青草掲示板ログ平二十一年 九月 2009.9
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[5248] Re[5247][5244][5242]: 潮来試論  大三元 2009/09/30(Wed) 21:40 [Reply]
神奈備さん

自己批判不足で浅薄な書込みで、削除のお手間を煩わしました。

> 行方郡に「痛く殺る」とあり、これを伊多久の郷としています。そのようなお話の次ぎに「板来」の南の海に洲があるとあります。久は来としていいのでは・・

とすると、「いた」=「潮」(茨城の古言)「く」=「来る」で海水がここら辺まで来る、という意味にとるのでしょうね。

[5247] Re[5244][5242]: 潮来試論  神奈備 2009/09/29(Tue) 20:59 [Reply]
> 「いた」=「潮」(茨城の古言) というアプローチが穏当のようですね。
> 常陸風土記では「伊多久」とあり、この「久(く)」が何なのか「来る」で良いのかまだ良く判りませんけど。

行方郡に「痛く殺る」とあり、これを伊多久の郷としています。そのようなお話の次ぎに「板来」の南の海に洲があるとあります。久は来としていいのでは・・

[5246] Re[5245][5244][5242]: 潮来試論  大三元 2009/09/29(Tue) 18:23 [Reply]
琉球松さん

失礼してます・・・

>  「潮」が茨城の古言で「イタ」だとしても、やはり原型はアイヌ語のような気がしますがどうでしょうか。

思い当たりません。

>  「潮」を「イタ」と読む例は聞かないし、琉球方言ではかすりもしないんですよ。

茨城の古言で「潮」、静岡の方言で「波の静かなこと」という意味だそうです(東条操編「全国方言辞典」)。

[5245] Re[5244][5242]: 潮来試論  琉球松 2009/09/29(Tue) 16:51 [Reply]
 大三元さんへ

 「潮」が茨城の古言で「イタ」だとしても、やはり原型はアイヌ語のような気がしますがどうでしょうか。

 「潮」を「イタ」と読む例は聞かないし、琉球方言ではかすりもしないんですよ。

[5244] Re[5242]: 潮来試論  大三元 2009/09/29(Tue) 16:40 [Reply]
> 潮来 と書いて何故 イタコと読むのか をアイヌ語で考えた試論。

全然滅茶苦茶なハナシですね。前言撤回! 削除してください。

「いた」=「潮」(茨城の古言) というアプローチが穏当のようですね。
常陸風土記では「伊多久」とあり、この「久(く)」が何なのか「来る」で良いのかまだ良く判りませんけど。

[5243] Re[5242]: 潮来試論  琉球松 2009/09/29(Tue) 11:58 [Reply]
 大三元、待ってました!!

 "ika-to 近道する・湖" "堤防から水が溢れる湖"。。。これは説得力ありますね。さらに地形とも考え合わせれば、地名があてられた時期があかるかもせれません。

 また「潮来」の字からは、伊勢の「シキ波寄せる所」とも思えますが、地元の方の実感はどうなんでしょうかね?

[5241] Re[5239][5238]: 淡淡と  琉球松 2009/09/26(Sat) 09:50 [Reply]
 神奈備さん、ありがとうございます。言葉は深いですね。

 淡路島と琵琶湖の大きさですけど、航空写真や測量器我なくても経験上把握できるでしょうね。

「ナルコ」に関しては、朝鮮語の「ナル(太陽)」意外に解釈のしようがありません。

[5240]   大岩が うごいた      ジュンキロ  2009/09/26(Sat) 08:38 [Reply]
儂は 11年前、洋の東西にわだかまる大岩をどけた。
 ところが、 3週間ほど前、埼玉県東松山市でのど自慢で紹介されたのが箭弓(やきゅう)神社だった。
 かねがね武蔵一宮の氷川神社が「タカハナ(高鼻)町」にあることや、 pana(弓・矢)というタガログ語、インドネシア語に注目していたので、この「箭弓」は聞きのがせなかった。
 いちおうのことを同神社社務所に電話で通報したあと、資料をまとめていたところ、タガログ語・インドネシア語の弓矢が台湾を通過している事実を掴んだ。

 これで沖縄のマース(塩)や秀吉の愛人ネネなどが完全に南方と繋がったと思う。
 詳しくは『紋流 言語考古学』を見てちょ。

★ 伊豆の山の中に「エサシの峰」があるよ。
 「アイヌ語 san は“浜に出る(出ている)”と解釈すべし」は知里真志保の強い主張でした。それを適用したら、sagar-mi(海神 = 相模)と関係が出るのではないでしょうか。
★ 花をあしらった社紋を持つ神社は、いちおう南方系だと見ていいのでは?
 箭弓神社は「ぼたん」だそうです。 

★  淳一郎 → ジュンチロ 転じて ジュンキロ たい。ジュンキロはネパール語で「お月さま・虫」のホタル。ホタルはアイヌ語で nin nin keppo(消え消えするもの)。

[5239] Re[5238]: 淡淡と  神奈備 2009/09/25(Fri) 11:42 [Reply]
これを応用すると、たとえば茨城県の「潮来」はアイヌ語?で「潮来るイタック」なんて言葉があったかも?

