青草掲示板ログ平二十一年 五月 2009.5
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[5027] Re[5026]:  イ ソ     くず 2009/05/31(Sun) 22:17 [Reply]
生田さん、イソについて、ありがとうございます^^
> ★ 古代人は木や竹などの繊維でかこまれた空間に“強執”をもったみたいです。土で囲まれた空間にもこころ惹かれたのでしょう。
中世まで諏訪上社前宮に伝わった御室神事、穴巣始にもそのような意識があったのではと考えます。
神坂峠は古来より箒木で知られますが、そこを抜けると恵那(胞衣)というのも、
繋がりがあるように感じます。
因幡の素兎伝説においても、別伝が鳥取県八頭郡八頭町(八上)に伝わり、太陽神天照大神を伊勢ヶ平まで導いた兎の伝承が伝わるそうです。
「もう一つの白兎伝承」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E3%81%AE%E7%99%BD%E5%85%8E
太陽復活、母木、導きの兎、イセ、胞衣などが繋がってきそうです。

> ★ タガログ語oso系
タガログ語ですと、植民支配をしたスペイン語でも熊:osoなのでそちらからの影響があったのでは?
スペイン語熊:osoはラテン語の熊:ursaが起源とされます。
イタリア語熊:orso、フランス語熊:oursなど同根。
フィンランドで熊(畏怖から直接は呼称しない)を指す表現の一つにotso:広い額があるそうです。
「フィンランド神話」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A5%9E%E8%A9%B1
フィンランドにはイタリアに伝わる地母神(アッカ・ラレンティア)と名を同じくする老女神アッカが伝わり興味深く思っています。
フィンランドのカレワラ神話には、主人公が死んだ後母によって復活する過程(大国主神話)など日本の神話に良く似た部分がありこれも気になっています。
> カジカは川鹿
鳴く川鹿は魚のカジカではなくカジカ蛙の事だと思います。

[5026]  イ ソ     生田淳一郎 2009/05/31(Sun) 07:38 [Reply]
 目下取組んでいる楽しいテーマなので、少しモノいわせてもらいます。

★ 神概念を振りまわすのは危険なことですが、*is という音に神が付着しているようです。
★ 古代人は木や竹などの繊維でかこまれた空間に“強執”をもったみたいです。土で囲まれた空間にもこころ惹かれたのでしょう。
 ネパール語には khokra(木のほらの中になにもない)というへんな形容詞があって、これは日本語となった神庫(ホクラ……小倉)と同根だと思われます。
 箱や豆のサヤ、行李なども、この強執の余波をうけているようです。
 小生は、スクナヒコナの神は葦の中を住居しにていた化身だと推定しています。
★ タガログ語に多いのですが、南方には 馬や牛ほどの大きい動物ではなく、犬、キツネ、などの四つ足を総称する waso, watso , oso 系があります。カワオソなどもこの系統かと。
★ アイヌが熊をカムイとかイソと呼んだのには、この事情が絡んでいるのでは?
★ アイヌ社会には“岩”が定着していると、いえましょうか(地名 ;岩内)。石はこのままの発音では定着していませんが、何らかの概念上の出入りがあっただろうことは否めないかと想われます。→ 磯。

★ 便所の「ソ」は外、または si(糞尿)が関与したものか?
★ 形容詞後置形をとる言語がどれくらいの比率を占めているのかはしりませんが、 tsu と言えない言語集団や、のっけから s を発音できない言語集団も、地球上 30%ぐらいいるのではないかと措いてみる必要があろうことかと思います。 語頭の s をいえない言語では i を添えて is-- の語形をとります。
 うさぎの isepo は「イと鳴く Po(やつ)」みたいですが、気になるのはスペインとイスパニアの関係です。彼の地には兎が多かったので、そう名付けられたという常識があります。 I ・ S ・P が一致しています。
★ 「幸(サチ)」には、ネパール語の sat-(交換する)があまりにも強烈に匂います。

 カジカは川鹿とも書くのでしたか。あのドンポみたいな小魚が、あんあに大きな声で鳴くのでしょうか? お教えください。渓流釣りはいつも一人でやった紋で……。

[5025] Re[5015]母の木に空いた穴  くず 2009/05/29(Fri) 09:50 [Reply]
ご無沙汰しております。
個人的に、大和盆地や出雲の地名、伝承などにアイヌ語(縄文語起源か)に繋がる痕跡が見えると面白いと思っています^^
昨年末に、奈良(橿原、御所)で東日本文化と繋がりの深い縄文晩期の大規模な集落跡遺跡が発掘されています。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081203/acd0812032033004-n1.htm
年頭にここで話題とした縄文晩期の世界的な寒冷化と東北、北陸からの縄文人の南下、文化交流、定住の可能性などを考えます。
>大三元さん、http://www.dai3gen.net/omonoki.htm
木の穴で難を逃れるという伝承を神武帝と大国主命(大穴持)は共有しているのですね。
以前から気になっていたことなのですが、
アイヌ語イソ(一般には幸、獲物)には 穴に隠れ、穴から現れる。(復活する)
という意味が覗けないでしょうか?
穴に隠れる生態を持つ生物にイ(エ)ソが多いように思います。
イソカムイ→ヒグマ・・・・・・・・・冬眠の為に穴に隠れる
イソキソキ→アカゲラ、キツツキ・・・木に穴を空けて営巣。
イソサンケカムイ→エゾフクロウ・・・樹洞に営巣。
イソッカ→イソッカパ:カジカ・・・・川底の岩の隙間に潜む
イソポ→兎・・・穴を掘って営巣するアナウサギとは違うが、地面に空いた穴を利用する。
その他こじつけかもしれませんが、
イソイタック→昔話・・・・(次から次へと)消えては現れる語り。
イソイネ→大便に行く・・・隠れて用を済まし現れる^^;
 イソをそのままに”幸”ととれば、海幸彦、山幸彦の名に繋がります。
アイヌ語で海にあって見え隠れする岩をイソ(=日本語の磯)というように、
“海”と、”木の穴や洞窟”を、共に“異界への入口”と見ていたならば、
山幸彦や安曇磯良の名前や伝承と、大国主(大穴持)命、神武帝、諏訪明神(甲賀三郎)などの伝承が近いところにあるのではないかと思います。

[5024]   蓮の花薫る天国     生田淳一郎 2009/05/27(Wed) 15:35 [Reply]
   
 肝腎の,「カスガとはなにか(内意)」についての小生の存念を書き洩らしました。

 結論から先にいえば「蓮の花薫る天国」が、カスガの意味です。
 「スガ」は、さきに見たとおり、これ、天国でしょう。
 では語頭にある「カ」とはなにか……。
 アイヌ語、朝鮮語での話には「カは神、カムイの急言だ」とする説が顔をだします。だが、これはちょと承諾しかねます。
 日本列島規模でいうとカ・キ・ク・ケ・コ と ト、トコロ、イ は場所 を謂いますが、これを採用すると「場所・天国」という形容詞後置形が出現します。それでわ〜るいわけではありませんが、やっぱ、古代日本とはいえ、形容詞前置形が普通でしょう。

 小生が師と仰ぐ人から教えてもらったのですが、シナ語には荷と書いて「カ」とよませる語があって、そのこころは蓮だそうです。
 ネパール語の蓮は kamal いいますだ。この mal は花だと見受けられます(じつはいろいろあるのですが端折って述べています)。
 kamal がシナで ka と短くチョンきられ、その ka(蓮)が日本に入荷したと思うのです。

 静岡県(駿河)には天国を謳ったなにかが、今でも遺っているのではないでしょうか。
 消費税を 10%にするよか、お茶に税金かけるのが一蕃いいに決まっています。それをそうさせないナニモノかの奥には「神々のおわすところ意識」が絡み合っているのでは?

[5023]   駿河 と 菅原の菅 と 蘇我    生田淳一郎 2009/05/27(Wed) 08:02 [Reply]
  大三さんご記述のカスガは、内容は別とし、発音面での考究でした。
 そこで、内容面のことですが、それに関わることで、このごろ小生は「天国」という最高たのしい語彙をつかまえてふらふらしています。そこを披瀝させてもらいましょう。

 インドネシア語辞書に天国と訳されている sorga と surga の二語が載っていて、いずれにも「神々のおわす所」という脇解説もついています。この二語はネパール語にも入っていると思えるのですが、小生が持っている天理教伝道部発の『ネパール語辞典』には sorga(天国、極楽)が出ているだけです。
 この sorga , surga 中央の r は、脱落したり促音を呼びこんだりする傾向をもつのですが、いっぽう、ネパール語に sugghar(綺麗なこと、清潔)があるのです。 sugghar の -har は表情を表す語でもあります。

 富士山を北に控え、へんな当て字の駿河とは、この surga じゃないでしょうか。

 中臣鎌足に与えられた藤原とは、puja(礼拝), pujanie(尊敬すべき)を採ったものだと、小生には思われます。wala . bala は台湾でもネパール語でも「子供」を意味するので、氏子みたいな概念へ飛躍できることと思えます。藤原とは、全体としてバラモンのことでしょう。
 それと同様に 菅原の菅には上の sugghar が遣われていると思うんです。

