熊野古道、伊勢路の峠道
始神峠

三重県紀伊長島町→海山町

 あいにくの小雨模様の日であり、紀伊松島など海辺への展望がきかず、また、祠、地蔵など、地域の信仰を示すものにも出くわしていない。
 標高147mの峠の頂上に修験者のための百葉箱のようなものがあった。また、惜しむらくは、帰路のバスの待機場所の隣に赤さびた鳥居があった。動き出したバスの中からの目撃。後の祭り。

 長島町教育委員会の説明板

 始神峠は標高百四十七mに過ぎないが、旧熊野街道の中で景勝の地として知られてきた。
 明治二〇年代に現国道四二号より山手を巡り峠に至る道が開かれた。荷車も利用できるその新道は明治道と呼ばれた。
 それまでは歩道のみの、この江戸道と呼ばれる古道が本街道としての役割を果たし続けていたのである。
 峠まで約一km程の道程であるが、途中には石畳道が残り、絶景で知られた頂上には江戸時代から明治中期まで営業していたと言われる茶店の跡も名残をとどめている。
 寛政八年(一七九六)この峠を通過した有名な紀行作家、鈴木牧之が「大洋に潮の花や朝日の出」などの句を詠んだことでも知られている。
  平成十四年三月二十日

紀伊長島町の登り口からの景色



  鈴木牧之は越後の文人で、200年以上前に当地に来ている。旅行記『西遊記神都詣西国巡礼』の中に、この峠の事を記している。

 はじかみ坂は 西国礼所一、二の険難なりしに、いまだ東雲近き折から 海上の絶景やゝ眠を覚すが如 く、東方既に明なんとして、暁の雲紅に海日車輪にひとしく、ほのぼのとさし上れば、鶯もなどか左右に啼かはしぬ 。

 待ちかねて 鶯啼くや 日の出しほ

 大洋に 潮の花や 朝日の出

紀伊長島町の登り口からの景色

 登り口から歩き始める。杉の植林の中を登っていく。

 更に登っていく。

古道



  始神峠の頂上 茶店跡の碑があり、石積跡があると記している。

 頂上の説明板

 始神峠(椒峠)
 始神峠は標高一四七M、紀伊長島町と海山町の堺にあり東熊野街道の峠の中でも松本峠に並んで景勝の峠として知られている。
 三浦側から中世より太地海岸から登るコースを取っていたが、明治20年代に現国道42号ぞいの宮川第二発電所付近から反対側の山腹を迂回する車道が開かれた。新旧二つの古道が現存し峠で合流している。
 峠には江戸時代から明治にかけて茶屋がありその土台の石積みも残されている。江戸時代の中期を代表する越後の紀行作家、鈴木牧之はこの峠を通過した際その絶景に感嘆し「大洋に潮の花や朝日の出」「まちかねて鶯なくや日のでしぼ」の二句を読んでいる。
 また天保年間(一八三〇年代)に書かれた紀伊続風土記には、「晴れたる日には富士おも望めるとやー」とも記されている。

石積跡 横から見た

修験者の祠?



馬瀬への下り坂 通らなかった江戸道

 下りは明治道を宮谷池方面へ行く。 登り道もそうだが、方向指示板が多く設けられており、安心して歩ける。 登り口と降り口には新しくトイレが出来ている。 2004年夏にも熊野霊場と道が世界遺産に指定されるようだが、賑やかになれば、不届き者が増えるわけで、予防の目的もある。今や、中年、高年の者も結構不届きが増えている。

降りた集落から振り返ると



地図


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