青草掲示板ログ平二十一年 六月 2009.6
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[5112] Re[5110][5109][5107][5105][5103]: ここは  神奈備 2009/06/26(Fri) 09:09 [Reply]
>  「倭根子」は、他にも見えますけども、神奈備さんはどう解釈されるでしょうか?

 根子、根古はムスヒ(産霊)の意味があるのでしょう。水主神社で述べているのですが、山脊大國魂命を山代根古命とも言っています。即ちその国を統治し守護すると言う意味と思います。
http://kamnavi.jp/mn/kinki/mizumusi.htm

[5110] Re[5109][5107][5105][5103]: ここは  琉球松 2009/06/25(Thu) 17:42 [Reply]
 神奈備さん、どうもです。

 まず、「男子天皇のほうが、失礼ながらイビツに見える」との書き込みは、誤解を与えかねませんので、現在の天皇制に対する批判などではではないことを表明しておきます。

 「倭根子」は、他にも見えますけども、神奈備さんはどう解釈されるでしょうか?「倭」はいいとして、「根」は根本とか筋とかでしょうか。
 また、「コ」は琉球古語では「子」ではなく「人」を表します。『おもろさうし』では「キヨ・ク・コ」、島々の神歌でも「コ」ですね。

[5109] Re[5107][5105][5103]: ここは  神奈備 2009/06/25(Thu) 11:09 [Reply]
> それから、女帝の和諡に「ヤマトネコ」が多いのは "孝霊〜開化の時代の復活" のような認識もあったんじゃないでしょうか。


 ”孝霊〜開化の時代の復活”、面白い着眼ですね。

持統 大倭根子天之広野日女尊 高天原広野姫天皇
(文武 倭根子豊祖父天皇)
元明 日本根子天津御代豊国成姫天皇
元正 日本根子高瑞浄足姫天皇

孝霊〜開化の時代とは卑弥呼・台与の活躍した時代に重なります。持統さんには高天原広野姫天皇と言う名もあり、高天原を頂く女帝とはまさに天照大神になぞらえた名で、この時代に皇祖神として天照大神が登場して来たのでしょう。また卑弥呼も意識の中にあったとすれば、卑弥呼を天照大神に例えたのかも。

[5108] クマル・クマリ(少年少女神)が消えた   生田淳一郎 2009/06/25(Thu) 06:49 [Reply]
 7年前ぐらいに「古代の支配階級の婚姻制度や風習に、南方系のそれが濃厚だ」は、神奈備ドンが 洩らした感想でした。
 虫の音に感情移入して涙こぼす民は、日本とインドネシアだけだそうです。
 知り合いがインドネシア人と結婚しました。そのつれあいは色が白く、見た目にはまったく日本人と変わらないそうです。この種の人相が日本の支配層になったのでは?
 富士山をバックにした「駿河」とはインドネシア語で“天国”という意味です。

 敗戦後、「天皇は国民統合の象徴」という名訳がつけられました。しかし、小生には、その「統合の象徴」は、インドのクマリ・クマルの伝統を継承していると思えてなりません。
 
★ 熊野には分水嶺・峠の神……とやっていいのか、ミクマリ神という語が伝わって「配る」という語がイヤァ〜についてまわっています。
★ 土佐では祭りのあいだ、 7 〜9才ぐらいの少年を「下にも置かずに」だっこします。
★ 結婚式のときのオチョ・メチョ媒酌。
★ 60年前、「われこそは、正当な天皇だ」と主張したのが“熊”沢天皇。

 歴史に現れたときはかなりのお婆さんになっていましたが、ヒミコはクマリだったと思います。
 では、なぜ、クマル・クマリが歴史の表舞台から消えたのでせふか?
 それは Ku が『セックスでもある』からでしょう。kuicca は性欲。mar は男、mari は女。
 青汁にするにはアシタバが最高……。わかっちゃいるけど、普及されない。

[5107] Re[5105][5103]: ここは  琉球松 2009/06/24(Wed) 13:11 [Reply]
 推古、皇極・斉明、持統などの女帝は、政権内の冷却期間として必要とされたんじゃないでしょうかね。
 これは、卑弥呼や台与がそうだったように、混乱を沈静化させるために有効であるとの考えがまだあったという事じゃないでしょうか。「継ぎ」は二次的な配慮かなと。。。

 そうすると、原初神道と振興仏教、天智派と天武派、臣と連、などなど、相反する勢力に共立された可能性もあるのかなと思います。それから、女帝の和諡に「ヤマトネコ」が多いのは "孝霊〜開化の時代の復活" のような認識もあったんじゃないでしょうか。

 蛇足ですが。。。沖縄からすると、むしろ女帝は当たり前で、男子天皇のほうが、失礼ながらイビツに見えます。

[5106]   善意の第三者保護     生田淳一郎 2009/06/24(Wed) 05:55 [Reply]
 はやとさん、過日は小生主催の掲示板に写真をお送りくだすって、有り難うございました。
 焼尻紋次郎は予想されていた強敵が霧消したので、親からもらった名前に戻りました。
 あの掲示板は、妙齢のご婦人と聖なる談話を交わしている最中にエッチな書き込みを受け、主催者(こっち)で削除できない仕組みになっていたために、やめてしまいました。

 いま言語学は無用な高級概念の用語を使って、一般大衆から浮き上がってしまっています。
 ここの板で、言語に関して反論に反論を重ねるは、一般の人びとの参加を拒否するも同然です。このこともすでに申しあげました。
 はやとさんがおっしゃるように、もっと平明にしなければ中学 2 年生は入って来れません。

 ぽれどん、せっかくの御縁ですので「自我現象」について、現代語でなにか喋っていただけませんか。サンスクリット語や「訳語(シナ仏教語)」ではなく、現代日本語で、なにか喋っていただけませんかねぇ。英語は使ってもいいでしょう。
 ここの板は、なにも「言語をしゃべらなければならない」とはかぎらないはずです。
 ★じぶんというものが分からないので、次から次に悲しき14才が犯罪に走っています。

[5104]  いま 古語辞典の抜粋を奉納中   生田淳一郎 2009/06/22(Mon) 06:39 [Reply]
 いま、掲示板のトップ左に出ている「ホームにもどる」とか「神奈備にもどる」(神奈備掲示板のとき)を叩いてもらうと、新規奉納の「古語辞典の抜粋」が出るようになりました。
 抜粋作業は 3年ほど前にやったのですが、ついついこれを読むのをわすれて、あらぬ遠まわりの思考をつづけた恨みが濃厚です。
 神奈備に奉納(掲出)してもらおうと思いたったのは「ヨ(竹の節から節まで)」を書いたときに、これを読みかえして愕然となったからでした。
 さいきん小生の身辺で話題になったものを挙げてみますと、
 「うそ」、「かぶ」、「くなぐ」、「ころく」、 「soto(ちょっと)」、「たふ」、「まな(禁止)」、「やる(破る → 槍)」、「よ」、「ろく」、「わた」、「をさぎ(兎)」などなどがあり、シマッタ時間を損したとの悔恨に駆られました。

 古語の抜粋は金田一京助監修のもの(今日たちあげ完了)と堀井令以知先生のものの二者に分かれます。
 金田一先生は、外国語をほとんどご覧にならなかったので、約 170語彙にとどめおきましたが、堀井令以知先生は、なんといっても現代の言語比較のトップの座におられますので、ボリュームはその 3倍をかかげる予定です。

 これらの語彙は、つとめて小生の註釈をつけたいのですが、力量不足で註釈の付かないものも多々あります。それらは、カンで「これは大事だぞ」と思える語彙です。

 約一週間後、日本古語の掲出が終わりましたら、次にはネパール語、アイヌ語、タジク語等々々、辞書が入手できるかぎりにおいて、類似語彙を奉納しますので、ご期待ください。

 場所は「ホームにもどる」をひっぱ叩いたら、左のほうに「神奈備リンク集」がでます。そこをぶっ叩いたら『神社、民俗、古代、言語』がでます。そこをよくよくみれば「生田淳一郎氏の言語集」と出ますので、そこをもういちど、ぶっ叩いてくらはい。

 言語は窮極には「個人言語の領域になる」そうです。みなしゃんもどうか、ユニークな視角でコメントをやらかしてください。そうしますと、これまでの、いっちょいっちょの語彙を取りあげての会話よりも、はるかにスピードがかかった推論となるはずです。

[5103] ここは  はやと [Url] 2009/06/21(Sun) 22:41 [Reply]
ここは匿名はまずいのでしょうか
さっき、Eメールを入れたら「迷惑メール」と
よく見たら「必空」で空白でいいわけでは。。

とすると、5100の生田さんのコメは勘違いでしょうか。

当地の場合、長いこと歴史研究会に顔を出さないと、
古参の先生方から丁重な手紙を頂戴します。
特に下野先生には息子のように可愛がって頂いている
(私の勝手な思い込みか)

また、よく祭りで撮影したテープ等(中にはDVD)をご送付すると
これまた丁重なお手紙ばかりか送料等にもお心使いを。
写真一枚お送りしてもそうですから。。
古参の先生方は皆さん後輩思いで恐縮しています。
励みにもなります。
若い我々が走り回らねばと。。研鑽を積まねば。。

諸先輩方には、判りやすい「ご指導・ご鞭撻」をお願い申し上げます。

[5102] Re[5100]:  韓国女優チャン・ジャヨンさんの自殺   かっぽれ 2009/06/21(Sun) 14:15 [Reply]
生田さん

問題を切り分けましょうよ。
生田さんの主張の要点を一つづつ検討(まとめ方が悪いという批判は受けます)

● 匿名で参加できる掲示板というものは、端的にいって「良くない」。
→そういう見方もあるのは知っています。しかし取り上げられた韓国女優の件とは逆に、住所や本名、電話番号をネットに書き込んだばかりに事件に巻き込まれる例も多いんです。どちらが「良いか」の判断は個人の考え方によりますね。

● この掲示板上で生田さんの記事にコメントしたい人は、生田さんに電話、Eメールなどで連絡を取り、本名・住所などを明かさなければならない。
→前にも書いたとおり、この掲示板のルールに沿って投稿している人に、生田さんの個人的ルールを押し付けてはまずいでしょう。どうしてもルールを変えたければ、神奈備さんに掛け合うしかないですね。

● 「これ以上オレを攻撃するはやめにしてください。」
→私が見る限り、誰も生田さんを攻撃していませんが。もしかして「コメント」のことですか?
言語関係にしても、くずさんを始め、いろいろな方が意見を楽しく交換しています。コメントがつき、回答を書く、で納得ができなければ再反論する。掲示板のあり方だと思います。

なお「金字塔」関係は、生田さんの思い入れが深いでしょうから、ここでは触れません。
”もし”ですよ、それにコメントされるのも嫌なら、掲示板に書き込まないほうが良いのでは?(一つの選択肢として、参考までに書いてます)

[5101] Re[5097][5096][5094][5091]: 無題  くず 2009/06/21(Sun) 12:20 [Reply]
かっぽれさん、
特に言語に詳しいわけではないですが、良い勉強をさせてもらっています。
自分は生田さんの書込み青草[5070]を読んで、単純に”挙げられた事例”の間違いだと思いました。
でも事例が間違っている(おそらくですが)だけで、子音rを挟んで前後の母音が入れ替わるという所謂"音転"は、"西洋語"に多く見られる。
これは合っていると思います。
"西洋語"のには「r音−母音」→「母音−r音」となる場合と、生田さんの言われる、
「母音−r音」から「r音−母音」となる音転が共に見られます。
参考「古代英語の音位転換」
http://ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/2266/1/al-no28p021-040.pdf

英語(古英語)に限らなくても、
ラテン語forma(型)→イタリア語formaggio(チーズ)
              →フランス語fromage(チーズ) など。

かっぽれさんの、ひょっとして、とか視点がユニークですね^^

[5100]  韓国女優チャン・ジャヨンさんの自殺   生田淳一郎 2009/06/21(Sun) 08:52 [Reply]
 韓国では前大統領のノムヒョンさんが自殺なさいました。
 この方は生前、集団形成(立法、司法、行政などのハコモノ意識)、宗教、物理化学、経済に深くかかわられたので、自殺原因の糺明は、おそらく永遠に不可能だと推測されます。
 しかし、韓国女優チャン・ジャヨンさんは、生前のかかわりは“肉”と“情念”の領域でしたので、その自殺原因の解明は比較的容易だと思います。

 チャン・ジャヨンさんの自殺原因はパソコンで、あらぬ誹謗中傷をうけたことにあるとされ、いま、韓国では「パソコンでの匿名をやめよう」という与党と、匿名が許されている現状を続けようとする野党とが鋭く対決しているそうです。

 《 もし、ここに覆面がゆるされてないとしたら!! ひと一人のいのちが助かった 》

 儒教と呼ばれる意識基準と、韓国特有の儒教の朱子学とが、どのような関係にあるのかに就いては、小生は詳しくはしりませんが、いづれにしても、人間の認識の曖昧さから生じる論理摩擦を「おぎやうぎ」によって規制するを社会の最高基準に置こうとするアクションでしょう。

 せっかく、斯かる奇跡的なふれあいの縁にむすばれた者どうしが、ともすれば対立の意識を持ってしまう。悲しいことです。

 江戸期の身分制から開放された現代日本は、小学校、中学、高校、大学で、個々人が競争するが当然なみたいな教条を叩きこまれ、あげくがお互いを白眼視するスパイ社会みたいになり果てました。他人の言いそこないの片鱗をあげつらって攻撃するのが“美”だとさえ意識するようになっているのではないでしょうか。

 オレはすでに、73年ぶりでアイヌ社会にフクロウ祭りを復活させたし、言語比較の手法で四つの金字塔を建てたつもりです。これはオレ個人の財産ではなく、人類の財産です。
 それを……、こうも次から次にオカマ掘られたんじゃ、金字塔もみすぼらしく見えらいしょ。
 住所教えても手紙は呉れないし、アドレス告げてもEメールの一つも呉れない。電話番号を示しても電話はかかって来ない、歪められた「文字言語」だけで、ナニが証明できましょうぞ。
 すくなくとも、覆面を脱いで自然人の状態でモノを言ってほしい。それが無理ならこれ以上オレを攻撃するはやめにしてください。
 ここの掲示板を借りている社会人として、神奈備ドンへはEメールの挨拶はしましたか? 
 すれば、席亭から必ず住所氏名いりの返信が来て、覆面諸氏には、それが眩しくって面喰らうことになっていますぜ。


★ 『オホントキ』の続きは、おらほう掲示板に出します。

[5099] Re[5098]:  オホントキ  1     かっぽれ 2009/06/21(Sun) 07:53 [Reply]
生田さん

>  おらはぁ、ストーカーからケツつけまわされて陰助交際迫られて困っちょります。

真面目な話、ストーカー行為は犯罪ですから警察に相談してください。性的被害にあわれたのならなおさらです。

[5098]  オホントキ  1     生田淳一郎 2009/06/20(Sat) 07:51 [Reply]
 ネコやトラがマタタビの匂いを嗅いでゴロニャ〜ンとなるのは、あれ性的エクスタシーだと思います。
 イッパシのおのこの睾丸からは、犬にとってはえも言えぬ芳香が漂い出ているみたいで、勝海舟は 7才のときに犬から睾丸を噛まれて、50回も通院して、やっと一命をとり止めたそうです。
 おらはぁ、ストーカーからケツつけまわされて陰助交際迫られて困っちょります。
 そこで一発 !
 