 では、蘇我はどうでしょうか。これにはソグド人のことを考えねばならないので、ひと筋縄にはいかないようです。シナ語で粟はソグと発音するそうです。
 小生の友人の粟野くんの人相や佇まいから判断して、蘇我とは sog が開音(母音づけ)化された語形だともうけ取れます。山形県の上山(カミノヤマ)出身です。

 このごろの発見ですが、ここ青草の記述はおおいにウソ含みで結構なはずです。
 「みんなで、いろいろと意見を出し合ううちに、そこに含まれているウソは、しだいに淘汰されて、ほんとうのことだけが社会の基礎底辺に沈澱するもんだわサ」……は、釧路酋長の山本多助エカシが語ったことばでした。
 ウソだと分っていながら、ウソを云いつづける者はキチガイです。
 「ウソ含みでもいいよ」という領域が出たので、文学や小説はみごとな恵沢を人類に与えてきました。

[5022] Re[5020]: 難読三解  琉球松 2009/05/26(Tue) 17:17 [Reply]
 地名「春日」は、開化天皇の時代に皇居となりますね。
 この時代は「日下部」等が栄えたとされていて、しかも「オケツ媛」は「ワニ族」。。。これは、神武の時代と重なりますし、次の天皇代に「倭迹迹日百襲媛命」がホトを突いて死にますね。
 
 それと、「カス」は「霞(カスミ)」か何かなんでしょうか?「春の日の出」はたぶん "霞がガカる太陽" だと思いますがどうでしょうか。

[5021] カスガ 有り難うございました  生田淳一郎 2009/05/26(Tue) 15:06 [Reply]
 フリーズするんじゃないかと、おっかなびっくりで、キー叩いてみました。
 よくわかりました。有り難うございました。

 「見はるかす」というのもあったかナァと……思いましたが、ウロおぼえです。

[5020] 難読三解  大三元 2009/05/26(Tue) 14:36 [Reply]
飛鳥、春日、日下 を何故今読むように読むのか。
これまで考えてきたことをまとめておきました。

http://www.dai3gen.net/kasuga.htm
http://www.dai3gen.net/kusaka.htm
http://www.dai3gen.net/asuka.htm

[5019] Re[5017][5015][5012][5011][5010][5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  琉球松 2009/05/26(Tue) 11:56 [Reply]
 神奈備さん、大三元さん、どうもです。

 聴いてみるものですね、いろんなヒントが得られました。ありがとうございます。
 「トトヒ」は、琉球方言やその古語からは難解ですが、「トト」に限定すれば、神女やシャーマンが祈りの冒頭と締めくくりに発する「ウートート、アートート」を連想します。
 これは現代でも、祖先や神に対しては小学生でも使う言葉で「なんと尊いことよ・・」との意味があるとされていますが、「飛鳥」とは関係ないようですね。

[5018]  エンヤ トット    生田淳一郎 2009/05/25(Mon) 19:16 [Reply]
  susu(オッパイ、母)と、「概念も発音」も広がり、ぼやけました。
 小生は、これを *dudu (母・乳)としぼったんですが……。

 ヒトはギッチョンとかゴキブリを主食にしていた段階から、かなり発達したコトバを持っていたんだナァ……ということを、ナニモノかによって、ギュ−ギュ−脳ミソに詰め込まれている昨今です。  アリャ〜、しまった! 晩酌…… 晩酌の時間帯あったヨ〜。

[5017] Re[5015][5012][5011][5010][5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  神奈備 2009/05/25(Mon) 14:31 [Reply]
> その昔「トトニ」(に近い音)というアイヌ語ベースの地名があった(一カ所とは限るまい)

トットちゃん と 母親

黒柳徹子さんのお母さんが思い出されます。
「チョッちゃんが行くわよ」黒柳朝。

[5016]  春日について    生田淳一郎 2009/05/25(Mon) 14:06 [Reply]
 大三さん、「春日(かすが)」についての御存念を拝聴できませんか。

[5015] Re[5012][5011][5010][5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  大三元 2009/05/24(Sun) 11:25 [Reply]
>  キトラ古墳は明日香村にあるようですが、「アスカ」はなぜ「飛鳥」と書くんでしょうか?

私の推理:
その昔「トトニ」(に近い音)というアイヌ語ベースの地名があった(一カ所とは限るまい)

この音を日本語の音韻体系で取り入れて漢字に表記したとき:
「鳥取、飛鳥、迹迹日、、」などとなった。

この語「トトニ」のアイヌ語での原義は「母の木」(あるいは更に遡ると「二本の柏の木」かもしれない)

「母の木」という概念が日本語で「ハハキ」と発音されたものが今の鳥取県西部に相当する「伯耆」につながる(伯耆はハハキ)。この語は”訛って”「オモノキ」とも言われる。

この語「トトニ」の「トト」は「ツト」とも採られ「二日」ないし「明日」の意味にも理解される。「トトビ」という変形語形も意識されて「トト(明日)・ビ(日)」と構成される。「明日・日」は「アスカ」とも呼ばれるようになる。

このように「トトニ」という源から、音写では「鳥取、飛鳥、迹迹日、、」が得られ、翻訳から「ハハキ、オモノキ、アスカ、、、」が得られる。

随所に疑問、弱点もあるが、こんなストーリーを考えてます。

参考:
http://www.dai3gen.net/omonoki.htm
http://www.dai3gen.net/tuto.htm

[5014]   ホホデミ が ほほえんだ     生田淳一郎 2009/05/24(Sun) 10:41 [Reply]
上のひとを台湾アミ語で ニカサ カカカカ いいますだ。
 まっつぁんも書いておられるトトト……。こういうことばぐせは台湾が原郷のようです。

 ところで、去年だったか今年はじめだったかに、神奈備ドンは川の上流、下流にこだわった書き込みをなさったと記憶していますが、書き込み NO など分からないでしょうか。
 いま、そこをもう一度読む必要に迫られています。

 同じ短音を続けるクセはホホデミあたりでも露出していることかと思えます。台湾アミ語は泉(神)を kor kor といっています。われわれ感覚では泉の涌き出しの擬音擬態語は「ほろほろ」がありはしないでせふか?  語中の r 音が落ち易いとみれば「ホホ」が出そう。
  deb は ¶語で神様です。de mi となったは、やはり mi(水)を意識してのことでは?

[5013] Re[5012][5011][5010][5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  神奈備 2009/05/24(Sun) 09:35 [Reply]
> キトラ古墳は明日香村にあるようですが、「アスカ」はなぜ「飛鳥」と書くんでしょうか?

万葉集巻一
 七八
飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ

一九四 
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上(かみ)つ瀬に 生ふる玉藻は下(しも)つ瀬に 流れ触(ふ)らふ 玉藻なす か寄りかく寄り

一九六
飛ぶ鳥の 明日香の川の
   上つ瀬に 石橋(いはばし)渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生(お)ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生(は)ふる

 明日香への枕詞は「飛ぶ鳥の」ですから、そう書いてアスカと訓むとするのが通説のようですね。


>「羽を振る者の土地」なんていう事でしょうかね。

 面白い着想です。祝の居る地、津々浦々となります。百襲姫の頃に武埴安彦の乱で屍を放った場所を羽振園としています。

 また、余談ですが『古事記』の神武東征の条に、亀の甲に乗って釣りしつつ打ち羽挙き来る人が登場しますが、これは船に帆を張っていたのがはためいているのを表現しているのかなと思っています。

[5012] Re[5011][5010][5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  琉球松 2009/05/22(Fri) 21:42 [Reply]
 キトラ古墳は明日香村にあるようですが、「アスカ」はなぜ「飛鳥」と書くんでしょうか?
 箸墓古墳の被葬者「倭迹迹日百襲媛命」の「迹迹日(トトヒ)」の部分が「鳥飛(トトビ)」であるとする説もあるようで、「羽を振る者の土地」なんていう事でしょうかね。

[5011] Re[5010][5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  琉球松 2009/05/20(Wed) 19:30 [Reply]
 霊感とか、人の直感は捨てたもんじゃないと思います。
 とくに女性のそれは、歴史解明の一助になる場合もありますしね。

 しかし、巨大前方後円墳を直に眺めてみたいものです。箸墓古墳を語る「三輪山伝説」は、宮古島張水の蛇神話の大本でしょうし、後円部中央からは「鍬型石」など、沖縄諸島とも関わる副葬品がいっぱい出てくるはずですね。

[5010] Re[5009][5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  神奈備 2009/05/20(Wed) 14:59 [Reply]
 箸墓古墳については諸説があるようですが、初期の大和王権の大王か巫女王の墓と言うことでは一致しているのではないでしょうか。
 大王が崇神さん、巫女王としては卑弥呼、台与(トヨ、タヨ)、百襲姫さんなど。

 この前、日向の西都原古墳を見てきましたが、男狭穂塚・女狭穂塚が古市と百舌鳥の古墳と同じ設計図で造られているとのことで、5世紀前半のものとされていますが、両方とも女(卑弥呼と台与)が葬られていると主張する方もおられます。その方は霊感の強い方で理屈抜きで、古墳の横で猛烈にそれを感じたと言うことです。時代が違うとの指摘には100年後に墓を造って骨をいれたら成り立つわけで、こうなったら説得も意味がなくなります。

