青草談話室ログ平十五年 十月
2003.1
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[324] 銅鐸の面白さ!  角丸山 2003/10/30(Thu) 11:29 [Reply]
ぺギラさん

ありがとうございました。次第次第に、重要性がわかってきました。また質問させてもらいます。では。

[323] Re[317]: 銅鐸の面白さ!  ペギラ [Mail] 2003/10/30(Thu) 10:23 [Reply]
>ぺギラさんはこの辺、つまり、野洲と出雲の関係をどのように見ておられますか?

単純に銅鐸の中心地とか、生産基地とか、全然思っていません。
ただ、集められて埋納された。(この理由がわかりませんが。)

野洲にこだわってみえるようですが、
大型銅鐸を考えると、紀伊の近畿式もすばらしい!
推定や伝承の部類をあわせると数的には、滋賀県の近畿式と数量の差はない。
(あくまでも現在の研究結果から)
だから、近畿式の中心地が野洲だけとするのは間違いだと私は思います。

銅鐸は面白い!

[322] Re[311][308][307]: 脱線の償い  恋川亭 2003/10/29(Wed) 23:26 [Reply]
> 表示フォントの初期設定が、MS PゴシックやMS P明朝になっているのでしょうか。
> この「P」がプロポーショナルフォントの意味で、文字によって幅が変化するフォントです。

MS Pゴシックになっていました。設定を変えて、思ったように表示できました。
ありがとうございます。\(^^)/

[321] 古代へのアプローチ  角丸山 2003/10/29(Wed) 21:34 [Reply]
神奈備さん

それは時を越えたスナップショットというのか、すばらしい遺物ですね。そういう角度での見方は地元ならではの面もありましょうが、意識しておくべきなのですね。
(唐子鍵の渦巻きの屋根飾りなどは別の意味で失われた古代が現在に伝えられているのも貴重ですが。)


玄松子さん

貴重なアドバイスありがとうございます。刈谷俊介さんからサイン入りで買ったんですが、「まほろばの歌が聞こえる」などもフットワークに基づいて書かれており迫力
がありますね。あの人は年中バンで走っているって言ってました。

[320] Re[317]: 銅鐸の面白さ!  神奈備 2003/10/29(Wed) 19:00 [Reply]
 昔読んだ本で名前が思い出せないのですが、確か播磨方面だったと思いますが、土器ないし銅鐸の絵がある地域から見た山々の姿を描いたものと言うのか、絵と写真入りで見たような気がします。
土器は何処ででも作れたものでローカルな柄があるのは素直に納得できるのですが、さて銅鐸で地域色が濃厚にでていると言うことが実証できると、これは面白い発見になりますね

[319] Re[318]: ウダウダがなくて好都合  玄松子 2003/10/29(Wed) 17:12 [Reply]
> 著者の意図が三輪山祭祀を重要視しているのか、たんなる事例とした挙げたものなのかが文面からはうかがい知れず

「あの辺にもそうした山はあるのでは。」という発言は、
三輪山を「たんなる事例とした挙げたもの」と、角丸山さんが認識していることの表れですよね。
ですから、「あるのでは」ではなく、ご自身で探してみることを勧めました。


> それも知らぬままに積極的に調査に踏み切ることは自他共に推薦できません。

神奈備山の場所、神社の場所は、現地に行かなくても地図を見れば分かります。
現地に行くとしても、現地に行ったとしても、地図での確認は必要です。

[318] ウダウダがなくて好都合  角丸山 2003/10/29(Wed) 16:04 [Reply]
玄松子 さん、お勧めありがとうございます。

銅鐸(鋳型)設計者観測、山立て立地地点、大量埋納、出土、生産地について知る必要があると思います。荒神谷には行ったことがありますが、加茂岩倉、野洲等は未だです。ところで「古代渦巻文の謎」の主旨が銅鐸(鋳型)設計と三輪山をめぐるひし形の太陽運行図形を一切の説明無しに引用しているものであり、著者の意図が三輪山祭祀を重要視しているのか、たんなる事例とした挙げたものなのかが文面からはうかがい知れず、それも知らぬままに積極的に調査に踏み切ることは自他共に推薦できません。幸いにして情報を得ることができれば得たいというスタンスで参りたいとおもいます。今は銅鐸についての情報を集めることに専念します。



[317] 銅鐸の面白さ!  角丸山 2003/10/29(Wed) 15:37 [Reply]
ぺギラさん、貴重な情報ありがとうございました。

銅鐸の物質的面で野洲(夜臼共々湯臼=石製鋳型?=自説)が中心地的に思っていましたが、ソフト面では出雲に大きなウェイトがあるという感じを得ました。しかし、近畿、三遠の両方の重なる野洲方面にも時代的には出雲より古いかもしれない中核を感じます。ぺギラさんはこの辺、つまり、野洲と出雲の関係をどのように見ておられますか?

[316] Re[314]: ウダウダがなくて好都合  玄松子 2003/10/29(Wed) 15:18 [Reply]
> つまり、銅鐸(鋳型)設計者が神聖な呪術で四季の太陽出没点を観測し、山立てを行える要件です。

「あるのでは」ではなく、ご自身で探されてみてはどうでしょうか。
他の出土地(生産地?)に関しても。

[315] 銅鐸の面白さ!  ペギラ [Mail] 2003/10/29(Wed) 14:38 [Reply]
方位なんかの話は、ひさしさんのHPでいろいろと出ています。
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/index.html
特にこのあたりかな?
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/1999-2-2.html

久野邦雄さんの話も少し出ていますが、
「青銅器の考古学」では、銅鐸の成分や孔の数からの音響実験なども報告されています。

[314] ウダウダがなくて好都合  角丸山 2003/10/29(Wed) 14:18 [Reply]
玄松子さん、

はい、「あの辺」とは出雲のこと、「そうした山」とは周辺に菱形状の4つの重要な神社がある神奈備山、つまり、銅鐸(鋳型)設計者が神聖な呪術で四季の太陽出没点を観測し、山立てを行える要件です。

ぺギラさんのサイトのご紹介ありがとうございます。鏡、銅剣などが宮内庁の制約を受け、統計的にバイアスを発生させているのに銅鐸にはそれがないことの重要性にはじめて気づきましたが、兄弟銅鐸の関係には後世の(特に出雲関係の)神社の摂社、末社関係の先駆けを髣髴させるものがあり、はじめてですが、神社の起源、古墳の起源に迫るものとして非常な興味を覚えました。ありがとうございます。

[313] Re[312]: ウダウダがなくて好都合  玄松子 2003/10/29(Wed) 12:46 [Reply]
> >同じ緯度の土地に、三輪山や兵主や春日があるわけではないということです。出雲で出土した銅鐸は、三輪山から眺めた方位を表わしているとは考えにくいでしょう。
>
> あの辺にもそうした山はあるのでは。そもそもあの辺にそんな大型銅鐸はないのでは。

「あの辺」とは出雲のことでしょうか。
「そうした山」とは、どのような山でしょうか。周辺に菱形状の4つの重要な神社がある神奈備山ですか。

銅鐸の出土地とサイズに関しては、ペギラさんのサイトが詳しいです。
http://homepage1.nifty.com/moritaya/kodai.html

[312] ウダウダがなくて好都合  角丸山 2003/10/29(Wed) 12:13 [Reply]
玄松子 さん、

>原罪を背負うか

いいだしっぺで舌足らずだったからことが起こったんだからと言う意味、自責の念。

>そんな器用な見方で、本当に、「見える」のでしょうか。ダンボールかなにかで模型を作って試してみればわかるでしょうが。

理屈がその通りということ。鋳型製作者設計図のことで、型持ち兼用であり、「ジャー、見せてみろ」なんていう不遜な氏子には、見えにくいほうがウダウダがなくて好都合だったのかも。