 台湾ブヌン語でミミズクは「ポホッ」いいますだ。これがどういう仕掛けか津軽に入ってフクロウの「モホ」になった。子供が泣いて寝つかぬときは「泣いたら山からモゴが来る」といって脅して寝かせつけました。この場合のモゴは蒙古だと解釈されています。
 このモホがどうしたことか、(おそらくは当時の反対勢力〜敵がたの)八戸〜南部では「オホ」になって定着します。
 このオホはアイヌ社会に入って縫箔(オホ)になりました。あのアイヌ・モレウ(模様)を見てフクロウを直感できない人はいないはずです。それにしても、素晴らしい抽象力です。

 ウイルタ社会では、ひとや動物の木像を削り立てますが、アイヌ社会では、そういった木像にはわ〜るい霊が憑くので、けっして人や動物を造形することはしなかったんです。
 われわれの日常の暮らしでも、人形さんの毛が伸びたなどは、しょっちゅう聞きます。35年ほど前になりますか、札幌南部の定山渓(温泉場)のマリア像が涙を流すので週刊誌などがとりあげ、大騒ぎになったことがありました。
 だが「オホ」がアイヌ社会に入った当初では、ハッキリと「梟 = オホ」だったはずです。
  アイヌ・メノコは自分の一生の模様として、地面に棒で描いてモレウを創りました。その模様でいとしい人の着物を飾ってあげるのです。
 

★ 書き込み NO 5074 が釈明されないままなんです。

[5097] Re[5096][5094][5091]: 無題  かっぽれ 2009/06/19(Fri) 13:21 [Reply]
くずさん

参加いただいて恐縮です。
西洋語?にお詳しいくずさんに反論するようで心苦しいですが・・
>何れも起源はラテン語centrum(俗ラテン語 centro)なので、ラテン系からゲルマン系に取り入れられる過程で彼らにとってより発音しやすい方向へ言葉が流れていった。

起源がcentrumで、centreからcenterの方向に行ったとすれば、rと母音eが前後交替するre→er型ですね。
ところで生田さんは《「母音- r 」とあった本来の語形》(er→re)と書かれているので、このタイプではありえません。
本来の語形が「母音+r型」という時点で、centerとcentreの起源はcentrumでないことになります。そうなると、centrumを語源にしないcenter→centreを持つ西洋語があるでしょうか。万一あったとしても、「よく知られた音転」はとても言えないでしょう。私は想像力を働かせ、ひょっとして「英語」のことを言ってるのではないか?と判断し、その音韻に言及したのです。
生田さんの発言を頭から疑っているわけではなく、この程度のことは考えてから発言していることをご理解ください。

生田さんの書き込み>★ さきに、西洋語には K や T のあとに続く意味のない、序でにでた r 音があることを申し叙べました。これに似た現象で、「母音- r 」とあった本来の語形が「 r 音 - 母音」へと逆転する現象があることに注ぎ目させられます。よく知られた音転は center が centre になっていることです。

[5096] Re[5094][5091]: 無題  くず 2009/06/19(Fri) 05:08 [Reply]
かっぽれさん、生田さん、
言語という分野に着目されているお二人の間で会話が成立していない事を残念に思います。
たびたびの介入をお許し下さい。

英語と米語における、center と centreの例は、かっぽれさんの言われる通りと思います。
ただ、青草[5070]の書込みで生田さんは条件を”西洋語”としており、”英語”に限定されていません。
英語の成立にはノルマン系の人々が持ち込んだ言葉(ノルマンフレンチ)が大きく影響を与えています。
フランス語でもcenter、centre(中心)はcentreですが発音は違います。
あるいは古代ローマ帝国時代の言葉が残っていたのかも知れません。
何れも起源はラテン語centrum(俗ラテン語 centro)なので、ラテン系からゲルマン系に取り入れられる過程で彼らにとってより発音しやすい方向へ言葉が流れていった。
つまりそこで音転があったとは言えるかと思います。
もちろんかっぽれさんが意図的に条件を限定した(西洋語→英語)とは申しませんが、
生田さんの発言を疑う先入観によって視野を狭められているように思います。
掲示板への参加の仕方に異存はありませんが、間違いと断定するためには、どうしても条件の限定がつきまといますので、その点だけご注意願えればと思います。

生田さん、自分も前に他の掲示板でしかられた事がありますが、連続した書込みはマナー違反だそうです。
僕も含め多くの方は生田さんほど時間を持ち合わせていないと思います。
一日一つの書込みにして頂くか、どなたかの書込みを待って次を書いて頂けると、自分としても参加しやすいのですが。

[5095]  サムライの株をゼニで買うた    生田淳一郎 2009/06/18(Thu) 18:29 [Reply]
 眉と眼のあいだがポクッとひっこんでいます。
 お爺さんはめくらでした。
 脳を適当に冒されると“天才”が出現するんです。もちろん、脳を冒された 99%はキチガイになることでせふ。
 その「冒され脳」が勝海舟の顔に出ているわけです。

 江戸期、めくらには高利貸しの特権が許されていました。
 ひょっとしたら、やっぱ日本は津軽にみるように「めくら文化」だったのかもしれません」。

 シコタマぜに貯めたお爺さんはサムライの株を買いました。男谷家です。これは
坂本竜馬の「サムライ株買い取り」にも通じます。

 異質遺伝因子が支配層の中にくいこんできて発言を許した現象なんでしょう。

[5094] Re[5091]: 無題  かっぽれ 2009/06/18(Thu) 14:06 [Reply]
生田さん

> 掲示板の書き込みは「ウソ含みでしか成り立たない」というは「ウソと知りながら、そのウソを書く」とは、まったくちがいます。ウソと知りながら、そのウソを書くご仁はキチガイなんです。

「ウソ」の定義は個人によって解釈がだいぶ違うようなので、決め付けないことです。
要するに、「間違いを恐れずに、大胆に書く」。これはよいことだ、と何回も言ったはず。
生田さんが「ウソ含み」で書くのも自由なら、私がそれにコメントをつけるのも同じく自由なんですよ。

いちゃ紋(イチャモン?=言いがかり?)とか言いますが、生田さんが書いた「よく知られた音転は center が centre になっていることです」の誤りを教えてあげるのがイチャモン? 英語ならこの程度の知識は誰でも持っているので、必ずしも私が訂正する必要はないかもしれない。しかし、「ネパール語でこうだ」「朝鮮語では・・・、ヒンディー語では・・・」と次々に上のような「ウソ(誤り)」を書かれても、ほとんどの人はわからないでしょう。
たまたま私の守備範囲であるので、間違いをただ単に指摘するだけではなく、できるだけ語源的解説もつけて説明するようにしているつもりですがね(アイヌ語はコメントを控えます)。間違いを訂正されると何か具合の悪いことでもあるんですか?

イチャモンとかテキヤと悪口をいうより、異議があれば反論すればいいでしょ? そうすることによって議論は深まっていくのですよ。

[5093]  帯広の語源 ほか    生田淳一郎 2009/06/18(Thu) 09:00 [Reply]
 帯広の語源は o pere pere ke p……オ ペレ ペレ ケ プ……だと伝えられています。ペレペレと二回言っているのは南方のことばグセでもあります。
 アイヌの考えでは川も生きもので、その生きものの o(尻(河口))に多くのデルタができて、切れぎれになっている ke(場所)の p(者)といっています。
 アイヌは娘のことをオペルとか オペレといいますが、これはケツ割れの謂いです。
 この per はインドネシア語の sumber(井戸・源泉) に見出せます。*sum は水で住吉の sum でしょうし、「い“ずみ”」や *sim(泉)に含まれています。タジク語の t∫a∫ma(泉)の ∫ma にも露頭しています。

 古代人は地形を人体に譬えて表現します。始源に女陰と水の沸き出しロに遣う用語がちがっていたところで、少し時間が経つと女陰を元にして「女陰 → 井戸、泉」へと概念構成が整ってくることでしょう。それは女陰がいのち(水・子供)を産出するからです。もいちどインドネシア語の sumber(井戸・源泉)……スンダランド爆発の起源地 。

 ワレメちゃんの per 、ber は日本列島に、畳層語(くりかえし)と、一つだけの語形と、二様に入ってきているみたいです。前者はタガログ語の ぺっぺ、下北のヘっぺ、エッペ。後者は ber-cho(称愛辞)の r が促音をおこしてた beccho(べっちょ)になって定着しています。
 「べべっちょ」という語形があって、これが北九州のメメコになったのかと guess になってカンぐってみましたが、どうもハッキリしません。やはりメメコはアイヌ語にある mem(泉池)の系統らしい。「女女(めめ)ーcho」と解くが正解か。

[5092]   日高の語源 ほか    生田淳一郎 2009/06/18(Thu) 06:37 [Reply]
 去年の 5月 3日、あっしの枕頭をたずねてくれた「なかしべつ・すがわらさん」は、筑波に登ったあとにご光来あったのでした。歩いて,地名によってアイヌ語を踏み固めておられるのです。
 いま『アイヌ語地名考・掲示板』を開けば、同氏の書き込みがすぐに眼にとびこんできます。
 曰く「ピ、ピス、ピツは小石である」と。
 これを読んだとき、あっしも pit は小石だと思っていたので、何の不思議も感じなかった。しかし、ここにきて、いざ正式に日高の語源を分析してみようと、いままでの記憶 ; 「 pi t= 小石」を辞書の上で確認してみました。
 知里真志保の地名アイヌ語小辞典では、pit ではなく pi(小石)でした。
 pi pi(小石がごろごろしている処)もあります。
 pit は筵編みなどに使う石のことでした。

 松浦武四郎さんが蝦夷地を探険した直後ぐらい……の時点でしょうか、ある日、河原で休んでいるアイヌのところに帳面を持った二人の役人がやって来て「ここは何というところか」と訊くので、アイヌは「河原の上だ」と答えた。すなわち「 pitar(河原)の ka(上)」です。
 このハナシは金丸継男さんから聴いたのですが、オレは、これ、ホントウだと思います。

 ある辞書には piuka(石多き河床)が載っていて、別語として pitara(河原)が見られます。この pitara は pitar の開音(母音づけ)化の語形だと思われます。
 pitar は「 pi(小石)-tar(○○がいっぱい)」に還元できます。

 アイヌ語には mintar という語があります。これは動物のオスどうしが争ったりして、草が踏み散らされて乱れている……そういう草地のことの謂いです。
 アイヌ語で草は mun ですから、 muntar がまず想起される。しかし、その草が乱れてるのだから語形を変えなければならない必要に迫られて、muntar を mintar にしたものでしょう。
 よく、mintar を“庭”と訳している(知里真志保)のをみかけますが、これは意味での変化態というべきでしょう。
 では、なぜ muntar が mintar にならなければならなかったのか。ここには東北〜朝鮮〜蒙古〜トルコにみられる「 i / u 通音」の言葉グセが噛んでいる。

★ そして、強調したいのは、ここに遣われている“-tar ”とは、ネパール語にみられる“ -dar (○○がいっぱい)”だということです。
 沖縄のユタに神が降臨するとき、ザーとくる、神経の騒ぎを覚えます。これはネパール語の dhar(流水)でもありましょうが、それが意識いっぱいに 広がることも含めているようです。
★ pis は海岸などに遣いますが、これも「小石」概念の派生形でしょう。ただし、ネパール語に pis-(粉に挽く)があり、やっぱこれ、関連語でしょう。

[5091] 無題  生田淳一郎 2009/06/17(Wed) 10:08 [Reply]
 南へとんがっている襟裳岬から東海岸に出たところに「ショヤ」という気になる漁港があります。ここを見捨てて北上したところに目黒という聞き馴れた地名があって、ここに日本一の工藤旅籠があります。
 昭和皇后に似た女将が木の実で装身具や額をつくる趣味を持っておられたが、まだご健在だとおもいまっせ。100m も東に歩いての海岸ではネユ(アイナメ)が入れ食いで釣れます。
 megr は蒙古語で太陽という意味だったか。こんなのは、あっしゃ、あえて Goog りません。気になっている言葉を掲示板に書いておけば、あとでシッカと記憶になるからです。

 くずさんがおっしゃった「嘯きアリ」の意味は、オレ 6時間ほどわかりませんでしたヨ。まだ、あらためての辞書ひきはやっていませんが、「うそぶく」は、「ウソをつく」とは同一ではなかったはずです。知りすぎちゃったのネ。ここは後日「ヤイシャマネナ」で、肉づけしましょうか。
 掲示板の書き込みは「ウソ含みでしか成り立たない」というは「ウソと知りながら、そのウソを書く」とは、まったくちがいます。ウソと知りながら、そのウソを書くご仁はキチガイなんです。

 この目黒部落にオシンコシンの滝があります。
 オシンコシンの滝は、たしか知床にもあったはずだ、そのうち斜里の博物館長、総務課長をやっておられたカナさんに尋ねてみようと思いつづけてきました。
 が、パソコンのググリって素晴らしい紋なんですね! ググってみたら知床のオシンコシンの滝がワッと出てきましたよ。

 このオシンコシンの滝の内意については、もう 20年もそれ以上も思いを巡らせました。
 結論は、「二段になっているを『親子滝』だと云ってる」でした。本土(?)でセンといっている急流や滝がシンとなっていて、親が「オ」になっている。この「オ」は下北の小川原湖の「オ」だと断ぜざるをえません。

 そうしますと、和人系(?)みたいな部族が襟裳東部と知床に出没したことになりますね。センをシンと云い換えたには sin(カミナリ)が関与してなかったか。
 ベトナム語 sin はカミナリ。裏番組の神奈備では、いまシンが賑わっています。秦の内意にはカミナリがあるはず。ハタミ大統領ね。

[5090] エ〜リモの春ゥ ワァ〜 ア アァ   生田淳一郎 2009/06/17(Wed) 08:15 [Reply]
 現にそこに人が住んでいるというに、そこは「春になってもナンにもない」という。しかも、うらぶれ〜たシワガレ声で。
 そして日本大衆は、それがいいといって何べんも歌わせている。

 襟裳岬には山脈がドドド〜ッと大洋につっこんで行く風情が年中見られます。
 崖には 10センチの小さなアヤメがけなげにも立派な花をつけているもあって、いのちの輝きも感受でけます。
 ナニもないのはどっちの方だ?