 掘れない古墳の箸墓、例え掘れても被葬者が誰かよく判らない古墳の今城塚古墳、それらの古墳の被葬者を知るには、霊感や第六感に頼るのも一法かなどと思ってしまいます。

[5009] Re[5008][5007]: 「青龍・白虎」特別公開  琉球松 2009/05/19(Tue) 14:31 [Reply]
 箸墓古墳は「イヨ or タヨ」の墓との説がありますけど、どうなんでしょうかね。
 
 「百襲姫」は、少なくとも3代は続いた女王政権(開化時代?)でしょうから、この前方後円墳には2人以上の方が合葬されているという考えはどうでしょう。

 キトラ古墳にも興味ありですが、前期古墳には "沖縄" が関わっているのでついつい反応してしまいます。

[5008] Re[5007]: 「青龍・白虎」特別公開  神奈備 2009/05/18(Mon) 20:18 [Reply]
 ZOUさん、情報ありがとうございます。

 白虎などの絵を壁に描く際、紙に描いた絵を壁に当てて針のような物で印を付けていくとか、ピンホールを開けた板を絵と壁の間に置き、絵の後に光りを置くと壁に絵が映ります。それを絵取るとか、色んな方法があったのでしょう。

 意外と右向き左向きと云うのはそのやり方次第なんてことはないのでしょうか。


 とりあえず、5月23日(土)に桜井市北部古墳の見学に行きます。豊中歴史同好会の課外セミナーです。10時9分、JR巻向駅集合です。ホケノ、箸墓、茅原、狐塚、大神神社と回ります。専門家がガイドしてくれます。

[5007] 「青龍・白虎」特別公開  ZOU 2009/05/18(Mon) 13:02 [Reply]
神奈備さん、みなさん、こんにちは。

キトラ古墳壁画四神「青龍・白虎」特別公開.
http://kitora.nabunken.go.jp/kitora09/
昨日 日曜(5月17日)、飛鳥資料館に見に行ってきました。

公開されている白虎は古墳内部では右向き=北向きになっていて
これは国内の古墳の壁画ではかなり珍しいものだそうです。
四神の視線(すべて右向き)を追うと、一周してしまう事になります。
高松塚などでは白虎は左向きなので、
他の古墳よりよりキトラ古墳は風水思想(気の循環)を色濃く表したものといえるとのこと、
館内学芸員さんの説明がありました。

売店で、四神をCGで再現した再現イラストが販売されていました。
CG化すると、風情や雰囲気が損なわれてしまうのがちょっと玉に傷。

公開は5月24日まで。
興味のある方はぜひ。
来年には朱雀が公開されるそうです。

[5006]  下への追補 その他     生田淳一郎 2009/05/18(Mon) 07:45 [Reply]
 「北関東でのエゲツない野郎」と書きましたが、鹿島市出身のご仁は例外でした。さすがに神域で育った人だと、感じ入っています。

 モノはよくよく調べてモノいうべきでしょうが、ここは直感をお赦し maphi ra〜。
 このごろは、ニーチェを喋れば、なんかこう自他共に芸術的思索家みたいに評価され、赦し合える関係が生じているのではないでしょうか。
「大脳を適当に冒されると天才になる」と、オレ思っています。
 24才がらバーゼル大学教授に抜擢されたニーチェは、たしかに天才的ひらめきを発揮しました。しかし、その後、激烈な頭痛に見舞われ、わずか 10年の在籍で、同大学を離れねばならなくなりました。経済的に頼れるものといえば出版による収入だけで、本が売れないことには生計が成り立ちません。
 話題はどこでもそうですが、意外性があってこそ、視聴者の耳目をひきつけます。
 このごろ、日本では「 3秒間は長いか、短いか」とか「今日の自分は昨日の自分ではない」などとソフィストまがいの議論が「教壇カタリ」で取り上げられています。
 そういったヒネリ思念の淵源はニーチェに辿りつくのではないかとオレは思っています。
 ニーチェを有名にしたのは第二次世界大戦後、なんとかかんとか言葉をヒネくって弾劾をくぐりぬけたハイデッガーでしょう。ただそれだけならヨカッタが、ハイデッガーは長生きして、その言葉の害毒を世界じゅうに撒きちらしました。

 メダカの平均寿命は 2 〜 3年ですが、一匹にして水槽で飼えば 11年も長生きします。
 ましてや人間。隣人とのつきあいに神経すり減らしているところへ友情論をぶっつけたら、本は売れねぇわっきゃねぇ。
 毛唐の思索を無検討・無反省に受け容れるニッポン・インテリ ! 
 「覆面でモノ云ってもいい」……、そうな。

  4年前 巨大なバカが出た。『友情を疑う』という題名の本を書いた。廣島大学の清水△木。
 これでどれくらいの友情が破砕され、人間不信に陥った青年たちが出たことか計りしれない。
 教育立県といえば、まず、廣島だった。廣島はいま、物凄い比率の教員たちが退職したり、ノイローゼになって潰れている。

[5005] 鳩が鳴いて 友愛は死んだ    生田淳一郎 2009/05/17(Sun) 06:46 [Reply]
 オレの会社の名前はユー・アイいいますだ。同窓会の名前から採ったのですが、資金だしてくれたのは二人だけでした。
 だが、友愛とか友情などについては深く考えたことはありもはん。なぜかというと、それをあんまし深く考えることは現代人には早やすぎるからです。
 ただ言えることは「全服の信頼感」ということだけです。
 みんなで生きているのですから、みんなへの信頼感がなくっては生きていけませんし、みんなへの信頼感が欠如したままの人生は、もう、人生とはいえません。……いえることは此処までで、何も用意しないまま、それ以上考えると深い陥穽が待っているだけです。

 もう 20年も前のことになりましたか、司馬遼太郎さんが「日本人には友情は育たない」と書いておられるところを見てア然となりました。
 よくよく調べていくうちに、同氏が摂津うまれで河内育ちであるところから、そういう不毛の思念は天皇様べったりの近畿京阪の土地に咲いたアダ花だと断じました。
 ところが、人生の終わりに来て、いろいろ整理していくうちに、僅かな人数のふれあいでしかなかったんですが、北関東にはじつにエゲツねぇ野郎が蝟集している事実に気がつきました。
 天皇様のお膝もとから遠く離れた関東にそんな野郎がいるとは! これは従来の考えを替えねばならない。
 ここで思い当たったのが学校教育のことでした。
※ ゼニは無制限にいくら儲けてもいい。
※ どんな思想を持とうと、カラスの勝手だ。

 学校という集団による意識形成の場で、こんなことで白昼堂々の洗脳行為がなされたんじゃ、タマッタもんじゃねぇよ。
 ちょっとだけ深くいうと、自然(法)の中で形成される友愛は、集団形成の成文法の意識叢に触れたとたんに、鎧袖一触、吹っ飛ばされるンです。 
 そんなことチ〜とも考慮しないで、キャンデー舐めなめ成長した坊やは、キャンデーのネバネバに perfect に paste され、“過去完了”を起しているのではないだろうか。
 今日あたり、それぞれの学校長が「そうだ!」と、へんな正義感で「友愛」が語られるだろう。それ思うと背筋に氷のやいばを突っ込まれたみたいにゾ〜っとなる。

[5004]   長いボーブラの思い出   生田淳一郎 2009/05/16(Sat) 10:20 [Reply]
 長いカボチャのことでしょうか、北九州ではカボチャをボーブラいいますだ。
 有り難うございます! さぁすが、たんたん天子さま。
Lange-nari を観た瞬間、わが屋の横の柿ノ木にぶらさがったボーブラのことを思い出しました。
 終戦直後、「もう一日待とう、もう一日待とう」といって取らなかったボーブラが、一夜のうちに何者かに盗まれました。2m ちかくも長いボーブラでした。
 あとで、下の独身寮の連中が「生田さんがたのあのボーブラはうまかったね」と言ってるのを、兄貴が聴いたそうです。
 こういうことを憶いだすと、その関連周辺事も生きかえって、ボケ防止に役立つと思います。
 幼年〜少年少女時代の冒険潭を、眼を輝かせて、なんべんもなんべんも繰返してひとに話す人は、活き活きとした脳を持続させるようです。
 元社会党の闘志だった爺さんが、ときどきあそびに来てくれますが、まさにその通りです。

[5003] Re[5002]:   ひさごの起源    佐々木 2009/05/16(Sat) 09:11 [Reply]
●瓜(うり)科、学名 Lagenaria siceraris Lagenaria :ヒョウタン(ラゲナリア)属、Lagenaria(ラゲナリア)は、ラテン語の「lagenosフラスコ、瓶(びん))」?

