青草掲示板ログ平二十年 十二月 2008.12
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[4735] Re[4729][4727][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  素人 2008/12/31(Wed) 03:26 [Reply]
大三元様
大変失礼しました。
>「矢筈」も同様でしょうね?
弓筈と矢筈を混同していました。
再度、調べてみましたら石鏃を弓に装着する、根鋏みが出土していました。
貝塚からの出土品ですから、弓だけでなくて、ヤス用なども有るでしょうが、無茎鏃の石鏃をワンタッチで挟んで装着するものです。形は矢筈と類型のものですから鹿の角の矢筈は有ったのでしょう。砕けやすい石鏃を交換したりして再利用したのかもしれません。
根挟みを中心に
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo05/0501kawa.pdf
>「使い捨て」だと「弓筈」が要らない、というのはどうしてなのでしょうか。(すんません、意味が取れないので・・・)
「弓筈」は矢筈の間違えでした。
根鋏み・矢筈・矢羽などを取り付けると加工も大変で、リサイクルしていたのかと、使い捨てなら矢竹の節部分で切って溝を付ければ使えるのではと考えた次第です。再利用すると割れたりするので矢筈必要ではと考えた次第です。
>そうですね。だから山容から名付けられたのではない、というご見解ですか?
微妙なところで、非対称のコブでも矢筈岳となっている場合もあるようですから可能性もないとは言えないようです。それにしても、矢筈岳は多いのですね。
間違えばかりで、寝ぼけていて済みません。
青草でした。
蛇足ですが、踏み鞴は8世紀中ごろから、それ以前ですと革鞴ではと夢想します。
普通、革鞴ですと手での操作と思われます。

[4734] Re[4733][4730][4728][4726]: 足一騰宮  琉球松 2008/12/29(Mon) 14:35 [Reply]
 「アシアゲ」の語源は、たんに足(柱)で屋根を揚げただけと考えますが、意味的には「足一騰宮」と繋がるかもしれません。
 ただ、いろんな想像が許されるほどに証拠がないのが厄介ですね。

 一般的に奄美型は足が高いようで、足の本数(4/6/8)は沖縄諸島も含め強度確保以外の理由はないようです。

[4733] Re[4730][4728][4726]: 足一騰宮  大三元 2008/12/29(Mon) 09:49 [Reply]
mai nakahiraさん

> わたしも読みました。同感です。
> 一子相伝ということなので、テキストを明かしたくなかったのでしょうか。

やはりテキスト公開して、その上で解説して貰わないとなぁ、と思いますね。

> > > 金久氏によると、足を一本、川につっこんだ不思議なお宮は、奄美の祭祀用の建物に似ているそうです。
> >
> > 写真でもどこかで見ることが出来るのでしょうか。古くからの建築方法なのだ、という考証がありましょうか(記紀を解釈してそのようなものを建ててみた、というのではない、というような論証)。見てみたい、読んでみたいものです。

「写真」伊波普猷著『影薄き国つ神』に出てました。真喜屋御嶽にある「神あしやげ」。平地に建てられたもので足は6本見える、屋根は、草(くば?)で葺いてある。写真では判然としないけど、隣接して瓦屋根の建物で火の神を祀ってある、とのこと。同書では、「足」とは建物の「土台」のことであると。さすれば、あし・あげ とは土台を騰げたもの、高床式、ということか。

[4732] Re[4731][4723][4722][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/29(Mon) 09:40 [Reply]
琉球松さん

>  奄美沖縄の「神アシアゲ」から金属片などは見つかってませんが、火を熾す聖域だったとの想像は可能ですね。

伊波普猷著『影薄き国つ神』によると、神あしやげには火の神を祀った所と、そうではなく火の神は別に建てた小祠で祀るところがある、としています。だから、火の神までは行けそうだけど、

>  神武が銅鏡を表しているとすれば、「片足を上げ下げしてフイゴを踏む(金属加工)所」の可能性もありますし、奄美の「ケンムン(沖縄ではキジムナー)」が金色に輝く"元気な銅鐸"の記憶を留めていることも考えられますから、面白そうです。

銅鐸、フイゴ云々まではどうですかね。

[4731] Re[4723][4722][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  琉球松 2008/12/28(Sun) 21:36 [Reply]
 神奈備さん、どうもどうも。

 黒木メイサ。。。ですか、普通の島娘だったんですけどね。たしかに"磨けば光る"わけです(笑)。

 ところで「姫島には天一根を祀る神社はなく」とは知りませんでしたが、玄界灘沖の姫島との共通性をみると、奄美沖縄における神々の足がかりの地「オヲ島」のような感じがしますね。
 
 それから大三元さん、mai nakahiraさん。
 「足一騰宮」。。。この響きは確かに「アシアゲ・アシャゲ・アシャギ・アサギ」を連想しますね。
 神武が銅鏡を表しているとすれば、「片足を上げ下げしてフイゴを踏む(金属加工)所」の可能性もありますし、奄美の「ケンムン(沖縄ではキジムナー)」が金色に輝く"元気な銅鐸"の記憶を留めていることも考えられますから、面白そうです。

 奄美沖縄の「神アシアゲ」から金属片などは見つかってませんが、火を熾す聖域だったとの想像は可能ですね。

[4730] Re[4728][4726]: 足一騰宮  mai nakahira 2008/12/28(Sun) 18:57 [Reply]
大三元さま、レスをありがとうございます。
>
> 『古伝が語る古代史 宇佐家伝承』宇佐公康著を読んだことがありますが、著者による論述であり、家伝自体のテキストが出ていなくて残念に思った印象があります。

わたしも読みました。同感です。
一子相伝ということなので、テキストを明かしたくなかったのでしょうか。
しかし、家伝を解明して残したいという本人の熱意はすごく伝わってくるので、
それだけは面白かったです。
問題なのは、じぶんで解明しすぎているところかも。

>
> > 金久氏によると、足を一本、川につっこんだ不思議なお宮は、奄美の祭祀用の建物に似ているそうです。
>
> 写真でもどこかで見ることが出来るのでしょうか。古くからの建築方法なのだ、という考証がありましょうか(記紀を解釈してそのようなものを建ててみた、というのではない、というような論証)。見てみたい、読んでみたいものです。

『奄美に生きる日本古代文化』にそう書いてありました。
奄美の祭祀の建物は、簡素なものだと思います。
今ではあるのかどうか、わかりません。

ところで、宇佐神宮に池に足を何本かつっこんだ神楽殿がありますが、どうも足一騰宮を再現しようとして建てたように見えます。
今、じぶんが調べているものと少しずれるので、それ以上追求はしていないのですが。


> > 記紀には宇佐の祭祀がたくさん含まれているようです。
>
> 上記宇佐家伝も記紀と同じようなことが書いてあるようですが、「祭祀」がたくさん含まれている、とはどういうことなのでしょうか。

宇佐家伝を読んでいるので、そういう部分もあるなと思って書き込んだ次第です。
すみません、あまり深い意味はありません。

超おおざっぱにいってしまうと、タカムズビノカミ(天孫系)と三輪山の祭祀(国津神系)が混ざっているというのが面白いなと思いました。

[4729] Re[4727][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/28(Sun) 12:09 [Reply]
素人さん、こんにちは

> ご存知と思いますが、縄文時代の出土品の弓筈は鹿の角製が多いようです。

「矢筈」も同様でしょうね?

> 当然ですが、縄文時代から矢は大事に回収して何度も使っていたのでしょうか、使い捨てなら弓筈などいらないように思います。

「使い捨て」だと「弓筈」が要らない、というのはどうしてなのでしょうか。(すんません、意味が取れないので・・・)

> 姫島弓筈岳

「矢」筈岳 のことですか?

> 二つコブなどですと形から弓筈岳などと言うようですが頂上と小さなコブシかないようです。

そうですね。だから山容から名付けられたのではない、というご見解ですか?

