熊野古道、大阪府の王子社
長岡王子

泉南市信達岡中 岡中の鎮守社ゼンリン




 信達牧野の大鳥居の400m程南西に進むと一ノ瀬王子跡とされる馬頭観音地蔵尊が鎮座している。
 長岡王子跡は特定できていない。たいていの王子跡は実は特定できていないのであるが。それでも地元の人々の言い伝えは残っている。

 @ 長岡王子は一ノ瀬王子の別称である。要は同じ王子を指している。

信達一ノ瀬王子



 A 岡中を通る阪和線のガード下がその跡との説がある。

 B 和泉鳥取駅東に波太神社遙拝鳥居があり、この場所との説がある。

 C 岡中の集落の中央に樹齢800年の大樟がある。この根本に鎮守社があり、ここである。


岡中の鎮守社と大楠



 大阪府指定天然記念物 岡中の鎮守社の大樟と槙

 昔この地は土壁に囲まれていて、樟、槙、松、銀杏、榎、椋等の大木に覆われ、日中でも薄暗く、高城の宮」と呼ばれていた社があった。
 明治の終わりには信達神社「神武天皇、神金山彦命、伊邪那美命」に合祀され、その後鎮守社の大木の殆どが切られたが、幸いに樟と槙は残されました。樟は船、槙は寝棺を作るのに良いと素盞嗚尊が教えた樟と槙である。 残されたのは、神社合祀を推進した役人にとって経済価値が少なかったからであろう。
 樟は樹幹目通し8.2m、根元12m、樹高30m、地上3mから3本に別れている。
 槙は成長が遅く、直径1mの木は府内では傑出したものである。
 この地が発掘された際、寺院跡が出ている。


 D 馬頭観音地蔵尊から南西に行くと峠にさしかかる。竹藪で一里塚の跡のようにも見える所があるが、その近辺ではないか。

 岡中から金熊寺信達神社に合祀された神社は三社あった。字長前寺の神明神社、字走り掛の王子神社、字雨山の意加美神社である。この王子神社の走り掛とはまさに岡中の大楠の場所を中心とする地域である。長岡王子が合祀されたのであって、一ノ瀬王子は合祀されていない。従って二王子社があったので、同じ王子社ではない。 なお、信達神社に合祀されていた三社は再び岡中神社(大楠)に戻された。長岡王子社が大楠の場所ズバリの保証はない。


熊野古道は阪南市へ 左側の藪に一里塚?



 発掘調査で王子跡が出れば驚天動地な事である。それがない限り特定できない。 訪問者や観察者とすれば看板の一つもあれば、根拠を詮索せずに納得してしまうものである。 長岡王子跡との看板が無いことが学問的には良心的なことである。

 後白河院一行は、厩戸王子を暗いうちに出発し、長岡王子に未だ夜が明けないうちに着いている。

 平清盛が」聞いた後白河上皇の歌
 熊野権現は「名草の浜に降りたまふ 若の浦にしませば 歳はゆくでも若王子(にゃくおうじ)」であった。


信達一ノ瀬王子、長岡王子の地図



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熊野古道 紀伊路 大阪府の王子社
熊野古道、九十九王子社
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