 吉本隆明(バナナパパ)さんの言語論の中でしたか、サネサシの相模のサネサシとはアイヌ語の相模のことで、縄文人と弥生人とが共生していた証となる言葉としていました。
 サネサシは岬や山が海岸まで来ているところの意味のエサシを含んだ縄文語の可能性を大三元さんは指摘されています。
http://www.dai3gen.net/mails6.htm

 江差(北海道)、餌差(大阪市 高津高校、和歌山市;日前宮の西)など、海岸に突き出ていたと思わせる場所の地名のようです。


> 「潮来るイタック」
 よりは、「イタックの潮来」。

>「モト」は「本・元・基」など、根源的とも解釈可能でしょうか。

 「テルコ・ナルコ」とは、「照コ、照コ」であり、照照コ=テルテル坊主?

 モトは根元のモトとすれば、生えてくる、生まれ出る、と言う意味を含んでいるように思います。根元に関わる言葉。

[5238] Re[5237][5236][5235][5234]: 淡淡と  琉球松 2009/09/24(Thu) 17:55 [Reply]
 AポイントからBポイントの方向は日の出、BポイントからCポイントもまたしかりで、淡路島〜柏原市〜法隆寺〜・・・が直線になるのは自然ですね。

 谷川健一さんの著書に「日の下(本?)のクサカ」という言葉があったんじゃないかとの説が紹介されています。これは「飛ぶ鳥のアスカ」「春日のカスガ」など枕詞の字が地名に当てられているとの見方に説得力あります。

 これを応用すると、たとえば茨城県の「潮来」はアイヌ語?で「潮来るイタック」なんて言葉があったかも?

 それと、「下照比売」を「モトテルヒメ」と読むのはチョット感動です。奄美沖縄の神歌には「テルコ・ナルコ(コは人を表すか)」が出ていて、"ヤマトのヘソ(中心)の生まれの女神" を連想します。
 「モト」は「本・元・基」など、根源的とも解釈可能でしょうか。

[5237] Re[5236][5235][5234]: 淡淡と  神奈備 2009/09/24(Thu) 09:31 [Reply]
>  淡路から見て難波は、太陽の上る方向ですが、さらに東には「日下(日本?)」がありますね。

 淡路島の北端の真東は、大阪では柏原市、奈良では法隆寺あたりになります。春分の日以降には日の出の方向になります。

 日下はヒノモトです。難波の女神と言ってもいいと思われる下照比売も読み方はモトテルヒメが本来なのかも。
 奈良県のJR巻向駅の北側に草川と言う地名があります。これも草香の名残なのかもと、谷川健一さんが指摘されています。

 それがどんどん東に行ったようです。豊臣秀吉が北条征伐の時に ねね殿 に出した手紙の中で奥州のことを日本と呼んでいるのがあったと記憶しています。

 倭国が日本を吸収したのか、日本が倭国を吸収したのか、唐の史書でも見解が別れていますね。この国全体を日本とする認識と奥羽を日本と言う風習が根強く残っていたのでしょう。

[5236] Re[5235][5234]: 淡淡と  琉球松 2009/09/23(Wed) 22:37 [Reply]
書き直し。。。。(笑)

 「難波・浪速・浪花」の語源「ナニワ・ナニハ」は、朝鮮語の「ナル(太陽)ニワ(入り口・門 etc )」との説があります。

 淡路から見て難波は、太陽の上る方向ですが、さらに東には「日下(日本?)」がありますね。

[5234] 淡淡と  神奈備 2009/09/23(Wed) 20:38 [Reply]
 イザナギとイザナミの墓所の伝説は以下の通り。
 『古事記』イザナミ神は出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りき。出雲国意宇郡久米神社
 『古事記』イザナギ大神は淡海の多賀に坐すなり。
 『日本書記』一書第五 イザナミ尊・・は紀伊の国の熊野の有馬村に葬った。花窟神社
 『日本書記』素盞嗚尊の誓約 イザナギ尊は幽宮を淡路の地に造って静かに永く隠れられた。

 式内社近江国犬上郡 多何神社2座 現在のお多賀さん。
 式内社淡路國津名郡 伊佐奈伎神社(名神大)

 熊野から淡海と淡道とはほぼ等距離です。それはともかく、淡海と淡道は共に国生みの神々が隠れた地と云うことです。
 さて、淡路島と琵琶湖は逆さまにしますとよく似ている形をしているのはよく言われてきたことです。傾きのほぼ同じです。点対称の相似形と言うことです。昔の漢字の表現では淡道と淡海です。これもよく似ています。恐らくは古代の人々もそれを判っていたのでしょう。

 この淡海の水が淀川を流れて難波の海に流れ込み、やがては淡道(淡路島)に到達します。いわばイザナミとイザナギの想いがつながるのが難波の海となります。国生みの行為は継続しているのです。ここに島々が生成されて来て、西生郡・東生郡と言う地名が誕生したのでしょう。八十島祭りも行われました。

 難波の海は甦りの海とも言われるそうですが、大阪湾に近い海は酸欠気味で、死の海になりつつあることが懸念されます。

[5233]   ユサ張りとは     生田淳一郎 2009/09/15(Tue) 13:26 [Reply]
 誤解させたようだね。ごめん。
 ユサ張りとはテント(pal)張りのように「ユサを張る」というサンカ用語にかけた意味もあるが、 bal には「力」があるので、それを言いだしたんです。紙面が少なくなったので舌足らずを犯しました。
 「ユ・サの風圧、ベクトル」ということです。一般市民に箝口令を敷く……。それは、ひとにぎりの有力者どもの代表で、知能指数が飛びっきりいいやつらの策謀ではなかったのか……を言いたいのです。「ユサ張り」を使って、どういう表現にするか、なるかは、こんごの実例を見ておくれ。
 なんぼ儂でも人がいやがることは、続けないよ。

