神奈備掲示板に連載された『大黒様物語』 by 焼尻紋次郎氏




焼尻紋次郎氏のホームページは 気高きオトコたちの群  メールは zik@you-i.org です。

(1)
 これから『大黒様物語』のつもりでラクガキをシリずします。まちがいや気付いたことがありましたら細大洩らさず、お教えください。
 この日本列島に「○○のみこと」とか「△△神社」などが現れるようになる前には、岩、古木、泉、川、池、などの自然神や動植物の精霊など、無数の神々がいましたが、とりわけ 
*1*  鳥神 
*2*  目をもった山の神 
*3*  ごく小さな精霊としてのイノチ神 
*4*  人間の形をとり始めた童神
 は、これまでの研究の視野にはありませんでした。これらについては、また、別の機会に触れねばならないのですが、今回は日本列島に蔓延していた『柱』の神〜文化についてシリずします。
 まず、この柱文化(偏った意識)がいつごろ出現したか……ですが、結論から先にいうと、これはわかりません。しかし、この文化はサンナイ丸山遺跡のすぐあとに出現した遮光器土偶よりも古いのですから遮光器土偶をあたると、少なくとも2万年以上も前からあったことが言えます。
 あ、ハナシはのっけから上の *4* に飛んでしまいました。ま、しょうがないでしょう。いろんなことに脱線しないと超古代は浮上してきません。この調子で脱線しながら、柱とか黒神とか大国さんへアクセスしてみましょう。 
 

(2)
 童(わらべ)神のことを理解してもらうためには、*2* の、目をもった山(額……math)の神のことをまず、述べねばなりません。やれやれ……こりゃ大脱線じゃぁ。
 ま、ぼつぼつ行きましょう。西洋人は荒れ狂った魔女狩りのために早くからこの見方を喪失しましたが古い文明は人間の額中央上部には第三の目があることを、確実に捕らえていました。
 イルカは目ではありませんが、ここに巨大な孔を持っていて、ここから超音波を放射して魚を捕まえて食べるので、余った時間ができて、この世を天国を満喫した暮らしをしています。
 人間にもひたいの中央にはナニカができ始めているのか、ここにイボ、ほくろ、陥没、縦しわを持った人が大勢います。
 ルネッサンス以後、この目を実証したのは皮肉にもシナでした。パチンコ玉ぐらいの大きさに丸められた紙に書かれている漢字の一字を、手に触れることなく読み取る能力が人間には備わっているのです。
 額のことはインドのあちこちで math といいます。この math はその前の段階で、現在オセアニアに散在している各種氏族がインドにいたときには「マタ(目)」と呼んだことに起源があると、小生は見ています。
 エベレストという呼び名はイギリス人の測量士の名前からとったもので、この山はシェルパ民族はチョモランマと言い、ネパール人はサガル・マタ(matha)と呼びます。
 サガルとは天空のことですが、ほとんど同じ発音で「海」のことでもあります。日本の「アマ」と同じ考え方ですので覚えておいてください。 
 

(3)
 古代語の「大きい」という発音には a (朝鮮語HAと同根か)と沖縄系と思われる「ウ」、及び「オ・オオ」が顕著です。
 そして接頭辞 a- には「反・非・不・否」がありますが、これはネパール語と同一です。
 「大きい」に似た概念に「身分の高い」、「上、上のほう」がありますが、これは世界語で u , uka の形をとります。
 日本語の「うへ」の「へ」は「(顔が向く)ほう」でアイヌ語と共通です。
 ついでにネパール語の強調辞を喋ってしまっておきましょう。これから喋ろうとしたり、喋った語彙を強く訴えるのです。
 強調接頭辞には n- , s- の二種があります。佐賀のタバコ屋さんに「タバコください」というと「ない」というのは「あ〜」に N- がつき、更に強調末尾辞の「イ(シナ……矣)」がついたからです。日本古語の「ウシ(大人)」となると、これは「尊い人、大きな人」の二様の解釈ができますが、現実には二様に解釈されていたのでしょう。このウシに N がついたのが「主」です。スットンキョウ、スッカラカンなどの語頭の S はあちこちで確認できます。
 強調末尾辞には -ai と -ra があります。日本語の命令形がすべて e で終わっているのはこれ。日本語では -ai だけでなく、-e から -ai に移行したとしか考えられないものもあります。ネパール語 ; maphi とは赦すことです。マッピラァ〜ごめんなすっち……。この men も世界語で「思う、考える」。……いや免除のメンかな? 
 

(4)
 ここにきて、さかんに小生はネパール語ネパール語と言っていますが、これはとんでもない発見をしたからです。詳しくは、検索エンジンには未だだしていない未完成の文章ですが、www.you-i.org にもその一部を出しましたのでご覧ください。
 人間には額の中央 *uka には 外見では捕らえることができない目がある……。ここまではタシカなことですが、多くのヨギたちは「こころを静かにして眠っていない状態で言葉意識から解放された状態を続けたら、もっと知らないセンサーがあって、人間は多くの神を内部に取り込めるに違いない」と思い込みました。
 現在、多くの宗教がペチャクリ・ペチャクリと喋りまくりますが、それは神を内部に取り入れることよりも、生活している集団の和……とりわけ殺人がないように……を重視するからです。ここが「神道(発音はシントウですって!)、修験道、密教」……以後これを纏めてシシミと略します……と世界じゅうに蔓延している喋べくり教とが完全にちがうところです。
 喋べくり教という観点からいうと 「顕教としての仏教(文字文化)」もシシミに対立しています。事実、ある人は「日本の歴史とは仏教と物部氏との対立抗争の歴史だった」と、言っています。物部も広い概念ですが、ここはシシミと言い換えたほうがハッキリします。
 シッダルタさんもそうでしたが、その基本は「個の確立」であって、集団形成以前の「神との対話、融和」が志向の中心で、自分をより気高いものへ導き、不動の境地を得るということだったのでした。
 これが大乗仏教(みんな来い)になったのは「1世紀前後のキリスト教の影響がある」という見方が、いま浮上しました。
 