>彼方の峰ですか。三輪山から麓の神社を見下ろすのではなかったのでしょうか。

失言。三輪山から麓が1方向、ヒキダを出発点とする2+2=4、合計5方向とも観測対象は峰でなくて神社です。

>同じ緯度の土地に、三輪山や兵主や春日があるわけではないということです。出雲で出土した銅鐸は、三輪山から眺めた方位を表わしているとは考えにくいでしょう。

あの辺にもそうした山はあるのでは。そもそもあの辺にそんな大型銅鐸はないのでは。

>ひょっとして、緯度の違う土地で出土された銅鐸の4穴が形成する角度は、緯度に依存した数字になっているという意味でしょうか。

理屈では、北極、南極、赤道ではそうならない。山東半島、遼東半島あたりの設計図を無修正で使用すれば多少の誤差が発生する。しかし、「見える銅鐸」は琵琶湖南部を中心に分布するのでしょうか(大体中国なんかにない、琵琶湖辺の特産物でしょう)、その辺で一回精密に作成した設計図というか、角度表を携帯し、各地で鋳造したか、琵琶湖南部あたりから現物を直送したかでしょう。こんなことその本には書いてありませんでしたが。

[311] Re[308][307]: 脱線の償い  玄松子 2003/10/29(Wed) 11:11 [Reply]
> 下記の略図、大分ずれてしまいましたね。スペースの使い方が良くなかったようです。

スペースと/のフォントの幅が違うので仕方ないですね。

表示フォントの初期設定が、MS PゴシックやMS P明朝になっているのでしょうか。
この「P」がプロポーショナルフォントの意味で、文字によって幅が変化するフォントです。

IEでご覧の方は、[ツール]→[インターネットオプション]で
表示フォントを、MSゴシックやMS明朝に変更すれば
カッコよく見ることができます。

[310] Re[309]: 原罪を背負うか  玄松子 2003/10/29(Wed) 11:04 [Reply]
タイトルは、どう意味でしょうか。

> 恋川亭さん、こんにちは。
> ずばりその通り。

そんな器用な見方で、本当に、「見える」のでしょうか。
ダンボールかなにかで模型を作って試してみればわかるでしょうが。

> 私見ですが、両眼を左右の孔の内のいずれかの孔の内一つにつけて覗く、(右で1回、左で1回)、
> その1回ごとに闇のかなたに2つの孔が見えるのでそれを通して更に彼方の峰を見る。

彼方の峰ですか。
三輪山から麓の神社を見下ろすのではなかったのでしょうか。


> >そもそも、銅鐸は三輪の特産品ではありません。他地方・他形状・他サイズの銅鐸はどうなるんだろうか。
>
> 詳しくは解らないが、上記の太陽の軌跡は地球上で同じ緯度にある地方ではほぼ同じと言うことが前提になっているのでは。

同じ緯度の土地に、三輪山や兵主や春日があるわけではないということです。
出雲で出土した銅鐸は、三輪山から眺めた方位を表わしているとは考えにくいでしょう。

ひょっとして、
緯度の違う土地で出土された銅鐸の4穴が形成する角度は、緯度に依存した数字になっているという意味でしょうか。

[309] 原罪を背負うか  角丸山 2003/10/29(Wed) 10:35 [Reply]
玄松子 さん、こんにちは。

>この「理屈」が未だにわかりません。銅鐸をどのように見るということなんだろうか。

私見ですが、両眼を左右の孔の内のいずれかの孔の内一つにつけて覗く、(右で1回、左で1回)、その1回ごとに闇のかなたに2つの孔が見えるのでそれを通して更に彼方の峰を見る。すると合計で4本の線があったことになる。だが、季節は違う。これは銅鐸(その鋳型)設計者の図面上の問題。銅鐸を設計する際に季節による太陽の軌跡を織り込む行為にこそ意義がある。(銅鐸の神秘性の呪術的検証に何らかの「鈴見」が行われたかもしれないが。)

>そもそも、銅鐸は三輪の特産品ではありません。他地方・他形状・他サイズの銅鐸はどうなるんだろうか。

詳しくは解らないが、上記の太陽の軌跡は地球上で同じ緯度にある地方ではほぼ同じと言うことが前提になっているのでは。

恋川亭さん、こんにちは。

ずばりその通り。

天動説が地動説に、ニュートンが相対性原理にというのか、主体をはっきりさせないととんでもないことになる。\(_ _)ところでこの図面ってアップロードするときにつるっと滑りますね。

[308] Re[307]: 脱線の償い  恋川亭 2003/10/29(Wed) 10:02 [Reply]
すいません。m(__)m
下記の略図、大分ずれてしまいましたね。スペースの使い方が良くなかったようです。
修正はきかないのでしょうか?

[307] 脱線の償い  恋川亭 2003/10/29(Wed) 09:58 [Reply]
銅鐸の孔があるところ・・・ペギラさんのご説明にあった

> 所謂銅鐸の上面に2個、身の上半に2個×2、下半の裾に2個×2・・・

のうち『身の上半に2個×2』という銅鐸前面の一番目立ち易い孔のところで、水平に輪切りにして、それを上から覗いたとします。下に略図、△が孔の位置です。

     _________
    / △     △ \
   /  C     D  \
 _/             \_
  \             /
   \           /
    \_________/
      △     △
      A     B

> 平行線・・・
 A→C、  B→D
> X型方向・・・
 A→D、  B→C
> 眼がロンパリ・・・2つの孔を交互に見る
 C←A→D、  C←B→D

と、こういうことではないか?と私は受け取ったのですが。
角丸山さん、異なっていればご指摘下さい。
それでも、ペギラさんの書かれているように、孔を覗いてさらに背面にある孔を通し向こうの景色を見るのは難しいだろうな〜と思います。

[306] Re[288]: ]銅鐸の孔  玄松子 2003/10/29(Wed) 09:23 [Reply]
話を戻しますよ。

> 平行線のほかに眼がロンパリになるように向こう側を斜視し、
> 2つの孔を交互に見ると理屈上は平行線の中にX型方向に前方左右の孔が
> 見えるでしょう。

この「理屈」が未だにわかりません。銅鐸をどのように見るということなんだろうか。

そもそも、銅鐸は三輪の特産品ではありません。他地方・他形状・他サイズの銅鐸はどうなるんだろうか。

[305] Re[304]: 夜明け前のウダウダ  恋川亭 2003/10/29(Wed) 01:41 [Reply]
ZOUさん、詳しい現地情報ありがとうございます。
現地の地形による(少なくとも)現代の様子はおっしゃるとおりですね。
はじめの角丸山さんのシンボルのお話しからは、かなり脱線してしまいましたねぇ。
んで調子に乗って、ローカル過ぎるネタですが、それ故に度々訪れることができない方々の為に、あえてバラしちゃうと・・・

> 西の春日神社は
> 現在の大鳥居ですら米粒ほどの大きさにしか見えませんから、山頂から春日神社を見ることはできるにしても、社殿を燃やすほどのかがり火でも焚かなければ確認しづらいでしょう。

