和歌山古事記網 大屋毘古神
大屋毘古神
01 かれ、生みし神の名は大事忍男神(オホコトオシヲノカミ)。次に石土毘古神(イハツチビコノカミ)を生み、次に石巣比売神(イハスヒメノカミ)を生み、次に大戸日別神(オホトヒワケノカミ)を生み、次に天之吹男神(アメノフキヲノカミ)を生み、次に大屋毘古神(オホヤビコノカミ)を生み、次に風木津別之忍男神(カザモツワケノオシヲノカミ)を生み、次に海の神、名は大綿津見神(オホワタツミノカミ)を生み、次に水戸(ミナト)の神、名は速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)、次に妹(イモ)速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)を生みき。大事忍男神より秋津比売神まで并せて十神。 |
02 御祖(ミオヤ)大穴牟遅神(オホナムヂノカミ)に「汝(イマシ)はここにあらば、つひに八十神のために滅(ホロボ)さえなむ」といひて、すなはち木国(キノクニ)の大屋毘古神(オホヤビコノカミ)の御所(ミモト)に違(タガ)へ遣(ヤ)りたまひき。ここに八十神覓(マ)ぎ追ひ臻(イタ)りて、矢(ヤ)刺(サ)し乞ふ時、木の俣(マタ)より漏(ク)き逃(ノ)がして云(ノ)りたまはく、「須佐能男命(スサノヲノミコト)の坐(イマ)す根の堅州国(カタスクニ)に参(マヰ)向(ムカ)ふべし。必ずその大神議(ハカ)りたまひなむ」とのりたまひき。 |
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