青草掲示板ログ平十九年三月 2007.3
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[2918] 守るべきもの  玄松子 2007/03/31(Sat) 23:34 [Reply]
>  宮内庁は国民の税金で成り立っていますし、皇室関係の遺跡なども国民の財産です。

金出しているんだから、どうしようと勝手ということでは文化や自然は守れませんからね。文化や自然は個人ではなく全員で守るべきものですよね。
また、税金で暮らしている役人の生活にプライバシーが無いということも変な話ですよね。

>  多くの方が「なるべくソッとしていたほうが・・」という事なんでしょうけども、

ということで、国民の多くがそう望むなら、なるべくソッとしておきべきという意見でしょうか。なるほど。


> これじゃあ世界の信用は得られないと思いますがどうでしょうか?

この文章の意味は、僕には理解できません。

[2917] 無題  琉球松 2007/03/31(Sat) 22:49 [Reply]
 宮内庁は国民の税金で成り立っていますし、皇室関係の遺跡なども国民の財産です。
 もちろん、皇室の皆さんの許可は一応必要でしょうけども。。。

 右翼団体に所属する親友は「宮内庁が隠しているのは "朝鮮人天皇" ダ!」と言うんですが、歴代天皇のDNAがどうだろうが、関係ないですね。
 沖縄県民を含む多くの日本人は、おおむね在来縄文人と朝鮮人の混血です。

 多くの方が「なるべくソッとしていたほうが・・」という事なんでしょうけども、これじゃあ世界の信用は得られないと思いますがどうでしょうか?
 それから、琉球系の島人にとっては、たえず「ヤマトに対する不信感」もあるわけです。

 神奈備さんは「神謀」と言いましたが、琉球圏の神々は「ヤマトの親神」を待ち望んでいるかのようです。

[2916] Re[2910][2902][2901]: 日置って何だ?  とみた 2007/03/31(Sat) 12:24 [Reply]
神奈備さん ありがとうございます。

日置氏は、やはり高句麗と関わりますか。


> > 日置氏は日神祭祀の集団、太陽の道などを測量する集団とされていますが、どうなんでしょうか。異説には高句麗出身説もあります。
>
>  『神武紀』に、「高尾張邑に、土蜘蛛あり。其の為人、身短くて手足長し。侏儒(ひきひと)と相類たり。」とあります。畑井弘『古代倭王朝論』には、高尾張邑は葛上郡日置郡であり、土蜘蛛を朝鮮語では土がhwk(wの上に・・)、蜘蛛はkemi(eは上下ひっくり返す)で、カタカナ表記では「ヒキカミ」「ヘキカミ」となり、日置・神となります。葛城土神剣根命とは日置氏であって、葛上郡日置郡に土着していたのは、『新撰姓氏録』大和国諸蕃条に「高麗国人伊利須使主之後也」とする高句麗系渡来氏族であったとしています。

日置氏は高句麗の出という保証を頂き、また探求心が膨らみます。
葛城剣根は土蜘蛛、日置氏で、葛城は独立国だと神奈備さんは仰せでした。

雄略と一言主の関係でも、わかりますね。葛城には”高”を好む。高鴨、高尾張邑、・・・高は高句麗出身の民には多いようです。

確か、木津川の畔の上・下狛も(東京の狛江なども)高句麗人が多く高氏が多かったらしい。高氏というのは大変意味があります。

中国は三国志の時代の後、4世紀以降、中原に遊牧民族が乱入して5胡16国が興ります。
400年代には燕が中国の東北部に追い込まれて北燕になります。
この王権は高句麗出身の高雲=高氏と漢人の馮(フウ)氏を王とする合同政権です。

北魏が強くなって北燕の王が高句麗に5万の民を引き連れて亡命しましす(436年です)。

この民が新羅に来たとも言われています。、或いは倭国にも来たかもしれません。橿原、新沢126号墳出土のローマングラスも、この流民貴族ではないかという説も有ります。(菅谷文則先生)

この中に測量の技術集団の日置氏がいたかもというのが私の青草です。

神奈備さんのいわれるように、日置氏がまとまって定住したのは御所だったそうです。
三輪の周辺に引田と地名があって、三輪引田、阿倍引田となったそうです。

阿倍引田は5世紀後半に関東の武蔵に進出します。武蔵には比企があります。

出雲西部の日置郷の出雲上塩冶町に、石積の古墳があります。6世紀半ばの前方後円墳です。これは中央から進出した日置伴部氏の墓かもしれませんね??

出雲東部の日置氏は、出雲の国造の意宇氏とともに本拠を松江南部の大庭から西部の杵築に移動し、杵築大社の部民として費用を負担し、日御崎神社の宮司にもなっています。何れにせよ日置氏は出雲臣族ですね。
>
>  日置は土になりました。
>
>   古代に於いて「測量」と云う作業がどの程度の重みのあった仕事なのかですが、稲作などの農耕が始まるとそれぞれの作業にカレンダーが要って、それは太陽と月とを観測して決めていたのでしょうが、それだけで飯が食えたはずもなし、氏族の中に一人か二人の日を知る人がいればよかったのではと思います。

測地し測天するというのは非常に大切な仕事です。天智天皇の漏刻施設は時を測り暦を作る。

暦は農作業の種まき,収穫時期を知るだけでなく、神事のタイミングを知るのに大切だったと思います。太陽の運行を測る仕事は古代には日神祭祀には不可欠でしたでしょう。

時を支配するのは中国の王権の人民支配の鍵です。鐘楼や鼓楼を設け、たくさんの太鼓で時を伝えました。

ちなみに真弓常忠さんは、日置氏は製鉄に関わった民だとされています。


和歌山市には日置川町があります。紀州には岩橋千塚古墳がありますね。これは積石の古墳だから高句麗の積石古墳との類似性を指摘する方もおられますね。

も一つ、高句麗には東明祭という祭りがあります。

ご存知のように、東明王は高句麗の始祖、朱蒙=東明王です。

扶余から逃れて高句麗を建国、東明祭は大嘗祭のルーツという説が有ります。

日置氏は高句麗出身ということで俄かに連想しました。

青草半分の話ですが、意外と真実味もあるかなと思って投稿しました。


[2915] Re[2912][2909][2906]: 直弧文とゴホウラ  玄松子 2007/03/31(Sat) 10:21 [Reply]
禁足地を掘り起こしたり、秘仏を科学分析する絵を想像しました。

>  考古学の分野で障害になっているのは "不思議" とか "謎" ではなくて、宮内庁の隠蔽体質ですね。

「隠蔽体質」って何だろう。

たとえば、先祖代々守ってきた我が家の墓を、ある日「調査します」という通知とともに、掘り返され公開されて平気だろうか。それを拒む権利はないのだろうか。拒むことは隠蔽というのだろうか。

たとえば、貴方の最愛の人が無くなったとして、「分析します」の一言で、解剖され切り刻まれて平気だろうか。それを拒む権利はないのだろうか。拒むことは隠蔽というのだろうか。
たしかに、医学の発展のために、多くの解剖が行われたと思います。しかし解剖のほとんどは無駄な解剖であったとも想像できます。最愛の人の解剖分析の結果、医学的な発見があればともかく、無駄な解剖だったら悲惨です。

科学の進歩のために必要な場合もあるでしょうが、科学の進歩という理由だけですべてが許されるべきだという考えには反対しましょう。

[2914] Re[2913][2912]:♯♭ 溶けて流れりゃ皆同じ ♪  神奈備 2007/03/31(Sat) 08:23 [Reply]
 昔の発掘ではプラントオパールなどの存在は知らないままだった。ファイバースコープもなかった。

 鉄剣が土の中に残っておれば、掘り出せるのでしょうが、それが100%錆びてしまい、いわば土の色が少し違うってことがあっても、現在の技術では何であったかは知ることができないのです。
 ところが、技術の進歩によって鉄分の多い土の形などを検出して、かっては鉄剣があったなどと判別できれば、遺跡からの情報は遥かに多くなると思います。

 あわてて今の技術で発掘してしまうのか、より技術の進歩を待ってから発掘する方がいいのか、一考の余地はあるのかも。宮内庁の深謀、いや神謀かも。

[2913] Re[2912][2909][2906]: 直弧文とゴホウラ  nick [Url] 2007/03/31(Sat) 05:00 [Reply]
琉球松さん>  
>考古学の分野で障害になっているのは "不思議" とか "謎" ではなくて、
>宮内庁の隠蔽体質ですね。
> 「箸墓古墳」の発掘を積極的に始めれば、
>おおかたの事が判明すると思いますし『古事記・日本書紀 etc 』の解読にも
>貢献すると考えます。

誤解を生じるといけないのですが、
「神話伝承」関連の陵墓等についてということでしょうか。

当地の場合、古代の三大陵墓が存在します。
また西都原の調査にもなにかと制約があるようです。

裏を返せば、「神秘のベールに包まれている」からこそ
我々在野の物好きが喧々囂々「井戸端会議」に花が咲くわけで。。
全てが明らかになったら案外落胆したりで。

[2912] Re[2909][2906]: 直弧文とゴホウラ  琉球松 2007/03/30(Fri) 21:20 [Reply]
 とみたさんへ

 考古学の分野で障害になっているのは "不思議" とか "謎" ではなくて、宮内庁の隠蔽体質ですね。
 「箸墓古墳」の発掘を積極的に始めれば、おおかたの事が判明すると思いますし『古事記・日本書紀 etc 』の解読にも貢献すると考えます。

 笑われるかもしれませんが。。。「箸墓古墳」からは、初期ヤマトと沖縄諸島との関係が "証拠" として現れてくると思いますね。

[2911] Re[2910][2902][2901]: 日置って何だ?  琉球松 2007/03/30(Fri) 20:10 [Reply]
 いったん観測点などが決まってしまえば、あとは駐在員がメンテをするだけなのかなあと思います。
 より重要なのは、お祭りや神事でしょうね。
 そうこうしているうちに、太陽との関係が忘れがちになっていったんじゃないでしょうか。

[2910] Re[2902][2901]: 日置って何だ?  神奈備 2007/03/30(Fri) 17:54 [Reply]
> 日置氏は日神祭祀の集団、太陽の道などを測量する集団とされていますが、どうなんでしょうか。異説には高句麗出身説もあります。

 『神武紀』に、「高尾張邑に、土蜘蛛あり。其の為人、身短くて手足長し。侏儒(ひきひと)と相類たり。」とあります。畑井弘『古代倭王朝論』には、高尾張邑は葛上郡日置郡であり、土蜘蛛を朝鮮語では土がhwk(wの上に・・)、蜘蛛はkemi(eは上下ひっくり返す)で、カタカナ表記では「ヒキカミ」「ヘキカミ」となり、日置・神となります。葛城土神剣根命とは日置氏であって、葛上郡日置郡に土着していたのは、『新撰姓氏録』大和国諸蕃条に「高麗国人伊利須使主之後也」とする高句麗系渡来氏族であったとしています。

 日置は土になりました。

  古代に於いて「測量」と云う作業がどの程度の重みのあった仕事なのかですが、稲作などの農耕が始まるとそれぞれの作業にカレンダーが要って、それは太陽と月とを観測して決めていたのでしょうが、それだけで飯が食えたはずもなし、氏族の中に一人か二人の日を知る人がいればよかったのではと思います。

[2909] Re[2906]: 直弧文とゴホウラ  とみた 2007/03/30(Fri) 12:39 [Reply]

追っかけも有害と無害と有りますね。

私も、ゴホウラ貝と直孤紋を追っかけています。絵画土器のシャーマンと羽人も面白そうです。トンボ玉あたりも追っかければ楽しいかもね。これなら人畜無害でしょう。

> 琉球松さんの
> 写真掲示板
> >画像は、直弧文が刻まれた大阪府紫金山古墳出土のゴホウラ貝輪『日本の古代/森浩一(中央公論社)1990 』
>
> 直弧文は私も追っているんで!!
> 直弧文とゴホウラのセットはウレピー
> それも大阪出土 感激!!

MADOKAさんは大阪ファン、琉球松さんは、もちろん琉球ファンですね。

私は全方位で根無し草です。

出雲の前に吉備に行きました。

吉備津神社の近くに、古代吉備埋蔵文化センターがあり学芸員から教えていただきました。特殊器台の土器には直孤紋が入っています。ここまでは承知していましたが発展の段階が面白いんです。

器台と壷は元々は離れていて、村の農業祭祀に使われていた。弥生時代の中後期です。

楯築古墳が一番古いようですが、これは紀元2世紀の弥生後期です。時代が進み

備中の宮山古墳の土器には壷と器台が繫がって村の首長の祭祀に使われます。

そのうち備前に都月坂に3世紀の特殊器台型埴輪が登場します。

備中の宮山の特殊器台土器と備前の特殊器台埴輪が、大和の纏向の箸墓の特殊器台型埴輪のルーツになります。これらにはみんな直孤紋と鋸歯紋がついています。

箸墓は3世紀の末から4世紀前半でしたか??(確かめていません)



吉備と大和のつながりです。備前には三世紀末か4世紀前半説もある前方後円墳が現れます。浦間茶臼山古墳です。これは大和の箸墓の二分の一の大きさで特殊器台埴輪には直孤文がついて

いました。岡山駅から一時間に一本のバスに乗って現地に行きました。現地には展示場はありませんので古墳の形しか見れません。


不思議ですね。

大和の馬見丘陵の巣山古墳から出た船葬具に彫られた直孤紋はモガリの期間に邪にやられないようにという呪除けという説があります。

九州に多く出る装飾古墳には一杯、蕨紋や直弧紋がついています。

本当に不思議です。








[2908] くずさん  とみた 2007/03/30(Fri) 11:26 [Reply]
くずさん ありがとうございます
>とみたさんの古志について少し、

日本海側の銅鐸出土、東は石川までで能登半島を越えていない。
(銅鐸型土製品は見つかっているようですけれども)
長野県出土の銅鐸も

私も暇に任せて、呆け予防も兼ねていろいろ古代史ネタを追っかけています。
いつ脳梗塞でダウンするかもしれません。

昨年、信州塩尻の博物館でこの銅鐸を見ました。銅鐸の北限としてありました。

高志は古志と同じで越=北陸と思っているんですが、違いますか。

津津の御崎は高志の津津で古志だと早ガッテンしましたが、違っていたら御容赦の程を。

島根半島は古代は島でしたが、大川の斐伊川の土砂で海が埋まり繫がってしまいました。斐伊川は出雲の西部の日本海の入江に流れ込んでいたのが宍道湖に流れるように変りました。

日本海は北海と称し、中海、宍道湖と繫がっています。中海は安来節で有名な安来のあるところです。鉄製品を中海から日本海の船で運んで多いに賑わったようです。日本海への出口に岬が有りここに高志の御崎があります。

高志は古志と思っておりまして越つまり北陸と大いに深い関係があり古志の民が出雲で堤防などを築いたと想定しました。出雲は筑紫と古志=高志=北陸と海流で繫がっていたと考えています。

くずさん、信州ネタですが、昨年、〔諏訪の御柱祭火と鉄と神と〕(彩流社)という著作を出された百瀬高子さんにお会いしました。地元の方です。

湖沼や河川の鉄分が葦などに吸収されて根っ子にたまったものが枯れると高師小僧という褐鉄鉱が出来る。これを利用して古代は鉄鐸を造ったのではないか。これの実験をされて論考されています。

真弓常忠さんという住吉大社の宮司さんで皇学館大学の名誉教授をなされた方が、学生社から〔古代の鉄と神々〕を出されています。最近この本を読みました。

諏訪神社の鉄鐸についても触れておられます、非常に深い洞察で目から鱗でした。

なお〔2902〕で真弓先生を紹介し土師氏は築提の技術者と書かれていたというのは、私の早合点のようです。深くお詫びいたします。

いろいろな本を読んでおりますので別の方の見方のようです。








[2907] Re[2905]: ツツ  玄松子 2007/03/30(Fri) 09:40 [Reply]
どうして伊勢物語の筒井筒と筑前の筒井を無理やりこじつけるのかわかりませんが。


> 伊勢物語が井筒になった根源には
> この冬至という太陽が産道に生まれ変わる直前のこの日に水が湧く 井戸の水鏡に男女が一体になった姿が写るのが永遠の契りを表すのでしょう!

これは逆です。冬至の日だけ水が出なくなります。
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/culture_rekisi_bunkazai_saiziki05
転載:大野城市では「冬至の日に筒井の井戸の水が湧き出なくなる」という言い伝えがあります。

[2906] 直弧文とゴホウラ  MADOKA [Url] 2007/03/30(Fri) 04:42 [Reply]
琉球松さんの
写真掲示板
>画像は、直弧文が刻まれた大阪府紫金山古墳出土のゴホウラ貝輪『日本の古代/森浩一(中央公論社)1990 』

直弧文は私も追っているんで!!
直弧文とゴホウラのセットはウレピー
それも大阪出土 感激!!
(*^0^*)/

[2905] ツツ  MADOKA [Url] 2007/03/30(Fri) 04:29 [Reply]
くずさんの考えに私は賛成(*0*)/
筒井も関係ないかと思いましたが
いいサイト御紹介くださいました!!
>筒井の地名の由来となった井戸です。この井戸のことは『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』に
 「雑餉隈より南に近き村なり。村中に筒井とて清水あり。木の筒を以って井韓(いげた)とす。此故に村の名をも筒井と云也。其水極て清冽にして、大旱といへども涸れす。常に筒の上に湧上る。只冬至の夜許(のみ)水出ずと云。」

これはまちがいなく!
大事なのは!
>只冬至の夜許(のみ)水出ずと云。
ですね!!!!
伊勢物語が井筒になった根源には
この冬至という太陽が産道に生まれ変わる直前のこの日に水が湧く 井戸の水鏡に男女が一体になった姿が写るのが永遠の契りを表すのでしょう!

どんたくさんがツツに興味しめしたのはなんとなくわかるような気がします
銅鐸って ツツと勾玉がセットになったようなとこありますもんねえ(MADOKA青草解釈)

>眼前の世界と、異世界を繋ぐパイプを呼んで「ツツ」で、パイプ役がツツオ(笑)
自分はしばらくこの観点からです。

これはありますよ!
中国の玉j(ぎょくそう)
シャーマンが神と人とを繋ぐ祭具とした道具
ツツのまわりにトウテツ紋(龍の原型)
トウテツは神の乗り物
写真掲示板にアップします!
私はこれが 心の御柱のルーツとおもっています!
御柱は筒説が MADOKA説!!

筒信仰??を私は追います!!!