 √・♪ 暖まって行きなよ ・♪
 の、燃料は襟裳岬の裏山の木々だった。オレは 45年前訪れたときは一面の野っぱらだった。森を伐採したのでコンブも採れなくなって、魚もどっかへ逃げていった。
 今は植林がすすんで、コンブも魚も戻って来たという。
 いつまで、あの歌を歌わせるつもりなんだろうか。いや、あれは歌といえるのか?
 
 エリモの語源は、も少し静内よりに行った海岸にある en-rum 岩だとおもう。een(尖った)rum(矢じり)。
 アイヌ語に「とんがった」という意味が en と een の二つがあるようだが、 een のほうが e(頭が) en(とんがっている)だとおもう。
 矢じりを rum などというも珍しい。こういうので類似語彙を他に見い出すのも一つの手段あろうが、「やめときなはれ」と云いたいところもある。
 というのも、台湾 18部族語をみていると、槍や矢ではまったく相互に類似をみせないからだ。

 武器は次から次に改良され、その都度、名前が変わったからではなかろうか。

[5089] 「結い」をめぐる四つの発音      生田淳一郎 2009/06/16(Tue) 13:54 [Reply]
 おらほうの掲示板に書いたことなので、くずさんは読んでなかったこったろうと思いますが……。

 おへまの隣の長野県栄村ご出身の元社会党の闘士が、おらっちにときどき遊びに来ますだ。
 もう半年まえぐらいになるのかナァ。「え〜い」というワカランことばを発音するので、「それって、結いのことですか」と質問したところ「そうだ、そうだ」そうでした。

 ここにきて堀井令以知先生の古語の抜粋を見ていましたら、結いにはエー、イ-、ヨイの、別発音があることが知れました。
 概念も発音も「家」となる一歩前を感じます。

 けふは鶴田浩二さんの命日だそうです。

 いま、子母沢寛著『勝海舟』を第7回目を読んでいますが、のちがけで人を愛し、いのちがけで青雲の志をやり遂げる尊さを教えられます。

[5088] Re[5082][5081][5077][5065][5060]:  イ ソ     かっぽれ 2009/06/15(Mon) 22:34 [Reply]
くずさん

詳しく調べていただき有難うございました。
「コタンコロクルがシマフクロウを表す場合がある」ことを確認しました。
自分の不明を反省するところもあり、これからよく知らない分野での発言は控えることにしましょう。

ただ、「ウソ含み」言々については、過去の生田さんの発言どおり、みんなでいろいろ意見を出し合うことが大事だと思いますよ。
[5023] の記事
> このごろの発見ですが、ここ青草の記述はおおいにウソ含みで結構なはずです。
 「みんなで、いろいろと意見を出し合ううちに、そこに含まれているウソは、しだいに淘汰されて、ほんとうのことだけが社会の基礎底辺に沈澱するもんだわサ」……は、釧路酋長の山本多助エカシが語ったことばでした。

ウソ含みの発言の内容が私の守備範囲なら、いろいろ助言をしていくうちに、ウソは次第に淘汰され本当のことが残る。
そういう意図で参加してますので、ご理解願います。

[5087]  書きわすれ     生田淳一郎 2009/06/15(Mon) 13:35 [Reply]
★ くずさん、鵺で穢れた耳は、早いとこお祓いしてもらったほうがいいです。
 あ、またイランデイイコト言うたかナ。

★ じり耳の「じり」は 世界規模の族際語で* jol 〜jir (汁)です。
 アイヌ語の耳垢は kisara-tur いいますだ。

[5086]   動植物名でオノマトペアが復活   生田淳一郎 2009/06/15(Mon) 12:48 [Reply]
 つつ鳥のこと、有り難うございます。これもシランカットッテン。
 いま別名は 55ばかり掴めるんですね。精査すれば今でも 200は出るのではないでせふか。
 声を聞いたら「あ、あれか」となるのだと思って、「鳴き声 → みすずかる信濃」のところをひっぱたいたら Not Found だったので、安心しました。フリーズがこわいんです。
 別のところをぶったたいたら、パソコンがポンコツなためにでません。

 でも、これらの別名をジーッとみつめていたら、「鳴き声、動きの特徴」をいう古代オノマトペアが滲み出てくるじゃあ〜りませんか。やっぱ、オノマトペアから普通の語彙が発達して出来たんだと思いまっせ。

★ 片っぽうでは「ぼうぼう」とか「ほいほい」云っているのに、岩手で「どんど」と云っています。やっぱ、耳の構造の問題でしょうか。
 岩手には手の親指がスポッと入るぐらいの耳穴の大きい人が目につきます。テレビで小沢一郎さんの耳穴を見ようと注ぎ目しているのですが、なかなか見せてくれません。
 そういえば北陸〜新潟にはジリ耳の人が多いのでは? ホ−ホ−をデデと聴く。

★ 愛知の「ぬいの鳥」は由々しいですね。鵺に似いちゅうも、傍らに「ハヌイ鳥」がいます。ハヌイとはどげなん意味でしょうか。 nui はかなり族際語で火炎です。人名の縫之丞なんざはこれでんしょう。
 
★ つつ鳥をアイヌ語で toita というのは「toi(土を)ta(耕す)」の意味で、この鳥が鳴いたら土いじりの農耕をおっ始める季節の到来です。これ疑うこと勿れ主義よ。
 アイヌ語では 郭公は kakkok いいますだ。kak はわかりませんが kok はシナ語の“告”です。春告げ鳥ね。これが鳴いても農耕をおっ始めます。これ疑うこと勿れ主義よ。
 kakkok-kina は花菖蒲。kina は鬼無里の里のキナと同根。これも疑うこと勿れ主義よ。
 「とうい・とうく」は「啄む、中型の鳥」と解いたがヒガ目か。

[5085] デデポッポ  佐々木 2009/06/15(Mon) 09:41 [Reply]
紋ちゃん
 デデポッポ(きじばと:Streptopelia orientalisの鳴き声)は昨今では方言ではないようです。図鑑類にもそのように。
 明治大正世代もデデポッポが積雪地帯、裏日本圏では多かったように思います。
 太平洋側や少雪地帯ではそう聞き取れない人たちも小生も含めそれなりにおります。風土病や身長などと関係ありかもしれん。ちなみにアイヌでは「といた」ですな。
 紋ちゃんは「つつどり:Cuculus saturatus」を知っておるかな。アイヌの「とういとうく」のこと。
 この鳥は地域名に他の鳥の標準和名を多く借用?しています。
 http://www.asahi-net.or.jp/~SG4H-HRIZ/dic/kakkou/tutudori.html
★トラツグミの地方名にウソ、オソが群馬山梨静岡で見られますね。

[5084]  ヨ は、わずか 15年  生田淳一郎 2009/06/15(Mon) 08:36 [Reply]
 古語辞典によれば、むかしの人は、竹の節から節までを「ヨ」といい、同世代の人びとを「ヨチ」といってたそうです。

 みんなが思いついたことを、封圧されることなく声をあげることが、いっちだいじなことだと思います。
 その都度、ウソだと指摘されなくっても、「ありゃウソだったナ」と、本人がいちばんよく分っています。
 そういうウソ含みが許されてこそ、人間は発言がでけます。
 そして、そういった自由な会話の中からホンモノだけが、宝ものとなって残っていく……、これはあっしが阿寒に山本多助エカシを訪ねたたび、エカシがくりかえし、くりかえし喋った言葉です。

 同世代でありつづける時間は、わずか 15年だと思いますヨ。
  15年前、パソコンとか D.N.A.なんざは知らなかった。
 あっしが D.N.A.様と、様つけて呼ぶようになったは、たったの 4年前からでした。

[5083] 自然の音を五十音で どう聴き取るか   生田淳一郎 2009/06/15(Mon) 07:58 [Reply]
 人類のことばの発達段階には、まず、顔の表情を含めての身振り語と咆哮語があって、その次にはオノマトペア(擬音擬態語)の段階がゼッタイにあったと思うんです。しかも永い期間。

 台湾語の語彙を眺めていますと、われわれが今対比させている諸言語が、いかに“巨大言語”であるかを、思い知らされます。
 戦争のたびに「二部族連合」の形で、次のより広域の言語がうまれるとした場合、その都度、オノマトペアが無くなっていくのではないでしょうか。
 それが、文字を遣う段階に入ると、日本では平仮名カタカナで、いわゆる五十音。毛唐なんざは 26文字で表記します。それでも日本には推定 1500のオノマトペアが見られます。
富山県あたりの老人は「ででっぽ」と聞き取るようです。
 ある朝、沖縄のユタさんが、興奮ぎみで「カラスがアホウ・アホウと鳴いた。それでね……」と電話です。そこでオレは「ちょっと待ってくれ、これから手紙かくので、話の続きは、その手紙が着いたあとでやろうや」と云って、いちど電話を切りました。
 そのときの手紙で訴えたことは、「自然な音を正確に写し採るには、文字は数万あっても足りないだろう」でした。

> 富山県あたりの老人は「ででっぽ」と聞き取るようです。
★ 有り難うございます。デデポッポというのは方言でしょうか? 新潟発のおへまもデデポッポいいますだ。そういえば、ほかの土地では聴かなかったようです。
 でもでも、「山鳩の鳴き声はデデポッポというもんだ」という“教条”があったのではないでしょうか? ……いいだしっぺの始発は山伏あたりとして。
 山場の声きいても、九州うまれのあっしの耳には d-- なる音はちっとも響きやせん。
 でも、この d-- が「飯豊(いいで)」の de に化けこんだとしかならないようです。
 イイトヨがフクロウであることは、断固まちがいあんもっへ。

 さきにちょっと顔だしましたが、アイヌ語のカラスは pas-kur です。
 山音文学の『アイヌ語小辞典』には「pas =黒い」と「 pas = 炭」が出ていますが、山本多助エカシの『釧路方言語彙集』には皆無。バチェラーでは「 pas =炭」が出ています。
 べつに、アイヌ語には *kur に黒があります。 pas-kur とは「嘴・黒」の構成だとも思えません。

 こんなの、ここの掲示板ではどうでもいいじゃないっすか。ここは「学会」ではないはず。
 だいじなことは、次から次に他人の言辞にイチャ紋つけることではなく、ほかの人の発想を愛でるウハウハの感受性だと思いまっせ。
 発想ですよ発想、それと論理構成力。日本では発想力ゼロのサヴァン野郎が天下とっているヨ。

[5082] Re[5081][5077][5065][5060]:  イ ソ     くず 2009/06/15(Mon) 07:55 [Reply]
かっぽれさん、
文献では更科源蔵さんがシマフクロウ=コタンコル・クルを収録されているようです。
『コタン生物記V 野鳥・水鳥・生物篇』確認してみて下さい。
http://www.frpac.or.jp/rst/sem/sem1813.pdf
語末のクルはフクロウの擬人化(意味:村を守る方)と捉えてますね。

生田さんはこの場(青草談話室)での"うそぶき"をアリだと公言されてます。
僕も先入観で物事を決め付ける事は自分の視野を狭くする、とてもつまらない事と思っていますので、
生田さん独特の視野(睨み付け)や、その表現"しゃがれ声"を楽しく聞かせてもらってます^^
少し目くじら立て過ぎではないでしょうか?

生田さんの発声は客観的に見てもそのまま鵜呑みにはされにくいと思います(失礼!)
またここに参加されている皆様は、興味を惹かれた内容であればご自分で検証出来るとも思います。

[5081] Re[5077][5065][5060]:  イ ソ     かっぽれ 2009/06/14(Sun) 22:20 [Reply]
くずさん、どうも。

すみませんが、便乗して生田さんへの返事も書かせてもらいますので悪しからず。
>コタンコロクルカムイ、がフクロウを指す事はあると思っています。

それはわたしもよく聞きますから、不審でもなんでもないでしょう。
ただ、今回の「アイヌ語の梟は(コタン)kor kur いいますだ。」は疑問ですね。
多分勘違いじゃないかと思って一応指摘したわけですが、その反応はご覧のとおり。
>「それは一つは「白いを黒い」というテキ屋の親分なみの特権をわれわれにおしつけていることです。」

別に私は、辞書にのっていなければすべて間違いだ!なんていうつもりは全然ありません。
ただ、根拠があれば提示してほしいし、なくても「自分はそう思う」と宣言すればこちらは納得するんです。
例えば
●生田淳一郎(焼尻紋次郎)は「アイヌ語の梟は(コタン)kor kur」だと思う! (敬称略)
これでいいんです>生田さん

[5080] 鳩の声  佐々木 2009/06/14(Sun) 19:51 [Reply]
★富山県あたりの老人は「ででっぽ」と聞き取るようです。
 比較的回答が安定しています。おそらく気象や地形条件が関係しているのでしょう。
 基本的には雨から晴天に変わるタイミング(地表から上昇気流ができるときに)に「でーでーぽっぽ」が反響します。
 小生は「くーくーぽっぽ」か「救急ぽっぽ」と聞こえます。
 音響効果は空気密度と音速の加減かね?
 ちなみに「うぐいす」は体感温度が10℃を切った時、ホーホケと鳴きますね。
★虎嘯けば谷風至る、竜挙がりて景雲属(あつ)まる。
 出典「淮南子」天文訓。
 立派な主(例えば紋ちゃん?)のもとにはすぐれた人物が現れる。
 そして英雄が出現して(紋ちゃんが書き込みで)天下に風雲の起こることのたとえ?
★フクロウは、政府官邸の木々にも数匹おりますよ。
 とりあえず 紋ちゃん こんなところで。

[5079]    風        生田淳一郎 2009/06/14(Sun) 10:02 [Reply]
 あれは「のど呼びおるに」だった……でしたか、貧窮問答の「鵺(ヌエ)」イクオール「トラツグミ」です。

> 「虎嘯けば谷風至る」
★ すげぇ言葉知ってられますね。
 ウルマ島(沖縄本島)では男根はタニです。芽だちの春がゆらぎ立つのでしょうか。
 どうもオレ品性ゲレツでイケません。

