熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
岩神王子

田辺市中辺路町道湯川字岩神222 地図

説明板



 草鞋峠からの下りを女坂と言う。仲人茶屋を過ぎて男坂にかかり、登り道。岩神峠に至る。別名を蛭降峠と言い、往古は蛭が降って来て笠が欠かせない難所であった。山蛭も人にからみついて血を吸う。取り付かれたら離すのだが、離した痕から血が流れる。このように熊野詣は急坂で蛭が降り、代受苦と言い、あの世の苦しみをこの世で受ける旅であった。

  中御門宗忠の参詣記によると、王子に来ると、社の側に盲人がいて、田舎から御山に参りに来たが食べるものがなくなった。と訴えるので食べ物を与えた、と記している。 身に不自由のある人こそ熱心に参詣したのであろう。

 甲斐の国から熊野に流された湯川忠長は熊野街道に出没する山賊をこの岩神峠で退治したと言う。

 寛政十年(1798)にここを越した林信章の『熊野詣紀行』には、「岩神王子 大木の蔭にあり 小社なり 破損して扉もなく 左右後のかこひ板さえ損してなし。峠より下るを岩神坂と言う。この峠茶屋なし。大樹の陰にやすらふ。」とある。
 岩神王子のその後の消息は不明。


岩神王子石碑


紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 道湯川村

○岩神王子舊址
  村の西岩神峠にあり 御幸記に イハ神と見えたり 近年まで社ありしか 今は社も印もなく 唯峠の北の方少し平なる處を社の舊址と云う 毎年祭日舊址に神酒を備ふ

 

おぎん地蔵 妙安自楽信女

   岩神峠から湯川王子へは下り道、途中におぎん地蔵がある。文化十三年(1816)京の芸子、求婚されて熊野に向かうが、ここで二人組の山賊に殺されてしまう。悲恋の物語として里で語られ、御霊やすらけくと地蔵尊を設けた。
 おなかに赤児がいたのかも知れない。

熊野本宮手前の古道

岩波新書『熊野古道』から

わかやま観光情報 街道マップ

前の王子社、小広王子・熊瀬川王子
次の王子社、
湯川王子

熊野古道、中辺路 和歌山県編

熊野古道、九十九王子社
古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る