三輪山頂から望めば、それこそ大和平野は一望なのですが、日が沈む方として印象的なのは二上山や葛城山方面の稜線でしょうね。どの季節にどの峰に入り日がかかるか。『ああ、この秋もあの峰に日が沈む頃合いになったナァ』というのが自然で普通の印象でしょうね。山頂から見る限り、平野のポイントよりはるかに判り易いですから。どうせなら、二上山を意識したいところです。

> 北の兵主神社は
> 「大和の原像」により、穴師山頂よりやや下の位置を想定しました。三輪山頂より70mほど標高の下がった(見下ろす)位置でしょう。目印さえあれば見えるかもしれません。火か煙ですね(;^_^A

現・兵主神社からでは、南側にある尾根筋を越えなければ見えませんね。テンノウザカと呼ばれる尾根筋をまたいで、さらにもう一つの小さな尾根筋に登ってはじめて、眼下に車谷があり檜原神社に向う道が見えて三輪山が望めます。このあたりは一面みかん畑なので今の季節にウロウロしていると怪しい奴と思われます。(このテンノウザカは「大和の原像」にあるような『天皇』ではなくてゴズ『天王』のことだと思います。兵主神社の境内にある天王社の位置からも、もとテンノウザカの方にあった社が移設されたのでしょう。)
ただし、元・兵主神社が穴師山山頂にあったか、または(幻の)『ゲシノオオダイラ』にあったとすると、三輪山頂から確認できたことでしょう。三輪山頂から穴師山山頂は十分確認できましたから。『ゲシノオオダイラ』はミカン畑の親爺の話しでは、穴師山山頂より南側におりた処のようです。今、辿るのは『まずもって無理やで』とのことです。
どうせなら、穴師山頂とか竜王山頂を意識したいところです。北東には巻向山頂も見えることですし〜。

> 東の秉田神社は
> 絶対に見えません。三輪山頂から真東にはもう一つのピークがあり、それを過ぎて巻向山東南斜面を下った場所に秉田神社が位置します。山の起伏からしても視認は不可能でしょう。このあたりは素浪人さんが通行されて、お詳しいかと思います。

そりゃそうですね、まずかの有名な?出雲地区の『ダンノダイラ』を越えて行かなければいけません。よく三輪山はきれいな円錐形と言われますが、初瀬川沿いに近鉄大阪線を乗られた方にはご存知のとおり、東側へ長い屏風のような山並みが続きます。大和平野からみた三輪山に限り、神奈備型の円錐形なのです。三輪山山頂から東側へは奥不動寺を過ぎてダンノダイラまで、ほぼ標高の変わらない尾根筋が続いています。白河の秉田神社を見るとすれば、三輪山頂から東へ2〜30分徒歩で移動して、ダンノダイラの磐座から東の斜面を望まなければなりません(それもまったく樹木が無いと仮定してのことです)。白河の秉田神社がダンノダイラの磐座への遥拝所とするなら面白いかもしれませんが、そのようなことはまだ聞いてないです。
どうせなら、白河の向こうの初瀬・天神山を意識したいところです。

> 南の玉列神社は
> 三輪山南斜面低部の起伏(等高線)が入り組んでいるので、視認は難しいと思います。

そうですね、ここはZOUさんがご注目の少し低いピーク、現・大神神社の拝殿が向っている台地がありますから、山頂からまっすぐ山麓の玉列神社が見えないのです。この台地から日の出が昇るというのは示唆的ですね。まったくの禁足地内部なので、ここに何があるのか無いのか判りません。しかし、ここが玉列神社の元社としたら???(嘘ですヨ)

このように、もし三輪山頂から現地に立った気持ちで考えるならば、歴史・時代を越えて誰でも注目したくなるようなポイントが見えることと思います。三輪山頂から大和平野が見えると言っても、実は山頂から少し下り始めなければ見えません。現在、山頂の社のあるところとか、磐座のあるところからは、大和平野(つまり芝の春日神社も)見えないのです。ですから山頂と言ってもかなり広い範囲で捉えてください。
以上、ウダウダと長くなりましたが、関西圏以外の方々にもご参考になればと思います。

[304] 夜明け前のウダウダ  ZOU 2003/10/28(Tue) 23:54 [Reply]
遅ればせながら、三輪ネタなら私もウダウダに混ぜてくださいませ(^。^)b
写真掲示板に何点か画像をUPさせていただきました。そちらをご参照くださいm(__)m

“A左”は九日社(桜井市芝の国津神社)から見た春分の日の出です。九日社と芝の春日神社は200mほどしか離れておらず、春日神社から見た春分の日の出も同じ光景ということができます。夜明け前にそのあたりをウロウロしてきましたσ(^_^;) 恋川亭さんが計算されたように、また神奈備さんがテキストで表現されたように(わかりやすいです)、山頂よりやや南側からの日の出が見られます。

ついでに多神社から見た春分の日の出が“A右”。やはりズレますね。

この他、箸中の国津神社からは、三輪山頂よりやや北側からの日の出が見られます。また、田原本町味間の須賀神社からの日の出も、カシミールで再現する限りでは山頂とのズレが見られます。というわけで、春分・秋分の日に限れば三輪山頂からの日の出が見られる神社というのは、今のところ確認できていません。


次に、三輪山頂を中心にした関連場所の配置が“B”。三輪山頂から見た場合、山頂や視線上の非常に広範囲に木々が伐採されていると仮定しますと・・・

西の春日神社は
現在の大鳥居ですら米粒ほどの大きさにしか見えませんから、山頂から春日神社を見ることはできるにしても、社殿を燃やすほどのかがり火でも焚かなければ確認しづらいでしょう。

北の兵主神社は
「大和の原像」により、穴師山頂よりやや下の位置を想定しました。三輪山頂より70mほど標高の下がった(見下ろす)位置でしょう。目印さえあれば見えるかもしれません。火か煙ですね(;^_^A

東の秉田神社は
絶対に見えません。三輪山頂から真東にはもう一つのピークがあり、それを過ぎて巻向山東南斜面を下った場所に秉田神社が位置します。山の起伏からしても視認は不可能でしょう。このあたりは素浪人さんが通行されて、お詳しいかと思います。

南の玉列神社は
三輪山南斜面低部の起伏(等高線)が入り組んでいるので、視認は難しいと思います。

これらの4つの神社は、三輪山頂上空から見ればキレイなひし形に並びますが、日の出日の入りの見え方や、ある点から他の場所はどう見えるかといったことになりますと、標高差や地形など複雑な要素が絡むのではないかと思います。銅鐸と結びつけることに異を唱えるペギラさんの意見に賛成!

