青草掲示板ログ平二十年 四月 2008.5
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[3948] Re[3947][3946]: 臆測 と 推理    素人 2008/06/01(Sun) 00:15 [Reply]
> ということは、『』内部分だけではなく、『個人名』にも問題となる条件があるのでは。

それはそうですね。で、私は法律の専門家ではないのでうまく説明できませんが、次のように考えます。
基本的には「プライバシー」と「知る権利」のせめぎあいと同様。その境目付近は微妙な判断が必要でしょう。
でも岸信介氏の場合は「境目付近」の問題じゃなくて、明らかなNGだと思いますね。なぜなら、氏の血縁者・親族・縁故・
知人等が現在大勢生活しているから。つまり、信介氏の家系及び出自に関する憶測(デマ)を、インターネット掲示板の
ような不特定多数の人が見る事が予想される場に書き込むことにより、彼らが不利益を蒙る可能性があるという事です。
また、そういう岸信介氏の情報によって、何らかの歴史的事実の発掘に大きく寄与する、といった理由もないであろう。

以上です。

[3947] Re[3946]: 臆測 と 推理    玄松子 2008/05/31(Sat) 19:45 [Reply]
>  ああ、あほらし

あほらしくはありませよ。
僕も「岸信介」は駄目だろうと思います。

>  出していい人、わ〜るい人の、その境界をお教えくださらないでしょうか。

僕も知りたい。

[3946] 臆測 と 推理    紋爺ぃ 2008/05/31(Sat) 18:33 [Reply]
 桓武の出自は……、秦氏の出自は……。
 よう聞きますわナ。

 ああ、あほらし

[3945] Re[3944][3943]: おぎゃうぎ  玄松子 2008/05/31(Sat) 16:31 [Reply]
> 個人名を出すこと自体が良くないと言ってるわけではないですよ。
> も一回読んでみてください。大事なのは後半の『』内の部分です。

これでは説明不足じゃないでしょうか。

下記質問にあるように、

「応神」や「桓武」という個人名を明記し、『その家系(名家であろうとなかろうと)及び出自に関する憶測(・・・でしょう)をこのようなオープン掲示板に書き込む』ことは特に問題視されないでしょ。

ということは、『』内部分だけではなく、『個人名』にも問題となる条件があるのでは。

[3944] Re[3943]: おぎゃうぎ  素人 2008/05/31(Sat) 12:47 [Reply]
>  有名な個人名を掲示板に出すことがわ〜るいのなら、スサノオとか神武とか応神、桓武、福田総理とか、ミナシャンせっせと出していらっしゃいますが、あれらはみ〜んな実在者ではなかったんですかァ? 
>  出していい人、わ〜るい人の、その境界をお教えくださらないでしょうか。

個人名を出すこと自体が良くないと言ってるわけではないですよ。
も一回読んでみてください。大事なのは後半の『』内の部分です。
これはあくまでアドバイスですから、取り入れるかどうかは紋爺ぃさんの自由、私はかまいませんが。

>「岸信介」という個人名を明記し、『その家系(名家であろうとなかろうと)及び出自に関する憶測(・・・でしょう)を、
>このようなオープン掲示板に書き込む』のは如何なものかと思います。

[3943] おぎゃうぎ      紋爺ぃ 2008/05/31(Sat) 06:59 [Reply]
 神奈備どん、たいへんご丁寧な言い回し、ありがとさんにございます。
 日本語をこんにちあらしめた指導的な言語がネパール語だったとの小生の主張は、皆様がた、もっともっとお耳を傾けていただきたい紋です。
 仕田原猛様も、この甚大なるネパール語の影響をご存じでいらっしゃいましたら、イタテについても、そのような分析・解釈はなさらなかったかと想います。
 そのことは“伊達”をご覧になれば一目瞭然のことだと思います。ネパール語 dhatu(金属)の語頭に d という当時の人びとが発音しにくい音があったために、これを tate の音で受入れた「時代・人」がいたからで、もっと要領に長けた人びとは、それを i-dhatu から idate の音で切り抜けたんだと想われます。idate とは即ち、伊達でしょう。伊達とはなにも仙台の伊達藩の専売特許ではなく、あちこちの地名にも表れています。金属という意味です。√ i-dhate とは「金属する」周辺事。

 紀伊とは「キ」だけでは聴きとりにくいので「キー」と云い習わした。それに宛て字しただけのことではなかったでしょうか。

 素人どん、やっとかめ、なも(名古屋弁)。
 ご忠告、有り難うございます。オレ、非常識とかおぎゃうぎのわ〜るいのにかけちゃ、自信のあるところですので、粘土細工式ぶっ叩きには、まんず頭さげます。
 されど、腑に落ちぬこともこれあり。
 有名な個人名を掲示板に出すことがわ〜るいのなら、スサノオとか神武とか応神、桓武、福田総理とか、ミナシャンせっせと出していらっしゃいますが、あれらはみ〜んな実在者ではなかったんですかァ? 
 出していい人、わ〜るい人の、その境界をお教えくださらないでしょうか。
 小生が持っている羅和辞典には、夥しい人名が出てきます。「歴史のなかで、人名が普通名詞や動詞となるからこそ、ソシュールが“語彙の恣意性”を喋るところとなった」はお訴えしたところです。個人に名前つけちゃわ〜るいのであれば、ハチャメチャな事態になりはしませんか。
 あ、ハチャメチャなのはオレの筋たてのほうだったか。

[3942] Re[3940][3939]: 伊太祁曽様考 08/5末    琉球松 2008/05/30(Fri) 23:55 [Reply]
 神奈備さんへ

 "潮来の「いたこ」は、「たて続けに来る」"。。。これはハッとさせられますね。

 琉球方言で「塩」は「マース=マウシヲ(真潮)」と言いすが、これは「白」とも関わるわけで。。。つまり「たて続けに来る」のは「波」ではないでしょうか?
 凡アジア的にみられる「清めの塩」との関係ありかもです。

[3941] Re[3939]:伊太祁曽様考 08/5末  素人 2008/05/30(Fri) 23:33 [Reply]
紋爺ぃさん、なんだかお久しぶりですね。
最近の話題が私の守備範囲を超えていたので、ロムしていました。
ですが、ちょっと忠告させてもらいます。↓以下の文について

>すぐに思いつくのは岸信介の岸で、これは百済の王とか王族の意味だったと思いますが、ちがっていたら、ぜひ諸賢のご指摘を仰ぎたいです。
 岸姓は山口県ですので、百済滅亡のときにこの姓が近くの山口県に移住したのでしょう。

「岸信介」という個人名を明記し、その家系(名家であろうとなかろうと)及び出自に関する憶測(・・・でしょう)を、
このようなオープン掲示板に書き込むのは如何なものかと思います。
もし確信があるのでしたらその根拠や資料を書くべきで、さもないと風説の流布と取られてもしかたないですよ。

[3940] Re[3939]: 伊太祁曽様考 08/5末    神奈備 2008/05/30(Fri) 20:08 [Reply]
> ki s の神……これが伊太祁曽様の kiso ではなかったか……、です。
>この分析による伊太祁曽様の意味は「降臨“する or させる”神」になりましょうか。

 伊太祁曽様への一貫してのご関心をお持ちいただきありがとうございます。

 過日、四天王寺近辺の総国寺で行われた「元暁学習会」に始めて出席させて頂きました。聞くと第135回だそうで、長く続いている勉強会のようでした。
 ここで、『李寧熙が解いた古代地名を歩く』と言う仕田原猛さんが個人出版された本を頂き、そのさわりの解説を受けました。
 この本の中で「いたて」についての解読が載っていました。朝鮮語での語源は「イダッテ」で、「イダッ」は「たて続けに」、「テ」は「着く」の意味とのことでした。潮来の「いたこ」は、「たて続けに来る」のこととしていました。
 
 朝鮮半島からの渡来人が牛の涎のごとくやって来た雰囲気がでていた面白い解釈だとは思いますが、どのようにお考えでしょうか。
 福嶋さんは李寧熙の解読についてもよくご承知だと察しますが、いかがでしょうか。

 なお、紀伊は「木・続き」とされています。山城の綴喜郡を思い起こします。

 紋爺さん、とみたさん、玄松子さん、お心遣いありがとうございます。

[3939] 伊太祁曽様考 08/5末    紋爺ぃ 2008/05/30(Fri) 09:11 [Reply]
  伊太祁曽様の意味汲み取りは神奈備どんの古いふるいこだわりです。

 こんかいの発想は次の二点が特徴です。
★ ita は(神の)降臨……いただきの ita 。
★ itakis - o 末尾の o が神であるところから、これを取りはずしてみる。
  そうすると、音では kis にたどり着くが、ここから何かが観測・分析できないか。
 
 すぐに思いつくのは岸信介の岸で、これは百済の王とか王族の意味だったと思いますが、ちがっていたら、ぜひ諸賢のご指摘を仰ぎたいです。
 岸姓は山口県ですので、百済滅亡のときにこの姓が近くの山口県に移住したのでしょう。
 呉市で郵便局長(地方名家)をしていた岸さんを個人的に知っています。

 日本では王統を離れた武力団はありえないのがタテマエです。「旗幟を鮮明にする」ということばがありますが、これにはどっち就かずではなく「王族の系統」を鮮明にするという意味合いもこめられているのではないでしょうか。

 日本語の語彙造語には西洋系のそれが濃厚にうかがわれます。百済もその性質を濃密に持っていたからこそ、白村江の戦もあったのだと思います。
 kis 末尾の s は西洋系だとすれば、kis は主格を表し「 kiなること」となり ましょう。そうすると kis の ki は動詞的性格をもっていることになります。
 そうすると、短音 k には何らかの意味があったのでしょうか? しかし、一般的にいって、斯様な語形はあんまし見かけません。でも、ここは大いに気になります。

 歴史の上でひっかかってくるのは「キ(イ)の国」の紀で、この“紀”は筑波山麓一帯のくにでもありました。「ki =大地」です。
 k という短音はありえない……としても、「くに」の ku がひっかかってきます。すると ki がもともと動詞ですから、ここにウシハク(領有する)という古代語が浮上します。

 大量の日本語がネパール語に根をもっていたことを想起するとき、ウシハクの hak は舟やクルマを運転することですので、ウシハクは「ウシ(大人)経営をする(こと)」に意訳できます。また、ハクの ha には、王とか政府という内意があったことも気になります。
 いずれにしろ、ここに 「 --k」が動詞形成子として機能しています。

 ki s の神……これが伊太祁曽様の kiso ではなかったか……、です。
 この分析による伊太祁曽様の意味は「降臨“する or させる”神」になりましょうか。

[3938] ヤスダさん  とみた 2008/05/30(Fri) 04:57 [Reply]
ヤスダさん
貴方の3931、3936を読みました。

以前のワープ時代の発言よりよくわかります。

甲骨文字研究、司馬遷の史記の黄帝ー尭舜ー夏ー禹の伝説、NHKでやった太陽の道レーライン(水谷慶一)、桃太郎伝説ー吉備津彦神社の温羅と桃太郎、一言主の話、

昔の橋は、船を横に並べて渡ったので船橋という、鳥は死者を冥界に導く役割り・・・・

その他のいろいろな知識が渾然一体と貴方の思い入れで、説明されているので見るほうは、何が云いたいのかわからないのです。吉備が下道と上道と分かれているというようなことはみんな知ってるわけじゃあありません。

紋爺さんが3937で温かい眼差しで仰った通りです。

自分のブログを立ち上げてそこで思いを、述べるべきだと思います。

ここは、神奈備さんが管理人として仕切られる世界です。

破門とまでは、行かなくとも皆さんの顰蹙を買っています。この掲示板の寿命が長いのは管理人の判断とご努力によります。

私も、ヤスダさんについてゆけないで、渡来人の会を離れました。貴方の提供される情報の信憑性に疑問を抱いたからです。妄想と独善が多いからです。
玉石混淆の情報で、未整理であれば読むに値しないと思っていました。
今回も3917で秦氏についての情報で出所の確からしさを確認したら、単にサイトの引用でした。

正しいと思われる情報でないと、空しい議論になると考えたからです。

でも、貴方の人格を否定するものではありません。そんな畏れ多いことは出来ません。

ただメンバーの方に、誤解を与えていることは確かです。
ヤスダさんは、ワープというハンドル名でなく、本名で出された勇気は買います。迷惑メールを意図的に発信する意図はない方です。自己流の研究を訴えたいと思っておられるだけです。

江上波夫先生の騎馬遊牧民征服説も、人によっては批判されるでしょう。

メジャーに成れば評価する人が出てきます。

それまでは、表現を磨いてください。私だっていつ退席を求められるやも知れません。

ヤスダさん、この掲示板からは退出すべきだと思います。








[3937] アンタぁ〜     紋爺ぃ 2008/05/29(Thu) 18:21 [Reply]
 あんた こんな(・)こと云いつづけると、キチガイ扱いにされるヨ。
 
 その書き込みへの情熱・気持は、せっかくのふれ合いなのでダイジにしたいが、
少しは域内・域外を考えなさい。

 天才は、その“域”がワカラン。ウンジュのせっかくの書き込み内容がワカラン一般人のじょうが狂っちょるのだろうが、Pad(列)から離れちゃオエン。列内のおぎゃうぎのいい書き込みだけが、淘汰されて残りま。

 ひとんこた云えんとやろばってん……。

 *Pad(列)からはなれた状況を hazi ちゅうこったろうとおめぇやす。

 ヤスダさん、せっかくいいものを、あふれるほど持っているっちゅうにぃ! 

 列に復帰なされ。
 

 

[3936] 温羅 の裏に レイライン北緯34度  ヤスダ [Url] 2008/05/29(Thu) 15:56 [Reply]
艮御崎宮(ウシトラオンザキグウ) 旧社格. 村社. 鎮座地 ... 34度36分09秒.

温羅に関係する鉄は釜
【温】古文字では、「皿」(釜)茹でされた「日」「尸」 (屍)
羅(ら、うすもの)は搦み織りを用いた、目の粗い絹織物の一種。 もともと羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、 ... 経糸二本を絡み合わせるのに対して、羅は三本以上の経糸を絡ませて織り目が網のような見た目になるのが特徴。 ...
「温羅(ウラ )、吉備冠者(キビノカジャ)、禍又温羅(カシャウラ)、丑寅御前・御崎(ウシトラミサキ)」

吉備は昔、鉄づくりが盛んでした
古代吉備国の繁栄を担った豪族の下道氏が統治
吉備真備(きびのまきび) 吉備真備は、695年小田川流域を中心に支配する豪族、下道圀勝の子として生まれた。
下道氏とは、吉備真備の父系にあたります。 真備公より吉備姓を名乗ってますので、下道氏 ... もともと、下道氏は、かの桃太郎のモデルとされる吉備津彦命や彼の父である孝霊天皇の流れをくむ名門一族です。 ...
yakageniche.com/simomiti.html -キャッシュ
孝霊天皇の皇子吉備津彦命は四道将軍として異母弟の若建吉備津彦命とともに吉備国へ派遣される。 ... 吉備建彦命御友別命稲速別(下道氏/吉備氏へ) 稲日大郎姫 仲彦(賀陽氏/上道氏へ) ... 《陰陽道賀茂氏》 下道氏/吉備氏へ戻る ...
www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01205.htm -キャッシュ

鬼門には、牛の角と虎のパンツをはいた鬼が
温羅は吉備津神社本殿の鬼門にある艮御崎宮に祀られた。
温羅は、吉備津神社の本殿のうしとらの位置(北東の位置、古来より鬼門とされる)に祀られた。 ...
吉備津神社 、レイライン上にある神社 ...
吉備津神社と備前の吉備津彦神社は夏至の日の出と冬至の日没を結ぶ線上に位置し、また、 ...
www2s.biglobe.ne.jp/~yshr-mat/jinjya20070217kibitu.htm -キャッシュ


鬼の岩屋のある岩屋寺と、オフ会で行った枚方の磐船神社とは下記の地図のように、東西同緯度(34度44分)レイライン上にあるもの、ある種物部つながりの可能性を示唆しているでしょう。そしてそのことが、天智の築城以前の吉備津彦と百済皇子温羅と阿曽姫との伝承に象徴される文化がこの地にあったことを意味するのではないでしょうか。
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kibisikoku0511.htm
大和の地に存在する寺社や古墳や山の山頂が、北緯34度32分の東西の一直線上に

レイ・ライン
... 北緯34度32分を東西に通る太陽の道があることを写真家の小川光三が発見 ... この緯度線上には、東から伊勢の斎宮跡、さらに東には答志島(神島)、そして伊豆半島の先端があり、一方、大和盆地にもどると三輪山の北にある檜原神社、西へ行くと,国津神社、 ...

レイライン~陽の道しるべ. 今日は伊弉諾神宮に行ってきました。 ... 伊弉諾神宮の神域は、北緯34度27分23秒にあり、 同緯度に伊勢の皇大神宮(内宮)があります。 ... このレイラインを創った遠い祖先たちの思いを知りたい! ...
www.h5.dion.ne.jp/~muumuu/diary0802.html -キャッシュ

雄略紀の一言主条は旧約聖書からの引用か?
そのことを葛木一言主社白鳥陵伊勢内宮:東西緯度34度26分32秒ラインが物語っている。 ... 白山仲居神社諏訪前宮鹿嶋神宮の東西緯度35度59分ライン(百瀬直也氏「諏訪鹿島レイラインの研究」を参照。 ...
http://tokyo.cool.ne.jp/torai-jin/kyuyaku.htm

【羅】【罒】目が網
   【糸】糸目付けの様子. 一定の長さに切った糸目用の糸(麻紐)を束ねて凧一枚分をワンセット
      江戸角凧の場合、糸目の長さはその凧の縦の長さの20倍
      今回の世界地図は「糸目」(細い線)で表現しています。 ...

