熊野古道、伊勢路の王子社

      伊勢路(伊勢神宮から熊野速玉大社に至る。東熊野街道と呼ばれた。)
      伊勢市 外宮 → 玉城町田丸
      多気郡 多気町 大字相可 相鹿上神社が鎮座
      多気郡 多気町 大字仁田 佐那神社が鎮座
      度会郡 大宮町 滝原 大滝神社(滝原宮)が鎮座
      野尻
      度会郡 紀勢町 大皇神社が鎮座
      主祭神の惟喬親王は五五代文徳天皇の皇子であるが、藤原氏の血筋ではなく、淡路国へ渡り小野宮で住んだ。 木地物を考案し、広く里人に教え、木地屋の祖神とされる。後、当地へ来られ木地物を教えた。淡路島より寵臣の後裔小椋助之丞が御分霊を奉持しここに祭祀した。氏子は殆ど小倉姓である。

      大内山村 駅北1.4km右200m一里塚 駅北1.2km 頭の宮四方神社が鎮座
      大内山村 間弓 頭之宮四方神社
      建久二(1191)年創立。村童等、社地に府せる渓流(唐子川)に出て遊ぶ時、一つの髑髏、水上に浮かぶを見る。 童子等これを拾い玩ぶ。此地の里の老樵夫が通りかかり、「不潔」なり。と諭し、髑髏を捨てさせた。忽ち物怪して曰わく「余は唐橋中将光盛なり。童子とともに遊技をなすに、予が遊ぶのを妨げる。向後、予の霊を崇めよ、永く万民を守護せん」と宣う。 村人、神託の随々に神殿を造営して以来、産土神と尊崇し来れる由。

      大内山村 梅ヶ谷駅 八柱神社が鎮座
      桓武天皇延歴十四(795)年創立。天照大神宮、二の御神素盞嗚命、二天八王子寺と拝し奉り、祇園牛頭天王出雲国大社と御一体であり、日吉国より渡られたという。また紀伊国より渡られたという。

      大内山村 梅ヶ谷駅西2km 栃古
      大内山村 栃古の南2km ツヅラト峠 江戸時代にはコ−スは荷坂峠に変わった。
      紀伊長島町 志子 石畳の道
      紀伊長島町 前山 赤羽神社が鎮座
      赤羽村には三つの字がありそれぞれ産土神があったが、明治末期に合祀し一社となった。

      紀伊長島町 長島 長島神社が鎮座
      祭神に事代主神の名が見える。創始不詳。少なくとも江戸時代初期には鎮座していた。

      紀伊長島町 加田 鏡神社摂社に蛭子神社が鎮座
      鏡神社の創建は詳らかではないが古来よりとの地に鎮座していたと伝えられる。

       加田から一石峠、平方峠、道瀬海岸、熊谷道のコースがある。

      一石峠・平方峠・道瀬海岸・熊谷道

      紀伊長島町 三浦 
      豊浦神社の祭神に事代主神の名が見える。創始は仲哀天皇が南海巡航の際この地に暫く逗留され、天皇崩御後創建されたという。 また別に大宝年間(701〜3)の創始とも伝わる。分社に熊野街道沿いの道瀬の若宮八幡神社が鎮座している。

      紀伊長島町の宮田第二発電所の所から、始神峠への古道がある。峠の頂上から海山町。

      始神峠

      海山町 引本浦 引本神社が鎮座
      八幡神社と称し、江戸初期の創建と見られる。

      海山町 相賀馬越 馬越一里塚 石畳の道
      海山町 相賀馬越 峠の茶屋跡、可涼園桃乙の句碑
      海山町と尾鷲市 相賀馬越 馬越峠→←天狗倉山
      尾鷲市 桜地蔵、水呑み地蔵
      尾鷲市 北浦町 尾鷲神社が鎮座
      創建は大宝年間(701〜3)と伝えられ、牛頭天王を祀り大宝天王とも称した。『紀伊続風土記』には社地中井須山の御厨で神宮の神領であるため遷宮はには外宮神職がおもむき厳重な神事が行われ、豊受宮を祭り稲穀の神であるため後世大宝( オオタカラ)天王と称したとしている。古くより宮座組織があり、祭礼を掌握していた。二月五日の例祭は「ヤーヤー祭り」(意味不詳)といわれ、このかけ声とともに「チョウサチョウサ」(超歳丁歳)のかけ声がある。新年の祝いの言葉であろうとされる。
      尾鷲市 南浦 尾鷲中川一里塚
      尾鷲市 上人塚 熊野街道八鬼山道 急な石畳道
      尾鷲市 清順上人供養碑、巡礼供養塔、桜茶屋
      尾鷲市 南浦 八鬼山一里塚、九木峠、八鬼山
      尾鷲市 十五郎茶屋跡
      尾鷲市 名柄 名柄一里塚
      尾鷲市 三木里町 北輪内
      尾鷲市 曾根町 南輪内 王子大権現 飛鳥神社が鎮座 曾根次郎→太郎坂
      飛鳥神社の社伝によれば、熊野新宮の阿須賀神社末社として創祀されたという。 当社周辺からは縄文土器が大量に出土している。

      熊野市 二木島町 逢神坂峠(荒坂) 一里塚跡 室古神社・阿古師神社が鎮座
      神武天皇東征の砌、暴風雨にあって船団は漂流、天皇の御兄の稲飯命、三毛入野命は入水した。後、村民は両命を発見、奉葬した。うち、稲飯命を祀ったのが当社である。 三毛入野命を祀ったのが阿古師神社である。

