青草掲示板ログ平二十年 二月 2008.2 |
[3657] Re[3649][3647]王番神 神奈備 | 2008/03/02(Sun) 18:04 [Reply] |
> この二面性は、素盞嗚の性格にも通じるように見えます。 > 彼の二面性が気懸りでいますが、これは五十猛(有功の神)の名のもとに、猛の部分をスサノオと呼び、有功(イサオ)の部分をイタケルと呼んでいるのではないかと想像するのですが。 五十猛を取り上げて頂きありがとうございます。この二面性についての見方は面白い見方だと思います。 スサノオも、『記紀』では大蛇退治の後はやさしい夫であり、娘を思う父親の顔を見せています。『出雲国風土記』では、田舎のおじさんのような雰囲気だけです。 一方、五十猛命については、『紀』で植樹のことについて僅かに述べられているだけです。それでも勇猛神と云う名で豊前国下毛郡の貴船神社に祭られています。また、東国の蝦夷退治や熊襲退治にも五十猛命が動員されたようです。 荒魂と和魂、これも一柱の神の二面性で、人間社会の繁栄を保障し約束する魂を和魂といい、その働きを実際に行うべく人間の前に現れるころが神のミアレであり、荒魂とされています。和魂と荒魂との間に鎮魂(タマフリ)があるとするのが幕末の国学者鈴木重胤でした。 |
[3656] Re[3654]: 世界樹 かしこ | 2008/03/02(Sun) 15:33 [Reply] |
>世界中の指す先が空白の時代があった。→片目の巨人伝説 本殿[8774]のオリオンの話と相まって、何かが開けてくるような予感。^^ >世界樹=リンガに巻きつく蛇、竜・・萱蛇を輪にしたら、茅輪くぐり^^再生の儀式でしょうか。 これは真面目にそうだと思います。ヘルメスの杖がまさにこれを語っているのではないでしょうか。西洋のお医者のシンポルがこれですね。 ヘルメス(マーキュリー)は冥界とも結びついており、豊穣神としての側面は陽根を持つヘルメス柱として境界や路傍に立てられてもいるといいます。出ましたね。^^v 錬金術では、水銀を指すというのも興味深い。ヘルメス思想には、ミクロコスモスとマクロコスモスの照応説などもあるようで、これは曼荼羅にも通じそうです。 こうしてみると、古英語wuduが宇豆であっても違和感なく、むしろ自然の流れのように思えます。 ※[3655] は、Re[3653] でした。[3654] が間にあるのに気付かず、失礼しました。^^ |
[3655] [3654] 世界樹 かしこ | 2008/03/02(Sun) 12:14 [Reply] |
>ノアの箱舟がイメージできますね^^ 言えばますます青草かとあえて触れずに・・ありがとうございます。 舳先にとまる鳥は、今でもその表現を舳先の目に変えて残っていますね。 以前、金色に光る金属の嘴を付け、大きな両目を描いた古代船を見たことがあります。(TV) また、西洋の船は舳先に女神像を取り付けていますし。広く行き渡ったイメージのよう。 ※カイラース山には確か目のような切れ込みがありませんでしたか? >世界樹を思いました。世界樹の先端には北極星。 ぞくっとするようなイメージです。一気に世界が拡大する思いです。 大元のところでは、私たちはみな一つの家族のようなものです。北極星を頂いた世界樹は、そういう私たちのシンポルなのかも知れません。この樹は、宇宙を行くarkのマストです。私たちはarkに守られ、天上の竜に見守られながら、26000年の旅をしている。やはり、孤独ではなかったようです。^^ 子供達がそんなイメージを持てればよいですね。 >川上の神の源流はガンジス(インダス)の川上のリンガででいいのかなーと思います。 そう思います。川上に神秘を置くのは、天から地への流れ、命の流れをイメージしているのでしょうね。布留はシラですから当然リンガに結びつきます。 これは神棚や床の間の側が上座とされることにも通じるのかも。やはり、トコに意味があるのかも。イタク・カシ・カムイによりご解釈下さい。 上流から下ってきたのがお碗でなくお箸なのは、これが命を象徴しているから。お箸が命の糧を直接口に運ぶものだからでしょうか。そしてそれが流れてきたというのは、今まさに上流で命が失われようとしていることを知らせているわけです。 なぜお箸が?とこれもずっと不思議なことでしたが私なりに納得です。 ひと吹きの息がまた風を呼び、アイラーヴァタが次々と生まれてはとどまることがなく・・^^ |
[3654] 世界樹 くず | 2008/03/02(Sun) 11:07 [Reply] |
半分を殺し半分を生かす神。 (参考大三元さんの資料から。http://www.dai3gen.net/arajin2.htm) 個人的に、北極星を中心にした星の日周運動を指すのではと思っています。 http://www.h4.dion.ne.jp/~kato-chu/F8/f8-pic42.htm 加藤忠一さんのHPから「星明かりのカイラス」 日周運動で半分の星は沈んでいきますが、半分の星は昇ってきます^^ 仙台の太白山周辺に独活の巨木伝説が残ります。 独活で片目をついた神や巨人伝説もあります。 http://www.stks.city.sendai.jp/sgks/WebPages/taihakuku/40/40-03.htm この独活は世界樹wudu、uDuHだと思います(かしこさん[3652]) 独活で目を突く、その目とは世界中の指す先北極星。 かつての北極星(インパクトの面ではヴェガでしょう)が歳差で移動しており、 世界中の指す先が空白の時代があった。→片目の巨人伝説 世界樹=リンガに巻きつく蛇、竜 石や木に藁(萱)蛇を巻きつけるのはこれでしょう。 とみたさんの追われる部族の習俗にも繋がると思います。 萱蛇を輪にしたら、茅輪くぐり^^再生の儀式でしょうか。 ガンジスの源流と伝えられカイラス山を望むマナサロワール湖があります。 淀川を遡ると、琵琶湖。大和川を遡ると旧大和湖。 湖のほとりにはそれぞれ三上山、三輪山があることになりますが、 そこに宝物(青銅器、鉄器)を埋めるのは意味があったのではないでしょうか。 諏訪湖と守屋山、中禅寺湖と男体山もそんな関係かも^^ |
[3653] Re[3652][3649] 本殿[8774] くず | 2008/03/02(Sun) 01:16 [Reply] |
かしこさん、 > kisa(koShaH)が導いてきた神には、付き従う人々がいたのかも知れません。 > koShaH は ark「安全な避難所・大型平底船」でもあります。 ノアの箱舟がイメージできますね^^ > kisaは太陽と人々の避難所となって、船の舳先に立ち風波を身に受けつつ、守り導いてきた訳です。^^ 船の舳先にとまる太陽の使いの鳥を思います^^ > ところで五十猛は「樹木の神」でもありますが、ここで気になる言葉が古英語 wudu(wood)。 > つい、ウヅヒコを。ついでに古英語の神はOsです。 > 船は木造ですから航海と結びつき、星である uDuH にも繋がるのかも知れません。 > wuduの語源である古高ドイツ語 witu からは・・ 世界樹を思いました。世界樹の先端には北極星。 ガンジス(インダス川も)の源流域のカイラス山。天(北極星)と地を繋ぐリンガ。 ガンジスの精はクンビーラで鰐です。 肥前の佐嘉川は鰐がのぼる川。そして姫のいる川上にはリンガ(金精)が。 ヨド姫、ヨタ姫、豊玉姫につながるかなー、 サンスクリット【yutaka】 = yautaka 【yutaka】を引くと、 pair(ペア)のほかに the edge of a cloth or dress (布かドレスの縁) the edge of a winnowing basket (箕のかごの縁) このedge(縁)は境でしょう。 【yautaka】の意味は present(贈り物)private property (私財) property given at marriage (結婚で与えられた資産) a woman's dowry(女性の持参金) など豊かですね^^ 豊かはクンビーラ、カイラスの懐に住むクビーラに繋がる。 戌亥の隅からザクザクと^^ 川上の神の源流はガンジス(インダス)の川上のリンガでいいのかなーと思います。 八尋鰐。摂津の半分を殺す神、天津鰐。 出雲の御影神、ヨド姫、伊勢のアザカ、同じでしょうね。 縄文アラハバキ(箒木)も近い存在なのでしょう。きっと^^ |
[3652] Re[3649] 本殿[8774] かしこ | 2008/03/01(Sat) 21:30 [Reply] |
そしてこの五十は、伊太祁曾:nIta-kisa。つまり「kisaに導かれたもの」(nIta:led, guided)でもあります。^^ kisaが導くのは太陽ですから、大屋毘古はyuhaであり、また五十猛であり、五十猛は二面を備えたラーフ的な神であり、ルドラであり、The furies(フリアエ)であり、Heraでもある。 また「万物を創造しかつ滅ぼすこともできる至高神」であるアッラーフ(Allah)にも似て・・ 一方では、khurでありHeliosであり、hero(保護する人)でもある。そんな神なのではないかと思えてきます。やはり表裏一体の世界。巴の紋を思います。 ra-huという言葉が既に光と陰を表現しており、ra-hulaがその説明になっているようです。 kisa(koShaH)が導いてきた神には、付き従う人々がいたのかも知れません。 koShaH は ark「安全な避難所・大型平底船」でもあります。 英語でこれに近い言葉が citadel(城・砦・安全な避難所・最後の拠り所)。下照に音が通じます。 citadel→梵語 durgaM←英語 scrape。scrapeは・・ @物を(の表面を)こする・こすって綺麗に滑らかにする A〜をやっと切り抜ける・〜でやっと暮らしていく ここから想像するのは、宗形と大型船が繋がることもあり、どこからか船でやって(逃れて?)来て、懸命に暮らしを立てて行こうとする人たちの姿・・ kisaは太陽と人々の避難所となって、船の舳先に立ち風波を身に受けつつ、守り導いてきた訳です。^^ ところで五十猛は「樹木の神」でもありますが、ここで気になる言葉が古英語 wudu(wood)。 つい、ウヅヒコを。ついでに古英語の神はOsです。 船は木造ですから航海と結びつき、星である uDuH にも繋がるのかも知れません。 wuduの語源である古高ドイツ語 witu からは・・ 失礼しました。言葉遊びかもしれませんが、これもまたゆめのうちです。^^ ※キサガイは赤貝(ark shell)の古語。 ※arkには koShaH の他に nau, taraRI など想像力を刺激するものがあります。 足・トウトウタラリ・足彦・・・ ※durga-am(=amati):必要が叶えられない状態 これを「叶いますように」と祈るのも urga-amヲロガムかも。 durga:difficult of access or approach, impassable am(=amati):want, indigence |
[3651] 川上の霊威 五 神奈備 | 2008/03/01(Sat) 19:54 [Reply] |
海人である安曇族の一部が信濃に居住していました。安曇郡と云う地名があり、式内社の穂高神社「穗高見命、綿津見神、瓊瓊杵尊」が鎮座、由緒によれば、安曇氏はエゾ地開拓の兵站吉を設けるべく大和朝廷により派遣され、この地に定着したものとされます。 ネット探索からは、信州大学名誉教授の坂本博さんの著書『信濃安曇族の残骸を復元する』によると、安曇族は西暦500−600年この安曇野に入ったとあるようです。古墳時代後期です。 継体天皇就任から100年間、推古天皇の頃までですが、この間、九州での磐井討伐、敏達天皇の時にエゾの親分のアヤカスを召喚して三輪山の天皇霊に忠誠を誓わしています。また蘇我物部戦争もあり、ようやく大和朝廷の力が全国版に踏み出した頃と言えるでしょう。 それにしても、この頃に安曇族を大和朝廷が信濃に派遣したとか、朝廷自身がエゾ地開拓云々はいかがなものでしょうか。 昨年、千曲川沿いの柳沢遺跡から銅戈が見つかっています。これは主に北九州から出雲など日本海側に分布するものです。時代は弥生時代です。誰が銅戈を信濃に持ち込んだのでしょうか。安曇族が有力ではないでしょうか。 では、安曇族は何を目的として信濃川・千曲川を遡っていったのでしょうか。千曲川沿いには褐鉄鉱が採取されたようですし、何よりも鮭の遡上があり、大量に獲れたものと思います。薫製とか塩漬けとか干物にするなどして備蓄食糧として打って付けだったのでしょう。 千曲はチ:精霊 クマは隠ると見れば、まさに鉄資源と食糧の供給する川の上流だったのでしょう。 |
[3650] 十 六 国 紋爺ぃシャン | 2008/02/29(Fri) 16:55 [Reply] |
とみたさん、進みましたねぇ! 一覧表のパンフなどできたら、まっさきに買わせていただきますヨ! 言語比較は、地域的にまとまった少数民族の言語がほしいところです。文字を持ったり文法がガッチリしている民族とか、大国どうしの比較は、どうも落し穴がありそうでカナワンです。 くずさん、インドの十六国は知りませんでした。有り難うございます。 黄幡に繋がって、十六弁の菊、五胡十六国。・ 安寧、ニニギ(寧=nig)。十六ある剣を一つに収斂させる意気込み。 密教では、黄色は万象の中心だとか。・ 黄布のラン。アラビヤに黄色偏執の起源がありそうです。坂上田村麻呂のあごひげは黄色かったとか。 ああ! あれやこれやでまとまりまへんのや。 |
[3649] Re[3647]王番神 かしこ | 2008/02/29(Fri) 14:55 [Reply] |
王番神・黄幡神をトウバン様というなら、トゥバンを想起するのも自然に思えます。 ここで思い出すのが、本殿[8698]くずさん: 「境神はサンスクリット語でシャグジと呼ばれ、漢字で「将軍」と当てられた・・・」 「王」と「将」の字義の近さ、黄幡と大幡の音の近さも気になります。 大幡主(福岡櫛田神社の主祭神 大若彦命)は黄幡神の祭祀担当者?かも・・との青草をふまえて。 櫛田神社の櫛では、kumbhiraの歯からcombへの変化を想像してみると(未確認です) 櫛=鰐≒竜となり、櫛を介して大幡主と竜・トゥバンの繋がりが浮かんでくるような。 トゥバンがトウバン様であるならば、やはり大幡主は黄幡神の祭祀担当者ということに。^^ 櫛が呪具であるのは鰐≒竜に関わるためかも知れませんね。^^ ラーフ(R?hula 羅?羅 らごら)は、その音がルドラに似ているので調べてみると。 ルドラ:風水害をもたらす荒ぶる神である反面、慈雨を齎し豊穣と人々の健康・安寧を保障する存在 そして R?hula。 まず ra :fire , heat, giving, gold, brightness, splendour ラーフ ra-hu hu:to cause to sacrifice or to be sacrificed or to be honoured with sacrifice ラゴラ ra-hula hula:kind of warlike implement, a double-edged knife with two sharp edges 鋭い刃をもつ諸刃のナイフ[ そして半分を生かし半分を殺す荒ぶる神 ] この二面性は、素盞嗚の性格にも通じるように見えます。 彼の二面性が気懸りでいますが、これは五十猛(有功の神)の名のもとに、猛の部分をスサノオと呼び、有功(イサオ)の部分をイタケルと呼んでいるのではないかと想像するのですが。二面相携えて五十(イサ)となっているとの青草解釈です。 *能伝書には宿神を麻多羅神とする(伊太祁曾bbs神奈備さん) *翁舞の翁は、宿神・北極星との説(金春禅竹)がある(くずさん) シャグジ→将軍→黄幡神→トウバン(竜)→北極星→宿神→マダラ神・・と繋がるのでしょうか? mi-stha-yati:は北極星・境神を思わせます。 mi:to fix or fasten in the earth stha:standing, staying yati:a striver, an ascetic, devotee * striverは夜刀を。^^ |
[3648] ワ族とカーシ族 とみた | 2008/02/29(Fri) 00:32 [Reply] |
クズさん >古代インドのカーシ国との関連は解りませんが、カーシ族を知りました。 東南アジア系(?)で、インド東北ののアッサム地方に住む民族だそうです。 女系社会を現代に残す少ない民族 私も、カーシ族とワ(イ瓦=人偏に瓦)族に興味を持っています。 東南アジアでは言語と民族を大きく、チベット・ビルマ系、オーストロ・アジア系、インド・アーリア系、ドラビダ系、イラン系と分けているようです。 チベット・ビルマ系にはネパールのネワール系。 そして問題のワ族とカーシ族はモン・クメール語族で浅黒い顔です。 モンクメールはオーストロ・アジア系かチベット・ビルマ系のいずれでしょうか。 ワ族は日本と共通しているのが、高床式住居で屋根には千木と鰹木を持っています。 これは中国雲南省のハニ族とタイ国のアカ族も共通です。しかも鳥形の乗っている門が村の入り口にありまして日本の鳥居の祖形ともいわれています。 ワ族は母系社会です。 首狩の風習も最近までありました。 前漢時代紀元前109年に前漢武帝に攻められたテン(サンズイ篇に真=シ真)国に兵として仕えた部族がワ族と中国では見られているようです。テン国は武帝から蛇鈕金印を授与されています、この国も母系社会だと考えられています。 九州福岡の志賀島で発見された委奴国王銘のある金印も、57年に後漢光武帝から授与された蛇鈕金印です。ワ族もカーシ族も母系社会でした。雲南省の南はタイやラオスやビルマ(ミャンマー)と接しています。 カーシ族はバングラディッシュとアッサムとの間に住んでいますね。ミャンマーからそれほど遠くないと思います。 ミャンマーで少数民族が現在軍事政権に迫害を受けています。カレン族です。これも中国南部から逃避した民でしょうか。 NHKで先日放映された、ミャンマー沖の海の民、素潜りで銛を頼りに魚介類を取る専門集団も元は中国の南部からやってきた民のようです。 |
[3647] Re[3643][3644][3644] くず | 2008/02/28(Thu) 20:56 [Reply] |