★ 共産党宣言が出て 160年。途中で暴力の嵐(戦争・スターリンの独裁)が吹き荒れるという不幸があったが、その頃の人びとはいっしょ懸命になって「あるべき人間像」を探し求めていた。
 そのとき、 D.N.A.様という概念があったら、事態はどうなっていたろうか。
 多くの宗教家が支持する共産主義とか共産党というのは、「個人、集団による精神文明諸ジャンルの追求がおおらかに認められ、許されている社会」だったことだろう。
 革命が終わったら、素晴らしい暮らしが待っていたはずだった。ところが、「エポックを画される前のやりかた」は、ほとんど全然変わらない(アンシャン・レジーム)。
 どういうことかというと、人間が自然にはたらきかけてメシを食うというやり方が違わなかったんであ〜る。そこには D.N.A.様が厳然と支配していた。
 新しい人間の在り方を求めて、いろんな想念が提示される。が、そこから 「まず、われわれは共にD.N.A.様を奉戴する生き物である」との共通諒解を、さし引こうということ。
 カソリックが進化論を容認した今、曾ての共産主義者たちに、もういちど考えなおしてもらいたい。
 宗教家団体が「私たちは共産主義を支持します」とデモったとき、子供みたいな顔をしていたトップは「へッ、宗教だなんて阿片じゃないか」ぐらいな反応しかできなかった。
 もういちど、トルストイさんやドストイェフスキーさんたちに考える場を与えたい。

[5232] Re[5231]:   アンシャン・レジーム 1      神奈備 2009/09/14(Mon) 19:28 [Reply]
>  そうだ、ぞうさん、今から先は「ユサ張り」とやろうかねぇ。
>  儂もここ20年間、一級身体障害者、カタワだが、あんた、知っちょった?
>  儂が言わんで、誰がいう……の線もあるとですよ。今のカタワは威張りすぎちょる紋ね。

 この台詞がZOUさんの抗議への返事とすれば確かに本人が身体障害者だと威張りすぎですね。お子さんもそうであっても同じですか。そうでなければ自分の掲示板でサヴァン症を差別をして下さい。

[5231]   アンシャン・レジーム 1      生田淳一郎 2009/09/14(Mon) 17:48 [Reply]
 ふつう「ユイ(結い、由比)」というのを長野県北部でエーイ(≒ 家?)と発音するを知ったときは、かなり感動しました。
 家族とかユイで固めた血族集団のあいだに産業とか商業で優劣が起ってきます。それらのトップに王が座り、地方の旦那衆に君臨します。王はどうしていいか分らぬので、とりまき連に占い師(神官僧侶)を控えさせる。
 これをヨ−ロッパの歴史でみると、国と国との抗争が熾烈化してくると、地方ごとの有力血族が「オレたちがいないことには、国もヘチマもねぇだろうが」と言う発言がハバを利かせるようになって 1789年、フランス革命がおこりました。旦那衆による王族・神官僧侶階級の追放です。
 その結果、だれでもゼニは無制限に儲けてもいいとなった。こんなベラボーがあってたまるか。
 アメリカ大陸でも民主主義がすすみ、旧大陸内では議会制民主主義がすすみました。
 ロシアやシナでは封建社会の旧権力が、大衆の名を借りた暴力団によって倒されました。
 世をあげて、大衆を大事にするムードがいやがうえにも盛り上がりました。
 この結果は婦人にも奴隷にでも選挙権が付与され、“茶”人種の大統領までが生まれるところとなったのですが、ここには劇的な革命とは意識されなかったが、重大な革命が進行していました。
 一般市民の数のうえでの洪水みたいな増加です。市民社会の誕生です。
 片や無制限にゼニを儲ける連中 / 片や無産のプロレタリア。
 ゼニ持った一族は、いいヨメさんもらうので、遺伝因子もいいものとなる。
 心身に異常を持つ劣勢遺伝子は無産の民のほうに現れる。
 飴とムチ。騙しのマインド・コントロール……飼い殺し。時間流しのケインズ経済学。

 お隣の韓国大統領が 2ヶ月ほど前、奨学金にしておくれと、私財 25億円をポンと献金したが、麻生太郎しゃんな、シランッぷりができた。自他ともに、意識がへんなジンクスの渦の中を漂っているからです。
 太郎しゃんよ、麻生一家よ、献金しとうなかったら、それでんヨカろうたい。ばってん、筑豊のシェキ(関)の山をかえせ。香春岳を元に戻せェ〜!!

