青草掲示板ログ平二十年 六月 2008.6 |
[4141] わ が 闘 争 生田淳一郎 | 2008/07/01(Tue) 07:31 [Reply] |
わが「ペ・言い出し」で三つのことが問題になっているのですかァ? 一つは画面バックの色。これは機械音痴の小生にはなんのことか、わかりまへん。神奈備どんとか、玄どんにきいておくれ。わが機械がマッキントッシュの関係かな? 二つめ、「川」についての古代発音。 「カ・ハ」というは、一部の貴族で用いられた偏執であって、本流は ka(川)wa(ほとり)だと意識していたはず。十和田の wa(周辺)はアイヌ語にも。 周時代の川は har が支配的だった……でしたか。大陸においても、時代によって呼び方がちがっているのでは? 漢口はハンコウ。「チチハル」あたりもこの類いで現代に伝えられているかと。har の r は n に転音します。現代朝鮮語 han(大川---だったか)。 川、河は時代により、支配民族により、いろいろ言われてるんです。 さらに詳しくは背景まっ白けの『紋次郎・言語考古学』に。 三つめ、「新羅攻め=蝦夷征伐」のこと。ぜひ直視してたもれ。 東北の新羅神社が三つしかないと言ったのは、わが数字音痴によります。また、小生が読んだ本で「三つしかない」と判断しました。御指摘あったサイトをみましたが、やっぱ、計10ヶ足らずです。滅茶異常です。これは、やっぱ、とりたてて「わいらは新羅系だぞ」という必要もないぐらいに新羅だったことを意味する。 俊哲王については、しばしお待ちください。啓福王については、ゆめ疑うこと勿れ。宮城県涌谷町には大仏建造のとき、メッキ用の金を産出した黄金山神社これあり。 新羅を仮想敵とすることによって、国内統一を計ったんやろが。そのとき、「新羅」といってしまえば、海の向こうの新羅本国を刺戟しすぎるので「蝦夷」と言い換えたんやろが。 生田さんは陋巷の野人です。それだけに伝統ある解釈が通じません。よろしくゥ |
[4140] Re[4139][4138][4137]: 生田さん か | 2008/07/01(Tue) 01:38 [Reply] |
> かっぺれさん > ありがとうございました。やはりどっかの総長カレーではないですが、加齢現象でしょう。真っ白は××。 あ、それなら次の手を。 白黒の状態から「ツール」⇒「インターネットオプション」⇒「色」で好きな背景色を選べます。 今、辞書が手元にないのでサンスクリットについては明日にでも。 |
[4139] Re[4138][4137]: 生田さん 佐々木 | 2008/06/30(Mon) 23:04 [Reply] |
かっぺれさん ありがとうございました。やはりどっかの総長カレーではないですが、加齢現象でしょう。真っ白は××。 出エジプト記の「丙午」は「太陽神(サムソン)」のお使いだったのですね。 サンスクリット語で「ハッタ」とはどうゆう意味ですか、東大寺修二会で出てくるのだが。 |
[4138] Re[4137]: 生田さん かっぽれ@仕事 | 2008/06/30(Mon) 21:56 [Reply] |
佐々木さんへ > 言語考古学研究所の書き込み、モノクロ印刷で拝読。 ご両人の面白いやりとりを楽しませてもらってますが、ご参考まで。 ウェブページの背景色を設定で白にする方法はどうでしょう? まずプルダウンメニュの「ツール」⇒「インターネットオプション」⇒「ユーザー補助」と進み、さらに⇒ 「Webページで指定された色を使用しない」を選択すると白黒画面になります。 こんなもんでお役に立てればいいですが。 |
[4137] 生田さん 佐々木 | 2008/06/30(Mon) 19:56 [Reply] |
言語考古学研究所の書き込み、モノクロ印刷で拝読。ご臨終ありがとう・・・とはびっくり。 原田甲斐やら百済王敬福やら時代の異なる人物が出てきて、よく理解できませんでした。 川は、日本では「カ・ハ」です。 大きな川は江(揚子江など)、その次の河(黄河)、それ以下(川)でしたね。 新羅神社のことは以下を確認してはどうですか。 http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/index.htm |
[4136] 続き 佐々木 | 2008/06/30(Mon) 14:27 [Reply] |
あまり直視する気になれないが、参考までに。 http://homepage1.nifty.com/zpe60314/index.htm http://homepage2.nifty.com/DIG-Japan/nl57akib.htm |
[4135] しりやき温泉 佐々木 | 2008/06/30(Mon) 13:40 [Reply] |
尻焼き名称が、いつから成立したかが焦点で、平家の落人が見つけたとあるが、江戸時代に温泉はあるが名はない。だから近代以降と考える。 尻・・・後か尻 焼き・・・厄または役、薬、焼き 後厄←矛盾はしないがだれがいつから言い出したのか疑問。 後役・・・・後三年の役?←これは関係なさそう 尻薬尻焼・・・・痔の治療効果がある。←これが近い。 近代成立だから、そのままだろうとなる。 万葉集の「藤」「奈」は藻塩の歌に出てくるもののみとお考え下さい。 古代史を詳しく知らないと記紀万葉わからないですね。でも基本あとづけです。 陸は初版ののらくろに出ていました。海は城山三郎の打出小槌町1番地に出ています。瀬島龍三は関東軍参謀本部に居たから、彼の著書には出ているでしょう。 川喜田二郎さんの点メモの原点もそうでなかったかな。 「うがい」・・・飲酒 |
[4134] 尻焼き温泉 生田淳一郎 | 2008/06/30(Mon) 12:48 [Reply] |
大略はわかりかけましたが、内容が高級すぎて……。 ずらりと芋づる式に引出すには、いまのところは、そういった一覧表みたいな研究成果は出ていないということですね。 いっちょいっちょやるにしても、敵は 2000名だと思います。2000もの華語を掴めば敵は全滅したも同然でしょう。これ、小生のやりくちです。気が短いもんで。 いっちょいっちょやりますので、ご指導よろしく願いあげます。 > 万葉集の「藤」「奈」 とありますが、これは万葉集には、予想外の頻度で「藤」「奈」が多く出ているということだと受け取っておきます。まちがっていましたらご指導のほど。 むかしの行政単位での、群馬県草津温泉ちかく、くに(六合)村に尻焼き温泉があります。 これは、尻を焼くのではなく、厄が尻に来た……ですか。 そうしますと、関東以北は識字率が低いので、いちおう「慶字奨励が流行っていた地域の外」と置きたいところです。これ、甘いですかね? どうも近畿方面は、そういった地名が錯綜しているような印象をうけていました。 話題ぽんと飛びますが、軍隊ではやたらに新語を捏造したかと思います。 逃げる退却は「撤退」。これくらいならいいのですが、飯盒をゴーハン(盒飯)と言ったことはたしかです。このほかに、お気付きの用語がありましたら、二つでも三つでもお教え願えませんか。 小生はシナ語は軍隊用語が彼の大陸に蔓延したものと睨んでいます。が、盒飯一つしか知らないんです。「戦時中の用語」の本を買ったのでしたが、まるで出ていませんでした。 |
[4133] 慶字推奨命令 佐々木 | 2008/06/30(Mon) 11:49 [Reply] |
系統的に把握するには、地図地名ほかの仕組みを知らないと困難でしょう。 「藻塩焼」ひとつとっても、「塩焼」を大海人皇子の孫の塩焼王として考えると、「海人」が関わるのは当然とも言える。彼は志賀で処刑されるから、万葉集の「志賀の海」も納得できる。また橘奈良麻呂や藤原仲麻呂に振りまわれるから、万葉集の「藤」「奈」も納得できる。 「焼」を厄とすれば、「塩」で悪鬼をはらうとも言える。「藻」は喪とも言える。 こんな感じでよろしいか。生田さん。 |
[4132] なぁ〜る 華転換文字 生田淳一郎 | 2008/06/30(Mon) 10:53 [Reply] |
勿体ないが、佐々木さん……、有り難うございました。 そうしますと、笛が「ウ」? ここにもアナ漢字がありそうですね。朝鮮語はピョルでしたか。 いや、アナ漢より先に華字を拭う必要がありそうですね。なにせニ度に亘っての「慶字推奨命令」だったそうで。そんなの、系統的に掴めるのでしょうか? 今後とも生田流マンガチックスを宜しく願います。 |
[4131] Re[4129]: 生田さんへ 佐々木 | 2008/06/30(Mon) 10:02 [Reply] |
生兄さん 提督はもうやめんさい。 > 出雲では氷川、簸川、斐川の三種をつかいますね。 氷川は「ひかは」こちらは「火」の華字として「氷」に変えたと拝察。 火は赤色、氷は白または青紫、色的には氷の方が格上。氷は近代初期でも貴。 ほかは「ひいかは」漢字では伊(い)が入っておりました。 同列での比較は如何なものかと思案をば。 > それが一つだけですが、「臼井」で、出たと思っています。 うすいには雨水、薄井、碓井、碓氷、臼井、笛吹がありますね。 もともと雨水だったとして、それを好字変換すると臼井、碓井、華字変換すると笛吹、碓氷。 ただ「臼」は挽く砕く(百済)物です。「臼」地名には渡来系地名ありえます。 茶臼。。。ちなみに安土のセミナリヨは「出臼」地名です。 聞き覚えでありますが。 最近「ワンピース」という漫画を拝見おりますが、世界各地を海賊が冒険するお話のようですが、各地の言語がふんだんに扱われ、生田文書にあいづちを打っているところです。 |
[4130] 氷川神社は 高鼻町にある 生田淳一郎 | 2008/06/30(Mon) 07:41 [Reply] |
小生は浦和に住んでいます。ことばや地名から古代を掘りおこそうと意気がっています。 この「意気がる」は、沖縄にのこっている wikiga(男)でしょうね。 白村江の戦いに負けたあと、百済の要人 2000名が関東平野に入ブしました。 そのあとの 50年後、日本ではじめて自然銅が秩父の木毛から発見され、ここに「われわれの日本国を創るのだ」との機運が湧きかえり、奈良のルシャナ仏(大仏)建造でピークを迎えました。奈良地方と関東の広域領土に立つ大和政権が出現したので、脅威を感じた蝦夷勢力は 713年に馬 1000匹を大和朝廷に贈っています。 和銅は名ばかりのモノでしたが、この発見は当時の奈良近畿のガス抜きに利用され、大和政権の重要人物が次々と秩父や sait tama(吉兆の銅 ・ 埼玉)に派遣されています。秩父には今でも「国のウネ(大指導者)」という姓が見られます。 水で囲繞されたサキタマ古墳は、地方名としてのサイタマとは同一ではありません、古墳に祭られた貴人のタマ(魂)をサキ(「サキくます」か)するという意味です。 そういう意味合いからいって、合併によって出来かけていた「埼玉市」へ行田市の博物館を中心とした「知ったかぶり」の連中が、イチャモンつけたのは、たいへん残念なことでした。 行田市はもともと、成田といっていました。千葉の成田山と同じ動機によって「噴水」という意味で命名されたのです。今の行田市役所周辺には広い壕池がありますが、その水位でたどれば利根川から取りこんだ暗渠が発見されるはずです。 暗渠によって取り込まれた水路はシバ川(秩父と同じで、国づくりのシバ神)とよばれ、ともすれば渇水になりがちな広域平野での安定した稲作を保証しました。 そういう精神性の中核が氷川神社だったのでしょうか。 小生がお訴えしたいのは、この氷川神社が高鼻町にあるという事実です。タカは沖縄にみられるウタキの tak で、鼻とは「弓・矢」を懸け言葉したハナだと思います。 遺伝因子も立派に古代を語ります。ここには巨大な鼻を持った貴人が来ていたのでしょう。 千葉の成田山から、東北へ出て、桜川を越えた一帯に大きな鼻の遺伝因子がみられます。 さとみさん、地名などにご興味がおありでしたら 0120-941986 にお電話ください。 |
[4129] ひひひ・ヒヒ 生田淳一郎 | 2008/06/30(Mon) 06:32 [Reply] |
提督、嫌いな片仮名を二つ並べたをお許しあれ。 ちょうど氷川が出たところです。 出雲では氷川、簸川、斐川の三種をつかいますね。そして、この氷、簸、斐 は 「日、陽 」とは峻別された使用がなされているかと思えるのですが、漢字から斬り込むことはできないもんでしょうか。 伏せ字といいましたか、アナ漢字とよびましたか、古代人が使用する漢字にこめた アナグラムのことですが、なかなかいい例が出ずに行きなやんでいました。 それが一つだけですが、「臼井」で、出たと思っています。ここもお考えいただけませんか。 臼井、碓氷、碓井の字を宛てた地名、人名は全国に散在していますが、小生はまったく意味が掴めないでいました。そこへアイヌ語 *pek ネパール語 *phik から「碓井など」が出そうなんです。pek , phik に共通する意味は「明るい」です。 ところがアイヌ語の *pek には水が澄んだ、清らかなの意味が、別にあって、ネパール語の *phik には明るいのほか「色が薄い」という別の意味があるのです。 これには朝鮮語の hωkpak(黒白)など、ご参考に供することができそうな資料もありますが、専門的になりますので、このことは『紋次郎・言語考古学』で続けます。 |
[4128] 武蔵のこと とみた | 2008/06/29(Sun) 23:47 [Reply] |
さとみさんへ 私も現在は、千葉県ですが、一応関東に住んで時々埼玉にも出かけますのでわずかばかりのヒントを提供します、それほど神社に詳しくありません。 ヒント@ 武蔵氷川神社は、出雲と関係があります。 出雲の神原神社はたくさんの銅鐸や銅剣がでた、荒神谷や加茂岩倉の遺跡に近い大原郡にあります。 オオナムチの財宝が蓄えられた、昔は神財郡と呼ばれました。斐伊川という大きな河が近くにあります。その神原神社の由緒書によりますと、斐伊社を武蔵氷川神社に勧請するに当たって斐伊神社の神宝の十握剣(私注:ヤマタのオロチを切った剣と思います)を氷川神社の神霊の御霊代として奉献する。 その剣のコピーを、神原神社に置く。 出雲はご存知と思いますが、千家と北島家が相続争いをしています。 明治時代以降、千家は神奈川県知事など要職につきますが、氷川神社のキーマンでもあります。 因みに、神原神社の祭神は大国主、磐筒男命、と磐筒女命です。 筒はオリオン説があると思いますが ヒントA 埼玉のサキタマ古墳で稲荷山古墳が、辛亥年銘鉄剣で有名になりました。 埼玉大教授の原島礼二先生の研究があります。 普通は、471年説が有力で60年延ばした531年節も存在します。先生はオワケを阿倍氏の一族と見ておられます。 オワケは丈刀人です。つまり雄略天皇の近衛兵です。 身分が低いので、後には有名な阿倍氏を名乗るようです。 も一つは、壬生氏です。これは皇子の養育係の民です。これも武蔵にはいます。 千葉県にも入ります。 関西の難波から難波吉士が関東に向います。これも阿倍氏を名乗っているかも知れません。 ヒントB 日置氏は太陽祭祀か測量に関係がありそうです。 出雲の西部の神門郡には日置氏が欽明天皇の時に入ります。元々は大和の奈良県にいました。桜井市に阿倍引田という豪族がいます。これも阿倍氏とのつながりが見えます。 武蔵野比企は日置や引田と同じ一族でしょう。 ヒントC 日置氏は新撰姓氏録によれば高麗つまり高句麗の出身です。 神奈川県、大磯には高麗神社がありますし、東京には狛江もありますし、埼玉には高麗川があり高麗人がたくさん入植しています ヒントD 武蔵国の国造争いが545年に発生ーー吉士一族の同族争い。南武蔵の小杵(小熊?)が上毛野の応援を得て、北武蔵の笠原首使主が大和朝廷の応援を得て対決します。北の勝ち、大和朝廷は屯倉を置いて楔を入れることに成功します。小熊は壬生氏になります。 ヒントE 平安時代に、武蔵では、武蔵7党が争います。 丹治とか日下とか日奉とか、狛江・・などですが、丹は鉱物資源と関係があるのか?和同開珎の名がるように銅がでています。 これも地元の豪族か近畿から出て行った勢力かで判断がしかねます 私はご質問に連想したことです。自信がありません。でも何かに繫がるような気がします。 さとみさん、興味があることだけで、もうすでに半分は分かったも同然です。 何か武蔵で分かったら教えてください。私は下総については、同好の士と勉強するつもりです。 以上です、詳細は分かりません。いずれ私の研究課題にもなるでしょう。 |
[4127] Re[4122]: 大宮氷川神社群・秩父神社群について質問です。 佐々木 | 2008/06/29(Sun) 23:17 [Reply] |
さとみさん 氷川神社、中氷川神社、女氷川神社、調神社、宗像神社、久伊豆神社の6箇所を地図に落として、直線でつなぐと「鼓」の形になりませんか。 秩父神社群?も地図に落として確認すれば、「北斗七星」の形状がわかるのではないでしょうか。 天鳥船(あまとりふね)つまり鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)、宇気槽(うきふね)も併せて、どんなものか勉強してみては如何でしょう。 |
[4126] Re[4125][4124][4122]: 大宮氷川神社群・秩父神社群について質問です。 琉球松 | 2008/06/29(Sun) 22:58 [Reply] |
神社間を線で繋いで、船型(台形)になればいいじゃないでしょうか? |
[4125] Re[4124][4122]: 大宮氷川神社群・秩父神社群について質問です。 琉球松 | 2008/06/29(Sun) 22:13 [Reply] |
さとみさんへ 北斗七星は沖縄方言で「ニヌファブシ(北の方の星)」又は「フナブシ(船星)」と呼んでいます。 ですから「柄杓」の形ではなく「天鳥船」に見立てているようで、その"船"の右側(柄杓のとって部分)に鳥が居るとの想定かもしれません。 |
[4124] Re[4122]: 大宮氷川神社群・秩父神社群について質問です。 神奈備 | 2008/06/29(Sun) 18:15 [Reply] |
> 大宮を中心とする氷川神社群(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女氷川神社に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めたもの)はオリオン座の形、つまりカムド(神門)の形に並んでおり > 1・カムド(神門)の形に並んでいるとはどういう意味ですか? > 具体的にはどの神社が並んでいるかご存知でしょうか? 判りません。以下、神社の住所です。土地勘のある方、イメージして下さい。 調神社 埼玉県浦和市岸町 宗像神社 埼玉県大宮市新右ヱ門新田 等 越谷の久伊豆神社 埼玉県越谷市越ケ谷 等 > 2・北斗七星(=アメノトリフネ、ウケフネ)の形に並んでいる? > 具体的にはどの神社が並んでいるかもご存知でしょうか? 判りません。 > 3・誰の本や説の引用か、どなたかご存知でしょうか? 判りません。 文中に谷川とありますが、物部氏とのからみについては、谷川健一著『白鳥伝説』小学館文庫 にも触れられていますので参考にされたのでしょう。 > 初学者のため、皆目分かりません。 神社のことを昨日今日勉強始めたばかりでないのですが、私もわかりません。 さとみさん、投稿が二重になっているようですので、一つを消させていただきます。 |
[4123] Re[4121]: 大宮氷川神社群・秩父神社群についてお尋ねしたいのですが・・・ 佐々木 | 2008/06/29(Sun) 10:40 [Reply] |
さとみさん はじめまして 参考までに 火坂 雅志「魔界都市・京都の謎―封印された闇の歴史を暴く」 (PHP文庫) に氷川神社ではないですが、京都周辺や青森の神社について書かれているのがあります。 |
[4122] 大宮氷川神社群・秩父神社群について質問です。 さとみ | 2008/06/29(Sun) 07:15 [Reply] |
ウィキペディア(Wikipedia)の 「アラハバキ」の項目を見ると 以下「ウィキペディア」よりの引用・・・ またこの大宮を中心とする氷川神社群(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女氷川神社に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めたもの)はオリオン座の形、つまりカムド(神門)の形に並んでおり、脇を流れる荒川を天の川とすれば、ちょうど天を映した形になっている点は注目に値する。さらにこの氷川神社群は秩父神社群(北斗七星(=アメノトリフネ、ウケフネ)の形に並んでいる)と比企郡ときがわ町の萩日吉神社において一点で交わり一対一で対応していることは、あるいは(その測量技術の精度の高さもあることから)古代朝鮮道教との強いつながりを窺わせる。 引用終わり とあります。オリオン座の「三ツ星」というのは 神社が等間隔で並んいるので分かるのですが 1・カムド(神門)の形に並んでいるとはどういう意味ですか? 具体的にはどの神社が並んでいるかご存知でしょうか? 2・北斗七星(=アメノトリフネ、ウケフネ)の形に並んでいる? 具体的にはどの神社が並んでいるかもご存知でしょうか? 3・誰の本や説の引用か、どなたかご存知でしょうか? 初学者のため、皆目分かりません。 どなたかお詳しい方 ご教示いただければ嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。 |
[4121] 大宮氷川神社群・秩父神社群についてお尋ねしたいのですが・・・ さとみ | 2008/06/29(Sun) 07:14 [Reply] |
ウィキペディア(Wikipedia)の 「アラハバキ」の項目を見ると 以下「ウィキペディア」よりの引用・・・ またこの大宮を中心とする氷川神社群(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女氷川神社に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めたもの)はオリオン座の形、つまりカムド(神門)の形に並んでおり、脇を流れる荒川を天の川とすれば、ちょうど天を映した形になっている点は注目に値する。さらにこの氷川神社群は秩父神社群(北斗七星(=アメノトリフネ、ウケフネ)の形に並んでいる)と比企郡ときがわ町の萩日吉神社において一点で交わり一対一で対応していることは、あるいは(その測量技術の精度の高さもあることから)古代朝鮮道教との強いつながりを窺わせる。 引用終わり とあります。オリオン座の「三ツ星」というのは 神社が等間隔で並んいるので分かるのですが 1・カムド(神門)の形に並んでいるとはどういう意味ですか? 具体的にはどの神社が並んでいるかご存知でしょうか? 2・北斗七星(=アメノトリフネ、ウケフネ)の形に並んでいる? 具体的にはどの神社が並んでいるかもご存知でしょうか? 3・誰の本や説の引用か、どなたかご存知でしょうか? 初学者のため、皆目分かりません。 お詳しい方ご教示いただければ嬉しいです。 |
[4120] Re[4119][4118]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/29(Sun) 00:20 [Reply] |
藤原北家の左大臣、藤原魚名がちょっと出てきますが。その後は有名な藤原純友かな。伊予の方言の語尾は「ぞなもし」ですね。その程度。 |
[4119] Re[4118]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/28(Sat) 23:32 [Reply] |
佐々木高久さん、情報ありがとうございます。 「伊予」が「イヨ・イユ」であれば、琉球方言の「魚」ということになりが、ご当地の由来に魚は出てこないでしょうかね? |
[4118] Re: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/28(Sat) 22:46 [Reply] |