> ノジコもいます。
★ これもまたすっげぇ! それ、どうも野生のノジコみたいですが、出雲のノジコと系統が同じなんでしょうか?
 小生がノジコを知ったは、子母沢寛の『勝海舟』読んででした。長崎のお寺で飼われていて、月夜の晩にさえずっていました。小説では江戸の重臣も飼っていました。

> 五行でいう風(木)気にあたるから
★ いよいよスッゲェ。
 風の忌みことばでしょうか、アイヌ語では rera(風)のほか、nitai karabe(風)ともいいます。森林が作る(った)もの、の謂いです。rera はオーストラリア・アボリジニ方面にも似たことばがあります。

> アイヌでは海上での兎(イセポ)が忌み言葉だそうです。
★ 波がしらが折れて白くなるのを兎が跳ねていると看たそうです。風を呼ぶからでしょう。これは出雲の兎とワニの伝説と重なりますねぇ。

> 真東の卯と真西の酉はそれぞれ、月(兎)と太陽(烏)です。
★ 有り難うございます! 太陽の中のカラス、月の中の兎はこれだったんでしたか。シランかっといてん。

★ コタンコロクルの「クル」を、サマイクル(さにわ)などの「クル」といっしょにすると、昏迷がおこるかと思います。dhukur(山鳩)にみるように kur は鳥でもあり、それぞれ別語です。
 *os(支配する)と us-o とが同根かどうか、ここも天才グループが断じる場でしょう。
 アイヌ語に ni ossi(木のこころ)という不思議なことばがあります。

[5078] とらつぐみ  佐々木 2009/06/14(Sun) 09:35 [Reply]
紋ちゃん とらつぐみ(Zoothera dauma)とは「ぬえ」のことじゃろ。

[5077] Re[5065][5060]:  イ ソ     くず 2009/06/14(Sun) 09:00 [Reply]
> 面白いですね! rkthoなんて日本人が一番苦手にしている発音(笑)

   コロクト  とは聞こえませんか?^^
コタンコロクルだと一般的には村長かと思いますが、
コタンコロクルカムイ、がフクロウを指す事はあると思っています。
rktho-、ヲソの系統は獣祖神話にも繋がるように見えます(熊、犬、狼、獺、烏など)
村長や治めるのヲサもそんなところが根源ではないでしょうか?

生田さん、
>トラツグミ、戸隠にはいませんか? 
戸隠は野鳥愛好家に言わせても聖地だそうで、聞いた事がないなんていったらしかられます^^
ヒュードロドロドロ・・・は甘んじて受けますが、
熊や犬(ヲソを推定)の声に似てるといったらトラツグミも機嫌をそこねるでしょう^^
夜鳴くとは聞きませんがノジコもいます。フクロウは毎夜鳴き声が聞こえています。ホォーオ、ゴロスケホッホ
>嘯く
「虎嘯けば谷風至る」と言います。谷風は東風、春風の事だそうです。
中国で嘯の漢字が充てられる虎や西王母からは低いうなり声が連想されます。
嘯く=口笛でも、本来の「嘯」は鷽やトラツグミの声とは違うイメージです。
虎が谷風(春風)と関係するのは、十二支の配置で寅は東北東。
五行でいう風(木)気にあたるからと思います。龍吟雲起 虎嘯風生。
真東の卯と真西の酉はそれぞれ、月(兎)と太陽(烏)です。
アイヌでは海上での兎(イセポ)が忌み言葉だそうです。
http://www.dai3gen.net/isesima.htm
風に関係している点をおもしろいと思います^^

集団(コミュニテイー)に波風たてる存在が忌み言葉で呼ばれるのは今も昔も変わらないんですね。
でも集団を引っ張るリーダーもそんなところから生まれるのでしょうか?^^




[5076]   怪魚からニラまれた話    生田淳一郎 2009/06/14(Sun) 07:40 [Reply]
 ちょっと前までの北海道の人びとには「原野にはなにが住んでいるかわからない」という漠然とした不安感がありました。
 これも昭和の中期、釧路原野に一角獣が走ったという記事が新聞にでたこともありました。

 1456年までの約 100年間、アイヌ民族は南方勢力(?……和人ではないでしょう)と戦いました。しかし南方勢力から「和平だ。就いてはこっちの砦に代表者が来てくれ」といわれ、信義を尽くそうとして出かけて行った有力者は、毒を盛られて殺害されました。
 ran とはネパール語発の“戦争”という意味です。
 コシャマインにつづくシャクシャインのランも、メナシ(東方の意)・ウンクルのランも、卑怯ヒテレツな和人の「講和だ」の呼びかけ手段によって、毒盛られて鎮圧されました。

 シャクシャインは静内の恵みによって南方〜和人勢力と戦いました。その跡をとった和人は、少しはおぎゃうぎ良く暮らせばまだしも、今じゃ静内一帯はゴミ捨て場になってるそうです。

  昭和の初期、静内の沼に怪魚がいるという噂が立ちました。
 「そんな……」と、蛮勇を奮う二人の青年がヘコ帯を長くして、その沼に潜りました。
 するとすぐ、顔を真っ青にして喘ぎながら上がってきたそうです。
 「どったの?」と訊いたところ、「沼の底で黄色い大きな二つの目玉にニラまれた」と云ったそうです。これも牛の頭ぐらいに大きかったそうです。
 思いますにイトウ(魚へんに鬼)は、鯉のぼりぐらいに大きくなるのではないでしょうか。小生が見たのは金山湖で釣れた 165cmの大きさのやつでした。釣られるとき、ボートを湖の周りを 3回半も引っぱり廻したそうです。タカムナサカは 20cmありました。

 静内で忘れられないのはアイヌ人の金丸嗣男さんのことです。
 土間に足をなげだし、クッシューンとなってダルマ・ストーブの横に座っていました。すっげぇ落ち込みようです。
 「どったの?」と訊いたところ、「T.S 先生から叱られた」と云いました。
 その後 3ヶ月、体調を崩して他界されましたが、あの純粋は、静内の清浄が育んだのでしょう。

[5075]   梟 首 と 梟 雄      生田淳一郎 2009/06/13(Sat) 06:23 [Reply]
  nikotuk というように、フクロウはせいぜい 6〜8 mの高さで水辺の木に止まっています。漢字でも鳥の下に木を書いています(梟)。夜目が効いて魚が集る水辺をジーッと観察しています。チャンスとみたら音もなく獲物に接近し襲いかかります。
 全身が柔らかい毛になっているので、音をたてずに飛ぶことができるのでしょう。
 柔らかい毛で全身が被われているし、目玉が夜なんざには黄色くギョロリと光る。足から頭までが、一つの人間の顔に似いちゅう。
 この「ふくらんだ顔」が「フクロウ」の語源ではないかと、小生は思っています。九州では「膨らんでいる」を「ふくろうじょる」といいます。
 「めん鶏はどこ行ったとな?」、「ああ、さっき向こう行ったき、巣でふくろうじょろばい」てな調子です。
 フクロウは正確には フクロフです。末尾のフは、一般形が 「ス <シュ」の鳥だと思えます。スからフに発音が変わったとみるわけです。

 ではなぜ、イッパシの軍属の男を「梟雄」というのでせふか? これからがあっしの推測です。
 木の上に首をのっけているスタイルが「梟首」という表現にピッタシのようです。
 戦(いくさ)は勝つばかりとは限りません。負けもします。その負けたときに、氏族血族の代表として敵がたに首をさし出すのが梟雄だと思うのですが、どな。
 アテルイを東北からつれてきましたが、ヤマトは彼をついに殺してしまいました。ここには、「敵の大将だから、憎いから殺す」という現代的な解釈ではなく、イッパシの大将だから、その霊を敬い、イオマンテしてあげる」という古代人の意識があったのではないでしょうか。
 「熊襲の梟雄にへさ(たくさん)なり」という表現にも、そういった古代の戦争観・霊観がこめられているのでは?

 あれはミミズクでしたか、フクロウ類のなき声は、この世のものとも思えないぐらいに薄気味のわ〜るいものだそうです。
 昭和の中期、北海道洞爺湖の北、京極町で少年時代を過ごした人が、そこで聞いたミミズク(?)の声のことを「ふだん記」に書いておられましたが、子供たちが皆、怖れおののいて大騒ぎになったそうです。

 どこかで書くことができるかなぁ〜。この京極で頭が牛ほどもある雌雄二匹のイトウ(魚)から追いかけられ、泣き叫んで家に逃げ帰った体験談を、この耳で聴いたことがあります。

[5074]  テ キ 屋 の 親 分    生田淳一郎 2009/06/12(Fri) 17:32 [Reply]
 ウンジュには二つの嫌疑がかかっていることを知っていますが?
 それは一つは「白いを黒い」というテキ屋の親分なみの特権をわれわれにおしつけていることです。
 二つめは、ここをどう間違えたか、日本神道の牙城とみて、ノンキホーテみたいなことやっている。
 「そんなことありませんよ」という言葉は、もう通じなくなっている。
 「カッポレは普通の人ですよ」を証明しなければならん。
  ハナシは証明されたあとからですよ。

 オレの電話番号 ; 048-882-4901

[5073] Re[5070]:   ト ラ ツ グ ミ  2     かっぽれ 2009/06/12(Fri) 14:56 [Reply]
生田さん

アイヌ語の「フクロウ = kotan-kor-kur?」はこれ以上追求しませんが、今回の英語関係の間違いは目に余ります。
間違いを親切に指摘してあげるのも掲示板の使える機能のひとつでしょう。

>★ さきに、西洋語には K や T のあとに続く意味のない、序でにでた r 音があることを申し叙べました。これに似た現象で、「母音- r 」とあった本来の語形が「 r 音 - 母音」へと逆転する現象があることに注ぎ目させられます。よく知られた音転は center が centre になっていることです。

英語にあるという「KやTのあとに続く意味のないr音」の例を少し教えてください。

音転といわれますが、英語のcenterとcentreの違いはスペルだけで、発音は全く同じです。
それに、古さという点ではcentreが先で、centerはアメリカ式英語(つまり新しい)。
「母音-r=(er)」が本来ではなく逆、どちらにしても「発音」は変わりません。

> ネパール語で pari(向こう側、遠く)いうときの par は日本語の「遥か」と同根でしょう。 ネパール語で、くにや地方は des です。この par が逆転して prades(地方、外国)になっています。

ネパール語pradesは、ヒンディー語でも同じですが、「県」とか「州」を表します。
parが逆転してpraになるわけはなく、それぞれ異なる接頭辞なのですよ。
parはサンスクリットのparaにつながり、印欧祖語にまで遡れる。ギリシャ語pera、英語のfurtherなどが同根語。
ネパール語の「外国」pardes(×prades)はこのような構造になっている。
もう一方の接頭辞praの意味は、この場合「指定された」が適切でしょう。国の中にバーチャルな線引きをして○○州とか県とかを「指定」する。

>驚嘆、恐怖を意味する族際語の tar は、ネパール語で tra となり、これに主格を表す限定詞の s が加味されて tras(怖いもの)となり、

ネパール語にあるといわれる「主格を表す限定詞のs」がわかりません。ご説明ください。

[5072]   トラツグミ χ    生田淳一郎 2009/06/12(Fri) 07:16 [Reply]
★ 夜に鳴く鳥には「野じこ」がいますね。しこの漢字は「告・鳥」。
 √ ・♪ 歌をわすれた カナリヤは --- ・♪ 
 野じこは月の光をみて、鈴ふるような、いろいろないい声を出して囀んだそうです。
 出雲にいました。貴重な鳥なので、出雲から出してはならないという掟があったそうですが、江戸期には江戸の大名たちに飼われ、愛されたそうです。
 これが大黒様の別名、アシハラのシコオの「シコ」に重なるので由々しいです。
 
★ トラツグミの鳴き声は「笛の音」どころではありもはんど。
 戸隠にはいませんか? 
 幽霊の ウラメシィ ヤァ〜〜 という声は、このトラツグミの声をまねて定着した音調だとオレは思います。
 ゆっくりと ウ・ラ・メシィ ヤァ〜〜 と云ってください。その音調で「ウッヒィ〜ヨ〜〜」と云ってみてください。それがトラツグミの鳴き声です。
 まだ聞いてないようでしたら、夜なき蕎麦屋の呼びラッパに似ています。「これだナ」と思ったら、歌でもうたって聞かないことです。
 金運に見放されます。

[5071]   ト ラ サ ン ペ     生田淳一郎 2009/06/12(Fri) 06:28 [Reply]
 アイヌ語では普通、サンペといえば sam(傍ら)(でドキドキしている )pe(物)……、すなわち「心臓」をいいますが、時として「バケモノ」の意に使われます。
 これは sam-pe ではなく「 san(おっこちた)pe(者)」が語源になっているのではないかと、小生には思えます。
 火にせよ智恵にせよ、有用物は、始めは人間には恵まれていなかった。それを天上界の掟に背いて人間世界に持ってきたカミがいた。その神は掟に背いたのだから天上界の神々の座から追放されてバケモノになった……のだろうとしか考えられません。
 その「サンペ=バケモノ」が茅野茂さんの故郷・沙流に伝わっていたのです。

 昭和の初期ごろのことでしょう。
 マリモが有名になって、観光客は阿寒に吸い寄せられてゆく……。それを観ていたサルンクル・アイヌの物知りが「なんだあんなの、マリモたぁトラサンペというんだ、サンペとはバケモノのことだぞ」と、ヤッカミ 200%の声をあげたのです。
 それを聞いたサルンクルは、5cmぐらいは溜飲が下がったことでしょう。
 そのときのトラサンペ(まりも)の解釈は「 to(湖) ra(葉)・バケモノ」です。
 この解釈はそのまま、茅野茂さんが本に書いています。

 ところが釧路アイヌはマリモはトラサンペなどとは云わず、云っていたのは「ト−ラク ツプ」でした。「湖・沈澱・もの」です。
 サルンクルの物知りアイヌがトラサンペなどと云いだしたには、も一つ奥がありそうです。
このトラは「湖・葉」ではなく、日本にも流入していた tras(ネパール発の“恐”)が考えられ、トラサンペとは「恐ろしいバケモノ」だったにちがいないのです。
 とにかく、サルンクルには「トラサンペ」という語が伝わっていたことだけは確かでしょう。

★ 英語のグループによく似た アイヌ語の kur , guru は、巫術者が鳥に化けてヌプルをやったからかもしれません。それぐらいに、アイヌにとって鳥の影響は大です。 / ナスカ地上繪。

