青草掲示板ログ平十八年 六月 2006.6
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草掲示板

[2259] Re[2258][2257][2256][2254][2253][2252]: 高皇神社  神奈備 2006/06/30(Fri) 19:28 [Reply]
> >人壬の乱(672)で大海人皇子のため
> > > 公正部より。(笑)

校正しようと探しているのですが・・・

[2258] Re[2257][2256][2254][2253][2252]: 高皇神社  ペギラ 2006/06/30(Fri) 12:22 [Reply]
> http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm

誤字発見
>人壬の乱(672)で大海人皇子のため


公正部より。(笑)

[2257] Re[2256][2254][2253][2252]: 高皇神社  神奈備 2006/06/29(Thu) 22:06 [Reply]
> 九頭竜川は日本海の富山県?福井県?(ど忘れ)が有名ですね。これと名草の九頭竜川とどういう関係ですか。
> 九頭は、葛と同じ意味とかどこかに書かれていたようないない様な・・・

 下記のサイト「クズの神を祀る神社」に触れておりますのでご覧下さい。
http://kamnavi.jp/jm/kuzukami.htm

> 各務原というのは壬申の乱で大海人皇子が美濃へ援けを求めていったとき協力した豪族なんだそうです。
村国男依を祭神とする式内社の村国真墨田神社(むらくにますみたじんじゃ)が鎮座しています。
http://akon.sakura.ne.jp/jinja/mura-ma.html

[2256] Re[2254][2253][2252]: 高皇神社  とみた 2006/06/29(Thu) 21:00 [Reply]
神奈備さん とみたです。

素人筋の質問をさせてください。

>> > 手力男神まで祀られているとは。
>
>  神社の境外に九頭龍社(戸隠大明神・九頭龍明神)が鎮座していたのですが、この近辺には天手力男神は祀られていません。名草郡では力侍神社です。

九頭竜川は日本海の富山県?福井県?(ど忘れ)が有名ですね。これと名草の九頭竜川とどういう関係ですか。

九頭は、葛と同じ意味とかどこかに書かれていたようないない様な・・・

戸隠といえば関東人は普通、信州の善光寺の北の戸隠を想像します。

戸隠蕎麦で有名です。

昔、古代史なんて全然知らなかったとき、善光寺に着く前に戸隠(大きな岩山がいくつもそびえています)でバスガイドが大きな石を投げた手力男の話をしていたような気がするんです。

これ紀州のそれと関係はありませんか。ついでにも一つ・・・私の縁者が岐阜の各務原の出なんです。

テジカラという駅名があるそうなんです。

各務原は普通は航空機製造とか戦前の基地で名は知られています。

各務原というのは壬申の乱で大海人皇子が美濃へ援けを求めていったとき協力した豪族なんだそうです。

このあたり教えてくださいませんか。わからないときは何でも訊いてしますが、よろしくお願いす





[2255] Re[2254][2253][2252]: 高皇神社  なかひら まい [Url] 2006/06/29(Thu) 18:13 [Reply]
神奈備さん、レスありがとうございます。

なれずし、どうも手が出せません(爆)
私、梅干しも嫌いだし、本当に紀州に何かの縁があるのだろうか?って感じです。
しかし和歌山は「スプーの日記」の舞台にそっくりな所です。
海水が混ざった川の河口に、エイがいるらしいです。。。。

あ、「戸隠は天手力男神を祭神としている神社」ですね。失礼しました。
力侍神社は遠すぎて、今回は行けませんでした。

竃山神社は、確かに和田ですね。名草山の麓ですから、近くに中言神社があるのは当然でしょう。。

麻為比売神社は、あの小さな石碑が「式内社」というのが驚きでした。。

[2254] Re[2253][2252]: 高皇神社  神奈備 2006/06/29(Thu) 15:20 [Reply]
マイさん、こんにちは。暑いところ、ご苦労様でした。馴れずしを食べましたか?
http://www1.odn.ne.jp/~cch96990/meibutu/naresusi.htm

> 高皇神社、遠くから見えましたが、参拝はしませんでした。
> 手力男神まで祀られているとは。

 神社の境外に九頭龍社(戸隠大明神・九頭龍明神)が鎮座していたのですが、この近辺には天手力男神は祀られていません。名草郡では力侍神社です。

> 竃山神社ですら、実は小さな祠の中に中言神社が、合祀されているそうです。
> もちろん、合祀は明治のことですが。。

 竃山神社は旧和田村にあり、江戸時代には和田村には他に式内大社の静火神社や小祠九社として月読社、中言社、貝川社などが鎮座していました。小祠は明治末期に竃山神社にまとめられたのでしょう。

> 麻為比売神社にも行ってきました。

 津秦天満宮の奥の岩ですね。ここは津和田と言う地名で、ツワダと訓みます。暫く前までは元社の地に小山と松の木があったそうですが、今は見えません。そこから岩を運んできたのでしょう。

[2253] Re[2252]: 高皇神社  なかひら まい [Url] 2006/06/29(Thu) 13:11 [Reply]
昨日、二度目の和歌山旅行から、戻ってきました。

>  ひょんな事から紀三井寺方面に立ち寄る機会があり、高皇神社に参詣して来ました。

高皇神社、遠くから見えましたが、参拝はしませんでした。
手力男神まで祀られているとは。。

> >  もう一つは、高皇神社は予想通りご祭神は高皇産靈神です。この神を祭神とする神社は名草郡には数少なく、ましてや名草戸畔と名前を共有する名草山に鎮座 とはと思っていましたが、何と、この社の前身は中言大明神社だったのです。この中言神が浜宮に合祀されていってからの高皇神社なのです。何となく二千年の 間、名草戸畔を祀っていて、よう開き直らずに引け目を感じていた民も居て、これ幸いと高皇産靈神に乗り換えたとすれば、わかるようでもあり、情けなくもあ るお話。
>

そうだったのですか。
旧名草邑一帯は、行ってみると、どこもかしこも中言神社なのが驚きです。
竃山神社ですら、実は小さな祠の中に中言神社が、合祀されているそうです。
もちろん、合祀は明治のことですが。。
(書いてはありません。宮司さんからお伺いしました)
高皇神社が名草山の麓にあるのは、どう考えても不自然ですよね。

麻為比売神社にも行ってきました。。

詳しくは、後のブログにアップします。

[2252] 高皇神社  神奈備 2006/06/28(Wed) 19:11 [Reply]
 名草山の北東中腹に高皇神社と言う神社が鎮座しています。名前から見るとあまり気が進まない神社で、最近まで足を向けなかったのでした。ひょんな事から紀三井寺方面に立ち寄る機会があり、高皇神社に参詣して来ました。
 いや、びっくりした事が二つ。他の方にとってはどうでもいいことなのでしょうが、小生には驚き。

  一つは神社の手前に九頭龍社の祠があり、戸隠大明神・九頭龍明神が祀られていたのです。名草郡には幾つかの九頭神社が鎮座していまして、中には伝として伊 太祁曽神社の末社からの勧請というのもありました。戸隠は天手力男神を祭神としている神社ですが、この手力男神は一時伊太祁曽神社の祭神にされた神なので す。伊太祁曽→日抱尊→手力男神の発想だそうです。神社を流行らすための苦肉の策だったとか。
 伊太祁曽神社とは別に名草山に九頭龍神が鎮座していたとは新鮮な発見でした。

  もう一つは、高皇神社は予想通りご祭神は高皇産靈神です。この神を祭神とする神社は名草郡には数少なく、ましてや名草戸畔と名前を共有する名草山に鎮座と はと思っていましたが、何と、この社の前身は中言大明神社だったのです。この中言神が浜宮に合祀されていってからの高皇神社なのです。何となく二千年の 間、名草戸畔を祀っていて、よう開き直らずに引け目を感じていた民も居て、これ幸いと高皇産靈神に乗り換えたとすれば、わかるようでもあり、情けなくもあ るお話。

[2251] Re[2250]: 住吉セミナー  nick [Url] 2006/06/28(Wed) 11:03 [Reply]
> 誕生石の写真は神奈備写真館にアップしました。

厳しい梅雨前線の余波、皆さん如何でしょうか。
当地は、断続的な「雷雨・集中豪雨」でこの6月中旬以降は身動きが取れません。

管理人さんがわざわざ御撮り頂いた「嶋津の祖の誕生地」ありがたく拝見しました。

この春から当地の「初午踊り」の起源について調査を再開したところでした。
観光ガイドには「起源は室町時代」とあるのですが、稲荷神勧請由来等を加味すると
どうも江戸時代初期と思えるのです。
「稲荷神」は嶋津藩の「氏神・守護神」として加護されましたから
その流れで「田の神」も派生するに至ったのでしょうか。

どうしても「室町時代」とするなら、いっそのこと
「秦氏が勧請した」とすれば、あるいは、平安時代まで遡る。苦笑い。
なんて。。。
当地の社家の一つ「桑幡文書・家系」によると
一説では、「祖は秦氏で香春神社から下向」と。。
これなら「稲荷神=保食神」でなきにしもあらずかな。?

住吉大社と薩摩が、ひょんなことで繋がろうとは
努々、、、

これだから歴史(寺社)探訪は止められない。笑

[2250] 住吉セミナー  神奈備 2006/06/25(Sun) 13:48 [Reply]
 住吉大社でセミナーがあり、聞きに行って来ました。
http://www.sumiyoshitaisha.net/news/gbbs.cgi?oldpage=1

 間違って一時間ほど早くついたので境内をぶらぶらしていて、薩摩藩祖島津忠久公誕生石を見つけました。丁度太鼓橋を渡ってすぐに北側へ行った所でした。

ウィキペディアによりますと:−
島津忠久(しまづただひさ、治承3年12月30日(1180年1月28日) - 安貞元年6月18日(1227年8月1日))は島津氏の祖。秦氏の流れを汲む惟宗忠言の子とされる。母は比企能員の妹・丹後局。妻は畠山重忠の娘。

島津氏に伝わる史料では、忠久は母親が源頼朝の妾で頼朝の落胤であり、そのため厚遇されたという説があるが、大友能直の頼朝落胤説と同様の偽源氏の作り話とされる。
だそうです。

 久しぶりにコイッチさんにお目にかかりました。真弓宮司さんを見かけました。ちょっと年を取られたとの感じでしたが、かくしゃくとされお元気そうでした。

誕生石の写真は神奈備写真館にアップしました。

[2249] Re[2248][2247]: アイヌの(?)須佐之男命  大三元 2006/06/24(Sat) 09:24 [Reply]
>  景行紀に耳垂(みみたり)とか鼻垂(はなたり)とかの従わない者の名が出ています。

私はこれらの名を魏志倭人伝の「彌彌」「彌彌那利」との関連で通時的に見てみました
http://www.dai3gen.net/mimitari.htm

> 景行天皇自身も大足彦忍代別天皇であり、足(たらし)で、おっしゃる通り、善玉、悪玉双方にタリがついています。

神奈備さんは、共時的にご覧になってみようということですね。「たり」と「たらし」を同語・類語とすることに、なんか違和感を持っています。

>  それにしても、魔神、モシレチク・コタネチクの姿は、素盞嗚尊が高天原に登ってくるのを待ちかまえる天照大神の姿に似ているように感じますね。八俣の大蛇のようにも見えますが。

また、スサノヲが行くと山川も国土もドシンドシンと・・・

[2248] Re[2247]: アイヌの(?)須佐之男命  神奈備 2006/06/23(Fri) 19:10 [Reply]
> 善悪神双方に「垂れる、滴る」というモチーフを見ることも可能だ。

 景行紀に耳垂(みみたり)とか鼻垂(はなたり)とかの従わない者の名が出ています。景行天皇自身も大足彦忍代別天皇であり、足(たらし)で、おっしゃる通り、善玉、悪玉双方にタリがついています。

 それにしても、魔神、モシレチク・コタネチクの姿は、素盞嗚尊が高天原に登ってくるのを待ちかまえる天照大神の姿に似ているように感じますね。八俣の大蛇のようにも見えますが。

[2247] アイヌの(?)須佐之男命  大三元 2006/06/23(Fri) 11:56 [Reply]
金田一京助全集に載せられているアイヌの神話から:

悪い側としての魔神に:モシレチク・コタネチク、がある。この魔神に囚われた日神をアイヌラックルが救出するという天照大神の天の岩戸隠れに似た話がある。
コタネチクチク・モシレチクチク(村滴滴国滴滴)(むら、たらたら、くに、たらたら)の名は何の謂れであるか、今まで如何なる古老に問ってもはっきり答えるものがない、とある。
http://www.dai3gen.net/moshirechik.htm

一方、善神として:アイヌラックル(半人半神)の名前は モシリシツチレ・コタンシツチレ・オイペピポロ・サネンコロ・スオヤンケプ・サニ、という。(金田一京助全集十一アイヌ文学V:p305など)これは「国焼郷焼大椀額際鍋抱の子」と訳出されている。
http://www.dai3gen.net//kuniyaki.htm

モシリとかコタンは、国(島の意味もあるが)とか郷とかに相当するとされている。
善神の名に入っている「シツチレ」は:田村辞書では、sir-ci-re と解析して、「地・焼け・させる」と解いている。ci には「焼けている、煮える、やけどになる、熟する、枯れる」の意味があるから、「地・枯れさせる」も可能だ。
魔神の方の「チク」は「cik (滴が)たれる」があるので、意味が通りにくいが「国たらたら」などと仮に(?)訳されている。
これに基づくと、善神の方の「シツチレ」についても「cir-ir(滴、涙、よだれ)が垂れる」があり善悪神双方に「垂れる、滴る」というモチーフを見ることも可能だ。
スサノヲの悪さで天照大神が岩戸に隠れてしまう、その一方で、スサノヲは出雲では善神。
国造りでは、イザナギ・イザナミが「垂り落ちる塩、累積して、島となる」という具合に「したたり落ちる」というモチーフが入っている。
アイヌの魔神の一つの目はもの凄く小さく、他方の目はもの凄く大きい。日本の天一目命はアヂスキタカヒコの父である可能性があり、一方アヂスキタカヒコは大国主の子であるから、天一目命と大国主が同じである可能性がある。大国主ならスサノヲの子孫である。

このように、日本神話とアイヌ神話の間に、か細いかもしれないが、幾つかのパラレルが(当然、差異も生まれてくるが)見られるのがとても面白いと思ってます。

何故そういうことになるのか、を考えるに:これらのパラレルは縄文時代からの伝承が双方に遺っているからだ、と仮定すると、あり得ることだ、と思えるのです。

[2246] Re[2245][2244][2243][2242]: 須佐之男命  神奈備 2006/06/22(Thu) 22:20 [Reply]
> 垂仁さんが「イクメイリヒコ・イサチ」なのが面白い
流石、大三元さん

 『日本書紀』の注から
 垂仁紀 彦五十狭茅命 = 伊邪能真若命(記)
 景行紀 五十狭城入彦皇子 = 若木之入日子(記)か
 神功紀 五十狭茅宿禰 = 伊佐比宿禰(記)

