔・形を白日のもとにさらすのは嫌だったと見え、小角にこう頼みこんだんやと。
「なにさまこの顔形では、人間たちも恐れて近よってもくれやんよって、なんとか夜の間だけ働くようにしてはしいんやけど…」
小角も納得して、夜の間だけ突貫工事をすることにして、橋の基礎になる大きな岩石を、どんどん集めさせた。
ところが、すぐ近くに住む葛城の一言主神だけがどうしても協力してくれへん。そいで小角は怒ってこの神さんをぐるぐる巻きにし、谷へ放りこんでしもたそうな。
一言主神は「小角は朝廷に謀反をくわだて、大工事をしている」とざん言したんで、とうとう小角は伊豆に流されることになったんやと。
そいでここに集めた大きな岩石はとうとう放ったらかしになってしもた。
今でも申の刻(午後四時ごろ)過ぎてからこの山に登ったら、天変地異や妖しいことが起きるといわれて、人々から恐れられてるで。
関連する神社 葛城坐一言主神社
帰ってきた茶釜
むかし、むかし。いまの橋本市の上田ちゅう在所に、田中左内という人が住んでたんやと。
田中家は代々続く旧家でな、蔵の中には珍しい骨董品や書画・お茶の道具などがどっさりとしまわれてあった。
左内さんは、そんな中でも茶釜が気に入りで、時々、蔵から出してきて磨きあげ、そのあとお茶を点てては楽しんでたらしいわ。
ある時、九州の宇佐八幡宮のご神霊を、隅田の八幡さまにお迎えすることになり、その途中、この田中家で休憩することになったんやと。
左内さんは感激してしもて
(神さんがうちへお越しになるとは有難いこっちゃ。きっとええことがあるで・・・)
と考え、さまざまに接待の用意を整え、ついにはあの秘蔵の茶釜まで持ち出してきて、お茶を点ててもてなしたもんや。
それからあと、左内さんの考えたようなええことはなにも起こらなんだ。逆に不幸ごとが続いたもんやよって、すっかり腹を立ててしもうて
(ええい、縁起をかついで、あの秘蔵の釜まで持ち出したのに、なにもええことは起こらず、不幸ごと続きとはゲンクソ悪いわ。あんな釜、どこぞへ売り払てもたろ…)
と茶釜にまで八つ当り。とうとう骨董屋へ叩き売ってしもたんやと。
そこまではええんやが、あくる朝になって左内さんはびっくり仰天した・・・というのもきのう売り払ってしもた茶釜が、いつの間に戻ってきたのか、チヤーンと床の間に座ってんねやしょ。
ひと晩のうちに茶釜が無くなってしもて、びっくりした骨董屋が田中家へ知らせに釆てみると、で〜んと床の間に飾られてたんで
「左内さま、一旦は手離されましたが、どうやら惜しうなって勝手に取戻されたんでございますな。
それならお代を返していただきませんと・・」
とサンザンいや味を云われて、左内さんはすっかり恐縮してしまい、コレコレシカジカと訳を云い、また持って帰ってもろたんやと。
けど、あくる日の朝にはチャーンと戻ってきてあった。あわてて返しにいく。また戻ってくる・・・こんなことが三、四回もあって、左内さんもなにやら気味悪うなってきてな(この茶釜は、どうやら当家とはよはど深い因縁のある品やろかい。仕方がないわ。うちで大事にしよかい)
そう考え直して代金を返し、もと通り家において大事にしたんやとい。
関連する神社 隅田八幡神社 橋本市隅田町垂井622 祭神 譽田別尊ほか
紀の川の大鯰
ナマズちゅうのは、なかなかおもしやい魚やな。
立派なヒゲを生やして、地震を起こすといわれてらしょ。
今時、そんなアホなこと信じる人はないけど、実際にこのナマズは、地震の予知能力はあるらしいで。
そいで一生懸命に研究してる学者もいてるくらいやもんな。
紀ノの川にもそら大きなナマズが棲んでて、二メートル近いよな怪物もおったらしいわ。
鎌倉時代の昔、幕府の実力者だった北条時頼が諸国をめぐっていたが、紀州へもやってきて橋本の利生護国寺に滞在してたそうな。
そこで地元の武士集団である隅田党の代表らが出かけて行って、ある日のことに時頼を紀ノ川の川狩りに招いたんや。
さて当日、川漁師や腕に覚えのある侍たちが集まって、あちこちの深みに網を入れたんやが、コイやフナがおもしろいはどとれた。
天気もええし、時頼らは小舟に乗って楽しそうに見物してたが、その時、突然ど〜うという地鳴りが聞こえてきたんや。
そして目の前にまるで海坊主のような大ナマズが姿を見せたんや。
小舟は大ゆれにゆれて、何人かの人が水の中に投げ出されたが、いずれもこの大ナマズにパクリと吸いこまれてしもうた。
「こ、これこそ紀ノ川のヌシと云われている大ナマズに相違ありません」
と付添っていた武士が震え声で答え、他の警護の侍たちはそらもう必死になって、大ナマズめがけて槍を突っこんだんやしょ。
大ナマズは暴れまくったな。
背中から赤い血がドクドクと吹き出して、その血はまるでナワのようによじれながら川下の方へ流れていったと。
いっとき台風の時のように荒れ狂った川面は、やっとのことに落ち着いてきたんで、時頼らの一行も生気を取り戻した。
この大ナマズの出現した深みは、血がナワのようによじれて流れたことから「血縄の渕」と呼ばれるよになり、おとろしとこやといわれて、ここに近づく人もなかったとい。
今でも紀ノ川は美しい流れをたたえて、多くの人から「母なる河」と呼ばれて親しまれているけど、このナマズの棲んでたという橋本市隅田町中下のあたりに「血縄の渕」というところがあり、そこは深い淀みとなってるで。
近くの神社 隅田八幡神社 橋本市隅田町垂井622 祭神 譽田別尊ほか
参考文献
和歌山県史 原始・古代 和歌山県
日本の民話紀の国篇(荊木淳己)燃焼社