青草談話室ログ平十七年 九月
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[1508] Re[1501]: 福井の八尾と玉  玄松子 2005/09/27(Tue) 07:32 [Reply]
> 1.富山県平村下梨 稗田遺跡 縄文時代後期 大珠が出た
>   http://www.anygems.com/taishu/taisyu.html
>   これは庄川上流

「石器・玉類の原材産地分析」
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/KOUEN/kouen38/T7.pdf
この4ページ目を見ると、糸魚川周辺のヒスイは全国に伝播されているようです。沖縄の遺跡にも。

で、5ページ目を見ると、碧玉の産地として富山県の細入村(現富山市)が見られます。ここは神通川の上流、少し下れば八尾です。

[1507] Re[1506][1502][1501]: 福井の八尾と玉  恋川亭 2005/09/27(Tue) 01:49 [Reply]
> > >  おっちゃん、、、五木ひろしの生霊か、はたまた、松井選手の生霊が憑いているのか福井びいきでんなぁ〜シクシク。別にええけど。(笑)

ごめんなさい m(__)m 。
『Not!ノット!能登!五木ひろしは福井県出身やけど、松井選手は石川県出身やで〜。』
と注意を受けました。石川県もあったんや!北陸も難しいナ〜?

[1506] Re[1502][1501]: 福井の八尾と玉  大三元 2005/09/26(Mon) 23:52 [Reply]
> >  おっちゃん、、、五木ひろしの生霊か、はたまた、松井選手の生霊が憑いているのか福井びいきでんなぁ〜シクシク。別にええけど。(笑)

「福井県の八尾と玉の関連を考えるよすが」間違い!
「富山県の・・・・・・・・・・・・・・」でした。



[1503] Re[1501]: 福井の八尾と玉  琉球松 2005/09/26(Mon) 22:43 [Reply]
 混乱の犯人は僕です。すみませ〜ん!

 しかし「ヲロチは身一つにして八頭八尾あり・・」とは示唆的ですね。
 この大蛇?が勾玉とも繋がっているとすれば、三種の神器の二つまでも排出したことになりますが。。。

[1502] Re[1501]: 福井の八尾と玉  恋川亭 2005/09/26(Mon) 22:33 [Reply]
> 福井県の八尾と玉の関連を考えるよすが、、、になるか:

 おっちゃん、、、五木ひろしの生霊か、はたまた、松井選手の生霊が憑いているのか福井びいきでんなぁ〜シクシク。別にええけど。(笑)
 福井県は越前?、富山県は越中?、ついでに新潟県は越後?。「越中富山の○ン○ン丹」なんてセリフは、今なら何歳まで通じるのだろ? ちなみに私でも、あの薬袋と箱の記憶があったりして・・・昭和世代ですから。 ここのところ宵が涼しくなってきましたネ。若狭湾の越前ウニで一杯、富山湾の蛍烏賊の沖漬けで一杯、新潟は清酒そのものでしょうか???

 言い出しっぺですが、もし富山市の八尾が玉の加工にかかわるとしたら、砥石の鉱床が欲しいところ。まだ判りません。翡翠(玉の原石)の搬送はしても、砥石の長距離輸送はちょっとしんどいナァと愚考。

[1501] 福井の八尾と玉  大三元 2005/09/26(Mon) 21:52 [Reply]
福井県の八尾と玉の関連を考えるよすが、、、になるか:
1.富山県平村下梨 稗田遺跡 縄文時代後期 大珠が出た
  http://www.anygems.com/taishu/taisyu.html
  これは庄川上流
2.八尾を流れる室牧川の上流の大長谷川と野積川に挿まれた山地に「大玉生」
  今では大きな かつらの木が有名らしい
3.庄川流域に 八乙女山 (八俣のヲロチが八乙女を喫った)
  ヲロチは身一つにして八頭八尾あり・・
  八口、八尾、八頭 地名の伝搬、広がり
4.八尾:水運の便が良さそう(富山、愛媛、大阪、奈良?)
          悪そう(大隅半島中央部山地)  

[1500] Re[1499]: 八尾と勾玉  玄松子 2005/09/26(Mon) 19:12 [Reply]
>  ただ、遠いから関係ないとも言えないというだけです。

人々の移住とか、信仰の伝播であれば距離よりも道筋が重要でしょう。
ですが、原材料の産出地と、その加工・精錬の地であれば、距離は重要です。

材料を産出し、その都度、ピストン輸送しなければならないわけで、現代のように物流が発展していない古代においては、70Kmの距離は大変な障害。

越中八尾とヒスイ海岸を関連付けるのであれば、その距離という障害を克服する方法(たとえば同一河川の流域であるとか)か、越中八尾でなければ加工できない事情等、他の理由が必要です。


>  ただ、遠いから関係ないとも言えないというだけです。

いずれにしろ、「遠いから関係ない」という意見を否定するには、それなりの根拠を示すべきです。「ただなんとなく」では、青草談話にもなりません。

[1499] 八尾と勾玉  琉球松 2005/09/26(Mon) 13:35 [Reply]
 玄松子さんへ

 いえいえ、特に根拠とかあるわけではないんです。
 ただ、遠いから関係ないとも言えないというだけです。
 「ヤツオ」と「ヤヲ・ヤオ」の繋がりも、言語としてどうなのかも今一つです。

[1498] Re[1497]: 八尾と勾玉  玄松子 2005/09/26(Mon) 06:53 [Reply]
>  富山県の八尾(ヤツオ)は、確かにヒスイの産地からは遠いのですが、これは現代の我々の感覚かもしれませんよ〜!?

その根拠は?

[1497] 八尾と勾玉  琉球松 2005/09/26(Mon) 01:32 [Reply]
 富山県の八尾(ヤツオ)は、確かにヒスイの産地からは遠いのですが、これは現代の我々の感覚かもしれませんよ〜!?

。。。「やを」の発祥が奈良県磯城郡では?とするは、このあたりが銅製品の製造地帯だったと考えられるからなんです。
 つまり、銅鐸製造に必要な高度な鋳型(石製)製作技術を応用したのではないかと。。。これは、邪馬台国側による、旧クナ国鍛冶屋集団に対する失業補償かも?
 ついでですが。。。近畿から中国製銅鏡が出ないのは、その原料が粉砕された国産銅鐸だからだと思いますね。
 銅鐸を完成させるほどの技術があれば、銅鏡製造はけっこう楽勝だったと思いますし、勾玉や鍬型石などの石製品の大量生産もOK!だったはずですね。

[1496] Re[1494]: 八尾と勾玉  恋川亭 2005/09/25(Sun) 21:08 [Reply]
>> 観光コースでも、糸魚川→ヒスイ海岸→八尾というルートがあります。
> 有名所を繋いだだけのコースでしょ。ヒスイ海岸からは、かなり遠いし関係はないと思います。八尾「やつお」だし。

そ・です。ま、ですから単なる思いつきの当てずっぽうですって。(笑)
「〜といえば」ってな連想レベル、無責任な話しで、スミマセン。とくに八尾に顕著な玉の流通遺跡があるわけではないです。

冨山県といえば小矢部市の桜町遺跡が有名ですが、
 『小矢部市・桜町遺跡メニュー』
http://www.city.oyabe.toyama.jp/sakura/

富山市もいろいろ興味深い遺跡がありますねー。
 『富山市埋蔵文化財センター・富山市遺跡探訪』
http://homepage2.nifty.com/kitadai/center/topics.htm
(せっかくのHPなのでプロット地図も加えてほしい)

[1495] やお・ら  いこまかんなび 2005/09/25(Sun) 20:22 [Reply]
龍の胴体とシッポがべつべつのところに落ちて・・云々・っていう伝承は、生駒や葛城山ろくなどにあって・・・関係ないっ? です?、かね?
八尾に近いからって何も関係ないですよね。
よくわからないので、八尾を広辞苑で調べたら狂言の一つで「閻魔が六道の辻で亡者を待ち受け地獄へ責め落とそうするが八尾地蔵(八尾市の常光寺)からの依頼の文を読み上げて極楽へ送り届ける。」っていうのが。?????。
これまた関係ない?・・です・・ね。失礼しました。
失礼いたしました?

[1494] Re[1492][1490]: 八尾と勾玉  玄松子 2005/09/25(Sun) 16:08 [Reply]
> 観光コースでも、糸魚川→ヒスイ海岸→八尾というルートがあります。

有名所を繋いだだけのコースでしょ。ヒスイ海岸からは、かなり遠いし関係はないと思います。八尾「やつお」だし。

大三元さん> つまり、オロチがらみ。

地形的には、多くの川の分岐(集合)ポイントではありますね。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/34/56.826&el=137/08/41.297&scl=250000&bid=Mlink

[1493] Re[1492][1490]: 八尾と勾玉  大三元 2005/09/25(Sun) 15:27 [Reply]
恋川亭さん

>  越中冨山の八尾です。「おわら風の盆」で有名なところ。観光コースでも、糸魚川→ヒスイ海岸→八尾というルートがあります。ちょっと内陸ですけどね。まぁ、大昔から「八尾」という地名なのかどうか知りませんが・・・m(__)m

「大昔から・・・」:これが地名で(を)云々するときの一番の悩みですね(^^;;;)

[1492] Re[1490]: 八尾と勾玉  恋川亭 2005/09/25(Sun) 14:46 [Reply]
琉球松さん >
> もしかしたら "勾玉取り扱い業者のコンテナ港" みたいな意味があるのかもしれません。

いいですね、こういう発想は大好きです。(^^)
交易・流通の様子が想い浮かんでくるような感じ。検証を固めていかれることを期待します。

> 「やを」のオリジナルは「鏡作り神社」などが点在する奈良県磯城郡の八尾で(略)

 大和盆地の地図を眺めながら地名を読んでいますと、大和以外の各地の地名が集まっていて面白いです。私は、各地から大和の方へ持ち寄って来た印象があります。
琉球松さんが、奈良県磯城郡の八尾がルーツと思われる理由をお教えくださいネ。
 もうひとつ、鏡も玉も(剣もですが)製作工程上で、もっとも時間と労力を要するのが研磨作業です。このことに注目する論考が少なすぎるナァと(笑)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大三元さん >
 越中冨山の八尾です。「おわら風の盆」で有名なところ。観光コースでも、糸魚川→ヒスイ海岸→八尾というルートがあります。ちょっと内陸ですけどね。まぁ、大昔から「八尾」という地名なのかどうか知りませんが・・・m(__)m
 今朝の新聞に、内田康夫さんの新刊・浅見光彦シリーズ「風の盆幻想」が広告されていました。オッ、シンクロしてる?・・・内田先生と巻向駅で偶然お会いしてから、読者になりました。(「箸墓幻想」の発売前に)

[1491] Re[1490]: 八尾と勾玉  大三元 2005/09/25(Sun) 13:49 [Reply]
八尾 は 八口 八頭 などと共に考えてみるのが良いのではないかと思ってます。
つまり、オロチがらみ。
http://www.dai3gen.net/orochi.htm

> >  糸魚川近くにも「八尾」がありますか。これは興味津々ですね。

調べてみたけど福井の八尾だとすると、糸魚川とはかなり離れているけど。
糸魚川近くにあるのかしら。見つけていない(^^;)

[1490] 八尾と勾玉  琉球松 2005/09/25(Sun) 13:21 [Reply]
 恋川亭さんへ

 糸魚川近くにも「八尾」がありますか。これは興味津々ですね。
 沖縄の神歌に出る「やを」は「やまと」と対になっていますが、もしかしたら "勾玉取り扱い業者のコンテナ港" みたいな意味があるのかもしれません。
 また "地名は伝搬する" とすれば、その発祥地があるはずで。。。例えば、日本中にある「銀座」は東京銀座が大本で、地方繁華街の発展を願ってつけられた地名ですね。
 これはまだまだ推測ですが、「やを」のオリジナルは「鏡作り神社」などが点在する奈良県磯城郡の八尾で、大阪などの八尾もその影響ではないかと考えますがどうですかね?

[1489] Re[1488][1487]:あまみ  大三元 2005/09/25(Sun) 09:06 [Reply]
恋川亭さん
>「アマミ」という響きが興味深いですネ〜。

はい、アマミ、甘美、可美、味、あたりが一つのことに集約されて行かないか、という興味があります。

>  『中山世鑑』(1650年・羽地朝秀:編)の沖縄開闢神話には、天帝がアマミクを派遣したことになっています。この天帝を、天御中主神・的とみるか、高木神・的とみるか、空想していました。でも高木神はシネリキヨ・的かな?(笑)

タカギ:タカミ とペアにしてみると イザナギ:イザナミ と同様な
つまり ギ:ミ が抽出できるのですよね。そこから
タカギ=タカミ なのではなく、タカギ:タカミ=タカギ:天照大神 という概念がなかったのか、とか妄想中です。


[1488] Re[1487]:あまみ  恋川亭 2005/09/24(Sat) 20:41 [Reply]
大三元さん >
 『奄美に関わる資料のコレクション』、ありがとうございます。このページも以前から拝見させて頂いております。「アマミ」という響きが興味深いですネ〜。
 『中山世鑑』(1650年・羽地朝秀:編)の沖縄開闢神話には、天帝がアマミクを派遣したことになっています。この天帝を、天御中主神・的とみるか、高木神・的とみるか、空想していました。でも高木神はシネリキヨ・的かな?(笑)
 私にはまだ、奄美大島に手をつける余裕がありません。『奄美加計呂麻島のノロ祭祀』(松原武実:著)が欲しひ・・・。

琉球松さん >
> Re[1462]:『やお泊』(2005/09/18)
「八尾」と「玉(ヒスイ)」とくれば、『越中おわら・風の盆』もありますヨン。昨日のTV放送を見て思い出しました。あそこも「八尾」だし、「玉」の糸魚川やヒスイ海岸も近いですネ。まぁ、たんなる思いつきです。<(__)>

[1487] Re[1486]あまみ  大三元 2005/09/24(Sat) 16:31 [Reply]
> >  沖縄と大和の間にあって、奄美大島(時代によっては屋久島や種子島も)が重要な中継点だったのでしょう。面白そうな所がいっぱい。(笑)

あまみ: こんなことも考えてます。
天御中主神 アマのミナカのヌシと読むが、アマミチュウではないのか
http://www.dai3gen.net/amami.htm