[2904] ツツについて。  くず 2007/03/29(Thu) 23:02 [Reply]
眼前の世界と、異世界を繋ぐパイプを呼んで「ツツ」で、パイプ役がツツオ(笑)
自分はしばらくこの観点からです。

長野の上高地に明神池があります。安曇の穂高神社の奥宮のある場所。
あの場所に行きました時に、今にも霧の中から船に乗って神が現れるのではないか。
と、そんな神秘性を感じました
海人族にとって、神の世界と繋がる場所とは深山の懐に抱かれた池、外界から隔たれた水域にあったのではないか。

出雲の宍道湖は特別な神域ではなかったか。四方に神奈備山をそなえます。
特徴的な四隅突出型墳丘墓は、中央の領域を宍道湖に、四隅の突出をそれぞれの神奈備山に、現したものではなかったか。(青草です)

で、どんたくさんご紹介の、>都都の御崎 ですが

宍道湖に繋がる中海の入口に、ツツの話が残るのなら興味深いです。
もっとも今の地形から見た話で、古代の地形を考えなければなりませんけど、
弓ヶ浜(夜見ヶ浜)の生成期。

とみたさんの古志について少し、

日本海側の銅鐸出土、東は石川までで能登半島を越えていない。
(銅鐸型土製品は見つかっているようですけれども)
長野県出土の銅鐸も(出土地付近の水系は日本海へ向かいますけれど)三遠式で東海との繋がりです。
お嫁さんをもらい、人的、物的交流を持っていましたでしょうに、少し不思議に思っています。

[2903] Re[2901]: 都都って何だ?  神奈備 2007/03/29(Thu) 18:00 [Reply]
どんたくさん、4月14日の豊中歴史同好会は「丹波の古墳と継体天皇」と言うテーマですね。楽しみにしています。
http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2007.html


> (1)延喜式
> 延喜式巻十の最後にある対馬嶋下県郡に、都々智(ツツチノ)神社があります。

 『式内社調査報告』から。
 対馬の都々智神社には論社が四ヶ所あるとのこと。

1.対馬の最高峰矢立山に神所を有し、銀上山神社に遙拝所を置く。由緒:神武天皇の朝、対馬県直の建彌己己命を祭る。この地を都々智山と云う。

2.浅海湾に郷崎と呼ばれる岬がある。そこに鎮座の神社を都々智神社と云う。古来海路の守護神。当社の旧号を津口神社と云ったそうだが、津口と云う地名はないそうだ。

3.厳原港に嶽神と言う祠があり、これを比定している。

4.対馬の南端豆酸(ツツ)の村は語呂が合い、豆酸崎の尾崎山には昔は神社があったとする。

 「ツツ」に頂上の意味が含まれているようなので、矢立山も有力な候補となるのかも。対馬の最高峰とすれば海路を示す訳で、守護神となり得た可能性があるのかも。
 これは現代の灯台に当たるのかも知れませんし、漁場を探すために山を張ると云いますが、その山とも言えるのかも。


> =「みつみつし 来目の子等が 頭椎い(クブツツイ) 石椎い持ち(イシツツイモチ)」

 椎の音にスイ・ツイ、訓にシイ・ツチがあります。神武天皇を案内したと云う椎根津彦と云う海導者にもツツと云う言葉が名前に入っているのは面白いですね。

 
 「ツツ」と云う言葉に「海路を守る」と云う意味があるならば、それは山の頂上でもあり、海導者でもあり、港でもあるわけで、これでは八方美人かも。


[2902] Re[2901]: 都都って何だ?古志に興味  とみた 2007/03/29(Thu) 11:58 [Reply]
神奈備さん、どんたくさん 割り込ませていただきます。

少し方向転換しますが、相済みません。

> (B)都都の御崎
> kamnavi.jp/log/ktba0212.htm に、「八束水臣津野命(ヤツカミヅオミツノのみこと)が最後の国引きに、高志の都都の御崎を引いてきて出来たのが三穂(美保)の崎。」とあります。
> 加藤義成『修訂 出雲国風土記参究』p.70には、「都都(ツツ)の御埼」について次のように書かれています。
> 「都都の御埼は、宣長翁は和名抄を引いて能登国羽咋(ハクヒ)郡の都知(ツチ)郷などかとせられたが、考証に同国の珠洲の埼を指したものであろうとされているのに従うべきであろう。」

上に出された古志の津津の三崎が気になっています。津津がこの主題でしょうが私は古志に気をとられています。

島根半島の東端で美保神社に近い。

美保神社はご存知のようにミホ須須ミ神と事代主神を祭る神社。ミホススミは越=古志の沼河姫のムスメ?(違いますか)、ススミは狼煙の古語。海上交通の要所にありますね。

私は今回の手作りの旅で、出雲各地を訪れましたが、古志という地名が出雲にかなりあることに気がつきました。出雲の東から西へ辿ります。

@出雲の島根半島の東の付け根の古志津津の三崎
A松江の南の意宇の本拠の大庭に古志原
B松江の北の佐太神社のある近くに古志郷
C出雲市の近くの古志

出雲市の近くは斐伊川と神戸川が流れています。古志は堤防を作るのに貢献したとされています。出雲風土記に、今の出雲市古志町について、古志郷、イザナミ命のとき池を築造の際、古志の国人が到来して堤を作りてやがて宿居せりとなっています。

出雲西部の神門氏は旧出雲氏の振根を倒して渡来系の工人集団である土師氏を傘下に置いたらしい。

この民は土器だけでなく鉄器作り、堤防築堤にも貢献しているというのが真弓常忠(住吉神社の宮司)さんの説です。

斐伊川の氾濫原をどの民が収めたのか。古志の民か土師の民か?

谷川健一さんの本では、斐伊川町にはハンバラ(土師原)というところがある。そこが後で天神原と言う名に変わった。

真弓さんの本では、土師氏は出雲の河内郷に住んでいました。そしてその技能を買われて大阪府の河内の古市と百舌鳥に移ったのではないか。

今回の旅でたくさんの謎を仕入れてきました。特に日置氏です。神門氏のいた河内郷には日置部臣が沢山居ます。

門脇禎二さんは古代出雲という本で、大和から蘇我氏系の日置伴部が安芸から入り西部の神門氏と連携したのではと仰せです。

一方、出雲東部の意宇=出雲国造の本拠には日置氏が出雲神戸として出雲・杵築大社/熊野大社に奉仕する部民としております。

日置氏は日神祭祀の集団、太陽の道などを測量する集団とされていますが、どうなんでしょうか。異説には高句麗出身説もあります。

何か情報がありましたら教えてください



>


[2901] Re: 都都って何だ?  どんたく 2007/03/29(Thu) 00:30 [Reply]
#2892 神奈備さん、こんにちは。 どんたく です。

ツツとは何かということにちょっと興味を覚えたものですから、kamnavi.jp の中にある「都都」を検索してみました。
そしたら13件も出てきたので驚きました。
みなさん、なんだかんだと言いつつ、こんなに沢山ツツのことを書いておられたのですねえ。

この中の2件について補足説明させて下さい。

(A)都都古和氣神社
kamnavi.jp/log/yumv0307.htm ではこの神社の御祭神を味耜高彦根命としているようですが、群書類従第二輯にある「大日本国一宮記」には、「都々古和氣神社 大己貴男 高彦根。陸奥白河郡」とあります。

(B)都都の御崎
kamnavi.jp/log/ktba0212.htm に、「八束水臣津野命(ヤツカミヅオミツノのみこと)が最後の国引きに、高志の都都の御崎を引いてきて出来たのが三穂(美保)の崎。」とあります。
加藤義成『修訂 出雲国風土記参究』p.70には、「都都(ツツ)の御埼」について次のように書かれています。
「都都の御埼は、宣長翁は和名抄を引いて能登国羽咋(ハクヒ)郡の都知(ツチ)郷などかとせられたが、考証に同国の珠洲の埼を指したものであろうとされているのに従うべきであろう。」

kamnavi.jp には載っていないものとして、次の2つの「都都」を見つけました。

(1)延喜式
延喜式巻十の最後にある対馬嶋下県郡に、都々智(ツツチノ)神社があります。

(2)日本書紀
神武即位前紀 戊午年 冬十月条に、
「瀰都瀰都志。倶梅能固邏餓。勾鶩都都伊。異志都都伊毛智。」
=「みつみつし 来目の子等が 頭椎い(クブツツイ) 石椎い持ち(イシツツイモチ)」
とあります。
岩波古語辞典によれば、このツツはツチ(槌)の古形とされています。

だからどうだ、ということもありませんが、一応アップさせて戴きます。

どんたく
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[2899] Re[2875][2874]: 春のお祭り最盛  nick [Url] 2007/03/28(Wed) 16:55 [Reply]
> 川の側の前玉神社のお祭りですか。お父上をお連れするのは大変ですね。
> 見習うべき親孝行。
> 晴天をお祈りします。

昨日の雨も揚がって今日は(3/28)最高の祭日和でした。
奉納馬場一杯に子馬が一所懸命踊って父もリズムをとってました。
田舎ののどかな好い祭でした。

管理人さんをご案内した時のように
霧島連山がよく望めましたよ。

[2898] Re[2892]: 都都って何だ?  くず 2007/03/28(Wed) 15:21 [Reply]
穴門の王から文字通りに解すれば穴→筒で、筒王でしょうか^^
関門海峡を"穴門"と表現する感覚を考えれば、海(アマ)を天(アマ)とする感覚、
平面的な関係を、天、中(中津国)、黄泉国と垂直な関係に置き換える感覚から生まれるものかもしれない。
そのときにそれぞれを繋ぐのは"門"ではなく"筒"で、通り抜けたら禊を行う。

穴門の王についてですが、
自分が当時の日本列島の地形を認識し、大陸の情報をも持って大王を志すならですが(笑)
まず北部九州の海沿いには都を作らない。大量輸送手段、大船団の強襲を受けたら致命傷になりますからね。出雲、丹後も同じ理由でペケ。
難波なら瀬戸内海で防ぎ手がある。大和ならさらに守りやすい。上陸して峠越えがありますし。なにしろ、大挙して不意を付かれる心配がない。その上に瀬戸内の海運、淀川から琵琶湖を通じて日本海へ抜けるルートも押えられる。

こんな感覚の元に大和に王権を確立していたなら、関門海峡は防衛の上でも、また交易の上でも、無理をしてでも押えるべき要衝の地だと思います。
そこに、コントロールのつかない別の勢力を放し飼いにするような大王ならまぬけ。王権確立もおぼつかない。
なので、そのときもしそこに大和から離れた意思を持つ勢力が存在したなら、中央はよほどグダグダだったと思います。


[2897] Re[2895][2894][2892]: 都都って何だ?  琉球松 2007/03/27(Tue) 23:47 [Reply]
 神奈備さん、どうもどうも。

[2896] 無題  和歌山 2007/03/27(Tue) 20:59 [Reply]
伊予(いよ)、伊都(和歌山のいと)、伊勢(いせ)、伊豆(いず)と中央構造線上に並んでいますね、何か関係があるのでしょうか?

[2895] Re[2894][2892]: 都都って何だ?  神奈備 2007/03/27(Tue) 20:24 [Reply]
>  神奈備さん、「都都」ってどう読むんでしょうか?

岩波文庫『日本書紀』(二)P.20には「いつつひこ」とルビがついています。


>  何か、崇神や百襲姫との関係はないですかね。

伊都都比古と上記とは同じ世代のようです。トトと読んでもトトビヒメとの関連?は資料がありません。


[2894] Re[2892]: 都都って何だ?  琉球松 2007/03/27(Tue) 17:59 [Reply]
 神奈備さん、「都都」ってどう読むんでしょうか?

 「つつ・とつ・とと」。。。あるいは「伊都都=井筒」なんてのもアリでしょうか?
 
 何か、崇神や百襲姫との関係はないですかね。

[2893] Re[2885][2884][2883]: RE[2876] ホト 筒 柱 洞窟 井  MADOKA  とみた 2007/03/27(Tue) 11:15 [Reply]
> > ワープ、惨めな姿を晒していますね。
>
> とみたさんはご存知の方じゃないですか。

倭亜府さんのことですか。

私も辛いです。倭亜府はワープのことです。

宇宙用語ですね。

異次元からの訪問者の意でしょうか。

エーリアンかな。

私達が今ここにいるということは、不思議なことです。宇宙がビッグバンで出来て137億年。宇宙は膨張するか収縮するか、いくつもの宇宙が在ります。インフレーション理論とか紐理論とか在ります。宇宙から宇宙へ移ることがワープです。これは迷信ではなく最近の宇宙の研究です。アインシュタイン以降の相対性理論、量子論の発展段階のものです。

太陽系以外の惑星を150もすでに発見しています。人類の叡智はすごいものです。

少し脱線してすみません。

一方、古代はご存知のように、シルクロードやステップルートを越えて西から東へ民族が流れてきたのではという東遷説も在ります。その流れの中で日本人のルーツを探す。するとイスラエルの民がアッシリアやバビロニアに敗れてその流民が日本に流れ着いたという推測も不可能では在りません。

秦氏の謎ともダブります。

倭亜府さんの根拠は、これを立証できないかという作業仮説を立てているんですが、インターネット検索と、古語辞典(角川と岩波)でまさぐっています。

私はこの手法には懐疑的です。

もっと根拠のある話でないと誰もついていけません。

自分の仮説を押し付けるし根拠が薄弱ですので、私も少し辟易しています。青草掲示板ですから多少怪しげな説は許容できるとしても限度と礼儀があります。倭亜府さんはハンドルネームも変えるしこれは良くないと思います。

主宰の神奈備さんがご苦労なさっていることに心を痛めております。

この掲示板は大変すばらしい方が参加されています。これも人の縁です。

自浄能力で益々発展していただくことを念じています。

倭亜府さん、HPの多引用と漢字の分解羅列はやめてください。hpのサイトの論考は玉石混淆ですから引用したものが正しいかどうか見極めてhpを紹介ください。

敢えて苦言させていただきました。失礼の段、ご容赦ください。









[2892] 都都って何だ?  神奈備 2007/03/27(Tue) 10:49 [Reply]
 『日本書記』によりますと、神功皇后による住吉神社の最初の創建は穴門の山田邑でした。延喜式の長門告の住吉坐荒御魂神社三座のことです。二番目の創建は住吉神の和魂で、摂津の住吉坐神社四座です。

 また、『垂仁紀』では、穴門に王がいました。伊都都比古です。都怒我阿羅斯等が意富加羅国から日本国の聖皇に逢うべくやってきて、穴門で是の国の王を名乗る伊都都比古にであっています。

 ここに穴門に伊都都比古と筒男が揃いました。
 熊襲の反乱を聞いて仲哀天皇と神功皇后は穴門の豊浦津に集合します。宮を建てて穴門豊浦宮とします。また皇后はここの海中から如意珠を得ます。仏舎利から出た宝玉で全ての願いがかなうそうです。

 どうやら穴門の勢力が神功皇后に加担して熊襲や半島を征伐することに貢献したのでしょう。『住吉大社神代記』には「皇后と大神には密事が有。」とあります。これは「夫婦之密事」です。穴門の王との密会もあったのかも知れません。応神天皇のパパは伊都都比古かも。

 住吉神の筒男とは穴門の王の伊都都比古のこと。筒は都都、都都って何だ?

[2891] Re[2889]: 巴紋  琉球松 2007/03/27(Tue) 10:05 [Reply]
 玄松子さんへ

 巴紋のこと、すっかり忘れてました。これには「巻貝説」もありますよ〜。
 写真掲示板にスキャン画像を入れておきます。

[2890] 筒井と聖木。  くず 2007/03/27(Tue) 09:36 [Reply]
池上曽根遺跡、
丸太刳り貫き井戸と同時代、井戸の東側に南北に配置された立柱の跡が見つかっています。
復元は、樹種と大きさが異なる南北の立柱をそれぞれ男女を象徴する形になされ、そこから太陽運行(影の移動)と井戸との配置の関係も窺えるようです。
<池上曽根遺跡の立柱>
http://www.ioctv.zaq.ne.jp/ikegamisone/shiru/park5.html


古代から生活の為、信仰のの為の水を得る場所も総じて"ゐ"であった。
人の手を介したモノを生み出す行為、生産の場、むすひの場において、水を掬ぶ場所は特に聖木(楠)の刳り貫き井戸として配された。その形状からそのゐは特に筒井とも呼称されたのではないか。

筑紫の大野城市にある筒井の井。
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/culture_rekisi_sitei_004

大和の筒井で背を比べた男女とは、弥生時代、筒井にかかる影を比べた(暦として)聖木のなごりなのではないでしょうか。

ワープさん、井の中の蛙である事を自負しております。
またその事実にこそ真の価値があるとも思っています。
見るもの聞くもの新鮮でね(笑)あまり反応できなくてごめんなさい。


[2889] 巴紋  玄松子 2007/03/27(Tue) 08:48 [Reply]
誰かが書くと思ったのですが(あるいは僕が見落としたのかも)。

巴紋は、雷紋から派生したという説があります。
雷紋とは稲妻を文様化したもので、ラーメンどんぶりに付いているあの模様です。
巴紋は、雷の紋なので太鼓に付けられているというのを、どこかで読んだ記憶があります(出展忘れ)。

以下、青草。
僕は巴紋は、水であれ雷であれ、静止した(あるいは直線的な)モノではなく、渦状の状態を示す図だと考えています。
渦を構成するものが水・火・光・魂かどうかは2次的な問題。要するに渦であり螺旋。これは、エネルギーの完成された状態(かなりいい加減に抽象化した言い方ですが)。だからこそ神を表すのに最適な紋なのではないかと・・・

[2888] Re[2886]: 井筒  玄松子 2007/03/27(Tue) 08:40 [Reply]
> でも 能 井筒をごらんになったことがあるかどうか
> わかりませんが、井筒の最大の重要な場面はシテ井筒の女が男装して井筒の水に映った業平と一体になるシーンです


「井筒」は伊勢物語から取材したものですから、井筒の言葉を考える上では筒井筒を読めば良いと思いますし、能井筒を見たかどうかは重要ではないでしょう。(大阪にいる時に見た記憶はありますが、それも問題とは無関係です)

伊勢物語には、「井筒の水に映った業平と一体になるシーン」は勿論ありませんから、この部分は世阿弥という才能が脚色し追加した芸の部分であって、井筒という言葉を考える場合は、雑音でしかありません。

ただ、この雑音部に拘るならば、井戸の持つ神秘性を拡大することによって幽玄さを誇張した手法と思われます。
小野篁が井戸を通じて地獄へ出入りしていたように、井戸は異界への門という見方があったのでしょう。その異界(地獄)への入口を、幼い童が覗きこむという図が芸術性を高めているとも思えますし、そこに業平の面影を見るのも自然でしょう。
また、水面に写すという点を見れば、水や鏡の持つ神秘性も加味されているのかもしれません。
井戸の持つ(異界との)出入り口としての意味、水、鏡、そして筒という要素をまとめた芸術と見れば、筒はその一側面として考えた方が良いのではないかと思います。

[2886] 井筒  MADOKA [Url] 2007/03/27(Tue) 03:45 [Reply]
どうも[2878] こういうことですか?
コピペ ミスしたみたいですので、玄松子さんはみられたようですが念のため
井筒 (能)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%AD%92_%28%E8%83%BD%29

玄松子さん
>井戸のまわりで遊んでいた幼馴染の男女(業平と有常女)の話じゃないですか。
つまり、幼い二人の思い出の場所が、井戸のまわり。

これは玄松子さんはいうだろうとおもいました。

>「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過きにけらしな 妹見ざるまに」は、
「井戸の縁の高さにも足りなかった自分の背丈が伸びて縁をこしたようですよ、貴女を見ない間に」という意味らしい。(参考:筒井筒 wikipedia)

筒井筒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E4%BA%95%E7%AD%92
内容より転じて、「仲の良い幼馴染みの男女(が恋心を育て、ついに実らせること)」も指す。「やっと結婚したか、色々あったみたいだけど、あの二人は保育園も一緒で筒井筒だったからなあ」などと使う。

でもありますからね。。

でも 能 井筒をごらんになったことがあるかどうか
わかりませんが、井筒の最大の重要な場面はシテ井筒の女が男装して井筒の水に映った業平と一体になるシーンです

隣同士だった幼い二人は、井戸にお互いの顔を映しあい遊んだものだった

薄をかき分け井戸を覗き込めば、月影に映る姿は女とは見えず亡き夫業平の面影そのものである。

ベースに井戸端も含めた聖水信仰 その水に写る姿は契り、同じ水を分け合うということは 血より濃い 水杯 同じ井戸という命水をわけあったトモガラというものが存在するのかもしれません

くずさんも私も 住吉の三祭神 筒男が井戸にかかわるなら ミソギで 住吉と坐摩が関係して八十嶋祭りが読み取れるのではないかと思うから ちょっとこだわってしまうのでしょう

>銃や大砲等の火器の銃身・砲身をさして、筒という。また転じて銃や大砲そのものを筒と称する事もある(例:大砲の異名である大筒など)。
があります

筒=井戸はない
井筒は井戸
筒井筒は 井戸外枠または周辺 井戸を中心とした場をさす場合もあるのでは?