和名抄では伊予国浮穴郡は、宇城安名郡。琉球松さん流石。 ちなみに伊予国温泉郡は倭人伝で「をなさな」と読む。 土井中照著「町名から知る松山の姿」には、邪馬台国に敵対した狗奴国との関係として忽那諸島/浮穴/久米 地区が取り上げられていると。 久米も沖縄にありましたな。沖縄と愛媛は古くから友好関係だったのかなあ。 |
[4117] Re[4116][4114][4111][4090][4089][4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/28(Sat) 21:35 [Reply] |
訂正。。。 愛媛県松山の「浮穴」は(うけ)ではなく(ウケナ)でした。 |
[4116] Re[4114][4111][4090][4089][4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/28(Sat) 21:33 [Reply] |
愛媛県松山の「浮穴(うけ)」が「ウキアナ」に近い音であったことは明らかじゃないでしょうか。だからこそ「浮・穴」の字があてられたと思います。 そろと「連」なんですけど、神奈備さんも「臣」との対立時代?に関心を持っているように思えます。 天皇の系譜の中に、ポツンとほとんど「開化」だけが「連」になっています。この時代は"考霊の娘"の時代だと思いますね。神武あたりの「連」と直結するとは考えられないでしょうか? |
[4115] Re[4112]: 3人寄れば 佐々木高久 | 2008/06/28(Sat) 10:43 [Reply] |
まあ小生も勝手なことばかり論じているのでなんともはやですが。 > 自分に宿題を課す。でもストレスになるほど頑張るのは健康によくない。亀の歩みで、一歩一歩下調べを始めるわけです。 実際に活発にするには、やはりストレスに思わないほど好奇心を持続することと思います。本来負荷をかけないといい仕事はできない。他人のこころには響かない。 それは最近の番組出版物にも言えることです。 藤岡謙二郎先生は、わけのわからんことをよく講義で言われていたようですが、講義のコマ数も日本一、野外巡検(FHG)の主催もしばしばされましたが、徹底されたのは、全員が関わり易いテーマを提起する、わかりやすいことばで話すことだったと思います。QCですね。ひとりひとりは違っていて当然です。 サカ人は確かに興味深いが、皆が参加しづらい。 安寧大阪説・・・はよくわからないが、なんとなく親しめるテーマ。 そうゆうテーマを掲げることでしょうかねえ。智に走るとなんとかですか。 小生は、古代史も言語もまったくの「とうしろう」ですが、成果(汗)に敬意を表しながらも、自分ならどう考えるか、永遠に問答続けることでしょうか。 ただ楽しむことがまず一番でしょう。 青草でした。 |
[4114] Re[4111][4090][4089][4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/28(Sat) 09:42 [Reply] |
> 愛媛県にも「浮穴」地名があるようですから、これはやはり「連」から入ったほうがいいかもしれません? その「連」がよく理解できないのです。のろまだからですが。 愛媛の浮穴は「うけ」ですが、和名抄では郡の名称でもあります。 近くには安寧山昌福寺、正友神社(浮穴神社)には浮穴塚があって、神武天皇の中臣 大久米命神籬を樹て正友大神を斎奉り。その命の57世の裔従五位下藤原朝臣浮穴千継命社殿を造営して奉りし事を伝える。と 蛇足ですが、「うけ」読みですと、滋賀県守山市浮気町があります。守山駅前ですが 、結婚式場があります |
[4113] いないいない、バァ〜 生田淳一郎 | 2008/06/28(Sat) 07:55 [Reply] |
十年ぐらい前からでしたか、お隣の朝鮮では漢字排斥の機運が高まって、文字はハンギル文字だけにしようとしているそうです。 朝鮮語の中にくいこんでいる漢字のボリュームは圧倒的で、はた目には漢字を用いずに暮らしができるのだろうかと、心配するほどです。 圧倒的な漢字の洪水を跳ね返そうとする潜在力は、朝鮮語がはからずもこれまで保持してきたオノマトペア(擬音擬態語)を中心とした民族固有性だと思います。 英語をみても、法律、社会、経済、軍事、政府、医学、数学、自然科学などの、いわゆる高級概念にはラテン語をもってきたあと、かなり長い時間が経過しましたので、数万年にわたって培ってきた民族固有のオノマトペアが、総くずれに崩れて喪失しています。この傾向はサンスクリット語、シナ語でも同一コースを辿っているとみていいようです。 その点、ネパールでは固有の“お調子ことば”によって、暮らしの隅々まで、数万年の集積をもつ集合自我があるため、祖国愛にささえられた兵士は世界一に強いとの定評を得ています。 いま沖縄に求められているのは、方言総体から日本語、シナ語などを差し引く作業も大事ですが、いちばん求められているのはオノマトペアとか、唄にふくまれている囃しことばではないでしょうか。それらを中核とし、沖縄は心底から「怒ること」ができるようになれると、小生は信じます。 はなしぽんと飛びますが、朝鮮人は アイゴー・アイゴー(哀号)と唱えながら泣きます。これは純粋なオノマトペアとはいえないようです。 そこで標題の「いないいない、バァ〜」。 このバァ〜も、なにか純粋でないものを含んでいると置くところに進歩がある。 たまげ(魂消え)て飛び出す魂を悪魔が食べる……。先日からハア〜〜ックション、大笑い、びっくり、しゃっくりを俎上ののっけていますが、魂がふらつき出るのには、このほか恐怖や寝ぼけなどいろいろあるみたいです。ここで注目したいのが「気まよい」です。 いままで在ると、実在を信じていたのに、親しい人の顔がパッと消える。「なんだばァ?(弘前弁)」と気迷いを起しているところへ「バァ〜」とやるのですが、このバァ〜には「おまえの 魂は大丈夫か」みたいな意味がこめられていると、小生はおもう。 九州では、飲むのを途中でやめて、しばらく座を外してビールを飲んだときなどには「なんか、こんビールはバスが抜けちょるぞ」といいます。気が抜けちょるとをいうとです。 ネパール語 basi は「気のぬけた」という形容詞。 bas の s は主格をあらわす西洋語。 ヘンな言語学者にリードされ、ウチナンチュ−はバスの抜けたごつなっちょらせんやろか。 あ、亀山社中とか女中さんなどのチューは人びとという意味で、漢字辞典にはありもはん。このことは津山市在住の古文書につよいご仁が書いていました。 |
[4112] 3人寄れば とみた | 2008/06/28(Sat) 07:03 [Reply] |
三人になかなかなりませんね。二人寄ればではチョイと淋しいですね。 少し話題を変えましょう。 この前、人前でそれも100人の前で話す羽目になりました。 人前で話すとなると、いい加減なことも云えないし、勉強するわけです。 人様とは違った面白い話にするのに、苦労もしましたね。先人の話の二番煎じではいけないオリジナルなものを、取り上げるわけです。 でも、それが肥やしになりました。次のテーマを探しているんですよ。 自分に宿題を課す。でもストレスになるほど頑張るのは健康によくない。亀の歩みで、一歩一歩下調べを始めるわけです。先般の発表は第一ラウンドで、次は 第二ラウンドです。やはり基礎工事がしっかりしていませんので、ぐらぐらして駄目ですね。 継体、欽明、推古、天智、天武、桓武をもっと勉強しないと駄目だと漸く気が付いたところです。 |
[4111] Re[4090][4089][4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/28(Sat) 06:45 [Reply] |
愛媛県にも「浮穴」地名があるようですから、これはやはり「連」から入ったほうがいいかもしれません? 「ウキアナ」から連想するのは「ウキナハ(沖縄・浮縄)」。。。これはマジに考えてみたいと思います。北部九州(サガ等)や兄姫(愛媛)百襲姫は、弟姫(乙姫)の先行勢力ですね。 |
[4110] Re[4107]: 休息命(クソクミョウ) かっぽれ | 2008/06/28(Sat) 00:17 [Reply] |
ええと・・「生田さん=紋爺ぃさん」という理解でよろしいですか? ここしばらくは高みの見物のつもりでいたのですが、重大な誤解があるので一言アドバイス。 >そこで小生が提唱するのが 沖縄のアキサミヨ(びっくりした)です。アキサミオは 17世紀に張り出してきたギリシャの商人のことばを真似したものと思います。εκθαμβεωとは、普通のローマ字では ekthembeo: です。 まず生田さんがお使いのギリシャ語辞書についてお尋ねします。 それは「古典ギリシャ語」の辞書ではないですか? 実は「ギリシャ語辞書」の需要はほぼ100%「古典ギリシャ語」で、一般の書店で「現代ギリシャ語辞書」を 見かけることはないと思います。 「古典ギリシャ語」とは、紀元前8世紀のホメロスの「イリアス・オデッセィ」や、新約聖書に使われた古語 で、2000年以上前の化石的言語なのです。 そんな古語を17世紀の商人が使うわけがないでしょう。 嘘だと思われるなら、「現代ギリシャ語辞書」で確認してみてください。"εκθαμβεω"などという単語 はありません。 もしあったら、私は謝罪します。 |
[4109] Re[4105]: 3人寄れば 佐々木高久 | 2008/06/27(Fri) 23:57 [Reply] |
京阪くずは駅南あたりに、外島があって、そこに馬飼首荒籠らが居たようです。今はゴルフ場とマンションですが、淀川の中洲です。その南に樋上(ひのえ)があります。樋下はありません。その前は樋之江だったようです。 まさにヒノエウマです。ヒノエウマが淀川の水害から守っているような位置です。 樋之江の東に船橋(上足羽)の二宮神社があって、小字越の田があります。私はこちらを葛葉宮と考えています。船橋遺跡の発掘では、古代の津と建物跡が出ています。 ヒノエウマの話は出エジプト記にも見える様子です。 しかしシャーマンはたいへん調査し難い存在です。発掘の成果では、消去法的解釈で成り立っているように思いますが、新田次郎の新田義貞を見ていると、中世でも諏訪神社の旗次第で勝ち負けが決まっていたらしく、信仰の力はかなり影響力大だったのでしょう。新田さんは史実に忠実に書かれているので信憑性は高いと思います。 月族と月読はなにか関連があるのでしょうか。 最近は古事記の兎はだれなのか。鰐は和邇氏、真水とは、塩水とは、兎の毛とは、大国主とは思案中です。しかしすごい読書量です。 |
[4108] Re[4107]: 休息命(クソクミョウ) 琉球松 | 2008/06/27(Fri) 23:00 [Reply] |
生田淳一郎さん、こちらこそありがとうございます。 たぶん「アキサミヨー!」は、「ア〜、クサメマンミョー!」なんでしょうけども、これらの大和語の多くは、近畿の権現僧が持ち込んだんじゃないでしょうかね。 |
[4107] 休息命(クソクミョウ) 生田淳一郎 | 2008/06/27(Fri) 13:51 [Reply] |
琉球松さん、有り難うございます。 こうなったら最初から読んでいってやれぇと思って『沖縄の言葉と歴史』を読み始めましたら、琉球松さんのおっしゃるとおりのことが、 28ページ、すぐにみつかりました。 外間守善先生のおっしゃることは、なんでもかんでも邪険に扱おうとするのではありません。この先生には、われわれは大金を払って庇護してきたのですから、少しは役立つことを吸収しないことには割り損です。ワハハ。 ここには、「クシャミの語源は休息命(クソクミョウ)だ」とは明記されていませんが、どうもそれを暗示するような筆致ですね。 それにしても、前後の文脈をたどれば、「クシャミ、クサメなどが、別の発音だったところへ、この休息命(クソクミョウ)が入ってきてクシャミ、クサメなどという発音が定着した」みたいな表現です。ちょっとおかしいです。 ここには「クソクミョウでござる、シナ語でござる、そのまた先はインドでござる」みたいな権威主義が渦まいているようです。クソクミョウの K.S.K.M からは クシャミ、クサメは出ません。やはり、クシャミ、クサメはもっともっとの大昔からあったのではないでしょうか。 さきに na-ku-sa をみたときに、クシャミも驚きも大わらいも、びっくりも kusa でいいことを書きました。やはり、このへんに展開している「へんなこと」への偏執が一種の文化となっているのではないでしょうか。小生にはどうも、そう思えます。 まあ、無理でしょうが、ここはそう置かせてみてださい。 ところが、「そう置いてもいいよ」という許可を戴いた瞬間に「ではクシャミのミ」とは何ぞ?」が次の問題になります。さあ困った困った。 そこで小生が提唱するのが 沖縄のアキサミヨ(びっくりした)です。アキサミオは 17世紀に張り出してきたギリシャの商人のことばを真似したものと思います。εκθαμβεωとは、普通のローマ字では ekthembeo: です。そして b の前の m は助音ですから、これは ek thab が語幹で、thob とか thab は柱のことで、ここを衝いてゆくと、とんでもないことが出てきますが、今回はこれでおしまひ。 こんなのは、たしかにゴロ合わせの遊びです。しかし、こんな遊びこそが、なにかのときに大発見につながるのです。 |
[4106] Re[4092]: くさめ と アキサミヨ〜 琉球松 | 2008/06/27(Fri) 09:39 [Reply] |
生田淳一郎さんへ バラエティー番組で "くしゃみをしたら「クスクェー」と言わないとヤバイよ" と言ったのは山田優ですけど、これは沖縄諸島の感嘆詞「アキサミヨー」と共に、その語源を『徒然草』の「休息万命(くそくまんみょう)・休息命(くそくみょう)」に求める説が有力ですね。 沖縄島には、吉田兼好(天児屋根命の後裔)の子孫を名乗る一族もいて、以外な繋がりがあります。 |
[4105] 3人寄れば とみた | 2008/06/27(Fri) 09:20 [Reply] |
歴史の父、ヘロドトスが、紀元前数世紀前の現地調査をして語ったのが、スキタイ民の伝説の始まりです。 スキタイ人は、サカ人と同じと言うことが今では通説です。 中央アジアの遊牧民には、いろいろおりまして、例のアマゾネスという女性の軍隊がいますね。これを含むのがサルマタイ一族です。マサゲトというやはり女系の一族もいます。 スキタイ民はこれにやられて逃げ出します。 西の黒海周辺やカフカス(コーカサス)にも逃れます。 南に逃れたのがサカ人と呼ばれるようです。 サカ人やマサゲト人は、野牛を太陽の化身、天馬を太陽に捧げる聖獣、太陽のシンボルと見ていたようです。 ゾロアスター教はイランの北東の高原が発祥地とされています。現在のトルクメニスターンの南東部です。 モンゴル高原を本拠にする、匈奴は、日の出と月の出に王様はお拝りしていたそうです。 日の神、月の神、天の神、地の神です。 日の満ち欠けで、進軍か退却を判断する。 こんなところにも陰陽道の影がちらつきます。 チュルク=トルコ系の民やモンゴル人の移動式テント(ユルタ・パオ)の天井の窓は星太陽宇宙と繫がる細工物がついています。 中央アジアの草原には遊牧民がいて、紀元前9世紀頃に馬を御するハミを発明して、騎馬術をマスターして強くなりました。 青銅器もこのあたりで進化して、黄河が湾曲するオルドスは匈奴の本拠でした。そこにオルドス文化が栄え、遼寧に広がって遼寧式青銅器の剣が生まれ、これが朝鮮に伝わっています。生駒山の麓の小銅鐸はこの流れの代物と考えているわけです。3世紀の弥生集落のシャーマンが族長として使った。 今のウズベキスタンやキルギスやカザフスタンにたくさんの岩絵(ペトログリフ)が山奥にあります。 |
[4104] Re[4099]: 3人寄れば 佐々木高久 | 2008/06/26(Thu) 21:15 [Reply] |
> サカ人は、馬を犠牲にする太陽信仰です。 まさか「ひのえうま」と関係あるのではないでしょうか。 陰陽五行説では丙も午も火の性格を持つので、偶然の一致ではないと思うのだが。 牛の方角は、やや東よりの北。 磁北か真北のどちらか相当するならば、牛(の犠牲)と北斗極星信仰?と連携するように? |
[4103] Re[4102][4101][4099]: 3人寄れば 佐々木高久 | 2008/06/26(Thu) 19:57 [Reply] |
とみたさん > 古代史の学者や、日本画家は長命な人が多いので、私も期待しています。 そうですね。でも神話の松前さん、藤岡謙二郎は早かった。若いころは。。。。 > 遊牧民や騎馬民は馬が命です。岩絵が何千何万とあるんですが、そこには馬の犠牲の絵や太陽の絵が絵が描かれているものが相当数あります。 そうでした。この手の絵、法隆寺の天井裏にも「落書き」として書いてあって、時代は違いますが、当時の生活を暗示しているのでしょうね。 馬の犠牲は日常生活、太陽は職業? > 柱に馬を繋いで、その前には火を焚く祭壇があります。まるでゾロアスターの祭祀を思わせます。 これはどこかの神社の祭りで見た記憶があるが、思い出せない。諏訪???? > 柱には、上中下の部位が分かれ、上界は神が住み、中界には人が住み、外界は鬼が住みます。 法隆寺だったか、柱がなんとかかんとか、聞いた覚えがあります。 > 柱の頂には車輪などの太陽のシンボルを置きます。 インドの山車もそのような意味があるそうですね。全国の祇園祭の鉾にもそのような意味があるのかもしれません。あれは馬飼稚児?も登場します。最後鷺舞で占めます。鷺舞こそが本命らしいですが。鳥はシャーマンの象徴なのでしょうか。 > 地から柱を通り天や空に達するという見方もあります。 神も柱というのとよく似ています。この表現、出雲大社の幻の神殿を考えてしまいます。 > 殺牛儀礼と関わりがあるかどうかで、枚方の殺牛儀礼にも興味を持ったのです。 朝鮮半島では、牛も馬も同じ表現らしい(たしかに牛午は似ているが)ので、それが関わっているのか、当時馬よりも牛の方が民衆にとって重要な存在だったので生贄にしたのか。干支では牛は2番目、ネズミは子だくさんで縁起がいいのはわかるのですが。あの順番の真の意味が解き明かしてくれるのかもしれません。 かなりボケに、いい勉強になりました。ppk goodです。 |
[4102] Re[4101][4099]: 3人寄れば とみた | 2008/06/26(Thu) 18:20 [Reply] |
佐々木さん > 老や呆は、につかわない。 古代史を夢見ながら、ppk(ピンピンコロリ)で往生を願っています。 あの世のご先祖様には、古代に生きた人も、居ましょうから、古代を知っていると話が合います。(冗談) 古代史の学者や、日本画家は長命な人が多いので、私も期待しています。 > > サカ人は、馬を犠牲にする太陽信仰です。 > 馬を犠牲にするのはなぜでしょうか。単なる遊牧の民なのか、それまでは豊かだったが、何かの理由で、タンパク源や水に乏しい地域の民なったのか。 遊牧民や騎馬民は馬が命です。岩絵が何千何万とあるんですが、そこには馬の犠牲の絵や太陽の絵が絵が描かれているものが相当数あります。 柱に馬を繋いで、その前には火を焚く祭壇があります。まるでゾロアスターの祭祀を思わせます。 柱には、上中下の部位が分かれ、上界は神が住み、中界には人が住み、外界は鬼が住みます。 柱の頂には車輪などの太陽のシンボルを置きます。 地から柱を通り天や空に達するという見方もあります。 この風景は、インドのアーリア人の聖典のリグベーダの中の光景です。馬祀祭というのがインドにはあります。 殺牛儀礼と関わりがあるかどうかで、枚方の殺牛儀礼にも興味を持ったのです。 > 長野の佐久でも馬を食す習慣があります。そのせいか佐久あたりでは、コミュ二ティーごとに馬頭観音群をしばしば見かけます。 > サカ人は馬頭観音信仰と関係ありやなしや? > 日本でも旱魃時には牛馬の血を飲んでしのいでいました。 旱魃の時に、殺牛儀礼で雨乞いはしています。 長野は、馬が有名ですが、これは河内から入ったのか、高句麗から日本海を経て直接長野に入ったかが興味の対象です。 > > 積石塚木槨墓が墓制です。 > 山城八幡のヒル塚は、このタイプに近かったと思います。阿波の天石門別八倉比売神社の中の墳墓も近いような感じです。山城町の椿井大塚山もそうだったかな? > サカつながりでは、京都には嵯峨野、京田辺には佐牙神社、酒屋神社、枚方阪には片埜神社があります。 モンゴル高原には積石塚があります。 サカ人も、たとえば、天山山脈の北路には丸太棒で囲んだ積石塚があります。これはサカ人か匈奴の墓とされています。新羅でも積石木槨墓はかなりあります。 日本では纏向のホケノ山古墳、そのルーツとされる阿波の萩原古墳に小型の石囲みの木槨墓があり有名です。 長野の山梨にも相当数の積石塚があります。これが上記の高句麗経由の馬飼いがもたらしたかどうかが、問題です。高句麗の古墳には、積石塚が多いのです。 ですから、モンゴルー高句麗/新羅ー日本の民族移動が謎になっています。 森浩一先生は、継体天皇も高句麗と関わりがあるのではと思われているフシがあります。では馬飼の首の荒籠はどこからきて、継体を樟葉に案内したかです。 サカ人は中国では塞人と書きます。ペルシャ語でサカイだそうです。ギリシャ語でスキタイですね。 京都の太秦はよく大僻神社などでユダヤとのつながりが言われますが。これとサカは関係がないと考えています。 > トカラと聞くと、とんとんとんからりんの隣組を思い出します。単なる樺太のさかしま読みと長く思っていました。青草でした。 これは全く承知していません。 > > |
[4101] Re[4099]: 3人寄れば 佐々木高久 | 2008/06/26(Thu) 15:10 [Reply] |
とみたさん とみたさんには老や呆は、につかわない。 冗談はさておきまして。 > サカ人は、馬を犠牲にする太陽信仰です。 馬を犠牲にするのはなぜでしょうか。単なる遊牧の民なのか、それまでは豊かだったが、何かの理由で、タンパク源や水に乏しい地域の民なったのか。 長野の佐久でも馬を食す習慣があります。そのせいか佐久あたりでは、コミュ二ティーごとに馬頭観音群をしばしば見かけます。 サカ人は馬頭観音信仰と関係ありやなしや? 日本でも旱魃時には牛馬の血を飲んでしのいでいました。 > 積石塚木槨墓が墓制です。 山城八幡のヒル塚は、このタイプに近かったと思います。阿波の天石門別八倉比売神社の中の墳墓も近いような感じです。山城町の椿井大塚山もそうだったかな? サカつながりでは、京都には嵯峨野、京田辺には佐牙神社、酒屋神社、枚方阪には片埜神社があります。 トカラと聞くと、とんとんとんからりんの隣組を思い出します。単なる樺太のさかしま読みと長く思っていました。青草でした。 |
[4100] 自分のこの(その)目で 生田淳一郎 | 2008/06/26(Thu) 15:05 [Reply] |
トカラ語のことです。 言語対比の手法は、いろんな事情によって、本居宣長の段階から一歩も進んではいません。 発音には少しの、概念にはかなりの巾がある。 その「発音と概念」の双方に類似したものがないか。ここを自分のこの(その)目で確認したほうが早い。 『紋次郎・言語考古学』にもすこし書きました。 |
[4090] Re[4089][4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 神奈備 | 2008/06/25(Wed) 16:30 [Reply] |
> 青草補強でした。 ありがとうございます。 大和葛上から河内大県への移動説は説得性が高いかも。 > ゆえに降水量の増加によって内水災害が多発し、柏原に宮を移した。それ以前にも湿地を埋め立てて宮を作ったところもあるとは思うが、安定した土地ではなかった。 浮穴とは何か?についてMADOKAさんは子宮ではないかとのご託宣。これは三輪の大神神社、石園坐多虫玉神社、二上山麓の長尾神社が、それぞれ巨大な龍の頭、腹、尻尾と見なされるとの古い伝承があり、腹にあたる石園坐多虫玉神社はかっては龍宮と呼ばれていたことなどからの発想と思われます。宮には生殖器の意味があり、宮刑とは男が一番おそれる刑罰。 『肥前国風土記』彼杵郡に浮穴郷がありますが、ここには土蜘蛛の浮穴沫媛がいました。媛であり沫であるのが上記の発想を裏付けているようにも感じます。 また、浮穴、いかにも水位が上がってきて、宮殿が水に浮くような雰囲気も漂います。 河内国神別の浮穴連の祖は、移受牟受比命 またその五世孫 弟意孫連 とはいったいどう読むのか、ヤスムムスビのミコト? 何者なのか、ここいらが鍵なのかも。 |