この神様の性格、特性が判らないのでどうしようもないのですが、幾つかイイガカリをつけています。

[1486] Re[1485]: サルタヒコ  恋川亭 2005/09/23(Fri) 23:53 [Reply]
 横道にそれてばかりでスミマセン。TVで変なのをやってたものですから・・・つい。
横道ついでに以前にあったこんなことを。
 A氏:御嶽が瀬戸内にもあるって沖縄百科に載ってたヨ。
    本州まで長旅して・・・瀬戸内海のどの島かなァ?
 私 :そりゃ山陽地方の瀬戸内海じゃないですヨォ!
    「奄美大島の瀬戸内」でしょう!!(チャンチャン)

 沖縄と大和の間にあって、奄美大島(時代によっては屋久島や種子島も)が重要な中継点だったのでしょう。面白そうな所がいっぱい。(笑)
 さて元の『神棚に排除された神』へもどりまして、『「面白い視点」にゆっくり焦らずに肉付け』をよろしく。m(__)m

[1485] サルタヒコ  琉球松 2005/09/23(Fri) 20:09 [Reply]
 恋川亭さんへ

 薩摩方言と琉球方言はけっこう近いですから、繋がりはあると思いますね。
 サルタヒコが皇孫を案内した目的地は「筑紫の日向の・・」で、その神は薩摩半島の娘と結婚するわけですから、間違いでもないように思えます。

 ところで「天(海?)の分かれ道」が佐田半島先端だとすれば、福岡方面ではなく宮崎方面に案内したと解釈できますね。
 その辺がサルタヒコの相当デカイ鼻で、「赤い口と尻」はそれぞれ「南予地方・徳島県阿南」ではないでしょうか?
 四国の両端は古代には水銀朱の産地だったようですから、サルタヒコという集団は・・大雑把ですけども、四国瀬戸内海側で活動していた海人達かもしれません。

[1484] Re[1480]: 神棚に排除された神  恋川亭 2005/09/23(Fri) 15:40 [Reply]
> > 琉球方言では「案内役を "サタル" 」と言うようです。
> 猿田彦語源では有名な説ですね。外間守善先生の指摘だったかな?

 伊波普猷大先生からの説だったのですか〜!失礼しました。
私が書き込んだ主旨は、(たとえ倒置しなくても)「天孫降臨や日向三代といった舞台となる南九州そのものに、『さるく』という言葉がありますヨ。」という指摘にすぎません。「歩く」が「歩いた」となるのと同様に「さるく」も「さるった」となるので、『どうなんでしょうね?』という程度です。

[1483] Re[1480] 参考HP  倭亞府 2005/09/23(Fri) 14:42 [Reply]
猿田毘古神
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/saruta.htm

[1482] Re[1480] 「先導するを 琉球語「サダル」と言うようです。  倭亞府 2005/09/23(Fri) 14:34 [Reply]

猿田彦の周辺
先導する サルタを琉球語「サダル」の倒置、と解する考え方 ... この背景は「サタ」と「サルタ」の音の近さもあるが、父の ...
http://www.dai3gen.net/sarutahiko.htm

[1481] Re[1474]: どちらが古い??  恋川亭 2005/09/23(Fri) 12:06 [Reply]
大三元さん >
> 大和+沖縄に共通な地場的な神 → 大和は大陸・半島からの神に入れ替わった ∴沖縄に古形が遺った、ということか。

「大陸・半島に遺る、(後の)大和の神の痕跡」
 ↑こッ、これが欲しいッ! (^^)/

[1480] Re[1479]: 神棚に排除された神  恋川亭 2005/09/23(Fri) 10:36 [Reply]
> 琉球方言では「案内役を "サタル" 」と言うようです。

猿田彦語源では有名な説ですね。外間守善先生の指摘だったかな?

> この猿田彦。。「伊予の鼻(愛媛県サタ半島)」周辺の海人勢力ではないでしょうか?

「サタ岬」という名は他にも複数あるそうですね。星野之宣さんの劇画『神南火』にも出てました。最近は活字が面倒になってコミック路線です。(笑)

[1479] 神棚に排除された神  琉球松 2005/09/23(Fri) 08:44 [Reply]
 大三元さんの言うとおりですね。
 けっこうせっかちなんですが、じっくり丁寧に解いて行く事が大事なのでしょう。B型の僕には苦手な作業なんですが。。(笑)。。とにかく資料が欲し〜い!

 恋川亭さんへ
 ちょっと自信はないのですが、琉球方言では「案内役を "サタル" 」と言うようです。
 熊本県阿蘇神社の「御田祭り」に登場する猿田彦も、その行列の先頭で道案内をしてますね。
 この猿田彦。。「伊予の鼻(愛媛県サタ半島)」周辺の海人勢力ではないでしょうか?

[1478] 私のサルタヒコ  恋川亭 2005/09/22(Thu) 17:26 [Reply]
ちょっと横道に。昨夜TVの番組で、鹿児島方言として
  「チンチンボッボサッサモンソ」
という表現が紹介されていました。その意味は、「ゆっくり歩いていきましょう」だとか。
 私のルーツは薩摩半島の付け根なのですが、上記の方言をすぐには判りませんでした。鹿児島市内で使われているのかな?。番組で説明された意味は、意訳として飛躍がありますので付け足しを。関西風に置き替えると判る方も増えるかナと。
   (鹿児島)    (関西)
  「チンチン」 → 「チンタラ」
  「ボッボ」  → 「ボチボチ」
  「サッサ」  → 「歩ク」
  「モンソ」  → 「マヒョ」
つまり、「チンタラとボチボチ行きまひょか〜」となります。
「モンソ」は「申そう」→「ましょう」→「マヒョ」。
問題は「サッサ」ですね。TVでは「サルク」として「歩く」と解説してました。

 私のルーツである串木野市羽島崎では、「歩き回る」ことを「アユッサレッ」と言ってました。「アユッ」は「あるく・あゆむ」そのまま。「サレッ」は「さるく・されく」という動詞で、ブラブラと歩いてまわることです。
 「ソコンタイ、サレテクッデ」という表現で「そのあたりを(ブラブラと)歩いてきますから」という意味になります。サルクともサレクとも。
 「ドケ、サレットヤ」で「どこへ(フラフラと)行くのですか?」などとも。(注:「去ル」とは異なる)

さて、ここから本題。
 私はサルタヒコの大神さまの御名は、この「サルク」から由来すると思っています。天地の街道の岐路を巡回しているイメージです。
 南九州以外の土地にこの「サル」という語があるのかどうか知りませんが、高千穂に降臨するときに道案内されたのですから、南九州の方言につながっていても不思議ではありませんね。
 「サルッター神さまじゃ」と言えば、「猿田彦」という言葉よりも、道を歩き回っている神様のイメージを浮かべる地方もあるわけです。

[1477] Re[1476]: 神棚に排除された神  大三元 2005/09/22(Thu) 09:19 [Reply]
琉球松さん、

繰り返しちゃうけど「面白い視点」です。ゆっくり焦らずに肉付けを「望んで」いいっすかね?

私も出雲系譜に女系つながりを見ることが出来るので、その目で欠史八代あたりを眺めています。

あと、「どう言われていたのか(どう伝承されていたのか)」と「何が本当だったのか」と分けてみた場合、まず前者を明らかにして(データ収集、分析、再統合とか)、それから後者へ思索を廻らせるのだろうと思います。一般に、後者へ途を急ぐ人(「思う」ばっか・・・)が多いように思います。


[1476] 神棚に排除された神  琉球松 2005/09/22(Thu) 00:27 [Reply]
 大三元さんへ

 大陸由来の弥生文明がもたらした「倭国大乱」は、銅鐸を信仰の対象とした集団によるものだと考えます。
 その後、女達や海人の運動の結果「出雲の国譲り」などの成功により "邪馬台国の連合" が広がっていったと思いますね。。。銅鐸思想を破壊し、神武の妻に例えられる「ホトタタラ(溶鉱炉=子宮)」で溶解し、精製、再生されたのが「銅鏡」なのでしょう。
 しかし、奈良を中心とするまでに拡大した邪馬台国は、崇神(大物主≒男性型国家主義?)に乗っ取られたのではないでしょうか?

 沖縄が今日まで祈りの対象としている神は、本土では神棚に祀られて現実から遠ざけられている「卑弥呼=アマテラス」ではないかと。。。

[1475] 「八重」ヤエは神の新しい名前  倭亞府 2005/09/21(Wed) 12:43 [Reply]
八重は神の新しい名前

  神の名前は変化した
http://www.sun-inet.or.jp/usr/hiro7733/public_html/word/word_YAGYOU_LABEL.html

[1474] Re[1472]: どちらが古い??  大三元 2005/09/21(Wed) 11:11 [Reply]
琉球松さん、

>  神は大和の中心の出身であるとし、沖縄だけになっても、その神のスジを立てておつかいしよう!。。と宣言しています。。。沖縄以外では、すでに排除、隠蔽された神か?

これ、面白い視点ですね!
大和で排除されて、、、と来ると、銅鐸とか、と思うけど沖縄には無いしねぇ。
ウタキ信仰みたいなことなのでしょうかねぇ???
大和+沖縄に共通な地場的な神 → 大和は大陸・半島からの神に入れ替わった ∴沖縄に古形が遺った、ということか。


[1473] Re[1454]: 津々浦々で  「津」と「墨」  倭亞府 2005/09/21(Wed) 02:12 [Reply]
「津」と「墨」
 白川静氏(常用字解)によりますと「津」の右側の字形は、入れ「墨」するときに使う針 だそうです。
私的に「津」は「川」の側に「刺青」=「印」との考えから「位置」・「場所」・「ポイント」を示し古代からの地図作成でのポイントと考えています。
「つつ」を「星」の意味にとると「位置」・「場所」・「ポイント」を示し航海での船の「位置」を知るための「ポイント」と成る「星」ではと思います。
装飾古墳などに描かれた「天体図」などは、星の位置が正確に描かれているそうです天体を縮尺し転写するには高度な「幾何学」の知識が必要と考えますし正確な天体観測が行なはれていたのです。
古代人は私たちの想像を越える「知識人」だったと感じます。
古代史での「治水」は古代中国「夏の禹王」の黄河の治水です、後に中国を九つの州に定め測量し地図を作りました(地図は戦略的に極秘のため存在が不明。)、近年群馬県にて縄文時代の遺跡から「玉斧」が発見され「玉斧」の形には「圭」の文字の意味があり、「諸侯がはじめて封ぜられるときに、そのしるしとして天子からいただく、上がとがって下が四角の玉の名。土を二つ重ねるのは土をはかる(土・度に同じ)意で天子からいただいた土地をはかり治めることを表す。【角川漢和中辞典】より 補足(上がとがって無い「玉斧」とおなじ形の図が記載されています。「土地をはかり治めることを表す」のです。
銅鐸は測量でのポイントに埋めた「甕棺」の代用ではと考えます。

[1472] どちらが古い??  琉球松 2005/09/20(Tue) 23:56 [Reply]
 恋川亭さんへ
 「ヤマト側の記録をみつけたら面白い」。。これは期待したいですね。
 しかし、次の神歌の内容からすると悲観的になります。

 『邪馬台国総合説赤椀の世直し/名護博(ゆい出版)』より「勝連のオタカベ」の一部

*** 神の生まれたちや 大和のふそん御嶽
    うちなーならわん よかるならわん
    すじが元たてて 親の神は うんつけーしやびら ***

。。。このくだりが、琉球王国時代のものとは考えにくいですね。
 神は大和の中心の出身であるとし、沖縄だけになっても、その神のスジを立てておつかいしよう!。。と宣言しています。。。沖縄以外では、すでに排除、隠蔽された神か?
 
 王府編纂の『おもろさうし』は、奄美沖縄に伝承されていた神歌群を採録、編集したものとみた方が妥当ではないかと考えます。。まだまだ断定できる証拠はありませんが。。。

[1471] Re[1470]: 新旧混交  恋川亭 2005/09/20(Tue) 17:40 [Reply]
琉球松さん、大三元さん >

 『おもろさうし』第1巻の成立は1531年。その後、80年を経た1613年に第2巻。1623年以降に22冊まで纏められたといいます。これが資料として確認できる古い神歌でしょうか。
 この『おもろさうし』は各地の神歌が集められているように思いますが、表現は当時の首里・那覇方言に統一されていることに注意するべきでしょうね。
 その『おもろさうし』等を理解する為の琉球古語辞典として『混効験集』が1711年に編纂。昔の人でさえも難しかったようで。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 沖縄諸島各地方の神歌が収集・記録され始めたのは明治以降、本格的な学問方法で為されたのは昭和期でしょう。
 久高島のティルルも、祭祀に依って伝承されたそうです。『聖なる歌だから、祭りの本番以外には歌わなかった。』ということです。練習とか無し。お手本の記録もメモも無し。文字になったのは民俗学者が採集してからだそうです。
 久高島のティルルの中に、タイワンやソウルが出てきても不思議ではありません。つい最近の20世紀まで『現役で執行』されてきた祭祀だったのですから。清代の台湾は化外の地だし、朝鮮は鎖国でしたから、日清戦争以後の状況が混入したのかも。
 古代の言葉が残り、あるいは変化し、あるいは失せて、新しい語彙が加わる等など、渾然一体チャンプルー状態なのかもしれません。
 「辺境の地に古い語彙が残る」と主張する方々は多いのですが、「特定の社会内の言葉は、意味や発音が変化しやすい傾向がある」のも実際に経験されることです。
 それに、沖縄は本州の田舎よりもはるかに交流が活発な地域だといえますので、「辺境の地」にはならないとも思っています。

 それよりも、この航海安全祈願のティルルに『一番交易量の多かったはずの清(福建)航路について、出て来ないことの謎』が面白かったりするのです(笑)。この理由は、また別の機会にでも。
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 別伝ですが、何代目かの聞得大君が御新下りの際、久高島への渡海の途中に暴風に遭ってヤマトへ流された話しがあります。漂着したのは紀州だとか。
 大勢の神女達による迎えの船でヤマトから連れ帰ったのですが、首里には戻らずに馬天のノロとして生涯を終えたそうです。ヤマト側の記録をみつけたら面白いでしょうね。