(5)
 日本の神様の名には“命”という字が使われている。日本語習いたての人は命を「ミコト」だなどと、誰も読めないでしょう。この“ミコト”はいろいろ分析できますが、もっとも当をえているのは 「mi(神)言葉」……すなわち「ことだまの神」の謂いではないでしょうか。
 ではなぜ、イノチが神なのか。これもネパール語で I-jyan (神・いのち)+aki or ami (イザナギ・イザナミ)の語形と意味を得られます。aki とは朝鮮語に a(子供)、aki(子供)の両形が残っています。これは印欧語で agri(農耕)へ転意していますが、もともとは、古代人には「目には見えないような微少なイノチの原子」ともいうべき実在者でした……が言えそうです。
 その微少なイノチ子は水と大いに関係があって、水のなかにあふれていると考えられたのだろうと思います。
 その実在は、木の枝から落ちるシズクに太陽の陽があたって、プリズム効果が出る現象を古代人がみたとき「あ、いのちの神」だと実感できたことかと思います。
 奇しくも神職のお二方のメールの内容が、この掲示板に「結ばれる男女が交わす盃のカワラケを割る習慣のこと」として紹介されたばかりですが、結ばれる男女が飲んだのは「イノチ」そのものの象徴だったはずです。
 サンスクリット語 aka(水)は、アイヌ語 aka, waka (水)に似ていて、上述 ak-i (子供)とほとんど同じ語形です。
 日本語の「わか……若い、わかみず」はこのラチ(ネパール語 ; 棒 ⇒ まきばなどの柵囲い)外ではないはずです。
 上の記述で「神・いのち」の語形が「いのち神」であることに、ご留意ねがいます。
 神様の名のときには「神○○」の語形で○○神となるのです。 ki- , i- , o- , mi- , などの神を示す接頭辞が前にたちます。これを亀頭現象と呼んでいます。
 

( 6)
 まだ、判りたてのホヤホヤなんですが、サラセッセとの共同研究で、物部氏に残っていた魂鎮めの神事「サキタマ」の「サキ」こそが、この「微少生命子」の“いのち鎮め”らしい……ことがわかったのです。S +aki です。
 ついさいきん、これまでのyou-ai の「与野・大宮・浦和」合併の新しい名前は「さいたま市」に決まりました。まだこれからa-i の上尾・伊奈が加わるそうです。
 この「さいたま市」が決定されそうになったとき、有名な銘文を彫りこんだ鉄剣がでた稲荷山古墳がある行田市が「サイタマの名前は、この稲荷山古墳があるサキタマから出たのだから、サイタマの字句を使われるのは迷惑です」との申入れがありました。
 そしてちょうどそのニュースを知って3時間後、サラセッセが偶然にもおえめ交信で、「サキタマ・タルタマ」の文字が入った一文を送ってくれたのでした。[tar は現在のネパール語に「若い男」になっています。太郎は「童神ー神」です]。
 サイタマとは、708年、秩父の木毛から自然銅がでて、この慶事に日本じゅうが沸きかえった sait(吉兆)tama(銅)を記念して名づけられたことは、その他おおくのナカヤマ道(中山道)に連なる地名を見れば明らかなことです。しかし、それにしても……、稲荷山古墳がある「サキタマ(文字は埼玉)」は、割り切れないものを残していました。
 サイタマとサキタマは語源も意味も別のものだったのです。このことを知らずに「さいたま市」と名付けたか、それとも知って名付けたかでは、雲泥の文化差があります。
 ハナシは飛びますが、いま宇宙に飛んでいるロケットの基礎技術は、ナチスの技術者がベルリンにたむろしていたキチガイを集めて、言いたい放題を喋らせ、その言にじーっと耳を傾けたことから生まれたV-2ロケットにあると言われています。
 キチガイはいつの世にもいるものです。偉かったのは耳を傾けたオトコです。
 

 (7)
  ★ ナカヤマ(中山)道……1
 白村江の戦いで新羅・唐の連合群に破れた百済の要人3000名は、666年、物部の神官などの案内で富士山を見ながら関東に入植しました。当時関東には埼玉(サキタマ)古墳などもできていましたが、無尽蔵の荒野が広がっていて、入植の手を待っていたのでした。中央大和朝廷の要人たちは、関東に入植した人々のその後の暮らしぶりを案じていたはずです。
 当時20歳の百済びとの青年が60歳になって、そろそろひ孫もできようか……といった頃に、秩父から自然銅が出たのでした。 自然銅とは 銅の含有率が極めて高い石です。
 この慶事を利用して、近畿に鬱積していたガス抜きをやらかそうとしたのでしょう。
 多くのカニシ(金属製錬士)のむれが「シバ川」のほとりの小高い地帯にズラリとヤマ(集まり)を作ったあとが、地名……主に“市”となって残っています。まさに地名は遺跡です。
 * シバ川のシバは芝原さんのシバ……シバ神のシバ。“くに作り”ということですが、これが秩父と同じ意味でした。
 御存じ、出雲の人々は沖縄と深い文化的かかわりを持っていてヅーヅー弁です。
 その出雲の人々が「ツツブ・ヒコ」と発音するのを聞いた新政権の官僚が「こりゃチチブがほんとうだろう」と、勝手に言い直したのが「秩父」となったまで。
 ネパール語 ; tutu が破壊 ub- が生む、創造で、「破壊と創造」……シバ神の精神です。
 * ヤマはおしまいに “t” という音が口の中にのこる ネパール語の jamat(集まり・集会)です。
 小生は「邪馬台」はこの jamat が基本で、九州も近畿も倭人系の豪族による話し合いの「連合政権」だと見ています。
 * 日本語の「山」を構成した因子は二つの起源を辿れます。一つは前氷河期以前からのものではないかと推測される jan です。意味は山とも森ともなったことでしょう。富山の東北、能登半島にトヤン高原があって、沖縄にはヤンバル(くひな)があります。jan (山)はレプチャ語に残っています。
 この jan を基礎として、カニシ〜シシミの集会場が奥山だったことから「ヤ・マ」が定着したのでしたが、そのこころは「ya(神)・目(ま)」であって、人間の暮らしを高いところから睨む“見えない目”だったわけです。
 

(8)
★ ナカヤマ(中山)道……2
  ナカヤマ道はいまナカセンドウと発音されています。埼玉県だけでなくあちこちに 中山道があります。ナカヤマの「ヤマ」はすでに触れましたが、「ナカ」とは何でしょ う。ここを説明するには「アマ」を説明しなければなりません。
 ネパール語には「ア」と「オ」の中間母音があります。これを表わすに“ a ”をひっくり返した活字を作ってこれを打ち込んでいます。しかし小生は言語比較の視野 でみています。 “ひっくりかえった a ” は日本語にリフレクトされるときには“a” になるはずですので、小生は無視して“a”一本で通しています。
 ネパール語の空は sagar で、大洋は sagar といいます。「なんだ同じじゃないか」と思われるでしょうが、大洋の sagar のs の次の a がひっくり返らないだけで、あと三つのa はひっくり返った a なんです。……つまるところ、やっぱ同じじゃないかが、正鵠を得ているわけです。すなわち、この語彙ができた頃のネパール人にとっては空と海が同じなんです。
 一方、ネパール語には akas (そら)という同義語があることは注目すべき事象です。akha は目なんです。
 ところで、アイヌ語の日月(san・moon ともに)は chup ですが、アイヌ語の chu とは「水旅」です。おおぞらを水旅して渡りゆく p(もの)が月や陽で、そこには海の連続として大空が考えられていた……という事実を謂っています。
 日本語のアマは海でもあり、空でもあります。
 これは「 a(大きな) ma(目)」と「 a(反・非・不・否)ma(目)」の二つの語源と意味が出ます。大きな目は日月のことで、後世に「馬に乗った高官」の意味にも転じました。「反・目」は「目にはよく見えない場所」の意味でしょう。
 月も太陽も星も海から出てきて空を渡っている……。どこでどうなってるか「よくはワカラン」というのが「海=空」=アマの基本です。
 科学が進んで、地球が丸いことが判って海のアマはアマではなくなりましたが、120億光年から先の空間は、人間の実存状況にとって、いよいよアマであることがハッキリしてきました。
 

