青草掲示板ログ平二十年 一月 2008.1
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[3538] 天邑君  くず 2008/01/31(Thu) 16:56 [Reply]
日本書紀には五穀がもたらされた話に続いて「又因定天邑君。」とあります。
天邑君を“定める”。とあるので、天邑君とは固有の神名ではなく官職名かと思います。
少し気になったので調べてみましたところ実際に「邑君」を官位としていた記述が、
「三国志魏書-馬韓伝,[シ歳]伝」と「後漢書(弁辰伝)」 にありました。
 ([シ歳]は1字でワイ)

『三国志魏書-東夷伝-馬韓伝』 
[ 景初中(237−239)明帝が(朝鮮半島に楽浪郡と帯方郡を)定めた後、諸々の韓国の臣智に”邑君”の印綬を加賜・・・]とあります。
 ※臣智とは 韓(馬韓、辰韓、弁韓)の各クニ(村落)の首領の中で特に勢力の大きな大首領の自称。

同書中、[辰韓は古くは辰国である。]とし、[辰王は(韓50余国のうちの)月支国で統治する。]
とあって、その官名に魏率善[邑君、歸義侯、中郎將、都尉、伯長]がある。としています。
 ※同じ時代、卑弥呼が魏に使いとして送った難升米は「魏率善中郎將」の印綬を受けています。

また『後漢書』弁辰伝には  
「建武二十(44)年,韓人廉斯人の蘇馬ィらが楽浪郡に貢献し、光武帝(後漢初代皇帝)はこの蘇馬ィを”漢廉斯邑君”に封じ、楽郎郡に属させ、四季ごとに入朝させた」とあります。
この件を伝えると思われる一節が「三国志魏書」にもあります。
(成立は魏書の方が早い)
魏書で蘇馬ィと思われる人物は辰韓の右渠帥(副首領)であったサク[金齒]←1字。
 サクの子孫は建光4(124)年に(楽浪郡から)改めて官に任命されたとあるので、
辰国の首領が邑君の号を継承していたかもしれません。

「邑君を定む」という表現は漢か魏、あるいは楽郎郡、帯方郡の官僚から見た表現に聞こえます。

参考にさせて頂きました。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-mokuji.htm

出雲の日御碕神社、的射祭の縁起に「孝霊天皇六十一年月支国の彦波瓊王多数の軍船を率いて襲来す。」とあり、
http://www.web-sanin.co.jp/local/taisya/yuisyo-h.htm
月支国、彦波瓊(ヒコハニ?)王が史実かそれに近い伝承であったなら邑君の号を持っていたかも。

[3537] Re[3524][3520][3517]: サヨリ姫     くず 2008/01/31(Thu) 16:34 [Reply]

> 対馬の国魂神を天佐手依比売と云います。この島はおよそ五穀には関係のなさそうな島ですから、似て非なる神名なのでしょう。
> ただ、壱岐の神の天手長男神か手長比賣神が宗像の沖の島の神のルーツになったと思える記事があります。

先日貼らせてもらったお話、益田市の狭姫は比礼振山に降りる前に2つの島によってますが、
その島では「大山祗と手長土賊の使い(鷹)」が住む島で五穀の種なんかいらないといわれます。
その島は益田市近辺の島と伝わるようですが、狭姫が朝鮮半島から来たのなら、
2つの島とは対馬、壱岐島が原話であったかも^^
壱岐には原の辻遺跡があり、邪馬壱国以前から大きな勢力が存在していたようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/原の辻遺跡


> 佐手依姫(市杵嶋姫命)
>  ||――――――穂屋姫命
> 火明命(饒速日命) 
>
> はあり得る神話でしょうね。

先代旧事本紀や新撰姓氏録から見る系譜では、宗形氏、和邇氏、大神氏は極めて近い同族のようにみえます。
(物部氏、尾張氏、海部氏も)
新撰姓氏録
「大国主命の六世孫、吾田片隅命の後」に宗形朝臣、宗形君
「大国主命の六世孫、阿太賀田須命の後」に和仁古。
「先代旧事本紀 地祇本紀」では阿太賀田須命の弟、健飯賀田須命が大田々禰古命の父。   
阿太賀田須命、吾田片隅命のアタは隼人系の関連でしょうか。

[3536] Re[3535][3532]: 名草戸畔の掲示板ができました  mai nakahira [Url] 2008/01/31(Thu) 16:19 [Reply]
神奈備さま

ありがとうございます。
名草の掲示板への書き込みもありがとうございます。

>九州の肥前国杵島郡も紀国であったと見ています。

そうですよね、小野田さんの件など考えると、アリだと思います。

[3535] Re[3532]: 名草戸畔の掲示板ができました  神奈備 2008/01/30(Wed) 21:16 [Reply]
nakahiraさん こんばんは。

 名草戸畔掲示板の開設、おめでとうございます。ご発展を祈念いたします。

 最近、小生は武内宿禰の生誕の地などのことを考えていて、九州の肥前国杵島郡も紀国であったと見ています。肥前国の葛津郡の国造に紀直の祖の稚彦が任じられており、この稚彦は大名草彦命の子であり、九州にも根を下ろしているようです。神功皇后の渡韓の物見として磯鹿の海人の名草を派遣しており、九州にも名草と云う人がいたようです。大分経由で和歌山にやって来た小野田さんの先祖は九州の名草の子孫だったのかも。

[3534] 掲示板の「事務管理」    焼尻紋次郎 2008/01/30(Wed) 05:30 [Reply]
 神奈備の旦那、板をよごしたこと、深くおわびします。

 で、謹慎します。
 すこし言わせてもらうと、あちこちの掲示板が総崩れする中にあって、重要な処理基準は「管理者が気にくわぬ書き込みはただちに削除する権利を持っていること」を、参加者各員が諒解することでしょう。
 4年前も、「わるければ旦那が消すだろう」との安易なきもちでしたし、今回は消してくれるかどうかを見たい気持がつよかったです。
 この基準なくしては、せっかくの大衆メディアの I.T掲示板は衰退の一途をたどるは、火をみるよりも明らかだと思う。

 約 4ヶ月間、桜左近氏の再来を俟ちましたがが、空しいまま時が経ちました。
 作ってくれた二枚の板で桜左近氏を俟ちたいと、岸壁の母です。アレ、できたらもう少し使わせてください。

 善良なる管理者の義務……むずかしい紋です。

[3533] 琉球松さん、待ってました。    焼尻紋次郎 2008/01/30(Wed) 04:52 [Reply]
 琉球松さん、待ってました。
 小生の名もかんで、ここの板をすこし汚しましたので、ちょっと謹慎しようかと思っています。
 できたら『紋次郎・言語考古学』の板へご光来いただきたく、メンソーレ。
 ウンジュの素性(失礼!)は知れていますので、咎めだてはしません。ガハハ

[3532] 名草戸畔の掲示板ができました  mai nakahira [Url] 2008/01/30(Wed) 02:26 [Reply]
神奈備さま、みなさま、ご無沙汰しています。
「名草戸畔」の研究をしている、nakahiraです。

先日、名草戸畔の掲示板を設置いたしました。
まだ作ったばかりで閑古鳥が鳴いているので、よかったら皆さんいらしてください。

http://www.studiomog.ne.jp/
上記サイト内から、名草戸畔ブログに入れます。

http://nagusatobe.4.bbs.fc2.com/
こちらが掲示板です。

他の仕事もしながら、古代史の大まかな全体像も把握しなければいけないので大変ですが、名草の研究は進んでいます。

ではでは。

[3529] 下っ道  縄文の風 2008/01/30(Wed) 01:12 [Reply]
下っ道は、藤原宮から真北に南大門、平城宮。中っ道は、大官大寺、天香久山から真北に大安寺そして、(紫式部墓、椿井大塚山古墳)。上っ道は、今は山の辺の道

[3528] 下品、不愉快  縄文の風 2008/01/30(Wed) 00:41 [Reply]
上品、あるいは教養のある人は、XXとか00の伏字を使います。
この掲示板のルール了解した上で参加は当然のことです。
 私の歴史認識は、ヨウロッパがアメリカ、太平洋に侵出した時。
ヨウロッパ人が、全身を服で覆って、着てたのを見て、なんて、弱よわしい奴だ、病人か、赤ちゃん以外は裸の皮膚で耐えれてるのに、どうして全身をオオっているのか、かわいそうにと思ったそうです。
 又、南アメリカの最先端の毛皮い1枚の服だけで氷の家に生活してるのをみて驚き、暖かい服をプレゼントした、せいでシバラクたったら沢山の服を着込まないと耐えれなくなってしまいました。
 アメリカやオオストラリアの人に無理やり服を強制してきてる、歴史があります。
 かってのヨウロッパのギリシャでも真っ裸の肉体美は、誇るべきことでした。
さて、縄文人はどうだったでしょうか

[3527] 無題  琉球松 2008/01/29(Tue) 23:37 [Reply]
 神奈備さん、ありがとうございます。参考になりました。

[3526] 消去予定のお知らせ  神奈備 2008/01/29(Tue) 22:30 [Reply]
 各位のやりとりに口を挟まないようにと心がけてきましたが、最近の一連の書き込みにつきましては、見ているのも不愉快。多分、多くの皆さんも。
 出発点の[3427]のその部分以降の関連のやりとりを青草管理人の責任で消去する予定です。保存したい方は今の内に記録しておいて下さい。
 [3427]の部分は、常識的には公開型掲示板に書く台詞ではないですよ。
 
 紋次郎さん、貴殿には小生も辛抱強くなったもの。

[3525] Re[3523]: 無題  神奈備 2008/01/29(Tue) 22:26 [Reply]
琉球松さん こんばんは。

>  また、質問ですが。。。奈良盆地に「上つ道・中つ道・底つ道」とありますが、「上」を東とすると「底」は「西」と考えてもいいのでしょうか?

 底つ道との言い方はないようです。沖縄にはスクミチとして別に谷底でない道をも言うようですが、大和では下つ道と言うようです。
 「下」は西側の道です。

 海神三神は、中、下と底、上は表と表示するようです。住吉神の場合、上は岩や石、赤も同じ表示としています。東筒男などの表現もないようです。

[3524] Re[3520][3517]: サヨリ姫     神奈備 2008/01/29(Tue) 21:16 [Reply]
> 佐手依姫(市杵嶋姫命)

 対馬の国魂神を天佐手依比売と云います。この島はおよそ五穀には関係のなさそうな島ですから、似て非なる神名なのでしょう。
 ただ、壱岐の神の天手長男神か手長比賣神が宗像の沖の島の神のルーツになったと思える記事があります。

玄松子さん
http://www.genbu.net/data/iki/tanagao_title.htm から
 『宗像大菩薩御縁起』によると、神功皇后の三韓征伐に際して、宗大臣(ムナカタの神)が奮戦して武勲を輝かしたという。
その時、宗大臣は『御手長』を捧げ来り、これに武内宿禰の織り持てる赤白二流の旗を付けて、軍の前陣で『御手長』を振り下げ、振り上げして敵を翻弄し、最後にこの『御手長』を息御嶋(オキノシマ)に立てた。
この息御嶋は宗像の沖ノ島であり、そして『御手長』については、「異國征伐御旗杆也」とある。

 市杵嶋姫命の市は壱岐に通じるようで、対馬よりは親しみがあるのかも知れません。
 大三元さん
http://www.dai3gen.net/munakata.htm
上表のように、「市寸」嶋比売命を、発音そのまま、「壱岐」に比定するのは良しとさせてもらおう。この神の異名が「天之狭手依比売」という『古事記』の記事を付き合わせるとどうだろう。「狭依毘売命」と「天之狭手依比売」が同名なのか、似ているが異なる名義なのか、あるいはまた姉妹であるから名前も近いのであろうか。

 壱岐には物部縁の佐肆布都神社が二座、物部布都神社が鎮座。

佐手依姫(市杵嶋姫命)
 ||――――――穂屋姫命
火明命(饒速日命) 

はあり得る神話でしょうね。

[3523] 無題  琉球松 2008/01/29(Tue) 19:43 [Reply]
 神奈備さん、お久しぶりです。

 また、質問ですが。。。奈良盆地に「上つ道・中つ道・底つ道」とありますが、「上」を東とすると「底」は「西」と考えてもいいのでしょうか?

[3522] 「悪質」とは、売りことばへの報復?    焼尻紋次郎 2008/01/29(Tue) 18:51 [Reply]
> そんな悪質な営業をしてはいけませんね。サイトの質が落ちます。

外野席さん、あなたは、特殊な世界観・価値観をお持ちの方だと、直感しましたので、ここ神奈備でお騒がせしたくなかったので、小生の掲示板にお誘いしました。
 
 小生は株式会社の社長です。個人の用件で会社の電話は使いません。錦地からの距離と通話時間に応じて、 200円か 300円を、小生の懐から払い戻すつもりでいましたが、それも“悪質”とおっしゃるのでしょうか?

 自然な音声の会話は、発声者の 土着性、時期限定性、言語性などがこめられていますし、そのときのこころの在り方のニュアンスも込められ、文字通信よりもはるかに通じやすいのです。
 「では」ということで、こちらへいらっしゃってもいいですが、そのときは電車賃や、日当はお払いしませんアマカネ。

[3521] Re[3519]: 電話しなさいよ    外野席 2008/01/29(Tue) 18:22 [Reply]
そんな悪質な営業をしてはいけませんね。
サイトの質が落ちます。

[3520] Re[3517]: サヨリ姫     くず 2008/01/29(Tue) 16:18 [Reply]
記紀に出てくる福草(三枝)=サキクサ、サイグサ などはsait(吉兆)からかなと思いますね。
また神武天皇が大和での建国前に后とした比売多多良伊須気余理比売の家は狭井河の(川)上です。
吉兆と表現したかったのかも。

>やっぱクマルなんやな、と安堵してみたり。
益田市の狭姫は童女ですが、日本書紀で五穀(と桑)を預かるのは天の熊人(クマウシ)です。
五穀を献上された天照大神は喜び、そして天の邑君を定めたとあります。
天の邑君は五穀と桑を携えた伝播者(開拓者)でしょうか。

摂津か大和で作られた祭器(銅鐸、銅戈)と五穀の種、桑の苗を携えた”天の邑君”が、琵琶湖を越え、
若狭湾から海路で能登を越え、姫川か関川、信濃川を遡って善光寺平にも移り住んだ。
村長は司祭者であり開拓者。地方交易の拠点を担ったのでは。

今自分は科野と紀伊を日本海経由で結ぶ視点からなので、 大阪湾から近江(琵琶湖)、若狭は重要なポイントになります。
神奈備掲示板にも貼ったのですが、http://homepage2.nifty.com/amanokuni/sayohime.htm
ここに琵琶湖、竹生島弁財天の縁起「小夜比売草紙」からの話が書かれています。
この小夜姫は松浦長者の娘(奈良)で、龍女の人身御供として奥州白河の安達郡まで連れていかれますが、法華経の経典によって難を逃れるという同系の伝承です。
琵琶湖、竹生島の姫神は本地垂迹で市杵嶋姫命とされますが、彼女の別名は狭依(サヨリ)毘売命。
イツクは”斎く”でしょうから別名でサイが出てきてもいいかと思います。

この(宗像の)市杵嶋姫命は記紀では未婚だったと思いますが、丹後の籠神社に伝わる海部氏系図(勘注系図)では、火明命(別名饒速日命)の妻(の1人)とされています。穂屋姫命の母。
この勘注系図には五穀の種と桑についても語られていて、種は豐受大神から天道日女命(達)に託され、伊去奈子嶽に蒔かれます。

勘注系図ではこんな関係。

佐手依姫(市杵嶋姫命)    大屋津比賣命(熊野)
 ||――――――穂屋姫命    ||―――――高倉下
火明命(饒速日命)  ||――――天村雲命(天五十楯天香語山命)
 ||――――――天香語山命   ||―――――倭宿禰命
天道日女命          伊加里姫命(丹後)