[303] Re[302][301][300][299]: をゝ  恋川亭 2003/10/28(Tue) 23:33 [Reply]
> 多神社の摂社の須賀神社が多郷の味間に鎮座、北へ200mほどシフトしています。ここからは頂上から日の出がみられるそうです。須賀神社の前のお家は多神社の総代さん。

神戸では、初日の出を参拝にビーナスブリッヂ(諏訪山・・・仁徳天皇伝説、八田皇女ゆかりの離宮跡とか?)へ行くと、日が昇り始めるときに周囲の人々は一様に『おお・・・』と感動の言葉を洩らし拝みはじめ、『すがすが』しい気分で下山して行きます。多と須賀、こじつけでしたネ。
おあとがよろしいようで。<(__)>テケテンテン

[302] Re[301][300][299]: 標高差から誤差  神奈備 2003/10/28(Tue) 21:39 [Reply]
恋川亭さん ぼちぼちお願いしますね。
『日本の神々4』大和岩雄氏の記事をヒントに
多神社も三輪山の真西ですが、春分秋分の日の出は頂上から右によって出てくるそうです。多神社の摂社の須賀神社が多郷の味間に鎮座、北へ200mほどシフトしています。ここからは頂上から日の出がみられるそうです。須賀神社の前のお家は多神社の総代さん。

[301] Re[300][299]: 標高差から誤差  恋川亭 2003/10/28(Tue) 21:17 [Reply]
私儀、諸々の都合でひと夏、御無沙汰致しました。

> ところで、通行人Bさんは、神奈備掲示板の「通行人C」と同一人物なのだろうか。
> 紛らわしいので「通行人B]というハンドル、やめませんか。

失礼致しました。まだ常駐してレスを書き込める余裕があるか未定でしたし〜、また新たな源氏名も決めていないので『♪昔の名前で出ています』というわけにもいかず、通り掛かりの態で『通行人』とさせていただきました。・・・神奈備掲示板の「通行人C」も、その前の方のご投稿内容に思わずレスしちゃいました〜・・・という次第です。
とりあえず新たなHNを決めてから『ぼちぼち』ということで、お世話になりたく宜しくお願い申しあげます。m(__)m

[300] Re[299]: 標高差から誤差  玄松子 2003/10/28(Tue) 09:16 [Reply]
> おっしゃる通り、円錐ですと、南200mあたりでしょうね。

春分の日に春日社から見ると日出位置が山頂からズレるということは、
春日社よりもう少し北の位置から見ると、三輪山頂から日が昇るということですね。
古代の祭祀においては、その位置こそ重要な場所のように思えますが、
どのあたりになるのだろうか。

ところで、通行人Bさんは、神奈備掲示板の「通行人C」と同一人物なのだろうか。
紛らわしいので「通行人B]というハンドル、やめませんか。

[299] Re[297][296][295]: 標高差から誤差  神奈備 2003/10/28(Tue) 07:59 [Reply]
わかりやすく計算の解説、ありがとうございます。
感動的に景色を描写する抜群の能力に加えて、サインコサインも操るとは!!

おっしゃる通り、円錐ですと、南200mあたりでしょうね。
三輪山に近い所から見ますので、南西のでっぱりの台地(山のクズと里のクズの宴会場かとZOUさんが見た所)から出るように見えますね。

[298] 標高差から誤差  角丸山 2003/10/27(Mon) 20:20 [Reply]
通行人Bさんへ

下図の四隅を削除、直線をイメージしてください。
4箇所の矢印のみが原文にあるものです。(その他方向の観測はなし。)
    -----------兵主←-----
  ↓ | |
春日←------三輪山頂------ヒキダ
  ↑ | |
   -----------玉烈←------

[297] Re[296][295]: 標高差から誤差  通行人B 2003/10/27(Mon) 19:54 [Reply]
ア!ウダウダ書いているうちに済んじゃいましたねぇ。
以下、遅れてご参考にもなりませんが・・・、芝の春日神社から三輪山頂の春分、秋分の日の出を想像した話しです。


 三輪山山頂の緯度: 北緯34°31′55″(約34.53°)
 山頂の標高(海抜): 467.1m

 桜井市芝の春日神社の緯度: 三輪山頂にほぼ同じ、約90m(3″)ほど北?
 春日神社付近の海抜: 約70m

 地図でみた三輪山頂から春日神社までの直線距離: 約2650m

  春日神社から眺めた三輪山の単純化モデル:
   山頂までの高さ(標高差)約397m、
   (山頂からの垂線を下ろしたと仮想して、
    春日神社の海抜と同じ平面交点を仮にA点とします。
    そこから・・・)
   北(車谷方面)へ約850m、南(玉列方面)へ約1750m、
   約2.6kmの底辺を持つ三角形と見えます。(南側の稜線が緩やか)

 春日神社と三輪山頂がほぼ東西線上にあるとして、春日神社から見る春分・秋分の日の出は、真東の仮想地点Aから昇りはじめることになります。
 このA点は三輪山頂垂直の地下ですから、太陽が実際に山の稜線から姿をあらわすのは、山頂から少し南側の稜線上になるのでないでしょうか。
 日の出の角度、つまり地平線と太陽の動きがなす角度は、90°から緯度を引いた角度ですが、垂直(鉛直)線となす角度はそのまま緯度と同じです。三輪山付近では、太陽はA点から南に約34.53°傾いて昇ってきます。
 ラフな計算では、春日神社の位置から見ると、山頂から200m以上離れて昇るようなのですが・・・なにぶん計算方法に自信がありません。信じないで下さい。<(_?_)>


>このズレの要因は、標高、山の傾斜角度、山までの距離、観測点の緯度に依存しますが、「三輪山山頂を中心に兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社」を見るということなら、標高差も緯度も関係ないですよね。

『三輪山頂から見る』ということでは関係ないと思います。それに、やはり山頂からは、兵主、玉列、ヒキダの各神社は見えないです。
 横からウダウダと失礼致しました。m(__)m

[296] Re[295]: 標高差から誤差  玄松子 2003/10/27(Mon) 18:14 [Reply]
なかなか分かりやすい図ですね。このように分かりやすい説明だと話が早いですね。

>         ○
>
>    真東 ○
>
>    /\○
>   /  \
>  /    \
> /   ○  \
>
> 横から。
> 春分の日は真東から日が昇るとされます。
> しかし日が山頂に至る間に若干南んへずれます。恐らくはこのことを言われてるのではと推測。

このズレの要因は、標高、山の傾斜角度、山までの距離、観測点の緯度に依存しますが、
「三輪山山頂を中心に兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社」を見るということなら、
標高差も緯度も関係ないですよね。

[295] Re[294][293][290]: 標高差から誤差  神奈備 2003/10/27(Mon) 17:35 [Reply]
        ○

   真東 ○

   /\○
  /  \
 /    \
/   ○  \

横から。
春分の日は真東から日が昇るとされます。
しかし日が山頂に至る間に若干南んへずれます。恐らくはこのことを言われてるのではと推測。

[294] Re[293][290]: 宇陀宇陀  玄松子 2003/10/27(Mon) 11:26 [Reply]
> 以前、ZOUさんが、地図上で平面的に割り出しただけの配置と比べて、実際の現場においては標高差から誤差が発生するため、立体的に補正を加える必要性を指摘されていました。

この「標高差から誤差が発生」とはどういう意味でしょうか。
地球規模で考えると、方位の誤差は考えられます。たとえば、地球の裏側は真東であると同時に真北でもあります。ただ、これは標高差ではなく、地球が球体であること。また、範囲が数キロ程度なら無視できる量ではないかと思いますが。

[293] Re[290]: 宇陀宇陀  通行人B 2003/10/27(Mon) 01:59 [Reply]
角丸山さん、レス有難うございます。
以前、ZOUさんが、地図上で平面的に割り出しただけの配置と比べて、実際の現場においては標高差から誤差が発生するため、立体的に補正を加える必要性を指摘されていました。
日の出・日の入など天体観測の検証には、現場の緯度や地形は大切な要素ですね。