(9)
★ ナカヤマ道……3
 よくはワカラン空間の対極にあるものが“なんとか目で見える” N+akha すなわち「ナカ」だと思われます。
ku , khu の基本は sex に端を発した金属製錬の「窯焼き」です。窯焼きこそその地方の文化の中枢地です。-ni , in は世界語として「○○すること」「○○周辺事」を意味して、英語の-ing などにもなっています。「國」とは「金属製錬・周辺事」です。
 で、「くに」という概念が固まる直前までは「ナカ」が現在の「くに」のように使われました。ハッキリした語形を思いだせずにザンネン、失礼なんですが naka には「町、町並み」の意味もあります。
ですから「ナカヤマ」は或いは「国家プロジェクト(としての)町並み」という意味までがあった可能性が高いわけです。
 ここで朝鮮語の naka (水辺)に触れないわけにはまいりません。那珂川、中川は沖縄まであって、全国の一級河川にその名がつけられています。小さな「ナカ川」は東北に二ヶ見られるだけです。……ということは、朝鮮半島から大量の移民があったことが察せられるにもかかわらず、彼等移民は自らの言葉で地名をつける力がなかったことを物語っている……のではないでしょうか? 那珂川などは「くに」単位、すなわちカニシ(金属製錬士)の勢力範囲を写した大地域……を流れる川だったことを謂っていると思われます。
 ナカヤマにはミョウなことばが付着しています。「サヨのナカヤマ雨がふる」の「サヨ」です。「sait(吉兆)の o (神)」とか「吉兆の lo(炉)」だと思えるのですが、傍証の資料にこと欠いています。
 
 

(10)
★ ナカヤマ道……4 
 これから中山道にズラリ居並ぶネパール系各種カニシが残した地名を具体的に列挙しましょう。いずれも埼玉県です。
* 鹿島台……現在の埼玉県庁所在地の旧い字名です。アイヌ語に atui sik kasima kamui (海難よけの神)ということばが残っていました。atui =海 sik=眼 kamui=神 これらを差し引くと kamima =警護(する) が残ります。
  鹿島という地名はあちこちにありますが、いずれも「鹿」・「島」の漢字を用いていて、「河岸・摩」などという漢字はありません。これなどは、日本列島に君臨した支配階級の横の連結の強さを感じさせます。
  鹿島はネパール語固有とはいえません。ネパール語も広域東南アジア諸語も casma は「メガネ」です。しかし、「なぁ〜んだ」というまえにトルコ〜イラン地方のガラス……特に望遠鏡開発の古さを知らねばなりません。実は、小生も知らないのですが、とんでもないケイ砂⇒ガラスの歴史があることだけはハッキリしています。
 ネパール語に akasmat(だしぬけに)があります。「警護の隙を衝かれた」と分析できます。
 浦和県庁のあるところは、高台です。ここから舟の航行の安全を警護したのですから、荒川が氾濫をくりかえしたりしたとき或いは、縄文海退以前のとき……の時間帯が浮上します。
* 浦和……すなおに分析すれば「ura(竜)wa(人)」ですが、上の縄文海退のことを考えると「浦曲」の“海辺”かもしれません。
  謡曲・羽衣にいわく……√風早の 三保の浦曲を漕ぐ舟の 浦びと騒ぐ波路かなァ〜〜 これはこの浦曲に住まいもうす白竜と申す漁夫にてそうろう。一朗の明月に雨からりと晴れ イサナ(漁)をばせんと存じてそうろう。

 あ、やっぱこりゃイカンわ。ズラリ 中山道を説明するにはその前に(1)で言った「鳥文化……偏執」を先に説明する必要がありました。
 

(11)
★ ナカヤマ道……5
 よくはわからない妙な空間のアマに漂うヒ(陽)はイノチ子を光の形で降らせ、このナカはイノチ子で充満しています。光こそイノチの元だったのでした。
 そのアマとナカをとりもつのが鳥です。古代ではどこの文明でも鳥を神様にしています。地上絵で有名なナスカと「飛鳥」は語源が同じではないでしょうか。少なくとも ka(鳥)が共通です。前方後円墳も鳥や太陽に見せる図形でしょう。
 真っ暗なうちから夜明けを察知して騒ぐカラスは、光を呼び込むいのち神として鳥のなかでも特別に重要視されました。多くの氏族社会で太陽のなかにはカラスが棲んでいるというのはこれです。ネパール語でカラスは kag とkawwa があります。 kawwaは渡り鳥からでた旅鴉ですが, kag こそは日本語「かぎろひ」「輝く」と同根で、天の香具山はこれでしょう。
 光の神は kag-o となるはずです。「天地神明に誓って……」といいますが、この場合の神の光とはカラスなので、重要な誓約書、血盟書は図案化されたカラスの絵で飾られています。
 ことばが発達してくると、その発達したことばで、人は「光の子=イノチ子」からはなれた「魂」という概念を創れるようになります。万象のなかに潜在し満ちみちているイノチが a , aki , saki で、自我意識を持つことができる人間……になろうとしている個体がミズコ、みどり子、少し大きくなった個体はわらべ(ネパール語*bala=子供)……のように言い分けられています。
 で 、この個体に魂を運んでくるのも鳥で、御存じ「こうのとり」がその代表です。
どこから運んでくるのか……、答えはアマだったはずです。
 日本にはこのカラスを写した黒系カニシがまず来て、次に朝鮮系らしい白鳥系カニシが来ました。
 

