神奈備さんへ
徐福がやって来たのは紀元前ですから、祀る社が少ないのは理解できますが、少名毘古那も意外に忘れられた神とも言えそうで、大雑把に近畿を中心にしているように見えますがどうなんでしょう。
ただ、米子市の「粟島神社」のように、この神は「アフ・アハ・アワ・オヲ・オオ」島経由で行き来すると観念されていたんじゃないでしょうか。この神社は古くは地崎の小島でしたし、琉球圏における神々の移動パターンとも合致します(大国主の手指はリヤス式海岸の細かい岬と入り江か)。
また、『古事記』では神皇産霊神の子、『日本書紀』では高皇産霊神の子となっていますから、双方を統一した神武をも連想しますし、この神の素性を知っていた「案山子」は稲作神の寄り代でしょうから、銅鐸神?との共同作業によって国を刷新したとも考えられます。
「カカ・カガ・ガガ」は蛇をも表すとの説が妥当であれば、は虫類の皮膚や "カガミ" の光沢にも繋がりますし、「天乃羅摩船」は常世国からもたらされた太陽信仰なのではと考えますが神奈備さんの解釈はどうでしょうか。
写真は、神々の中継地の一つ「奥武島(オヲシマ)・沖縄島南部」と、久米島の「奥武島」
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