[4728] Re[4726]: 足一騰宮  大三元 2008/12/28(Sun) 11:56 [Reply]
mai nakaharaさま、初めまして。

私も『奄美に生きる日本古代文化』を読んでみようかな。

> 宇佐国造家の子孫によると、足一騰宮で神武さんをもてなした話が伝わっているそうです。

『古伝が語る古代史 宇佐家伝承』宇佐公康著を読んだことがありますが、著者による論述であり、家伝自体のテキストが出ていなくて残念に思った印象があります。

> 金久氏によると、足を一本、川につっこんだ不思議なお宮は、奄美の祭祀用の建物に似ているそうです。

写真でもどこかで見ることが出来るのでしょうか。古くからの建築方法なのだ、という考証がありましょうか(記紀を解釈してそのようなものを建ててみた、というのではない、というような論証)。見てみたい、読んでみたいものです。

> 「天一根」はこういうところから発想したにかもしれません。

「天一柱」など島名の異名は重要な情報だろうとは思いますが、良く判りません。
(「伊予の二名島」「隠岐の三子島」は判ったツモリでは居ります。)

> 記紀には宇佐の祭祀がたくさん含まれているようです。

上記宇佐家伝も記紀と同じようなことが書いてあるようですが、「祭祀」がたくさん含まれている、とはどういうことなのでしょうか。

[4727] Re[4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  素人 2008/12/27(Sat) 23:27 [Reply]
大三元様
> 黒曜石の鏡に加えて、黒曜石の「矢筈」は?:
>  姫島に矢筈岳があり、さて、黒曜石の「矢筈」はあるのだろうか、と調べてみましたが見つかっていません。「矢筈」のアイヌ語が aikanci、これは ai(矢)kanci(黒曜石 kanci=anchi)と解析出来そうなので気になっているものです。

ご存知と思いますが、縄文時代の出土品の弓筈は鹿の角製が多いようです。現在でも角筈とプラ筈(プラスチック製、角の代用)が多いようです。
当然ですが、縄文時代から矢は大事に回収して何度も使っていたのでしょうか、使い捨てなら弓筈などいらないように思います。石族も再利用できたのでしょうか興味のあるところです。
姫島弓筈岳
二つコブなどですと形から弓筈岳などと言うようですが頂上と小さなコブシかないようです。
北緯33度43分19秒、東経131度39分59秒
北緯33.721898度、東経131.6665度
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=334319&l=1313959
青草でした。
前から夢想しているのですが、中国の浙江省銭塘江河口部付近の地形が西瀬戸を含む宇佐周辺と似ている、特に国東半島へんが、と考えています。特殊な建物なども江南地域と関係あるのでしょうか。この地域の寧波市は遣唐使で古代から縁のある街でそれ以前から関係があるのではと考えるこの頃です。
蛇足でした。

[4726] 足一騰宮  mai nakahira [Url] 2008/12/27(Sat) 11:40 [Reply]
神奈備さま、大三元さま、こんにちは。

>「足一騰宮」については琉球語の「アシャゲ」との関連がうかがえそうで面白いです。
http://www1.odn.ne.jp/n-unasaka/asyage1.htm


このサイトの原稿を書いた、民俗学者の金久正先生、大好きです。
古本を探して著作も手に入れました。
後で気がついたのですが、ケンムンの民話もたくさん採取している方です。
すでに家にある民話の本にたくさん出ていました。

宇佐国造家の子孫によると、足一騰宮で神武さんをもてなした話が伝わっているそうです。

金久氏によると、足を一本、川につっこんだ不思議なお宮は、奄美の祭祀用の建物に似ているそうです。「天一根」はこういうところから発想したにかもしれません。記紀には宇佐の祭祀がたくさん含まれているようです。

[4725] Re[4724][4723][4722][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/26(Fri) 11:17 [Reply]
> 「足一騰宮」については琉球語の「アシャゲ」との関連がうかがえそうで面白いです。

原出典:「影薄き国つ神」伊波普猷(昭和11年)(『をなり神の島』2に収載)

[4724] Re[4723][4722][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/26(Fri) 11:03 [Reply]
神奈備さん、琉球松さん
>  天一根から連想するのは神武さんが宇佐へ行き、足一騰宮で饗応を受けたとの記事です。三角形の大きい板を陸地に一辺、水中に一本の柱でささえるイメージが浮かびます。

「足一騰宮」については琉球語の「アシャゲ」との関連がうかがえそうで面白いです。
http://www1.odn.ne.jp/n-unasaka/asyage1.htm

>  宇佐の姫神とは、『日本書紀』(誓約)の一書(第三)では、「日神が生まれた三柱の女神を葦原中国の宇佐嶋に降らせられた。今、北の海路の中においでになる。」とあり、宗像三女神のことを指しているようです。

吉田東伍著『大日本地名辞書』では↑を否定していますが、その否定とて根拠が十分とは思えません。「未詳」とされている(岩波の日本書紀頭注)ので、諸説楽しみましょう。

[4723] Re[4722][4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  神奈備 2008/12/26(Fri) 08:49 [Reply]
>  「姫島」って、宇佐神社の「姫神」のことでしょうか?
>
>  あるいは「黒姫」との関係もあるでしょうかね。

 『古事記』のは、諾冉二神の国生みの後のシーンで女島を生んでいます。またの名を天一根と言うとあります。『岩波文庫』では、国東半島の東北の姫島と注があります。
 所が、その姫島には天一根を祀る神社はなく、筑前国志摩郡の玄界灘沖に姫島があり、ここに姫島神社が鎮座、天一根命を祀っています。さて一体どこなんでしょうか。

 天一根から連想するのは神武さんが宇佐へ行き、足一騰宮で饗応を受けたとの記事です。三角形の大きい板を陸地に一辺、水中に一本の柱でささえるイメージが浮かびます。

 宇佐の姫神とは、『日本書紀』(誓約)の一書(第三)では、「日神が生まれた三柱の女神を葦原中国の宇佐嶋に降らせられた。今、北の海路の中においでになる。」とあり、宗像三女神のことを指しているようです。
 
 国東の姫島の黒曜石は黒ですから、黒姫とは面白いですが、古事記での仁徳妃、日本書紀の履中妃、その他風土記などにも黒姫が登場しています。美人を連想します。メイサ。

[4722] Re[4719][4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  琉球松 2008/12/25(Thu) 12:59 [Reply]
 「姫島」って、宇佐神社の「姫神」のことでしょうか?

 あるいは「黒姫」との関係もあるでしょうかね。

[4721] Re[4720][4717][4714]: 石の鏡  大三元 2008/12/24(Wed) 15:52 [Reply]
>  無明舎出版から『秋田「物部文書」伝承』新藤孝一著 と言う本がでており、断片的に内容が紹介されています。これによりますと、公開されています。

くずさんご紹介の:
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text6.htm
によれば、一部公開、全貌不明のようです。

東日流外三郡誌みたいなことじゃ困るのでチャント史料として使えることの確認、合意を見たいものと思ってます。

[4720] Re[4717][4714]: 石の鏡  神奈備 2008/12/24(Wed) 15:22 [Reply]
> 「物部文書」とか「黒曜石の(?)鏡」など公開して資料性を確認して欲しいものですね。

 無明舎出版から『秋田「物部文書」伝承』新藤孝一著 と言う本がでており、断片的に内容が紹介されています。これによりますと、公開されています。

http://www.hachiman.com/books/akita.html

[4719] Re[4716][4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/24(Wed) 10:44 [Reply]
素人さん、ありがとうございます。

お話のように黒曜石の鏃は沢山あるようですね。

黒曜石の鏡に加えて、黒曜石の「矢筈」は?:
 姫島に矢筈岳があり、さて、黒曜石の「矢筈」はあるのだろうか、と調べてみましたが見つかっていません。「矢筈」のアイヌ語が aikanci、これは ai(矢)kanci(黒曜石 kanci=anchi)と解析出来そうなので気になっているものです。

[4718] Re[4715][4713][4712][4711][4710][4709]: 磨製石器  大三元 2008/12/24(Wed) 10:38 [Reply]
佐々木さん

有り難うございます。要は、花崗岩(硬度>6)の鏡面加工が出来るなら、黒曜石(硬度5)も鏡になりうるだろうし、現実に外地(アナトリア)では出土している。されば、我が国にも石の鏡(黒曜石でも花崗岩でも)があったのではないのか。発掘調査の場合にもそう言う視点を持っていて欲しいな、という望みです(なんだか判らない破片なんかの用途を推定するときなど)。

花崗岩を御影石とも云う。それは兵庫県の御影で採れる石だから御影石というのだ、というのが通説ですが、「かがみ(鏡)」が「影・見」であるかも、という考えに沿って見ると、この石が「鏡」に利用されたので「みかげ石」と云う、ということがないのか、とも思っています。但し、上代にこの石を「みかげ石」と呼んだかどうかが不明なので憶測の域を出ない。

[4717] Re[4714]: 石の鏡  大三元 2008/12/24(Wed) 10:23 [Reply]
くずさん

> 上記サイトで「黒曜石の鏡があると言われる秋田の神社」とは唐松神社のようです。
> http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text6.htm