[5070]   ト ラ ツ グ ミ  2     生田淳一郎 2009/06/11(Thu) 12:57 [Reply]
 記述の流れがへんなふうになりました。やっぱ皿にとってまとめるべきですね。下の下は裾開きにしてみたり……。

★ ネパール語に dhukur(山鳩)がありますだ。 d の下には“・”があります。こんな dhu は日本人(?……大衆)には発音でけませんので、これを「デ」と云いなおしたと思うんです。
 dhukur の kur は、もちろん「鳥」。
 いっぽう仏教の関係で「ブッポウソー(仏法僧)」がでました。これに引っぱられたか、山鳩の鳴き声は「デデポッポ」だとされました。山鳩のなきごえ聞いても「デ---」などとは聞こえません。
 この「デ」が、イイトヨの toyo に代入されたのが「イイデ」だと、オレは断定しました。  あ、前後しますが toyo とは「鳥 - o(神)」で、r 音が y となって、 i が脱落した語形だと思っています。豊島をトシマと発音したりします。また、手島さんなどはこれでせふ。

★ さきに出た「つぐみ」は、あるいは dhukur 末尾の r が落ちた語形かと注ぎ目です。
 その場合、「鳥は神( mi )だから……」と、ハッキリしない語源意識がまぜくります。
 dhukur はミミズク、コノハズクのズクへ出張します。

★  tori(鳥)を「と」だけで済ませたのは、コロクトが最初にして最後ではないでしょうか。
 それっというのも、バスク語で txori(鳥)といっているからです。tori 〜txori の語源は、族際語の chir(鳥のなき声)の変化態でしょう。アイヌ語には chir(鳥)があって、知里真志保さんの知里もこの謂いだと断じることがでけます。

★ さきに、西洋語には K や T のあとに続く意味のない、序でにでた r 音があることを申し叙べました。これに似た現象で、「母音- r 」とあった本来の語形が「 r 音 - 母音」へと逆転する現象があることに注ぎ目させられます。よく知られた音転は center が centre になっていることです。
 ネパール語で pari(向こう側、遠く)いうときの par は日本語の「遥か」と同根でしょう。 ネパール語で、くにや地方は des です。この par が逆転して prades(地方、外国)になっています。
 驚嘆、恐怖を意味する族際語の tar は、ネパール語で tra となり、これに主格を表す限定詞の s が加味されて tras(怖いもの)となり、日本では s は不要なので「トラ」が恐ろしいものとなりました。→ トラツグミ、トラ鋏み、よっぱだいのトラ。

 まだコロクトは未解読でしたね。「トラサンペ」にご期待くらはい。

[5069] Re[5066]:  kotan kor kur pon kamui  かっぽれ 2009/06/11(Thu) 12:26 [Reply]
生田さん

>それと同様に多くのアイヌは子供のときから、フクロウを kotan kor kur pon kamui と唱えていました。
>pon は愛称をこめた「小さな」です。

私は聞いたこともありませんが、アイヌの子供はそう唱える習慣があったとしましょう。
しかし、どう解釈しても「フクロウ=kotan kor kur」ではないですよね。

「萱野茂のアイヌ語辞典」より
● コタンコロクル(ロとルは小さい文字)【kotan-kor-kur】 村おさ。
● コタンコロカムイ(ロは小さい文字) 【kotan-kor-kamuy】 シマフクロウ、フクロウ。
● クル(ルは小さい文字) 【kur】 人、男。

でも、もう結構です。
ご説明ありがとうございました。

[5068]  カ ム イ     生田淳一郎 2009/06/11(Thu) 09:02 [Reply]
 kakak天子さま、有り難うございます。
  「ころくと」の多出はまさに豊作です。
 オレ、東條操『全国方言辞典』みたかぎりでは鳥取県だけにあったので、紋問題としては取りあげませんでした。
 あれは「ころく」だけではなく「ころくと」と「と」まで続いていると看るべきだったんですね。
 そうしますと、アイヌ語の kor がナマに出ているのに注ぎ目です。
 「ごろくそへーぜ」の he も「○○とモノいう」のアイヌ語でしょう。ふつう he-se いいますので、ここの「ゼ」もアイヌ語でしょう。
 狼はアイヌ語で wo se kamui いいますだ。ウオ〜と鳴くカムイでしょう。

 カムイは現代日本人流に考えてはマイネ。悪霊の化身という場合もあります。
 「人間に強い影響力をもたらすのが神だ」は、高橋稔の遺したことばでした。
 アッと驚く為五郎! みごとな景色のカムイ・コタン。カムイはここでは日本人流に考えると形容詞みたいです。

[5067] 無題  生田淳一郎 2009/06/11(Thu) 08:08 [Reply]
 同じアイヌでも、日本人の居住地帯に近い道南や渡島半島では、コロと、ロを大きく書いたのとほとんど同音に発音していたことが強烈に臭います。

 アイヌ語に san(下す、下がる)があるかどうかで、ある人と話し合ったことがありました。「ある」というほうがあっしです。
 山音文学の『アイヌ語小辞典』には sanru(下る)が掲載されているんです。この sanru の“ru”とは、まったく以って日本語でしょう。
 アイヌといわれている人びとが喋っているのを総出しにしておく……は、タガログ語でもインドネシア語でも、辞書当路者が執るべき基本姿勢たらめや。

[5066]  kotan kor kur pon kamui  生田淳一郎 2009/06/11(Thu) 07:52 [Reply]
 ネパールの人がサンスクリット語をおぼえるときに「 jal m pani 」などと云いながら覚えるそうです。jal はサンスクリット語の水、pani はネパール語の水です。中央の m は、なんだかわかりませんが、意味はわかる。
 
 それと同様に多くのアイヌは子供のときから、フクロウを kotan kor kur pon kamui と唱えていました。
  pon は愛称をこめた「小さな」です。

 フクロウには nikotuk(u)という名前が別にあります。 nikotuk は「 ni(木) ko(ネパール語の“の”)ツク(フクロウの類)」だと思います。出雲と柳井市近くの大島で、フクロウをフルツクと云っています。このフルとはネパール語にみられる bhulka(フクロウ)でしょう。 ka も鳥です。形容詞後置形でアイヌはカモメを ka-piu と呼んでいます。「ピュ−鳥」です。
 アイヌ語 chika tp(鳥の一般呼称)にはいっている ka は「……の」ではなく、これも鳥だと、オレは思っています。
 ようするに言い習わし(習慣)でしょう。それを「アイヌ語とは斯くあらねばならない」などと決めつけるが、へんな昏迷のもとかと。

 茅野茂さんが辞書を出すというニュースが飛び込んできたとき、あっしゃ藤○さんに「今なら間にあう、茅野茂さんは語彙をカタカナ表記にしているはずだから、一切をローマ字表記に切り替えるように」と手紙したことがありました。
 コロのロをどんなに小さく書いても、それを読む 99%以上は日本人だから、どうしても r-o の o が残る。たまに、これを コラ 、コレ 、コリ などと書いても、間に合わんとです。
 「僅か26文字なので、ローマ字にすべきです」と阿寒のキイチさんに訴えたところ、「ああ、高校で習ったアレか」と云っていました。
 山本多助エカシの辞書がローマ字表記になっていたのでホッとしました。それも去年のこと。ガハ。

 


[5065] Re[5060]:  イ ソ     かっぽれ 2009/06/10(Wed) 22:23 [Reply]
くずさん

>http://www.chukyo-u.ac.jp/tosho/contents/culib-news/cn44.pdf
>サンスクリットrkshas、古ギリシャ語arktosラテン語ursusなどから、
>熊の印欧祖語にrktho-、rkto-、rkso-などを推定しており興味をひかれます。

面白いですね! rkthoなんて日本人が一番苦手にしている発音(笑)
>北から南までカラスはカラスと言ってよさそうですがイソ(愛知)が気になります。

三面の山人言葉でサラエというのがありました。
http://www11.ocn.ne.jp/~yamando/matagi/matagi.htm

もっとも、舌が「ナメズリ」、猫が「ネコマタギ」といわれると、何か不思議な感じがします。

[5064] Re[5052]:  オ ノ コ ロ 島    佐々木 2009/06/10(Wed) 21:37 [Reply]
>  アイヌ語の梟は(コタン)kor kur いいますだ。これを茅野茂さんあたりは「コロクル」と表記していました。この kur は犬ではなく鳥です。 kor kur の末尾の r がとれたら「コロク」になります。でも、ちょっと出来過ぎています。が、ここにも犬と鳥の混淆が窺えて妙です。

紋ちゃん コロクとはフクロウの九州での名称に多いですね。
たとえば、ころくとこうずう、ごろくそへーぜ、ごろくそ、ごろくとほーや。
 またかっ○○さんとひと紋チャク、口チャックかもよ。

[5063] Re[5061]: フクロウはコタンコロクル?  かっぽれ 2009/06/10(Wed) 20:52 [Reply]
> 茅野茂さんのアイヌ語意識には語源の視野が欠如していますので、おべんきゃうするなら、田村すゞ子先生の辞書を使うことを奨めます。オレは持たんばってん。ガハ。

そうですか、残念なことに田村さんの辞書は持っていません。
ところで、私の「萱野茂のアイヌ語辞典」にはこう書いてあります。
>● コタンコロクル(コとルは小さい文字)【kotan-kor-kur】 村おさ。
>● コタンコロカムイ(ロは小さい文字) 【kotan-kor-kamuy】 シマフクロウ、フクロウ。
>● クル(ルは小さい文字) 【kur】 人、男。

ところが生田さんは、茅野(萱野)茂が「フクロウはコロクル」だといわれます。
> アイヌ語の梟は(コタン)kor kur いいますだ。これを茅野茂さんあたりは「コロクル」と表記していました。この kur は犬ではなく鳥です。

萱野さんの上の記述はどこにあるんでしょうか。
また、生田さんのご主張「フクロウはアイヌ語で(コタン)kor kur」、コタンコロクルで間違いないですね?
そうなると萱野茂さんの辞書は誤りということですか? 田村さんの辞書にはそう書いてあるんですか?
これが本当ならアイヌ語界の大問題なので、あえてお聞きします。

[5062]  ト ラ ツ グ ミ  1     生田淳一郎 2009/06/10(Wed) 17:52 [Reply]
 わが猫額亭のグミは、今年は少ししか実をつけません。それでも 10日ほどまえから赤い実が計 20ヶはなったと思うのですが、いつも昼ごろになるとその赤いのが姿を消します。
 つぐみは、ことのほか、ぐみが好きなようです。グミをツいばむからツグミというのでしょうか。
 
★ 太宰府天満宮には「うそ笛」が売られています。土笛ですので「ほー」に近い音だと記憶していますが……。
 古語辞典には「うそとは口笛」とあります。ウソブクなどとどう関連があるのでしょうか。
 神奈備ドンからきいたのですが、スセリ姫はたいへんなヤキモチ焼きだったそうです。
 口笛はヤキモチのことで、ネパール語で、スセリは口笛です。

★ ウソによく似た発音で善知鳥と書いてウトウと読む鳥がいます。この漢字は、山岳密教の行者たちがひねくって作った当て字だと思えます。
 この“善”には、霊格たかいフクロウが込められていると思えます。フクロウをイイトヨともいいました。このイイはモノノベの「モモ」が入っています。理由 ; 五十・五十は「イイ」ですが、これはネパール語の通過単位に出ている「 mohar + mohar(50・50)」で、百=momo…… har とは複数や表情を謂います。

 晩酌が利いてきましたので、このへんで投稿に及びます。

[5061] アイ ヌ 祖 語 ?    生田淳一郎 2009/06/10(Wed) 12:13 [Reply]
 アイヌ社会にも、どこかの国のような国語審議会など、ありゃしません。
 「とてもとてもの大昔、どこかに、それこそ suruga の国のそら高く、アイヌの祖先たちがいて、そこから分派していったのが、今にみる各種の方言だ」……という見方は、西洋人たちが印欧祖語を求めたときの思い込みと同一だろうと思います。
 そんな祖語はどこにもありゃしません。それはニューギニアやボルネオ、セレベス、フィリピンあたりの言語分布を見ればあきらかなことでしょう。
 西洋圏にバスク語一つがあるということは、数千ぐらいあった(西洋人から見ての)異質言語が絶滅に追いやられて、一つだけピレネーの山ひだにまもられて命永らえたということだと思いまっせ。

 知里真志保もトンカチあたまの学者さんらしく、アイヌ祖語を追いかけ、「これぞ理想的 ? な」と思われる各種語形を錬りあげたんだと、オレは思います。
 その知里真志保流の統一アイヌ語みたいなのができ上がる過程には、アイヌ人を含めてのリクツ屋さんたちが大勢いらっしゃって、知里真志保はその標準形に照らし合わせての“異質”をロぎたなく罵りつづけた一生を終えたと、オレは思いまっせ。
 たとえば、アイヌを「 aynu 」なぁ〜〜んち表記するなんざ、見ていてケツの巣がこちょばゆくなりま。

 茅野茂さんのアイヌ語意識には語源の視野が欠如していますので、おべんきゃうするなら、田村すゞ子先生の辞書を使うことを奨めます。オレは持たんばってん。ガハ。

 田村すゞ子先生は、今はバスク語がご専門です。
 金田一 → 知里真志保、久保寺逸彦が持っていたキンピカ権威をどうご覧になったかを、聴いてみたいのですが……。

[5060] Re[5049][5044][5034][5032]:  イ ソ     くず 2009/06/10(Wed) 01:04 [Reply]
かっぽれさん、
>熊の各国語サイト >ノルウェイやデンマーク語では"bjorn"とか、
Wikiでは熊(古英語bera)の印欧祖語にbher-(茶色い動物)をあげています。
http://ja.wiktionary.org/wiki/bera 
やはり直接の呼称を畏れた婉曲名のようです。
それからこんなwebページを見つけました。
http://www.chukyo-u.ac.jp/tosho/contents/culib-news/cn44.pdf
サンスクリットrkshas、古ギリシャ語arktosラテン語ursusなどから、
熊の印欧祖語にrktho-、rkto-、rkso-などを推定しており興味をひかれます。

ゲルマン系では語頭be音がつきますが、擬声語がより古い形を残すという観点から
”茶色”よりも”蜂”のほうではないかと可能性を考えます^^
いちおうの参考http://ja.wiktionary.org/wiki/beo