【温】古文字では、「皿」(釜)茹でされた「日」「尸」 (屍)・・・生贄が見えてきます。

【温】の同音 【怨】
吉備津神社の「鳴釜神事」のように、土葬に代々伝わる釜が鳴ったとき、家に不幸が訪れるという鬼野辺家で殺人事件が発生した。 そしてそのときにも前兆のように釜が鳴っていたという。 ...
www.geocities.jp/kitarojp/library/05-2.htm -キャッシュ

近くの丘には無数の古墳があり、 ... 旧吉備国領土内には「御崎神社(または艮御崎宮・艮神社・御前神社・御前大明神)」という神社が数多くあり、地域の鎮守となっています。 ...
homepage.mac.com/kamokamo/kamokamo/mac/kj2.html -キャッシュ

古墳 レイライン 「温羅」 となると、将門の首塚 と同様ですね。

鬼門に将門の首塚、裏鬼門に頼朝の首塚、このレイラインは徳川呪術陣の機軸となる。 なお将門の首塚の延長線上には、将門の胴塚がある。 ... 天海は家康の御霊さえもレイラインに組み込んだ。 北の守護を家康の御霊によって実地したのだ。 ...
www.mpchiba.com/youkai/mp_short.cgi?tid=detail11005&equal1=10 -キャッシュ

[3935] 耳と目の神      紋爺ぃ 2008/05/29(Thu) 09:50 [Reply]
 小生の経験によれば、 10才頃までの鼻たれは、だいたい頭がわ〜るい。しかし13才ごろすぎても蓄膿症だった仲間には秀才が多かった。 55才ごろになって次々と耳に雑音が響く仲間があらわれたのですが、ぜんいん天才気味でした。イヤな雑音が騒ぐからといって、電話口に出ない親しい人が 13人もいます。
 目は大脳の一部だそうですが、耳もそういった構造になっていると思われます。
 とことんバイキンなどに冒されると、知的判断ができなくなるが、いい加減な冒されかたをすると、尋常でない判断力が湧いて出るらしい。
 そのような「いい加減な冒され」の人は、みずから「他人とは違う、抜きん出ている」との自覚を持つので、自信家になる。持てないままのひとも輩出する。

 若いとき、剣と夛読と蘭学でシッカリした基礎をえた勝海舟は、その自信ゆえにみごとな人生をおくることができました。ただし、 9才のとき、犬からきんたま(ドイツ語 ; Hode ……宝殿 ? !)を噛まれるという異常体験をしましたが……。

 --- 中略 ---

★ 舟に“、”を添えるという発想……までは戴けます。だが、ここの「太い」の太の点のことはディック・ミネさんだけが理解できるところでしょうね。*put は *尻であることがいえるもタシカ。
★ このところ、あちこちから「チベット語との接近」を耳にするのでチベット語辞書を取り出して読んでいます。が、日本語とチベット語は発音の基礎がまるっきしちがうのです。
 むかし、アイヌ語に熱中していたとき、仲間と「朝鮮語と日本語は文法統語法では完全に一致しているのに語彙の発音の基礎がまるでちがう」との感慨を交わしたことがありました。チベット語で感じることは、そういった違いとは程度がまるでちがいます。日本語と朝鮮語の距離が、仮に 3 だとすると、チベット語と日本語の発音差は 50ぐらいに感じられるのです。
 そういうちがいの中にあって、cu(水)はアイヌ語の水旅や日本語の津を連想させます。
 アイヌ語 ; chup は大空を海として水旅をゆく「日・月」です。
★ ツキヨミは chuk(吉兆)を計算(読む)すること。これ断固ダンコ、まちがいなし。
 
 ロケット開発の当路者の真似したかったが、おれの蓄積がタランとですたい。

[3934] Re[3933][3925]: ございます  佐々木高久 2008/05/28(Wed) 23:21 [Reply]
玄松子さま
はじめまして
竹取物語は明治以降の伝説?
>それはないでしょう。
これは文章がおかしいです。今気付きました。申し訳ありません。
>どの絵をご覧になったか知りませんが、宝永年間(1704〜)の絵巻は下記にあります。
>http://www.library.ferris.ac.jp/lib-take/images/01.jpg
この絵は笹かマダケのようですね。


[3933] Re[3925]: 紋爺いさん おはようございます  玄松子 2008/05/28(Wed) 22:39 [Reply]
>  竹取物語の竹は絵でみると孟宗竹のようですが、孟宗竹は日本では明治以降に植えたものだから、やはり大陸の伝説では。

「孟宗竹」が明治以降だから、竹取物語は明治以降の伝説?
それはないでしょう。

どの絵をご覧になったか知りませんが、宝永年間(1704〜)の絵巻は下記にあります。
http://www.library.ferris.ac.jp/lib-take/images/01.jpg

[3932] 徒然に  神奈備 2008/05/28(Wed) 20:26 [Reply]
> 引用先が無くなった分「より悪質な投稿」になっています。

 ヤスダさんがかってのワープさんかどうかは、調べれば判るのですがそこまでやる気はありません。ただ、そうであれば、ヤスダさんのやることは一つですね。おわかりですね。

 神奈備は恥を知る人間でありたいと思っています。


> 竹取物語の竹は絵でみると孟宗竹のようですが、孟宗竹は日本では明治以降に植えたものだから、やはり大陸の伝説では。

 隼人が伝えた伝承のようですから南方系、大陸の江南や東南アジアの伝承が入って来たのでしょう。

[3931] 神仙三島へ向 かう舟 =宝船= を現す「舟石」=石棺?  ヤスダ [Url] 2008/05/28(Wed) 12:31 [Reply]

私は 【舟】の甲骨文字から 昼=この世 夜=あの世を往来する 太陽は「舟」  
    【丹】の甲骨文字から 〔舟+ヽ=胤=遺伝子〕と考えます。
 【甦】りとは、〔更+生=生まれ変わる 生れる〕

〔舟(太陽)+ヽ(黒点 三本足のカラス)=胤
太陽と舳先には烏か鳥が描かれています。 ...
「中国長寿の郷」を訪ねて-146歳まで生きた彭祖の長寿、健康の教えと道教 ...
... 「土墩墓」でお話ししました四川省成都の船棺(せんかん)遺跡にも船(丸太舟ではない)葬がみられるように中国、エジプト、 ... 同県の珍敷塚(めずらしづか)古墳の壁画には「あの世」へ到着する図があり月とヒキガエル2匹、太陽と舳先には烏か鳥が描かれています。 ...

歴史の証人
入口の左右の壁には、人物が乗る赤と黒の計五頭の馬が描かれている(写真6)。この馬を、あの世に死者の霊魂を送る乗り物と考える説もあるが、 ... (めづらしづか)古墳の横穴式石室奥壁に描かれた太陽と月そして鳥が留まる舟(写真7)は、この世からあの世 ...

 【甦】
輪廻転生、ダライラマ - 哲学的な何か、あと科学とか
ダライ・ラマが死ぬたびに、 「第回、チキチキ!ききダライラマ、生まれ変わり決定バトル!」 が開催されるのだ。 ... 輪廻の思想自体は、もっと古くから世界中にあるし、 チベット仏教がどうだろうと、本当に輪廻転生はあるかもしれない。 ...

【舟】の甲骨文字【h=h】 二つの世界【塞(境)】を行き来する【橋】=【舟橋】浮き橋(舟を集めて横に並べ、その上に板を敷いた舟橋)
【並】の文字にも【舟】の甲骨文字【h=h】が見えます。
【航】〔舟+亢〕
杭州の古称は「禹杭」
【亢】・・・杭州-02
蘇東坡は「杭之為州、本江海故地。 ... 伝説によれば、大禹による治水が成功、諸侯が会稽山に会したとき、諸侯は杭州の場所で船を下りたといいます。 ... 航の文字に近いと考えてください。 クイというのは、国字、つまり日本 ...
http://pengzipk.hp.infoseek.co.jp/hangzhou/02.htm
伝説によれば、大禹による治水が成功、諸侯が会稽山に会したとき、諸侯は杭州の場所で船を下りたといいます。古文では「舎杭登陸」と書かれています。杭は、本来船で渡る、または渡し舟という意味なのです。航の文字に近いと考えてください。クイというのは、国字、つまり日本風の読み方で、そう読む場合には棒のようなものをさしますが、中国語では杙の漢字を使います。解説が長くなってしまいましたがこんなわけで、杭州の古称は「禹杭」と言うのです。

【虹】〔虫+工〕

1,虹. あの虹の橋を一度渡れたらいいなあ。 ... さらに、虹は人間の世界と神の世界とを結ぶ架け橋で、その橋の向こうには理想郷があるという言い伝えもあります。 虹という漢字は古代中国人が虹を竜か蛇のような長虫と考えた名残だそうです。 ...

竜舟
竜舟は、中国国内は勿論、東南アジア地域など、広い地域で盛んに競漕が行われるようになり、2,000年以上の年月を経て中国から世界へとドラゴンボートは広がっていきました。 ... 長崎では竜舟競漕をペーロンといいます。 これは、爬はペー、竜 ...


瓦版:よもやま便り
鬼道、すなわち神仙思想に通じた卑弥呼は、その死に臨んで神仙界への旅立ちをはかった。 その人物が、連合国家の盟主であったことから、 ... 舟形礫槨にしろ舟形木棺、舟形石棺、埴輪の舟の絵にしろ、死者の埋葬にあたり舟形を意識したということは、 ...

木棺は「割竹形木棺」と推定されている。割竹木棺は、古墳時代の前期・中期によく見られる木棺で、文字どおり、竹を割るように丸太を縦半分に切って、その中を刳り抜き、蓋と身にしたものである。木は、船材や建材に用いられている高野槇などが使われた。この木棺の形を「舟形木棺」であると見る説もある。
四世紀初頭の古墳である奈良県天理市の東殿塚古墳から出土した円筒埴輪に、三雙の舟の絵が彫られていた。舟には、推進用や操船用の櫂、甲板上の屋形のほか、舳先には鳥がとまっている。鳥は黄泉の国に案内する神聖な動物であり、この舟は葬送のための舟と見られている。

埴土の舟」というのは、直訳すれば「土の舟」であるが、後述の例を採って「丹土を塗った舟」と解釈できる。
「丹」の象形文字だが、丹は「井」+「丶」
  海神の国   丹 土 より


風(カ
風(カヂ)を表わす甲骨文字「」は、舟「」をも表わす。
↑ は 【舟】【風】【凡】の甲骨文字です、   類似 【同ー口 】 【宁ー】 【旁ー方】【(用ート】【丹ー丶】【周ー占】【鼏−貝】
【舟】】は【凡】(おおよそ) 左右対称なので【計る】意を感じます、【風】が・・・?【風土記ー土記】 【風紀ー紀】【風格ー格】
! 【風雲】=角虫・云の乗り物   風 =天 =太 
虫〔口+ム=鯀+禹〕 云〔二+ム=ウン雲竜〕
風ー几=角虫=竜?
【宇】ウ〔宇=几+于(宇)〕  【宙】チュウ〔宀+由:距離の単位)

   
↑の文字のは「対の世界」の「中間」(中台=端と端の中間 【▽】交【▲】=橋の真中(川・境)【╂ 点】


[3930] Re[3928]: 音韻総 体でのクセ     佐々木高久 2008/05/28(Wed) 11:56 [Reply]
 紋爺ぃさん
 >そのとき、小生は「そういう微細、繊細な音のひびきを聴くべく練習する必要はまったくない。その音を日本人がどう聴き把握したか、という線を以って判断すればいい」と、答えました。言語種ごとに、固有の発音グセがあるのです。
 私も同感です。間違いないだろうと思います。
 私宛の手紙では、一番まちがいが多いのが笹井、つぎに笠井、さらに笠木、下は高彦、高秀。高はだいたいまちがわない。
 滋賀県東部ではサ行はハ行に置き換わるので、前彦根市長が「あそうか」と返事したのを、「あほうか」と秘書が聞き取って、大問題?になりました。麻生太郎も来たがらないでしょう。富山県の西南部は、サ行はア行だった。
 またいろいろお気遣い頂きましてありがとうございました。
 パソコン見ていると目はまばたきしないからと悪くなるので、まばたきすればよくなるのですが。


[3929] Re[3916]: チベットと日本人  玄松子 2008/05/28(Wed) 10:47 [Reply]
横から失礼します。

> ヤスダさん 研鑽を積まれていますね。
> アプローチ方法は依然字画で禹を追っかけていますか。hpの羅列が減って見やすくなりました。

確かにリンクの羅列が無くなり「見やすく」はなりましたが、
相変わらず、他サイトの記述からコピー&ペーストしているだけの内容で
引用先が無くなった分「より悪質な投稿」になっています。

以下参考URL:http://iii.cc.kochi-u.ac.jp/~dataan/00/copyright.html
「(1) 引用する必然性があり,その範囲にも必然性がある」
「(2) 引用部分の出所を明記する」
「(3) 引用部分が「」などで明確に区分されている」
「(4) 自分の文章が「主」であり引用部分が質的量的に「従」である」

[3928] 音韻総 体でのクセ     紋爺ぃ 2008/05/28(Wed) 09:21 [Reply]
 佐々木さん、アンニョン・ハシムニカ。
 相手が喋る発音を正確に聴きとることに、ひごろ気を使っていらっしゃると、言語比較の場でも、「相手の発音を微細にわたって知る必要があるのではないか」との思いが御胸につきあげてくるのは当然のことでしょう。
 7年ほどまえも、神戸のご仁がそれを小生に云いました。そのご仁も耳のなかで、気持のわ〜るいガサガサ音がして、ひとの云うことが聴き取りにくいんですって。
 そのとき、小生は「そういう微細、繊細な音のひびきを聴くべく練習する必要はまったくない。その音を日本人がどう聴き把握したか、という線を以って判断すればいい」と、答えました。
 今はもう一歩すすんで解説することが可能です。
 言語種ごとに、固有の発音グセがあるのです。
 語彙の貸借なしでは、社会は潰れます。よその言語から語彙を借用するとき、借用するほうは既成の「音韻(発音グセ)の総体」で、それを受け取り、じぶんのものにしている……という事実がある! ゼッタイある! と、思うにいたりました。
 たとえば、安寧の寧は漢音ネイで呉音はニョウですが、朝鮮語はこれをアンニョン・ハシムニカのようにニョンとして受容れました、古代日本ではネイと……、ふしぎにも「ニグ、ニギ、ネギ」になっているかと思ってます。津軽人はニグラッと笑うんです。

 どんな難聴ですか? 小生、120日間ほど「深呼吸とマッサージ」を組み合わせた体操?をやっていますが、左眼がよくなり、嗅覚が甦りました。ひどい耳鳴りでしたが、夜中など、パッタリしなくなりましたヨ! 
 右目はパソコン睨むのでよくなることなく、どっちかというとわ〜るくなりました。
 宜しかったら『紋次郎・言語考古学』に書き出しておきますので、おEメールください。
 A-4 三枚の『わが闘争』を郵送できます。
 ここでも出るかナ?

  生田淳一郎 ijyana@rb3.so-net.ne.jp あ、出た出た。

 アニョヒト・ポプシダ

[3927] Re[3926]:   狆 珍 奇 談     佐々木高久 2008/05/27(Tue) 20:54 [Reply]
 紋爺ぃさま
 お気になさらず。
 茂在寅男さんはほんとに元気ですと話しておりましたら、平均年齢70歳以上(最高98歳)海女軍団が、そら海に潜っていれば年取らんもんと。あんた浦島太郎しらんとかと。
 私は言葉は得意でない(耳が悪いので)のですが、言葉は耳から入って伝承されるのならば、ローマ字だけでなく、音感で比較しないとわからないのではないかと身勝手に思うことがあります。
 以前死に掛けたときに、韓国語で「カムサハムニダ」と言っている会話がよこで聞こえたのですが、山陰の方言の「だんだん=ありがとう」に絶対?音感が似ておりまして、驚きました。
 たしか探偵ナイトスクープという番組で、「とったのかよ」が、「エ、アイアイ」に聞こえたのと同じかと。失礼なことを申し上げたかもしれず。     
 

[3926]   狆 珍 奇 談     紋爺ぃ 2008/05/27(Tue) 19:18 [Reply]
 佐々木さん、小生の「お(ん)ぼろ記憶」につきあわさせてしまいました。
 へびに限らず、人類はいろいろな動物からいろいろな叡智を授けられて、ここまできました。
 問いつめられて、ゲロ吐いたようななりゆきスタイルで、「そんなもんしかなかったンじゃないかなァ〜」との意識を浮上させ、それに沿った発言とか個人的想念の発散を続けています。

 チン(狆)はなぜ可愛がられたのでしょう。
 ヤツラ種族はいつもハ〜ックションを呑込んだような顔をして、細長いベロをお行儀わるく、てめぇの、上向いた大きな鼻の穴に差し込み、鼻汁に残る塩分味わいを楽しんでいます。
 狆は笑うといっても、歯をむきだしにしながら、悦びを共にできるとの確信を持てる人や仲間にアプローチを試みます。
 歯をむくのですから、人間に笑いかけるたびに、人間からはゲンコツ・ポカンを喰らわせられます。

 それでも珍重されたには、のっぴきならぬ秘部があったにちがいありません。
 そのシークレット・キーは、やっぱ、笑いのなかにありました。
 笑いとは、嫌悪、拒絶と同基盤に立つ環境物への選別作業にはかならなかったのです。

 それができる狆とは、どえらいヤツです。なにせ言語意識がゼロなんですからね。いや、ゼロの言語意識であるがゆえにこそ、人間以上の取捨選択ができるのです。

 「あいつは裏切らない、あいつの忠誠心はホンモノだ……」などを、客が帰ったあと、殿様にこっそりと密告していたからに、ちがいない。

[3925] 紋爺いさん おはようございます  佐々木高久 2008/05/26(Mon) 09:49 [Reply]
紋爺ぃさま
>二月堂のお水とり儀式が今のように定着する前は、福井県方面から水をはこんで来ていたのではなかったでしたか?
 水はそうです。若狭の遠敷明神(おにゅうみょうじん)が神々の参集に遅れたお詫びとして二月堂本尊に献じられたと。
>へびが潜り込んで二月堂まで地底で通じていると信じられていたのではなかったでしたか?
 全く存じ上げず、これこそ者の道は蛇でしょうか。
 よく似た伝説が各地にあるのは今も同じですね。
 竹取物語の竹は絵でみると孟宗竹のようですが、孟宗竹は日本では明治以降に植えたものだから、やはり大陸の伝説では。
 90歳。そうですね、戦前戦後の大陸探検隊は、今西先生以外はみなさん元気ですね。
 

[3924] 茂在寅男 さん     紋爺ぃ 2008/05/26(Mon) 06:39 [Reply]
 茂在寅男さんは、もう 90才近いご年令になられた頃でしょうか。
 この方の御おしえに「海の漂流物は、沈まないかぎり、必ずどこかの海岸に打ち上げられる」がありました。海上を楠木などの巨木にしがみついて暮らしたエイプの数家族が、椰子の実みたいに遠き島より流れてくる構造を想像して楽しんだ紋です。太古の海辺には巨木の棲みかが連なっていたことでしょう。
 楠木といえど、永い年月の末には必ず沈むんですよね。
 いちばん沈まない木がアンデスの奥地に自生するバルサの木だそうで、ハイエルダ−ルさんはこの木でコンチキ号(筏舟)をつくりました。
 どのような経緯で辞書に掲載されるに至ったか、タガログ語には「バルサ(筏)」が出ているのです。ふしぎです。

 この茂在寅男さんが、17年ほどまえ、神奈川県の公会堂をまわって「日ユ同祖論」をぶってまわっていたんです。多くの共通の風習を挙げたほか「日本とユダヤには“2000もの共通語”がある」と云って廻ってたんです。
 2000語……2000語 !! これを聴いて小生はア然となりました。