 イ狭茅(佐比)と「若」とは関係があるのかも。若は幼いで泣くに通じているのかな。

[2245] Re[2244][2243][2242]: 須佐之男命  大三元 2006/06/22(Thu) 20:48 [Reply]
神奈備さん、
> > > これも sat=乾く、sat-ke=乾かす・干す、cire=枯らす、cis=泣くあたりとの関連がないでしょうか。

神奈備さんはご存じだけど他の方のために:上記のローマ字はアイヌ語です。記紀・風土記にはアイヌ語を援用すると理解が進む伝承が幾つかあることを指摘しているものです。

と ころで、神奈備さん:垂仁記の「イサチル」ですが、垂仁さんが「イクメイリヒコ・イサチ」なのが面白いな、と思ってます。但し、泣くのはその息子のホムチ ワケ。その泣き方もスサノヲのソックリさん(いさちる、やつかひげ)そしてアヂスキタカヒコも同じように泣く。 どうも、そういう泣き方というモチーフ、 典型、類型があったようにも思えます。

[2244] Re[2243][2242]: 須佐之男命  神奈備 2006/06/22(Thu) 18:13 [Reply]
> > スサノヲが泣くと(泣きイサチル)青山も枯れてしまい河海も泣き乾した、という説話があります。(古事記)
> > これも sat=乾く、sat-ke=乾かす・干す、cire=枯らす、cis=泣くあたりとの関連がないでしょうか。

> スサノヲが泣くと(泣きイサチル)

 角川『古語辞典』によりますと、「いさちる」は激しく泣くとの解釈で、例文としましては、『古事記』

の神代記のこのシーンをあげています。「泣(いさ)つる」は垂仁紀にあります。

 昔の人はイサチルと言う言葉から「乾かす 枯らす」を発想して、青山も枯れてしまい河海も泣き乾した

と記述した可能性に大三元さんが触れておられるのですが、確かに誰も須尊のそのような姿を見ておらず、

泣(いさ)つることだけが伝承されていたので、形容したのか、はたまた、須尊を火山の噴火のような神格

と語りつがれていたので、そのように記述したものか、ここらが面白い所ですね。

[2243] Re[2242]: 須佐之男命  大三元 2006/06/22(Thu) 16:09 [Reply]
神奈備さん

以前こんなことを書いています:

スサノヲが泣くと(泣きイサチル)青山も枯れてしまい河海も泣き乾した、という説話があります。(古事記)

これも sat=乾く、sat-ke=乾かす・干す、cire=枯らす、cis=泣くあたりとの関連がないでしょうか。

i-sat(ke)-cire あたりで「それを、乾かし、枯らす」なんて語句が構築できそうですが。

http://www.dai3gen.net/nenokuni.htm


[2242] 須佐之男命  神奈備 2006/06/22(Thu) 09:47 [Reply]
 『古事記』の須佐之男命の説明で思うこと

その泣く状(サマ)は、青山は枯山(カラヤマ)如(な)す泣き枯らし、河海(カハウミ)は悉(コトゴト)に泣き乾(ホ)しき。ここをもちて悪(ア)しき神の音(コエ)なひ、さ蝿(バヘ)如(ナ)す皆満ち、万(ヨロヅ)の物の妖(ワザハヒ)悉(コトゴト)に発(オコ)りき。

  泣き声で山が枯れる、河海が乾く、このことは一体何を意味するのでしょうか。須尊を台風と見なしますと、河海が乾くのは変であり、洪水になるのは普通で す。そうしますと、須尊は火山の噴火とか隕石の落下と見た方がよさそうです。火山から出るガスが災いとなるのは、三宅島を見ても頷ける所。
 火山と神話との関連ですが、伊豆の火山が噴火するたびに神社の神格が上がっていくとか、一つの神が誕生するとかがあるようです。現在では、一つの噴火は一人の博士を生むようなものでしょう。

 神話が誕生した時代には、富士山、三瓶山、大山を始め日本列島では火山活動が活発だったようです。溶岩が海に流れ込めば、見事な国造りと思えます。出雲の国引き神話にも反映しているのかも知れません。

[2241] Re[2240][2239]: 忌部氏と房総  とみた 2006/06/20(Tue) 08:47 [Reply]
神奈備さん 

いつもご丁寧なご回答をいただき感謝しています。

> > 香取神社は・・・天孫族の経津主神を祀ってあるのですが、もともとは天日鷲命を祀っていたのを、取り替えたのさと仲間が言います。
>
> 面白いお話ですね。
> 『日本の神々11』(白水社)の摂社の側高神社の説明の中に祭神に天日鷲命の名があることを紹介しています。当社の成立過程の考察のためには注目されることだとしています。
>
> > 香取神宮と鹿島神宮は東国支配(つまり蝦夷征討)の前線基地です。大和朝廷はそ
> こに武神を祭った。
>
>  香取神宮の場合、経津主神を始祖とする物部氏が祭祀にかかわっているようです。藤原氏系ではこの神を「イハイヌシ」として、春日大社に迎えています。

 春日大社との関係は聞いております。

 側高神社とか、イハイヌシとは初耳です。
>
>
> > 延喜式の高鴨阿治須岐託彦根命神社四座
>
>  延喜式の高鴨阿治須岐託彦根命神社四座は土佐から戻った高鴨神に加えて、下鴨社から迎えた祖神の阿治須岐託彦根命神を祀ったと考える事ができます。この高鴨神とは一体どのような神様かが問題ですね。

味鍬の鍬は、耕す篇に呂と書くスキでもあります。開拓の神ですね。


忌部は阿波の出身だそうで、房総にも安房国があります。

忌部が房総に何時、黒潮に乗って来たかがわかると面白いですが難しい謎でしょう

ね。

房総の上総の国には、神門4号墳という古い古墳があり、大和桜井市の纏向石塚と同時代の3世紀中ごろから後半のものとされています。

古 墳時代の前期の大和の国家形成期で最も古い渡来系遺物は3-4世紀頃の纏向遺跡出土の陶質土器です。これは鉄器やフィゴなどと共に出土している。この鍛治 遺物は房総でも出ているようです。千葉県の岩井安本町ですが、ここは香取とも近いようです。鉄の工人が古墳時代にこのあたりに来ているんです。

5世紀はじめになると葛城の宮室山古墳の陶質土器や紀伊の遺物が多くなる。
こんな考古学的な知見を神社の由緒と関連付けられないかと思っております。

高鴨神社のもともとの祭神は高鴨だそうです。土佐へ高鴨を流しておいて、後から味鍬を持ってきて高彦根神とくっつけて高鴨神社に祀った。道鏡のときに土佐から、また高鴨を呼び寄せた。

所詮、先輩が努力された後追いで結局は藪の中へ行きそうですが・・・

ただいまは、少し努力中ということで、よろしくご指南ください。

[2240] Re[2239]: 忌部氏と房総  神奈備 2006/06/19(Mon) 18:05 [Reply]
> 香取神社は・・・天孫族の経津主神を祀ってあるのですが、もともとは天日鷲命を祀っていたのを、取り替えたのさと仲間が言います。

面白いお話ですね。
『日本の神々11』(白水社)の摂社の側高神社の説明の中に祭神に天日鷲命の名があることを紹介しています。当社の成立過程の考察のためには注目されることだとしています。

> 香取神宮と鹿島神宮は東国支配(つまり蝦夷征討)の前線基地です。大和朝廷はそ
こに武神を祭った。

 香取神宮の場合、経津主神を始祖とする物部氏が祭祀にかかわっているようです。藤原氏系ではこの神を「イハイヌシ」として、春日大社に迎えています。


> 延喜式の高鴨阿治須岐託彦根命神社四座

 延喜式の高鴨阿治須岐託彦根命神社四座は土佐から戻った高鴨神に加えて、下鴨社から迎えた祖神の阿治須岐託彦根命神を祀ったと考える事ができます。この高鴨神とは一体どのような神様かが問題ですね。


[2239] 忌部氏と房総  とみた 2006/06/19(Mon) 07:56 [Reply]
先日、千葉県房総の香取神宮へ仲間と行きました。

香取神社は楫取〔カンドリ)がその名前のルーツのようです。ご存知のように、こ

の神社は、天孫族の経津主神を祀ってあるのですが、もともとは天日鷲命を祀って

いたのを、取り替えたのさと仲間が言います。天日鷲命は忌部氏の先祖で四国の出

ですね。黒潮に乗って房総まで勢力を伸ばしていたのでしょう。カンドリとは川を

遡るときに舵を取ることの意味らしい。四国にも同じ地名があるようです。

香取神宮と鹿島神宮は東国支配(つまり蝦夷征討)の前線基地です。大和朝廷はそ

こに武神を祭った。

そこで先住の忌部氏の神を乗っ取る。

忌部は中臣〔藤原)と宮廷の祭祀権を争いますね。落ち目の忌部は中臣優勢だから

直訴のために古語拾遺という書で神祇官として忌部の正当性を認めさせます。大祓

いの中臣、即位儀式の忌部と役割を分担することになった。

竹取物語でも忌部が出てくるようですね。

このあたりもっと教えていただけませんか。


ついでに、葛城の高鴨神社はアジスキを祭神としているが、もともとは現地では別

の神さんを祀っていたともいわれています。

味鍬=開拓神です。

要するに、現住の民の神さんを侵略側の大和朝廷に都合のよい神さんに変えて官幣

社に仕立て上げる。蝦夷の本を読んでも、その手口が覗われます。大将の百済王俊

哲が白河桃生郡の11の地元の神社を官幣社にしても良いかと朝廷に伺いを立てて

許しを得ているんですね。

朝廷の都合の良いように神社の由緒書きをするもんだから、真実がわからない。

香取神社は、経津主が祭神だけれど忌部が先祖だったのではと思ったりし始めまし

た。経津主は物部氏、鹿島神宮は武甕槌神で中臣系で藤原氏。藤原氏は鹿島地方出

身との説もありますし・・・

上記の私の考え方で間違っているところがありましたらご指摘ください。

全部違っている??これも潔く享受します。古代史の真相に少しでも迫りたいので

お知恵を貸して下さい。



[2238] Re[2236][2235][2229]: 心に花を  玄松子 2006/06/18(Sun) 12:40 [Reply]
> いずれにしても、犯人が捕まるか声明を発表して「何故このような事をしでかしたのか?」がわからない限り、言葉のやりとりになってしまいます。

犯行の動機や犯人の目的に関して云々するのは、たしかに「言葉のやりとり」になってしまうかもしれませんが、推論することが無意味であるとは思えません。

それよりも、事情や状況のわからない部外者が、「被害者側の落ち度」などと発言することに疑問を感じます。

たしかに管理状況の悪い神社は多いですが、このお宮がそうであったとは云えませんし、そうであっても「落ち度」と非難されるべきものではありませんし、それを非難する資格は、僕にはありません。

氏子などの関係者が話し合い、問題があれば出来る範囲で改善すべきことでしょう。

[2237] Re[2235][2229]: 心に花を  nick [Url] 2006/06/18(Sun) 07:27 [Reply]
おはようございます。

かまどさん>

>どこの神社もそうですが、賽銭、祈祷料、氏子の志で運営されているのではと思います。
>スキを作らないようにしようとすると、夜常駐するとか、機械的に対策を打つことになりますが、その費用はどこから出るんでしょう?
>
> この神社の運営はどうされてるかは分かりませんが、

当地の場合は、「氏神を祭祀する神社」は、地元の管理で「浄財」もしくは「氏子の寄付・会費」等で運用されます。
所謂「自主採算性」
鹿児島神宮とてしかりで大半は「寄付や浄財」。
先般も身障者用に参道の階段を潰して車椅子用にアスファルトで平らにしてあるのですが、それが、集中豪雨で破壊されたので修復のために浄財を。

「氏神神社」の防犯警備等も限られた予算の中からの捻出になりますから
当地の場合、鍵一つ付けるにしても、やはり「資金」です。
だから盗難にあっても、完全警備をしたくても先立つものが。
昔、苦肉の策として文化財を氏子総代の自宅で保管していたのですが
そこが出火して焼失して。
文化財の指定を受けてもそれなりで。修復費用等は結局は寄付や浄財。

また、休みともなると早朝子供会で境内の落ち葉等の清掃をします。
祭り前日や当日には早朝から子供等がやはり境内の清掃を。
只昔は毎朝でしたが、やはり時代の変遷でしょうか。

しかし、田舎では今も「鎮守の杜」は皆の拠り所です。

今回の場合は「完全な計画犯」早急の逮捕を願います。

(法の番人と言われる方々や聖職の方々も悪行三昧をされる世の中、
どうしようも無い輩はきついお灸だけでは済みませんが)

[2236] Re[2235][2229]: 心に花を  神奈備 2006/06/17(Sat) 19:50 [Reply]
> ただ。私は事件の全容はしりませんが。。神社側にも落ち度やスキがあったそのことに対する警鐘とかんがえます。
> 除草剤です。計画的犯行ではないのですか。

 どうも小生が青草を書いてしまい、話をややこしくしたようで、重ねてお詫びいたします。いずれにしても、犯人が捕まるか声明を発表して「何故このような事をしでかしたのか?」がわからない限り、言葉のやりとりになってしまいます。

  伊太祁曽神社の名誉宮司さん、お話を聞いた時は宮司さんでしたが、賽銭泥棒が逮捕されて警察と犯人がやって来た事があったそうです。告発を求められたよう です。その際、宮司は「賽銭泥棒は泥棒ではない。賽銭は神様のお金、それを持っていっても告発は神様しかできない。」ママ、と断ったそうです。何故か、恨 みをかって、出所後にでも火をつけられたらそれこそ大変な事、と言うことでした。

 ついでに、賽銭をしっかり守るのは正月とお祭りの時。賽銭箱には鍵をかけないのは鍵を壊されるか、箱ごと持って行かれるかだ。だからと言って子供に泥棒はさせてはいけないので時々見回るとか。

[2235] Re[2229]: 心に花を  かまど [Url] 2006/06/17(Sat) 19:06 [Reply]
MADOKA様

> ただ。私は事件の全容はしりませんが。。神社側にも落ち度やスキがあったそのことに対する警鐘とかんがえます。


MADOKA様は丹生都姫神社行かれたことは?もし行かれてこの発言でしたら残念です。
それと、どこかの神社の氏子になった事とかありますか?あってこの発言だったら残念です。

玄松子様の言われる通りやや論点がずれてるかも知れませんね。いつも玄松子様のコメントの的確さには頭が下がります。

どこの神社もそうですが、賽銭、祈祷料、氏子の志で運営されているのではと思います。スキを作らないようにしようとすると、夜常駐するとか、機械的に対策を打つことになりますが、その費用はどこから出るんでしょう?