[4089] Re[4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/25(Wed) 11:58 [Reply] |
ちょっと補強か? 日鷹吉士・・・日高吉士(従来どおり) 堅磐固・・・カタイワ国(←固)?・・・・おおかた(堅い磐が固いから)国・・・大県郡、余談ですがサカ語ではカタイワは固いの意味。 安銭・・・安宿郡の人、または安堂の人で銭? 磯城・・・現在のJR志紀駅南の地名 磯城津・・・琉球神歌のヤヲ(八尾木?)の港、ウワ(老原?)の港、場所的には長瀬川の右岸左岸 河俣・・・現在のJR志紀駅東に二俣地名・・・丁度旧大和川が二俣に分かれる、河俣 河俣毘売は、安寧の母の名(古事記) 青草補強でした。 |
[4088] Re[4087][4085]: NO = 神 と置いてみる 佐々木高久 | 2008/06/25(Wed) 10:04 [Reply] |
とみたさん 横から失礼します。サカ人のことは、半世紀前ほどまえ聞いたことがありましたが、なかなか面白いですね。紀記などの当て漢字の見え隠れする法則性?とサカ語が似ているような感覚を受けますし、サカ語起源かと思わせる地名が南九州阿波遠州で散見されます。また酒人や酒屋連、彦坐王も関連して登場します。今後の展開に期待致します。 |
[4087] Re[4085]: NO = 神 と置いてみる とみた | 2008/06/25(Wed) 05:32 [Reply] |
> 日本は広大な江南に屯していた倭蛋民を一般大衆とし、そこへネパール文化をもった人びとが指導し、共に海> 地名の乗鞍、中乗の li はチベット語の山でもあります。利尻島は山の島です。 > 「 No = 神」という語彙を持った氏族は、「倭蛋民+ネパール語系」がやってくる以前の人びとのことばだったみたい。出雲にあれば更にすんなりするのですが……。 生田さん、青草コーナーで少しやりましょう。 言葉の研究の素養が、私にないので、お付き合いできませんでした。倭人=江南の和蛋民つまり水上生活者+ネパール人の指導者と言う、生田さんの作業仮説を言葉から立証されていたのですね。 これなら、納得です。 私のサカ人の研究とも重なります。 縷々お話ししましょう。 弥生人は江南由来の蛋民は、よく言われております。日本に渡る稲作の道でも肯定できます。近著では、稲作渡来民、日本人成立の謎に迫る。稲作の学者である、京大の池橋宏さんが講談社選書メチエで今年著されました。 四川と長江文明 古賀登さんの著書(東方出版)でも正に、これがテーマです。 海幸彦も江南の蛋民です。 百越といって、いろいろな越人がいますが、要は楚に紀元前334年に敗れた越人は船で逃げれたのが百越としています。前漢武帝にもやられますし、船が得意ですから何度でも海に逃れれば済み海に暮らすわけです。 指導者はネパール人説は、難問です。 こちらは、南アジア史,辛島昇編 山川出版社に原語と民族のことが少し書かれています。南アジアで話せれる言語には、5つの系統がある。 インド・アーリア系、イラン系、ドラビダ系、オーストロ・アジア系、チベット・ビルマ系の現です。 インド・アーリヤ語語族が紀元前1500年ぐらい前に、中央アジアの草原地帯から侵入するわけでこれがイラン人やインド人のルーツです。 その亜流がサカ人なんです。 ネパール人は何処に位置するかが問題です。 長くなりますので、この辺で・・・民族の移動と言う観点で漸く生田さんとの接点が見つかります。 |
[4086] Re[4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/24(Tue) 23:26 [Reply] |
「玉手」は、弟姫が浦島子に授けたとされる「タマテ箱」じゃないですかね。 安寧は「連」系ですから、開化時代とも重なります。 神武もそうですけど、何かトリックがあるんじゃないでしょうか? |
[4085] NO = 神 と置いてみる 生田淳一郎 | 2008/06/24(Tue) 06:15 [Reply] |
ここで思考の対象とするのは、端的にいえば熊野の“野”のことです。 小生は、クマノのクマは、いまのところソグド語 Xuma(慰め)と置いています。 身内に先立たれ、とり残された人びとが、蟻の行列のように連なって熊野詣りをしました、その後、おなじ四国の吉野川に沿って、巡礼の行脚が発生しています。 吉野川の「よし」とは i - os で、神社です。kawa とは、ka(の) wa(人)にも通じる懸け言葉でもあります。 神社といっても、初期の神社は、のし被さってくるような屋根をもった、建築物を中心としたような神社ではありません。山頂ちかくの岩の群やわき水そのものが、神であり、神社だったようです。 日本は広大な江南に屯していた倭蛋民を一般大衆とし、そこへネパール文化をもった人びとが指導し、共に海をこえて、この日本列島の筑紫にやってきた……、を基本に据えて考えてみたら、あちこちがすんなりします。 神・人・場所という概念は相互にいれ替わります。 で、ネパール語に「 No = 神」があるはずですが、小生のみたかぎり、その用例はたった一つで、しかも、「 No =人」として顕われています。 かりに、『 No =神」が地名などの上から言えたとしても、それはネパール語発ではないと思われます。この痕跡をわずかにとどめるのは、アイヌ語の nonno(万歳・花)や、日本幼児語のノノ様(月)、同じく日本の祈りのことば(ノーノ−ノー)ぐらいしか見当たりません。 古代でつかわれている mi は「尊身」と置いてみれば、あちこちで整合性がえられます。アイヌの始祖神オキクルミ末尾の mi もそうです。 そこへノミのスクネや、飯塚市周辺の野見山姓が浮上します。乃美という地名は広島市中心部からの西南にありますので、もしかしたら百済を通じて定着した用語だったのかもしれません。 こうみてくると、再びアイヌ語の inon(祈る)が光彩を放って生きてくるようです。 地名の乗鞍、中乗の li はチベット語の山でもあります。利尻島は山の島です。 「 No = 神」という語彙を持った氏族は、「倭蛋民+ネパール語系」がやってくる以前の人びとのことばだったみたい。出雲にあれば更にすんなりするのですが……。 |
[4084] Re[4083][4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/21(Sat) 20:14 [Reply] |
> 河内国大県郡に宮を置いていたとする説の補強。 安寧期前後に降水量が増加した(千田稔さんの奈良盆地の花粉分析学的研究)。 奈良盆地は、大和川が唯一の排水集約河川で、三郷町と柏原市間の「亀の瀬地すべり」によって大和川がせき止められ、浸水する(内水災害)ことがしばしば発生している。 亀の瀬地すべりは最古の活動が3万年前であるらしい。それ以降はしばしば動いている。また奈良盆地の表層は、ほとんどが3万年前以降泥炭層ばかりで、概ね湿地帯である(西田史朗さん)。 たとえば平城宮の第1次大極殿も湿地に一部基礎があり、その基礎を忠実に復元すると回廊が傾いてしまう。 ゆえに降水量の増加によって内水災害が多発し、柏原に宮を移した。それ以前にも湿地を埋め立てて宮を作ったところもあるとは思うが、安定した土地ではなかった。 補強になるのだろうか? |
[4083] Re[4073][4072][4071][4069]: 宮 in 難波 神奈備 | 2008/06/21(Sat) 18:10 [Reply] |
> 安寧天皇は第三代の天皇。 河内国大県郡に宮を置いていたとする説の補強。 安寧天皇は磯城津彦玉手看天皇と云います。 玉手地名は柏原市に玉手村があり、昔の安宿郡にあたります。 玉手古墳群は4世紀半ばのもの。 磯城はお隣が志紀郡。 |
[4082] ポ レ ポ レ 生田淳一郎 | 2008/06/21(Sat) 15:48 [Reply] |
祖形を絞りきれずにいますが *d-r 、*t-l (眠る)。英語 dream 。トロイメライ とは何のことでしたか、隠語なら知ってるが。フィリピン・タがログ語 matlog(眠る)。 「ああ。そうだったんですか」は沖縄方言で「アンエタン」。この語でアイヌ語にある包合構造が発見されました。 20年前、栃木県大田原市のおじさんが、停年退職記念に北海道北端から沖縄まで一人歩きしました。その紀行を『ポレポレ一人旅』にまとめて出版しました。polepole はスワヒリ語で「ゆっくり」。 |
[4081] Re[4080][4079][4078][4076] 佐々木高久 | 2008/06/21(Sat) 15:42 [Reply] |
おそらくゴカイのようなものだと思いますが。ラテン語で、それに近い学名の無脊椎動物が居れば、FIXできるでしょう。 泥は、基本的に静かな(ないだ)海にしか堆積しないので、理屈はあっているのです。 |
[4080] Re[4079][4078][4076] かっぽれ | 2008/06/21(Sat) 14:55 [Reply] |
あ、そうだったんですか! ありがとうございます。骨がなくて泥の中に潜っている、という空想上の虫。 なんだか、人間の先祖であることになったナメクジウオを彷彿とさせますね。 |
[4079] Re[4078][4076][4075][4074][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/21(Sat) 11:59 [Reply] |
> これは面白いですね。以前から「泥のように眠る」のイメージが掴めなかったのが、これで納得しました。 この「泥」は、中国の空想上の虫のことで、水から離れると塊のようになってしまうことから「泥酔」が出てきたそうです。 泥粒子は、基本的には生物のフン死骸などが主要成分なのでいいのですが。 泥のように眠るの双璧として足が棒になるもありますね。かっぽれのぽれがポルトガル語調でいいです。 |
[4078] Re[4076][4075][4074][4071][4069]: 宮 in 難波 かっぽれ | 2008/06/21(Sat) 11:17 [Reply] |
> それから、琉球方言で言う「ドロ・ドゥル」は穏やかな状態(凪など)の表現で「泥」とは関係ないんですよ。 これは面白いですね。以前から「泥のように眠る」のイメージが掴めなかったのが、これで納得しました。 サンスクリットにはdhira(iが長音)という単語があり、意味は「静かな、不活性な」。 ヨガの瞑想状態の表現なんかにも使われると思います。 これがヒンディー語やネパール語に下ると語尾のaが落ちて、dhirという形に崩れるのは、法則どおりの変化です。 |
[4077] Re[4076][4075][4074][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/21(Sat) 09:02 [Reply] |
琉球松さん > それから、琉球方言で言う「ドロ・ドゥル」は穏やかな状態(凪など)の表現で 名護教授の論文は、漢字はひらがなにもどして読まないといけないわけですね。ありがとうございました。ヤシロやヤヲが方言で別にある可能性は?どうなのでしょう。穏やかな海なら内湖ですね。那覇なら、マン湖になるのかな。 |
[4076] Re[4075][4074][4071][4069]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/21(Sat) 00:07 [Reply] |
佐々木高久さんへ 「八尾」がいつ頃の地名かはまだ断定する必要はないと考えますが、記録にないのはツライですね。 また、「ヤシロ」は現在の京都府山城でしょうけども、神歌の中では「ヤマト(桜井市&天理市)」を強調?するための対語として機能しています。 それから、琉球方言で言う「ドロ・ドゥル」は穏やかな状態(凪など)の表現で「泥」とは関係ないんですよ。 |
[4075] Re[4074][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/20(Fri) 23:51 [Reply] |
琉球松さん 八尾地名の成立が平安後期、広く普及したのは戦国なので、ヤヲとヤウの解釈には少々困っています。またヤシロはヤマシロと国の名前で、ちょっとバランスが悪いのです。 泥海は、有明海のような干満の激しい内湖(ラグーン)だろうから、河内湖でよいのですが。 |
[4074] Re[4071][4069]: 宮 in 難波 琉球松 | 2008/06/20(Fri) 22:50 [Reply] |
沖縄島北部の神歌では、沖縄の女達が大和で曲玉を買う(請?)ために寄ったのが「ヤヲのミナト」と歌われていて、しかもその付近は「ナギのウミ」となっています。 近畿地方で曲玉が手に入るは古墳時代以前、あるいは飛鳥時代以降の曲玉を持っているだけで逮捕されるような時代であっても、石神神宮との特別な関係があれば可能かもしれません。 |
[4073] Re[4072][4071][4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/20(Fri) 22:48 [Reply] |
> 「柯陀之波」 「柯」はカと読むとして、「陀」は推古遺文でダ、「之」は金石文と大宝二年戸籍帳でシ、「波」は推古遺文でハ、古事記ではバとなっている。カダシバかカタシハのどちらかですが、カは古事記では可が代表されるので、木扁が特に意味をもつのだろうか。樫志波??、堅磯歯??これは適当な当て字です。 安寧天皇の安に注目すると、柏原市には安堂町があり、石神社のあるだろう太平寺二丁目のとなりである。また太平寺二丁目には知識寺跡がある。何かつながるのだろうか。 |
[4072] Re[4071][4069]: 宮 in 難波 神奈備 | 2008/06/20(Fri) 22:04 [Reply] |
> 『雄略紀』に、堅磐の文字があるが、これを「柯陀之波」と訓している。 「柯陀之波」(カタシハ)は日鷹吉士堅磐固安銭に出てくるのですが、これが一人の名前なのか二人分なのか、よくわからないと『岩波文庫』は注に書いています。 『地名辞書』に「堅磐これを「柯陀之波」(カタシハ)となるので、石上神と相因む者に似たり。」とあるのは意味はよく分かりませんが、延喜式大県郡に石神社があり、今堅下村大字太平寺にあるとしています。 そう云えば、大和の浮穴の近くに葛上郡に石園坐多虫玉神社[イハソノノ・・」とよく似た神社が鎮座しています。 |
[4071] Re[4069]: 宮 in 難波 佐々木高久 | 2008/06/20(Fri) 20:36 [Reply] |
あったかどうかはわからないが、先の名護博教授の「琉球神歌」の論文を見ていると、弥生時代後期には、玉串川の流域に上、下?の港があったように解釈することができます。生駒断層の関係で、東大阪の地盤は東に傾動しているので、東の玉串川の方が深いはず。だから港としては良好と考える。上は東大阪の上之島または堅上、下は堅下でなかろうか。堅下の地盤は比較的よいので、宮位置としてはよいと思う。 場所は神奈備さんの先の分析を参考にすると神社となるので、鐸比古鐸比賣神社になるのでしょうか。ある前提で、考古学的資料を積み上げるしかないでしょう。 なお河内平野の古地理図は、最近松田順一郎さん(東大阪市鴻池資料館?)がまとめられています。しかし、これは吹田砂堆が無視されている点が問題です。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/qr/QA/answer/ans008.html まず青草話でした。 |
[4070] 堅塩をとりつづしろい 生田淳一郎 | 2008/06/20(Fri) 19:22 [Reply] |
小生にとって、古代語 uk , ok は最も向こう側 にある最大の難しい語根です。 だが「浮穴」の紹介で、この ana がアンニョン(朝鮮発音 ; 文字は安寧)であろうことが急浮上しました。 万葉集、貧窮問答の「とりつづしろう」は、少しづつ事をやることだそうです。 これを *dudu sir(汁) -au と置いてみると、赤ん坊がすこしづつ喉に音たてて乳を呑む様子を彷佛させているようです。ネパール語で。 |
[4069] 宮 in 難波 神奈備 | 2008/06/20(Fri) 18:39 [Reply] |
吉田東悟『地名辞書』(中河内郡)によれば、安寧天皇の片鹽浮穴宮とは河内国大県郡の堅鹽のことである。現に姓氏録に河内国神別に浮穴直の名が記載されている。『雄略紀』に、堅磐の文字があるが、これを「柯陀之波」と訓している。 同書(北葛城郡)には、浮穴と云う地名を取り上げています。三倉堂村を近年(明治33年が初版)改称した。これは『大和志書記通証』に、「安寧天皇片鹽浮穴宮は三倉堂の地なり」とあるのによっての改称としています。片鹽は河内国大県郡であることは『古事記伝』(本居宣長)の之を論じているとあります。 安寧天皇は第三代の天皇です。欠史時代の天皇で、前後の天皇の宮や本人の墓は大和とされており、河内説は面白いのですが、さて、どうなんでしょう。 |
[4068] Re[4067]: 共通語 佐々木高久 | 2008/06/20(Fri) 10:42 [Reply] |
琉球松さん お気づき頂きありがとうございました。やはりそうでしたか。面白い先生ですね。暇を見て勉強させていただきます。原文で神歌は読んだ方がいいような感じがはっと致しました。 「りゅうきゅうまつ」もいいですね。なかなかの格好のいい松です。また面白い話があれば、教えて下さいませ。 |
[4067] 共通語 琉球松 | 2008/06/20(Fri) 07:47 [Reply] |
僕が言うのもなんなんですが。。。 玄松子さんご指摘のとおり、言葉が通じるともっと面白くなるでしょうね。 これは、神奈備さんに対する礼儀でもあると思いますよ。 佐々木高久さんへ 師匠(名護博教授)の記事の紹介ありがとうございます。 奄美沖縄の「神歌」からは色んな事が推測できます。旧暦2月頃に奄美大島にやってきた神々(アマミコ=アマテラス=卑弥呼?)は、以後沖縄諸島で仕事を終え、旧暦8月頃には再び奄美諸島経由で北へ帰るわけです。 |
[4066] Re[4064]: かっ pala 玄松子 | 2008/06/18(Wed) 11:09 [Reply] |
> おたがいが敷きこんでいる前提を整理しなければならない。その前提とは、宗教、集団形成、科学的認識、経済という大項目ぞろいです。 であれば、少なくとも表現(投稿・説明)する言葉は、共通のものを使用しておいた方が良いと思います。 > アマカネはやめようか。でもみごとな言葉だと思えるんだがなあ。まちがえて出したときゃアマカネ。 では「アマカネ」という名前に・・・ |
[4065] Re[4063][4060][4059][4046]: 玄松子 | 2008/06/18(Wed) 11:02 [Reply] |
> まぎらわしいので、これからは「かっぽれ」にします。 > 素人⇒アマチュア⇒甘茶⇒かっぽれ 「かっぽれ」ですか。 かっぽれさんの投稿は「読みやすく書こう」という意志・意図がうかがわれますし 実際に読みやすいので助かります。これからも投稿期待しています。 |
[4064] かっ pala 焼尻紋次郎 | 2008/06/18(Wed) 06:47 [Reply] |
かっぽれさん、俺、つっ走ってみたのです。 これまで、重要(だと思える)用語が、いつまでたっても、ここの掲示板に出てこないし、お隣ではふつうの想念では「白幡あげてる」書き込みもあったので、なんらかの参考にならぬものかとの、善意の発動でつっ走ってみたような次第でした。べつに「鬼のいない間の洗濯」ではなかったんです。 8年ほどまえ、俺が風呂に入っているちょっとの時間に、書き込みしなかったとき「なんで応答しないのか」と、叱られたことがありました。蛾母 なんとかして pala は残しておきたいなあ。 「かっpala 」さんに矣(強調)がついたら……あ、いけねぇ。 玄どん、理屈はあとで、生活感状というやつが、まず、正面に立たにゃならんと俺惟ふ。 I.T.掲示板における学問の座……、ここに共通諒解がえられるまでには、あっしらはみ〜んな死んでるよ。 おたがいが敷きこんでいる前提を整理しなければならない。その前提とは、宗教、集団形成、科学的認識、経済という大項目ぞろいです。 価値観面でのお力ぞえを am ……ああ、これもいけねぇ。 アマカネはやめようか。でもみごとな言葉だと思えるんだがなあ。まちがえて出したときゃアマカネ。 |
[4063] Re[4060][4059][4046]: 素人 改め かっぽれ | 2008/06/17(Tue) 22:38 [Reply] |
> 素人さん、ハンドルネーム変えませんか。 そうですね。 まぎらわしいので、これからは「かっぽれ」にします。 素人⇒アマチュア⇒甘茶⇒かっぽれ |
[4062] 紋さんこれおもしろいです 佐々木高久 | 2008/06/17(Tue) 20:49 [Reply] |
右のpdfをクリックすれば、琉球松さんはご存じだろうが。 http://ci.nii.ac.jp/naid/110004087017/ |
[4061] 紋さんわかりません、 佐々木高久 | 2008/06/17(Tue) 19:37 [Reply] |
さっぱりわかりませんね。 八木は、たぶん有メーなCDMA1のことかな。 携帯電話の音声技術に利用されていますね。 紋さん、まあこの関東平野でも見て楽しんでくださいな。 http://www.kubota.co.jp/urban/pdf/11/index.html |
[4060] Re[4059][4046]: 玄松子 | 2008/06/17(Tue) 19:07 [Reply] |
別件ですが。 素人さん、ハンドルネーム変えませんか。 紋爺ぃさん、標準語で書きませんか。 「紋次郎・言語考古学」での船乗りさんへのコメント、 > それでは、讀むほうがのっけから、ノック・アウトのパンチをくらうのです。 そういうことです。 で、その船乗りさんはワープさんでヤスダさんのような気がしますが、違いますかね。 |
[4059] Re[4046]: 素人 | 2008/06/17(Tue) 18:46 [Reply] |
紋爺ぃさん、こんな大量の研究成果を、いっぺんに出されても誰もついていけませんよ。 「いっちょいっちょ」とか「焦らずに」と言われていたのが、一体どうしたんですか? 私も仕事持つ身、暇を見つけて書いているのに、「すぐに応答しないから消去してもらう」とは。 とにかく、こちらはマイペースしかなく、こうなったらキーポイントだけ拾ってコメントします。 中でも「ネパール語は日本語の指導言語だった」という「断定」は大いに気になるところ。 >とまれ、この tol , gau , bhed , sakha の四つがいえることによって、原始日本語はネパール語を指導言語にしていた……が、言えるとの断定がゆるされましょう。 まず"gau"。これを日本語の「郷」とどう関連づけられるか考えてみます。「郷」が初めて歴史に登場するのは 霊亀1年(715)に施行された「郷里制」。そのころ盛んに空海などの遣唐使が唐の情報を持ち込んでいたが、 それまでの「国・郡・里」の「里」を、唐の「郷里制」に真似て「郷」と改名、読み方も「さと」だったという。 このプロセス中に、ネパール語の「指導」が入ったとすれば、どの辺になると思われますか? tolは「町(ちょう)」と似ているということでしょうかね。確かに平安時代に「町」という区画単位はあったようです。 ところが、当時は「まち」と呼ばれていたそうで、「ちょう」と音読みするのは武家社会になってから。 いや、いちいち逆らうつもりはないのですが、「ネパール語が日本語の指導言語だったと断定してよいか?」と 尋ねられれば、そう簡単ではないと言わざるを得ませんね。 これを言っておかないと、また「応答しないから異議がないんだろう」などと書かれかねないので(笑) さて、問題一つ片付けるのに私はこれくらい時間がかかりますが、紋爺ぃさんはどうぞ先に進んでください。 |