「物部文書」とか「黒曜石の(?)鏡」など公開して資料性を確認して欲しいものですね。

> 個人的には鏡作りの"石凝姥命"とは、鏡そのものというより青銅器鋳造技術における石製鋳型と関連した神と考えた方が今のところしっくりくるような気がしますが。

古語拾遺ではハッキリと「石凝姥神に命じて日像之鏡を鋳造させた」とあり、記紀でも鋳造らしく書いてあり、石凝姥は鋳型を作ったのだ、と理解されていたように思われます。

私のチャレンジは、当時(記紀や、その後の古語拾遺が作られた時点)既に忘れられてしまった「石の鏡」ってものがあったのではないか、ということで、言葉の方から攻めてみようとしてますが、出土してくれないとどうしようもない(?)青草論議です。

[4716] Re[4709][4708][4707][4706]: 磨製石器  素人 2008/12/23(Tue) 23:34 [Reply]
大三元様
> なお、ちと面白いことを見つけました。
> 黒曜石の名産地、和田峠を北から諏訪郡に入った途端に「砥川」が発する。
> 同じく、栃木県の高原山から南西13kmに「砥川」が発する。
> もっとないかな、調べを続けますが、
> 「黒曜石」を「砥石」で磨いたか、というのも現実味がありそう。
> 「天糠(アラ〜粗)砥神」も居られるわけで・・・

ご存じと思いますが、前に諏訪の黒曜石の書き込みの時に、「砥川」が出ております。重複しますが。
諏訪大社下社春宮 <砥川> 浮島神社 その下流の中州
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.07863841&lon=138.08429533&sc=2&mode=aero&pointer=on
地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=36.07863841&lon=138.08429533&sc=2&mod
下流の中州に砥川で丸く削られた黒曜石の転石が転がっていたかも知れません。
以前ネットに地元の方が、近くで黒曜石の鏃が山ほど見つかったので古代神社で黒曜石の鏃をお守りなどのように扱っていたのではとの書き込みがありました。定かな情報では有りませんが、大量生産なら細かいところは研磨などではと夢想いたします。
ガラスですから砥石でしたら鏃の後ろの方の細かい細工も簡単ではと考えてしまいます。
蛇足ですが、姫島ではガラス質安山岩も石器に利用されていたようです。
青草失礼します。

[4715] Re[4713][4712][4711][4710][4709]: 磨製石器  佐々木 2008/12/23(Tue) 20:44 [Reply]
大三元さん
 庵治石は、正確には花崗閃緑岩に属していて、黒雲母の結晶密度が非常に高いのが特徴です。
 外見は花崗岩より比較的暗めな仕上がりに見えます。黒曜石との共通点は「暗め」なのでしょうか。

神奈備さん

 花崗岩の表面がある程度平坦にしてから、粒子がより細かい辰砂で鏡面研磨を施すということだと思います。少し記憶にあります。
 今はダイヤモンドペーストやセリウムが使用されていますが。
 花崗岩はほとんどが結晶で出来ているので、モールス硬度は硬めですが、それぞれの結晶の膨張係数の差が脆さの原因と思います。寒暖差の激しいところは脆くなる傾向がありますね。

[4714] 石の鏡  くず 2008/12/23(Tue) 18:10 [Reply]
"石の鏡"から下記のサイトにあたりました。
http://www.tic-mi.com/publ/essay/terai/0211terai.pdf

上記サイトで「黒曜石の鏡があると言われる秋田の神社」とは唐松神社のようです。
http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text6.htm


個人的には鏡作りの"石凝姥命"とは、鏡そのものというより青銅器鋳造技術における石製鋳型と関連した神と考えた方が今のところしっくりくるような気がしますが。

[4713] Re[4712][4711][4710][4709]: 磨製石器  大三元 2008/12/23(Tue) 17:20 [Reply]
神奈備さん

花崗岩、と云われたので探索範囲を広げてみますと、庵治石も花崗岩の一種。はい、 anji ですね。anji/anchi が時・所によって黒曜石だったり花崗岩だったり、ってなこどもありかな、と妄想爆走中です。和語古語なら「あむち」あたりなんだろうけど、そんな語はなさそうだし、「庵治」地名もどれほど遡ることが出来るのか。かなり無理のようですが、あんち中模索 です。

[4712] Re[4711][4710][4709]: 磨製石器  神奈備 2008/12/23(Tue) 15:59 [Reply]
> 神奈備さん
>
> 硬度をネットで調べてみたのですが、
> 花崗岩 6 とか 6.5とあり
> 黒曜石 5 のようです。

http://chushikoku-shibu.web.infoseek.co.jp/ronnbunn/PDF/PDF19/1903.pdf
石灯籠などに使われている花崗岩は表面がでこぼこになっています。伯耆富士の大山の花崗岩はこれまらボロボロ、硬いと言う印象はなかったのですが、花崗岩は石英や長石で構成されており、それぞれの硬度にはばらつきがあっても。石英で7,長石で6,やはり硬いものですね。

なお、辰砂は2.5程度ですから、水銀化合物が花崗岩の表面につくのかも知れません。

[4711] Re[4710][4709]: 磨製石器  大三元 2008/12/23(Tue) 12:41 [Reply]
神奈備さん

硬度をネットで調べてみたのですが、
花崗岩 6 とか 6.5とあり
黒曜石 5 のようです。

[4710] Re[4709]: 磨製石器  神奈備 2008/12/23(Tue) 09:28 [Reply]
 面白い着眼点です。
熊本県益城町にも砥川があり、またここの古閑北遺跡から黒曜石石器が出ているようです。

石凝姥命と言う神様も石を磨く神でしょうが、花崗岩を磨き、丹沙で仕上げるときれいな鏡になるそうです。

銅鉄主義のこの国では硬い黒曜石を磨くより、柔らかい材料で造ったのでしょう。

[4709] Re[4708][4707][4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/21(Sun) 21:24 [Reply]
黒曜石を磨いて鏡を作る実験をした記事がありました
http://www.archaeology.org/online/news/mirrors.html
在地の材料で磨くことが出来る、という判断をしているようです。

なお、ちと面白いことを見つけました。
黒曜石の名産地、和田峠を北から諏訪郡に入った途端に「砥川」が発する。
同じく、栃木県の高原山から南西13kmに「砥川」が発する。
もっとないかな、調べを続けますが、
「黒曜石」を「砥石」で磨いたか、というのも現実味がありそう。
「天糠(アラ〜粗)砥神」も居られるわけで・・・

[4708] Re[4707][4706]: 磨製石器  神奈備 2008/12/21(Sun) 20:40 [Reply]
> アナトリア半島では、黒曜石の鏡が出土しているそうです

やはり歴史の分厚さが違うんでしょうね。

[4707] Re[4706]: 磨製石器  大三元 2008/12/21(Sun) 17:24 [Reply]
神奈備さん
>  黒曜石でできた磨製石器は見たことがないと云うことでした。

アナトリア半島では、黒曜石の鏡が出土しているそうです
http://www.nishida-s.com/main/categ2/wturkey-3/wturkey-3.htm
(このサイトの下の方に写真があります。このサイトで「鏡」で検索すると早いでしょう)

[4706] 磨製石器  神奈備 2008/12/21(Sun) 15:25 [Reply]
 石から造られる玉などは磨製石器です。どちらかと言うと軟らかいほう。

 それに対して黒曜石は打製で加工される石器で、その堅さは到底磨けるようなものではないようです。

 黒曜石でできた磨製石器は見たことがないと云うことでした。

[4705] Re[4704][4702][4699][4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  琉球松 2008/12/20(Sat) 21:45 [Reply]
 黒曜石は、古座間味遺跡(座間味島)からも出てますね。

 これは、ゴホウラ集積遺構とセットですから、吉野ヶ里や土井ヶ浜遺跡などの「ゴホウラ貝輪」の荒加工ツールだったかもしれません。

[4704] Re[4702][4699][4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  佐々木 2008/12/20(Sat) 19:59 [Reply]
素人さま
> 素人が加工していた黒曜石には誇り高い技術者集団は手を出さなかった。
それもあるでしょうし、黒曜石は肉を切り裂く包丁や武器の原材料でもあるので、不浄な材料とされた。だから誇り高き者どもは「玉」の材料として不適切とした。
 誇り高い技術者集団とは、秀逸なる意味深な表現です。

[4703] Re[4700][4699][4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  大三元 2008/12/20(Sat) 16:35 [Reply]
ある学芸員の方に伺ってみたところ、黒曜石の玉は知らないが鏡ならある、ということで調べてみたところアナトリア半島でBC6000年頃のものが出ていることが判りました。