[292] 銅鐸の孔  角丸山 2003/10/26(Sun) 23:45 [Reply]
ペギラさん[291]参照。

力点がひし形、十字図形に置かれているところにあって、4社が唐突として
出てくるのですが、古代史全般の図形と言う背景がありますので、
勢いで神社が出てきたもののようです。しかし、神社の歴史についての言及はなく
現代的感覚で結びつけるのも無理があるかなとは思いますね。

[291] Re[288]: ]銅鐸の孔  ペギラ [Mail] 2003/10/26(Sun) 23:20 [Reply]
初めましてm(_ _)m

>平行線のほかに眼がロンパリになるように向こう側を斜視し、
>2つの孔を交互に見ると理屈上は平行線の中にX型方向に前方左右の孔が
>見えるでしょう。

2つの孔は見えることは間違いありませんが、
それぞれ、ほとんど点。
二つ同時に見えても、違う場所が見えるという程度。
上下に視界が動くことはない。銅鐸本体を動かさない限り。

別に説を否定することに重点をおいているわけではありませんが、
兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社が弥生時代から神聖な場所であったかも
しれませんが、
銅鐸と簡単に結びつけることは、どうかと思います。

神社の歴史は、イコール弥生時代の歴史ではない。


[290] 宇陀宇陀  角丸山 2003/10/26(Sun) 22:39 [Reply]
通行人Bさん、

三輪山山頂に設置して、夏至・冬至・秋分・春分の4回にわたり、実際に検証したとも、実物のレプリカがあるとも記述されていません。
山頂から見るのは春日神社の秋分/秋分・日の出/日の入のみとしています。
山頂と言うだけで何も詳述がないが、名前を挙げた神社なんか地図から割り出したとか、思考実験だとも言ってはいない。
他にも古墳、神社等の詳しい実測データが入っていますから、逆に記載されていないデータをお持ちなのかもしれません。
現場の考古学者の方々と論戦を張るのにはチョット弱いのかなー。

[289] 宇陀宇陀  通行人B 2003/10/26(Sun) 20:36 [Reply]
突然、横から失礼します。<(__)>
その本を読めば済むことなのでしょうが、通りすがりにとても気になったものですから、不躾ながらちょっとだけ割り込みさせて頂きます。

「古代渦巻文の謎」の著者の方は、件の銅鐸のレプリカを作製して、三輪山山頂に設置して、夏至・冬至・秋分・春分の4回にわたり、実際に検証されたと・・・その著書に記述されているのですか???
今度、銅鐸の精巧なレプリカがある所で覗いてみたい気がします。
それに、例として揚げられているという『三輪山山頂を中心に兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社』について、山頂のどの位置から、これらの4社が見えるのでしょうねえ???
たとえ樹木が無くとも、たぶん1地点で4社全部を見れる場所は難しいかと思いますが。
三輪山山頂に限って言えば、方角を識るのに銅鐸は不要です。大和平野を囲む青垣の山々が為す稜線だけで(土地の人々には)十分なはずです。現地へ行きましょう。

[288] ]銅鐸の孔  角丸山 2003/10/26(Sun) 18:39 [Reply]
287  ペギラ さん、はじめまして。

前略・・・「「型持の孔と呼ばれれるこの穴」は、決して大きなものではありません。
この穴から見える、別の穴の光景は、むちゃくちゃ、限られた視野。
極端な例えですが、ストローの穴から見る風景のようなもの。
それも穴からほぼ平行(直線的)な世界しか見えないはず。」・・・

これですが・・・
平行線のほかに眼がロンパリになるように向こう側を斜視し、
2つの孔を交互に見ると理屈上は平行線の中にX型方向に前方左右の孔が
見えるでしょう。

著者はぺギラさんのような考えが当然であることを十分に認めながらも
「4つの身の双孔は、実用の観測孔と言うより制作上必要な「型持の孔」
であると共にX印のアナロジーに示される象徴的なものであったと考えたい。」
としてます。そうして、354頁に渉る図、数字などがあり、簡単に論破できない
ところがある感があります。

[287] 銅鐸の孔  ペギラ [Mail] 2003/10/26(Sun) 15:36 [Reply]
ちょっと話題と内容を違えますが、
せっかく銅鐸ネタということで、すばらしき無駄知識を。

そもそも銅鐸の孔とは、なんじゃろな?
この答えは、簡単に結論を言ってしまえば銅鐸の「厚み」です。

銅鐸は鋳造の青銅器。
作り方は、文様などを掘った外側の鋳型と
この銅鐸の厚みをつくる為に内側用に中型を別に作成し、
外側の鋳型と中型の隙間に青銅湯を流し込み作る。
この時、外側と中型がくっついたりしないようにするために、
外側と中型の間隔を正確に保つために、突起物(支え)が中型に必要となる。
それが、銅鐸の孔となっている。
その突起部分は外側の鋳型と接しているため、
できあがった時は穴となっている。

数は銅鐸の形の流儀ができあがったころは、10個となっている。
それ以前は、少ない数のものもある。

その中型の突起物は、所謂銅鐸の上面に2個、身の上半に2個×2、下半の裾に2個×2
鋳型の底になる部分ができあがりの上面です。

型持の孔と呼ばれれるこの穴は、決して大きなものではありません。
この穴から見える、別の穴の光景は、むちゃくちゃ、限られた視野。
極端な例えですが、ストローの穴から見る風景のようなもの。

それも穴からほぼ平行(直線的)な世界しか見えないはず。

銅鐸を方位に関わる品物だとする研究者?も、おられますが、
実際に銅鐸の現物を計測したり、分析したりした方からは、
そのような話は、出てこない。

お粗末な無駄知識でした。ぺぎら。m(_ _)m



[286] 銅鐸  角丸山 2003/10/25(Sat) 23:00 [Reply]
玄松子さん、ご回答します。

「4つの穴から太陽光線が入ってくるということ」ではなく、「その銅鐸は1年間同じ場所に同じ向きに設置されるということ」か、或いは同じ場所に持ってくるということで、夏至・冬至・秋分・春分の4回、銅鐸の横の2つの孔の内の1つから、先に見える2つの孔の内のいずれかの一つを通して特定の山のてっぺんが見えるということです。

(例として三輪山山頂を中心に兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社を挙げているが)、「「古代渦巻文の謎」で例として挙げられている」ということです。その理由(三輪山の4社を選んだ理由)はこれらひし形配置の神社のうち、ヒキタ神社から夏至・冬至の太陽が登る・沈む方向に兵主、玉烈があり、このそれぞれから同様に夏至・冬至の太陽が登る・沈む方向に春日があり、これらを結ぶと菱型になるが、その菱角を結ぶと十文字になる。この十文字と銅鐸の上から見た眼形の十文字がおなじである。しかしこの十文字は太陽光線を入れて作ることはできない。したがって銅鐸の構造でした表現できなかったということで、「隣接神社を「4つの穴」からそこまで論証できる明確な理由」はあるどころかないといってます。「「古代渦巻文の謎」で明言していますが、彼岸と夏至、冬至の角度が29度だとか、十字、X字の中心は究極の生成点を表すとか「ウダウダ」いう検証です。


[285] Re[284]: 銅鐸  玄松子 2003/10/25(Sat) 22:09 [Reply]
ほとんど理解できないのですが。

> (1)銅鐸製作者が太陽光線によるX印を想定して四つの身の双孔を作り出していたであろうこと。

4つの穴から太陽光線が入ってくるということでしょうか。
その場合、その銅鐸は1年間同じ場所に同じ向きに設置されるということでしょうか。
その4つが夏至・冬至・秋分・春分の4季である方角に正確に置いておくということでしょうか。