[4058] 小普請 = むやく 焼尻紋次郎 | 2008/06/17(Tue) 18:14 [Reply] |
閣下、二つのことをお教えあまかね。 勝海舟の親っさんは 勝 左衛門太郎、通称・小吉で通っていました。 それが、正規役職名は小普請で、その役職は「むやく」といわれました。 -ta というは、語り終わったときの強調辞 ですた。この「ですた」に漢字の矣が続けば「たい」ですたい。 どうして小普請なる語がでたのか、それが「むやく」といわれた根拠は奈辺にありや。 かい臨丸でアメリカに渡った勝海舟は、そこで電信を見て、大坂〜江戸にテレグラムを引こうと幕閣に申しでています。当時の電線の値段はどれくらい高かかったのでしょうか。 苦渋のミッドウェー……、そこに至るまでのアンポンタンの介入。 八木アンテナの社長の無線にかかわる発明は、時の海軍アンポンタレ石頭が、理解できないままに、採用しなかったといわれています。 八木アンテナ社長がいうアイディア・メカは、当時のアメ公のそれよりも進んでいたそうです。 How do you feel about this ? |
[4057] ア マ カ ネか 佐々木高久 | 2008/06/17(Tue) 16:14 [Reply] |
モニ族 アボリジニ。挨拶は、ムヤクタと覚えたものでした。 ○○カネは新潟の上越ことば。アとマは日本語では、ま大体最初に使う文字で、カネは最後ね。総理の答弁は、あ・・・ま・・・かね。 デウンで大熊に、デウムで賛美歌にたどり着き、デウスが見えました。 |
[4056] ア マ カ ネ 焼尻紋次郎 | 2008/06/17(Tue) 15:13 [Reply] |
閣下アマカネ。そういえば閣下にはまだ申し上げてなかったです。 アマカネとはニューギニア高地石器時代人の挨拶、イミシンにして至便です。 国際化だ国際化だという割りには、NHK リードで、謙譲語だの尊敬語だのを社会人に再教育してるようです。身分の上下などに関わるいいまわしがこれほど発達しているのは、日本語が一番ではないでしょうか? これじゃあ、外国人が日本語をおぼえるときには、大きな障碍になります。 アマカネは本多勝一さんのレポートで知りましたが、おはようも、さいならも、気をつけてもみんなアマカネの一語で済ませますのでアマカネ。 俺、甘栗太郎さんを尊敬して、甘栗次郎になって、天津甘栗の販売に関しては日本一になってやろうと志したんです。そしたら、そのとたんに足がしびれちゃった。 栗焼きもんたさんにアマカネ。 閣下には「評価基準が生じる心理メカ」、すなわち価値観メカについてお導きたまわりたいがなあと、内心、冀っています。 せめて、理屈の上だけでも戦争を根絶やしに。ご同意アマカネ。 |
[4055] 地名・人名の内意 追加 焼尻紋次郎 | 2008/06/17(Tue) 13:50 [Reply] |
《 加茂 》 シナ ・ 朝鮮語 蓮(の花の) mo(くに) シナ語の蓮は ka(荷)。 《 榎本 》 e (格上の) mo(小地域)の to(人) 《 若宮 》 若水とり。元気の根源なる水 《 百済 》 ku(いいこと) dar(いっぱい) 《 嘗め 》 ベトナム語 nam(年)。年中行事でも大きいのが大嘗め祭。-ai , -e は強調末尾辞 《 壱岐 》 ek , ik(1)、一番最初にとっつく島 《 宇佐 》 むさ(武士)の音転で、 m 音が落ちた語形だと思える。 musa はむさくるしい。 《 茨城 》 bala(皇子)たちの○○する ki(地帯)。 《 月讀み 》 英語の moon のうごきを見て、chuk(吉兆)の日を yom(計算する) i(ひと) 《 寝屋川》 ne(大地を……這い回る) 枝川 《 加茂 》 シナ ・ 朝鮮語 蓮(の花の) mo(くに) シナ語の蓮は ka(荷)。 《 榎本 》 e (格上の) mo(小地域)の to(人) 《 若宮 》 若水とり。元気の根源なる水 《 百済 》 ku(いいこと) dar(いっぱい) 《 嘗め 》 ベトナム語 nam(年)。年中行事でも大きいのが大嘗め祭。-ai , -e は強調末尾辞 《 壱岐 》 ek , ik(1)、一番最初にとっつく島 《 宇佐 》 むさ(武士)の音転で、 m 音が落ちた語形だと思える。 musa はむさくるしい。 《 茨城 》 bala(皇子)たちの○○する ki(地帯)。 《 月讀み 》 英語の moon のうごきを見て、chuk(吉兆)の日を yom(計算する) i(ひと) 《 寝屋川 》 ne(大地を……這い回る) 枝川 以上は神奈備掲示板にだしましたので、ここにもういちど掲出します。 更にさらに、まだまだあるんやでぇ 《 葵紋 》 日本からアイヌ語に転がりこんだ ahunki(扇)の k が脱落。 《 網 》 原意原音 am(漁業) i (もの) 《 阿波 》 上と同根、同義。安房の房は b 音を匂わせている。これ m の濁音。 《 辰 》 N ; dhatu = 龍 《 熊襲 》 同族連合のシンボルにクマル神を置く。so はその神域。代々やるから襲。熊本。 《 相模 》 sagar(天・海)mi(神)、陸地のことなど、ややこしいことは考えない。 《 駿河 》 インドネシア語 suruga(天国)。 《 菅原 》 N ; suggar(きれいなこと、清潔)の wara(子供 ・ 末裔) 《 鹿児 》 kag(ひかり < 鴉) 《 天草 》 am(漁業)の草(民) 《鎌倉 》 xam(へび)の kura(座) 《 政所 》 N ; man(いうことをきく) 《 秩父 》 tutu(破壊)と *ub(産) 破壊と創造 国生み、シバの精神。朝鮮語 i と u の通音 《 平群 》 K ; ha(太陽)、グループ(アイヌ語 ; -guru……人) 《 大伴 》 王の tongmo(友)、伽衆。 《 采女 》 une(大指導者)の me(女) 《 有馬 》 インド人は朱を塗る、眉間上方の第三の目(ほんとにあるんでっせ!) 《 按司 》 沖縄の支配者。N ; adhin(支配)。 《 舎人 》 御殿(と)での ne(指導者)に仕える li(人) 《 黒姫 》 黒い(石を窯焼きする)一つ目(金属精錬士) 《 愛宕 》 ata(火) go(神…… God)。 《 浪速 》 na(流水……引き潮などが) niwa(急激)な土地。 《 束稲 》 (神がその眷属などを) 日本古語 ; tabasu(お下しになる)山、平泉にある。 長くなったので、またね |
[4054] ご指導願う 佐々木高久 | 2008/06/17(Tue) 12:17 [Reply] |
>出雲をデウン。日向をヒコウ、ヒムカイ。海人をカイジン。八幡をヤマンで。 点訳辞書があれば、ちょっとトライしたいが。 出雲 デウン デウム デウス 神へ ヒムカイ ヒンカイ 頻海・浜櫂へ 日向は、大体日が出る方向にあるから違うでしょう。 ヤハタ 矢旗 武家棟梁の象徴 カイジン 貝尽・外人 アカマネとはアカウントマネジャーの略ですか。 貴言語考古学研究所は、大組織ですな。天晴れ。 知己で、筆名:焼栗もんた(90歳後半ぐらい)がいますた。 |
[4053] 欣求、その解釈 焼尻紋次郎 | 2008/06/17(Tue) 11:36 [Reply] |
> 出雲をデウン(デウスではない)。日向をヒコウ、ヒムカイ。海人をカイジン。八幡をヤマンで ★ 小生、それらは考えたこともないので、ぜひ、その音にそっての意味づけをみせてください。 ダダダダッと並べましたが、俺、「これっきゃない」と固執してはいません。 日本列島がうけたシナ音、シナ文化の嵐は絶大でした。 それゆえにこそ、紋ちゃんは頑張ってるんであります。 秩父方面にはデウシさんがいらっしゃいます。あ〜〜、こんなこと書くと pala にーにどんから叱られるのかな? hik-au も古代的、ネパール的ですね。phik(明るい)au(する)。 船乗りさんとつきあっているとき、いつのまにか焼尻紋次郎になってました。あちこちの関係さん、ごめんね。 |
[4052] 概ね良好 佐々木高久 | 2008/06/17(Tue) 09:26 [Reply] |
これは常に人名地名辞典の冒頭に出てきて有名です。出雲をデウン(デウスではない)。日向をヒコウ、ヒムカイ。海人をカイジン。八幡をヤマンで再検討如何でしょうか。 |
[4051] つっ走ってみます 焼尻紋次郎 | 2008/06/17(Tue) 07:03 [Reply] |
pala ニーニさんのコメントがないので、以下の書き込みは神奈備どんに頼んで後日、削除されることになるのかもしれません。 神奈備掲示板をみるたびに「名前そのものが、その氏族の基本的な成り立ちを喋っているのになあ」との小生の想念は根づよいです。もちろん、当ってない解釈ばかりでしょうが、一読の価値これあらむや。 ここでは 20前後の地名、氏族名を順不同に挙げますが、これらは小生にて引き続いてキー打ちし、いずれそのうちアイウエオ順に整理し、「辞書」としてお目に入れることができましょう。 《 記号 》 A ; アイヌ語、T ; タガログ語 Tz ; タジク語 J ; 日本語、 K ; 朝鮮語 N ; ネパール語 《対馬 》 対になっている二つの島 《 伊豆 》 魚 《 出雲 》 魚の mo(くに) 《 鹿島 》 海難よけの神 < Tz 《 物部 》 門に立つ男 《 石上 》 西洋系の is 神 伊勢と同根 《 タマフリ 》 ハ〜ックションなどして、遊離した霊魂を再び身体へ押し込む(英語 full)術 《 海人 》 *am(漁)、第二子音濁化のクセで ab(朝鮮語、漁) 開音で ama 《 竹内 》 形容詞後置形 nouchi(国)の dakhal(侵入・攻撃)、ヤマト・タケルも 《 日置 》 新羅初代王 ヒョッコセ(侵入・攻撃)。<フィンランド、スオミ語 《 八幡 》 形容詞後置形 旗、秦の神 《 秦氏 》 はたた神、雷 ベトナム語 sin(雷)参照 《 山城 》 多くの氏族が jama(集っている) siro(地帯) 《 春日 》 Tz ; kas(人 ・ 貴人)、ghar(家 ・ 家がら) 《 藤原 》 *puja(尊敬、礼拝)……日本にもバラモン階級を創ろうとした。 《 中臣 》 ナカツオミの急言。N ; nak(場所)・ 国(国の使用が一般的になる直前の国) 《 中津 》 葦を内包させ、国営の湊。 《 日向 》 hir(宗教、軍事の指導者)による救済、その場所。 《 阿蘇 》 馬( asp ) o(神) 馬見(筑豊、奈良)山参照。 《 和泉 》 朝鮮語にも似たイズミの語があるため、文字で区別した。 《 天児屋根 》 (心霊を) 呼び寄せる(ko) ta(人びと)の ne(指導者) |
[4050] Re[4049]: jal(網)衆 佐々木高久 | 2008/06/16(Mon) 12:11 [Reply] |
紙の抄紙機でヤンキー式(大きな、網、引っ張る?)が、糸の種類にヤーン(網に使う糸?)があるす。 http://rlang.lib.u-ryukyu.ac.jp/rlang/amm/syll.php?area=AM&keys=%A5%E4&pg=4 賀茂神社かも。 |
[4049] jal(網)衆 紋爺ぃ | 2008/06/16(Mon) 11:36 [Reply] |
ヤンシュ−=網衆は、いちおうは言えると思いますよ。jal(網)は、かなり広がっています。アイヌ語 ja(網)ネパール語 jal(網、蜘蛛の巣)。 でもチュ−(人)というのが、狭い地域での方言だと思ってはいけません。 ネパール語 bektigat(個人的な), bekti tw(個人、人)があります。*bek は日本語の別々でしょうね。 奄美(?)のヤンチュ−は「家人」にぴったしなんですけど……。 網などを「引き上げる」も、アイヌ語で yanke いいますだ。 |
[4048] ハナまつり 紋爺ぃ | 2008/06/16(Mon) 11:15 [Reply] |
裸にしてみたら男だった。きのふの笑点。(大月出身のだんな) 蛾歯歯 ハナ祭りは春日大社だったでしたか。 このハナとかハナタリのハナは、フィリピン・タがログ語の ba na(弓・矢)だと思えます。 神社は武器庫。 花の精をもらう、頭にかざす(うず)もありましょうが、小生には、ハナは戦乱の時代にできた言葉だと、思えてしょうがありもはん。 葵の紋はどこの神社だったか、お教えアマカネ。 |
[4047] 阿波木頭村のヤンシュー 佐々木高久 | 2008/06/16(Mon) 10:51 [Reply] |
ヤンもシューともに英語のsirに相当する、人名につく敬語だった。養鼠、ヤンキー。 網衆(やんしゅう):網衆とは、主にニシン漁に携わる石狩浜の漁師を指しているようです。 |
[4046] 部 と サカ 紋爺ぃ | 2008/06/16(Mon) 10:47 [Reply] |
われらが乗っているトロッコは走り始めたのではないでしょうか。 走り始めたら、途中で割り込んで、何ベンも同じことを記入する隙間がないと見込めますので、ここに基本語彙としての部とサカ、その他重要な音転法則を掲げたいと思います。 さきに、日本の tol(区、町)、gau(郷、むら)がネパール語発であることを申し上げましたので、みなしゃんは驚きの目で承知して戴けたことと思います。 pala ニーニどん、梵語でのフォロー、たのんまっせ! その tol , gau に追い討ちをかけるのが bhed(ちがい、区別、階級)と sakha(部分)です。bhed が日本で部(べ)になったいきさつは直感でおわかり頂けるかと思います。アイヌ語でも -p . -tp , -be などの類似語尾があります。しかし、このアイヌ語の接尾辞は、同根は同根でしょうが、流入のルートがちがっていることを小生は直感します。 sakha は「枝も栄える」を連想させますが、これもネパール語の sakar-(茂る)ですので、八坂神社の八坂はこっちのほうでしょう。sakhar は「政府」にも採用され、美作などにもなっています(四国にもミマサカがあります)。 とまれ、この tol , gau , bhed , sakha の四つがいえることによって、原始日本語はネパール語を指導言語にしていた……が、言えるとの断定がゆるされましょう。 《 √ i ○○ V の造語 》 ネパール語 dhatu(金属)が伊達になる過程については、何ベンも説明しました。「○○なる行為をする(こと)」という意味です。伊丹は tama(銅)が、まだ開音(母音づけ)されない状態のときに i tama i(場所)だったにちがいありません。 斉(イ)は、時として「ユ」になりますが、この法則がはたらいたのかもしれません。 《 開音(母音づけ)化 》 多くの原始日本語の語彙は、開音(母音づけ)化される以前に入ってきているようです。 語彙の末尾は、子音だらけの状態だったのです。それを日本語でも、よその言語でも(ほとんどの場合は -a ですが)、母音をつけて収まっています。上の伊丹などはその好例です。 《 第二子音濁化のクセ 》 語彙中の子音の前に母音・子音があったとき、その二三番目の子音は濁化しやすい。このとき m は b に、n は g に、r が d となるので要注意。 《 mal(物、回) ・ may (枚、前)》「いっちょまえ」のところで叙べたばかりです。日本語には l , r を y にする頑固なクセがあります。 《 語彙の中間の r , l は消え易い 》例 ; 俺共 ・ おいどん。 《 語彙中の r 、l 音は n に」なったり、促音化し易い 》例 ; 俺がやるからナ ・ おっがやっかんな(関東) 《 語彙中の k , m も消え易い 》例 ; うれしき ・ うれしい。 《 濁音化、促音化は強調形 》 《 d の前の n は意味のない助音 》 例 ; kanda = karta(指揮者) なお、日本語は紀記編纂時に長音、撥音、促音、拗音、濁音が削り取られるなど大幅な捏造をうけています。 |
[4045] け け け 貝を買って来い 佐々木高久 | 2008/06/16(Mon) 09:32 [Reply] |
宮崎は小林から似てますね。しかし大隈は違いますでしょう。 女人部、女穴部・・・まちがいでして、男(陰芽)しかし。。。 豊後風土記にウサツヒメ(宇沙都比売)の祖にハナタリ(鼻垂)一族の女人部族長とされるハヤツヒメ(速津姫)という人がいるのですね。 長崎のいんなべかんむりとはどげんな意味ですか。 インカ帝国の木の皮のお茶、イペー茶なら知っているが。 「兼八」で、マタグーグルが対応できない漢字を入れたか、キカイが反抗期か。 女乗せぬ戦舟。。。。。 |
[4044] さつまの けけけ 紋爺ぃ | 2008/06/16(Mon) 07:27 [Reply] |
さつまでのけけけはわかりもはんが、おきゃーまのけけけは「ここに来い」。 上野の西郷どんの銅像除幕式のとき、嫁さんが叫んだ感嘆詞はおわかりになりませんか。 「あっちゃまぁ、こげな顔じゃありもはんど」とは云わなかったでしょうか。 あっちゃまぁ は、豊後ではいいます。 ネパール語 acamma(おどろき)。 ついでに、沖縄 ; アキサミヨ / εκθαμβεω(ギリシャ語、驚く。エクサムベオー)。 宮崎方面は、南半分ぐらいが薩摩と同一だとみていいのでしょうか。 宮崎のおごじょから毛じらみ貰った友人がいました。 ああ、50年も前のこと、時効やなあ。 |
[4043] あな かしこ 紋爺ぃ | 2008/06/16(Mon) 06:38 [Reply] |
周辺をさらりと撫でて、モノの二面評価を訴えたつもりでしたが、さぁすがぁ〜、my palaニーニさん、みごとな漢字(感じ……sensitivity )。 いまは三十六形・離の段階だと思っていましたが、われわれに課せられた使命は重い。 ここ三、四日、アナ漢字としてのテーマを探していたのですが、なかなか良いのが出ません。 そこへ、やっぱり、奄美の女人部、女穴部です。 やっぱ、このへんから潜りこみますか! 閣下、奄美の女人部、女穴部はほんとうに言えるのですか? 教えてもらったサイトは音が出るのが特徴で、方言ではなくって標準語ばかりのようです。これ、あっしのキー叩きの未熟に起因する判断でしょうか? 奄美の女人部、女穴部は「女 ・ 舟」の連結で、タガログ語をひっぱってきていると思えます。アイヌ語 onna(内部)。英語 inner 。 そうすると、インベの一派に船乗りさんが加わる正当性がでる。 折しも、わが卓越した『紋次郎・言語考古学』に船乗りさんが現われ、おととい「ヤンチュ−(家人……奴隷?)を書き込まれました。これにより、これまで判らなかったヤンシュ−(北海道漁場への出稼ぎ若衆)の座位が決まり、アイヌの自称 ; enciw(この文字表現は村山七郎教授に倣う)にも安定した地平を提供します。 そこで、手をかざして神奈備掲示板を眺むれば、いやもう椀坂椀坂、中臣・春日・榎本・八幡・寝屋川・石清水・若宮 etc etc がめじろ押しです。やっぱ、これで……やっか! それにしても、「ああ、あほらし」が、まだ共通諒解をえていません。 あれは、日本国とか百済国という概念がまだ固まってない時間帯での王族であって、かりに末裔の方が朝鮮なる概念でもってひけ目を感じられるにしても、ここを云えばすぐに諒解していただける筋合いです。 いまから先、中臣・春日・榎本・八幡・寝屋川・石清水・若宮 etc etc が椀坂椀坂出てきますが、その末裔の人びとの名誉ということに関して、palaニーニどん、基準をお示しくださらないでしょうか。 兼八焼酎……送らせようと Google しましたが、やっぱ分りませんでした。 |
[4042] Re[4039]: くちへんでした 素人 | 2008/06/15(Sun) 22:54 [Reply] |
> ★ ○×の法則の、一側面。 > ミノモンタさんは、「戦後に日本復興のために一所懸命になって働いた人びとの医療制度を改悪するのはケシカラン」といきまく。が、今のヂヂババは、てめぇの儲けのことばかりにうつつをぬかし、年とったらゲートボールとか旅行にうつつぬかしている連中ばあじゃんか。日本をダメにしたは、今のヂヂババじゃんか。 えーと、これは儒教思想が日本に及ぼした影響についての感想のようですが、違いますか? 私は、この書き込みの意図が曲解されないように(もたらした結果の評価は別問題)と書いておいたはずですがね。 もっと前向きにいきましょうよ。 幸いネパール語は私の守備範囲なので、これからも紋爺ぃさんと有意義な議論を重ねるのを楽しみにしています。 |
[4041] Re[4040]: インナべ 佐々木高久 | 2008/06/15(Sun) 22:51 [Reply] |
伊奈部、猪名部、稲部、斎部、斎辺。 奄美は場所によってかなり違うことを今知りました。私は竜郷、笠利しか覚えとらんとです。 福岡は甘木、久留米、大牟田には、よく行きやした。 ご生誕の飯塚にはまだですたい。 豊後方言ではhttp://blogs.yahoo.co.jp/miya_xx/folder/1481102.html?m=l&p=1 紋さんの方言は見つからんと。 さつまのケケケってわかりますね。 |
[4040] インナべ 佐々木高久 | 2008/06/15(Sun) 10:53 [Reply] |
奄美的に書くと、女人部または女穴部。アジア風だと、印南部でしょうかね。 みのもんたは、カタカナにすると見づらいね。正式は御納紋太でしたか。 豊後は、中世に西洋文化とバテレンの普及率が高かった地域ですな。 理科系、音楽好きですか。 謦咳に接すれば、かぜなら伝染。60、70はハナタレ小僧。 謦咳とはしゃがれた声の感じで、春日イッコウというのが居りましたな。 |
[4039] くちへんでした 紋爺ぃ | 2008/06/15(Sun) 10:08 [Reply] |
あっしの単語登録には「けいがい」で、三種の漢字がありやす。 漢字オンチ、数字オンチ、メカ・オンチに、英語オンチまではご披露におよびましたが、これに、まだ音符オンチがあります。 音符オンチでの展開は、まだ閣下にはあからさまにはしていませんが、マンジューが乗っかってるイントネーション(八重山〜薩摩〜長崎〜津軽〜江戸)連合を浮上させ、秋葉原殺人魔までつながります。乞うご期待です。 ★ ○×の法則の、一側面。 ミノモンタさんは、「戦後に日本復興のために一所懸命になって働いた人びとの医療制度を改悪するのはケシカラン」といきまく。が、今のヂヂババは、てめぇの儲けのことばかりにうつつをぬかし、年とったらゲートボールとか旅行にうつつぬかしている連中ばあじゃんか。日本をダメにしたは、今のヂヂババじゃんか。 ★ 意外性がない(風が吹かぬ)ところにはモノを言う必要が発生しない。 オレには 35年間ハナシをしなかった親友がいます。 沖縄に入院したとき死ぬかもしれんので、呼び寄せたら飛んできました。 ★ 豊後の中心地……。豊前は naka(くに……中)津ですよね。 玖珠町の郷土史家、森○泰△先生によれば、豊後の方言は阿蘇や中津方面と濃厚につながっているので中央部はなかなか掴めないとのことです。 しかし、あっしに言わせれば、「水をかい出す」を「ばちくり出す」、「さでくり出す」という地方だと思います。ここには耶馬渓も含まれます。超がつく異質性が中央? ★ ヒミルコは、オレ、冒険家と書きましたが、もう少し素性をハッキリさせたがいいと思います。BC 300年ごろ、イタリア方面の人物です。ヒミコなどの「モノ造り」に、側面資料を提供するかと。 ★ ヒルコ ・ アナ漢字でした。謦該のインチキをポンと見破る閣下の慧眼、光るべし。 なかなか適当な漢字が出ませんね。日本列島内部で捏ねあげた漢字がおもしろいのですが。 これ漢字ではないですが、先日神奈備で岩戸隠れに出るインナベさんがありました。岩戸隠れなんざはウソですから、そこに担ぎだされたインナベさんは、いっぱいいる姓となる。そうすると、やっぱ、斉部が適当となるのかな? |
[4038] Re[4035] 素人 | 2008/06/15(Sun) 01:28 [Reply] |