黒曜石の鏡は、日本にはない(まだ出土してない)のですが記紀に出てくる「石凝姥」が「鏡作り」に関連していることを思うと、日本でも古くは、鏡は石(黒曜石?)であった可能性が高い、と考えるようになりました。

これまでの「アヂ=黒曜石?」をまとめておきました:
http://www.dai3gen.net/aji3.htm

[4702] Re[4699][4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  素人 2008/12/19(Fri) 00:06 [Reply]
佐々木様
ご指導有難うございます。
>  但し海岸に黒曜石が露出している場所では海浜礫として都合のよい形に出会うこともあるように思います。ポットホール(甌穴)などの丸い穴の中に、都合のよい形の石が多く見られます。
>  また黒曜石はデイサイトや流紋岩マグマの急冷相であり、部分的には一般ガラスに近い部分があって、材料として流用されたのではないかと愚考します。つまりガラスの玉も、黒曜石から一般ガラス部分起源もありうるのではないかとも愚考している限りです。こんな回答しかできませんが。
>
黒曜石を加熱すると発泡して黒曜石パーライトとかになるようです。土壌改良剤、建築資材。
少し考えてみたのですが、スクレーパーや鏃は技術的にはさほど高度な技術は必要なく素人に毛の生えた程度で加工できる。しかし、生活を支える必需品であった。
玉とか穴玉は高度な加工技術の伝承が必要で、特定のグループでしか製造できない。
あまり生活と関係ない、贅沢品である。
素人が加工していた黒曜石には誇り高い技術者集団は手を出さなかった。
古代人は黒が嫌いだった。姫島の白い黒曜石はどうすると言われると困りますが。
また材料の流通経路も違っていた。
今でも日用品と贅沢品では生産グループが違うことが多い。
とても手前味噌な青草ですが、黒曜石の研磨加工品が少ないようなので
夢想してしまいます。
姫島の「白石」伝説を考えると穴玉もありそうに思えるのですが。

[4701] Re[4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  佐々木 2008/12/17(Wed) 20:48 [Reply]
浅間縄文ミュージアムに堤隆氏が、黒曜石については第1人者なので、氏に専門的意見を聞く方法もあるかと。連絡先も下記に付記しますが。
http://w2.avis.ne.jp/~jomon/use/index.html

★大分県姫島の黒曜石産出地付近に安心院(あじむ)地名がありますが、「アンジ」を連想してしまいました。

[4700] Re[4699][4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  大三元 2008/12/17(Wed) 17:03 [Reply]
私も「出土品として黒曜石の穴玉は有るのでしょうか。」をネット検索で調べていますが判然としません。
旭川市博物館の
www.city.asahikawa.hokkaido.jp/files/hakubutsukagaku/museum/53-kikaku.pdf
「-------------------- 第53 回企画展「黒曜石の魅力に迫る」について --------------------
<展示内容>
 先史時代の人びとにとって,黒曜石は実用的であり装飾等にも魅力的なものでした。・・・・」
のような間接的な情報しか見つけてません。

[4699] Re[4698][4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  佐々木 2008/12/17(Wed) 09:24 [Reply]
素人さま
> 最近の加工品では、黒曜石の穴玉もはあるのですが、黒曜石の研磨石器は簡単と思われるのですが少ないようです。出土品として黒曜石の穴玉は有るのでしょうか。

 出土レベルの議論はわかりません。黒曜石研究のメッカの明大に最近行っていないので。おっしゃる通り普通はスクレーパーや鏃が持ち味でしょうね。
 但し海岸に黒曜石が露出している場所では海浜礫として都合のよい形に出会うこともあるように思います。ポットホール(甌穴)などの丸い穴の中に、都合のよい形の石が多く見られます。
 また黒曜石はデイサイトや流紋岩マグマの急冷相であり、部分的には一般ガラスに近い部分があって、材料として流用されたのではないかと愚考します。つまりガラスの玉も、黒曜石から一般ガラス部分起源もありうるのではないかとも愚考している限りです。こんな回答しかできませんが。

[4698] Re[4695][4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  素人 2008/12/17(Wed) 00:57 [Reply]
佐々木様
興味がありますのでご指導ください。
> > むしろ、黒曜石自体が加工されて玉(穴玉)になってる、と思ったほうがよいのかも。
>
>  それもありでしょうね。
>
最近の加工品では、黒曜石の穴玉もはあるのですが、黒曜石の研磨石器は簡単と思われるのですが少ないようです。出土品として黒曜石の穴玉は有るのでしょうか。
剥離させて生成した鋭い刃をそのまま使用している、スクレーパーや鏃が黒曜石の持ち味のようにも思えます。大変興味のあるところでご指導お願いします。
 黒曜石の産地の特定で、蛍光X-線分析で微量成分まで解りますので、岩石の特定は可能と思われます。X-回析装置でもガラスならピークは出ませんが、石英や硬玉など結晶構造をもつものはそれぞれに特徴的なピークが得られます。
釈迦に説法ですが。
黒曜石でも姫島産の黒曜石は灰色と白があるようですから白ですと綺麗な穴玉ができるのではと思います。黒曜石の刃の剥離は鹿の角などでするようですから脆いので欠けたりするのかもしれません。姫島の黒曜石では無いようですが、他の黒曜石では表面が曇ってすぐに光を失うようです。姫島の白でしたら加工品も有りかと思われます。姫島の白い黒曜石もこの地域は金属器への切り替えの早かった地域ですから弥生末期には忘れ去られていたのかもしれません。姫川の硬玉と同じように忘れ去られたのかもしれません。同じ姫つくので「秘め事」の「秘め」を当てて秘め川・秘め島などと夢想してしまいます。中国からの「硬玉」探査の魔の手がと再度夢想してしまいます。使節に密命など有るのでは。
いつもの青草でした。

[4697] Re[4696][4694][4690]: 捨篠神社  神奈備 2008/12/16(Tue) 20:07 [Reply]
> 「アヂ」と「ウマシ」の混用(同義?)について私も調べておりました:

『新撰姓氏録』物部首 神饒速日命子味島乳命之後也。
味島乳は「うま・しま・ち」。
 
 大田田根子さんが大三輪氏と鴨氏の祖とすれば、大神さんと鴨の大神さんの祖と言うこと鴨。

[4696] Re[4694][4690]: 捨篠神社  大三元 2008/12/15(Mon) 22:03 [Reply]
神奈備さん、

>  一つ疑問があります。『万葉集』巻二〇第四三八〇

「アヂ」(ともえがも:巴鴨)だからこそカモの大神とされるわけで、「ウマシ」ではそうはならない・・・なんて言い訳はどう?

「アヂ」と「ウマシ」の混用(同義?)について私も調べておりました:
http://www.dai3gen.net/aji.htm
「甘味」から「アマミ」に行きたかったらしい(^^)



[4695] Re[4692][4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  佐々木 2008/12/15(Mon) 16:39 [Reply]
>「玉材がガラスより柔らければ加工全般が可能です。」 そりゃそうでしょうけど、質問の仕方が悪かった。黒曜石で加工したと思しき玉が発掘されてるのかなぁ、というのがポイントでした。

大三元さん やはりそうゆうことでしたか。
「黒曜石で加工したと思しき」を断定することは、現代科学では無理かと思える(電子顕微鏡で破断面を精密に観察するしかなかろう?いや研磨するから無理だろう)。
 但し滑石(ろうせき)から玉を造った経験のあるものとしては、黒曜石ナイフで粗削りをして、研磨工程に入った方が、非常に早くできばえも良かった。
 実際球面加工まで粗削りでかなりの加工ができます。
 小生は水晶製の玉の表面が極めて、精密に磨かれている技術に関心があって。ダイヤモンドペーストなどないころに。

> むしろ、黒曜石自体が加工されて玉(穴玉)になってる、と思ったほうがよいのかも。

 それもありでしょうね。

>アヂスキとは、黒曜石をすく(掘り出す)人

これには脱帽した。今も黒曜石は手術で使用されるのです。北海道では「十勝石」ともいふようですね。
                           以上愚考しきりでした。




[4694] Re[4690]: 捨篠神社  神奈備 2008/12/15(Mon) 15:51 [Reply]
> 『「あぎ」と言った』のではなく『「あぎとひ」した』のでしょう。ここの「あぎ」は「あご・顎」のこと。