五穀を預かり伝えるのが天道日女命。司祭のサヨ姫が佐手依姫。伝播者を天香語山命か天村雲とあてはめば、
ムラクモはムラクマ、か、ムラキミからの転化であったかも^^

益田市、狭姫の伝承は五十猛の樹木伝播神話にも似ています。
天村雲命、亦名 天五十楯天香語山命。はイタケに繋がるか?
http://kamnavi.jp/it/murakumo.htm


[3519] 電話しなさいよ    焼尻紋次郎 2008/01/29(Tue) 15:50 [Reply]
 外野席さん、文字の通信では不完全なことが多い。

 アタマは 0120 です。お待ちしてますよ。

[3518] Re[3513][3511][3509][3508][3507]: 無題  外野席 2008/01/29(Tue) 13:55 [Reply]
ひとをバカにするのもいい加減にしてくださいよ。質問をわざと取り違えてからかうのは面白いですか?
私は「大半の人は不快に思うだろう」といっているので、縄文の嵐さんが不快に思うかどうかはここでは別の問題。いろいろな人がいるけれども「大半の人(普通の神経の持ち主)」は不快に思うだろう←これを否定するのは「大半の人は不快とは思わないだろう」ですよ。ですから「残念ながら、私はそう思いません。私は出来得るならば死ぬ寸前までチンポ立てていたい、そう願っています。」という回答はおかしいでしょう。からかうくらいならレスしなくていいですよ。

[3517] サヨリ姫 さいとり舞い    焼尻紋次郎 2008/01/29(Tue) 07:11 [Reply]
 下[3514] で書きもらしたことですが、サヨリ姫は「sait ori- 」と看るが正鵠をえているかと思います。すなわち 「sait が降りてくる(憑依)」です。「糸・撚る」ともなりますが、なにか特別な宗教行事がからんでいないことには「糸・撚る」にはならぬでしょう。
 
 上は原音の sait が sai となって定着したあと、これに or- が付着した語形ですが、 sait にそのまま or- が付着して連音をおこしたのが「さいとり舞い」ではないか……。

この「オリ」に朝鮮語をあて嵌めると、降りてこないで“昇って”しまう、ガハハ

 松島・瑞厳寺のサイタロ(節)は、すなおに「太郎(若い男)」なんだろうか、朝鮮語の tal(月)がこめられていたのではないかと、自責の念をこめて、フラついてま。 月そのものに chuk(吉兆)があるからです。
 しかし「エンヤ・トット」と、ここに *dod(おっぱい)があるので、やっぱクマルなんやな、と安堵してみたり。

 自責の念っちゅうのワッカルかな?
 朝鮮語究明はオレの人生の最後にやろうとしたことです。こういう態度は、言語現象、その取り組み順の選択を、「個人所有視」したとなるのです。
 ここまでやってきたオトコには、当然にも朝鮮語をあたってみる義務があった!

 外野席さん、ハナシは後まわし、すぐにタジク語その他その周辺をあたりなせぇ。それが尊台に課せられた責務ばい。

[3515]  おらは アナシ 炭坑ン子   焼尻紋次郎 2008/01/28(Mon) 14:43 [Reply]
 風さん、そりゃあちがうぞナもし。一本足じゃにゃあ。
 オレは足無し(アナシ)じゃがね。ばってん、ケツで息する突貫隊員ぞな。

 穴師の子でもあった。
 敗戦のあと、炭鉱夫たちが、オレんちに集ってヤミ酒のんだ。ある日、酔った若い炭鉱夫が「おまえのオヤジはアナクリニズムや」というた。

[3515]  おらは アナシ 炭坑ン子   焼尻紋次郎 2008/01/28(Mon) 14:43 [Reply]
 風さん、そりゃあちがうぞナもし。一本足じゃにゃあ。
 オレは足無し(アナシ)じゃがね。ばってん、ケツで息する突貫隊員ぞな。

 穴師の子でもあった。
 敗戦のあと、炭鉱夫たちが、オレんちに集ってヤミ酒のんだ。ある日、酔った若い炭鉱夫が「おまえのオヤジはアナクリニズムや」というた。

[3514] sait(吉兆)iyo(弥々)・姫    焼尻紋次郎 2008/01/28(Mon) 14:07 [Reply]
 なぬなぬ、sait(吉兆) o(神) じゃと?
 sa は糸でもありますのれ「糸お(り)」ちゃんやろか?

> カンミソを織るハタオリ姫 
  カンミソとはどういう内意ですか? 
  カンとは神かな? mitho(おいしい、味がいい)?? / てまえミソ。

 sait は日本語化したときは「サイ」になるかと思います。ロ内音として t が残っているので、 jamat-ai(邪馬台)のように、ナニカのよきには t が生き返ってきて連音(リエゾン)します。

 うちのおへまは さしづめ sait-ama ね。あしたがたんじゃうびアマカネ。

[3513] Re[3511][3509][3508][3507]: 無題  縄文の風 2008/01/28(Mon) 13:56 [Reply]
>縄文の嵐さんは「大半の人」なんですか?
 この、とらえかたが異なります。
私は私です。大半でも少数派でもありません。たとえ100人のうち99人と意見が異なっても私は私です。世界人権宣言はそれを知らせようとしてます。
 縄文人や先住民族は個人意識より、みんなで一緒、生き物も自然も一緒。人間は大自然の子供と思っていたのではないでしょうか。
 個人中心が不幸の始まりです。
アイヌの人たちはすばらしい。
 1991年建設省に二風谷ダムを先祖の聖地につくるなら、湖底で人柱となってご先祖に申し開きせねばならない。と抗議に行った貝澤エカシはすばらしい。
そのアイヌのことばを勉強されてる、あなたは倖せ者。語だけでなく、アイヌの人たちの心も学んでいってほしい。21世紀はあなた方のもの。おおいに期待してますよ。私や  さんは一本足のかかし。20世紀のつけをーーーー

[3512]  オレ、天津甘栗屋でござんす    焼尻紋次郎 2008/01/28(Mon) 13:49 [Reply]
 外野席 さん御こころに風波たたせたは、ごめんなさい。
 袖ふれあったは他生の縁、小生は甘栗を営業として厚かっています。「食うよ一級栗(フリーダイヤル ; 栗はアイヌ語でどうぞ)」へ電話してみてください。
 「いうに言えない事情」の半分ぐらいは喋れると思いますよ。
 
 こんな手間かけるよか、なんでオレの人格をそこまで信用できないのかナ?
 その御殻を突き破ったほうが「aka 」を知るよか稔りは絶大やとおもうヨ。

[3511] Re[3509][3508][3507]: 無題  外野席 2008/01/28(Mon) 12:13 [Reply]
私は焼尻さんに異議を申し立てたつもりなのに、縄文の嵐さんからレスがつき、ご本人はシカトでまた別の書き込みをなさっているのは不思議なことですね。しかし、もういいですよ。やめにします。

> >『でもな、男ならチンポ立ててかぶりついて来いヨ。』を大半の人は「暴言」と感じると私は思います。
>  残念ながら、私はそう思いません。私は出来得るならば死ぬ寸前までチンポ立てていたい、そう願っています。男性器と医学用語で言おうが、日常、私が話す時使っていますので他の言葉に代える気はありません。

理解できませんが、縄文の嵐さんは「大半の人」なんですか?
>
> >クレームをつけてはいけませんか?
>  どうぞつければ良いのでは。ただ、クレイムをつけることの参加より、あなたの質問、ご意見の方がおもろいと思います。老婆心ながら、半分、片足を   に突っこんでるお方など相手にせず、あなた様の若い新鮮なご意見を楽しみに期待してます。

これはわかりました。私の守備範囲はアイヌ語だけなので、おかしな書き込みについ反応してしまい、お騒がせしました。

[3510] カタツムリのコウ合    焼尻紋次郎 2008/01/27(Sun) 12:36 [Reply]
 知りすぎちゃったのネ。コウという字が見当たりません。女へんに溝の右がわを書く。ほんとうはベッチョとかメメコという表現を使いたかった。
 
 カタツムリは男の機能も女の機能も一つの身に備えている。これが月夜の晩にひっそりと二匹でコウ合する。細長い管を伸ばしあって、じぶんの内容物を相手に渡し、相手かの内容物をこっちにもらう。中には吸い取られすぎて死んでしまうのもいる。
 こいつら、どういうことをやってんのかといえば、すこしでも環境変化に対処できる体質の涵養ということらしい。

 本来、異質言語観の持ち主は、じぶんにとって素晴らしい発展を約束するものなんだが、自我のカベに固執したらヘンなことになる。
 
 なにかを感じたら「いうに言えない理由があるらしい」を感じてほしい。

[3509] Re[3508][3507]: 無題  縄文の風 2008/01/26(Sat) 22:20 [Reply]
> 縄文の嵐さま
> 私が不快に感じたことはわかっていただけたようで幸いです。
それはあなたが感じたことですから、他人が違うともなんとも言い様がありません。 それと同じことですが、私は不快に感じない、そういう人もいると云うこともご理解下さい。
>『でもな、男ならチンポ立ててかぶりついて来いヨ。』を大半の人は「暴言」と感じると私は思います。
 残念ながら、私はそう思いません。私は出来得るならば死ぬ寸前までチンポ立てていたい、そう願っています。男性器と医学用語で言おうが、日常、私が話す時使っていますので他の言葉に代える気はありません。

>クレームをつけてはいけませんか?
 どうぞつければ良いのでは。ただ、クレイムをつけることの参加より、あなたの質問、ご意見の方がおもろいと思います。老婆心ながら、半分、片足を   に突っこんでるお方など相手にせず、あなた様の若い新鮮なご意見を楽しみに期待してます。

[3508] Re[3507]: 無題  外野席 2008/01/26(Sat) 21:22 [Reply]
縄文の嵐さま
私が不快に感じたことはわかっていただけたようで幸いです。
確かに金銭的な不利益や損害を蒙ってはいませんがね。
それから「暴言」かどうかは受け取る人による、といっても、純粋な質問に対しての回答『でもな、男ならチンポ立ててかぶりついて来いヨ。』を大半の人は「暴言」と感じると私は思います。多くの人が暴言と感じる(だろう)表現でネットに書き込まれたことにクレームをつけてはいけませんか?

[3507] 無題  縄文の風 2008/01/26(Sat) 18:21 [Reply]
外野さま
あなた様は、なにか不利益なり、損害を受けられたのでしょうか。不快に感じられた事はわかりましたが、暴言かどうかも受け取る人によって様々だと言うこと、わかりますか。
 言語については、専門の掲示板があるので、私のkami
については、そちらに移ります

[3506] Re[3505]: 人類初期のことば    外野席 2008/01/26(Sat) 15:12 [Reply]
>  あ、ここの板では、すでにお二人さんへ、言語のことに関しては(Eメール交信前ゆえに)コメントをおことわりした経緯があります。できたら、あっちの板でアマカネ。ことことばに関しての会話は、とにかくカドがたち易いんです。

先日私のアイヌ語の単純な質問に対し『まだまだ、言うこたぁ、イッパイあるが、長くなる。』『でもな、男ならチンポ立ててかぶりついて来いヨ。』などと暴言を吐かれました。なるほど、これが焼尻さんのいう「異質言語観の排除」ですかね?
その上これからは、コメント付けも拒否するのでは、この掲示板に相応しくないと思いますよ。ご自分の掲示板で思い通りにやったら如何ですか?
話題は自由といっても、他人の発言を制限したり不快感を与えるような言動は慎むべきでしょう。

[3505] 人類初期のことば    焼尻紋次郎 2008/01/26(Sat) 14:33 [Reply]
 人類という概念をどこへんで限定づけるか……ですが、カトリックも進化論をみとめたこんにち、やっぱ、初期のことばはお去るさんがやってるような、咆哮語を始発にもってくるべきか。
 そのあとが擬音擬態語で、鳥の鳴きまねの chir など、世界中にあります。

 あ、ここの板では、すでにお二人さんへ、言語のことに関しては(Eメール交信前ゆえに)コメントをおことわりした経緯があります。できたら、あっちの板でアマカネ。ことことばに関しての会話は、とにかくカドがたち易いんです。

[3504] Re[3501]: ハングルの嵐 5  『へ』の活躍     縄文の風 2008/01/26(Sat) 12:29 [Reply]
<「同音衝突」は可能なかぎり避けねばなりません。守、髪、紙、神などは本来あっては困る現象です。そこへ屁と同音衝突をみせる朝鮮語発 he は「平群」までは可能だった。
>
kamiと言う発音を聞いて、似てる、同じく通じるものがあったと、私には思われるんですが。目の前で直接、会話ですので、同音でも区別できたのでは。

[3503] また そろそろ 同じ書き込みの時期か   焼尻紋次郎 2008/01/26(Sat) 07:42 [Reply]
 ある種のあたらしい領域を習得するとき、先生や先輩は「それを自分の血となり肉となるように」との表現で、マスターするように奨めます。
 オレ、この「血となり肉となる」意識のとりこみとは、どういうメカになっているのかを知ることを欣求してるのですが、そこを理路整然と割りだせずに難航してま。
 自分ではない異物を認知し、攻撃・排泄させる白血球のなかの A細胞 T細胞 のはたらきと、まったく同質の作用が「言語観のちがい」にみられるのです。
 言語はそれほどまでに、われわれの最も深いところに滲み込み、個々の自我を形成しています。
 
 異質言語観をじぶんの身のまわりから追い出そうとする情動は、多少とも言語を考えた人物であるかどうかを問いません。主体の違いさえあれば、そのメカが機動します。
 異質言語大系が次から次に押寄せてきた日本では、この傾向は特別にヒドかったのかもしれません。とにかく日本では語源を考えようとする向学心は新芽が出るたびに摘み取られたために“開発ゼロ”の状態がつづき、こんにちを迎えています。
 この点に関してのヨ−ロッパでのうごきについて、微細な面にわたっての追求が俟たれるところですが、1865年に設立なったパリ言語協会は「もう、言語の起源や共通言語開発に関する議論はテーマとしない(とりあげない)」と宣言しました。
 おなじ D.N.A.様を奉戴している同じ人類ですので、ヨ−ロッパでも、激越な足のひっぱり合いや罵詈雑言が飛び交ったからでの、この宣言ではないでしょうか。

 われわれはまちがいなく、単細胞生物このかたの多くのクセをひっぱって来ています。その単細胞生物のクセが異質言語観へ反発していることは、まちがいの無いところでしょうが、そこをイマイチ、その底メカ把握を欣求する紋です。

[3502] 「噛む」はへびが咬む   焼尻紋次郎 2008/01/25(Fri) 07:17 [Reply]
 風しゃん、きのふは「噛む」を倭蛋民固有としましたが、訂正します。
 「噛む」は族際語 *peam(へび)に関連の手を持っています。日本語にはハモとかハブになって露出してま。
 この peam はイソップのイと同じ母音で ∂ と e をくっつけた記号です。日本語には *pam として入ってきたわけです。

 源為トモ(文字……?)が伊豆を離れるにあたって詠んだと伝承されている歌があります。

 √ われなくも 行く末まもれ あした草(アシタバ) ハモするひとの あらむかぎりは

 アシタバが自生している伊豆は、飢饉には関係ないのです。
 このウタ、あんがいほんとうのことだったもかもしれません。ハモ=食う。

[3501] ハングルの嵐 5  『へ』の活躍     焼尻紋次郎 2008/01/25(Fri) 06:54 [Reply]
下[3499]はカーソル針が乱れ飛んだため、旦那のお手数を煩わせました。
 以下はよその書き込み板を拝借して text 作りました。ニグラッ

  オレ、朝鮮語は人生の最後になって取組もうと思っていたんです。
 で、これまで朝鮮語を観ないままに神名などを解釈する等の暴挙を冒したものと、反省しきりです。

 朝鮮語の音転のうち「i=u」の通音を当てはめれば、これまでどうしても解けなかったサンカが持つナイフの「ウメガイ」はi-meg-ai と置けます。meg は霞みとかモヤの謂いであちこちの言語に用いられていますが、雷雲とある以上は金属精錬の原点を指ししめしています。うまく表現できませんが、「カミナリ様をこっちのものにした」 ai(匕首<金属)との意味を湧出させています。
 そして、ここに「ムラクモの剣」解釈にも大きな脇資料を提供してることかと思います。すなわち、これは当時としては希有な鉄剣であって、刃に波うち(雲)が見られたことを謂っているのでは??