 「民衆をダイジにしよう」の掛け声は、「おちこぼれを救おう」となりました。それが正義という美名になる。
 いまや、優生学の“ユ”の字すら喋っちゃいけないことになりました。同時に差別の“サ”の字も箝口令が敷かれました。こんな生き物……、いままで居たかね。
 そうだ、ぞうさん、今から先は「ユサ張り」とやろうかねぇ。
 儂もここ20年間、一級身体障害者、カタワだが、あんた、知っちょった?
 儂が言わんで、誰がいう……の線もあるとですよ。今のカタワは威張りすぎちょる紋ね。

[5230] Re[5222]:   宗教家たち曰く「私たちは共産党を支持します」    ZOU [Url] 2009/09/13(Sun) 02:42 [Reply]
生田さんへ

>  新聞社の中枢要員といえど、その 20年か 30年前、○×式暗記で入社試験にパスした人びとばかりで、「総合力や判断力が欠如したサヴァン症患者だ」と言ったほうが早いような連中ではないでしょうか。

上記引用は、
『新聞社の中枢要員』を『・・・サヴァン症患者だ』という言葉を用いて
批判していらっしゃるように読み取れます。
また、上記以外にも、

『青草談話室[5154] ムス …… 1 2009/07/20(Mon) 18:01』
『青草談話室[5083] 自然の音を五十音で どう聴き取るか 2009/06/15(Mon) 07:58』
『青草談話室[4914]  結集させた給付金で 天才を育てましょう 2009/03/24(Tue) 18:44』

などの書き込みにて、
『サヴァン症』『サヴァン野郎』という言葉を複数回お使いでしたが、
好意的に受け取れるものではありませんでした。

『サヴァン症(症候群)』は、
広汎性発達障害のうち知的障害や自閉症の人に現れる特性の1つを表す言葉であり、
上記引用のように他者への批判的評価に用いる言葉ではないと考えます。
発達障害やさまざまな病気への誤解を広げないためにも、
上記引用に類する文章表現はお控え下さるようお願いいたします。

[5229]  水の分子結合       生田淳一郎 2009/09/12(Sat) 07:16 [Reply]
 ここ数回の儂の記述は、おしまいには「共産主義的人間」という概念にもって行きたかったとです。少し、粘着性ある流動体なので、ちょっと気長に見ておくれやっしゃ。

 「藤原ナントカさん」で通じたようですね。名前わすれたとです。その名前を確認しようと思ったら 2mも先にある本箱まで“しざって”行かねばならんとです。
 「おらぁ、藤原だ、といえば、この日本ではまだまだリクツ抜きで通用できる」という許容が自他ともに遺っているのかな? そこも少し強調したいところです。
 田中角栄さんのお穣ちゃんも、マキ子だか、マキコだかしらんとです。

 意識というものは、あっちでチョボチョボ、こっちでチョボチョボ……ちょうど、水の分子がくっつきあうような概念の連鎖を結びます。これをクラスターとかいうらしいですナ。
 われわれの意識も、この単位にまで降りてゆけそう……というよか、将来は多くの天才さんたちのアドヴァイスで、分析用の言語が発達して、地球の裏っ側みたいなところで巣食っているクラスターをつまみだして、これを活用することだと、儂はおもいます。
 いやさ、今でも、アイディアなどというシロモノは、別天地みたいなところにある text を利用している……としかなるめぇ〜イヨッ♂

 「わしが拝んだら、琵琶湖の水のクラスターが歴然とちがって来たヨ」と、儂に告げたのが密教と仏教の泰斗・加藤喜八郎さんでした。加藤喜八郎さんはわが枕頭を 7〜8回は尋ねてこられたことだったでしたか。
 いつもは、一升瓶の焼酎を二人で平らげるのが常でした。
 その加藤喜八郎さんが、これまた大の共産主義支持者でした。
 密教だなんて、コトバではわかりづらい。だが共産主義という概念ならことばでジャカスカ運べま。

[5228] Re[5226]:  なんでェ〜〜??  琉球松 2009/09/11(Fri) 23:22 [Reply]
 生田淳一郎さん、違いますよ。

 この掲示板の要請ではないのではと言いたいわけです。
 

[5227] Re[5222]:   宗教家たち曰く「私たちは共産党を支持します」    多美 2009/09/11(Fri) 20:25 [Reply]

>  幕末。藤原ナントカさんが賞賛するサムライたちは、

藤原ナントカ?

「国家の品格」200万部の藤原正彦(小説家新田次郎の息子)のことでしょうか?
実名をあげた方が良いと思います。

老婆心ながら

[5226]  なんでェ〜〜??  生田淳一郎 2009/09/11(Fri) 19:06 [Reply]
 なんで、これが“政治”だと決めつけられるのか……?? 

 ウンジュがどなたかさんにブラ下がってる佇まい……、それは政治じゃないと言えるのかね?

 あ。ムゴイこと言うたかナ?

 とまれ、神奈備ドンは、儂の書き込みを消さないアマカネ

[5225] 無題  琉球松 2009/09/11(Fri) 18:05 [Reply]
 生田淳一郎さん、政治の話は控えたほうがいいんじゃないでしょうか。

[5224]  ミッチ−が自民党を出たり入ったりした日   生田淳一郎 2009/09/11(Fri) 07:43 [Reply]
 渡辺よしみさんのご尊父、通称わたなべのミッチ−さんが、朝、自民党を出て昼すぎにふたたび自民党に舞い戻ったという事件がありました。4月の22日だったか。
 さすが不思議に思ったのでしょう、ある新聞記者が、ちょうどなにかの会合に出ていた田中角栄さんの娘さんをつかまえて「どうおもいますか?」と、マイクを向けました。
 すると、このお嬢さんは 「もう、こうなったら次の選挙では、ナニが何でも自民党が勝利しなくちゃならない。さっそくにも交通違反の揉み消しなど、やりたい者はやったがいい」と、言ったのです。

