熊野大神宮

大阪市東成区大今里4 ゼンリン


鳥居

交通案内
地下鉄千日前線新深江 西へ500m



祭神
伊弉册尊、速玉男命、事解男命 合 素盞嗚尊、大己貴命、奇稻田姫命

摂社 東末社、松ノ木神社、大黒社、厳島神社「市杵嶋姫命」
境外摂社 御旅所(八劍神社跡)

社殿


由緒
 聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれた。明治維新後の神仏分離で現社名に改めた。
 妙法寺は真言宗室派の寺で、邦学再興の祖とされた契沖が住職をつとめており、著作物はこの期間に書かれたとのことである。


由緒(平成祭礼データ)
当社創立年代は少なくとも千四百年以上を経ており、遠く詳かではないが用明天皇二 年、厩戸皇子が四天王寺を浪速玉造の岸に創立せられた時、拾弐坊の伽藍を建立せら れ、当社の社務を司どられた。当時社殿は宏麗、境内は広濶、祭事備具すこぶる堂々 たるものであったと伝えられている。然るに正親町天皇元亀元年、石山寺本願寺の主 僧顕如が、織田信長と交戦の時、当社及び伽藍が兵火のため烏有に帰したので、本社 及び一坊舎(角坊今の妙法寺)が仮に建立された。
後陽成天皇文禄甲午年、船越五郎右衛門検地の際、氏神熊野権現宮除地四反四畝二十 四歩に削減。
慶長の初め従二位阿闍梨正園社僧。
慶長六年、阿闍梨祐慶社僧となり、同九甲辰年、本殿及び拝殿を再興。
同十九甲寅年冬、徳川将軍家康大坂の役の時、京極若狭守当宮地を陣屋とした。
後水尾天皇元和元丁卯年、松平下総守忠明以後、大坂城代就任の節及び領地検地の際必ず当社に参拝されている。
元和元年、阿闍梨手定社僧。
霊元天皇延宝五乙巳年、九鬼和泉守検地の際以前の通り除地と記録されている。
延宝七年、阿闍梨契冲社僧。
東山天皇元禄十五壬午年、中御門天皇宝永閏七庚寅年八月、孝明天皇弘化四丁未年九東山天皇元禄十五壬午年、中御門天皇宝永閏七庚寅年八月、孝明天皇弘化四丁未年九月、明治天皇明治四十四辛未年九月、本殿及び拝殿修理。
明治八年、村社に列せられ、ついで権現号を廃止、熊野大神宮と改称。同年地租改正の際、又も境内を削減せられ一反七畝九歩官有地第一種となり、明治四十四年七月十一日、大阪府指令を以って東今里村社八劔神社を当社に合祀。同年七月十七日、同じく無格社菊理姫神社を合祀。
大正七年、神饌幣帛料を供進することを得べき神社と指定。
大正十年十月、本殿屋根葺替及び透塀中門修理。
昭和十八年、本殿屋根桧皮葺替及び拝殿瑞垣改築。
昭和二十一年二月、勅令第七〇号宗教法人令により宗教法人となる。
昭和三十七年、本殿屋根葺替及び透塀塗替。



お姿
 本殿は老朽化しているようだが、よい雰囲気を漂わす。
お旅所は本社の北1km、神路相生商店街を北上、途中アーケードのある神路大黒ロードを横切り、五叉路を越えて、すぐに西に曲がるとお旅所が見える。 大阪の下町的雰囲気の残る地域である。

本殿



お旅所 八劍神社跡
 





お祭り

7月16日 夏祭   10月16日 秋祭

熊野古道九十九王子社
神奈備にようこそ