和歌山古事記網 少彦名神

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神代記 少彦名神


 かれ、大国主神(オホクニヌシノカミ)出雲の御大(ミホ)の御前(ミサキ)に坐(イマ)す時、波の穂より天(アメ)の羅摩船(カガミノフネ)に乗りて、鵝(ヒムシ)の皮を内剥(ウツハ)ぎに剥ぎて衣服(キモノ)にして、帰(ヨ)り来(ク)る神あり。
 中略
 少名毘古那神(スクナビコナノカミ)。

 大穴牟遅(オホナムヂ)と少名毘古那(スクナビコナ)と二柱の神相並ばして、この国を作り堅(カタ)めたまひき。然る後は、その少名毘古那神は常世国(トコヨノクニ)に度(ワタ)りましき。

[6892]Re: [6891] Re: [6890] 少彦名神   琉球松 投稿日: 2013年 5月20日(月)12時30分
神奈備さんへ

 淡島神社の祭神も少彦名命でしたか。沖の方の島が、こちら側へやって来たかもですね。

 "小さい神で思うのは、朝露が日の出に光っている様" 。。。美しい光景です、沖縄地方の祝儀舞踊『♪ かじゃでぃふう節』を連想しました。
*** きゆぬふくらしゃや なうにぢゃなたてぃる
    つぃぶでぃうるはなぬ つぃゆちゃたぐとぅ
   (今日のうれしさは、何にたとえられようか。
    まるでつぼんでいた花が、露に出会って花ひらいたようだ)***


[6891] Re: [6890] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月19日(日)09時23分0秒
琉球松さんへのお返事です。


> この神社は古くは地崎の小島でした

 和歌山の淡島神社は人形で有名です。祭神は少彦名命で、沖の加太友が島の神島に祭られていたのを勧請したようです。この神は小島が似合うようです。

 小さい神で思うのは、朝露が日の出に光っている様です。これこそ清々しい太陽と自然の恵みの姿です。神は細部に宿る


[6890]Re: [6889]少彦名神   琉球松投稿日:2013年 5月16日(木)09時49分12秒
神奈備さんへ

 徐福がやって来たのは紀元前ですから、祀る社が少ないのは理解できますが、少名毘古那も意外に忘れられた神とも言えそうで、大雑把に近畿を中心にしているように見えますがどうなんでしょう。
 ただ、米子市の「粟島神社」のように、この神は「アフ・アハ・アワ・オヲ・オオ」島経由で行き来すると観念されていたんじゃないでしょうか。この神社は古くは地崎の小島でしたし、琉球圏における神々の移動パターンとも合致します(大国主の手指はリヤス式海岸の細かい岬と入り江か)。

 また、『古事記』では神皇産霊神の子、『日本書紀』では高皇産霊神の子となっていますから、双方を統一した神武をも連想しますし、この神の素性を知っていた「案山子」は稲作神の寄り代でしょうから、銅鐸神?との共同作業によって国を刷新したとも考えられます。

 「カカ・カガ・ガガ」は蛇をも表すとの説が妥当であれば、は虫類の皮膚や "カガミ" の光沢にも繋がりますし、「天乃羅摩船」は常世国からもたらされた太陽信仰なのではと考えますが神奈備さんの解釈はどうでしょうか。

写真は、神々の中継地の一つ「奥武島(オヲシマ)・沖縄島南部」と、久米島の「奥武島」



[6889] Re: [6886]Re: [6885] Re: [6884]Re: [6883] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月13日(月)17時55分28秒
琉球松さんへのお返事です。

 徐福の年代は始皇帝の頃ですから、絶対年代は李氏朝鮮でも知っていたのでしょう。BC220年頃。
 それに、『日本書紀』の年代を当てはめますと、孝霊・孝元の頃になり、『海東諸国記 』は、インテリの作品なのでしょう。

> 天照大神は地神の始主なり。

 これはどういう意味でしょうか。諾冉二神は天神には見えなかったとか。

> 徐福死して神と為り
現在徐福を祭神としている神社は少なくとも4社。

三重県熊野市 波田須神社 徐福社
京都府伊根町 新井崎神社
和歌山県新宮市 阿須賀神社 徐福宮
佐賀県佐賀市 金立神社

> 天照大神が伊勢に左遷?される頃

この前の土曜日の豊中歴史同好会で、皇學館大學の荊木美行先生は、伊勢に皇祖神が祀られたのは、『紀』の通りで、垂仁朝の頃とのお話でした。これは文献上からと、巻向遺跡、三輪山などの方向の関係を指摘されていました。
 小生は違うと思っていますが・・・。




[6886]Re: [6885] Re: [6884]Re: [6883] 少彦名神   琉球松 投稿日: 投稿日:2013年 5月12日(日)22時30分49秒
神奈備さんへ

 徐福に関しては、李氏朝鮮の文献『海東諸国記 1443 』に面白い記事があります。

*** 孝霊天皇・・孝安天皇の太子なり(略)、秦の始皇帝、徐福を遣わし、海に入り仙福を求めしむ。遂に紀伊州に至りて居す。***
*** 崇神天皇・・開化天皇の第二子なり(略)、六年己丑、始めて天照大神を祭る。天照大神は地神の始主なり。俗に日神と称す(略)、熊野権現神始めて現る。徐福死して神と為り、国人今に至るまで之を祭る。***

