熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社

 三鍋王子、鹿島神社
日高郡みなべ町北道字丹川60
JRきのくに線南部駅北300m its-mo


 前の千里王子からは目津崎の岬を巡っての海岸沿いの道があったが、海岸線が変わり、消失し、千里観音から千里谷を越え、南部峠を経て国道と合流し、南部川を渡る。
 北道の北に鎮座していた。後鳥羽院熊野御幸記にも名が見えている。 後鳥羽院は多大な布施を行っている。近世でも立派な社殿が建てられていたが、南部町埴田の須賀神社に合祀されたが、この須賀神社へ鹿島神社が合祀され、社名も鹿島神社となった。王子社の御神体は持ち出されていない。
 本殿は鹿島神社の本殿となっている。

三鍋王子社





紀伊續風土記 巻之六十八 日高郡 南部荘 北道村から


○王子権現社   境内周六十四間
 末社二社   拝 殿
村中にあり 御幸記に三鍋王子とある 是なり 古道変して今は熊野往還にあらす


鹿島神社
日高郡南部町埴田20 


海岸沿い 南部駅前を南に1km ゼンリン

鳥居

祭神 武甕槌大神、天照皇大神、須佐男大神、譽田別大神

拝殿

由緒
 現代の鎮座地は海中島に鎮座する鹿島の元本社の明治初年前までの遥拝所であった。 海中島元社の創始は不詳であるが、大宝元年(707)以後、太上天皇、文武天皇、持統天皇の紀伊国行幸の際当地方をうたわれている13首の御製中に詠われ、 当時から鹿島大明神として鎮座されていたものと思われる。

吾[あ]が欲りし子島[こしま]は見しを底深き阿胡根[あこね]の浦の玉ぞ拾[ひり]はぬ (巻一 一二)
南部[みなべ]の浦潮な満ちそね鹿島[かじま]なる釣する海人[あま]を見て帰り来む(巻九 一六六九)

祭り   明神祭 5月3日 花火祭8月1日 例祭10月15日

社殿


紀伊續風土記 巻之六十八 日高郡 南部荘 埴田村から


○加島明神社   境内周百三十二間
 島の中にあり 祀神は常陸国鹿島と同じく武甕槌命なりといへり 寛永四年(1627)十月四日の大津波に山内村流出せし時 沖より大浪来りて此辺の数村流亡せんとするに圓き光物出て其浪大小二に破れ大なるは東へ行き 小なるは此浦へよせたり 後に其光物鹿島の御山へ飛帰りしといひ伝ふ



切目から南部への地図


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