言語としては玄松子さんが正解でしょう

ただ 筒=井戸ではナイにしろ
井戸に関わる聖水信仰と筒という言葉はなんらかのことで関わる可能性は残るとおもいます

たぶん形状でしょうね

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92

筒信仰というのもあるのかも???
産道 井 巳 巨木 洞窟 

そういう意味で 
くずさんの
>もうすこし古い時代、弥生。
>上物だけでなく井戸そのものを"筒"とも見て取れる>遺物が池上曽根遺跡から。
>楠の大木をくり抜き井戸側に使ったもので、そこから>龍(?)を描いた土器も見つかっているそうです。>>周囲には祭祀跡、青銅器や鉄器を造っていた>と思われる工房跡。
>井で水をすくいあげる。水を掬ぶに通じるのかもしれ>ませんが、そのむすびの神が産霊、産日で生産>>に通じそうです。そしてその原形が弥生中期か>>ら後期の井戸を中心にした生産への信仰にあっ>たのかも。
というのはおもいしろいなあとおもいました。

この件で 住吉三神の筒男の筒はもう少し 筒という形状から再検討すべきではないかと確信しました。

倭ーぷさん
あなたもいいとこもあるんですが。。
今はやはり 行動は控えるべきだとおもいます
あなたは 『古代史検索わーぷ』のHPおよび掲示板を立ち上げるべきだとおもいます。
結構古代史ネットの中では あなたは有名なようですから それなりにファンもいるでしょうし、そこであなたの意見を述べるなり、掲示版に依頼があればワープ検索するていうのはそれなりに当たるとおもいますし、ある意味で感謝されるんじゃないですか。。
それをせずに こういう行動をつづけると 荒らしとしての悪名ばかりが轟いてあなたにとっても良くない!
し、いやみを書かないといけない神奈備さんや玄松子さんの内容を読むほうもしんどい!!掲示板の雰囲気が悪くなる。。

[2882] 訂正  くず 2007/03/26(Mon) 17:19 [Reply]
筒井から見た高安は真東に→これ真西でした。すみません。


[2881] Re[2880]: 井と生産への信仰  くず 2007/03/26(Mon) 16:33 [Reply]
> 「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ ・・・
> とすると、井筒=井戸の縁と解釈されているのでしょう。

そのように思います。その話から井戸そのものを井筒と表現するというのは無理がある。

その井筒なのですが、能「井筒」のもとは伊勢物語の筒井筒。
上記の筒井筒の歌の原文は「つつゐづの」であるそうで、大和、筒井のあたりが当時は津(港)であったのかもしれません。
筒井の井筒で背比べをした男女はのちに成人して結ばれますが、男は高安の女のもとへ通うようになる。
筒井から見た高安は真東にあたり、春秋分の夕日もやはり高安山に沈みます。筒井から高安に向かう男を見送る女はこの夕日を見ていたかもしれません^^

 もうすこし古い時代、弥生。
上物だけでなく井戸そのものを"筒"とも見て取れる遺物が池上曽根遺跡から。
楠の大木をくり抜き井戸側に使ったもので、そこから龍(?)を描いた土器も見つかっているそうです。周囲には祭祀跡、青銅器や鉄器を造っていたと思われる工房跡。

井で水をすくいあげる。水を掬ぶに通じるのかもしれませんが、そのむすびの神が産霊、産日で生産に通じそうです。そしてその原形が弥生中期から後期の井戸を中心にした生産への信仰にあったのかも。

[2880] 井筒  玄松子 2007/03/25(Sun) 23:48 [Reply]
「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過きにけらしな 妹見ざるまに」は、
「井戸の縁の高さにも足りなかった自分の背丈が伸びて縁をこしたようですよ、貴女を見ない間に」という意味らしい。(参考:筒井筒 wikipedia)

とすると、井筒=井戸の縁と解釈されているのでしょう。

[2879] Re[2878]: こういうことですか?  玄松子 2007/03/25(Sun) 23:34 [Reply]
> んー 謡曲『井筒』の内容からはそのようにおもえませんがー

井戸のまわりで遊んでいた幼馴染の男女(業平と有常女)の話じゃないですか。
つまり、幼い二人の思い出の場所が、井戸のまわり。

「ずいずいずっころばし」ではありませんが、井戸端は昔の人にとっては特別の場所だったのかもしれません。

[2878] こういうことですか?  MADOKA [Url] 2007/03/25(Sun) 22:33 [Reply]
玄松子さん
>そういう話ではなく、意味の話。

再度なんどか読み直してみました
つまり
井は単独で井戸そのものをあらわす
井筒は「井戸の地上の部分を木・石などで囲んだもの。井戸側」と辞書に載っているので
井=筒ではナク
井は井 筒は内部のことでなく外枠のことなので、
井筒で 筒=井 論を展開するのはおかしい
ですね?!

んー 謡曲『井筒』の内容からはそのようにおもえませんがー
たしかに舞台には井筒の作リ物がでますが 
それは外枠ですが内部の井戸を示していて=とおもいますがー 
付属物の名称=全体の名称にはならないという論もわかりますがー 
んーちょっと わかりませんねえ
私は筒から思わぬ考えがでて満足ですがー
言語を考える?参考に?玄松子さんの意見は頭においておきます。。。。

井筒 (能)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/井筒_(%E8%83%BD)

[2877] Re[2876]: ホト 筒 柱 洞窟 井  玄松子 2007/03/25(Sun) 09:50 [Reply]
> なるほどね。
> 形を表す言葉の意味する形状の論証にはこういう問題は必ずつきまといますね

そういう話ではなく、意味の話。
辞書に「井戸の地上の部分を木・石などで囲んだもの。井戸側」と載っていますから。

[2876] ホト 筒 柱 洞窟 井  MADOKA [Url] 2007/03/25(Sun) 03:25 [Reply]
神奈備さん 
真西の神社ありがとうございます
私はやはりド方向オンチであることを痛感!(><)

玄松子さん
>井筒とは、井の筒、井の囲い、井の回り、井の側という意味で、井=筒ではないのではないでしょうか。
井桁という言い方がありますが、井=桁ではないし、井戸の場合も、井=戸ではないでしょう。

なるほどね。
形を表す言葉の意味する形状の論証にはこういう問題は必ずつきまといますね
Oと記されたものをOの線と見るか?
穴とみるか? 円盤と見るか? 球体とみるか?
筒の入り口とみるか?

井の字源を調べようとネット検索しましたが 検索の仕方がわからず失敗!(><)

ぼーと玄松子さんの文を見て おもったのは
井は井戸の入り口の口を表す
筒は内部の筒
桁は外枠
戸は戸は内部に入る扉 (中に入る入り口の意を強めたもの)
ではないかと???

謡曲では 『ツツ井筒』と繰り返す

ツツと音だけで聞いた場合 多くの人は筒を連想する

井戸という形状を表すのに筒という形状がもっとも的確では?

御井伝説?でもおもうに やはり井戸を祭るのは体内に筒(産道)を持つから(あの世常世と現世をつなぐ筒)女(巫女)が祭祀するのでは?

人が死にかけると井戸の口で死にかけている人の名前を連呼して呼び戻せという民間信仰
あの世常世と現世をつなぐ筒である井戸の本来の意を引き継ぐか??・

産湯を調べると産土神が守る地霊の守護する水
墓に水をかけるのは日本ぐらいで墓の水は本来産湯の水だとか!
折口信夫は産湯は本来 変若水 とか
『貴種誕生と産湯の信仰 折口信夫』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/24433_14216.html
これが本来の井戸水の意味では?
産湯はミソギかとおもいましたが、これを書いていて変更!産湯は大地の羊水!常世からやってきた赤子を産土の守護する地の羊水をくぐることでその地の人間になる。墓にその水をかけることで地の羊水を経て常世へ生まれるという意味では?こうみると 八十嶋祭りで重要な坐摩神社現行宮(古地)にあったとされる三つの御井の意味と八十嶋祭りがつながるのでは???・

写真掲示版で ツツが山や頂上を表すことがでたのは、ツツを地中に埋めると井戸ですが地表に立てると柱になる。で山や頂上を表すのでは?

巨木伝承を追ったとき、どうも巨木には中が中空になった洞のイメージがよくある&洞から巳

太陽が地底の産道を通って生まれ変わるというのも当初私は納得できなかった!まして足がなく地平を這うので蛇ていうのは釈然としなかった。

難波津に古代 失明するまで日を追い続ける日子がいたという話が一説にあり
私はこれが 謡曲の『弱法師』の原型と考えていますが。。どうも失明状態で太陽を見ると真っ黒な洞窟のイメージのように体感すると話を聞き これだ!と
産道のイメージとこの日を追う修行?の体感が元か?? 洞窟と巳は大概セット 脱皮して生まれ変わる。各地にある洞窟を抜ける胎内めぐり。
で産道 井戸 洞窟 巳の共通項は筒!
ではないかと?? 散漫ですがおもいつくまま。。。

琉球松さん 写真掲示板
>久米島北端の「ミーフガー(穴があいている)の意」も子宝に恵まれない女性達の祈願の "穴" ですね。

穴であり産道の入り口なんでしょうねえ
いーなーこういうのが難波津に現存すれば苦労はないんですが。。。。

最後に謡曲『弱法師』 四天王寺西門(極楽の東門)で日想観を勧められた弱法師の仕舞より 
難波津の風景が読み込まれています
舞台は四天王寺
『住吉の。松の木間より眺むれば。月落ちかかる。淡路島山と。眺めしは月影の。詠めしは月影の。今は入日や落ちかかるらん。日想観なれば曇りも波の。淡路絵島.須磨明石。紀の海までも.見えたり見えたり。満目青山は.心にあり。おう.見るぞとよ見るぞとよ。さて難波の海の.致景の数々。南はさこそと夕波の.住吉の松原。東の方は時を得て。春の緑の草香山。北はいずく。難波なる。長柄の橋のいたずらに。かなた。こなたとありく程に。盲目の悲しさは。貴賎の人に行きあいの。まろび漂い難波江に。足もとはよろよろと。げにも真の.弱法師とて。人は笑い給うぞや。思えば.恥かしや。な今は狂い候わじ.今よりはさらに狂わじ。』金春流
http://www.syuneikai.net/yoroboshi.htm

[2875] Re[2874]: 春のお祭り最盛  神奈備 2007/03/24(Sat) 21:07 [Reply]
> 来週はまた「馬頭観音祭」、父の好きなお馬さんが踊ります。

川の側の前玉神社のお祭りですか。お父上をお連れするのは大変ですね。
見習うべき親孝行。
晴天をお祈りします。

[2874] 春のお祭り最盛  nick [Url] 2007/03/24(Sat) 10:39 [Reply]
ここの掲示板は『嵐』が多発しているようで、やはり「春休み」だからでしょうか。
当地は、春を呼び八幡様の「初午踊」を皮切りに「お田植え祭』関連が目白押し。
この21日も父と「お浜下」見物に出かけました。
来週はまた「馬頭観音祭」、父の好きなお馬さんが踊ります。
6月までは祭り見物で体の痛さも忘れます。

[2873] Re[2870]: 太陽神&御井  神奈備 2007/03/24(Sat) 09:21 [Reply]
> 住吉の社殿が西向きは有名ですが。。
> 真西にラインを引くと島 四国はどこですか?

淡路島の北端の海をかすめて岡山県の牛窓の前島に当たります。それから安仁神社(備前国 邑久郡)、河内神社(石見国美濃郡)、対馬の舟志湾(鴨居瀬の北20数km)経由朝鮮半島南端。

[2872] Re[2869]: 閻魔  玄松子 2007/03/24(Sat) 03:02 [Reply]
> ntibrk******.ibrk.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp

閻魔は茨城に住んでいるんですね。
だから「いばら」の「き」?

[2871] Re[2870]: 太陽神&御井  玄松子 2007/03/24(Sat) 03:00 [Reply]
> 『井筒』説がおもわぬ広がりになりました

井筒とは、井の筒、井の囲い、井の回り、井の側という意味で、井=筒ではないのではないでしょうか。
井桁という言い方がありますが、井=桁ではないし、井戸の場合も、井=戸ではないでしょう。

[2870] 太陽神&御井  MADOKA [Url] 2007/03/24(Sat) 02:17 [Reply]
大三元さん
『押してる難波 とは 照り輝く真庭』
ありがとうございました!

写真掲示板 琉球松さん
 >MADOKAさんの言う「太陽の門(ティダが穴)」は、首里王府編纂の『おもろさうし』にもよく出てくる観念で、太陽は洞穴や東の海底の "ホト" から誕生すると考えられていたようです。
そうすると、「ツツ・ツヅ」は「筒」の字が妥当で、「膣・産道」の意味も可能性の一つとして置いていていいかもしれません?

ヒットですねえ! 異論のないところです!
また筒は洞窟 龍 巳 も表すのではないかと。。

私は姫神 龍 巳 竜宮 伝説を追っているのも実は結果であって、本来 太陽伝説を追っていたのです。
なぜか?
太陽を追っていて 限界を感じるのは、概念的すぎるのではないか?ほんとの古代人の感じていた太陽とは?という問題です。日本の国旗は日の丸。正月に初日の出を拝む。天皇を日つぎの御子。でも、現在 日本人が誰でも知っているような祭礼で太陽を拝む祭りがあるか?おもいつかない。天皇が即位する儀式の中に太陽を拝礼する儀式があるか?ないとおもう。
日常的にあたりまえに見る太陽を古代人が素朴にすぐ神と思うか?暦との関係からいけば、カレンダーの語源が月読み男であるように 月でしょう。月は日々形を変える。不思議な力を素朴に感じるならやはり月であろうと。ではなぜ太陽が最高神なのか?以外とわかっているようでわかっていないことだと思う。
いろんな学者の太陽霊の説明も近代人の概念的説明としかおもわない。自分でしゃべっていても、わかったようにしゃべっているだけで私自身地肉としていないということが自分にわかるのでイヤ!

で、古代人の体感した太陽霊を模索するうち、たどりついたのが 姫神 龍 巳 洞窟 竜宮 でした。

御存じのように 古代人にとって太陽は足がなく地を這うもので巳 また太陽は毎日生死を繰り返す、日没(死)から地の下の産道を通って日の出で生まれる。
産道を持つ姫神 産道である洞窟 竜宮は子宮
伝承から読み取れる モチーフです。
今回 三井が加わった。

研究会のテーマ発表で産湯についてアワクッテ調べるうち 御井神社がでてきました。
ウカツにも八十嶋祭りを調べていながら 
坐摩神社行宮の生井。福井。綱長井が
気になりながら調べがおよばなかったのが判明
生井(いくい)  安産と子育ての水神。
福井(さくい)母子の幸せを司る水神。
綱長井(つながい)母子の寿命を司る水神。
つまり女 姫が関わる
折口信夫「ミヌマとは若やぐ霊力を呼び起す禊に拘わる言葉。その背後の巫女がいる。それが水の女。」
神奈備さんの
http://kamnavi.jp/log/ugamizu.htm 参照
つまり琉球松さんの
>太陽は洞穴や東の海底の "ホト" から誕生すると考えられていたようです。そうすると、「ツツ・ツヅ」は「筒」の字が妥当で、「膣・産道」の意味も可能性の一つとして置いていていいかもしれません?

ですね!

くずさんの 
『井筒』説がおもわぬ広がりになりました
私も謡曲をやりながら なんで気がつかなかったんでしょう!わかっているようでわかってないこと多いわ!一から出直し!!

話の根拠にやはりカシミールは助かりました!
でもうひとつ
住吉大社の真東に位置するのは恩智神社
下水社ということ春日との関係も気になります
http://www.geocities.jp/iko_kan2/onji.html
住吉の社殿が西向きは有名ですが。。
真西にラインを引くと島 四国はどこですか?

蛇足
下記 2869] 閻魔  神奈備
の神奈備さんは ホンモノ? ニセモノ?

[2869] 閻魔  神奈備 2007/03/23(Fri) 21:11 [Reply]
ntibrk******.ibrk.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp

[2868] Re[2867]: 太陽の門  大三元 2007/03/22(Thu) 22:12 [Reply]
MADOKAさん

> ナニワ=ナルニワ 太陽の庭 太陽の門 
> これどうなんですか? エセですか???

私論では:おしてるなには は 太陽が照り輝く「真庭」 だと考えます。
論拠などは
http://www.dai3gen.net/ositeru.htm
をご覧下さい。

[2867] 太陽の門  MADOKA [Url] 2007/03/22(Thu) 21:49 [Reply]
くずさん
>今日住吉大社から見た春分の日の太陽は真西の明石海峡に沈みます。障害がなく真西が望めれば、ですけれど。明石は狭い海峡ですので、難波でもこのように見える場所は限られそうです。
東には高安山、信貴山。そして天照大神高座神社。

>太陽信仰から難波を考える上では住吉大社の配置は大阪湾の西の門、明石海峡に春秋分の日没を見るライン上で、二上山に冬至の日の出を見る。
この点で特別な場所であったように思います。

これはおもしろいですね
>大阪湾の西の門、明石海峡
たしかにそういえますね。
昔ナニワを古代朝鮮語で読むとナルニワ 太陽の庭 太陽の門 という一文を読み 私は非常に興味をもった時期がありました。(結構 まともな本に書いてあったんですが。。)

大三元さん 
ナニワ=ナルニワ 太陽の庭 太陽の門 
これどうなんですか? エセですか???

明石海峡はポイント的には高いと思います
ほんと対岸は 海というより河なみの近距離ですから
ヤマトタケルがここに舟橋を架けたというのもでてきましたし。。。
ドライブにいったとき たしか。。橋の袂近くに 舟の火??を守るような 海難除けの神社があったとおもいますが。。神社なのに本殿内に三角形の灯明立ににズラーと灯明がコウコウと灯されて不思議な空間だったと記憶しますが。。
神奈備さん御存じないですか?

琉球松さんが 写真掲示板に 沖縄の 太陽の門の写真紹介されてます


[2866] 静観  玄松子 2007/03/22(Thu) 21:03 [Reply]
申し訳ありません。賛成意見が出ると、排他的な掲示板と思われる方も居られます。
今後は無意味な書き込みが無いことを祈りつつ、静観しましょう。

[2865] 賛成  和歌山 2007/03/22(Thu) 20:13 [Reply]
玄松子さんに賛成!!!