[1470] Re[1469]: 無題  大三元 2005/09/20(Tue) 13:52 [Reply]
琉球松さん

> >  かなり古いと考えられる琉球圏の神歌には「ハクソー(百姓)・タイワン(台湾)」などの新しい言葉がでたり
> 現代的な方言になっていたりしますが、これは伝承の混乱によるものと考えられます。

はい、そうなのだと思います。アイヌ語でも似たようなことがあるようですし、記紀・風土記だって編纂当時に真意がわからなくなっていたことも書き留めておかれたのだろうと思います。

「世界大百科事典」(平凡社)に:
「台湾の原住民は、その地を名づけて、ペカンあるいはペカンドとよんでいたという」とあります。
何族の何語によるものか、またその意味は、わかりませんけど。この地名を写したような文字記録があると面白いですね。まぁ、あれば有名になっているのでしょうけど。。。
『沖縄古語大辞典』はい、4万円だったか、どうしても欲しくて三度の食事を二度にしてあとはビールにして、、、古書で買いました。

[1469] 無題  琉球松 2005/09/20(Tue) 12:22 [Reply]
 大三元さんへ

 かなり古いと考えられる琉球圏の神歌には「ハクソー(百姓)・タイワン(台湾)」などの新しい言葉がでたり
現代的な方言になっていたりしますが、これは伝承の混乱によるものと考えられます。
 つまり、「ノロ(奄美沖縄)・ツカサ(宮古八重山)」などの神人達でさえ、その真意が忘れられているわけなんです。

 しかし、『沖縄古語大辞典』をお持ちというのはうらやましいですね。これらの資料は古本屋でも数万円しますよ〜(笑)。。

[1468] 「台湾」の語源  大三元 2005/09/20(Tue) 12:01 [Reply]
ネットで調べてみました。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tsia-ho/taiwan1/taigi01.htm
が良さそうです。しかし、taiwan に近い発音が「いつ」から行われていた(「いつ」まで遡れる)のかは、判定できませんでした。
これが判るとこのティルルの古さが判るだろう、と思ったのですが不発・・・


[1467] 無題  大三元 2005/09/20(Tue) 08:10 [Reply]
琉球松さん 恋川亭さん

歌を一つ拝見しただけでも、奥が深い(・・・便利な言葉ですが)ことを知らされますねぇ。八重山がゲーヤマと発音される、それが久高方言、と言ってしまえばそれだけのことだけど、同じ語が ヤエ、ゲエ、と発音されるということ一つとっても、日本語の成立、変遷に大きな意味を持っていそうですよねぇ。

あの島を「タイワン」を呼ぶのはいつ頃からなのだろう、とかも気になります。調べてみなくっちゃ。

沖縄古語大辞典では「さうる」には「連れる、引き連れる」しかないけど、「そうる」が「韓国のソウル」とさくっと書いてあるだけ。この辞典、なかなか良く集積しているのだろうと思っていたけど、全貌ではないわけで、古語の時代に「生きていた」言葉の解明はまだまだ、というか、もう出来ないのか・・・

すんません、感想だけで。その自分の感想に実は圧倒されちゃってます。


[1466] やを・やまと・さうる  琉球松 2005/09/20(Tue) 00:23 [Reply]
 恋川亭さんへ

 その久高島では、「深く詮索せずに・・」と言うより "すでに解らなくなっている"って感じですね。
 これはもう「おもろさうし」以上に解読が困難なんで、なかなか骨がおれるわけなんでですが、邪馬台国の成立と崩壊に関わるものだと考えます。

 「舟ウムイ」にでる「やをの大主のろ」とは、考霊の娘「百襲姫」ではないかと想像していますが。。。

[1465] Re[1464]: やを泊  恋川亭 2005/09/19(Mon) 01:49 [Reply]
>  あと。。「やまと・やしろ」の定型対語以外に、久高島では「やまと・さうる(韓国ソウル?)」というのもあります。

 神歌の定形として「ヤマトとソウル」があったのか判りませんので、久高島の祭祀に関する資料範囲のみで見てみます。
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カンジャナシーでの「アガリウプヌシ」(東大主)のティルル(神歌)

 ・・・・・(前略)、
 ナファトゥフィーバ    那覇といえば
 ウキシマ ディーシマ   浮島 出島
 クミ ヒラマ       久米 慶良間
 ミャーコ ゲーヤマ    宮古 八重山
 タイワンヌ        台湾の
 ススヌシマ        近くの島
 サウルムルク       中国
 ワガフボーリガ      わが久高の人が
 アイジュハタ       行く先々を
 ウミヌシューイ      海の周囲を
 イトゥハキティ      糸を掛けたように(静かにして)
 ウヌトゥシヌ       この年の
 イッチニンジュー     一年中
 ウナフミティ       みんな囲んで
 シュラフミティ      美しく囲んで
 タビミショーリ      下さい
 ・・・・・(後略)
『古典と民俗学叢書X 沖縄県久高島の祭り』−「畠山篤論文」より引用。
 ここで畠山氏の註として「サウルムルク」について、『久高の船頭が唐船通いで行った所で、サウルはソウル(中央)と通じるか。首里もソウルと同義か。』とコメントしている。
 「カンジャナシー」は、ニラーハラー(ニライカナイ)の神々が島に来臨する祭り。ハンザァナシーとも。神=カン=ハン。ザァナシー=カナシ(敬称)。サウルムルクは、タウルムルクと記述する資料もある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「ティーダーガミ」(太陽神の8月祭)のティルル(神歌)

 ・・・・・(前略)、
 テガバカイ ミソーリヨー  五合枡で計って(集めたマーミキを)召し上がれ
 マシバカイ ミソーリヨー  一升枡で計って(集めたマーミキを)召し上がれ
 ウフハマニ ムチウルティ  (そのマーミキを)大浜に持って下りて
 ナガハマニ ムチウルティ  (そのマーミキを)長浜に持って下りて

 サウルカラ クラユル    中国から手に入れた(由緒ある)
 アカワンヌ ユナワシ    赤椀の(に盛った)世直し(のマーミキ)

 ヤマトカラ クラユル    大和から手に入れた(由緒ある)
 クロワンヌ ユナワシ    黒椀の(に盛った)世直し(のマーミキ)
 ・・・・・(後略)

『古典と民俗学叢書V 沖縄県久高島資料』−「安泉松雄資料」と
『古典と民俗学叢書X 沖縄県久高島の祭り』−「尾崎富義論文」より引用。
 「マーミキ」は米で作った祭祀用濁酒のこと。「クラユル」は「下ってきた」でもいいのではないか。比嘉康雄氏はその著書で「入った」を採用している。
 ここでも「サウルカラ」を「中国から」としている。深く詮索せずに島民の一般的認識だったのかもしれない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
建築儀礼「イックゥヌヒー」(いぬまきの木)のクェーナ(神歌)抜粋
『家が完成した後、三年以内に何か不幸があった場合におこなわれる儀式。』

 ・・・・・(前略)、
    ヘーラ、ワーサイ
 ヤーラ、サウルカラ      中国から
 クダティチョール       下って来た
    ヘーラ、ワーサイ
 ヤーラ、アカワンヌ      赤椀の
 ユナワシドゥ、ヨーヘ     ユナワシ(世直し)ぞ
    ヘーラ、ワーサイ
 ヤーラ、ヤマトゥカラ     大和から
 クダティチョール、ヨーヘ   下って来た
    ヘーラ、ワーサイ
 ヤーラ、クルワンヌ      黒椀の
 ユナワシドゥ、ヨーヘ     ユナワシ(世直し)ぞ
 ・・・・・(後略)
比嘉康雄著『神々の原郷 久高島 下巻 第6部』より引用。
 「ヘーラ、ワーサイ」「ヤーラ」「ヨーヘ」は、お囃し言葉。ここでは「サウルカラ」を「中国から」と訳されている。これは、この歌を収録した際に歌ってもらったウメーギ(神役)の方の認識だったのでは?と推測します。著者は格別にこの語についてコメントしていません。
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 「サウル」がどこを意味しているのか確定するのは、今となっては難しいかもしれません。どうも、神歌を採集した頃には、漠然と中国のイメージだったようです。大明とか大唐、三韓とか朝鮮などと明確に歌われなかったのは残念ですね。

[1464] やを泊  琉球松 2005/09/18(Sun) 18:52 [Reply]
 これは「舟ウムイ」といわれる神歌ですが、他集落の類似例では「やまと泊」となっているようです。
 これら琉球圏の神歌群は王朝成立以前のものと考えられ、『おもろさうし』よりも古いですね。
 あと。。「やまと・やしろ」の定型対語以外に、久高島では「やまと・さうる(韓国ソウル?)」というのもあります。
 しかし、「やをの大主のろ」とは、どこの誰なんでしょうかね〜?

 まあ、難解な神歌群ですが、参考になればと思いまして。。。

[1463] やを泊  大三元 2005/09/18(Sun) 05:59 [Reply]
琉球松さん、ありがとうございます。
 やを泊押着ちやん (ヤヲ泊に押し着いた)  
 やをの大主のろが (ヤヲの大主祝女が)
一行目だけだと、やをが固有名詞か普通名詞か判然としないかも、と思いましたが、二行目があると、固有名詞だとの印象を強くしますね。。。
面白い歌謡ですね、どんな女性に貢ごうってんだ、大きなお世話かも?

[1462] やお泊  琉球松 2005/09/18(Sun) 03:41 [Reply]
 大三元さん、お待たせしました。
 これは、汀間(ティーマ・沖縄島北部)で伝承されているものです。
 「南島歌謡大成・沖縄編上(外間守善 他)角川出版』より

 今日の日やよかる日どう (今日の日は良き日だよ)  
 今日の日は勝さる日どう (今日の日は勝る日だよ)
 神が船接ぎ浮けて (神の船を接ぎ浮けて)  
 霊が舟接ぎ浮けて (霊の船を接ぎ浮けて)
 なんじゃばしら押立てて (銀の柱を押し立てて)  
 くがにばしら立てて (黄金の柱を立てて)
 み縄手縄や麻の苧どう (御縄手縄は麻の苧だよ)
 舟子選らで乗り合さうれ (舟子を選んで乗り合わせなさい)  
 やぢよこ選らでのり合さうれ (やぢよこを選んで乗り合わせなさい)
 ゆまに見ちやる勢頭大屋子よ (夕間に見た「勢頭大屋子・船頭」よ)  
 肝真強く実に持ちよれ (肝真強く実に持ちなさい)
 舳に立ちゆる勢頭大屋子よ (舳に立つ勢頭大屋子よ)  
 肝真強く実に持ちよれ (肝真強く実に持ちなさい)
 山見れば雨がやーい (山を見ると雨かねえ)  
 海見れば波荒らさ (海を見ると波荒い)
 しんきびしや敬まとて (隠れ礁を用心して)  
 しんきびしや恐れとて (暗礁を恐れながら)
 持たち行けば走らち行けば (耐えて行き走らせて行くと)
 我がにらい拝まれんどう (我がニライが拝まれるよ)  
 我がかない拝まれんどう (我がカナイが拝まれるよ)
 やを泊押着ちやん (ヤヲ泊に押し着いた)  
 やをの大主のろが (ヤヲの大主祝女が)
 降りて座うち上て座うち (降りて参って上って参って)
 何処の村の厳子等が (どこの村の「いつこ・勇者」達か)  
 女しち斯遠来る (女でもってこう遠くまで来る)
 真宝ん買いが来んなあ (真玉を買いに来るのか)  
 す玉ん買いが来んなあ (す玉を買いに来るのか)
 真玉ん買うて行けよ (真玉も買って行けよ)  
 す玉ん買うて行けよ (す玉も買って行けよ)
 赤なーいーぢむぢらーこーてい (赤縄を撚り糸を買っていけよ)

[1461] Re[1459][1457]: 『一万年の旅路』  大三元 2005/09/15(Thu) 22:42 [Reply]
神奈備さん
> > 『一万年の旅路』p.155に、水を渡る民との遭遇のお話があります。三日ほどである程度の相互理解ができるようになっています。幼い子供達はもっと速く新しい言葉を身につけたとあります。

まぁ、現代でも子どもは何カ国語でもすぐに覚えるようですからねぇ。

>  どうなんでしょうね。この程度の差とは大阪弁と東北弁程度なのか、日本語と朝鮮語程度なのか、評価が難しそうですね。

覚えやすければ言語系統も近い、という話は見聞きしたことがありませんが、系統が近ければ(スペイン語とイタリア語、とか)そのままでも意思伝達ができるようです。現代の日本のおとな(一般的に、英語ができない、という固定観念的レッテル)の言語感覚とはだいぶ違うものを想像しないといけないような気がします。

>  水を渡る民は黒い鳥(ワタリガラス)に土地を教えてもらっているようで、八咫烏のイメージかも。

ワタリガラス伝承(射日伝承)も広範囲(准南子、北方、北アメリカ)に伝わっているのですよね。驚きます。アイヌでも、獲物の在処を教えてくれる、という性格もあります。

[1460] 酘 と つつ  大三元 2005/09/15(Thu) 22:32 [Reply]
恋川亭さん、

「酘」の字。素早い! 凄い行動力ですね。感嘆!