●「瓢(ひょう)」は「ひさご」(夕顔、冬瓜、瓢箪などの実の総称)のこと。「箪(たん)」は竹で編んだ目の細かいかごのことで、実を容器として用いることから。

 とある書物に出ているようです。

[5002]   ひさごの起源    生田淳一郎 2009/05/16(Sat) 07:20 [Reply]
 実験考古学にこころざして、各種の古代道具に情熱を燃やしている立派な方が宮城県の石巻市にいらっしたのでしたが、 6年ほど前に体調を崩されて山地に転居されました。
 その後、問い合わせは遠慮しています。
 このような方にいちど瓢箪を育ててみていただきたいと愚考します。
 瓢箪は放っておくと、形がペッシャンコになって、それができあがってしまうと、割れたり、いびつになったりして、「容器などには使い物にならない」という意味が「ひさご」という語に込められていそうです。

  瓢箪といふ語は、シナ語からの借用でせふか、この分析には手がでません。でも、ここに「へ」が出ていると見れば、その xe とはさきに出た xe(=笥) ではないかと…… 。
 せめて瓢箪のタンだけでも知りたい紋です。

 それに比べると、ひさごのほうは、かなり分析が可能のようよ。
 アマカネを多発するモニ族も、この「へうたん」をじぶんの思いどおりに「成ら」せてチ¶ポ・サックを作りあげます。
 「なり・ひさご」というのは、内部の種子がチャラチャラ鳴るからという意味もありましょうが、そうではではなぐってぇ、「思いどおりに形よく生った」という意味ではないでしょうか。

 ひさご の ゴ は篭のゴだと思います。ですから始源の篭(ゴ)は竹筒や竹、ツタで編み上げた椀状のものではなく瓢箪を切って椀にしたものとか、貝を加工した「水洩れのない」うつわだったことでしょう。
 それを証明しているのが、古代語の「ひし」で、意味は「うちひしがれた」です。この *his は¶語に hiss-aunu(がっかりさせる)、hissa(がっかりした)があります。へうたんが思いどおりに育たなく、ビッシャげてできあがって「がっかりした」のではないでしょうか。
 (途中ですが、この -au に注ぎ目ください。この au が奥ゆかしいやまとことばを作るのです)

 序でのついでに言えば、hisi には「いかす、恰好いい」があってモニ族の男たちを喜ばせます。
 hissa に「分け前」の意味があります。
 集落に「オ〜〜イ、(めしが)できたゾォ〜」という声が響いたとき、そんじょそこらから瓢箪のうつわを手にした老弱男女がゾロゾロと集ってきたと想像してま。
 集ってきた老弱男女に、オバンが柄(え)のついたヒシャクで分け前を配った……どな。

[5001] Re[4993]: マチャプチャリ山 と オチョプチョ  1  かっぽれ 2009/05/15(Fri) 14:23 [Reply]
> そのときテレビが「マチャプチャリとは魚のシッポという意味です」と解説しました。それきいたオレはギクッとなりました。マチャプチャリという音があまりにもアイヌ語の ochopcho(魚のシッポ)に似ていると受け取ったからです。末尾の ri はチベット語に残る山の謂いで、利尻島の ri です。利尻島は「山・島」です。ヌプリ(山)の ri です。

プチャリは[pucha+re]ではないですよ。[puchar+e]、puchar(尾)にeが付いたものです。
「(魚の)尾の形をした」という意味で、チベット語のri(山)とは無関係。
ネパール語の名詞puchar(尾)を形容詞化する語法で、山とは関係なく使います。
やはり少しネパール語の文法を勉強したほうがいいのでは?

それから質問です。アイヌ語の利尻はリ・シリ(高い・島、陸地)だと思いますが。
シリが「山」の意味になることはあっても、リが単独で「山」になるとは初めて聞きました。
山はヌプリ、そのリだけ分離して「山」になるんですか・・・
どこの辞書に「リ」が「山」と書いてあるのか参考のために教えてください。

[5000]  佐々木 2009/05/13(Wed) 15:00 [Reply]
 紋爺さんや
 これが筌(うけ)。ほかにもんどり、ず。

[4999]  うへ〜(「筌(ウヘ))   生田淳一郎 2009/05/13(Wed) 07:29 [Reply]
 √ 家にしあれば笥(ケ)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る ・♪
 
 筌(ウヘ)のヘは上の笥と同一と踏んでもよさそう。碁石を入れる器は碁笥です。
 中央アジア語系の xe は○○語で khe になります。この kh と a と o の中間母音が古代日本にあったんですなぁ。この二つが甲類・乙類区分の基本をかたち造っています。

 かご(篭)は「 ka(鳥の)go(篭)」と置けそう。
 各地の篭は、単音が多く、原始の近似をみせています。

 へば、ウヘの“ウ”とはなにか。まず、ur(水)が挙げられ、つづいて u(大)。
 竹で造った大形で筒みたいな魚とり道具の篭をドゥといいます。水脈の中央に沈めておきます。これがむかしの筌(ウヘ)ではなかったでしょうか。
 また、水がダァ〜と流れるところを「ドウドウ・セン」といいます。センは滝、急流です。
 水脈の微妙なちがいで、ちがい毎に名前がついているようです。


★ インドネシア語に悲しみ、驚き、痛みを表現する aduh があります。 豊後の従兄弟は、よく「ありゅ〜」と言っていました。 aduh の訳は「ああ、おお」とつけられています。語中に d がありますので、これはすぐに anduh に訛ります。これらは 弘前の「 おんろ〜」、北九州 の「おんりょ〜」に繋がっているようです。

[4998] 佐々 お帰りィ〜    生田淳一郎 2009/05/13(Wed) 06:21 [Reply]
 神奈備ドン、佐々お帰りィ〜。宮崎でマンゴー食ったんやろ。脂肪肝にもよかろう。
 気分いよいよスッキリみたいだなァ。文面に溢れているよ。感受ね。

 前後しましたが、いろいろ有り難うございます。あれ、イマナリさんやったんやねえ。オレの早やとちりでした。マルヤさんも神奈備ドンも、行けば顔みれて「ヨォ ! 」などと言えるので、ご忠告など素直に感受でけま。
 
 「霊威の発動」は、くだんのクソヂヂィが多用した文句でした。
 「霊威の発動」という見方をすれば一切の感受も行為も発言も、「霊威の発動」となら。
 視線から素粒子が放射されている。これも「霊威の発動」。
 いやさ、物質の存在もナニモノかの「霊威の発動」と、こうなる。

★ 「セガワ、ツル、ツボ、ハリズ、コボライ、ホウライ、カガミ、大マワシ、コドコ」……わずか九つですが、関東甲信越以北に眠るへんな沢名を読み解く貴重な手がかりです。
 というのも、地名には内意がまったく伝わってないのですが、これら九つには簗という概念が込められています。現にモンタワ沢が一つ出ました。
 「いざ、やるべ」と、取りかかってみましたが、オレのアイヌ語知識がナッチョランことを思い知り、目下、山田秀三さんの『アイヌ語地名を歩く』を読んでいます。

 すると、荷風谷に二谷国松というすごくできた人格者のエカシがおられたことが書いてあります。合っているだけで、その風格に圧倒されるそうです。
 国松さんはいつも「アイヌ社会は神々の心を知らないと理解できない」と、おっしゃっていらしたそうです。
 名前忘れましたが、クッチャロ湖畔にもみごとなエカシがいて、そのご人が発声したシンヌラッパ(先祖供養)やカムイノミの祈りのことばを聴いた学生でカニ族だった小川氏は、ドテンと心打たれて、とうとうそこへ住みついてしまいました(実話)。
 だが、現代の薮こぎは、それでいいのだろうか? なぜ原始宗教という名を冠したのか……。

★ マンゴーはアラビヤ語でマンジューいいますだ。ガハ。

[4997] Re[4996][4981][4980]:   裏番組の神奈備掲示板へ ちょっと     マルヤ 2009/05/12(Tue) 20:38 [Reply]
神奈備さん、久しぶりにお邪魔しています。

>  古事記の訓ですが「筌(ウヘ)を作りて魚(ウヲ)を取る人あり。」との読みもあるようです。

そうですね。原文「時作筌有取魚人」の箇所ですが、
新潮日本古典集成『古事記』で見ると、「筌(やな)を作(ふ)せて魚(うを)取れる人あり」とルビをつけていました。
またこの書では筌を(うへ)ではなく(やな)とルビがふってあります。
編者がどのように訓ませようとしたのかは実際よく解りませんね。

[4996] Re[4981][4980]:   裏番組の神奈備掲示板へ ちょっと     神奈備 2009/05/12(Tue) 14:52 [Reply]
> 神奈備さん、皆さんお久しぶりです。

 マルヤさん、ひさしぶりです。

 真名井の真名は「霊力のある」との説明があり、これは物部のモノと同じなのでしょう。ポリネシア古語だそうです。真名井とは霊力のある井戸、眞名鹿など。
 さて、真名板、マナコ、

 古事記の訓ですが「筌(ウヘ)を作りて魚(ウヲ)を取る人あり。」との読みもあるようです。

 万葉集では勇魚や鯨魚でイサナ、足姫(たらしひめ)神の命の魚(な)釣らすとみ立たしせりし石を誰見き、のように魚のナがありますね。
 真魚は儀式とか神饌となる魚のことかも。