> 接した謦該には、発言の一つひとつに、てらい、ごまかし、勇み足の弁解 etc がついてまわるので、一つひとつに個の決断の資料となりえた。活字……というのかなあ、文字はまったく決断にはイザナわんよ。 そりゃまあ、会って話できればそれに越したことはないでしょう。しかし、孔子の教えは文字でのみしか 伝わらなかったのに、それが日本の歴史に与えた影響は大でありますね(もたらした結果の評価は別問題)。 孔子を目標にするのは僭越としても、せっかく活字でのコミュニケーションの場が開かれているのですから、 その可能性を追求するのが得策と思いますよ。 現在の話者が500人以下というウイルタ語の語彙が、先日のサイトにより居ながらにして調べられると いうのも、顔も知らないロシアの言語研究者のおかげですからね。紋爺ぃさんがお使いの外国語辞書も 各国の言語学者の汗の結晶ではないですか。 少しは彼らを評価してやっても、別にバチは当たらないと思いますよ。 |
[4037] 謦咳に接する 佐々木高久 | 2008/06/14(Sat) 20:52 [Reply] |
謦該に接するでなくて、謦咳に接するのが普通だが、口を言にするところなど気が利いている。しかしこんな言葉使う人間は、なかなかいない。啐啄も。 ところで豊後弁とは、どのあたりが中心ですか。 奄美徳之島では、100年たって、いっちょまえ。そのたびに墓掘りも大変だ。 |
[4036] Re[4035]: 理科系 独身・孤独 音楽好き 佐々木高久 | 2008/06/14(Sat) 19:25 [Reply] |
面白い御仁じゃ。ようわかってるよ。点訳読者には至難の業ということよ。 音楽とは宝生流かいの。おーいひるこはどげんした。 |
[4035] 理科系 独身・孤独 音楽好き 紋爺ぃ | 2008/06/14(Sat) 18:53 [Reply] |
> 批判的精神大いに結構です。ただ文字だけの無機的な情報発信です。それがお解かりであればよいのです。 ★ 「謦該に接する」の意味、あっしほど解ってるご仁は、めったにゃいやせんぜ。意識も数理的に並べ換えられるんですよ。このパソコン文字みたくに。 接した謦該には、発言の一つひとつに、てらい、ごまかし、勇み足の弁解 etc がついてまわるので、一つひとつに個の決断の資料となりえた。活字……というのかなあ、文字はまったく決断にはイザナわんよ。 江戸中期あたりやろか、子弟は少ない情報ながら、イッショケンメイに師匠を選んだ。 |
[4034] のらくろ 佐々木高久 | 2008/06/14(Sat) 17:36 [Reply] |
提督は辞めて、予備役さんでどうですか。 > 意識的にネットの欠点を探したんじゃないのです。 よくわかっております。紋さんの文章はかなり読ましていただいた。各方言やらカタカナ小文字が混雑していて読み辛い限りですが。 便利はいいことですが、かしこにもあほうになる近道でもあります。 > ハミダシ者はついついハミダシたこと考える紋です。 批判的精神大いに結構です。ただ文字だけの無機的な情報発信です。それがお解かりであればよいのです。 よく名前を変えるのが、最近は流行のようです。 ペルシャの塩は地名が先か、後かが争点でしょう。 |
[4033] なまくら 紋爺ぃ | 2008/06/14(Sat) 16:52 [Reply] |
提督閣下、意識的にネットの欠点を探したんじゃないのです。先々、じぶんがどれくらい習熟できるかの不安に駆られたあげくのこってす。 そういえば、4年前と較べたら、引用サイトを付記する掲示板書き込みが目立ちます。考え方に基準枠の締め付けができたのかなあ。 こういうこと考えたらイカンっちゅうこってすよね。ハミダシ者はついついハミダシたこと考える紋です。おゆるしを。 ★ namak 末尾の ak は何らかの接尾辞みたい。原意原音は nam とみたはヒガ目か。 ★ ナマル……鉛、訛り、剣のなまくら。mal(モノ)にならんということかな? ナマクラは na mal kura のつもりですが、kura にはいまのところ「物語り」の意味しか見出せません。 kura = モノゴト の意味がどっかにあるはず。 ★ 閣下は盛岡周辺にお住まいですか? 橋の上から天然ヤマメが釣れる県庁所在地。 |
[4032] Re[4029]: ブラックソルト 素人 | 2008/06/14(Sat) 14:04 [Reply] |
蛇足: >テヘランの南にナマル湖(Daryachen-ye Namak)がありました。これは塩湖でしょう。 namakはどう読んでも「ナマク」ですよね。ところが日本では普通「ナマル湖」になってます。 別にペルシア語に「語尾のKはRやLと発音する」というルールもなさそう。 ということは、「なまくこ」じゃ発音しにくいので、「ナマル湖」にしたんでしょうね。 |
[4031] Re[4029]: ブラックソルト 素人 | 2008/06/14(Sat) 12:44 [Reply] |
> テヘランの南にナマル湖(Daryachen-ye Namak)がありました。これは塩湖でしょう。 紋爺ぃさん、この塩湖の位置、名前の意味や衛星写真なども簡単に調べられる時代になりました。 http://wikimapia.org/1406437/ ネットは活用すれば便利この上ないものですね。わざわざ欠点をあげつらう必要もないのでは? |
[4030] 恵みのきわみ 紋爺ぃ | 2008/06/14(Sat) 11:36 [Reply] |
ご両所、有り難うございます。 もう一回、オレの中学校のときの校歌 ; √ ・♪ 山川も寄りて教ゆる 学び舎に若やぐこころ ・♪ 詳しい歌詞はわすれましたが、このあとに「ひとの世の恵みのきわみ」がありました。 もういっぺん、有り難うございます。 中学生に戻ったつもりで 73の手習い。ボケと目んくり玉の狭間。 でも、ここまでパソコンのこと知らぬオッサンがいたとは驚きだったでしょう。 18年、かたわやってたら、その途中に庶民文化の I T が入ってきたとですよ。しかもムスコが「これ」と言って持ってきたのが、小数派のマッキントッシュ種。だあれも教えるひとがオランウータンでした。 I T 庶民文化の前は『ふだん記』を十年やっちょりました。むかし、ちょと流行った自分史の草分けは、このふだん記だったんです。 ★ するってぇと、サイト全部をお互いが知っていることが前提とされてきますので、これから先の将来は、オレが見落としたタジク語の∫or(塩)みたいな不心得は、あってはならないことになって、発言がとても窮屈なものとならへんやろか? そして、書き込みの内容は、身辺雑事のふだん記みたいなものと、発想とかアイディアの相互交換ということになるのかなぁ。 ★ おとといから、漢字にくわしい「船乗りさん」が『紋次郎・言語考古学』に御光来いただいています。そこで、人造言語についての小生の存念を書きました。ご覧いただければアマカネ。 ★ 伍長……ウウン、ゴチョゴチョぬかすので、ま、そんなとこですか。 ★ 盛岡のオカは朝鮮語のオキャ(みたいな発音の“肩”・ 岡)からだろうと思います。 チャグチャグにはひとモンチャクこれあれど、やっぱ、いちおうは鈴の音。アイヌは轡の音をチャンチャンとききました。 ★ 干しナマコは、保存がきいたのでしょうか。かなりの交易品だったらしいですね。 兼八公園でいっぱいやっか。 |
[4029] ブラックソルト 佐々木高久 | 2008/06/14(Sat) 09:26 [Reply] |
インドのスパイスにブラックソルト(Kala Namak) がありました。テヘランの南にナマル湖(Daryachen-ye Namak)がありました。これは塩湖でしょう。 盛岡は、ざわざわゆれて怖かった。塩にも結構いろいろな色があるのですね。http://www1.ocn.ne.jp/~iizuraya/sekainoshio.html |
[4028] ナマコ 佐々木高久 | 2008/06/13(Fri) 19:33 [Reply] |
何と「なまこ」の「このわたの塩」というのがあるそうですが。天日乾燥させて塩として食っていたのかな。 韓国はヨン様、関東は紋さま。 ちゃらんぽらんはペルシャ語とは今まで知らんやった。 インドネシアでは、ナマネ アパ とよく聞かれたぞなもし。 それではスリマカス。 幾多の 苦(句)難を乗り越え 見える法則 いと美しき |
[4027] Re[4026] 素人 | 2008/06/13(Fri) 19:12 [Reply] |
すみません、自己レスです。 サイトの紹介は、やはり正面玄関をしなければ失礼でしたね。こちらからどうぞ。 改めて《データベース》 http://starling.rinet.ru/cgi-bin/main.cgi?root=config&morpho=0 |
[4025] 無題 紋爺ぃ | 2008/06/13(Fri) 18:09 [Reply] |
> 知っておられるかと思うが、このサイトの左側の検索の上にところに適当な文字を入れて、検索するのです。 ★ ゲゲゲ ゲ〜ッ ちいともシランかっといてん。 やってみます。新しい世界の出発でんねん!! |
[4024] なまこは塩ふって炙って食べる? 紋爺ぃ | 2008/06/13(Fri) 18:04 [Reply] |
タジク語で“蛙”を捕まえてやろうと、朝からケッケムクリ(豊後弁 ; いっしょけんめい)になってましたら、蛙は見当たらなかったのでしたが、塩シリーズで重大な見落としをしていることに気がつきました。 タジク語というよかペルシャ語なんですが、塩は namak 。ところがタジク語に ∫or(塩辛い)があるのです。これ日本語のシオと同根と思えます。塩辛とんぼとか、ショーローとんぼはこれじゃなかろうか。 タジク語で ∫ora となってくると、土から噴きあがる塩のことをいいますので、岩塩ともちがうようです。 そんなに重要だとは気づかなかったのでタジク語でも、まだ「酢、酸っぱい」も掴んでいません。 でも、タジク語の塩が日本列島に入ったんだと思いますよ(アイヌ語も)。 そこで気になるのが「ナマコ」。ペルシャ語 namak そのままがナマコになったとは考えられません。これは「ナマで食う」というサインだと思います。 ネパール語 nasak- は「できないでいる」という動詞。sak が可能。 nasak で「できない」。これと同じ造語法で、 na-ma で「炙るな」。これに称愛辞の co がついたのが、ナマコ。アイヌ語 ma は魚などを焼く、炙るの意味があります。 九州で「マコ」といったら、メンタイコのような魚のコ(子……卵)をいいます。もちろん、ナマコは、それとも違うとです。オレたちが子供のころはメンタイコなどとは言わずに、タイノマコち、言うちょりました。 ma = 水、 macha(魚……水に居る)の ma ですたい。 |
[4023] イ号作戦 佐々木高久 | 2008/06/13(Fri) 17:48 [Reply] |
これから伍長にします。語の長ですから。 知っておられるかと思うが、このサイトの左側の検索の上にところに適当な文字を入れて、検索するのです。たとえばモンゴル語とか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 ラクの根も面白いですね。牛の来た道、塩の道はちゃんとした一般書があるから、空想も真実味が出て来もす。 素人さん 出エジプト記もそうゆう解釈もありでしょう。あれに出てくる動物はあちらの干支に相当するもののように思ったが。 幾多野や ああ幾多野や 数多の恵 あらんとぞ思ふ 丁篤 |
[4022] 羨望鏡 隔世魚雷 紋爺ぃ | 2008/06/13(Fri) 08:50 [Reply] |
わ〜るかった! 提督を馬にさせて、汗かかせちゃった。でも紋ちゃんは 三倍返しの気概に溢れていますので、maphi(ネパール語で許すこと) raァ〜(強調末尾辞)。 あ、それから、あっしを元帥は、固くご辞退申しあげます。せめてカコ(水主……過去)部屋住みぐらいの扱いに願げぇやす。加古川なら神戸の生田の森にも近いしィ♂ ★ こんどは pala 素人どんにおねだり。どうキーをぶっ叩けば、ああいうサイトにめぐりあえるのか、つとめ方をお教えアマカネ。 ★ 「勤め」の語源。ネパール語 に似たjhismis(夜明けの薄明かり)が 、これと良く似ている jhitimiti(自分の持ち物)と入れ替わって「しちみち(早朝)」として日本語になった。沖縄では今でも生きています。シチミチでは語源的に解らないので、これが「つとめて」となった。 王宮の門には、毎朝官吏が暗いうちからつめかけ、開門を待った。そして夜がしだいに明けてテ(つとめてのテ)のスジが見分けられるぐらいになった時刻を明け六つとして、門が開かれた。「つ」は早い、すでにの意。「つ・時」・ つと(夙に)。 tu はアイヌ語にも。 「つと(早朝)目・テ」から勤めが出た。 王宮と王朝の朝、関係あるかどうかはオラシラン。 上は神奈備どんから教わったことと、ネパール語での付加価値づけでした。 ★ あっしは去年の 10月、三年半前ぶりにインタ・ネットに復帰しました。 4年前のそのとき「神風特別攻撃隊」のサイトはたった 4つしかないのに、同じ戦争で死んだ若者の白虎隊関係のサイトは 450 もあるのです。これにはオレオレ怒ったね。 これが 三年半のあいだにどう変わったかというと、神風特別攻撃隊は 79000 に、白虎隊は 556000もに膨張してるんでアリマス。隔世の感、今浦島。これには圧倒されもした。 そして、7年前、ようやくみつけた、わがマッキントッシュ出張家庭教師は、故郷の鹿児島へ還ってしまいました。……ごめんなさいね。 そして、気付いたことは、オレ高校卒業時には教科書に出ていた英単語はぜんぶ覚えたのでしたが、どうも英語オンチにもなったみたい。ごめんなさいね。 ★ アイラグのラグはラテン語 lac(乳)と同根。酪農の酪も同根か。 奄美には牛馬はいなくってもヤギがいたと。ヤギの乳は牛の乳よりも遥かの高栄養。 l ・ y は、一人前にみるように(mal(事物) ・ may となる) 日本語の大法則の音転。マイ(枚)の語源でもあります。今でも投資関係で一枚二枚いうは、 mal に置き換えてみるとワカリが早い。 lac ・ yak 。第二子音濁化のクセで yag 。これに i(もの)がついたのがヤギ。 ラクという動物もいやしたなぁ。乳でるんやろ。 ゴーン法事、万分の一。 |
[4021] Re[4013][4012][4011][4010][4008][4007][4005] 素人 | 2008/06/12(Thu) 23:45 [Reply] |
今頃気がついたのですが、ファラオはエジプトの王。出エジプト記に見られるように、ファラオには恨みがあった? となれば、「ファラオの馬」のニュアンスも変わってくるんでしょうね。 |
[4020] Re[4019]: 過労提督 素人 | 2008/06/12(Thu) 21:50 [Reply] |
> モンゴル語で去勢された牡馬は、「モリ」で乗馬用、雌馬は「グー」。 そうそう、思い出しました。 騎馬民族征服説に対する大きな疑問が、日本人が去勢を知らなかったということでしたね。 モンゴルはもちろん、アジアの騎馬民族は皆、去勢馬に乗って戦う習慣だそうです。 |
[4019] 過労提督 佐々木高久 | 2008/06/12(Thu) 19:49 [Reply] |
焼尻元帥閣下は馬使いが荒い。提督品詞の重奏たい。 モンゴル語で去勢された牡馬は、「モリ」で乗馬用、雌馬は「グー」。 雌馬(グー)からとれる乳は、「グー ニースー(馬のミルク)」。 このミルクを長時間攪拌すると「アイラグ(馬乳酒)」。 馬乳酒がみなが好きだから、アイラブで。グー。 日本にも牛乳系だったか、醍醐とかいう食物ありやしたな。 http://www.funkymongolian.com/learnmongolian/vocab/ 卑弥呼とは、忌み子、つまりヒルコかもしれんね。 >オレ、キカイ・オンチだはんで(津軽弁)捜せないんでアリマス。 そったなことはおみゃーさのつとめがたりんのだなも。。 http://gezanjuku.yamagomori.com/jiten_index.html |
[4018] 潜望鏡 ムリムリ作戦 紋爺ぃ | 2008/06/12(Thu) 17:47 [Reply] |
提督! 奄美方言サイトのご高教、まっことありがとさんにござんす。 あっしごとき、ホンモノ・シロートは、あれで十分にござんす。 お影様で図書館の吏員さんに「荷造りしてくれ」だのと、カタワの特権みたいなこと言わなくっても済みそうです。 あ、ミナシャンは「かたわ」などの用語つかっちゃイケンノよ(廣島弁)。「カタワ」いえるんは、あっしみてぇなカタワの特権ざんす。 でも、このごろにカタワはちょと(ではなく)威張りすぎますよね。 ★ 御礼にビッキの語源を披露したかったのですが、万端かけちがって、おもうように行かず、調査が遅れちょりま。アイヌ語も蛙は pikki で、熊野のゴトビキ岩と同じ露頭かと思います。 これらは(那智の滝も)霊格高邁なタジク系の神人が運んできたものだと、“言語”が案内してくれます。 ★ 虞れながら提督におねだりがあります。岩手を中心とした東北の「モリ」は山のことだと思いますが、モリにはもいっちょ馬の意味があります。それは高句麗語だったと記憶しているのですが、ボケあたまは自信が持てません。 いっぽう、ウイルタ語とギリヤーク語は、馬をムリと呼び、武利岳もあって、馬の自然放牧(?)を匂わせています。 ムリとはどこの馬だったかを調べたいのですが、インタ・ネット検索はできないものでしょうか。お導きのほど。 オレ、キカイ・オンチだはんで(津軽弁)捜せないんでアリマス。 |
[4017] テ号作戦 概ね良好 佐々木高久 | 2008/06/11(Wed) 19:45 [Reply] |
紋次郎元帥感謝 牛にオナベがおるとは驚きでした。牛はべコと。冒険ハリマ王は、銅王の物語だったのか。これまたおもしろい。 奄美では、やはり蛙はビッキじゃった。ヒルはヒルじゃった。奄美には馬も牛も居らんかったのですね。ヤギですね。 http://rlang.lib.u-ryukyu.ac.jp/rlang/amm/index.html 今日はオランウータンみたいなおじさんに対して問責決議であった。 |
[4016] 潜望鏡 ヘ号作戦 紋爺ぃ | 2008/06/11(Wed) 19:00 [Reply] |
桓武天皇・スモトリ埴輪。チョンマゲ結っていたとは! 提督、おおきにばい。 チョンマゲのチョンをつっつけば「月代」の語源が割れるのではないでしょうか。 提督お探しのウシの入って来た時代に就きまして、なんとか微力を尽くしたいと、佐渡の民俗学者、本間雅彦さん著『牛の来た道』未来社 を引っぱりだして讀んでいます。 それによりますと「言えることは古墳時代の“四、五世紀”だ」そうです。 これじゃぁ、隔靴掻痒やったか。でも場所としては、兵庫とか摂津が中心地としてくさいですね。ハリマ=銅 ですたい。 この本によれば、雄牛の呼び名にまずは ウナメ、オナメ、オナベが出てきて、その古名が ビヤだそうです。音韻からいって ビヤ にはインドが感じられます。 皮なめしの工程に、塩が、ヤッパ、おおいに関与してました。ペルシャ語系 namkat(塩)。 子供のころ、遊ばなかった頭脳が天下とってら。オラシランぞ。 あ、智恵ふくろは、ぶっ叩かんでも生田万を転がり出した。かすかな記憶でした。 この生田ジュンちゃんは、柏崎東南 40キロにアタックかけて、世界最高のおへまをモノにしたんでアリマス。 |
[4015] 相撲 テ号作戦 佐々木高久 | 2008/06/11(Wed) 10:29 [Reply] |
雄略紀に女相撲の記録がありますな。神奈川の相撲女子大?と関係あるんかな。 相撲埴輪は群馬、和歌山、大阪の新継体陵などで。継体ではちょんまげがあるとか。 馬は、丙午、じゃじゃ馬ならし、馬に念仏、馬鹿、馬耳東風とかあまり言いことわざないね。じゃじゃ馬慣らしはヘブライの童話かね。 蘇我馬子、蝦夷、入鹿、この3世代の名もいい名前だろうか。 生田万の乱でもはじめるかね。万でなく、よろよろにならんで。 大型崇拝者は織田信長も居るで。牛はいつ日本に来たんだろう。 提督、いい響きだ。低徳ですたい。おおそういえば、大阪でタヒチを見つけた。 丹比郡。 |
[4014] 《 潜望鏡 イ号作戦 》 紋爺ぃ | 2008/06/11(Wed) 09:31 [Reply] |
潜望……、もぐり目ね。もぐり・インチキで済むことならあっしに任しなせえ。 ★ 沖縄はもっともっとハラカかか(九州弁;怒ら)にゃならんち、思うとです。 また『紋次郎・言語考古学』に存念を書きました。お読みくださればアマカネ。 ★ 提督……がヨカ。その提督提唱の「ヘブライ語の馬」で、すこし心配これあり。巨大言語はとっつき易いし、いろんな資料も提供するし、ガ−ガ−ガ−ガ−風吹かせる。 が、ヘブライ語は日本語には遠い遠い言語だった。そのことはオレはこの目で見たとです。やっぱ、これ、馬が世界せましと飛んでまわって暴れたとですヨ。 ★ パラニーニ(素人どん……pala ね)どんとは、もっともっと渉るべき多くの前提事項がありました。各論に入ったらすぐに「28 =“1”」という高等数学がころがり出た。 大言語主義のことも前提の一つでしたが……。 ベトナム語 ngua(馬)+ バ・マ =沖縄とアイヌ語のウンマ(馬)のことは、もう、いいましたよネ。 朝鮮語 maso は牛馬。同じく朝鮮語 uma も牛馬のこと。 マンガ本三国志での資料 ; 関羽と張飛の二人が呂布と戦ったとき、呂布はすぐに逃げ出した。そのとき二人は、呂布が乗っている赤兎馬(せきどめ)じゃ追いつけないと、すぐに追うのをあきらめた。 邪馬台国には馬はいなかった。愛媛には背の高さ1mほどの小さな馬がいる。邪馬台国にはいなかったが、その周辺諸国には張飛・関羽が乗ってたぐらいの小型の馬はいたのでは? だから、むかしの武士も小型だった。坂本竜馬は 148cm、勝海舟は 145cm。小栗上野介はもっと背が低かったという。 そんな小さいのじゃイカンといって、大型崇拝者が桓武天皇だった。坂上田村麿を抜擢して蝦夷に当らせた。坂上田村麿は巨躯だったとおもえる。つけ髭だろうが、あご髭が黄色かったという。黄色……アラビヤ偏執だったと、オレ惟ふ。 このごろ、神奈備掲示板にでた相撲取りの埴輪が出た古墳、あれは桓武天皇陵ではないだろうかと思うのですが、正確なところが知りたいです。お教えください。重要です。 ケルトの兵士は二人の敵兵を、生きたまま脇に抱えてぶんどって来たという巨躯だった。が、結局戦略としては、巨躯は役にはたたなかった。 馬は草をガソリンにする。塩をすこしだけ用意して馬に乗って北海道を廻りたかった。 |
[4013] Re[4012][4011][4010][4008][4007][4005] 佐々木高久 | 2008/06/10(Tue) 22:35 [Reply] |
「雅歌」を詠んでみました。これは高嶺の花とかごたごた言って、若者が逃げている情景ですね。 確かにファラオの馬は、もっとも選ばれた馬ですし、美しく装飾されていますので、最高の人を象徴しているようですが、実はこの「susah」が最大のオチです。 要するにじゃじゃ馬なんでしょう。 「雅歌」はよく読むと、アマテラスが天の岩戸にこもって出てこないので、なんとか懐柔して出てきてもらおうとする情景も背後に見えます。動物や植物も多く出てきます。これは考古学の人(たとえば早稲田の吉村先生)なら何か気付くことがあるかも。 |
[4012] Re[4011][4010][4008][4007][4005] 素人 | 2008/06/10(Tue) 21:42 [Reply] |
むつかしくなってきましたね。全然わかりません。 原文はやはり1頭の「雌馬」で、英語辞書だとmareになってます。 Googleで[chariot mare pharaoh]検索、上から2番目のサイトで確かめられました。 ここからは私の全くの想像ですが、車は複数の馬が引くとして、その中で1頭の牝馬を先頭に付けておくと、 他の牡馬はその臭いにつられて勢いよく走る、とかなんとかあるんじゃないかと(笑) 競馬で「メスの逃げ馬には気をつけろ」なんて格言があるもので。 雄馬がメスを追い越すのを躊躇しているうちに、そのまんま逃げ切ってしまうとか。 |
[4011] Re[4010][4008][4007][4005] 佐々木高久 | 2008/06/10(Tue) 20:22 [Reply] |