この神社の運営はどうされてるかは分かりませんが、お寺と違い定期収入のない神社と言うものは結構大変なんですよ。氏子の志や賽銭など少ないところは神主さんを雇えないので不在になっていってますね。行事や祈祷の時だけ他の神主さんがいる神社から来てもらうんですよ。

お寺でも、国宝、重要文化財を多くかかえる所は大変なんです。補修など全て国、県から費用が出るわけではないんですよ。でも補修に億単位かかる建物もあるわけです。田舎の大きなお寺の悩みですね。その資金を集めるために住職さんは奔走されてます。

つまり、犯罪を防止するための管理と言うのは完璧にできるものでもないですし、管理したくても管理できない事情という物が各神社にはあるわけです。

いずれにしても、今後何かの対策は必要になっていくんでしょうね。
願わくば、このニュースを見て、他の神社でも愉快犯が出ない事を祈ってます。

余談ですが、丹生都姫神社はこのあたりの地主の神なのでみなさん地域外からこられた方は氏神さんだと思われてますが(私も2,3年前までそう思ってました)、氏神さんではありません。

nick様
>また鎮守の杜が消えるかと思うと一抹の寂しさが。
ほんとそうですね。是非記録に残してください。がんばって下さいね。応援してます。



[2234] Re[2232][2230][2229]: 心に花を  玄松子 2006/06/17(Sat) 16:42 [Reply]
> ま、中にはどうしようも無いのがいますが

今回は「どうしようも無いの」ではないのですか?

法隆寺のような寺院でさえ、盗難や落書きの被害にあいます。
管理が問題なのですか。もっと厳重な監視が必要なのですか。

清掃は大事です。清掃が行き届いていればゴミが捨てられることは少なくなるでしょう。でも、ゴミを捨てられる神社が清掃を怠っているわけではありませんし、どんなに清掃しても捨てられる場合もあります。
そして、今回は、ゴミを捨てるという安易な行為では有りません。除草剤です。計画的犯行ではないのですか。

論点をずらすのも、オチャラケとかわりません。

[2233] 神社の管理は難しい  nick [Url] 2006/06/17(Sat) 10:59 [Reply]
当地隼人の祖霊の神社では
なかったろうかと推論されている
「止上神社」ですが、過去数度の
被害を受けて「宝物」の大半を。。

何度も鍵を換え頑丈にしたようですが
プロにかかっては。。。
延喜式の頃の刀剣や能面等が行方不明です。

この神社は氏子も未だ多数居られるので
善後策を講じられますが、山間部の
過疎の神社は氏子が片手以下なんて所もざら。
境内の清掃もなかなかままならない現状がある。

これから合祀の方向に進むのでしょうが
また鎮守の杜が消えるかと思うと一抹の寂しさが。

だから余計、今、記録しておかねばと。

[2232] Re[2230][2229]: 心に花を  nick [Url] 2006/06/17(Sat) 09:46 [Reply]
ま、中にはどうしようも無いのがいますが
啓蒙にはなりますよ。

私の登山は常時「清掃登山」ごみ袋を提げ蟹鋏を振り廻して歩くだけで
効果はあります。

また当地の山間部では粗大ごみの不法投棄が後を絶ちませんでしたが、
村民総出で藪払いや植林を。。
林道が明るく綺麗になって激減しました。

春になれば引越しで、、近辺には学生さんが多いせいか粗大ごみを。。
ま、これもアパートの大家さんを通してアパートの住人にまめに説明を。。
中には罰則金も。。

電車の中や公道でもヤングにはよく注意します。
当地の場合、まだ素直ですかね。

がみがみ言う大人が少なくなった、、ここにも要因が。
かなり脱線で。笑。

[2231] 土蜘蛛??  nick [Url] 2006/06/17(Sat) 09:36 [Reply]
土蜘蛛に関係あるのか
明日18日、隣町の加治木町で
奇祭の「蜘蛛合戦」が
開催されます。

伝承は、朝鮮出兵をした島津義弘が
この加治木に城下を築いた頃
文禄・慶長の役の折り、陣中で、
こがねぐも(雌)を戦わせて
士気を鼓舞したとある

http://www.synapse.ne.jp/~kajiki/no-flash-m.html

士気を高めるために舞われたものが
幾つか今も伝承されている。

■太鼓踊り
■棒踊り

昔は各地区毎(郷中)にあったそうだが
現在では市町村に片手組程度。

[2230] Re[2229]: 心に花を  玄松子 2006/06/17(Sat) 07:59 [Reply]
> 不法投棄やいたずらがあるところは。手入れや清掃が行き届いていない。または人がよりつかない場所になっていることが原因!


悪意のある人間、目的のある人間の犯行は、どんなに管理や清掃をおこなっても阻止できません。

被害者側の管理が悪いという印象を与える発言は、犯人の目的・意図がわからないのであれば訂正すべきです。

[2229] 心に花を            MADOKA 2006/06/17(Sat) 02:28 [Reply]
泊瀬女さんの怒りはわかります。確かに犯人はゆるせません。
ただ。私は事件の全容はしりませんが。。神社側にも落ち度やスキがあったそのことに対する警鐘とかんがえます。

な ぜならば。私は淀川の河川敷。寺。墓地。神社。街中。の清掃活動を10年した経験があるからです。清掃をしていてわかったことは。不法投棄やいたずらがあ るところは。手入れや清掃が行き届いていない。または人がよりつかない場所になっていることが原因!怒りにまかせてゴミをすてるな!とか犯人に対して罵倒 した言葉を掲示。または侵入できないように鉄線や塀をめぐらした場所はさらに加速的に不法行為が続発する。私はなんどもみました。。。。。。
これをなくする方法はただ一つ!!
行き届いた清掃管理。花で一杯にする。人が気持ちよく頻繁にやってくる場所にすることです。
市 内の神社が夜犯罪の多発地区になっていることも多い。。対外宮司が住んでいない夜は真っ暗。手入れもわるいものです。宮司が変わって。掃除。美化が行き届 き。ライトアップされ。何より参拝者が増え地区に活気が出てくると。不法投棄。犯罪はピッタリやむのです。そんな例はたくさんあります。
仏教の内陣の荘厳 華蔓は忍にく行を表します 耐え忍びつつ、心に華を絶やさずに仏の道を進めの意  だから華は本尊のほうに向けるのでなく参拝者に向けて飾るのです。 怒りよりも心に花を絶やさずに。。。

PONTA さんの銅の話は面白かったですね
イタキソの宮司さんの話を思い出しました。
お 伊勢さんでは。柱を長期にもたせる実験をしているとか。柱の地中に埋もれてるところに銅板を巻いたりするとどれだけ耐久年数が伸びるとか。データーをあつ めているらしい。私は聞いた時。銅板を巻く意味が今いちわからなかったんですがようやくわかりました!! 私も倭亜布さんと同じく緑青=毒とおもっていた もんで。。。。  謝謝!

[2228] Re:[2226] ・[2227] 丹生都姫神社の杉  いこまかんなび 2006/06/16(Fri) 20:19 [Reply]
>オチャラケてる場合じゃありません。
>若木を植えれば100年後にまた大きく育ちます

本当にひどいことをする人間???がいるものですね、
いつも悲しい事件の報道などの時に憤りを感じます。高松塚でも同じですかね。
捕まえたら穴あけて、もうあいてまっか??、
除草剤でもつっこんで同じことしてをやりたい気分ですね。
そうそう、このごろ若い木は思う様に育たない時代となってとても悲しいです。
育てば嬉しいですが。
久しぶりに書き込みたい心境になりました。


[2227] Re[2226]: 丹生都姫神社の杉  神奈備 2006/06/16(Fri) 18:31 [Reply]
 泊瀬女さん、こんばんは。おしかり頂戴いたします。
 犯人には神罰が下るものと思います。ついでにオチャラケの小生にも来ますかな。それも頂戴いたしましょう。
 木は枯れれば、若木を植えれば100年後にまた大きく育ちます。建物でなかってよかったと思っています。

[2226] 丹生都姫神社の杉  泊瀬女 2006/06/16(Fri) 14:56 [Reply]
あの美しい丹生都姫神社の古い杉の木が傷つけられたのですよ。
枯れてしまうかもしれないそうではありませんか。
オチャラケてる場合じゃありません。
この掲示板を読んでいる方々、書き込んでいる方々は、せめて怒りと悲しみを持って欲しいと思います。

[2225] Re[2224]: 秘技??  神奈備 2006/06/16(Fri) 08:39 [Reply]
> >拝殿の後ろで氏子を増やす活動をしていたところ、むき出しの尻を蜂が刺したのに恨みを持って杉の木に除草剤を入れたとか。
> > これは 神奈備 秘技
>  蛙のメン玉 でっしゃろ!!

 皆さんの思った通りです。
 その昔、拝殿の後ろに大きい蜂の巣がありました。最近はどうなんでしょうか。

[2224] 秘技??            MADOKA 2006/06/16(Fri) 01:57 [Reply]
>拝殿の後ろで氏子を増やす活動をしていたところ、むき出しの尻を蜂が刺したのに恨みを持って杉の木に除草剤を入れたとか。

これは 神奈備 秘技
 蛙のメン玉 でっしゃろ!!

犬飼。秦は 調べてます
また ちかじか 書き込みますので
よろしく!!!

[2223] Re[2222]: 丹生都姫神社の杉  かまど [Url] 2006/06/16(Fri) 01:46 [Reply]
神奈備様

拝殿の裏で子作り作業してて、蜂に刺された

との解釈でよろしいのでしょうか?

[2222] 丹生都姫神社の杉  かまど [Url] 2006/06/15(Thu) 23:05 [Reply]
神奈備様

>拝殿の後ろで氏子を増やす活動をしていたところ、むき出しの尻を蜂が刺したのに恨みを持って杉の木に除草剤を入れたとか。

すみません、どう言う意味ですか?

「拝殿の後ろで氏子を増やす活動をしていたところ」って具体的な例でいいますと?

あんまりいい意味には感じないのですが、私はそう取れてしまったので、誤解生じないよう、説明しておいた方が良いかと思いましたので書き込みしました。

ちなみに何か知っているのですか?

何か知ってそうな書き方でしたので。

[2221] Re[2220]: まとめて  nick 2006/06/15(Thu) 20:37 [Reply]
早速のご教示ありがとうございます。
ご紹介頂いたサイトは少々敷居が高すぎます。

[2220] まとめて  神奈備 2006/06/15(Thu) 18:27 [Reply]
> 秦氏の「広隆寺」ですが、ここの奇祭の「牛祭」今年はどうでしょうか。
> どなたか情報をお知らせ頂ければ嬉しいです。画像でもあれば尚。

3年以上なされていない牛祭りですね。下記サイトに牛祭の写真が載っています。
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/1_J.html

> 水銀中毒の症状を指しているのではなかろうか、
ぐにゃぐにゃの蛭子神や物言わぬ阿斯受岐高彦根命とか本牟智和氣命を鉱物中毒者とする考えの方は多いようですね。伊勢丹生では、跡取りに息子ではなく娘に養子(腕のいい職人)を取るといいます。息子が中毒にならない配慮とか。

> 秦氏と稲荷神についてどなたか出典
秦氏と稲荷神では『山城国風土記』(逸文中)に「伊奈利の社」のお話があります。


神奈備掲示板から
丹生都比売神社の杉
愉快犯にしては手が込んでいる。
拝殿の後ろで氏子を増やす活動をしていたところ、むき出しの尻を蜂が刺したのに恨みを持って杉の木に除草剤を入れたとか。

[2219] Re[2214]: 秦人  nick 2006/06/15(Thu) 15:06 [Reply]
>  秦氏のまとめ役は太秦で、禹都万佐(ウヅマサ)と曰うのですが、これは大住をウズンと発音することから発していると考えれば、太秦さんは、秦氏と隼人とをまとめて管理したと言えそうです。

連荘ポストで恐縮ですが、気にかかってることがもう一つ。

秦氏の「広隆寺」ですが、ここの奇祭の「牛祭」
今年はどうでしょうか。
どなたか情報をお知らせ頂ければ嬉しいです。
画像でもあれば尚。

[2218] 蛭子命と水銀中毒  nick 2006/06/15(Thu) 14:30 [Reply]
当地の話題沸騰に便乗して。。笑。

伊耶那美から生まれた「蛭子命」は
生後、足が立たなかったと言う
そこで岩楠船に載せ流した。
漂泊の末流れ着いたのが当地の「蛭子神社」の地。

待てよ、最近、神奈備で追加された頁に
出ていたぞ。

http://www.kamnavi.jp/inari/index.html

ありました。「稲荷神」の項目に。

勢和村丹生の丹生神社の摂社に丹生中神社があり、祭神は譽田別命、五柱男命、三柱女命、蛭子命

これって、ひょっとしたら、
水銀中毒の症状を指しているのではなかろうか、

三重県多気郡勢和村丹生の地は古来よりの水銀の産地として著名で、古代の水銀蒸留用土釜を持つ丹生大師や丹生神社が鎮座しており

新潟の「イタイイタイ病」や九州の「水俣病」は
これの典型ではないか。

この後、天平期・奈良期の各地での大仏建立
この時の多量の水銀を使用している。

古来より、難病・奇病の類として抹殺されたのでは
なかろうか。
それを嘆き悲しんで密かに流した。。
ありえない話ではないな。

ついでながら、蛭子命が流れ着いた「日当山」は
古来より「熊野・聖」が探索した「湯治場」である。

明治維新の立役者「西郷隆盛」はこの湯治場をこよなく愛し
暇を見ては狩でやってきて湯治していた。
もちろん坂本龍馬も宿泊しているのだが、どの宿に草鞋を脱いだかは
今となっては。。
西郷の逗留は「竜宝宅」



[2217] Re[2214]: 秦人  nick 2006/06/15(Thu) 13:40 [Reply]
また、「稲荷神」は「秦氏」が勧請したと云うが。

隼人==>>蛭子==>>稲荷==>>保食==>>馬頭観音

とくれば「鹿児島神宮の初午踊」
実は、この祭りの起源がはっきりしないのだ。
当地に稲荷神を勧請後であれば江戸期だし
早くて鎌倉、、伝承では室町期とあるのだが。

秦氏と稲荷神についてどなたか出典をご教示頂ければありがたいです。

[2216] Re[2214]: 秦人  nick 2006/06/15(Thu) 12:20 [Reply]
> > [2205] QUBOさん  あるとき秦氏の長が「畿内に在住する隼人族」の管理を任される
>
>  秦氏のまとめ役は太秦で、禹都万佐(ウヅマサ)と曰うのですが、これは大住をウズンと発音することから発していると考えれば、太秦さんは、秦氏と隼人とをまとめて管理したと言えそうです。

管理人さん、おはようございます。
といってももうお昼。深夜、父が咳き込んで。。

「うずん」。。そう云えば、昔、やってましたね。
あれから全然進展していない。笑。

>  ぶっちゃけた所、縄文人の代表としての隼人、かたや渡来人の代表の秦氏、両者の混合で弥生人が出来たのかも。

徐福渡来伝承と降臨神話、それに縄文から弥生への移行と
妙に符合しますね。だから在野がざわめきたつ。
原に6500年前の大噴火から3000年前迄の空白地帯がなければ、
文明はどんな進化を遂げたことでしょうか。
案外3000年前、鉄剣が出来ていたかも。

[2214] 秦人  神奈備 2006/06/15(Thu) 10:22 [Reply]
> [2205] QUBOさん  あるとき秦氏の長が「畿内に在住する隼人族」の管理を任される

 秦氏のまとめ役は太秦で、禹都万佐(ウヅマサ)と曰うのですが、これは大住をウズンと発音することから発していると考えれば、太秦さんは、秦氏と隼人とをまとめて管理したと言えそうです。