[2864] もういいんじゃないでしょうか。  玄松子 2007/03/22(Thu) 19:56 [Reply]
わーぷ、ワープ、倭亜布> 神奈備さま 異星からのワープですので 以前のような攻撃 ご辞退申し上げます。

人の意見や要望に耳を貸さず、意味不明な書き込み(コピペ)を続けるというのは、明確な「荒らし」ですから、削除しちゃってもいいんじゃないでしょうか。

会話が成り立たないのは仕方ありません。過去に何度も同じように警告をされているわけですから。

[2863] RE[2862] あなたは何が言いたいの!  和歌山 さん  わーぷ 2007/03/21(Wed) 22:55 [Reply]

「的」は的確?(的+や:如何わしい品物(?の隠語)で客をだまし不当な利益をあげる者。

「おこぜ」で調べました。
おこぜ【鰧】〔月+鮝フカ〕をこぜ:朕チンの転音が音を表す。【虎】魚・・・・・(ここでも「虎」が現れました。)
【朕】チン:きざし・しるし・吾・天子(天皇)   舟の割れ目の修理。(もとは舟を作ること。) 割れ目の意。
【狆】チン:雲南地方の異民族    愛玩犬の一種。
【椿】チン つばき:春が音を表す。夫婦の居る所に植える木 母にたとえる。
【珍】チン:不意のできごと。

以上のなかで「盲人の御膳(食事)」三味線引きに関係する事柄は、「割れ目」「愛玩」「春」「不意の出来事」でしょうか?
天皇や異民族、犬などでは喜べませんか、(^◇^)

このようにして「漢字」の裏に隠されたカバラ?を探し出してます。

[2862] あなたは何が言いたいの!  和歌山 2007/03/21(Wed) 21:29 [Reply]
「ゴズエ」と「ごぜ」何の関係が有るんですか???「ごぜ」日本人の盲目の旅芸人です。参考になる訳ないでしょ!

[2861] Re[2828]: RE[8221] 無題  和歌山  和歌山 2007/03/21(Wed) 20:22 [Reply]
> 青草ですから
> >「ごぜ』は巫女やイタコとの類似性も指摘されていますし、民間信仰の対象にもなっていたようです。なぜ『ごぜ』と呼ばれるようになったのかは分かりませんが『ごぜ』が来ると喜ばれたようです」
>
> 『ごぜ』が来ると喜ばれたようです」・・・・私の漢和辞典に『ごぜ』の音が有りませんので、近い音の「こずえ」から選択してみました。
>
> ゴズエ
> 【標】ヒョウ(豹?) ヘウ  こずえ しるし  目印 旗秦 的(矢【まと】) 
> てほん 代表と成る者 位置 品格
> 【豹の毛皮】セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮 ...
> セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮と、7つの突起がある星と弓が上に乗った帯でできた頭飾りをつけた女性の姿で表される。 ...
>
> 【梢】こずえ:舟のかじ 旗脚 (秦・)
> 参考になるか 成らないか? 成れば幸いです。
>

[2860] Re[2856]: 出雲の加茂  神奈備 2007/03/21(Wed) 17:38 [Reply]
とみたさん、出雲はいつ行っても神々が迎えてくれる気がしていい旅行ができますね。

> 神在祭では、ここに八百万の神々が陰暦10月10日に来臨し佐多の神社に参集したあと26日に神原に戻ってくるそうです。

 万九千神社にもよく似た伝承が残っているようです。 

 出雲のスポット探訪の旅行があります。

 関西の随筆家として知られている?裏紫都子さんと言う方がいます。
 実に話題が豊富で楽しい方です。この前には御歳神社への引率、また磐座に注連縄を巻く神事にも参加されていました。

 彼女は記紀を遊ぶと言うテーマで旅行を企画、クラブツーリズムと言う旅行会社がそれを運営しています。

 4月6,7日(金土)はまさに出雲で、青銅器の出土地と出雲歴史博物館、佐太神社(太陽の穴を遊覧船で)、美保神社(丁度青柴垣神事に合わせた日取り)などを見学するコース。梅田からバス仕立て。3万。

 新しく博物館ができ、お披露目です。また見学先が、小生のように車を持たない人間にはなかなか行きにくい場所なので参加することにしました。

[2859] Re[2857]: エジプトと弥生との繋がり ガラス。  神奈備 2007/03/21(Wed) 17:37 [Reply]
倭亜布さん、この掲示板にいろいろ書かれていますが、殆ど応答はないですね。
私も読まないようにしています。話の流れと無関係な内容が多いからです。迷惑なのです。
すばらしいHPの紹介のブログでもこしらえて、ここから退去してくれたほうが嬉しいです。

[2858] 春分の日に。  くず 2007/03/21(Wed) 16:14 [Reply]
今日住吉大社から見た春分の日の太陽は真西の明石海峡に沈みます。
障害がなく真西が望めれば、ですけれど。
明石は狭い海峡ですので、難波でもこのように見える場所は限られそうです。
東には高安山、信貴山。そして天照大神高座神社。

ラインについては慎重にと、これは思うところでもありますけれど、
太陽信仰から難波を考える上では住吉大社の配置は大阪湾の西の門、明石海峡に春秋分の日没を見るライン上で、二上山に冬至の日の出を見る。
この点で特別な場所であったように思います。

[2857] エジプトと弥生との繋がり ガラス。  倭亜布 2007/03/21(Wed) 14:32 [Reply]
日本には今からおよそ2300年前の弥生時代の頃に伝わってきました。
ガラスの起源[きげん]はエジプト・メソポタミアにあると考えられています。青銅[せいどう]などが作られる際[さい]に偶然[ぐうぜん]ガラス質になるものが発見されて陶器[とうき]の釉[うわぐすり]などのアイディアになったようです。その釉が表面から離れて独自の形を持つようになったものが、ガラスの始まりではないかと考えられています。日本には今からおよそ2300年前の弥生時代の頃に伝わってきました。
http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/a/153.html
大陸から青銅器や鉄器・ガラス・布が伝えられ、日本でも作り始める。
http://www.asahi-net.or.jp/~jb2y-bk/History/Japan01/j_yayoi.htm

弥生時代、日本でも例えば登呂遺跡などから、アルカリ石灰ガラスの小玉が出ているが、これも外国からの輸入品であろう。はたして弥生人が、ガラスそのものの作り方を知っていたのかどうかは、よくわからない。ただ福岡市の原遺跡の勾玉の鋳型が示しているように、すでに弥生時代にガラスの加工が日本でおこなわれていたことは間違いない。
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/koubou/003_04.html

貴方は、↓を信じますか?
古代エジプトでは、既に初期の王朝時代に電気的な照明装置が存在していたのではなかろう
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/yowa/dendera.htm
http://www.y-asakawa.com/ejiputo-gazo/kairo-hakubutukan2.htm

バグダッド古代の電池
http://stver.hp.infoseek.co.jp/denchi.htm

[2856] 出雲の加茂  とみた 2007/03/21(Wed) 11:39 [Reply]
出雲へ行ってきました。沢山古代史ネタを拾って愉しい旅でした。記紀と出雲風土記と古墳を眺めながらの旅です。

出雲の西部に加茂というところがあります。加茂は出雲の東部の安来にもありますが有名なのは、西部の大原郡加茂です。加茂岩倉の山の中腹からは銅鐸が39個も出て驚かされました。

3kmぐらい西の平地に荒神谷遺跡があり358本の銅剣と
16本の銅矛と6つの銅鐸が出ました。この銅矛は北九州のものと同じとされています(いずれも綾杉紋がある)。

加茂岩倉の方が100年ぐらい古いそうです。紀元前100年ぐらいでしょうか。埋納は荒神谷と同じです。

荒神谷遺跡の南には神奈備(神名火)山の仏経山を控えています。アジスキ祭祀集団の神奈備ではなかろうかという説があります。土地神の神魂信仰のアジスキの集団は近くを流れる斐伊川の氾濫原を鋤で開拓した民です。荒神谷の西、斐伊川の西にはアジスキの墓として西谷四隅突出墳墓群を造ります。

後になって、オオナムチ一族が神門から入ってきてその支配下にさせられます。弥生晩期には荒神谷や加茂岩倉に青銅器を埋めてしまいます。

オオナムチは大和政権に取り入りますが、アジスキは頑なに出雲のアイデンティティーを守ろうとします。

しかしやがて力で抗しきれず、一部は鴨族となって大和葛城に祭神ごと移住させられることになります。
葛城南郷には鍛治の技術をもった漢氏が4世紀には朝鮮南部から入り込みます。やはり葛城は農業の開拓地でしょう。

出雲の加茂には、神原神社があります。
ここの由緒書きには面白いことが書かれていました。

神在祭では、ここに八百万の神々が陰暦10月10日に来臨し佐多の神社に参集したあと26日に神原に戻ってくるそうです。

(通説では、出雲大社の近くのイナサ浜に神々が集まることになっている)。
大原郡斐伊神社を武蔵の氷川神社として勧請するに当たり、神原神社の神霊である十握剣を奉献し、そのコピーを造って神原神社に保存した。

神原神社は、斐伊川の支流の赤川地区に在ります。

この神社には古墳があり(神原神社古墳)景初三年(239年)の銘のある三角縁神獣鏡が一枚出土しています。卑弥呼の遣いが魏の都の洛陽で魏帝から賜った神獣鏡の一枚だと騒がれたものです。

この古墳は4世紀半ばの方墳です。





[2855] 私は↓この様な情報をも信じてしまいます。  倭亜布 2007/03/21(Wed) 10:12 [Reply]
綱を引き、コンパスを回して、國は作られた。
http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/content306.htm

 古代中国には、人面蛇身の神が矩(直角を備えたものさし)と規(コンパス)を用いて大地を測量したという神話があります。
http://www3.synapse.ne.jp/kintaro/content306_b.htm

まとめ

 「國引き」の説話において熱く語られている、その〔國〕とは何かというと、
 「ひとつの〔方向の流れ〕に満たされた領域であるがゆえに、その地図は一枚の布きれに描かれる。」
 という(地理において)もっとも基礎的な地域区分のことである。

[2854] ↓ この様な文書の記載が歴史を誤認します。  倭亜布 2007/03/21(Wed) 09:53 [Reply]

「三角測量が日本で実現したのは明治になってからの東京中心部が最初で、1872年(明治5年)に工部省により、江戸城富士見櫓、芝愛宕山などに三角点が設置されたとあります。この仕事は内務省に引き継がれますが、最後には、三角測量は陸軍に統合されました(1884)。」

長久保赤水の「日本輿地路程全図」 ...
http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/nagakubo.html
経線(けいせん)と緯線(いせん)が入った日本全図を作ったことで有名です
http://www.gsi.go.jp/KIDS/MEMORI/nagakubo.htm
時代的にはほぼ同じ頃ですけれど、長久保赤水の地図が1779年、それから40年後に伊能忠敬(いのう・ただたか)と間宮林蔵(まみやりんぞう)の地図が出
 赤水を知ると伊能忠敬の影が薄く感じられます。

「赤水が各地の資料を取り寄せ、日本で初めての経緯線を記入した日本地図」「各地の資料」・・・・各地には、かなり精度の高い地図が存在していた事になり「三角測量法」の存在が覗われますので↑「三角測量が日本で実現したのは明治になってから・・・」は・誤りです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/mapsuv200/shiseki/kanto/ka1.htm

次に「行基図」の存在です。
「奈良時代の僧、行基(668〜749)のつくった図という伝承があるものの、その根拠は明らかではない」・・・何れにせよ「存在」しています。
http://www.city.koga.ibaraki.jp/rekihaku/2001haru/shougaisho.htm

「豊後国分寺の正三角形」考
http://www.coara.or.jp/~werewolf/bunngo/2.html
 私は以前より 国分寺は測量が目的と考えていました。

おまけです、参考になれば幸いです。
「塩をまく本当の理由」
「死に行く神」)。中国吉林省の高句麗時代の古墳内には相撲の図が描かれ、古代エジプトの王の葬儀を描く浮き彫りにも競技のモチーフが見られると指摘されている。 ... 『日本後紀』の延暦十六年正月二十五日の条に、桓武天皇の詔としてこう記されている。 ...
http://www.harasangyo.co.jp/reader/file36.html

[2853] 世界の古代史を知ると、日本の古代が見えてきます。  倭亜布 2007/03/21(Wed) 09:00 [Reply]
日本ではやっと弥生時代になった頃の話

世界の古代史を知ると、日本の古代が見えてきます。
地球計測の歴史 〜地球を測った人々
アレクサンドリアは北回帰線の北 約850km、緯度にして7.65°ですから“夏至の太陽が天頂から7.2°”という観測には約 6%過小という誤差があったと思われます。
一方、アスワンは北回帰線からやや北に位置していますが、井戸に射し込む光が完全に垂直でなくても“底まで届く”ことはあり得ると思います。
ナイル川沿いの灌漑耕作地帯には、当時から「検地」制度があったかもしれませんが、距離の正確な広域地図は整備されていなかったと思います。5000 スタジオンという距離は(駱駝の?)歩測でしょう。
アスワンはアレクサンドリアの真南ではなくて東に寄っていたのですが、北回帰線よりも少し北だったので、アスワン迄の距離は、北回帰線迄の距離とほぼ等しく、誤差は相殺される結果になりました。
5000 スタジオンという数値自体は、直線距離に比べて約 5%過大と思われます。
http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=526

漢字は、象形文字ですが 字音は人類のことばでの交流の歴史を「漢字」という象形に綴じ込めたタイムカプセルなのです。
[2829] [2828]Re:虎皮、豹皮、犬=五十猛命の「猛」で   東沢美史 さんが、
「神奈備様、倭亜布様。CT断層撮影のレントゲン画像、私の脳にきっと雷光刺さってます。」
紀元前の古書「禮記」に「虎豹之皮、示レ服レ猛也」。「たけしい犬」。
参照:公立図書館でめくった冨山房大槻文彦「言海」、大修館諸橋轍次「大漢和辞典」。

紀元前の古書 文字から 古代が読み取れるのです。
筒(井戸)の中(過去の日本の学者の文献)から 外界(世界)思うより 世界史+神話+象形文字・・・・・などから 日本を見たほうが 見えやすく成ると思います。
過去の歴史書から積み重ねの日本史、途中に誤りが有れば現代の日本史は誤りです。
現代(答え)から逆算したほうが、歴史のつじつまが合わせやすいと考えます。

[2852] 太陽の道  MADOKA [Url] 2007/03/21(Wed) 04:57 [Reply]
玄松子さんの
>特定のある目標物から30度、60度、90度にラインを延長すれば、かならず何処かの聖地を通過する。
これは結果であって、そのように 【意図】 したものかどうかを論じるには、他の根拠を必要とするということです。それがなければエセライン。
地図に線を引いて「並んでる並んでる」というだけではエセライン。考えるきっかけにはなりますが。

これは、玄松子さんらしい、実に単的な表現ですなあ
いいえて妙だとおもいました。

倭亜布さんも一度自分の文章で自説を書かれたらいかがですか? なにが論証できて、なにが人を説得できなないか?がわかるとおもいますが??
紹介されたHPで私も助かったこともありますが。。
これだけ情熱をもって書かれるにはそれだけ核たるなにかがあるのでしょうから。。
それが読み手からみてわからないのがおしいとおもいますが。。なにをベースにしているかがわからない

琉球松さん
お尋ねの件 そうであろうとおもいますが。。。。
沖縄の 城 の設計に確かな太陽との関係が読み取れる事実があるのはうらやましいかぎりです。
大和地方でそういう事例は逆に非常に困難なようにおもいます。古代から早くに大都市化?したせいで太陽祭祀は別の形の祭祀か?風俗風習になっているのではないか?とおもわれます。
逆に沖縄の太陽祭祀に関係ある事例をつぎつぎと紹介していただくと あっそれは!?と閃くかもしれません。私の経験では近畿の太陽祭祀の文を読むといきなり沖縄に飛んで結論というのが多くて。。沖縄にたいして知識がとぼしいので鵜呑みにするしかなく、現地情報が非常にほしいですので琉球松さんの書き込みには期待しております!!!!

ひとつ おもしろい話があります。
何十年も前の毎日新聞の読者投稿欄に載っていた文。年に一度?数度?朝日が昇とき、奈良盆地に太陽の光で白い道が現れそれは二上山の麓にたどりつく。この読者も一度見た。という話です。私はこれを読んだとき二上山が黄泉の国に通じるという 折口信夫の『死者の書』の内容はこのことか!!と印象に残った。最近、奈良の古い伝承に奈良盆地には巨大な白い巳が横たわっている。三輪山が巳の頭、大和高田の竜王宮が巳の腹、二上山の麓の長尾神社が巳の尾。を知りこの伝承は先の投稿文の自然現象が根拠ではないか?と思っているのですが、奈良や二上山付近の人に聞いてもそれを知る人に出会わない、またこの記事ももっていない。いきずまっています。御存じの方がいれば書き込みお願いします

神奈備さん
>2834 2837 これは同じ内容だから。

失礼しました。(?0?)/ 私の脇甘し!!
御存じのように、私はモバイル機のみで日常インターネットも掲示板もブログも全部すましているので、閲覧しているとき うっかり画面をタッチしておこる二重投稿とおもわれます(=0=)小さい画面で見てるので気がつかない。。。以後、私の二重投稿発見の時は承諾なく 即刻!削除お願いしますデスm(==)m

いこまかんなびさん
私は今実家 生駒観測ベランダから見ることはできません あしからず(=0=)

[2851] RE  倭亜布 2007/03/21(Wed) 02:04 [Reply]
「廃仏毀釈 跡地 国策」で検索
更に幕府は、キリスト教弾圧のため、檀家制度を施き、寺請制度や宗旨人別帖の制度が確立されていった。即ち結婚、就職(奉公)、旅行、移住等はキリスト教徒でなく寺の檀家であることを証明する寺請証文を必要とし、或は宗旨人別帖に家族全員の年齢異動等を記入し、死亡の場合は検屍をうけ、葬式を依頼し、墓地の管理をも委任せねばならぬなど、全国民は寺院の檀家となり、寺院に対する経済的儀礼的諸義務を負うことを強制されたのである。