「つつ」を「星」の意味にとるのは「ゆふつつ(ゆふつづ?)」が金星を意味しているからのようで、「つつ」が「星」を意味する唯一の例のようです。また、「つつ」か「つづ」か積極的には不明のようです。
また、「つつ」は鶺鴒、をも意味しています。
(参照『時代別国語大辞典上代編』)

一方、琉球方言を眺めてみます(『沖縄古語大辞典』)。
各語の変化語形が豊富です。
つき:月 {ちぢ、ちき、ちちゅ、てぃき、てち、・・}
つぢ:頂き。頂上・・{ちぢ、ちじ、つつ、つち、つぢ、、つき・・}}
つつ:霊力、神霊
つつ:舟の帆柱を受ける太い柱、舟玉を祀るところ
つづ:粒。米や粟・麦・豆などのように丸くて小さいもの。
つづ:不詳。仲立ち、といった意味らしい。{ちぢ}

上記の中のどれかが、「塩椎」や「筒男」の意味に結構オリジナルなものを与えて、どれかが、誤解や語呂合わせによって伝承の変形を生成したり、、、そんな感じがします。「つつ」を例えば:
 鶺鴒と考えると北方神話との相性が(他にもあるので)良さそうだし
 月と考えるのも、月を舟と考える(日本でも)アイヌの文化ともつながり
  そうだし、潮・月 をアイヌ語にしてみると chiw chup、これは 
  流れる(空を行く)(chiw) ・舟(chip)と語呂合わせできたり。
 月と考えると、北方神話(ユカギールだけ)に月の老人という媒介者が出てくる
  ので塩椎翁にも合いそう。このモチーフは中国南西地域に広くでてくる、という。
 塩の粒、に霊力を見る、とも言えそうだし。

中国南西地域や、北方の伝承と共通な伝承が日本バージョンに展開されたにあたって諸要素が入れ替わったり翻案されたり組み合わせが変わったりしてるのかも。

「筒男」は「月男」(日本でも月を擬人化する)で、「塩椎」は「空行く・舟」かも。

[1459] Re[1457]: 『一万年の旅路』  神奈備 2005/09/15(Thu) 18:49 [Reply]
大三元さん

『一万年の旅路』p.155に、水を渡る民との遭遇のお話があります。三日ほどである程度の相互理解ができるようになっています。幼い子供達はもっと速く新しい言葉を身につけたとあります。
 どうなんでしょうね。この程度の差とは大阪弁と東北弁程度なのか、日本語と朝鮮語程度なのか、評価が難しそうですね。
 水を渡る民は黒い鳥(ワタリガラス)に土地を教えてもらっているようで、八咫烏のイメージかも。

[1458] Re[1454]: 津々浦々で  恋川亭 2005/09/15(Thu) 18:29 [Reply]
大三元さん >
『学研・漢和大辞典』の改訂版をみてきました。最新版には「酘」が載っていました。
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神奈備先生 > Re:[1454]『津々浦々で』
> と言えるかどうかは、筒の解釈の問題。

そうですね。筒という漢字1文字にして、書き分けて表記していないなァと思ったものですから。

> その他、色々で、真弓宮司さんは津々浦々の津々とも。

星のツツ説よりも説得力がありますね。「ツ」には港以外に、交通の便や要という用例もあるそうです。また、五島では鱗のこと、沖縄で海上沖合のことを指す例も。
私は「塩土老翁」も、筒男三神と重なるかナァと妄想。
  ・シオツツノオジ→潮つ霊

> ついでに、茅渟の海のチヌは韓国語の「チヌンヘ」が「沈む太陽」の意で、夕日が沈む海のことを「チヌ」の海と云うようで、先にこれがあり、その海から捕れる鯛をチヌ鯛と云うようです。『住吉信仰』真弓常忠著から。

韓国語の辞書を立読みしてもローマ字の表記が無いので判らないのですが、この例に限って漢字から想像がつきました。
 「沈・陽・海」チン・ヤン・ハイ→「チヌンヘ」 では?(笑)
これは・・・もしかして、漢語表記を韓国語風に発音しただけではありませんか?
真弓先生はサッチー似の名前の方から、古代韓国語としてこのことを教えられたと書いてありますが・・・大丈夫ですかね?。(『ワタシ、阪神のマ・ユ・ミ(はぁと)!』という古い冗句を思い出しました。笑)

仮に「チヌンヘ」から茅渟の海と呼ばれたとしたら、飛鳥時代以降の比較的新しい時代だろうと推測します。
大阪湾は浪速側から見ないと「夕日が沈む海」になりませんし、実際には淡路島の島影か須磨〜六甲の山影に沈むので、水平線に沈みゆく情景ではないですね。祖国滅亡に遭遇した亡命百済文人が、船で逃げてきた航路を振り返って名付けた感傷的命名かも。

上記の「沈陽海」という想像通りならば、漢語的教養であって古代韓国語固有の言葉とは言い難いと思います。一般に刊行する書籍ならば、まずは『古代韓国語』とするソースの検証を明記してほしいところですね。
私自身は、本当の(真実の)『古代韓国語・古代朝鮮語』の語彙資料を、ごく普通の日本人にも利用できるように公開してほしい、と願っている一人です。(ローマ字表記などで)

[1457] 『一万年の旅路』  大三元 [Url] 2005/09/15(Thu) 14:28 [Reply]
神奈備さん
『一万年の旅路』p373に
「(彼らは)しきりに何かしゃべっていた。・・・彼らがくり返しやってきて、われらが彼らと話をできるようになると・・・」
と言うくだりがありました。

[1456] Re[1452] [1451][1448][1447]: 豊穣の「豊」の豆  倭亞府 2005/09/15(Thu) 11:20 [Reply]
「豆」と「血」の古い字形が似ています。
「豆」は・肉をもる食器「たかつき」の形を模ったともあります。
豊穣の「豊」の豆です。
「血」の字形ですがワイングラス「杯?」のような形で、「たかつき」と繋がるとすれば「生贄」を感じさせます。
「酘」と「生贄」・・・・いや外からの遺伝子との混合(混血)が豊穣の「豊」の基と成ったのでは?・・・・・・オカルトで無く 真面目に考えました。

[1455] Re[1454]: 津々浦々で  大三元 [Url] 2005/09/15(Thu) 11:14 [Reply]
神奈備さん
> 『一万年の旅路』

イロコイ族の古事記、とも言うべき長編、お読みになりましたか。
私は、最後の方は飽きてしまったような気がします。

> 言葉は通うじているように読めますが、身振り手振りだったのかも。

異なる部族とも意志は通じ合っていたようですが言語がどうだったのか、ハッキリした記述はなかったようですね、(最後の方に何かあったりして)


[1454] 津々浦々で  神奈備 2005/09/15(Thu) 10:56 [Reply]
恋川亭さん

> 厳原東里野良の住吉神社では、配祀に少童神とありますね。
> ・祭神:表筒男神、中筒男神、底筒男神
> ・配祀:表津少童神、中津少童神、底津少童神
> 配祀神には格助詞「の」の「津」があるのに、祭神には無いのが面白いです。

と言えるかどうかは、筒の解釈の問題。
津津 の港
津津 港の
その他、色々で、真弓宮司さんは津々浦々の津々とも。

ついでに、茅渟の海のチヌは韓国語の「チヌンヘ」が「沈む太陽」の意で、夕日が沈む海のことを「チヌ」の海と云うようで、先にこれがあり、その海から捕れる鯛をチヌ鯛と云うようです。『住吉信仰』真弓常忠著から。


大三元さん
> 北方神話自体が南洋諸島、江南なんかとつながっている要素(洪水、兄妹婚)もあり、それどころか北米北西岸にまで広がっているものがある(シャチ、太陽と烏)。

『一万年の旅路』と云う本では、アメリカインデアンの祖先達の旅のもようをえがいているのですが、色んな他の人や人の群と出合ながら、ベーリング海峡が陸地であった頃にアラスカに渡っています。言葉は通うじているように読めますが、身振り手振りだったのかも。

[1453] Re[1452]: 住吉の語義  恋川亭 2005/09/15(Thu) 10:54 [Reply]
> 「酘」について、こんな情報は如何でしょ?
> http://www.rakuten.co.jp/nagataya/126051/

ソエと読んで「初酘・中酘・留酘」とありますね。酒造での酘とは、『酒母に麹と蒸米と水を加える』作業のことを指していますね。参考になりました、ありがとうございます。

[1452] Re[1451][1448][1447]: 住吉の語義  大三元 [Url] 2005/09/15(Thu) 10:33 [Reply]
恋川亭さん
>  藤堂さんの『学研・漢和大辞典』には載っていませんネェ。(30年ぶりに大改訂された最新版が出たそうですが、それは未見です。)

ほう、改訂版が出たのですか。チェックしてみないといけませんね。
「酘」について、こんな情報は如何でしょ?
http://www.rakuten.co.jp/nagataya/126051/

[1451] Re[1448][1447]: 住吉の語義  恋川亭 2005/09/15(Thu) 10:22 [Reply]
大三元さん >
 藤堂さんの『学研・漢和大辞典』には載っていませんネェ。(30年ぶりに大改訂された最新版が出たそうですが、それは未見です。)
『三省堂・漢辞海』には載ってました。(酘の第2義が「迎え酒」と。笑)
 私は「豆酘」を「豆を二段醗酵させた酒」と勝手に書きましたが、そんな酒なんてあるのでしょうかネ?豆を醗酵させると納豆か醤油でしょ、そこから(別種の麹で?)さらに醗酵させて酒ができるのかしら???無責任な書き込みで済みません。m(__)m ダカラシンジナイデネト
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
玄松子さん >
> 豆酘は天道信仰の聖地。
> 住吉=天道(天童)だから、一方は海童神を祀るのだ、

厳原東里野良の住吉神社では、配祀に少童神とありますね。
 ・祭神:表筒男神、中筒男神、底筒男神
 ・配祀:表津少童神、中津少童神、底津少童神
配祀神には格助詞「の」の「津」があるのに、祭神には無いのが面白いです。
 ワタ系−ツツ系を眺めてみた伝奇屋としては、住吉三神に、日子火能邇々藝命・日子穂々出見命・鵜茅草葺不合命という日向三神との重なりを盛り込んでほしいなぁ、と(笑)。
 「豊前の八幡古表神社の神相撲」の黒い住吉神は、神奈備先生のご指摘のように武内宿禰の面影なのでしょうね。三神が一体化しているのでスーパーパワーなのだろうか?(バロムワンかいな)

[1450] 北方神話  大三元 [Url] 2005/09/14(Wed) 21:46 [Reply]
あいかわらずの生兵法なんですが、北方神話を勉強してみると、その中に日本で伝承していることの共通性も見つかり面白いのですが、それ以上に、北方神話自体が南洋諸島、江南なんかとつながっている要素(洪水、兄妹婚)もあり、それどころか北米北西岸にまで広がっているものがある(シャチ、太陽と烏)。どういうことがあったら、こういうことが、起こりうるか、を考えるに、これらの幾つかのモチーフは万年単位昔の先祖を源として広がったとか、更にそれ以前から共有されていたモチーフなのだ、と考えたくなります。同じようなモチーフを異なる言語で伝承してきている。万年単位では同じ言語だったのか・・・それは立論ができない想像の世界だろうけど。


[1449] Re[1448][1447][1446]: 住吉 の語義  神奈備 2005/09/14(Wed) 18:29 [Reply]
> 鴨もイイガカリがつけられそうです、アヂ鴨、アヂ・ミ、アヅミ
> 先ほどアップデートしました。
>

拝見致しました。

> 「あぢかも」という種類の鴨がある。「あぢ・神」と作れば「あぢみ→あづみ」とつなげてみたくなる。

最古の海人族と最古の王権と勝手に思っている二つのグループのルーツにかかわるお話、これは大きいヒント鴨。

[1448] Re[1447][1446]: 住吉 の語義  大三元 [Url] 2005/09/14(Wed) 13:18 [Reply]
玄松子さん

> > 対馬の阿比留氏を想起させますね。

おお、そういうお名前がありましたねぇ。。。
鴨もイイガカリがつけられそうです、アヂ鴨、アヂ・ミ、アヅミ
先ほどアップデートしました。

> > > 恋川亭さん> 対馬の地名「豆酘」について判ったわけではありませんが。

いやぁ、豆「酸」と書くのだとばかり思ってました。恥ずかしい。
「酘」だったのですね。しかし、『学研・漢和大辞典』で見あたらないのは何故だろう。オッチョコチョイだから何か見落としているのか。

[1447] Re[1446]: 住吉 の語義  玄松子 2005/09/14(Wed) 12:34 [Reply]
大三元さん> http://www.dai3gen.net/nanai.htm
引用:「アビがくちばしに土と石を持って飛ぶと、大地が生まれた。山と野が生まれた。」

対馬の阿比留氏を想起させますね。


恋川亭さん> 対馬の地名「豆酘」について判ったわけではありませんが。

豆酘は天道信仰の聖地。
住吉=天道(天童)だから、一方は海童神を祀るのだ、
というと小説が書けそうだなぁ。時代が合わないかもしれないが、それはそれ。

[1446] 住吉 の語義  大三元 [Url] 2005/09/13(Tue) 23:05 [Reply]
スミ、という音が「州(す)・神(み)」ではないか、と思い当たりました。
北方(アムール川あたり)の神話からヒントを得ました。
要するに国土創成の神なのではないか、ということになりますが、まだ(ト)度が高いです、(^^;)
http://www.dai3gen.net/nanai.htm

[1445] スマ・スミ・スム・スメ・スモ  いこまかんなび 2005/09/13(Tue) 22:33 [Reply]
住みにおけないカモ。それでは五段活用でいってみましょーう。!!
だめでしょうかね。
住吉(墨江)の国は、スムチなどのスムの神など・などで聖域を護っていたのでしょう。東の端にはオムが護っています。スム・オムで考えてはどうでしょうか。キムチは関係ないですね。

[1444] 豆酘  恋川亭 2005/09/13(Tue) 21:18 [Reply]
対馬の地名「豆酘」について判ったわけではありませんが。
 ・豆:ズ→呉音の音読み、漢音の音読みはトウ。
 ・酘:ズ→呉音の音読み、漢音の音読みはトウ。
トウ・トウがツツになったのか、ズ・ズがツツになったのか。(笑)
漢音か呉音かはともかく、音読みの地名なのですね。

書店の立読みで数種の漢字辞典を調べたのですが、だいたいは
 ・酘:二回(二度)にわたって醗酵させた酒
という意味のようです。
へ?酒になったものを、再び醗酵させるの?酢にはならないの?蒸留酒の意味ではないの?・・・といった素朴な素人疑問が湧きましたが、アルコール分の強い酒なんでしょうね。いずれにせよ、豆酘とは『豆で作った強い酒』という意味のようです。
 対馬の豆酘は、赤米の神事が有名です。豆のほうが赤米よりも、もっと古くから耕作された作物のように思われます。古代で酒を醸すということは、根本的で重要な神事ですね。対馬の豆酘は、神事的にも重要地だったのでしょう。

[1443] Re[1439]: 青草もとの住吉神社はここ?  恋川亭 2005/09/13(Tue) 20:38 [Reply]
> Re[1434]:『青草もとの住吉神社はここ?』ペギラさん(2005/09/13)
> 「墨」という文字からは、清いとか澄んでいるとかを
想像させるものではないと思いますよ。
やはり、「色」か「入れ墨」
> その文字を古事記が使う理由が、知りたいと思う今日この頃。

チャコール云々の「澄み」は冗談ですヨン。(笑)
ご指摘の通りその当時は、現代的な色そのものを表す言葉として、
『黒』という語が完成しきっていない印象を持っています。
〔クロは中央アジア系のカラかな?−例:カラホト、カラコルム、マハーカーラ〕
『墨』で黒色を示した可能性は十分考えられますネ。
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> Re[1435]:『青草もとの住吉神社はここ?』玄松子さん(2005/09/13)
> 豊前の八幡古表神社の神相撲

拝見しました。いいですねー!
この神社の細男舞や神相撲の、この感覚!大好きです。(笑)
ファンになっちゃいます。(爆笑)
でもマジメに戻っても、何か大切な事を伝承しているような気もしますね。

> 住吉=黒、は常識だったのでは、なかろうか。
> その黒は、体色か、入墨か、イカの墨か、(タコの墨も)。

『住吉=黒、は常識だったのでは』重要なご指摘ですね。
(タコに拘ってるけど)

> 「墨」=黒土。赤土(丹生)への新興対抗勢力。

住吉とは離れますが、関西の私は「砂浜=白、土=赤」だったのです。
東日本で黒い砂浜や黒い畑土を見たときは驚きました。
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> Re[1436]:『青草もとの住吉神社はここ?』大三元さん(2005/09/13)
> なにも烏賊を介しなくとも 墨 と 澄 などはつながるのでは?