[3643]かしこさん、 > 風は想いを誘いますから。 > そして庭には青草が生い茂りますので・・ 茂った青草にも風が行き渡わたるならいいと思いますよ^^ > ダージリン・ヒマラヤ鉄道のルートにスクナという町があります。(テレビ番組) > ルート付近の人達は色浅黒くごく小柄で東洋人風の顔立ちでしたので、気になっていました。 カーシ族の風貌も日本人に似るようです。 [3644]神奈備さん、[3646]紋爺ぃさん、 >川上の霊威 日本の神様読み解き事典(川口謙二編著) 『王番神/大元神』より、 「中国地方、ことに山口県・広島県に多い小祠で黄幡神とも書く。福山地方では王番神と書き馬を守る神と伝えられ、また王馬ともいって二月十三日を祭礼の日としている。 広島県山県郡千代田町地方ではトウバン様と呼び、牛馬の神として堤の端や川上の山中に堂祠をたてて祀っている。中略 広島県山県郡芸北町の例をみると王番神は大元神ともいい、これは作神、稲の神(田の神)であって、牛馬の神とはしていない。祭神は出雲系の神と思われるが不明である。しかし、この王番神(大元神)は氏神の境内に別に祀ってあり、所によっては境内の木(多くは箒木)を神としている地方もある。・・・」 堤の端、川上の山中、箒木等から川上に祀られる古層の神にみえますが・・ この神、トゥバンではないかと思います^^ 竜座α3500年前の北極星。 黄幡神は凡字が書かれ、修験か密教が広めた日月食をもたらす暗黒星ラーフのようです。 九曜の一つ、不死のラーフ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B9%A1%E7%A5%9E http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9B%9C 佐賀の嘉瀬川(肥前国風土記では佐嘉川)の川上には與止日女命神社がありますね。 豊玉姫でもあり、神宮皇后の妹神。 http://www.genbu.net/data/hizen/kawakami_title.htm そして半分を生かし、半分を殺す荒ぶる神。 http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-49.htm 播磨国風土記、出雲御影大神も半分を殺すといいますね。 考えていますのはイザナミ神との繋がり^^ |
[3646] カ・ワ・カミ 紋爺ぃシャン | 2008/02/28(Thu) 19:03 [Reply] |
姓に「カワ」がつくのが多すぎる。 日本人の姓は林にしろ、森、谷、山、島……にしろ、自然の形状をうつした表出が多い。だが、それは外来民のカムフラージュだと看たい。 森は一つには mor(馬)だろうし、谷はオトコ、山は「そこの集合地のご仁」、島は泉を中心とした地域に住む人……というように、別の意味があったとしかならない。 kas とは国家形成当時は“貴人”だと意訳できる。西洋系末尾辞の -s がくっついた語形で、原意原音は「 ka(人・人々)」だったのだ。 漢字オンチのオレは知らないが、チョカ(ブタ飼い)、ギュウカ(牛飼い)のカイからはじまり、今は音楽家、画家、倹約家のカになっている「カ」に -s が添えられた語形が タジク語の kas(人)だった。 その当時の大衆にとって、「カ」といえば、タジク人みたいな貴人だった。 wa はネパール語系で、これも「ひと」。 「カミ」の基本概念は「しごとにん」だが、その土地を護る人としてのカミ(守)もあったかもしれない。 カワカミとはタジク系の土地ガミだったことだろう。 出雲の権威をひき継いでいるんだヨ。 |
[3645] 有翼神獣の布留 紋爺シャン | 2008/02/28(Thu) 11:59 [Reply] |
> 布留川の上流はまさに霊威の巣窟のようです。 ★ 発音がフルなら朝鮮語、アイヌ語のフル(岡)。 だがフリュ−なら有翼神獣。フ−リともいう。翼を持った龍なので風にこだわる。 福岡県八女郡、三瀦郡でタコ(凧)をフ−リュ−という。アイヌ語にはフ−リ、フリューの二つとも入っている。 ライオン、七支樹(刀)、金、などとともに世界を席巻した“文化のシンボル”だとみてとれます。 |
[3644] 川上の霊威 四 神奈備 | 2008/02/28(Thu) 11:02 [Reply] |
神武東征譚の後半に吉野の丹生の川上で、五百筒真坂樹を根こじにして諸神を祭りました。 その前には神武さんは宇佐に上陸しました。宇佐側では川のほとりに宮を造ってお迎えしました。これは川下の出来事です。続いて、崗の水門に行きましたが、ここは遠賀川の河口、後も瀬戸内海の川下に寄りながら、河内の草香邑の白肩に行きました。ここで長髄彦に攻撃されて兄の五瀬命が傷つくのですが、長髄彦は奈良盆地にいるのですから交野に流れている天野川か大和川の上流にいたことになります。最後には長髄彦は敗れ去ります。 土蜘蛛の一人であった長髄彦と同じく、『景行紀』には、九州の土蜘蛛を征伐したお話が出てきます。下記は征伐された土蜘蛛の名と居住地です。 鼻垂 菟狭川上 、耳垂 御木川上、 麻剥 高羽川上、 土折居折 緑野川上、青 鼠石窟 稲葉川上、白 鼠石窟 稲葉川上。 土蜘蛛の存在は川上の霊威の一つの要素であったのでしょうが、天皇家の威光はそれをも上回っていたとの説話なのでしょう。 日本武尊は熊襲の川上梟帥を殺します。これも川上の霊威が天皇家に敗れたといえるのでしょう。 川上の霊威は政治的・軍事的には天皇家に敗れますが、祭祀的には背後で手を握って、天皇家を支えると云う構造が見えてきます。 |
[3643] Re[3641][3639] かしこ | 2008/02/28(Thu) 10:10 [Reply] |
[3641] >「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」 風は想いを誘いますから。 そして庭には青草が生い茂りますので、自重します。 祭祀の中断と復活。そういう見方もできるわけですね。世話をされなければ、汚れも付きますし。^^ >東南アジア系(?)で、インド東北ののアッサム地方に住む民族だそうです。 ダージリン・ヒマラヤ鉄道のルートにスクナという町があります。(テレビ番組) ルート付近の人達は色浅黒くごく小柄で東洋人風の顔立ちでしたので、気になっていました。 あちらにはナムチがいることでもありますし。 [3639] chirの音は転じて、チョウ(鳥)ですね。chirpが日本で「喋る」になったのかも知れません。 英語国では鳥がchirpと鳴いて、人はchatするようです。talkは違いますね。失礼しました。 |
[3642] 小川光三 ヤマト古代祭祀の謎 縄文の風 | 2008/02/27(Wed) 20:22 [Reply] |
小川氏の決定版がでました。学生社 2520円 大和高原、おう氏の地。はた氏もおう氏と接点あるか、私もこうしちゃいられない。 3月9日、午後1時半から、近鉄奈良駅前の観光会館にて、山添村シンポを開いて、新説を紹介します。乞う、ご期待 |
[3641] Re[3637][3636][3640]: 太陽と北極星 くず | 2008/02/27(Wed) 19:32 [Reply] |
> 古伝の幽玄霊妙な雰囲気は、日本の深山幽谷の姿によく似合います。 > 一方、梵語の解釈からは、自然の脅威に目を見張る素朴でおおらかな空気を感じて、 > やはり風土・空気というものは、神話の形にも変化を齎すものなのだなと思いました。 > どちらも美しいものですね。 「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」 サン=テグジュぺリ 「人間の土地」堀口大學訳 から。 この言葉が浮かびました。(原文は知りませんが好きな言葉です。) 人間を育てるのはその人間が生きる土地、風土だと思います。 民族は"血"ではなく風土によって作られる。 言葉とは土地に選ばれ、しみ渡った風の音と思います。人を作る精神の風そのものかも。 その風がどこで生まれてきたか、よりもその土地の特性がどんな言葉を選択してきたか。 今の僕の興味はそこに向きますね^^ [3636] >ただ、貝が着生するほと長く海中にいたという磯良に関しては、もっとその奥があるように感じています。 >太古に姿を消したことがあるという太陽。もう二度とそんなことがあってほしくない。 そのために、仮想の死を演じさせるのではないでしょうか。 太陽の不在は海人系の太陽祭祀がなんらかの理由である期間出来なかったから?でしょうか。 神功皇后−応神期に磯良が見れるのは、その時代に祭祀の復活があったのかも。 それからもう一つ、古代インドのカーシ国との関連は解りませんが、カーシ族を知りました。 東南アジア系(?)で、インド東北ののアッサム地方に住む民族だそうです。 女系社会を現代に残す少ない民族。天の岩戸隠れ神話と類似する話を持つそうで興味を持っています^^ 以下は神奈備さんの[3640]にも通じる話。 能にあって能にあらずと言われる"翁舞"があります。 金春禅竹はこの翁を宿神であり北極星とみていたようです。『明宿集』 サンスクリット【star】から引けるのは、 tArA, tArakA, nakSatraM, jyotis n., uDuH, bhaM, RkSaM; ターラ、ナクサトゥラ(ナクシュトラ)、ウドゥーが目を引きます。 (摩多羅神、妙多羅天、名草、太秦、宇豆彦などが浮かびました^^) 宇佐神宮の起源に鍛冶翁が登場します。 八頭の鍛冶翁は、金の鳥に姿を変え、童子に姿を変えて自分は応神天皇であると言いました。 http://www.genbu.net/data/buzen/usa_title.htm このカジオウは細男、クワシオからの転化なのかもと思っています。 細男舞と翁舞を繋ぐ存在なのかも。 北極星は海に沈みませんから、その点では阿曇磯良、シラとは結びつきません。 細男が磯良自身であればカシオは北極星ではないものを表しており、 能の翁舞の起源を細男舞に求めるなら、翁は北極星ではないのかもしれませんね^^ ただ宿神がミシャクジ、そして縄文の奥底に通じるような古い神であったなら、 宿神=北極星はありうる話と思います。 縄文早期の北極星は琴座のベガ(付近)だったそうですから、太陽、月を含む星の動きの中心をなしていたベガに縄文人が霊威を感じていたのかもしれないと思うからです。 ただ北極星は動きますからね。彼等は見つけた"神"を失う事になったかもしれない・・・ 渡来系と言われる秦氏と縄文が結びつくとしたら面白いお話だと思いますね^^ |
[3640] 川上の霊威 三 神奈備 | 2008/02/27(Wed) 14:47 [Reply] |
金春禅竹の手になる『明宿集』に、秦河勝の誕生譚が記載されています。 推古天皇の時代に泊瀬川に洪水が起こり、上流から一つの壺が流れ下って来ました。人々は不審に思い、磯城島の辺りで拾い上げてみると、壺の中にはたった今生まれたばかりの赤子が発見されました。その子供は大人の口を借りて「僕は秦の始皇帝の生まれ変わり」と述べたとあります。 泊瀬川の源流は三輪山の背後をなす大和高原の小夫・白木の付近とされています。桜井市白木につきましては、『大和の原像』の中で小川光三氏が、「新羅の王子天日矛が、ここに新羅城を築いた。」との伝承を紹介しており、末裔の秦氏が登場してくるのも不思議なことではありません。 また、国中が水没していた頃でも、この大和高原には古くから人々が居住し、縄文的といいますか、古層の神を祀っていた地域と思われます。云ってみれば大和国中の後戸の神が鎮座していたということ。 さらに、赤子が拾われた磯城とは、シキであり、国中と高原との境とでもいう地で、その奧に後に長谷寺が出来、十一面観音像が鎮座するこの世とあの世との境とも見なされたのでしょう。 川の上流、秦河勝の誕生譚から見えることは、その霊威の源泉は縄文的古層の神の鎮座地であると云うことが言えそうです。 川の上流から現れる古層の神としましては、建角身命の娘の玉依日売を孕ませた賀茂川を下ってきた丹塗の矢のお話が『山城国風土記』に載っています。丹塗の矢となったのは先に三輪の大物主神もそうでしたが、これらは古層の神々であって、大和に出来つつある王権は古層の神々との協調をしながら、自らの立場を維持して来たのでしょう。 天皇家の祭祀には、芸能者と職人とが不可欠であり、彼らの神は宿神と呼ばれる古層の神々であったのです。天皇家が宿神を取り込んだ制度を持ったことが天壌無窮の秘訣なのかも。 |
[3639] Re[3638]: 語彙の内意が慣用で変化する かしこ | 2008/02/27(Wed) 11:07 [Reply] |
はじめまして。 >“概念”が主となって 人の思いは、ある地点から始まってそれからそれへと移ろいます。 そんな人の言葉もまた、概念が形と音とを伴って絡み合いながら変化するのではないかと思います。 >chir(鳥) 細部について語るべき能力がありません。すみません。 ただ、chirが鳥だというのは、子供が鳥を指して「あ。チュンチュン」という感じですね。 また、chir-chirいうのは鳥の話声ですから、これが人では chirp→talk になったような感じも。^^ 発音してみると、全然違うようでもあり、そう遠くないようでもあり。 >タガログ語 isa は 1 これは素敵な発見でした。ありがとうございます。 やはり神さまは「一」のようですね。一の別の表現が十です。 つまり、あのサッと描いた円。すべてを包摂したもの。ご神体の鏡。九を内包して一の鮑。 一神教はその「一」の部分を見、私たちは「十」の方を見ている、ということかも知れません。 >kazi と同根が そうですね。アヤカシコネにも含まれているのかも。カシマもこれでしょうか。 太陽の目。建借間は名前に太陽を掲げて手強い常陸開拓に乗込んで来た・・。^^ [z]が清音なら鹿島。濁音なら梶間がありますね。 |
[3638] 語彙の内意が慣用で変化する 紋爺シャン | 2008/02/27(Wed) 06:49 [Reply] |
かしこさん、はじめまして。 > 国境線が薄れてきましたよ。各国語というものも、拡大版の方言のように思えてきています。 安本美典さんは凄い精力とコンピューター処理をつかって、計量言語学を創立されました。これは西洋言語学者が「語彙というものは時間とともに変わる」という考え方を継承したもので、これが、即、「語彙の変化は語形や音で変形してゆく」を追求した研究でした。 はたしてそうでしょうか? 多くの言語をあたってゆくうちに、諸言語そのものから多くのことを教えられます。その一つ、「語彙の変化は使用・慣用する語彙の“概念”が主となって変わってゆく」を教えられます。 「chir(鳥)」は族際古語だと思います。これは名詞形から発達し、「鳴く、泣く」などへ意味変化することも十分にありうることではないでしょうか。 英語 chir-p 。末尾の p は動詞化の末尾辞では? タガログ語 isa は 1 ですが、「いちずに」という概念に移行しないものか……。 ところで、山本多助エカシは『イタク(ことば)のカシカムイ』という小雑誌をつくりました。全体の意味は“ことだま”ぐらいの内意ですが、ここにも kazi と同根があらわれているようです。 |
[3637] 石・布留・祝・日の谷 Re[3635]: 川上の霊威 二 かしこ | 2008/02/26(Tue) 20:10 [Reply] |
《石》 石をイサ(イセ)と読んでみます。 [梵語:sa] air, wind, of viSNu or ziva, air, wind, a bird, knowledge, meditation すると・・・i-sa は・・・(iは[3633]により) 「ヴィシュヌorシヴァの叫び」 これは雷鳴のイメージかも知れません。 「神」の元の字形「申」が雷(稲光)の象形であることにも通じます。 「風のうなり」 「鳥のかん高い鳴き声」 などとなるのでしょうか。いずれも詩的なimageで、一瞬鳥肌が立ちました。 イサチルは、おそらく「i-saちる(宮柱太知り・・の知る?)」でしょうか。 荒れ狂う雷雨の印象です。伊玖米入日子伊沙知命(垂仁)を思いますね。 ※a bird:これは日本神話の烏・白鳥・鴫なども関連してくるのだろうか。 言葉も神々も幾重にも重なりあい響きあっているようです。 《布留・祝》 khur フゥル:ペルシャ語 太陽→ここでいう布留ですね。 yuha ユハ:アラビア語 太陽→太陽祭祀を執り行う人を祝・斎主といいます。 因みに私は、湯も丞も十も岩も yuha の転だと考えて、スッキリしています。 これらの名の付く神社には、岩座があるのではないでしょうか。 天の岩戸は「太陽の門」かも。門が閉ざされて光が消えた。 「太陽の門」からは、シャマシュ(シャムス)を思いますね。 この解釈によれば、石上神社には、i-saの神として太陽が祭られているわけです。 ここでも、雷鳴・雨(竜蛇)とその反面である太陽がペアになっています。 《日の谷》 布留川上の日の谷は、太陽川の陽谷でしょうか。蛇はやはり、太陽の周辺に付き従うようです。 ところで、古川という姓も実は古い川などでなく「太陽の川」という目出度い意味なのかも。 石川も、「伊勢川」「神の川」となりそうです。 こうしてみると、あらためて、日本は太陽と神に満ちていたのですね。 古伝の幽玄霊妙な雰囲気は、日本の深山幽谷の姿によく似合います。 一方、梵語の解釈からは、自然の脅威に目を見張る素朴でおおらかな空気を感じて、 やはり風土・空気というものは、神話の形にも変化を齎すものなのだなと思いました。 どちらも美しいものですね。 ※青い試論です。^^ |
[3636] Re[3634][3633]: 磯良舞 かしこ | 2008/02/26(Tue) 14:53 [Reply] |
>kAzi:shining、the