 この記事では、徐福は孝霊の代にやって来て「不老長寿の薬を求め・紀伊州に至り」、崇神の代に「徐福死して神と為り」とあります。
 「始めて天照大神を祭った」のも、「熊野権現神始めて」現れたのも崇神の時代。。。
 偶然かもしれませんが、この年代にほぼ重なる方は「ヤマトトトヒモモソ姫」だけですね。勿論、複数の姫様でしょうけど、最後の百襲姫がホトを突いて死亡する頃と、天照大神が伊勢に左遷?される頃とほぼ一致します。

 この朝鮮側の文献の一部は『日本書紀』からの引用のようですけど、琉球側の伝承も採用されているでしょうか? なんか「少彦名神」がどこかに隠れているような気がするんですよ。

画像は、普天満宮拝殿と、本来の本殿と考えられる洞窟内部の拝所・宜野湾市



[6885] Re: [6884]Re: [6883] 少彦名神   神奈備 投稿日:2013年 5月12日(日)14時20分54秒
琉球松さんへのお返事です。

> 洞窟(岩屋)" と近接

 和歌山では田辺市の磯間岩陰遺跡が古墳時代中期終から後期にかけての石室墓だそうです。薮谷洞穴は弥生時代のもの。

 少彦名神は大阪では天神とよばてれおり、菅公に席巻された天神社が多い中でも比較的頑張ってきています。

 少彦名神は高皇産霊の手の間から零れ落ちたので手間天神と呼ばれるようになった。赤猪岩神社の鎮座する西伯郡会見町に、天萬神社が鎮座している。手間からの転訛でしょう。少彦名神は岩に寄り付く神だあるのは、紀州串本の潮御崎神社の磐座、、また能登の国の宿那彦神像石神社の名からも想像できます。赤猪岩に少彦名神が寄り付いていたから大穴牟遅神が助かったのかも知れません。

 徐福伝説の残る菟足神社に伝わる伝承。
 『牛窪記』元禄十年(1697)に「崇神天皇御宇ニ紀州手間戸之湊ヨリ徐氏古座侍郎泛舟、此国湊六本松ト云浜ニ来ル。」とあります。紀州の手間と戸から徐福の孫の古座郎は三河に来たとのこと。
 手間の戸の湊とは少彦名神が鎮座していた湊と思われます。潮岬付近かも。





[6884]Re: [6883] 少彦名神   琉球松 投稿日: 2013年 5月11日(土)09時19分42秒
神奈備さんへ

 少名毘古那神は、常世国からやって来て、常世国へ帰っていった神ですから海人なのでしょう。
 しかも、常世思兼神の弟で、ほとんどだれもその素性を知らない古い神ですから、弥生時代の開始に立ち会った神かもしれません?
 除福伝説や、アイヌの「オキクルミ」、琉球圏の「キジムン(木のモノ)」との関係もありそうですけど、ともかくも "小さい" との表現がキーワードなんでしょうね。

 縄文時代後期には、琉球列島を経由した多くの考古学的証拠が西日本太平洋側で見つかっているようですから、日本海側や瀬戸内海へのこの神の伝承は後世的なものと解釈したいのですがどうでしょうか。
 紀伊半島南端周辺は、後世の「補陀落渡海」の現場でもあり、「紀伊 "大島"」 の存在とも考え合わせると、この地もまた「常世の浪の重浪帰する国」なのでしょう。

 そう言えば、琉球八社(安里八幡宮を除く)もそうですが、熊野権現の社の多くは "洞窟(岩屋)" と近接していて、いや。。。もともとは岩屋が御神体で、拝殿などは後から造営されたとも解釈可能ですね。

写真は、波之上宮(少彦名神は相殿神)本殿下岸壁中央の、古くから信仰の対象である岩屋・那覇市




[6883] 少彦名神   神奈備 投稿日: 2013年 5月10日(金)16時58分15秒
 少名毘古那神は出雲の御前に現れて、大穴牟遅と共に国造りに従事し、常世国(トコヨノクニ)に度(ワタ)ってしまったのです。
 それにしても、出雲には、『記紀』・『出雲国風土記』などには、少彦名神の足跡が見あたらない。この神を祀る式内社もなさそうだ。

 播磨、伊豆、伯耆(粟に乗って弾かれて常世国へ渡った。)、伊予の風土記(逸文)には登場しています。
 また、石見には、「志都の岩屋」と呼ばれる巨岩があり、『万葉集』には、「大汝少彦名のいましけむ志都の石屋は幾代経ぬらむ 巻三 355」と歌われています。

 志都の岩屋とよく似た名の岩屋が、紀州潮岬にあり、「静之窟(しずのいわや)」と呼ばれています。少彦名神を主祭神とする。潮御崎神社が鎮座しています。この神社の創建由緒に、『紀』の「熊野御崎より常世国に渡り給うた」と云う神話にちなんで、ここに勧請したとあります。
 なにも、『紀』によらずとも、常世国と結びついて考えられるのが熊野であり、潮岬の静之窟から渡ったとも考えられます。

潮岬の静之窟

http://www.mikumano.net/meguri/sionomisakijinja.html
に写真がでています。



神奈備にようこそ