 
 佐々木さん、二月堂のお水とり儀式が今のように定着する前は、福井県方面から水をはこんで来ていたのではなかったでしたか? そのまた前は、どこか福井県のある地点から、へびが潜り込んで二月堂まで地底で通じていると信じられていたのではなかったでしたか? おぼろな記憶ですが、こんなのが、たしかあったような……。
 もし、そういう信念(信仰?)があったとしたなら、その潜り込みの穴はどこでしょう。
 陸と海の底(中)を支配しているウミヘビ。出雲の神事や沖縄の宮古島とおなじですね。

[3923] 日ユ同祖論はやはり傲慢だ より  ヤスダ [Url] 2008/05/26(Mon) 02:07 [Reply]
「現代のイスラエルが神の約束の相続者なら、なぜ彼らは侵略戦争をしアラブ人との紛争を続けるのか」という問いだ。それは言外に「あのように暴虐なユダヤ人が神の契約の継承者だということはあり得ず、日本人こそが約束を受け継ぐべき真の継承者だ」という主張が隠されている。実際、一部の極端な同祖論者は「現代のユダヤ人は改宗したハザール人の末裔なので古代のイスラエルとは関係ない。古代イスラエルの正当な後継者は日本である」と説いている。
歴史上、多くの勢力がユダヤ人の選びを否定し、彼らに与えられた地位を自分たちに置き換えようとしてきた。旧約時代のイスラエルは新約の教会に取って変わられたとするキリスト教の置換神学、アブラハム契約を受け継いだ子はイサクではなくイシュマエルだったと説くイスラム、イスラエルと同じように南北分断を経験した韓国人から出た文鮮明こそメシアだとする統一協会…。日本をイスラエルの地位に置き換えようとする日ユ同祖論もまた、同じである。私たちはそうではなく、異邦人として謙虚に、本物の選民であるユダヤ人に、敬意を払ってゆきたい。

[3922] お水取り起源夢想  佐々木高久 2008/05/25(Sun) 22:40 [Reply]
 お水取りは東大寺二月堂の十一面観音の供養祭とされる。十一を縦に書くと十字架と大地である。十一面観音菩薩は秦氏・景教との関わりが強いとされる。
 お水取りに韃靼人が関与していそうだということは京田辺の地名から以前説明した。韃靼人を大事にしたのは継体と考える。
 継体の治世は、お水取り行事の願文と伝承実態が似ている。また後醍醐も醍醐村上の親政を目指しながらも、継体の治世を理想とするようなことを遺言として残している。
 これらを勝手にプロファイルすると、お水取りは韃靼人が継体の御霊に感謝するお祭りが起源ではないかと考える。

[3921] 無題  ヤスダ [Url] 2008/05/25(Sun) 19:57 [Reply]
RE [3916] チベットと日本人
<秦氏はチベット系のマナセ族の末裔とは初めて聞きました。誰の論文ですか。
とみたさん お久しぶりです、禹・レイライン・方位線・ユダヤ・メイソン・・・ネットの関心が高まり 情報収集に ヾ(^^ゞ))..

[系]日ユ同祖論 DNA から【メルログ】
ミャンマーやインドのマニプル州・ミゾラム州にいるメナシュ族(シルシン族)は、外見上はユダヤ人と異なるが、マナセ族の末裔と自認し、 ... わずか33年後に後秦が滅亡(417年)したが、その新羅へ逃亡した民の末裔が秦氏一族であるという説がある。 ...

DNAからの 人種 系統 分類【メルログ】
ミャンマーやインドのマニプル州・ミゾラム州にいるメナシュ族(シルシン族)は、外見上はユダヤ人と異なるが、マナセ族の末裔と自認し、 ... また、五胡十六国時代のチベット系の羌(キョウ=タングート、蔵人)が384年後秦を建国し、 ...

【ダ・ビンチ・コード】 日ユ同祖論:ダ・ビンチ・コードが判らないあなたのために
中堀教授は<1>ヤップの有無<2>SRY遺伝子の465番目の塩基がCかTか<3>DXYS5Yの塩基の違いという、Y染色体中の3つのDNAの型をもとに、日本人の男性を縄文系と、 ... 本居宣長の秦氏 ... そこで、ガド・マナセ・エフライム・レビ族 ...

<論者は素性の確かに方ですか。
確かかどうか???デス が お邪魔で無ければ 頭のスミにデモ・・・いつか閃くかもデス。

[3920] 継体、後醍醐、そして五山の送り火  佐々木高久 2008/05/25(Sun) 19:56 [Reply]
 太平記21巻で「只生々世々の妄念ともなるべきは、朝敵を悉亡して、四海を令泰平と思計也。朕則早世の後は、第七の宮を天子の位に即奉て、賢士忠臣事を謀り、義貞義助が忠功を賞して、子孫不義の行なくば、股肱の臣として天下を鎮べし。思之故に、玉骨は縦南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望んと思ふ。若命を背義を軽ぜば、君も継体の君に非ず、臣も忠烈の臣に非じ。」と、委細に綸言を残されて、左の御手に法華経の五巻を持せ給、右の御手には御剣を按て、八月十六日の丑剋に、遂に崩御成にけり。とあります。なぜか継体の君が出てきます。後醍醐天皇は継体の君を目指していた?と読み取ることができます。
 また継体と後醍醐の共通点は、継体は馬飼を、後醍醐は悪党集団と修験道の重用、継体は育った越前を重視、後醍醐も越前を源氏の正統の新田に渡し、さらに自らの愛妾も御下げ渡している。また継体は秦氏の支援を受け、後醍醐も楠氏や名和氏などの秦氏の末裔らしい悪党の支援を受けている。などである。
 また後醍醐は天子南面のしきたりに反し、北面(京都)している。継体は北西(高句麗)である。継体は半島を目指していたのか。
 最後に五山の送り火の発祥について、これは8代将軍足利義政以降に盛んになっている。この8月16日は、それまでは後醍醐天皇の追慕行事があった。後醍醐天皇は亡くなるときに法華経を持っておられること、京都を目指して亡くなったことから、五山の送り火は吉野陵に向けての供養ではないだろうか。義政のころは応仁の乱で、後南朝の協力も必要であったはずである。確かに山名宗全の陣には西陣南帝という後南朝小倉宮の子孫の存在もある。継体は東大寺お水取りのころに亡くなっている。そうダッタンです。

[3919]  日ユ同祖論     紋爺ぃ 2008/05/25(Sun) 18:50 [Reply]
  ヤスダさん、ギリギリのところで言える断崖みたいな発言の場には関係なく、ソラの散歩ができる掲示板がここです。
 手足をのばして大空想を発射してください。正真のエキスを希求する人びとは、教科書と辞書に埋もれて余生を過ごすでしょう。
 また、ウソ含みのあてずっぽうの発言なくしては(特に)文科系の前進はありえません。
 風の吹かんとが、いちばんわ〜るいとです。

 お文のなかで、「日ユ + チベット同祖論 / にじ魂」とありますが、にじ魂とは「日本人魂」の、テンカンやり損ないでしょうか?

★ 日ユとは「日ユ同祖論」でしょうか? もしそうなら、これを思い込むことだっきゃァ、おやめになったほうがヨカです。日ユ同祖論がマッカなウソであることは、ここの掲示板でも三度ほど書きました。それで、いい加減イヤになりましたので、小生の個人的な板の『紋次郎・考古学』に書きますので、ぜひご覧ください。二日以内には仕上げます。
 茂在寅雄さんは善良なオッサンです。
 しかし、根づよいですねぇ! 日ユ同祖論……、ウソですよ、ウソウソ! 

 山口県の津和野ちかくの住民を「日本人代表」にしたてた DNAミトコングラガリ展開は、“一見真理の構造”を呈しています。
 急速な流れに、これまでアチャラカ向いて、一般ミナシャンのように、目をうばわれて来なかった 紋次郎をよろしく願い奉ります。

[3918] Re[3916]:訂正追加: チベットと日本人  とみた 2008/05/25(Sun) 12:29 [Reply]
> 雲南省のテン(シ真)国王は、奴国の志賀島の委(倭)奴国王印=蛇鈕印(後漢光武帝からもらう)と同じような印を前漢武帝からもらっています。これに武人として仕えたワ(イ瓦が合体した文字)族はモンクメール人で今のカンボジア人と似ているような黒い顔の人らしい。
>
> 雲南省のハニ族やタイのアカ族もいます。これもチベット系で同型らしい。彼等は千木と鰹木の高床式住居に暮らしてなんとなく日本人の暮らしに似ています。

>良渚文明は、紀元前2200年滅びますが、これは上海蟹で有名な太湖周辺です。ここには銭山様(正しくはシ篇です)遺跡が発見されました。

絹の破片がたくさん出土しています。今も絹の産地です。

黄帝と苗族の神である蚩尤は絹をめぐって争ったという説もあります。

>商(殷)は黄河中流域の二里丘から都を数回移転して河南省の殷墟で終わります。その前の夏の時代はやはり黄河中流域の二里頭が都です。

最近は伝説の尭の時代は、山西省の陶寺ではないかと中国の国家プロジェクトは言い出していますが、愛国主義の発露も含まれますので容易に信じ切れませんが中国は公共事業が盛んですから思いがけない発見も期待できそうです。

ヤスダサンも、出来るだけ事実に基づいて新しい知見を発表していただけると幸いです。

[3917] Re[3916]: チベットと日本人  佐々木高久 2008/05/25(Sun) 12:21 [Reply]
とみたさま
少し失礼します。私も興味を抱きましたが、秦氏はチベット系のマナセ族の末裔のことは下記のホームページに出ていますが、ちょっとこれが「怪しい」のではということでしょうか。
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/00000dna6.htm

 青草のバックが黄土色なので、文字が見づらいのは老眼かなあ。


[3916] チベットと日本人  とみた 2008/05/25(Sun) 11:56 [Reply]
ヤスダさん 研鑽を積まれていますね。

アプローチ方法は依然字画で禹を追っかけていますか。hpの羅列が減って見やすくなりました。

折角投稿しても、唯我独尊では、皆さんに読んでもらえないと詰りません。私は民俗学と考古学と遺伝学を基本に専門書で追っかけています。

一歩一歩です。

投稿の中で、チベットと日本人の考察が気になります。

只今、チベットは独立運動と四川省の大地震で関心の的です。

湖が連なる九さい溝は、観光地で有名ですが、これは9つのチベット族の村の意味で

す。四川省のイ族とかペー族という少数民族と古事記の世界は似ているというのが、工藤隆先生です。フィールド調査を重ねて、古事記の起源(中央公論新社)を出されました。

歌垣が有名です。イ続は元々は中国の河西回廊あたりにた古いチベット人が南下した民族と考えられています。

遺伝学では、細胞の中の発電所の機能を担うミトコンドリヤという機関のDNAが注目されています。一つの細胞にミトコンドリヤは数百も存在します。この中にDNA(核酸)が詰っていますが、DNA=遺伝記号の並び方は、母方からしか伝わりません。

つまり、祖母からお母さんへそして娘へ・・と伝わるんです。これによると日本人のルーツは朝鮮人や中国人などと似ているようです。

ところが、細胞の中に核膜があってその中のDNAの記号(塩基=グルタミン酸みたいなアミノ酸)は30億もあって、それが46の染色体の島に分けられ、その記号の配列によって人間の形質は決められるんですが、男は46分の一のy染色体の中のDNA記号によって男の特徴が伝わります。これだと日本人はチベット人と似ているというのが最近の研究成果です。

そこで、ヤスダさんのチベットの話しに繫がるわけなんです。

雲南省のテン(シ真)国は、奴国の志賀島の蛇鈕印後漢武帝からもらう)と同じような印を前漢武帝からもらっています。これに仕えたワ(イ瓦が合体した文字)モンクメール人で今のカンボジア人と似ているような黒い顔の人らしい。

雲南省のハニ族やタイのアカ族もいます。これもチベット系で同型らしい。彼等は千木と鰹木の高床式住居に暮らしてなんとなく日本人の暮らしに似ています。

このあたり調べがついていますか。

余り怪しげな説は無用ですが、確実な情報がありましたら教えてください。

それにしても、秦氏はチベット系のマナセ族の末裔とは初めて聞きました。誰の論文ですか。

論者は素性の確かに方ですか。

支障がなければ教えてくださいませんか。




[3915] 【鬼+隹】たい・しゃぐま(赤熊)  ヤスダ [Url] 2008/05/25(Sun) 11:18 [Reply]
赤熊
中国から渡来し、黒いのを黒熊(コグマ)、赤く染めたのを赤熊(シヤグマ)という。 ...
赤熊(しゃぐま)鬼面の棒振り、踊り手、囃し方が歩くさまは地味だが、素朴な味わいがある。 ... 名前の由来は、中国の史話にある貧しくて母と子を養えない郭巨が、思い余って子を山に捨てようしたとき、土の中から金の釜が現れ、母に孝養を尽くした話による。 ...
「婆」・・・母と子を養えない郭巨が、思い余って子を山に捨てようしたとき
... 創ることが大好き「婆」のWebページ ... 修行|霞を喰らう| 「婆の穴」養う. 海に千年、山に千年住んだ蛇は竜になる。 「海千山千の婆」をめざして、霞を喰らうまで「行」は続く! 養う/霞を喰らうには精神を鍛えねばならぬ ...
熊公、虎公が入ってきて、三人の娘と一緒に、婆を征伐しようとします。 ... 冬男の精霊は、家の家臣・熊公と虎公の霊に助け出されたのを喜んだが、また以前に原野に派遣された二人が、笑い婆の毒茶によって命を落としていたことを知った。
婆(バラモン教)・・・共工(羌族が共工を信奉)
Qiang Pikemen(羌族の槍兵) Melee Infantry. 騎兵に強い歩兵。 ... Brahmin Monk(バラモンモンク) Explorer/Warchief. モンクは ...
仏教もバラモンの神々を取入れている多神教の性格もあったので日本のアマテラスを異端邪教扱いすることもなかったのだろう。 ... 中国でも農耕中心の殷王朝が牧羊の羌族を捕えて祖先神の生け贄に供していた歴史がある。 ...

共工(きょうこう-Gong Gong)は、古代中国神話に登場する神。 ... これは、中原を本拠とした政権と長期にわたって敵対した羌族が共工を信奉していたためではないかと考えられている。 女媧の時代、共工は天下の覇権を狙い、九首人面蛇身の家来である相柳 ...
共工は、最後は、夏系の顓頊の子孫、禹に滅ぼされる。 ... 更に、天問に曰、「(鯀は)化して黄熊と為る、巫何ぞ活(生)かせる。 咸(皆)、秬黍(黒きび)を播(ま)くに、(鯀は)蒲雚(がま、 ...
犬のような姿で長い毛が生え、爪の無い足は熊に似ていた。 ... 人面蛇身の洪水を発生させたと言う共工、天帝の尭の長男で人間の姿だが手のつけられない悪人だった丹朱、 ... 猪婆龍とも言う。 6m以上もある鰐の姿をしており、河や湖の主のような存在だった。 ...

秦氏がユダヤの流れを引いているとはよく言われることだが、これは事実である。 ... ゾロアスター教も仏教も、元はバラモン教という一つの宗教が母体だし ... グノーシスの起源はインドであって、その流れはバラモン教からイランに繋がっていく。 ...

[3914] 訂正します。   ヤスダ [Url] 2008/05/25(Sun) 10:35 [Reply]
  態〔熊+こころ(足 吾志)〕→〔熊ーこころ(足 悪心)〕 熊 考

禹は熊 ... 禹の父・鯀も、羽山で誅殺された時に「黄色い熊に姿を変えて、羽山の麓の泉の中に没した」という伝説が『国語』などにみえており、熊を聖獣とする考えが影響しているようだ。 ...
禹が洪水を治めるために【軒轅】の山で治水工事を行った際
軒轅 (けんえん) シャオが呼び出す精霊"星神"(ほしがみ)の一人。 空を飛べるので、シャオ達の移動手段として良く出てくる。 星神としては離珠に次ぐ人気。 シャオと一緒に軒轅の背中に乗って、空のお散歩。 う~ん、いいなぁ。 ...
軒轅 ... 叔均、太山稽(たいざんけい)ら重臣と軒轅の妻である西陵(せいりょう)姫、その子である玄囂(げんごう)と昌意(しょうい)が着座している。 ...
姫姓 姒氏
軒轅。 姓は姫姓とも姒氏とも言われ、 ... 普通、黄帝の容姿に関しては立派な人間の姿でしか現されないが、「みずから雲師となり、竜の姿をしていた(劉向『列仙伝』より)」という伝承もあり、 ... 軒轅は土徳の天子であったため「黄帝」 ...
黄帝軒轅・帝,(せんぎょく)高陽・(ていこく)高辛・帝堯放勲(陶唐氏)・帝舜重華(有虞氏)です。 ... 堯(ぎょう)が殺した夏王朝開祖の禹の父,鯀の祭は夏,殷,周と続けられました。 ...

黄帝 ― 堯 ― 舜 ― 禹 『時代の流れ』 ... 蚩尤は、ついに黄帝に負け、死後、昇天して星座となり「蚩尤の旗」と呼ばれるようになった。 ... また、用水路を作るため、神の竜まで呼んで来て手伝わせ、山道を切り開くためには自分自身熊に ...

[3913] 安寧の“【寧】”  ヤスダ [Url] 2008/05/25(Sun) 10:24 [Reply]
菊池郡の菊とは、十六国の剣を中央(黄色)に収斂させ、安寧の“【寧】”
『人民中国』
横堀克己=文 于明新 沈暁寧=写真 ... 治水で名高い「禹」。 その息子の都城まで見つかった。 甲骨文字で名高い殷墟のすぐそばからも、 ... 『史記』には夏の都について、「禹は陽城に移った」とある以外に記述がない。 だ ...

寧はそれを音符とし、丁印を加えた字。 丁は語気ののび出ようとして屈曲したさまで、や ...
【丁】テイ(貞 鼎 帝 鵜 弟・・・態〔熊+こころ〕
十干(じっかん)の丁(ひのと)は「閉塞感を打ち破ろうとして新旧二つの勢力のせめぎ合いが起こる」ことを意味します。 また、十二支の亥(い)は多くの問題を孕んでいることを表し、「何事かを生もうとしている」ことを意味します。 ...
丁 (ひのと) 亥 (い) ... つまり、新旧両勢力の衝突を意味している。 「亥」という支は、核と同義で「何事かをはらんでいる」「いろいろのエネルギー・問題をはらんでいる」ことを意味し、起爆性を含んでいることを表す。 《干支 ...
天とは太陽(大きい意味では宇宙天体)、地とは我々が生息している地球の意にして生物誕生に欠くべからざるニ条件ともいえます。 ... 干支の意味. 甲(きのえ) ... 丁(ひのと) 陰の火性として本来は寧を元字とする、丁は壮丁とも意味し安らかなる火と解する。 ...