 交通違反の揉み消し……じゃとォ〜? 
 代議仕などと顔がつながっている・いないで適用される法で差別を容認するとは!
 「法のもとの平等」を自ら蹂躙してはばからない此の態度は絶対に許されてはなるまい。
 儂もバカだった。そのことを朝日新聞に投書したんです。
 あとで考えたら、街中を新聞社の旗をなびかせて走っているクルマは、代議士に交通違反の揉み消しばかりをやってもらっていた(と惟ふ)。
 投書がボツになったことを知った儂は、記者の溜り場に電話しましたが、すでにゴールデン・ウイーク直前で、多くの記者は連休を先取りしていて、メンバー不足で手がまわらない。
 そこへ、台湾から飛んできたヒコーキが羽田で墜落した。 

 、儂は、こんどは共産党のアカハタに電話しました。T という男が応接しました。
 その Tへ「あんたらぁ、モタモタしてたら石ぶっつけるので覚悟してやれ」とまで告げたのでしたが、結局はアカハタも共産党も、ナァ〜ンにもしないままだったんです。

 斯様にして、田中の娘は儂の虎口を逃れたのでした。
 これは「報道陣のクサレ現象だ」としか言いようがありません。むろん、田中の娘も腐っているんです。いちばん腐っているのは、斯様な追求をまったくしない一般庶民でっしゃろナ。

[5223] Re[5218]: 告知  琉球松 2009/09/10(Thu) 22:52 [Reply]
 BS朝日としましたが、CS朝日とのことでした。ケーブルTVですので多くの方はご覧になれそうにありません。

[5222]   宗教家たち曰く「私たちは共産党を支持します」    生田淳一郎 2009/09/10(Thu) 10:17 [Reply]
 いまから、約十年前、神田神保町から小川町にかけて、 50名内外の紳士たちがプラカードを持ってデモしました。この年を覚えていたらよかったのでしたが、忘れました。
 新聞で調べるときは 3月 10日で割りだせます。陸軍記念日なので覚えているんです。
 プラカードには「私たちは共産党を支持します」という文字と、自らの宗教団体の名前が書かれていました。

 十数の宗教団体が意思表示をしたかと思えます。
 これは日本だけではなく、人類史のうえでも画期的なできごとでしょう。
 これもご推察のとおり、うやむやの裡に葬り去られたのですが、ナニがどうなっているかっと言ったって、これは報道陣の脳ミソが 50年も前の風倒木のように腐れきっているからだとしか言いようがありません。各新聞社には社説を書く中枢がありますが、その中枢部までが腐れきっているわけです。
 
 儂が経験したうちで、いちばんヒデェのは 1996年 9月23日づけの「カソリックの法皇による進化論容認宣言」でした(先日、13年目と書いたのは間違いでした。1ヶ月早やすぎた)
 こんな大事件は、号外を出し、大見出しで報道すべきでしょうが、実際には新聞紙の片隅にちょっとだけ、それも一日で消えてしまいました。
 つい最近もちょっとした社長さんと話したのですが「カソリックが進化論を受入れたなんざは、まったく知らなかった」と、驚いていました。
 まだ、高校の教科書にも載っていないのではないでしょうか。
 新聞社の中枢要員といえど、その 20年か 30年前、○×式暗記で入社試験にパスした人びとばかりで、「総合力や判断力が欠如したサヴァン症患者だ」と言ったほうが早いような連中ではないでしょうか。
 幕末。藤原ナントカさんが賞賛するサムライたちは、てめぇの身の保全ばかりを考えるクサレに堕していましたが、その精神的伝統は、今、「ゼニもらいサラリーマン」に生きている。
 
 報道にたずさらる者が○×サヴァン症患者だということで、天職の義務を「不作為」すれば、消防士が放火し、警察官が強盗をはたらくと同罪だと言うべけれんや。

[5221]  下 5220 への追補     生田淳一郎 2009/09/09(Wed) 07:58 [Reply]
★ その写真を親友の塩田に見せたところ、塩田はつよく「それはカビだ」と主張していました。ふむ、ふむ、そういうこともあるかもしれない……。
 ところが、半年ほど経ったころ現像してくれたその写真屋さんへ出向いたところ、そこの主人が儂の顔をみて「貴方でしたヨね、背中にツノを持った人物の写真が出た人は……」と訊いてくるのです。
 「どうしたんですか」と聴いたところ、花見に行った別の人の写真にも背中にツノが生えているのが出たんだそうです。
★ この塩田ですが、すでにそのころ、キリスト教のセブンスデイ・アドベンティスト派に入って十年ほど経っていました。今でもその教派にいますので、その一派の指導者になっているはずです。
 こいつが、そのセブンスデイ・アドベンティスト派に集ってきた 200名ぐらいの信者について個人的に追求したのですが、“神についての概念”は、テンデンバラバラで、全部違っていたと、打ち明けてくれました。
 現代では、認識に大幅な振幅があって当然な段階だとおもえます。トコトン話しこんでも、共通なことばが用意されてないのです。
 日本共産党のトップだった宮本顕治と親友だった埴谷雄高も、そういう関係にあって、「相手をできるだけ暖かく包んであげよう」という網張りだったのでは? この二人の関係は目を離すわけには参りません。
★ その、儂が撮った写真はかなり露出不足気味でした。今では大幅に破れましたが、儂の名刺入れにあります。
 十年ほど前に気がついたのでしたが、K田忠夫の頭部は、抜け落ちたように写っていません。
★ Sさんは、もう 15年も前から耳にイヤラシイ雑音が響くようになって、電話もできなくなり、音信不通の関係になりました。耳に雑音が響いているとはいえ、この人は駿才であっても、天才ではないと思っています。座禅なども「個人の資質を高める手段」ぐらいに考えていました。