すみません、単なるノリです。<(__)>ゴメンチャイ
ただ、対馬と中臣烏賊津使主とイカと、海峡交易と遠征は密接な関係があると思っています。
そして、それが原・住吉三神を対馬から摂津へ招来することになったのか・か・か???
(見当を検討中、健闘、賢答?)
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住から澄・炭・墨と、この問題は隅に置けませんナ。済みません。

今、投稿しようと開いたら、神奈備先生にオヤジ・ギャグを越されてた。イヤン!

[1442] 隅に置けない黒男  神奈備 2005/09/13(Tue) 20:24 [Reply]

昔この掲示板で話題にしました黒男について。
宇佐神宮摂社黒男神社
大分県日田市の玉垂神社<通称>黒男社
福岡県糟屋郡久山町の黒男神社
など九州には黒男、黒尾、黒男殿神社が散見されます。武内宿禰を祭神としています。
読みは、くろどん、くろお、おくどろ など。

 武内宿禰は色が黒かった。この傍証らしいのが、↓
> [5046] 空想、列島と半島6  かたばみさん
> 万葉3844 ぬば玉の斐太の大黒見るごとに巨勢の小黒し思ほゆるかも
> 巨勢斐太朝臣の真っ黒けの顔を見るたびに巨勢朝臣豊人の浅黒い顔を思い出す・・
> 土師宿禰水通が巨勢氏の顔の黒いのをあざけった歌で、巨勢氏が黒い肌の渡来者を祖にすることを示唆すると考えています。

巨勢氏を子孫とすれば黒いのは不思議ではなく、武内宿禰が帯同してきた手下とすれば、やはり南方から。

 相撲ととって強いのが、住吉神のおんくろう人形、これは武内宿禰の無関係とは思われません。共に神功皇后伝承に深くかかわる神です。

 住吉大社の鎮座地は茅渟の海、これまた黒鯛の海。

[1441] [1427] RE この地名の『豆酘』の意味が・・・  倭亞府 2005/09/13(Tue) 18:08 [Reply]

 私的に字解しました。
豆「トウ」・ズ・・・・・逗トウ留の逗「トウ」(留まる・役)
酘 トウ・ズ=酉トリ(墓・地図作りの隠語 鳥瞰図チョウカンズのトリ)+殳シュ・ズ・Ψ・Т・Υ・ほこ(測量器具)
とうす・・・・厠かわや(便所の守り神) 監守の用いる便所  監守(監督・守護する人)・・・・地神?
『「ツツノヲ」とは<豆酘の男>ではないか』!!・・・・・「ツツノヲ」とは筒・厨図
古代の測量士(地図作り・国作り)は、古墳作りしながら移動を繰り返した民と、定住し更なる正確な地図作りと国作りに「根」座した民が存在したと考えています。(「根」の付く地名など)
私的に『豆酘』の意味の意味は、地図作り・国作りに定住した酉トリ(墓・地図作りの隠語)の民の住む地名?と考えます。


http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/0-55.htm

紀元前600年頃と推定される、文字が刻まれた石(水窪石)が発見されたと報じられた。解読の結果「バルーツ(女神)ガシヤン(男神)に奉る」と書かれていることがわかった。

バール
 カナーンの主神。雨と豊饒の神でしばしば太陽神とも見なされる。ただし後にキリスト教文化下で悪魔化して邪神とみなされた。バール(Baal)は「主」の意で神を示す一般名詞でもある。なお女性形はバーラト(Baalat)。この語はバビロニアで「主」の意を持ち主神の称号であったベル(Beel)に由来すると推察される。
http://www.se-inst.com/lib/dds98ded48.htm

霧の彼方の神々
http://www.tcn-catv.ne.jp/~woodsorrel/kodai/kf07.html

カナンの地で信仰されたバール神の一柱、オシラー女神ではないか ...
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/3_J.html

大天使ルシフェルが堕天した姿である魔王ルシファーとも同一視される。キリスト教では不吉とされる6の倍数の、4463万5569とも740万5926とも言われる悪魔の軍団をまとめあげているらしい。その姿は時代によって様々に描かれるが、おおよそこの世で最も恐ろしく、醜い姿で現されることが多い、まさに邪悪の化身である。因みにイスラム教のマホメットと、異教のバール神、そして仏教の仏のポーズを取り入れた悪魔バフォメットなどは本当によく考えられたものだと思う。(ヨーロッパ)
http://www.geocities.jp/yuzusenbei/test39.html

[1440] 墨子=墨子・・・クロー  倭亞府 2005/09/13(Tue) 18:03 [Reply]
真面目に考えました。
墨子
博愛思想は当然に反戦思想(非攻)に結びつく。
http://takaosuda.hp.infoseek.co.jp/homepage/china/bokushi.html
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/photo/stamp/china/philosopher5.htm

「江」=人工の川
「田」=地図(田図+)
「ボクシ」・・・「クロー」・・・「牧師」・・烏ヤタガラス・・・真面目です。

[1439] Re[1436][1435][1434][1433][1430]: 青草もとの住吉神社はここ?  ペギラ 2005/09/13(Tue) 17:45 [Reply]
> 墨、住、澄、真「清」田神社、
> 清澄、清住、真澄神社

「真清田」神も「住吉」「墨江」と同じような現象になっている。
六国史上では、「真『清』田」なのに、延喜式では、「真『墨』田」となる。

「墨」は、特別な神聖なものがあるのだろうか?とも思えてくる。

玄松子さんの
「住吉=黒」 で、何か見えてきそうな感じもするが。。。。う〜。

謎はさらに深みに。。。

[1438] Re[1435][1434][1433][1430]: 青草もとの住吉神社はここ?  玄松子 2005/09/13(Tue) 17:42 [Reply]
わざわざ書くほどのことでもありませんが、誤解されそうな記述なので、補足。

> (自分のサイトへリンクをはるのは、ちょっと嫌悪。)

僕のサイトは、資料としてではなく、個人の思い出日誌(記憶)なので、自分で自分を紹介するようで、気恥ずかしいし、自己嫌悪を感じる。
他の、資料的価値の高いサイトと同列ではないのです。
という程度の意味です。

[1437] Re[1436]  大三元 2005/09/13(Tue) 16:50 [Reply]
ピンボケ。。。無視して下さい。

> 墨、住、澄、真「清」田神社、
> 清澄、清住、真澄神社
> > なにも烏賊を介しなくとも 墨 と 澄 などはつながるのでは?
>

[1436] Re[1435][1434][1433][1430]: 青草もとの住吉神社はここ?  大三元 2005/09/13(Tue) 15:56 [Reply]
墨、住、澄、真「清」田神社、
清澄、清住、真澄神社

なにも烏賊を介しなくとも 墨 と 澄 などはつながるのでは?

[1435] Re[1434][1433][1430]: 青草もとの住吉神社はここ?  玄松子 2005/09/13(Tue) 13:07 [Reply]
有名な話ですが。

> 「墨」という文字からは、清いとか澄んでいるとかを想像させるものではないと思いますよ。
> やはり、「色」か「入れ墨」

豊前の八幡古表神社の神相撲では、真黒クロスケの住吉大神が最強。11柱の神々を、一人でやっつけます。
http://www.genbu.net/data/buzen/kohyou_title.htm
(自分のサイトへリンクをはるのは、ちょっと嫌悪。)

住吉=黒、は常識だったのでは、なかろうか。
その黒は、体色か、入墨か、イカの墨か、(タコの墨も)。


おまけの青草。
「墨」=黒土。赤土(丹生)への新興対抗勢力。

[1434] Re[1433][1430]: 青草もとの住吉神社はここ?  ペギラ 2005/09/13(Tue) 10:37 [Reply]
> > 黒い墨? 陶津って感じもあるから、須恵器作りで炭沢山使って、港の水が真っ黒黒助??
>
> チャコールの浄化作用により、水がきれいに澄むんじゃないかと(笑)。

むむむ。。確かに清酒の炭濾過で、澄み酒だ。なんて。。
そうか!黒酒はそれだ!
いやいや。違うだろうって。(笑)

「墨」という文字からは、清いとか澄んでいるとかを想像させるものではないと思いますよ。
やはり、「色」か「入れ墨」

その文字を古事記が使う理由が、知りたいと思う今日この頃。


[1433] Re[1430]: 青草もとの住吉神社はここ?  恋川亭 2005/09/12(Mon) 16:26 [Reply]
> 黒い墨? 陶津って感じもあるから、須恵器作りで炭沢山使って、港の水が真っ黒黒助??

チャコールの浄化作用により、水がきれいに澄むんじゃないかと(笑)。

[1432] Re[1431]: 青草もとの住吉神社はここ?  恋川亭 2005/09/12(Mon) 16:22 [Reply]
> 隠岐の由良比女神社じゃなかろうか。

・由良比女神社(島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922)
http://www.genbu.net/data/oki/yurahime_title.htm
 祭神:由良比女神(元名和多須神)
【抜粋】『社前の由良の浜には毎年十月より翌年二月にかけて「いか」の群集するありその寄来る時は瀧の響の如くなり小屋掛けして待ちこれを掬いる多き時は一夜に数千連も押寄せり
十一月二十九日の神帰祭には少しと雖も寄らざることなしこれ遠き古より今に至るまで変わることなき不思議の一なり 』

 詳しくは憶えていませんが、ここ↑でしょうねぇ。TVでは、百年に1度の超大発生を扱っていました。『由良』:あちこちの浜で見掛ける名前なので、ちょっと気になる語ではあります。

[1431] Re[1428]: 青草もとの住吉神社はここ?  玄松子 2005/09/12(Mon) 15:55 [Reply]
>  対馬だったか?壱岐か隠岐だったか???かなり以前のTVのドキュメンタリーですが。百年に1度くらい割合で、イカの大量発生があって、

隠岐の由良比女神社じゃなかろうか。

[1430] Re[1429][1428]: 青草もとの住吉神社はここ?  ペギラ 2005/09/12(Mon) 14:17 [Reply]
> アホ草ついで。

謎が一つ。

どうして古事記は「墨江」を採用しているのか?
六国史では、すべて「住吉」。どうしてだ???

墨坂・真墨田  延喜式でも「墨江」ってあるのかな?

黒い墨? 陶津って感じもあるから、須恵器作りで炭沢山使って、港の水が真っ黒黒助??

それとも 入れ墨?
住吉仲皇子・安曇連濱子で、引っ掛けか?

[1429] Re[1428]: 青草もとの住吉神社はここ?  玄松子 2005/09/12(Mon) 02:56 [Reply]
アホ草ついで。

> イカの墨で真っ黒に染まったことでしょう。これこそ『墨の江』ではなかろうか!

明石はタコの『墨の江』。イカの身は筒にも見えるよなぁ。

[1428] 青草もとの住吉神社はここ?  恋川亭 2005/09/12(Mon) 01:41 [Reply]
 中臣烏賊津連と対馬で、やっと思いだしました。

 対馬だったか?壱岐か隠岐だったか???かなり以前のTVのドキュメンタリーですが。百年に1度くらい割合で、イカの大量発生があって、今の高齢者が子供の頃に見た光景を語る番組を観たことがあります。島の湾内に、膨大な数のイカが流れ込んで来て、幼児でも手当たり次第に獲れる状態だったそうです。

 お年寄りが昨日のことのように興奮して語る衝撃の経験。見渡す限り湾内を埋め尽くすイカ・イカ・イカ・・・。古来から代々語り継がれてきた、伝説の現象とか。
 ここまでは、本当のお話し。さて・・・、

 村人、島人が総出で獲り尽くしたとしても、その後の湾内は、イカの墨で真っ黒に染まったことでしょう。これこそ『墨の江』ではなかろうか!
 住吉三神のルーツは、対馬でのイカの墨に染る伝説を持つ『墨の江』にある!!!