【寧】〔宀(宙ー由)+心・皿(皿に生贄が無い時の心=平安・・・受胎してない子宮?)+【丁ひのと おたまじゃくし=精子】

[3912] [3911] クマモト 2  ヤスダ [Url] 2008/05/25(Sun) 08:33 [Reply]
紋爺ぃ さんオハヨウございます 「 狆は笑いますが、これ、ご存じだったでしょうか? 」・・・検索しました。

狆(ちん)は、日本原産の愛玩犬の1品種。?

狆の祖先はスペイン系の小型スパニエルであろうと考えられる。 …??

[編集] 狆の起源
祖先犬は、中国から朝鮮を経て日本に渡った、チベットの小型犬と見られる。詳しくはわからないが、おそらくチベタン・スパニエルの系統の短吻種犬(鼻のつまった犬)であり、ペキニーズやパグとも血統的なつながりがあると考えられる。

『続日本紀』には、「天平四年、聖武天皇の御代、夏五月、新羅より蜀狗一頭を献上した」とある。天平4年は奈良時代、西暦では732年だが、このときに朝鮮(新羅時代;377年-935年)から日本の宮廷に、蜀狗、すなわち蜀(現在の中国四川省)の犬が贈られたという記録である。これが狆に関連する最古の記録である。

すべての短吻種(たんふんしゅ)犬の祖先犬はチベットの原産であることが知られているが、このときはおそらく、この奇妙な小型犬の原産地は、西方奥地の山岳高原地帯

、『日本書紀』には、天武天皇の章に、672年、新羅から「駱駝、馬、狗」などの動物が贈られたという記載がある。この「狗」が短吻種犬であったとすれば、狆の歴史はさらに遡ることになる。

「蜀狗」・・・髑髏の【蜀】? 屬漢(ショクカン)の軍師「諸葛孔明」 「蜀」が「禹」
天武ないし天平期からこのころまでの前後100年余の間に、「蜀狗」と呼ばれた短吻種犬が何度か渡来し、これらの犬が狆の祖先となったと考えられる。 なお、「高麗犬(こまいぬ)」という言葉は、本来は朝鮮を経由して移入されたこのような短吻種犬の呼称であったのかもしれず、狛犬の容姿と名前の起源を、狆の祖先犬に求める説もある。

【中】チュウ 古代中華思想 に 中鼎 ○|(合体 子宮 混血)(眞真・申・神)・
などの 「調和」「循環」の思想 を 漢字 ます。

[3911] クマモト 2      紋爺ぃ 2008/05/25(Sun) 07:58 [Reply]
 ヤスダさん、有り難うございます!!
 アチャラカ向いていたとは思ってなかったのでしたが、更なる新知見の数々に接して、小生は永いあいだアチャラカ向いていたことを認めざるをえません。
 「日本文化チャンネル・桜 掲示板」は、お気に入り(ブック・マーク)に入れました。ここの知見から熊襲との接点などを探ってみようと思っていますが、なにせド・シロートですので、今しばらくお導きくだされば幸いです。

 「クマモト……」を云いはじめましたので、この腺をもう少し書かせてみてください。
 語彙比較でもそうですが、日本語以外の“その言語”を正確に発音できる必要はなく、その発音クセを持っている言語を、日本人がどう受け取ったかをみると、ワカリが早いのです。
 すなわち、受け皿となっている“こちら側事情”を先にみようとするのです。

 日本語は筑紫に生まれ発達した……は、ほとんどの学者の認めるところのようです。
 こういうときは、地形とか地図をみるのがいちばん効果的です。筑紫の中心は熊本でしょう。一方、イントネーションの分布から探れば、筑紫の中心地も熊本になりましょう。
 熊本県の二つの市が桂林などと友好提携を結んだということは、「その市役所の官吏さんたちがちょっと調べたところ、そこと濃密な文化関係が、無いわけがない」との直感があったからではないでしょうか。
 菊池郡の菊とは、十六国の剣を中央(黄色)に収斂させ、安寧の“寧”を計ろうとする国際情熱でした。熊本県には孔子生誕の地の「泗水」があります。
 八代には河童は 2000匹上陸したとの伝説があって、いろいろ云われていますが、その歌詞に「デー、デー、デーラッタ」がありますが、 dherai とは「非常に、たくさんの」というネパール語だと思われます。dherai は、岡山では「でぇろう」、名古屋では「でら」になっています。
 クマとはネパールの「クマル(少年)、クマリ(少女)神」でしょう。ヒミコは部族連合の象徴としてたてられたクマリだったにちがいないと、小生は考えざるをえません。
 コマという語形もありますが、これはパーリ語に露頭をみる「コマル(少年神)」で、なにも朝鮮に限定されるべき筋あいではないはずです。 r 音は落ちやすいのです。

 種族ごとにちがった犬がみられます。犬の毛皮をかぶらないと冬場は越せません。その皮NAMeしの方法も種族ごとにちがうのかもしれません。nam はタジク語で塩です。
 狆は笑いますが、これ、ご存じだったでしょうか? 

[3908] 日本人のルーツに チベット 少数民族・・・  ヤスダ 2008/05/24(Sat) 23:58 [Reply]
狛犬と狆の渡来
の祖先犬が渡来して天皇の寵愛するところとなり、天平文化といわれる美術や建築 ... 国の奥地、現在のチベット方面から大陸を渡って、日本に渡来しました。 また、朝鮮半島 ... 先犬はチベットが原産と世界的に認められており、大変貴重な犬とされていました。 ...

日ユ+チベット同祖論 / にじ魂
YAP+遺伝子が他の東アジアの民族に拡散していない事から、一部のチベット人の集団が一世代のうちに日本にまで渡来してきたのだと思われる。 ... そのチベットだが、数年前にイスラエルの調査機関『アミシャブ』が行ったDNA検査によって、チベット ...

日本人のルーツ 1、中央アジア(バイカル湖周辺) 34% 2、東中
ミトコンドリアDNAのホモロジーがあるということだけで、実際の遺伝形質が似通っているとは考えにくい。 ... 5% 5、ヒマラヤ・チベット周辺 3・4% 6、東北アジア(朝鮮半島経由) 3.2% 7,中国起源渡来人 7% ミトコンドリアDNA ...

ノアの洪水の要素による年代修正と古代日本人のDNA
また、チベット系マナセ族の末裔と考えられる「秦氏」一族についても、4~5世紀の古墳時代に移住してきたので、 ... 日本人の10数%にも及ぶ特徴的なグループT、C2 (下図)がアフリカ・中東からの渡来系であるらしいことを示している。 ...

Saitou20070212
... そのように見える)、さらには 古代 DNA、骨、言語などの話も含めて広い見地からヒトの系統学について 書かれている。 ... たとえば、Y 染色体に YAP と呼ばれる多形があるものは、日本人、 アイヌ人、沖縄人以外にはチベット人しかいない。 ...

190 斎藤成也 DNAから見た日本人/モナ丼/本読
( 1)チベット人と別れた古いタイプの東南アジアの集団が旧石器時代に入ってきて縄文文化を担った。( 2)次に東北アジアの集団が渡来して弥生文化を担い、(3)先住民と混血が進んだが、(4)アイヌと琉球では混血の割合が少なかった。 ...

CPA東郷の使命判断
「秦氏の謎」「天照大神の謎」「陰陽道の謎」「アークの謎」「八咫鳥の謎」 ... すなわち「ルベン族」「シオメン族」「ユダ族」「イッサカル族」「ゼブルン族」「エフラエム族」「マナセ族」「ベニヤミン族」「ダン族」「ナフタリ族」「ガド族」「アシェル族」である。 ...

日本文化チャンネル桜 - 掲示板
... ダン、ナフタリ、ガド、アシュエル、イッサカル、ゼブルン、マナセ、エフラエム族の10部族である。 ... 求菩提山のカラス天狗修験僧達や香春岳の銅鏡鋳造技術者集団なども調べ、意外にも、京都の石清水八幡宮や、秦氏や加茂氏 ...

紋爺ぃ さん今晩は ↑参考になれば幸いです。

[3907] クマモト 1     紋爺ぃ 2008/05/24(Sat) 14:59 [Reply]
 ヤスダさん、有り難うございます。 
 いちどにワッと出たので面喰らっています。
 西、西南に行った先として、いちおうチワンと華僑にしぼられる、ということでしょうか。
 小生はチワンなど、どこかで訊いたような……程度のまったくのシロートです。
 ただ、ネパール語と「日本語・アイヌ語」のあいだに夥しい数の類似語彙を見い出し(た、つもりになって)その一覧表をかかえて、うろうろとうろついている爺ぃです。
 日本語がどこの言葉に似ているかは、文法統語では朝鮮語が完全に一致しています。ところが、語彙となったら、大野晋教授が若いとき剔出されたところでも、朝鮮語 / 日本語には 140の類似しかないのです。その大野晋教授が 30年前、タミル語とのあいだに剔出された類似語彙 350が、いまのところ、学者間や世間では一番多いとなっているかと思います。
 ところが、非常識が発達している小生は、西洋語の系統とされていたネパール語の辞書を読みました。この辞書はネパール語 5754語彙しか掲出されていない小さな辞書ですが、ここから、日本語との類似 1300ペア、アイヌ語との類似 500ペアの語彙を剔出できたのです。

 いちおう言えることは、ネパール人は山岳の民ですから、日本列島にやってくるには、江南の蛋民を従えた海賊になった……がいえることでしょう。海賊といったら聞こえがわるいので、海の武力団といいなおしましょうか、いずれにしても他部族には海賊です。
 熊襲がいたことは碓かなスジで、熊襲も海を渡ってきたはずです。そういう武力団がどのような経路で熊襲になったかについて、なにか具体的な文献記述はないものかと探すうちに“僮客”にめぐり遭ったのでした。

 お教えあった文字群は、いま、プリントして何ベンも読みかえしています。
 「僮」の「童」の古文字は目に関係する……には、すごく惹かれます。目が飛び出した三星堆遺跡の仮面を思いだすと同時に、ネパール語 adho が「めくら」だからです。

 日本の金属精錬士たちが強執をもやしたのが「かつらの木」ですが、桂林となにか関係があるのでしょうか。すみませんが、いっちょいっちょ、ぼつぼつお教えください。

[3906] チワン族の兵士は狼兵・・・秦氏?  ヤスダ 2008/05/24(Sat) 00:02 [Reply]
狼をトーテムと考えたのか。 ... 東北アジアで狼をトーテムとするのは、そうモンゴルである。 ... したがって、狼をトーテムとする秦氏は、恐らくベニヤミン族の流れを汲むユダヤ人ではなかったか。 秦大津父 ...

皇室のトーテムが狼らしきこと. 以下、欽明紀です。 「欽明天皇は継体天皇の嫡子である。 ... つまり、争って血まみれになっていた二匹の狼が安閑、宣化天皇を指すわけで、狼がそのトーテムということになります。 ... 秦人)に重ねて問題ありません。 ...

弁慶は鯰トーテムの呉系楚人(堂谿氏=秦氏)

紀元前214年、秦の始皇帝は、現在の広西に桂林、象郡、南海の3つの郡県を置いた。 ... 秦(紀元前221~紀元前207)の時代から広西は、中原の進んだ文化と生産技術を導入し始めた。

秦の始皇帝が中国を統一するのに重要な作用をはたしたそうです。 「桂林」という名は秦が広西の地を桂林郡としたことに始まります。

[3905] 無題  ヤスダ 2008/05/23(Fri) 23:47 [Reply]
紋爺ぃ さん「今晩は 「僮客」の その後は「華僑」の様です。
僮客  「僮」、「土」などの呼称
チワン族 - Wikipedia
勇猛なチワン族の兵士は狼兵と呼ばれ、瓦氏夫人に率いられた田州狼兵が倭寇鎮圧に動員されたこともある。 ... このため、黄、陸、莫、僮などの漢字姓を名乗る人が多い。 近代には1850年に太平天国革命が広西の金田村で始まったため、チワン族も多数参加した。 ...

宋朝以降においては、「僮」、「土」などの呼称で史書に記載されている。 各地のチワン ... 1964年に、周恩来総理の提案により、国務院の認可を得て、「僮」を「チワン」に変え、チワン族の精神的様相をいっそう表わすものとなった。 ...

漢・チベット語族の僮(チワン)・[人偏+同](トン)語群に属する。 ... 肖像は、苗族と僮(チワン)族 ... 漢・チベット語族の僮(チワン)・[人偏+同](トン)語群に属する。 縦58mm 横125mm. 発行 1987 ...

壮族
広西壮族自治区はいつも広西(ひろいにし)の漢字で広西(こうせい)と言われています。 ... の2年後、熊本県と広西壮族自治区. が友好関係を結びました。 この両 ... は桂林だと思われますが、実は、広西壮族自治区の区都は南寧(なんねい)です。 熊本は火の国と言 ...

広西
広西チワン族自治区とは? 広西チワン族自治区概要ローマ字表記Guangxi略称桂 Gui省都南寧 Nanning位置華南の西部に位置し、ベトナムと国境を接する。面積23万6700平方キロメートル年平均気温北部は中央アジア熱帯気...
広西壮族自治区(日本の県に相当する)は「桂」と略称し、面積23.6万km2、区都は南寧市である。 ... 日本との友好都市には、広西壮族自治区―熊本県、桂林市―熊本県熊本市及び北海市―熊本県八代市がある。 ...

大通路
広西チワン族自治区を中国西南地区から海に出る「大通路」と位置づける決定を行った。

広西チワン族自治区のもうひとつの大きな特色は、華僑を多く送り出してきたことだ。 広東、福建とともに華僑の故郷として知られ、ベトナムやタイ、マレーシアに200万人以上の広西出身者が住んでいるという。 ... 北海市にはそうした帰国華僑が暮らす難民キャンプがあった。 ...

「土」は、「祠」に近い 小文字と考えます。
「僮」の【童】の古文字は「目」に関係する奴隷「猪」チョと関連すると思います。

華僑
タイ華人の形質としては、華南地方の中国人の血を引いているので、目は大きく、鼻が低く、華北地方の中国人と比べて、彫りが深いとされるが、タイ人ほどではない。 ... ウィリアム・スキナー著『東南アジアの華僑社会』山本一訳、東洋書店、1988年二版 ...
ja.wikipedia.org/wiki/タイの華僑 -キャッシュ

[3904] 僮客についてお教えください    紋爺ぃ 2008/05/23(Fri) 17:06 [Reply]
 ヤスダさん、はじめまして。
 毎日新聞社刊、陳舜臣著『十八史略』第四巻、67ページにでてくる“僮客”は、荊州を見捨てて、呉の孫権のところに行った、となっていますが、出発地の四川省での事情、その後のうごきについてなど、なにか文献など出てないもんでしょうか。
 小生には、この僮客こそ、熊本に本拠をおいた熊襲ではないかと、思えてなりません。


 素人どん、いろいろと、ほんと有り難うございます。サイトの紹介、有り難うございます。
 オーストロネシア諸語は夢中になれそうですね。でもここはイッパシの言語学者たちが、そーとーに踏みつけた領域でしょ。 √・♪ あんひとたちの おらすけんでェ……・♪
 小生も生まれたときは赤ん坊でしたが、こう年とってくると、なにかにつけ、残余の時間と相談する必要がでます。

 私事になって恐縮ですが、今日の 11時、「もう来られるころだが……」と思って札幌の喫茶店に電話してみました。そしたら、ちょうどそこへネパールから今着いたばかりのお医者さんが入店して来ました。いつもネパールでお医者さんやっていて、年にいちど里かえりされる方です。
 聴けば、十八年間行方不明だった T・季義牧師のお友達だそうです。ネパール語を知るために 18年前、川喜田二郎さんに手紙したのですが、川喜田二郎さんが「そんならこの人だ」と紹介してくださった人物が、T・季義牧師です。
 至誠天に通ず。ただし、カタワには時間がかかるワナ。

[3903] 【髑髏】に直結する語?「ムなしい」  ヤスダ 2008/05/23(Fri) 09:07 [Reply]


髑髏じるしを英語で「ジョリー・ロジャー」(陽気なペニス)と言いますが、それは何故でしょう? ...
キリストの復活を見届けたマグダラのマリアの象徴が死者を表す髑髏
「髑髏」は「メメント・モリmemento mori=死を想え」という宗教的な意味を持つ象徴です。

髑髏から骨を除くと・・・
蜀ショク ゾク
婁ロウ ル
蜀婁

「蜀」が「禹」     婁〔母+中+女=巫女むなしい〕 蛾皇と女英
四川省(【蜀】)に出づるを上品とす、故に名づく。 ... 書、舜典「五載一」=巡狩。 巡狩ジユンシユ天子が諸國をめぐりて視察する。
蜀(ショク)は、中国の地名、王朝名。 地名としての蜀は現在の四川省を指す。 古蜀。 ... 巴蜀(現在の四川省・湖北省一帯)を領土とし、成都を都に定めた。 ... 蜀は中山靖王劉勝の子孫とされている劉備によって建国された。 ...

「蜀」の部分が「禹」に似た形に換わっている。
正しいとされる字体の偏や旁の一部を,形が似ている部品に書き換えた字を指します。 俗字とされるものが多いといえます。
「屬」の姿形書換字。「蜀」の部分が「禹」に似た形に換わっている。

屬漢(ショクカン)の軍師「諸葛孔明」
「黄公孫氏」から、「禹」を経て、太公望に渡った「風水奇門遁甲方」は、三国時代の屬漢(ショクカン)の軍師
「禹」を経て、太公望に渡った
禸部0禸ジウ有獸のあしあと(獸跡)4禹ウ麌夏の世を建てたる聖王の號。 ... 淮南子「禹鑿龍門」(進士に登第せしを登龍門といふ)禺グ遇グ虞ギョウ冬ゴゥ·グ有通音グウをながざるの一種、猴の屬、赤目にして長尾。 ...
猴の屬
赤目にして長尾=尾長猿(申)

グウをながざるの一種、猴の屬、赤目にして長尾。= 果然。 山の名。 番は、古の越(今の廣東省地方)の地名。 は魚の名。 わかち(區)事の端の初めてあらはれるにいふ。
献獻 胡孫
猴の屬、長臂にして善く嘯く。 猨狖ヱンイウてながざると、をながざると。 淮南子「失木而擒於狐狸、非其處也」猲カツ曷月カフ洽をどす、威力を以て人を脅す。= 喝。 短き喙クチバシの犬。 献獻(犬部十六畫)の俗字。 猢コ虞猻コソンは猴の俗語。= 胡孫。 ...
『胡孫』が『猿』
「えびす=恵比寿(大黒様・大国主)・恵比須・戎・夷狄」であり、「『西洋人』・西域人」で、『胡孫』が『猿』であることを踏まえて「江戸時代」の蘭学者の事件「蛮舎の獄(尚歯会への弾圧)」にも重ねて・・・ミロ、である。
猿猿=燕
申辰神 韓・・・辰韓=新羅 晋=日 胡孫=猿猿=燕=淵 ... 鳩髪神 厩・・・厩=球(ク)・・球磨 鳩=厩秦= 八幡. ウ ウ ト ウ カツ ナガ キョウド. 卯兎菟 胡・・・胡=葛 ...