sun おお!ありがとうございます。近くの神社名に解釈がつきそうです。 では「奇しき太陽」は、shining Sun ではないですか。わくわくと嬉しくなります。 「磯良別名細男」の中では、ra-sur-kAziと、太陽が繰り返されているわけです。 >5世紀の十六大国の一国Kashi(カーシ)国 素敵だ。ここにも太陽国がありましたか。いよいよ知的大冒険が始まりましたね! >ラーヴァナは10の頭を持ち、10対の腕を持つ そう、十と九です。 >黒男、黒姫話の原型も 国境線が薄れてきましたよ。各国語というものも、拡大版の方言のように思えてきています。 >【iSira】でrefreshing 、fresh、flourishing 、vigorous、active、quick iSira がありましたか! >再生、繁栄のような意味に そうだと思います。 >太陽の死は新しい太陽が生まれるために必要なもので、悲しむものではない。 そう思います。日々の単位ではそうに違いありません。 ただ、貝が着生するほと長く海中にいたという磯良に関しては、もっとその奥があるように感じています。 そのために神話上でも太陽の世話係りを想定し、実際には、日々恙無く地上を照らすようにと祭祀を行うのではないか考えています。 太陽を落す神事は、死がなければ生もないとの考えなのでしょうね。生かすためには死が必要だ。 太古に姿を消したことがあるという太陽。もう二度とそんなことがあってほしくない。 そのために、仮想の死を演じさせるのではないでしょうか。 |
[3635] 川上の霊威 二 神奈備 | 2008/02/26(Tue) 12:01 [Reply] |
石上神宮に茅渟の兎砥川上に縁の剣一千口が納められたのですが、さらに石上神宮の神が布留の御魂ですが、この謂われについて、『源平盛衰記』には次のような話があります。 「石上神宮の神霊を布留というのは、布留川の水上より一の剣が流れ下って来、此剣に触るものは石木共に伐砕されて流れた。下女が布を洗っており、剣下女か布に留まりました。だから神として祝に奉献。故に布流大明神と云ふ。」です。 天理駅の西側に式内夜都伎神社の論社とされる八剱神社が鎮座しています。社の由緒には「神代のむかし素盞男命が八岐の大蛇を退治されたとき、大蛇が身を変え天へ昇りて水雷神となって神剣に扈従して布留川上の日の谷に天降り臨幸して鎮坐す。 貞観年中に八剣神としまつられた、もと村社で五穀豊穰神霊退散招神の守護神として尊れている。」とあります。 布留川の上流はまさに霊威の巣窟のようです。 |
[3634] Re[3633]: 磯良舞 くず | 2008/02/26(Tue) 09:48 [Reply] |
> 細男(クァシオ)は「奇し」にも近く、奇しき太陽にこれまた相応しい。 以前神奈備さんがご紹介されていた"ちび黒の住吉神"1人勝ちの、 細男舞(くわしおまい)神相撲が印象に残っておりました^^ サンスクリットでは【kAzi】に、shining、the sun、等がありました。 他に、of a prince (the ancestor of the kings of kAzi ,・・・)とありますので、 このkAzi国とはインド、紀元前6、5世紀の十六大国の一国Kashi(カーシ)国のことかと、 考えてますがこれはまだ調べきれてません。 叙事詩「ラーマーヤナ」でシータ姫はラークシャサの王ラーヴァナにさらわれます。 ラーヴァナは10の頭を持ち、10対の腕を持つ。クベーラ神から奪った”空飛ぶ戦車"を操りますので、まずはこのお話が中国「九頭鳥」の原型かもと青草^^ 黒い体に赤髪で表現される"羅刹"がラークシャサだそうですが、 悪神ラークシャサ族をアーリア人がインドに入った時の先住者(ドラヴィダ人)の抵抗との見方もあるようです。 ラークシャサの男は醜く、女(ラークシャシー)は美しいとされます。 シーターも、もともとはラーヴァナの娘であったとするお話もあるようで、 叙事詩「マハーバーラタ」で、シーターと同様の婚姻たんを持つ絶世の美女は褐色の姫でした。 黒男、黒姫話の原型もここかも^^ インド神話で、太陽神スーリヤは二人の母を持つ。これも興味深く見ています。 夜の女神"ラートリー"が生んだスーリヤを、暁紅の女神"ウシャス"が育てます。 ウシャス→宇佐であったりして^^ > 梵語では:i-sara > 悲痛な死をとげた太陽・失われた太陽に対して、悲しみに満ちて叫びかける。 > そんな意味になるのでしょうか?(文法には不案内です) 【iSira】でrefreshing 、fresh、flourishing 、vigorous、active、quick などが引けました。 これだと再生、繁栄のような意味になるのかなと思います^^ 太陽の死は新しい太陽が生まれるために必要なもので、悲しむものではない。 太陽(の象徴)を射ったり叩き壊す神事などを考えると、今のところそう思います。 >イサチルのイもこれでしょうか。 泣く、イサチルは大荒れの天候的なものでしょうか? 興味深いです。 |
[3633] 磯良舞 かしこ | 2008/02/25(Mon) 22:02 [Reply] |
長く海中に居たから・・と、白い布で顔を覆って登場するという磯良。 これは、磯良が太陽であることの表現であると同時に、 長い不在の背景にある苦難を表現しているのでしょうか。 世界各地に伝わる太陽が見えなくなった時代の記憶を伝えているのかもしれないと夢想します。 シラが太陽であることは、既にみんなで納得しました。 磯良がイサ・ラに聞えてきても、依然として太陽から離れません。神・太陽。 細男(クァシオ)は「奇し」にも近く、奇しき太陽にこれまた相応しい。 女性である阿知(azi)が磯良を呼ぶ。大地が太陽を呼び戻そうとしているわけです。 磯良は細男ですから、ここでも太陽は男性となりそうです。 梵語では:i-sara 悲痛な死をとげた太陽・失われた太陽に対して、悲しみに満ちて叫びかける。 そんな意味になるのでしょうか?(文法には不案内です) sara:fluid,liquid,going,moving i:an interjection of anger, calling, sorrow, distress, ompassion イサチルのイもこれでしょうか。 ※以上。大恥覚悟の青草です。^^ |
[3632] 五十瓊敷 ・ 犬飼 紋爺チャン | 2008/02/25(Mon) 18:44 [Reply] |
特赦とか大赦とかで、だれかさんが走りお巡りくだされたとかで、アリガトさん。 むかしはタンカイトウいうてましたが、今はサーチ・ライトちゅうそうですな。 一つの 或いは 五つの 基準をたてて(このタテは神降ろしに通じるヨ)タンカイトウで照らしたら、五十瓊敷 ・ 犬飼 には nir と nu が浮上するじゃん。 nir とはニライカナイの nir(or nil)しかなかとです。 nu は nur(火炎 <光輝)しか、われわれは恵まれちょらんとデスよ。 錦と懸け言葉して、冥想周辺を臭わせるが「イ・ニ」。 光輝の周辺事……が「イ・ヌ」。 そういうことを爆弾にして、三雄士みたくになって突き進まんことにゃシカタがなかとだち、オレ惟ふがなあ。 「コレッキャない!」……これが出るまで、サンスクリット語に喰らいついて、バンバンやりなっしぇェ! 地球はうごきよるとバイ、足踏みは後退でしかなかと。 |
[3631] 川上の霊威 神奈備 | 2008/02/25(Mon) 17:48 [Reply] |
『古事記』には、須佐の男の命が出雲の肥の河上の鳥髪という地に降りたら、箸がその河を流れ下ったとあります。河上に行くと足名椎と手名椎とが櫛名田比売を中に泣いていました。 河上に二柱の古い神がいたということと、箸という食物をして外と内をつなぐものが流れてきたのも川上の霊威と言えるのかも。 垂仁天皇の皇子である五十瓊敷入彦命が茅渟の兎砥川上の宮にいる時、剣一千口を作り、石上神宮に納めたと『日本書紀』にあります。宮の場所は和泉国日根郡と思われますが、川上と称するような程の川で鉄がとれそうだとしますと、多奈川港に流れている東川という川で、この上流に犬飼谷という地名があります。犬飼は産鉄民の頭領。ここに宮があったとは思いにくい程の隠居場のような所ですが、ひょっとしたら隠棲していたのかも。 岬町に鍛冶屋谷なる地名の場所があり、褐鉄鉱(水酸化鉄)が採取されていました。これで剣を作ったのでしょう。 出土した褐鉄鉱は宝樹寺(別な化石寺)に陳列されています。 http://www.kamnavi.jp/en/izumi/fuke.htm |
[3630] Re[3629][3628]インド神話と出雲 かしこ | 2008/02/22(Fri) 23:43 [Reply] |
>【airAvata】インドラ神の乗る、空とぶ白い象"アイラーヴァタ" 英語のairでしょうか。 >アイラーヴァタは「大海から生まれた者」の意味だそうですが、別名にアブラマータンガ(雲の象) なるほど。気象学ですね。^^ >アイラーヴァタの子孫が神話のナーガ王の家系 なるほど。大気の循環です。 >【sItA】シーターで、furrow(畝) >下照姫との関連が興味深い。 面白い。ありがとうございます。 こういう探求は、人生80年のすべてを費やしても果たして何合目まで行けるか。 10人でも800年。100人集まれば、8000年分の仕事ができる?^^ 素人集団でもかなりのところまで行けるかもです。 ※神奈備さん、削除の件お手数をかけました。ありがとうございます。 |
[3629] Re[3628]インド神話と出雲 くず | 2008/02/22(Fri) 17:23 [Reply] |
>キサが太陽の付添 キサ=象から、インドラ神の乗る、空とぶ白い象"アイラーヴァタ"から調べてみました。 【airAvata】−(Harvard-Kyoto)から気になったもの。 nAga or mythical serpent (ナーガか神話の蛇神) particular portion of the moon's path (月の軌道の特別な部分)宿のことか? form of the sun (太陽の形) kind of rainbow (虹の一種)lightning(稲妻)・・ アイラーヴァタは「大海から生まれた者」の意味だそうですが、別名に アブラマータンガ(雲の象)、アルカソーダラ(太陽の兄弟)、ナーガマッラ(象の力士)など。 またアイラーヴァタの子孫が神話のナーガ王の家系になるようです。 雷神インドラの乗り物、稲妻、白、雲の象、天候を操るなどから、 雲(イメージ的に積乱雲)を神格化した神ではないかな?と思います。 太陽の付添い[キサ]→雲(空とぶ白い象)→天候を操る、雨を降らせる→ナーガ、蛇、 雲、雷神、蛇神、となるとこれは出雲的なイメージ。 ナムチもインド神話、インドラの友であってライバル的な[namuci]が浮かんできます^^ > ところで、安日彦のアヒはahiH(蛇)でしょうか。長脛彦にnagaがあるように。 > 辞書検索の順序では、ahiH, nAgaH が並んで出てきます。 > アヴェスター語では、azi。アジスキタカヒコネもお仲間か。 鋤を英名でplow、plough. ploughでサンスクリット[sIra]がありますね。 【sIra】で引くと、鋤のほかに、ox for ploughing (鋤で耕す牡牛)the sun(太陽) 【sItA】シーターで、furrow(畝)、 the track or line of a ploughshare(鋤の刃のあと、線) 農耕の女神シーター。 下照姫との関連が興味深い。 |
[3628] Re[3627][3626]: サンスクリット かしこ | 2008/02/22(Fri) 11:13 [Reply] |
>太陽の付添 キサが太陽の付添だと知った後で[3620]を読み返すと、印象が違ってきます。 kisaが、妃の語源の様にも思えますが、attendant を無理に妃にする訳にも。^^ キサに世話をされる大穴牟遅神が太陽というわけで、その反面が蛇のナムチでしょうか。 すると、やはり太陽は男性的。天照大神と豊受の相似形のようです。 ところで、安日彦のアヒはahiH(蛇)でしょうか。長脛彦にnagaがあるように。 辞書検索の順序では、ahiH, nAgaH が並んで出てきます。 アヴェスター語では、azi。アジスキタカヒコネもお仲間か。 神奈備さんのナビには、ahiHとnabiのイメージがあるかも知れませんね。 nabiyy(ナビー)/nabi:予言者・占い師 アラビア語。 nAkaHはnAgaHと連続するイメージなのでしょうね。 |
[3627] Re[3626]: サンスクリット くず | 2008/02/21(Thu) 14:04 [Reply] |
逆引き(http://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/monier/) [input- Harvard-Kyoto] [output- Harvard-Kyoto] で引いてみましたら、 【nAga】snake、serpent-demon 、elephant、・・、shark、cloud、・・、tin、・・ 蛇、蛇神、象、・・鮫、雲、・・錫・・ 【naga】"not moving"mountain、動かないもの、山 the number 7 (because of the 7 principal mountains ; » kula-giri)、 7つの主要な山から7、 kulagiri(クラガリ峠?) tree or plant、 serpent、the sun 。 木と植物、悪魔(誘惑者)、太陽 ちなみに、【kisa】 attendant of the sun 太陽の付添 はは。 |
[3626] サンスクリット かしこ | 2008/02/20(Wed) 15:39 [Reply] |
Apte English Sanskrit Dictionary
Query 以下はITRANSの表記です。連続で申し訳ありません。 象:ibhaH, naagaH ibhaH 岩・祝・ヒバスヒメのヒバを連想しました。 ibhaH-naagaH(象・蛇) と合わせれば岩長姫。 岩:shailaH, shilaa 「神の依り代」の代。岩座ですね。太陽の白でもありますか。 太陽と岩は分かち難く結びついているようです。 coil:maMDalaM, maMqalaM maMDalaM 蛇のトグロ。マダラ神がこれならば?蛇神。 これがSLP1では・・ maMqalaM これだとマカラが思われます。 蛇のトグロは△。マカラは△と▽を重ねた形。漢数字五の元の形と思われます。 五は蛇。五十猛の五。 貝:koshaH-ShaH キサカキに通じそうでもあり。 天:nAkaH これにはびっくりでした。(表記:Harvard-Kyoto) 象と蛇の繋がりが知りたくて調べたのですが、 naagaH(象)とnaagaH(蛇)との共通点は、やはり象の鼻(naasaa)なのでしょうか。 こうなると、gaHとsaaの意味が知りたくなります。 |
[3625] Re[3619][3621] かしこ | 2008/02/20(Wed) 11:14 [Reply] |
神奈備さん、[3618]は何だかつたない書き方をしたような気がします。失礼しました。 それから[3612]で確認して下さったことで、 オシラ様が蚕の神様であり男女の神様でもあることに納得がいった気がします。 ずっと不思議に思っていたことでした。すべてが太陽ですね。 大三元さん、ありがとうございます。見てきました。 あんなものがあるんですね。凄いです。 各国語にああいうものがあると随分助けになります。 ※検索の時、Harvard-Kyotoを選択すると[?やロ]無しに綺麗に表示されました。 |
[3624] 画期・画期、大革新 神奈備の庭 紋ぢぢぃ | 2008/02/20(Wed) 09:08 [Reply] |
主家が激震に見舞われたとき、馳せ参ずるはモノノフの勤めざんす。 ミナシャンすでにお気付きにあられやしょうけぇ。神奈備には 2月 13日このかた激震が奔っていやす。 [3061] に席亭ドンが syora , suru , si , sari , sir などを書き出したを嚆矢にして、板のミナシャンが広域言語圏に目を向ける傾向が生じたこってござんす。 これまで、席亭ドンは「わしゃ言語オンチじゃ」と決め込んで、言語には頬かむりを決めこんで来た。ここをアホクサ類似の板にしたのも、その趨勢だとオレはみる。 しかし、この [3061] はまさに画期 ! ここの板にはすぐれた頭脳が集っちょる。この趨勢があと 2年もつづいたら「アホクサ傾向」も無くなって、まったくワカランかった神名なども次々と解明されるこってしょうよ。 神名には一柱々々意味があるんじゃ。 さらにこの趨勢に拍車かけたみたいになったのが 2月 18日付け、大シャンの書き込み。 大シャンがアイヌ語以外の辞書みたは、これまた激震の大画期。 大シャン、ウンジュほどのすぐれた論理構築力もったご仁がアイヌ語ばあみてるは民族的損失じゃと、オレ惟ふよ。 これを機にあっちこっちどかどかと踏み荒してたも。あとでウソだとバレるを恐れる勿れ。 主家が大火、地震のときは、謹慎中といえど、馳せ参ずるは違法性を阻却されるんでアリマス。そのうち、なんかシランバッテンが恩赦・大赦これあらむか。 オレ、果たし状つくっていた紋で、お祝い申し上げるが遅れた。 I.T.民衆掲示板バンザァ〜イ 瀬藤ニシパバンザァ〜イ 大シャン・ミナシャン、バンザァ〜〜イ !! |
[3623] Re[3621]: シラが太陽なら Re:[3615] 神奈備 | 2008/02/19(Tue) 08:41 [Reply] |
> ほぉ、確かに nāga もありますねぇ。 ありがとうございます。 snake でやると、同じ nāga が出てきます。 朗報です。 金刀比羅宮の鎮座地が讃岐国那珂郡なのです。 讃岐も銅鐸のサナギだったのかも。 |
[3622] キサはネワール語です 紋ぢぢぃ | 2008/02/19(Tue) 06:01 [Reply] |
カトマンズの先住民族のにネワール族(ネパールじゃないヨ)がいて、彼らのことばの中に「キサ=象」があります。鍛冶屋の鍛冶もネワール語にあって、ネパール語にはありません。 |
[3621] Re[3619][3618][3617][3616]: シラが太陽なら Re:[3615] 大三元 | 2008/02/18(Mon) 23:29 [Reply] |
> > なぜ象がナーガなのかは、不明のようですね。 Apte English Sanskrit Dictionary Query http://www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de/aequery/index.html で調べてみると: Elephant, s. gajaḥ, hastin-karin m., mātaṃgaḥ, mataṃgajaḥ, kuṃjaraḥ, nāgaḥ, vāraṇaḥ, ibhaḥ, dviradaḥ, dvi-aneka-paḥ, daṃtin m. daṃtāvalaḥ, staṃberamaḥ;などなどと出てきます 和語「きさ」は gajah からの変化でしょうかねぇ。ほぉ、確かに nāgaḥ もありますねぇ。 |