こうした特権的保護を受けた仏教は、当然腐敗の一途をたどり、寺院に対する国民の不満は、徳川幕府の権力をもゆるがす結果となるのである。前記「宗教史」の言葉をかりれば、「このような幕府権力による政治的保護は、仏教の腐敗堕落を招く結果となり廃仏毀釈を招く当然の結果となったのである。…廃仏論は思想だけに留まらず尊王攘夷論の展開や復古思想を背影として具体的施策となって現れた。
福島正夫教授は「かの廃仏毀釈の底に横はる一つの特徴は、封建的領有関係の撤廃と近代的土地所有制度の認容にあったが、 ... 「除地」とは、寺院に幕藩から与えられた国策としてのキリスト教弾圧及び内治一般の手段に利用した優遇策であるといえよう。 …
http://www.mni.ne.jp/~lifecreate/law_ronbun.htm
「明治 廃仏毀釈 寺 社 跡地」で検索
キリシタン収容所がこの福昌寺の跡地に建てられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%98%8C%E5%AF%BA_(%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82)
跡地で現在、遺構の発掘作業が少しずつ行われています。 ...
http://www.geocities.jp/tgbqg409/CornerOfSekidousan.htm
廃仏毀釈で永代寺が廃寺になったことから,その跡地に明治14年(1881)に本堂を建て入仏供養を行った。 ...
http://www.asahi-net.or.jp/~DZ3Y-TYD/tera/fukagawafudou/fukagawafudou.html
寺は消えてなくなってしまった。 ... しかし、今は墓所だけが残り、跡地は高校になっている。
http://www.bitby-bit.com/~gohyah/tanegasima/index23-1.html
明治初年の廃仏毀釈の折り売りに出されたのを、七尾町字富岡町和倉屋佶兵衛が買って、ここの本殿としたらしい
http://www.geocities.jp/tgbqg409/SekidousanUmenomiya.htm
廃仏毀釈が解除されてから、
http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/ansatuma.htm
紀伊天野社多宝塔. 明治5年. 神仏分離で破壊。 塔跡は推測可能。 播磨転法輪寺三重塔 ...
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/tou_sositu.htm
寺の跡地には祖霊社が建てられ、祖先の霊が祀られている。 ... しかし、現在は改築のため拝殿のお社は取り壊されている。 .
http://www.alles.or.jp/pub/satoyumi/tayori/diary03.htm
明治7年に廃仏毀釈で廃寺となった勝楽寺跡地に迎え入れたもの。
http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/shichoson/31tawaramoto_midokoro.htm
明治の神仏分離・廃仏毀釈により、仏教色の強い竈門山寺は建物のほぼ全てが破壊され、わずかに残った一つの社殿が村社竈門神社とされた。 .
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%88%E9%96%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE
明治の初めにあった廃仏毀釈の影響によるもので、蛭川に本部を持ち住民の8割が信仰する神道です。 ... 昭和28年に「金幣社」となる
http://www.kankou-gifu.jp/myalbum+result.ken+4+pos+210+PHPSESSID+06c1206e77400c733e173bdbc0dfdcb6.htm
明治の廃仏毀釈(解説)で廃寺となったがすぐ復興されて無動寺となった(*5)。 「北神戸 歴史の道を歩く」(*26)では、福寺 ...
http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/mudojiP.htm

「明治 廃仏毀釈 寺 社 跡地 学校」で検索
跡地には鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校(現在の鹿児島市立鹿児島玉龍中学校・高等学校)が建てられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%98%8C%E5%AF%BA_(%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82)
その後、祭神が神武天皇の母神の玉依姫命であり、かつての式内社、九州総鎮守であることなどから、明治28年
http://www.geocities.jp/asbury_park_2004/061125Kamado.html
明治八年には、食堂と細殿が取り壊されて、その跡地に洋風建物が建てられて、県庁はそちらに移り、 ...
http://www.mynara.co.jp/1DPic/d1-89.html
... 景徳寺の向かい側の境内にあった宝珠庵の守護神社 ...
http://members2.jcom.home.ne.jp/kemukemu/newpage111.html
明治39年(1906)8月、神社寺院仏堂合併跡地 ...
http://www.ichinomiya.gr.jp/web/HTML/Junpasusume.htm

「明治 廃仏毀釈 寺 社 跡地 公共施設」で検索
戦後の軍用地払い下げによる、公共施設や大学が集中している
http://members2.jcom.home.ne.jp/nom-sin/bicw.html
水戸学 の影響を強く受けていたことと、新政府に好印象を与えようとしていた為、激しい廃仏毀釈 を行った。 ... 南松本への公共施設の開設が多くなった。 ... 明治中期 - 政府が筑摩県復活を画策するも ...

公共施設が多いのは軍用地の跡地利用だからだ。 今、山手通りの地下に高速道路を通 ... 農業の守護神だった訳だが、明治45年の社閣併合令、つまり明治 ...
http://www.geocities.jp/pccwm336/sub24.html

「明治 廃仏毀釈 跡地 利用」で検索
、跡地には日本最初の公園として開園しました。 明治10年以降は博覧会会場として利用され、大正13年に東京市へ下賜されました。 当初は大学病院予定地だったそうですが、その景観の良さから ...
http://www.geocities.jp/edosanpo/garden/ueno/ue000.htm
廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校しました。 新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工し、昭和38年3月まで約90年間使用された、 ...
http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/sisetu/hakubutukan/marugotohaku/gakko/profile/index.html
修験道の山として繁栄していたが、明治の廃仏毀釈によって消滅した。 今でも数々の仏像や跡地が残っており、ハイキングなど様々な人たちに愛されている山である。 ...
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4751207695/
明治の廃仏毀釈の時代風潮と相俟って政府の「上地令」 ... 鹿児島生まれの川崎男爵は、後述致しますように薩摩の人脈を生かして政財界に幅広く交際を広げ、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)を始め、第二代総理大臣松方正義公、 ... は、三秀院の茶室の跡地を利用 ...
http://www.rantei.com/cs/information/top.html

[2850] Re[2849][2848][2846][2844]: エセライン?  琉球松 2007/03/21(Wed) 00:01 [Reply]
 「畝傍山」から見る夏至の日の出の太陽は、偶然にも「三輪山」山頂付近に出るという事です。

[2849] Re[2848][2846][2844]: エセライン?  琉球松 2007/03/20(Tue) 23:52 [Reply]
 「畝傍山」も「三輪山」も、ピラミットとか何かの人工物ではなく、たまたその位置にあるわけです。
 ??「地質学」って言い方は間違いだったでしょうかね。

[2848] Re[2846][2844]: エセライン?  玄松子 2007/03/20(Tue) 23:37 [Reply]

>  ですから、『魏志』の「倭人伝」に「その俗は正歳四を知らず、ただ春耕秋収を記して年紀となす」とあるからと言って、二十四節以前に暦がなかったともならないし、"エセライン" としてしまうには惜しい事実だと考えます。

春夏秋冬や暦(に相当するもの)を「エセ」と読んでいるわけではありません。

特定のある目標物から30度、60度、90度にラインを延長すれば、かならず何処かの聖地を通過する。
これは結果であって、そのように 【意図】 したものかどうかを論じるには、他の根拠を必要とするということです。それがなければエセライン。
地図に線を引いて「並んでる並んでる」というだけではエセライン。考えるきっかけにはなりますが。

ところで、「地質学的な偶然」とはいかなる偶然でしょうか。

[2847] 甘南備 考  倭亜布 2007/03/20(Tue) 20:56 [Reply]
甘=甕棺=「塚」=測量のポイント=「祠」
「甘南備山として奉られた。」・・・【甘(海士) 南備=ナビ】
南備 ナビ:ナビゲーション(航海者・後悔で、船の位置を知り、安全に目的地点に到達させる知識や技術。
    ナビゲーター(ゲイタ?ワニ!和邇):航海者・航海長・地図や時間を計算して支持を与える者。

海士アマ:
http://www.tcct.zaq.ne.jp/feelnoh-kikaku/%20kaisetsu/ama.html
「海士」という能には、さまざまな謎がついてまわる。 ... 日本島全土と周囲の海域に隆盛した数々の古代氏族達。 彼らの権勢の複雑な駆け引きによって大和朝廷は中央集権制を強化していったわけだが、その正確な経緯や、古代氏族の系譜はいまなお謎である。 ...
http://www.h6.dion.ne.jp/~asano/mennkou.htm
あま・タン:中国南方の民族、船を家とする。(ノアの箱舟は家・教会 ポイント地点)

【甘】:私的解釈 古代中国夏(カ)の禹(ウ)帝の父「鯀」(こん・甲骨文字では「口」で表す。)
禹の父「鯀」(原始キリスト系)は黄河の生贄として川の横に酒の甕棺に逆さに埋葬 (古墳の原型・以後「塚」が測量のポイント「祠となる。)私説。
【甘】カン(棺)甘いは、甕棺に酒浸けにさらた為 【句】(香コウ・香取)【台】

[2846] Re[2844]: エセライン?  琉球松 2007/03/20(Tue) 16:24 [Reply]
 玄松子さんへ

 「冬至・春分・夏至・秋分」などの名称は、後世の二十四節からの転用でしょう。
 しかし、中国式の暦があろうがなかろうが、古代人は、いわゆる夏至冬至間の60度を太陽が往復する現象を知っていたはずです。

 「畝傍山〜三輪山」が、夏至と冬至のラインになっているのは、地質学的な偶然ですが、意図的としか思えない神社(観測点?)もまた多いですね。

 ですから、『魏志』の「倭人伝」に「その俗は正歳四を知らず、ただ春耕秋収を記して年紀となす」とあるからと言って、二十四節以前に暦がなかったともならないし、"エセライン" としてしまうには惜しい事実だと考えます。

[2845] 筒=緯度  倭亜布 2007/03/20(Tue) 15:42 [Reply]

 書き込みきれないので 御了謝下さい。
天の北極(ほぼ北極星の位置に等しい)の方位が緯度によって異なるという観測事実に基づいて、大地が球形であることを認識していた。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/L1_10.htm

ピラミッド大和三山
「畝傍山とクフのピラミッドの共通性から見て、クホがクフを指している可能性は高くなりますね。そして、クホの音に漢字をあてがったのが、久保、窪、久保田、窪田という名前ではないかと考える事が出来るのです。なお、田がつく方はクホの土地を意味します。漢字の久保がクフを指すものだとしたら、ピラミッドというモニュメントの永遠性を象徴して久保(クホ)と呼んだのかもしれないということ。クホとは永久に保つですから」
東日本の地名の中で クボ(久保 窪 など)河内 (川内 河地・・・など) 和田(ホータン大月氏)(和多 窪田・・・など) 根(中根)台(中台)・・・・が特に三角測量網に関係します。
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/pyramid1.htm

三角測量網
井戸に射し込む光が完全に垂直でなくても“底まで届く”ことはあり得ると思います。
世界の標準計測単位として、まず、メートル法 が考え出されたのです。 ... ダンケルクーバルセロナ間の緯度差 = 9度 67380 ... 紀元前220年頃 古代ギリシャのエラトステネスは. 夏至の時、エジプト ...
http://www.ruth.chem.yamaguchi-u.ac.jp/tannihan.htm

エラトステネスはこうやって地球の大きさを測った
http://wwwsoc.nii.ac.jp/icic/08_MUSEUM/03_HISTRY_ROOM/ERASTO/ERA.html

井戸 や 星座は、緯度の確認に重要でした。

銅鐸での緯度の確認は失敗でした。
日本の地形は沖縄から北海道まで緯度でおよそ20度のずれがあるので銅鐸 ... に国家事業規模の「国土把握」を試みたために、各地で緯度差を計算されずに、同規格の銅鐸のみで測量を終えてしまうような結果を招いてしまったのではなかろうか。 ...
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/1999-2-5.html

日本が大陸と地続きだった頃、シベリアからやって来た部族が縄文人に. なった。 ... 範囲とした「月氏(大月氏)」である。 ... 秦一族の故郷は巨丹(こたん)(現・新疆ウイグル自治区ホータン)である。 漢民族で. はない。 ...
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/0-10.htm

[2844] エセライン?  玄松子 2007/03/20(Tue) 13:00 [Reply]
奈良盆地のように寺社や古墳、神奈備の多い場所では、
1年365日、かならずどこかの聖地からか、三輪山山頂の日の出が見えるのではないですか?
これに日の入りを入れると、その聖地の数は倍に。他の山に隠れていても延長戦上と言えば良いのです。

365日というと誰も相手にしないけど、二十四節を出すと信憑性があるように感じるのは不思議ですね。

誰かのように学校や公共施設までも聖地(跡)と言い張れば、無限増殖が可能ですね。

[2843] Re[2842][2841]:[2833] 夕日と難波津  琉球松 2007/03/20(Tue) 11:28 [Reply]
 奈良盆地の場合、春分の日の出の太陽は「多神社」から見て「三輪山」頂上付近だと思われます。

 そこで、その確認を奈良盆地の皆さんにお願いしたいんですが。。。
 なお、机上の作図では、夏至の日の出が「三輪山」頂上に拝めるのが「畝傍山」で、「鏡作神社」から見る冬至の日の出は「三輪山」になるはずです。

[2842] Re[2841]:[2833] 夕日と難波津  神奈備 2007/03/20(Tue) 11:04 [Reply]
> 坐摩行宮あたりからの春分の日の出が、生駒山北嶺の草香山=饒速日山あたりから上がるというのは、まだ見たことないです。

神奈備写真掲示板に坐摩行宮から真東を見た絵を載せました。カシミール。
これと いこまかんなび さんの
http://www.h7.dion.ne.jp/~iko-kan/sub5.html
の生駒山の写真から頂上と日下山の位置をいただいて記入。

日下山から日が昇るのは3月末頃でしょう。


> !私は上町台地に仁徳稜などの葺き石で覆った巨大古墳が多い

上町台地は大阪城付近から南南西へ4kmまで、南端の古墳は帝塚山古墳か住吉大社。
上町台地の南への続きは住吉川の向こうを我孫子台地、それから泉北台地と続きます。ただし、国土地理院では何故か我孫子台地も上町台地に含めています。
大山陵古墳は泉北台地ということになります。

[2841] Re:[2833] 夕日と難波津  いこまかんなび [Url] 2007/03/20(Tue) 09:52 [Reply]
>いこまかんなびさん!コメントよろぴく(^0^)/

およびいただき、うれぴく存じます。まだ上町台地の北端、住吉大神と関係の深い坐摩行宮あたりからの春分の日の出が、生駒山北嶺の草香山=饒速日山あたりから上がるというのは、まだ見たことないです。でも、ここの日の出のラインについては興味深々ですね。河内湖の東岸、生駒山ろくは、天皇家といがすりの神の関わり深い日下の地。確かに『住吉大社神代記』の膽駒神南備山本記には「大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは、船木の遠祖大田田神なり」の文などが登場しますので、生駒山との関係が大いに気になっています。難波に都があった時代、生駒山から上る太陽、光り輝く河内湖面、日神がどのような力を与え、どのように祭祀されていたものか、興味が尽きませんです。
そうそう明日は春分の日、東を望めば生駒山。確認よろぴくです。(^0^)/

[2840] Re[2839]: なんでやーー??  神奈備 2007/03/20(Tue) 08:58 [Reply]
> 神奈備さん
> >これ!! 偽物!! 目から火花! ??
>
> なんで??理由をのべよ!!

2834 2837 これは同じ内容だから。

[2839] なんでやーー??  MADOKA [Url] 2007/03/19(Mon) 20:34 [Reply]
神奈備さん
>これ!! 偽物!! 目から火花! ??

なんで??理由をのべよ!!

ちなみに私は本物です(^0^)

[2838] Re[2837]: その手があったかー  神奈備 2007/03/19(Mon) 20:04 [Reply]
> 追伸
> くずさん
> >能の演目で「井筒」があります。井戸を筒と呼ぶ表現があったようで、この3神が住吉の三神へ転化したとか。
>
> これ!! ヒット!!目から鱗!

これ!! 偽物!! 目から火花! ??

[2837] その手があったかー  MADOKA [Url] 2007/03/19(Mon) 18:11 [Reply]
追伸
くずさん
>能の演目で「井筒」があります。井戸を筒と呼ぶ表現があったようで、この3神が住吉の三神へ転化したとか。

これ!! ヒット!!目から鱗!

[2836] RE[2830] 表=虎・豹  中(国)=牛  底=犬    倭亜布 2007/03/19(Mon) 13:47 [Reply]
● 『宗像三女神』の系図
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/ht139.html

@ 竹子(タケコ)  沖津島竹生神(タケフカミ)・・・竹園ちくえん(竹やぶ):天子の子孫(漢の文帝の子「梁」・・・竹に虎 ・・・・「表」ヒョウ彪(マダラの虎) 豹
   开封市
http://ja.wikipedia.org/wiki/開封
   観光名所
禹王台(夏の禹王を称えて作られた廟)
http://www.iijnet.or.jp/xipec/sight/west/hn/hn48.htm

昔開封に来たユダヤ人が長い歳月の中ですでに完全に同化してしまった。
今から約千年前の北宋時代にユダヤ人の一部は当時のローマ帝国からの被害を避けるためにシルクロードに沿って、様々な苦難を乗り越えて当時の都−東京(現在の開封に到着した。彼らは当時の皇帝を拝見し、故郷から持ってきた宝石等のお土産を献上した。当時の皇帝から「帰我中夏、遵守遺風、留遺べん梁」との許可をもらったと同時に石、高、艾、李、張、趙、金等の漢民族の名前を賜れた。
http://suzuka.cool.ne.jp/kaifeng/yutai.htm
アジアのユダヤ商人
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb600.html

A 湍子(タキコ)  相模江之島神・・・・・湍子(タキコ) 【湍】タン・・貒・・貂寺:宦官      漢の成帝のころ(前33〜7)、丞相の張禹チョウウ ・・「中」 チュウ丑(牛・禹氏)チュ蛛(土蜘蛛)
http://www17.ocn.ne.jp/~mist/kanbun/sekkan.htm

B田奈子(タナコ) 厳島善知神(イトウカミ)・・・・・「田奈子」(タナコ)たなご【魚+耳+乚イン】チョウ:同音【丁】・・・・「白丁」【底】テイ丁(白丁)猋テイ(犬X3)∴?
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunanadai

[2835] Re[2833]: 夕日と難波津  琉球松 2007/03/19(Mon) 11:33 [Reply]
 MADOKAさん、どうもです。

 僕は、「古代の暦(日読)では、正月は冬至の日だった」との説に賛同する者ですが、奄美沖縄の聖地配置はかつて主流だった奈良盆地のカレンダーだと思いますし、少なくとも中国方式導入以前はそうだたんじゃないでしょうか?
 『原初の太陽神と固有歴/吉田貞司(六興出版)1984 』の図説では、住吉大社と日下(草香)を結ぶラインは夏至の日の出方向ですし、「住吉大社〜高安山〜竜田神社〜法隆寺」のラインは、春分&秋分の日の出方向ですね。

[2834] その手があったかー  MADOKA [Url] 2007/03/19(Mon) 03:37 [Reply]
追伸
くずさん
>能の演目で「井筒」があります。井戸を筒と呼ぶ表現があったようで、この3神が住吉の三神へ転化したとか。

これ!! ヒット!!目から鱗!

[2833] 夕日と難波津  MADOKA [Url] 2007/03/19(Mon) 03:19 [Reply]
遅レスです!
琉球松さん
>沖縄諸島の「グスク(城の字を当てる)」内の拝み所>と城門の関係も、夏至&冬至に関っています。
 >城門から入る夏至の日の出のパワーを取り込むよ>うな配置になっているようです。
 >逆に、冬至の日の入りの太陽光は城門を貫き、他>の聖域との繋がりを保っていると考えられます。
これはおもしろいですねー
おっしゃる通り 難波津&大和の原型?多分海の民の信仰の痕跡を残しているのは沖縄だとおもっています! これは私だけではないでしょう。
&八十嶋祭りはいろんな国からやってきた部族が天神祭りの船渡御のように集まって 天皇が国御霊を引き継ぐことを承認する祭りが原型と考えています。
天皇家の欠史八代がどうも海の民の首長直系?
海幸彦と山幸彦の神話のように権力移行があつたのではないか?その痕跡を残した祭りが八十嶋祭りでは?天皇が棺桶に入るのを御舟入りというとか、八十嶋祭りで箱に御衣を入れて流すというのも、本来舟であろうと。。その衣を打ち振って国御霊を付着させ、その衣を身につけて初めて天皇になるというのも、原型は舟のヘサキに付いている浪切り布ではないか?
浪を切れるということは海を制する呪力がある その呪力を身にまとうことが即位では?と考えています。
浪切り布の原型は女の髪の毛です。このことから姫神又は姫巫女が関わっていた。それが八十嶋祭りが女祭りとよばれ、女が関わっているとみています。
沖縄の祭りも女巫女だけの祭りが有名ですね。王族?は男ですね?このあたりのことも興味があります。なぜ?日本の最高位の神がアマテラスが女と広く世間に認知されているのにも関わらず、なぜ?天皇は男か?素朴な疑問の答えに八十嶋祭りの答えがあると考えています。

くずさん
>春秋分の朝日が生駒山地の北嶺に昇るように見えます。この嶺は饒速日山、あるいは太陽信仰と関係しそうな草加(日下)山と重なるでしょうか?