(12)
★ なかやま道……6
道祖土………浦和市内字名 読みは「サイド」。このまま読めばドーソド / ネパール語
      dosadh(国境近くの土地)。dos- とは咎め立てするの意。adh は古代日本語
      から逆読みすると「大鳥」。adhoはネパール語で「めくら」。
      当時の出外れのこの地にサイの神が立てられたことを物語っている。佐
      渡、土佐、十三湖などと同根。
氷川…………武蔵一宮。ヒ=火、霊、刀(pi). ka (の)wa(人)。kawwa(カラス)を内包。
      氷川さまは黒系カニシですから、さいたまを「彩のくに」などと茶化すのは悪
      ふざけもいいとこです。
櫛引町………大宮市内。khu(窯焼き)si(人)の「ヒオキ」。ヒは上述。okw=眼。
     ただし okw は印欧語ですが、ネパール語ではありません。外からは見
     えない、見る器官……の眼。これが「隻眼」や「めくら」の偏執を呼び込みました。
      「ヒオキ」は「ヘキ(佐伯など)」「ヒキ(比企・蛙)」に訛ります。/
新羅初代王・ヒョッコセ
櫻木町………大宮、熊谷駅の西に二つの桜木。chakra(王) ki(地)。王族も来て
      いたのでしょう。秩父市内に大野原。
上尾市………agena , agana(炉) o(神・丘)
桶川市………okw(眼)+-ai 以後 ka(の)wa(人)の説明は省略します。
北本市………「ヒ」+ ta(神・人) モト=mo(幸い、くに、50人組み)to(人 >
      ta)  京都に北野天神ができたあと、ヒタはキタへと音転した。意味は変わらない。
押上げ………行田市内、ナカヤマ・ラインの上に位置する。ウシ⇒オシ age(炉)
ナリタ………行田市の旧い呼称。「行」と書いて「ナリ」と読ませた偏屈から「ギョ
      ウダ」が定着した……らしい。水源といえば降水だけ。いつもシバ川は渇水状態。
      ここに nali (水道管・噴水)を埋設して利根川の水を引き込んだのでは?
      行田市役所横の広い池のレベル(水準)は何で決まっているのでしょう。
いちど発掘調査の必要あり。
 

(13)
★ なかやま道……7
鴻巣市………コウノトリに懸けて khu(窯焼き)o(神)の si(人).。ヅーヅー弁。
         いまでも岩槻の在はヅーヅー弁です。
熊谷市………クマル(童〜少年神)ya (人・神・屋)。熊野と同じ。
深谷市………bukhar(熱)屋 鍛治屋の別表現か。
篭原駅………kag *bala 
寄居町………山地と平野部の中継地らしい。 jor-(繋ぐ)
玉淀…………寄居町字名 tama(銅)yo(<yu(ユ))do(処)。ここの河原に
         岩盤をくりぬいてユ(溶けた銅)を流し込んだ孔が残っている。
川越市………川を越えたところかもしれない。が、kawwa ko(の)e(貴人)。
木毛 ………自然銅発見の土地。ki(土地神)pau-(みつけて自分のものにする)、
mauka(チャンス)。これはもしかしたら
      「希望」と懸けているかもしれません。 鉱脈捜しに関係が深いと言わ
      れている朝比奈グループの asa はネパール語で「希望」という意味です。

 ようやくナカヤマ道が終わりました。いろいろ述べましたが、すでに諸賢は「オオ
クニヌシノミコト」の分析ができるようになっておられます。
 さて、いよいよ、ダイコクさんとかオオナムチなどの別名へ移って、当ラクガキの
メイン・テーマの「柱」へ挑みましょう。
 

(14)
 大国様の別名に「オオナムチ」がありますので、これを分析します。
 「オオナ」は定説どおり「おおきな土地」で良いでしょう。モンダイは「ムチ」です。古代語……とくに日本語のように国家形成時に言語に混成がおこった「氏族⇒民族」では、多くの懸詞(かけことば)がウケています。
 小生もいい加減にイヤになるのですが、これまでなんべんもありましたように、一つのことを説明するためには、「説明に数行〜場合によっては数十行を要する前提となる概念」を理解していただかねばならないこと……が、次から次に続くのです。
 今回は「日本に上陸したネパール語系文化(小生が古語にみつけたネパール語)と現在カトマンズで喋られているネパール語との関係」です。小生が見ている辞書はネパールの主都、カトマンズで喋られている公用のネパール語です。
 今、ネパールには36のネパール系言語があると言われています。春日部市で医者をしている T さんは、ネパールののザイのご出身ですが、「カトマンズの言葉は通じない」と言っておられます。
 普通の感覚でこれを判断すると、恐らくは、4つ〜5つのグループに締めくくられ、それら一つひとつは数万年前に分派した……という関係にあるものでしょう。
 日本語にまぎれこんだネパール系言語集団(支配階級)も、それら4つ〜5つのうちの一つと看做せばいいのではないでしょうか。われわれの先祖の一部となったネパール系カニシが喋っていたネパール語は、今のところ 方法的に同一だと見るよりほかに手段がないのです。ここをわきまえて作業を進めなければなりません。
 

(15)
 「ムチ」については、従来の学者は「偉い人への尊称」という最大公約数でニゲを打ってきました。語形から言って、意味はそうしかなりませんが、語源が提示できます。山下清さんが好きな「おむすび」の語源の muc-(ひと握り)から「掌握・管掌」の概念へ発達した muc-i (人)だろうと小生は見ています。
   もうひとつ考えられます。長崎県江迎町や青森県七戸町のムカイは「顔役」だと思えるのですがそれは、ネパール語 mukh が「顔」だからです。この日本語リフレクト形はムクで、これに上の i がつくと ムキになります。これが沖縄訛りが加わると“キチガイ音転”で、ムチとなるのです。mukh はフィリピン・タガログ語ではムカとなっています。

 さて、お待たせ。ダイコク様です。だが、またまた「前提事項」……なんです。
それは、カニシ(金属製錬士)がそれまでの血族集団ではなく、職業を中心とした寄せ集めの集団であることからおこる当然の現象なんですが……。
 どういうことかと言いますと、カニシが働くところ必ず、生産性があがり、窯場を中心にした広域社会が実現します。国家形成直前の一般氏族は不退転の固有の(クセだらけの)神を持っています。この神が邪魔して異なった氏族から来た者のあいだには会話が成立しないのです。
 カニシ・グループごとの長(ムラゲ)が、頭をひねって考えたかどうか……ですが、結果は同じような方策が採られて、「神の代理作用」をする“狂執”が出現したのでした。
 