[3620] Re[3619]: 象=キサ くず | 2008/02/18(Mon) 22:43 [Reply] |
日本に伝わった"象"を呼ぶ古語に"キサ"があるようです。 万葉にも歌われた吉野の象(キサ)の小川。 浜松の式内社、岐佐神社は旧象嶋(キサシマ)郷に鎮座。 http://www.genbu.net/cgi-bin/mapindex.cgi?index=5&target=place 象をキサと呼んだのは輸入された象牙の呼称に由来するようですが、 地名キサが先にあって、「象」と漢字があてられたかもしれません。 [3609]かしこさんの、 >太陽感精ということがありますね。黄金の矢が、洞窟を射る話もあります。 これにも繋がるかと思いますが、 出雲風土記で佐太大神の出生に関係して、加賀(かか)の潜戸に放たれた矢が光輝いたそうですが、矢を放った母の名は支佐加(キサカ)比売命。 上記の岐佐神社にも祭られる、蚶貝(キサカイ)比賣命と同神ともされています。 古事記で蚶貝比賣命は蛤貝比賣命と共に、火傷で死んだ大穴牟遅神(大国主命)を蘇生(治療)しています。 蚶貝(赤貝)と蛤貝を使った火傷などの特効薬が出雲にはあったそうで、その名を「八上薬」 貝などに含まれるキチン・キトサンの効果が知られていたようです。 キサ=象といえば、象牙にも薬効があったらしく、戸隠に伝わる重文の牙杓には煎じるために削ったあとがあるらしい^^; 神奈備さんの、 >象頭山の北西に大麻山(オオサ)があり、この「サ」は鉄と関係し、「ソ」や「ス」や「スサ」に通じているのかも。大麻山山麓から銅鐸が出ています。 筑紫の飯盛神社、志賀海神社に伝わっていたらしい古式祭「鈴納鈴披」には鮑が関係していたようですから、貝と鈴、なにかあらんや? 戌亥方角からは、常陸の鮑を御神体とする神社と「浜降り神事」は関連する海から見ると戌亥方角に神社があたるそうです。ご紹介まで。http://homepage2.nifty.com/otagiri/dengakubunken/geinoshi/geino79.htm |
[3619] Re[3618][3617][3616]: シラが太陽なら Re:[3615] 神奈備 | 2008/02/18(Mon) 21:00 [Reply] |
> なぜ象がナーガなのかは、不明のようですね。 失礼しました。 出典は『偽装されたインドの神々』佐藤任著 出帆新社 です。 他の文献や辞書では確認していません。 |
[3618] Re[3617][3616]: シラが太陽なら Re:[3615] かしこ | 2008/02/18(Mon) 18:06 [Reply] |
神奈備さん、沢山の情報をありがとうございます。 象がナーガとは、驚きでした。 なぜ象がナーガなのかは、不明のようですね。 >と無関係ではないのかも。 実際そうなら興味深いです。 また、オロチ退治の話が銅の時代の始まりを伝えていると考えてみると、 その時期BC3000年代は、まさに天竜の尾に記されているわけで、とても素敵なのですが。^^ |
[3617] Re[3616]: シラが太陽なら Re:[3615] 神奈備 | 2008/02/17(Sun) 18:16 [Reply] |
> 果ては象頭が牛頭に聞えてきて、悩ましい限りです。^^ 神社の祭神については縷々変転してきていますので、一概には言えないのですが、全国の金刀比羅(琴平、金毘羅、事比羅)の中には、素盞嗚尊を祭神とする神社が数社あります。 他には、大物主(大国主)で約1500社、金山彦が約200社です。誤差の範囲ですが、象頭が牛頭になっているのかも。 なお、象頭山の北西に大麻山(オオサ)があり、この「サ」は鉄と関係し、「ソ」や「ス」や「スサ」に通じているのかも。大麻山山麓から銅鐸が出ています。 象頭山の「象」はサンスクリット(梵語)で「ナーガ」、鉛であり蛇・竜を意味しますから、 > 素戔鳴がオロチの尾から銅剣を得た話 と無関係ではないのかも。 > サンスクリットでは太陽をsurya(スーリヤ)といいます。 ありがとうございます。「白」の「SR」に近いですね。太陽と白とはほぼと言えるのかも。 |
[3616] シラが太陽なら 新幹線 | 2008/02/17(Sun) 15:19 [Reply] |
全くのあほくさですが、サンスクリットでは太陽をsurya(スーリヤ)といいます。 何か面白いですね。紀元前10世紀頃に書かれたバラモン教の聖典に登場する太陽神 の名前でもあり、その太陽賛美信仰が伝わった可能性は考えられないですかね。 |
[3615] Re[3612][3613]本殿[8746] かしこ | 2008/02/17(Sun) 15:06 [Reply] |
神奈備さん >アフリカの色についての意識は・・ 何とか無事に着地できたようで、ほっとしました。 ありがとうございます。 また、白については、 「古代朝鮮人は自分達を太陽の子孫だとして白い服を着ていた」 とどこかで読んだのを思い出しました。 白=太陽は、すでに表れていたのですね。 くずさん、素人さん >鮑玉(あわび玉)がアワビから取れる本真珠・・ >白珠が阿古屋貝の真珠・・ 鮑は本当に玉を秘めていましたね。私も初めて知りました。嬉しいです。 本殿[8746]かたばみさんの、 >中国での金属はいまのところ長江中流域屈家嶺文化(BC3300頃)の銅鉱石と銅片が最古 >西アジアの銅器はBC8000に遡り(おそらくは自然銅)、青銅器はBC3500頃(合金技術) これはほぼ、竜座のα星トゥバンが北極星だった時代です。 そして、トゥバンの位置は竜の尾の辺り。 素戔鳴がオロチの尾から銅剣を得た話を、紀元前3300-紀元前3500に重ねたい誘惑に駆られます。 ガンジスのワニ、クンビーラ(Kumbhira)も「尾に宝玉を蔵する」。 もしや玉に銅の意味があるとすると、ここでもオロチ退治との関係が思われ、 果ては象頭が牛頭に聞えてきて、悩ましい限りです。^^ |
[3614] Re[3612][3610]: シル Re[3606] 琉球松 | 2008/02/17(Sun) 09:34 [Reply] |
神奈備さんへ 「シロ・シル・シラ・シノ」などが太陽の古名だとする説は妥当だと思います。 女神「アマミク」の対で、男神とされる「シル(シロ)ミク」にしても、本来は「アマミク」の説明語だったと考えられるわけで、これは、日本や中国の観念に合わせ首里王府が後からとって付けたものですね。 「アフ島・アカ崎」を中継して来訪する創生女神「アマミク」は、色白のお方、白装束のお方、ジュゴン(乳白色)に乗って来られるお方、あるいは太陽のようなお方なのかもしれません。 そうすると「白」は、つまり「太陽色」ではないでしょうか? 現代でも「空色・水色・肌色・茶色・灰色・桃色・顔料」なんて言いますよね。 |
[3613] あわび玉 素人 | 2008/02/17(Sun) 02:24 [Reply] |
くず様 勉強になりました。 > >鮑玉白珠比当ス神社 > 古くは赤崎神社と呼ばれたようですね。 > http://www.genbu.net/cgi-bin/update.cgi?index=5&target=izu/awabi_title.htm > 蔵王権現の合祀も気になるところですが、 > 赤崎の赤がアワならアワサキ、アワサクなら猿田彦。 > 鮑玉(あわび玉)がアワビから取れる本真珠とは知りませんでした。 白珠が阿古屋貝の真珠とは、知りませんでした。 古代は薬としての需要が大きかったそうでビックリです。漢方では恐竜の骨も「竜骨」と言って精神病の特効薬だそうですからそう言うことも有るのでしょう。 正倉院の御物にもあるのでしょう。仏像の宝冠に大きいのが付いているとも聞きます。鮑から大きな本真珠が出てきたら太陽のように輝いて見えたかも知れません。 ものを知らない素人の青草でした。 以前にも書きましたが、たたらの最後に「火伏」と言って青草をたくさん入れて嫌気性にして鉄の酸化を防ぐようです。役に立つこともあるようです。 |
[3612] Re[3610]: シル Re[3606] 神奈備 | 2008/02/16(Sat) 21:46 [Reply] |
>
白(太陽)水は、精水の印象でもあるでしょうか。 アフリカの色についての意識は 白 女性の乳 男の精液 純粋 善 生命 赤 血液 肉 黒 死による変化 腐食 不浄 不正 死 不幸 のようです。ズバリですね。 勿論に日本でも 白 長命 再生 ですから、蛇と同じ、だから特に白蛇は尊ばれました。巳の神杉です。 沖縄では太陽をテダ、これが テダ→テラ→シラ と訛ってきたといいます。 シラは光線であり、太陽であるとされます。夜が明けて、しらじんでくるのも太陽の到来のようです。 赤と白では、『義経記』に、「白山の神が唐崎明神の子を宿した。雪の中で出産」のお話があります。 赤不浄に加えて白不浄とされます。日の丸を連想しますが、尤も国旗では、白地に赤く日の丸染めて♪ で、この場合は、赤の色は太陽です。 |
[3611] 再び鮑 かしこ | 2008/02/16(Sat) 21:16 [Reply] |
取り急ぎ・・ ホツマは、天地開闢前の混沌とした状態をアワウビと表現しています。 また、辞書には、泥土(ウヒジ)という言葉があります。 ウビがウヒジの短縮形で、なお且つアワビの「ビ」だと仮定すると・・ 「鮑」即ち「アワ・ビ」は「太陽・大地」となって、そこにはやはり、 太陽とその影、つまりハハである蛇が表現されていると考えられないでしょうか。 これが可能であれば、 鮑の九つの穴が、太陽の影であることを、別の角度から補強できたことになります。 |
[3610] シル Re[3606] かしこ | 2008/02/16(Sat) 17:14 [Reply] |
思いついたことがあるので、もう少しだけ失礼します。 更に青草れば、 昔は、蛇を虫ともいったようです。虹は空の蛇。 出雲の九穴の鮑は、人に見られて大蛇に変じましたが、 雨を降らせて清々すれば、たまには虹の姿になるのかも知れません。 虫=シル。虫=蛇。 シル(白・太陽)は、シル(虫・蛇)であるということになりそうです。 これで一回りして、太陽と蛇は再びひとつになりました。^^ さて、ここであえて、更なる冒険をすれば(太陽感精が念頭にあります)・・ 白(太陽)水は、精水の印象でもあるでしょうか。 古代の感覚には、「白水郎」が、逞しい海人を表現するのに相応しいと思われたのでは。 言霊といいますが、言葉の裏には何か深いものが隠れているのかも知れませんね。 私たちの無意識が知っているもの。 |
[3609] Re[3606][3605][3607] かしこ | 2008/02/16(Sat) 13:15 [Reply] |
[3606]
神奈備さん >白日別のシラの海人だから白の水の男として、 >白水郎としていると素直に考えればいいのではと思っています・・ 私もそう思います。 素直にゆくと、何故か「語呂合わせ」云々と一蹴されがちのようですが、 そもそも記紀の地名説話からして、失礼ながら、語呂合わせ? 古い古い昔の人たちは、不思議なこの世界を何とか自分の納得行くように説明したかった。 しかし、手段がない。 それで懸命に、空想連想インスピレーションを駆使して、説明しようとしたのかも知れません。 ならば、私たちもそれを働かせる必要があるように思います。 とすれば、神奈備さん命名の「青草」は、意外に真実に迫りうるのかも。 勢い込んで舞上っては、しばしば落下して青あざ骨折の若き青草ではありますが、 長老さまが手綱を持っていて下さいます。命綱兼諌めの手綱ですね。^^ シラについて。 絹(silk)の語源は、それを生み出す虫「シル」であると読んだ記憶があります。 このことから・・ この虫は白くて、生み出す糸もまた白く輝いているし、 この糸で織り上げた美しい布は、大空に白く光る太陽のようで、 白い光は海の波に照り映えて、小さないくつもの太陽がキラキラとしているようだ。 太陽は、よく磨いた鏡のようで、 よく磨いた鏡は、この世界を写しているから、きっと何でも知っている。 そうだ、探しものは、太陽のような鏡のようなクエ彦にお願いしよう・・ ・・と、シル→白→光→太陽(白珠)→白水(照り映える海)が青草くつながりました。^^ くずさん [3605] >天に向って・・ 太陽感精ということがありますね。黄金の矢が、洞窟を射る話もあります。 >天と地を廻る媒介者としての水(龍)を想定したものと思います・・ これについて、青草私論があります。 それにしても、微妙に趣を違えつつ、なぜか似たようなところに行きます。 [3607] >古くは赤崎神社と呼ばれたようですね・・ 「鮑玉白珠比当ス神社」の名前が語るようです。鮑=アワ=太陽(玉)だと。 また、白山は白珠山かもしれませんね。 |
[3608] 鮑中毒@ くず | 2008/02/16(Sat) 12:10 [Reply] |
戸隠の九頭龍さんも鮑かなー? 海底隆起の山なんで、でかい鮑の化石かなー? とか思って検索しましたら、 「日本最古の鮑化石は信州戸隠村産」と、和歌山のページにみつけました^^; http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/070109/news/008/news209_2.htm 産出した化石を見る機会がもてましたら報告しますね。 同じページから、 「国立ガンセンター研究所と北里大学の共同研究でアワビには制ガン物質が含まれていて、ネズミの実験では肉腫やガン腫に対し100%近い治癒率であった。」 若狭、八百比丘尼の不老不死となった伝説、 彼女が食べたのは人魚、あるいは九穴の鮑であったとも。 戸隠にも同系のお話が伝わりますが、 戸隠のお話の場合は特異なようで、人魚の肉を食べてしまった3人の息子は、 不老不死どころか、体が人魚に変わって死んでしまいます。 戸隠中社の三本杉はその子供達の供養に植えられたものだそうです。 |
[3607] Re[3606]シラ、鮑 くず | 2008/02/16(Sat) 01:28 [Reply] |
皆様の足取りを早足(web上)でたどる毎日です。 実際に足を運び、聖地を見てこられた感性に及ぶものではありません。 御先達ください^^ 長岡、金峯(又倉)神社の"一雄二雌の御神体"をお聞きした時、五十猛神と大屋津姫命、抓津姫命が浮かびました。 王神祭の鮭をさばく様子は、(http://www.naviu.net/oujinsai05/oujinsai.htm) 大国主の"国譲り"に出てくるスズキ料理を想起します。 >安曇の磯良のシラ 神奈備さんお調べの筑紫、飯盛神社の古祭礼に鮑に関するものがありました。 "洞ノ口鈴披の祭"http://kamnavi.jp/it/tukusi/#iinori また「志賀海神社にも古式祭に鈴納鈴披の両祭あり。」 とあって、磯良、白日別、五十猛神、と鮑、(鈴?)が繋がりそうです。 >鮑玉白珠比当ス神社 古くは赤崎神社と呼ばれたようですね。 http://www.genbu.net/cgi-bin/update.cgi?index=5&target=izu/awabi_title.htm 蔵王権現の合祀も気になるところですが、 赤崎の赤がアワならアワサキ、アワサクなら猿田彦。 越後長岡(島崎)の宇奈具志神社は御祭神を太田命(猿田彦大神の後裔)としています。 http://www.genbu.net/data/etigo/unagusi_title.htm また伊勢、シラ、鮑でこんなお祭りをみつけました。 三重県鳥羽市菅島町 白髭神社 しろんご祭 http://www.city.toba.mie.jp/kanko/matsuri/07-shirongo/index.htm 伊勢の元神とのリンクなどを考えています^^ |
[3606] Re[3600]10の太陽 神奈備 | 2008/02/15(Fri) 21:40 [Reply] |
> 鮑ひとつに九個の穴です。全体で元の十。名前からして、鮑はアワビで、太陽(アワ)がその中にあります。 かしこさんの発想とくずさんの応答には実に驚嘆すべきものがありますね。体の中のおじんを出さなければと思いますが、だせば空っぽの我が身です。 静岡県沼津市の、鮑玉白珠比当ス神社は鎮座、この白珠とは太陽なのかも。 最近、「色」について、考えることがあります。 安曇の磯良は普通は「イソラ」と読みますが、もう一つの読みは「シラ」だそうです。 白日別の国である筑紫では海人のことを白水郎といいます。なぜ、白水郎というのか、さまざまな意見があるようです。白日別のシラの海人だから白の水の男として、白水郎としていると素直に考えればいいのではと思っています。 |
[3605] Re[3604][3603][3602][3600]10の太陽 くず | 2008/02/15(Fri) 10:02 [Reply] |
> >形状的に千木→股→女陰 > まさにこれです。 > 以前、こちらで宮柱・千木が話題になっていた折に、このイメージが浮かびました。 このころですかね。 平成19年10月[8521]神奈備さんの書き込みより、 >『日本の神々3』の坐摩神社の項で、大和岩雄氏は、「日の御子が生まれ育つ(生井、栄井、津長井の神)大宮地の神(阿須波、波比木の神)としています。 >阿須波は地を深く掘って立てられた宮柱の神、波比木はヒギ、チギと同じ性格のY字形の木の神との説明で、坐摩巫があげる祝詞に、「下つ磐根に宮柱太知り立て、高天原に千木高知て・・」を示しているとのことです。 耐腐食性からみれば不利な掘っ建て柱を選択し続けるのは、大地との接合に意味があるように思えます。 また伊勢神宮の千木は非常に美しいと思いました。 天に向って大股を広げる、これは気持ちよさそうだな〜とも^^; 伊勢の千木は破風板の延長です。千木の穴は風切穴。 交差部の下に左右に片面8本づつの突起があって、それを鞭掛[ムチカケ] 出雲諸社にはないようです。このムチカケ。 個人的には実際に鞭をかけたとも思えず・・ 陰毛の表現かな〜ともちらほら^^ 戸隠のお万という女性の足神さんには「ぼーぼーの毛」というのが伝わります。 七難のソソ毛と類させるもののようです。長いソソ毛が強い霊力を示したのだとか。 各地に破風の穴から鬼が逃げる話が伝わりますが、 何か関連があるかも。 > 伊勢の場合は、祭神の性別に関わらず、別宮・摂社・末社・所管社も、 > 内宮→内削・偶数 > 外宮→外削・奇数 そうですね。神の性別よりも、内宮と外宮は違う。と言っているようです。 >世界は相反する二つのものから成っているようです。 >そして、その夫々がお互いを憧憬し、バランスを回復しようとしているように思えます。 >十(太陽)と九(影)、内宮と外宮の形にも、それを感じます。 詩で縄文(大湯環状列石)のイメージとしましたのは、 生産の母体となる山、海、土(大地)を母神、天を父神と考えました。 詳しくはありませんが道教では、天、地、水を世界観とし、特に水を重視するようです。 天と地を廻る媒介者としての水(龍)を想定したものと思います。 出雲大社の柱は9、そのうち特別な柱が3です。 伊勢内宮の基本的な柱は10ですが、 その他に棟持柱が2、心の御柱を加えれば、特別な柱は3です。 この3は神奈備さんが言われていた、雄神1雌神2とも符合するように思います。 > 御祭神は雄神は大地主神、雌神二柱はそれぞれ須勢理比売神・沼奈川比売神と伝える。 |