[5220]  「共産党がいい」と言いました    生田淳一郎 2009/09/08(Tue) 06:51 [Reply]
 儂が 26歳のときでしたか、勤務していたリズムミシンKK で幹部研修が終わり、その打ち上げコンパをやったんです。
 そのとき、明後日になったら惚れて惚れ抜いた恋人と結婚式を挙げれるK田忠夫氏がいました。宮崎県出身の純朴な青年です。それを廣島出身のM が「じゃぁ、オレがセックスの仕方を教えてやる」いうて、膝を突き合わせて手取り足取りで講議し始めたんです。K田は、もう夢中になって「ウン! ウン!」と、聴いています。
 その様子が面白いので、社内報係りだった儂は写真を撮りました。

 白黒写真ですが、それを現像にだしてびっくりしました。背中や脇の下に十本ぐらいの立体的なツノが生えているのです。背中の中央から突き出しているのが一番太く、枝別れしていて鹿のツノそっくりでした。
 儂はそれを持って、目黒区大岡山で開催している「日本心霊協会」の座談会に出かけました。
 そこへ Sさんが来ていたのです。
 千葉大学で経済を、駒沢大学で数学を修めて、その直前に甲府の昇仙峡で開眼(悟り)を済ませたばかりだった人物です。
 Sさんが青年の儂に「近くに長谷川わかという拝み屋がいる、いまどき心霊などまやかしだ。あんた(儂)いっしょに行こうや」と誘っている言葉を聞き付けて、「わしも連れて行っておくれ」と言ったのが渡辺政治さん(検索可)でした。そこへまた、東邦大学の田中千代松先生(検索可)がやってきて、「できるだけ科学的な目で見てくださいよ」と、忠告してくださいました。
 Sさん渡辺さんと、三人で長谷川わかさん宅に押しかけたのですが、そこでミイラ取りのはずだった S さんが、イチコロでケロッとミイラになっちゃった。この話はまた……。
 
 それから数日後、Sさんと儂が並んで電車の座席に腰掛けている前に、渡辺政治さんがやってきて、吊り革につかまりながら、「あんたらは、政党ではどこが一番いいと思ってるの?」と訊きました。
 Sさんはすぐに「それは共産党ですヨ」と、答えました。儂もそれ言おうかと思っていたのでした。
 渡辺さんの反応も「そうか、そうか、やっぱりね」ぐらいのところでした。

[5219]  ひと晩で十歳若返る秘法     生田淳一郎 2009/09/06(Sun) 07:31 [Reply]
  
儂は海外在の経験は乏しいですが、グワムに行ったときとか、沖縄に入院していたとき、何が食べたいといっても、まずオシンコにオミオツケでした。沖縄には福神漬しかなかとです。
 海外で暮らしていると、久しぶりで遭った日本人には、無条件で親友関係が生じるらしいですな。
 ということは、異質な文化に浸っていると、同質が恋しくってタマランようになるのだが、そういった親友関係が「当たり前だ」と意識された時点から、「異質の排斥」が始まるらしい。
 Human being とはどこでも、そういうもんらしい。

 儂がとりわけ関心を向けるのは、じぶんとは異なる異質言語観の持ち主へ対しては、さながら 白血球のなかのA細胞 T細胞の黴菌が、脳の中にマッチロ(白)ケになったみたいになって、それに無検討・無反省のまま「いのちがけで」攻撃する性向です。
 言語に関心を持つ人物など、鐘太鼓たたいて金のわらじ履いて探してちょうどいい「潜在親友」なはずです。が、それが…… A細胞 T細胞のことをのっけから訴えても、やっぱ失敗におわる。
 どうして斯ような悲劇に終わるのか……、ここの原理を抉り出すことに成功しさえすれば、人類バンバンザイでしょう。

 あたまのわ〜るい儂は、“例挙とか直感”しかはたらかないのですが、この A細胞 T細胞現象に答えるひとつが「ひと晩で十歳若がえる秘法」をめぐっての人びとの反応です。
 聴く前は、ぜんいんが頗るつきで、それを知りたがります。
 だが、伝えてしまうと、すぐにそれが「当たり前」の領域事として処理されるらしく、まだ一度も歓喜に満ちた声で「ありがとう」などと電話してきた友人知人はいません。
 それどころか、「おまえさん(儂)、へんなこと言うね」みたいな顔のほうが多い。

 何らかの形でアイデンティティーがぶっ壊れ、ぶっ壊した相手を攻撃しているんだと惟ふんであります。 

 あ、沖縄は 700年前までは「海外」でしたアマカネ。

[5218] 告知  琉球松 2009/09/05(Sat) 22:05 [Reply]
 僕の師匠、名護博教授も出演するTV番組「輝く貝の記憶ー文明をつなぐ青き琉球の島々・琉球朝日放送」がBS朝日で再放送されます。

 邪馬台国南島説は支持できませんが、南からの視点もたまにはいいと思います。

日時は、9月18日(金)22:00〜24:00 です。

[5217]     選  択       生田淳一郎 2009/09/05(Sat) 12:07 [Reply]
 今回の選挙は、「昭和 38年ごろから擡頭してきたた“肉の第一主根化”を、いっそう徹底、先鋭化させた」といえるでしょう。