> [2212] nickさん  また、隼人の反抗は、宇佐神宮の抗争に敗退した「辛島」系が当地へ逃れて、体制を建て直し反旗を翻した。

 それは大隅郡の式内社韓国宇豆峯神社の中の宇豆が大住のことと見れば、辛嶋氏と隼人との連合の象徴としての神社だったと言えるのかも。連合の条件は宇佐で隼人の霊を奉る祭礼がなされることだったとか。
 
  猪飼野と云う地名は『播磨国風土記』に出てきます。「日向の肥人が天照大神のおられる船の上に猪を持参して云々」の記事があります。また浪速の猪飼野は日 本最初の橋があるとか歴史の古い土地柄で、近くには比売許曽神社や許麻神社が鎮座、現在に至るまで渡来人の多い地域で、ここでも秦氏と肥人との関係が見え そうです。

 ぶっちゃけた所、縄文人の代表としての隼人、かたや渡来人の代表の秦氏、両者の混合で弥生人が出来たのかも。

[2213] 話せばわかる  QUBO 2006/06/15(Thu) 09:59 [Reply]
「犬養」姓と言えば、やはり「犬養毅」でしょう
桃太郎のモデルといわれる吉備津彦に従った猿、鳥、犬の
犬養の一族であることを誇りとしていました。
犬飼は、犬を支配する立場 犬そのものではありません 念のため

今も銅像が、吉備神社の駐車場から、吉備神社を仰ぎ見ています。

掲示板なら「書き込めばわかる」ですかね
しかし中には「問答無用、おれのカキコミを読め」 だけの人もいますね

[2212] Re[2211][2205][2204]他  隼人に関して  nick 2006/06/14(Wed) 23:44 [Reply]
隼人盛り上がりで嬉しいですね。

当地の鹿児島神宮の四社家の一つに「桑幡」があります。
祖は「火照命」と系図にはあります。
最近、この宅地(現在在住)内の一部にアパートを建てるとかで
発掘があり、当時の堀や遺構が出てきました。

興味本位でちょっと調べだしたらこれが結構あるのですよ。
例えば、姓の「桑幡」「秦」「旗」「畑」「畑田」「大畑」等。。。
それで鉱物資源か、はたまた「養蚕」か、、
現在、宇佐方面の史料を精査しています。
(当地は、明治の廃仏毀釈で、在野のおじんが閲覧できる書籍は皆無です)
年内にてがかりが掴めて、これが例の「徐福」へ繋がれば小躍りしますが。笑。

また、隼人の反抗は、宇佐神宮の抗争に敗退した「辛島」系が
当地へ逃れて、体制を建て直し反旗を翻した。。
ナンテ説を唱える方もありますから、、、いずれにせよ「根拠」に乏しいですが。

また、犬飼は、こちらの「犬養」もあります。大分の姓は後の方。
地名の小字は前の方。。
他にもありそうです。

[2211] Re[2205][2204]他  隼人に関して  かまど [Url] 2006/06/14(Wed) 20:48 [Reply]
> > 西暦300年以前に移住した形跡がないかと探しています。
> 神武天皇と一緒に移住したと思っているんですが。それじゃあダメですか?

なるほど、神武天皇についてきて、奈良で定住したと言うことですね。


> > ■隼人=犬飼
> 『秦氏が隼人の祖って言う説』について
> 敢えて可能性が有るとすれば、
> @あるとき秦氏の長が「畿内に在住する隼人族」の管理を任される
>  その職務を一族の誰かに再委任する。(職務は世襲される)
>  再委任された誰か その人物の呼び名 「秦隼人○○」とかになる
>  数百年経過すると、秦氏の中のその支族は隼人の祖とされる
> Aあるとき秦氏の長に「畿内に在住する隼人族」が部下として
>  働くこととなる。
>  良く働くので、隼人族に「秦」の姓を名乗ることを許す
>  数百年経過すると、秦一族と周りから思い込まれる
>
> Aのほうは姓を与える行為が天皇(大王)以外に許されたか
>  かなり怪しいので、可能性は@のほうが強いか?と思います。

隼人が秦氏の血をひいているわけではないのですね。なるほどなるほど。


> 坂上田村麿は犬飼族?ではありません。渡来系です。と主張してます。
> 系図では、後漢霊帝・・・阿智使主 ・・・坂上田村麿です
> 「坂上犬飼」の名前も同様にとらえれば良いのでは と思います。

私もそう思います。



nick様、QUBO様ありがとうございました。

[2210] 無題  ガジマル 2006/06/14(Wed) 12:02 [Reply]
訂正、あのデータは血液蛋白解析でした。速攻で理解しようとした欠点がでました。
柴犬は弥生犬じゃないかと思っていた私としては縄文犬という呼び方をネットで読んだ事が、はまってしまったきっかけです。
DNAでは犬は北から、日本人は北からということも聞いたことはありますが、一元的に結論めいたことをいいたいのはわかる。
犬は狼から分化したが一元ではない。インドオオカミ、アラビアオオカミ。アジアの犬はアジアのオオカミから。この事実を知ると安心した。
確 かな知識としてはぐっと絞ってトゥラーはインド「アジア」狼から分岐し南から人とともに沖縄にやってきた。これは採用してもいいのじゃないか。あのデータ をみると北からきたようにもみえるので、多少手間がかかることになった。サハリン犬とアイヌ犬は系統は別というフレーズもあるので0%にあまりこだわる必 要がなくなった。樺太アイヌということも聞いたことはあるがどうなるのだろう。アイヌ人は北からのような気がするが。
弥生犬は鼠をとるらしい。山陰柴犬にその性質があるらしい。狩猟の琉球犬はどうなんだろう。
柴 犬は固有種としてもいいが弥生犬が日本にきてから成立した犬であることはまちがいないので縄文犬、日本狼?がただその古層にいるという意味あいと理解しな ければいけない。確かに本州の縄文名称に愛着を感じている人にとってはアイヌ犬と琉球犬だけを「突然変異をおこした韓半島の犬」との交雑がないので縄文犬 と呼んだら納得いかない人が多いのだろう。弥生犬でもよさそうだが、好き嫌いの問題だ。
アジア狼は穴をほって子供をうむらしい。
縄文人は犬を食していなかったとよくいわれるが、犬祖の伝説から推すと尊食の風があった可能性がたかい。大切にたべ大切に葬る、学者先生も犬の墓と犬祖伝説をもっと組み合わせるべきではないか?
犬はこれくらいにします。

面白そうな話がありました。以下コピー
東越の庸嶺(福建省)の西北の湿地に大蛇がいた。
長さ七,八丈、大きさは十余抱えにもおよんだ。
大蛇は誰かの夢や巫祝を通して「少女のいけにえを要求した。」
毎年、役人たちは奴隷の生んだ子や罪人の娘を捜し出しては大蛇に捧げ、その数は合計「九人におよんだ」。将楽県の李誕の家には六人の娘がおり、寄(き)という末娘がいけにえを志望してきた。

寄はよく切れる剣を懐にして、蛇を噛む犬をともなって八月一日の朝、蛇の洞窟近くの廟におもむき、中に座った。
あらかじめ用意した蒸し米で団子をこしらえ、それに密と煎り麦の粉を混ぜ合わせたあんをかけ、穴の中に置いた。
匂いに誘われて出てきた大蛇に犬が噛みつき、寄は剣で斬りつけた。
大蛇は庭に出て死んだ。
越王はこれを聞いて寄をきさきに迎え、父を知事にした。

ス サノオの神話とにている。ここでは犬と女が無造作に語られている。犬と女のただならぬ関係が伏せられている。聖犬がスサノオの役だ。鼻から生まれたとは 「嗅覚に鋭い」という意味だって考えられる。月、太陽、があればあとは降臨する者が聖犬じゃないか?一番わかりにくいスサノオだ。スサブという言葉に変化 したと一般にいわれている。他の意味もあるとしたらスをこそナオスという意味でスサナウと考える。元をただすという意味にはなる。元はスサのス、アスのス  素
としたら私なりの納得がいく。数字を意識してあてはめてあるが
女6が9人の犠牲者の次の生贄10として大蛇と対決する。
女と犬組が勝ち10の意味が吉に変わる。
さて69はりうきう、琉球に犬はあらわれて10「天」が成就する。
この事情を馬琴は鋭く察した。江戸の衆に関東の源氏を思い出させるようにヒーロー為朝が沖縄にいったとして、大八島、関東八衆、南総
八犬で日本の因果を表現した。馬琴は馬鹿騒ぎではない、偽の神話ではない本物を感じ取っていた人らしい。
「寄」とはなんという巡りあわせなのか?

[2209] Re[2205][2204]他  隼人に関して  nick [Url] 2006/06/13(Tue) 14:55 [Reply]
QUBO さん、こんにちわ。

> @あるとき秦氏の長が「畿内に在住する隼人族」の管理を任される
>
> Aあるとき秦氏の長に「畿内に在住する隼人族」が部下として
>  働くこととなる。

諸先生方は
「山背国綴喜郡大住郷 計帳」
辺りから「姓」等をピックアップされてるようですね。

どんなものか閲覧して見たいのですが。
そういえば、大分の「秦王国」について類似の統計をされている
先生がおられましたが。。

当地では「桑幡」位ですからね。20世帯位在住でしょうか。
『ハタ』繋がりで、暇を見てもう少し整理してみましょうか。

[2208] Re[2204][2202]: 隼人に関して  nick [Url] 2006/06/13(Tue) 14:49 [Reply]
> 秦氏が隼人の祖って言う説もあるんですね。だとしたら西暦300年以前に奈良に移住した可能性はないかも知れませんね。

次の出典が一番古いようですよ。

山背国綴喜郡大住郷 計帳

ここに「隼人関連」の戸籍簿があるらしい。
史料は正倉院宝物?

作成は天平期とあります。
どんなものか原本の画像でも閲覧してみたいが。

いずれにせよ、今週の土曜日、中村明蔵先生にお会いするので
尋ねて見ます。
「薩南学派」の書籍の件もありますのでついでに。笑。

[2207] 独り言  玄松子 2006/06/13(Tue) 12:24 [Reply]
最近、独り言を書き連ねる方が多いようですが、
みなさん、質問には答えましょう。

[2206] 無題  ガジマル 2006/06/13(Tue) 11:54 [Reply]
今年の梅雨は例年の2倍の雨量だそうです。土砂崩れが珍しくおきました。
http://okinawa-dog.seesaa.net/category/1078485.html
バリの犬 http://kesayangan.exblog.jp/1779341/
琉球犬同士をかけあわせると単色の黒、白、茶「赤犬」になるらしい。普通はブチなので虎という意味で「トゥラー」という。白い犬は琉球犬にもいることがわかった。

エスキモーはイヌイット。イットが犬という意味か?
アイヌとイヌイットは違う言語じゃないか? 
文 法S、O、Vで動詞が後にこない?こないだろうね。ただ1%の意味にかこつけて期待しただけで何の確信があるわけではない。DAN分析では犬は北からきた ようにみえるが「解説」では弥生犬は韓半島で突然変異し、震源地があるがもとは北らしい。しかし北というと0%の犬のことだ。ヨーロッパまでつながるの か?折江省あたりの犬が縄文犬に近いらしい。中国犬10%ということだろう。ただ0と60をかけあわせると30になるのかわからない。人に戻っていうと超 古は北南両方からきたとして、南の犬は人と共にやってきたと考えている。島には古い形質がのこるので必ずしももっと南にいったらもっと古い形が期待できる わけではない。島が沈む前から人がいて激変を生きこの周辺に生き延びていて3万年を経ている。インドシナ半島は危ない交流が激しいので文化的修飾は向こう のほうが変容しやすい。

舌斑も特徴らしい。私はその斑をみたことがないので柴犬をまじかにしたことがないのであった。地元犬というのは斑 があるらしい。秋田犬は、弥生犬よりも、洋犬からつくられたのだろう、だから数字がすくない。誤解のないようにして頂きたいが何も説得をするつもりはな い。肩がこらないように、つれづれなるままに感じ方を強めるように、ほざいているだけだ。ひとつの理屈をいっていいたい放題はかまわない。誰も答えがわ かっているわけじゃない。興味を引くように語ってもらったらいいのじゃないか?私はとばし読みタイプですから、関心あるところしか読まない。でも誰でもそ うだね。管理者様が姿勢はちょっと違う。ご苦労様。

補足以下コピー
沖縄県では、
縄文前期(6千年前)の渡具知東原遺跡および崎樋川遺跡、
弥生時代(2千年前)の宇堅貝塚、久良波貝塚でイヌの骨が出ている。


[2205] Re[2204]他  隼人に関して  QUBO 2006/06/13(Tue) 10:04 [Reply]
>> 隼人伝承を追いかけていると避けて通れないこの「畿内移住」、
・・・
> 西暦300年以前に移住した形跡がないかと探しています。
神武天皇と一緒に移住したと思っているんですが。それじゃあダメですか?

> ■隼人=犬飼
『秦氏が隼人の祖って言う説』について
敢えて可能性が有るとすれば、
@あるとき秦氏の長が「畿内に在住する隼人族」の管理を任される
 その職務を一族の誰かに再委任する。(職務は世襲される)
 再委任された誰か その人物の呼び名 「秦隼人○○」とかになる
 数百年経過すると、秦氏の中のその支族は隼人の祖とされる
Aあるとき秦氏の長に「畿内に在住する隼人族」が部下として
 働くこととなる。
 良く働くので、隼人族に「秦」の姓を名乗ることを許す
 数百年経過すると、秦一族と周りから思い込まれる

Aのほうは姓を与える行為が天皇(大王)以外に許されたか
 かなり怪しいので、可能性は@のほうが強いか?と思います。

坂上田村麿は犬飼族?ではありません。渡来系です。と主張してます。
系図では、後漢霊帝・・・阿智使主 ・・・坂上田村麿です
「坂上犬飼」の名前も同様にとらえれば良いのでは と思います。

[2204] Re[2202]: 隼人に関して  かまど [Url] 2006/06/13(Tue) 08:09 [Reply]
nick様

早速のご教授ありがとうございます。

> ■隼人の畿内移住
>
>  隼人伝承を追いかけていると避けて通れないこの「畿内移住」、
>  最近史資料の収集に努めています。
>  しかし、いつ移住したかとなると難しいですね。
>  一応、出典をご覧下さい。
ありがとうございます。
西暦300年以前に移住した形跡がないかと探しています。


> ■弘法大師伝承について
>  当地の場合は、「聖」です。
>  目下、隼人地方の足跡を調査中です。「熊野・聖神社」が散見されます。
そうですね。私も聖だと思います。


> ■隼人=犬飼
>  現在、隼人の祖と云われる「秦氏」?を調べていますが、
>  秦氏系なら「犬飼」といった姓や所の小字も散見されますが、、
>  隼人=犬飼 
>   は、少々疑問

秦氏が隼人の祖って言う説もあるんですね。だとしたら西暦300年以前に奈良に移住した可能性はないかも知れませんね。

[2203] Re[2201]: Q.犬飼  かまど [Url] 2006/06/13(Tue) 07:55 [Reply]
MADOKA様

> かまどさん
> >和歌山県橋本市の本拠を置いた坂上犬飼と言う名前です
> この坂上は豊田丸。坂上田村麿に繋がる光三宝荒神のあの族ですか?
坂上犬飼は700年の人で、坂上豊田丸、田村麿の確か何代か前です。
以前MADOKA様に書き込ませて頂いた文章読んで頂きました?