由【婁】漫
「入満・伊智満・由婁漫」とも書く〕 パードレ または パーデレ [ポルトガル語] 〔父の意〕神父。 バテレン【伴天連】 〔ポルトガル語パードレ(師父の意)から〕(1)キリスト教伝来に際して渡来した宣教師・
【イルマン】 【入満】 【伊留満】 【由婁漫】 [葡]irmao(兄弟) [歴]近世初期(16世紀後半~17世紀前半)、キリシタンの修道 士。
「安所」「安女」「安如」などと書く) 天使。 イルマン 【irmão 葡】 (兄弟の意。 「入満」「伊留満」「由婁漫」と当てた) 近世初期、キリシタン布教時代に、バテレン(パアデレ・神父)の次に位する宣教師。 修道士。 インヘルノ 【inferno 葡】 ...
葡・・・ふせ 伏 臥(ガ) 附 付

「古くからのキリスト教徒」(西語:cristianos viejos、葡語:cristãos velhos) ...
モサラベ(西語:mozárabes、葡語:moçárabes)とは、ムスリム支配下のイベリア半島、とりわけアル=アンダルスにおけるキリスト教徒のことを言う。
土生葡人(土着ポルトガル人)またはマカニーズ. ゴア(左)とダマン(右)のポルトガル風ダンス。
數次[すうじ]渡來の葡人は、如何に海外の珍奇を贈りて、誇大好奇の心を煽[せん]しつらん、且西僧等が布教の許可を得ん爲には、財物を領主に獻 ...

臥(ガ) 奇宜【我】俄峨【蛾】餓【鵝】何河賀・・・我(私 ム) 牙 雅 
万葉仮名一覧
しかし、万葉仮名に使われている漢字は、 例えばインターネットで調べようと試みても、 ... う 汚有宇于羽鳥紆禹雲 ・ 菟鵜卯 (盧鳥 を偏旁とする字) 得 ... が 奇宜我俄峨蛾餓鵝何河賀. き(甲類) 支伎岐吉企枳棄耆祗祁 ・ 寸來杵 ...
ウ 汚有宇于羽鳥紆禹雲

〓のような頭・・・云ウン(雲の竜尾) 元ゲン 天テン 夫フ 王オウ
竜門は黄河の中流にある山峡で、禹が山を穿ち水を通したという伝説がある。 ... この篇は貴族の女性の婚礼を歌っているが、彼女の肢体の美を描く第一スタンザに「〓首蛾眉」(〓のような頭に蛾のような眉)という詩句がある。
五色の蛾
益は禹のもとで7年間、宰相を務めた。 ... 多くの文献では、禹は啓を後継者にしようとしたが、長じても任せきれる器量がないと判断したため、禹は益に位を譲ったという。 ... 五色の蛾が飛んできて、みごとな蚕が生まれた。 蚕 ...

蛾皇と女英
洞庭山とも云う、市街西南部の洞庭湖にあり、舜の二人の妃、蛾皇と女英が住んでいたと云う ... 君山にくると強暴な風浪に遭い、湘水神に封じられた蛾皇・女英のせいだと知り、 ... 舜廟の旧址と碑刻が現存し、廟の背後に舜源峰、前方に蛾皇・女英両峰が聳える ...
名を蛾皇と女英といった。 堯は、舜の徳行の優れたのを高く評価し自分の息子にではなく堯に帝位を譲り、あわせて蛾皇と女英嫁がせた。 ... 蛾皇と女英は舜が心配で探し尋ね、君山までくると、舜が蒼梧山で死んだことを聞き、悲嘆のあまり二人この地に卒した、という。 ...

君山 蒼梧山
舜はみずから璿璣玉衡(北斗七星の斗魁と杓。 ... 五月、南に巡狩(じゅんしゅ。 諸国をめぐり視察)され、八月は西に巡狩され、十一月に北で巡狩された。 皆、初め東方に巡狩 ...

 狩 (刈〔乄=しめす 刂=2 離?)巡狩 (じゅんしょう) 狩野(叶・夏禹)
東南に巡狩して気をお鎮めください」 始皇帝はその進言を聞き入れ、直ちに東国への巡行
「京」は、近畿の都 原点
謎を解く鍵を古田さんは「景行紀」の次の一節の中の「巡狩」という 概念に見出した。 ... この「京」は、近畿の都のことだとすると、近畿 を原点として、「筑紫国」を「巡狩」する、というのなら、当然筑紫国自体を 「辺境」と見なしていることとなる。

[3902] ウシガナシュ−メ と 難升米    紋爺ぃ 2008/05/23(Fri) 06:35 [Reply]
 難升米 は日本から最初にシナへ行った大使です。いつ頃かというと、 228年、邪馬台国の時代で、ヒミコの代理として魏の曹操の孫に朝貢、謁見しています。
 この難升米 と沖縄按司のトップのウシガナシュ−メが似ていると思ったひとは何人いるでしょうか? おそらく、五百人ぐらいでしょう。
 ウシカナシュ−メとは、何と悲しい名前でしょう。この語を使うたびに人びとは「悲しい」を連想したことでしょう。
 ウシガナシュ−メの終わり部分のメと、難升米 の「マイ」はおたがいに転訛しやすい関係にあります。沖縄のトップは o , e を喋らずに、三母音を用いることが優雅だと思っていますので、「ショウ」は「シュウ」になります。
 ここで、後のなりゆきの責任は紋次郎にまかせて、思いっきってウシガナシュ−メの頭、にある“ウ”を切り取ってみようじゃありませんか。
 すると「シガ・ナンショーマイ」という語形が出てきます。
 前後しますが、難升米の分析はできませんし、意味の把握もできません。朝鮮語起源だという説が有力のようです。

 ハナシはポンと飛びますが、sing hasan とは王座のことです。中東ではハッサンさんが出てきて活躍します。これも意味はまだ捕まえていません。
 が、ha という短音は日本の文献に現れて、神名や政府の派遣社員の役職名についています。その ha は、おそらく、この hasan でしょう。あえて意訳すれば「玉座」でしょうか。というのも、sing とは「つの(角)」だからです。
 sing hasan (王座)の sing は、起源はつのでも、ライオンのことだと思えます。ライオンはネパール語で simha , sing ha の二つの語形があります。他の言語でもこれが用いられているらしく、シンガの湊がシンガポールです。関ヶ原合戦で活躍した島左近さんの島はこれでしょう。また、「sasak nam-i」の滋賀もこれだと思います。

 けものの王であるライオンは沖縄の家々では、ノートルダム寺院の怪獣よろしく、悪魔の侵入を dos (咎め)しています。日本では鬼瓦です。
 シガ・ナンショーマイとは「獅子・難升米」だったにちがいありません。
 では、ウシガナシュ−メの、語頭のウは何だったかは、もう説明の必要はないでしょう。
 沖縄の按司(支配階級)も sasak に似て、adhin(支配)からだと思います。小生はいう adhin は、いちおう、ネパール語ですが、あちこちの言語にも現れています。

[3901] Re[3898]: ことばで平家の正体を  素人 2008/05/22(Thu) 15:19 [Reply]
>  素人どん、サンスクリット語に髑髏に直結する語はあるのでしょうか?

ありますよ。narakapaalaが代表でしょう。naraは「人」、kapaalaは「頭蓋骨」です。
これがネパール語に入ってnar-kapaal(नर्-कपाल्)になりました。

[3900] Re[3895]: アシタ仙人  素人 2008/05/22(Thu) 14:51 [Reply]
>も一つ言わせてもらえば、僻地の土民語ほど貴重で尊いにでアリマス。

そうなんですか。それなら太平洋に広がる無数のオーストロ・ネシア言語群の比較はいかがでしょう?
体の部分や数の数え方、形容詞、動物名、などの基本語彙を比較できるサイトがありますよ。
[Austronesian Basic Vocabulary Database] http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/

例えば、手(hand)の場合は583言語の比較表を見ることが出来ます。紋爺ぃさんはアクセスが不慣れということ
ですから、そのページの直接リンクをはりますが、この取り扱いには特に留意されるようお願いします。
http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/word.php?v=1

★留意点とは、ご存知とはおもいますが、このデータベースの一切の内容を引用してはならない、ということです。
引用したい時は権利者の許可を得る必要があります。許可の受け方はHPに書いてあります。
ホームページ http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/

それでは、サーチページをご案内しますので、いろいろ試してみてください。
http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/word.php
手順は、真ん中あたりのbody partsとかanimalsをクリックすると、そのカテゴリーの語彙が並びますから、その中
から選んでクリックすればOKです。

Good luck!

[3899] ささげ豆 と 笹りんどう    紋爺ぃ 2008/05/22(Thu) 07:50 [Reply]
  ささげ豆のささは舟ですね、こりゃ。ささげの「ゲ」は、酒のケで、食べ物ではないでしょうか。歴史を通過してわれわれに与えられているケは、食器ですが、このケはネパール語由来というよか、環シナ語現象として高句麗のナナ(七)などと同じレヴェルで扱うべきでは? ネパール語 kha は飲む、食うの双方の意味を持ち、アイヌ語は「 ik(飲む)」に限定されています。
日本でも「いける口ですね、さぁイキましょう」というように、ik があったらしい。
 飢饉をケガチというように khe(食い物)の語形もみられ ます。 / khatta(不足)。
 酒のササ、サカという語は比較的新しいような気がしますが……。アイヌ語の酒はトノトのほか サクサアシコロという風雅な呼び名が残っています。この「クサ」は匂いらしいですが、ワカランと云ったほうが早いです。シャクシャイン(のラン)を写しているようでもあります。as は「起つ」でもあります。
 酒喰らい、とあるように、昔の酒(の一種)は煎餅みたいにムシャムシャと食っていたとか。
 豆で注目したいのが、「空間を囲むこと」が古代人には、とても大事な観念だったことです。
 スクナヒコナは葦の空洞を棲みかにしたのではないでしょうか。skunat(タジク語 ; 住居)。nakat(ネパール語 ; 葦……ナカツクニ)。

 でも、 sasak(支配者) が、武門に取りいれられたこともタシカなスジでしょう。
 名前にも流行り廃りがあるように、笹が sasak の象徴となったのが笹りんどうでしょう。どうしてここにりんどう(竜胆)が顔をだすのかはしりませんが、源義経とジンギスカンの兜には同じ笹りんどうが描かれているそうですね。
 片目の武将が斬りひらいた伊達(意味は金属)の家紋は笹に雀でしたか。/ 曹操が建てた朱雀台。政宗さんは片目で南を睨んでいたんでしょう。

 新潟県北部の笹川流れは、舟の川でしょうか。
 笹にごりのシーズンは、やまめが一年じゅうで一番よく釣れる薄にごり……、の川。このササは朝鮮語と共通の sa (些細)なんでしょう。 / ささめ雪。

[3898] ことばで平家の正体を     紋爺ぃ 2008/05/22(Thu) 05:42 [Reply]
  佐々木さんの書き込みに、平家が「髑髏」と「鳥葬」に関係ある場所にいた……がありました。48年前、川喜田二郎さんは『鳥葬の国』という本をだして、ネパールを紹介しました。
 ネパール語に ghokro(首、首っ玉)の語があります。ゴクロとドクロは音がtがいますが、山中襄太先生は髑髏を漢字読みにすることで、多方面に関連が生じることを指摘しておられました。だが、詳細はわすれました。
 素人どん、サンスクリット語に髑髏に直結する語はあるのでしょうか?

 平家の人びとは、ほんとうに詩歌管弦で腰抜けになっていたのでしょうか。富士川の戦いでの敗走ぶりは、源氏を瀬戸内の船いくさにおびき寄せる策略だったのでは?
 平家の本拠地みたいな厳島神社は、京都のずっと西、瀬戸内海にあります。清盛は精力的に福原(神戸)に通い、巨船が接岸できる埠頭を築きました。
 ひよどり、屋島で失敗したあと、更に西へ向って壇の浦で滅亡したのでしたが、彼らはどこをめざして落ちのびようとしたのでしょうか。
 小生には、その落ちのびる先は、沖縄〜ルソンだったのではないかと、思われます。沖縄には比良、タヒラ姓があります。
 日本は明治になるまで、天皇直属の軍隊は持たないのがタテマエでした。天皇から源氏、平家の肩書きをもらったとはいえ、両軍ともそのNO2 以下の中核は、同じネパール系の軍団ではなかったか。

[3897] Re[3896]: ささなみの 滋賀の都  素人 2008/05/21(Wed) 22:23 [Reply]
> AnakdareとAnadara(アカガイ属)ちょっと似ていますね。
> たしか金剛経でしたか。素人さまは複数居られるのですね。

いやどうも、神奈備掲示板にも「素人」さんが居られるたとは気がつきませんでした。
それじゃ、こっちは「ド」でもつけますかね?(笑)
Anakdareのnがmだったら面白いなと、それだけなんですが・・・・

[3896] Re[3893][3892][3891][3888]: ささなみの 滋賀の都     佐々木高久 2008/05/21(Wed) 19:40 [Reply]
 素人さま
 はじめまして。
 高谷さんとは懐かしい。高谷さんは電気工学だったと思ったが。
AnakdareとAnadara(アカガイ属)ちょっと似ていますね。
たしか金剛経でしたか。素人さまは複数居られるのですね。

[3895]  アシタ仙人     紋爺ぃ 2008/05/21(Wed) 19:05 [Reply]
  素人どん、有り難うございます。二つともフリーズ覚悟でぶっ叩いてみました。View open
の場所はわかりませんでしたが、二つともヒマラヤにはならず、お気にいり(ブック・マーク)に入れました。
 せっかく紹介に預かりながら、モンクいうようでわ〜るいのですが、稲作が始まったということは、大きな社会変動があって、その分だけ族際化がおこり、 nativity が失われたことを意味しないでしょうか。こんど会われたときは、紋ぢぢぃがそう言っていたと、お伝えください。
 ついでに言わせてもらうと、こういう僻地の言語で、交易や通婚圏に関係ない語彙が三つ揃えば、時代はBC 5500年(文字発生)の遥か先まで飛んで行って、スンダランド爆発期の 5〜7万年前まで案内してくれるものと思いますが、どうでしょう。
 も一つ言わせてもらえば、僻地の土民語ほど貴重で尊いにでアリマス。
 小生のサンスクリット語への偏見は、ここに根ざしています。ラテン語然り、シナ語然り。
 扱いにくい弟子でしょうが、宜しくご lead ください。

 その後、ふたたびフリーズしはじめました。どもイカン。ニ度三度。
 いちおう打ちこんでおいて、ねんどザイクはアシタに。 as……希望ね。

[3894] Re[3893][3892][3891][3888]: ささなみの 滋賀の都     素人 2008/05/21(Wed) 11:23 [Reply]
追加情報 紋爺ぃさんへ

もしPDFが読めるなら、こちらから京都大学サイトに入って、[view/open]をクリックしてください。
内容は同じですが、読みやすいし、地図も見られます。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/56315

[3893] Re[3892][3891][3888]: ささなみの 滋賀の都     素人 2008/05/21(Wed) 10:56 [Reply]
佐々木さん、初めまして。

> 神話時代に「少彦名神」がササゲの豆の鞘に乗って海を渡って来た伝説から「ササキ神社」。。。とか。

ロムボク島ではササゲも作っているそうです。

紋爺ぃさんへ
SASAK族とはなんじゃ?とか、ロムボク島はどこ?と尋ねられそうなので、前もってご紹介します。
京都大学の東南アジア研究センターで行った、ロムボク島の稲作調査の論文がありました。
http://209.85.175.104/search?q=cache:AacYDT6NdjcJ:repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56315/1/KJ00000131423.pdf+sasa%EF%BD%8B%E6%97%8F&hl=en&ct=clnk&cd=1

 SASAK語と日本語とのつながりという点では大したヒントはないのですが、Anakdare山(笑)とか、ina ina(母稲)とか。

[3892] Re[3891][3888]: ささなみの 滋賀の都     佐々木高久 2008/05/21(Wed) 00:13 [Reply]
> この族名はsesek(海峡を渡るための竹製の小船)から取られたということで、タガログ語のsasakyang(船)とも関係するのではないかと思われます。
たしかそんな説明を伺ったことがあります。
宇多天皇の皇子が源氏姓を受け、近江国佐々木荘に棲んでいたので、佐々木姓を名乗っているのですが、氏神は沙沙貴神社で、地元では佐々木、笹木、佐咲など。
神話時代に「少彦名神」がササゲの豆の鞘に乗って海を渡って来た伝説から「ササキ神社」。。。とか。

[3891] Re[3888]: ささなみの 滋賀の都     素人 2008/05/20(Tue) 22:52 [Reply]
インドネシアのロムボク島にSASAK族がいます。人口260万人の少数民族、とはいえSASAK語という独自の言語を持ち、
文化度も高い。この族名はsesek(海峡を渡るための竹製の小船)から取られたということで、タガログ語のsasakyang(船)
とも関係するのではないかと思われます。ジャワではpayangはボートの意味があり、sesek+payang = sasakyang とならない
ですかね?