> (2)(例として三輪山山頂を中心に兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社を挙げているが)銅鐸製作者が十字形を意識して、眼形構造(銅鐸を真上から見た形)を作り出していたであろうこと。

「古代渦巻文の謎」で例として挙げられているということでしょうか。
その理由(三輪山の4社を選んだ理由)はなんでしょうか。
「4つの穴」からそこまで論証できる明確な理由があるのでしょうか。

> がこれまでの検証結果から明言できる。・・・としてます。

「古代渦巻文の謎」で明言しているのでしょうか。
検証とはどのような検証なのでしょうか。

ウダウダ言わずに読んでみるのが一番早いのだろうなぁ。

[284] 銅鐸  角丸山 2003/10/25(Sat) 21:04 [Reply]
銅鐸、バタバタしてまして(汗)

[281] 習志野のてつさん、

ずばり、[282] 玄松子さん の上の、鈕の上に渦巻状双耳の3対付いた晩期のもの。
初期のものにはないのかもしれませんね。

[282] 玄松子さん、

意味ですが、
(1)銅鐸製作者が太陽光線によるX印を想定して四つの身の双孔を作り出していたであろうこと。
(2)(例として三輪山山頂を中心に兵主、春日、玉烈、ヒキダの4社を挙げているが)銅鐸製作者が十字形を意識して、眼形構造(銅鐸を真上から見た形)を作り出していたであろうこと。
がこれまでの検証結果から明言できる。・・・としてます。

[283]習志野のてつさん、

本の図では玄松子さん の上のものの鈕の空間の中心部まで横から伸びてきた線が中心で真下に折れて、そこが舞孔となっています。
玄松子さん の上のものはやや上から見えますが孔が開いていないようですね。
おかしいなー。鈕に孔を開けるとはいっていません。鐸身のてっぺん面です。

[283] Re[281] [282] 銅鐸    習志野のてつ 2003/10/25(Sat) 17:32 [Reply]
歴博はけっこうかよったんですが……見逃しているものは多いです(反省)
そういえば、四角い穴はみかけましたね。

> 固定する方位が分かるのなら、すでに方位の測定は意味がないとも思えます。
後期の巨大化したときでも1M強ですから、方位を指示・示唆するのは無理か?
と考えます。
通常はもっとずっと巨大ですよ。たとえ固定してあったとしても無理ですね。


>> 鈕…の下の部分に垂直方向に光を誘導する舞孔
これを横から見た記憶はありませんが、初期の小型ものは、明らかに吊るすため
のもので、磨り減った跡があったはずなんですよ。
終期のものは、鋳物のバリの少し厚めのものといった感じで、置くだけ。とても
吊るすような強度は無さそうで、そこに穴を開けるなど考え難いのですが。

[282] Re[281] 銅鐸  玄松子 2003/10/25(Sat) 17:00 [Reply]
横から。

> > 鐸身の最上部のセクションに「身の双孔」という、小さな縦長、長方形の孔が
> > 4つあるそうです(正面からは2つ見えます)。
>  これはどこのいつ頃の銅鐸についての話でしょうか?

http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index33/pict7.html
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index33/
こんな感じですが、穴は左右に均等に位置しているようです。

よって、方位を測定するには、銅鐸を固定する必要があります。
どの方角に固定するかによって、穴の意味は変わりますから。
でも、固定する方位が分かるのなら、すでに方位の測定は意味がないとも思えます。

[281] Re[279] 銅鐸  習志野のてつ 2003/10/25(Sat) 14:48 [Reply]
角丸山 さん、こんにちは。
銅鐸について勉強不足なので、教えてください。

> 鈕…の下の部分に垂直方向に光を誘導する舞孔というのが2つあるそうです。
> 鐸身の最上部のセクションに「身の双孔」という、小さな縦長、長方形の孔が
> 4つあるそうです(正面からは2つ見えます)。
 これはどこのいつ頃の銅鐸についての話でしょうか?
 東京国立博物館などで見た時、全く気付きませんでした。
 
銅鐸は千葉県でも出土していますが、初期のものなのでとても小さく、
> …日の出を見て、右から左に、冬至、2つの彼岸、夏至を測定した…
というような、方位などを正確に示せるものとは考えられないのです。

[280] Re[279][276] Re[275]: 「トトビ」には「鳥飛」の意味  神奈備 2003/10/24(Fri) 15:41 [Reply]
ありがとうございます。

> 銅鐸の上部、逆U字形の部分、鈕(ちゅう)、がありますが、この下の部分に垂直方向に光を誘導する舞孔というのが2つあるそうです。

銅鐸の上に穴ですか。ありがとうございます。


> 逆三角形の下に正三角形のくっついているスパイラルがイメージできます。

千木

△ ですね。美内さんの『アマテラス』倭姫幻想まほろば編の前1/4付近にそのイメージがありますね。
サングリーン『古事記のものがたり』p.11にも。

今晩から、霧島の近くの韓国岳に行きます。韓国宇豆峯神社の神体山かも。

[279] Re[276] Re[275]: 「トトビ」には「鳥飛」の意味  角丸山 2003/10/24(Fri) 13:05 [Reply]
神奈備さん、こんにちは、ご無沙汰いたしております。

さて、銅鐸。

銅鐸(例ではいわゆる見る銅鐸)各部の名称という銅鐸の詳細な図があります。
銅鐸の上部、逆U字形の部分、鈕(ちゅう)、がありますが、この下の部分に垂直方向に光を誘導する舞孔というのが2つあるそうです。
鈕から下を鐸身(たくしん)としています。
この鐸身の最上部のセクションに「身の双孔」という、小さな縦長、長方形の孔が4つあるそうです(正面からは2つ見えます)。
銅鐸を真上から見ると眼の形をしているそうです。
さて、銅鐸を真横から見て、2つの「身の双孔」を覗くと左右の平行線、交差するX型の合計4本線ができますが、その先に峰から上る日の出を見て、右から左に、冬至、2つの彼岸、夏至を測定したのではといわれているそうです。

次に、千木。

唐古(奈良)出土の土器などの家の絵の屋根の左右に渦巻きの付いているのがあります。この渦巻きが後に千木に変化するというのです。
これは隼人の盾には逆S字の渦巻き文様があります。
これはスイジガイ、ゴホウラのもつ魔除の呪力を象徴するそうです。
同様に屋根の渦巻きも魔除です。
ぜんまいの中心を固定し、端を上に引っ張ったもの、下に引っ張ったものを考え、その中心をくっつける。
そうすると横から見れば逆三角形の下に正三角形のくっついているスパイラルがイメージできます。
隼人の盾には生成の概念であるX字が黙示されているようです。
このX字を簡略化すると千木です。
渦巻きが千木に変わったが根底にある生成という概念が変わっていないのではないかということのようです。
・・・以前本掲示板でスズミ神社と言うことが話題に上がった記憶があります。
スズミというのは銅鐸を「鋳鈴」といった、銅鐸を見ることをスズミといったのではなかろうかというのはあくまでも私の個人的推定です。
いかがでしょうか。

[278] Re[277]: 森と水と  玄松子 2003/10/24(Fri) 09:32 [Reply]
> でも何故、本来海の神であろう市杵嶋姫神と川の神弁財天が習合されるようになったのでしょう。