 「澄の江」→「炭の江」→「済の江」ときた私の青草は、ラストの『イカの墨の江』で爆笑青草というオチにいたします。v(^^;
 長々と脱線をお許し頂き有り難うございました。本来の『摂津の住吉の本住吉はどこか?』の流れへと。 m(__)m

[1427] Re[1426]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/12(Mon) 00:13 [Reply]
>> 祭祀担当は『手搓足尼』(なんて読むのでしょう?)
> 田裳見宿禰(たもみすくね)でしょ。

ありがとうございます。m(__)m

>> 対馬に行ったことがないのですが、雰囲気漂ってますか〜?
> 穏やかな入り江の奥の岬の先。のどチンコの先端のような場所ですね。
> ところで、日本最初の住吉神社は、壱岐にあったような。
> 壱岐には海神社もありますね。(対馬にも海神神社。博多にも住吉と志賀海。)

対馬・鴨居瀬の住吉神社の写真、『玄松子の記憶』サイトで拝見しました。→下記の(4)
壱岐の日本最初の住吉神社、ここですね→下記の(1)
対馬の海神神社→ダイレクトが判らないので、『神社記憶』の地域INDEXから入りました。
==========================
壱岐/対馬/隠岐からワタ系・ツツ系っぽい神社をリストします。
例によって、玄松子さんの『神社記憶』から【引用】。<(__)>
http://www.genbu.net/cgi-bin/mapindex.cgi?index=4&target=place
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〔壱岐〕
(1)住吉神社(壱岐市芦辺町住吉東触470)
http://www.genbu.net/data/iki/sumiyosi_title.htm
 祭神:底筒男神、中筒男神、表筒男神
『皇后凱旋の時、郷ノ浦に上陸し、足形を石面に残し、そこに祀られた。(中略)その後、皇后の臣、安部介麿に壱岐を賜り、住吉大神に仕えさせた。日本最初の住吉神社らしい。』

(2)和多津美神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦小崎)
http://www.genbu.net/data/iki/watatumi_title.htm
 祭神:和多津美命、岡象女命、速秋津日命

(3)海神社(壱岐市石田町筒城西触323)
http://www.genbu.net/data/iki/kaino_title.htm
・祭神:豊玉彦命
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〔対馬〕
(4)住吉神社(対馬市美津島町鴨居瀬174)
http://www.genbu.net/data/tusima/kamoise_title.htm
・祭神:彦波瀲武ウガヤ葺不合尊,三筒男命(住吉神)

(5)住吉神社(対馬市美津島町鶏知字浜田原上ヒナタ1281)
http://www.genbu.net/data/tusima/sumiyosi3_title.htm
『祭神は、草葺不合尊・豐玉姫命・玉依姫命となっているが、これらは和多都美系の祭神。脇宮として祀られている。当社の本来の祭神は、住吉大神であり、表筒之男・中筒之男・底筒之男のはず。』
【引用の引用】 『田中卓氏は、その著『住吉大社史』において、住吉の神は對馬で顕現したものとして、それは對馬の南端の村豆酘と関係があるのではないかと考察し、「ツツノヲ」とは<豆酘の男>ではないかと説かれてゐる。しかし住吉は豆酘にはなくて、鶏知が祭祀の中心となつてゐる。そして鶏知の住吉が、和多都美と同座してゐる状態が、田中説にある住吉と和多都美の同系論に、有力な根拠となり得るのではないだろうか。 −『式内社調査報告』−』

(6)住吉神社(対馬市厳原町大字厳原東里野良353)
http://www.genbu.net/data/tusima/sumiyosi2_title.htm
・祭神:表筒男神、中筒男神、底筒男神
・配祀:表津少童神、中津少童神、底津少童神

(7)和多津美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮55)
http://www.genbu.net/data/tusima/watatumi_title.htm
・祭神:彦火火出見尊、豐玉姫命
      渡海大明神 『對州神社誌』
      彦火火出見尊,鵜茅葺不合尊 『大小神社誌』
      祭神二座 『神社大帳』

(8)和多津美御子神社(長崎県対馬市豊玉町仁位桜町14116)
・祭神:鵜茅葺不合尊、神武天皇、應神天皇、菅原道眞

(9)乙和多津美神社(対馬市厳原町久和字東浜1)
・祭神:玉依姫命、豐姫命

(10)海神神社(対馬市峯町木坂247)
・祭神:豐玉姫命
・配祀:彦火火出見命、宗像神、道主貴神、鵜茅草葺不合命

(11)都々智神社(対馬市美津島町郷崎)
http://www.genbu.net/data/tusima/tututi_title.htm
・祭神:天之狹手依比賣命、表筒男命、中筒男命、底筒男命

(12)多久頭魂神社(対馬市厳原町大字豆酘字字龍良山1250)
http://www.genbu.net/data/tusima/takududama_title.htm
・祭神:天照大御神、天之忍穂耳命、日子火能邇々藝命、日子穂々出見命、鵜茅草葺不合命
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〔隠岐〕
(13)海神社(隠岐郡西ノ島町別府409)
http://www.genbu.net/data/oki/umi_title.htm
『祭神不詳  「延喜式」由良比女神社に付記されている「元名和多須神」は、この海神社のものであると説き、『渡明神』とする説あり。江戸時代は「六社神社」とよばれ、『住吉三座・志賀三座』を祭神とした。『海童神二座』とする説が有力らしい。』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 以上、現地への交通費や宿泊費も費やさず、休日も使わずに手間無しで、画像や資料を拝見できました。いつもながらお世話になります。HPで貴重な「記憶」をご公開いただき感謝いたします。
==========================
 さて、田中卓先生の『「ツツノヲ」とは<豆酘の男>ではないか』!!
面白いですねー、正論認定!としたいところです。わが青草なんて、吹き消されてしまいます。しかし、この地名の『豆酘』の意味が、手元の字典に載ってないのでまだ判っていません。
 『住吉三神のルーツは対馬』説。だんだんと納得できそうになりました。

[1426] Re[1425][1422]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  玄松子 2005/09/11(Sun) 19:19 [Reply]
>  ・祭祀担当は『手搓足尼』(なんて読むのでしょう?)

田裳見宿禰(たもみすくね)でしょ。


> 対馬に行ったことがないのですが、雰囲気漂ってますか〜?

穏やかな入り江の奥の岬の先。のどチンコの先端のような場所ですね。

ところで、日本最初の住吉神社は、壱岐にあったような。
壱岐には海神社もありますね。(対馬にも海神神社。博多にも住吉と志賀海。)

[1425] Re[1422]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/11(Sun) 17:47 [Reply]
いつも厚かましくお邪魔してます。m(__)m

> Re[1422]:『青草もとの住吉神社はどこ 続き』神奈備先生(2005/09/10)
> 網を曳くので、網曳、饗彦、これが魅力的な感じ。

依網(ヨサミ)→寄せ網、吾彦(アビコ:我孫子)→網曳、
いいですね。男垂水(ヲタルミ)→水もしたたる良い男?(笑)

> 『住吉大社神代記』には広田〜長田に神を祀るお話の後、表筒男・中筒男・底筒男の三軍神、誨へて曰く、「吾が和魂をば宣しく大御栄の大津の渟中倉の長岡峡国に居さしむべし。便ち往来ふ船を看護さむ。」因、則ち手搓足尼を以て祭拝らしむ。

ここから、
 ・表筒男・中筒男・底筒男の三神は『軍神』
 ・鎮座したのは『和魂』
 ・鎮座した所は『大御栄の大津の渟中倉の長岡峡国』
 ・そこは『往来ふ船を看護』できるようなところ
 ・また、それほど多くの船が『往来ふ』ほど栄えていた
 ・祭祀担当は『手搓足尼』(なんて読むのでしょう?)
  (大御栄が後の大阪につながると面白いですね〜)

> 鎮座地(住吉大社)は手搓足尼の邸宅だそうです。
> 手搓足尼、いかにも浪花の商人のイメージ、損して得取れか。

 ・『手搓足尼』が『邸宅』を構えるほど商業物流が賑わっていた

 この住吉大社の鎮座地が、仮に浪花の住吉津(スミノエ)として、長大な天満砂洲の南にある入り江が、ラグーンの海水浄化作用により、非常に澄明な潮水である美しい良港→『澄みの江』を考えてみました。
 しかし、かなり商業が賑わった物流拠点としての港とすると、河内・和泉の陶器・青銅器の大工業地帯が目に入ります。これらの地域では、膨大な量の炭を必要としたのではなかったか?近隣の資源では間にあわない為、和歌山で大量生産した炭を運び、この港に集積した→『炭の江』(かなりの青草やなぁ)。
 このような物流技術の発達が、軍事的行動力の充実→遠征能力をもたらしたと思うのです。
 スミノエを住吉三神が鎮座される前からあった地名と考えて、『澄みの江』→『炭の江』と青草したのですが・・・まだまだ懲りない。↓
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>> 住吉大神を北九州出自の神さまと想定してもいいかなぁ。
> 『住吉大社神代記』に、皇后が誉田皇子を産んだ後で、筑紫大神、社を定め奉らむとして皇后に誨へて曰く、「我が荒魂を穴門の山田邑に祭らしめよ。」と。これは『神代記』の著者の認識。

・ここでは『筑紫大神』とはっきり「認識」されてますね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>> 仲哀天皇が筑紫に来たときに集まった地元豪族
> 中臣烏賊津連の名が見えますが(中略)対馬の親方と見ていいと思います。

 このとき、中臣烏賊津連や五十迹手と同様に、岡の県主の祖・熊鰐(ワニ)が迎えています。このワニさんの奏上(書紀・仲哀天皇八年)には、『穴門より向津野大済に至るまでを東門とし、名籠屋大済を以ては西門とす。』とあります。
 ・向津野大済(ムカツノノオホワタリ)
 ・名籠屋大済(ナゴヤノオホワタリ)
ここでワタリとは港のことで「渡り」でしょうか、『済』の字を当てていますね。

 また、書紀・景行天皇の28年条には、『吉備の穴済の神、並びに難波の柏済の神のみ。』と出てきます。27年条の最後に、『済、此をば和多利と云ふ』と註釈つきです。
 『済』には、動詞のワタル・ワタスとして、『川や難路を無事に通り切る。また、通す。』という意味があるようです。(漢和大字典・藤堂明保)

!? ワタリ→済→スミ→住 !?!?
『済の江(港)→住の江』ワタリ→スミ変化説です。
ここまできたら、青青草草ですナ〜。でも、なんとなくワタ系・ツツ系のイメージが・・・。

 以前にも書き込んだ駄法螺を再び。(笑)
ツツノヲのはじめの「ツ」は港の「津」、次の「ツ」は格助詞のツで「の」。ツツヲで「港・の・男」だが発音しにくいのでさらに助詞が加わりツツンヲ→ツツノヲとなった。(青草だから信じないでネ)
======================
とりあえず、表筒男・中筒男・底筒男の三神は、
 ・「航海神 軍神 筑紫の神」
 ・「筑紫にて遠征準備中に初めて顕現された」
 ・「遠征中は依網吾彦男垂水が神主」
 ・「遠征後に荒魂を穴門に」→航海・戦闘能力
 ・「遠征後に和魂を摂津に」→皇室・航海守護

> 住吉神社のルーツのような神社も対馬市美津島町鴨居瀬に鎮座しており、元々和多都美系の神を祀っていたようです。
> http://www.genbu.net/data/tusima/kamoise_title.htm
> 強いて云えば、彼が住吉神を奉じてやって来たのでしょう。

対馬の中臣烏賊津連さんですね。サニワをされるぐらいの方ですから、おおいに、おおいに。
対馬に行ったことがないのですが、雰囲気漂ってますか〜?

[1424] [6621] Re「八重」  倭亞府 2005/09/11(Sun) 17:35 [Reply]

現在の地名で「八重」とあるのはほとんどが「やえ」と読まれるのでしょうが、上の事情から一部なりとも「はえ」に起因しているものがなかろうか、と思っている次第です。
ヤハウェ(旧約聖書にある神の御名)YHWH、Yahwehとも表記する。ユダヤ教、キリスト教の唯一絶対神。強い父性原理を持ち、人間と契約を結ぶ。契約通りに信仰するならば深い恵みを与え、それを破った時は深い罰を与える。
「八重」ヤウェ?
『記紀』の中にへブル語?
http://www.geocities.com/makiba.geo/nihon/heburugo.htm
古代日本のクリスチャン
http://www.geocities.com/makiba.geo/nihon/hatashi_2.htm
山伏の起源
http://www.geocities.com/makiba.geo/nihon/hushu_2.htm
日本古代遺跡の謎と驚異」について 2
http://www.geocities.jp/yasuko8787/kyoui2.htm

「八重」「蝿」やえ はえ・・・・・ヤハェー ヤハウェ(旧約聖書にある神の御名)YHWH、Yahwehとも表記する。  
ヤ・・・・・邪馬台国の耶・邪・・・耳=きく・・・菊
                   牙=さいとり・・・・・売買の中間手数料を取るもの(ユダヤの商人)・大将
はえ=魚+危=ガイ・なまず(鬚・ユダヤ・えびす)・・・・・・魚(キリスト教徒)
     「蝿」はえ=蛆うじ(動物の祖)の成虫(聖書での天子)
蝿(利益に群がり・こまめに飛び回るユダヤの商人の様な虫)
ヤ(大将)+ハエ(聖書での天子)=ヤハエ・・・・天子長(ミカエルやルシファー?)
ユダヤの商人+蛆うじ(死骸を塵にする)の長?   (塵からアダムをうみだす。)
YHWH、Yahwehとも表記する。ユダヤ教、キリスト教の唯一絶対神。強い父性原理を持ち、人間と契約を結ぶ。契約通りに信仰するならば深い恵みを与え、それを破った時は深い罰を与える。
   青草にも成らない苦さでした。

[1423] Re[1422][1420][1419]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  神奈備 2005/09/11(Sun) 13:45 [Reply]
『神代記』には、カゴサカ王が赤い猪に咋い殺されたので、忍熊王は「明石では敵を待たないで、引いて住吉に屯み、闘う。」と云った。とあります。
要は、明石から東へ戻り、「住吉」と云う地名の場所に陣をひいたということ。

この頃に具体的に住吉と云う場所はあったと言うことです。

さて、手搓足尼の居住地を大神の住む所として御心にかなうので、そこを住吉国と名を改めたとあります。

これは住吉と云う地名ではなかった所に大神が鎮座したと云うこと、逆に住吉と云う場所がすでにあって、忍熊王が軍をひいたと言えます。明石で待ち受けていては駄目で、例えば元住吉の地ではよろしいとの理屈があるのか否か、浪速の住吉の地の方が発想は転換できていることにはならないでしょうか。

浪速の住吉が昔から住吉とすれば、大神が鎮座してから地名を住吉に変更する必要がない。そうすると、手搓足尼の居住地は元住吉のことになるのかも。

広田神社が大阪市浪速区日本橋西に鎮座、その神社の由緒は『平成データ』によれば以下の通り。
神功皇后の諸国征伐のとき、天照大神から、わが和魂は玉体を守り、荒魂は先鋒となって師船を導かんとの神助を得て、無事平定したといわれます。その帰途、有名な忍熊王の反乱にあうわけですが、海路を難波に向かうと、皇后の船は海中をまわりまわって進まなかったので、うらないをたてたところ、やはり天照大神から、摂津国廣田の杜にまつれと御神告があったのが廣田神社の起源とされています。
生田や長田の候補神社はまだ見当たっていません。

[1422] Re[1420][1419]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  神奈備 2005/09/10(Sat) 10:54 [Reply]
網を曳くので、網曳、饗彦、これが魅力的な感じ。

> 3°住吉の筒男三神の「和魂」は、大津の淳中倉の長峡に、依網吾彦男垂水が祭ったのかなぁ?それとも、津守連の祖・田裳見宿禰が? 住吉大社神代記は司祭を誰と???