 おっしゃる通りですね。先入観で何回読んでも「あぎといひし」に見えてしまいます。反省。

 栲は妙(タエ)の意味もあるようで、古代の祝詞には「照妙:テルタエ」などが神に奉られていたようです。木綿(ゆう)は楮の樹皮。


> アヂスキとは、黒曜石をすく(掘り出す)人

 何と! 流石。

 一つ疑問があります。『万葉集』巻二〇第四三八〇
[原文]奈尓波刀乎 己岐O弖美例婆 可美佐夫流 伊古麻多可祢尓 久毛曽多奈妣久
[訓読]難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく

可美佐夫流を神さぶると訓読しています。

『記紀』でいかにも最初に出てきた神として可美葦牙彦舅神の名が見えます。古の訓はカミアシカビヒコジだった可能性があります。
 それが、物部の祖神の可美眞手命が宇麻志摩遲命と書かれているように可美を甘と記し、読みがウマシとなって、宇麻志摩遲命となったとの説を『物部氏の伝承』で畑井弘さんが指摘しています。
 そうしますと、可美葦牙彦舅神→宇麻志阿志訶備比古遲神→味蘆牙彦兒命 と表現されていつのまにか神名が変わってきたのでしょう。

 さて、可美須枳高日子命だった神様が甘須枳高日子命となり、味耜高彦根命から阿遅須枳高日子命と変わってきた可能性があると思います。

[4693] Re[4686][: 捨篠神社  神奈備 2008/12/15(Mon) 15:50 [Reply]
> 天津甕星は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配されたとされます。そして、倭文神建葉槌命に討ち取られます。
> 元々倭文神社は織物の神で大和の当麻近在にあります。

 大和の倭文神社は現在は加守神社としての葛木倭文坐天羽雷命神社となっています。織物の神です。元社は博西神社、その元社は棚機神社で字名は七夕だった土地に鎮座。

万葉集
3286 玉たすき 懸けぬ時なく 吾(あ)が思(も)へる 君によりてば 倭文幣(しづぬさ)を 手に取り持ちて 竹玉を 繁(しじ)に貫き垂り 天地の 神をそ吾(あ)が乞ふ いたもすべなみ
略意:倭文幣を手に取って神々にお願いする。

4011 大王(おほきみ)の 遠の朝廷(みかど)と ・・・ ちはやぶる 神の社(やしろ)に 照る鏡 倭文(しづ)に取り添へ 乞ひ祈みて
略意:神威をふるう神社に立派な鏡を倭文幣に添えて捧げて祈る。

4236 天地の 神は無かれや 愛(うつく)しき 吾(あ)が妻離(さか)る 光る神 鳴り波多(はた)娘子(をとめ) 手携ひ 共にあらむと 思ひしに 心違(たが)ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに
 木綿(ゆふ)襷(たすき) 肩に取り掛け 倭文(しつ)幣(ぬさ)を 手に取り持ちて な離(さ)けそと 我は祈(の)めれど 枕(ま)きて寝し 妹が手本(たもと)は 雲に棚引く
略意:木綿襷を肩に掛け、倭文幣を 手に取って祈る。

 歌にもありますように、神への捧げ物は幣帛・飲食・果実ですが、これらをまとめて御幣と言います。このうち幣帛とは衣料の材料のことです。この為に女神が織物をします。衣服を縫い、罪を犯した者に着せると、その者の罪や穢れが衣服につき、祓い浄められると言う考えを示唆しています。布の持つ呪力を代表するのが日本古来の織物である倭文です。

 まつろわぬ強力な神である天甕星神を退治できるのは倭文の呪力が必要だったとのこと。
(大和岩雄著『民間信仰祭祀』から。尚、氏は幣帛のことは西田・三橋『神々の原影』から引用しています。)

[4692] Re[4691][4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  大三元 2008/12/15(Mon) 15:44 [Reply]
佐々木さん、ども。

「玉材がガラスより柔らければ加工全般が可能です。」 そりゃそうでしょうけど、質問の仕方が悪かった。黒曜石で加工したと思しき玉が発掘されてるのかなぁ、というのがポイントでした。

むしろ、黒曜石自体が加工されて玉(穴玉)になってる、と思ったほうがよいのかも。

[4691] Re[4689][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  佐々木 2008/12/15(Mon) 13:19 [Reply]
>黒曜石で玉の加工できるのかなぁ。
可能です。黒曜石はほぼガラスと物性が近く、玉材がガラスより柔らければ加工全般が可能です。

[4690] Re[4688][4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  大三元 2008/12/15(Mon) 10:45 [Reply]
> >  本牟智和気の御子(品津別の皇子)は尾張の木で造った船で遊んだり、鵠(たづ)を見て「あぎ」と言ったので、

『「あぎ」と言った』のではなく『「あぎとひ」した』のでしょう。ここの「あぎ」は「あご・顎」のこと。

[4689] Re[4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  大三元 2008/12/15(Mon) 10:42 [Reply]
神奈備さん、コメント有り難うございます。今回も関心ポイントが幾つかありますが

>  阿麻乃弥加都比女、天御梶日女、天甕津姫命とは皆同じ女神のことを表現しているようです。

について:
 時代別国語大辞典上代編を見てみると「か」一音で種々の意味が出ています。名詞だけ拾うと「鹿、髪、梶、瓮、蚊、香、日」。だから、「ミカツ」「ミカチ」あたりの音を聞いて「御梶」と受け取ったり「甕津」と受け取ったりされたのでしょう。(「瓮」も「甕」もものを入れる容器。「梶」は船を漕ぐ「ろ」や「かい」の意味として。)

「天御梶日女が、多久の村までおいでになり」という伝承の場合は:「梶」も「多久(たく)(栲)」もその繊維を布などに作る材料となる木のことですから、ここでは、「ミカチ」という音は「御梶」であり、木の名、と理解していることが窺えます。

そうすると、「香香背男」には「かせ」という音(意味は:つむいだ糸を、巻きかける道具)が含まれていることにも気が付き「倭文神社」との関連もつきそうですが、果たしてどうでしょうか。

> 阿遅須枳高日子命は縄文時代の神と言えるのかも。

以前から暖めていたアイデアなのですが、なかなか孵化しそうにないので書いちゃいます。アイヌ語で黒曜石のことをアンチ、アンジと云います。これが「阿遅」ではないかな、と。つまり、アヂスキとは、黒曜石をすく(掘り出す)人、ではないかと。「玉の御統に穴玉はや」・・・黒曜石で玉の加工できるのかなぁ。「み谷 二谷 渡らす」そうやって黒曜石を堀りに行った・・・

[4688] Re[4687][4685][4684][4679]: 捨篠神社  佐々木 2008/12/15(Mon) 10:31 [Reply]
>  本牟智和気の御子(品津別の皇子)は尾張の木で造った船で遊んだり、鵠(たづ)を見て「あぎ」と言ったので、人に鵠を追わし、鵠は三野から尾張へと飛んで来ています。この「あぎ」と言う言葉は何でしょうか。「あぢすき」と言ったのを聞き違えたのでは。

愚考ですが、三野、尾張で出てくるので、あぎとは三重県北部を示す「阿藝」または「奄芸」を意味するのであろうか。

[4687] Re[4685][4684][4679]: 捨篠神社  神奈備 2008/12/14(Sun) 23:07 [Reply]
> とても示唆に溢れるご指摘です。そのうちの一つだけ考えてみましたところ、ぐるぐる巡りになって、「天稚彦=アヂスキ=赤衾伊農意保須美比古佐和気能命=天津甕星=天香香背男」になっちゃいました。
>
> http://www.dai3gen.net/sitori.htm
>

大賛成です。

『尾張国風土記』吾縵(あづら)の郷の條
 丹羽の郡。吾縵の郷。巻向の珠城の宮に天の下をお治めになった天皇(垂仁天皇)のみ世、品津別の皇子は、生まれて七歳になっても口をきいて語ることができなかった。ひろく群臣に問われたけれども、誰一人よい意見を申し上げるものがいなかった。その後、皇后の夢に神があってお告げをくだし給い、「私は多具の国の神、名を阿麻乃弥加都比女というのだ。私はまだ祭ってくれる祝をもっていない。もし私のために祭る人を宛てがってくれるならば、皇子はよく物を言い、また御寿命も長くなるようになる。」といったとあります。