>この族は犬飼族とみていいのですか?安曇犬飼ですか?安曇以外の犬飼は存在するのですか?秦氏と安曇氏の関係は?
犬飼族ってなんですか?勉強不足で申し訳ないのですが、どういうのが犬飼族とお考えですか?勉強不足もあってその後の質問には私にはご回答できません。すみません。


> 犬飼?につきものの?黒犬と白犬の意味するものは?
黒と白については、あまり詳しく調べていません。なぜなら黒と黒もあるからです。どちらが正しいのか分からないのでそれ以上は調べていません。後世の話なので、もし黒と白が正しいとしたら、密教系の何か意味があるんだと思いますよ。


[2202] 隼人に関して  nick [Url] 2006/06/13(Tue) 04:08 [Reply]
私は現在「隼人町」在住で
病後、失われ行く史跡を憂い探訪を始めました。
当初、手探り状態で、大三元さんのサイトで
質問しましたら、史資料を御教示頂きました。

http://www.dai3gen.net/

目次・隼人の情報

最近、やっと「探訪動機」の「氏神様の謎解き」が
一段落しましたので、「隼人について」調査を再開
もっか、史資料の整理に追われています。

一応、「隼人」としての出典はリストアップしてありますので
ご覧下さい。

http://hayato.com/

歴史探訪・隼人の服従

(つい最近アップしたばかりのホヤホヤです。笑)
一部不具合があるかもしれませんが一応ご参考程度に。

■隼人の畿内移住

 隼人伝承を追いかけていると避けて通れないこの「畿内移住」、
 最近史資料の収集に努めています。
 しかし、いつ移住したかとなると難しいですね。
 一応、出典をご覧下さい。
 強制的な「6年毎の朝貢」は出てきますが。

■柿について

柿の種は縄文遺跡の遺物からも出土しているようです。
本来「原種」が国内にも存在し食料として供していた。
種類については判りません。
本来「原種」が国内にも存在し食料として供していた。

現在の大き目の柿は奈良時代、中国から入った可能性は大ですが

■弘法大師伝承について

 当地の場合は、「聖」です。
 目下、隼人地方の足跡を調査中です。「熊野・聖神社」が散見されます。

■隼人=犬飼

 現在、隼人の祖と云われる「秦氏」?を調べていますが、
 秦氏系なら「犬飼」といった姓や所の小字も散見されますが、、

 隼人=犬飼 
  は、少々疑問

 尚、前出でポストしましたが、当地の垂水の縄文遺跡から
 「飼い犬」が出土しています。

 私の場合、「隼人に関して」未だ推論するに至っていません。
 適時サイトに掲載します。

 

[2201] Q.犬飼            MADOKA 2006/06/13(Tue) 02:03 [Reply]
知ったかの投稿のおかげで、にわかに犬飼と隼人に興味をもちだし調べています  謝謝!

かまどさん
>和歌山県橋本市の本拠を置いた坂上犬飼と言う名前です

この坂上は豊田丸。坂上田村麿に繋がる光三宝荒神のあの族ですか?この族は犬飼族とみていいのですか?安曇犬飼ですか?安曇以外の犬飼は存在するのですか?秦氏と安曇氏の関係は?

犬飼?につきものの?黒犬と白犬の意味するものは?

にわかに調べているので混乱があると思いますが、確認のためお願いします

>棕櫚って珍しいものなのでしょうか?
吉野や洞川でも見ました。温暖化&ハイカーが増えたことが原因と聞きましたが???

[2200] Re[2195][2184] [2182][2181]: 狼    かまど [Url] 2006/06/13(Tue) 00:16 [Reply]
こんばんは。

いくつか教えて下さい。

>ら持ち帰り、隼人との関わりのなかで伝えたものではなかったのではないでしょう
か。またこの地から全国に散った隼人達がこの関わりを伝説として伝えた可能性もあります。」
> http://homepage2.nifty.com/airman/hayato/ada_yoshino00.html

上記HPで「柿畑の中に大きなやし科の植物が一本だけ出た風景には正直驚きました。」とあったのですが、棕櫚って珍しいものなのでしょうか?
和歌山の高野山の麓の方では良く見かけるのでなんとも思ってなかったのですが。


それと奈良に隼人が住み着いたのはいつ頃でしょうか?
すいません、隼人については素人なもので、このあたりから教えて頂ければ幸いです。

[2199] Re[2195][2184] [2182][2181]: 狼    かまど [Url] 2006/06/12(Mon) 21:50 [Reply]
こんばんは。

>犬飼とは隼人を祖とする氏ですので隼人との関わりを示し、柿の原産地は中国です。
「犬飼とは隼人を祖とする氏」とあるのですが、根拠があるのでしょうか?
まず、犬飼と言う氏、と書かれているのですが、犬飼と言う姓を持っていた人がこの地でいたと言う話は今の所聞いたことがありません。しいて言えばお隣の和歌山県橋本市の本拠を置いた坂上犬飼と言う名前ですが、坂上氏は隼人ではないと思うのですがいかがでしょうか?

柿 の事は、初めて伝わったのが奈良の五条市であればそうかもと思うのですが、単純に産地といってしまうと、奈良五条市〜和歌山県伊都郡まで全て産地です。特 に伊都郡かつらぎ町四郷は串柿では日本のシェアの7割を作っています。産地だけではなんとも言えないのではないでしょうか?

丹生氏と犬は 深い繋がりがあります。だから隼人だとは思いません。それよりも丹生氏が来る前に和歌山県伊都郡に住んでいた大伴氏と竃門神社の関係で隼人を調べていま す。この地には竃門神社は1つ。多くは九州にあります。ちょっと気になっているので調べています。今のところ何も掴んでいないのですが、そう言った事もあ り、みなさんの隼人に関する書き込み楽しく拝見させて頂いております。知識がないので書き込みできませんが、楽しく拝見させて頂いております。




[2198] Re[2195][2184] [2182][2181]: 狼    nick [Url] 2006/06/12(Mon) 17:13 [Reply]
和亜布 さん、こんにちわ。

> 皆さん今晩は、参考になればと思います。
> 犬飼山転法輪寺 (犬は隼人。)
> http://homepage2.nifty.com/airman/hayato/ada_yoshino00.html

このサイトは開設当初は掲示板もあったのですが荒らしにあって閉鎖された
ようですね。一時期何度かポストしていましたが。

多分ご存知だと思いますが、
以前、当地の「秦氏」を検索していたら
こんなサイトを見つけました。

狼について興味深い記事がありました。

秦氏と稲荷

http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/hatasi.htm

私の方はこれからです。目下諸資料の収集に努めています。

                             







[2197] Re[2196] 無題    和亜布 2006/06/12(Mon) 14:39 [Reply]
>「琉球麝香鼠は方言ではビーチャーという。モグラの一種。地の中に穴をほって住んでいるからか?ンチャ、ンタが土。スカンクは屁をへって初めて臭いのだが、いつも麝香臭がある。」
ガジマル さん今日は、「弥生犬は米倉の番犬に使われていたという。」ですが「米倉」がそのまま「稲の米」でしょうか?
古文字では【米】[【+】東西南北(四方)+【亞】の(X方向)=八方・・や 【・・・】の上に【ー】(横線)の上に【・・・】(3対3)の形です。
【稲】の【コメ】には見えません。
私は【米倉】には【武器庫】兼【測量道具蔵】と考えております。
余談ですが昔話の「兵士」犬(桃太郎) 「宝(鉱物)探査」犬(花咲爺さん)・・あとは・・里見(里を見る)八犬(米犬)伝。

【鼠】の古文字は「頭」が「+」形の字形や「U」の形「−」などの形でとても「ネズミ」には見えません。
【鼠】の頭は【臼】うす でしょうか?【うす】ならば【兒】 ジ【猊】 [【犬】/11] [ゲイ/] 【獅子】が【犬】につながります。
兒 ジ ニ こ [【臼】キュウ グ うす+【儿】ニン ジン]
【虹】 【鯨】 【睨】む 流し【目】 【刑】(鼎の一種 ) 【鷺】[路+鳥] さぎに似た鳥 (鵞鳥[我+鳥] 白鳥 ヤマトタケル)
【兒】 [儿/8] [ジ、ニ/こ] =【児】
 【倪】 [人/10] [ゲイ/] 幼少の【子】
 【猊】 [【犬】/11] [ゲイ/] 【獅子】、高僧の【座】 【座 】ザ すわる くら?      汗簡では【土】 ポイントに(私的に「追加工事」)手を入れている形(鳥居【型】?)
 【睨】 [【目】/13] [ゲイ/にら-む] じっと【見】詰める
 【貎】 [豸/15] [ゲイ、ボウ/] 形、姿/容貌
 【鯢】 [【魚】/19] [ゲイ/] 鯨(【京】)
 【霓】 [雨/16] [ゲイ/] 虹 (ギリシャ神話では雨を支配していたのは最高神【ゼウス】)
 【鬩】 [鬥/18] [ゲキ、ケキ/] 咎める、言い争う
 【麑】 [【鹿】/19] [ゲ、ゲイ/] 鹿の子(【夏】かの子)

次に「麝香鼠」の【麝香】を以前【香】(香取神宮や・【香】カ の良い香り)について調べた情報の一部です。(鹿嶋・香取・息栖 が三角測量を感じさせます。)
香取神宮の祭神は経津主神で物部氏が祀る神。
鹿島神宮の祭神は武甕槌神(建御雷神)で中臣(藤原)氏が祀る神。
息栖神社は鹿島神宮の摂社で水の神。祭神は岐神の天鳥船神。
じゃこう‐あげは(ジャカウ‥)【麝香鳳蝶】 アゲハチョウ科の大形のチョウ。
じゃこう‐うし(ジャカウ‥)【麝香牛】 ウシ科の哺乳類。牛より小形で肩高約1.2メートル、ヤギ、ヒツジ類に近い。特有の臭気を発する。
じゃ こう‐じか(ジャカウ‥)【麝香鹿】 シカ科の哺乳類。肩高約50センチメートル。体形は普通のシカに似ているが雌雄とも角はない。ネパール地方から中 国・朝鮮・シベリアまで分布。じゃこういぬ。じゃこう‐いぬ(ジャカウ‥)【麝香犬】 「じゃこうじか(麝香鹿)」の異名。
じゃこう‐そう(ジャ カウサウ)【麝香草】シソ科の多年草。北海道・本州・四国の山地の樹陰に生える。高さ60〜90センチメートル。全体に芳香がある。葉は対生し、短柄があ り、葉身は長さ10〜20センチメートルの長楕円形、先はとがり基部は耳形で縁に粗い鋸歯がある。初秋、上部の葉腋に淡紅紫色か白色で長さ3〜4センチ メートルの筒状唇形花を数個ずつつける。《季・秋》
じゃこう‐ねこ(ジャカウ‥)【麝香猫】 ジャコウネコ科の哺乳類。体長約六〇センチメート ル、ネコに似ているが頭が細長く吻(ふん)はとがる。体毛は灰褐色で黒斑があり、尾には暗色の輪状紋が並ぶ。東南アジアに分布。夜行性で、森林にすみ小動 物や果実を食べる。肛門付近の腺から麝猫香という強い臭気のある黄色の液を出す。霊猫(れいびょう)。
じゃこう‐ねずみ(ジャカウ‥)【麝香鼠】  トガリネズミ科の哺乳類。体長約12センチメートル。外形はジネズミに似ているがはるかに大きく、吻(ふん)が長くとがる。体毛は灰褐色。人家付近にす み、夜、昆虫や小動物を捕食。体側の腺から悪臭を放つのできらわれるが穀類にはほとんど害を与えない。東南アジアに広く分布し、日本では長崎・鹿児島・沖 縄などにみられる。りゅうきゅうねずみ。
じゃこう‐みぞほおずき(ジャカウみぞほほづき)【麝香溝酸漿】 ゴマノハグサ科の多年草。アメリカ原産 で、観賞用に栽培。全体に麝香に似た芳香がある。茎は地をはって長さ三〇〜四〇センチメートルぐらいになる。茎と葉には粘毛を密布。葉は短柄をもち対生し 長卵形。5〜10月、上部の葉腋に先が五裂した筒状唇形花をまばらに開く。花は淡黄色で褐色の斑点があり、長さ一・五センチメートルぐらい。においほおず き。アメリカみぞほおずき。ミムラス。
猫の語源は、猫麗といいます。高麗・唐から渡ってきた動物
「猫も杓子も」とは何か?
http://user.komazawa.com/hagi/nekoto.html
「猫」の常は居間よりも台所を住み処とする。なぜならば、「鼠」を捕るに好都合な場所であるからだ。「杓子」も同様、飯盛の道具として台所にあってもっとも必需品なのである。
]「しゃもじ」<杓子+文字→しゃもじ>は、室町時代宮中の女房言葉の一種である。「おたまじゃくし」については、多賀神社説の典拠(神社縁起)をより明確にしておく必要がある。
(長文でのご迷惑 慎みましてお詫び申し上げます。)
お多賀杓子が訛ったものです。〔滋賀県多賀神社から長命のお守りとして出す杓子のこと。〕
王朝貴族の時代には中国朝鮮半島を経由して猫が日本に渡来し、猫の役割は、仏教の經典を鼠害から守ることに当初はあったのが、やがて宮廷貴族の愛玩動物として飼われるようになっていく。
追伸
【大黒】の【黒】には【点】ボチ(交点【+X】)の意味も有ります。

[2196] 無題  ガジマル 2006/06/12(Mon) 12:33 [Reply]
聖犬が訪れたのならいつの頃なのかという事だが、もしその時期をモンゴロ イドへの分化のころにするとモンゴル800「ヤオロズモンゴル」の古層に犬祖がいると思われるが、どうか?鼠が次の世のシグナルとして扱われたと思うが、 鼠と異界でひいてみてもでてこない。穴とすれば兎が同じ意味をもつのか?南中国の鼠をおうことはできなかった。
弥生犬は米倉の番犬に使われていた という。訓練されていた犬だったのかどうか?鼠がくるにまかせてのんびりしている犬だって考えられる。やはり訓練があったのだろうか。そうだとすると水田 稲作族の犬は番犬「犬飼部」として特別職を与えられた部族だろうが、隼人族をも管理していたのか判断は難しい。「隼人の犬」への公式記述は神話てき魅力に は乏しい。番犬を察知して鼠がこなくなるかどうか知らないが鼠が大切な稲、たんなる食料という意味を超えて稲を扱っているとしたら米を食べてしまうことは 許しがたい宗教感情が含まれそうです。ところが、沖縄では鼠は上の人「ゑンチュ」と方言でいう。宮古でユヌム「ある地域だけかもしれない」というがその他 の地域は上の人という意味で呼ばれていて、ひろがりは南島全般、ちょうどニライという観念の伝播域と同じくらいポピュラーです。共通語「鼠」を方言で試し みに砕いてみると、ニズン、ニドゥンで根所の意味あいになり大地になる。学校の先生は共通語「鼠」との違いを説明するに、天井にいるからそういったのだろ うと理屈めいた解説しかしなかったが決して諭す言い方ではなかった。ずっと謎としておかれていた類の事項でした。天井裏は暗いのでタカクラと通じ、その神 聖感がインドネシアあたりにはあるが、沖縄ではその神聖なクラにいる動物という感性まではさぐれない。琉球麝香鼠は方言ではビーチャーという。モグラの一 種。地の中に穴をほって住んでいるからか?ンチャ、ンタが土。スカンクは屁をへって初めて臭いのだが、いつも麝香臭がある。いや私はこの年になってもまだ 麝香の香りとはどんな香りか経験したことはないのでビーチャーのことを言っているだけである。流しの穴などから家にはいってくると閉口したものだ。しかし ある地域では、影向としてとらえ「吉」としている。超古代の感性に鼠を敬う気持ちがあったことはまちがいない。
アマミ方言辞典より以下コピー
> ネズミの祭。[sibasasiのあとの8月甲子の日に行う。(8月に甲子の日が来ないときには9月に入って行う。)この日ネズミが畑や野原で遊ぶのを妨 げないよう、人人は畑仕事を休んでネズミが畑を荒らすに委せる。ネズミは奄美では神の使とされている。この日を先祖の洗骨に当てることが多い。