      熊野市 新鹿 徳司神社が鎮座
      宝永年間(1704〜)の高津波によって旧社記がすべて流失したので、由緒、創建年代は詳らかではない。

      熊野市 波田須 波田須道の石畳
      熊野市 波田須 王子の島 海岸の巨岩→波田須神社摂社に徐福社
      創立は康平七(1064)年という。明治四十年波多須字門サキから徐福神社を同字大平に移転、そこへ波田須神社、稲荷神社を合祀し、波田須神社と称した。昭和三十二年徐福社、稲荷字じゃは元地に復した。 波田須は秦住に通じ、徐福が住んだ所と云われている。

      熊野市 波田須 御足跡水
      熊野市 大泊 かねたたき王子 芝神社が鎮座
      創立年代は詳らかではない。旧記によると応永年間(1364〜)に当地に天満大神を勧請したのがはじめとされる。 境内者の一萬度社、蛭子神社、山神神社三社を合祀した。

      熊野市 木本 木本神社が鎮座
      創建年代は不詳。慶長十三(1608)年当地に遷座という。明治四十一年境内の若宮神社二座、大国神社、恵比須神社などを合祀している。

      熊野市 有馬 花窟王子 花窟神社(はなのゆはや)が鎮座

      祭神 伊弉册尊、軻遇突智尊
      例祭 2月2日 10月2日
      御綱掛け神事が斎行される。口有馬の氏子が中心となって、およそ10メ−トルの三旒の幡形を作り、その下部に種々の季節の花々や扇子等を結びつける。それを約170メートルの大綱に吊し、その大綱の一端を岩窟上45メートル程の高さに、もう一端を境内南隅の松の大樹にかける神事である。昔は朝廷より毎年錦の幡旗が献上されていたが、ある年幡旗を乗せた船が難破し、奉納されなかった。そこで土地の人が急遽縄で形作った幡旗をこしらえてそれに代用し、現行のような神事になったという。
      由緒 創始については詳らかではないが、『日本書紀』(神代巻上)に一書に曰わくとして「伊弉冉尊、火神を生む時に灼かれて神退去りましぬ。故、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。土俗、此の神の魂を祭るには、花の時には花を以て祭る。又鼓吹幡旗を用て、歌ひ舞ひて祭る。」とみえ、それが当社のことであると伝える。 つまり、当窟は伊弉冉尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったが故に花窟との社号が付けられたと考えられる。一説に伊弉冉尊を葬し奉った地は産田神社であり、当社は火の神の御陵ともいう。また、御綱掛け神事は音曲歌舞こそ伝承していないが、大要において書記の記載に合致し、往古の遺風を残すものという。 古来、当社には神殿がなく、熊野灘に面した巨巌が伊弉冉尊の御神体とされ、その下に玉砂利を敷きつめた祭場が設けられている。それを少し隔てた所には王子の岩屋と呼ばれる高さ12メートル程の岩がある。『紀伊続風土記』によるとここに軻遇突智尊の神霊を祀り、この神が伊弉冉尊の御子であることに依拠して、王子の窟(別名、聖の窟)の名称由来を説いている。

      熊野市 有馬 産田神社(うぶた)が鎮座
      祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊、軻遇突智尊、天照皇大神、大山祇命、木華開邪姫命、神武天皇
      例祭 1月10日 祭日には、烏帽子、布衣、帯刀の男子二人による御弓の神事を斎行
      春祭 2月10日 直会の際、「ホウハン(汁かけ飯一碗、骨付きのさんまずし、赤和え、神酒)」と称される膳を頂くと厄落としができる。あるいは左利きが治るといわれる。
      秋祭 11月23日
      由緒 天正の兵火で古記録宝物等焼失ゆえ詳ならす。崇神天皇の御代創建と伝わる。産田は産処の義にして、伊弉册尊がこの地で火の神軻遇突智尊をお産みになったが故に産田と名付けられたという。一説に伊弉冉尊が神退りました地ともいわれる。また、永正十八(1521)年十一月十四日の棟札に「奉棟上産土神社二所大明神」と見え、『紀伊続風土記』によるとこの二所大明神とは伊弉册尊と軻遇突智尊二神を指し、後に伊弉諾尊が併せ祀られるようになったと説く。

      浜街道
      熊野市 久生屋 久生屋王子 深山神社が鎮座
      深山神社は元禄元年(1688年)創建。背後には宝珠山、前方には縄文土器の出土した釜の平がある。境内周辺には小渓流が重なり、小滝もある。 また当地には「ひじり」と称される民間宗教者の集落があった。当社の創建またそれ以前には修験行者の関与が考えられる。

      南牟婁郡 御浜町 阿田和 王子 阿田和神社(康治二年創祀)が鎮座
          南牟婁郡 鵜殿村 梶鼻王子 烏止野神社(慶長年間創祀)が鎮座
      熊野速玉大社

      熊野市 有馬 から 山中を行く本宮道
      南牟婁郡 御浜町 横垣峠
      南牟婁郡 紀和町 風伝峠
      南牟婁郡 紀和町 通り峠から北山道へ

      地図は下記のガイドマップより引用しました。
      東紀州地域活性化事業推進協議会編 甦る神々のみち 熊野古道 ガイドマップより
      〒519−4393 三重県熊野市井戸町371番地 東紀州体験フェスタ事務局内

        熊野古道、九十九王子社
      古代史街道 紀ノ国編
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      参考文献
      くまの九十九王子をゆく(西口勇)燃焼社
      大和紀伊寺院神社大事典 平凡社
      熊野古道ハイキングマップ JR西日本
      和歌山県神社誌 和歌山県神社庁
      甦る神々のみち 熊野古道 ガイドマップ 東紀州地域活性化事業推進協議会
      三重県神社誌
      熊野古道 by 西日本電信電話株式会社
      紀北県民局(きほくけんみんきょく by 三重県農林水産商工部のページ
      熊野古道へのいざない by 吉野熊野地域振興協議会