(16)
 すなわち、各種の氏族が崇拝してきた神……を構成している要素をバラバラにバラした結果となり、カミナリ、大風、めくら、童神、などなどを各個撃破(?)式に特別な執念を燃やす習慣ができ、おしまいに日本の場合は『天目一箇神(アマノマヒトツ)』という“合同カニシ神”の完成をみました。
 更に、カニシ以外でも「日本人なら誰でも来い」のスサノオ神が出て *Matr の完成とともに陸上での統一国家ができあがったのでした。そして更にさらに、九州〜瀬戸内の海賊部隊との合同の神としてオオヤマツミが確立されて、地域的に完全な統一国家のていさいを遂げたのでした。
 上に「カミナリなどへ特別な執念を燃やす」と書きましたが、小生はその対象群を“カニシの狂執”と呼んでいます。
 カニシの狂執はワンサとあります。カミナリ、大風、眼、めくら、片目、童神のほか………耳、鼻、唖(おし)、小人、一本足(三本足のカラス)、つの、竜、梟、鴉、白鳥、大鳥、鏡、刀剣、などを挙げることができますが、これに『鎚・柱・黒色』もあります。『鎚・柱・黒色』は大国様固有のものではありませんが、あとで分析してみましょう。
   このような、具体的な「人格・神格」に関係のないイノチ子みたいな自然事象の神が輩出したあとで、○○のミコト……のような「人格、神格神」が現れるのです。
 ですから、サラセッセが枚挙しておられる神々は、国家形成と密接な(同時進行型の)神と言えるのではないでしょうか。
 

(17)
 スリランカ(セイロン島)が荒れていると新聞が伝えています。こんな世界貿易の要衝の地では古い文化はなかなか残らないものです。その点、キャラバン隊などまったく通過しないヒマラヤ山麓のネパールは、いわば世界の僻地ですので、天然氷漬けにしたみたいに旧いものを温存します。
 日本は国家形成期に言語の大混成がありましたが、幸いにもツングース語、ギリヤ−ク語、台湾諸語、ネパール語などの“3〜4の波”に洗われることが少なかった手段に拠って、古代開発が可能となったのです。
 下北半島恐山の東に「ヤゲン掘り」という谷があります。従来この渓谷の語源はヤゲン(徳川家康などが愛用した薬草摺り鉢)だとだと考えられてきましたが、これはインドの神様 yagan がそのまま取ってつけられた地名であることがわかります。岡山県津山のお城にも深い谷などまったくない「ヤゲン」があります。
 その下北の風間浦に易國間(イコクマ)川が流れ込んで海へ出ます。川ですので、このイコクマの「マ」は印欧語と共通の ma(水・川)だと思われます。そしてこの「イコクマ」のik-okw こそ大黒様の語源を解く重要な鍵なんです。
 これも奥山も奥山、大山奥の秋山郷。 gau は「村」です。ここには地名学者を泣かせたケットー、ケッチョーラの地名がありますが、これもネパール語の畑地、畑作人の謂いです。
ここは夏でも寒い高地ですが、人々は夜間にはふとんもなしで、筒そでのふだん着のまま炉のまわりに寝転び、一本の大きな丸太を燃やしながらやすむ……という記録が残っています。
 一本の丸太と、その木の火が夜の安全を casma するわけです。
 

(18)
 ik は半世界語の ek(1)が日本語へリフレクトした形です。 okw は前にのべた眼。
 ikoku 間 とは「ひとつ目川」でした。ひとつ目川……といっても、もう諸賢はびっくりはされないはず。“前提事項解説”の効き目です。カニシがこの川の名をつけたのです。
 dad がネパール語で「柱・棒」です。 dad の末尾の d は口内音として残りますので日本人がまねすると「ダ」です。柱そのものが神様ですので、語頭に立つことができます。この da に ikok がついたのが……;ドンピシャ! 
 「ダイコク」は「大きい黒・大きい國」ともかきますので、殆どの日本人は漢字に惑わされて、黒とか國に大黒様の神髄が込められている……と判断するのでしょうが、黒とか國はあとから付着した符会にすぎません。
 シナ音の國はクオで、朝鮮語もクといっています。「くに」は窯焼きの khu に niを基本としてできたことは申し上げました。その「くに」が日本社会に定着するときに、シナ語や朝鮮語の影響はなかったとは言えません。しかし -ni がついている以上、-ni の前は動詞でなければなりません。もし100%、シナ、朝鮮の ku が日本語の“國”を決定したのなら、nation をあらわす日本語は「クナ」か「クネ」だった筈です。
(クナシリノクナは英語のcorner の隅っこというネパール語ですのでお間違いないよう)。
 この“國”を「コク」と発音するようになった動機こそ da-ik-ok で、それをそうさせた決定的要因が「大きい黒」だったのでした。
 なぜかといいますと、インドには「黒い石そのもの」が神様……という古い精神的伝統があるのです。弘前市の東には「黒石市」があります。その神の名は salingar といいます。
 

(19)
 裏日本……といえば、山“陰”を連想してなんだか暗いイメージがつきまといますが、太古の日本海沿岸はいわば表日本でした。この文化地帯に巨木の遺跡が連なっています。
 はしら……はしらは神様が何体いらっしゃるかを数えるときの数詞です。柱そのものが神様でした。敗戦直前、神風特別攻撃隊は日本を守る「人柱」といわれました。
 ネパール文化のなかでも、柱は何千年前かは割りだすことはできませんが、、当然にも十分な評価を得ていました。ヨーロッパ諸国でも、たとえばイギリスでは Maypole のように各地で柱を立てることが一種の宗教行事としてとり行われました。……なぜか?
 それは起源的にはアマとナカを取りもつ鳥についての考えが底辺にあったのですが、ここにはもうひとつ、天から「いいもの」を人類のために盗んで逃げてきた「バケモノ」の伝説が絡んでいたと思われます。
 アイヌ出身でアイヌ語学者の知里真志保は「アイヌ語 san は“浜へ出る”と訳さなければならない」と、くどいほど言い続けたのでしたが、これは、やっぱカンタンに「下る」でよかったのです。それも天上世界(アマ)から、いいもの盗んで落っこちる……という意味まで含んでいました。アイヌ語 san-pe は「バケモノ」なんです。pe は「者」です。
 その日本語の「バケモノ」とは、裏日本にズラリ並んでいる伝説の「アマミハギ」と同根で、これは「アマ神・bag(幸運)ーi(神)」から成り、男鹿半島の「ナマハゲ」とも同根でした。即ち、バケモノの起源は「bag-ai・もの」です。
 アマの領域から神も降りてくる……。今では高い山にはどこでも神は降りてくることなっていますが、2万年前、神が降りてくる山はカイラース山だけでした。
 