いいとこ突かれますね!私もそうあって欲しい!
この件は いこまかんなびさん でないと。わかりません

いこまかんなびさん!コメントよろぴく(^0^)/

>日々の暮らしの中で太陽と重ねて信仰に繋がるよう
な気持ちは、その土地ではやはり東よりも西に向くものでしょうか?

難波津は夕日を抜きには語れません!!
大阪湾の特徴をあげれば、日本国で稀有な西に向い
た良港であるということです!大三元さんがとりあげ
られているように、難波津の枕言葉は『おしてるや』こ
れは海が西日でギラギラ輝くさまをあらわしていま
す。現在においても大阪湾がもっとも美しいのは夕日
とともに海が輝く時です!まさにギラギラ!私は上町
台地に仁徳稜などの葺き石で覆った巨大古墳が多い
理由は 一つに葺き石に難波津の夕日が照り輝き、
海とともにギラギラと黄金のように輝く効果を考えて
建造したとおもっています。
&山から(大和)から登る朝日も見えるという理由も
セットであると考えます。

四天王寺の西門が極楽浄土の東門とされるように西
日信仰はあります。私はこの信仰のベースに古代の
西日信仰があると考えますが。。それを証明すること
ができません。

大阪の古代祭祀遺跡の特徴は太陽信仰遺跡です
太陽信仰がねずよいばしょであったことは事実です。
(大阪市史一巻参照)

カシミールの件は私には読解できないところがまだあ
り考え中。。。
しかし 五反島遺跡はやはり八十嶋祭りの可能性は
高いとみましたね。。

>冬至の夕日が淡路の妙見山のピークに沈むようです

八十嶋祭りは淡路嶋の御霊を招く祭りだという説は
存在します

神奈備さんとヨーカンさんには頭に聖なる刻印がある
のですね!!
> 「つむじ」が2つある子供の頭にも似てる。ぎりぎり。気難しがり屋、きかん坊。

選ばれし者の??王者?の気質?
はそうかもしんない (*^0^*)

[2832] Re[2822][2830]: 難波の太陽信仰  くず 2007/03/18(Sun) 23:28 [Reply]
MADOKAさん、
> 石町の坐摩神社の行宮と生駒山の関係

春秋分の朝日が生駒山地の北嶺に昇るように見えます。
この嶺は饒速日山、あるいは太陽信仰と関係しそうな草加(日下)山と重なるでしょうか?

また坐摩巫、朝日を迎える都祁との関係から考えますと、
坐摩神社(行宮)と住吉大社、等乃伎神社がほぼ直線上に並び、それぞれの社から見る春秋分、冬至、夏至の朝日が、 生駒山(北嶺)、高安山、二上山と重なるようです。

生駒山は解りませんが、高安山の隣の信貴山には雄岳、雌岳があって、二上山もしかり。
大和都祁地区の野野上岳にも雄神山、雌神山があってその間から昇る太陽への信仰が残るようですし、都祁氏の信仰と、男女の名を関する2峰の神奈備山。その間から昇る太陽とは関係あるように思います。

> 私がこれを追う原体験のきっかけは姫島でみた巨大な夕日!あれほどみごとな夕日はみたことがない!その衝撃が根底にあるのよねーー(夏でしたが。。)

都祁との関係から朝日を考えましたが、難波の地は日が昇る東に山嶺で、西の海に日が沈む。
海なし県育ちなので、海と太陽が重なる風景を日常に持ちません。
旅先で海に沈む美しい夕日は見ていますが、日々の暮らしの中で太陽と重ねて信仰に繋がるような気持ちは、その土地ではやはり東よりも西に向くものでしょうか?

>巴紋で今私の中に浮上したのは、八十嶋祭りに重要なのはやはり三つの聖水の湧き出る場所かなあと。。

坐摩神社に祀られる生井神、福井神、綱長井神、関係ありますでしょうか?
能の演目で「井筒」があります。井戸を筒と呼ぶ表現があったようで、この3神が住吉の三神へ転化したとか。

倭亜布さん、
>オリオンの三ツ星は住吉の神ですか?、

住吉の3神ではないんですが、
記紀神話で宗像三女神が、素戔嗚尊が腰に佩いていた十挙剣から転生しています。
オリオン座(今見えますが)を見あげますと、ちょうど腰のあたりに剣をさしているように見える部分があります。オリオン大星雲(M42)を含むあたりです。
月の国、黄泉の王、素戔嗚神をオリオンの星座にみたて、その淡く輝く太刀の部分を天照大神が噛んで吹いたと表現し、そこからなった神を3つ星にたとえたのが宗像三女神とか。
古代の船乗りが、夜の航海で星を見上げながら語り伝えた神話^^

[2831] 常世は秦氏の国の様です。  倭亜布 2007/03/18(Sun) 10:25 [Reply]
常世 考
【常】つね(津 根)ジャウ :黄竜を描いた旗・長い布 (王の旗 秦?)・木の名・四方の神の名〈国訓〉
【常】〔八+ウ+吊(つるす):弔とむらう   チョウの音から 夷たる 遠い
【世】:一王朝の時代

黄泉の国?
黄竜溝と名付けられた。溝の両側は原生林が生い茂り、その間にパンダや雪鶏を はじめ、珍しい動物が生息している。溝の中にはまた黄竜洞と石山洞などの 鍾乳岩洞がある。明代に築かれた前・中・後の3つの寺は総じて黄竜寺または 黄竜真人正殿と呼ばれている。
http://www.asicom.co.jp/isan/009.html
北燕を黄竜国と称していた。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/5637/hokuenframe.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/瑠璃明王

黄檗宗に係わる伝承がもうひとつある。 ... ここに登場した「大田田根子」、詳細は省略するが、 この人物もまた、大(おお)氏で多(おお)氏、つまり秦氏一族である。 ... ここまで来れば、 もう秦氏との関係をくどくど述べる必要もあるまい。 結論を急ごう。
http://ikuno.lolipop.jp/piramido/hon/no04/08-04ikuhabe.htm

[2830] 表=虎・豹  中(国)=牛  底=犬  倭亜布 2007/03/16(Fri) 17:31 [Reply]

オリオンの三ツ星は住吉の神ですか?、表 中 底・・・???
「表」ヒョウ彪(マダラの虎) 豹  「中」 チュウ丑(牛・禹氏)チュ蛛(土蜘蛛) 【底】テイ丁(白丁)猋テイ(犬X3)∴?
こちらのほうの信憑性のほど、如何でしょうか?

[2829] [2828]Re:虎皮、豹皮、犬=五十猛命の「猛」   東沢美史 2007/03/15(Thu) 21:13 [Reply]
神奈備様、倭亜布様。CT断層撮影のレントゲン画像、私の脳にきっと雷光刺さってます。
紀元前の古書「禮記」に「虎豹之皮、示レ服レ猛也」。「たけしい犬」。
参照:公立図書館でめくった冨山房大槻文彦「言海」、大修館諸橋轍次「大漢和辞典」。

[2828] RE[8221] 無題  和歌山  倭亜布 2007/03/15(Thu) 20:36 [Reply]
青草ですから
>「ごぜ』は巫女やイタコとの類似性も指摘されていますし、民間信仰の対象にもなっていたようです。なぜ『ごぜ』と呼ばれるようになったのかは分かりませんが『ごぜ』が来ると喜ばれたようです」

『ごぜ』が来ると喜ばれたようです」・・・・私の漢和辞典に『ごぜ』の音が有りませんので、近い音の「こずえ」から選択してみました。

ゴズエ
【標】ヒョウ(豹?) ヘウ  こずえ しるし  目印 旗秦 的(矢【まと】) 
てほん 代表と成る者 位置 品格
【豹の毛皮】セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮 ...
セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮と、7つの突起がある星と弓が上に乗った帯でできた頭飾りをつけた女性の姿で表される。 ...

【梢】こずえ:舟のかじ 旗脚 (秦・)
参考になるか 成らないか? 成れば幸いです。

[2827] Re[2826]: すげー!はやー!  琉球松 2007/03/14(Wed) 14:32 [Reply]
 MADOKAさん、どうもどうも。

 沖縄諸島の「グスク(城の字を当てる)」内の拝み所と城門の関係も、夏至&冬至に関っています。
 城門から入る夏至の日の出のパワーを取り込むような配置になっているようです。
 逆に、冬至の日の入りの太陽光は城門を貫き、他の聖域との繋がりを保っていると考えられます。
 これらの現象は、奈良盆地や大阪地方の神社や古墳などの位置関係と同じ発想だと考えられ、琉球圏の成立の解明にも重要なわけですね。

[2826] すげー!はやー!  MADOKA [Url] 2007/03/14(Wed) 00:32 [Reply]
『隼人盾模様』でしたね!

写真掲示板に
くずさんが!!!
五反島遺跡
姫島神社 大和田住吉神社
坐摩神社行宮
のカシミールの冬至 夏至の図
載せてくださってます!

モバイルで見てるんで今からネット喫茶で良く見てみます!

あちがとうございまーーーす(^0^)

[2825] 巴と曲玉  MADOKA [Url] 2007/03/14(Wed) 00:21 [Reply]
琉球松さん
おひさしぶりです
沖縄の事例もおもしろいですねえ。知りませんでした。
>沖縄でよく耳にする事に「琉球の交易船は海賊に襲われない」というのがあります
これも巴紋効果???

>巴紋。。。やはり「3つの曲玉」だと思いますがどうでしょう

この説がもっとも多勢の説じゃないですかねえ。。

曲玉がなにを表しているか?でしょうねえ
今 曲玉の説にはどういったものがあるんでしょうか? 
『玉作り資料館 まがたま豆知識より』
曲玉はなぜ変わった形をしているのですか?
信仰による形「月」や「釣り針」、「牙」、「じん臓」、「胎児」などいろいろと考えられていますが定説はありません。

もっと詳しくは他御存じの方 書き込みお願いします。

ちなみに私の住んでいる玉造は曲玉を造る玉作部が住んでいたの地名の由来です
『難波 玉作り資料館』
http://www.inarijinja.or.jp/shamusho/siryokan.htm

と、八十嶋祭りの根底にある 夕陽信仰 西の海信仰は調べたものなら、一度は連想するのが 
沖縄のニライカナイです!

前に象の檻が 沖縄のアマテラス??の聖地つうのが気になってしかたがないんですが、またなんかのおりに書き込んでくださいね!

大阪と沖縄は以外と深い関係があると。。私はみています。。なかなか古代にまでつなげないですが。。いくつか関係があります。

Nickさん
『隼人模様』というんですね!やっとわかりました。

写真掲示板に素晴らしい 宇宙の隼人模様が掲載!

かまどさん
お仕事がんばって!そういう時期もあるでしょう
私は人を繋ぐことしかできません
一人で調べるのはなんでも限界があるんです。
かまどさんの情報もいい時期にいい形でつながればいいですね。

[2824] Re[2821][2819]: 訂正!すいませんm(_ _)m  かまど 2007/03/12(Mon) 21:30 [Reply]
神奈備様、MADOKA様

温かいお言葉ありがとうございます。

ちょっと、いろいろと仕事の関係で、1年間ほど勉強しないといけないことがどっさり出てきまして、多分その後は仕事に集中しないといけない状況になると思うので、ここまでかなと。

>監視とは面白いことですね。出鱈目の流布のチェックと言うことでしょうか?

いえいえ、とみたさんの書き込みでそう書かれていたので、冗談でそれを転用させてもらっただけです。
ちなみに、とみたさんのカマド神の解説は道教のカマド神ですね。中国では神様に告げ口する日に口にお菓子など詰め物をするらしいですね。そう言えば私も甘いもの好きです。(^^)/


>  丹生氏、竃氏、丹生都比売については外部の松原先生がすべてとは思っていません。神奈備としましては、比較的内部に通じておられるかまどさんに期待することは多いのです。

いえいえ、松原先生のようにあそこまで聞けるのでしたら、私などは足元にも及びません。地元の先生でもあそこまでは聞かれてませんでしたから。そういう意味で松原先生すごい!と思った次第です。

松原先生は、ちゃんと竃門家の本家に行ってます。多分丹生総神主家の大元であることを知って行かれていると思います(講演の資料を見る限りでは)。

ですから、今後の松原先生の研究で、今まであまり表に出てきにくかった丹生氏の話も、いろいろと出てくるのではないでしょうか。かなり期待しています。

という事で、おのずとMADOKAさんの役割も重要となってきますね。がんばれMADOKAさん!

そうそう、MADOKAさんの話に出てきた薬師堂については、神奈備さんのホームページ内にもありますよね。みなさん気づかれてないと思いますが。

それと、竃門と言う名が出てきたので、ついでに書きますと、東大の史料編纂所の検索で、竃門で検索しますと、丹生総神主家(=竃門家)の系図が概略ながら見る事ができますよ。以前それとな〜く書き込みましたが。

それと参考に書きますと、今は見れない古文書(どこぞの大学に消えていった)らしき記述が、田中法寿著「開創以前の高野山」(大正時代発行)に書かれています。先日、インターネットで¥5,000で手に入れました(コピーは持っているのですが)。購入できず、どうしても読みたいという方は、和歌山県立図書館にありますよ。

ご参考になれば幸いです。

これで、こちらの掲示板を見るのが最後ではないので、いつも見てますので、もし、私ごときでよろしければ、必要な時は「あらびんどびんはげちゃびん」と呼び出して下さい。

実は、そのままフェードアウトして行こうかと思っていたのですが、とみたさんの書き込みをみて、やっぱり報告しておかないとなあ、って思った次第です。

そうそう最後に、私のハンドルネームは、道教のカマド神から取ったものじゃないです。念のため。(笑)

[2823] Re[2822]: 隼人と巴紋と住吉  琉球松 2007/03/12(Mon) 10:27 [Reply]
 なんか面白くなってきましたが、琉球圏からの参考情報です。

 「隼人盾」と奄美諸島の「ハズキ(針突)・琉球女性の手の甲のタトゥー」には、よく似たデザインが見られます。
 また、琉球王国の尚(しょう)王家の家紋も「左巴紋」ですね。これは「真言宗」など権現の信仰と繋がっていますし、八幡もまた同じ文様ですね。
 沖縄でよく耳にする事に「琉球の交易船は海賊に襲われない」というのがあります(実際には時々あったようです)。
 まあ、琉球国は海賊と島民の合作と言われる由縁ですが、宇佐神宮や倭寇、かつての「伊予水軍」との関係も気になります。

 巴紋。。。やはり「3つの曲玉」だと思いますがどうでしょう?

[2822] 隼人と巴紋と住吉  MADOKA [Url] 2007/03/12(Mon) 08:40 [Reply]
かまどさん
>卒業する時期にさしかかったかなと思っておりまして。

そうか??先ほど丹生都姫から電話でマダ早い!と連絡がありましたが(笑)私のことを過大評価してはならない。。あたしゃ サスライのネットワーカー&伝承はいろんな人がいろんな角度で伝承していくものだとおもいますよ。。伝承をひもとくには、無駄と思える情報や知識が相当ないとよみとけないのではと思っています。答えは急がないことだとおもいますよ。

とみたさん
お久しぶりです
>カマド神は行動を監視して天の神に報告する
Fu-ん知らんかった。MADOKAは本名です、母が丸い女らしく育つようにとつけたようで、こんなイノシシのように突っ走る男のようになるとはと嘆いておりますが体形のみはたしかに円ですなあ。

大陸からみた巴紋報告ありがとうございました。
おもしろかったです。
隼人盾の紋が巴紋の繋ぎ説もあるのですね!
巴の国の話は特におもしろかったです
サングリーンさんから
隼人盾の写真提供ありまして、写真掲示板にアップしました。
サングリーンさんは
>盾の上部に獣の毛が貼り付けてあったのが謎でした。平城京から出土されたものにも1部、毛が残っていたそうですよ。掲示板を読んでいて、虎の威力の一種の表現と書かれていたので、納得しました。

が。私は虎ノ紋説は半分ですねえ 
フラクタル理論の本で『鏡の伝説』これはめちゃめちゃおもしろかった!全世界にある根源マーク フラクタル(隼人紋)の謎にせまり、結論として川のように流れる水に上流から圧力をかけつづけると▲▲▲の連続波頭になりさらに圧力をかけつずけると突然フラクタルになり次に沢山のペーズリーが産まれ 頂点にきていた圧力が分散される。。だっととおもう。著者は西洋人なので根源のフラクタルマークとペーズリー柄を解析したのですが。。

これを日本に置き換えると隼人盾と巴紋になるのではないかとおもったのです。

隼人盾の上下の▲▲▲の連続は波頭
そしてフラクタル 次に巴紋

能衣装の▲三つの組み合わせは鱗紋と呼ばれ 龍または巳または心に秘めた邪心(鬼)の衣装です。この紋は龍神 巳の祠の紋でもあります。
『家紋の由来』
http://www.harimaya.com/o_kamon1/yurai/a_yurai/pack2/uroko.html
サングリーンさんが隼人盾で
>渦巻きは二種類あるのですが判りますか?

赤と黒の重なるフラクタルは中国の創造神&日神 
伏犠・女禍 ともとれる。
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/illstrate.html

私はイザナギ イザナミとみています。
根源から単体の連続神が産まれ
イザナギ イザナミ で初めて男女が産まれ
アマテラス ツキヨミ スサノオ 三神が産まれる
私はこれは フラクタルではないか?と
エネルギーがなにかを生み出す瞬間?
これを紋にすると隼人盾と巴紋になるのでは?
それを 全世界の古代人が自然観察からの直感智からマークにしたのでは?
これでいくと隼人盾や巴紋瓦を並べると向かってくる敵や災い(水難?)のエネルギーを分散、弱める、避ける呪力があるとされたのでは??

ただ虎は古朝鮮 壇君神話で虎が太陽を100日見ない篭り生活ができず人間になれなかったという話があり、ひょっとしたら虎は太陽を表すのかも??
『壇君朝鮮』
http://ja.wikipedia.org/wiki/æªå›æœé®®

>このあたりの巴川に、白水郎(潜って魚を取る族)がいて板楯族と文化を共有していた。白水郎は長江を下って海を渡り五島列島の値嘉島に着いた。これが隼人ではないか。

これはピコーーンですね(*^0^*)/

くずさん
カシミールの発見 本住吉は嬉しい(*^0^)\
私も冬至の甦りの太陽(夕日)とミソギは重要な八十嶋祭りの要素とおもいます。

で 石町の坐摩神社の行宮と生駒山の関係をカシミールで見るとどうなりますか??