佐々木という姓を考えてみると、もし外来語のsasakが漢字化されたとすると「酒木」「笹木」あたりの漢字が使われる可能性
が高いのではないでしょうか。佐佐木という「重複文字(佐)」に込められたメッセージにヒントがありそうな気がします。

[3890] その方へ 一覧表を!     紋爺ぃ 2008/05/20(Tue) 12:08 [Reply]
 それはそれは、気づかないこととはいえ、不要な書き込みをさせてしまいました。
 小生もこのごろオカシイんです。眼だっきゃぁ、大事にしましょう。
 パソコンから放出される電磁波は、眼にはとてもわ〜るいんですって。
 その、毎年ネパールに行っている方に、小生が造っている『ネパール語 / 日本語・アイヌ語 類似語彙一覧表』をお届けできないもんでしょうか。
  日本国内は言語学という硬いアタマがあって、なかなか染み透らないのです。
 まわり道でも大衆運動をおこして、その大衆のなかから真正な言語学者が浮びあがることに賭けるほうが早道なんです。
 ネパールの報道機関に携わっているということでしたが、友人Hの子息に「玄洋」という人物がいるはずです。ところが、そのオヤジの H が毎晩一升酒のむので、昼間は血圧が極度にさがり、今は行方不明なんです。
 ネパールの子供を日本人に里親として世話しようとする会があって、そこへ大きく期待をかけたのでしたが、あとできいてみたら、その連中は小生を「変人だ」と評していました。
 ネパールにほとんど毎年行ってた方で、ここの旦那の友人がいますが、現地の革命に邪魔されるうちに、ここんとこ、その御母堂さんの看護につきっきりになっています。
 そんなこんなで、ここ十年がカラ廻りしてるんです。

[3889] Re[3887]: ことば追求は カバーを Dis する    佐々木高久 2008/05/20(Tue) 09:17 [Reply]
 紋爺ぃ様
 お誘いありがとうございます。小生聴覚視覚に問題ありで、大変困難です。小生の友人には、30年前からネパールに毎年訪問する友人がおりますので親近感があります。日本語は当時ネパールから来た方(故人)に教えて頂きました。
 ちなみに六波羅は、その前は「どくろのはら」と申していまして、鳥葬地だったそうでございます。その霊力にあやかるために平家が棲みついた場所とも言われています。その後、秀吉が日本最大の大仏を造り、秀頼が国家安康君臣豊楽の鐘を寄付した因縁の場所でもあります。余計なお話でした。

[3888] ささなみの 滋賀の都     紋爺ぃ 2008/05/20(Tue) 07:20 [Reply]
 √ ささなみの 滋賀のみやこは 荒れにしを (この後はオレ、知らんとです)

 先日は、「もしかしたら、琵琶湖の佐々木さんの sasak は、船かもしれない」と言ったかと思います。だが、やっぱ、これ支配者です。ワハハ。
 証拠にはならないかと思われますが、「さざなみ」ではなく「ささなみ」といっています。
 nam-i は、塩原温泉の「インナミさん」のところで分析しました。ナミとは nam(名前)を同じくする者、すなわち族、種族のことでしょう。 sasak nam-i は、 k が落ちた語形、すなわち王族だと思います。
 ササン朝・ペルシャなど、関連していることかと思います。

 タガログ語で sasakyan dagad は船なんです。dagad は海、海の乗り物(sasakyan)。貴人を乗せるのが sasakyan だったのかもしれません。沖縄でも貴人が担がれました。
 多くのネパール語がフィリピン語にみられます。日本列島に来たネパール系の一派、ルソン島に入ったネパール系の一派と、二つのネパール系勢力があったのかもしれません。

 ところで素人どん、六波羅ミツとか六波羅探題とはどういう意味でしょうか。ミツは、いま挙がっていますし、「六」はあっちこっちで顔をだしますが……。サンスクリット語発でしょう? これは。

[3887] ことば追求は カバーを Dis する    紋爺ぃ 2008/05/20(Tue) 06:26 [Reply]
 佐々木さん、オレ思うにタイヘンなことなんですよ。まあ聴いてください。
 何年前かというと、平均して 15年前ということになりましょうか。
 天理教海外伝道部がだした『ネパール語小辞典』という本があります。それには 5754語彙が掲出されているのです。この本を読んだところ、日本語によく似た語彙を約 1300、アイヌ語に似た語彙を 500剔出できました。その日本語とアイヌ語は、そんなには重なっていません。
 関連ということがありますので、そういう関連を列挙すると、「ネパール語の約半分が極東に流れ出ている」という驚嘆すべき現象をいえるかと思います。
 
 そこで、神奈備さんにも迷惑かけながら、あちこち訴えている次第ですが、オレ、足が立たぬ一級身体障害者ということもあってネパールまで飛んでゆけないし、また、思いつきの方角がわ〜るかったり、表現がへたくそだったりだ紋ですから、目下、素人さんをドン・グルにして粘土細工をやってもらっているところでんねん。あっち出したり、こっち引っ込ませたりで。

 アレッ、年代をわすれましたが、遮光器土偶はBC 1000年ぐらいでしたか、これとそっくりの造形をした偶像を、デカン高原中央部にいるアディバシーという狩猟民が、代々シバ神だとして奉じています。
 それはいちおう別として、小生は赤壁の戦いがあった直後あたりに“僮客”と呼ばれた、一騎当千のつわものが、船を奪って、この日本列島にやってきたのではないかと、カングッている段階です。これが梟雄にへさ(nikay、いっぱい)の熊襲ではないか……。
 ま、罪のない空想……の反対の、おおいに罪ある空想でしょうが、だれかがやらぬことには前進はありません。しかし、やってみればわかることですが、「ことばそのもの」が、実にいろいろと潜りこむ要領を教え導いてくれる紋です。
 よかったら佐々木さん、おやりになりませんか? 気が狂うほど面白い領域ですヨ。
 いや、オレなんざ、もうだいぶ狂って」るのかナ? 

 去年の 5月、ネパールでお医者さんやってる先生が年にいちどの里帰りで、札幌の友だちが
やっている喫茶店に来られました。あわてて電話したのでしたが、すんでのことで、ネパールに帰られたあとでした。 1年待ったのです。その先生がまもなくその喫茶店に現れます。
 気のながい社会運動を余儀なくされてるんです。

[3886] 無題  素人 2008/05/19(Mon) 22:38 [Reply]
マレー語とインドネシア語はほとんど同じといわれています。
tuhan(神)は、コーランや聖書のマレー訳でも「神」として使われているそうです(アラーやヤーヴェの代わりに)。
tuhan神の由来は不明ですが、面白そうな名前ですね。

sasakはヒンディー語にもあり、いずれもサンスクリットからの借用語。発音はsaasakみたいになります。

[3885] ああなるほど  佐々木高久 2008/05/19(Mon) 19:47 [Reply]
 紋爺ぃ様
 sasak はネパール語で支配者ですが、プラダンだと思っていました?!
 なるほど佐々木道誉が室町幕府に異心なきことを示すために、京極、六角、尼子、谷、大原、高島。。。に変えたわけですか。なるほど。
 ただsasak の出自はいまだ不明ですが、支配者ならば仁徳天皇の系列の「鷦鷯」の方なのでしょうか。
 横から失礼致しました。

[3884] マレー語 タイ語  紋爺ぃ 2008/05/19(Mon) 18:41 [Reply]
  素人どん、有り難うございます。マレー半島とかタイとか……。日本軍が攻めて行ったので、国民学校のときにはよく聞きました。でもあのへんの地理はまったくオレの頭に入ってないんです。
 マレー語とインドネシア語とは同一なんですか? いずれにせよ、バカの一つおぼえで「台湾語はマレー語系統だ」だけを呑込んでいます。
 ほかに、安南、シャム、ビルマ、ミャンマ−……どうなってるんだろ、いまから 70の手習いで、とにかくその分だけでも長生きして、いちおうの中型言語をぜんぶ見たい紋です。


 新羅と源氏とのかかわりに就いて、神奈備のほうに根の部分は出しましたが、オレが言いたいことはこういうことです。
 軍と軍が激突してホントウの斬り合いになるなど、めったには起るもんじゃありません。
 できたら相手がこっちの言うとおりになるなら、それがいちばんいいことです。
 東北地方に巣食っている新羅勢力を駆逐したい。すでに仲間になっている源氏(=源花?)の義家を出兵させてみたが、どもウマくいかん。そこで義家は甲府にいた弟の新羅三郎義光をひっぱりだした。「よお、東北の新羅さんよ、わえらも新羅なんじゃい!」と、こんなことばが交わされたことでしょう。
 要するに、国と国の衝突ではなく、血縁と血縁の衝突だと観たほうがいいのでしょう。

 sasak とはネパール語で「支配者」です。 sasaki と、末尾に i (人、者)がついても意味はかわりません。
 どんなに、影響力強い sasaki さんたちが、この日本列島にやってきていたかを知れば、教育費は普通で考えられる社会的平均での半分で済むことでしょう。
 あ〜〜ッ へんなこと言いました。お許しくだシャイ。
 いえね、“生田(あっしの本名)”でも ヘンな犯罪者が出てるんです。

[3883] [3882] Re[3879][3877]: 佐々木・原人   かしこ 2008/05/19(Mon) 14:36 [Reply]
佐々木さん、はじめまして。

>満天のヤマト=ヤマト最高

素敵ですね。
シャローム・ヤマトならもっと嬉しいかも。です。^^

[3882] Re[3879][3877]: 佐々木・原人     佐々木高久 2008/05/19(Mon) 11:16 [Reply]
 たしかジャカルタだった。メモによるとs(e)lamat 最高(敬語的)とpagi おはよう
 サワ、ディはチェンマイ大学生が午前午後の挨拶で話していました。最初???で日本の芳香剤の宣伝かと思いました。
 満天のヤマト=ヤマト最高。なるほどなるほどです。

[3881] [3880] Re[3879][3877]: 佐々木・源氏  かしこ 2008/05/19(Mon) 10:21 [Reply]
こんにちは。
おお!と思いましたので、私もちょっとだけ。 
s(e)lamat pagi (=Good morning)!
ヤマトに掛かる枕詞「ソラミツ」が、この s(e)lamat 周辺の言葉である可能性はないでしょうか?

相変わらずのあらぬ連想で失礼します。

[3880] Re[3879][3877]: 佐 々 木 ・ 源 氏     素人 2008/05/18(Sun) 22:45 [Reply]
横から失礼!
マレー語の朝の挨拶です。
s(e)lamat pagi (=Good morning)

思わず微笑む愛くるしいビデオをどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=IGhxviMs-M8
この女の子は冒頭で「slamat pagi tuhan(神)」と言っております。

サワディはタイ語の挨拶で、女性はサワディ・カ、男性はサワディ・カップだと記憶しています。
が、間違っていたらご容赦ください。

[3879] Re[3877]: 佐 々 木 ・ 源 氏     佐々木高久 2008/05/18(Sun) 21:05 [Reply]
紋爺ぃ様
さっぱりわかりません。
>すらまとぱぎ、さわでぃ……は、いっこうにワカランとです。
確か東南アジアの方言で、朝か昼かの挨拶だったと思うが。

[3878] Re[3876][3871]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  佐々木高久 2008/05/18(Sun) 20:56 [Reply]
>難波を襲った災害としては、『続日本紀』の天平勝宝五年(753)御津村 南風大吹 潮水暴溢 懐損慮舎 没百姓五百六拾人 の記事です。この御津村は御堂筋の三津寺付近の村。
上記のものは理科年表被害地震年代表には出ていない記事ですね。台風?
684年(天武13年10月14日)に南海道地震がありますね。マグニチュード8以上クラス。土佐での被害記録がありますが、大阪湾では概ね津波高は10mから20m、高津宮はなんとか無事ですが。
 大阪銅鐸は平野町のたぶん大ガスビルあたり出土と記憶。

[3877] 佐 々 木 ・ 源 氏     紋爺ぃ 2008/05/18(Sun) 19:05 [Reply]
 佐々木さん、佐々木源氏にはお詳しいことかとおもいます。そこでお尋ねしますが、新羅の「源花」はなんと発音したのでしょう。源花の前身の花朗では発音はホワランですよね。
 その源花は、日本では源氏になったのではないかと愚考しています。

 それは、小生においては“強執”と措いてみるのが、いちばん適切な対応かと思えるのが、先進国の“nation(……これでいいのかナ?)”が、「くに」というスタイルで、この極東に定着するに至るまでには、3 〜4の概念がせめぎ合ったことの果てかと思われます。

 もう、すでに、誰かが「 sasak とは支配者だ」と言った声がお耳にまで達していたことかと思いますが、もし、そこらあたりに御思念を廻していらっしゃらなかったのでしたら、改めてのアタらしい認識へ接してください。

 一般的にいって sasak とは支配者です。しかし琵琶湖の佐々木源氏の sasak は「乗り物〜船」を謂っているもかもしれません。

 すらまとぱぎ、さわでぃ……は、いっこうにワカランとです。オレ、あんがい、フツーの人間なんですがねぇ〜。

[3876] Re[3871]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  神奈備 2008/05/18(Sun) 17:40 [Reply]
> 当時も東南海道地震による大津波もあったでしょうし、それは上町台地を越流する規模だったのかもしれません。難波津難波宮壊滅的打撃もあるでしょう。古地震の記録があれば。。。

 『日本書紀』での地震の初出の記事は、允恭天皇五年秋七月です。どの程度であったかは記載がないようです。上町台地を越流する規模だったら、高津宮もひとたまりもないでしょうね。

 難波を襲った災害としては、『続日本紀』の天平勝宝五年(753)御津村 南風大吹 潮水暴溢 懐損慮舎 没百姓五百六拾人 の記事です。この御津村は御堂筋の三津寺付近の村。

[3875] Re[3872]: 地 震 兵 器    佐々木高久 2008/05/18(Sun) 10:35 [Reply]
 紋爺ぃさま
いつもながらの明快な説明、楽しく拝読しております。
もう自国の時刻は、すらまとぱぎ、いやもう さわでぃーですが。
予言は預言に通じ、四次元まで通ずるとどなたか言っていました。いや言語は面白い。

[3874]  ナニワ と スミヨシ    紋爺ぃ 2008/05/18(Sun) 06:10 [Reply]
  ナニワとは、ほとんど間違いなく「 na(流水) niwa(俄、急)」と分析できて、スミヨシの「ヨシ」は神社。 ここまでいえます。

 スミヨシのスミは下のように、ひっかかっています。

  niwa はさいわいにも、発音も内意もそのままでアイヌ語に入っていました。
 na も断定までは行きませんが、アイヌ語にも被覆形としていえるようです。アイヌ語では海峡のことを tun-nai といっています。この nai は川ではなく、na(流水)としたいところ。 i は場所です。「チョン切れた流水の場所」=海峡。

[3873] イサスミ神社    紋爺ぃ [Url] 2008/05/18(Sun) 05:51 [Reply]
 素人どん、イサスミの内意はお分りになりませんか。
 いま、ここに「スミヨシ」がやって来てるんですけど。

 もし、isa が ST であれば、「 is = 神 , sumi = sur(太陽)」でしょうし、そうでないとした場合、 sumi はタガログ語の *su(火)を援用したいところです。いずれにせよ、 mi = 神 です。

 一つの傍証……? 森の石松も住吉さんを舐めきって、金毘羅山まで足を伸ばした。住吉さんがサンスクリット語系なら、インダス河の化身など弾き飛ばしていたのでは? 

[3872] 地 震 兵 器    紋爺ぃ 2008/05/18(Sun) 05:23 [Reply]
佐々木さん、こんばんwa
 東南海道地震で憶いだしたのですが、ブラジルのジュセリ−ノさんの予言に、こんかいのシナの大地震はあったのでしょうか?どなたか知りませんか?

 ジュセリーノの予言によれば、あと 8ヶ月後の 1月 25日に、大阪で 50万人の死者が出るという。
 現代第一線の大脳科学でも、予言能力は否定できないどころか、かなり積極的な肯定の姿勢がうかがわれるようです。
 いまのうちに地震保険で荒かせぎをしておいて、年末には岡山あたりにトンズラすることをお奨めします。岡山には古来地震がない。明治期だったかに、岡山遷都を唱えて罰せられた人物もいます。

 オウムが言い遺した地震兵器……。その前のソヴィエート崩壊。あのころヘンな情報が入ってきていました。
 おら、このごろ新聞も読んでいませんが、ヘンな情報だけははいってくる。やっぱ、後背霊とか指導霊は“ある”と信じたくなりま。

 素人どん、あれには、その後の物語りがあります。それはいずれ又。

[3871] Re[3870][3868][3867][3866][3798]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  佐々木高久 2008/05/17(Sat) 12:04 [Reply]
>運河とされる大川は天満砂堆の形成時も上町台地から北へ流れる水を流す小川として存在し続けたのでしょう。従って渡辺津は継続的に使用されて来たと見ています。
これは谷町筋の谷筋の北部の河道ですね。
>古墳時代の16棟の倉庫群がなくなり、竪穴式住居が見いだされるようになるのでしょが、この時期のメインの港は住吉津に移っていると見ています。理由は権力の移動。
 古墳時代はもう上町台地は今と同じところまで後退しているので港建設も納得、住吉津は、しはず道の起点、住吉大社のあたりだと思うのですが、形態から見るとやや人工的かつかなり本格的な港、権力の移動は納得の行く説明です。
 当時も東南海道地震による大津波もあったでしょうし、それは上町台地を越流する規模だったのかもしれません。難波津難波宮壊滅的打撃もあるでしょう。古地震の記録があれば。。。

[3870] Re[3868][3867][3866][3798]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  神奈備 2008/05/17(Sat) 09:30 [Reply]
> 渡辺津や森小路は縄文時代に砂堆ができて津が発達、ともに天満砂州が北へ伸びて廃れたときに、江口(長柄宮の関係?)が発展し、渡辺津は運河開削によって復権した???こうゆう説明がどうなんでしょうか。

 運河とされる大川は天満砂堆の形成時も上町台地から北へ流れる水を流す小川として存在し続けたのでしょう。従って渡辺津は継続的に使用されて来たと見ています。
 古墳時代の16棟の倉庫群がなくなり、竪穴式住居が見いだされるようになるのでしょが、この時期のメインの港は住吉津に移っていると見ています。理由は権力の移動。

[3869] Re[3865]: マオリ語にみる百越の日本語    素人 2008/05/16(Fri) 23:55 [Reply]
紋爺ぃさん、お手数をおかけしてすみません。
やはり謡曲「羽衣」には「(いさな)する」は出てこない、ということでよろしいでしょうか。
しかし、戦争中に聞いた曲をそらで覚えているとは、その強靭な記憶力には敬服します。

そこのところは素晴らしいんですが、ネパール語のtar(恐怖)とtar tar(祟り)は、少し説明が要りますね。
まず、tarではなくてdar(डर्)でしょう(意味は「恐怖」で結構)。
その次の、tar tarは「不平不満を言う、ブツブツ言う」程度の意味で、「祟り」とはニュアンスが違うと思いますよ。
むしろ、「不満タラタラ」の語源かもしれません。

ところで「実生」を話題にした覚えはないのですが、人違いでは?