沖縄本島でも天井の鼠にわざわざ食事を与える風習があった。
道 教、儒教、仏教ではたして鼠への敬意を表す考え方があっただろうか。異界の動物、おそらく穴に出入りする習性からだと思われるが、見事に洗練されていない 土着の感性なのではないだろうか?古事記では鼠が異界の動物としてでてきてオオクニ主を助ける役割として描かれている。このちょっとした話に日本の古層が あるのではないか?そして他府県のことは知らないが、あきらかに沖縄には「鼠の謎」を指摘できるだけの民俗がある。不思議なことに北は十二支では子で鼠と なっている。漢以前の感性があると思われる。大黒天「マハーカーラ」も鼠と関係があるらしい。ただインドのマハーカーラに鼠がでてくるのかというとまだよ くわからない。もし鼠が縁のある動物だとすると鼠が接点になることになる。音読みの大国、大黒が同じなので大国の古事記の鼠に限定される可能性もあるので なんともいえない。
北は五色でいえば黒、夜の中心は北極星ここまでは「世界の価値観」であってもおかしくない。鼠への感受性はどこからきたのであろうか?「犬と鼠」 
聖犬が鼠を大切にせよと教えたのではないか?たとえば狐の精霊ピーが憑依したり、アフリカの祭りで精霊が憑依し奇跡的な踊りをしたりするが、犬祖という観念は「来訪神」と私は考えている。犬神をピーとして描いたらまずしき陰陽説になる。


[2195] Re[2184] [2182][2181]: 狼    和亜布 2006/06/11(Sun) 23:48 [Reply]
皆さん今晩は、参考になればと思います。
犬飼山転法輪寺 (犬は隼人。)
  「隼人の移住の地で、初期の移住地になるのは、奈良県五條市阿陀地区とされていますが、この地は、北西には金剛山の山並みが続き、南東には桜の景勝地で有名な吉野を控え、紀ノ川となる吉野川の流れの中にあります。」
「日本全国各地に残る弘法大師(空海)の伝説にまつわるものがありますが、この地が起源だったのではないでしょうか。五条市には犬飼山転法輪寺というお寺 がありますが、そこの縁起に弘法大師42歳の時(弘仁6年:815年)、高野山創設にあたり、この地の犬飼で狩場明神とあわれ道中安全守護のために白黒二 頭の犬を賜り、無事に高野山を創設することができたとあります。犬飼とは隼人を祖とする氏ですので隼人との関わりを示し、柿の原産地は中国です。この事か ら弘法大師が柿を中国から持ち帰り、隼人との関わりのなかで伝えたものではなかったのではないでしょうか。またこの地から全国に散った隼人達がこの関わり を伝説として伝えた可能性もあります。」
http://homepage2.nifty.com/airman/hayato/ada_yoshino00.html

住吉三神の【筒男神】は【五十(イソ 船)猛命、大屋(家)津比賣命、抓(葬)津比賣命】でした。
「この木種を植え育てよ。杉と楠は【舟】をつくるのに用い、檜は【家】をつくるのに、槙は【棺】をつくるのに用いよ。」がヒントでした。
【筒】ツツは、星のことを指すといはれ、星は航海の針路を決定するものである事から海神であるといはれている。帆柱を受ける凹型の柱で船霊を祀る所でもある「筒」の事で対馬にある地名「豆酘(つつ)」や、ツチノコの「ツツ」に由来する語など諸説あるらしい。
住吉三神がスサノオ(航海関係)や紀氏(木材関係)に関係することで、陸に上がった【海神】「造船関係者」が国造りにどのように貢献出来たか考え辿り着きました。
                              青草です。

[2194] Re[2192][2193] 犬について?  QUBO 2006/06/11(Sun) 18:26 [Reply]
ガジマルさん 今晩は いくつか疑問が有ります
@『以上データをコピーしました』って、何からのコピーですか?
 要するに、出典は何ですか?
A『データ』のサンプル数はどのくらい有るのですか?
Bこれを基に何を言いたいのですか?

 『カナリア諸島のカナリアも犬という意味』
 これは知りませんでした。ありがとう。

恋川亭さん 今晩は 
同じような疑問を持たれたので、『解析???????』
と書き込まれたと勝手に解釈しました。 よろしく。

[2193] Re[2192]: 無題  恋川亭 2006/06/11(Sun) 02:41 [Reply]
ためしに並べ換えてみました。

> Gmog保有度です。
 1.ヨーロッパ犬種     (  0%)
 2.ロシア犬種       (  0%)
 6.エスキモー犬      (約 1%)
 3.北海道犬        (  0%)
 7.秋田柴犬        (約 2%)
13.秋田犬         (約 5%)
21.信州柴犬        (約15%)
25.甲斐犬         (約30%)
17.三河犬         (約10%)
22.美濃柴犬        (約20%)
 9.三重・南島実猟犬    (約 4%)
27.三重・志摩実猟犬    (約45%)
24.紀州犬         (約25%)
19.山陰柴犬        (約12%)
15.壱岐犬群        (約 6%)
11.対馬犬群        (約 4%)
26.済州島犬        (約33%)
29.珍島犬         (約60%)
28.四国犬         (約55%)
12.種子島犬群       (約 5%)
16.屋久島犬群       (約10%)
20.奄美大島犬群      (約15%)
 4.琉球犬・山原系     (約 1%)
14.沖縄本島犬群      (約 6%)
23.西表島犬群       (約22%)
 8.台湾在来犬群      (約 3%)
18.中国原産犬群      (約12%)
10.バングラディシュ在来犬群(約 4%)

解析???????

[2192] 無題  ガジマル 2006/06/10(Sat) 11:21 [Reply]
柴犬は縄文犬とネットであったので、縄文犬、弥生犬をどうカテゴライズし てあるのかという興味が湧いてきました。柴犬は弥生じゃないかという疑問がまずあったのです。野生の犬は人が大陸周辺に来る前にすでにいたのかという問題 はさておき、沖縄の犬は列島を地勢学的に考慮をしたら縄文犬といって差し支えないと思いました。はやりのDNA分析です。以下はコピー
Gmog遺伝子は、
イヌ血球ヘモグロビンA型遺伝子(HbA)と同様に、
北海道(アイヌ)犬には全く浸透せず、
“琉球犬”にはほとんど浸透していないのです。
Gmog保有度です。
1.ヨーロッパ犬種(0%)
2.ロシア犬種(0%)
3.北海道犬(0%)
4.琉球犬・山原系(約1%)
5.琉球犬・八重山系(約1%)
6.エスキモー犬(約1%)
7.秋田柴犬(約2%)
8.台湾在来犬群(約3%)
9.三重・南島実猟犬(約4%)
10.バングラディシュ在来犬群(約4%)
11.対馬犬群(約4%)
12.種子島犬群(約5%)
13.秋田犬(約5%)
14.沖縄本島犬群(約6%)
15.壱岐犬群(約6%)
16.屋久島犬群(約10%)
17.三河犬(約10%)
18.中国原産犬群(約12%)
19.山陰柴犬(約12%)
20.奄美大島犬群(約15%)
21.信州柴犬(約15%)
22.美濃柴犬(約20%)
23.西表島犬群(約22%)
24.紀州犬(約25%)
25.甲斐犬(約30%)
26.済州島犬(約33%)
27.三重・志摩実猟犬(約45%)
28.四国犬(約55%)
29.珍島犬(約60%)
以上データをコピーしました。
こ のデータからは秋田柴犬は縄文といってよさそうですが山陰柴犬以下の柴犬は混血タイプとみたほうがいい。0%と1%の意味は大きいと思うが、測定の問題も あるのでなんともいえないがエスキモーの1%は南周りの縄文犬を意味しないか?壱岐犬群(約6%)は以外だ。済州島犬(約33%)と比べたらよい。あくま でもGmog遺伝子による分類から見た考察です。
カナリア諸島のカナリアも犬という意味だそうだが、野犬のおおい島として命名されたらしい。ここの犬も0%なのか?南まわりの人類一派もいたことを感じたいのだが?

犬をあらわすアジア語。
朝鮮 KAI ケー チベット キ
広東語はGAU 狗
ビルマは私が注目している場所だがKHWE マレー、インドネシアANJINでANを省くとJINだ フィリピンはASO、ジャワはASUアスー、
SAGAWON
ヒンディーはクッター、ネパールはKUKURククル 
アイヌはSETA。
ここからなんとか共通項としてGAWUN WUNがWUIとなるとWIとなる変化がある。カイ クゥワイがケー、ケン、ゑー
GAWUNはガーがいるという事を意味する。ガ、カ、アと変化すると、アウンとなる。やはり原初Gが重要なのか?
アイヌのセタをイタとすると多少風穴があくのだが?沖縄の場合ガウン カイン キン イン マレーのジン、キン、インの変化でも良い
すべて喜ばしい音だ。アスーはそのまま犬祖という意味じゃないか?サーどうだろうか?どうかたたき台にしてご批判を頂きたい。


[2191] Re【2189】            MADOKA 2006/06/09(Fri) 23:41 [Reply]
>第二十巻 四五〇〇 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしぬに君をしそ思ふ
梅の花は香り高いので、遠いにもかかわらず心もしなえるように、あなたをお慕いします。
MADOKAさん これは?

ほうありましたか。先の話は奈良の博物学の西川廉行氏の受け売り!一首しかないの間違いだったかも知れませんね 陳謝!

もうひとつ受け売り
梅干しの発明は塩の保存方法のためだったらしい。塩を長期保存するために梅をつけたことが始まりだったらしい 一説でしょうが。。。

[2189] Re[2187]: Re[2184]狼  QUBO  神奈備 2006/06/09(Fri) 17:29 [Reply]
> 万葉集で詠まれている梅の歌に香りを詠んだ歌が一首もない!!のが根拠です。

第二十巻 四五〇〇 梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしぬに君をしそ思ふ

梅の花は香り高いので、遠いにもかかわらず心もしなえるように、あなたをお慕いします。
MADOKAさん これは?

[2188] Re【2186】無題            MADOKA 2006/06/09(Fri) 16:09 [Reply]
>日本の古層に「鼠」がいる。

カジマルさん
   これってなんですか??

[2187] Re[2184]狼  QUBO            MADOKA 2006/06/08(Thu) 18:53 [Reply]
QUBOさん こんにちは
>「中ツ神」「中津神」とは?「豹」のことです。

これはしらなかったですねえ

>虎のことは知らなかったのか?実物を見ずに毛皮だけみたのか?

こういうことはよくありますね
虎も実物は長いことわからなかったので。猫をモデルに書いてた。丸山応挙の八方睨みの虎の図も猫顔。

花が桜は新しく。本来。梅というのは有名ですが。万葉集で一番良く歌われている梅は現実にこの時代の人はみたことがないという話がある。なぜ?梅といったら。梅の香!!なのに。万葉集で詠まれている梅の歌に香りを詠んだ歌が一首もない!!のが根拠です。
霊力のある霊木として。
桃。梅。橘。という認識はあったらしい。。。
神奈備さんのコノハナサクヤヒメはバナナにはビックリ!神奈備秘技カエルの目ン玉!?かと思いましたが
。隼人のコノハナサクヤヒメで了解、古代人にとって
バナナは原色ギンギン&フラダンスではなく。常世の国から流れついた命はかない&生命を育てる地母神なのね!?(バナナを食べるだけで生きられる&熟成するまで生らすと香りが周辺に漂う)
松尾芭蕉の件もある。これも漂泊するイメージなんだろうねえ

常世の国の蓬莱山には桃。梅。橘。バナナ。が生い茂り。虎。龍。大亀。豹がうろうろしてるのね。。

現代にこれを作って洞窟型ホスピスで治療を受けつつ
バナナを食べ食べ。ごろごろひなたぼっこをしたら。鬱病完治!!!  これゃ あたりそうでんなあ!!

[2186] 無題  ガジマル 2006/06/08(Thu) 17:55 [Reply]
返事遅れてもうしわけない。多方面にわたっているので混乱する.。
ば かげた話と一笑にふすかもしれない。私の沖縄の犬の話の発端である。隋書琉球国伝の琉球は台湾かもしれないという説はあるが、時代は隋のころである。まだ 原住民しかいなかったころの風俗だとしたら与那国の風俗も大差なかったかもしれない。ひとつだけ不思議なことが記述されている。亦有小彗「しかも尻尾を もっている」体の飾りのことも書いてあるので見間違いとしたくはないが、やはりシッポを模したアクセサリーと思っていたのです。ところが読谷の犬祖伝説で は女が「聖犬」の人間への変身を待ちきれず「シッポ」が残ったまま、交わってしまって子供もシッポつきの人になってしまったという。本物のシッポかアクセ サリーかここで迷ってしまったのです。狗から犬になった漢字の意味はとても大きい意味をはらんでいるのではないか?聖なるものを科学的に扱うことはできな い。そうすると神話は人間臭さと合理的解釈で読み解かれてしまう。不可知論があるということをも考慮したら豊かさをそのまま持ちつづける方法が必要ではな いか?小彗とはやはり彗星の尾をひくという意味じゃないか?モンゴロイドは乳児のとき青いあざが尻にでる。うっ血斑は何故白人にはでない?モンゴロイドた る所以が犬祖伝説ではないか?新モンゴロイドの漢も深い因縁に新たな字を考えたのではないか?