 小生が子供だった毎日、南に「馬見山、古処(コショ)山、塀(へい)」の三つの嶺からなる連山を見ていました。このうち馬見山は「馬神」でしょう、奈良にも飛び火してま。コショ山は kush-o(くに神) かもしれませんが、ここでは言明をさけます。
 塀(ヘイ)山は、朝鮮語の hai(太陽) 以外のなにものでもないはずです。
  hai としましたが、ここの a は、イソップのイで∂と e をくっつけた発音記号です。ですから hai の発音は「ヒャイ」と書くことも許されることでしょう。 ha は「ヒャ」です。これが日本語の「日」に対応してることは論を俟ちません。
 現代の朝鮮語の太陽は ha (同じく発音はヒャ)ですが、中期朝鮮語は hai の語形まで辿れるそうです。
 日本語は拗音も嫌いました。ヒャという発音は許さないのです、で、ヒャ は「ヘ」か、「ヒ」となって落ちつくわけです。
 いっぽう「同音衝突」は可能なかぎり避けねばなりません。守、髪、紙、神などは本来あっては困る現象です。そこへ屁と同音衝突をみせる朝鮮語発 he は「平群」までは可能だった。

 しかし、東北一般は大衆が屁をヘと言っていることとは、まったく関係ないものとして処理できた。なぜなら、箱根以東か白河以北かは知らないが、東北は朝鮮語のくにだったから。mut(朝鮮語 ; 陸地)のくに。
 広大な岩手の閉伊郡……これでハッキリしたではア〜〜りませんか。

 あ、小生の血は豊後の山奥が native 。小生には多くの新羅の血が入っていますアマカネ。

[3500] Re[3497][3493][3491][3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題  縄文の風 2008/01/25(Fri) 00:10 [Reply]
このサイトをみてください。ギリシャ云々この中からです。
> > > 参考サイト:歳差による北極星の移動
> > > http://star.gs/html/saisa.htm
> >
> > このサイトにあるとうり、ギリシャで歳差を観測により発見されて、今日までの移動角が10度くらいです。
> >  私、小山が認めうるのは、今のところ、この時までです。それ以前については仮説としては一番、有力であるけれども?です。
このサイト内の地球図の地軸のぶれ、歳差の角度> >  23・5度です。
ただこの一周は全周は観測されてるわけではありません。
 23・5度の傾きでの移動は、このサイトに出てくる、紀元前2世紀から今日までの間を小山は今のところ認める、という主張です。その期間に移動したのを、同じ図で言うと、およそ10度くらいと表現したのです。
 このサイトにギリシャも23・5度も載ってますけど。
ああ、疲れる。文字打つのに30分かかった。またあした

[3499] ハングルの嵐 4  『へ』の活躍    焼尻紋次郎 2008/01/24(Thu) 19:04 [Reply]
 ここ 4〜 5日、おれ、全体を見渡してんです。これが掴めそうでなかなか掴めない。
 “厖漠”という表現があったか。いずれにしても、簡単なことばで表現できる領域ではない。

 神奈備の旦那、神名の一個々々の意味はわかるまい。だけど厳然としてそれがある。オレ、実にいい掲示板にめぐり遭ったと思っているヨ。
 ここで、ウマくテコ入れできたら、ヒックリ返しが可能なんだが、時間がタラン

 「イ・ウの通音」をやってみようか。これはごく、ホンの一部だと思うヨ。
 「チビ は ツブ」。太刀は、なんと dhatu(金属)までの遡形をみせる。
 イヤァ〜、ほんとすげぇよ。「オイタ」は「オウタ」に化けるし、しかも関連の靱帯の腕をひろげている。

[3498] Re[3493][3491][3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題  玄松子 2008/01/24(Thu) 10:39 [Reply]

> このサイトにあるとうり、ギリシャで歳差を観測により発見されて、今日までの移動角が10度くらいです。


最初の問題提起は、くずさんによる「今から1万3千年前の縄文時代にはこの角度が逆に傾いている事になるので北半球では冬が夏で、夏が冬」という疑問でした。
それに対して、縄文の風さんは「歳差の角度は数度と小さく、地軸の傾き23,4度と関係ありません」とお答えになった。

それが突然「ギリシャで歳差を観測により発見されて、今日まで」という条件が出てきましたね。不思議です。

[3497] Re[3493][3491][3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題  玄松子 2008/01/24(Thu) 10:29 [Reply]
>
> > なにが「10度くらいまで」なのでしょうか。
> >
> > 参考サイト:歳差による北極星の移動
> > http://star.gs/html/saisa.htm
>
> このサイトにあるとうり、ギリシャで歳差を観測により発見されて、今日までの移動角が10度くらいです。
>  私、小山が認めうるのは、今のところ、この時までです。それ以前については仮説としては一番、有力であるけれども?です。
>  すなわち、23・5度移動は観測されてるわけではありません。

「23.5度移動」するというのは、どこから出た仮設ですか?
上記サイトにも見られませんが。

地軸が23.5度傾いているというのは、観測された事実です。
移動するのは、この傾きの方向です。
周期が長いので「計算上」という条件が付きますが。

以前のすり鉢の例でいえば、スリコギが23.5度傾いているのは現在でも観測できます。
スリコギを回転(移動)させる速度が、計算上、1年で、0.014度(約50秒)ということです。

[3496] 無題  焼尻紋次郎 2008/01/24(Thu) 07:12 [Reply]
 あっしノ個人的偏見かとも惟いやすが、いろいろと他言語と比較してゆけば……

> 私は神、紙、髪、上、守、噛み、は似てる、同じひと固まりと思う
 神にはいろんな概念が付着していますので、一概にはいえません。
 紙は書簡の簡、竹かぶってるように、竹に文字書いてたから。
 髪……かしらの sir も頭、同概念並列による造語で、ka も頭。+ミ(身)か。
 守は仕事人。カミアリ月。 / 薩摩のカミ只乗り。
噛むは日本固有(おそらくは、江南にいた蛋民語)としかいいようがない。

 みぃんな、被覆クラスターを持っている。

 おら、気が短けぇもんで、魚がいるポイントまで歩いて行って、最初の一投で勝負をつける渓流釣りのほうでした。言語比較なんざは、気の長げえご仁にゃできねぇ相談じゃと惟ふヨ。

 こんな作業を遊びとみたかね。ここに書いていいかどうかは、神奈備旦那に訊いてごらん。削除されてないところをみると、いいんじゃないかナァ。
 きのふ書いたように、これでも庶民文化になう戦士やと自負してま。死んだあと靖国神社に祀られるは maphi ra ごめんじゃけんど。

[3495] 同音語  縄文の風 2008/01/24(Thu) 01:56 [Reply]
私は、言語学には首をつっこみたくないのですが、同音語と言うのですか、神、紙、髪、上、守、噛み、は似てる、同じひと固まりと思うのですが、そうなんですか?語源が一緒なんですか。教えてください。
 この掲示板では、言葉あそびしても良いのですか?土ぐも族の持つ武器は槌だった。彼らを制圧した連中はつるぎ剣を使った、三種の神器にして権力、のしるしとした。剣力

[3494] Re[3492]: √ 水は天から 貰い水 ・♪    縄文の風 2008/01/24(Thu) 01:25 [Reply]
>すなわち「湧き水」がある場所が島。
では水のない島は何と言ってたのでしょうか。
>  大槌小槌の名がつけられた頃の鎚は、あのようにとんがっていたんじゃなぁ。やっぱ、金属を打ってたんやろか。
 たけみか槌の神、いかずち、  槌とか矛は剣とか刀のように切る武器より、叩き壊すほうが破壊力が強くて、槌が一番の武器ではなかったかと思います。実用武器としての槌はとがっていたのでしょう、
>  鎚の語源 ; <ネパール語 tutuau-(壊す)。原形 *tut + i(もの)。

[3493] Re[3491][3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題  縄文の風 2008/01/24(Thu) 00:49 [Reply]

> なにが「10度くらいまで」なのでしょうか。
>
> 参考サイト:歳差による北極星の移動
> http://star.gs/html/saisa.htm

このサイトにあるとうり、ギリシャで歳差を観測により発見されて、今日までの移動角が10度くらいです。
 私、小山が認めうるのは、今のところ、この時までです。それ以前については仮説としては一番、有力であるけれども?です。
 すなわち、23・5度移動は観測されてるわけではありません。ピラミッドとかストンヘイジとかまで、さかのぼれるのでは、?
 他の要素もあるので、小山は保留です。

[3492] √ 水は天から 貰い水 ・♪    焼尻紋次郎 2008/01/23(Wed) 15:47 [Reply]
 縄文の風さん、大ツチ・小ツチのこと、たいへんアガ。
 アガ と置いてテンカンぶっ叩けば「有り難うございます」と、こう出る。こんなのをボウレェことパソコンに言うて聞かせておいたら、キー打ちは速くなりま。

 風さんにゃまだだったか、日本列島の周囲には約 400の大島がある。sima とは *sim の開音(母音づけ)化した語形。すなわち「湧き水」がある場所が島。
 ou とはタジク語に露頭を持つ水。現代タジク語では oB と書く(この表記もモンダイあり)が、母音の次の B は W のように発音するので「オウ」となる。
 蒙古には obo という土を盛った斎場がありますが、これタジク語系の「水神」ならむ。天に水をおねだりする場所。
 大阪でも「おぶう飲んでけや」というように、タジク語系の水はオブとオウになっている。しかし、「落ち合い」などは「 o(水)chi(道)合い」なので、o と短縮されることも古い歴史を露呈してま。

 すべての大島に湧き水があるかどうか、湧き水のない大島があるかどうか、調べるにはぼっこうヒマじゃねぇとおえんのう。

 大槌小土の名がつけられた頃の鎚は、あのようにとんがっていたんじゃなぁ。やっぱ、金属を打ってたんやろか。

 鎚の語源 ; <ネパール語 tutuau-(壊す)。原形 *tut + i(もの)。

 下の方「タケノウチノスクネ」で「ノウチ」の部分が抜けてました。
★ nouc はベトナム語で国、形容詞後置形なのでタケノウチは国軍になる。
★ no を助詞とみると、ウチは中央。
★   ”    ”  u(大)chi(刀)
★   ”    ”  ”   chi(霊)

 決定的でないものは、ムリしてこじつけないで放っておく。と、そのうち「コレッキャない!!」に恵まれる。

[3491] Re[3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題  玄松子 2008/01/23(Wed) 13:41 [Reply]
> 歳差の影響を地球から見る限り相対的に変わるのは恒星という☆の位置です。地球の自転の中心軸のさす北極星がかわります。でも10度ぐらいまでです。

歳差によって約24度の地軸の傾きが逆になると思うんですが、
なにが「10度くらいまで」なのでしょうか。

参考サイト:歳差による北極星の移動
http://star.gs/html/saisa.htm

これまでの歳差の話題は、この「傾きが逆になる」ことが重要でした。
傾きが逆になると、季節が逆になるからです。
これは、赤道だろうと北極だろうと同じこと。

で、「傾きが逆になる」その移動は円運動。
たとえば、すり鉢でゴマをすっているような運動です。
右に傾いていたスリコギを、半円まわして左へ移動し、さらに半円まわして元に戻す運動。この一回転(360度)に約25800年。
1年で、0.014度(約50秒)回転します。

で、なにが「10度くらいまで」なのでしょうか。

[3490] 上州無宿の紋次郎    焼尻紋次郎 2008/01/23(Wed) 06:45 [Reply]
かたばみさん、板上の垂訓有り難うございます。よごれには「こっちの水がア〜マイ」んです。
単純脳細胞は「要するに、諸現象の傾向をどう捕らえるのか」の方法論かと受けとりました。
 先々、「間違っていた」と結果することを怖れてたんじゃ、なぁ〜んも始まらぬと思います。それを恐れない書き手は、いうなれば戦士です。オレも言語をめぐっての分野で、その戦士になろうかとケッケムクリ(豊後弁)です。

 くずさん、望月と月読みの関係はご諒解ですよね。身延町では望月姓がいちばん多いそうです。


 竹内スクネは個人の固有名詞ではなく、いまでいえば陸軍大将みたいな階級名ではなかったでしょうか?
 タケは「進入・攻撃」で、英語でいえば「タックル」に露頭してるかと。
 スクネの「ネ」は指導者。

 スクに宿の字をあてていますが、この文字を分析すれば家の中に人が百人いることを表意してます。この宿はシナでの軍隊用語では? 
 鼠宿は先日でたばかり。
 上州無宿といえば寝る場所を持たぬヤクザ者ですが、それは“宿”の内意が変化したからによるものと思います。

[3489] 九頭鳥  くず 2008/01/23(Wed) 02:10 [Reply]
神奈備掲示板平成14年1月 [2361] 中国民話集 にて玄松子さんが言われていますが、
甲賀三郎と酷似する民話が中国にあるようです。

その民話集は読めていないのですが、似た話をネットで拾いました。
http://homepage1.nifty.com/kotobatokatachi/sub509.htm
この中のNo435「九頭鳥」というお話です。

遼寧巻撫順市とあるので、遼東半島から近い北方の都市。
またこのお話の始めにある洪水神話に酷似する民話が韓国にもあるようです。

九頭鳥(チュウ・トウ・ニャオ)とは長江中流域の湖北人を指す言葉でもあるようで、
このお話の元はどこにあるのかと興味を持っております。

少し前に書いた秋田の八郎太郎の民話でも、洪水の知らせを老夫婦に伝える箇所。
八郎太郎が十和田湖の所有を争う南祖坊が九頭の竜に変化すなど、似た場面がありますね。


[3488] 望月の夜  くず 2008/01/23(Wed) 01:33 [Reply]
今宵の満月にちなんで。

敢国神社と諏訪を繋げるお話に"甲賀三郎"があり、この物語を伝承していた一族に望月氏が上げられます。
望月氏は諏訪の東北、佐久市望月(旧望月町)が出自としますが、紀国造族を遠祖とする信濃滋野氏の分かれという説と望月の牧を管理していた大伴氏系であるとする説があるようで、後に甲賀地方にも豪族(忍者!)として勢力を持ちました。

この旧望月町には大伴神社があって、大伴氏の祖である天忍日命、また紀氏の祖の天道根命、それに望月の名が示す通りの月読命があわせて祭られているそうです。

敢国、そして月読み繋がりなのですが、
日本書紀、顕宗天皇、三年の条に、阿閉臣事代が任那に遣わされる途中(壱岐で)月読命の神託を受け、これによって山城国葛野郡(歌荒樔田)に月読命が奉られます。
敢国神社は阿閉氏が祭ったと考えられ、先祖の大彦命が御祭神。
大伴氏の祖、天忍日命を祭る神社は少ないそうですが、壱岐島に矢保佐神社。甲賀にも油日神社(ユヒ)と、ここでも地域の結びつきを感じます。

また顕宗天皇の同じ年、紀生磐宿裲が任那から高麗へ行き通い三韓の王になろうと謀るとあって、阿閉氏(安倍)、大伴氏、紀氏は何かと縁があるようです^^

[3487] Re[3484][3482][3481][3480][3471]: 無題  縄文の風 2008/01/23(Wed) 00:07 [Reply]
歳差の影響を地球から見る限り相対的に変わるのは恒星という☆の位置です。地球の自転の中心軸のさす北極星がかわります。でも10度ぐらいまでです。
 それより、磁石のさす磁極の移動の方が大きいですし、何回も反転したようです。
 

[3486] Re[3478]: 大槌 ・ 小槌     縄文の風 2008/01/22(Tue) 23:43 [Reply]
>  縄文の風さん、応答アガ。わしがいいてぁのは火山でもないのに、清水ふくみの岩や泥が海の底がら盛り上がってくるような現象ですらぁ。<
 噴火しない場合かな?