もう一つ西淀川区 大和田住吉神社 または姫島神社をカシミールでみると冬至夏至の夕日はどうでしょう?

南吹田5丁目の五反島遺跡からカシミールでみるとどうなりますか?

私がこれを追う原体験のきっかけは姫島でみた巨大な夕日!あれほどみごとな夕日はみたことがない!その衝撃が根底にあるのよねーー(夏でしたが。。)

お手数ですがよろしくお願いします。m(__)m

巴紋で今私の中に浮上したのは、八十嶋祭りに重要なのはやはり三つの聖水の湧き出る場所かなあと。。

[2821] Re[2819]: 訂正!すいませんm(_ _)m  神奈備 2007/03/12(Mon) 08:19 [Reply]
かまどさん、おはようございます。MADOKAさんとのやりとり、興味深く拝見しておりました。

> 松原先生のような方がおられることが分かり、監視する必要もなくなったかなと思いました。

 監視とは面白いことですね。出鱈目の流布のチェックと言うことでしょうか?


> 今後は、松原先生や地元の先生方などの発表を楽しく読ませて頂いたり、聞きに行ったりして余生をすごしたいと思います。

 余生?! 若いかまどさんには全く似合わない実に年寄りくさい言い方ですね。皆さん、誤解しますよ。

 丹生氏、竃氏、丹生都比売については外部の松原先生がすべてとは思っていません。神奈備としましては、比較的内部に通じておられるかまどさんに期待することは多いのです。

[2820] Re[2817][2782][2779]: 住吉と日神  神奈備 2007/03/11(Sun) 18:01 [Reply]
> 住吉大社から冬至の日の出を望むと二上山に重なるようです。(カシミール3Dにて確認)そしてその北西への延長線上に神戸の本住吉神社も重なるかと。

これは面白い発見ですね。本住吉の存在の意味がお書きのように出てくるかも知れませんね。


> 黄泉から戻った伊邪那岐神は身につけたものを投げ捨てて穢れを払っていますので、この神事と重なるのが八十島祭の(本来の)原形ではなかったか、とも。

 八十島祭は八十島の霊力を天皇に付ける祭りで、祓いよりは魂振の儀式だと考えています。またこの祭りの主祭神は大八島之霊で、住吉神等は配されている神です。
 『住吉大社神代記』にも、難波の祭りですが八十島祭のことにはふれられていません。しかし住吉の神の子神として難破生國魂神の名が見えますが関連が見られないようです。

[2819] 訂正!すいませんm(_ _)m  かまど 2007/03/11(Sun) 15:52 [Reply]
名前のところに題名書いて、名前書くの忘れてました。

すいません。下の2818の書き込みは私です。

m(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m

[2818] Re[2816][2814] 巴紋 右左  とみた様 2007/03/11(Sun) 15:50 [Reply]
> MADOKAさんと、かまどさん
> カマド=竈神をもじっていらっしゃるのでしょうか。カマド神は行動を監視して天の神に報告するそうですから御気をつけ遊ばせ。心が丸いのでマドカ=円なんでしょうか。

おおっ!ばれましたか。(笑)
このハンドルネームの意図をズバリ見抜くとは、とみたさんもなかなかやりますね。(笑)

でも、MADOKAさんの書き込みで、松原先生のような方がおられることが分かり、監視する必要もなくなったかなと思いました。
松原先生みたいなすごい方に教えてもらったMADOKAさんみたいな方が出てこられては、私の出る幕はもうないです。(^^;)

松原先生みたいな深い所まで調査されている方もおられますし、私も他で忙しくなるので、そろそろ天に帰る時期、いやいやこういう事を卒業する時期にさしかかったかなと思っておりまして。

今後は、松原先生や地元の先生方などの発表を楽しく読ませて頂いたり、聞きに行ったりして余生をすごしたいと思います。

とみたさん、なかなかいいタイミングでの振りありがとうございました。絶妙のタイミングです!(ほんとビックリするほどのタイミングです)

[2817] Re[2782][2779]: 住吉と日神  くず 2007/03/11(Sun) 11:21 [Reply]
遅いレスになってしまいました。

>戸隠神社を祀ったのは手力男命を祖神とする伊勢の船木氏とよく似た氏族だったのかも知れません。

以前も紹介させてもらいましたが、手力男神を祀る戸隠奥社に至る約2qの参道は冬至の日の出線に重なります。
同神の日神を出すという神格は、秋分を超え弱まった太陽の力が冬至を分岐とし新しく生まれ変わる。そのサイクルを尊ぶ信仰的背景の上に生まれたものでは、と考えます。

>『住吉大社神代記』に、大田田神、神田田神の名が出てきます。伊勢の船木氏の祖ですから、手力男神の後裔となるのでしょう。

すでに検証されているのかもしれませんが、
住吉大社から冬至の日の出を望むと二上山に重なるようです。(カシミール3Dにて確認)
そしてその北西への延長線上に神戸の本住吉神社も重なるかと。

冬至の日の出を"蘇えりの太陽"と見て、太陽神と皇祖を重ねて考えますと、
記紀神話において黄泉の国から帰還した伊邪那岐神が最初に行ったのは日向で行った禊ですので、この住吉の配置と禊(禊によって生まれた神)の関係が繋がるのではないかと考えました。
また死者と別れ、黄泉から戻った伊邪那岐神は身につけたものを投げ捨てて穢れを払っていますので、この神事と重なるのが八十島祭の(本来の)原形ではなかったか、とも。

大和から見て日の沈む西の二上山が常世(の門)と重ねられ、そこから昇る冬至の太陽は、黄泉から戻った再生の象徴であり、それを迎え入れる禊の施設が住吉の場所に作られていたのではないか。それが一つと、
本住吉は特に桜ヶ丘の遺跡も近いですし、船木氏との関連からも、かつて銅鐸を祭祀した人々の信仰と記紀神話の伊邪那岐、伊邪那美神、黄泉帰り、そして太陽信仰と、全てとは言わなくても、少なからず重なる部分があったのではないか。と考えています。

[2816] Re[2814] 巴紋 右左  とみた 2007/03/11(Sun) 10:42 [Reply]
MADOKAさんと、かまどさん
カマド=竈神をもじっていらっしゃるのでしょうか。カマド神は行動を監視して天の神に報告するそうですから御気をつけ遊ばせ。心が丸いのでマドカ=円なんでしょうか。

てな冗談はさておき、巴紋は私もちょいと気になっています。

二つの記事を紹介します。

◎その一・・・林巳奈夫先生の研究。

中国は、紀元前1600年〜1050年ぐらいに商(殷)という国が栄え、その後に周が覇権を握り(西周時代)紀元前770年ごろから春秋時代、その後は乱れて戦国時代に入ります。そして紀元前221年に秦の始皇帝が天下を統一します。

その後は漢の時代ですね。

まあ日本ではこの頃が弥生時代なんでしょうか。
巴紋は西周時代の中ごろにはじまり、春秋時代に定着したようです。鐘の6区画に巴紋が施されます。

戦国時代になると、打楽器や壷などに盛んにつけられ巴紋が分化していますね。日本では弥生時代の初頭の遺跡として有名な北九州の菜畑遺跡の壷にも巴紋がついています。渦巻き紋と違いがわからないのですが、渦巻きには危害や災禍を避ける意味があるようで、鬼道の禁呪護符などと結びついたのでしょうか。

秦時代には、瓦に巴紋へ施し、建物の守護に使われました。巴紋は鋸歯紋と同様にいろいろ使われましたね。

◎その二・・・言語学者?土橋寛先生の本から引用
三種の神器の一つ、勾玉(曲玉)は玉が内蔵する霊力を造型した呪物で円形の頭部が玉であり尻尾の部分が玉の霊力の表現である。

それは、インドの宝珠とその火焔(実は霊気)に該当するデザインであり、また中央アジアに発源するといわれる巴の紋様も同じ意味を持つデザインである。

弥栄霊の勾玉はそのような玉の呪力を表現した呪物であったから衰えた太陽に霊力を与えタマフリの呪宝として、天岩戸の神話に登場し天孫にも与えられた。
石製曲玉は中国や西アジアからも出土するが特に発達したのは朝鮮と日本で、古墳時代にはC字形の曲玉は、愛用された。

> 昔 巴紋に興味を持ち調べたことがあります。
> そのときの結論は 巴紋=水神 でしたが。。
> 今回 かまどさんとのやりとりで 天野大社の神紋が左巴 で丹生都姫がやってきた元地 丹生川上神社が右巴(くらおかみ)この件でピコーン!(*0*)

オヤオヤ丹生川上神社が巴紋ですか。神紋も何か謎がありそうです。熊野本宮大社が、三つの巴とヤタガラス。

熊野速玉大社は三つ巴と五七桐、熊野那智大社は三つ巴です。

大神神社は三つ巴と五七桐と三杉となっています。

鹿島神宮は三つ巴です。

出雲の美保神社の神紋は、亀甲に三つの巴です。
>
> 左巴と右巴を繋いで下さい!
> 隼人盾の紋ににてませんか!!
> 頭は三つじゃないですが!!一つ!
> でもひょっとしたら これが巴紋のルーツでは!?
> わたしはこの隼人盾の紋(なんていうんですかね?知ってる人いたら教えて下さい)

隼人盾の紋は、奈良の平城京跡から出ていますね。確かに二つの巴をつないだ形です。渦巻き紋或いは巴紋の組み合わせとする意見が一般的ですが、単なる渦巻きでなく虎の紋とするのが、古賀登先生です。長江の巴蜀文明の研究家です。

この先輩の早大の教授が紀ノ川と吉野川の丹生(水銀)の研究家の松田壽男先生です。

巴の国、今の重慶あたりに、板を楯にして人食い虎を退治した板楯蛮族がいました。板楯族が板に虎の革で覆って戦いに臨んだ板の紋様が隼人の楯の紋様に似ている。
楯に描かれた巴紋の上下には鋸歯がついており、虎の皮の模様であると考えておられます。

このあたりの巴川に、白水郎(潜って魚を取る族)がいて板楯族と文化を共有していた。白水郎は長江を下って海を渡り五島列島の値嘉島に着いた。これが隼人ではないか。

四川省の巴の国です。巴の紋と巴の国??どういうつながりがあるんでしょうね。

マドカ風呂に入ってゆっくり考えてください。


[2815] Re[2814] 巴紋 右左  神奈備 2007/03/11(Sun) 09:18 [Reply]
古代からの模様
http://kamnavi.jp/log/ugamoyou.htm
に隼人の楯を一応入れてます。あまりよい写真ではありませんが。

[2814] Re 巴紋 右左  MADOKA [Url] 2007/03/10(Sat) 22:48 [Reply]
ヨーカンさん 東沢さん 
写真別荘 
おもしろく拝見しました。
昔 巴紋に興味を持ち調べたことがあります。
そのときの結論は 巴紋=水神 でしたが。。
今回 かまどさんとのやりとりで 天野大社の神紋が左巴 で丹生都姫がやってきた元地 丹生川上神社が右巴(くらおかみ)この件でピコーン!(*0*)

左巴と右巴を繋いで下さい!
隼人盾の紋ににてませんか!!
頭は三つじゃないですが!!一つ!
でもひょっとしたら これが巴紋のルーツでは!?
わたしはこの隼人盾の紋(なんていうんですかね?知ってる人いたら教えて下さい)
にえらく惹かれて 調べたことがある
全世界にあるようです 生命の根源を表す
どうも ペーズリー柄はこの紋(形)から生まれたようです(これは何人かの人がいっている)
ペーズリー柄って 巴紋に似てませんか?

で私は今回 左巴 は姫神 右巴は 巳か龍(男?)
ではないかとおもったんです!
つまり 神社の屋根の内削ぎ 外削ぎで 雌雄ていうのと同じことではないのかと・・??

実はMADOKA説では
隼人紋?は 『イザナギ イザナミ』 を表している
ていうのが 前からの持論ですが
今回 クラオカミ が右 で 丹生都姫が左
クラオカミはイザナギ が カグツチを切った血から生まれ
丹生都姫は イザナギがミソギをしたときアマテラスが生まれ その妹

イザナギ イザナミ つながりでないかなあ??

私的には満足ですが!(*^0^*)

Nicksさん 隼人紋?のいいアップないですか?
写真別荘に載せようとおもったんですが。。
手元にないんで あったらアップお願いします。

[2813] Re[2812]: ごぜ  神奈備 2007/03/09(Fri) 19:25 [Reply]
> 五瀬命、伊勢、御所と「ごせ」との関係が語られていますが、盲目の女性芸人の
> 「ごぜ」とは関係がないのでしょうか?

貴殿はどのようにお考えでしょうか。

[2812] ごぜ  和歌山 2007/03/06(Tue) 22:39 [Reply]
五瀬命、伊勢、御所と「ごせ」との関係が語られていますが、盲目の女性芸人の
「ごぜ」とは関係がないのでしょうか?

[2811] 訂正です、ごめんなさい。<(_ _)>  倭亜布 2007/03/05(Mon) 18:37 [Reply]
「原始霧ス地」は「原始キリスト教」です、
http://www5.ocn.ne.jp/~torikai/church-etc/mametisiki/christianity020.htm

禹の父「鯀」の意味は大魚です。
漢字の 魚+鳥=ギョ・・・齬〔歯+吾われ〕 齲〔歯+禹〕:虫歯・・・漢字は
吾〔口+五(王)〕禹の足跡から出来ました。

[2810] Re[2808][2807]: 上・中・底  琉球松 2007/03/05(Mon) 18:28 [Reply]
 玄松子さん、お付き合いありがとうございました。
 そんなこんなでも、色々と参考になります。

[2809] 「綿津見」「綿」 【メン】 考えました。  倭亜布 2007/03/05(Mon) 18:17 [Reply]

【宀】 メン うかんむり:屋根を四方に深くたれた家
【「正」を裏返しにした様な字】〔麪こむぎこ メンの右の字〕メン:おおう・かくす・ふさぐ・見えない。
【免】メン 古文字の形から【∩】形の中に「ひと?【壬】ニンみずのえ」私的に「禹」の古文字(雌雄の雌竜)
  http://kodo-tamaki.com/log/eid84.html
弧  弓形 入江?海上の位置や障害物で見通しの利かない位置を三平方の定理で計算し割り出す測量士。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kosen/sub/heisyu_koto.html
(股壷 【弧】 孤古姑去湖胡庫虎虚己=「拠 ... (あしなつち)の爺と、手名椎(てなつち)の婆の国で大山【津】見(祇)が祖先の国」であった
二点で円周を分割した「弓弧」
  http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kojiki15a.htm
【泯】〔氵+民〕:尽きる(交わる地点が海上の場合ラインは尽きる。)・【民】の古文字は・「目」の大きな鳥。「臣」の古文字に類似。
【浼】:けがす・水が平らかに流れるさま。
【眠】:丸い目。
【偭】〔イ+面〕:むかう・そむく(背)
【棉】:繋いで 糸にする。・・・・意味深です。
【黽】カエル(蝦蟇ガマ蛙〔虫+【圭】〕
【圭】ケイ たま:諸侯がはじめて封ぜられるときに、そのしるしとして天子からいただく、上がとがって下が四角な玉の名。土を二つ重ねるのは、土を計る(土・度に同じ)意で、天子からいただいた土地を計り治める(川+台)ことを表す。
 中国では昔、月には蛙が住んでいると史記に書かれている。 日を徒となして天下に君たるも、三足の烏に辱められ、月を刑となして相に助くるも、蟾蜍(ひき蛙)に食われる・・・とある。 ... 石器時代の人々にとって、蛙は月 ...
月の女神である嫦娥=西王母(せいおうぼ)ヒキガエルは「蟾蜍(せんじょ)
銅鐸 蛙 弓 で検索。
  http://www.linkclub.or.jp/~qingxia/cpaint/nihon2yayoikohun.html
【綿】:連携する【連】・ながくつづく・鳥の声(測量士の階級 鳥=臣  犬=現場監督    猪=人夫(丁チョ)
【瞑】:見えない。
【緡】〔糸+昬〕:合う・鳥の声
【緬】:遠い・はるか。
【麪】:こまかいの意の言語(末)からきている。「末端」地の端。境。
【澠】〔氵+黽〕:川(境?)の名 蘭相如が秦の趙王と会見したところ。
【雌】〔此+隹とり〕【此】〔止+ヒ〕:ここ 【ヒ】;私的に「禹=陰=月=兎=ト=占なう」【台】〔口=鯀(禹の父 原始霧ス地系)+ム=私〔禾+ム〕=(禹)漢字は禹の足跡から出来た。
参考
【鮸】:鳴く魚 (ちなみに【鱩】〔魚(原始キリスト教+雷=鱩ハタハタ(秦幡多・・・測量の臣)

【津】〔氵+聿(ここ)〕わたし きし 古文字では、川+鳥+舟を連ねた橋(横にした梯ハシゴ型)

「綿津見」=海上(水上)の位置や障害物で見通しの利かない位置を三平方の定理で計算し割り出す測量士と思います。

[2808] Re[2807]: 上・中・底  玄松子 2007/03/05(Mon) 17:42 [Reply]
どうやら、書き手の意図と、読み手の期待がかみ合っていないようなので
そろそろ、僕の投稿は終わりにしたいと思います。


>  ええ、沖縄諸島の「ゴホウラ」を運んだのはいったい誰なのか。。。実はその疑問から「筒男・綿津見・少彦名・・」が以前からひっかかっていたわけです。

ですから、
『なぜ、「ゴホウラ」と「筒男」の関係に着目したのでしょうか。』


>  「表(上)=辺」「中」「沖=底」は成り立つでしょうか?

当初、筒男の話題が出たときに、琉球松さんが、
> ところで、「表・中・底」ってどういう意味なんでしょうか? 距離感の表現ではないかと想像しているんですが。。。
> 特に根拠もないのですが、「表=その辺・中=あちら辺・底=地の果て」なんて想像してみました。

と書かれていたので、それならば宗像三女神の方が適当ではないか、と申し上げただけで、筒男との対応(「表(上)=辺」「中」「沖=底」)は考慮しておりませんし、論じておりません。

[2807] 上・中・底  琉球松 2007/03/05(Mon) 16:12 [Reply]
 玄松子さんへ

 ええ、沖縄諸島の「ゴホウラ」を運んだのはいったい誰なのか。。。実はその疑問から「筒男・綿津見・少彦名・・」が以前からひっかかっていたわけです。
 弥生中期と言えば、もうほとんど神話の世界ですけど、だからこそ意味難解な資料に飛びついていしまいます。「三女神」しかり。「紀元は2600年」しかり。

 「表(上)=辺」「中」「沖=底」は成り立つでしょうか?

[2806] Re[2805][2804][2803][2799][2798][2796][2795]: 無題  玄松子 2007/03/05(Mon) 15:17 [Reply]
> 玄松子さんは百も承知という事なんですね。
僕が知っているかどうか、関係ありませんよ。
琉球松さん> また、同三神は、壱岐や北部九州のどこでしたか。。。祭られているようですよ。
琉球松さんのこの発言の意味をお聞きしただけですから。


>  「表(上)・中(那珂?)・底」の神々と、弥生時代中期頃から普及する、沖縄諸島産の巻貝「ゴホウラ」を加工した貝輪との関係はないでしょうか?