[3868] Re[3867][3866][3798]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  佐々木高久 2008/05/16(Fri) 20:49 [Reply]
 そういえば思い出しました、最近は同志社の増田教授がこのあたりを調べていて、加賀屋から心斎橋付近まで縄文時代には上町台地があって、それが削(海岸侵食)られて天満砂堆ができたということでした。だから住吉大社の津はあとになりますね。
 渡辺津や森小路は縄文時代に砂堆ができて津が発達、ともに天満砂州が北へ伸びて廃れたときに、江口(長柄宮の関係?)が発展し、渡辺津は運河開削によって復権した???こうゆう説明がどうなんでしょうか。

[3867] Re[3866][3798]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  神奈備 2008/05/16(Fri) 19:51 [Reply]
> たしか銅鐸が中央区新町にあった遊郭吉田屋で見つかっているので、弥生時代はそのあたり一体が舟着き場だったのでないでしょうか。

 千田稔著『埋もれた港』では、難波御津を心斎橋の南の三津寺付近に求めています。御堂筋のビルの基礎工事で出土したものを分析した結果、船着き場と考えても差し支えがないとの見解です。この辺りは難波砂堆が出来ていた地域ですが、この砂堆は上町台地の西側の崖が削られて砂堆になった場所だそうです。
 弥生時代から船着き場とすれば、砂堆を排除しながら港の機能を維持して来たのかも知れません。

[3866] Re[3798]: 難波津と住吉津はどちらが先に利用されたか? 2  佐々木高久 2008/05/16(Fri) 12:04 [Reply]
 たしか銅鐸が中央区新町にあった遊郭吉田屋で見つかっているので、弥生時代はそのあたり一体が舟着き場だったのでないでしょうか。吹田砂堆は9000年前にすでにあった、天満砂堆は6000年前から1500年前ぐらいに段階的に3列して成長したとのことです。
 砂堆の成長期であれば、舟をある特定浜に止めるのが無理なので、結局満潮時なら江口の里(東淀川区)まで流されしまって、江口の里が栄えたと聞きました。回答にはなりませんが。

[3865] マオリ語にみる百越の日本語    紋爺ぃ 2008/05/16(Fri) 09:33 [Reply]
★ 日本の神名、天皇名、神社名、先祖名はわからぬものばかりです。それでも、小生は自信を以って分析・解釈できたと思える四つ〜五つを蓄積しています。
 その一つがモノノベの先祖神であるイカガシコオです。いまお隣の神奈備掲示板には伊香が出ていますが、これはシナ人特有のチョンギリ・クセが出て、イカガシコオをチョン切った語形だと、かなり断定できそうな気持です。
★ 金属精錬文化は周辺に、短時間のうちに広範囲の影響をあたえます。こっちにあった音と内意があっちに行って派生形をつくり、その派生がふたたびこっちにやってくることも考えておかねばならないかと思います。
 韃靼一つがタタラと似ていることを以って、韃靼をタタラの語源にしてしまうことは、かなりの短絡を冒しているかと愚紋するしだいです。
 バスクに片目で巨人のタルタロ伝説があり、ネパール語の tar は恐怖です( tar tar ・ 祟り)。これが台湾イトマン族の、目を舳先に描いたマタンタタラ舟にも入っているのですから、ひとこと申し上げたの韃靼です。

★ 根中治さんは『九州のアイヌ語地名』で、川瀬勇という現地の農学博士の言として、マオリ語 52語彙を挙げられましたが、そのうち 18語に真正がみられますので孫びきで紹介します。
アヒ(火)、「アミ(集めること)・アミキ(集める)……この ki がアイヌ語に)」、アナ(穴)、アラ(驚きの声)、ヒキ(引きあげる)、フル(振る)、イノイ(祈り…… r 音脱落)、カ(燃えること……火事)、カイ(食する……世界語)、カク(掻く)、カム(食する……ハモ)、コ(女)、マイマイ(ダンス……舞い)、ワカレー(分かれる、不一致)、タケ(根、山)、タタミ(押さえ付ける、たたむ)、タネ(男、父……沖縄タ−リ−)、タレ(吊り下がる)。

 タケ(山)には十分注目されたことでしょうか? ウタキの“ tak ”です。
 長くなりますので、説明はとばしますが、この類似は広州・福健省あたりにいた倭蛋民系の日本人が世界に大航海して、ニュージランドにも到達したことを写していることと思います。
 シナ語が百越地帯に被さる前、日本人みたいな種族が大勢いた……、そういうことです。

[3864]  みしょう      紋爺ぃ 2008/05/15(Thu) 18:30 [Reply]
 素人どん、日頃のお礼にいいこと教えたげる。もう、知ってござるかの?
  実生やってござるそうですが、頼もしくもゼニになるのがある。
  ただ、ここは“社外秘情報”向きにはできてないので、
  まじめなドマグレ情報だけを choto だけ言えば、コシアブラはどな。そうとうに葉が古くなっても山菜のにおいがプンプンするので、年中、テンプラにイケる。実生はいちおうムズカシイよ。
 本筋、中核の社外秘情報は、どこかの町の社会教育委員会〜生涯学習課気付で郵送しておいて、そこへ合い言葉を喋って、あっしは発信した紙情報を取りに行ってもらいましょうか。
 ウンジュの骨やウマは、判りもうした。ありがたいこってす。

 戦争が始まる少し前、いちおうサムライのウタとされる謡曲を、小生のオヤジが習いはじめたんです。そうこうするうちに、姉がそりゅう習いたがって、親不孝なメロディーが流れ、覚ゆるともなく、門前の小憎韃靼でふぅ。
 糸で綴じた和人文化の本……、実家にいえば、まだ 30册ぐらいは送れると思います。

[3863] Re[3861]: 戦争中によう聞いたウタでした   素人 2008/05/14(Wed) 15:21 [Reply]
どうも不思議ですね。
異本でもあるのでしょうか。

★謡曲 羽衣(半魚文庫から引用、編集)

1 風早の。三穂の浦回をこぐ舟の。浦人さわぐ。浪路かな。
2 これは三保の松原に。白竜と申す漁夫にて候。
3 万里の好山に雲忽ちにおこり。一楼の明月に雨はじめて晴れり。げにのどかなる時しもや。春のけしき松原の。
4 浪立ちつゞく朝霞。月ものこりの天の原。及なき身のながめにも。心そらなるけしきかな。

1行目の前半は、万葉集の「風早(かざはや)の三穂の浦廻(み)を榜ぐ船の舟人騒く波立つらしも」(巻7 1228)
のモジりで、万葉集の紀州三穂と同音である静岡の三保をかけた。しかしその後に「いさな」は出てこない。
紋爺ぃさんの「一朗の明月に雨からりと晴れ」に似た部分4「一楼の明月に雨はじめて晴れり」もあるし。
「戦時中に聞いた歌」ということになると、この謡曲を題材にした歌謡曲でもあったのでは?と考えられます。
どっちが正しいとかではなく、その「ウタ」に興味があるので、もう少し詳しく教えてくれませんか?
例えば、ラジオで聞いたとか、レコードだったとか。メロディがついていたかとか。
もちろん無理にとはいいません、もし気が向いたら教えてください。

[3862]  アッ そうか !     紋爺ぃ 2008/05/14(Wed) 06:44 [Reply]
  「アッ 」と ar(ほかの)は同根関係に立つものだった。
 「アッ」はまちがいなくオノマトペアだ。ar も一般の語彙みたいだが、これもほとんど、オノマトペアだと云いきれるだろう。
 ar に強調の -ai > -e がつけば「あれ〜ッ」と なる。拗音化すると「あらぁ〜?」は「ありゃァ〜?」となる。豊後のいとこが「ありゅ〜」といって、失望の念を表明したのを覚えている。
 どうしたことか「あんれ〜」と、 n が入る。またまたどうしたことか、 a が o となって、北九州で発する驚き声の「オンリョ−!」は、津軽では「オンロ〜!」と、こうなる。
 
 「アッ そうか ! 」の「 so」は世界語と云いたいとこだが、半地球語である。英語でもドイツ語でも so:である。ネパール語の eso は「このように」という意味。eso の e は沖縄の「アン・エ・タン」の e と同一で、「その(こと)」。「アッ そうか ! 」の「 ka 」もオノマトペアに近い感嘆詞用語である。が、疑問詞でもある。しかも、いつのまにか“程度”を含むようになってネパール語では kati(いくつ、いくら)の語が使われ、日本語化するときには「価値」になった。シナ語でも価値という語があるのかもしれないが、問題とするに足りない。

 小生が「アッ そうか ! 」を言いだしたきっかけは、言語学者の心情の根底に気がついたからだった。アッ そうか ! ……言語学者たちは、いわゆる街の言語学者のように、言葉をテーマとして、実にいろんなことについて空想の羽をはばたかせたくってしょうがないんだ、と気がついた。
 だが立場としてそれが言えないんだ。おそらく、65才以下の現役言語学者は「停年になったらやっちゃるでぇ!」と、気構えしていることだろう。
 だが、現実は、なぜかはシランがそれも赦さない。宝を抱いたまま次々と墓場に入る。
 この機構を解体し、あるべき構造を組み立てなおすことが「宝掘り」に直結する。
 なあ、そうだろ? 素人どん。
 オレはセールスを習得したことによって、日本ヒエラルキーの枠の外に立つことができた。だれにも頼らずに、はぐれ鴉の身分を貫き通せた。いまは失うべきナニモノも持っちゃいねぇ。
 そういうことだった。

[3861] 戦争中によう聞いたウタでした   紋爺ぃ 2008/05/12(Mon) 16:13 [Reply]
> 紋ちゃんが持ってる本は……
★ √・♪ いいや うたがいは人間にあり 天にうたがい無きものを ・♪(謡曲 ; 観世流・羽衣)

 おら、あたまん中に覚えちょったつですたい。もちょっというと「一朗の明月に雨からりと晴れ」も、抜けちょりました。

 海賊、ガラッパチ文化の筑豊にしちゃぁ出来すぎた環境でしたが、ドマぐれて流れ流れたは、やっぱ √・♪ 環境がわ〜るかったのよ ・♪ (映画 ; エノケンの『法界坊』より)。

[3860] 沖縄にみる包合語     紋爺ぃ 2008/05/12(Mon) 15:53 [Reply]
★ 沖縄の三母音のことです。
 たしかにアラビヤ語は e , o, の使用はありません。が、同じアラビヤでもアラビヤ圏の“地名”には十分にこれが認められます。人名でも「マホメット」のように e , o が使用されています。これ、どうなっているのか、今後の追跡が俟たれるところです。
 ところで、 e , o, の使用はサンスクリット語も僅少ですね。
 一つのまとまったサンスクリット語辞書に現れている A〜Z の一文字づつの頻度を表にして、他言語のそれと比較してみれば、いちばんよく実感できるとおもわれるのですが、そういう作業は学者さんたちに委ねることとし、ここでは Eで始まる語彙と、Oで始まる語彙数を挙げてみます。
 小生が持っている『サンスクリット語集』では、語頭に E持つ語彙は 32 ヶ、Oではじまる語彙数は 8ヶです。ついでにわが愛用の『ネパール語小辞典(掲出総数 5754)』では、E--は 43ヶ、O--は 22ヶでした。ついでのついでにペルシャ系タジク語をみたところ、E--はたったの 4ヶ。ところがタジク語は「O偏執」をもっているためか、 O--は 121 と、ほかよりも多いぐらいです。 O偏執というのは、他言語での a を O とやってしますのです。 ata(熱)は ota にします。
 秋田には「E がいえるのがオレたちだ」みたいな、E偏執があります。 オレが 15cmの段差を尻で這って登ろうとしていたとき、そこの温泉旅籠の女将が「ヒェんヂェビエだの?(しびれたの)」と、のたまったんです。E と I の区別ができない新潟の民にアテツケをやってるのかもしれません。
 民族固有などということは、こんなところにも根を持っているみたいですねぇ。

★ サンスクリット語、ネパール語に現れている“ E--”の内意のほとんどが、ek(1) と e(それ)です。この e がたいへんな野郎なんです。
 日本語とアイヌ語がちがうとしたチェンバレンの 16項目のうち、「なんだ、これエスキモー系の包合語ではないか」と、金田一京助を呆れかえらせたのが、包合とか輯合とよばれるアイヌ語にみられる語彙造成形態でした。
 鹿児島県の市役所や役場を廻ったとき、どこでもそこの職員さんが「ああですか」という答えの声を発しておられました。「こっちの言い分をおおらかに、そのまま受けてくれている」との印象でした。
 その「ああ(そうです)」を「あん」としたのが沖縄だと思います。喜如嘉方言集に六つか七つの例が出ていますが、ここでは「アン・エ・タン」の一つに絞ります。「アン・エ・タン」末尾のタンは、過去を謂う日本語の ta と同じで、沖縄のクセで「ン」がついたのです。
 で、この「アン・エ・タン」は「そうだった」の意味ですが、では e とはなにかというと、これがアイヌ語の包合と同格同機能で、これまたネパール語の *e(それ)発だと、なるかと思われます。
 つづきは『紋次郎・言語考古学』。アイヌ語の包合、輯合はパソコン検索できそうです。

★★ パガニーニおじさんに大きな影響を与えたものとして、BC300年にアレキサンダー大王が率いてきたペルシャ人の武将がいたのでは? 推理。
 BC300年が浅いなら、通商がありますね。前、中、後の三つの語幹を並べるはアラビヤ語特徴ですが、似ていないと言えば似ていない、似いちゅうと言えば似いちゅう。

[3859] Re[3856]:  ガラム・マサル     素人 2008/05/12(Mon) 04:33 [Reply]
取り急ぎのレス。

羽衣の「異同」とは
(1)風早の。三穂の浦回をこぐ舟の。浦人さわぐ。浪路かな。
これは三保の松原に。白竜と申す漁夫にて候。

(2)♪ かぁざ早の みィイホの浦和を漕ォ〜ぐ 舟の ・♪ 
 その次に 「イサナをばせむと存じてそうろう」とつづきます。

紋爺ぃさんの本は(2)、定本と違うでしょう?


ネパール語のキリスト教徒がisaiまたはisahiの件。
isaは人名のイエス様ですよ。それにhiがついて教徒(従うもの)となった。

ガラム・マサルの件。(ガラム・マサラに「塩」は使わないので、インドネシア語のgaram(塩)は無理ですが)
これは非常に語源的に面白い語彙で、ガラムが古ペルシア語まで遡れるのに対し、マサルはアラビア語から更にセム語根
に源があるのですね。印欧語族とセム語族のミックス。


garamは印欧祖語のレベルでいうと、therm(熱)と同根。このスパイスが「体を温める」作用があることを表現している。
masalの方はセム語根レベルでは「良きこと」。これが⇒「益するもの」⇒と降りてきたということです。
私的には、日本語の「優る」と関係がありそうな感じかと。
詳しくは、American Heritage Dictionaryに書いてありますよ。

それではまた。

[3858] イサスミ神社     紋爺ぃ 2008/05/11(Sun) 09:46 [Reply]
> 実はサンスクリットに isa があって、意味は「強い、精力的な」→isa・na=強い魚という
★ オイ、神奈備どん、玄どん、見たかきいたか、上(・)は世紀的画期なるぞ。
 「オイ、オイオイ」はタガログ語、台湾ブヌン語で、意味は日本語とおなじ。
  素人どんなイサーギュいろいろ知ッチョラすなあ。
 この「イサーギュ」は知ちょらしたかの? 九州弁ですたい。ふつーは「いさぎ良く」と解せられちょりますばってん、勇ましいとはちょと違うっちゃんなァ。オレの独断偏見やろうち、思いますばってん、このことばには「パッとふん切れる」がこめられちょるちおもいます。
 そういう意味あいから言うて、イサにはパッと起ち上がる勢いがある。有象無象ばかなぐり捨てち、イチニのサンで飛び出す isa(タガログ語 ; 1 ……「いざ」)が似合うちょります。
 
★ 素人どんの知恵袋が入詰っちょるどん腹蹴っ飛ばしたい。
 今の時点でいちばん気になるのが「イサスミ神社」。イサは ST として、スミとはなんぞ。
 
 ネパール語 isai(キリスト教徒)は、STの 「 isa の根源はもっと西のほうだヨ」を指し示しているかとおもわれます。イシス、イスラーム、イスラエル。
 こっち側は 石、泉、磯ら、伊勢、イザイホ−などが口あけて待っちょります。

  出雲の語源は idzu:(魚)、mo(くに)くさい。
 イザナギ・イザナミは N語 jyan(いのち)から。√ i jyan + 開音化の a 。

  isai の -ai 、磯らの -ra は強調末尾辞です。語り終えたときの強調には ta , ni . ga があるのは日本語と同じです。強調接頭辞には n- , s- があってスッカンピンとかスッテンテンなどに。 佐賀のタバコ屋さんに行って「タバコください」といったら「ナァ〜イ(はい)」といいますら。あ、この -la はベトナム語と共通。

 のっけから S をいえない……は時間的に無理ですね。このイス、エスのクセはパキスタン以西に顕著ですね。このクセと形容詞後置形は、やっぱモザイク的に散在していると看るべきでしょう。インドネシア、タガログ語が形容詞後置形ということは、日本語などに「が、は」などの助詞がついたために、その直前に主題の名詞形がくる必要があったからでは? アイヌ語には強調の anak(○○が!)があります。 フランス語も形容詞後置形でしたよね。
 そうしますと、梅県、広州あたりのシナ語に形容詞後置形による語彙が、かなり顕著に見られるのではないか……の方法を残していましょうか。これもクレーターの放射状スジ観です。

 羽衣の異同……意味がワカランとですがねえ。

[3857] Re[3854]: 「いさな」はクジラと「漁」  素人 2008/05/10(Sat) 17:52 [Reply]
お忙しいでしょうが頑張って本を出してくださいよ。できるだけ応援させてもらいますから。
紋爺ぃさんのトピックはアイディアに溢れていて、他人では真似できないです。モットーは「まず何でも書いてみる」
でしたよね。それからいろいろ意見を出し合ううちに、真理が見えてくると。これ学問の王道じゃないですか。

謡曲「羽衣」に「イサナをばせむと存じて・・・」とあるそうですね。その部分が一般に出回っている定本とは違いがあり、
もしかしたら非常に珍しいテキストかもしれません。謡曲の本は手に入りにくく、また値段も高いので、詞を調べることも
難しいのですが、金沢美術工芸大学の教授がコンピュータにテキスト化して公開しています。
★サイト名:「半魚文庫」 http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/ (リンク、引用は原則自由)

その底本は
a) 日本名著全集『謠曲三百五十番集』
b) 赤尾照文堂『謠曲二百五十番集』
で、「羽衣」ので出し部分・・・
【ワキ、ワキツレ二人一セイ「風早の。三穂の浦回をこぐ舟の。浦人さわぐ。浪路かな。
ワキサシ「これは三保の松原に。白竜と申す漁夫にて候。】

ところで、「のっけから語頭のSを発音できないスペイン人」言々は、ちょっと。
スペイン人がsundaをisdaにし、それが日本に影響して「すなどり」などになった? 時間的に無理じゃないでしょうか。
実はサンスクリットにisaがあって、意味は「強い、精力的な」→isa・na=強い魚というのはどうですかね。
というのも、イサナ(鯨)はもともと壱岐風土記の記述で「伊佐」、それに「な」を加えて出来た言葉です。