 瀬戸内に浮く大槌、小槌の島には飲み水は有りませんでした。学生時代、生物学実習で上陸し、生物採集しましたが水の無い無人島。

>  茂在寅男氏 83かな

[3485] ハングルの嵐 3 混血言語の文化力    焼尻紋次郎 2008/01/22(Tue) 11:18 [Reply]
 たいへんなことになりました。
 きのふ、t∫a∫m を書いたは時間つなぎなんです。

★ ハンギルはハングル…… 「イ・ウ の通音」。
★ 「清音=濁音」

★ そればかりではない。曖昧な中央アジア(?)の特殊な「イ・ウ」があった。
★ また、「キ・チ 交い音転」もある。沖縄にもある。
★ しかも、前々から感じていたのだが、「 o = i 」の通音がある。
★ u は o にも似ている。アイヌ語など、それが顕著。
★ 鼻音も入ってきていただろうが、それはどう文字化されたか。

 これらのほかにも、まだあるのかもしれない。「濁音=清音」ならば、m = b だろうし、n = g , j 。

 われわれは数万年間、インド〜オセアニアに広がっているきれいな母音の「アイウエオ」に馴れ親しんできて、それを根にした上で、朝鮮半島から南下した異質言語である高文化を受容れたのだ。
 日本人が欧米人と比較して、アイディア発想力に乏しいのは、言語(それは限定作用!)でのリンクネットが各所で切れている事実を、まだ総体化できていないことに起因していると思える。

 すこし解説が必要だろうか。西洋では聖書などが「構文」となって、意識総体を結びつけていたのだった。それが、斯くほどまでに大陸の異質言語をうけ容れたので、意識の各所につよい連結がまだ出来ていないのだ。
 しかも“神”たるや、教条〜スタンスみたいなこと(ば)は、一切しゃべらない。

 だが、そのような矛盾層を貫いて日本はガタガタになりながらも、ここまで生き抜いててきたのだった。
 いま、西洋文明の「せっちん詰め」状況をまのあたりにしているとき、そこから世界丸抱えで脱却する方法を得る資格者は混血文化の日本しかないことをつよく感じる。

 西洋のせっちん詰めを極めつけたは、西洋語にかぎった言語比較をやったソシュールにあった。いま流行りの構造論あたりも「脱歴史」の路線をたどっている。
 このことと、価値観をきわめてゆけば、前途洋々の広がりが俟っているものと確信する。

[3484] Re[3482][3481][3480][3471]: 無題  くず 2008/01/21(Mon) 19:31 [Reply]
玄松子さん、言葉を選びなおします。

太陽と地球と言う相対関係において、春分点とは固定点であり動きません。
地球からの視点で"春分点が移動する"とした表現が間違いでした。

歳差の影響を地球から見る限り相対的に動くのは恒星という事です。


> 単純に、
> 地軸の傾きが一周する(360度移動する)のに25800年。
> 1年では約50秒傾きが移動する。
> そして、暦ではこの50秒分の誤差が補正されているので、
> 日本の1月1日は、いつも冬なんじゃないですか。

と、言えばよかったです^^

[3483]  飛んで行って 拳骨を地球にしてハナシなよ  焼尻紋次郎 2008/01/21(Mon) 18:58 [Reply]
 玄さん、ハタから聞いてると、数字・オンチもあるが、よくはワカラン。
 くずさんはすぐ近くにいらっしゃると惟ふよ。とんで行って、ゲンコツ握って地球だ太陽だをやんなせえ。
 あんた、まだ上田におらすとやろ?

 その議論の果てを、一般民衆のことばで解説がた

[3482] Re[3481][3480][3471]: 無題  玄松子 2008/01/21(Mon) 17:30 [Reply]
> 3.黄道上で360度を分割した分度が使えるのは、天の赤道との交点である春分点から春分点となります。

なぜ?

単純に、
地軸の傾きが一周する(360度移動する)のに25800年。
1年では約50秒傾きが移動する。
そして、暦ではこの50秒分の誤差が補正されているので、
日本の1月1日は、いつも冬なんじゃないですか。

[3481] Re[3480][3471]: 無題  くず 2008/01/21(Mon) 15:03 [Reply]
> どこが間違いなのでしょうか。

黄道とは地球上から見た、天球上の太陽の見かけの通り道ですので、
まず地球から見て、と言うのが前提になります。

この黄道という言葉を使ってしまった事によって、
地球から見て、という前提と、みかけの、を生んでしまったのがいけなかったと思います。

何がいけなかったか・・・・・・・・

1.赤道を天球上に移しとったのが天の赤道ですからこの線上ですと単純に360度の分度が使えます。
2.天の赤道も黄道も地球を中心とした線分です。
3.黄道上で360度を分割した分度が使えるのは、天の赤道との交点である春分点から春分点となります。

しかしこのとき、春分点は歳差分だけ移動していますので、360度分割の角度で言えば移動はありません。

実際黄道座標では、春分点を黄経0。そして次の春分点で360度(0度)としますので、
黄道座標上でも、春分点の移動はありません。
この座標系で何が動くかと言ったら星の座標。星の黄経が歳差に応じて値を変えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/黄経

黄道と言う言葉を使わずに、
公転面おいて、年間約50秒春分点を迎える位置が移動する。でよかったと思います。

[3480] Re[3471]: 無題  玄松子 2008/01/21(Mon) 11:12 [Reply]

> > 一周360度÷26000年≒0.014度(50秒)
> > 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが

どこが間違いなのでしょうか。

地軸が一回転するのですから、360度を割るのでしょ。
赤道だろうと日本だろうと一回転は360度だと思います。
その結果、春分点が年50秒ほど移動するんじゃないですか。

[3479] トラックバックのご挨拶  土田由紀 [Url] 2008/01/21(Mon) 10:27 [Reply]
おはようございます。
(挨拶に、参りました)

丹生都比売神(ニウツヒメノカミ)に、ついて、検索しましたら
こちら様へ、飛んできました、発見しました!

とても、内容の濃い、興味深い、ページですね〜^^ 
私には、難しい内容ではありましたが、大変参考になりました。
感謝申し上げます。

私のページに、貴方様URLを貼り付け皆様にご紹介しましたが
まだ、ご挨拶を申し上げておりませんでした。
遅れてしまい、申し訳ございません。

出雲大社が大好きで、昨年二度も参拝に行ってしまいました。
( 最近、歳のせいか、、、、神社が気になる・・・。)

お気に入りに入れさせていただきました。本当にありがとう!

[3478] 大槌 ・ 小槌     焼尻紋次郎 2008/01/21(Mon) 09:47 [Reply]
 縄文の風さん、応答アガ。わしがいいてぁのは火山でもないのに、清水ふくみの岩や泥が海の底がら盛り上がってくるような現象ですらぁ。

 泉のあるところだけ、(海の中へ)水没しなかったんでしょうか? ?

 瀬戸内に浮く大槌、小槌の島には飲み水は湧いていましょうかのう。
 ひょこっとしたらツチは t∫a∫ を写した語形かもしれん想うとんじゃ♂

 茂在寅男・海のオトコ。いまいくつかなァ。 90ちかいのかナ?
 「海に浮くすべての漂流物体は島へ呼び寄せられる」との解説はみごとでした。
 これを利用したんじゃないだろうか、オセアニアの広域渡航を可能にしたのは。

 でも「日本語とヘブライ語には 2000の共通語がある」といった茂在寅男さんは哀れだった。言語にはデェロウこと興味持ってはるんやけど。

[3477] ハングルの嵐 2 t∫a∫m    焼尻紋次郎 2008/01/21(Mon) 07:35 [Reply]
 わ〜 ∬ 目が廻った。地軸のぶれなんか言わねばよかった。数字オンチはまっ先に落伍したぞな。
 もういちどタジク語の t∫a∫m(目)、t∫a∫ma(泉)をにらみつけてみよう。
 目などという基本語彙が二音節をとっていること自体がオカシイ。この t∫a∫m(目)は t∫a∫ma(泉)に引っぱられて出来た語だと看たほうがいいだろう。いわゆる「竜眼」だ。印欧祖語 *ma =水。
 タジク語にはミョウな造語がある。 ota∫(火)もそうだ。この末尾の ∫ は炎だった。
 そうすると t∫a∫ma(泉)後半の ∫m が朝鮮語 sa:m(泉)になって露出していることになる。
 イソップのイが [ae]であることはご存じのはず。sa:m の a は、じつはその [ae] なのだ。シャムの音に近いのだが、文字がないのでここは sa:m で押しとおす。
 朝鮮語 sa:m だけではなく、日本語では *sim(泉)となる。
 そこで考えねばならぬのがウイルタ語の mu:(水)だ。
 中期朝鮮語 mωr、現代朝鮮語 mul の r . l は他の語彙との混同を避ける意味あいで付けられた末尾子で、これが第二子音濁化で日本語のミズとなっている。ここにも「イ=ウ」がみられる。
 ならば、朝鮮、ウイルタ語が mu 系、/ 日本語 mi 。
泉は「い出 mi(水)」も考えられようが √i-sum i と考えたほうが音のうえではムリがない。だからといって「い出水」が完全に否定されるわけでもない。「い出水」は「井戸」の語に直結している。しかし、中央アジア(系?)には idar(深い井戸)もあって、その進出を拒んでいる面もある。 idar は「神いっぱい」の意味か?
 清水は 「sim-水」の造語から成るとおもえる。
 なぜ「和泉」という語があるのかには、前にすこし書いたが、これには朝鮮語の sωmida(滲みこむ)が、日本語に入って本来の *sim に概念の上で変化がおこったからではないだろうか。

[3476] 連れ合いは?  縄文の風 2008/01/20(Sun) 21:26 [Reply]
そろそろ大阪から帰ってくる時間なので、またね。寝たら再開。最近お相手してません。彼女は5年日記に毎日何か書き込んでます。見たことありません。子供に残しとくのだと言ってます。

[3475] 清水・泉    縄文の風 2008/01/20(Sun) 21:13 [Reply]
浪速はすでに塩分のつよい内陸湖で、その脇の砂浜に泉池があったので、そこをスミヨシ(住吉)の聖地としたのではないだろうか。これは茨城の鹿島と同一発想だ。ヨシ=泉
 そのとうりだとおもいます。中世以後、埋めたてて新田に開発されるまでは瀬戸内海の海水が混ざっていた。今でも断層、断崖に添って水が湧き出したり、滝になってます。
 鹿島神宮も水の湧き出る島でした。

[3474] Re[3471]: 無題  くず 2008/01/20(Sun) 21:10 [Reply]
> > 一周360度÷26000年≒0.014度(50秒)
> > 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが

なるほどです。
>現象としては黄道上を年50秒で春分点が移動する。
これは違いますね^^

[3473] Re[3470][3468][3466]: 極移動はありません  くず 2008/01/20(Sun) 20:55 [Reply]
それなら暦の計算に歳差運動の影響を含めればいいのでは。と思い直し・・・
実際そうでした。

暦で言う一年とは、
地球が一回転して公転軌道上の同じ位置に戻ってくる周期(これを恒星年)ではなく、
春分点から次の春分点へ至る平均回帰年(太陽年)を基準としているそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/太陽年

これなら歳差によるズレも暦のうちに含まれるので、季節の移動は起こらない。
現象としては黄道上を年50秒で春分点が移動する。
これは変わらないけれども、季節の移動は暦で補正されるので変化しない。


縄文の風さん、今の考えをまとめますと、
地軸の傾き23.4度が約26000年の周期でぐるりと一周する。
この運動による恒星年と回帰年のズレを歳差と呼ぶ。
このズレは回帰年(太陽年)を基準とする暦によって補正されるので、春分点が移動しても暦の上で季節が変化する事はない。
こうなるかと思います。

縄文のクリスマスはやっぱり真冬でした。すみません。

中国の暦について。
中国で歳差が発見されたのは東晋の時代だそうです。
http://m-donchan.hp.infoseek.co.jp/kids/cyuugoku3-2.htm

日本で持統天皇の時代と確認されている元嘉暦は歳差の影響がある程度補正された優れた暦であったようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/元嘉暦


[3472] 無題  縄文の風 2008/01/20(Sun) 20:53 [Reply]
 
>  縄文の風さん、周辺が海水だらけのなのに、島という島には清水(まみず)が出てるんです。しかも、海底から押し上げられたみたいに岩といっしょに。しかも、数百メートルも登りあがってきています。この現象どうなってんじゃろ。たよりにしてまっせ。
 
 雨の少ない瀬戸内海で水の出る島は貴重です。
私たちが耕してた丘の一番、高い畑にプレハブ建てた時、基礎工事のため掘ったら水が湧き出してきましたのでブルで1メイトル掘り下げてから工事しました。高くつきました。これは、伊賀は昔、古琵琶湖だった時、湖底に堆積した粘土層が水を地下に通さなくて、サイフォンの原理です。
 火山性の島は地下から水分も上がってきます

[3471] 無題  縄文の風 2008/01/20(Sun) 19:37 [Reply]


> 一周360度÷26000年≒0.014度(50秒)
> 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが

[3470] Re[3468][3466]: 極移動はありません  玄松子 2008/01/20(Sun) 19:11 [Reply]
> 1000年で約14度。30度で約1月ですから、2000年で約一ヶ月。

これが事実なら、古代の聖地配置を、
現代の春分や夏至・冬至の日の出・日の入で説明している説は
すべて嘘ということ、ですよね?