牡馬と牝馬はどっちがどうなんでしょう。王の車は牝馬がひくとは。原文で照合しないとわからないね。ことわざくさい言い回しです。 しかしどこかの国では馬と牛が逆なので注意しろよと何十年もまえに聞いたことがある。万葉期の日本だったかな。 |
[4010] Re[4008][4007][4005] 素人 | 2008/06/10(Tue) 19:35 [Reply] |
> 丙午の女性は云々、いうじゃありませんか。素人さん。なにか関係ありそうでは。 確かに! だけれども聖書の世界では、「雅歌」1章9節:王が恋人に向かって「お前をファラオの車を引く馬(susah)に例えよう」と なり、何だかわからない表現があり。女性を馬に例えるとは。あ、ウーマンか?(笑) 私の下の書き込み[4005]で訂正したいです。 ヒンドゥ教徒が多いのは、「ジャワ島」ではなく「バリ島」でした。 |
[4009] アナ字での揉みほどき 紋爺ぃ | 2008/06/10(Tue) 19:25 [Reply] |
どこをどう照らせばいいのかは、すぐわかります。 聖徳太子、天照らすオオミ神、など、取ってつけたような名前であることが各人にビッシャッとこころに沁みることでしょう。 中間は ウジャ・ウジャいっぱい なんですよ。 こいつァ、これまた発見の一つかと思えますが、反対の対極を措定することです。○×の法則の逆利用ね、 それも、根拠なしの根無し草じゃいけない。 なんかシランが、もやもや〜ッと胸つきあげる想念のベクトル……。 そんなことで書きますが、OKw ですよ。OKw ! これが大極でアリマス。 このへんから、各種の想念が暴れてる。なにせ、科学はなかったんです。 カント、讃えらるべし。 オレ、キチガイに見えますか? |
[4008] Re[4007][4005] 佐々木高久 | 2008/06/10(Tue) 17:26 [Reply] |
>ヘブライ語でsusが馬だそうですよ。その女性形がsusah。関係ないでしょうが。 丙午の女性は云々、いうじゃありませんか。素人さん。なにか関係ありそうでは。 |
[4007] Re[4005] 素人 | 2008/06/10(Tue) 16:50 [Reply] |
>そこを、少しだけ突っ込んでみたところ、スサノオはインドネシア語 susah(やっかいな、こまった)とあり、世界中に *susan で、粗雑な、粗末ななどとなって散っています。 ヘブライ語でsusが馬だそうですよ。その女性形がsusah。関係ないでしょうが。 >同じインドネシア語の surga(天国)は駿河でしょう。 インドネシアにはヒンドゥ教が入っていて、ジャワ島では人口の90%以上が信者です。天国と地獄の思想は当然移入 され、名前もサンスクリットからセットで借用。 ○天国: サンスクリット svarga ⇒ surga ●地獄: サンスクリット naraka ⇒ neraka >ネパール語の海と空は大略同じの sagar です。佐賀、相模はこれでしょう。梵語どうぞ。 「海」のサンスクリットは、ヒンドゥ教の神名でもある"sagara"、当然ネパール語"sagar"の語源。他に"samudra"。 ちなみにヒンディー語では"samandar"や"sagar"。 「空」は、"diva" "naka""gagana""ambara"など。"samudra"が「空」を表すこともあると。 ネパール語の「空」は"sagar"の他に"asman"を使いますね。まんまヒンディー語からの借用で、その元はペルシア語。 これはもちろん、ムガル帝国のインド支配(1526〜1858)時に入ってきた語彙で、当時の宮廷言語はペルシア語、民衆 はウルドゥ語の前身であるウルドゥン語を話していたという。ウルドゥン語はヒンディー語とペルシア語、それにアラビア語 の混合で、ペルシア語語彙がこの時大量に取り入れられて定着し、ネパールにも流れていったわけです。 その後、ヒンディー語純粋化運動みたいのが起こり、借用ペルシア語やアラビア語をサンスクリットで置き換える動き が盛んになった。サンスクリット語形が散々に崩れたヒンディー語群の中に、生々しいサンスクリット語彙が混じるという 不思議な現象が(笑) 「海」は普通"samandar"ですが、「海の」という時にのみサンスクリットと同形の"samudra"が使われたりするのもその 一例かと思われ。 |
[4006] ヒルコ エビスは有名? 佐々木高久 | 2008/06/10(Tue) 10:38 [Reply] |
ヒルコをエビスは結構有名、えびすと入力すりゃ、蛭子って出てくる。 きっかけは枚方です。 スサノオは荒んだ感じですな。益荒雄ですなあ。九州に荒尾ってあったな。 surgaは砂糖のにおい。サトウキビ原産国なら、天国の味覚? 長浜に神照寺があるのだが、これカンデラ寺とも読めて、ラテン語の薫りがする。平安時代からある寺らしいが。カンテラはラテン語で動物油の蝋燭のことらしい。今は光の単位。 船医より。 |
[4005] 穴 字 紋爺ぃ | 2008/06/10(Tue) 09:50 [Reply] |
★ 松っつあん、『呑み屋の価値観』に書き出しました。 ★ 素人どん、ちょっとだけ「三十六計・離」といきましょう。 下にもぜひお智恵を貸してください。 ★ 「ヒルコ=エビス 」は大発見でした。先日これを「伏せ字」と呼ぶことを提案しましたが、やっぱ「穴字」がいいと思います。 きっかけは髑髏だったかとおもいます。つづいて「蘇我、安房、阿波」がソグド関係で頭をだしました。 そこを、少しだけ突っ込んでみたところ、スサノオはインドネシア語 susah(やっかいな、こまった)とあり、世界中に *susan で、粗雑な、粗末ななどとなって散っています。 同じインドネシア語の surga(天国)は駿河でしょう。ただし、インドネシア語はすごい言語混成の途中ですので、かなり族最適な目をはっぽうに配る必要があるようです。 ネパール語の海と空は大略同じの sagar です。佐賀、相模はこれでしょう。梵語どうぞ。 ここは方法的に、へんな漢字使用はぜんぶ“穴字”だと措いてみるのがいいとおもいます。 ミミズ(蚯蚓)なども、こみいった文字ですよね。今、お隣の板であがっている蜘蛛なども、こみいっています。 こんなのも、漢字の中に指つっこんで、でんぐり返したら、かなり割れてくることでしょう。 神奈備どん、あれ(∂ )は左右を入れ代えた上、上下をでんぐり返す必要があるばい。もいっちょ k∂:mi と長音になってら。k∂:mi / kumo ……対応してるんやろな。 キーは「シナ語ではない漢字」。先祖たちが漢字を借用してくれていたお蔭で、大量の意味不明を讀み解くことができそうです。 バンザイ、バンザイ、船長バンザァ〜〜イ!! |
[4004] Re[3998]: 徳之島 と 木造町 琉球松 | 2008/06/09(Mon) 23:28 [Reply] |
それと。。。我々沖縄人の兄弟である徳之島の悪口を言うのはやめていただきたい! |
[4003] Re[3991]: びんぼう爺ぃ なんでふぅ 琉球松 | 2008/06/09(Mon) 23:21 [Reply] |
"土着沖縄語"って、どういう言語でしょうか? ぜひとも知りたいのですが。。。 |
[4002] Re[4001]: なにが臆断として評価されるのか 素人 | 2008/06/09(Mon) 12:22 [Reply] |
すみません、パガニーニにつられて間違えました。 文法学者の名前はパニーニではなく、パーニニです。 |
[4001] Re[4000]: なにが臆断として評価されるのか 素人 | 2008/06/09(Mon) 12:16 [Reply] |
> ですから、お互いが敷きこんでいる前提を、お互いに把握する作業から入らねばならないと思うのですが、この点、いかが思われましょうか。 一応その方向で進んでいると思いますよ。ちょっとまとめてみましょうか。 ★私の前提 サンスクリットは、3000年以上前にバンジャブ地方東部に住み着いた、あるアーリア部族の言語が元になってるらしい、 という資料を紹介しました。その部族がインドを平定して体制を作り、彼らの方言で記したヴェーダが今に伝わるサンス クリット資料というわけです。 ★紋爺ぃさんの前提 サンスクリットはパニーニが12くらいの言語の寄せ集めて作ったといわれる(川崎さん?がそういってた)。パニーニは 紀元前5世紀あたりの文法学者ですが、リグ・ヴェーダはその1000年以上も前に書かれています。サンスクリット辞書の 語彙はリグ・ヴェーダまで遡れるということは書きましたね。これを見てもパニーニが造ったものでないことは明らかです。 如何でしょう? ま、お互いが完全に理解しあうのはアレなので、今までどおり紋爺ぃさんの研究の成果をいっちょいっちょ地道に検討 していくのがよろしいようですね。いきなりネパール語で○○だ、と書かれても皆さんわかりませんから、拙いながらも 私が周辺言語の解説をするという共同作業が、ベストとはいいませんがベターでは? きっとそのうち見えてくるものがあると思います。 |
[4000] なにが臆断として評価されるのか 紋爺ぃ | 2008/06/09(Mon) 10:18 [Reply] |
素人どん、いつまでもすみませんねぇ。 讀んでもワカラン状態にある小生なので、「また最初からやるのか」とか「あれ讀まなかったのか」などのお言葉を戴くところとなっているのです。 科学用語に「不見当識」というのがありますね。素粒子がなぜあるか、宇宙の果、空間の果はどうなっているのかは、科学認識の外だという術語です。 それとはニュアンスを異にしますが「通訳不可能性」という科学哲学での術語があります。 「科学者どうしなので、お互いに理解できないことはない」との楽観で始めた会議が、いつまで経ってもラチがあかん。そこで対立している両者をよくよく煮詰めて行ったら、やっぱり、敷きこんでいた前提のちがいに逢着するといわれています。 これは正鵠をえていない例かもしれませんが、科学そのものを純粋に追おうとする態度(前提)と、科学は人びとの幸せに貢献するべきだとする態度(前提)とのあいだには、そこに差異が生じます。 前者は核爆弾の製造に OK するだろうし、後者は NO をいうでしょう。 ですから、お互いが敷きこんでいる前提を、お互いに把握する作業から入らねばならないと思うのですが、この点、いかが思われましょうか。 ハナシはいろいろと続きましょうが、まずはここからだと、小生は思いますが、素人どんはいかがお思いでしょうか。 各論の場へ入るを急いではなりません。 大きな止揚が待っているはずです。 |
[3999] ツチノコ 佐々木高久 | 2008/06/09(Mon) 09:00 [Reply] |
知恵袋とは、頭かね。犯罪はいかんぜよ。蝦夷はツチノコか。おそらくグロテスクなものの一般表現でしょうが。ええぞというもんには、ええものはない。 毒がビッキとは、蛙は日本の方言でビッキといいます。おもしろいですな。 ヤンバルのバルは博多のバッテンかね。卑弥呼、ヒミコ、ヒミルコ、太陽占い師。 |
[3998] 徳之島 と 木造町 紋爺ぃ | 2008/06/09(Mon) 07:45 [Reply] |
ゲーツ 船長スゲェや。船長の智恵袋ぶっ叩いたらまだまだ、なにが出てくるかわかったもんじゃねぇや。末ながくお導きのほど。 オレ、漢字オンチなので蝦も夷も考えたことなかったし、ましてクガヒルなど知らなかったです。 ツチノコが周期的に騒がれますが、あれクガヒルのことでは? 古代のことですから、クガヒル周辺にはナニが囁かれていたか、知れたもんじゃない。 土を叩いたら、こいつが出てくる? 打出のコ鎚…… 鵞母 補足ですが、ヒルコのコは、子供のコと称愛辞のコの二様に分かれるわけです。 子供のコはバスク語の mutxiko(男のコ ・ ムスコ)、宗教軍事指導者としてのヒルコのコは、マルコポーロのコ、冒険家ヒミルコのコ、・ ヒコ(彦)。co(チョ)として理解しておいたほうが早いです。 武士の武の発音は“ム”でした。そこで東北の mut(陸地、くが)と同音ガチンコするので、これを避けたのか emusipo(小刀)みたいになった。アイヌ語 mutbe は武器です。 小さな蛙の本を一冊よみましたが、じつにいろいろな蛙の名前がありますね。 そのなかでも、お訴えしたいのがヒキ蛙。これは毒(ネパール語 bik =毒)気が強いのではないでしょうか。蛙一般は、煮て干したら子供のおやつになった。 古墳周辺でいわれるヤマは、朝鮮南部にみられる王様の盛り土と、そこの慣習でできたヤマではないでしょうか。天コ盛りという語もオレ、初めてキーたたきますが、この「盛り」が、一種の強執を形成していたのでは? 沖縄では r が落ちて モイが山ですし、東北ではモリが山です、 子供のとき、山盛りにごはんを盛ったたびに、それをかざして、おふくろが「ああ、ヤマが見えんごつ」と云っていました。長野に飯山市。甲府の水源に飯盛山。旅籠にはメシもり女。 イイは sait sait の sae =五十・五十=百 = 幸せ。いい(良い)はトルコ語にも。 サンスクリット語関係では「死人の案内人」とか閻魔大王のヤーマがあるそうですね。 ヤマ(山)がこの日本列島に定着する前はモリが一般的だったのでは? 山はネパール語の jamat(人びとの集り、集会 ・ 寺院・炭坑のヤマ)とアラビヤ語の ya bal(山、ヤンバル)から深甚な影響をうけてできあがったことばだと思っています。 秋葉原の無差別殺人ヤロウ、静岡から来たそうですが、出身地は青森だとか。 「選挙があるたびにナニが飛び出すやら分らぬ」といわれているのが、徳之島と木造り町。 津軽は天気が急変するので、ジョッパリ気質が生まれるのかな? と思っていましたが、やっぱ、これアラビヤ系統の好戦気質じゃなかろうかと、思いなおしました。 こんな町や島はみんなで嗤ってやったほうがいい。おっと、また叱られるのかナ。 でも、そのお蔭で、濃縮古代日本語の核を拝めるわけで……、やっぱ、ありがたい!! |
[3997] 蝦夷 佐々木高久 | 2008/06/08(Sun) 19:35 [Reply] |
蝦とは、がまがえる。ひきがえる。のことでしたんですなあ。 夷とは、蛭子とも読むんですなあ。これはすでにおわかり。 蝦夷とは、クガビル、つまり体長30cmのグロテスクな巨大ヒルのことなんですなあ。血は吸わないが、ミミズを一飲みする。 秋葉原は、怖かった。 エビスを東北人に言わすと、英語のABCに聞こえる。確かに外人は血(赤ワイン)を吸うと昔思っていた。よーし今日はエビスにしよう。 |
[3996] キャプテン・クック 紋爺ぃ | 2008/06/08(Sun) 18:47 [Reply] |
うろ覚えでしょうか、オレ、カピタンたぁ、船長とばっかし思っちやした。あんましお気に召さないようで……。西郷元帥あたりにしたいのですが、それじゃぁ〜、どもね。 標準形 *kay-in(性交する)は、古代族際語です。そこをシナ人はアタマだけ取ったり、うしろの方だけ取ったりで忙しい。 in(族際語は“やる・行う”)を取って 淫 としました。カインの末路ね。 さて、いつもながら、真面目なハナシ。 西郷船長の御導きにより「ヒルコ =エビス , エミシ」は以下の様にカンタンに割れました。 hir-co に「五体の関係で生まれ損ない」と、「宗教・軍事での指導者」の二つの意味がありました。ここでいろいろ喋れば長くなりますので、要約すれば、宗教・軍事上の指導者と、エミシ・エビスが意味する内意が同じになる理論上の必然が俟っているわけです。 そこを、またまた端折っていえば、エビスとは「e(格上の)bi (○○ふうな) su < si(人)」です。 しかし、彼らは(とくに)古墳時代では、長い刀を杖にしていたので、杖刀人と呼ばれていました。 そういう「在り様」が、たまたまアイヌ語に残っていました。 刀や宝飾物を身につけることを、アイヌは mut と云っていました。mut 末尾の t は s にも変化したのか、小刀を emusipo とも云っています(po はほのぼのの ho……、すなわち、小さいで、mo でもあります、形容詞後置形に注意!) ヒルコとはカタワに生まれついた者、と同時に杖刀人のエミシ、エビシだったわけです。第二子音濁化のクセによって、エミはエビになるのです。 > 現在はその一つにすぎない Khas語 に統一されているわけです。 ★ あした待たるる、その宝船 |
[3995] カピタン?? 佐々木高久 | 2008/06/08(Sun) 16:55 [Reply] |
カピタンとは、普通商館長のことではないですか。奄美では、女子はんのことを、インガとゆうとったことは覚えているわ。漢字では、陰の芽とガリ版刷のわら半紙に書いてあった。 フィルハーモニーも宗教上の指導者のハーモニーということかな。 ヒルトンホテルも宗教上の指導者の豚ホテル。沖縄では豚が神様でしたかな。 |
[3994] Re[3993]: 方法仮設、思考触媒 素人 | 2008/06/08(Sun) 16:37 [Reply] |
> この、200と12 の乖離に praskript などの集合離反の考え方が、小生には浮いたものとして感じられるのです。 > まずは、200 と12……、ここをせっついていただけないでしょうか。 私の拙い説明は読んでもらえなかったですか? もし読んだとしたら、まだ12にこだわる理由がわかりません。 じゃ、ネパール語と比較してみましょう。何十もの(紋爺ぃさんいうところの)アーリア系氏族語がネパールにはあったのに、 現在はその一つにすぎないKhas語に統一されているわけです。「ネパール語辞書」はKhas語を掲載しているでしょ? 「何十」→「1」じゃないのですか? まず、このことについてのご意見をお聞きしたいです。 |
[3993] 方法仮設、思考触媒 紋爺ぃ | 2008/06/08(Sun) 14:38 [Reply] |
カピタン、有り難うございます。 ・♪ 山川も寄りて教ゆる ♪ は、卒業した中学の校歌です。山川(mina,湊)ばい。 有り難きシヤーセに存じます。 作業、一段落したら、電話かけてみます。 素人どん有り難うございます。 小生のアタマで、前提になっているもの、いっちょ、いっちょを突き崩すことにはご同意いただけることと思います。 200だの 12 だのは、方法仮設、思考触媒です。そう措いてみることによって、本質がハッキリしますし、考えやすくなります。 12 とは、小生が川崎真治さんのお宅で聴いた数字です。そこでは「ボン語は十内外のア−リア系氏族語を寄せ集めた」と聴きました。そこで、もちょっと多くの 12 です。 200とはフィリピン諸語は 13系統 150氏族語とあるところから、と、彼らは農耕定着型の暮らしではなく、鹿やトナカイを追う氏族だったでしょうから、いつもあっちこっち、移動するタイプでしょう。山ひだに拠ったテリトリーでしょうから、200は少ない数だとおもいます。 また、一つに統一されたにせよ、それぞれは直前まで、5万年の歴史を持った自然な言語だったはず。統一されたことによって“自然さ”は失われます。 この、200と12 の乖離に praskript などの集合離反の考え方が、小生には浮いたものとして感じられるのです。 まずは、200 と12……、ここをせっついていただけないでしょうか。 |
[3992] Re[3990]: ゑ ひ も し た 佐々木高久 | 2008/06/08(Sun) 10:15 [Reply] |
>ところで、兼八と獺祭二割三分とはどげな酒ですと? あ、まだ朝っぱらだ。 兼八は、大分の麦焼酎。獺祭二割三分は二割三分まで研いだ米の日本酒。気の利いた酒屋でお聞きになるがよろしかろう。 >漢字を通しての音転・意転あそび……? これ遊びやのうて、古くからこげんことはあるとですたい、たといば山崎と南山と山本と高木の4つの村が合併して、三山木なんてね。こげなことすっからあ言語の解釈が解釈漬けになるのかのう?。 奄美の方言の書籍ば、下記のとこじゃったら、貸してくれるかもしれぬ。 鹿児島県立 かごしま遊楽館 電話番号 : 03-3506-9177 FAX : 03-3506-9178 メールアドレス : yuuraku@pref.kagoshima.lg.jp |
[3991] びんぼう爺ぃ なんでふぅ 紋爺ぃ | 2008/06/08(Sun) 08:16 [Reply] |
奄美方言はすごいものを持っています。 九州北部〜薩摩の船がサッササッサと沖縄めがけて行って、土着沖縄語を影もないようにしたのにくらべて、その通り道だった奄美は、とび抜かされたような形で、言語のうえでも土着性が濃密に残っている、古代日本語の宝庫だ。こう小生は思ってきました。 7年か 8年前、田△という先生が一生かかって完成させた『奄美方言集』を「お×ふう」という出版社から出されました。 そのときは「ワッ 高いなあ(値段が)」と思っただけでした。それから 3年ほど経って、小ゼニができたので買おうと思って電話したところ、なんと値段は 20万円です。 「高かすぎるじゃないですか!」と出版社に電話したところ、「図書館で見てくれ」との返事でした。 精魂つかい果たされたんでしょう。田△先生はそれからすぐに亡くなられました。 そろそろ、ご遺族に「見せてちょうだい」の交渉にはいろうかナァ〜。 佐々木カピタンは奄美のお生まれでしょうか? だとしたら、今東郷平八郎ですね。戦争にゃまけたバッテン。 |
[3990] ゑ ひ も し た 紋爺ぃ | 2008/06/08(Sun) 07:32 [Reply] |
おはようございます。松平アナウンサーのように、そして蝦蟇みたくに両の肘つっ張って、へぇつくばってのご挨拶です。 昨夜はキー叩いているうちにゑひが強くなったので、書きたいこと半分で打きりもした。 佐々木カピタンご呈示の「ヒルコ=えびす」は大発見ですよ。 その前にもなにかありましたよね。漢字を通しての音転・意転あそび……? この現象は何と名付けましょうか。いまはいいのが浮びませんので、仮称「伏せ字」でどうでしょうか。 ソシュールがやった一種のアナグラムみたいな現象でしょうが、古代貴族の言葉あそびに振り回されていたんですねえ。「えびす」の語源はいまだに判ってはいないとおもいます。それが、この「ヒルコ」で解けるはずです。 檣頭にZ旗あげましょう!! ヒルコが水子とか五体不満足にうまれついた子供だと解釈されたのは、これもネパール語の *bir-(低・悪)が関与してのことだろうと思われます。 いまんとこ、ここまでしか分りもはんが、突破口は開かれたんでアリマス。 前祝いに 兼八と獺祭二割三分 とik(アイヌ語; 飲む)きましょうか。 ところで、兼八と獺祭二割三分とはどげな酒ですと? あ、まだ朝っぱらだ。 |
[3989] Re[3988]: 賽の河原 補足 素人 | 2008/06/07(Sat) 23:17 [Reply] |
ご紹介のHP拝見しました。 変な話ですが、あの中の、本文とは関係ない部分の印象を書きます。 ⇒《長い文章を読んでいただきありがとうございます。》 このような丁寧な表現はいいですね。 私はテレビはほとんどNHKの歴史関連しか見ませんが、「その時歴史は動いた」という番組のエンディングで「今夜も 最後までご覧いただき、ありがとうございました」と深く頭を下げて挨拶をする松平定知アナウンサーのセリフが好きです。 初めてこの場面を見たとき、何だか知らないが、ハッとしたのを覚えています。忘れていたことを思い出したような感覚。 |
[3988] 賽の河原 補足 佐々木高久 | 2008/06/07(Sat) 20:07 [Reply] |
賽の河原については、こんなホームページがあります。 http://sainokawara.fubuki.info/outline.html 京都の「賽の河原」はもうひとつは、六波羅つまり髑髏原、鳥葬の地です。 六波羅には、戎神社があります。 賽の河原と呼ぶところは、通常は水の流れがない。雨が降るとだんだん川になる場所で、また伝説では賽の河原には「河童」がいます。ヒルコも子供でしょう。河原には子供がいるのです。カムロという童のことかもしれません。 ところで、奄美大島も独特の言語でした。 今日の晩酌は何ですか。こちらは兼八と獺祭二割三分ですが。 |
[3987] 素人さん、ちょと待ってください 紋爺ぃ | 2008/06/07(Sat) 18:23 [Reply] |