ともあれ、羽衣の異動は面白いネタなので、ぜひ紹介してください。

[3856]  ガラム・マサル     紋爺ぃ 2008/05/10(Sat) 11:42 [Reply]
  ザイの人びとが食べるのがライスカレー? カレーライスとは、ちょっと都会がかったセンスが込められているのでしょうか?
  浦和で商売が当って、仙台でカレーライスとコーヒーの店を出した友人がいました。仙台に行ったときいろいろ聞きました。彼はカレーではなく、カリーといってカッコつけていました。
 そのとき初めて「ガラム・マサル」という風味だしのコナがあることを知りました。
 その直後に国際見本市があって、そこにインドの女のひとが出店していたので、ガラム・マサルの語源というか、その意味を訊いたのです。するとすぐにハッキリした口調で「熱する(ガラム)・かき混ぜる(マサル)です」と、教えてくれました。
 この解釈はかなり広くインドや東南アジアで信じられているようです。
 しかし、二つ並べた動詞が語源だとはオカシイ。この疑念を抱いて年数を重ねるうちに、疑念が氷解する傍らで、ほんとうの姿が浮び出てきました。

 小生が夛読をこころがけているネパール語辞書にも、たしかに garam(熱い) garmi(夏)、misi- , mis- (混ぜる)があります。
  小生はマサルと聞いて、アイヌ語のマサルのこと連想しました。でも、アイヌ語のマサルとは海岸からの駆け上がりの浜地にある叢です。植生としては主にハマナスです。
 ところが、佐渡島に行ったとき、そこにマトネ山といっしょにマサラ川が二つもあることを見い出したのでした。matne とは「女の」という意味。アイヌがしゃべる男山、女山の女山が佐渡にあるのです(いまの金峰山が男山)。これは北上途中のアイヌが遺していった地名にちがいありません。

 そうこうするうちに、ネパール語に masala(干した木の実、薬味、香料)があるのを見い出し、これだ! とおもいました。アイヌはハマナスの実を煮魚などの風味づけに利用したのではないでしょうか。
 でも、ガラム・マサルの、ガラムのほうがわかりません。熱する、香料……??
 だが、天網快々粗にして洩らさず。インドネシア語にちゃんと garam(塩)があるじゃありませんか。ガラム・マサルとは「塩・香料」だったのです。
 これは、言語爆発のクレーターのスジが、スンダランドから放射状にのびている現象を写したものと推理できましょう。

[3855] 本を書いてくれないかなぁ  紋爺ぃ 2008/05/07(Wed) 09:32 [Reply]
  オレ、価値観記述のほうが忙しくなりました。
 オレ、いま、73才。こうとし取ってくると、大きく気抜きしながらでないと、若いときみたいな緊張の連続はムズカシイのも本当です。言語のことを記述するのは、たしかに大いなる気抜きでした。
 ケツも焼けてビリビリして、つづけて 40分と座っちゃいられません。
 また、パソコンが放つ電磁波は目にわ〜るい。かなりやられちょります。
 オレは第一発見者としての個人的名誉なんざは choto も気にしてません。山中襄太先生を見てみなせえ。どうせああなるのが予定されているコースです。ただ、アチャラカ向いている言語学界の首を thik あるべき方向にむけてもらいたいの一念でんねん。

 オレ、言語処理手法でウンジュほどのハイ・レヴェルは見たことない。ここは素人どんが本書くのがスジじゃと思うんですが、やってくれませんか? やったところで、中山襄太先生みたいな犠牲敷きこみにしかならぬのですが……。
 紋次郎とつきあっていることが、仲間に知れたらたいへんなことになる……みたいな、云うにいえない事情があるのでは? と、温情の邪推これあるも、とにかく瓢箪からジャがでるためしもこれあらむかと、斯くは打診です。
 価値観の練り上げの面もご指導アマカネ。
 
  336-0015 さいたま市太田窪 4ー4ー3 一級身体障害者 生田淳一郎 
  電話(ファクス)048(882)4901 Eメール ijyana@rb3.so-net.ne.jp

[3854] 「いさな」はクジラと「漁」  紋爺ぃ 2008/05/06(Tue) 18:40 [Reply]
  スンダランドと名前をつけたのは学者さんたちです。もちろん、解氷海進現象を睨んでのことですので、ついさいきんになって名前がつけられたとのではないかナ
 それは、「淡水魚の分布状況で判った」とあった……が、記憶にあります。
 民俗学の鈴野藤夫さんは『峠を越えた魚』という本をだしました。
 魚の卵には鳥の餌袋や腸に入ったら死滅するものと、そうでないものの二種があるのではないかと推理します。スンダランドの「その魚」は、鳥のウンコでは運ばれない性質のものであって、その分布があるということは、昔、淡水の川でつながっていたことを証明するそうです。
 そういう sunda が、クレーターの放射状スジみたいに、語形を変えながらも、この日本列島に現象していると推理できますので、「すなどり」などを並べてみました。

 日本語はもの凄い寄せ集めですので、「日本語で fish をなんといいますか?」との問いに、「ハイ、それはウオです」と答えるようでは 10点ぐらいしかあげられません。
日本語の fish は ivo系、fi 系、y系、ik系などなどワンサとあります。30種ぐらいあるのではないでしょうか。
 むかし、トンガ王国の王様が日本にきて「日本語とトンガ語は似てるんですよ、ウオのことをトンガでもイカというんです」と、おっしゃいました。これ、烏賊のことでしょう。

 謡曲 ; 羽衣 √・♪ かぁざ早の みィイホの浦和を漕ォ〜ぐ 舟の ・♪ 
 その次に 「イサナをばせむと存じてそうろう」とつづきます。この「イサナ」はタガログ語 isda の連続だとおもいます。その is に na がくっついたのですが、これヒンディー語的です。
 そもそも sunda が isda となったのは、語形を変えた二つの契機が考えられます。
 フィリピン・タがログ語には、のっけから語頭の S を発音できない民族(スペイン?)が侵入し、支配階級になったことと、「 d の前の n を取り払ったら、それ以前の古形が出る」という法則です。
 
 「いさな」にはクジラという意味もあり、同音ガッチンコです。
 鯨のイサナはタガログ語の isa(1)に na が添えられた語形でしょう。が、この na とはウオではなく、「汎世界・名詞化接尾辞」だと、大きく網はっておきたい紋です。

 三重県には「鯨岡」とか鯨を冠する姓があったりしますが、これはアラビヤ発の Qutr(くに・地方)だと、断固オレ惟ふネ。

 あ、禁断の 6時半!!

[3853] Re[3852]: 鳥のなき声も理解できない言語観  素人 2008/05/06(Tue) 18:36 [Reply]
> プラクリットとは par(遥か、拡散 cf . center = centre) script の分析でいいのでしょうか。
 サンスクリット語がその当時のすべてのア−リア系言語を写しとったという確証は、どのようなことを根拠にして得られるのでしょうか? 推理でけっこうですのでお教えアマカネ。

プラークリットの元はサンスクリットの"prakrta"(自然、普通)。借用したネパール語=ヒンディー語でも"prakriti"(प्रकृति)。
★「サンスクリットが当時のすべて「のアーリア系言語を写しとった」なんて、聞いたことありませんよ。
どうも、サンスクリットに対する抜きがたい偏見があるような感じを受けますが。

「ネパール語が日本語の指導言語だった」という非常に興味深い説を紋爺ぃさんが提示されたので、その可能性を探る
目的で書いていることをお忘れなく。別に、サンスクリットが日本語の祖語だなんて私は思ってませんし。
ネパール語が日本に入ってきたと、この仮説は面白いと思っています。

昨日(だったかな?)引用した記事にあるように、サンスクリットがプラークリットに変遷していく場合、初期、中期、後期で
語形の崩れ方に「法則性」が認められます。あくまで一例ですが、もう一度引用すると、hasta→(sとtの連続子音が嫌われて)
hattha→(二重子音の簡素化で)hath→(気息音が嫌われて)hatと変化していき、普通は逆戻りしない。
これにより、語形を見ればどの段階(時代)のプラークリットから発展した言語であるかが分るわけです。
ネパール語だけが特別なhatという形を持っているのではなく、ベンガル語、カシミール語、マラーティー語、他多数の言語
がhatなんです。もう一例、サンスクリットのhasti(象)はネパール語、ヒンディー語で同様の変化を起こしてhattiになる。

私が興味があるのはネパール語自体ではなく、「ネパール語が日本語に大きな影響を与えたのか?」という一点です。
★言語の専門的な話題はご自分の掲示板でやる、という奥床しい態度は尊敬してますよ。

[3852] 鳥のなき声も理解できない言語観  紋爺ぃ 2008/05/06(Tue) 07:26 [Reply]
> 少しはお役に立ったでしょうか
★ メチャクチャに役だってまっせ! チョッタァ〜〜(朝鮮語 ; いいぞ、素晴らしい)!
 だが、わがマッキントッシュは、お教えあった site の半分は出ましたが、半分はベッシャーとヒマラヤでんねん。 

 choto 『紋次郎・言語考古学』を覗いてみてください。
 うまく表現できないのですが、西洋で支配的になっている言語観は thik(ネパール語 ; 正しい、合っている)あるべき本来の軌道から ドマグレてしまっている異常さを露呈いるのではないかを推理させます。ドマグレとは、トロッコの脱線転覆をいう炭坑用語ですたい。
 言語はなにも BC 1000年期のパガニーニさんから始まったわけではなく、すくなくとも 5万年〜 7万年前の解氷海進から「子音+母音組み合わせのことば」が始まっているのではないかと推理させられます。
 ( 1 )言語発生圏と大文明発生圏をすりちがわせた認識。( 2) 日常語で神を語ったキリスト教文明(だからホント−のことは死んでみたらわかるという)。( 3 )文字言語に「しっかりしていること把握」に根拠を据えたこと 等々の三つ〜五つが、線路に置いた石ころになっているかと推理させられます。

 こういう「歪んでいる」と推理される言語観は、いきおい、大言語主義に奔ると推理させられ、BC 1000年に書かれたものがあった! との興奮が、平明な認識をゆがめているのではないかを推理させます。
 プラクリットとは par(遥か、拡散 cf . center = centre) script の分析でいいのでしょうか。
 サンスクリット語がその当時のすべてのア−リア系言語を写しとったという確証は、どのようなことを根拠にして得られるのでしょうか? 推理でけっこうですのでお教えアマカネ。

 どんな大言語も、いや、大言語になればなるほど、他言語圏からの借用なくしては、維持・発展はありえないと“確信”します。このことについては専門的になりますので、アソコでつづけます。

[3851] Re[3847]: 文明圏 と 言語圏     素人 2008/05/04(Sun) 15:35 [Reply]
連休の中休み?で、とりあえずのレスをします。
本をお書きになるということになると、この掲示板でもできるだけ正確な情報を提供したいですね。
もちろん推理や想像は大いに結構です。ただ、その時に「推理します」「ではないか?」みたいなサインを付けてくれると
親切では?と思うんですけどね。

>そこはスンダランドと呼ばれています。スンダとは魚のことで、タガログ語 isda(魚)、八重山 izu:(魚)、日本語スナドリ(漁)、七戸 ; イサバヤ(魚屋)と、つづいています。

スンダランドの「スンダ」が魚とは推理でしょ? ところがsundaの意味は現地語で「根」ということになっています。
Googleで[sunda root]で検索してみてください。インドネシア語辞書で「根」はsunber。

> 小生も一歩譲歩して、ネパール語の古形はサンスクリット語だったことにしましょう。
 そうしますと、ネパール語という屋台骨をサンスクリット語というベース・キャンプからぐんぐん離れさせたは、このビルマ・チベット語というクセモノだったのでは?

前から書いているようにネパール語の大半の語彙はサンスクリットに原型があり、その他はペルシア語やアラビア語から
の流入で、ネパール語独自の語彙というのはあまりないですね。例えばその"choto"はヒンディー語でもchhotaa(छोटा)
で、意味も同じ「短い、小さい、劣っている」。つまり、ビルマ・チベット語の影響はないということに。

> 以上の、たまたま出来た三つのことで、こんごは、一個々々の語彙詮索ではなく、法則性をたよってスジ掴みに奔れるめどがたちました。

サンスクリットからプラークリットに俗化した時点で、語形はどう崩れたのか。この辺は明らかになっていて面白いですよ。
例えば、先日の比較表に出されていた(5>hasta(手)…… N ; hat(手、腕) / アイヌ語)も説明できる変化です。
この辺は【インドーアーリア言語、プラークリットの解説】http://www.1911encyclopedia.org/Indo-Aryan_Languages
に詳しく載っていますから。少し抜書きすると、サンスクリット単語hastaは、第二次プラークリット(8-13世紀)の言語群では
hattha-、以後更に変化してhath-となり、カシミール語、ベンガル語などではもっとも簡単にhatとなっている。という流れが
あるのです。

ネパール語の歴史はこちら→【ネパール語の起源】http://jwajalpaa.hp.infoseek.co.jp/nepalgo_no_kigen.htm

> ネパール語とは、今のネパール国王が率いるネパール王族がしゃべる言葉です。……ということは、いちどシナ四川省あたりへ行って、周辺とたいへん仲良くなった経緯があったのではないでしょうか。狙え! チベット、四川省。

これも、出身地は特定されていましてね。Khas族はネパール西部のKarnali-Bheri盆地に、約500年前まで住んでいたと。

以上、少しはお役に立ったでしょうか?

[3850] Re[3848]: 祓った厄  佐々木高久 2008/05/04(Sun) 10:15 [Reply]
>お祓いを受け最後の段階で、巫女さん御幣を振ったのですが、その先ッポが飛んでしまって、ホホホホ!。神主さんが挨拶を始めたとたんに、ゴボゴボ咳き始めて止まらないんですよ、オホホホホ!。
ほんに面白い。たしかそんなコントがありました。先日後期高齢者は75歳以上なら中期はいつからと聞いたら、手がふるえたらと。日本語むずかしいですね。

[3849] Re[3848]: 祓った厄  紋爺ぃ 2008/05/04(Sun) 05:07 [Reply]
 オホホホホ!
 さかきの切口が縮んじゃったのね。
 十日ほどまえ、聖水をふりかけたとき、それが御神酒だったので、付着したバイキンもウイルスも酔っぱらっちゃったのね。オホホホホ!

 わが豚息、学友からひっこしの相談をうけました。屋根が高いわが家のクルマを持って行って、手伝ったまではよかったが、翌日帯状ヘルペスが胸にバッチリ。痛い、イタイ。
 急に大量のホコリ吸うのはイケません。

 でも、翌日すぐに症状がでたので因果関係は掴めました。
 エイズウイルスの潜伏期間は数年〜十数年もあるんですって。オホホホホ!

[3848] 祓った厄  神奈備 2008/05/03(Sat) 09:26 [Reply]
 近所のご婦人から厄払いを行いたいが、どこの神社がいいでしょうか、と相談を受けました。氏神様は御霊神社(大阪市中央区)さんなので、当然ここを推薦。
で、いったいどんな厄と野次馬。登山でこけるか、スッテクを落とすとか、色々トラブルが多いんです。そうですか、山の神ではありませんが、大丈夫でしょうと、無責任。

 後日、面白い報告がありました。
 お祓いを受け最後の段階で、巫女さん御幣を振ったのですが、その先ッポが飛んでしまって、ホホホホ!。神主さんが挨拶を始めたとたんに、ゴボゴボ咳き始めて止まらないんですよ、オホホホホ!。

 よく効いたようですね。
 
 所で、祓った厄は神職さんにくっつくのかな。??。

[3847] 文明圏 と 言語圏     紋爺ぃ 2008/05/02(Fri) 09:29 [Reply]
  四大文明発祥地というのがありますが、これは起源などを「四つ」にしたがる人間のクセがまつわりついている考え方でしょう。また、この四大文明発祥というのは、有用植物(コメ・麦)を栽培した規模が大きかったということで、人類規模でコメ・麦栽培の技術ができあがった段階では、大きな川のほとりには、大きな規模の集団が発生することを謂っていましょう。

 文明圏ではなく、言語圏のできあがる過程は、上とは大きく様相がちがうようです。
 クロマニョン誕生の年代は人によって、いろいろちがうようにみうけられます。しかし、その発生時期の地球は氷河期で、ヒトは今の熱帯〜赤道直下に蝟集して暮らしていたわけです。
 当時の集団は、ほとんど家族単位といってもいいような小集団で、われわれが今思っているような氏族はなかったと、措いたほうがいいかとおもいます。
 そこへ 、地球が暖かくなって、氷が溶けて海面が 150メートルも上昇し、それまで陸地だった低地が海に沈んだのでした。その時期は 7万年前とか 5万年前の大昔に始まったといわれています。その海進・水没は徐々に進んだり、かなり急激だったりのようです。
 壁画で有名なアルタミラ洞窟は 13000年とか 18000年前だといわれていますので、その時には地中海はの水没は、そんなには進んでいなかったわけです。
 凍結していたベーリング海峡をモンゴリアンが歩いてアメリカ大陸へ東進したのは 15000年前だといわれています。
 陸続きだった日本と朝鮮は 18000年前に海峡ができたといわれています。沖縄の島々もひとが歩いてやってきたのだそうです。

 この、赤道ちかくで起った海進水没こそ、人をしてサルからヒトへと進化せしめた契機だったと看ていいでしょう。海進水没がはじまる前、人類は多少の「子音+母音による言語」は持っていたのではないかと、小生は考えています。
 地球上でもっとも影響が大きかった海進水没は、今のマレー半島を中心とした地帯で、物凄い面積の陸地が水没したことが確認され、そこはスンダランドと呼ばれています。スンダとは魚のことで、タガログ語 isda(魚)、八重山 izu:(魚)、日本語スナドリ(漁)、七戸 ; イサバヤ(魚屋)と、つづいています。
 海進水没は地球規模でおこったので、海岸という海岸は、すべてこの影響があったわけですが、早期に影響を受けたのは、やはり人びとが蝟集していた赤道地帯です。
 インドのインダス・ガンジス河河口周辺、ペルシャ湾周辺もまちがいなく深甚な影響をくらったことでしょう。広漠な草原だった地中海にも、大西洋の水がなだれこんできました。
 これらは 4種とか 8種とか、数えかたでいろいろでしょうが、ここが言語圏の発生地帯です。

 イヌでもクマでも立ち木に尿をかけたり、毛をこすりつけたりしてナワバリで生きています。現代人でも急に 1メートル 20センチ以内に見知らぬ人がくると、ギョッとなって警戒します。
 そこへ、海から追われた人びとは他所の土地へ攻め入らざるをえなくなりました。
 人間にとっての最高の天敵は人間です。
 必要は発明の母ともいいますが、戦争もまた発明の母です。
 ここまで言ったら、もうあとは蛇足にしかならないでしょう。

 日本語の否定形や甲類乙類もネパール語発です。専門的(?)になりますので、言語考古学のほうに書きます。


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