滝沢馬琴のネタ「民間説話」は薩摩経由のア マミの犬祖伝説らしい。白い犬。南中国では五色の犬ともあった。ただ女と犬との深い縁が語られるだけで、犬祖という読谷の話の薄まったストーリーである。 与那国、宮古、久米島も同じだ。何故犬に女はこだわるのかという謎を提示している。馬琴は沖縄に鍵があることを犬のように嗅ぎ分けたのではないか?為朝が 沖縄にいったとしたのは迷惑だが、犬は沖縄にいる、鍵は沖縄にあるという認識に達したのではないか?赤犬子は「音」で世を変えた。サンシンは日本の音とし て今世界で認められている。風の島には音しかない。次なるものは何か。日本の古層に「鼠」がいる。

[2185] Re[2184][2182][2181]: 狼  nick [Url] 2006/06/08(Thu) 14:27 [Reply]
ウルフさんこんにちわ。
やはり狼の方が優しそうに聴こえますね。

豹かな。。
朝鮮には戦前まで虎が居たようですから
今も居るのかな。。?
案外こちらかも。

昔は狼も居たでしょうから
寂しい山奥を旅するのは。。
時代劇に登場する一人旅なんて苦労が察しられます。

[2184] Re[2182][2181]: 狼  QUBO 2006/06/08(Thu) 13:09 [Reply]
nickさん MADOKAさん  今日は

以下は単に言葉の遊びです

「犬」=「狼」=「大神」 
では、大ではなく中
「中ツ神」「中津神」とは?

以前、豊田有恒の小説に出ていたので覚えていました。

「豹」のことです。

しかし実物を見ずに毛皮だけみたのか?
狼と争えばどちらが勝つか?
はたまた虎のことは知らなかったのか?
虎の毛皮を見たら、狼よりも強そうだから
「大々神」とか名付けたか?
すいません 青草です

[2183] ストーンヘンジ  神奈備 2006/06/07(Wed) 17:11 [Reply]
今晩7日(水)の7時から、NHK教育TVで、ストーンヘンジについての放送がありますね。

[2182] Re[2181]: 狼  nick [Url] 2006/06/07(Wed) 04:31 [Reply]
MADOKAさん、おはようございます。
3時頃、父が排便で呼んでいてやっと取替えが完了し
キーを叩いています。
父は気持ちよさそうに高いびきです。笑。

> nickさん
> 隼人と犬飼は同じと考えていいのですか?
> そういう文が多いのですが・・・・
> なにか違いがあるのですか?

当地を訪れられたら即お判りになりますが、「田舎」です。
特に彼等が営んでいた山間部は険しい。。
だから「犬」は番犬としても狩のお供としても
怪我をして緊急時の連絡係としても重要な位置を占めていたろうことは
容易に推察されます。

しかし、肝心の出典が見えない。。ま私の勉強不足でしょうが。
前出の垂水市の「飼い犬としての縄文犬」の発見もありますが。
ちょっと調査してみます。

> ps.
> ホームページにはやっとたどりつきました。

申し訳ないですね。内容の薄い頁ですが、それなりにご覧下さい。
長文は熱がでる。笑。

> &先日の研究会で神奈備さん九州報告があり、お姿拝見!!わたくし勝ってに、うら若き乙女のようなnickさんを想像しておりまして・・・感動しました!!!!

食欲不振に怠らないことを願うのみ。
愉しい旅行でした。時間があれば、面白い「田の神」も幾つかご紹介したかったの
ですが。。ちょっと「せかせか旅行」でした。陳謝。

[2181]            MADOKA 2006/06/07(Wed) 00:12 [Reply]
http://www.raifuku.net/special/wolf/wolf_top.html
『狼神話 』
カジマロさん
あなたの質問の答えになりそうなページでしたよ!
犬飼を調べてたらでてきた!
犬飼をわかりやすく説明していますね
犬はもともと狼
稲荷神の狐も元は狼という話はありますね

nickさん
隼人と犬飼は同じと考えていいのですか?
そういう文が多いのですが・・・・
なにか違いがあるのですか?
ps.
ホームページにはやっとたどりつきました。
&先日の研究会で神奈備さん九州報告があり、お姿拝見!!わたくし勝ってに、うら若き乙女のようなnickさんを想像しておりまして・・・感動しました!!!!

[2180] Re[2179][2169][2166]: 室宮山古墳  神奈備 2006/06/06(Tue) 20:19 [Reply]
> 土器の編年

かねがね疑問に思っていることの一つに土器の編年の間があるんです。
たしかに現在でも戦前の瀬戸物と今のものとは雰囲気が違うものですが、その昔の土器についても十年二十年刻みでこれが先あれが後などとファッションの如く定められるものなのか、また地方での差などもあるはず。なかにはリバイバルもあったのかも。

倭 トト日百襲姫は崇神天皇の叔母さんですが、安本美典さんの統計は数学の部分はよくわかるのですが、記紀に全ての天皇の名が羅列されていたのか、余分はない のか、抜け落ちたのはなかったのか、ましてや天照大神さんまで引っ張っては学説としてはどうなんでしょうか、などと思いますが、だからと言って答えを持ち 合わせてはいませんが。

[2179] Re[2169][2166]: 室宮山古墳  とみた 2006/06/05(Mon) 23:08 [Reply]
神奈備さん とみたです。
コメントありがとうございます

> > 須恵器は5世紀のはじめには日本で出来なかった。朝鮮から来た。
>
>  河内の陶邑から大田田根子を見つけだして三輪山の神の祭祀を担当させたのが崇神天皇の頃とされています。4世紀初頭でしょう。
>  そうしますと陶邑の陶は須恵器ではなかったのか、もしくはこの話は5世紀頃の話なのか、全くのガセネタなのか、よくわからない所です。


私も須恵器の編年では、河内の陶邑のオオタタネコを連想しました。多分陶邑は須恵器の生産センターであり、そこから物流センターを経由して各地に分配されたと思っていたからです。

拝聴した東京会場の講師は橿原考古学研究所の関川尚功先生でした。

ご存知でしょうが先生は纏向遺跡の土器の編年の大家です。
箸墓古墳の年代は250年ぐらいとする白石太一郎先生・・・卑弥呼の墓とする学者と、350年ごろと見る関川尚功先生・・・崇神天皇の妃の倭トト日百襲姫の墓とする学者に分かれます。
ということで須恵器の編年も晩めで5世紀中ごろと考えておられます。(他の学者はもっと早い時期に想定しているかもしれません)


関川氏による古墳/土器の推定築造時期
●4世紀中ごろ 箸墓古墳など
       埴輪 特殊埴輪とそれに近似した形態の埴輪。
       二重口縁をもつ壺型土器の出土。
       布留式土器の出現。      

●5世紀中葉から 伝応神陵/伝仁徳陵
       初期須恵器の出現

なお、安本美典さんが統計的に求めた天皇一代在位約平均10年説によれば、崇神天皇の活躍年代は340年〜355年ごろ、垂仁天皇の活躍時代は355年〜370年ごろと考えられるそうです。

> > 楽浪郡が滅びて流れてきた漢人の古墳であるようです。
>
>  楽浪郡が高句麗に滅ぼされたのは313年、それ以降、どのような影響と活躍があったのか、たしかにその視点が抜けていたのかも知れませんね。
>
> > 楽浪郡が滅びて流れてきた漢人の古墳であるようです。
>
>  楽浪郡が高句麗に滅ぼされたのは313年、それ以降、どのような影響と活躍があったのか、たしかにその視点が抜けていたのかも知れませんね。

楽浪郡出身の漢人は、飛鳥地域で中国の墓と同じように死後も生前と同じ生活が出来るように天井は高いドーム型にした墓で、中には炊飯器としてのカマドのミニチュアとカンザシと、アイロンを入れているそうです。

[2178] Re[2177][2176][2174][2172]: スヱ と カツラ  神奈備 2006/06/05(Mon) 22:47 [Reply]
> それが吉野とくれば、青草満開できるかも???

励ますことのなれば幸甚です。
愛鬘神については下記の文献が記しています。
『大和名所記』 第十一巻
勝手明神は愛鬘命(うけのかみのみこと)なり。天孫臨降の時、卅二神、相そいてあまくだります次に護国後見にくださるゝ卅二神と云々。愛鬘命は勝手大明神なり(六十四神式)。


[2177] Re[2176][2174][2172]: スヱ と カツラ  大三元 2006/06/05(Mon) 22:01 [Reply]
自己レス:
> 「愛鬘」という用例も知らないので(どっかにあるかしら?)説得力はどっちもどっちでしょうか。

待てよ。「愛鬘」の「愛」を「え」と読めば「吉」も「えし(良しの意味)」だから「吉葛」と同義になりうるのですね。それが吉野とくれば、青草満開できるかも???

[2176] Re[2174][2172]: スヱ と カツラ  大三元 2006/06/05(Mon) 21:08 [Reply]
神奈備さん、コメントありがとうございます。

>  大三元さん、こんばんは。吉野の勝手神社の祭神はもともと受鬘命で、これは愛鬘命の誤記とされ、

「稲かづら」というものがあるようで、稲穂を鬘にしたものだそうです。
「稲」は「稲魂」で「ウカ(ウケ)のみたま」とも読むので、「受鬘」でも判らぬ事はない、という感じはあります。

「愛鬘」という用例も知らないので(どっかにあるかしら?)説得力はどっちもどっちでしょうか。

[2175] Re[2173][2171][2169][2166]: 室宮山古墳  神奈備 2006/06/05(Mon) 20:01 [Reply]
 葛城の姫君、こんばんは。 
古代の物流、最近よく取り上げられる視点ですね。
 南海電車本線に箱作(はこつくり)と云う駅があります。釣りの名所でしが、この名前は和泉砂岩や阿蘇ピンク石などを陸揚げして、ここで石棺などに加工したのでしょう。
 運び出した港は熊本の肥後國宇土郡で波多神社があり、また箱作の近くに宇土山古墳、また岸和田には波多神社が鎮座しています。
 多分これは商いとして行われていたのだと思っています。
http://kamnavi.jp/en/izumi/saside.htm

[2174] Re[2172]: スヱ と カツラ  神奈備 2006/06/05(Mon) 19:36 [Reply]
> スヱ と カツラ の間に コトバの関係がありそう

>> 念押しすれば:陶津耳=カツラ・ツヌミ=(葛城は鴨、だから)賀茂(建)角身、であろうか、という提案である。

  大三元さん、こんばんは。吉野の勝手神社の祭神はもともと受鬘命で、これは愛鬘命の誤記とされ、伊賀の式内社「鳥坂神社」の社頭説明板には「愛鬘命 又の 御名 下照姫」とあるそうで、カツラは葛城(=鴨)につながっており、また陶津耳は鴨の祖である大田田根子の祖母にあたり、スエと鴨とはつながっているよ うですね。面白い提案だと思います。

勝手神社 http://kamnavi.jp/as/yosino/yosikatu.htm

[2173] Re[2171][2169][2166]: 室宮山古墳   2006/06/05(Mon) 15:03 [Reply]
タイシさんも「葛城氏の実像」をご覧になったのですね。

展示内容に沿う講演が三回開かれまして、二回目は残念ながら聞き漏らしましたが、昨日三回目の講演を聞きに、橿原研究所へ行ってきました。

> 橿原考古学研究所附属博物館で18日まで開催されている「葛城氏の実像」に行ってきました。
> 図録を買ったのですが、室宮山古墳の出土品について色々書いてありました。また「須恵器から見た葛城の物流拠点」のページがあり「竹内遺跡」をとり上げていました。

倭 盆地に須恵器が大量に持ち込まれていますが、この流入経路についての話が主なテーマでした。  竹内遺跡は旧竹之内街道の入り口の 直ぐ隣です。 ここから深さが約2m、幅が4,5mの大溝が検出されました。  東西に一直線に走る大溝はいまのところまだ200mしか確認されていませ んが、この大溝の中から大量の須恵器が出土したそうです。 土器は非常に良質のもので、あらゆる種類が含まれていたことから、ここが河内方面からの荷の集 積地であったことがわかりました。

一旦集積した物資は、ここで配分されて各地へ運ばれたものと推測されますが、搬入路は竹内街道だけではなく、南にも同様の機能を持つ場所があるそうです。
それは、巨勢寺下層遺跡と呼ばれるもので、ここからも竹内遺跡とまったく同様の出土品を見ているそうで、これは紀路からの搬入路と見られています。

また北からの搬入路としては、川合の大塚山古墳群の宮堂遺跡辺りが考えられるそうですが、まだ確認されていないとのことでした。 この辺りは馬見古墳群の勢力下であったでしょう。

こ のように何箇所かのルートを機能させることによって、流通が絶えることのないように計ったのでしょうか。  現に、竹内遺跡は古い須恵器のころにピークを 迎えていますが、五世紀の中ば以降、一旦衰退し、6世紀にはまた元に戻っているそうで、この趨勢に沿うように、巨勢側のピークの時期は、五世紀半ばから終 わりごろだそうです。

西の搬入路である竹内も、南の巨勢も陸路ですので、当然馬による輸送であったでしょう。  この両地に見られる製塩土器の多さは、或いは馬用の塩も含まれているのではないだろうか、とは、博物館の木下氏のお話でした。

もしも北の集積地が見つかった場合、それは西や南のルートとは違い、多分大和川を利用したものであったでしょうから、どのような出土品になるか、大いに楽しみなところです。

葛城氏の富と権力は、偏にこのような、物資の集積地を押えていたことに由来し、土器だけではなく、この流通経路ではあらゆる種類の物資が行き来したことでしょう。

また、東からの物資の流通もあったでしょうから、今後の発掘の成果に期待がかかります。  

[2172] スヱ と カツラ  大三元 2006/06/05(Mon) 01:03 [Reply]
以前からこんなこと↓を考えています
http://www.dai3gen.net/kamo04.htm#concl
スヱ と カツラ の間に コトバの関係がありそう

[2171] Re[2169][2166]: 室宮山古墳  タイシ 2006/06/04(Sun) 19:53 [Reply]
先日、橿原考古学研究所附属博物館で18日まで開催されている「葛城氏の実像」に行ってきました。http://www.kashikoken.jp/museum/special/06spring/main.html

図録を買ったのですが、室宮山古墳の出土品について色々書いてありました。また「須恵器から見た葛城の物流拠点」のページがあり「竹内遺跡」をとり上げていました。

近々、お会いした時にでも、図録お渡ししますね。

[2170] Re[2168][2161]: 隼人から蝦夷へ  nick [Url] 2006/06/04(Sun) 18:23 [Reply]
>
> 『海部氏系図』
> 始祖彦火明命−三世孫倭宿禰命
> 海部氏のルーツを豊の國に持ってくる考え方があったと記憶しています。そうしますと、丹後の系図も九州の頃の系図を引っ張っているのかも知れません。
>
海部(あま)氏についてはこれからです。
まだ当地との対比をしている最中。鹿児島神宮の祭神改称や上止神社の件にも
繋がるかもしれません。

ありがとうございます。参考に致します。

[2169] Re[2166]: 室宮山古墳  神奈備 2006/06/04(Sun) 15:35 [Reply]
> 須恵器は5世紀のはじめには日本で出来なかった。朝鮮から来た。

 河内の陶邑から大田田根子を見つけだして三輪山の神の祭祀を担当させたのが崇神天皇の頃とされています。4世紀初頭でしょう。
 そうしますと陶邑の陶は須恵器ではなかったのか、もしくはこの話は5世紀頃の話なのか、全くのガセネタなのか、よくわからない所です。
 だいたいどこに居たのかも判らなかった大田田根子が大神氏や鴨氏の祖となっているのも滑稽と云えば滑稽なお話。大神や鴨氏は平安王朝から見ればそれほど低く見られる立場になっていたのでしょう。