 難波のナ、魚にからんだ地名との説があります。

 遣唐使の真名井とは藤井寺出身の井真成さんのことでは。西安で墓誌が見つかった人。


[4995]   銚 子 の 滝    生田淳一郎 2009/05/12(Tue) 12:23 [Reply]
 行きがかりで、「セガワ、ツル、ツボ、ハリズ、コボライ、ホウライ、カガミ、大マワシ、コドコ」に入るまえに「銚子の滝」を蹴っ飛ばすハメになりました。
 千葉県の銚子港は「水つぎの銚子だ」と解釈されていますし」、銚子の滝などは「銚子という水つぎ道具から、水が流れおちることに模した情景」だと解釈されています。
 しかし、 cho o us i はアイヌ語で「cho(魚)o(群在して)us(いつもいる、くっついている) i (場所)」と、あまりにもドンピシャです。
 現在のアイヌ語では、魚は chep であり、 cho ではありませんが、さきに叙べたとおり、 cho にもなりうるわけです。というより、文化モザイク混在観を持ってきたほうがいいでしょう。
 川魚は河口から遡上して産卵します。しかし、余りにも段差がある滝では、イワナのように1cm前後の幼魚のとき、降雨どきを利用して崖を這い登るか、あるいは滝つぼ周辺でうろうろするか、二つに一つしかありません。

 調子の滝の所在はいろいろ知っていましたが、ほとんど忘れました。
 上越線「かみもく駅」の北にも「銚子橋」がありますのでご確認ください。
 中央本線「はつかり駅」の西北には「モンタワ沢」がありましたヨ。これが載っている本の同じページにはハマイバ丸(山)、ジャクシの沢、カジアの沢、ジュロサス沢。
 一歩々々です。

 あ、アイヌ語のウライ(簗)ですが、 ur は古代日本語でも水ですので、日本にも同じ簗のウライがあってもおかしくはない道理です。

[4994] マチャプチャリ山 と オチョプチョ  2   生田淳一郎 2009/05/12(Tue) 09:57 [Reply]
  machapuchari の macha がネパール語魚であることは、みなしゃんすでに御存知。
 そうしますと pucchar がシッポです。これはネパール語にシッカと根をはやしています。
  日本人には発音しにくいのですが puththa( t の下には“・”があります)は尻です。この ththa が 同じネパール語内で “ cc ”となったのだとみうけられます。で、 ar がシッポかな?

 退院して 7年半かけて原稿をまとめて『衝撃のネパール語』を世にだしました。
 それを伊藤せいちさんに贈ったところ、アイヌ語の ochopcho(魚のシッポ)のオは、日本語の尾とも共通している(知里真志保もいっています) o で、chopchop は魚が跳ねている状況を写した擬音擬態語……が取りこまれているのだと、教えてくれました。
 pucchar と chopchop は語源的には別ものだったのです。

 なにごともそうでしょうが、「ちがう、ちがう」と言いたてる姿勢の中からはナァ〜〜ンにも生まれてきません。「マチャプチャリ は オチョプチョだ ! ! 」とオレが錯覚したからこそ、洋の東西にわだかまっていた大岩をどけて、古代史に涼風を入れることが出来たんです。

 さて、chopchop 、ここにも魚が顔を出しています。ありゃまァ〜。
 そういえば、アイヌ語の魚は chep です。
 じつは、ギリヤーク語で魚は cho だったんです。前々からこれを知っていたので、オレの驚きが増幅したんでした。
 天皇名、神名を中心に組み直された日本語畑では「チョ」とか「チェ」などの音は消えます。それぞれ、ト とか コ になるはずです。

 さてさて、遠まわりしました紋です。
 日本列島には多数の「銚子、銚子の滝」があります。
 オレは 8年前あたりから、つい最近まで、日本語とアイヌ語の近似は敢えて考えまいとする思考方法を採ってきました。
 が、改めてここに、その近似を考える時がきたようです。

[4993] マチャプチャリ山 と オチョプチョ  1  生田淳一郎 2009/05/12(Tue) 08:07 [Reply]
  主水=もんど……やっぱ、ありましたか。有り難うございます。
 クリ(蔭)の厨房係り。現代感覚からみると卑下語ですね、これじゃあ。「小者」にしかなりませんねぇ。もっとも、今でも弘前には「小人町」があって、むかしは斯かる卑下語が公然と使われていたみたいですけど。
 しかし、人名の「主水之丞」などからわれわれが受ける印象は、堰き止めた水堤をいっきに切って落とし、数万の敵兵を一挙に殲滅させるような、一騎当千の若武将を連想させます。
 不思議な音転……、moi から mon が出ていると考えてもいいのでしょうか。ここには地方氏族が持っていた音転法則が介在しているようです。たとえば、アイヌは s の前の n は規則的に i となり、「先生」はセイセイになります。
 ま、ここはしばらく、お預けにしましょうや。
 早いとこ「セガワ、ツル、ツボ、ハリズ、コボライ、ホウライ、カガミ、大マワシ、コドコ」などの分析作業に移りたいのですが、そのまえに、おたし(豊後方言……わたし)の経験を聴いちょくれ。

 現皇太子がネパールのマチャプチャリ山にご登山遊ばされたは、いつのことでしたか。   Googってみましたが判りませんでした。 23年か 25年前のことではなかったでしょうか。
 そのときテレビが「マチャプチャリとは魚のシッポという意味です」と解説しました。それきいたオレはギクッとなりました。マチャプチャリという音があまりにもアイヌ語の ochopcho(魚のシッポ)に似ていると受け取ったからです。末尾の ri はチベット語に残る山の謂いで、利尻島の ri です。利尻島は「山・島」です。ヌプリ(山)の ri です。
 でも、その直後、オレは激しく首を振り「そういうことの追求は人生のたそがれ時にやればいいんだ」と、じぶんに言ってきかせました。
 当時わが家には大学生になったばかりの長男の下に高校生が二人いました。

 ところが、人生のたそがれどきは意外にも早くやってきました。
 それから 2〜3年後、セールスマン(オレ)の足がしびれ始め、1992年には琉球大学付属病院に入院するハメになったのでした。
 退院してすぐ、ネパール語に取組みました。

[4992] Re[4991]:   モン ド リ (日本の古い簗)     佐々木 2009/05/11(Mon) 16:11 [Reply]
●主水:「もんど」ありました。
●律令制の宮内省の機関で主水司(もいとりのつかさ、しゅすいし)というのがありますが、水・氷の調達および粥の調理したらしい。
 水部(もいとりべ)、水戸(もいとりこ)というのがあったそうです。
 水・・・もいとり
●地名では水取(もいとり)、主水(もんと)がありました。
「もんと」から門戸厄神を連想するが。土左衛門と関係は?moito:涙??滴??

[4991]   モン ド リ (日本の古い簗)     生田淳一郎 2009/05/11(Mon) 12:44 [Reply]
 「もんどり打ってでんぐり返った」といいます。これはうしろ頭に束ねているチョンマゲの形を崩してドテンと打つことかと思っていました。が、この語形に恵まれてみると、タ−ジ・タジになって、そうとも言えなくなりました。
 元ドリの dori はネパール語で紐です。
 辞書と相談したら「もんどり」とは「とんぼがえり」とあって、上の「でんぐり返る」とは意味がちがっています。……ムムム、そうか ! 科学がなかった往古ではトンボは宙がえりをすることになっていたのかもしれません。

   doli から先にいえば、これはイタリアの東のアナトリア(東)地方と同根で、「ana(あっちの)tolia(組、群れ、集団)だと思えます。邑知地溝帯の中央に鳥屋町があります。流路を整備して焼いた塩を、チクニ街道で運んだんでしょう。

  mondori と置いてみるとき、中央の n は d を控えています。こういう n は、ただの助音ですので、原形は modri だった可能性も高い。そうすると「もどり」とは「落ち鮎」を狙ってのことでしょうか? モドリの mo はベトナム語に有力な語があって、これは釣り針などのモドシや逆もぎの mo です。
 だがだが、与えられた音を勝手に変えちゃオエン(岡山方言)。やっぱ mondori に直しましょう。
 すると、モノノベに含まれていそうな mon(しごと)が浮上します。アイヌ語でもあります。アイヌ語 monraige は「忙しい」、しごとで死にそうだの意味かナ。ネパール語 bhadrai は百舌。
 モンドリとは「しごと・組み合い」……かな? 簗でえられる魚は、貴重なタンパク源ですので「村民ぜんたい」で管理したんでしょう。それを仕事といえば仕事だともみえます。

 でもでも、もう一回でも、ハネれば 「mo =くに」が出てきます。そんじょそこら一帯のという意味の mo です。蒙古語 mol(へび)、アイヌ語 mosir(i)。英語 mother(母)。
 やっぱ、 modori が mondori になった……かな?