生田さん、佐々木さん、
>万葉集 烏とふ 大をそ鳥の…
愛らしい恋の歌に聞こえますので素直に受け取りたいです^^
>カラスの方言
http://www.asahi-net.or.jp/~SG4H-HRIZ/dic/karasu/hasibutogarasu.html
北から南までカラスはカラスと言ってよさそうですがイソ(愛知)が気になります。
でもイソ(磯)カラスってことかもしれませんね^^
鳥の方言“おそ”では、鷽(ウソ)とトラツグミ。
トラツグミは珍しく夜中に鳴く鳥ですが、鷽に似て口笛のような鳴き声です。
犬や熊の鳴き声とは程遠いので、狩のとき犬を呼ぶ口笛(嘯き?)が起源では^^


[5059] Re[5052]:  オ ノ コ ロ 島    かっぽれ 2009/06/09(Tue) 22:41 [Reply]
生田さん

> アイヌ語の梟は(コタン)kor kur いいますだ。これを茅野茂さんあたりは「コロクル」と表記していました。この kur は犬ではなく鳥です。 kor kur の末尾の r がとれたら「コロク」になります。でも、ちょっと出来過ぎています。が、ここにも犬と鳥の混淆が窺えて妙です。

私の学んだ範囲では、アイヌ語の「コタン コロ クル」とは「村おさ」でした。
単に勘違いならスルーしますが、「萱野茂」の名指しなので一言申し上げておきます。
アイヌ語の梟(特にシマフクロウ)は「コタン コロ カムイ」ですね。

[5058] Re[5056][5050]: 熊襲  かっぽれ 2009/06/09(Tue) 20:57 [Reply]
琉球松さん
囎唹(そお)なら、オソロシとは関係ないでしょうね。
「襲う」につられて、オソと読んでしまったのがまずかったです。
オソマツ!(私が。琉球松さんとは関係なし)

[5057]  まっつぁん、おみごと    生田淳一郎 2009/06/09(Tue) 12:54 [Reply]
 まっつぁん、おみごと です。
 さっきから宮古島・郷土史家の仲宗根さんが送ってくだすった雑誌をみていたところでした。
 この so については「神社の敷地」ぐらいしか知りませんでした。
 仲宗根の“宗”でしょう。周辺をまとめる本家という意味でしょう。 naka は「くに」でしょう。 ne は指導者だと思います。
 そうすると、これは from シナということになりましょうか。これで当分走れます。

 「 so =怖れ」はベトナム語にあるといえましょう。ただし、ベトナム語の母音には、ビルマ市街を走るジープニーのようにキンキラキンキラ多くの発音限定マークがついていますので、ひょっとしたら間違いかもしれません。でも s の次に o があることはたしかです。

[5056] Re[5050]: 熊襲  琉球松 2009/06/09(Tue) 09:44 [Reply]
 「襲」は、恐ろしいというより「支配・統治」と考えたほうがいいんじゃないでしょうか。『日本書紀』の「倭迹迹日百襲姫命」は「全て(百)を統治(襲)するヤマトの女王」と解釈できます。

 沖縄島の「首里城」は、通称「百浦襲(モモウラソエ・方音ムンダスイ)
」で、「全て(琉球圏)の浦々を統治する」ですね。

[5055]   第 三 の 眼     生田淳一郎 2009/06/09(Tue) 09:02 [Reply]
 周辺書き込みとは関係ないみたいですが、以下は「言語とはなにか」をめぐっての概念限定、通過儀礼です。お許しあれ。

 インドではひたい中央にも目を持っている神さまが繪になっていたり、ひたい中央上部に朱を塗る風習がありますが、これはなにも空想の産物ではありません。ここにはチャンとした、物凄い機能を持った器官が内在しているのです。
 それを 21世紀になって実証してみせたのが、皮肉にも唯物主義の中共シナの研究者でした。

 5cm角ぐらいの紙片に一つの漢字を任意に書き、それをパチンコ玉大に丸めます。そういった玉を 50ヶばかり作ってお盆にいれて、被験者の青年に一つを取りだして、「さぁ、当ててごらん」とやるのです。
 紙はグシャグシャに揉み固められていますので、普通の者には判ろうはずはありません。ところが、それが判るのです。
 もちろん、判らない者が示す確率はゼロですが、当たる者は 80%の高率で当たります。
 「どったの?」と質問したところ、異口同音に「こころを鎮め、気を集中させたら、額の上 10cmぐらいのところに、一種のスクリーンが現れ、そこに文字が出るので、それ読んで答えたら、当たっていた」と云うのです。

 16 世紀後半になってライプニッツさんが言い出しっぺで、カントさんが承認した統覚の機能は、まだまだ D.N.A.様などという概念も皆無でしたので、彼らは、そういう能力が 人間には Es gibt(ある)といいました。 Es gibt とは「神輿」ということです。
 1990年から始まった大脳爆発は、自我を自我たらしめる統覚の部位まで特定できるところまで来て、且つ、 D.N.A.様の概念も地歩をえました。

 小生は確率とか再現性について科学的な定見を知りませんが、この第三の目は、かなりな再現性を持ち、素朴的実在論のことばの範疇に入って来たことを直感します。
 みなしゃんも職場や仲間どうしで、ぜひこれを実験し、自家薬籠にとりこんで下さい。

[5054] Re[5050]: 熊襲  かっぽれ 2009/06/08(Mon) 11:49 [Reply]
> 熊襲の語源は、「球磨(クマ)」地方と「おそ」地方に住んでいた部族の合同名称だそうです(岩波古語辞典)。

辞典をよく見たら、「オソ」じゃなくて「囎唹」⇒「ソオ」でした。
字が細かくて、乱視な目にはきつかった(笑)
どうも失礼!

[5053]  ウインクする梟    生田淳一郎 2009/06/08(Mon) 11:01 [Reply]
5〜6年前の 7 月 7 日、テレビでフクロウがウインクするところを実際にこの眼で見ました。
 すげぇですねェ。人間はこういうことを見ても感動する。エライやっちゃエライやっちゃ、ヨイヨイ ヨイヨイ。

[5052]  オ ノ コ ロ 島    生田淳一郎 2009/06/08(Mon) 06:52 [Reply]
> 鳥とふ 犬をそ鳥の ………… ころくとぞ鳴く
★ あれは「大をそ鳥」でしょうか? いづれにしても、熊とか犬みたいな鳴き声をする鳥らしい。一昨日から「ころく」を追いかけています。
 すぐに鳥取県東伯郡方言に「ころくと(梟)」がでました。しかしこれは地域が狭すぎる。
 やっぱ、この鳥は「ころく、ころくと鳴いている」と置くべきでしょう。

 25年ほど前、沖縄語に詳しい中本正智先生がニライカナイを分析されたとき、 ra とか ro には「……の」があると指摘しておられました。これを適用してみると、いちおうの展開が得られるようです。すなわち、この鳥は「コ・の・ク」という意味をこめて鳴いているわけです。
 コとはあっちにある気分や意図を「こっちゃコ、こっちゃコ」と招きよせるのだそうです(堀井令以知先生)。ここで歌の意味が急展開を見せはじめました。
 では「ク」とは何ぞ。
 結論から先廻しにいえば、 ku はセックスです。「ここに来てセックスしておくれ」と、この詠み人は謂っている。

 クで、も一ついえるのは現代まで漢字ふくみで残っている「抉る(くじる)」です。抉るとは孔を彫り抜くことです。これもセックスがましい。「くじる」の「じる」は棒とか柱です。
 あちこちの神社の庭先には、四抱えも六抱えもある岩に紙コップがポコッと入るような孔が開けられているのが目につきます。それも多数に、です。
 逗子の天才さんは、「これは神社が建築される遥か昔に、縄文人が何らかの願いを込めて彫ったものだろう」とみて、杯状孔と名付けて、その意図をにらみつけておられました。
 それ知ったあっしゃ、なんらかの貢献をしたくなって、いろいろ探しているうちに、同音の「くじる」だったと思う(不確か記憶 !)のですが「モノを入れて掻き回す」という意味に遭遇しました。やっぱこれも濃密セックス。

 古文献によわいあっしの質問です。
 日本列島創造のとき、天のヌ鉾をかき混ぜるとき、その擬音擬態は「こうろ、こうろ」ではなかったでしょうか? そのコウロがあればこそ「オのコロ」島へとなったのだと思えます。
 そのとき、文面では「かき混ぜる」ではなく、「くじる」とはなっていませんか。

 どうも“梟”みたい。
 アイヌ語の梟は(コタン)kor kur いいますだ。これを茅野茂さんあたりは「コロクル」と表記していました。この kur は犬ではなく鳥です。 kor kur の末尾の r がとれたら「コロク」になります。でも、ちょっと出来過ぎています。が、ここにも犬と鳥の混淆が窺えて妙です。

 いっぽう、堀井令以知先生の『国語大辞典』に、くなぐ(交合する)がありました。天子さまご質問の「『なぎの木』とイザナギの『ナギ』」の合体です。

 おへまの里では穴を埋めることを「くべる」いいますだ。
 ああ、山本多助エカシ。

[5051] Re[5050]: 熊襲←訂正  かっぽれ 2009/06/07(Sun) 23:19 [Reply]
すみません、引用部分に間違いがありました。
> 同辞典によれば、熊という語は朝鮮語かkomからの借用と考えられている。となれば、クマもオソ(イソ)も熊の可能性があり、興味深い。

※上の文中
誤)からの借用
正)と同根

[5050] 熊襲  かっぽれ 2009/06/07(Sun) 23:05 [Reply]
熊襲の語源は、「球磨(クマ)」地方と「おそ」地方に住んでいた部族の合同名称だそうです(岩波古語辞典)。
同辞典によれば、熊という語は朝鮮語かkomからの借用と考えられている。となれば、クマもオソ(イソ)も熊の可能性があり、興味深い。
想像ですが、「恐れ」や「恐ろしい」も、もしかするとオソ由来の言葉かもしれませんね。
青草でした。

[5049] Re[5044][5034][5032]:  イ ソ     かっぽれ 2009/06/07(Sun) 17:38 [Reply]
くずさん
>フィンランドのスオミ語でもキツネはkettuだそうです。

そうですか、面白いですね。
スオミ語のオンライン辞書を探してきました。http://www.fincd.com/
少し使ってみたら、動物の名前が"k"で始まる語が多いような感じを持ちました。
魚kala 狐kettu カラスkiekua(カーカーに似ている)、クマ(の婉曲名)もOtsoの他にKontio。

世界各国語でクマをなんと呼ぶか、詳しいサイトはあるんですが、英語のbearで集めているので
「名詞:クマ」と「動詞:携える」が混在(笑)。もし気にならなければご覧下さい(メンドイです)
ノルウェイやデンマーク語では"bjorn"とか、感心しまくりでした。
http://www.kudobaby.com/search/Bear

[5048]  隻 眼 ニ ラ ミ    生田淳一郎 2009/06/07(Sun) 09:09 [Reply]
> カラスの方言は如何でしょうか。
★ ゲッ ! と、仰天しました。
 ショックなんてぇ紋じゃないっすよ。隻眼からニラまれるとは、こんな心情でしょうか。
 小生が期待する天才畑のただ中に出たような気分です。それは、早くて 20年後!!
 その畑では斯様な発想が連発されるんでしょうねぇ。

 こんかいのご発想が、下でお訴えした「整備された項目の機構」が醸しだし、問題として浮上させたことだと、確信できます。
  云われるまでは、まったく気付きませんでしたが、そういわれてみれば、「カラスの方言」は各種の金属精錬が天目一箇神で統一される以前の氏族割拠を照らしだします。

 おそらく……ですが、カラスの方言は無いというのが正解ではないでしょうか? もし、あったとすれば、奄美、四万十川上流のシマ、津和野、盛岡ではないでしょうか。あんがい津軽だったりして……。
 4時間ほどかけて東條操『全国方言辞典』の逆よみを試みましたが。いまのところ不発です。
      
 ちょっと前までは、隻眼(一つ目)に会ったというハナシはしばしば聞けました。
 これは住所氏名がハッキリしている人が「ふだん記・津軽グループ」に掲出した体験談です。
 秋の夕方、ちょっと遅くなったので急いで山を下りて岱釈迦(ウイルタ語で、平地の林)に来たとき、なんだか陰が薄いような、存在感のオカシイ人物が林の外れに立っている。不思議に感じて近寄ってみたら、なんと! 隻眼の爺さんで、一瞬、クワッと睨まれたような気がしました。白っぽい衣服をまとっていたそうです。
 それと知った本人さんは、他人に連絡することも、バス停で待つことも忘れて、 12キロの道のりを、それこそ「一目散」、死んだようになって五所川原の家へ走りこんだそうです。

 小生にも似たような体験があります。国民学校 4 年生のとき、大川へ螢狩りに行ったんです。土手で点滅してるヤツを集めていたのですが、その中にくっついていて、点滅しない二匹がいます。そいつを指二本で撫でてみたところツルンとした感触です。
 「へびだッ」と思った瞬間、土手の上に駆け上がりました。
 四五歩走って、ふと振り返った。すると、近くにあった牛馬屠殺(?)の石柱の上に、海賊の旗にあるようなガイコツが白く浮んで見えたんです。それからが家まで「一目散」でした。

 4万年のあいだに固着した「こころの構」が、錯覚を呼び込むのでせふ。
★ ハッキリした結論は出ていませんが、参考書 ; 小田晋著『ひとはなぜ幻想するのか』。
★ 目からは、素粒子が放射されています。

[5047] Re[5046]:  台湾の犬 ほか    佐々木 2009/06/06(Sat) 14:06 [Reply]
紋ちゃん ワンコ面白いですね。
 犬は昔、ピヨっと啼いたらしいと山口仲美さん曰く。
 su-wan とはもしかして赤犬?
 maro も面白い。麻呂とは由々しい?
 台湾は犬を食う種族と犬を飼うと幸福になれると信じている種族が居るような記憶があります。
 ついでにhttp://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/canis2.htm

[5046]  台湾の犬 ほか    生田淳一郎 2009/06/06(Sat) 13:26 [Reply]
 証文の出しおくれ気味ですが、台湾の犬を総出ししてみます。
 ヤミ語は「イヌ」と云っているそうですが、日本語からの借用だそうです。

アタヤル G Sq アタヤル語 huzil , hu-il , hoyel   G はグループの符号
      Ci アタヤル  huzil
        セヂク   hulin 

ツォウ G  ツォウ     ab u
       カナカナブ   cacau
       サアロア    tasau

パイワン G  ルカイ     taupon
       ファヴォラン  mado , zito(小型犬)
       タオ     ?a ; tu
       パゼへ    wazu
       サイシアト  aho
       タオカス   maro