(20)
 カイラース山はインダス川の水源の一つです。インド西部のパンジャブから北上すると、すぐに道らしい道も人里も途絶え、それから二週間かけて歩いて行った先にあります。山容はあずま屋に似ていて屋根の部分はピラミットそっくりです。いや、ピラミットがこの山容を真似たのです。
 このとんがり屋根の山頂に、天上からまっすぐに“目にみえない”神の通路がおりてきている……。この通路こそ「ハシラ」で、ハシラはネパール語でできています。
 bas-は「坐る、泊まる、留まる、住む」です。
 「神が坐す」と書いて「います」と読む理由がハッと腑におちたことでしょう。
 旅籠(はたご)とは bas が hat と音転し、これに a( and )go(日本古語 ; たべもの)が加わったものでした(go は篭ではありません)。
 この通路の「 has-i (神)」に強調末尾辞の -ra がついたのがハシラです。語形の上からも「ハシラ=神」であることを確認して下さい。すなわち、ヨリシロに着いている神の姿がハシラです。
 南北朝時代に朝廷に不満をもった山伏の一団がヤマからハシラを担ぎだして、御所周辺をねり歩いたので、天皇もこれには大いにこころを悩ましたという 記事があります。当時は天皇も庶民もハシラのなんたるかを知っていたのです。
 dad (柱・棒)の別語に danndi があります。これに li (人・神)が着いたのがダンジリです。 正式にはダンジリ祭りは最近復活したらしいのですが、それまでは綱引きのように「棒倒し」みたいな素朴な村びとの神事だったのではないでしょうか。
 

(21)
★ シナという呼称
 小生は瀬戸内の中国ではない中国をシナ、韓国というべきを朝鮮と言っています。これには“蔑称”ではないかという常識派からの質問が考えられますので、ここにホントーの歴史認識というものを披露しておきます。
 さきに述べたパンジャブ(五河)地方ではコメを cin とよんでいます。コメにはジャポニカとインディカの二種があるそうですが、その細かい分布は知りません。ただ、逝江省では1万年前から米の栽培がなされ、品種改良もすすんでいたことが確認されています。この cin は、コメがシナからもたらされたものであることを雄弁に説明しています。
 日本でも伊勢皇大神宮ではミシネのミクラ(米倉)のように、コメをシネを発音していたのです。でもシネは「死ね」に通じ、語頭の S 音はただの強調接頭辞ですので、そこから日本語のイネという語彙が生まれたのでした。
 今の学者さんたちに訊いても、だぁれもコメの語源なんざァ知っちゃぁいねぇ〜イヨッ。
 ただ一つ、ホネのあるのは川崎真治さんの『ギニュエン(イネのシナ音)⇒イネ』説があって、これは 沖縄の知念、鹿児島のチランに似ています。オーストラリア・アボリジニ−にも類似語彙があります。
 この cin が「チナ」と開音し、イギリス人の世界貿易によって「チャイナ」となって広まった……。そのチナの段階の呼称が日本に入ってきたまでです。
 次からつぎに王朝が遷り変わるシナは、どれがホントーの「中華人民共和国」なのかがわかりません。そんなことよりも、コメの原産地をもって地域名にしたいものです。
 シンタロさんのシナ呼称の正当性、依而如件。
 それでも蔑称を意識なさるのなら「チネ」あたりもいいのではないでしょうか。
 

(22)
★ 朝鮮という呼称
 元王朝が亡びたとき、旧支配階級のモンゴル族は原郷の草原をめざして逃げました。
これを追いかけて行って戻ってきた李成桂は高麗を倒して新しい李王朝を樹立しました。
 ここに新しい国名が必要となったので 、二つの候補名を用意して「できることなら朝鮮という国名にしてください」と、シナの明に願い出て、これが許されて朝鮮の国名が決定されたのでした。
 そういういきさつでしたので、“蔑称”などとはアチャラカ議論で、朝鮮は天下晴れての、自分で選んだレッキとした、立派な国名です。
 しかし、“韓国”が狙っている主張は霧島連峰、高千穂の最高峰・「韓国(カラクニ)岳」のことを、彼等朝鮮人の美徳(言うて言うて言いまくる)で「おめぇら日本人は韓国の出先店みたいなもんじゃないか」を言って言って言いまくるつもり……らしいです。 
 たしかに……ヤマト朝廷の開祖のジンム天皇は高千穂の峰にアモ(アマ降)ったのち、東進して奈良を攻め落したことになっています。また、カラクニ岳山頂にはいつ、誰がやったのか巨大な銅製の「アマの逆さ鉾」が建てられています。この逆さ鉾について情報をお持ちの方は、どんなことでもかまいませんので、ぜひお教えください。
 しかし、沖縄の恩納村チャタンの里には「ジンムはこの井戸の水を飲んだ」とか「あの石に腰掛けて休んだ」などの具体的なうごきを描写した言い伝えが残っています。
 カラクニの「カラ」は朝鮮語の「刃物」でしょう。東進のまえに武器をイフキした場所が強い風が吹き付ける高山の頂きだったのでしょう。khu-ni の語源はすでにのべました。
 言語学では中華民国はシナ、韓国を含む同じ言葉を朝鮮語と言い習わしています。そうでないと不便なんです。
 

(23)
★ 打出の小鎚
 カニシの狂執のところで、「いろんな狂執の名前は、相互に入れ替わるという一種の法則みたいなものがある」ということについて説明するのを忘れました。特にカミナリはいろんな狂執間を跳梁しますので、覚えていてください。
 じつは鎚という日本語がそうなんです。
 俳句をやっている方はお解りですが、カミナリのことをハタタといいます。このごろは高級魚になりましたが、秋田名物のハタハタは魚篇に神とも書きますが、魚篇に雷とも書きます。
 米山さんにドンガラシャンガラが聞こえ始めるとこの魚がクキってやってくるのです。
 このハタタのおしまいの「タ」は神で、ハタタとは「ハタ神」のことで、ハタの起源が雷にあることがわかります。
 カニシが最初に鉱脈がありそうな山奥へ分け入るとき、用意する道具は極端にいうと金属の鎚一本です。あとは、木の皮や蛙、魚をたべて頑張ります。
 ネパール語 hatawdi は鎚で、ーwdi は道具を意味します。この hata が雷です。古代豪族の秦氏がやってきて、日本列島は秩序ある展開を見せるようになりました。トルコもハタミ首相が出ましたので安心して見ていられる國になるでしょう。
 秦氏はサラセッセの教えによりますと、八幡(ヤハタ)に関係の深い氏族だとのことです。 ヤハタの ya は神ですので、これは「ハタ神」ということです。この幡は織り物の機織(ハタ)を連想させますので、秦氏は織り物に秀でた氏族だろうと、一般には考えられています。しかし、秦氏の専門分野は軍団だったと思われます。
 日本語となった「旗」は直接的にはサンスクリット語 pata (旗)の借用ですが、その pataが 「旗」となるには、ネパール語領域での“もみ合いへし合い”があったのです。
 