航海の神・金毘羅も、もとはインドのガンジス川の神とされていますから、
海人の神・市杵嶋姫がインダス川の神と習合しても不思議はないかもしれません。
大陸からの渡来人にとって、瀬戸内や日本海は、河みたいなものなのかな。

[277] Re[274][273][272][271][269]: 森と水と  ひふみ 2003/10/23(Thu) 23:10 [Reply]
神奈備様、玄松子様、様々なご意見ありがとうございます。

古事記編纂以前、様々な部族がそれぞれ信仰していたであろう神々をひとつの大きな流れとしてまとめた所から、同じ名前でもその環境により様々な働きがあるのでしょうね。

でも、宗像三女神に国家鎮護の神という面があるのは知りませんでした。ワルキューレのように、海洋民族の女性はやはりたくましいのでしょうか。伊勢の海女さんも凄いですし。「妹の力」という事でしょうか。守りの力。

天河に関しましては、坪ノ内の里宮の方は、確かに「妙音信仰」の意味合いの方が強いのかもしれませんが、役行者様が弁財天に感応した最初の場所の箕面の瀧や、その後祈り出した山上ヶ岳、弥山山頂には、水に関する場所が確かに存在する(した)そうです。
でも何故、本来海の神であろう市杵嶋姫神と川の神弁財天が習合されるようになったのでしょう。そういえば弁財天は、戦勝祈願の神でもありますね。

[276] Re[275]: 「トトビ」には「鳥飛」の意味  神奈備 2003/10/23(Thu) 16:48 [Reply]
角丸山さん こんにちは。

> 銅鐸を「鋳鈴」と見れば夏至、冬至の「ホホデミ(峰日出見?)」用ではないかと考えられます。

> 「千木」の起源を隼人の盾などに見られる逆S字文(歯の付いたワギナ)を立体化し、スパイラルとした上で横から2次元化するとX字が得られるということから来ているという興味ある説明をしています。

先ずご紹介頂いた本を読まないと理解ができないことなんでしょうが、上記の引用では全く何のことやらさっぱりわかりません。

つきましては、もう少しかみ砕いて教えて頂けませんでしょうか?

[275] 「トトビ」には「鳥飛」の意味  角丸山 2003/10/23(Thu) 13:47 [Reply]
倭迹々日百襲姫命の、「トトビ」には「鳥飛」の意味があるといわれている。また、清水風遺跡出土の土器絵画に描かれている人物の頭部には、三角・円・十字がみえている。その中で十字形の頭部を持つ人物は、鳥装の巫女もしくは司祭者と推定されている。・・・「古代渦巻文の謎:三一書房:1995年」
同書では銅鐸と太陽光線について詳述しているが、いぜん当掲示板で「スズミ神社」なるものが話題に上がったが銅鐸を「鋳鈴」と見れば夏至、冬至の「ホホデミ(峰日出見?)」用ではないかと考えられます。(これって->夕涼み?)
更に、同書では「千木」の起源を隼人の盾などに見られる逆S字文(歯の付いたワギナ)を立体化し、スパイラルとした上で横から2次元化するとX字が得られるということから来ているという興味ある説明をしています。先ずはご参考まで。

[274] Re[272][271][269]: 森と水と  玄松子 2003/10/23(Thu) 10:00 [Reply]
> 天河の弁財天や、琵琶湖の竹生島、

弁天(弁財天)は、インドのサラスバティー神で川の神ですね。
日本では宗像三女神の一人・市杵嶋姫神と習合していますから、
後世では市杵嶋姫神も川の神、池の神として祀られることが多いのは事実です。

ただ、宗像三女神というと、インド神との習合以前の存在で、
その性格は水の神とは、「ちょっと違う気がします」。
正確には、いろいろと説や考えがあるでしょうが、
海を生活の場としていた古代のあるグループが信奉していた神なので、
海上生活全般の守護神であり、航海安全の神、
さらに海からの攻撃者を撃破する神で、国家鎮護の神でしょうか。

思いつきですが、
「宗像三女神とスサノオを合わせて、祓戸四神とした。」
すでに誰かが言っている可能性は高いですが。

[273] Re[272][271][269]: 森と水と  神奈備 2003/10/23(Thu) 08:46 [Reply]
> > > 水の神宗像三女神。
> >
> > これは、ちょっと違う気がしますが。。。
>
 宗像三女神のお話で、原田大六著『銅鐸への挑戦』を読んだ記憶がよみがえりました。これによりますと、天照大神と素盞嗚尊との宇気比から生まれ出る三女神を、荒れ狂う台風(素尊)による洪水(タギル)を沈静化するために犠牲として捧げられた少女の神格化と見ていたように思います。海にしろ川にしろ、荒れ狂う水を鎮めるのは弟橘姫の例を持ち出すまでもなく、女(女神)の役割だったようです。
 そう言う意味では宗像三女神が航海安全の神でもあり、海水と言う水を鎮める神でもあるので、広い意味で水神と言えるのかも。
 天河弁財天などは、妙音などの信仰の方が強かったのでは。市杵島姫を意識したのは後のことでは。

[272] Re[271][269]: 森と水と  ひふみ 2003/10/23(Thu) 06:43 [Reply]
> > 水の神宗像三女神。
>
> これは、ちょっと違う気がしますが。。。

すみません。そうかもしれません。
天河の弁財天や、琵琶湖の竹生島、沖ッ島等に祭られている神々が三女神だったので。
森と山では、川=水の神かなと思いました。天川は名水の地でもあります。

[271] Re[269]: 森と水と  玄松子 2003/10/22(Wed) 23:57 [Reply]
> 水の神宗像三女神。

これは、ちょっと違う気がしますが。。。

[270] Re[269]: 森と水と  神奈備 2003/10/22(Wed) 19:02 [Reply]
 たまたま伊太祁曽神社へ行っておりまして宮司さんとお話をしていました。
 内外の崇敬者の集いである「ときわ会」を新たに発足させており、早速加入してきました。
この中に五十猛命の三つの御神徳が記載されています。
1.木の神・植樹の神・緑化の神
2.大国主を木の俣から逃した命の神
3.浮宝の神で、森が海を豊かにし、また船は木から造られることで、木の神、船の神、航海安全の神と云うことです。

> 紀州では植林を始めたとされるスサノオノミコト、そこから生まれたとされる水の神宗像三女神。
 熊野ではおっしゃるように植林は素盞嗚尊ですが、紀北や九州では五十猛命が植林を始めたことになっており、素盞嗚尊のアラタマが五十猛命と云うことかも。

> 縄文弥生と続く、森を水を大切にしてきた心。生きとし生けるもの全てに尊敬の念をもつ多神教的世界観。これからの時代、ますます大切になるのでしょう。

 本当にそうですね。今、一握りの日本人とアイヌにこの考えが残っているようです。和歌山では森林の活性化を雇用促進に結びつける試みがなされています。「ときわ会」会員としては、天皇を迎えての全国植樹祭を伊太祁曽神社で開催したいものです。

[269] 森と水と  ひふみ 2003/10/22(Wed) 17:02 [Reply]
先週日曜日NHK「心の時代」を見て。
21世紀の温暖化での気温上昇率。ユネスコの発表では5.8℃上がる予測だそうです。
2025年には、その頃の世界人口予想80億の内、実に50億が深刻な水不足に陥る見込みだそうです。又、水不足予想地域には、アメリカのグリーンベルト大穀倉地帯が含まれるそうで、食物のほとんどを輸入に頼っている日本にとっては、不安材料満載ですね。