 『住吉大社神代記』には広田〜長田に神を祀るお話の後、表筒男・中筒男・底筒男の三軍神、誨へて曰く、吾が和魂をば宣しく大御栄の大津の渟中倉の長岡峡国に居さしむべし。便ち往来ふ船を看護さむ。」因、則ち手搓足尼を以て祭拝らしむ。
 この因〜後は、『神代記』独自の記載と、田中卓先生の注があります。
 
 鎮座地(住吉大社)は手搓足尼の邸宅だそうです。手搓足尼、いかにも浪花の商人のイメージ、損して得取れか。


>  住吉大神を北九州出自の神さまと想定してもいいかなぁ。

『住吉大社神代記』に、皇后が誉田皇子を産んだ後で、筑紫大神、社を定め奉らむとして皇后に誨へて曰く、「我が荒魂を穴門の山田邑に祭らしめよ。」と。これは『神代記』の著者の認識。

イザナギ尊が、筑紫日向 橘小戸檍原で禊ぎを行った時に誕生した神々の一ですから、筑紫の神と言えるのでは。


> 仲哀天皇が筑紫に来たときに、集まった地元豪族を調べると何か住吉大神につながるでしょうか???

 中臣烏賊津連の名が見えますが、彼を祀る神社はほぼ対馬に集中しています。対馬の親方と見ていいと思います。また、住吉神社のルーツのような神社も対馬市美津島町鴨居瀬に鎮座↓しており、元々和多都美系の神を祀っていたようです。
http://www.genbu.net/data/tusima/kamoise_title.htm
 強いて云えば、彼が住吉神を奉じてやって来たのでしょう。
中央で住吉三神の名がとどろき、それが逆輸入されて今や住吉三神がはばをきかすことになったとの説があります。

[1421] Re[1420][1419]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  玄松子 2005/09/10(Sat) 02:03 [Reply]
住吉と、垂水の海神社。まだまだ青草だけど、想像すると面白い関係が・・・


>  『アビコ』という大阪説の補強が出るとは思いもしませんでした。
> −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> 「我孫子」の由来を見付けて喜んでいます。関東から大阪に出張に来た人によく言っていました。『「我孫子」って読める?ア・ビ・コやねん!(笑)』などと。

大阪に居た頃は長居に住んでいたのでちょっと懐かしい。(他地方の人にはわからないかもしれませんが)

千葉には我孫子市があります。地名由来にはイロイロと説があるようですが。
http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/15,454,65,html

[1420] Re[1419]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/10(Sat) 01:12 [Reply]
> > 依網吾彦男垂水が祭った神さまは、住吉の筒男三神と考えてよいのでしょうか?
> 素直な神奈備は然りだと思います。

有り難うございます。文庫本の日本書紀しか手元に無かったので不安でした。

1°依網吾彦男垂水は、遠征に従軍して、住吉の筒男三神の「和魂」と「荒魂」の神主になった。
2°凱旋後、住吉の筒男三神の「荒魂」は、穴門直の祖・践立が穴門の山田邑に祭った。津守連の祖・田裳見宿禰も、『そないにしときなはれ』と勧めた。
3°住吉の筒男三神の「和魂」は、大津の淳中倉の長峡に、依網吾彦男垂水が祭ったのかなぁ?それとも、津守連の祖・田裳見宿禰が? 住吉大社神代記は司祭を誰と???
 『アビコ』という大阪説の補強が出るとは思いもしませんでした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「我孫子」の由来を見付けて喜んでいます。関東から大阪に出張に来た人によく言っていました。『「我孫子」って読める?ア・ビ・コやねん!(笑)』などと。
ひとりだけ敏感な人が『え?安日彦なの!』、−『そら知らんワ〜』
(ア閑話及第)m(__)m
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
>  軍船に帯同した神はどうやら住吉大神のようですね。日本書紀の文章から例えば、天照大神とかの神とは云いにくい所です。

 住吉大神を北九州出自の神さまと想定してもいいかなぁ。仲哀天皇が筑紫に来たときに、集まった地元豪族を調べると何か住吉大神につながるでしょうか???

[1419] Re[1418][1411]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  神奈備 2005/09/09(Fri) 21:41 [Reply]
> 【疑問】:ここまで書いて疑問がでました。上記の(1)に取上げた依網吾彦男垂水が祭った神さまは、住吉の筒男三神と考えてよいのでしょうか?

素直な神奈備は然りだと思います。

 皇后が帰還してからの物語。
 軍に従った神の表筒男・中筒男・底筒男の住吉三神は、皇后に教えていわれるのに、「わが荒魂を穴門の山田邑に祭りなさい」と。

 軍船に帯同した神はどうやら住吉大神のようですね。日本書紀の文章から例えば、天照大神とかの神とは云いにくい所です。

[1418] Re[1411]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/09(Fri) 01:34 [Reply]
 ワタ系、ツツ系、ムナ系をはっきり理解できていないので、まだお勉強中です。
さて・・・私も青草全開!
『広田、生田、長田、住吉の四社創祀説話は、新羅遠征の論功行賞ではないか。』(恋川亭・青草説)
=============================
○ 日本書紀、神功皇后、摂政前紀九月条より。
新羅遠征の準備のところで神さまのご託宣。
(1)『和魂は王身に服ひて寿命を守らむ。荒魂は先鋒として師船を導かむ』
    →依網吾彦男垂水をもって祭りの神主とす。

○ 神功皇后、摂政前紀十二月条より。
(2)筒男三神の荒御魂→穴門の山田邑→穴門直の祖、践立が祭る

○ 神功皇后、摂政元年二月条より。
神功皇后が務古水門に引き還して占った事と、その処置。
(3)天照大御神の荒御魂→広田国→葉山媛が祭る
(4)稚日女尊→活田長峡国→海上五十狭茅が祭る
(5)事代主尊→長田国→長媛が祭る
(6)筒男三神の和御魂→大津の淳中倉の長峡→誰とは記述なし
               (津守連の祖・田裳見宿禰か?)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ここで、
・葉山媛:天御影命第十一世孫、山代根子の娘(摂津神別、山代直)
・長媛 :葉山媛の妹
・依網吾彦男垂水:ヨサミノアビコ・ヲタルミ→依羅氏(よさみうじ)
 『摂津国住吉郡大羅郷(大阪市住吉区我孫子・庭井付近)および
  河内国丹比郡依羅郷(大阪府松原市天美地区付近)を
  本拠とする氏族。依網にも作る。氏姓は初め依羅我孫(ヨサミノアビコ)、
  天平勝宝二年八月に依羅宿禰を賜った。』(日本古代氏族人名辞典より)
 この人(男垂水)がよく判らない(彦坐王の末裔?)。

 やはり息長氏系統が押さえていく様子がありますよね。
 我孫子・御影・垂水と現在も残る地名。住吉は大阪にも神戸にも、どちらも濃厚な影を落しているようです。
 海上氏は、後に千葉・銚子の方に移りますね。生田神社は後神家が祭祀を継ぎます。
 津守氏は住吉大社内の大海神社がルーツ?すると垂水の海神社は???
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【疑問】:ここまで書いて疑問がでました。上記の(1)に取上げた依網吾彦男垂水が祭った神さまは、住吉の筒男三神と考えてよいのでしょうか?

[1417] Re[1416]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/08(Thu) 20:29 [Reply]
> http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN5/kaisyo/hokoku/akashi01.pdf
> (PDFです。15ページにブイによる観測結果)
> 播磨灘側でも、12時間で一周する大きな流れになります。
> (これを渦と呼んでよいのか?)

このページは参考にしていましたが、内容が専門的過ぎるのでご紹介は伏せていました。渦というより潮流の変化でしょうね。

> だからこその神威でしょ。いつものことなら船乗りにとって日常のこと。
> 少なくとも海神社社伝では、垂水付近で船が立ち往生したことになってるわけです。

『だからこその神威』ごもっとも!!ですネ。
海神社、いいとこです。垂水駅の真ん前。ビルも車も汽船もない時代なら、素晴らしい眺めだったことでしょうね。まさに行き交う船を見守るという場所です。ご参拝の機には、ぜひ近くの五色塚古墳の見学もお勧めです。ここから海峡を眺めたとき、古墳時代のバイタリティを感じられると思います。

[1416] Re[1415][1414]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  玄松子 2005/09/08(Thu) 19:06 [Reply]
>  海峡の主な潮の流れの方向が、東向きから西向きに、あるいはその逆にと反転することを「転流」とすると思います。上げ潮・下げ潮とかですね。海底の地形や潮の流量のタイミングにより渦が発生しますが、渦の回転速度は速いはずです。

海峡そのもので渦が発生するというよりも、その東西。
先のURLでは大阪湾側に渦でしたが、
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN5/kaisyo/hokoku/akashi01.pdf
(PDFです。15ページにブイによる観測結果)
播磨灘側でも、12時間で一周する大きな流れになります。
(これを渦と呼んでよいのか?)

> 大型で恒常的に見られるものは少ないように思います。

だからこその神威でしょ。いつものことなら船乗りにとって日常のこと。

少なくとも海神社社伝では、垂水付近で船が立ち往生したことになってるわけです。

[1415] Re[1414]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/08(Thu) 17:46 [Reply]
> 一日4回の転流だと、半日で1回転する(遅い!)渦になるということでしょうかね。

「ウルトラQ」のオープニング画面を思い出したのは私だけ?(笑)
トコロテンような潮だったら半日で1回転するかも。小料理(コリオリ)の力!?

 海峡の主な潮の流れの方向が、東向きから西向きに、あるいはその逆にと反転することを「転流」とすると思います。上げ潮・下げ潮とかですね。海底の地形や潮の流量のタイミングにより渦が発生しますが、渦の回転速度は速いはずです。
 明石海峡の渦は発生しても、鳴門海峡のような大型で恒常的に見られるものは少ないように思います。鳴門の渦はいつ見ても気持ちいいです。豪快に洗濯してる気分(笑)。

[1414] Re[1413][1411]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  玄松子 2005/09/08(Thu) 14:32 [Reply]
>  明石海峡では、1日に4回の転流が起きて潮の流れもとても速いです(自転車を快速に漕ぐぐらいの速さ)。アッという間に流されてしまいます(クルクルしている暇がない)。

「明石海峡 潮流 変化」でググッて、こんなの見つけました。
http://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/web_j/temp/honma2.html
大阪湾の潮流実験(京大の防災研究所?)
引用「図から分かるように明石海峡付近ではうずが発生している。」

古代はどうだったか知りません。
一日4回の転流だと、半日で1回転する(遅い!)渦になるということでしょうかね。

[1413] Re[1411]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/08(Thu) 12:43 [Reply]
こだわるほどのことでもないのですが、青草だから。(笑)

> 川の流れで「渦潮」ですか。すごい川ですね。

「渦潮」ではなく、河口付近で密度・水温の違う水と出会うとき、海水が層に分かれて航行に影響する場合があるかな?と思ったの。

 明石海峡では、1日に4回の転流が起きて潮の流れもとても速いです(自転車を快速に漕ぐぐらいの速さ)。アッという間に流されてしまいます(クルクルしている暇がない)。
 たしかに江戸時代までは舞子沖など海難が多くて、お地蔵さんとかあります。天候条件や積荷のバランスなどが悪い場合は、難所となったのでしょう。
 しかし、昔から潮待ちの港が両岸に在るので、凱旋してきた古代連合艦隊は海峡通行のノウハウを持っていたと思います。
 潮流が読みにくいのは、海峡を出てからではないでしょうか。水でも空気でも狭い所を急激に抜け出た後、複雑な流れに変化します。
 この辺は、QUBOさんや豆石先生がお詳しいのではないかなぁ?