 日本は明治維新によって、西洋列強を追い抜け追い越せで驀進してきました。国内の民族を中心にした企業が、国民の人脈の骨となり、スジとなって支配機構(ヒエラルキー)を形成してきました。
 戦争中も八紘一宇の経済圏建設のために身体を犠牲にして奮闘するのが美徳とされました。この趨勢は田中角栄まで引き継がれ、経済興隆のために猛烈社員が身を挺してガンバルというスタイルとなっていました。
 儂には、ここにアメリカのせ占領政策〜陰謀がはたらいたと想います。日本の興隆を恐れたアメリカ人の黒幕はがどう画策したのか、具体的なうごきは掴めませんが、昭和の 37年ごろ、それまで毎年、猛烈社員の社交場だった銀座のキャバレーのクリスマスの晩が、急に灯が消えたように、ひっそりとし始めたのでした。
 昭和 35年ごろ、儂はヒコーキで愛媛に行ったことがありますが、見下ろした瀬戸内海には川から幾筋もの白い工場廃液が流れこみ、そこでとれた魚は食べられなくなりました。
 その直後だったか、直前だったか、ヤッチロ湾にイタイイタイ病が発生し、スモン病や光化学スモッグが社会問題になりました。
 「ユダヤに嵌められた」と洩らしましたが、田中角栄はロッキード疑惑で政界を去りました。
 そのとき国民には「経済はモロに健康や環境を破壊するもんだ」という常識が生まれました。
 農村人口比率が低下し、サラリーマンが増えました。
 衆愚政治です。愚衆はいつのまにか「企業は悪だ、健康や長寿こそ最高価値だ」と思いはじめました。
 まもなく、きっとこのツケは廻ってきます。日本企業は軒並みに国際競争力を失い、全国に失業者があふれることでしょう。

[5216]   もつけ と 風落ちリンゴ     生田淳一郎 2009/09/04(Fri) 10:12 [Reply]
ことしもリンゴが突風に煽られて未熟なまま大量に落ちるシーズンになりました。
 儂は職域販売をやってるので、この風落ちリンゴをまとめて職場に入れれば、生産者も消費者も双方とも大いに助かるのではないかと考えて、40年も前からいろいろと画策したもんです。

 結論から先にいうと、この風落ちリンゴは、完熟して採れたリンゴに較べると、賞味期間が平均して半分以下で、家庭にまとめて置いていたらすぐにスが入ったように、スパスパして、職場斡旋などしようもんなら、大不興をかうことが自明なんです。
 しかし、そういうことが本当に解ったのは、まだ 2〜3年まえのことでした。

 当時、儂は「ふだん記・津軽グループ」に所属していました。
 この構想を文友の「もつけ(ペンネーム)」に打ち明けたので、時間ばかり取られたようなことになったのでした。
 
 もつけとは津軽弁 で蛙のことです。 mo(大地) tsu(の)ke(モノノケ……生き物)と分析してよいかと思います。が、これとは別に 「mo(ちょっと)ウツケ」ともなるので、津軽ではしだいに「出しゃばり屋」とか「おせっかいやき屋」というわ〜るい意味が濃厚になって行ったようです。北海道でも蛙は、あまり好ましいものではないと受け取られているようです。

 もつけはたしかに、世話をするのが根っからの性分らしく、若いときにはシロートながら屋台の群を作り、浅草の親分に呼び出されたりしました。
 「あの時は、女房とも水盃をし、腹にサラシ巻いてドス呑んででかけたヨ」と言ってました。

 もつけと話していて、「こりゃおかしいナ」は、すぐにでました。
 こっちの言うことは、まるで聞いてない。彼はさっそく近くのリンゴ屋へ出かけて行って「オイ、いい奴がでたぞ」みたいなことを喋ったらしい。儂はそこではフツーのリンゴ売り屋に仕立てられているのでした。
 
 人間はコトバで「将来をも」切り取って構築し、その理想形をシンボルに置いて納得する“生物”らしい。しかも、それは瞬時にとり行われるらしい。
  10年も前に他界しましたが、考えてみると、もつけも天才でした。
 天才には凡人が醸し出す構想の左右振幅やなりゆきが、タナゴコロを指すように見えているらしい。

[5215] Re[5214]: アミ族居住地は文化北上の回廊だった    かっぽれ 2009/09/03(Thu) 13:16 [Reply]
生田さん、またですか。「500万円賭けろ!」とかの話ですよね。私は(黙って)お断りしたはずですが。
蒸し返す時は、少なくとも過去記事を引用しないと不正確で一方的記事になりますから、そこのところお願いしますよ。