(24)
★ 物部氏
 どんな“國”語も、その内部にいた数十の氏族語を呑み込んで成立していますので、当然にも、多くの同義語を抱えています。そして日頃あまり喋らない語彙はその社会ではわすれられて、同じ意味の語彙はおしまいには1ヶになります。
 ネパール語には旗を意味する単語は jhanda と dhwaja があります。
 古代の豪族はいずれも自らの武力が売り物です。王に仕えているうちにそれらの豪族に武力を中心とした連合も成立することでしょう。小生は物部とはそうした連合によってできあがった武力団だと見ています。
 その物部が掲げた旗印が三本足のカラス……ヤタ・ガラスのイラストではなかったでしょうか? jhanda の中央の n は infix で発声の助音なので jhanda は jyada となり、倭人はヤタ、またはヤダと発音するところとなります。小生が住んでいる太田窪の5丁目には矢田小学校があります。
 宮城県には桃生と書いて「モノウ」と読ませる郡・町があります。モモについては別の機会に詳しく述べますが、「50+50文化(偏執)」です。モノノベとは「百・神(オ)」が集まっていたことを匂わせています。
 ここで、諸賢にぜひ調査をお願いしたいことを訴えます。
 戦争中に流行った軍歌で、靖国神社だったか……の伴奏部分に歌詞をつけた唄らしいのですが、次の□□□□□□部分の欠落部分の歌詞を教えて欲しいのです。
 √ 咲いた櫻がおのこなら  気負うこころは  □□□□□□□ 
   征きて咲け 若桜  八紘一宇の八重ひとえ
 

(25)
★ 微調整 a シバ神とナナ文化
 生まれてはじめて、パソコン掲示板にシリずしちいやすが、あっしもだいぶ神経とかカンが生えちめぇりやした。
 じつァ、あっしゃまったくのキカイ・オンチにござんして、この打ち込みは毎回々々サラセッセにやっち貰うちいやす。
  シバ神は約2000の別名を持っていると言われています。……ということは、2000もの氏族が合同祭祀を余儀無くされたということでしょう。
 シバの精神は「破壊と創造」ですが、「シバそのものの語源は『3・4』だ」と川崎真治さんがあっしに喋ったことがありやした。3・4とは「3+3+4=10」だけでなく、ピタゴラスの直角を得ることもできます。恐らくは本当でしょう。
   日本語のナナがが高句麗語と殆ど同じであることは、はやくから指摘されていました。  シナという異質(音声)言語圏をとりまく諸語には、みごとに nan〜nana が広がっていて、この数詞の一致は前氷河期に赤道周辺にいた氏族間に発達していた貿易状況を写していると思われます。氏族間貿易が廃れたあと、nan〜nana は「多くの」という形容詞になっているところも多くみられます。ネパール語もその一つです。
 すでに見たように、日本にも神様を言い表す短い語形での多くの“神詞”がありました。さきに ki , mi , i , o , などを挙げておきましたが、このほかにも oo , hi , ya , li などもありそうです。そしてその“神詞”はインドまる写しで「ひと」でもあります。
 

(26)
★ 神 a カミ概念

 そういう次第で、オオクニとかオオヤマツミの「オオ・大」は「神」という意味だと見たほうが良いようです。  
たしかに、縄文末期〜弥生期の人間の意識には神様が占める領域がメチャクチャに広いのですが、かといって、なんでもかんでも神だとか、神意の発動だとかで解釈する態度は危険きわまりない。トラ(ネパール語 ; 恐ろしいもの)さんではないが「それ(神)を言っちゃぁおしまいよ」……で、一網打尽。踏んではならないウンコまで踏んづけて、それに気がつかないといった状況となります。  
人類が多神教から一神教へ辿る趨勢が強いのは、言語が発達してきて、それがまた大脳機能ともマッチするからです。宇宙にアマがあるかぎり。言葉が従来のままであるかぎり、だぁれも神などという概念についてはペチャクチャと 喋べくりはできないメカとなっていることを“人類規模で”確認する必要があります。喋べくり教はまちがい、シシミ的傾向が正しいのでアリマス。詳しくは『言葉の限界』(www.you-i.org) をどうぞ。  
ところで、日本の「カミ」には God のほかに、仕事人という意味があります。電車の無賃乗車を薩摩のカミというのは、タダノリさんに懸けたことばです。 この薩摩守の「カミ」はネパール語の kam(仕事)に i (人)がついた語形です。  
出雲だけがカミアリ月、ほかの地域はカミ無し月……というのは、今ように言うとスーパーマー・ケットのフロアー・マスターさんたちが年に1回、本店で kamiti( 委員会=英語 ; commitee)をやる月だったわけです。  
軍は草取り耕作、種まきの農作業には向きません。また、大人数を食わせるにはサンナイ丸山のように交易でしか成り立ちません。この交易権を奪取したのが「國譲り」でした。
 

(27)
★ 鎚の語源

 www.kamnavi.net から逃げ出して河岸ィ換えやした。自分のホペで流すのがスジってぇもんでげしょうが、あっしゃ「転送」がでけんとですたい。
そげなんわけで、26以下は「かんなび」ごらんくだせぇ。
 そげなんわけで、hatawdi のhata が雷⇒鎚となったが、鎚の誕生秘話をこれから……。
 日本語の「鎚」の周辺を見渡すと、関連を示す語彙は「イカズチ」しかない。このイカズチは i kad chi ……「i(神)kad(雷)chi(霊・刀)」でドンピシャ。chi は pi でもあって火・陽も内包する。ika-duchi ではないのでこのイカヅチは本来 ika-duti にバラすことはできないはずだが、そこは混成言語のアサマカサ。アイヌ語 ika(跳梁する)や鎚の派生語を生んだ。i-kad-ci を半分にチョン切ったのは類似発音の tutu(破壊)だろう。
 伝説のまぼろしの生き物……ツチノコは、もう捜さなくても、腑に落ちたこったろう。
 kad ち言いいきらん朝鮮人はkai (雷神)を造語した。kad-i(神)は鍛冶、加持祈祷などの普通名詞となった。
 博多の飯倉タクシーで名を売ったKTGグループのトップがヨカオトコの加地とっしゃん。
 博多のi- tutuーya(ネパール語 ; =日本語の“屋”)ではオオヤマツミの名を継承している大山たかっしゃんが頑張ってござる。やっぱ、こいつら、先祖が食うた食い物がチョー・ヨカったっちゃねーだろーか。
 博多には「筒井さん」という美人がいた。スパッと目鼻立ちの整ったゲルマン人みたいな美人だった。今、生きていたら……あ、もう60のババァだ。
 