 『出雲国風土記』秋鹿郡伊農の郷の条。
 「伊農の郷に鎮座しておいでになる赤衾伊野意保須美比古佐和氣能命の后、天甕津姫命は云々。」とあります。

 『出雲国風土記』楯縫郡神名樋山の条。
 阿遅須枳高日子命の后の天御梶日女が、多久の村までおいでになり、多伎都比古命を産み給うた。

 阿麻乃弥加都比女、天御梶日女、天甕津姫命とは皆同じ女神のことを表現しているようです。
 楯縫郡、秋鹿郡の二例から、離婚再婚をしていないものと仮定しますと、阿遅須枳高日子命と赤衾伊農意保須美比古命とは后を同じくしている、則ち同一神と見られていた伝承があったことになります。

 一方、天甕津姫命はその名から天津甕星神の配偶神と見ることができます。迦毛の大御神である味耜高彦根神は悪神とされる天津甕星と見なされていたことを示唆しているようです。出雲国神門郡には味耜高彦根神を祭る本山とも言うべき阿須伎神社が鎮座、また同郡の市森神社には星神の降臨の伝承が伝わっています。また天津甕星(香香背男神)が多く分布する東国には味耜高彦根神も多く祭られており、まつろわぬ神として共通する部分があったのでしょう。

 天津甕星は天に居る神であり、葦原中国に居た訳ではなさそう。と言うことは天津神であり、しかし高木神と天照大神の連合には反対の立場を象徴していそうです。天神ながら地祇に変神。よく似た立場に素盞嗚尊。また天若日子の生まれ変わりと形容されもする味耜高彦根もそう言えるのかも知れません。

 『日本書紀』では、味耜高彦根神が登場したシーンの次に出雲の国譲りとなります。一書では天津甕星退治があって国譲りとなるのです。味耜高彦根神の一瞬の登場と天津甕星の登場と滅亡、微妙な位置づけが気にかかる所。

 阿遅須枳高日子命と目される赤衾伊農意保須美比古命は国引きの神である八束水臣津野神の御子神とされています。この八束水臣津野神こそは出雲の大祖神であり、所造天下の大穴持神以前の神です。弥生時代を切り開き、銅鐸を祭った神が大穴持神としますと、阿遅須枳高日子命は縄文時代の神と言えるのかも。

付録
尾張大国霊神社は天甕星神の後裔が祭った。
 『尾張国風土記』吾縵の郷 もう一つ。
 尾張国丹羽郡に阿豆良神社が鎮座、天甕津媛命を祭神としています。
 由緒書き
 尾張大国霊神社と同時代(垂仁朝)の創建。建岡の君は美濃国花鹿山(揖斐郡花長神社現存)に登って山中の榊の枝で縵(古代頭髪に押すもので「カンザシ」に当る)を作つて、天神に祈って「此の縵の落ちた所が神を祭る所である。」と申されて縵を遠く投げられました。縵は遠く南方に飛んで此の地に落ちました。
 素盞嗚尊かも知れない、味耜高彦根神かも知れない本牟智和気の御子。
 本牟智和気の御子(品津別の皇子)は尾張の木で造った船で遊んだり、鵠(たづ)を見て「あぎ」と言ったので、人に鵠を追わし、鵠は三野から尾張へと飛んで来ています。この「あぎ」と言う言葉は何でしょうか。「あぢすき」と言ったのを聞き違えたのでは。

 この皇子は、出雲では「檳榔(あぢまさ)の長穂宮」にいたとあり、ビンロウ樹の南洋を思わす宮殿名で、この皇子、火の中から誕生し、物を言わず、蛇と交わり、神話的始祖王の雰囲気を持っていますね。
 この始祖王的皇子にまつわりつく「あぢ」、これは味耜高彦根神に通じているはずで、鴨族がこの国の始祖王の役割を果たした伝承が『古事記』には混ざっていると思えます。

[4686] Re[4685][4684][4679]: 捨篠神社  とみた 2008/12/14(Sun) 22:58 [Reply]
> とても示唆に溢れるご指摘です。そのうちの一つだけ考えてみましたところ、ぐるぐる巡りになって、「天稚彦=アヂスキ=赤衾伊農意保須美比古佐和気能命=天津甕星=天香香背男」になっちゃいました。

天津甕星=香々背男に大変興味を持っています。

星の神として反逆者の汚名を着せられてアマテラス側、に嫌われた神です。

続日本紀によると、8世紀の奈良の都の時代に大和王権に嫌われた神です。

天津甕星は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配されたとされます。

そして、倭文神建葉槌命に討ち取られます。この倭文神を祭るのが、常陸の日立市の大甕神社です。

元々倭文神社は織物の神で大和の当麻近在にあります。

これは何を意味しておりましょうか。

[4685] Re[4684][4679]: 捨篠神社  大三元 2008/12/14(Sun) 17:55 [Reply]
神奈備さん

とても示唆に溢れるご指摘です。そのうちの一つだけ考えてみましたところ、ぐるぐる巡りになって、「天稚彦=アヂスキ=赤衾伊農意保須美比古佐和気能命=天津甕星=天香香背男」になっちゃいました。

http://www.dai3gen.net/sitori.htm

[4684] Re[4679]: 捨篠神社  神奈備 2008/12/12(Fri) 17:23 [Reply]
万葉集
0188 あかねさす日の入りぬれば御立たしし島に下(お)り居て嘆きつるかも
0827 春されば木末(こぬれ)隠(がく)りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝(しづえ)に 少典(すなきふみひと)山氏若麻呂
1028 大夫(ますらを)の高圓山に迫めたれば里に下(お)り来(け)るむささびそこれ
1359 向つ峰の若桂の木下枝(しづえ)取り花待つい間に嘆きつるかも

下照比売とは、オリテル、シヅテルとも読めます。伯耆一ノ宮の倭文神社
(シトリ)神社の祭神はまさに下照比売、倭文(しづおり)を広めた女神として崇敬されています。またモトテルと読めば日の女神として日下の草加。


万葉集
河内(かふち)の大橋を独りゆく娘子を見てよめる歌一首、また短歌
1742 しな照(で)る 片足羽川(かたあすはがは)の さ丹(に)塗りの 大橋の上(へ)よ 紅の 赤裳裾引き 山藍(やまゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の 独りか寝(ぬ)らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく

シナは階・層 片岡の段々に日の照ること。(講談社万葉集 中西進)大橋が日・月の光で照らされているとの理解が「岡の段々云々」より素直。

万葉集
4059 橘の下照(で)る庭に殿建てて酒漬(さかみづ)きいます我が大王かも

橘の実で木の下が輝く庭。(講談社万葉集 中西進)この下照るは橘の実が輝いているように見え、木の下が明るい感じを歌っているように思えます。


 しかし一般論ですが、万葉集の「照」は圧倒的に月の歌の中。照る月 万代に照るべき月も 月は照るらし 等。昼間の太陽なりその日光を歌にする機会は少なく、やはり歌は月の光の夜が似合うのでしょう。


> アヂスキはさしづめ「下照彦」か。。。本人and/or妹が日照・月照と縁がある、というのはどうだろう。

出雲国風土記
阿遅須枳高日子命
高彦と高比売は対になります。アヂスキと下照比売ですね。 

下照比売と異名同神の神として阿迦留姫命(赤留比賣命)があります。この名も明るく照らす比売の意味が感じ取れます。
天日矛と阿迦留姫命、天若日子と下照比売、共に短い期間の夫婦です。男神も日の神なのでしょう。

[4683] Re[4682][4681][4680][4666]: 神捨篠社  大三元 2008/12/12(Fri) 10:40 [Reply]
琉球松さん、ありがとうございます。

「神捨篠」は「神・再生・太陽」あたりの意味で、天照大神(天岩戸{テダのガマ(洞窟)}に隠れて、再生して出てきた)に因んでいた、と考えておくことにします。

[4682] Re[4681][4680][4666]: 神捨篠社  琉球松 2008/12/11(Thu) 22:33 [Reply]
大三元さんへ

 どちらかと言うと "何かによって再生された太陽"って感じですね。
 
 奄美&沖縄諸島の神女達は、祭りの冒頭でまず北の方角に祈り、その後に東に向って手を合わします。
 これはたぶん "太陽さえもあの方のホトから産まれる"との観念じゃないかと思います。
 「すでしの」。。。美しい言葉ですね。
 近似の神歌がないか探してみます・・・宿題がまた増えました(笑)。

[4681] Re[4680][4666]: 神捨篠社  大三元 2008/12/11(Thu) 15:51 [Reply]
琉球松さん、丁度良いところへ(^^)

「すでしの(孵でしの)」と云ったとすると、その意味は:
・何かを再生する力のある太陽
・何かによって再生された太陽
・自ら再生した太陽
・その他(?)
どんな語感になりますか?