 ところで、天子さま、モンドは「主水」と書かなかったでしょうか。ここに、水= mon が出ているような……です。水門にもへんな偏執があるみたい。
 / ケネディさんが咬んだとかのウオーター・ゲイト事件。

[4990]  ウライ(アイヌの簗)    生田淳一郎 2009/05/11(Mon) 07:27 [Reply]
 ワハイ(ワイハではなく、インドネシア語の驚きの声)、もう、ウライですかァ?
 モンドリ解釈はあと廻しにしやしょう。
 出雲、豊後、沖縄、古代語で u(おおきいの“大”)がありました。例 ; u-si(大・人)。
 アイヌ語には rai の多動態としてronnu(いっぱい殺す、いっぱい猟をする)があって、この語と一般系の rai(死ぬ)は不可分の関係があろうことかと思えるのですが、「 u(いっぱい)rai(殺す)」は、現代に遺されている語形とその分析では、かなり無理でんす。
 でも人が梁漁を発明したのは ronnu という語ができあがる前だったことも推測されるので、ニャンともいえまへん。
 それよか *ur は水ですので、これに強調末尾辞の -ai がつき、これが慣用化されたのがアイヌ語の urai だ……と見たいところです。 或いは ur が開音(母音づけ)化され ura になったところへ、 i(場所、もの)がついた……とも。

 ai には「身をすり寄せる」という意味もありますので「水につける」とも(挨拶のアイ)。
 また、ai はアイヌ語で矢でもありました。アイヌ語アイアイは日本語のヤヤ(赤ん坊)。
 神奈川県で、いまはダム湖に沈んだ一帯に「アイ川」がありました。そこの人びとの顔は徳島県によくみられる骨ゴツゴツの人相でした。このアイ川の ai が何を意味していたのか、津々興味でした。付近には、変わったお名前の相京(アイキョウ)さんがいらっしゃいま。
 ひょっとしたら、この ai は、ネパール語の被覆形「一族、みうち」の意味だったのかも。

[4989] Re[4987]:  ワイハ ドッテンびっくりじゃぁ〜(津軽弁)   かっぽれ 2009/05/11(Mon) 00:56 [Reply]
>★ ウソと知っていてウソこくのは吉外です。しかし「これ、ホントだ」と思って、「あとから見たらそれウソだった」は、おおいに書いて宜しい。大衆文化はこれでうごくと思います。
> そういう意味合いで、いま恵まれた古代の川漁のことばを分析させてくらはい。

ふむふむ、その通り。
分析というか、想像や推測は大いに宜しい・・・これには全く異存ありませんね。
ただ、明らかな誤りは指摘、訂正するのが掲示板というものです。
そして、誤りを訂正されたときの態度で、その人間の度量がわかるのも事実。
まあ、くどくど書くより手っ取り早く実例を挙げると・・・・
>[4983]  「水におる」 ma cha (魚)?
> オレ、マナの ma は印欧齟齬の ma(水)じゃなかろうかと愚考してます。

「愚考」や分析、推測は大いに結構です。けれども、「印欧齟齬のma(水)」というような、事実に反する援用は指摘しなければならないでしょう。なぜなら、他の読者に誤った知識を植えつける可能性があるからです。印欧祖語に「水」を意味する"ma"はありません。一般の人は印欧祖語などの知識は持ち合わせていないので、そのまま信用しかねない。
同じことが生田さんのネパール語の引用にもいえますね。
たとえば、>[4980]   裏番組の神奈備掲示板へ ちょっと
> ネパール語で「いうことをきく、したがう、尊敬する」などの意味を持っている man があります。これに強調末尾辞の -ai がついた manai(禁止)が実際にネパール語にあります。

強調末尾辞(接尾辞)の[-ai]と[manai]のaiは、ローマ字で書けば同じですが、ネパール語でこの二つの[ai]は発音も文字も全く違うんですよ。接尾辞のaiは二重母音、manaiのaiは単純に[a+i]。それに、manとmanaiは別系統の語彙です。

以上のような修正を加えた上での、生田さんの次の書き込みに期待をしております。

[4988] 簗=ウライ  佐々木 2009/05/10(Sun) 23:03 [Reply]
アイヌ語では「ウライ」というそうなのだが、紋爺さん、何か解説ありそうですか。

[4987]  ワイハ ドッテンびっくりじゃぁ〜(津軽弁)   生田淳一郎 2009/05/10(Sun) 18:15 [Reply]
★ まったく知りませんでした。有り難うございます、有り難うございます。
> 簗で集めた魚を捕集するものが、もんどり(地域により、ず?、うけ)とかいっておりましたね。ほかに漁の方法には「えり」などなどがありました。
 えり漁は仕掛けにはセガワ、ツル、ツボ、ハリズ、コボライ、ホウライ、カガミ、大マワシ、コド
★ ウソと知っていてウソこくのは吉外です。しかし「これ、ホントだ」と思って、「あとから見たらそれウソだった」は、おおいに書いて宜しい。大衆文化はこれでうごくと思います。
 そういう意味合いで、いま恵まれた古代の川漁のことばを分析させてくらはい。

《 ず 》 …… 巣と同列語で「○○が密集したところ」でしょうか。篭で、魚が逃げられない。
《 うけ 》……トヨ ・ 「 u (大) ke(食べ物)」じゃろかね。ur(水)ke(食べ物)?。「受け」でしょネ。
《 えり 》……ナニ語だったか、エルベなどの er は川ざんす。 i-er-i (川する処)と措いたがヒガ目か。九州には「えりぐちさん」がいます。e(高貴)li(人)かも。
《 せがわ 》……堰く・川 やろかね。静岡には川瀬さんもいらっしゃいま。

 晩酌にござんす。

[4986]  佐々木 2009/05/10(Sun) 12:21 [Reply]
 紋爺さんは川に堰を設ける簗(やな)漁を知っていると思います。
 これは日本語・アイヌ語の網は jal 系?
 簗で集めた魚を捕集するものが、もんどり(地域により、ず?、うけ)とかいっておりましたね。
 ほかに漁の方法には「えり」などなどがありました。
 えり漁は仕掛けにはセガワ、ツル、ツボ、ハリズ、コボライ、ホウライ、カガミ、大マワシ、コドコなどの各仕掛けがありました。倉田亨「水産物」研究社「比較文化」第5巻:日本人の技術より

[4985]  ヤナは「 網で捕る魚 」?  生田淳一郎 2009/05/10(Sun) 09:29 [Reply]
 はやとさんも やっとかめ! めずらしいことばを有り難うございます。
 初めて聴くので「やな うったせ」からは、投網みたいなことを想像してしまうのですが、どうなんですやろ。
 なぜ、こんなこと考えるのか、も一つの原因は「○ na」で作られた魚の名前が、めちゃ少ないからです。せいぜい鮒とイワナぐらいではないでしょうか。
 ナマズ、ウナギ、ドンコ、ドジョウ、ハヤ、ウグイ、ヤマメ、エノハ、タイ、コイ、キス、ネユ、メバル、ヒラメ、マグロ、ニシン、サンマ、イワシ、アナゴ、ハタハタ、ウツボ……(安い魚しか知らんなぁオレ)……、日本の魚名は、はるか太古のことばを写しているようです。

 「やな」の“ya”が網に似いちゅう。日本語・アイヌ語の網は jal 系だと思えるんです。
 網をたどっても文化の伝播がかなり掴めそう。
 梁はアイヌ語の yanke(陸揚げする)と不可分でしょう。出稼ぎのヤン衆とも同根か。柳とは別語源だと思えます。

 面白いもの拾ったのでご披露に及びましょう。
 サンマなどは分類上「ダツ目」といいますが、このダツは「伊達の金属」だったにまちがいナシ! 大昔の一般の太刀(タチ)はサンマぐらいに短かかったのでは? / マキリ。
 マキリの ma は魚じゃないだろうか? mar(物)かな?

[4984] Re[4983]:  「水におる」 ma cha (魚)?  はやと [Url] 2009/05/09(Sat) 20:00 [Reply]
当地鹿児島では現在でも「やな」と云います。
以前大山元さんの掲示板に。「やな うったせ」を。
平安の頃からの古語とか。

[4983]  「水におる」 ma cha (魚)?  生田淳一郎 2009/05/09(Sat) 18:56 [Reply]
 まるやさん、やっとかめなも(ナゴヤ弁)。
日本語が借用した漢字で書かれ始めたころの記述でしょうね。

 オレ、マナの ma は印欧齟齬の ma(水)じゃなかろうかと愚考してます。そこから、「ma 」 → 水 → 魚 の意転 がありうるかと。

 na は、すべてにくっついて名詞形を表しますんでイカンわぁ〜(ナゴヤ弁)。
 縄文期……ということでしょうか、貝はミナだった。ごく普通の川にいるチョンマゲみたいな巻貝はゴヒナだった。日本住吸血虫がいるってんで、まっさきに警戒されたが岡山だったか。おれら、子供のころはさかんに食ったヨ。
 九州ではキノコのことをナバいいますだ。 na = 菜?
 アイヌは蛸を atui(海)-na いいますだ。

 ※ 子供のころ、メンタイコを「タイのマコ」というていました。ma = 魚 ?

[4982] Re[4981]: 訂正     マルヤ 2009/05/09(Sat) 17:44 [Reply]
> マナ(魚)のことですが、この語幹はnaとも思われます。

上記文中ですが、「語幹」というより「名詞幹」と言うべきですね。
気付きましたので訂正いたします。

[4981] Re[4980]:   裏番組の神奈備掲示板へ ちょっと     マルヤ 2009/05/09(Sat) 09:17 [Reply]
神奈備さん、皆さんお久しぶりです。
紋の叔父貴 ご無沙汰です。
横合いから失礼します。

>  真名井……。「まないた」というように、これは「魚をさばく板」として
>「魚=マナ」も定着したことでしょう

マナ(魚)のことですが、この語幹はnaとも思われます。
つまり、ヤマト言葉ではマナは真魚の意かと思うのです。
『古事記』の神武天皇の吉野巡幸の記事に
「その八咫烏の後より幸行(い)でませば、吉野河の河尻に到りましき。時に筌(うへ)を作りて魚(な)を取る人あり…」
とあって、魚をnaと訓ませています。
これから考えると、「さかな」は、酒魚saka-naと解せないでしょうか?