(28)
★ 足を切ってもらうこと

  kat は世界語……英語のでは cut。ネパール語で 材木はkath と謂う。man も 世界語で「心」、mandir はヒンズー教の寺。「材木・寺」の合成でできたのがカトマンズ(ネパールの主都)だが、「カトマンズとは一本の木で支えられた寺という意味である」が語り伝えられている。これにはワケがあった。katau- という語彙があってこれは「差し引くこと・切ってもらうこと」という kat がらみのミョーな意味を持っている。
 今でも山の神から柱をいただくときには「この木を柱(神)にさせてください」と希望するシルシとして、神官がオンドリ・マークを背に刻んだ鋸(のこ)をその木に打ち込む。光を呼び込むカラスではなく、光あふれる朝を謳いあげる鳥のニワトリだった。これも世界中のカニシの習わしだった。そのあと、神(となる)木の足を切る。
 人間も神の一部なのだが、足が二本もあるのはケシカラん。一本足こそ気高いのだ……この意識が世界じゅうを駆け回った。
 人類が傘というべんりな高級道具を作れる段階に入っても、この偏執(文化)は続いていた。大きな一つ目でベロを出しているおばけは一本足だ。大きなヒトツメ……これも、じつは kat の一種で、これは「欠けた、欠乏」を意味する。飢饉をケガチ(東北)というのはこれ。
 katau- は日本では「加藤さん」になって定着した。
 遮光器土偶の足は殆どは切られた状態で出土している。
 先のサッカー・世界大会のシンボル・マークはオンドリだった。次のシンボル・マークは三本足のカラスである。それまでには、この意味を広く深く知らしめたいものである。
 

(29)
★  三本足

 「あいつァ言うこといっこうにきかん」……という場合のイッコウもネパール語的だ。コウは katau の-au である。へば(津軽弁)「いっ」とはナニか……。ネパール語では icc- となっているが、これなんざは 人間がお猿さんの段階から言い続けた咆哮語のひとつだろう。
 iss-au けんめい……なども同じで、シャカリのこと。igg の形をとったのが熊本イゴッソー。ikk- の形では「いっこく者」。
 この*icc-に似ているのに kitt がある。果たしてなんらかの意味をもった語頭の“k”なるものがありうるのかどうか……オラシラン。屹立の*kitt は極東に広く分布していて「まっすぐ立つ・キッと立つ」という意味である。精査すると世界語の位置を占めるのかもしれない。
 ひょこッとしたら北野天神あたりは kitt-ta か……。
 日本語のキ(木)はアイヌ語ではニ(木)となる。そのアイヌ語で屹立したチンポをニィッという。だらんと下がったチンポは「ノゥ」と、別語であらわす。
 イノチの源……チンポ崇拝。そのチンポは kitt でなければ“柱”ではない! 
 一本足の基本は天地を繋ぐ柱だったが、その柱概念を人体に例えた。背骨こそ柱だが、その柱の神のエキスがイノチ子として屹立したチンポから奔り出る。

 コラッ(ネパール語で kora は鞭)「チンポだなんておゲレツね」と言うヤツはだれだ!
 アマゾンのジャングルにも、アフリカにも陰部をぜんぜん隠さない氏族がいる。陰部を隠すなどとは、片よった文明のありかたの一つにすぎねぇ。文化とは偏執ということである。
 ひとは「本来の居場所」から離れれば離れるほど、そこに「文化」を感じる。
 身体にイケナイからこそ、深酒やるし、タバコを吸う。バイクでカミナリをやる。
 

(30)
★ 柱と学級崩壊

 アマとナカをとりもつものには、日月、鳥、山頂、柱があった。山頂には目には見えない眼がついていて、頂きの真上に降りてきている目にはみえない柱が神のヨリシロだった。
 人間もまっすぐ背骨を立てれば神霊は神体に降りて来る……。
 この考えを見聞きして、現代人はウソだと決めつけるだろう。だが、ここには奇妙な真実がある。アゴを引き、背骨をまっすぐ立ててこころを静める時間帯を毎日1時間も持てば、内蔵神経関係の病気はよくなる。
 塾経営をしているわが友人の黒沼氏は、生徒の姿勢……とくに背骨をまっすぐ立てることをうるさく言って、学習効果を高めている。
 ある統計によれば、頬杖ついたような崩れた姿勢と、背骨をまっすぐ立てたときの姿勢では、記憶量が1,6〜1,8倍もの違いを得られるという。
 日本人は正座できる。今なら正座の習慣をとり戻すことができる。
 不登校の子供には、正座、瞑想をさせて自分という現象を見つめさせてはどうだろうか。
 イスの上に立ち上がって騒ぐ子供は写真を撮って、親に1回なんぼの罰金を払わせたらどうだろうか。授業を始めるとき、5分間の黙想の習慣を作ったらどうだろうか。
 密教、修験道、ヨガなどでは人体の神経叢をチャクラと呼び、どこにどのようなチャクラがあるか、どう開発するかのノウハウを蓄積している。
 チャクラは元々は「王・座」だったが、これがサンスクリット語に入って「神のなかの王」となっていた。
 

(31)
★ 潜在モザイク語彙観

 これから大黒様に密着している袋をバラしにかかります。
 そのためにはホーホーと啼くフクロウをバラさねばなりませんが、そのためには言葉……語彙というものが、どのような側面を持っているのかについて、またまた“前提条件の解説”です。
 『衝撃のネパール語』の103ページで、小生は「潜在モザイク語彙観」という言葉を使いましたが、ここの説明がハチャメチャだったために、あの本の焦点がぼけてしまいました。
 小生は約10年間「へたに書きましょう」を合い言葉とした「ふだん記」の会員になっていました。そのお蔭で、想念を発表するクソ度胸だけができたのはよかったのですが、それをほかの人にスンナリと説明する技術のほうはサッパリできないままでした。
 でも、ひと様や世間さまの胸をお借りして、日頃のテーマをまとめると、その結果は自分の進歩を如実に把握できます。なにも書かなければ進歩は「変化」であり続けるのです。
 ひとは常に五つか六つのテーマを気にしながら生きているものです。それを原稿用紙でいうなら6〜8枚ぐらいにまとめるのです。その作業を続けたあと、3〜4ヶ月経ったところで読み返してみます。するとそのとき、未熟だった自分に気がつくと同時に“進歩している自分”にも気がつく……というメカになっています。
 『衝撃のネパール語』の原稿〆きりのあとも、小生はあちこちのご仁の胸をお借りして、湧きつづける想念をまとめてきました。
 ここ1年間ぐらいサラセッセのミムネを借りたのでしたが、サラセッセが提供してくれる資料が、これまた大飛躍を促進してくれたのでした。

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