じつを吐露すれば、すこしだけ御神酒が入ってま。 ヒルコが賽の川原にあったということは、重大な内容を呈示してきて、こちらのアタマを混乱に陥れます。 われわれ現代人は極度の淋しさを味あうことの少ない人生を持って、そこで得られた意識で、通時的概念を振り回し、それでいいとの無反省な判断基準を得ているのではないでしょうか。 科学がなかった時代の人生は、それはそれは、胸せまる淋しさの連続だったことだろうと、おもいます。 礼文島にも焼尻(ヤギシリ)島にも、最北端の浜辺に賽の川原があります。 頓挫。 ネパールには 3000万羽の禿鷹がいたんですって。屍体でやしなっていたんですなァ。 素人どん、疑問の核はいっそう硬くなりました。あした待たるる、その宝船。 |
[3986] 枚方のこと再録? 佐々木高久 | 2008/06/07(Sat) 17:51 [Reply] |
piraとkata、崖と上の方と出ています。 「アイヌ語より見たる日本地名研究、改訂版」(バチラー学園、1935) 枚方は関東で言えば、大宮でしょう。大きな川沿いにいきなり大きな崖があるのです。 ポケット検査・身体検査とは何のことでしょうか。 以前官邸のバカボンパパみたいなおじさんが、「身体検査はお医者さんにあるのではないでしょうか。」と言ってましたなあ。 紋Gさん、ここらでご理解頂けましたか、もう晩酌ですか。 |
[3985] サンスクリット Re[3977] 素人 | 2008/06/07(Sat) 16:13 [Reply] |
同じようなことを過去に何回も説明したつもりなのに、しばらくすると「また一から説明せよ」(笑) 《 サンスクリット語関係でいちばん理解に苦しんでいるのは、ヒンズークシの北から南下したア−リア人の群れ(氏族)は、200ぐらいあったのではないかということと絡んで、パガニーニおじさんたちが拾ったア−リア系言語種は 12ぐらいのものではなかったか。そんで以って、その12をア−リア諸語全体の祖語とか中核言語に据えさせる不思議さです。》 アーリア人のインド侵入は、ヒンズー・クシ越えがメインルートでないようです。それはともかく、200という氏族の数は 根拠がないのでしょ? また、その次の12という数字も当てずっぽう、違いますか? ま、いいです。広義の「サンスクリット」の主体は、紀元前1000年はるか以前から書かれたヴェーダの言語。 大きなサンスクリット辞典を見ると、各語彙ごとにヴェーダ(特に最古のリグ・ヴェーダ)のどの部分に使われているか を表示しています。 しかし、ヴェーダにしても最初から「標準アーリア語」ではなく、紋爺ぃさんの言われるように、ある一派の方言がもとに なったと推定されていて、パンジャブ東部に住んでいる人たちの方言にその痕跡が認められるそうです。 アーリア人同士の権力争いの中で、この人たちの先祖が覇権を握った。そうなれば、自分達の言語を広めていくのは ごく当然の流れでしょう。後に、パーニニにより文法の固定化が行われますが、語彙自体に対する変化(例えば新しい 言葉の創作とか)は考えなくても良いです(だからこそ、語彙はリグ・ヴェーダまで遡れる)。 《 ネパールだけでも 27種の氏族語があるそうです。これらの計 28言語がサンスクリット語という一本に統一されていた、しかも日常語としては誰もそれを喋らなかったのでしょ? 「サンスクリット語が語源」と言われるたびに、このことのカベに突き当たっています。》 何のことかよくわかりませんが。ネパール語は、このサンスクリットから派生した中期プラークリットを用いるKhas族が インドから西のKarnali-Bheri盆地に移動、その地に今から約500年前まで住んでいる間に変化を遂げた言語です。 語彙のうちサンスクリット語源が半分以上、その他はペルシア語起源(借用)が多い。彼の地は周りをチベットビルマ系 部族に囲まれているので、その言語の影響もあり、その代表的なものは語順。印欧語のくせに主語+目的語+動詞と なっている。 以上です。「カベ」は崩れたでしょうか? |
[3984] えびす 佐々木高久 | 2008/06/07(Sat) 15:26 [Reply] |
えびす:蛭子、字ズラは「ひる」「こ」、京都の八坂神社の中にも蛭子神社があります。京都では西院あたりに多い苗字です。西院は「賽の河原」と言われた地域です。 古墳や墓のことを「山(やま」」という言語集団はないでしょうか。古墳や墓は「塚(つか)」名称と「山(やま)」「山または仙(せん)」の2種類ありますので。 |
[3983] オ ン ミ ョ ウ 師 紋爺ぃ | 2008/06/07(Sat) 07:34 [Reply] |
「ヒンヨウシ」とは世の中にはやっていたオンミョウ(陰陽)師をもじったことばではないでしょうか。 ここでシナの考え方を援用すれば、ヒン(品)とは、善悪・好き嫌い・軽重・調不調にかかわらず、“評価”のことですが……。 ヒンヨウシといった場合には、のっけからネパール語の「品性ゲレツ」がでています。 廣島在住の天才奇人 ; 立田さんが編輯した『野史呼び名辞典』にもヒンヨウシは出ていませんでした。小生がこれ知ったは子母沢寛著『勝海舟』ででした。 シナという呼び方をシナ人が嫌ったり、日本人が遠慮するのは、やっぱ“鄙”を深層でゴロ合わせしてるからではないでしょうか。 |
[3982] 三 倍 返 し 紋爺ぃ | 2008/06/07(Sat) 07:11 [Reply] |
あ、オレのこったろうナァ〜。 社会に出て初めてのオレの職業はセールスだったんです。たしかにセールスなどということは人間がやっちゃいけない行です。恥かき承知の上でないとなりたたない領域です。 でも、オレは考えた。この行を習得できたら少なくとも日本ヒエラルキーの枠の外に立てる。 わ〜るいことしてるが、将来きっと社会へ三倍〜五倍の御恩返しをするぞ! と。 どなたでも『紋次郎・言語考古学』へいらっしゃいよ。当分間、ポケット検査・身体検査はしませんゆえ。ただし、オレ、カンシャク爺ぃですけんど。 「わ〜るけりゃ、掲示板席亭さんが削除するだろう」とおもうのは、ここに限ってはムシのいいハナシです。ここの席亭さんは、気にくわない書き込みでも、なかなかに消さないという、わ〜るいクセを持っているんです。一種のガンコぢぢぃでっしゃろな。 でも、席亭どんに、もういちど申しあげるが、気にくわない書き込みは、どしどし削除してください。気にくう、くわないは、だいじな指針です。むかしの家来はたいした用もないのに、毎日、殿様の前にでて「ご機嫌うかがい」をやっていました。 |
[3981] Re[3977]: 禁無断転載とは? 素人 | 2008/06/06(Fri) 21:51 [Reply] |
何故?かを知りたかったらオークランド大学に問い合わせるしかないですね。 「禁無断転載」と書いてあるのを紹介しただけ。紋爺ぃさんが見たければ見る、使いたければ使うと。 子供じゃないのですから、その位ご自分で考えて決めてください。 今夜はもう遅いので、サンスクリットについては、明日にでも書きますね。 |
[3980] Re[3978]: 無題 佐々木高久 | 2008/06/06(Fri) 21:10 [Reply] |
何度も警告を受けられても改善されない様子、渡来人の方でも現認しました。 内容や程度により威力業務妨害罪、偽計業務妨害罪、名誉毀損罪、信用毀損罪、脅迫罪、恐喝罪などが成立する可能性が含まれています。 皆様の格別のご忠告に従い、襟元を正すべきではないでしょうか。 |
[3979] Re[3978]: 無題 神奈備 | 2008/06/06(Fri) 20:34 [Reply] |
満天下に恥をさらしていますね。 ネットの最悪の利用です。情けないとは思いませんか。 |
[3978] 無題 旗幟(きし) [Url] | 2008/06/06(Fri) 14:27 [Reply] |
RE 「日本語の「鄙」と関係あるのではないか?」 紋爺ぃさん のファンです ガンバ。 【鄙】〔圖(地図)ー囗(くに)+阝(邑むら)=ひな【雛】・・・成鳥に為らない「圖(地図)」にならない狭い範囲 【圖】 ズ ト(占)ド(度) はかる(計) 地図の意 【図】の旧字体です 【阝】(古文字では〔○・□+【ム】(私=禹)=卩(わりふ)古文字では〔ム(私=禹)〕 ひな【雛】・・一人前に成らない 古文字では【隹(鳥)+手〔古文字【屮】の三本指?のうち二本だけに【枝】が生えていない形〕 【屮】が【山】なら【丘】の状態です。 【丘】古文字〔刧凵@(【山】の古文字の真ん中(△】の無い字形】 【品】−【口】=【器】÷2 「品」は「△=∴」 元々中国語の九品(きゅうひん)【口】・・・壷(坪)甕棺(亀の甲羅?) 地図の歴史の部屋1 例えば、古代インド人は世界を4頭のゾウが支え、そのゾウを巨大な亀が支えていると考えていました。 ... この中華思想はいずれの文化圏でも見られます。 ... 地球球体説は否定され、大地は平たいもの、という考えに戻ってしまいました。 ... http://wwwsoc.nii.ac.jp/icic/08_MUSEUM/03_HISTRY_ROOM/history1.html 古代インド人は世界を4頭のゾウが支え、そのゾウを巨大な亀が支えていると考えていました。また、ヨーロッパでは人間が住む世界は海に囲まれ、さらにそれを4つの壁が囲んでいると考えていました。また、下は紀元前約700年前に作られた「バビロニアの世界図」といわれるものです。ここにはバビロニアの人々の世界観が表わされています。中国でも中華である自分たちを中心に、北は北狄、南は南蛮、東は東夷、西は西戎と呼ばれる野蛮人が存在するという「中華思想」がありました。この中華思想はいずれの文化圏でも見られます。 「下劣・・・←そんなの関係無いのが古文字【源ー川】からの私的字解です。 (【劣】の場合の【少】〔八+人〕−【力】・・・8の力は9より劣る?) |
[3977] 禁無断転載とは? 紋爺ぃ | 2008/06/06(Fri) 13:36 [Reply] |
「一見アカデミックな百科辞典」にたぶらかされた茂○寅△名誉教授の赤ッ恥かきを思いだします。 でも、オレ、喉から目玉が出るくらいにアレ見たいことは見たいんです。 それにしても腑におちないのは、なぜアカデミーさんが禁無断転載ということわりを入れたかです。ここになにかこう、不純で犯罪行為みたいなものを感じるのですがねえ。 われわれは同じ時間帯を、大略おなじ D.N.A.様を背負って生きています。頭や身体に他人よか恵まれている人は、その分だけ「恵まれてない人」に奉仕するが勤めだとおもいます。小生の目には、特許とか著作権は反人類的行為にしか、映りませんがねえ。 仮令、成文法で云い負けても、自然法に反するは、いさぎよしとしません。 あれをみることは、なにか、犯罪に加担するような気持なんですが……。 素人グルには反抗ばかりしているようで、ほ〜んと済みません。 サンスクリット語は少なくとも二つの罪をつくったとおもいます。一つは、それは現代の目から見てのことですが、無数といっていいほどの青壮年を迷妄に追い込んだこと。もう一つは、シナと日本仏徒の冒したことでしょうが、いわゆる“訳語”という「ユーレイ・サンスクリット語」を現在に至るまで放置したことです。 ま、この二つは追ってぼつぼつ揉みほぐしていただきたい紋です。よろしくお願いします。 サンスクリット語関係でいちばん理解に苦しんでいるのは、ヒンズークシの北から南下したア−リア人の群れ(氏族)は、200ぐらいあったのではないかということと絡んで、パガニーニおじさんたちが拾ったア−リア系言語種は 12ぐらいのものではなかったか。そんで以って、その12をア−リア諸語全体の祖語とか中核言語に据えさせる不思議さです。 ネパールだけでも 27種の氏族語があるそうです。これらの計 28言語がサンスクリット語という一本に統一されていた、しかも日常語としては誰もそれを喋らなかったのでしょ? 「サンスクリット語が語源」と言われるたびに、このことのカベに突き当たっています。 たしかに、モヘンジョ‐ダロ城一つにしても、中に貯えられている穀物を奪うには、ア−リア人の群は城攻めを共同でやる必要があったでしょう。そのときの城攻めの指令部は、サンスクリット的理想語という共通言語開発の必要を痛感したことでしょう。 そこまでは、“合理”の推察でわかります。 |
[3976] Re[3972]: 陥穽が仕掛けられているのでは? 素人 | 2008/06/06(Fri) 01:36 [Reply] |
>cite とか publish など、拡大解釈され、ベロの利いた目の青い弁護士さんから攻めまくられたら、神奈備掲示板 >にも迷惑が及びそう。 >彼らは何の目的であんな書き出しをやったんでしょう? 人びとに便利さを提供したいなどという純粋な動機による >ものではなさそうです。 いえ、そんな気遣いは無用でしょうね。 まず、サイトのアドレス表示を見てください⇒http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/ 中ほどにある[ac]はアカデミックの略で、これは学術関係の団体や個人にしか使用が認められていないドメイン名です。 実際、このサイトはニュージーランドのオークランド大学の運営であり、信頼性は非常に高いといえます。 しかし、もし紋爺ぃさんがこれを信用できないと思われるなら、当然ですが、無理にお勧めはしません。 それで、hinの話に行きます。 >hin とはこれもネパール語で ghamar(・ がま)と同じく品性下劣という意味で、みずからの姿を鏡に見て、とろーりとろりと >脂汗を流すくちでんねん。おなじ意味の語彙が二つも入ってきたのを嫌ったか、 hin は格上げされて“上品”となったのです >が、それも明治期あたりの、ついさいきんのことだったのでは? とカンぐっています。 面白い着眼ですね。 しかし、「品」は元々中国語の九品(きゅうひん)から取られた言葉で、科挙などで人物を考査する時に用いられました。 まず「上品」「中品」「下品」の3グループに分け、それぞれを上中下3段階に分けたので9段階、すなわち九品となる。 私見では、ネパール語hinの語源サンスクリットhinaの意味が「洗練されていない、下劣・・・」であることから、日本語の「鄙」 と関係あるのではないか? そんな風に考えています。 「心霊」については興味がないので応答しません。悪しからず。 |
[3975] Re[3974]: 心 霊 佐々木高久 | 2008/06/05(Thu) 21:22 [Reply] |
帝国軍人の小生にも、よくわかりません。われら海軍では、目先が利いてスマートでが合言葉で、わけのわからんこといえば上官から修整を受け。 心霊のことばが出ると・・・、涙です。 |
[3974] 心 霊 紋爺ぃ | 2008/06/05(Thu) 19:05 [Reply] |
心霊が絡むと、ウンジュらは ナァ〜〜んにも言えないのか? そうだろうな。大学教授。かわいそいうね。」 |
[3973] ヴィブーティ (灰) 紋爺ぃ | 2008/06/05(Thu) 18:49 [Reply] |
サイババさんがやった灰降らせはインチキだったか、インチキじゃなかったか。ここには、今、生きている人類の全知能が結集されて、事態を見守るべきです。 灰はかなりの“強執”だったですね。 メチャいいと思ったダイヤモンドに火がついたら、アレヨ、アレヨ、なぁんも残らんとです。 メノウを焼いたら温度差で赤にも青にもなった。そいつをメソポタミアに運んだ。 高橋稔が「こいつァ売れないが、売るとしたらウン兆円だ 」との口上でオレの枕頭に石を持ってきたことがありました。そこへ朝日がさすと、えもいわれぬ光景が展開されるんですってと。……見ると、唯のメノウじゃんけ! こういうことで、多くのカネモチが騙されたんでしょうナァ〜。 病院建てるには、おおくの人びとび迷惑かけた。サイババさんは、最初から金のコナを播きちらせばヨカッタと、小生は考えるのですが、…………やっぱ、バカかホンモノか、マヤカシは、サイババさんは“灰”しか壺からは出せなかったんでアリマス。 |
[3972] 陥穽が仕掛けられているのでは? 紋爺ぃ | 2008/06/05(Thu) 15:55 [Reply] |
素人どん、あのデータベースとやら、読もうとしたのですが、訴訟社会を写したうすら小穢ぇ策謀を感じたのですがねえ。 ウンジュのご案内に逆らうばかりで、ほんと申しわけないのですが、ウンジュがあの会社の派遣社員ではないという保証は、どこにもないことですしぃ♂ プロバイダーの社員になりすますテもありましょうし、プロバイダの社員をゼニでころばす手段もありましょう。 200年前の奴隷さんが、いま王様暮らしにありつこうとしている歴史段階です。ゼニになることと“正義”がイクオールになる時間帯かもしれません。 うすら小ぎたねぇ資料使わずとも、方法は残っているのではないでしょうか。 小生の知り合いなどは、女房に死なれて海外旅行ばあやってるのがいます。 そういう連中にたのんで、現地の中学校の先生に「基礎2000語彙」と用例少々、およびイントネーション・テープを頼んでまわれば、合理的で安あがりの語彙集群ができるでしょう。報酬は 1氏族語10000円平均であがるでしょう。 いま、小数氏族語がどんどん死滅していっています。 この方法なら最小の救急車になれるとおもいますが如何? cite とか publish など、拡大解釈され、ベロの利いた目の青い弁護士さんから攻めまくられたら、神奈備掲示板にも迷惑が及びそう。 彼らは何の目的であんな書き出しをやったんでしょう? 人びとに便利さを提供したいなどという純粋な動機によるものではなさそうです。 |
[3971] ニポポ と ペニ△ 紋爺ぃ | 2008/06/05(Thu) 11:02 [Reply] |
ベニスと書いてあるのに、オレ、かってに○ニスと読んでしまいました。 hin が問われるところです。 hin とはこれもネパール語で ghamar(・ がま)と同じく品性下劣という意味で、みずからの姿を鏡に見て、とろーりとろりと脂汗を流すくちでんねん。おなじ意味の語彙が二つも入ってきたのを嫌ったか、 hin は格上げされて“上品”となったのですが、それも明治期あたりの、ついさいきんのことだったのでは? とカンぐっています。 寺院に食らいついてミナシャンから集めた寄付金を持ってドロン。お江戸ではこのようなテアイが流行りました。それをヒンヨゥシといいました。 hin iyo usi。usi はシズカ御前のしらべウシ同様の“大家”でしょう。 ガマが蝦蟇になったのにはネパール語 ghamawra(発疹)、ベトナム語 ngam(地下の、地中の)という別ルートもあったことでしょう。 *pen とか *ten というのは突き出たという意味らしいです。ですがオレ、 peni には pe と ni の二つの語根が機能しているのではないかを、感じています。なぜかというとアイヌ語の ni(正確にはニ〜ッ)には屹立した男根の意味があるからです(してないのは nou ) 。 きのふ、五つになった孫に人形さんを買ってやろうかと思って、思いだしたのが東京○芸という人形さん造りの会社に勤めていた、おきゃうちゃんのことでした。記念品として三つ四つ持っているのなら、貰ってあげようかとの魂胆もあってです。 電話してみたところ「あの種の人形は処分するのがたいへんなので、個人的にははじめから持たない主義です」とのことでした。 そういえば、たしかにそういうことはある、ある! 髪の毛が伸びたり、泪をながしたり……。30年ほどまえ、定山渓のマリア像が泪ながした事件は有名でした。 アイヌはゼッタイに動物や人を模した彫刻や造形をしなかったのです。 ところが、アイヌの夫婦木像はニポポと名付けられて大々的に売られ始めました。こんな大胆をやれるオトコで知恵者は山本多助エカシしかいないとおもいます。あのころニ〜ッを知ってるアイヌは山本多助エカシしかいなかったはず。pop-o の pop は英語と同じです。 なんで塩からニポポを思いだしたか……。 じつは、姉が 5年もまえに 20g 入りの天然塩をくれたのです。コーヒーに少量の塩入れたら男性が元気になる。毎朝、オレはコーヒーにほんの少し、その天然塩を入れて飲んでいました。が、それが ここ3ヶ月ほど切れています。 それが、さいきんになって判ったことですが、立たないんでアリマス。 マンゴーとマンジュウの関係について実験考古学を実思いたったのですが……、だれぞ現役のお方、実践してみてくれませんか。 アレッ、塩の次のテーマはなんだっけか。 |
[3970] Re[3969][3968][3966]:Gemma(宝石)−2 佐々木高久 | 2008/06/04(Wed) 21:06 [Reply] |
そうそうベニスだった。イタリアですね。プロはすごいなあ。それは買わなければ。海洋深層水の塩もうまいはずなのだが。 話題が塩から宝石に変わるかな。 |
[3969] Re[3968][3966]:Gemma(宝石)−2 素人 | 2008/06/04(Wed) 18:01 [Reply] |
イタリアの塩で思い出した。 >サラリーが語源とか聞いたことありますが、それは海の塩に近いのかなあ。 家で使っている塩がイタリア産なんです。いろいろ比較して断然うまかったから。 しかも100均のダイソーで売ってるので安くて便利(200g) 裏の説明を読むと「プーリア地方では、ローマ時代より塩田にて、塩作りが行われてきました。 (中略)アドリア海の海水を塩田に引き込み、約6ヶ月かけ、塩を結晶化させていきます」とあり。 |
[3968] Re[3966]:Gemma(宝石) 素人 | 2008/06/04(Wed) 17:21 [Reply] |
>地中海周辺国の料理の調味料で出てきました。 それならイタリアくさいですね。調べたら岩塩はsalgemma(宝石の塩)、いい名前ですね。 そうだ、昔ジェンマというスクーターがあった(笑) |
[3967] ジュージュー有り難とサン 紋爺ぃ | 2008/06/04(Wed) 15:55 [Reply] |
massive を辞書と相談しました。ら、なんとこれピラミッドを造った切り石のマスと同根韃靼ですね。一升二升と計るマス(升)も同根ではないかと、川崎真治さんが云っていました。 これがいえるなら、コマースあたりもそうかもしれません。劇場のマス、マス(ラオ)も、四角だから……。 ですが、塩での「つき合わせ」となると、これも「co-マス」くさい。手許のラテン語の本は、塩を買うカネが salary だとしています。 松さん、ジューでいちおういえることは、つよう(強く)が 第二子音濁化のクセで duyou となり、次に o ・ u がはたらいて、dyuu でしょう かな? 朝鮮語でも被覆形で si (強い)がいえるのではないかとおもいます。こんご希望をもってフィリピン以南を見たい紋です。 原意原音は *di かな? 「強よう」のヨウは アイヌ語と共通の iya , iyo(ますます、愈々) でしょうが、これはネパール語の -illo (前置の傾向ますます)と共通です。 岡山弁の「でえろう」とか、大坂の「どえらいこっちゃ」、名古屋の「でら(とても)」、一般形のドロ棒の do、とかの de , do は、ネパール語の dher(沢山) , dheray(ひじょうに沢山)と同根かと思ってきましたが、もっと踏み分けるべき薮こぎの場があるようです。 ネパール語の塩は nun で、岩塩は sidheーnun といいます。 sidhe はかなりの聖地だそうです。 sidhe は鼻にかかった発音ですので、あんがい「ひで(秀)」に化けているかもしれません。神官の階層にシドがありましたか、これも臭います。 |
[3966] Re[3965][3961][3960]: ナ メ ク ジ 佐々木高久 | 2008/06/04(Wed) 15:55 [Reply] |
>佐々木さんの「岩塩と海塩を言い分けるヨーロッパの言語」は、私のような浅学には思い当たりません。 わたしはもっともっともっと浅学です。地中海周辺国の料理の調味料で出てきました。たしか。海塩と岩塩は味が微妙に違うのです。インダス川の流域付近には死海など岩塩沼がありますね。アメリカも原住民は、塩はグレートソルトレークの岩塩だったのかな。サラリーが語源とか聞いたことありますが、それは海の塩に近いのかなあ。 |
[3965] Re[3961][3960]: ナ メ ク ジ 素人 | 2008/06/04(Wed) 15:10 [Reply] |