[3469] Re[3461]: 敢国神社 南宮山   神奈備 2008/01/20(Sun) 16:13 [Reply]
> 古墳の方位、神体山との関係、初期法隆寺、飛鳥、奈良時代の寺院で軸線が数度ずれるのが少しあるのはなぜか?大体は太陽を測って正確なのに。興味もってます。


 栗本慎一郎著『シリウスの都飛鳥』p204から

 若草伽藍跡や旧道、旧水路などは、全体が真北から20度西に傾けられた「都市」計画があったと千田稔氏が述べていることを紹介しています。
 また太子道も西に20度傾いており、お書きのように創建時の法隆寺も西20度傾斜だったようです。
 上記の書物では、ミトラ信仰を持ち込んだ蘇我氏の影響でそのようになったとしています。常陸からから大和・和泉に後円部から前方部のラインが西20度の古墳が転々とちながり、それが5世紀半ばから6世紀前半の蘇我氏が力を付けて来た時期に合致するとしています。

 誉田山古墳 羽曳野市
 屋敷山古墳 葛城市新庄町
 見瀬丸山古墳 橿原市 など

 この20度傾斜はペルシャの首都ペルセポリスがその角度で設計されているそうです。ペルシャでは夜の太陽であるセリウスへの信仰があり、紀元前500年頃の冬至の真夜中にはシリウスが真南から東に20度傾いた場所で輝くそうで、その方向が聖方向とされたそうです。


> いろいろ書き込みしたいけど、練習中なので、時間めちゃかかる

 私は掲示板に書き込む際には、先ず「メモ帳」を開いてそこに書き込みます。その書き込んだ内容をコピーして掲示板に張り付けます。
 こうしますと、書き込んでいる途中で休憩なり睡眠をとる場合、メモ帳を記録しておいて、後ほど続きを書けますので便利です。

[3468] Re[3466]: 極移動はありません  くず 2008/01/20(Sun) 11:00 [Reply]
[3462]において歳差運動によって方位が変わると書きましたがこれは間違いと気がつきました。極移動もないでしょうね。

歳差の周期で変化するのは、方位ではなく公転面における春(秋)分点の位置。
これでいいかと思います。

一周360度÷26000年≒0.014度(50秒)
一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。
地球から見ますと黄道上を春分点が移動する。どちらへ?というと西へ動くらしいです。
1000年で約14度。30度で約1月ですから、2000年で約一ヶ月。

春分点が動くということは季節も動きますよね。
なので1公転1年の暦上では、縄文のクリスマスは真夏だった。
これは正のように思います。

でも、この要素から地球上の方位は変化しないよな?って事がわかりました。

そこでこんな仮説。
ある時期に1公転周期1年を基準にされた暦がつくられた。
その暦上で春秋分が設定される。
その暦が補正されないまま、長期間使われ続ける。
500年後、その暦に基づいて春分の日の出に太陽観測をし、それを基準に都市(寺院)を建設したとしたら、
春分点のずれ分だけ当初の東西軸とは異なる角度の方位角を持つ都市(寺院)が出来上がる。



[3467] ハングルの嵐 1 清水・泉    焼尻紋次郎 2008/01/20(Sun) 10:37 [Reply]
 きのふミナシャンにお伝えしたハングル音転のうち「ω = ウ」の通音は意外な広がりを持っていた。
 苦学なすった竹内和夫教授はトルコ語の第一人者だが、その解説によれば、トルコ語には l(エル)の高さを 60%ぐらいに短くして、少し肉厚くした母音の文字がある。それは東北弁の「ウ」に似ていると仰る。

 トルコ語には横座のヨコ(大将)があって、良いを意味する「いい」もある。これはトルコ民族を形成した古い一派が極東方面にいたこと、出雲・東北のヅ−ヅ−弁は、あるいは沖縄ウルマ(本島)にばかり直結するものではないこと……を匂わせておないだろうか。

 沖縄・出雲・東北のヅ−ヅ−弁は、中央筑紫型とは「イ音」で大幅に狂っている。ボスが「スヲ(塩)もってこい」というので「ス(酢)」を持って行ったらぶんなぐられるのだ。
 あっしは「チチブヒコという発音は、当路官僚がツツブがヅ−ヅ−弁だと思って、故意にチチブへと切り換えた」とばかりに思ってきたが、これはあんがい、朝鮮語による無意識裡のやり変えではなかったか……が浮上した。chichi-bu では意味をなさないのだ、tutu-bu なら「破壊と創造のシバ精神」につながる。

 清水、島をつくった日本語古層にある *sim は朝鮮語の「ω=イ」通音を適用したら sum となる。浪速はすでに塩分のつよい内陸湖で、その脇の砂浜に泉池があったので、そこをスミヨシ(住吉)の聖地としたのではないだろうか。これは茨城の鹿島と同一発想だ。ヨシ=神社。
 泉は√i ○○ V の造語法即にぴったり嵌る。意味は「涌き水する場」。
 
 縄文の風さん、周辺が海水だらけのなのに、島という島には清水(まみず)が出てるんです。しかも、海底から押し上げられたみたいに岩といっしょに。しかも、数百メートルも登りあがってきています。この現象どうなってんじゃろ。たよりにしてまっせ。

[3466] 極移動はありません  縄文の風 2008/01/20(Sun) 02:01 [Reply]
歳差の角度は数度と小さく、地軸の傾き23,4度と関係ありません
>
> 公転面に対して地軸は傾いている。季節が生じるのはその為だ。
> と習ったように思います。____そのとおりです
> この傾き23.4度。これが=地球歳差運動のブレ角なんでしょうか??
> ちがいます
> だとしたら、今から1万3千年前の縄文時代にはこの角度が逆に傾いている事になるので、____ありません
> 北半球では冬が夏で、夏が冬。

> 縄文のクリスマスは真夏だった。
> ホントかな?うそです
>極移動はもっと長い地質年代でおきています。飛鳥は数千年前に有ったことだと強引に主張してますが多くの点で説明できません。とりあえず、 
 いろいろ書き込みしたいけど、練習中なので、時間めちゃかかる、

[3465] Re[3464]: 縄文のクリスマスは真夏だった?  神奈備 2008/01/19(Sat) 18:04 [Reply]
> だとしたら、今から1万3千年前の縄文時代にはこの角度が逆に傾いている事になるので、北半球では冬が夏で、夏が冬。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E5%B7%AE

 そうでしょうね。途中には北極も南極も半年も昼ばかり、夜ばかりと言うことが起こらないこともありそうです。
 ホントかな?

[3464] 縄文のクリスマスは真夏だった?  くず 2008/01/19(Sat) 15:36 [Reply]
ちょっと考えていて思ったんですが、
(高等教育ではすでに常識であったならすみません)

公転面に対して地軸は傾いている。季節が生じるのはその為だ。
と習ったように思います。
この傾き23.4度。これが=地球歳差運動のブレ角なんでしょうか??

だとしたら、今から1万3千年前の縄文時代にはこの角度が逆に傾いている事になるので、
北半球では冬が夏で、夏が冬。

縄文のクリスマスは真夏だった。
ホントかな?

[3463] ハ ン グ ル の 風     焼尻紋次郎 2008/01/19(Sat) 10:16 [Reply]
 旦那、いろいろ有り難うございます。
 そうか……というわけで,サイト開いて気になっていた魚の「クマノミの語源」を調べたが、釣果ゼロ。あきらめて帰ろうとしたとたんにビッシャ〜ッ! 貼りついちゃった。これで 19回め。
 くずさん、有り難うございます。逆算ができて年代の割り出しが可能になればスバラシイですね。
 鹿島・香取の線と筑波峰の方角を書いた本をちょっと読んだのですが、そのとき著者が真東とか真西と言ってるのに、実際は大幅にズレてるのではないかと思ったことがキッカケでした。
 かたばみさん、知能の真光りを直感します。もっとしばしば顔だしてくださいヨォ〜。


 このほど朝鮮語辞書で二つの重要なクセを見い出したかと思ってます。
★ ハングル文字には、濁音と清音、短音と長音の区別がない。
★ ハングルとは hangωl と書く。 ω は唇を横につっぱって「イ」と発音するのが現代の正規発音です。なのに ω を「ウ」と読ませている。
 ここに「イ=ウ」の古代朝鮮の発音法則が出ていて、それが古代日本語にまで浸透してはいないだろうか……が問題とならァ。
 そしてわれわれは、それに気がつかずに漢字たどりをやって来たのではなかったか?
 「ウジ」と読めても、こんなのは一応「イジ」に置き換えてみる必要がある。「イ−ジ」かもしてないし「イス」かもしれないし「イズ」かもしれない。
 アジスキタカヒコネと読んで来たわれわれは、これまで、スキの部分を疑いもしなかった。が、これを「st 」と置けば、adhista となっている今のネパール語の古形を掴みとれる。意味は「最高の支配者」。どな。
 こんなの、シロートでしかやれない芸当じゃなかろうか。

[3462] Re[3458]: 地 軸 の 揺 れ     くず 2008/01/19(Sat) 01:51 [Reply]
>地軸の揺れ

自分は義務教育以降はシュミの範囲の勉強ですんで、そのレベル(実際中卒程度)の発想ってことで聞いてください。

地軸の延長線上(ごく近く)にあるのが現在の北極星であるポラリス。
この"天の北極"は地球の歳差運動によって約2万6千年周期でおおよその円運動を描きます。
http://homepage2.nifty.com/turupura/yougo/Kansoku/saisaundou.htm
今から1万2千年後の北極星は琴座のベガ(付近)になるそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベガ

この運動を赤道上(公転面)に置き換えますと、南北に2万6千年の半分、1万3千年周期の波打ち運動になるかと思います。

詳しい計算は知りませんが、この周期に近い琴座のベガの赤緯は約38度。
今の天の北極が赤緯0点なので、この波打ち運動の南北ブレ角はおおまかに言って最大約40度。

約1万3千年周期の40度なので40÷13,000で一年に約0.003度
千年間で約3度、卑弥呼さんの時代で約5度です。
単純に平均してまう計算はウソですが、これに近いとこで、公転面と軸北角のブレはおこるんではないでしょうか?

つまり、その時代の星を観測した南北軸、東西軸に(時代を超えての)ぶれはないけれども、
その時の公転面となる太陽を観測した南北軸、東西軸ではブレが生じる。

その時代の太陽観測の南北設定が正確なら、きちんと計算すれば、造られた時代が割り出せる。でしょうかね?


神奈備さん、縄文の風さん、情報ありがとうございます^^
自分なりに整理して(おっぴろげて?)みます。

[3461] 敢国神社 南宮山   縄文の風 2008/01/18(Fri) 11:44 [Reply]
皆様、大層、勉強になる事ばかりです。
> (伊賀の敢国神社は外れます234.9度)?
敢国神社から冬至のころ南宮山頂に日が昇ります。山頂には摂社の浅間神社があり、12月1日にお祭りされます。
 長らく敢国さんにお仕えされました大井神主さんに22日の岡八幡宮初禊滝行で
お会いした時、もっとお伺いします。
>こんや、神野山で天体観望会しますので、きままに観望仲間に古代の方位について誰か詳しい人いないか聞いてみます。
 古墳の方位、神体山との関係、初期法隆寺、飛鳥、奈良時代の寺院で軸線が数度ずれるのが少しあるのはなぜか?大体は太陽を測って正確なのに。興味もってます。
>

[3460] Re[3458]: 地 軸 の 揺 れ     神奈備 2008/01/18(Fri) 09:08 [Reply]
>  だんな、天神様とは菅原道真公が始発なんだろうか。
> それから「ノーテンキ」の意味をお教えあれ。

大阪市内の天神は少彦名命が多いようです。そこへ天満天神とされた菅原道真公が併せて祭られたようです。その後、軒下と母屋もあったのでしょう。

なお、天満の冠は大阪天満宮は星にゆかりの神社で(天に満つ)ここへ菅公が祭られたから天満天神となったとの説を読んだことがあります。


能天気
http://zokugo-dict.com/25no/noutenki.htm
能天気とは、呑気で軽薄なこと。または、そのような人。
【年代】 江戸時代〜  【種類】 −
能天気の解説

能天気とは呑気で軽薄なことや安直なこと。またはそのような人をさす。更にそれが転じ、生意気な人を指しても使われる。能天気が普及したのは古く、江戸時代の書物には既に使われている。のうてんきには実に様々な表記があるが、一番多く使われるのは能天気。以下、脳天気、能転気、のーてんきがある。更に最近ではノー天気という表記もあるが、どれも意味は同様。脳天気という表記は昭和時代後期から使われるようになったもので、小説家の平井和正が広めたといわれている。

[3459] Re[3457][3448][3446][3439]: 要石    神奈備 2008/01/18(Fri) 09:00 [Reply]
 くずさん 興味深いお話ありがとうございます。

> 全国各地に残る猿丸太夫伝承を追いますと、鉱山との関係が見えてくるように思います。

> それと猿丸地名、猿丸伝承地の付近に「とが」あるいは「つが」地名の多い事に気がつきました。

 調べる価値がありますね。先ず、神社をリストアップ。


石川県金沢市笠舞 猿丸神社「猿丸太夫」
由緒 祭神は平安初期に奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しきと詠んだ著名な歌人で三十六歌仙の一人であります。
また、谷川健一『青銅の神の足跡』には「眼病に効く湧水」があると。


京都府綴喜郡宇治田原町 猿丸神社「猿丸太夫尊」
由緒 御祭神猿丸大夫の霊骨の上に社祠を建てたのが創めてであります。鎌倉時代の鴨長明の「無名抄」に、「猿丸大夫が墓あり、庄のさかひにて、そこの券にかきのせたれば、みな知るところなり。」とあり。


兵庫県芦屋市東芦屋町 芦屋神社摂社猿丸神社「猿丸太夫」
由緒 不明 近々参詣予定。
また、谷川健一『青銅の神の足跡』には「眼病に効く湧水」があると。


岩手県宮古市宮町 横山八幡宮「品陀和氣命」
由緒 創建年代は、社伝によれば白鳳九年(六八〇年)と伝えられ、この横山は閉伊川の上流から洪水で流されて来た山と言われる。和銅年間(七〇八―七一五年)、猿丸太夫は勅勘を蒙むりこの地に遠流され、宮守となった。「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」という和歌をこの地で詠み、その住居は「猿丸屋敷」といった。


岐阜県美濃市乙狩字 瀧神社「罔象女命 瀬織津比当ス」
本殿を虚空蔵堂といって、修験道色の強い神社であった。神社の裏にあたる所に直下十メートルの瀧があるが、この谷間を登るとその先は板取村に、高賀神社に、高賀山頂上につながっている。此処には藤原高光に関する伝説が多く、有名な猿丸太夫の生誕の地と伝えられ、その歌碑等も大切に保存されている。

小野神社も各地にあり、これも調べていきたいものです。

[3458] 地 軸 の 揺 れ     焼尻紋次郎 2008/01/18(Fri) 07:32 [Reply]
 くずさん、とてもオモシロいお話、有り難うございます。佐渡オケサも猫が作った歌だとの伝承がありますよね。
 武田信玄と上杉謙信の抗争とは、甲斐金山と佐渡金山のケンカに還元できそう。
 小生、シモヒガノあたりも、めちゃ興味ありますので、先々楽しみです。
 サルマルは「(鉱石の)運搬・男」と解くはオレの唯我独尊的偏見ならましや。

 だんな、天神様とは菅原道真公が始発なんだろうか。
 「テン」などのしゃべりグセは、日本語の音韻大系の枠からハミでてる。テングとかテンダがまずあって、後ろのほうをチョン切った語形が原音だったのでは? と思った次第でんねん。
それから「ノーテンキ」の意味をお教えあれ。これ 4年前に質問したが愚紋に付されたままでんねん。オレ、しゃべり仲間が浦和周辺におらんとですたい。
 辞書と相談したら、ノーテンキとはタバコを吸うキセルと出た。
 
 阿遲須伎高彦根命とあるように、当時の日本では ne(指導者)があったのではないかと紋愚してま。 / ネパール語 ; neta(指導者)。阿遲は adhin(支配者)。
 もういっぺん、くずさん、それに縄文の風さん。
 オレ菅原道真が流されて寓居としていたといわれていた太宰府の榎寺の発掘調査に参加したことがあるのです。そのとき鏡山教授(パパのほう)は「昔の真東の方向は 5度ほどずれている」との見識を適用して割り出しをやっておられました。
 あれは北へずれているのでしょうか、or 南へでしょうか。もっと古い時代ではもっとズレているのでは? できましたら、その基準を教えていただけませんか?