そんな話の中、古来よりの日本的心の話で締めくくられていました。
縄文弥生と続く、森を水を大切にしてきた心。生きとし生けるもの全てに尊敬の念をもつ多神教的世界観。これからの時代、ますます大切になるのでしょう。
紀州では植林を始めたとされるスサノオノミコト、そこから生まれたとされる水の神宗像三女神。
森は、水の生ける巨大タンクと考えればその関係も、なるほどと思ったりして。
神道というのは、古来からの「道」なんだなあと思えました。

[268] Re[267][266][265]: 平成祭データ  れふと 2003/10/17(Fri) 13:26 [Reply]
2万円もするんですか。
でも確かにそれだけの価値はありそうですね。
すぐに買うことはできなさそうです。
情報有難うございます。

[267] Re[266][265]: 平成祭データ  玄松子 2003/10/16(Thu) 11:34 [Reply]
> 神社本庁と云う組織で、各府県の神社庁をまとめているようです。

http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/pc.htm
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/5991/sairei.htm
追加情報です。ともに柳瀬さんのサイトです。

[266] Re[265]: 平成祭データ  神奈備 2003/10/16(Thu) 08:24 [Reply]
神社本庁と云う組織で、各府県の神社庁をまとめているようです。2万円。
東京都渋谷区代々木1−1−2
神社本庁教学研究所研究室
03−3379−8299

[265] 平成祭データ  れふと 2003/10/16(Thu) 01:46 [Reply]
初めてカキコミします。
前から気になっていたのですが、
神奈備さんのHPや玄松子さんのHPで度々引用されている「平成祭データCD」はどこで購入することができるのでしょうか?

この頃、神社や祭神の分布などが調べれたらいいのにという機会がありまして。
神社とか県の神社庁とかで購入できるのでしょうか?
よろしくお願いします

[264] Re[254][253]: モモ・カモ 箸墓と大坂と百襲姫 13  角丸山 2003/10/14(Tue) 17:51 [Reply]
横レスで失礼します。ご無沙汰しております。今日の「読売」の夕刊に出雲で桃、梨を入れた甕を5個十字に並べた遺構が発見されたとあり、「モモソ」は「桃十」と読める可能性が新たに登場しました。ではまた。

[263] Re[262]: 鹿渡  玄松子 2003/10/13(Mon) 17:58 [Reply]
> 秋田県山本郡琴丘町「鹿渡」とか、秋田銀行「鹿渡」支店とかありました。
> 読みは「カド」のようです。もっとも当時は「シカト」(=無視)してましたが。

能登半島、七尾に日本海に突き出た岬に「鹿渡島」があります。
伝承では「神門島」からの訛りで、御門主比古神社が鎮座しています。

[262] 鹿渡  習志野のてつ 2003/10/13(Mon) 12:25 [Reply]
以前2年と少し、秋田に住んだ事があります。
秋田県山本郡琴丘町「鹿渡」とか、秋田銀行「鹿渡」支店とかありました。
読みは「カド」のようです。もっとも当時は「シカト」(=無視)してましたが。

当時、秋田市内、JR秋田駅から500M程のところで、カモシカを見ました。
天然記念物ですよ。トンネルの上から、見おろされました。
昔はもっと身近な存在だったのだろうな?などと考えました。
実際に海を渡っているのを見たら、地名として名付けても不思議は無いですね。


[261] Re[260][259]: ぬしま  神奈備 2003/10/11(Sat) 11:51 [Reply]
> お久しぶりです。
 ひふみさん こんにちは。沼島の自凝神社の祭りは普通の例祭でした。島の子供達も多く参列しており、賑やかな雰囲気で行われていました。
 その通常の祭礼が終了した段階で、同行グループの一人であった竜笛の第一人者の宮道朝子さんの笛の奉納があり、神殿と境内は一層厳粛な雰囲気に包まれました。初めて聞いた方が多く、中には何故か体が左右に揺れたとの報告も頂きました。

 中央の神社は梶原影時が勧請したと言う八幡神社でしょう。または山頂の山の神神社のことでしょうか。
 島の山の松の木は大半が松喰い虫にやられているようですが、海際の弁天さんの松の木はきちっと残っているようでした。
 船着き場の南北には神社が二座鎮座、北側の神奈備山と思われる中腹に神明神社、南の山中に自凝神社、その線上に弁天さんのような配置です。

 これは推測ですが、神明神社は「しめんど」さんと呼ばれているそうです。私はしめんどさんだから神明神社と名を付けたのではと内心思っています。山の神のことを「やまんど」さんと呼ぶそうで、それからいくと「しめんど」さんはシメの神です。恐らくは島の神であったのでしょう。マとメは目の訓ではないですが、移るようで。

 神明神社は今年、鳥居と灯籠があたらしいものに作り替えられており、今も篤い信仰に支えられているようでした。

[260] Re[259]: ぬしま  ひふみ 2003/10/10(Fri) 03:20 [Reply]
お久しぶりです。
久々に拝見していたら、ぬしまへ行かれるとか。12年前に、私も何度か足を運んだ事があります。確か、島の中央に神社がひとつと、海際に弁天社がありました。懐かしいですね。今回のお祭りとはどのようなものなのでしょう。楽しみにお帰りをお待ちしております。

[259] ぬしま  神奈備 2003/10/08(Wed) 22:24 [Reply]
淡路島の南の沼島へ行きます。おのごろ神社の祭りを見てきます。2日留守します。

[258] Re[257]: シカも・しか し  神奈備 2003/10/07(Tue) 15:09 [Reply]
>  こんばんわ。お久しぶりです。
豆石煌さん こんにちは。

> 家島町の男鹿島(たんが)の鹿公園から、海上を18kmも泳ぎ渡ったシカ。
まジカ??ですね。
で、雌鹿を求めてでしょうか。

> 賀野神社
鹿野神社だったのでしょうか。元は難読地名の「立船野」鍋倉山の南麓に鳥居が立っていたとか。

[257] シカも・しか し  豆石煌 2003/10/06(Mon) 22:05 [Reply]
 こんばんわ。お久しぶりです。

以前、コウナイの石 頂ノ岩に関連し、ながながと仮説をカキコさせて戴きました豆石です。
(青草掲示板:平成14年6〜10月)
仮説の前提条件と致しまして、播磨国風土記等の「鹿」は動物のシカではナイと、致しました。(青草掲示板:173 ; http://www.kamnavi.net/log/ktba0207.htm)

 本日の神戸新聞朝刊によりますと、
姫路市鹿妻(めが)の東の木場の海岸にて、釣り人のサビキに、体長1.3m、体重120kgのシカがかかった シカ。
消波ブロックで、保護されたシカは、賀野神社のある シカま郡夢前町の雪彦山中に無事放たれまシカ。
姫路市の海辺にはシカが住むような所は無く、家島町の男鹿島(たんが)の鹿公園から、海上を18kmも泳ぎ渡ったシカ。
また、釣り人は海上を泳ぐ鹿をヨク見かけるとか。(写真入で報道)。

古代においては、日常茶飯事だったかも。

私の仮説は、総崩れです!! あちゃ〜!!

すみません DE シカ。

「鹿さま」、あなたは、偉大です。


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