ま、仲良く冷静にやりましょう。

参考過去ログ:〔[5073] Re[5070]:   ト ラ ツ グ ミ  2〕

[5214] アミ族居住地は文化北上の回廊だった    生田淳一郎 2009/09/02(Wed) 10:24 [Reply]
アミ族に注ぎ目したのは佐々木天才の慧眼でした。
 儂が何の気なしに「ネパール語 *tar(驚・怖)」と書いたところ、「そんなのネパール語にはないヨ」とわざわざ書いてきた人物が出た。そこで「ほんとうに無いのか?」と、訊いたところ、やはり「無い」という。このことは過去記録にも明らかでしょう。
 ネパール語には次のように*tar(驚・怖)を示す多くの語彙があることは歴然たる事実でしょう。
 taraunu(驚かす)、tartaune(怖いもの、お化けのひとつ) 、tarsinu(怖がる、驚く)、tarsanu(怖がる、驚く)、tarso(驚き、恐怖)、dar(こわい)、daraunu(こわがる)と、あります。更にネパール語 kam-は「震える,身震いする」、kap- は 「寒くて、怖くて震える」ですが、これを接頭した katar(臆病な)、kathar(臆病な)があります。
 また、thar tharaunu(震える)や natarsa(怖がらないで)もあります。
 日本語の虎、トラ鋏、トラつぐみなどのトラは、この*tar(驚・怖)に主格を表す -s がつき、つづいて r と a が逆転しできた tras(怖いもの)の tra の部分が日本語化したものです。
 その人物は、なんとかして儂をやっつけたいので、tras についても「そんなの無い」と言いつづけましたが、儂はもうアホくさくなって抛りだしました。
 ひとつだけ言ってあげますが、ネパール語の des は国です。par は日本語の「遥か」です。そこで、遠国は pardes なはずですが、慣用によって語彙の座が決まるところに従えば、ネパール語の遠国は pardes ではなく、prades になっているのです。こんな例はいくらでもあって、そこを睨み据え、一般原理を読み取る力を備えていなければなりません。
 ワカランままでも、相手を攻撃しさえすれば、それでいい? そこには、なにか別の含みがある……しかなるまい。言っとくが、ここは日本神道の牙城でも拠点でも、なんでもないんだよ。
 
 覆水盆に帰らず。やり直しが利かないのが人生だ。
 ウソと知りつつウソを並べた者と語るは、掲示板と、自らの物言いの品格を傷つける行為でありましょう。

 自分の掲示板を開設することを奨める。
 「ことばなんて、いろいろ言えるワナ」と、ことばに信用をおいていなく、ねっから言葉の詮索を毛嫌いしている人は、約 4割いるとみて宜しい。
 そういう人びとを強制的に巻き込んではいけない。そういう人びとにとって、言葉に関しての議論なんざ大迷惑なこってす。

 台湾諸語のうち、*tar(怖)を持っているのはヤミ語だけです。

[5213] Re[5212]: √ ・♪ 山のカケスも鳴いていた 一本杉     かっぽれ 2009/09/01(Tue) 14:19 [Reply]
なんか、私のことらしい?ので、一言。

生田さん
>「参考になるだろう」な〜んち抜かすが、まったく参考にしないどころか、まず、儂は見ていないことを表明しておく。

そうですか。
「儂は見ていない」としても、それは仕方がないですね。
私は生田さんと個人的にやり取りをしているわけではなく、あくまで「青草談話室」に参加しています。
生田さんが提供された話題を膨らませ、新しい情報を盛り込みながら書いているつもりなのです。
結局のところ、ご自分が「見ない」のなら放っておくのがよろしいかと。

以上です。

[5212] √ ・♪ 山のカケスも鳴いていた 一本杉     生田淳一郎 2009/09/01(Tue) 07:28 [Reply]
 この歌、√ 山のカラスも鳴いていた……とやると、雰囲気がらりと変わってきます。
 カラスが鳴いたら、人間はそのカラスからバカにされる意味が強くでます。日本語ってむずかしいし、面白いですね。

 小生がおもに見たネパール語は天理教海外伝道部が出した辞書でしたが、先日、旅行者むきの会話辞書をみていたところ、kami をモロに「鍛冶屋」と訳しているに遭って、目を釘づけにさせられました。
 下の下で神奈備ドン書き込みの記事「懸?の神」はカカスの神と発音すべき性質のものかどうか、漢字オンチの儂にゃわかりません。が、ぜんたいを眺めていると、やっぱ谷川健一さんが言われた金属精錬士の群れが浮上してくるようです。
 この時代の“神”とは、現代人のわれわれが想っている神とはかなり違っていて、金属精錬士とか武力集団としての kami ではないでしょうか。神社にはハナ(弓・矢)がついてまわっていることに想いを馳せてみましょう。
 一昨日のN.H.K のど自慢は埼玉県の東松山市でとり行われました。このときも箭弓(やきゅう)神社が紹介されていました。武蔵一宮は旧大宮市の「 taka ハナ町」にあります。

 乱暴な割り出しですが、カカスもカケスも同じだと置けそうです。
 カラスは kag だけではなく kawwa ともいいます。kawwa の wa は濃密に「人」ですので、kawwa とはカウ・カウと鳴くやつでしょう。でも、彼らの鳴き声聴いていると「カ・カ・カ」と、嗤うような声もだします。kak・kak ス(鳥)という語形や発音もあったことでしょう。
(このへんで、津野の加来さんの再登場です。パチパチパチパチ)


 ここの掲示板はシロートが出す自由な発想の泉が面白いところでしょう。
  みずからはまったく発想しないで、他人の発想にかかわる「ちょっとした言いまちがい」だけを鵜の目鷹の目で探しだし、ケナそうケナそうとこころ掛けるヤツは、どっかへ飛んでけ。
  しかも、ウソと知りながらウソを書き連ねるなど、言語道断、pagal である。
 「参考になるだろう」な〜んち抜かすが、まったく参考にしないどころか、まず、儂は見ていないことを表明しておく。


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