[4980]   裏番組の神奈備掲示板へ ちょっと     生田淳一郎 2009/05/07(Thu) 08:06 [Reply]
 オレ、キカイ・オンチだはんで(津軽弁)、教えてもらいに出かけることもできず、ここんとこ、ウッケーピッケー(沖縄方言 ; さんざん)悪銭苦闘してま。

 とみたさん、オレも難儀しよるので、ひとこと。あれはナ、書きおわって、最後の部分にできた空白をぜんぶ反転させるとでしゅよ。とことん反転させます。そしたら黄色とか青の色がズラリ出るでしょ? そこで delete ぶち喰らわすとです。
 わ〜るいクセがついたので、当分間は書き込み皿で書いて、それを掲示板の投稿にぶちこむのがいいと思います。たいしたワルサではない。気にしない気にしない。

 真名井……。「まないた」というように、これは「魚をさばく板」として「魚=マナ」も定着したことでしょう。また、たしかに敵がゲランみたいな毒を井戸に投げ込んだら、すぐに魚が白い腹みせて浮きあがるので、被害を未然に防げる。
 だがね、シナの遣唐使だったか。遣随使だったかに「真名井さん」がいらっしゃる。
 これは、ちょっと考えたほうがいいみたい。
 ネパール語で「いうことをきく、したがう、尊敬する」などの意味を持っている man があります。これに強調末尾辞の -ai がついた manai(禁止)が実際にネパール語にあります。
 鎌倉( < *peam のkura)幕府のマンドコロや北条マン子などはこれだろうと思われます。
 島根・津軽のマイネ(だめだ)は、いちど mai-nai の語ができたあとの音転でしょう。

 峠と亀……。鎌倉( < *peam のkura)と書きましたが、*peam とは大地の護り神のヘビで kura はインドネシア語の亀です。古代人の考えでは、天地を支えている動物のいちばん下に亀がいます。
 いっぽう kura は神や貴人がイマス(坐す)座です。
 揉み合うような恰好で、ネパール語に takura(峠)があります。そういうことばの事情を知っていた古代人が峠ちかくの地名に亀を遺したのでは?

 佐佐……。ネパール語 sait(吉兆)。ささもってこい。ささ行ってこい。
 津万の万……禁忌とも「まねし(多い)」ともとれる。 tsu に「強い」があることは沖縄でも確かめられました。こをば。

[4979] 続 スッキリして野へ、山へ  神奈備 2009/05/06(Wed) 21:05 [Reply]
 ようやく連休が終わり、隠居連中の出番が来ました。この季節の野や山は虫は飛んでいなくて心地よい散策ができます。
 金曜日から宮崎へ行こうと計画をしました。幾つかの有名でない神社を巡るのですが、最後の日には西都原古墳群と都万神社に行こうと考えています。
 最近参加者が少なくなった「浪花の古代史研究会」で前月には初期河内王権についての相互発表がありました。月一回、千円、参加ご希望の方は連絡下さい。

 研究会の中で気比神宮から帰った応神天皇を歓迎する神功皇后の歌があり、これの意味するところのお話がありました。

 虚能彌企破。和餓彌企那羅儒。區之能伽彌。等虚豫珥伊麻輸。伊破多多須。周玖那彌伽未能。等豫保枳。保枳茂苔陪之。訶武保枳。保枳玖流保之。摩菟利虚辭彌企層。阿佐孺塢齊。佐佐。

 この御酒(みき)は 吾が御酒ならず 神酒(くし)の司(かみ) 常世に坐す いはたたす 少御神(すくなみかみ)の豊寿き(とよほき) 寿き廻(もと)ほし 神寿き 寿き狂ほし 奉り来し御酒そ あさず飲(を)せ ささ

 昔の結婚年齢は比較的若く神功皇后が誉田別皇子を生んだ年齢は20才を大きくは越えていなかっただろうから、年の差の大きくない息子を迎えると言うよりは孫を歓迎するような可愛がりの歌ではないかとの説が紹介されていました。
 応神・仁徳同一人物説がありますが、これは応神不在説になるのかな。

 同一説の根拠に日向の髪長媛を応神が妃にしようと呼び寄せたなを仁徳さんが横恋慕して頂いたとの説話があるのですが、父と子とでこのようなことは非常識と言うことでの説のようです。

 髪長媛とその父親の諸県君牛とされるメサホ塚・ヲサホ塚を見てこようと思っています。この古墳はおそらく本当の仁徳陵であろう履中陵(石津丘古墳)と相似形で丁度半分の規模だそうです。西都原古墳群は初期の河内王権の成立に多いに貢献した日向の王の一族の墳墓が多くあるのでしょう。

 なお、都万神社は木花咲耶媛が祭神ですが、五十猛神の妹神の都麻都比売命とする説もあるようです。

 面白いのは諸県と五十猛命との関係です。宇佐八幡の辛島氏は紀氏と同族だったのかと思われる氏族ですが、その系譜があります。
五十猛命
豊都彦トヨツ   豊の国
豊津彦トヨツ   豊の国
都万津彦ツマツ  宮崎県児湯郡妻町 *都萬神社、五十猛命の妹神に抓津姫あり
曽於津彦ソオツ  鹿児島県国分市 *韓國宇豆峯神社
身於津彦ミオツ  日向市美々津町 *立磐神社
照彦テル
志津喜彦シツキ  鹿児島県曽於郡志布志町
児湯彦コユ  宮崎県児湯郡
諸豆彦モロツ  児湯郡諸県

 とあるのです。児湯郡妻町、児湯郡諸県にいる五十猛命の子孫の名があるのです。都万津彦は都万津媛とは対の神名です。
 じっくり都万神社と古墳群を鑑賞したいと思っています。

[4978] Re[4977][4976][4975]:  スッキリして野へ、山へ   かっぽれ 2009/05/03(Sun) 22:39 [Reply]
すみません、訂正させてください。
> ◆問題となるのは、ネパール語では動詞の語尾活用で命令形を作る機能がないことです。
上の文の部分を次のように訂正します。
誤)ネパール語では動詞の語尾活用で・・・・
正)ネパール語では動詞の語尾eで・・・・

以上です、大変失礼しました。

[4977] Re[4976][4975]:  スッキリして野へ、山へ   かっぽれ 2009/05/03(Sun) 22:23 [Reply]
[4976]の最後に、意味不明の引用が残っていて、大変失礼しました。
>>沖縄語は -to:n や -tan の助詞で現在継続態や過去形を現していますが、動詞そのものは変化しません。これはアイヌ語、朝鮮語でもそうです。

実はこれにも重大な疑問があり、沖縄方言に詳しい方のご意見を仰ごうと思っているうち、忘れて送信ボタンを押してしまったというわけで、すみません。
その疑問
※沖縄方言の動詞は変化しないのでしょうか? 私の貧弱な知識では、日本語と同じように活用すると思いますが。

さて、生田さんの当初の主張をまとめなおしてみました(概要)。
日本語の動詞は語尾変化をする⇒命令形の語尾はeであり⇒(この現象は)ネパール語と同じである(詳しくは原文を当たってください)。
◆問題となるのは、ネパール語では動詞の語尾活用で命令形を作る機能がないことです。代表的な命令形の構成は[不定詞+hos]。これほど文法的な違いがあるのに、「ネパール語に似ている」といわれる根拠をお尋ねしました。

生田さんの新しい主張(概要)。
eはaiの音韻変化。ネパール語の強調接尾辞aiが日本語でeになり、さらにそれが命令形になった。
◆単純に考えても、日本語動詞の活用形のうち、命令形だけをネパール語から、それも強調接尾辞という意味上異質のものを採用しなければならない理由があるでしょうか。
※hosは「欲す」に似ている、というなら面白そうですが(余談)

[4976] Re[4975]:  スッキリして野へ、山へ   かっぽれ 2009/05/03(Sun) 15:30 [Reply]
>オレが云っていた e とは ai からの音転でぇ(だい)。
ほんとですか? どうもおかしいですねえ。
生田さんは自分の書き込みを読みなおす必要があります。

>オレが云っていた e とは ai からの音転でぇ(だい)。

ということは、強調のaiの話になるんですか? 
最初の書き込みでは、日本語の「動詞語尾が変化!」して命令形になるということでした。

>周辺言語と比較すれば日本語のきわだった特徴は動詞の語尾が変化することでしょう。
> そのなかでも、否定形の -azu , -anu と命令系の末尾が -e がネパール語であることに驚きを禁じえません。

ところが今回取り上げているネパール語語彙群には動詞がほとんどありませんね。
どうなっているんでしょう?

