熊野古道中辺路、和歌山県の王子社
継桜王子

田辺市中辺路町野中字上道中591 地図


継桜王子社の鳥居と石段



 比曽原王子から1km程度で次の継桜王子社に着く。
 急な石段の神社、王子社跡の碑と社殿とが共存する。
社域の檜や杉の木の枝は一方の方向に伸びている。山上から吹き降りる風のなせる業だろう。
王子神社の南側を下ると野中の清水がある。こんこんと清水が湧きだしている。甘露。


継桜王子社の石碑 中央の左

 野中地区の氏神でもある王子社。境内の斜面に一方杉の巨木が10本ほど現存している。県指定の天然記念物。

 王子社の名前の元となった継桜とは、12世紀初めには語られていたようだ。藤原宗忠の日記に「道の左辺に続桜樹あり。桧に接ぎ木したとある。
 ただし、桜は接ぎ木は殆ど出来ないそうだ。
 奥州の藤原秀衡の熊野詣では金の産地の大豪族でもあることで、大いに評判になったようだ。継桜を秀衡桜と呼ぶようだ。滝尻王子に伽藍を建立し、維持費として黄金を壺に入れて近くに埋めたと云うロマンが語られている。
 明治四十二年、近野神社に合祀された。


紀伊続風土記 巻之七十五 牟婁郡 四番荘 野中村

○継桜王子社    境内周九十八間
  祀神不詳  神体木像    拝 殿
  末社二社
    見明之明神社  金毘羅社  秋葉社
   村中にあり 一村の氏神なり 土人若一王子権現といふ 『御幸記』に継桜とある是なり 天正年中の記文に小広峠の王子を見明明神の側に勧請せんと神主氏下かたらひて社を建てしと云ふ 此の記に拠れば此の王子 古は中の川王子より東小広峠に在りて『御幸記』の次第に合はす 古は此の地にありしを中比小広峠に遷し又今の地に遷せる歟社前に桜樹あり 秀衡桜といふ 又接桜といふ 古奥州の秀衡夫婦熊野参詣の時剣山の窟にて出産し其の子をそこに置きて参籠す 此の処にて桜を手折り戯に祝していふ 吾子恙なく生育せしは此の桜色香盛なるへしとて下向の時みるに其の桜よく生長し幼き子も恙なかりしよりその桜を接桜又秀衡桜といふといひ伝へたり 

 


本殿

一方杉


 継桜王子社を少し行くと「とがの木茶屋」と「継桜」がある。


 継桜王子社の下に旧道があり、野中の清水がある。

野中の清水 its-mo



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