       パイワン   vatu
       プユマ    su an
      
       アミ     waco
       ブヌン    ?asu
       クヴァラン  wasu
       シラヤ    assou
       ヤミ     イヌ

 スオミ語の犬は koira ですって。さきに天津の kur(犬)とネパール語の kukura(犬)を挙げました。バスク語に zakur(犬)。oso 系のほか、kur 系もありそうです。
 ほかアイヌ語の seta(犬)とエジプトのセト神。
 日本語の「イヌ」は狩猟をイヌといっていたからでは? / イヌ鷲。
 塩原温泉にインナミさんが多い。

[5045] Re[5044][5034][5032]:  イ ソ     佐々木 2009/06/06(Sat) 10:28 [Reply]
万葉集 巻14 雑歌 3521ですね。
>烏とふ 大をそ鳥の まさでにも 来まさぬ君を ころくとそ鳴く

 解釈はいろいろとあろうかと存じますが、鳴き声を「コロク」とすれば「烏」とはいったい何の鳥を指し示すのでしょうか。
cf カラス属 Corvus  カチガラス(カササギ) Pica pica ウミガラス(オロロン鳥)Uria aalge
@「烏」が「おおうつけ鳥」とは、当時の黒衣の役人を指し示しているのか。
A所謂「ヤタガラス」とは別ものでしょうか。
Bカラスの方言は如何でしょうか。紋様。
★「をそ」を侮蔑表現とすれば、犬などの侮蔑表現である「畜生」とも近いですね。

[5044] Re[5034][5032]:  イ ソ     くず 2009/06/06(Sat) 08:43 [Reply]
かっぽれさん、生田さん、
> ちなみに、aso(犬)はオーストロネシア祖語まで遡ることができます。
> 参考サイト:オーストロネシア諸語の「犬」
> http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/word.php?v=96
良いサイトのご紹介ありがとうございます。
犬:asu、wasなど確認できますね。台湾諸語にも多く残っています。
犬は人に関わり鳴き声に特徴のある生物なので、その鳴き声を表した擬声語が起源でしょうか。
つい先日、中国湖南省で約1万8千年前にあたる世界最古の土器の発見が公表されました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090603-OYT1T01138.htm?from=navr
その時代は氷河期真っ只中で、当時は台湾島も地続きです。
家畜としての犬の起源も東アジア(約1万5千年前)と言われますので、最も古い呼称を保存しているかもしれません。
「犬の起源」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90

犬の起源、その存在は狩猟にも大きく関係していたと思います。
アイヌ語のイソ:獲物、奥三面のマタギに伝わる動物捕りの罠:オソなど、興味深いです。
古来、口笛を嘯(うそ)、嘯き(うそぶき)と言ったそうです。
口笛のような鳴き方をする鳥に鷽(うそ)がいます。
万葉集(東歌)にはカラスを指して、"大をそ鳥"と言っている歌があります。
「可良須等布於保乎曽杼里能麻左・尓毛伎麻左奴伎美乎許呂久等曽奈久」
烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとそ鳴く
"をそ”とはそそっかしい様子を言い表すとされますが、鳴き声が引っかかります。
嘘(ウソ)の語源もこのあたり(嘯く、鷽の鳴き声をまねる)とされますが、
カワウソやキツネなどが人を騙すといのも古くは、オソ、イソ系の呼称が残っていたからかも^^
日本ではキツネも鳴き声に特徴のある生物です。
古来鳴き声を表したキツキツ、ケツケツ+ネがキツネの語源とも言われます。
フィンランドのスオミ語でもキツネはkettuだそうです。
http://fi.wikipedia.org/wiki/Kettu
おもしろい一致とは思っています。でもこの一語に限っても同じ起源と言い切れないのは、
世界の離れた場所でも、同じ種の生物の鳴き声を聞き取った結果、同じような呼び名となる事は十分考えられるからです。


[5043] 空中に漂う赤い透明な火の玉    生田淳一郎 2009/06/06(Sat) 08:10 [Reply]
   ヒトの精神発達を考えるとき、見逃してはならないのが、標題においた「 空中に漂う赤い透明な火の玉」のことです。
 いつも退職願書を胸ポケットに入れてテレビに出てきて霊や超常能力、超常現象を頭ごなしに否定する早稲田(だったか)の教授は火の玉研究では第一人者だそうです。フランスでは自然発生する火の玉が家屋にぶっつかって、火災をおこしたときの保険があるそうです。
 火の玉には数種類あるのかもしれませんが、精神発達にかかわる分を以下「火の玉」と短くいいます。この、プワプワ漂う火の玉が時として人間の胸の中に飛び込んでくるんです。

 わが愛妻、おへまが見たのは、大きさは 6 〜8m、地上 10 〜13m のところをブワン・プワンと漂って神社の杉の梢に消えて行ったそうです。
 
  50年ほど前、市役所に勤務していたインドネシアの青年が、ぼんやりと海岸に佇んで景色を見ていたところ、空中に火の玉が現れ、それが胸の中にサササ〜ッと飛び込んできました。
 その青年は次の日からいろんな事が判るようになったそうです。特徴なのがその後、仲間一人と対峙して座っていたら、その仲間も清浄な不思議な思念に包まれるそうです。並みの宗教とは違い、ことばは不要です。その対峙をラチハンと呼び、そういった宗教まがいのうごきをスブドと呼んで、これを世界じゅうにひろめようと考えました。
 日本にもスブド支部ができましたが、たいして広がらない段階で八菱鱗というオタンチンが出しゃばって、引っ掻きまわしたので、この会は途絶しました。
 八菱鱗は、じぶんの息子に乞食をさせた人物で、東大卒業です。東大卒が禍いの元凶です。

 少年後期だった空海さんが室戸岬の洞窟暮らしをしているとき、やはり火の玉が胸に飛び込んできました。この事件はかなり具体的な記述が遺されているそうです。
 日蓮さんの周辺にも、この火の玉による開眼がいわれています。

 原因不明で、あっしの足がしびれて困っていたとき、南浦和駅西ロちかくに、福島郡山で開眼した人が治療院を張りました。やはり、ある日の夕方、ベランダに出てぼんやり空を見ていたら、火の玉が胸に飛び込んできて、翌日から人体の治療法がよくわかるようになったとのことでした。
 手を当てるやりかたで、 1回 3万円。倅におんぶしてもらって 17回通院しましたが、よくならないので、やめてしまいました。

 火の玉とは「素粒子が濃縮されたナニモノか」だったのではないでしょうか。
 過去の経験がきれいに整理されたのでは? 天才の特徴は概念を構成する項目がきれいに整備されていることです。その整備された秩序の中から、卓越した発想が出てくるみたいです。

[5042]  こころの発達  2     生田淳一郎 2009/06/05(Fri) 10:45 [Reply]
 数字オンチのオレにはわかりませんが、スンダランドの海進は 7万年前とか 4万年前とか、ひとによって割り出した年代はちがっているようです。
 すでに少々の語彙を持っているところへ、氏族間抗争がおこり、文化が領土的にも質的にも爆発的に広まった。そして、まがりなりにも同じこころを持った人類となりました。

  肉体で区分されているのだから、あの人とこの人とではこころも違っているはずだとの見当は見当違いだとしかならないでしょう。ゴリラと較べれば、ヒトとチンパンジーは同じ D.N.A.様を奉戴している。そういう観点からいえば、同じ人どうし、考えも五十歩百歩である……というよか同一であるはずです。
 まがりなりにも人となった。そして 4万年とか 7万年間。そこに展開されたこころは、一種の家みたいな“構”を持ってしまったのではないでしょうか。しかも、この“構”はことばという集合自我作用によって遺伝します。
  4万年でもいいや。 4万年持ちつづけてきた支柱が、ここにきて抜けて、スポッと空洞化したようなことになっていると、オレには思えます。

 神です。

  ニンゲンの思念はウソ含みでしか成り立たないのですが、“神”にはその一片のウソも許されなかった。 1543年が画期の地動説は、神を殺しました。

 神の代替として、心霊はどうでしょう。心霊だけではなく超常能力、超常現象でもいいのです。ところが思念の立役者たる言葉は、徹頭徹尾、台所むきにできていて、そういった概念に限っての語彙は用意できても、その実体を「ことば化」することはできないでいます。
  
 そこへ、少年が二十歳前後になって大学へ行く。マス講議に採点主義。先生の傾向だけを覚えれば合格 → 卒業。
 喋り合う友人は少なく、活字情報と見知らぬ人が作った音楽で孤り漂う。I .T 掲示板に出ても覆面かぶりを「これ幸い」と歓迎するまでに堕落しました。
 だから、物理化学にかぶれ、合理的生き方を基準とする現代人は、こころのどこか大きなところで、常時、神(… or 神の代替品)を希求していると思うのです。

 年間、 3万人の自殺者が出ています。しかも、高級管理職の人が次々と自殺しています。
 「ひとを見たらドロボーと思え」は、昔のこと。初対面のひとのうち 五人に四人はキチガイだと思ったほうがいい時代になっています。

 だれかアフリカに行ってピグミーを観察しませんか?
 ピグミーのこころの中には、神も心霊も幽霊も、悪魔も竜もいません。

[5041]  こころの発達  1     生田淳一郎 2009/06/05(Fri) 07:04 [Reply]
フツゥのひとの判断は、まず「そういうことは学者や政治家に任せておけばいいじゃんか」ということだろう。だが、ここ少なくとも 300年、学者はいなかったかといえば、やっぱいた。
 ところが、政治家や最高概念を駆使する哲学者たちが智恵を絞ればしぼるほど、共通諒解の場は消え失せ、「共通諒解にしぼった哲学」だったはずの現象学の手法では、いまだに一つも共通諒解を得られていないという現実がある。
 「無用のお節介だ、やめときなはれ」という声ききながらも、ドシロートのたわごとだと自認しながらも、中東の宗教家どうしの殺し合いを見るにつけ、将来、どこかで汲みとってくれそうな意識主体があるものならば、そのお方様へ愚見を捧げたいは人情の発露だろうぜ。

 ハナシャポ〜〜ンと飛ぶ。
 15年ほど前に羅臼に現われたヒグマは、家人の留守に上がりこんで、冷蔵庫をあけて缶詰などを喰い散らして去った。缶詰の開け方までは学習してなかったらしく、モロに噛みついた。
 が、冷蔵庫の開け閉めは、近くの小川にかかっている橋の下に隠れて、家人のうごきを観察して、独自に学習したとしかならない。この知能は人間でいえば 7 〜 8才のガキに相当する。犬や猿ではできない相談だ。
 では、どこがちがうのかといえば、ヒグマは個人言語を発達させているから……としかなるまい。野を歩くときヤツらはよだれを風に吹きとばしながら、ウエウエと、モノを云っている。
 諸概念の連結総合化・止揚をやっているわけだ。

 人間の赤ん坊は生まれた初めはただの肉の塊だが、その塊の肉に「こころも機能も」発達の基盤が備わっている。 D.N.A.様だ。
 「数えかた」という中に人間臭みを感じるが、卵割や胞胚がみせる器官造形には、他の四つ五つの器官の発達をみて、その上でホルモンを湧出させながら、次の器官作りの段階へ移る(これをカスケードというそうな)。

 開闢いらい、すべての生き物は腹ヘッタ腹ヘッタで暮らしてきた。そこへ大戦争の恵沢で飽食ができるようになって、生活習慣病がでてきた。開闢このかた、歩いたり走っていたのに、急に身体をうごかさなくなった。ドン腹メタボである。
 上の現象は身体のことだが、数万年のこころの在り方も、ここにきて、急にサマ変わりした。
 ニュートンから、わずか 300年。物理化学に含まれている計量による合理が少年・青年たちのこころを蝕んでいる。

[5040]  三つのアプローチ    生田淳一郎 2009/06/04(Thu) 07:59 [Reply]
 お猿さんの段階からしだいに目がさめて、サルが現代人になるまでの軌跡がことばに付着しているのではないか……と思って、そこを追いかけるのをオレのオネラにしています。
  それを追求するにあたって、三つのカーテンに邪魔されて見えなくなっていること、また、そこのカバーを取り払えば大きな進歩に恵まれれのではないかを、直感しています。

 《 氷河が解けての海進・縄文海進 》
氷河期には家族・氏族単位の集団は赤道地帯に、地域的に割拠し、蝟集していた。
 そこへ海面が上がってきたので、氏族間に闘争がおこった。この段階では、もう石( bato)という語彙を共通にしている。
 闘争〜戦争がくりかえされたあげく、大集団が出現し、弱小言語は大言語に吸収されながら消えた。

 《 オノマトペア(擬音擬態語)》
 「サッサと歩け」と云ってたのが「迅速に歩け」などと云い換えられる。巨大言語にはオノマトペアが少ししかない。
 台湾ブヌン語は木菟をポホッいいますだ。これは鳴き声まねた音のちょっとした変形だと、小生は受け取っています。
 地球上が「“国”語」だらけになるにつれ、自然法則〜情念がらみのことば(オノマトペア)が消えてゆく。
 辞書編纂の当路者は、オノマトペアの記述は掲載しにくい。ついつい脱落させた。
 いま、可能なかぎり、喋られているオノマトペアを採取しなければならない。

 《 高級・抽象概念語 》
 フランス語は二つの土民語を下敷きにして、政治とか哲学などの用語はラテン語に頼った。
 しかし、二つの土民語があったればこそ、民族主義とか愛国心が先走った。
 ラテン語は行政(集団形成)をリードし、シナ語は奪取の軍隊語であり、サンスクリット語はリクツの筋をごまかす宗教語でしかない。

[5039] Re[5035]:   辞 書 編 纂 の 遅 れ    かっぽれ 2009/06/04(Thu) 00:07 [Reply]
えーと、すみませんが、AWって何語ですか?