唐突に「ゴホウラ」が出てきましたね。
なぜ、「ゴホウラ」と「筒男」の関係に着目したのでしょうか。お聞かせ願えませんか。


「距離感の表現」を伴う三神であれば、三筒男の博多住吉にも、三綿津見神の志賀海にも近い、宗像の方が良いのではないかと思います。辺津・中津・沖津の三女神ですから。

[2805] Re[2804][2803][2799][2798][2796][2795]: 無題  琉球松 2007/03/05(Mon) 13:54 [Reply]
 玄松子さん、ありがとうございます。

 植村先生のおっしゃりたいのは、たぶん「博多の住吉が最古」という意味でしょうね。
 『住吉大神をお祀りする神社が全国に二千百二十九社ありますが、当社は住吉の最初の神社で、古書にも当社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されております。』。。。これは知りませんでした。玄松子さんは百も承知という事なんですね。

 「表(上)・中(那珂?)・底」の神々と、弥生時代中期頃から普及する、沖縄諸島産の巻貝「ゴホウラ」を加工した貝輪との関係はないでしょうか?
 最近の通説では、「ゴホウラ貝輪」は奄美諸島を経由して、隼人〜九州西岸〜北岸〜朝鮮半島南部、さらには山口県土井ヶ浜遺跡まで運ばれているわけです。

 ですから「表・中・底」や「筒・綿津見」の意味はぜひとも知りたいわけで、荒唐無稽なヒントでも欲しいわけです。

[2804] Re[2803][2799][2798][2796][2795]: 無題  玄松子 2007/03/05(Mon) 10:54 [Reply]
>  対馬の「都々智神社」の響きが「筒・土」に近いなあと思っただけです〜。

他意があるのかと、余計な詮索でした。
最初からそのように書いていただけると、助かります。


> 那珂郡のそれが最も古いとすべきものかと思われる。***

ということは、
琉球松さん> また、同三神は、壱岐や北部九州のどこでしたか。。。祭られているようですよ。

というのは、「博多の住吉が最古」という意味でしょうか。この一文からは読み取れませんでしたが、これは、博多住吉神社の由緒にも明記されていますね。

参考引用『住吉大神をお祀りする神社が全国に二千百二十九社ありますが、当社は住吉の最初の神社で、古書にも当社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されております。』

[2803] Re[2799][2798][2796][2795]: 無題  琉球松 2007/03/05(Mon) 10:02 [Reply]
 玄松子さんへ

 対馬の「都々智神社」の響きが「筒・土」に近いなあと思っただけです〜。
 ただ、古事記の例外的扱い?が気になって、博多湾周辺〜対馬に注目してみたわけです。
 また、大阪の「住吉大社」が、春分&秋分の日の入りを拝めるように設定されているのも、北部九州との関係を重視しているからなんでしょうかね。
 戦前からの研究家で、大阪出身の植村先生は著書で以下のように書いています。

『神武天皇/植村清二(中公文庫)1990』より引用
*** 綿津見神は即ち志賀島の海神三座であって、この神を祖神として海神を支配する阿曇氏が筑前の糟屋郡を本居とすることと照応する。
 『古事記』にはまたこれについで底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱を挙げて墨江の三前の大神といっている。住吉三神は勿論摂津に鎮座するが、『延喜式』によれば筑前那珂郡にも、壱岐にも対馬にも祀られているのであって、航海の神である点からいえば、那珂郡のそれが最も古いとすべきものかと思われる。***

[2800] 「都々智(つつち)」=津土(圭)  倭亜布 2007/03/04(Sun) 10:16 [Reply]
私的に字解しました。
【津】古文字字解〔川(水辺・境?)+鳥(測量士)+皿(盤-般)
【都】古文字字解〔口(台)+之(木?矛?)+∴+日(太陽)+覗く人(臣)〕
【浦】字解〔川(水辺・境?)+田の上に「之の古文字」(「邦」の古文字に類似)「浦安国」:心安らかな平安の地・日本の古称。
【裏】字解〔【里】古文字字解(田+土・屯)+【衣】古文字字解(?衿・【襟】(ネ+金)・・・上に向かう【王】+点;全=【;コロン】)
【占】〔台-ム+ト(木の枝・支・干支)
「甲骨文字」などの古文字は、禹 ウ(中国先史時代 「夏」カ)・・・叶〔口+クロス)かのう・・・夏の禹 です。
【圭】ケイ たま:諸侯がはじめて封ぜられるときに、そのしるしとして天子からいただく、上がとがって下が四角な玉の名。土を二つ重ねるのは、土を計る(土・度に同じ)意で、天子からいただいた土地を計り治める(川+台)ことを表す。
【黒】くろ(クロ ス?)ボチ(黒点)Y(ヨッド)・・・勾玉?(ム=禹)
http://park1.aeonnet.ne.jp/~ark/myths/angel/1.html
「手指」を意味しています。西洋占星学でも、「ヨッド」と呼ばれるアスペクトはあり、3つの惑星が、150度・150度・60度で繋がったときに成立します。
http://www.namikiseiryu.com/htm/tarot09.html

[2799] Re[2798][2796][2795]: 無題  玄松子 2007/03/03(Sat) 23:10 [Reply]
>  この二行は別としたつもりでした。日本語が下手ですみません(笑)。


じゃ、もう二つ。

琉球松さん> 長崎県対馬で「表(上)・中・底」を祭っている神社は「都々智(つつち)」と言うようですね。

これは、
『対馬で三筒男を祭っている神社は、すべて「都々智」と言う』 という意味でしょうか。


『対馬に三筒男を祭る「都々智」という名の神社がある』と解釈した方が良いでしょうか。
対馬にも、住吉神社や胡禄御子神社など、三筒男を祀っている他の神社がありますからね。


琉球松さん> また、同三神は、壱岐や北部九州のどこでしたか。。。祭られているようですよ。

三筒男を祀る神社は全国(すべての都道府県)にあるのですが、この一文はどういう意味でしょうか。

[2798] Re[2796][2795]: 無題  琉球松 2007/03/03(Sat) 17:39 [Reply]
 玄松子さんへ

 「都々智」ということから「筒・・津津」が一理あると導かれるのでなく。。。
 この二行は別としたつもりでした。日本語が下手ですみません(笑)。

[2797] シンポジウム  和歌山 2007/03/03(Sat) 16:07 [Reply]
 住吉大社では、日中交流1400年記念国際シンポジウムが開催されるようです。要申込み、資料代1000円、晩餐会8000円

 「住吉津より波濤を越えて」―遣唐使・遣隋使がもたらしたもの―
  期日 5月8〜9日
  内容 シンポジウム、基調講演、研究発表、舞楽鑑賞、他・・・

[2796] Re[2795]: 無題  玄松子 2007/03/03(Sat) 15:04 [Reply]
>  長崎県対馬で「表(上)・中・底」を祭っている神社は「都々智(つつち)」と言うようですね。
>  倭亜布さんの「筒・・津津」も一理あるかもしれません。

どうして、対馬で「都々智」ということから、「筒・・津津」が一理あると導かれるのでしょうか。


ちなみに、筒男の解釈にはイロイロありますが、有名なところで
土(垂加神道)、伝う(鈴木重胤)、星(吉田東伍)、津之男(山田孝雄)、対馬の豆酸(つつ)、帆柱の筒などがあるようです。

[2795] 無題  琉球松 2007/03/02(Fri) 22:39 [Reply]
 長崎県対馬で「表(上)・中・底」を祭っている神社は「都々智(つつち)」と言うようですね。
 倭亜布さんの「筒・・津津」も一理あるかもしれません。
 また、同三神は、壱岐や北部九州のどこでしたか。。。祭られているようですよ。
 いずれも海神ですが、「筒男」は「土男」とも表すと、どこかのサイトにありました。

 ん〜、ますますわからくなりましたが、少なくともどうでしょう?この三神の出身地は、難波でも壱岐&対馬でも、北部九州でもないように思えますが。
 これは、朝鮮半島南部まで行かないとお手上げかも(笑)。

[2794] [2792] 「星」=「ツツ」=「点」  倭亜布 2007/03/01(Thu) 21:49 [Reply]
弓津神や弓の国
伯太川を現在は(ハクタ)と呼んでいるが、古代には(ハタ)と呼んでおり・・・秦?
http://www.interq.or.jp/www-user/fuushi/5-anc/yorozu/8a-e1-yumitukami.htm
梓弓(あづさゆみ) 引(ひき)津(つ)の辺(へ)なる なのりその花摘(つ)むまでに逢(あ)はずあらめやも なのりその花. 梓弓 引津邊在 莫謂花 及採 不相有目八方 勿謂花. 引津湾(船越)から可也山. この引津は、遣新羅使人の歌以外に、旋頭歌で詠まれている。 ...
http://www2.odn.ne.jp/cbm54970/40hikitu.html

筒(ツツ)→津津(ツツ)

筒(ツツ)→弓(ゆはず 弭・弝・→キ クツ )→(津津ツツ)
(【キ クツ】[弓+巨(【矩】)]
筒(ツツ)→弓(弭 ビ ミ ゆはず)→(津津(ツツ)・・・【・葛】城(ギ) カツ(夏津) カチ(香地) くず(区図) つづら(津図羅)
【葛(ヒ=X)】 葛 カツ カチ くず つづら
筒(竹+同)から【弓】の形から【入り江】(工から2点の距離)・【湾】(+弓)
  弓の名称を御覧下さい。
【上】(うわはず) 弓束(ゆづか 塚?)本弭(もとはず)/【下】下弭(しもはず)
http://ecoecoman.com/kyudo/item/yumi_meishou.html
【弓】部
http://rtk.web.infoseek.co.jp/cjk/rads/057.html
【弓矢】は古代測量に欠かせない道具でしたし、【漢字】は禹の古代測量が祖なのです。

伊能忠敬の測量での【津】・・・・・偶然でしょうか?
島原街道の船越村枝梅【津】(埋津)。正左衛門宅で昼休み。人家前より初める。諫早町へ逆に測る。
島原領愛【津】村(雲仙市愛野町)の庄屋深浦九郎左衛門が深更(夜おそく)に来る。
船越村枝梅【津】の人家前、即ち島原街道の梅の印より初める。梅津川(埋津川)は土橋(埋津橋)で四間(7.27m)。

津守連通という人は、持統天皇・草壁皇子側の人間だったということである。陰陽師には、渡来系の大津連首(おおつのみらじおびと)や、大津宿禰大浦(おおつのすくねおおうら)という「大津」姓の陰陽師がいるが、「大津」という名を冠しているところを見ると、彼らが大津皇子の壬生(乳部)であった可能性は充分に考えられる。大津皇子が漢詩が上手だったのも、彼らに手ほどきを受けたからではないだろうか? 想像するに、陰陽道においても津守氏と大津氏が敵対関係にあり、ライバルの大津氏を壬生に持つ大津皇子を、この通という人は、陥れようと画策したのではないか?

「邪馬壹国をめぐる議論 ... 「乍南乍東」では、2等辺三角形の原理2で、それこそ八千里なければなりません ... と陳壽はみています。 「大津市の北岸には賎が岳がある …」
http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/miyazu-san-BBS.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/keijiban14.htm

[2793] Re[2791][2787]: 住吉大社 水影のワルツ  大三元 2007/03/01(Thu) 20:14 [Reply]
> 玉■鎭石。出雲人祭。眞種之甘美鏡。押羽振。甘美御神底寶御寶主。山河之水泳御魂。靜挂甘美御神底寶御寶主。〈■。此云毛。〉  ■=草冠に妾。

いろんな解説はあるけど、言語明瞭(?)意味不明ですよね。
こんなんが解けたら一大事でしょうね。

[2792] 「星」=「ツツ」=「点」  倭亜布 2007/03/01(Thu) 19:18 [Reply]

「筒男」を日本語で解こうとして、「ゆふつつ=夕星」から「ツツ」=「星」、「筒男三兄弟」をオリオン座、と持って行く考えもあるようですが、「ツツ」=「星」という独立した事例がなく(ゆふつつ=夕星、しかない)否定的見解が強いようです。
【点】:解字 形声。旧字体は意符黒と音符占なうとから成る。センの転音がテンで、小さい意の語源(韱せん)からきている。小さい黒いはしを意味する。ほし ちょぼ 小さい印し。二線の交わるところ。   角川 漢和中辞典 より
津々の【津】:聿 イチ ここ が音を表し、進む意の語源からきている。こちらの岸から向こう岸に進んだ所。わたり。(点から点)(短い辺:長方形を対角に切ってできた三角形の直角をはさむ二辺のうちの短い辺。)
津々=点〜点・・・・御理解下さい、古代史解明の近道(ワープ)です。

[2791] Re[2787]: 住吉大社 水影のワルツ  神奈備 2007/03/01(Thu) 17:46 [Reply]
> アイヌ語で ren は「沈む」という意味と「三人」という意味があります。
> 周辺をもう少し肉付けできないものか、「思い」以上の「りくつ」が立たないものか、などと検討中です。

『崇神紀』六十年 美具久留御魂神社の創建の由緒につながるお話。

時丹波氷上人。名氷香戸邊。啓于皇太子活目尊曰。己子有小兒。而自然言之。

玉■鎭石。出雲人祭。眞種之甘美鏡。押羽振。甘美御神底寶御寶主。山河之水泳御魂。靜挂甘美御神底寶御寶主。〈■。此云毛。〉  ■=草冠に妾。
たまものしづし いづもひとのいのりまつる またねのうましかがみ おしはふる うましみかみ そこたからみたからぬし やまがはのみくくるみたま しづかかるうましみかみ そこたからみたからぬし

「沈む」、「底」、「み(3か)」とかがそろっています。

[2790] Re[2789][2788][2787][2780][2776][2775][2774]: 住吉大社  大三元 2007/03/01(Thu) 14:46 [Reply]
琉球松さん、ごぶさたしてます。

ナーナイの説話に関するサイトは:
http://www.dai3gen.net//nanai.htm
でした。

[2789] Re[2788][2787][2780][2776][2775][2774]: 住吉大社  大三元 2007/03/01(Thu) 14:40 [Reply]
琉球松さん、ごぶさたしてます。

>  アイヌ語の「沈む・三」を、神奈備さんの猿田彦の話と合わせば「海面・海中・海底」という事になりそうですね。

猿田彦でも良いのですが、イザナギが禊ぎをして筒男三神、綿津見三神が生まれるので、「禊ぎ」を「沈む」と関連づければ良いのではないかと思ってます。

>  ちなみに、琉球圏には「ニライソコ・ニルヤソコ」の古語が伝わっていて、やはり海底や地底に想定されているんですが、神女(ノロ・ツカサ)の説明では「海の遥か彼方」であるとされています。

北方の伝説(ナーナイなど)にも似たようなモチーフ(潜水、三、土を食い出す、開闢説話)があって注目しています。ご参考:
http://www.dai3gen.net/tutuo.htm



[2788] Re[2787][2780][2776][2775][2774]: 住吉大社  琉球松 2007/03/01(Thu) 13:35 [Reply]
 大三元さん、どうもです。

 アイヌ語の「沈む・三」を、神奈備さんの猿田彦の話と合わせば「海面・海中・海底」という事になりそうですね。
 他に参考になる文献などあったらなおいいんですけど。。。

 ちなみに、琉球圏には「ニライソコ・ニルヤソコ」の古語が伝わっていて、やはり海底や地底に想定されているんですが、神女(ノロ・ツカサ)の説明では「海の遥か彼方」であるとされています。

[2787] Re[2780][2776][2775][2774]: 住吉大社  大三元 2007/03/01(Thu) 09:12 [Reply]
>  ところで、「表・中・底」ってどういう意味なんでしょうか? 距離感の表現ではないかと想像しているんですが。。。

アイヌ語で ren は「沈む」という意味と「三人」という意味があります。
周辺をもう少し肉付けできないものか、「思い」以上の「りくつ」が立たないものか、などと検討中です。

[2786] Re[2785]: 無題  琉球松 2007/03/01(Thu) 08:06 [Reply]
 倭亜布さん、これは面白いですね。どうもどうも。

 気〜使っていただいてありがとうございます。
 もうちょっと、僕なりに勉強してみますね。。。

[2785] 無題  倭亜布 2007/03/01(Thu) 05:28 [Reply]
表 中 底 (十二支・十支 その他)考
古代中国では、元日から八日の各日に鶏、狗、羊、猪、牛、馬、人、穀をそれぞれ占うという風習がありました。 六世紀ごろの中国中南部の荊楚地方の風俗を記した『荊楚歳時記』には、「正月七日を人日となす。 ...
http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/lessons/reihou/YearlyEvent/wakana/wakana.html

表(ヒョウ)・・・豹・・・・・狗神・・・・狛犬
      狗神【句】:長方形を対角に切ってできた三角形の直角をはさむ二辺のうちの短い辺。
      【猋】ヒョウ〔犬+犬+犬〕
ヒョウを雌の虎(トーラ・法・方?)
十二支いろは. 虎(寅)の巻 ... ゆ 虎耳 ユキノシタ 民間薬 め 雌の虎 江戸時代、ヒョウを雌の虎と考える者がいたという
http://www.tcct.zaq.ne.jp/nakajima/tora.html
狗神. 四国の緑深い山間の尾峰という村が舞台。 題名は「いぬがみ」と読みます。
http://homepage1.nifty.com/mt_hayashi/inugami.html
文字と測量の女神 豹の毛皮
セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮 ... セシャト <エジプト神話><神魔> 文字と測量の女神。 長い豹の毛皮と、7つの突起がある星と弓が上に乗った帯でできた頭飾りをつけた女性の姿で表される。 ...

中(チュウ)
丑(うし・チュウまたはニュウ) 物の結ぴ目、物事の要領という意味。 中国語でチュウの発音が牛の発音と似ていることからこの名前がついたと考えられる。 ... 《十二支の由来》 昔々の大昔のある年の暮れのこと、神様が動物たちにお触れを出したそうな。 ...
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8D%81%E4%BA%8C%E6%94%AF+%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A6&ei=UTF-8&fr=top&x=wrt
古代中国の陰陽五行思想は、六世紀頃には既に日本へ伝播していたと考えられており、その後の日本文化に大きな影響を及ぼしたことについては論を待たないところで、盤牛 ... またこの神が迹不生であることをもって盤牛大王と名付け、 ...
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index39.html

底(テイ)
丁 (テイ)(ひのと) 陰の火気
亥(イ)=いのしし。 ...
「丁亥」(ひのとい)です・・・・火 猪・・・・白丁(はくちょう)?
『古事記』の八十神に迫害されるオオクニヌシが、赤い猪を討ち取れといわれ火で焼いた大石をだかされて命を落とす説話などがその代表である。 猪と猟犬が石になったと伝える石宮神社にいってみた。 ... この猪石についてはすぐ近くの大字白石小字宍岩 ...
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/izumoisimiya.html
人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ) ... 取物舎人(とりものとねり)、白丁など従者が山城使の所用品を携えてゆく。
http://www.lint.ne.jp/~uematsu/aoimatsuri1.html

表=狗神=神(上)
中=盤牛(禹氏)
底=丁(鵜・白丁)=猪
以上から「表 中 底」には古代の測量士の階級とも考えられます。
青草でした。


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