  三輪山の神は相当古い神で、その祭祀を子孫の大田田根子に司るようにしたと言うことは、銅鐸祭祀を復活するべく、銅鐸を探したら河内で見つけたとのトンデ モ説もあるようで、逆にこちらの方が大神氏や鴨氏が銅鐸を祭祀していた古層の氏族の末裔と解釈でき、国津神ファンとしては、納得できる所です。

> 楽浪郡が滅びて流れてきた漢人の古墳であるようです。

 楽浪郡が高句麗に滅ぼされたのは313年、それ以降、どのような影響と活躍があったのか、たしかにその視点が抜けていたのかも知れませんね。

[2168] Re[2161]: 隼人から蝦夷へ  神奈備 2006/06/04(Sun) 10:16 [Reply]
> 大和の倭国造、つまり倭直の祖(今でも大和の大和神社を祀るのが倭氏)が豊後の海部部の出身という説話があるそうです。


 以下、『古代海部氏の系図』金久与一著から

『海部氏系図』
始祖彦火明命−三世孫倭宿禰命

また、『海部氏系図』の原本と云われる『籠大明神縁起秘伝』によれば、

彦火明命−天香語山命−天村雲命−倭宿禰命(椎根津彦、珍彦)
     穂屋姫命  伊加里姫命

彦火明命−建位起命−宇豆彦命−倭宿禰命

海部氏のルーツを豊の國に持ってくる考え方があったと記憶しています。そうしますと、丹後の系図も九州の頃の系図を引っ張っているのかも知れません。


[2167] Re[2160][2159][2158]: ブログを移行しました  神奈備 2006/06/04(Sun) 10:14 [Reply]
> 南北朝時代には、今よりもっと資料が残っていたのでしょうね。
> 口承伝達でしょうけど。。

 北畠親房の『神皇正統記』がまさに南北朝時代の作品です。この中に名草戸畔が登場しているのかなと調べて見ましたが、登場していません。
 
  面白いのは、著者の勘違いかも知れませんが、長髄彦との戦いの直後に邪神毒気を吐いてと、記紀では熊野の戦いのシーンですが、『神皇正統記』ではその戦い は名草郡のことのようです。後に布都の御魂と云われる剣を高倉下に降ろすのですが、「紀伊国名草の村に高倉下命と云う神に示して」と出ています。

 南北朝の頃の史観だったのでしょうが、細部にこだわるべきではないのかも知れません。
 
 逆に言えば、冬野に名草姫を祀りたかったのはやまやまなれど朝廷の目は怖かった。それが紀伊は南朝側だったので、京都に遠慮せずに祀ることができたのかも知れません。海南市黒江にも勧請されていったのは、そういう事が働いていたのかも。


> 先日、なんと鎌田東二先生にお会いしました。
> 楽しかったです。。

 にぎやかだったでしょうね。

[2166] 室宮山古墳  とみた 2006/06/04(Sun) 10:02 [Reply]
とみたです。

昨日、橿原考古学研究所の室長の講演を東京で聴いてきました。

その中で紀伊とつながりが深い話をご紹介します。

葛城は北部の馬見丘陵の巣山古墳で直弧紋の描かれた船葬具がでてが驚かされましたことはご承知だと思います。

葛城の南部は、室宮山古墳が注目されています。石室の蓋石が紀伊産のへん岩だそうです。
また墓の中から見つけ出された壷にはベニガラが7kgも入っていた。この顔料は純度が高く朝鮮から来たもの。

壷には緑色の石バン?が付着していて、これも紀伊特有のものだそうです。つまり
蓋の石材や壷は紀伊から葛城へ運ばれたことを意味します。

神奈備さんが掲示板で書かれた記事を思い出しました。
淀川水系の茨木の将軍塚古墳が石室の用材は紀ノ川の結晶片岩で後期古墳の海北塚の石棺の用材は紀ノ川流域の緑泥片岩である。(これを運んだのは隼人の裔かも知れない??この部分は私の推量)

室宮山古墳の被葬者は、朝鮮とつながりの深い葛城襲津彦かもしれない。とも仰っていました。

襲津彦の子や孫が、北葛城の葦田氏であり、南葛城の玉田氏であるんですが・・・

そして先生は、須恵器は5世紀のはじめには日本で出来なかった。朝鮮から来た。

5世紀には伽耶から工人と労働者がたくさん入ってきた。これは大和の王権が古墳作りなどで需要が多く呼び寄せたのであろう。

6世紀には工人や労働者は満ちて伽耶から呼び寄せる必要はなかった。生産でリッチになった渡来人がユニークな古墳を5-6世紀になって多く造っている。たとえば新沢126号、与楽古墳など小さい古墳だけれど、副葬品は高価なもので一杯だそうです。

これらは楽浪郡が滅びて流れてきた漢人の古墳であるようです。漢人は言葉と漢字を知っていたから王権から重宝がられた。工人や労働者は古墳はもてません。

新羅や百済に振り回されないで、楽浪の漢人をもっと勉強して欲しいとのことでした。



6世紀には


[2165] Re[2164][2163][2161]: 隼人から蝦夷へ  nick [Url] 2006/06/04(Sun) 08:07 [Reply]
恋川亭 さん、おはようございます。
地元の寺社探訪が一段落と云っても、ままちゃりで出かけられる範囲だけ
ですが。笑。
体調と相談しながら、ボチボチやっています。
そこで、最寄の掲示板を覗いていますが、多種多様ですね。

この掲示板からは、「寺社関連」のご教示を頂き感謝しております。
「隼人」関連も適時「激励ポスト」があるのでうかうかできません。
研鑽を積みたいと念じています。

[2164] Re[2163][2161]: 隼人から蝦夷へ  恋川亭 2006/06/04(Sun) 01:36 [Reply]
> 素人によると、こんなことも云われています:

  「素人」って誰かと思いきや、Minstrelさん(「歴史にまつわる掲示板」←最近見れないないようですが?)じゃないですか。私は、まじめで丁寧な記 述をされる方だと思っています。記事は、大三元さんの論のご紹介。(大三元さんは著書も出版されているので、完全なる「素人」とは言い難いと思います が???私も2冊購読しましたし。CDはまだです・笑)。
 大三元さんは、本殿「神奈備掲示板」では昔からの大御所なのですが・・・、ここのところの本殿はトンデモ系の席捲により元の常連さん達が引いてしまった感があります(nickさんのご復活が救いかな)。

[2163] Re[2161]: 隼人から蝦夷へ  致命学者 2006/06/03(Sat) 22:16 [Reply]
> 地名学者によると、フサは総でなく、塞ぐフサというのです。

素人によると、こんなことも云われています:
http://johokan.net/history/chiba.html

[2162] Re[2161]: 隼人から蝦夷へ  nick [Url] 2006/06/03(Sat) 12:00 [Reply]
> 古代史3年生のとみたです。隼人から蝦夷へ興味を広げています。
>
>  nickさん、こちらでもワイワイやりましょう。お師匠さんがたくさん居られますので助かります。
>
> nickさんが隼人だけでなく、宇佐も調べらはじめられたようで心強いです。
>

とみたさん、こんにちわ。
ちょっと部屋掃除の小休止で。。

地元の鹿児島神宮との関連を追っかけているだけで、
一応「宇佐神宮史」なるものを。
結構面白いものを見つけましたよ。
適時アップするようにしますが。

今、調べたのは「秦王国」の住処ですか。
九州大分では影が薄いですね。
宇佐神宮は彼等の創建と言うのにどうしてでしょうか。
ま、これからですね。
とみたさんを見習って多数の書籍を読まなきゃ。
と思ってはいるのですが、目下史資料で八方塞がりです。

ま、体調と相談しながら『ボチボチ』です。

[2161] 隼人から蝦夷へ  とみた 2006/06/03(Sat) 10:09 [Reply]
古代史3年生のとみたです。隼人から蝦夷へ興味を広げています。

 nickさん、こちらでもワイワイやりましょう。お師匠さんがたくさん居られますので助かります。

nickさんが隼人だけでなく、宇佐も調べらはじめられたようで心強いです。

大変興味があります。大分県の遺跡は4つに分けろというのが森浩一先生の指南です。

@周防灘に面した宇佐を含む平地
A国東半島
B山国川、玖珠川、大野川などの流域の山地
C豊後水道に面した海部地帯
宇佐は新羅文化、渡来人の圧倒的比率で秦氏との関係です。

そこはどんな民が時代とともに変遷して行ったのでしょう
豊後の海部では不思議なことを知りました。

大和の倭国造、つまり倭直の祖(今でも大和の大和神社を祀るのが倭氏)が豊後の海部部の出身という説話があるそうです。
神武東征で神武軍は椎根津彦に速吸の門で出会い海上案内されます。出あった場所が豊予水道(日本書紀)とする説と、明石海峡(古事記)とあります。

椎根津彦は倭直の元祖、熊野水軍?紀の水軍?瀬戸内の水軍(河野、村上)?の祖かも知れません。そういえば衆参議員にいますね。

宇 佐にも徐福が来ているんですか。徐福の来訪地が日本に20箇所ぐらいありますね。たくさんの童男女を沢山の船に分散して何回も来たんでしょうか。秦始皇帝 がスポンサーだとすると紀元前210年ごろ、でも秦氏=中国の秦国の出身だとすれば考えられますね。秦=新羅と考えれば宇佐には新羅文化の色濃しとあるそ うですからそれも尤もだ。これだと紀元後5世紀でしょうか

最近蝦夷研究を始めました。

平の将門の乱(10世紀はじめ)で有名な上総下総や常陸の地は古代には湿地帯だったようです。

この地は崇神天皇が4世紀?に四道将軍として東海道の相津(今の会津)に遣わした武淳川別(建沼河別)が通ったところかもしれませんね。

当時は湿地帯です。毛野川=小貝川+鬼怒川です。今は銚子へ利根川が流れています(江戸時代の工事)が当時は、毛野川が銚子に流れていたんです。

小貝川流域は氾濫原で湿地帯でした。騰波江という湖が広がっていた。
そして、千葉県はフサの国です。総の国(下総、上総、安房=アワだけど房=フサ)。

地名学者によると、フサは総でなく、塞ぐフサというのです。

川を塞いで印旛沼、手賀沼が出来た

常陸のつくばあたりは記紀によれば紀の国と言われていたんですが、 紀は柵つまり蝦夷を征討する前線基地の柵=城=キ=紀という説もあるようです。

これは青草に切り替えるべきでしょうか。

[2160] Re[2159][2158]: ブログを移行しました  なかひら まい [Url] 2006/06/03(Sat) 00:09 [Reply]
> >  麻為比売さん、こんばんは。

いやいや。。。
神奈備さん、こんばんは。

> >  冬野の名草神社と黒江の中言神社を更新しましたのでご覧下さい。

拝見しました。いつも貴重な情報をありがとうございます。
南北朝時代には、今よりもっと資料が残っていたのでしょうね。
口承伝達でしょうけど。。

しかし、名草の神主−巫女説といっても、「宮」を建てるという発想がなかった、古代に遡る話になってきますよね。。うーむ、どこまで出てくるかですね。。

先日、なんと鎌田東二先生にお会いしました。
楽しかったです。。

[2159] Re[2158]: ブログを移行しました  神奈備 2006/06/02(Fri) 20:16 [Reply]
> 名草戸畔ブログの、STDIO M.O.G.です。

 麻為比売さん、こんばんは。

 冬野の名草神社(中言大明神)への名草彦、名草姫の勧請は南北朝時代と海南市の中言神社の由緒書きにでています。
 興味深い神主−巫女−古墳説については、原初から冬野に名草姫が祀られていたことを実証する必要がありそうですね。

 冬野の名草神社と黒江の中言神社を更新しましたのでご覧下さい。

[2158] ブログを移行しました  なかひら まい [Url] 2006/06/02(Fri) 12:08 [Reply]
名草戸畔ブログの、STDIO M.O.G.です。

現在使用中の、ライブドアのブログが障害を起こしています。
アクセスしてくださった方がいらっしゃいましたら、大変申し訳ありません。
あと一日ぐらいで復旧するそうですが、取り急ぎ、他のブログにお引っ越しをしました。
今後、以下のアドレスになります。

名草戸畔(なぐさとべ)
http://nagusatobe.exblog.jp/

今までいただいたコメントは、ライブドアのブログが復旧してから保存しようと思います。

よろしくお願い致します。

[2157] 国府物語  nick [Url] 2006/06/02(Fri) 10:57 [Reply]
当地、大隅国の総社:祓戸神社
で検索してヒットした頁ですが
地図もあって読み易いです。

持病を抱えての全国行脚
ご苦労も多々あったのでしょうが
めでたく敢遂されたようです。
人事とは思えないだけについ感涙に咽びました。

皆さんにお勧めのサイトです。
あ、既にご覧ですか。

http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/index1.html

おめでとうのメールがアドレス違いで送信できません。
どなたかご存知の方お知らせを。


[2155] Re[2154][2153][2151]: 三井寺と韓国神?  神奈備 2006/06/01(Thu) 12:19 [Reply]
> >後に源頼義の新羅明神への祈願から、源氏と園城寺の深い関係ができた。
> そうすると「八幡神」ということになるのでしょうか?

源頼義さんは河内源氏で、壷井八幡宮を氏神としていたようです。
http://kamnavi.jp/en/kawati/tuboi8.htm

その子の義家は都石清水八幡で成人式をしたので「八幡太郎」と呼ばれ、義光さんは近江国の新羅明神で元服したことから 新羅三郎と称したようです。

豊作は稲荷神に頼み、お勉強は天満宮にお願いし、と神様を使い分けるにも知恵の一つかも。

[2154] Re[2153][2151]: 三井寺と韓国神?  nick [Url] 2006/05/31(Wed) 22:53 [Reply]
早速のご教示ありがとうございます。

> これですね。
> http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/index.htm

どうも失礼しました。リンクを忘れていました。

> 三井寺を創建した智証大師がお世話になったので祀ったとされています。
> 参考にしてください
> http://kamnavi.jp/it/kinki/onjou.htm

>後に源頼義の新羅明神への祈願から、源氏と園城寺の深い関係ができた。

そうすると「八幡神」ということになるのでしょうか?

[2153] Re[2151]: 三井寺と韓国神?  神奈備 2006/05/31(Wed) 21:01 [Reply]
> 琵琶湖にある天台寺門宗の総本山である三井寺
> のサイトの連載で「新羅神社考」なるシリーズが
> あるようです。

これですね。
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/index.htm

三井寺を創建した智証大師がお世話になったので祀ったとされています。
参考にしてください
http://kamnavi.jp/it/kinki/onjou.htm

[2152] Re[2150][2149]: 無題 ガジマル  nick [Url] 2006/05/31(Wed) 20:07 [Reply]
隼人が出たついでに参加。

飼い犬としてはここが現在の所最古です。

柊原貝塚 kunugibaru 貝塚 垂水市 3500前 縄文後期 縄文犬
http://www.city.tarumizu.kagoshima.jp/kirara-net/about/bunka/maizou/kunugi/kunugi.htm
http://www.jomon-no-mori.jp/japanese/index.asp


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