[3604] Re[3603][3602][3600]10の太陽 かしこ | 2008/02/14(Thu) 13:58 [Reply] |
>形状的に千木→股→女陰 まさにこれです。 以前、こちらで宮柱・千木が話題になっていた折に、このイメージが浮かびました。 >出雲的感覚から言えば、内宮の内削ぎは女性神。外宮の外削ぎが男性神・・ ご紹介のwikiを見てきました。なるほどそうですね。 伊勢の場合は、祭神の性別に関わらず、別宮・摂社・末社・所管社も、 内宮→内削・偶数 外宮→外削・奇数 そして、 >外宮の祭神がもともと男神的性格を帯びたものではなかったとする議論もある この点ですが、伊勢の場合、 内宮が十本の鰹木を持つ男性神だからこそ、それを内削とするのであり、 外宮が九本の鰹木を持つ女性神なればこそ、それを外削とするのではないか・・・ という考え方はどうでしょう。 水平と垂直を組み合わせてみると、十の形になります。 紙幅の真ん中にスッと円を描いた掛軸がありますが、 私の中では、どうしてもこの姿がそれに重なってしまいます。 世界は相反する二つのものから成っているようです。 そして、その夫々がお互いを憧憬し、バランスを回復しようとしているように思えます。 十(太陽)と九(影)、内宮と外宮の形にも、それを感じます。 私の場合、直感に流れる傾向があるかも知れませんね。 構造的男性的思考で軌道修正して頂けるのは有り難いことと思います。 >神の前で"遊び"が過ぎると"品"が・・・ はい。二語が相呼応していたのですね。これも後の気づきでした。失礼しました。 |
[3603] Re[3602][3600]10の太陽 くず | 2008/02/14(Thu) 03:20 [Reply] |
>
カツオはイタリア語で男根を意味するのだそうです。 イタリアで古代エトルリア遺跡を目にした折、僕たちの持つ感性に近しいものを覚えました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ã¨ãã«ãªã¢ 男根は通常はfalloでしょうか。 cazzoがトスカーナあたりに、古い言葉として浮き出ていれば、 個人的はおもしろいかとも思います^^ また、鰹木→男根なら、形状的に千木→股→女陰。などと思いますが、 イタ語では女性名詞語尾a,eですから、チギは出てこないでしょうね^^ fica、gnocca、topa・・ ご存知のように内宮と外宮は千木先端の切り方が異なります。 内削ぎ(天地に並行)外(天地に垂直) 内削ぎ→女性神、外削ぎ→男性神は出雲諸社において厳格なようですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/忍ã»é°¹æ¨ 出雲的感覚から言えば、内宮の内削ぎは女性神。外宮の外削ぎが男性神と言う事でしょう。 >椿説鰹節でした。 神の前で"遊び"が過ぎると"品"が疑われますよ^^ 鰹木説、いいだし っぺより |
[3602] Re[3600]10の太陽 かしこ | 2008/02/13(Wed) 21:00 [Reply] |
「鰹木」で、あることを思い出したので、再び。すみません。 昔、イタリアで開催された国際競技会に、ある日本人選手が参加しました。 応援団が、彼の名を叫んで応援する度に、観客席のイタリア人から爆笑が起こります。 なぜ?それは、彼の名が「勝男」だったから。 カツオはイタリア語で男根を意味するのだそうです。 鰹木については、辞書に、 >神社本殿などの棟木上に横たえ並べる装飾の木。 >形は円柱状で鰹節に似る。勝男木。葛緒木。かつお。 とありますので、語源は鰹節なのでしょう。 が、ここであえて大跳躍をして、鰹をカツオと考えてみると、 内宮の十本揃った鰹木は、完全な男性を連想させます。 そして、一本足りない九本の鰹木を持つ外宮は女性。即ち蛇。 内宮の祭神は天照大神ですが、彼女は「彼」だという説もありますから、 この想像は、この説を補強するように思えなくもないような。 外宮の祭神は豊受姫で女性ですね。 椿説鰹節でした。 |
[3601] テダ→テラ→シラ 神奈備 | 2008/02/13(Wed) 17:23 [Reply] |
白山信仰の研究者である菊池山哉さんは、東北に多いオシラ様について、以下のように述べています。 有史以前の原住民が信仰したオシラ様は、有史以後も形を変えて継承されて来た。一つは白山権現となって、山ノ神と習合し、加賀の国に権現し、東日本を風靡した。第二はエビス神として京畿の間に根強い信仰の脈を保ち、第三は越後の又倉山の如く、白山権現に係わることなく、原始の信仰を続けた。 以上 さて、又倉神社を探しますと、信濃川の東側の長岡市西蔵王に金峯神社の摂社として一社だけ『平成CD』に出ています。 http://www.kinpu.jp/ この金峯神社のHPにある解説の部分を以下に示します。 又倉神社は延喜式内社「宇奈具志神社」の論社とされ、信濃川沿いの州浜地に現在も幾社か鎮座する。この地ではその御神威をもって「王神様」と称えており、未開の地であったこの地に農業・漁業・酒造などの技を伝え長岡の里を興されたという。その創始は古代に遡るとされるが、一雄二雌の御神体を一社とし、その同一神が四社ある異風を遺し、頭屋制度のもと民間に巡祀される祭儀「王神祭」が行われてきた。 御祭神は雄神は大地主神、雌神二柱はそれぞれ須勢理比売神・沼奈川比売神と伝える。 祭礼についても触れています。 加賀の白山神社の祭神は菊理媛とも白山媛と云い、オシラ様は恐山や津軽に口寄せを行うイタコが筒を持っており、「お大事」と云っています。この中のものが見せてはいけないものだそうですが、民俗学の故宮本常一さんが見せて貰ったところ、白山姫命と書いてあったそうです。 これなどは、白山神社が京の都でも重要視されて全国版の神になったこともあり、イタコへ白山姫が逆流していったのでしょう。 シロは大陸と共通語のようです。 古代朝鮮語 syora 満州 suru ツングース si トルコ sari スメル sir |
[3600] Re[3599][3595]10の太陽 くず | 2008/02/13(Wed) 00:11 [Reply] |
かしこさん、 悠久の鈴の音を聞いた後に、少し歩を早めすぎたでしょうか^^ (寂寥という言葉を知りませんでした。美しい言葉をありがとうございます) 縄文の風さん、 九頭、国津については、まだ考え中、考え中の反復です。 ここで皆さんの意見を伺いながら・・です。 10の太陽、 伊勢内宮の鰹木の十が10の太陽を表すものなら、 外宮の9は、太陽の影、九頭の龍蛇ではないか。 と、いう考え。 籠神社の神のその実は出雲の大神でもあると、 何かの資料に記憶がありまして、 青草的にまんざでもないかな。と思ってます。 |
[3599] Re[3598][3597]鮑 かしこ | 2008/02/12(Tue) 17:25 [Reply] |
>10個の太陽の思想がもう少し西の領域で確立されていたものなら、 西洋の古い思想にも影響してた可能性もあるかな。と思います。 はい。 実は、投稿ボタンを押した後でそれに気付きました。^^ しかしこれも、私たちが思う以上に、底の方でもっと広く繋がっていたりするのかも。 とりあえず、空想として温めておきます。 いつもながら、皆さんが蓄積されている知識・情報のすごさに驚きます。 新たにご紹介下さったサイトも含めてゆっくりと学んでゆきたいと思います。 くずさんのアイデアに触れて、思いがけない連想の連鎖となりました。 かしこの夢へのお付合い、ありがとうございました。 皆さまにはお目汚しでした。ご容赦ください。 |
[3598] Re[3597]鮑 くず | 2008/02/12(Tue) 13:18 [Reply] |
> 鮑を御神体にしている神社がありますね。九穴の鮑。 > 昔の人は、きれいに並んだ鮑の穴から、失われた九個の太陽を連想したのではないでしょうか。 > 鮑ひとつに九個の穴です。全体で元の十。 > 名前からして、鮑はアワビで、太陽(アワ)がその中にあります。 凄い発想ですね。 出雲大社の御神体について、 雲陽秘事記(中山太郎著「日本民俗学辞典」より) 松江の城主松平直政が出雲大社に参詣したる時、我は当国の主となったから神体を見せていただきたいと両国造のとめるのも聞かずに見たるに、それは大きな九穴の鮑(あわび)で、それが忽ちに十尋ばかりの大蛇となったので直政は畏れて其のまま退出した。 http://www.remus.dti.ne.jp/~n-makoto/izushinto/izuhonden1.html とありました^^ > また、nein(9)で青草を試みて、 > n(否定詞) + ein(ドイツ語 1) と置けば、「1でないもの」又は「1でなくなったもの」 > となりそうで、そうだとすれば、ここにも失われた太陽の影が浮かんできます。 10個の太陽は殷時代の甲骨文字に確認されています。 しかし堯帝とはそれ以前の神域に存在します。 10個の太陽の思想がもう少し西の領域で確立されていたものなら、 西洋の古い思想にも影響してた可能性もあるかな。と思います。 ローマ時代は自分なりに学んだのですが、それ以前は解らないのでなんとも。です^^ |
[3597] Re[3596][3594][3593] かしこ | 2008/02/12(Tue) 11:29 [Reply] |
>古代人の宇宙観は天上の竜を意識していたのかも。 そう思います。 縄文の女性土偶の中に、とぐろを巻いた蛇を頭に載せたものがあります。 26000年の大円の中心に龍を見てからは、 この土偶が、母(ハハ)-大地-龍-天空へと拡大したイメージで見えてきて、 あれは宇宙の表現なのだろうと思っています。 竜座が西洋で生まれたとしても、中国での呼び名が違っていても、 縄文の人たちは、彼らの目でそこに龍をみていたのではないでしょうか。 ところで、 鮑を御神体にしている神社がありますね。九穴の鮑。 昔の人は、きれいに並んだ鮑の穴から、失われた九個の太陽を連想したのではないでしょうか。 鮑ひとつに九個の穴です。全体で元の十。 名前からして、鮑はアワビで、太陽(アワ)がその中にあります。 鮑に乗ってやって来て、浜辺に降り立った神さまというのは、 失われた九個の太陽を影として伴いながら、 東の海から上ってくる太陽を意味していたのではないかと思います。 そう考えれば、なるほど御神体に相応しく、たかが鮑?・・・ではなくなります。 また、nein(9)で青草を試みて、 n(否定詞) + ein(ドイツ語 1) と置けば、「1でないもの」又は「1でなくなったもの」 となりそうで、そうだとすれば、ここにも失われた太陽の影が浮かんできます。 ※詩の中で鈴がカラカラ鳴ると、寂寥と永遠を感じます。 サイトのご紹介ありがとうございます。お気にいりに入れて読ませて頂きます。 |
[3596] Re[3594][3593] くず | 2008/02/11(Mon) 22:44 [Reply] |
> そんな風に考えたことがありませんでした。 > 私には新鮮なアイデアです。なるほど。 歳差と暦を考えながら、考えてた事です^^ 中国、殷の時代には太陽が10個あってそれが交互に空に昇っていると考えられていた。 太陽は十日で一回りする。これが「旬」ですね。 「堯帝の時代に10個の太陽が一度に出、草木が燃えるほど暑くなってしまったので堯帝が弓の巧みな羿ゲイという者に命じて9つの太陽を撃ち落とした。」 これが射日神話ですが、 堯帝にまつわる神話には暦に関するものもあります。 「堯帝が羲と和という2氏に命じ、羲仲を東へ、羲叔を南へ、和仲を西へ、和叔を北へ派遣して春分・秋分・夏至・冬至の観測と暦の運用を行わせた。」というもの。 この羲と和、 羲和は山海経では東海の扶桑の木の下で十の太陽を湯浴みさせる母神です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/義å 暦が作られて十の太陽は1つになり、射られた九つの太陽は母神羲和、扶桑木と共に、 夜、あるいは地界(異界)の主とならざるをえなかったのではないか。 九頭鳥という中国民話も参考にしました。 http://homepage1.nifty.com/kotobatokatachi/sub435.htm 諏訪の甲賀三郎に類似するお話です。 中国の妖鳥「九頭鳥」別名を鬼車 九頭鳥は夜しかとばない。 本来は10の頭を持っていたが、犬に噛み切られて9つになり、傷跡から血を流している。 人間の魂をすいとる。 日本では中国のべつの妖鳥、姑獲鳥とも同一視されたようです。 「姑獲鳥」 夜行遊女、天帝少女ともいう。羽毛を纏うと鳥になり、羽毛を脱ぐと女怪になる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ç£å\³ >同時に、26000年周期の大円の中心に龍を戴きながら太陽を巡る現象は、 >見方を変えれば「蛇が太陽を巡る」と言えなくもないのではないでしょうか。 地球交点面の北極にあたるりゅう座は西洋で確立された竜座、ドラコです。 神話では英雄ヘラクレスの12の偉業に数えられる「黄金の林檎」を守っていた竜だそうです。 林檎をめぐっては天球を背負うアトラスの別話もあって、古代人の宇宙観は天上の竜を意識していたのかも。と思います。 中国星座でりゅう座にあたるのは紫微垣に含まれる星官「天柱」「御女」あたり、 りゅう座α星、トゥバンは西藩7星の右枢と呼ばれたようです。 紀元前2790の北極星トゥバンの名の由来はアラビア語で「竜」だとも。 北半球ではどこで生まれても星空は共有してますからね^^ 竜が天空の頂きで太陽と地球の運行を見守っている。 |
[3595] 国津神社 縄文の風 | 2008/02/11(Mon) 21:17 [Reply] |
くずさんは、国津かなと思ってましたが、関係あるんでしょうか? 葛も九頭も記紀編纂された時に国津神として、ごっちゃにされたとかんがえてもいいんでしょうか、くず族としてひとつの同族なのでしょうか。 今日、美杉 長瀬 国津神社。小太郎に行ってきた所です。伊勢神宮領、六箇山として秘されてきた地です。金、日置氏、名前もしらべなくちゃあ |
[3594] Re[3593] かしこ | 2008/02/11(Mon) 19:50 [Reply] |
そんな風に考えたことがありませんでした。 私には新鮮なアイデアです。なるほど。 十の内、九もが射落とされて、彼らは太陽の影となった。 いつも太陽と蛇が共に語られるのは、そのためでしょうか。 これは、光の天使ルシファが、堕ちてサタンとなったことにも一脈通じるような。 光と影・善と悪・天と地・彼と我。どちらが欠けても円(和)は完成しないわけです。 ここで思い出したのが、エジプト王の象徴といわれる太陽を巻く蛇。 王というのは、特に古代にあっては完全を期待される存在でしょうから、 太陽と共にその分身である蛇も表現しなければならなかったのかも知れませんね。 また、漢字の「旬」という文字。 ご承知のように、これは十日・十年・十ヶ月を意味します。 字形は、これまた太陽を蛇が巻いている姿です。(「字統」) 太陽と蛇が一緒にあって、初めて「十」となる。 即ち「完全」なのであると言っているかのようです。 同時に、26000年周期の大円の中心に龍を戴きながら太陽を巡る現象は、 見方を変えれば「蛇が太陽を巡る」と言えなくもないのではないでしょうか。 太陽を巻く蛇の姿はこれを表現してもいるのではないか、と青草く空想したことでした。 ※お名前は、九頭龍さんからでしたか。 葛だろうか国栖だろうかと思っていましたので、すっきり安心しました。^^ ありがとうございます。 |
[3593] Re[3592]: 空へ くず | 2008/02/11(Mon) 14:42 [Reply] |
かしこさん、ありがとうございます^^ 素敵な詩を繋げて下さってうれしいです。 僕も、星空を思い浮べながら、歳差を考えておりました。 下の詩は大湯の縄文遺跡にて星空を見上げながら・・ そんな想像です。 僕の名"くず"は戸隠の九頭龍さんからお借りしています。 (覚悟といえば、それが覚悟です。) 僕は今、九頭とは太陽の"影"ではなかったかと思っています。 かつて太陽は"10こ"あるとされていました。 それが英雄(もしすれば暦の製作者)によって、 十のうち、九つが射落とされ、天には1つの太陽が残ります。 射落とされた九つの太陽は地の底に返らなければならない。 それが九頭鳥、九頭龍の原型ではなかったかと思っています。 太陽と九頭龍はもともと一つのものではなかったか。 まだ想像ですけど。 寄り添うものがあれば漆黒の旅も孤独ではないと思いますよ^^ |
[3592] 空へ かしこ | 2008/02/11(Mon) 12:02 [Reply] |
母はまた 龍となって 天に昇り 父なる太陽を巡る とわの旅路に 寄り添う わが永遠の旅 漆黒の宇宙を行く 孤独な旅に ※歳差のお話を大変興味深く拝聴しつつ、星図を眺めてこんな空想をしていました。 くずさんの風を乱しましたら、ご容赦ください。 |
[3591] 縄文の風 くず | 2008/02/11(Mon) 09:13 [Reply] |
