熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
善童子王子、湯川神社

御坊市湯川町富安字宮ノ前1347 ゼンリン



 紀伊内原駅から南へ行き東に回る。一里塚の四つ辻を直角方向の南東に折れ宮前橋にさしかかる。この辺りを歩いていたら小雨が振ってきた。先ほど道を教えてもらった人が追いかけてきてくれてボロ傘でよかったらと引き留めてくれた。人情に厚い地域である。謝。


一里塚跡の碑と古道



 一里塚跡から片山古墳を左に見て25分程で富安王子とも言われる善童子王子の小祠の前に出る。 連同寺王子、田藤次王子、伝童子王子、出王子、出童子また若一王子と呼ばれた。 人間の耳のあいまいさに加え紀州の人々の発音の特徴を物語る名の多さである。
 善童子神社として祀られている。「よい子の神社」とされている。
 中右記には大般若経六百卷を蔵する大社であったと伝えている。五体王子に次ぐ准五体王子の一つであった。 明治42年湯川神社に合祀された。


善童子王子小祠




湯川神社 御坊市湯川町小松原89 its-mo


祭神 木花咲耶姫命 合祀 金山彦命、大日靈女貴命、善通皇大神、大物主命、市杵嶋姫命、 菅原道眞、天兒屋根命、山本主計、皇大神、國常立命、三筒男命、諏訪神、廣大明神

由緒 中世の豪族湯川氏が当地を支配していたとき邸の一遇に明神社を祀っていたが、 天正のころ城主湯川直春、安産を浅間神社(静岡県富士宮市)に祈願し、その分霊を亀山城中に勧請し後山麓に明神社と共に祀った。 天正13年亀山城が兵火にかかり落城する時、直春が兵に命じ、現在地に子安大明神神社として再興した。 安産の守護として有名である。大きい楠の木を筆頭に木々が多い。

お祭り
  11月 3日 秋季例大祭


湯川神社



湯川神社の1000年楠



紀伊續風土記 巻之六十三 日高郡 富安荘 下富安村から

○善童寺王子権現社     境内除地
 本社 方一間   長床
村中往還の側にあり 荘中四箇村の氏神なり 土人出(デ)王子或いは出童子と称す 御幸記に此の辺高家云々 次又参王子 田藤次云々 次愛徳山王子とある 田藤次(デントウジ)は善童寺と称近く道路の順にもかなへは此の社ならむ 古は大社にして湯川家より社領一町六段 神主の領一町三段九畝余を寄附せしに豊太閤南征以後没収すといふ 境内に薬師堂あり


 



紀伊續風土記 巻之六十三 日高郡 富安荘 小松原村から

○子安大明神社     境内周百二間
 摂社神明宮   長床    神輿舎    鐘楼堂


 



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