和歌山古事記網 大屋毘古神

大屋毘古神
01 かれ、生みし神の名は大事忍男神(オホコトオシヲノカミ)。次に石土毘古神(イハツチビコノカミ)を生み、次に石巣比売神(イハスヒメノカミ)を生み、次に大戸日別神(オホトヒワケノカミ)を生み、次に天之吹男神(アメノフキヲノカミ)を生み、次に大屋毘古神(オホヤビコノカミ)を生み、次に風木津別之忍男神(カザモツワケノオシヲノカミ)を生み、次に海の神、名は大綿津見神(オホワタツミノカミ)を生み、次に水戸(ミナト)の神、名は速秋津日子神(ハヤアキツヒコノカミ)、次に妹(イモ)速秋津比売神(ハヤアキツヒメノカミ)を生みき。大事忍男神より秋津比売神まで并せて十神。

02 御祖(ミオヤ)大穴牟遅神(オホナムヂノカミ)に「汝(イマシ)はここにあらば、つひに八十神のために滅(ホロボ)さえなむ」といひて、すなはち木国(キノクニ)の大屋毘古神(オホヤビコノカミ)の御所(ミモト)に違(タガ)へ遣(ヤ)りたまひき。ここに八十神覓(マ)ぎ追ひ臻(イタ)りて、矢(ヤ)刺(サ)し乞ふ時、木の俣(マタ)より漏(ク)き逃(ノ)がして云(ノ)りたまはく、「須佐能男命(スサノヲノミコト)の坐(イマ)す根の堅州国(カタスクニ)に参(マヰ)向(ムカ)ふべし。必ずその大神議(ハカ)りたまひなむ」とのりたまひき。

[6874] 大屋毘古神   神奈備 投稿日:2013年 4月26日(金)09時01分42
木の国の古い神です。伊太祁曽神社の祭神です。


[6875]]大国主神社 国主神   神奈備 投稿日: 2013年 4月26日(金)09時03分50
 大穴牟遅神への八十神(ヤソカミ)の迫害

 木の国の大屋毘古神は名草郡の伊太祁曽神社に鎮座しています。ここに五十猛神がかぶさって『旧事紀』では、同一神と見なしています。『古事記』には、二神の神生みの段で、大屋毘古神が生まれています。五十猛神は、『紀』で、素戔嗚尊の御子神として、妹の大屋津姫命、採津姫命と共に登場します。二神の御子神と孫神が同一というのも不思議なことですが、そこは神様のこと、元々不思議な存在ですから納得しておきましょう。

 那賀郡(紀の川市貴志川町)に鎮座する大国主神社には、八十神等の危難から逃れ、大屋毘古神のもとへ赴こうとした大国主命が当地を訪れた事を由緒としています。

 名草郡(海南市多田)に、国主神社が鎮座、大屋毘古神のもとに滞在中の大国主神はこの地に妻問いに来訪しているのではないか、なぜならこの地は美人が多い地だとのお話もある。



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