西宮沖と思った理由のひとつ
・『鳴尾の一本松とエビス神の伝説について』
http://www.nishi.or.jp/~kyodo/news/17-isaka.htm

【ご参考】現代の大阪湾の潮の流れ
『講演「明石海峡の魅力」』→(「明石海峡の潮」図)
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1997/00106/contents/019.htm
『大阪湾を3Dで見てみよう!』→(海流表示で見てね)
http://www.pa.kkr.mlit.go.jp/osaka3D/
『大阪湾の潮流乱流場』→(Figure 4.2.5)
http://133.31.110.195/D/inetpub/wwwroot/www/text-Japanese/page-06/page-06-25.htm

[1412] Re[1411][1410][1409]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  大三元 2005/09/08(Thu) 11:54 [Reply]
> 海神を祀る集団が神功に加勢。

なるほど。
忍熊側が五十狭茅スクネ(イソと読めばアイヌ語で獲物(イソ・ポで「小さい・獲物}=「兎」、「イサ」でも近い。兎砥川上に「イ(ソ)ニシキ」が刀を作った、この伝承も、この一族を「兎」になぞらえることを支持する。)
太子(応神)側がワニ臣の祖。
ワニとウサギ戦い、ワニが勝つ、ということか。
それまでが崇神・垂仁(イソニヱ・イソサチ)とウサギの天下だった。
忍熊・香坂で崇神以来のウサギ(近江)王朝が断絶。
仲哀が神功を娶ったとき「その時歴史が動いた」ってことになる。

[1411] Re[1410][1409]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  玄松子 2005/09/08(Thu) 09:00 [Reply]
>  船がぐるぐると廻って進まない状態になるのは、明石海峡よりも西宮沖の武庫川や淀川などの水が流れ込む影響を受けるところではないでしょうか。

川の流れで「渦潮」ですか。すごい川ですね。

海峡では、潮の干満によって転流が起きると思います。
潮流が速く、日に何度か流れが変わる場所ですから、
動力の無い古代では苦労したのかも。
それを神の力と感じ、神の加護を願ったということでしょう。

実際にクルクルまわったかどうかは、わかりませんが、
こだわるのなら、鳴門周辺に鎮座地を求めても良いかも。


青草説。
海神を祀る集団が神功に加勢。
ワタ系が主流だったが、戦後、ツツ系が分離独立。
ツツ系の勢力が大きくなり、王の近くへ移動。
旧態依然のワタ系は、限られた土地にのみ残る。
本来は同属なので、三海神+巫女の祭祀形態は同じ。

さらに、青草。
三海神+巫女は、本来、三海神+三巫女(広田、生田、長田)だったが、
この時期にそれぞれ独立したので、基本、三海神のみになる。

三巫女形態が今でも残っているのが宗像(ムナ系)で、
男神は消えた。というか神功へ付いて行ってしまった。

[1410] Re[1409]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  恋川亭 2005/09/08(Thu) 00:59 [Reply]
 立読みですが、↓この本をパラパラと見ていました。
  『古代を考える 難波』(直木孝次郎編、吉川弘文館)
この本は難波津がメインですが、住吉津もちょっとだけあります。
 この中に、今の住吉大社の境内からも弥生時代の遺跡が発掘されたことと、200m級の大きな前方後円墳の跡が確認されたことが載っていました。
 古墳時代には住吉大社のところに大きな前方後円墳があったということです。その後いつの時代かになくなったみたい。

 上記の本の中にある地形図や、『日本の古代5』の地形図を見ると、長大な天満砂洲のところに難波津と、今の住吉のところに大きな入江になって住吉津があります(これは弥生時代の地形図も同様)。難波津は長い砂洲にある港、住吉津は大きな入江の中にある港。

 私は先の『大津の』という言葉に引っ掛かりを感じていまして、この「入江の中にある港」のことかなぁ?と考えたりしています。
 古代史的には、弥生時代にはすでに難波津も住吉津も活発な活動をしていたと想定してよいのではないでしょうか。閑散とした人気のない浜辺だったとは『とても』想像できないのです。青草ですが、ナニワもスミノエも弥生時代からあった地名だと思っています。(発音上の変化があるとしても)

 ちなみに明石海峡を難波と形容する話は違和感があります。たしかに潮は川の流れのようで浪速ではありますがネ。垂水の浜で沖まで泳ぐと須磨方面に流されていきます。
 船がぐるぐると廻って進まない状態になるのは、明石海峡よりも西宮沖の武庫川や淀川などの水が流れ込む影響を受けるところではないでしょうか。

[1409] Re[1408][1407]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  神奈備 2005/09/07(Wed) 19:56 [Reply]
> 住吉神の鎮座理由は、他の古典にあるんでしょうか。

『古事記』
神功皇后の新羅遠征で勝利を得たさい、「新羅の国主の門に衝き立て、すなはち墨江大神の荒御魂を以ちて、国守ります神として祭り鎮めて還り渡りたまひき。」とありますが、これは新羅のお話で、帰国後にどっかに祀ったと云う話はありません。

 また、港としての墨江は、仁徳天皇の時期に、「難波の堀江を掘りて海に通はし、また小椅江を掘り、また墨江の津を定めたまひき。」と『古事記』にあります。その時まで墨江の津は国家的な存在ではなかったと云うことでしょう。これでは神社の存否に言及しにくい処。

『摂津国風土記』逸文
 息長足比売天皇の御代、大神は「沼名椋の長岡の前」はよい土地だと云い」神のすみかをお定めになった。
 「前」とは、今の神宮の南のほとりの地
 
『日本書紀』

『住吉大社神代記』
 住吉大神と皇后は密事があった。夫婦之密事である。
 住吉大神は渟名椋長岡玉出峡に住みたいと云われ、手槎足尼の居住地であり、足尼は土地を奉じ、神主として努めた。

安曇系海人は実に具体的な存在で、入れ墨をしていたり、野人的な処があったのでは。どうもその三神から王権に奉仕する神々を抽出したのが住吉三神のようで、密通はしていても表向き子孫がいない神のようです。ひょっとしたら誉田別皇子が子孫かも。だから『摂津国風土記』では神宮になっている?


[1408] Re[1407]: 青草もとの住吉神社はどこ 続き  玄松子 2005/09/07(Wed) 12:40 [Reply]
特にネタはないけど。

> 住吉の神々の祀られ方を信濃の神社を基準にする必要はないでしょうから、

住吉神の鎮座理由は、他の古典にあるんでしょうか。

本来は安曇系の話だったのを、住吉と混同、あるいは意図的に変えたという青草話なら、どうだろう。

時期や鎮座地、祭祀対象・祭祀形態が激似なのが、昔から不思議で不思議で。

[1407] 青草もとの住吉神社はどこ 続き  神奈備 2005/09/05(Mon) 18:16 [Reply]
> 垂水の海神社は、日向大明神とも呼ばれてましたね。
青草話で:−
『平成データ』では、主祭神を表筒男神として、かつ神社名に日向がついているのを探しますと、何と、長野県東筑摩郡生坂村東広津字宮ノ前に鎮座する大日向神社(おおひなた)の名が出てきました。表だけで中も底もありませんが・・。
住吉の神々の祀られ方を信濃の神社を基準にする必要はないでしょうから、
海神社の祭神を筒男さんとは言いにくい所。
尚、X海神社で筒男さんを祭神にしている神社は4社ありますが、さほどの神社でもなさそう。
加えて、日向大明神と呼ばれたのは南北朝以降(『式内社調査報告』によれば)のようで、以前は垂水神、海神等の呼び名のようです。

> 先に神様が祀られたのではなく、後で祀られたとは考えられないでしょうか?
後の祭り、充分にありうることでしょうね。

[1406] Re[1404][1403][1402][1401][1400][1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  ペギラ 2005/09/05(Mon) 17:08 [Reply]
> これらの神々を広田、活田、長田、大津の淳中倉の長峡の順に書いたもので、鎮座地が東から西へとの保証をした意味ではありません。
> 但し、大坂の住吉には忍熊王の軍がたむろしていたとありますので、住吉大社の場所に祭りにいくのは普通はありません。そうすると、やはり名乗りを上げている
> 本住吉の方が可能性は高いと言えるのかも。
>

神功紀 摂政元年二月条が戦記というものなら、
占領したというか、降伏させたというか、というか、というか、
武庫から播磨明石の防衛線の前線に向けて進み、
奪還した地に神を封ずる。

武庫から広田・生田・長田と進み、そして最後に難波住吉へ上陸する。

先に神様が祀られたのではなく、後で祀られたとは考えられないでしょうか?
そんな物語だと思うんだけど。
どうでしょうか?

お子チャマ風かな。

すみのえ。って、隅っこの江。なんじゃないかな。
だから、日本全国いたるところにあったような気もしてくる。

さらに、釈日本紀の摂津国風土記曰では、「沼名椋の長岡の前」
注書で、「今の神の宮の南の邊」

日本書紀の流れから考えたら、中途半端な位置の「莵原住吉」を
「大津の淳中倉の長峡」とわざわざ比定する必要があるのだろうか?

[1405] Re[1404][1403][1402][1401][1400][1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  玄松子 2005/09/05(Mon) 17:02 [Reply]
本人は、あくまでも青草だと思ってますが、もう少し引っ張って。

> これらの神々を広田、活田、長田、大津の淳中倉の長峡の順に書いたもので、鎮座地が東から西へとの保証をした意味ではありません。

保証はないけど、不自然でもない。
逆に、東から西であっても不思議はありませんね。

> 4.表筒男、中筒男、底筒男

「日向国の橘の水底に・・・表筒男、中筒男、底筒男」ですね。
海神社は、日向大明神とも呼ばれてましたね。

[1404] Re[1403][1402][1401][1400][1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  神奈備 2005/09/05(Mon) 16:14 [Reply]
神功紀では、皇后は「先の日に天皇に教えたのはどこの神でしょうか」と申された。
その神々の名は
1.伊勢の国の度会の県の五十鈴の宮においでになる、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命との答え。この神は通常天照大神のこととされます。
2.次に現れた神は、尾田の吾田節の淡郡にいる神としています。岩波文庫注では稚日女尊。
3.天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神
4.表筒男、中筒男、底筒男
の順。
これらの神々を広田、活田、長田、大津の淳中倉の長峡の順に書いたもので、鎮座地が東から西へとの保証をした意味ではありません。
但し、大坂の住吉には忍熊王の軍がたむろしていたとありますので、住吉大社の場所に祭りにいくのは普通はありません。そうすると、やはり名乗りを上げている
本住吉の方が可能性は高いと言えるのかも。

ほかに
大阪市西淀川区大和田の住吉神社を住吉の元社とする向きもある。
http://kamnavi.jp/en/settu/oowada.htm

また社伝によれば、大阪市西淀川区佃の田蓑神社
http://kamnavi.jp/en/settu/tamino.htm
も神功皇后によって祀られたとされています。

[1403] Re[1402][1401][1400][1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  玄松子 2005/09/05(Mon) 12:33 [Reply]
> 次ぎに大津の淳中倉の長峡と雰囲気を変えた書きぶりなので、並んでいない証かも。

この一文の主目的は、「難波への途上に祭られた神々の列挙」だから、まず並んでいる方が自然では。

> すなわち明石ではないと。

明石というよりは、摂津の際(きわ)。播磨との境。
祀られた神々が守護する国が、摂津。というイメージだと面白い。

[1402] Re[1401][1400][1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  神奈備 2005/09/05(Mon) 11:53 [Reply]
> > それは広田神社、生田神社、長田神社と地理的に並ぶのは莵原住吉であること。
> ほぼ等間隔なら東灘だけど、広田・生田・長田と東から順に並んでいるので、もっと西(摂津じゃなくなるけど)

広田・生田・長田の順に記述されてきて、それも広田国、活田長峡国、長田国と「国」をつけて書いており、次ぎに大津の淳中倉の長峡と雰囲気を変えた書きぶりなので、並んでいない証かも。すなわち明石ではないと。



[1401] Re[1400][1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  玄松子 2005/09/05(Mon) 09:00 [Reply]
> 社伝の中身にもよるでしょうが根拠を別の文献に持つ場合、敢えて社伝は不要かと。

本住吉も日本書紀の解釈を根拠にしているわけで、多くの神社社伝では、国史や風土記の記述を拡大・装飾・解釈している場合が多いですから。
官幣中社になるほどなので、社伝を裏づけする文献があるのかと。

海神社は昔、四殿で祀られていたらしいですね。祭神構成や鎮座の経緯が住吉に酷似してるような気がするんですが。(あくまでも青草として)

[1400] Re[1399][1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  神奈備 2005/09/05(Mon) 07:59 [Reply]
>
> 社伝の根拠はあるんだろうか? という意味。

社伝が記録されたのが『日向大明神御縁起』で享保十三年(1728)で、本居宣長や伴信友らと同じ頃かよりチョット早い頃。

社伝の中身にもよるでしょうが根拠を別の文献に持つ場合、敢えて社伝は不要かと。

[1399] Re[1398]: 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  玄松子 2005/09/05(Mon) 07:09 [Reply]
> 海神社由緒の・・・の根拠となる出典は?

社伝の根拠はあるんだろうか? という意味。

[1398] 神奈備 Re[6590]: もとの住吉神社はどこ  玄松子 2005/09/05(Mon) 01:09 [Reply]
青草的なので、こちらに。

> > それは広田神社、生田神社、長田神社と地理的に並ぶのは莵原住吉であること。

ほぼ等間隔なら東灘だけど、広田・生田・長田と東から順に並んでいるので、もっと西(摂津じゃなくなるけど)。
垂水の海神社のことだったっていうオチはないかなぁ。筒男じゃなくて綿津見。

海神社由緒の「神功皇后が凱旋の時、この垂水沖でにわかに暴風が起こり、怒濤のため船が漂って進めなくなった。 皇后は身を祓い清めて海神三座を今の場所に勧請」(http://kamnavi.jp/en/harima/tarumi.htm より)の根拠となる出典は?

[1395] 無題  琉球松 2005/09/03(Sat) 11:36 [Reply]
 あの〜、
 「ヤマタノオロチ」や「サルタヒコ」などの体の一部が赤いのは、そこが水銀の産地だったからではないかと問うているだけなんですが。。。

[1394] 愛が地球を救う加茂?   2005/09/02(Fri) 17:29 [Reply]
[1392] Re[1391]:倭族自治区解放計画  反・征東都督府 ???????
倭族?とは、倭国とよばれる区域が生まれた、・・・・縄張り・・・権力の及ぶ所
倭族は何処からきたの?倭族は何族の遺伝子を・・・・混血?・・・
人類の遺伝子は・・・祖先が違う?・・・・どこの惑星から・・・・
民族・・・・元は同じでは無かった?
アフリカからユーラシア・・・から北国(色素沈着が少ない)
「人類皆兄弟」・・・・アベルとカイン(夏殷)のように、
フレーメイソン・ロスチャイルド・・・・能力主義のピラミッド社会(カーススト的)
競争社会の果てには?
?の王国
利権を捨てエデンの園へ(死の商人には理解不能)
・・・・・・・資本主義社会には限界が・・・・欲の無い世界・・・世界が望む・・・・軍事費を援助費に・・・・愛が地球を救う加茂?

[1393] Re[1392][1391]:倭族自治区解放計画  琉球松 2005/09/02(Fri) 10:03 [Reply]
 ここは、民主党の宣伝をする場ではないと思いますが!?

[1392] Re[1391]:倭族自治区解放計画  反・征東都督府 2005/09/01(Thu) 23:43 [Reply]
> 松っちゃん
「地政学的」よりも、それ以上に根元として、聖なる島々を「アカ」く染めるわけにはいかないんだ。進行している事態が伝わらない焦りが・・・あっ手がすべった!
つ http://www.geocities.jp/japanguardian/


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