>フィリピン・タがログ語(?)
>★ aso      犬       AW ; oso(かわおそなど) A ; iso(熊)
>★ oso       熊                         〃
>台湾アミ語
>watso      犬

[5038]  たとえば バスク語 trapu(布きれ)   生田淳一郎 2009/06/03(Wed) 05:51 [Reply]
 いざとなったらピレネーの山ひだに立て籠ってゲリラができるからでしょう。フランスとスペインに鋏まれた地域にバスク民族がいます。
 周辺とはまったく違った言葉を喋るので、「異質言語=敵」と意識されたのか、1937にはイタリヤとドイツ空軍からムチャクチャな無差別爆撃を喰らって、ピカソがカンカンに怒った繪を遺しました。「ゲルニカ」です。
 村山七郎先生のご研究のなかでも、とりわけ光って小生の胸に染み込んだのが、南海に広くみられる *phili(選択する)と *taphi(小布)でした。 phili(アイヌ語 ; ピリカ、日本語 ひりふ……拾う)がネパール語にもあるので、同先生の頭をもっと西のほうへ向けて頂きたいと、手紙書いていたとき、先生は急逝なさいました。
 
 バスク語は小鳥を txori 、男の子を mutiko というなど、聞き捨てならぬものを含んでいます。そのバスク語に trapu(布ぎれ、はぎれ)があるのです。
 小生はこの trapu は *taphi と同根だと看做します。
 では、 trapu の中の r とはナニかというと、これは西洋人のことばぐせで、西洋人から囲繞されて暮らしているうちに、その言葉ぐせが感染したものと見受けられます。
 r 音は T 、K などのあとに序でに出る意味のない発音癖です。
 例がわ〜るいのですが、日本語の“秋”は西洋の agri(農耕)と同根だと思います。

 さきに、スペイン語の oso が出たからと、かなり慌てた受け取りが見られましたが、 trapu なんざを観るにつけ、言語の混淆など、どこでどうなっているのか、あっしら如き平凡な頭脳では、どうでんぐり返っても割り切れない「あまた(余多)」があるようです。
 先々、くずさん並みの頭脳なら、きっと快刀乱麻がいただけるものと、小生は確信できます。
 言語現象は 730万人ぐらいの天才をそだてて、そのうち 73万人ぐらいが言語に取組んでもらえば、次々と快刀乱麻に恵まれ、宗教家どうしの殺し合いも消えてなくなる……これも確信できます。 たいして時間はかかりません。 35年あればいいのです。

[5037] Re[5036]:  鹿と鹿島の語源     かっぽれ 2009/06/02(Tue) 22:57 [Reply]
> ネパール語で sikar は猟で、sikari は狩人です。日本語の狩りやマタギのシカリ(狩人のトップ)はこれが起源だと思います。

うーむ、残念ながらそれは無理だと思います。
前にも書いた記憶がありますが、インドに1526年から1858年まで存続したイスラム王朝ムガル帝国時代には、公用語はペルシア語、ウルドゥ語、チャガタイ語でありました。突如マイナーになったヒンディー語はこれらの言語から大量の語彙や文法を借用し、人々はこれらのチャンポン語(ウルドゥン語)を話していたという記録があります。この影響はもちろんネパール語に流れていったわけですから、ネパール語も大量のペルシア語起源の借用語を抱えています。

sikarやsikariもその種の語彙で、近代ペルシア語(shikaar)からの借用語彙。これが中期ペルシア語では(shkaar)だったので、近代ペルシア語から流入したのは明らかなんです。sikar⇒sikariに見える接尾辞(-i)が実はセム系の特徴であり、セム系アラビア語から印欧系ペルシア語に取り入れられた。これはなんといってもイスラム教を通じてでしょうね。

やはりネパール語の文法とか文化を学ばれたほうがいいと思いますが。

[5036]  鹿と鹿島の語源     生田淳一郎 2009/06/02(Tue) 09:03 [Reply]
 ここにきて、オレ、「アレッ!?」となってアワ喰っています。
 アイヌ語の「狩猟」は何だったか……、シランとです。

 カジカは「川・鹿」でしょう。へば(津軽弁)、鹿の語源はナニぞ、ということで存念をぶちまけさせてもらいます。
 アイヌ語の冬は mata , matapa( pa は期間)というのですが、これは「狩り」の季節で、ボサ(薮)が少ないとき、冬眠ちゅうの熊を狙うからでしょう。ところが「 mata =狩り」の語はアイヌ語としては無いのです。
 へば、この mata はどこからきたかというと、東北のマタギのマタ以外には考えられません。

 ただし、マタギの語源はちょと置いといて……、です。

 ネパール語で sikar は猟で、sikari は狩人です。日本語の狩りやマタギのシカリ(狩人のトップ)はこれが起源だと思います。
 いっぽう、sikhar(頂き、頂上)という語があって、これが横一列のマタギ仲間ではなく、トップとしてのシカリの座を決めたのでしょう。
 シカリベツという湖や川が北海道にあります。これをアイヌ語で分析すると「大きな曲折」となって、現地の形状には合いません。

 日本にチャクラという語形で「王」が入ってきているようです。チャなどという発音は日本では流行りませんので、これはカクラ(加倉)となっている。成田と岩槻にあります。
 タジク語に t∫a∫m(目)、t∫a∫ma(泉)があって、これは日本語グセではカシマになるはずです。casima は東南アジア諸国〜インドで「メガネ」です。
 文字を“鹿”島と宛てた神宮が出現したので、何でもなかった鹿が、神獣とか慶字となって崇められるようになった。どな。

 《 余談 》。茶臼山の語源は、この チャ かな? / 銚子の滝。

[5035]   辞 書 編 纂 の 遅 れ    生田淳一郎 2009/06/02(Tue) 07:26 [Reply]
  「……だ」と、断言できないのは、オレがシロートだからですが、タガログ語もインドネシア語もおおいに辞書編纂がおくれたの「ダ」と思っています。
 30年前、フィリピンに行って買ってきた Philipino-English , English-Philipino なる辞書は、解説文もなく、なにか分からぬままにオレ、「タガログ語」として掲出していましたら、ルソン島出身の人から「そんなタガログ語はないよ」と云われたことがありました。
 そのご仁に「では、この辞書には karn(肉)があるが、これはタガログ語固有ですか?」と訊いたところ、「固有だ」と云っていました。カーニバルの karn ですが、これもアイヌの熊(肉を背負ってやってくる……カムイ)にも重なりそう。

 この辞書はかなり広範囲の島々の語彙を掲出しているのではないかと思われます。
 フィリピンには 13系統に別れた 150の言語があるそうです。

 しかし、村山七郎さんも、oso系のことには触れていらっしゃいました。

フィリピン・タがログ語(?)
★ aso      犬       AW ; oso(かわおそなど) A ; iso(熊)
★ oso       熊                         〃
台湾アミ語
watso      犬

 辞書編纂が大幅に遅れたのは、やっぱ、外来語の層が物凄く、どれが“固有”か借用かが掴みようもなかったからだと思います。しかし、ここにきて「とにかく現地人が用いている語彙を総出ししてみよう」となったのでしょう。たいした進歩です。
 彼の地は戦後 60年間も、日本のように平穏ではなかったのですが、それでも、ここまで漕ぎつけたは、曲りなりにも平和のお陰だと思います。

★ くずさん、カジカのこと、有り難うございました。オレ、まったく知りませんでした。
 古代人は、ロか大きいので、あの小魚が鳴いてるんだと思ったんでしょうかね。

[5034] Re[5032]:  イ ソ     かっぽれ 2009/06/02(Tue) 00:45 [Reply]
くずさん
>フィリピン諸島まではマレーグマが生息していないようなので、
>なじみのない熊にスペインからの借用語があてられても不思議はないと思いますが、
>それ以外の身近な動物であったり、お隣で熊の住むマレーシアの言葉にはそのoso系があるのでしょうかね?

インドネシア語やマレー語、タガログ語のかなり大きな辞書を調べても、そのような語彙は見つかりませんでした。
もし生田さんの辞書に載っていたとすれば、引用元を明らかにされると助かります。
>★ タガログ語に多いのですが、南方には 馬や牛ほどの大きい動物ではなく、犬、キツネ、などの四つ足を総称する waso, watso , oso 系があります。カワオソなどもこの系統かと。

タガログ語に「多い」のなら、もう少し例を挙げてください>生田さん
ひょっとして、タガログ語の犬asoと熊osoからの推理ということでは?
ちなみに、aso(犬)はオーストロネシア祖語まで遡ることができます。
参考サイト:オーストロネシア祖語
http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/language.php?id=280
参考サイト:オーストロネシア諸語の「犬」
http://language.psy.auckland.ac.nz/austronesian/word.php?v=96

[5033] Re[5032][5028][5027][5026]:  イ ソ     佐々木 2009/06/01(Mon) 19:48 [Reply]
>マレーグマ
 外見的には、犬に似ていますね。学名はHelarctos malayanus。
 日本人が思いつくクマは、ツキノワクマはUrsus thibetanus、ヒグマはUrsus arctosで属が違うのですね。
 ツキノワは本州四国、ヒグマは北海道以北とすみわけが明確ですね。
 紋ちゃん。九州には熊はおらんとよぉ。

[5032] Re[5028][5027][5026]:  イ ソ     くず 2009/06/01(Mon) 18:13 [Reply]
かっぽれさん、初めまして
> そうですね。タガログ語にはスペイン語からの借用が約4000語あります。
タガログ語とスペイン語との関係を下記サイトで見ましたが、
生田さんが言われる中型哺乳類のwaso、watso、oso系を確認できませんでした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tagalog_loanwords
フィリピン諸島まではマレーグマが生息していないようなので、
なじみのない熊にスペインからの借用語があてられても不思議はないと思いますが、
それ以外の身近な動物であったり、お隣で熊の住むマレーシアの言葉にはそのoso系があるのでしょうかね?

>[5030]サンスクリットのaruna(夜明け)
アルナは金星とも見られますね。
以前サンスクリットの語彙を見たとき、言葉の豊富さ、多様さに驚きました^^
土着の言葉も沢山収録されているのではないでしょうか。
アーリア人の侵入以前に栄えたインダス文明はドラヴィダ系の言葉が使われていたと言われます。
インダス文明の担い手は、イランの古エラム文明の人々であったのではないかという研究があり、
系統不明のエラム語ですが、インドヨーロッパ語族とは類縁になくドラヴィダ系と推察する見方もあるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%A0%E8%AA%9E
大野晋さんが日本語と関係を持つと唱えられたタミル語はこのドラヴィダ語族に含まれますが、
少し面白い事にフィンランド語と、このドラヴィダ語(古エラム語起源)に関係があるとする研究もあります。
http://www.geocities.com/Athens/Forum/4737/dravid1.html
個人的青草ですが、この言語系(古エラム語に繋がる)は生田さんも興味を持たれるスンダランドに起源があるのではないかと思っています^^

[5031] Re[5030][5029]:   ス オ ミ 語     かっぽれ 2009/06/01(Mon) 14:13 [Reply]
すみません、間違えました。
> ヒョッコセは漢字で書けば「赫居世」。赫の読みヒョク(혁)と次のコ(거)の語頭のk音が重なるので撥音になるわけです。

上の文中
誤)撥音
正)促音

[5030] Re[5029]:   ス オ ミ 語     かっぽれ 2009/06/01(Mon) 13:37 [Reply]
> 安本美典著『日本語の誕生』巻末 基礎 200語彙対比表によって、フィンランド語には aurinko(太陽)がることに注目していました。これはオーストラリア・アボリジニ語の allunga(太陽)、ネパール語の arun(明け方)と同根のはずです。

フィンランド語やアボリジニ語はパスして、ネパール語arun(明け方)の語源について少し。
これはヒンドゥー神話の神名から取られていますから、元はサンスクリットのaruna(夜明け)ですね。その神話では、太陽の神surya(ネパール語surje)は7頭立て馬車で天空を駆けていることになっていて、その御者がaruna(女神)。つまり、夜明けarunaが「露払い」役、その後にsurya(太陽)が来て朝になるというスケールの大きな物語です。

> ありゃ、前後しました。新羅初代王は四つの名前を持っています。その一つがヒョッコセです。いくら朝鮮語でも、こんな変わった発音は少ないと思います。この「ヒョク」は日置やヒョットコと同根ではないでしょうか。

ヒョッコセは漢字で書けば「赫居世」。赫の読みヒョク(혁)と次のコ(거)の語頭のk音が重なるので撥音になるわけです。確かにこのk-k組み合わせは多くはないようで、革卦ぐらいですか。ただし、ヒョク自体は革や赫(中国でもヒョク)の読みとして、「革命」혁명などに使われてます。

[5029]   ス オ ミ 語     生田淳一郎 2009/06/01(Mon) 10:36 [Reply]
小生のガール・フレンドがフィンランドまで行くといいます。そこで「辞書買ってきてくれ」と、ことづけました。
 すると「スオミ語」というんですね。観光客向きの携帯会話用の小さな辞書を貰いました。

 見てビックリ。まっ先に hyokata(アタック、母音の上に“・・”あり)が目にとびこんできたんです。ヤマト・タケルといいますが、タケルは英語のタックルと同根の dakhal(侵入、攻撃)だと踏んでいたからです。
 ありゃ、前後しました。新羅初代王は四つの名前を持っています。その一つがヒョッコセです。いくら朝鮮語でも、こんな変わった発音は少ないと思います。この「ヒョク」は日置やヒョットコと同根ではないでしょうか。

 安本美典著『日本語の誕生』巻末 基礎 200語彙対比表によって、フィンランド語には aurinko(太陽)がることに注目していました。これはオーストラリア・アボリジニ語の allunga(太陽)、ネパール語の arun(明け方)と同根のはずです。

 日本語はフィノ・ウグ−ル語派に属するともいわれました。そして孤立言語だとも。
その他、目についたものをあげますと、夜は yo、「夜っぴいて」は yopya ですって !
 数詞の 1 は yk。これはタジク語の яk(発音は、ほとんどイク)で、赤道帯にズラリ共通の ek(1)に繋がります。頭はパア…… paa。
 おもしろいのに asuka (意味は住民。母音の上には・・はない)があります。

> 八頭郡八頭町(八上)に伝わり、太陽神天照大神を伊勢ヶ平まで導いた兎の伝承が伝わるそうです。
★ シュメル語かセミチック・バビロニア語に ウル・サグ(意味は領主?)というのがあるのではないでしょうか。川崎真治さんがなにか書いていました。これと朝鮮語の thoki(うさぎ)が、物語りをでっちあげているような気がするのですが……。神官さんたちは、すぐに御神酒飲むので……。

[5028] Re[5027][5026]:  イ ソ     かっぽれ 2009/06/01(Mon) 01:36 [Reply]
くずさん、初めまして
> タガログ語ですと、植民支配をしたスペイン語でも熊:osoなのでそちらからの影響があったのでは?

そうですね。タガログ語にはスペイン語からの借用が約4000語あります。
また、インドネシア語はさらに借用語の割合が高く、古くはサンスクリット、植民地時代の宗主国オランダ語、イスラム教になってからのアラビア語からの流入が激しく、同系統のマレー語と比べることにより外来語の借用がよくわかります。

参考サイト:インドネシア語の中の借用語例
http://en.wikipedia.org/wiki/Loan_words_in_Indonesian


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