大地は母。 山も母であり海も母。 大地の使いは蛇であり、 これをははと呼ぶ。 天は父。 母なる大地に立てる石棒は、 天からの父の依りしろ。 母なる山に突き立つ岩座も、 母なる海に突き出す岬も、 男なる父の依りしろ。 土くれたる我等は、 石棒の下で眠りにつき、 母と同じ土に戻って父を待つ。 父は風となり、そこに舞い降りる。 カラカラと鈴が鳴り、 父の訪れを告げる。 |
[3590] 了解 縄文の風 | 2008/02/10(Sun) 20:43 [Reply] |
ハイ、了解です。ピラミットの通気抗(?)から見える星の話などの方が面白い。 あれ、本当ですかね。精度確かかな。もし、確かなら、大地の移動は、0なんですかね。もう、議論はやめます。 |
[3589] 縄文の風さんへ くず | 2008/02/10(Sun) 20:02 [Reply] |
縄文の風さん、 この件で、掲示板を使っての返答は終わりにします。 この掲示板は保存されますから、これから先見られた方がいたとしても、 考察しうるだけの根拠は残せたと思いますので。 僕と玄松子さんは、この掲示板の流れの上での、歳差に関する認識を共有しています。 玄松子さんの言われる事を間違いと思われるなら、 僕の書いてきた全てが間違いであると言う事と変わりません。 もしまだ腑に落ちない点があるにしても、 時間をかけてゆっくりとお考え下さい。 僕もメアド書きましたし、玄松子さんもHPからメール書けます。 (このページの右下から) 個人的なやりとりであればそちらでしましょう。 この間、素人さんから返答頂けました。良かったです^^ |
[3588] Re[3587][3554]:玄さまへ再質問 くず | 2008/02/10(Sun) 19:41 [Reply] |
第三者として読み取る限り、 玄松子さんは極移動、極逆転があるとは言われてません。 [3586]に書きましたとうり、 >約1万3000年後には傾きは逆を向く。23.5+23.5で47度逆を向く。 >北極星は47度変わるけれど、北極点は動かない。 この47度とは、今の地軸の傾きが向く方向とは正反対の方向なわけですから、 地軸の傾きは、現在の向きから方角的に180度逆を向く事になります。 と、いう事を言ってます。 |
[3587] Re[3554]:玄さまへ再質問 縄文の風 | 2008/02/10(Sun) 19:09 [Reply] |
>
歳差運動で地軸が逆転したり、季節が反対になったりしてるのを観測した人はいない様です。サイトでも記述されてますが、前2世紀に歳差を発見した、ギリシャの > ヒッパルコスが見た、地軸の指す北極星の位置から、歳差によって今、見える北極星の、空での星座上の移動角度が約10度ぐらいです。 > さて、あなたの計算や、仮説は自由です。が何1つ合ってません。想いこみの考えを正しいのだと主張されてるだけのようです。天文現象は、観測から出発します。があなたの説で解明されるものがありません。 > なにが示されるのでしょうか。 |
[3586] Re[3584]: 極逆転 くず | 2008/02/10(Sun) 18:58 [Reply] |
>
くずさま 極移動はあるんです。 極移動があることは認識しています。 が、今回の一連の考察では度外視しました。 歳差運動を【極移動の伴わない現象】と仮定しての考察になってます。 読み返していただければ、歳差で方位(つまり極)は動かないと書いたはずです。 例えば、写真掲示板の図1から、θ2の値が最大47°になる事、確認できますよね? これは予測値であり、観測値ではありません。 けれど、現在の観測結果に元ずく理論の延長上に予測された値ではあります。 で、この現象に極移動が伴った場合、今の北極点から最大47度、北極がずれる事になります。 緯度でいうと北極点北緯90度ですから90度−47度で43度。 北緯43度は釧路あたりの緯度です。 約13000年前にそこまで北極点が動いていた。これはいくらなんでもありえませんよね。 北極点は動かない。 これが歳差に関する考察の前提であり仮定。 (実際は動く、それについては今後の勉強) 北極点は今の位置のまま、"地軸の傾き"が回転する。 リンゴを47度逆に傾けてもリンゴの芯はリンゴの芯です。 約1万3000年後には傾きは逆を向く。23.5+23.5で47度逆を向く。 北極星は47度変わるけれど、北極点は動かない。 実際は北極点は動く。極移動は存在する。 でもそれは、近代以前では歴史的に観測しえない微細なものであったとの認識です。 今回の勉強をしながら暦の歴史も調べたのですが、 その精度は驚くほどで、そこに歳差以上に大きな星の動きは記録されておりません。 人類が地上から見つづけた天文学の集大成が暦におもえます。 この観察眼は信頼に足りると思います。 つまり歳差の影響を越える極移動は歴史上存在しない。 |
[3585] Re[3582]: 野暮ったいお話 琉球松 | 2008/02/10(Sun) 17:59 [Reply] |
神奈備さん、ありがとうございす。 「園比屋武/金比屋武」もそうですが、琉球圏の地名などの当て字は原音に近いと思います。 現在の琉球方言の「ブ」は、ことごとく「ン」に転化(例・金武=キン 喜屋武=キャン)していてわらりずらいのですが、『おもろさうし』などから推定が可能ですね。 対馬〜九州東シナ海側〜沖縄島に点在する「ヤブ」は相当古い名称のように思いますし、信仰的な繋がりは十分あるでしょうね。 また、沖縄島の神歌には「ちくしたま/つしやたま」というのが出ていて、それぞれ「筑紫玉/対馬玉」で、勾玉の出自を語っているかのようです。 対馬の「ヤブ」も、木が生い茂っているような、鎮守の森のような、琉球圏の御嶽のような感じでしょうか? |
[3584] 極逆転 縄文の風 | 2008/02/10(Sun) 16:36 [Reply] |
くずさま 極移動はあるんです。 極逆転を聞いてたのですよ。 極逆転をまだ言われるのか、1つずつ、確認しています。 玄さま、 極逆転、季節逆転を言われるのですか? どこが、私の見解と異なるのですか?私のどの点が間違いですか? |
[3583] Re[3581]: 玄様 くず | 2008/02/10(Sun) 15:10 [Reply] |
>
30度は意味が違います。12,2度です 意味は同じですよ。 2200年間の歳差の影響という同じ現象を、 北天を見て捉えたのが縄文の風さんで、 言うなれば東西(赤道面or黄道面)からとらえたのが玄松子さん。 季節の話を切り出しましたので、(一般的には)太陽運行に目が行って、赤道面、黄道面を考えるかと思います。 僕も最初は東西方位に目が行っていました。 縄文の風さんのこの件への最初の書き込みは 「極移動はありません」 でしたので、 この方は北に眼が行っているなと、その時から思っていました。 そしてその書き込みから、 「東西の方位の変化を南北に移したら、現象としては極移動になる。」 という考えたら当たり前の事に、そこで気がつきました。 自分は他の方のご意見を伺うためにここに来ています。 意見を伺いたい。その為に自分の考えを提示させてもらっています。 普通なら目がいかないところに目が行き、意見をいただける方は貴重なんです。 自分にとって。 (そして掲示板にとっても) |
[3582] 野暮ったいお話 神奈備 | 2008/02/10(Sun) 15:05 [Reply] |
3.対馬・壱岐と沖縄 柳田国男翁は『石神問答』で、「ヤボサ社は壱岐の外に薩摩に箭武佐社あり 又筑前に天台藪佐あり」と記しています。いずれも『平成CD』では確認がとれません。 長崎県佐世保市柚木町に鎮座の矢保佐神社について http://ngskoto.cool.ne.jp/map/sasebo/yunokimuku.html には、「矢保佐(やぼさ)とは聞きなれないが、ヤボサ神は集落を悪霊や悪疫から守るという神で、 全国にみられる土俗信仰のようだ。」との記載があります。 全国には見られないのですが、「やぼさ神社」は肥前国松浦郡に10社、ほかに肥前国・肥後国などにも散見されます。 鹿児島市犬迫町の八房神社は1530年建立です。 http://www.kagoshima-kankou.com/producer/2007/04/post_28.html 木花開耶姫命や神武天皇はじめ祭神が7人もいらっしゃいます。ちょっと欲張りな神様ですが魔除け信仰の縁起物として自称世界一の大虎が社殿に向かって見張っています。虎の乳首は八つあるとかで八房との説明のようです。他には、串木野市にも鎮座、祭神は孝靈天皇と源爲朝です。 いよいよ沖縄への足がかりの二つ目が登場です。「おもしろさうし」の為朝の伝承に、琉球へ逃れた為朝が琉球王朝の始祖である舜天になったとのことで、滝沢馬琴の「椿説弓張月」にも取り上げられています。 琉球神話でアマミクが造ったとされる九つの御嶽の一つに薮薩御嶽(ヤブサツウタキ)があります。アマミクがヤハラヅカサ上陸して浜川御嶽を経由しミントゥン城を安住の地としたとあります。実は薮薩御嶽の名は出てこないのですが、ヤハラヅカサから浜川御嶽とその上の森を総括して薮薩御嶽と称しているようです。 沖縄の御嶽巡りに東御回り(あがりうまーい)というものがあります。初穂巡礼で、国王や聞得大君・神女たち・臣下が一年おきに巡拝したのです。それに薮薩御嶽があります。アマミクの上陸地では唯一の御嶽となります。 この御嶽の名が「ヤブサツ」であり、聞得大君・神女たちのまいるのは、命婦(いちじよ)は「やぼさ社」に常に参ると言う壱岐の風習と似ているように思います。 琉球松さん > 沖縄島にも、南部に「藪薩(ヤブサツ)御嶽」、首里に「園比屋武(ソノヒヤブ・方音 スヌフィアン)御嶽」、今帰仁に「金比屋武(カナヒヤブ・方音 カナフィアン)御嶽」、中部太平洋側にも「藪地(ヤブチ)島」がありますね。 ありがとうございます。薮薩御嶽は承知していました。園比屋武(ソノヒヤブ・方音 スヌフィアン)御嶽は参詣しましたが、漢字のよみでのヤブの仲間でいいのでしょうか。薮薩御嶽については、方音は見あたりませんし。 |
[3581] 玄様 縄文の風 | 2008/02/10(Sun) 05:06 [Reply] |
3548での疑問解けましたか 30度は意味が違います。12,2度です |
[3580] 図は解りやすい。 素人 | 2008/02/09(Sat) 23:14 [Reply] |
くず様 極点からの図は大変わかりやすく天の北極の移動が明快です。 中緯度からの図を見て少し混乱していました。 5000BCから3000AC位までは目立つ北斗七星が天の北極の近くにありそうなので手前味噌ですが安心しました。鳥江の柄杓型の水路と絡めてです。 図の掲載、有難うございました。 |
[3579] Re[3576][3555]: 無題 くず | 2008/02/09(Sat) 22:28 [Reply] |
>
小山、 以上のとうり、くずさんが計算された角度の12,2度になり、30度は間違いです。 縄文の風さん、ありがとうございます。 写真神奈備別荘に玄松子さんが紹介されたサイトの図の”引用”を掲載させて頂きました。 図1(白いほう)図2(黒いほう)です。 基本的には図1に示しましたが、 "公転面の天頂"を基準とした"地球の北極星"の歳差の影響による移動角度は、 赤で示したθ1となり、これが玄松子さんの言われる角度に相当します。 その同じ動きを地球上から見た時の角度、 水色で示したθ2が、縄文の風さんの言われる角度に相当します。 この考えの検証に、BC2790年(下サイトより)の地球北極星、りゅう座α(トゥバン)を使います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ãã\ãã³ りゅう座αの赤緯角は+64.22° 現在の天の北極が赤緯+90°にあたりますので、 90°−64.22°で差は25.78°・・・(1) この25.78°が約4800年前から現在の北極星の角距離であり"移動角度"にあたります。 これから行う計算結果が25.78°に近くなれば、この式の考え方は現在の観測結果及び仮説に符合するといえます。 4800年前から現在までの地軸の傾きの回転率は4800年÷25800年で18.605%。 回転運動の一周は360°なので、360°×0.18605≒66.98°この角度がθ1です。・・式A ポラリスからトゥバンまでの歳差による移動距離を求めますので、 写真掲示板 図2のように各点を符号します。 A点・・・地球公転面の北極 B点・・・現在の北極星ポラリス D点・・・4800年前の北極星トゥバン ※線分AB及び線分ADは地軸の傾きの回転半径rです。 ※求める移動距離は線分BD(扇形の弦)にあたります。 線分BDを一辺にもつ三角形ABDは∠BADをθ1とする2等辺三角形ですので、 のこりの∠ABDと∠ADBは三角形の角の総和より、(180°−θ1)÷2で共通。 三角形の辺の長さを求める為に直角三角形を想定します。 線分AD上に、B点への垂線を仮定し、交点をC点とします。 そして2つの直角三角形、僊BCと傳CDを作ります。 @この三角形は線分BCを共有します。 A傳CDの∠CBDはθ1の1/2になります。(←簡単な証明問題と思いますので略) @、Aより、 僊BCより sinθ1=線分BC/r・・・・・・・・・・・式1 傳CDより cos1/2θ1=線分BC/線分BD・・・・・・式2 式1を線分BCより求め、 BC=sinθ1×r これを式2に代入して、cos1/2θ1=(sinθ1×r)/線分BD cos1/2θ1×線分BD=(sinθ1×r) 線分BD=(sinθ1×r)/(cos1/2θ1) θ1=66.98°・・式Aより sin66.98=0.9204 cos33.49=0.8340 線分BD=0.9204r/0.8340=1.104r よって移動距離、線分BDは、回転半径rの1.104倍の長さとなります。 次にこの長さを地球上からみた角度(角距離)θ2を求めます。 回転半径rの線分に相当するのは地軸の傾き23.5度。 比率から23.5°×1.104=25.944° 先に示した現在の天の北極からトゥバンまでの角距離は25.78° 計算値25.944°との差は0.16° この0.16°がどれくらいの誤差かと言えば 現在の北極星ポラリスの赤緯が+89.15°なので90°−89.15°=0.85° と現在の"天の北極"と北極星ポラリスのずれよりも少ない値となります。 ゆえに、現在の観測結果に元づく予測(歳差運動に対する仮説) と、この数式のもとになっている考えは合っていると言えると思います。 つまり、図1にしめしたθ1が玄松子さんの言われる角度。 θ2が縄文の風さんの言われる角度です。 |
[3578] Re[3577][3573]: 野暮ったいお話 付録 琉球松 | 2008/02/09(Sat) 20:11 [Reply] |
訂正・・・「シクナヒコナ」は、当然「スクナヒコナ」な間違いでした。 |
[3577] Re[3573]: 野暮ったいお話 付録 琉球松 | 2008/02/09(Sat) 20:08 [Reply] |
神奈備さん、お付き合いさせて下さい。 「みさき」は、灯台のようなものでしょうから、海人達が上陸するための足がかりの地でしょうね。 ですから、琉球方言の「サダル(案内)」の意味がよくわかります。 と言うのも、奄美&沖縄諸島に上陸する神々は、いったん目前の小島や岩礁を足がかりとしているわけですが、それがない地域では「みさき(赤崎・赤丸・赤鼻)など」を代用としていますね。 僕は「みさき」より、目前の小島「オフ島(大島・奥武島・青島・相島・淡島・粟島・青海島・赤島・尾島・男島」など、ほぼ全国に分布する海人地名のほうが比較的重要と考えます。 サルタヒコも、奄美沖縄の海神アマミキヨも、オフ島や「みさき」に依りつく水平思想の神々。。。ですから、シクナヒコナは垂直的な「粟の茎に・・」ではなく「粟島」から "急いで" 常世に帰って行ったと解釈したいわけです。 |
[3576] Re[3555]: 無題 縄文の風 | 2008/02/09(Sat) 19:11 [Reply] |
> 縄文の風さんの言われるのは、 > 地軸の延長が指し示す"天の北極"の、歳差の影響による見た目の移動距離(角距離)。 > と理解しています。 > 角距離は観測者の視点からの角度を表現し、星から星までの見た目の距離(角度)を表す場合、普通に使います。 > (例えば彗星の尾の長さが約何度とか。) > ですので、歳差運動を傾き23.5度の回転運動と仮定した場合。周期の半分、180度回転した時の見た目の移動距離は、180度ではなく23.5度の倍。47度となります。 > > 2200年で30度の歳差運動の回転を仮定しますと、中心角30度の扇形の玄の長さが見た目の移動距離にあたるか思います。 > > この時玄の長さを1成分とした三角形は、 > 回転半径(r)を2辺。ひとつの角を30度とした2等辺三角形ですので残りの角度は75度ずつ。 > 玄の長さを求めたいのでこの2等辺三角形に仮の線を引直角三角形を2つ想定します。 > 30度を含む三角形は30度−90度−60度の三角形となって辺の長さの比は1:2:√3 > この比を回転半径(r)で表現すると、1/2r:r:√3/2r。 > > もうひとつの三角形は15度−90度−75度 玄にあたる辺の長さをAとすると、 > cos15=1/2r/A → A≒0.52r > 回転半径は23.5度に対応しますので、23.5度×0.52で約12.2度。 > > 約12.2度が2200年間の、天の北極の、見た目の移動距離(角距離)になるかと思います 小山、 以上のとうり、くずさんが計算された角度の12,2度になり、30度は間違いです。 |
[3575] 図 縄文の風 | 2008/02/09(Sat) 18:59 [Reply] |
図 をしめせれば、1発でわかります。文章では、行き違いばかりです。ので、どこまでが一致して、どこが違うのか1つずつ順をおっていってます。 くずさん、いまのところ、あとどこどこが、異なるかを点検中です。今の所、3574の点、他にもありますか? 玄さんの答えを待って、次にいきます。 どなたか、前記サイトの図をここか、どこかに転載してくれませんか。私操作できません。 FAXに図描いておくりますよ、 |
[3574] Re[3569][3548][3545]: 玄様へ くず | 2008/02/09(Sat) 17:39 [Reply] |