>沖縄語は -to:n や -tan の助詞で現在継続態や過去形を現していますが、動詞そのものは変化しません。これはアイヌ語、朝鮮語でもそうです。

[4975]  スッキリして野へ、山へ   生田淳一郎 2009/05/03(Sun) 12:28 [Reply]
 島原では「ダイ(d-ai)コン」はジャーコンと訛りますが、これは例外ちゅうの例外。普通は「デー( dai → de:)コン」です。「まいった、まいった」はメ−ッタ、メ−ッタになる。ai は e に訛る。オレが云っていた e とは ai からの音転でぇ(だい)。

 5754語彙を掲載した『基礎ネパール語辞典』から、次のように ai 〜 ay がある語彙をひろいだしてみました。それが強調だかどうかは主観での偏りがあるかと思われるので、オレがまちがいなく「これは強調だ」と思えるものに ★印を入れました。●印はとくに注目。

 ★katai(どこにも) , katay(どこにも) ★antay(よその) astay(一時的な、仮の) atinay(ひじょうに) badhai(お祝いのことば) ● ba:dai(貢献、尽くすこと) baje → bajai(婆さん)……身内には ai がつき易い、これは身を擦り寄せるが原意 bhai(弟、兄弟) dhai ama(乳母) ★bijai(勝った) jae(バンザイ) bhadrai(百舌) bhai(…になった、…を通って) bhalai(ため、福利) ★bhai(恐怖) catai(筵、敷物) ★cilayo(痒い)<cil(痒い)-yo は -illo からの訛り、日本語アイヌ語は -iya , -iyo ★cwattay(ひと口に) ★chekai(禁止、抑制) damai(仕立て屋、楽士) doharyai(くりかえし) dubay(両方) ★dukhai(痛み) dhulai(洗濯) ★dakayti(インドの盗賊団) dhalkai(傾き) ekai(単位) ekalai(一つで) ★ekay(たった一つの) estay(そのように) , esayle(それで、そんな訳で)…… le は“で” gay(牛、雌牛) gaina(歌うたい)……歌は gau  gai(行く)……ja- ともいう。 gijyai(嘲笑) ghumai(回転、循環) ★herai(みつめること) hirkai(打つこと、打撃) ● inay(このような) isai(キリスト教) ★istaray chaina(じっと座っていちゃいられない) jammai(皆、ぜんぶ……ざんまい) jhay(……のよいな) kamai(儲け、利子) kasai(肉屋、屠殺人などの低い階層) karai(叫び、叫び声) katai(切ること) kinai(購入) kyay(なにかあるもの) khay(さあ、どうかなァ) lai(…を、…に) malai(クリーム)★manai(禁止) mithai(甘くておいしいもの、お菓子) ● nay(強意の語尾) , ni も強意の語尾 nihurai(身体をかがめること、おじぎ) ● nikay(とても、たくさん)…… dherayより強い。 niray(そば、近く) ★nyai(正しい、正義の) parai(相手、よその人) pattai(灌漑) ★ rajai(勝手に、したい放題) tesay(なんとなく) ★sudday(完全に) tesay(なんとなく) ★thoray(少し、ごく少し) ★thikay(まま良い……thk は“然り”) u:kai(高さ、高度)

● 沖縄のニヘデービル(ありがとう)の「でー」だろう。アイヌ語 iyairaikere(ありがとう)の rai だろう。
●  nay は……
 その他は、またね。

 さぁ、明日は16キロ、峠を超えるドォ〜。

[4974] Re[4973]: おっしゃるとおりでした 謝ります  かっぽれ 2009/05/02(Sat) 20:29 [Reply]
>  強調末尾辞としての -ai がネパール語にあると確信したことは、オレがどこかで拾った錯覚だと思います。

は? 最初から「-eという命令形語尾」についての議論と理解していますが。
強調の接尾辞aiの話ではありません。

>  まもなくうっとうしい梅雨です。このハナシは梅雨どきまでお預けにさせてください。
了解しました。

[4973] おっしゃるとおりでした 謝ります  生田淳一郎 2009/05/02(Sat) 05:47 [Reply]
 さっきの H 先生が東大教授だとした件でも、オレは「ウソ思い込み」の激しい性向を持っていることを思いしらされました。
 その点、エンジさんには感謝しています。

 強調末尾辞としての -ai がネパール語にあると確信したことは、オレがどこかで拾った錯覚だと思います。
 H 教授が東大だとしたには、オレなりに、理由・なりゆきのあることでした。
 ただ、今は、それをどこでまくり込んだかには、思い当たるコーナーを思い出せません。

 いまは一年中でいちばん素敵なシーズンです。
 まもなくうっとうしい梅雨です。このハナシは梅雨どきまでお預けにさせてください。

 アフリカの鉄道敷設工事に行った数千名のイン土人は、工事が終わってもインドに帰ろうとしなかったそうです。「ナァ〜ンでか?」と訊いたところ、かれらは口を揃えて「あんな厳しい自然の故郷はイヤだ」と云ったそうです。
 ニッポン・バンザイ! G.W バンザイ!

 朝の 3時すぎ、スバルが輝き昇っていてるヨ

[4972] Re[4971]:  誣 告 罪     かっぽれ 2009/05/01(Fri) 22:45 [Reply]
>  ほんとうに「本当のこと」がお知りになりたくいらっしゃるなら、いらっしゃいよ。ここは他人様のイタです。tanifafa のままでもいいですよ。

この掲示板が「他人様」のものであることは十分承知しております、ご安心ください。
ところで、小生の質問は「ネパール語の命令形について・・・・」でしたね。
単純に、これについての生田さんの意見、反論をお聞きしたいだけです。
この程度の議論は特別な用語も必要としませんから、この掲示板でお答えいただくのが当然と思います。

[4971]  誣 告 罪     生田淳一郎 2009/05/01(Fri) 18:29 [Reply]
 あなたは、実際に現実に“ある“ものを、無いと云いきったご仁です。

> 掲示板ですから自分の意見にレスが付いたらまじめに応答しましょう。
 どこの馬のホネ……。
 ほんとうに「本当のこと」がお知りになりたくいらっしゃるなら、いらっしゃいよ。ここは他人様のイタです。tanifafa のままでもいいですよ。

 古代人は鎮歩たてて宣戦布告してました。

 ・♪ 男児ィ〜〜〜イイィ こころylaざしを立ててェ〜〜エエエ ・♪

 khaylaabayla(やかましい)とでも書き残しちおきやしょうけぇ。
 平安貴族は耳おさえて「あなかま・あなかま」いうちいやしたよナァ〜。

 “生成”ちゅうこってすヨ。流転ですヨ。一個々々の語彙も、総体としての“言語”も、流るるとでしゅヨ。
 辞書に書いてあることばかりを読み解くのは…………、やめとこ。


 アアアア〜〜ッ 晩酌時間。

[4970] Re[4969]: 強調の末尾短音が命令形となる   かっぽれ 2009/05/01(Fri) 16:01 [Reply]
レスがないので再度お尋ねします。
ネパール語の命令形末尾は-eだと主張されているようですが、そんな文法はどこに書いてあるのでしょうか?
たとえば英語の動詞takeやwriteの命令形も-eですが「命令形は-eだ」とはいわないでしょう。eatやrunを考えればすぐわかるように、いろいろな形があるのですから。

それから、気になることがあります。生田さんの用語「覆面」とは掲示板上のニックネームですね?
ニックネームの使用(本名は出さない)は、この掲示板では禁じられていない。
生田さんがそれを「破廉恥」と思われるのは自由ですが、その意見を他人に強制することはできません。それはたとえば「日本にアメリカの法律を適用せよ!」といっているようなものです。
この掲示板に参加したい人は、この掲示板のルール(管理人さんの意向)に従うのが当然で、気に入らなければ参加しないだけの話。
もう一つ。掲示板ですから自分の意見にレスが付いたらまじめに応答しましょう。これも重要な一般的ルールです。

[4969] 強調の末尾短音が命令形となる   生田淳一郎 2009/05/01(Fri) 10:15 [Reply]
 あれは mi:fafa ではなくって tanifai でした。
  tanifai の末尾の i はシナ語の 矣 かもしれません。「いにしへの賢聖、孔孟といえるも、一男子耳矣(のみ)」と読んで、矣は発音しない。敢えて発音するなら「イ」だと教わりました。 
 フィジー諸島 サタワル島から沖縄海洋博へ、一銭もゼニ使わずにやってきたバナナ舟。5人の海のオトコ。まさに人類史の快挙でした。
 その舟を造っているとき、酋長のよめはんがやってきて、くちうるさく「やめろ、やめろ」と騒いだ。あんまりうるさいので、酋長が「チェチェメニ!(少々考えろ)」と叫んだ。
 そんでもって、舟の名前はチェチェメニ号となった。
 チェチェは「少々」。men は西洋祖語の「こころ」 。men が meni へ、末尾に i が立っている。
 
 オレを見舞いに来た友人たちへ「海洋博記念館というのがあるそうな、ぜひそこへ行ってチェチェメニ号をひと目みてこい」といいました。が、戻ってきや友人たちは「そんなの会場の案内人も、まったく知らなかったヨ」といっていました。
 あのチェチェメニ号を透明液で固めていれば、年間、数百億円の観光事業となっただろうに。
  沖縄はいま、集団形成と経済に目覚めつつあり……、と踏んだがヒガ目か。 


神奈備掲示板、写真掲示板、過去ログ集




神奈備ホームに戻る