[4680] Re[4666]: 神捨篠社  琉球松 2008/12/11(Thu) 11:46 [Reply]
 大三元さん、さすがですね。

 「すでしの(孵でしの)」は、島でも聞いたことはないですが、いかにもありそうな響きです。

 太陽は、東の海底20mの巻貝(ホト)から産まれ、黄ばんで疲れ果てた太陽を西の巻貝が受け入れて再生させる。。。一晩のうちに地底を通り、再 び "すでしの" として生まれ変わる。

[4679] Re[4678][4677][4671][4668]: 神捨篠社  大三元 2008/12/10(Wed) 22:53 [Reply]
アヂスキの妹が「下照姫」(高照姫、とも)。これは「しな照る」で、日月が照る、の意味だと理解している。アヂスキはさしづめ「下照彦」か。。。本人and/or妹が日照・月照と縁がある、というのはどうだろう。

更に「孵る、すでる」(再生する)に関して、アヂスキは天若彦の「再生」(らしきこと)に関わってる、という見方もできようか。

なお、前回「月夜見≒スサノヲ」などと使った「≒」は、「殆ど同じ」という意味ではなく、混乱、習合、異伝承、あたりの意味にご理解下さい。混乱失礼。

[4678] Re[4677][4671][4668]: 神捨篠社  神奈備 2008/12/10(Wed) 21:51 [Reply]
> (1)まず、月夜見命が保食神を殺す話(日本書紀)が古事記ではスサノヲがオオゲツ姫を殺す話になっており、月夜見≒スサノヲ、を抽出する

 三貴子を二貴子とするのかどうかです。
天照大神 月夜見神 素盞嗚尊
天地   天地   根の国 (日本書紀)
高天原  青海原  天の下 (日本書紀)
高天原  日と並ぶ 青海原 (日本書紀)
高天原  夜の食国 海原  (古事記)

 支配地域については月読と素尊に一部混乱(青海原)があります。同じように食物神を殺す神にも混乱が見えるようです。
 混乱よりは異伝と言うのかも。

「異伝」から「≒」が導かれるのかどうかですね。

[4677] Re[4671][4668]: 神捨篠社  大三元 2008/12/10(Wed) 18:16 [Reply]
「神捨篠」とは:「神・再生・陽」という原義かな? としましたが:

「しの」は「太陽」のみならず「月」も意味しうるので、味鋤高彦根命が月とつながるか、の捜査。。。

(1)まず、月夜見命が保食神を殺す話(日本書紀)が古事記ではスサノヲがオオゲツ姫を殺す話になっており、月夜見≒スサノヲ、を抽出する

(2)阿遅須枳高日子命 御須髪八握于生 夜昼泣く 言葉通じず(出雲風土記仁多郡p226)
須佐之男命 八拳須至于心前、泣きイサチキ (神代記p72)
(本牟智和気王も 八拳鬚到于心前 眞事トハズ とあるが今は無関係だろう)
 ここから須佐之男命≒阿遅須枳高日子命

ゆえに 月夜見≒阿遅須枳高日子命
どうかなぁ。。。

[4674] Re[4673]: 初めて書き込みさせて頂きます。  神奈備 2008/12/09(Tue) 13:50 [Reply]
彦浪さん はじめまして。
> 海石榴の話はこちらではあまり聞こえません。

こちらとはどちらですか?

下記の歌は万葉集にあり、海石榴市での歌垣を詠んだものと言われています。

巻十二
2951 海石榴市(つばいち)の八十(やそ)の衢(ちまた)に立ち平(なら)し結びし紐を解かまく惜しも
意;あの人と結んだ紐を解きたくないよ。(拒否の歌)

巻十二
3101 紫は灰さすものそ海石榴市(つばいち)の八十の衢に逢ひし子や誰(たれ)
意:八十の辻であったあなたの名はなんというのだろうか。

意:中西進『万葉集』講談社文庫から

> 具体的に海石榴のことを歌った和歌とか残っているのが有るんでしょうか?

ネットをご使用なら、検索サイトで「歌垣」「海石榴」とキイワードを入れて探せば、いくつかにあたります。それらを信頼できる書籍などで確認されたらと思います。


ついでに。
『日本書紀』巻十六武烈天皇即位前紀
 太子(武烈天皇)思欲聘物部麁鹿火大連女影媛。遺媒人向影媛宅期會。影媛會奸眞鳥大臣男鮪。〈鮪。此云茲寐。〉恐違太子所期。報曰。妾望奉待海柘榴市巷。由是太子欲徃期處。遣近侍舎人就平群大臣宅。

 海柘榴市で(の歌垣の際に)会うと約束しています。

[4673] 初めて書き込みさせて頂きます。  彦浪 2008/12/09(Tue) 11:24 [Reply]
はじめまして。
海石榴の歌垣のことでお訪ねします。
具体的に海石榴のことを歌った和歌とか残っているのが有るんでしょうか?
関東方面ではでは筑波山が有名ですが、海石榴の話はこちらではあまり聞こえません。何かご存知でしたら教えていただけませんか?よろしくお願いいたします。

[4672] 十種の神宝  彦浪 [Url] 2008/12/09(Tue) 11:20 [Reply]
これは珍しい神秘的なデザインだなと感心した。すると物部氏に原始古代から伝わるものと知り、ますます好奇心を駆りたてられる。そのものズバリの形のもが無いからこそ、意味が深くなる。石上神宮では神職なら見たことのある形なのだろうか。見ても秘儀として口外を差し止められているのだろうか。デザイン自体が何かの働きをするというのは現代人には想像できないが。それにしてもこうやってインターネットで見られる程度には情報が外部流失しているわけだ。

[4671] Re[4668]: 神捨篠社  神奈備 2008/12/06(Sat) 13:17 [Reply]
『古事記』での二柱の大神は

大日女靈尊の天照大神、味鋤高彦根命の迦茂大神 の二柱です。

対になっていると見ますと、

太陽と月(昼と夜、烏と蛙)
米と麦(夏と冬)
天津神と国津神(支配と服従)
陽と陰
など。

太陽と月としますと、アジスキは月の方。

『日本書紀』味鋤高彦根神の姿
光儀華麗(よそひうるは)しくして、二丘二谷の間に映(てりわた)る

太陽神を「よそひうるはしく」とは言わないように思います。月だからこそ光儀華麗(よそひうるは)しくと。

> どうでもいいことですが、現代思潮社版『先代舊事本紀』は写真版のようですが、これには
>「倭国葛上郡高鴨坐神云捨篠社」とあります。
訂正 「味鉏高彦根神坐倭国葛上郡高鴨神云捨篠社」

[4670] Re[4669]: 鉄鐸出土地  神奈備 2008/12/06(Sat) 13:16 [Reply]
> 尚、話題から外れていて申し訳ないのですが、こちらで以前(2003年ごろ?^^;)話題になっていた鉄鐸の出土地について、新しい資料を見つけましたのでリンクを貼っておきます。

正しくは
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo09/0903haya.pdf

[4669] 鉄鐸出土地  なむ 2008/12/06(Sat) 11:43 [Reply]
神奈備さん、お久しぶりです。
金色の蛙というと高句麗建国神話の金蛙王、一つ目蛙というと木之本のお地蔵さんが浮かびます。

尚、話題から外れていて申し訳ないのですが、こちらで以前(2003年ごろ?^^;)話題になっていた鉄鐸の出土地について、新しい資料を見つけましたのでリンクを貼っておきます。

http://wrs.search.yahoo.co.jp/S=2114736003/K=%E7%A6%8F%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E5%89%8D%E5%8E%9F%E5%B8%82+%EF%BC%91%E5%8F%B7%E5%A2%B3+%E9%89%84%E9%90%B8/v=2/SID=w/TID=jp0011_jp0011/l=WS1/R=1/wdm=0/IPC=jp/ln=ja/H=0/;_ylt=A8vY8wX53jlJ.EkBBHODTwx.;_ylu=X3oDMTFjZzMwanRxBGNvbG8DdwRsA1dTMQRwb3MDMQRzZWMDc3IEdnRpZANqcDAwMTFfanAwMDEx/SIG=12q6v7qoq/EXP=1228615801/*-http%3A//www.maibun.com/top/modules/mydownloads/visit.php?cid=41&lid=357


[4668] Re[4667][4666]: 神捨篠社  大三元 2008/12/06(Sat) 10:02 [Reply]
神奈備さん

>  捨篠神社と云う弁天様を祭る神社が葛下郡に鎮座しています。捨篠池や役行者の母の伝説が残っています。

おお。現存する神社もあるのですね。

「捨篠池の一つ目蛙」の話は:暗くなって、再度明るくなる、という陽光の再生が伺えそうで気になるところ。また、蛙は月を象徴しているかも知れない。
「こうが({女亘}娥}は・・・月に身を託した。。。。月面のガマ(蛙)の姿のような陰影はじつは{女}亘娥(こうが)である。・・・こうがは盗みの罪で罰せられて、醜いガマに変えられたという。」という中国の伝説が効いているか。

さて、そうなら、これ↑が何故アジスキの社となったのか、、、ですね。

[4667] Re[4666]: 神捨篠社  神奈備 2008/12/06(Sat) 09:00 [Reply]
>「神捨篠」とは:「神・再生・陽」という原義かな?