なんとか理解できる話題に戻ってきてくれたので、遅ればせながら参加させてもらいます。 佐々木さんの「岩塩と海塩を言い分けるヨーロッパの言語」は、私のような浅学には思い当たりません。 サンスクリットでは塩を"lavana"といい、海の塩"samudralavana"(samudraが海)ですが、岩塩は"sindhulavana"。 このsindhuは「河・川」なので「川塩」ということになります。sindhuは古代ペルシア人によってHinduと訛り、さらに語頭のH が脱落してインドになったそうです。Sindhuは特にインダス川を指すことが多い。 samudralavana(海塩)やsindulavana(岩塩)もヒンディー語の時代になると、それぞれsamudr-lavan、sindhu-lavanと崩れ、 さらに後のネパール語ではsidho-nunと変化しています。後半部分はペルシア語のnamak(塩)がnimakを経てnunとなったと いわれます。 先日紹介したオーストロネシアのデータベースで「塩」を見てみると、なんと453言語が比較できました。 ★〔Basic Vocabulary Database〕 http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/ 一番下のほうにMiyako(宮古方言)も見える。 ネパール語bhasma(灰)はもちろんサンスクリット語源、アーユルヴェーダでは「貴金属などの『灰』を体に塗りつける」 治療というか、儀式みたいなもんにその名前が出ていますよ(「bhasma アーユルヴェーダ」で検索)。 |
[3964] Re[3962]: ヌチ・マース 琉球松 | 2008/06/04(Wed) 11:57 [Reply] |
「スージューサン・スーガラサン」の「ス」は、「ショッパイ・スッパイ・辛い・塩〜」などの総称で、「ジュー」は「強い」ですね。 「スージューサン」は「辛強サ」、「スーガラサン」は「塩辛サ」でしょう。 |
[3963] Re[3962]: ヌチ・マース 佐々木高久 | 2008/06/04(Wed) 10:51 [Reply] |
東大に留学生で来てましたわ。沖縄は縄文時代の高海面期にはほとんど水没していたのではないかと思ったり。イザナギ、イザナミとは、あちらではアダムとイブのことかなあ。海塩は、最初煮詰めたとき海水中の硫黄が出てきまして、ちょっと黄色いのですは、精製するとそれが消えて白くなります。岩塩は、山の灰だったそうです。灰とは要するにミネラルだそうです。ないかの先生でした。 |
[3962] ヌチ・マース 紋爺ぃ | 2008/06/04(Wed) 09:38 [Reply] |
オレ、小林茂先生も具志堅敏行先生も massive もシランとです。ただ、世界にあまねく「発音とその概念の類似」に突きうごかされているだけです。 「その件については、いつ、だれがこう言うた」を並べるお二人がたはどこかの教授センセーやナ。 ネパール王族の葬儀は鳥葬ではなくって、火葬なんでしょうか? それにしても bhasma を名前にとりこむとは神道ではなく、仏教が匂いますね。 スージューサンとスーガラサン、有り難とさん! スージューのジューはなんじゃらホイ。これも su系みたいですね。塩=酢。 すると東洋規模の塩には su系と gar 系が立ちますか。 松さんが「塩は海の正体」とおっしゃったには、塩を海から抜きとることと、も一つ、ヌチマース製造のときの海水噴射が内包されてはなかったでしょうか。 こういう世界に誇れる企業が次々と沖縄に林立することを冀う次第でありマース。 ご存じとはおもいますが、アイヌ語の「いのち」は inot です。inotu とやってる辞書もありますが、やっぱ inot が正しいでしょう。 沖縄でイノチのイが外れたのなら、ハナシはかんたんですが、そうでない場合、こと、言葉だけからいうと、沖縄のほうが日本語よりも起源的(古い)といえましょう。 あちこちの言語では、いのちは神になっています。イザナギ、イザナミもこれ(jyan)です。○○のミコトは○○の命です。 密教には 中央とか「ここ」を重視します。その色は黄色で、その発祥地はアラビヤではないかと小生はかんぐっていますが、朝鮮語に no raη(黄色)があることに驚いています。 rang は族際的に「色」です。これと *not とが関係しているみたい。 アイヌ語 siu-nin は黄色。 nin は「消える」です。siu とは渋か? はたまた、塩が切れたら黄疸みたくになって黄色くなるとやろか? オ〜イ、どこか内科のセンセーはいないかね。 |
[3961] Re[3960]: ナ メ ク ジ 佐々木高久 | 2008/06/03(Tue) 10:34 [Reply] |
そういえば私の知人(故人)はネパール国王の皇子で、bhasma がサードネームに入っていましたなあ。ネパール塩は、岩塩なので、海塩グループとは起源が違うのでしょうか。トルコも岩塩でしたか。kudraも思い出す、「下らんことゆうな」とその人言っていました。maasimaは、松島みたいですなあ。海を感じさせます。英語のmassiveでないでしょうが。ヨーロッパあたりで、どこか失念したけども岩塩と海塩の表現が分かれてました。 |
[3960] ナ メ ク ジ 紋爺ぃ | 2008/06/03(Tue) 10:06 [Reply] |
ナメクジをナメクジら ともいいますが、この末尾の ra はネパール語の強調末尾辞ですし、ベトナム語にも la を語り終わりに持ってくる強調辞がありますら。岡山じゃさかんに云いますらぁ。 ナメクジのナメはペルシャ語系 namak の塩だとおもいますらぁ。クジは ku(汎アジアの悪い)zi(虫)、or ネパール語 kudra(小さい、取るに足らん)のどっちやろか。 どれ一つとっても族際関連があるのには面くらっちょりますと。 考えてみれば、人間には足が生えちょる紋ナ。泳ぐこともできるし、舟つくる頭脳も持っちょる。そして、わずか 6000年前までは国なんちゅうもんはまったくなかった。 国とか集団形成とかのウロコ目つけたら、見ゆるもんも見れんごつなるっちゃろナァ。 こまかいコメントをつけなかったんですが、サモア、トンガ、フィジー共通の塩を ma:sima としましたが、これは maasima と、 a を二つ並べるのが本筋だとおもいます。この maasima の語頭の ma は動詞形成子といいますが、こういう前置限定詞がオセアニアに発達しているのです。この逆がチベット語で、チベット語は後置限定詞が発達しています。 インドネシア語の辞書は、まだ二回しか読んでいませんが、現代、この前置限定詞がどんどん削落して行ってる状況下にあることを驚嘆の目で見ています。 maasima の語頭の ma は接頭限定詞なんです。 maasima から ma が落ちた語形が asima ですが、もともとの maasima の末尾の ma も、なにかこれ、限定末尾辞くさいです。ベトナム語には -ma で強調末尾辞があります。 そういう、たいしてダイジでない ma ですので、これが癖音で ma ・ n の音転をおこしたわけです。しかも -in は半世界的な「する」ですので、意味が合おうが合いまいが、そのまま asin として踏み潰したのが、タガログ語、台湾ヤミ語だったというわけ。 maasima の語頭の maa 〜 ma: が接頭限定詞とみたのか、台湾の 11部族は、大略*sinV (V は母音)の語形で塩を自分たちのことばとしているのです(と、オレ惟ふ)。 そこでネパール語の bhasma(灰になってしまうこと)を再び睨みつけると……、これには四つばかりの込み入った概念が重なっていることに注目せざるをえません。「まず、燃えるモノがあって、これに火がつく、どんどん燃えて行って、時間経過のあと、灰がのこる」こういうのは借用語でしか起りえません。ネパール語のbhasma は借用で、起源地をオセアニアに持っているのです。《もちょっとつづくのかな?》 |
[3959] Re[3958][3957]: 塩の道に ボッカ 琉球松 | 2008/06/02(Mon) 23:54 [Reply] |
琉球方言の「マース」は "海の正体"って感じで、岩塩にはなじみがないですね。 |
[3958] Re[3957]: 塩の道に ボッカ 佐々木高久 | 2008/06/02(Mon) 20:18 [Reply] |
紋爺いさんの研究は、大阪大学文学部の小林茂教授とよく似ていますね。マースは岩塩でなく、なんとなく海の塩のような音感がします。しマんちゅのシおとも響きます。バースは、土が貴重などこかの国では、土のことだと聞きました。水、土、塩は重要ですか。石はなめくじと同じで塩に弱いそうのですから、敵さんにお塩をたっぷり高見盛ぐらいまいてやったらどうですか。 |
[3957] 塩の道に ボッカ 紋爺ぃ | 2008/06/02(Mon) 18:33 [Reply] |
小生が『塩の道』という本を買ったのは、小谷(オダリ)ちかくに泊ったとき、そこの旅籠に売っていたからでした。あれ、ひょっとしたら儀八さんの本かもしれないですね。 塩の道は別名チクニ街道とも呼ばれたそうです。塩などを運ぶ人足はボッカと呼ばれました。ボッカの仕事は危なく難儀なものだったそうです、しかし、ボッカたちは小谷(オダリ)の温泉場にいる「チクするニ(女 ・ 尼)」のことを想いおもい、3K労働に耐えたんでしょう。 塩尻(市)や「生島・足島神社」まで運び込んだ塩は邑知地溝帯の鳥屋で造りました。へんなこと云うようですが、それは地図見りゃわかります。生島・足島神社がある場所も塩尻です。 猪カ(チョカ……豚飼い)、牛カ(ギュウカ)、画家……というように、カとは「職業人」のことでしょう。 今でも尾瀬沼には一人で 100キロの荷を運ぶ ボッカさんがいるのではないでしょうか。 bok- とはネパール語で「運ぶ」という意味です。 ヒマラヤ登山隊などは シェルパと呼んでいますが、あの言葉は日本人のあいだだけでも、早いとこ廃止して、せめてボッカと呼んでほしいとおもいます。 シェルパとはレッキとした一民族の名前です。「トルコ風呂」呼ばわりはいけないんです。 たしかに、個人や氏族・民族間には遺伝因子レベルからの優劣が“一見”あるように見えます。しかし、現段階では人類規模でそれを克服できてないんです。 ある種のいろ眼鏡でみると「優劣として」みえる………『呑み屋の価値観』をよろしくゥ。 あ、マース(沖縄の塩)では、いちおう崖崩しに成功したかとおもいます。でもテキはテテテキな石頭です。今後の方針を『紋次郎・言語考古学』に書きました。 革命がくるぞ!! |
[3956] Re[3953][3952]: 塩の系譜 3 琉球松 | 2008/06/02(Mon) 18:07 [Reply] |
「塩」の話、面白いですね。 元高校の英語教師で、琉球方言の解明をライフワークにされている具志堅先生は「マース」について、以下のように書いています。 『古代琉球語の旅/具志堅敏行(那覇出版社)2006』より *** 『古事記』や『万葉集』の時代に「シホ」または「ウシホ」だったのが琉球では、それぞれ「シュウ」「ウシュ」の段階を経て現在の「スー」や「ウス」に落ち着いたものと思われる。 そして「スー」または「ウス」が「塩」の状態になったものを初めは「マウス」または「マシウ」などと言っていたが、後には「マース」という発音になったのではないかと想像する。 『古事記』の頃から既に「塩」が使われており、「潮」と同じように「シホ」と発音していることから「真潮」という概念があったのだと思う。そして漢字が効率よく活用できるようになってから二つの「シホ」に「潮」と「塩」を当てて区別したのである。こうような漢字は「和語の訓読み」に対応させたもので、いわゆる翻訳である。 なお、沖縄方言で「しょっぱい」を「スージューサン」とか「スーガラサン」と言う。 また、中国語で「潮」を「チャオ」と発音するが、日本語の「シホ」と無縁ではない感じを抱く。大陸時代に、どこかで接触したのかもしれない。*** |
[3955] Re[3954]: 富岡儀八さん 佐々木高久 | 2008/06/02(Mon) 14:01 [Reply] |
「日本の塩道」で、毎日出版文化賞をとられたあと、研究途上で亡くなられたので、消息不明なのです。 参考までに「日本の塩道-その歴史地理学的研究」古今書院、「塩の道を探る」(岩波新書)など。ともに絶版。 岩波新書には「日本言語地図」が取り上げられていて、国の研究機関、国立国語研究所がかつて全国的に行った方言調査の膨大な結果を、標準語一語ごとに、日本地図上の分布図としてまとめられているのです。 >国立国語研究所は、いまは、単語ごとの分布地図は作ってないそうです。 情けないやら。金晴さんも嘆いていることでしょう。 |
[3954] 富岡儀八さん 紋爺ぃ | 2008/06/02(Mon) 12:50 [Reply] |
佐々木さん、 オレ、40才ぐらいまでは、学問嫌いでしたので、 富岡儀八という方は存じ上げません。富岡儀八というお方は、「沖縄と台湾以南との言語上の断絶」にまで言及なさったのでしょうか? もし、なさっていらっしゃたら、沖縄語学のリーダーたちは、シランっぷりしていたとしかなりませんね。 国立国語研究所は、いまは、単語ごとの分布地図は作ってないそうです。 |
[3953] Re[3952]: 塩の系譜 3 佐々木高久 | 2008/06/02(Mon) 09:39 [Reply] |
紋爺ぃさん 塩特集、大変興味深く拝読させて頂きました。各民族の塩の捉え方(塩に対する主観)がよくわかります。亡くなった富岡儀八さんが塩の系譜では先駆者でしょう。 大変面白い。勉強になりました。感謝致します。 |
[3952] 塩の系譜 3 紋爺ぃ | 2008/06/02(Mon) 06:41 [Reply] |
つきつめて考えたら、対象とすべき語彙は、「塩・酢・塩っぱい・酢っぱい」の 4語でした。が、なにせ手許の辞書は 韓国語 ・日本語、 比語 ・ 日本語 などの辞書ばかりですので、辞書で拾うのがたいへんです。そういえば、この種の作業は水や火、太陽などで、国立国語研究所がやっていたので、今日にでも訊いてみましょう。 Sさんのお導きによれば、カレー・ライスには塩気は不要なんですって。でもカレーライスはカラい。この「カラ(辛)」はタミル語中心にシッカリした根をおろしているようです。ア−リア系インド語のどこかでも「カラ=辛い」を見かけたことがあります。 インドネシア語は、いまでは世界中の言語のふきだまりみたいになっています。 インドネシア語の garam(塩) は、Sさんによれば、セム語系の“熱”と、おおいに関係あるのだそうです。そういえば、garam は三つの語幹による造語らしいです。 小生は、まだインドネシア語の「塩っぱい、酢っぱい」は掴んでいません。でも、酢は cuka です。 cuka は朝鮮語・日本語で共通の *so に似ているようでもあります。朝鮮語は母音で南方とは大幅にちがっていますが、語彙面ではかなり南方に連なっているところがあります。 インドネシア語とは、いちおうスンダランド爆発の中心地であり、塩などという語が借用だったとしても、周辺僻地には、まだまだ原形をとどめる語彙が残っているはず。ここは小生の親友の親友が世界一に得意とする分野ですので、乞うご期待です。 さて、そこで台湾の塩をみることにしましょう。台湾はマレー語系統だといわれています。すなわち、スンダランド爆発につらなるインドネシア語との親類です。しかし、台湾の氏族は、永いあいだ海の中の山岳に拠った閉鎖社会だったので、それぞれの氏族に独自の音転が遂げられ、統一的、一般形が掴みにくくなっています。 手許の資料では、三つの語群、18種の言語が得られます。その全部を並べればいいのでしょうが、紙面をくいます。 その前にフィリピン・タがログ語の塩が asin だったことを想起おきください。 タガログ語 asin そっくりなのが、アミ語群・ヤミ語の asin ですが、あとは語頭に ci , si, ti を立て、第二子音が m か n という基本構図をとっています(そうでないのもかなりあるのです)。すなわち、*cin- , *cim- , *sin- , *sim- , *tin- , *tim- が基本です。これらをひとつとして考えれば、ここに入る氏族語の塩は全 18中 11 あります。 すると、フィリピン・タがログ語の asin もこの系統に含まれる事実を認めざるをえなくなったのです。すなわち、これまで「沖縄と台湾には、乗り越えがたい言語上での断崖がある」と考えるのが常識韃靼ですが、その常識は、すくなくとも塩に関しては破られたのです。 掉尾を飾りたく、ウイルタ語の sundatta(魚)と dausu , dausun (塩)を挙げておきます。ウイルタ語の dausun の dau は「分量」とか「いっぱい」の意味があります。*su ! |
[3951] 「藻塩」「焼く」 佐々木高久 | 2008/06/01(Sun) 19:31 [Reply] |
「藻塩」は「焼く」に掛かると思います。 「もしをやく」という場合は「茂し」を「焼く」、焼畑式農業。 「もじをやく」という場合は「文字」を「訳」、通訳??。 「もしおやく」という場合は、喪、塩、厄。 非常に多角的に見ることができることばであると判断致します。 藻塩焼きは、万葉集から詮索すると、白砂青松の海岸で松ぼっくりで焼いていた煙が立っていたと思います。その煙が焼畑のようだ、厄を祓って(焼き払う)くれるようだということでしょう。 |
[3950] 塩の系譜 2 紋爺ぃ | 2008/06/01(Sun) 14:10 [Reply] |
「藻塩焼く」ということばがありますが、これは枕ことばでしょうか。枕ことばだとしても、これがなにに懸る枕ことばなのかもオレ、知りません。 藻塩を焼いた場所は、海辺の岩盤の上でしょう。ここで昼間カラカラに乾いた海藻(ミル)を焼き、その灰を団子に丸めたものを内陸へ輸出したことが、容易にうかがえます。 この塩団子にも産地によって塩の含有率がちがうので、その目利きが「シオジリさん」だったとおもわれます。 ziri は老人が原意ですが、これがヒジリ(聖)と同格になります。 中期朝鮮語の塩はさきにいったように、 sokumですが、これが現代朝鮮語では sogωm になっていることを、すこし見ましょう。ω とは口を横いっぱいにつっぱってイという音ですので日本人がこれを聞いたら、イとして受けとることになります。 3ヶ月ほど前でしたか、正式にはハンギルと発音すべきを、朝鮮人は国をあげてハングルと発音している事実を知りました。ここに多くの母音をもっている朝鮮語には「 i = u = o 」の通音があることを知ります。 ついでに、トルコ語の i みたいな発音が、日本東北のヅ−ヅ−弁の基礎になっていた事実も想いだしておいてください。 これらの中間母音は、日本・アイヌを含むオセアニア系のハッキリしたアイウエオの 5母音体系とはまったく異質なんです。 そこで朝鮮語の酢、これは t∫ho(チョ)で、スッパイは sida です。チョはほとんど シオに近い音ですし、 sida の da は「○○である」ですから si がこの語の語幹です。 さきに、今えられる各種の塩という語彙は中〜大型言語が多くの氏族語としての塩を踏みつぶして残った残滓だといいましたが、われわれはここに「塩・酢・すっぱい」を並べることによって、より接近して古代の語彙を模索する方法を得たわけです。 sokom 、t∫ho 、si ……、ここに日本語の sio が同列に並んでいる様相を感じます。 いよいよの原始時代では、塩の呼び名は氏族単位でちがっていたかもしれません。 しかし、現今でも八百屋さんは野菜のほかにケチャップや醤油、だしなどをクルマに積んで商いをしています。交易が発達してくると、商品の呼び名は広域で同じになります。 日本語の塩もそういった経緯で広域での呼び名の一つだったのではないでしょうか。 ここでフィリピン・タがログ語の塩をみると asin でオセアニアの maas の as が入っていて、これにクルド語、インドネシア語、沖縄語、朝鮮語に共通の -in(する)がついた語形のようです。酢は asido ですが、これは西洋からの借用語らしいですが、ほんとうにそうなのかどうか、小生にはわかりません。 しかしタガログ語には maalat(塩っぱい)と maasin(酸っぱい)があり、ここで沖縄の土着語に急接近します。 こんなことは、早い段階で伊波普猷先生とか外間守善先生が、みんなに知らせるべきだったんですがねえ! |
[3949] 塩の系譜 1 紋爺ぃ | 2008/06/01(Sun) 09:08 [Reply] |
潮(?)を「マウシオ」とされたには、感じいりました。 塩とウシオは何らかの関係があると想われます。 小生はいま、皮なめしと塩の関係を追いかけています。時代がさがると、皮なめしはタンニンとかドングリを煮て得られる シブ(渋)が採用されるのですが、初期の皮なめしには、何らかのかたちで塩がかかわっていたのではないか……。まずはおおいに遊んでみることが大事でしょう。 塩は各地の交易圏ごとにちがった呼び名がつけられるスジ合いのものでしょうが、塩は生存にとって基本的なモノだけに、あなどれません。 アマカネを連発するモニ族は塩を採る池をクンバといいます。もしこのバが場ならば、ネパール語の nun(塩)と kun が対応しているような気もします。 ベトナム語の塩は muoi 、……これは関係なさそうです。 朝鮮語の塩は sokom(現代は sogωm。これも結びつかないようですが、語頭の so が日本語の sio や英語の salt に似て、少しひっかかります。また、 kom , gωm は上の kum にも関係あるのでしょうか? アイヌ語の塩は sipo……。日本語の sio とほとんど同一です。sipo の p は w や b に音転しやすいことを考慮にいれると、ここにすぐ、*siv(渋)が顔をだしています。 あ、だいじなことですが、ここでは ○○語の塩は××、△△語の塩は★★のような表現となっていますが、ここに出る言語種は、すでに歴史の重層に淘汰された「中型〜大型」の言語です。それらがいちいちそうなるまでには、多くの氏族語での塩を踏み潰し、抹消させた跡の残滓ですので、そういう複眼で一つひとつの塩の語をみつめる必要があります。 ところで、ネパール語に bhasma(灰になってしまうこと)という不思議な語彙があります。バスマです。これをいっちょ バーシマとして受け取っておきましょう。 さて、そこで眼をオセアニアに転じるとフィジー、トンガ、サモア語に共通の ma:sima(塩)があることに目を奪われます。沖縄のマース(塩)が顔をだしているようです。 ハナシは飛びますが、塩と酢は「雷と龍、蟹と癌(ガン)」のような接近をみせます。 日本語でも su(酢)と sio は似ています。塩水はそのままでは 4〜 5日でくさくなります。あの臭いクサヤなる魚の漬物を造った動機がうかがえます。 も一つハナシは飛びますが、古代の塩は灰にまぶしたような状態にして運び、保存したのだろうと考えられます。モニ族もクンバ(塩場)で塩分たっぷりの木を燃やし、灰を作って、それを聚落に持ち帰っています。 ネパール語のバスマはここでオセアニアのマーシマ(塩)と握手するかと思います。 |
[3948] Re[3947][3946]: 臆測 と 推理 素人 | 2008/06/01(Sun) 00:15 [Reply] |
> ということは、『』内部分だけではなく、『個人名』にも問題となる条件があるのでは。 それはそうですね。で、私は法律の専門家ではないのでうまく説明できませんが、次のように考えます。 基本的には「プライバシー」と「知る権利」のせめぎあいと同様。その境目付近は微妙な判断が必要でしょう。 でも岸信介氏の場合は「境目付近」の問題じゃなくて、明らかなNGだと思いますね。なぜなら、氏の血縁者・親族・縁故・ 知人等が現在大勢生活しているから。つまり、信介氏の家系及び出自に関する憶測(デマ)を、インターネット掲示板の ような不特定多数の人が見る事が予想される場に書き込むことにより、彼らが不利益を蒙る可能性があるという事です。 また、そういう岸信介氏の情報によって、何らかの歴史的事実の発掘に大きく寄与する、といった理由もないであろう。 以上です。 |