玄松子さんに意見を求められているようですが、 この書き込みに対して第三者の意見としてお聞き願えればと思います。 僕も一般的とはあまり縁のないほうですがあえて。 一般的に言って間違いを指摘する時は相手のどの部分が、なぜ間違っているのか、 その理由を指摘できなければ解決(お互いの理解)には向わないと思います。 > > また、周期の8.5%(2200年)経過すれば、天の西北西に23.5度傾く。 > > つまり、ある時点から約30度地軸は回転移動したことになります。 > ここは小山、納得、理解できません。間違ってると思う。 上記の部分で、縄文の風さんが、間違いといわれる箇所は抜き出せますが、 この文章の、どこがどのように、間違っていると思われるのか、 その理由を具体的に書き示す事が重要だと思います。 その理由が書かれなければ、第三者の僕にとって 「どうしてなの?」という問いに、「教科書(あるサイト)にのってるから」と答え。 それとなんら変わりません。(イジワルな言い方をすればですが・・・) 例えば上の文章に対する疑問。 「天」とは何を示すのか? これが定義されていません。 そしてその天が"天の北極"を示すなら、 (この場合地球公転面に垂直な地球中心の直上(下)点が適合するのでしょう) 前文において「23.5度の角度の移動が西から北へ」と言う表現はおかしい。と言えます。 真上が北。真下が南。では西と東は?ってことになります。 そこがおかしいということでしょうか? この場合、書き出しに「たとえば、」とされていますので、 こんな例えが考えられます。 例えば、天井(天)に向って真っ直ぐ腕伸ばし人差し指で一点を指す。 そこを中心として、家の西に向って、最初の点から23.5度伸ばした腕を傾ける。 家の北の方角90度、その角度を保ったまま腕を回す。 このとき人差し指は、天井の北の方角を23.5度の傾きで指す事になります。 この例えは僕の理解の上では、歳差現象の説明として間違ってはいないと思います。 たとえば、の仮定の話なので、東西南北については仮定の上の方位と理解しました。 > > また、周期の8.5%(2200年)経過すれば、天の西北西に23.5度傾く。 > > つまり、ある時点から約30度地軸は回転移動したことになります。 この文章のどこが間違いと思うのか、どの部分を間違いとされるのかだけでもよいです。 具体的にお示しください。検証が可能になりますから。 |
[3573] 野暮ったいお話 付録 神奈備 | 2008/02/09(Sat) 17:19 [Reply] |
「みさき」の神とはどのような神か? 柳田国男翁の『石神問答』に考察があります。 結論は 猿田はミサキと同義 三崎社は境の神 ということです。 その説明としては、 猿田はサダで出雲の佐陀大神は同神。→ 出雲の佐陀は島根半島の中央で 現今の社地は海角ではないが、此の半島のは所謂狭田の国にて西にもにもにも東にもミサキはある。 「みさき」の名を持つ神社(摂社も)(三崎、御埼、美埼)などは、『平成CD』で全国で314社、その内祭神に猿田彦の名が見えるのは38社、天照大神は53、素盞嗚尊は52社、全国での猿田彦を祭る神社は3334社、天照大神は13582社、素盞嗚尊は13542社。明らかに猿田彦の割合が多いようです。 ミサキをサダというのは此の地に止まらず伊予の御鼻と称する佐田岬・大隅の佐多岬・土佐の足摺埼も磋陀(陀は足扁)岬とあります。 |
[3572] 教科書 縄文の風 | 2008/02/09(Sat) 10:56 [Reply] |
私がならった1966年から10年間の生物学科、医学の教科書のうち次の10年後まで生き残れたのは、ほとんどないでしょう。今では、見向きもしません。ほとんどが間違いですから |
[3571] Re[3564][3558]: 蛇足ですが。 縄文の風 | 2008/02/09(Sat) 10:47 [Reply] |
> 素人が恥をかいてしまいました > 勉強になりました。 質問するから、勉強になるのです。 理科系の人は、新事実、新発見、新説、検討して、納得いけば、すぐ変えます。今までのを捨てます。書き換えます。恥ずかしいことではありません。 文系の学者には、自説を変えるのは、恥だと思ってる人が多いようですね。 |
[3570] Re[3565]: 頓珍漢 縄文の風 | 2008/02/09(Sat) 10:30 [Reply] |
> > とても恥ずかしい、素人の青草 私も素人です。だから興味のある事は、専門家の言うことでも、鵜呑みにせず、 少しずつ勉強して納得していってるのです。 はずかしいのは、教科書で習ったから正しいと主張される人です。説明して下さいと聞いても、説明されません。書いてあるとか、専門家がいってるとして、自分では、質問に答えられません。 |
[3569] Re[3548][3545]: 玄様へ 縄文の風 | 2008/02/09(Sat) 10:11 [Reply] |
玄様あなたの次の疑問は解消されましたか。 > > > 歳差の周期は約25800年。紀元前2世紀から現在まで約2200年。 > > > 周期の8.5%経過していますから、地軸は紀元前2世紀から約30度回転移動していると思います。 小山、12,2度移動です 小山再度、お答えしますが、赤道上では30度 になりますが、星座ではおよそ10度ぐらいでしょう。 > 「赤道上では」なにが30度なのでしょう。 > 地軸の回転移動は、赤道だろうがアラスカだろうが同じ角度です。 > 「星座では」とは、どういう意味でしょう。 > > > 逆に、10度の回転は、周期の1/36ですから約716年でしょうか。 > > > で、何が10度くらいなんでしょうか。 小山2200年間の、地軸が指す星座の移動角度 > 「地軸が指す星座の移動角度」という言葉の意味がわかりませんが、 > ひょっとして、天空一周を360度と見た場合の、地軸の指す星の角度差という意味でしょうか。 > 地軸は回転移動しているのですよ。 > 回転運動とは、0度から一周して360度移動するのですが。 > 周期の半分の期間では180度移動し、地軸の傾きが逆になるのです。 > たとえば、ある時点で、天の西に23.5度傾いている地軸は、 > 周期の1/4経過後は、天の北へ23.5度傾き > 周期の1/2経過後は、天の東に23.5度傾く。→つまり逆になる。→よって季節が逆になるという当初の疑問。 小山 13000年後に立証されます。正解はその日まで絶対わかりません。 ただ、過去にさかのぼっては、ほぼ確実だろうと言えることを皆で検討して納得し、次に、未来の予測に利用してます。 > また、周期の8.5%(2200年)経過すれば、天の西北西に23.5度傾く。 > つまり、ある時点から約30度地軸は回転移動したことになります。 ここは小山、納得、理解できません。間違ってると思う。 小山 この間、見られずしての反論ばかり展開されてます。今回も同じ様です。 > ちゃんと見ていますし、反論ではなく質問です。 > が、いつものように説明のない「言い切り返答」しかありませんね。 小山、 玄様、サイトに23,5度やギリシャ載ってましたか。あなたは、いまだにこたえてません。 |
[3568] Re[3566][3562]: 野暮ったいお話 神奈備 | 2008/02/09(Sat) 09:19 [Reply] |
琉球松さん ありがとうございます。現在は男子禁制になっているのは対馬ではなかったようです。沖縄は残っているようですね。 2.壱岐 今年は壱岐に行きたいと思っています。 壱岐郡郷ノ浦町の嶽山神社の摂社に矢保佐神社が鎮座しています。 折口信夫翁は『漂着石神論計画』で、壱岐の「やぼさ」について以下のように記しています。 陰陽道では、職神・式神(シキジン)の事を、後にみさきとも称へてゐた。壱州に来た陰陽師の徒は、みさきを傭ふのに、簡単な方便があつた。其は、やぼさと言ふ島に多く居る精霊を、呪力で駆使する事にした。壱岐には矢保佐・矢乎佐など言ふ社が、今も多くあり、昔は大変な数になる程あつた。 壱岐に数多いやぼさは元古墓で、祖霊のゐる処と考へてゐたのが、陰陽師の役霊として利用せられる様になつたり、其もとが段々、忘却せられて来たのだらう。 箱崎の芳野家の「神国愚童随筆」といふ本に、壱岐の神人の事を書いて、命婦(イチ)は女官の長で、大宮司・権大宮司の妻か娘かゞなるとある。さすれば、いちは陰陽師の妻が巫女なる例である。いちじよはやぼさ社に常に参ると言ふ。以上。 ハート型手水鉢 http://www2s.biglobe.ne.jp/~tanabata/ikifile03.htm によりますと、「江角触の公民館前の山側に「矢保佐社」と呼ばれる小さな祠がある。矢保佐神は疫霊抜除の神、福徳の神、あるいは畑の神様である。」と載っています。 「やぼさ」については概ね対馬のものと似ているようです。しかし、式神として使われるというのはいささか零落した姿でしょう。ただ、神女としての命婦(イチ)は女官の長で、大宮司・権大宮司の妻か娘かゞなるとあるのは、沖縄の聞得大君を思わせます。 柳田国男翁は天妃(ボサ)是なりと云っています。命婦や聞得大君はまさに「ボサ」です。何となく、対馬から沖縄へのつながりの一つ目が出てきました。 |
[3567] Re[3563]: くず様 くず | 2008/02/09(Sat) 09:00 [Reply] |
>季節の移動、そして極逆転なし、は了解されましたか。 極逆転といわれますと、今の地軸が南北にひっくりかえるようなイメージに聞こえますが、 僕も玄松子さんもそんなイメージではありませんよ。 スリコギ棒をもって支点を固定し、グルリとゴマをする。 こんな回転運動をイメージしています。 グルリとすりますんで一周360度の回転運動です。 この時のスリコギ棒の傾きが23.5度、スリコギ棒が地軸です。 スタート時の棒の傾きが指し示す天井には北極星。 半分回転した時、つまり180度回転した時、 この傾きはスタート時とは逆(反対方向の天井)を向くことになります。 あの計算は正確さ求めたものではありません。 仮定条件を、玄松子さんが言われていた事を元に、2200年で約30度の地軸の傾きの回転。とし、 縄文の風さんが言われる「天の北極の2200年での見かけの動き」を求めたのです。 お二人は同じ事を言っているのだと、それを証明する為の計算です。 |
[3566] Re[3562]: 野暮ったいお話 琉球松 | 2008/02/09(Sat) 08:02 [Reply] |
神奈備さんへ 沖縄島にも、南部に「藪薩(ヤブサツ)御嶽」、首里に「園比屋武(ソノヒヤブ・方音 スヌフィアン)御嶽」、今帰仁に「金比屋武(カナヒヤブ・方音 カナフィアン)御嶽」、中部太平洋側にも「藪地(ヤブチ)島」がありますね。 これらはたぶん、壱岐&対馬の「ヤブ」系聖地と関係ありでしょうけど、「ヤブサ」もまた男子禁制でしょうか? |
[3565] 頓珍漢 素人 | 2008/02/09(Sat) 02:29 [Reply] |
> とても恥ずかしい、素人の青草でした。 関係ない話ですみませんでした。 でも極の反転は1000年ぐらいかかって、ゆっくり進むとありますが化石が減っているなど地磁気が乱れると恐ろしい事が起こるようです。 バンアレン帯が消えると怖い事が起こるのでしょうか。 極の反転は地球にとっては疫病神のようです。 |
[3564] Re[3558]: 蛇足ですが。 素人 | 2008/02/09(Sat) 00:35 [Reply] |
素人が恥をかいてしまいました。 北極星が動くんですね。不動のものと思っていました。 過去5000年と今後1000年位は星座の回転中心は北付近と考えていいのでしょうか。 そうしますと大熊座と小熊座の間あたりを星座の回転中心が移動したなどと考えていいのでしょうか。北斗七星の近くに北があったのでしょう。この時期は幸運にも、目標はあまり変わらないことになります。そうすれば、あまり実害はなかったのでしょう。北斗七星が北と関係なくなると私には都合の悪いことになります。 勉強になりました。 たびたびの青草です。 |
[3563] くず様 縄文の風 | 2008/02/08(Fri) 23:49 [Reply] |
管理人さん 納得されてない様てすか 初期の問いは解決したみたいなのて 後もうすこして終わりましょうか 始めから順に行きます。 小山の言う約10度(正確に計算されましたように12,5度)が、なにを示してる角度かは、ご理解いただけたでしょうか。この角度は、それ以上の意味を持たないこともおわかりいただけますか。私はそれ以上の意味つけを致しておりません。 玄様も、季節の移動、そして極逆転なし、は了解されましたか。 23,5度とギリシャにこだわった玄様、サイトにありましたか。無かったですか? |
[3562] 野暮ったいお話 神奈備 | 2008/02/08(Fri) 21:17 [Reply] |
昨年後半に対馬と沖縄に行く機会がありました。 1.対馬 対馬の上対馬町五根緒に曽根崎神社が鎮座しています。旧号曽根山房神社とか曽根山形神社と云われています。「対馬神社誌」には「氏神曽根山房」とあります。即ち、氏神曽根山房・神体石・高さ八寸・勧請不知とあるのです。 また、「対馬神社大帳」には「曽祢山形社。或は野菩薩神と云ふ。神体紫石」とあり、この名称の曽根というのは地形状の「そね」とみられ、山房というのは町内に多いヤブサ神で、矢房と書いた例が多い。とあります。 上対馬町豊には那祖師神社が鎮座、貞享三年の「神社誌」には、「那祖師大明神・若宮大明神・島頭大明神・地主・山房・矢房を祀る。」とあります。 折口信夫翁は『漂着石神論計画』で、対馬の「やぼさ」について以下のように記しています。 対馬へ行くと、「やぼさ」と言ふ場所が神聖視せられてゐる。初春には、殊に大切に取り扱はねばならぬ。此処には、祖先の最古い人が住んでゐると考へられ、非常に恐れられてゐる。対馬で「やぼさ」と言うてゐるのは、岡の上の古墓で、より神とも言ふ相である。以上 「やぼさ」は現在では神社の旧名として残っており、「場所が神聖視」されるのは当然ですが、特に初春には大切にすると云うのは、何故だろうか、新しい命が芽を吹く季節と云うことでしょうかね。 柳田国男翁は『石神問答』で、さらっと触れています。 ヤボサ社は壱岐の外に薩摩に箭武佐社あり 又筑前に天台藪佐あり 壱岐鯨伏村立石なる加良神山 昔唐船の此の地にて破船せし折り 其の船魂を祭祀して之を加良神と云ふ 所謂天妃(ボサ)是なりと「名勝図誌」に見ゆるも同じ神にや ボサとは如何なる義なるか 「和訓栞」に依れば対馬にては巫覡の類をボサと云ふとあり 以上 『日本の神々1』で、永留久恵氏は天道菩薩について、「天道の祭祀には社がなく、神籬・磐境の祭場で儀式が行われ、巫師と卜師があったとし、巫者は本来陰陽道的祈祷を伝えたものであるが、中世以降は三つの系統があった。一つは真言宗の法師、次ぎに法者と称する神職があり、仏教的には天台宗だった。」と記しています。 上県町女連に鎮座する地主神社の扁額には地主神社と矢房神社の名が並んでいる。貞享三年(1686年)の『神社誌』には佐奈豊軍殿(さなどいくさどん)、天台矢房(やぼさ)が記載されています。 上県町瀬田に鎮座の国本神社の由緒書きには、『対州神社誌』によれば、熊野権現、三宝神、天台矢房があるの記載があります。 さて、この天台矢房(やぼさ)ですが、永留久恵氏の云う「仏教的には天台宗」の天台なのか、天道菩薩→天台菩薩→天台矢房なんてことはどうだろう。 天台矢房や矢房とは祖先の住処であろ古墓で神聖な場所であり、巫覡が神事を行う場所で、後に神社と見られたのでしょう。 |
[3558] 蛇足ですが。 素人 | 2008/02/08(Fri) 00:00 [Reply] |
よく知られた話ですが。 詳しくわかりませんが、磁極は数十万年単位で逆転するようです。 磁石が北でなく南を向く様になるようですが、地理極の近くに磁極はあるようです。これは磁極の話で地軸ではいかがでしょうか。 とても恥ずかしい、素人の青草でした。 |
[3557] Re[3556][3555]: 無題 くず | 2008/02/07(Thu) 21:15 [Reply] |
縄文の風さん、 > では、地軸の傾きが、何度だったら、歳差運動は起こらないのですか。?答えられますか。 > 0度ですか? 今の自分の歳差に関する理解は、以前に示しました通り、 @ 「地軸の傾き23.4度が約26000年の周期でぐるりと一周する。 この運動による恒星年と回帰年のズレを歳差と呼ぶ。」 で、変わりません。また、 A このズレは回帰年(太陽年)を基準とする暦によって補正されるので、 春分点が移動しても暦の上で季節が変化する事はない。 これも変わりません。 その上で上記の問いに関する答えは、 傾きが0であれば、春分点から春分点までの回帰年と地球の公転周期である恒星年にズレは生じない。したがって歳差という現象は生じない。です。 まー傾き0では季節も生じないんでしょうけど。 また歳差運動とは歳差という現象を引き起こす地軸の傾きの回転運動。という理解ですので、 傾き0度からスタートしても、自転を繰り返すうちに歳差運動が生じてくるのかもしれない。 歳差運動を引き起こすメカニズムを理解しているわけではないので、そのことについては適切に答えられません。 今の自分には上記、@、Aについての理解で事足りてます。 必要が生じたらまた学びます。 |
[3556] Re[3555]: 無題 縄文の風 | 2008/02/07(Thu) 20:16 [Reply] |
> 約12.2度が2200年間の、天の北極の、見た目の移動距離(角距離)になるかと思います。 計算の得意な、くずさん、約10度についても納得されたとおもいます。 > ただ、 > [3466] 「歳差の角度は数度と小さく、地軸の傾き23,4度と関係ありません。」 > と言われていたのは、今の自分の理解からいいますと誤った表現だと思います。 > 歳差という現象を引き起こし、現在も観測されている地軸の傾きの回転運動が歳差運動であり、この現象を地軸の傾きと無関係とは言えません。 賢いくずさん、よおく考えてみて下さい。 では、地軸の傾きが、何度だったら、歳差運動は起こらないのですか。?答えられますか。 0度ですか? |
[3555] 無題 くず | 2008/02/07(Thu) 00:53 [Reply] |