[3457] Re[3448][3446][3439]: 要石    くず 2008/01/17(Thu) 19:29 [Reply]
神奈備さん、
>南宮では兵庫県西宮市の広田神社の摂社の南宮神社。

西宮神社が冬至日の入り角度で男体山−南宮大社の240.5度に近い値になりました。
男体山の太郎山神社を起点として、西宮神社240.2度。廣田神社240.4度。
五月ヶ丘(廣田神社遷座前地)240.5度。神奈備の甲山山頂240.8度
(伊賀の敢国神社は外れます234.9度)
それと近間でもうひとつ、芦屋神社(伝猿丸太夫墓)240.6度

聖徳太子の孫、弓削王がじつは近江(芦屋?)に逃げのびていて猿丸氏(能楽師)となったという話があります。(系図は信用されてないようですが。)
能楽師が鉱山開発に通じていたことは戦国→江戸初期の大久保長安の実績など、明らかかと思いますが、全国各地に残る猿丸太夫伝承を追いますと、鉱山との関係が見えてくるように思います。
●日光の蛇神をを助けた小野猿丸伝説。日光市には足尾銅山があります。
●新潟県郡鹿瀬町実川に猿丸太夫伝説がありますが、その実川の鉱山は銅鉱を産出します。
●岐阜県高山市荘川町に猿丸地籍がありますが、荘川鉱山は金、銀、銅を産出。
●石見銀山の近く島根県美郷町に猿丸地籍がありますが、美郷町竹の銅ヶ丸鉱山からは銅が産出。
●銅が奈良の大仏にも使われたという福岡県香春町彩銅所近くにも猿丸太夫の墓があるようです。

戸隠の猿丸地籍に産銅の記録はありませんし、全てとは言えないでしょうが、古い時代の産銅と猿丸の小野(矢彦も)あたりが関係していそうです。

それと猿丸地名、猿丸伝承地の付近に「とが」あるいは「つが」地名の多い事に気がつきました。

●栃木県日光市 小野猿丸伝説 → 日光市は旧都賀(つが)郡
●高知県高岡郡佐川町 猿丸峠 伝猿丸太夫墓。→南に峠を越えると斗賀野(とがの)
●島根県邑智郡美郷町千原猿丸 →南に美郷町都賀(つが)
●富山県富山市山田数納  猿丸太夫の塚 → 南には利賀(とが)村
●長野県長野市戸隠豊岡猿丸 猿丸太夫の居館跡 → とがくし

聖徳太子、能楽師の関係からは秦氏。小野のから和邇氏系氏族。
都賀からは(戸隠もそうですが)阿智氏の関与が浮かびます。
阿智王の子に都加王の名。多摩、府中の小野神社御祭神は天下春命。

[3456] Re[3451]: 鼠と猫の話  くず 2008/01/17(Thu) 18:41 [Reply]
>  くずさん、御心配かけたかと思います。
>
>紋次郎さん、ねずみの会地早雄神社、篠ノ井の唐猫神社、興味がありますのでまた近いうちに尋ねてみようと思います^^

坂城、上田のお話は唐猫に追い詰められた大鼠が大岩(現岩鼻)を食い破り千曲の水を放ったという蹴裂伝説ですが、秋田(能代)の八郎太郎伝説にも鼠と猫が出てきます。
 龍になった八郎太郎が七座山の麓、米代川をせき止めて住もうとしたとき、山の神々がそれはこまると白鼠に堰を齧らせ、水を放流してしまったとの話。猫はその鼠を食べようとしたので神様があわてて繋ぎ止めたそうです。
http://akomovie.web.infoseek.co.jp/akomovie/mukasi.files/hatirou_nanakuranyama.files/1.htm

このお話の主人公八郎太郎は、"山の神の祟り"で龍になってしまったのですが、
その原因は、仲間(他2人)の分の岩魚を欲に負けて食べてしまった事。
3匹の岩魚。自分の分を除けばたった2匹の岩魚です。
その為に彼は姿が変わり、結果村に戻れなくなりました。
山から得たものは等しく共有するという彼らの決りを破ってしまった戒めでしょうかね。

このお話がとても好きになりました^^

[3455] はだか天国だった関東以北    焼尻紋次郎 2008/01/17(Thu) 10:00 [Reply]
 ふるさとが鹿島のマッスグさんがしゃべった重要な二つを付記します。

★ 海が危険な鹿島でも、いきおい地曳き網が発達した。農作業をしていた住民は板の音がしたら三々五々と浜に出たのだが、その板が鳴るのは沖に「鳥ヤマ」が立っているときである。
 鳥ヤマとは魚群の上で騒ぐ鳥の群れのことだ。ネパール語 jamat は普通、「集会」とか「人びとの集り」と訳されている。そこから寺院や鉱山にも「ヤマ」が言われたのだった。
 だが、この「鳥ヤマ」で、往古の日本人がヤマをどのようにみていたかがハッキリした。黒山の人だかりというように「ヤマ」とは群れでもあったのだ。
 カトレアさん、見てくれてるのかナァ。

★ 浜で地曳き網を曳くとき、男女ともチ・メかまわずに真っ裸だった。
 この傾向は房総の大平洋岸一帯でも確認していたが、この情報で一歩北へ延びた。

 金華山沖の汐目は冬には鹿島まで南下して豊かな漁場となります。
 そうすると、この真っ裸は相馬を通りこして、少なくともエンヤトットの瑞巌寺・松島まで同じ傾向にあったと看ていいでしょう。
 岩手日報の嘱託書き屋さんの大正十三男さんは、日本のチベットと呼ばれていた盛岡〜岩泉では、子供たちは真っ裸で肌を鍛えていたと言っていました。
 肌は鍛えさえすれば、かなりの極寒に耐えれるらしい。

 日本で百貨店が繁盛したのは、関東には家庭用織物機械がほとんどなかったからとおもえます。江戸の庶民は京都大阪の人が着た古着を古着屋で買っていました。
 そのデンを掴んだ江戸のある男が、着物を八戸に持ち込んで、貧農大衆を破産に追い込んでいます。

 きのふ来たお医者さんが「昭和の中期ごろまで、身体検査は男女とも同じ部屋で同じ時間帯でやっていた」と教えてくれました。そういえば男女混浴でない湯治場はなかった。
 幕末の将軍の典医だった松本良順は、千葉県佐倉藩の出身ですが、「日本人は夏は丸はだかですごすがいい」といって、勝海舟のところに来たときは、いつも褌一つだったとか。

 日本は、イスラーム圏の人が知ったら気絶するような文化国家だったんです。

[3454] Re[3453]: 地名 ; ネズミの語源     神奈備 2008/01/17(Thu) 09:23 [Reply]
> 難解地名ハナテンだが、天神様の語はどこまで遡れるのか、お教えあれ。

「天神様の語」とは何?

 草薙劔の盗難事件の『日本書紀』の記事

天智天皇七年(六六八)是歳◆是歳。沙門道行盜草薙劔逃向新羅。而中路風雨。荒迷而歸。
朱鳥元年(六八六)六月戊寅《十》◆戊寅。天皇病祟草薙劔。即日。送置于尾張國熱田社。
朱鳥元年は天武天皇の十五年。


> 出早雄神の“出”だが「イデ」と発音して良いのだろうか? 「イヅ」かな?

 伊豆早雄命の字もつかわれていますので、「イヅ」と。
 この神は諏訪の神の建御名方命の御子神。建御名方命は大国主命の御子神。

 放出の阿遅速雄神社の「阿遅速雄神」とは、鴨の大神とされる阿遲須伎高彦根命の御子神とされています。阿遲須伎高彦根命もまた大国主命の御子神。

[3453] 地名 ; ネズミの語源     焼尻紋次郎 2008/01/17(Thu) 06:35 [Reply]
 旦那、ありがとう
 それにしても、よく調べ尽くしてるよなあ。旦那が巨大なカンニング・ペーパみたいなのを持ってるらしいたぁ薄々カンづいていたが、そのネタペーパーの何と恐ろしいまでの……。やっぱ、日本は神の国だったんだ。ここで三つでも五つでも神名の意味がバレれれば、建国時の意識が現実のものとならあ。

 思い出したは、彼の地には「ネズ(文字?)さん」がいた。武田信玄とか川中島合戦に出てきたと、暮明の記憶これあり。十日町市にはまちがいなく根津さんがいる。そして上田市には海野(いまの発音はウンノ)さんがいるし、“海”地名がある。このウミは「大・身」または「大・神」だ。
 この二つを続ければネズミがオチョロチョロあるね。
 ワカランので、ネズはネギ(神官)の変化態としておこ。

 難解地名ハナテンだが、天神様の語はどこまで遡れるのか、お教えあれ。
 テンの「ン」があるので難解地名になっているとおもう。ハナテルが音転したことを直感します。そうであれば、これ「弓・矢族」。

 ネズミ(地名)の近くに太郎山があるとのことですが、太郎はまず「若者」。しかし、山頂らしいので「星・神」だろう。tara・o 。

 出早雄神の“出”だが「イデ」と発音して良いのだろうか? 「イヅ」かな?
 どうも「根津」に近くなった……までは感じるも。

 天叢雲劔……雲がワカラン。叢はムラでええんやろ? んなら「水源・長」。

[3452] Re[3451]: 会 地 早 雄 神 社     神奈備 2008/01/16(Wed) 15:13 [Reply]
會地早雄神社は長野県埴科郡坂城町大字南条の鼠宿に鎮座しています。その東に太郎山の名が見えます。太郎神社もありますね。

會地早雄神社は元々は熊野権現ですから、王子と言う冠は不思議ではありません。現在の祭神名の中には諏訪大神の次男の出早雄神の名前は見えません。

また、大阪の放出(はなてん:有名な難読地名)には、式内の阿遅速雄神社が鎮座、あぢはやおと訓みます。

放出は新羅の僧が熱田神宮から天叢雲劔即ち草薙御劔を盗み出したのですが、難波の津で嵐にあい、神罰と恐れて劔を放り出したことからついた地名とされています。

[3451] 会 地 早 雄 神 社     焼尻紋次郎 2008/01/16(Wed) 09:31 [Reply]
 くずさん、御心配かけたかと思います。

 坂城町に電話して問い合わせてみました……ら、「彼の地ネズミの崖は、別段湿っていたり、水が滴り落ちているようなことはない」とのことでした。
 これで sωmida(シミダ・滲み込む)はただの気迷い・徒労に終わったわけ。

 ただ、彼の地には会地早雄(オーヂハヤオ)という神社があるそうです。神官さんは、いつもはいないとのことです。
 そこで、分析。
 会地は古い陸繋(島)地にみられる「*アフチ」に似ています。ow(水)chi(道)かもしれません。
 「ハヤ」は岩、馬の解釈も許しますが、これは“舟”だと思います。
 おしまいの雄は神でしょう。

 現地発音は「オージ」ですので。宗教団体のトップ「王子」をも意識してのことかも。

[3450]  お べ ん た う     焼尻紋次郎 2008/01/16(Wed) 06:43 [Reply]
 縄文の風さん、下のほう[3442] のあっしの書き出し読んでくれましたか?
 イランデイイコト(九州弁;おせっかい)だったかもしれませんが……。

 
 「おべんたう」、これみてすぐわかるご仁は国民学校にいた年寄りだ。
 あっしゃ長げぇこと、「縄文に新風を送り込み、荘園〜ポリス国家形成を駆動させたなぁ金属精錬だったと思いこんでいやした。
 だが、これはまちがっていた。
 駆動の主勢力はコメ、麦などの優秀な主食を確保したことだ。そのすぐれた「おべんたう」を持って、隣接地に攻め入り、そこの潜在農地をじぶんの物としたことがキッカケだったにちげぇねえ。

 豊後日田の上流でコメ作っているとの噂は、筑豊にたむろしていた海賊蛋民にも聞こえていただろう。だが、そこまで行ってコメというメチャうまい食い物を食べたいが、蛋民にはそこまで行こうに、おべんたうが無かった。足もとに転がっているのはカラス貝といって、集約労働の対象にはできないシロモノだったからだ。

 その点、関東の河川にはシジミやハマグリなどのおべんたう向きの貝がバッチリついていた。貝塚ができた要因は、あとでは内陸との交易品にもなっただろうが、最初のオネラは兵站用だったとおもう。

 「干す」というのは栄養をつけることだ。同じ椎茸でもナマと干し椎茸では元気の出かたが段ちがいだ。
 ネパール語 pos-(栄養をつける) ・ ほぞ(臍)。

 貝を干し、魚のすきみ(suk- は乾燥させる)を作っていると、ハラへった鳥やネズミが食い荒らしにくる。
 鳥追い女の起源はここだろう。
 鳥は「一つ目」をこわがる。天目一箇神の起源もここだろう。

[3449] ハンレイ岩  縄文の風 2008/01/16(Wed) 01:02 [Reply]
>  くずさん よろしくお願いいたします。
>
> > 簡単に地図にまとめてみました。
>
> うまいことできるものですね。同感です。なんとか私も使いこなせる様にれんしゅうします。
> 金属精錬、鉱床を追っていますが、やまとたけるの草薙剣はどこで作られたのか。やまとひめ一族の長、息速別命の墓のある青山には、チタンとかの鉱山があった比奈知の滝の原鉱山一帯はハンレイ岩。神宮領、たらお むこ山。国津神社。ここかな?
 伊賀は、金属一族の開いた国。
ハンレイ岩があるのは山添村の神野山。生駒山。三輪山の頂上。柳生の一体山。筑波山。
 明日早いので、またね。
南宮__

[3448] Re[3446][3439]: 要石    神奈備 2008/01/15(Tue) 22:12 [Reply]
 くずさん 今年もよろしくお願いいたします。

> 簡単に地図にまとめてみました。

うまいことできるものですね。

> 南宮の呼称

 後白河院がまとめた『梁塵秘抄』に有名な歌がありますね。

 南宮の本山は、信濃の国とぞうけたばる、さぞまうす。
 美濃の国には中の宮、伊賀の国にはおさなき、児(チゴ)の宮。

 諏訪大社は、古くは諏訪南宮大明神と呼ばれたことがあったそうです。
 美濃の国は関ヶ原の南宮大社、延喜式の仲山金山彦神社。
 児の宮は敢国神社です。この社の祭神の金山媛命は美濃からの勧請だそうです。

 南宮では兵庫県西宮市の広田神社の摂社の南宮神社は西宮戎神社境内に鎮座しています。その西宮社「事代主命」が諏訪大社本宮に摂社として鎮座、相互に畳重しているようです。

[3447]  ネ ズ ミ     焼尻紋次郎 2008/01/15(Tue) 08:14 [Reply]
くずさん、本年もよろしくお願い致します。

 さっそくですが、ネズミ(地名)には湧き水はないでしょうか。
 ご存じとは思いますが、千曲川が上田方面から西へ流れたあと、大きく北上する曲り角に崖が張り出しています。そこにネズミという地名があります。
 「ネ」に岩盤とか崖の意味を求めるはムリでしょうが、「岩根」という表現もありますよね。
 現代朝鮮語に sωmida(シミダ・滲み込む)があって、この語は日本の清水と競合し、「和泉」などの造語を造ったもとになっているのでは? と疑っているのです。
 現地に岩の間から水がしたたり落ちていて、そこに古い祠などがあればオンノ字なんですけど……。
 少し前までは千曲川の水も、そのまま飲めたとは思いますが、「岩から水が出ている」ことが、この場合、イミシンかと。
 北海道赤平市とともに、潜伏ちゅうの古代が甦りはにないかと期待してるんです。

[3446] Re[3439]: 要石    くず 2008/01/15(Tue) 04:11 [Reply]
皆様、おくればせですが本年もよろしくお願い致します。

縄文の風さん、山添は縄文の色濃いところと聞いています。
桐山の戸隠神社など、信州戸隠ともご縁があるようで、訪ねてみたいですね。^^
戸隠は多雪の高地なので、八ヶ岳周辺と同様、温暖であった縄文中期までの遺跡は普通にあるのですが、それ以降は生活の場が限られていたようです。
旧村内では比較的温暖な裾花川河川沿いの追通地籍の洞窟(荷取洞窟、座禅窟)からは縄文早期の土器、晩期に属すると思われる薄手の土器、土師器片等が出ていて、弥生〜古墳時代まで続縄文のような山住みの生活が行われていたと思っています。

また戸隠から聖なるラインで考えていた事があります。
戸隠の奥社(九頭龍社)と日光の男体山山頂古代祭祀遺跡(太郎山神社)が東西に同じ緯度(北緯36度45分55秒)で並びます。
東西線では美濃の南宮大社と富士山頂(剣ヶ峯)がやはり同緯度(北緯35度21分38秒)
また南宮大社から諏訪、そして男体山は夏至の日の出角にも対応するようです。
簡単に地図にまとめてみました。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=114281146630819828924.000443a9f8a409df07c8e&ll=36.084621,137.922363&spn=3.781953,5.449219&z=7&om=1

緯度、経度のプロット http://watchizu.gsi.go.jp/index.aspx
距離と方位角の計算  http://vldb.gsi.go.jp/sokuchi/surveycalc/bl2stf.html
日の出日の入り方位角 http://www.nao.ac.jp/koyomi/koyomix/koyomix.html

南宮の呼称、妙見信仰、鉄鐸、蛇、猿丸伝説(小野)などが関連しているように思います。

[3445] 無題  焼尻紋次郎 2008/01/14(Mon) 18:40 [Reply]
 げー、だんなの耳はなんの耳??
 あれも知りたい、これも知りたいんだが、たちまちのところ、繰返しやすが
 『どんな食べ物を準備したのか? その栄養価は? 舟は? 兵站輜重は? 銃後のその前後の荒廃』