実に説得力がありますね。

> 味鋤高彦根命は倭国葛上郡高鴨坐神捨篠社に祀られている。

 どうでもいいことですが、現代思潮社版『先代舊事本紀』は写真版のようですが、これには
「倭国葛上郡高鴨坐神云捨篠社」とあります。

 捨篠神社と云う弁天様を祭る神社が葛下郡に鎮座しています。捨篠池や役行者の母の伝説が残っています。
http://kamnavi.jp/as/katuragi/sutesino.htm

[4666] 神捨篠社  大三元 2008/12/05(Fri) 20:18 [Reply]
味鋤高彦根命は倭国葛上郡高鴨坐神捨篠社に祀られている。
この「神捨篠」という語を考えてみた。日本古語の範疇では良く判らない。

そこで、琉球語で考えてみると:
捨:すて←すで←孵で:
 孵でる=蛇などの脱皮、雛の孵化など、新しい姓名の出現を原義とし、転じて、再生する、若返る、ありがたく戴くなど・・・
篠:しの=太陽(神)

「すでしの(孵でしの)」という語は沖縄古語辞典には見あたらないが、「孵(す)で」で始まる複合語の例は幾つかある:すでみづ(生命を再生させる水)、すでまつ(精気のあらたまった、すばらしい松)、すでもの(新生の勝れ者。生命力が再生する者。・・・)

「神捨篠」とは:「神・再生・陽」という原義かな?

[4665] Re[4664][4663][4662][4661]: 鴨系譜  神奈備 2008/12/05(Fri) 16:55 [Reply]
大三元さん ありがとうございます。

 なるほど、そういうことでしたか。そうでもしないと、味鋤高彦根命を鴨の祖神にもってくる方法はないよということですね。

 大物主は論外として、事代主さんを代主(稲代の親分)と理解しますと、立派な鋤と似たような意味になりますが、事代主さんの神話での役割は書記長とか官房長官のようにも思われます。

 言葉が不自由から雄弁へ、角栄さんもそうでした。

[4664] Re[4663][4662][4661]: 鴨系譜  大三元 2008/12/05(Fri) 15:51 [Reply]
> C素戔鳴尊−八島士奴美神−天之冬衣命−大国主→
>         |          (天葺根命)
>         −大年神−大山咋神
>
> −味鋤高彦根命−天日方奇日方命−健飯勝命
>            |           (三輪君祖)
>            −天八現津彦命 
>              (長国造、都佐国造祖)
>
> Cの場合には、−味鋤高彦根命−天日方奇日方命 と見えますが・・・

これは古代豪族系図集覧 P7 地祇系 からの抜粋かと思われます。そこでは
味鋤高彦根命の脇に、別名のような書き方で「事代主命、大物主命、一言主命」と併記されています。「味鋤、事代主命、大物主命、一言主命」が同一人(神)のことだ、という伝承になりますが、考えやすくなるような、それで良いのかな、と。

[4663] Re[4662][4661]: 鴨系譜  神奈備 2008/12/05(Fri) 14:55 [Reply]
> 神奈備さん
> > ペギラさんの鴨系譜
> > http://homepage1.nifty.com/moritaya/kamokeifu.html
> と、神奈備さんが引用された
> > 古代豪族系図集覧 大国主神−味鋤高彦根命−天日方奇日方命−健飯勝命
>
> を見比べてました。ペギラさんの系譜はスペースの加減で、味鋤高日子根命−都美波八重事代主が親子みたいに見えるのでしょうが、古代豪族系図集覧(P230)ならば、味鋤高日子根命と都美波八重事代主は親子ではなく、兄弟であり、その後の系譜は都美波八重事代主の裔のみが書かれています。
>
> つまり、都美波八重事代主−天事代主籤入彦命−天日方奇日方命・・・となります
>

鴨君・賀茂朝臣

C素戔鳴尊−八島士奴美神−天之冬衣命−大国主→
        |          (天葺根命)
        −大年神−大山咋神

−味鋤高彦根命−天日方奇日方命−健飯勝命
           |           (三輪君祖)
           −天八現津彦命 
             (長国造、都佐国造祖)

Cの場合には、−味鋤高彦根命−天日方奇日方命 と見えますが・・・

[4662] Re[4661]: 鴨系譜  大三元 2008/12/05(Fri) 13:29 [Reply]
神奈備さん
> ペギラさんの鴨系譜
> http://homepage1.nifty.com/moritaya/kamokeifu.html
と、神奈備さんが引用された
> 古代豪族系図集覧 大国主神−味鋤高彦根命−天日方奇日方命−健飯勝命

を見比べてました。ペギラさんの系譜はスペースの加減で、味鋤高日子根命−都美波八重事代主が親子みたいに見えるのでしょうが、古代豪族系図集覧(P230)ならば、味鋤高日子根命と都美波八重事代主は親子ではなく、兄弟であり、その後の系譜は都美波八重事代主の裔のみが書かれています。

つまり、都美波八重事代主−天事代主籤入彦命−天日方奇日方命・・・となります


[4661] 鴨系譜  神奈備 2008/12/03(Wed) 21:19 [Reply]
ペギラさんの鴨系譜
http://homepage1.nifty.com/moritaya/kamokeifu.html
によります。
古代豪族系図集覧 大国主神−味鋤高彦根命−天日方奇日方命−健飯勝命

古事記      大物主神−       櫛御方命−飯肩巣見命−建甕槌命−意富多多泥古

 さて、『古事記』の、大物主−櫛御方命の間に味鋤高彦根命をはめ込んだことで、『古代豪族系図集覧』は、鴨朝臣の祖神の一に味鋤高彦根命を取り入れています。しかし寡聞につき、この根拠はよくわかりません。尚、事代主神の場合には天日方奇日方命とつながるのは大三元さんが考察されています。http://www.dai3gen.net/kamo04.htm

 味鋤高彦根命の御子神を探して見ました。
 『出雲国風土記』に、「阿遅須枳高日子命之后 天御梶日女命 来坐多久村 産給多伎都比古命」、また、「阿遅須枳高日子命御子 塩冶毘古能命坐之 故云止屋」の二つの記事が見えます。
 多伎都比古命と塩冶毘古能命の二柱です。

 摂津の阿遅速雄神社、大和葛城の大穴持神社の摂社の阿須伎速雄命、これらは御子神とされています。

 これらの御子神の誰かが天日方奇日方命となるのならないのかがよくわかりません。多伎都比古命は石神の別名があり、石部と言う名の神社に多く祭られている櫛御方命(天日方奇日方命)につながるのかも。
 なお、多伎都比古命は出雲国盾縫郡の宿努神社(風土記記載社)に祭られています。

 所で、塩冶比古は出雲国神門郡の塩冶神社(夜牟夜の社)の祭神です。今はエンヤと言いますが、紀州には塩屋(現在はシオヤですが、昔はエンヤ)と言う所があります。ここには須佐神社が鎮座しており、出雲との関連が見えます。
 権現磯として名を留める塩屋港に熊野権現が上陸し、切目、神倉、飛鳥、速玉の各神社経て熊野大社に還座なされたとの伝えもあり、塩屋全体が出雲王朝の神聖地とされています。
 近くには熊野神社が鎮座、熊野をイヤと読みます。上記伝説に関する神社です。ここの塩屋は製塩とは関係がないようです。

 日本には多くの地方に塩屋なる地名がありますが、どうも製塩との関係が薄いようです。ひょっとしたら出雲の塩冶比古にからむ地名なのかも知れません。塩屋に鎮座の神社の祭神には出雲系の神が多いような気がしますが、塩冶比古や阿遅須枳高日子命の名は見えません。
 


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