縄文の風さんの言われるのは、 地軸の延長が指し示す"天の北極"の、歳差の影響による見た目の移動距離(角距離)。 と理解しています。 角距離は観測者の視点からの角度を表現し、星から星までの見た目の距離(角度)を表す場合、普通に使います。 (例えば彗星の尾の長さが約何度とか。) ですので、歳差運動を傾き23.5度の回転運動と仮定した場合。周期の半分、180度回転した時の見た目の移動距離は、180度ではなく23.5度の倍。47度となります。 2200年で30度の歳差運動の回転を仮定しますと、中心角30度の扇形の玄の長さが見た目の移動距離にあたるか思います。 この時玄の長さを1成分とした三角形は、 回転半径(r)を2辺。ひとつの角を30度とした2等辺三角形ですので残りの角度は75度ずつ。 玄の長さを求めたいのでこの2等辺三角形に仮の線を引直角三角形を2つ想定します。 30度を含む三角形は30度−90度−60度の三角形となって辺の長さの比は1:2:√3 この比を回転半径(r)で表現すると、1/2r:r:√3/2r。 もうひとつの三角形は15度−90度−75度 玄にあたる辺の長さをAとすると、 cos15=1/2r/A → A≒0.52r 回転半径は23.5度に対応しますので、23.5度×0.52で約12.2度。 約12.2度が2200年間の、天の北極の、見た目の移動距離(角距離)になるかと思います。 ご検証下さい。 縄文の風さんはパソコンを使っての書き込みに苦労されているようすが見て取れましたので、 尻切れの解答や意見は気になりませんでした。 黄道上を春分点が動くとした自分の間違いについては的確な指摘だったと思います。 ただ、 [3466] 「歳差の角度は数度と小さく、地軸の傾き23,4度と関係ありません。」 と言われていたのは、今の自分の理解からいいますと誤った表現だと思います。 歳差という現象を引き起こし、現在も観測されている地軸の傾きの回転運動が歳差運動であり、この現象を地軸の傾きと無関係とは言えません。 |
[3554] 無題 縄文の風 | 2008/02/07(Thu) 00:39 [Reply] |
歳差運動で地軸が逆転したり、季節が反対になったりしてるのを観測した人はいない様です。サイトでも記述されてますが、前2世紀に歳差を発見した、ギリシャの ヒッパルコスが見た、地軸の指す北極星の位置から、歳差によって今、見える北極星の、空での星座上の移動角度が約10度ぐらいです。 さて、あなたの計算や、仮説は自由です。が何1つ合ってません。想いこみの考えを正しいのだと主張されてるだけのようです。天文現象は、観測から出発します。があなたの説で解明されるものがありません。 なにが示されるのでしょうか。 |
[3553] Re[3549][3545]: 無題 縄文の風 | 2008/02/06(Wed) 23:12 [Reply] |
> >
ーーーーー以前があなたの文章です。−−−−ここが間違いです。と書かれてるのを見れば、返答、意見だと思いませんか > > > > 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが____なぜ赤道上なのですか。 > > この返信は、どこが僕の書き込みで、どこが貴方の書き込みか判別できますか。 > 書いた本人はわかるでしょうが、他の読者には皆目分かりませんよね。 > > さらに返信を重ねると、どのような一行になるか想像してみましょう。 > > 一般に、行頭に「>」の付いている行は引用行とみなされます。 > 引用行に追記すると、どこまでが引用か判別できません。 インターネット始めたばかりの年寄りですので、ルウル知らずごめん。 サイト内の図をどこかに示すことができれば一目瞭然でわかります。が 私の今の能力では、できません。 皆さんも、長い説明文や計算では、わかりにくいと思います。 サイトの図みれば、23,5度もギリシャも載ってます。 10度は、私の意見です。星座上の約2200年間の移動角度です |
[3550] Re[3545]: 無題 玄松子 | 2008/02/06(Wed) 18:07 [Reply] |
書き忘れたので三連発。 > ーーーーー以前があなたの文章です。−−−−ここが間違いです。と書かれてるのを見れば、返答、意見だと思いませんか 僕の文章ではありません。くずさんの文章です。 |
[3549] Re[3545]: 無題 玄松子 | 2008/02/06(Wed) 18:02 [Reply] |
>
ーーーーー以前があなたの文章です。−−−−ここが間違いです。と書かれてるのを見れば、返答、意見だと思いませんか > > > 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが____なぜ赤道上なのですか。 この返信は、どこが僕の書き込みで、どこが貴方の書き込みか判別できますか。 書いた本人はわかるでしょうが、他の読者には皆目分かりませんよね。 さらに返信を重ねると、どのような一行になるか想像してみましょう。 一般に、行頭に「>」の付いている行は引用行とみなされます。 引用行に追記すると、どこまでが引用か判別できません。 |
[3548] Re[3545]: 無題 玄松子 | 2008/02/06(Wed) 17:46 [Reply] |
> > なにか勘違いしていませんか。 > > 歳差の周期は約25800年。紀元前2世紀から現在まで約2200年。 > > 周期の8.5%経過していますから、地軸は紀元前2世紀から約30度回転移動していると思います。 > > 再度、お答えしますが、赤道上では30度 > になりますが、星座ではおよそ10度ぐらいでしょう。 「赤道上では」なにが30度なのでしょう。 地軸の回転移動は、赤道だろうがアラスカだろうが同じ角度です。 「星座では」とは、どういう意味でしょう。 > > 逆に、10度の回転は、周期の1/36ですから約716年でしょうか。 > > で、何が10度くらいなんでしょうか。 > 2200年間の、地軸が指す星座の移動角度 「地軸が指す星座の移動角度」という言葉の意味がわかりませんが、 ひょっとして、天空一周を360度と見た場合の、地軸の指す星の角度差という意味でしょうか。 地軸は回転移動しているのですよ。 回転運動とは、0度から一周して360度移動するのですが。 周期の半分の期間では180度移動し、地軸の傾きが逆になるのです。 たとえば、ある時点で、天の西に23.5度傾いている地軸は、 周期の1/4経過後は、天の北へ23.5度傾き 周期の1/2経過後は、天の東に23.5度傾く。→つまり逆になる。→よって季節が逆になるという当初の疑問。 また、周期の8.5%(2200年)経過すれば、天の西北西に23.5度傾く。 つまり、ある時点から約30度地軸は回転移動したことになります。 > この間、見られずしての反論ばかり展開されてます。今回も同じ様です。 ちゃんと見ていますし、反論ではなく質問です。 が、いつものように説明のない「言い切り返答」しかありませんね。 どなたか、他の方の意見を聞きたいな。 |
[3547] Re[3546][3544][3542]: 十津川 琉球松 | 2008/02/05(Tue) 00:05 [Reply] |
神奈備さん、誤字があったようです。 正確には「海人達による命名ではないかと考えましたがどうでしょうか」でした(汗)。 それと、「和田地名が吉野川まで連綿と続く」は興味ありですね。 いつもありがとうございます。 |
[3546] Re[3544][3542]: 十津川 神奈備 | 2008/02/04(Mon) 21:42 [Reply] |
> 「十津川」周辺には「津・戸・瀬・天」など、海人地名とも解されるような地名が多いですね。 熊野川から北山川へと「和田」地名が吉野川まで連綿と続いています。これが海人の足跡といえると、黛弘道著『古代学入門』に出ています。 > というのも、琉球八社のうち7社までが「熊野三所権現」ですから身近に感じるわけで、これらの地名は熊野川を上っていった海人達による命名ではないこと考えましたがどうでしょうか。 命名でないとの思いはよくわかりませんが・・・ |
[3545] Re[3539][3500][3497][3493][3491][3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題 縄文の風 | 2008/02/04(Mon) 11:05 [Reply] |
まず最初に、どうも、次のサイトを見られましたか、私が、その上でいろいろ示したのに、この間、 見られずしての反論ばかり展開されてます。今回も同じ様です。 > > > > > http://star.gs/html/saisa.htm > > このサイト内の地球図の地軸のぶれ、歳差の角度> > 23・5度です。 > > ただこの一周は全周は観測されてるわけではありません。 > > 23・5度の傾きでの移動は、このサイトに出てくる、紀元前2世紀から今日までの間を小山は今のところ認める、という主張です。その期間に移動したのを、同じ図で言うと、およそ10度くらいと表現したのです。 > > なにか勘違いしていませんか。 > 歳差の周期は約25800年。紀元前2世紀から現在まで約2200年。 > 周期の8.5%経過していますから、地軸は紀元前2世紀から約30度回転移動していると思います。 再度、お答えしますが、赤道上では30度 になりますが、星座ではおよそ10度ぐらいでしょう。 > 逆に、10度の回転は、周期の1/36ですから約716年でしょうか。 > で、何が10度くらいなんでしょうか。 2200年間の、地軸が指す星座の移動角度 > というか、「今から1万3千年前の縄文時代」の話の最中に、いきなり「でも10度ぐらいまでです。」と、何の説明もなく書かれた意図がわからない。 ちゃんと、最初からサイトを示した次に、10度うんぬんーーー > というか、 > > 一周360度÷26000年≒0.014度(50秒) > > 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが > > このように、どこが引用で、どこが返答・意見なのかわからない投稿。 > 十分な説明もなく、質問にもまともに答えない。 > 掲示板のルール以前だと思います。 ーーーーー以前があなたの文章です。−−−−ここが間違いです。と書かれてるのを見れば、返答、意見だと思いませんか 再度お聞きしますが、サイトを最後までみられて反論されてきましたか?載ってましたけどね。そんなに長くないし、図でわかりやすかったけど。 |
[3544] Re[3542]: 十津川 琉球松 | 2008/02/04(Mon) 09:24 [Reply] |
「十津川」周辺には「津・戸・瀬・天」など、海人地名とも解されるような地名が多いですね。 というのも、琉球八社のうち7社までが「熊野三所権現」ですから身近に感じるわけで、これらの地名は熊野川を上っていった海人達による命名ではないこと考えましたがどうでしょうか。 あるいは「とつ=たつ(龍)」かもしれません? 「荒神・龍神」などから、雷の印象的な土地柄だとすれば、ダム建築の理由もわかるような気がします。 |
[3543] Re[3541][3540][3538]: 天邑君 くず | 2008/02/04(Mon) 01:55 [Reply] |
>
神奈備さん、素人さん、 >黒岡神社のお話。 764年は道鏡と対立した藤原仲麻呂の乱の年。中国(唐)では前年に安史の乱がようらく鎮圧されています。 当時の日本はこの唐の反乱、長安の陥落を渤海知っており、当時まだ政権中枢にいた藤原仲麻呂が唐に反乱軍政権が樹立した場合の周辺国への侵略の備え、 唐の影響力低下を見越しての新羅への派兵も検討されていたようです。 「安史の乱」 http://ja.wikipedia.org/wiki/å®å²ã®ä¹± この時代に瀬戸内海に新羅の海軍に侵入されていたとしたら、 それこそ大騒動なわけで、この時代にその事実を認める事はやはり困難と思われます。 藤原貞國の名を持つ人間も当時には見受けられないようですが、 読みがサダクニであったなら菅原道真を左遷に追い込んだ藤原サダクニがいて両者は因縁。 (時代は100年以上違いますが) また的(いくわ)の姓については、 「仁徳紀、高麗国が献じた鐡の盾、的を、ただ1人射抜いた盾人宿禰(的臣祖)が的戸田宿禰とと名を賜った。」とあって、このお話が関係していそうです。 的戸田宿禰は葛城襲津彦の子。武内宿禰の孫ですので、 黒岡神社の社名とも関連しましょうか。 『播磨国風土記』での、天日槍と葦原志挙乎命との対決、 そこまで遡る伝承が下敷きにあるのかも。 |
[3542] 十津川 神奈備 | 2008/02/03(Sun) 17:32 [Reply] |
奈良県に十津川が流れています。その語源は遠い川と誰かが云っています。命名者は山梨県の人でしょうか。それとも福島県の人でしょうか。 自分に身近な川は近津川でもいいでしょうが、遠い川が十津川なら、関西の川は全て十津川になります。 十津川村に玉置神社が鎮座、現在の宮司さんは毎朝水垢離をされているそうです。その玉置神社には、十種の神宝を鎮め置いたとの伝承があります。従って玉置神社の名がついたとか。 そうして、十津川とは十種からついた地名だといいます。遠い川よりはましな語源説を披露いたしました。 |
[3541] Re[3540][3538]: 天邑君 素人 | 2008/02/03(Sun) 01:37 [Reply] |
>
今より千百年あまりまへ、天平寶字八甲辰年(764)新羅の軍艦二万餘艘当國まで責め入り、家島の高島に陣取りまして、朝家は大騒ぎをいたしました其時に藤原貞國と云ふ人、鐵の楯を射通す大弓力のある名人でありましたので、朝庭より的の姓をもらひ、将軍の宣下がありまして、近國の官兵をつれて、異族を防戦することになって、貞國主が第一陣で福井の庄(今の旭陽村の内)から進發せられました。 > [以上] > 日本海側の島満明神にも「妖族侵入」の話が伝わっています。 > > 『播磨国風土記』での、天日槍と葦原志挙乎命との対決を見ていますと、これは明らかに侵略です。 > > > 孝霊天皇の時代に侵略があったと云うのは、意味深長なのかも知れません。この天皇は意富夜麻登玖邇阿礼比売に娶ひて、夜麻登登母母曽毘売や大吉備津日子命を生んでいます。 > この意富夜麻登玖邇阿礼比売と夜麻登登母母曽毘売は卑弥呼や台与に比定されており、九州から大和へやって来た(避難してきた?)のかもと思っています。 > 夢のない話ですが。 663年に白村江の戦で唐に負けてから防人制度がひかれ、大陸からの侵攻に備えていたと思われそう簡単に攻撃されるとは考えにくいように思われます。 蛇足ですが、防人の歌沢山あります。757年まで東国から徴収されたようです。 それ以後は九州からとか。 記録によりますと防人軍団の外国勢力との交戦は、1019年に中国沿海地方の女真族が対馬・北九州を襲撃した「刀伊の入寇」一度とされているようですがいかがでしょうか。11世紀まで防人あったんですね。 青草でした。 |
[3540] Re[3538]: 天邑君 神奈備 | 2008/02/02(Sat) 17:52 [Reply] |
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孝霊天皇六十一年月支国の彦波瓊王多数の軍船を率いて襲来す。 日御碕神社にこのような伝承があったのですね。この月支国とは筑紫という説もあるようですが、半島の国と見ておいていいのでしょう。 韓国を旅行しますと、「我々は国外に攻めていったことがない民族だ。」などといいますが、日本にムゴイと云う言葉を残した元寇は半島の兵が参加していたはずですし、また、兵庫県揖保郡太子町の黒岡神社に伝わる伝承も、新羅からの侵略を受けているお話です。 [以下]:− 今より千百年あまりまへ、天平寶字八甲辰年(764)新羅の軍艦二万餘艘当國まで責め入り、家島の高島に陣取りまして、朝家は大騒ぎをいたしました其時に藤原貞國と云ふ人、鐵の楯を射通す大弓力のある名人でありましたので、朝庭より的の姓をもらひ、将軍の宣下がありまして、近國の官兵をつれて、異族を防戦することになって、貞國主が第一陣で福井の庄(今の旭陽村の内)から進發せられました。 [以上] 日本海側の島満明神にも「妖族侵入」の話が伝わっています。 『播磨国風土記』での、天日槍と葦原志挙乎命との対決を見ていますと、これは明らかに侵略です。 孝霊天皇の時代に侵略があったと云うのは、意味深長なのかも知れません。この天皇は意富夜麻登玖邇阿礼比売に娶ひて、夜麻登登母母曽毘売や大吉備津日子命を生んでいます。 この意富夜麻登玖邇阿礼比売と夜麻登登母母曽毘売は卑弥呼や台与に比定されており、九州から大和へやって来た(避難してきた?)のかもと思っています。 |
[3539] Re[3500][3497][3493][3491][3487][3484][3482][3481][3480][3471]: 無題 玄松子 | 2008/02/02(Sat) 11:54 [Reply] |
しばらくぶりに、ぶり返します。(久しぶりの訪問なので、削除された記事とかぶったら失礼) > > > > http://star.gs/html/saisa.htm > このサイト内の地球図の地軸のぶれ、歳差の角度> > 23・5度です。 > ただこの一周は全周は観測されてるわけではありません。 > 23・5度の傾きでの移動は、このサイトに出てくる、紀元前2世紀から今日までの間を小山は今のところ認める、という主張です。その期間に移動したのを、同じ図で言うと、およそ10度くらいと表現したのです。 なにか勘違いしていませんか。 歳差の周期は約25800年。紀元前2世紀から現在まで約2200年。 周期の8.5%経過していますから、地軸は紀元前2世紀から約30度回転移動していると思います。 逆に、10度の回転は、周期の1/36ですから約716年でしょうか。 で、何が10度くらいなんでしょうか。 というか、「今から1万3千年前の縄文時代」の話の最中に、いきなり「でも10度ぐらいまでです。」と、何の説明もなく書かれた意図がわからない。 というか、 > 一周360度÷26000年≒0.014度(50秒) > 一年で約50秒、春分点を迎える位置が移動する。____ここが間違いです。赤道上を移動するならば、360度を割るのですが このように、どこが引用で、どこが返答・意見なのかわからない投稿。 十分な説明もなく、質問にもまともに答えない。 掲示板のルール以前だと思います。 |