 なんでもいいので教えちゃんない。
 それから、薩摩征伐というがあったよなあ。
 あんがい、流言飛語だけの勝負だったんだろうか。

[3444] Re[3442]:  足 下 学 発 足     神奈備 2008/01/14(Mon) 14:41 [Reply]
>  ことの興りは磐井のランのとき、大和政権が朝鮮に 6万人の兵を派遣したとあることでした。まだ国という概念も定かでなかった時点で、6万人とは呆れかえる数字です。


先の土曜日の「豊中歴史同好会」で堺女子短期大学の水谷千秋准教授の「磐井の乱」のお話がありました。以下まとめて。


継体二一年に近江の毛野臣が兵六万を率いて任那に行かそうと船出をしました。新羅はこれに気づき、磐井に賄賂を贈り、毛野の六万の軍がこないように妨害をさせたとあります。

また継体天皇は物部麁鹿火大連に、「長門より東は自分が治めよう。筑紫より西はお前が統治しろ。」と言ったとあります。

磐井と物部の軍は筑紫の三井郡で交戦するのです。筑紫の三井郡はは磐井古墳とされる岩戸山古墳のある八女市の近くで、磐井の本拠地での戦いが緒戦のようです。これは物部軍が一方的に磐井に戦いを挑んだのであって、継体天皇の天下統一の企ての一環のようです。

また、九州の近くに六万の兵士がおれば、わざわざ物部を出すまでもなく、その兵で磐井を討伐すればいいのであって、それを行っていないと言うことは九州には六万の兵はいなかったということです。磐井を悪者にしたてている物語をでっちあげていると言えるでしょう。

また、「長門より東は自分が治めよう。筑紫より西はお前が統治しろ。」との台詞ですが、水谷千秋准教授は、漢籍から取ってきた話と一蹴されていました。たしかに、磐井殲滅後に物部が九州の王になったような印象はありませんし、後の蘇我・物部戦争でも、九州勢が守屋を応援したとか、守屋勢が九州へ落ちていったと言う話もないようです。

「豊中歴史同好会」http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/

[3443]  七 草  は こ べ ら       焼尻紋次郎 2008/01/14(Mon) 12:28 [Reply]
 √ せり よめな おぎょう はこべら ほとけのざ 
   すずな ずすずしろ  (これぞ)春のななくさ

 七日おくれですが、そこはちょとごめん。
 植物にしろ魚にしろ、一つひとつに名前がつけられたのはそんなに古いものではないようです。
 上の七つのうち、おぎょうなどという発音は、これ日本語ではなく朝鮮語かシナ語でしょう。ほとけのざは仏教流入のあと、すずな・すずしろは銅鐸ができたあとだと見当をつけられます。
 せり(ジャパニーズ・クレソン)は流れの中に繁茂するとき、せり(押し)あって密生するからでしょうか。

 このうち「はこべら」の語源がわかったと思っていますので、一翰啓陳。

 ハコ崎神宮、箱根、東京の箱崎、北海道の函館のハコはネパール語の pakho(荒れ地、坂)の意味で、「べら」は、いま釣り糸をくちに絡ませて苦しんでいるクロツラ・ヘラ鷺の篦でしょう。
 はこべらは『千曲川旅情』では「はこべ」になっていますが、やっぱ「はこべら」が正しい。
 ヘラは朝鮮語の phul(草)に似ていますが、やはり、篦でその昔は鍬や鋤のような農耕器具だったことでしょう。

 「これぞ七草!」と言い切ることで、「ああ、七ついっぺんに食べないといけないのかなぁ」と思わせることで、農村に寄生したサンカが、幾許かの御利益にあずかれたたと思います。
 nana とは「いろいろな」ということが原義(ネパール語)です。

 小さな蛙がちょこんと乗っかっているは、なかなかサマになってま。
 はこべらをゲ−ロッパという方言多し。

[3442]  足 下 学 発 足     焼尻紋次郎 2008/01/14(Mon) 09:28 [Reply]
 小生が神社や山頂を直線で結ぶ作業に初めて触れたのは昭和 38年ごろじゃなかったかと記憶してます。
 そのことを友人の Kにはなしたところ、なんとその人物は Kの伯父さんだそうで、世の中せまいと感心したもんでした。
 さきほど電話したところ、その人物は平田サキオ(稔生)さんといい、その著書『日本書記・衝撃の大暗号』が Kの手許にあるそうです。
 縄文の風さん、まだお読みになっていらっしゃらないようでしたら、なにか参考に供するところがあるのではないでしょうか。手配でけます。

 その K氏があそびに来て話しているうちに、足下学(仮称)をやろうじゃないかという下相談がでけました。
 ことの興りは磐井のランのとき、大和政権が朝鮮に 6万人の兵を派遣したとあることでした。まだ国という概念も定かでなかった時点で、6万人とは呆れかえる数字です。
 どんな食べ物を準備したのか? その栄養価は? 舟は? 兵站輜重は? 銃後のその前後の荒廃ぶりは? 雨降りの夜は? 
 いまのわれわれは“歴史”を知る前提がぜんぜん分っちゃいないんです。
 一杯呑み屋をやっていたトッチャンは野草食の実践家ですが、まず「マコモを食ったんだ」といいました。七夕のとき人形の馬をこしらえるあれです。

 シナから毒入り野菜など買わなくっても、わえらが身の周りにはチャンとした惣菜がいくらでもタダでころがってらァ。

[3441] 小倉 倉立 神野     縄文の風 2008/01/13(Sun) 19:23 [Reply]
針インターの隣が小倉。壇の山があります。北に倉立、さらに北は神野山。
 考謙天皇が東大寺に施入を命じた勅、天平勝宝7年(755)板蠅そま(木に山)の範囲で、西限として 小倉 倉立 こうの 地名が記されており、それまでは、大安寺の山辺郡波多蘇麻でした。東大寺が出来たので木を切りだすソマ山地域をゆずっったのです。木地師の小椋と関係があるかな?正月山の神祭りを全国行われますが、1月7日山添村の神野山の東部地域でのみ倉立と言う山の神祭りを行われます。NHKが取材に来たが倉立には興味を示さず、伊賀地方にかけて行われる鍵引き行事を撮影して帰りました。我が家にはTV,新聞ありませんので見てません。神野山の神を祭る特殊神事が素朴な形で今なお地域の人達で守られています。私も仲間入りしたいです


[3440]   岩  船      焼尻紋次郎 2008/01/13(Sun) 17:34 [Reply]
 縄文の風さん、お bhag(幸運、ハギ)mathi(上、上のほう)有り難とさん。
 おへま(わが愛妻)に訊けばわかりますが、オレ、1日に「チ○○メ△△」を73回ぐらい連発するんです。
  調子にのって言うようですが、sex をこんなにまで社会の裏につっこんでしまって、それで人間性が保てるのでしょうかねぇ〜。
 hin というのは、本来、下品という意味にござんした。

 岩船という語に注目しています。
 フネの語源はタミル語にあると大野晋教授が書いていましたが、「ある」というだけで具体的な記述はなかったと記憶しています。
 ところが、台湾イトマン族の舟は「マタン(目を持った)タタラ(舟)」といっている。タタラはイフキの「土(粘土)構」だと思うのです。
 カチカチ山の泥の舟は参考にも資料にもならないかもしれませんが……。どうも臭う!
 初期のイフキ(金属とり)は高い山の上で、強風を利用してやったそうで、その場合、岩があったら、それにもたせかけたようにして粘土を築きあげたのではないかと空想してま。
 ロでぷ〜と吹くをネパール語で phuk- といいます。これが「プ」になって、粘土や土のネをそえればフネに……、ならないかナァ。
 船がつく高い山は、全国に 100ぐらい……、こりゃ、ないか。大船山は群馬と長野の県境だったか。
 船、舟が日本に定着する前の語形の一つは、haya といっていたかと思います。

[3439] 要石    縄文の風 2008/01/13(Sun) 14:16 [Reply]
紋次郎様
お下品な言葉にこそ、にんげんせいあふれるのものが、あり、又、古代からあまり、かわらずに来たのではないでしょうか。どんなに上品の言葉に置き換えようと、話し

てる人が発してる情念が問題ではないでしょうか。
 そもそも縄文人には、下品という考えはなかったでしょう。

 鹿島、香取、諏訪と、いずれも日本の地質構造での重要地点に要石。関西では大村神社。ここは日本構造帯、名張断層の頭部の地点にあたる。どなたか地質に強い人いませんか。古琵琶湖層から足跡化石出てます。昨日大村神社に取材にいって若い神主さんにお会いしました。先月から伊賀の国地名研究会が読売新聞伊賀版に毎週日曜連載、そこに載せるためです。

[3438] Re[3436]: 枡形、岩屋石     神奈備 2008/01/11(Fri) 19:38 [Reply]
> > 明星石については神奈備の試験版に写真を掲載しているのが、そうです。

ありがとうございます。これで試験版から本番に安心して提出できます。


> 太郎坊宮

 この山は、見るからに”要”となっているように感じます。

 今、手元に文献が見つかりませんが、縄文時代の聖ラインと後の時代のラインをつないでいるのも太郎坊の山(赤神山)とのお話が載っていました。但、聖なるラインと言っても、どうもその意味する所がよく分からない所がありますね。

[3437] Re[3436]: 枡形、岩屋石     縄文の風 2008/01/11(Fri) 12:17 [Reply]

> 日置氏の総氏神神社の日置神社が伊賀にありますが今では日置の姓は1人もいません。ワープロ時間かかるので又、次回

[3436] 枡形、岩屋石     縄文の風 2008/01/11(Fri) 12:08 [Reply]

> 明星石については神奈備の試験版に写真を掲載しているのが、そうです。
さらに山頂にむけて調査予定。 

 空海さんが彫られたと言う枡形石

 枡形石のもう半分が、岩屋の天井石となってますが、真西を向き入日が奥の
役の行者像に射す構造になっってます。真西には丹生神社。さらに真西の平城京、
聖武天皇稜。枡形と岩屋石は牛が峯の西側中腹にあります。頂上から東斜面には
たくさんの岩がありますが誰も調査してません。日の出の差し込む岩がないか探し
ます。
 益田の岩舟と太安万呂墓、太郎坊宮を結ぶ直線上で黄金率を出す為に必要な
測量基準石です。
 伊賀一の宮のアエ国神社と枡形岩屋石を結ぶ線の交点が1:1・618に分けます。
 又この線の直交線が笠置山、天え石立神社、枡形岩屋石、鍋倉渓、
鹿高神社古墳を結びます。
 益田岩船から約18キロ真東の真北に位置します。さらに約18キロ真東までの約
36キロを1とし、真北に1のあたりがアエ国神社の神体山の南宮山、そして測量氏族の日置氏の総氏神の日置神社が東北にあります。
 さらに真東36キロが太郎坊宮。
 1:2:ルウト5の東西南北の三角形です
日置氏の総氏神神社の日置神社。

[3435] Re[3434][3433]: 初めまして     神奈備 2008/01/11(Fri) 08:43 [Reply]
縄文の嵐さん、おはようございます。
一昨年に山添村におじゃましたさい、お目にかかりました。その節は丁寧に説明下さり、ありがとうございました。

明星石については神奈備の試験版に写真を掲載しているのですが、果たして正しいものに行き当たっているのでしょうか。一度御覧下さい。

神奈備の試験版
http://kamnavi.web.fc2.com/as/misumaru.htm

[3434] Re[3433]: 初めまして     縄文の風 2008/01/11(Fri) 06:13 [Reply]
> うまく届いた様なので、一所懸命パソコンします。始めたばかりで、朝までかかりそう。
 1月5日、山添村いわくら文化研究会総会を開きました。講演 山添村の考古学ーー石器時代研究の最前線 講師 上峯篤史 同志社大学大学院文学研究科文化史学専攻 ちかじか 通信発行します。
 山添村北野 天神社の元宮のご神体、明星岩から奥のイワクラ探索、枡形石にかけて数回、初探索を1,2月計画中。どなたでもご一緒しませんか。
> 山添村いわくら文化研究会 小山 公久 
  山添村観光ボランチィアの会のメンバー。
 大和高原文化の会が大和高原民俗資料館オウプンしましたよ。

[3433] 初めまして     縄文の風 2008/01/11(Fri) 05:21 [Reply]
うまく届くかな

[3432]  Tombo 氏 wanted       焼尻紋次郎 2008/01/10(Thu) 06:04 [Reply]
 さきにフィリピン語、タがログ語はニライカナイのニライや沖縄のオモロの意味解釈にかなり接近した資料を提供することをお報せしました。
 ところが、このほど必要に駆られて辞書読みをしてましたら、更に「(この)ハナ(弓・矢)サクヤ」や「ヌノイロ(姫)」の意味に、具体的・現実的な意味をそえるのではないか……が浮上してきました。

 フィリピン語、タがログ語は、まず形容詞後置形で、接頭語根によって語彙が構成されていますので、これを読み解くにはかなり力量が要求されるかと思います。

 いまのところ、まだまだ小生の直感の領域事内のことですが、こういうことは誰の手柄・名誉などに拘泥すべきではなく、極東の叡智をあげて追求されて然るべき作業でしょう。

 ところが、フィリピン語、タがログ語には適当な辞書はまだ完備されていない段階らしい(ハッキリしたことは、まだわからない)です。
 日本語に似た第三言語を探す作業は、30年も 50年も前に多くの先達によって世界の隅々まで観察眼が行きとどいたはずですが、そのときは辞書もない環境だったのですから、どこまで徹底した追求だったかは疑わしいと思われます。

 そこで憶いだすのが、ここの神奈備掲示板にも書き込みをやっていた Tmbo氏のことです。Sさんのお力添えをえて、最後の通信でEメールをだしましたが、戻ってきたそうです。

 どなたか、あの Tomboさんの現在の消息をご存じありませんか。

[3431] ニポポ と 鹿島発ち    焼尻紋次郎 2008/01/09(Wed) 08:53 [Reply]
 そろそろ今ごろかなぁ。茨城の鹿島神宮に「ことあげ」が宣られる時期は……。
 さきに小生はどこかで、茨城の鹿島神宮はほかの佐賀、出雲、邑知地溝帯の鹿島とは別系統ではないかとの感想をもらしたと思いますが、ここに訂正します。

 鹿島とは舟の航行安全を見守る神なので、あんな砂浜の鹿島灘に「カシマ」があろうはずはないと、思ったからです。
 ところが、4日まえに介護用品を届けてくれたマッスグさんが、鹿島のご出身だっとわかり、いろいろ話を聴くうちに、彼の地が名代の海難の場所だと知りました。
 冬のあいだ、汐目があそこまで南下するので、魚がよく獲れる。ところが、少しでも沖にでた舟は海流の入れ込みぐあいで、底へ引っぱられるので、とても危なく遭難が絶えなかったとのことです。
 幕末でも榎本武揚に率いられた近代船があそこで一隻難破してるし、ノルウェー船の難破は有名です。

 古代語では蟹とガン(癌)がセットになっているように、泉と眼はセットだったと思われます。今の神宮神宮わきにある泉が御神体だったことでしょう。
 タジク語 t∫a∫m(眼)、t∫a∫ma(泉)。アイヌ語 atui sik kasima kamui。
 秦氏のウズマサもこの観点でないと正体を顕わしません。
 
 防人はこの鹿島に集結し、出発点にしたとかで「鹿島たち」ということばが遺っています。ケのくにや武蔵のくにの軍隊は、将校だけが顔をだしたんでしょうね。
 この「発ち」は、後世の「たてば(駅)」にもなっていますが、太刀とも解釈されたためか、いつのまにか武芸の神と崇められ、塚原ト伝という日本武士道のシンボルを産んでいます。
 でも、このカシマタチは。それだけの意味ではなかったはずだと思います。

 そこへ思い出すのが北海道観光地で売られている木彫りのアイヌ夫婦像のニポポです。これはアイヌの風習を無視さんした造形です。誰がどうもくろんだのかもわかりました。
 どう関連があるのかはおEメール呉れた方だけに告げます。ボロボロになっていますが、山音文学の『アイヌ語小辞典』も、計三四册なら、あげますよ。

[3430] Re[3427]: よし! そんなら    外野席 2008/01/08(Tue) 21:40 [Reply]
akaのソース開示ありがとうございます。ああ、山音ですか・・・
しかし、聞いたことがなかったのでお尋ねしただけなのに(「無い」などとは
一言も書いてません)、
>  でもな、男ならチンポ立ててかぶりついて来いヨ。
いくらなんでも、こういう下品な対応は恥ずかしいと思いませんか?

[3429]  お 脳 の 体 操      焼尻紋次郎 2008/01/08(Tue) 12:22 [Reply]
 皆様、みかんは用意されましたか?
 1ヶを右掌に持って、それをまっすぐ上に 60cm ほど抛りあげてください。
 それを左掌で受けとります。その左掌に持っているミカンを、ふたたび右掌でもって上に投げあげるのですが、こんどは左掌がそのまま受けとることができるように、少し放物線を描かせるべく、方向づけをして投げあげます。

 これを、できるだけ速く、何ベンも何ベンも繰りかえすのです。

 なんのことはない。お手玉あそびです。
 馴れてくると、7ヶばかりを操るようになります。

 パソコンが面からは、目には見えない悪魔の指が伸びでてきて、尖った爪であなたのお脳をひっかきまわしているのです。その悪魔の指は電磁波です。
 この病状を恢復させるには「お手玉あそび」が最も効果があるそうです。これは 6年もまえに発見されている事実なんですが、あなた知ってましたァ?

 名前わすれちゃって、ほんと失礼なんですが、五戸方言を集めていたご仁がいらっしゃって、そこのお手玉あそびのことは、五戸だけでも 27通りの呼び方があることを発表なさいました。
 これはもう、家族語ともいうべきチリジリバラバラの語彙分布ですよね。語彙とは本来、そういったもので、国家統制に馴染む性質のものじゃないんです。

 オレ、ひさしぶりにインタ・ネットにたち戻ってみたら、浦島太郎にたいになっていました。五戸のご仁もその掲示板もなくなっていました。

[3428] あしたは大脳の疲れ治ししまっせ  焼尻紋次郎 2008/01/07(Mon) 19:22 [Reply]
 ミナシャ〜〜ン、あしたは大脳の疲れとる体操します。

 ミカンを 5〜7 ヶ用意しといてくれまへんかァ。

[3427] よし! そんなら    焼尻紋次郎 2008/01/07(Mon) 18:54 [Reply]
 神奈備ダンナのせっかくのお指図に従いやして……。ただし、今回だけヨ。また問題になったら、ダンナは面倒でも、またお指図願いまっさ。

 まず、出典は洞爺湖に近い豊浦町にある山音文学の『アイヌ語小辞典』です。
 この辞書は、よく間違いがあると、北見のI.S 氏も言っています。
 今は当時の社長(赤木三平氏)のご子息が継いでいますが、そのご子息は辞書編纂のときに、近くのアイヌ・ニシパに来てもらって指導を受けていたと言っていました。
 赤木三平氏は霊格の非常に高い人物ですので、この aka(水)は捏造したものではないと思います。また、同氏は北海道の新聞に『駅名の旅』シリーズを永年にわたって書いていましたので、地名に残っている aka(水)を斟酌し、じぶんの編輯に取り入れたものと思えます。
 ついでに言いますと、オレの『アイヌ語の謎』は 33年前、この赤木三平氏の応援で出版できました。
 
語彙というものは、最終的には個人言語に帰します。レッキとして「オレはアイヌだ」と思っている人物が「aka(水)」を喋ったとしたら、それはアイヌ語群のなかに入れるのが当然です。
 この辞書にまちがいが多いと言われる根拠は、母音がやたらと付記されている点でしょう。それは、江戸期以降、多母音の和人勢力が次々と北海道へ入りこみ、アイヌもいつのまにか多母音のアイヌ語を使っていて平然としていたことだろうと思います。
 アイヌ語では「ピリカ」がよく知れわたっていますが、これを今はやりの若手研究者たちが表記すると、pirika とは書かないで、pirka と書いてカッコつけるんです。これは国際公法的に phili (選び執る)が始発ですから、pirika と書くのが本当です。
 そういう事情はナァ〜〜ンに知らないで、アイヌ語の(誰かが作った)辞書にないからといって、鬼の首とったような騒ぎしちゃいけないのでアリマス。

 北九州市に行ったことアリマスゥ? ここは、元をただせばヤワタという小さな漁村だったんです。それが折りからの鉄鋼需要ブームにのって、バナナ売りや紙芝居のオッチャンたちが寄り集まり、中には手形割り引きやるヤツまでが、出てきて大都市になったのでした。

 ローマといえど、そのとおりで、ひょんなことから、ギリシャ語圏と多くの交流をもっていたラティウム地方のラティ−ニー族が、一躍有名になったんです。
 そこが aqua(水)をしゃべっていた。
 いや、その前に、アレキサンダー大王の東方遠征に従軍した武将の数名が aqua を日常用語にしていたのかもしれない。
 今じゃぁラテン語といえば、世界を制圧するような大言語になりました。

 とにかく「拙僧がアカを執って進ぜよう」というのが流行りだした。この aka はサンスクリット語辞典に無い(??)ので、ペルシャ語あたりでトグロ巻いていたのかもしれない。
 だが、日本列島には「舟のアカを汲む」もあるし、茨城では家の前の水田をアカと言っている(方言がカギを握ってるのだ!)。

「aka=水」が日本列島を南から北へつき抜けた。
 aka がアイヌ社会に定着した時代とは、さきにくずさんなどに尋ねた「シコツの土壙墓が造られた時代」だったことでしょう。

 アイヌ社会に最初に流入した“水”の発音は pe系を除けば aka だったはず。
 それが、チャンとした根拠をもってakka になったかは、すでに『 紋次郎・言語考古学』で叙べたところ。

 まだまだ、言うこたぁ、イッパイあるが、長くなる。

 でもな、男ならチンポ立ててかぶりついて来いヨ。

[3426] Re[3425]: シンガラ餅 と ヂンガラ餅     神奈備 2008/01/07(Mon) 16:57 [Reply]
> もう覆面の武士とは言語に関して、個人的なハナシは、ここの板ではやらない

 その方針は結構なことと思いますが、
質問 アイヌ語に興味を持っているものですが、水がakaというのは聞いたことないです。
   どういう時に使うのか教えてくれませんか?
   それから根拠になった文献も紹介してください、おながいします。

この質問に答えられることは別に個人的なハナシとは思いませんが・・・。
読者の一人として素直な疑問を示されたのですから。質問する能力のない他の読者も聞き耳を立てています。私も。


[3425] シンガラ餅 と ヂンガラ餅     焼尻紋次郎 2008/01/07(Mon) 07:43 [Reply]
 √イ〜チ ランラン からはじまって 4番目が √ シンガラ餅ャ キャッキャッ
という手まり唄が、秋山郷のすぐ北の、おへまの里につたわっています。
 きのふ夕方 6時 45分、N.H.Kがある神社でヂンガラ餅の行事を放映しました。ヂンガラ餅は「ちから持ち」から訛りでたことばでしょうが、脇にシンガラ餅というのがあったから、そこにンが入ったのでしょう。

 アフリカ北部の海べにいるベルベル人に、日本そっくりの風習があります。お嫁にいくとき、二本のつのを毛髪でつくって、それを髪に入れ、白い布で覆います。

 ネパール語 sing , ベトナム語 sang , 日本語 *tunη 。いづれも“つの”。そしてネパール語 singar は「お化粧をしてあげること」。 -kar , -gar は族際語。
 singar が開音(母音づけ)されるとsingara になります。

 かがみ餅には かぐの実(みかん……ネパール語 ; kagati)が乗っかり、三本のミズ(瑞)ひきで左右を飾る。これ、つのの変形では?

 タガログ語では mutya と訛っていますが、ネパール語 moti は真珠。・ 望月。  鏡餅ひらきには、その年がすばらしい吉兆(満月ツキ)に恵まれることを願った古代人の切なる気持がこめられていたことでしょう。また、満月は purna masi ともいいますが、purna とは「成功した」という意味で、一年を無事に過ごせた感謝の念もこめられていました。

 外野席さん、わ〜るいが、オレ三年半前ぶりにここの板に戻らせていただくにあたって「もう覆面の武士とは言語に関して、個人的なハナシは、ここの板ではやらない」をこころ深く誓いました。
 ここの板では、将来メチャ楽しかるべき言語での潜在親友を三人も失ったんです。そのことをつらつら思いみるに、その三人さんはいづれも覆面の武士でした。
 ただ、なりゆきで可哀想なことになったのは S.S.氏です。それもある、これもある。理由はあるのです。
 「ここに書いてわるいこと」は、片っ端から神奈備ダンナが消してくれま。

[3424] Re[3423]: 『紋次郎・言語考古学』へ  外野席 2008/01/06(Sun) 19:25 [Reply]
>  左上の「ホームにもどる」を叩いて、出た画面のいちばん下の右に『紋次郎・言語考古学』を叩いてください。

そういう自分のサイトへの誘導はまずいのでは?
焼尻紋次郎さんがここで取り上げた言葉の典拠をお聞きしているだけで、
なにも専門的な話じゃありません。
一行ですむんじゃないですか?
別に強制するつもりもないんですが。

[3423] 『紋次郎・言語考古学』へ  焼尻紋次郎 2008/01/06(Sun) 16:14 [Reply]
 外野席 さんへ
 左上の「ホームにもどる」を叩いて、出た画面のいちばん下の右に『紋次郎・言語考古学』を叩いてください。

 言語について、ちゃんとした会話ができそうですね。期待してます。
 おEメールいただきましたら、小生(生田淳一郎)の住所、電話番号などを申し上げます。

[3422] Re[3421]:   若 水 ・ わ き 水      外野席 2008/01/06(Sun) 11:43 [Reply]
>  一般形の aqua 、aka が、なぜアイヌ語で wakka になったかです。あ、アイヌ語の水は wakka だけじゃなく、aka もあるんです。


アイヌ語に興味を持っているものですが、水がakaというのは聞いたことないです。
どういう時に使うのか教えてくれませんか?
それから根拠になった文献も紹介してください、おながいします。

[3421]   若 水 ・ わ き 水      焼尻紋次郎 2008/01/05(Sat) 09:21 [Reply]
神奈備ダンナとの流れをチクと申しあげますと……。
 オレが su: に「産む」、suna に沐浴という意味があるので「ウブスナのスナとは湯あみのことじゃないか」と言うたことから、神奈備ダンナが「スナとは砂だ」とのたまい給うたんであります。

 たしかにそのスジもありま。だが、産湯には神社のわき水を貰う風習があったかどうかにも、ここの割り出しの正非がかかっていましょう。

 スナという語は、近隣言語に類がないのも不安材料です。しかし、いま目をアイヌ語にまわせば、大野晋教授が言うように、古代日本語がアイヌ社会に流入したこともまた確かスジですので、次のことがいえそう。
 スナわち、アイヌ語 su には「清浄な」という意味があり、スナのナは一般形 na(土)と同根ですので「スナ」の語は、あながち神官のでっちあげだとだけには決めつけられないのあります。

 ここはまあ、オレも先々マレー語だのカンボジヤ語などをみることにし、神奈備のダンナも産湯使いのとき神社にわき水を貰う風習があったかどうかに気ぃつけていただきやしょう。

 そこで、またぶり返すようだが、正月には若水をとる風習があるが、これ、やっぱウブスナ志向の発露ではなかろうか。
若水・わき水の語源を割りだすには、正月らしくねぇハナシが出ますのでつづきは『紋次郎・言語考古学』で。
 一般形の aqua 、aka が、なぜアイヌ語で wakka になったかです。あ、アイヌ語の水は wakka だけじゃなく、aka もあるんです。
 アカちゃん、あかんぼう / 水子。

[3420] Re[3419]:  高 砂 弥 ?     神奈備 2008/01/04(Fri) 17:55 [Reply]
> されど、生まれたばかりの赤ん坊は、裸の身体じゅうにスナがついたままオッパイやったんだろうか? スナにそこまでの殺菌力、これあらむか? 
> ここは、神社のわき水を全部、あるいは一部を汲んで産湯にするという風習が、あったかどうかにかかっていやせんか。

 産屋は主にはその家族でしょうが、集落全体で面倒を見たとあります。食事の世話から衣類、湯などを運んだのでしょう。
 生まれたての赤子は身を守るものが体に付着しているそうで、産湯を使わない方がよろしいとの説もありますね。

 海岸に産屋をつくる風習はアジア周辺に広汎にに分布しているようです。カンボジアでは産屋はお産が済むと焼かれたそうです。火中出産のお話は木花咲耶姫や垂仁天皇の妃の狭穂姫の出産が該当しています。

[3419]  高 砂 弥 ?     焼尻紋次郎 2008/01/04(Fri) 07:35 [Reply]
 明けやして おめでとさんで……。
 ネにムサクルしいを持ったがやめぇの紋次郎にござんすハデ、ことしもお引きづりめえしのほど、ばんたんあんじょうたのんまっさ。

 スナの上に産む……ウ〜ム、一理あるなぁ。
 されど、生まれたばかりの赤ん坊は、裸の身体じゅうにスナがついたままオッパイやったんだろうか? スナにそこまでの殺菌力、これあらむか? 
 ここは、神社のわき水を全部、あるいは一部を汲んで産湯にするという風習が、あったかどうかにかかっていやせんか。
 わき水のない神社なんぞは無かったはず。

 昭和 37年だと思えるのですが、イヌイット族の風習を映画にした「イルクとアジャック」をみました。氷に穴掘って、そこに産みおとしていました。穴掘ってそこへ産み落とすまではいい。
 ところで、お猿さんは産出のあと、ヲロ(胎内の付属物)を食べるのだったか。
 どんな草食動物でも、母親はあれを食べるよなあ。

 ネズミのはなししょうか。
★ 千曲川が上田を離れて北へ大きく方向転換するところに、崖が張り出し、そこにネズミという地名がある。
 ラテン語 *sum には「住」の意味がある。岩ネに住むのがネズミとみたがひが目か。「盗むからネズミ」……、この解説は堂々たる日本語の辞典にでてま。
★ ネズミの広域国際語は *musa といってもいい。さきにタがログ語にあることを書きましたが、ラテン語もインド全域も musa いいますだ。

 ところで、イハ(岩)、イシ、スナは、日本語以外の他言語には見当たらないし、日本語内部の変化態も乏しい。あえていえば朝鮮語の hay(岩) / イハ。
 そこへ台湾のタカサゴ(高砂)族。どういう語源なんだろう。高楢の宮……、どっかで聞いたような。
 伊太祁曽様の tak が入っている。 

[3418] Re[3417]: 祭り と ウブスナ    神奈備 2008/01/03(Thu) 15:34 [Reply]
 明けましておめでとうございます。ことしもよろしくお願いいたします。

 海亀は海岸の砂の中に産卵します。これは砂が熱をよく蓄えて、卵を温めてくれるからだそうです。豊玉姫も海岸に産屋を設けました。谷川健一『著作集4』に「産屋と砂」の項があります。敦賀湾の西側の伝承を取り上げています。これによりますと、産屋の砂のことをウブスナというとあります。ひとつの出産が終わると砂を取り替えたり、または産屋そのものを焼き捨てることもあったそうです。

 この伝承のある地域には式内社である常宮神社が鎮座、安産の神様でもあります。神社とその奥宮の岩屋の拝殿の前に海岸の砂を置き、賽銭のかわりにする習慣があるそうです。

 なお、産婦は四〇日後に家に帰りますが、その前に海に飛び込み、頭から潮をくぐるそうです。一応ここに沐浴らしいことが行われていますが、それがウブスナのスナとするのはいささかしんどいのでは。


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