青草掲示板ログ平二十二年 七月〜9月  2010.7−9
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[5713] Re[5712]: キカイ・オンチ 谷まれり     佐々木 2010/09/30(Thu) 21:27 [Reply]
では、これでは、どうですか。これで最後にしますが。
http://tratu.vn/dict/jp_vn/%E8%9D%B6
http://tratu.vn/dict/jp_vn/%E7%9F%A2
http://tratu.vn/dict/jp_vn/%E7%83%8F

[5712] キカイ・オンチ 谷まれり     生田淳一郎 2010/09/30(Thu) 09:34 [Reply]
手取り足取り、あがあが。ばってん、どもウマく行きまっしぇんばい。
辞書といえばタガログ語辞典 http://orientalheart.com/dictionaryexplain.htm のように、語彙群がズラリ・ズラリと並んでいそうなもんですが、そんなのが出てきません。
細長い窓枠に蝶と入れても、butterfly と入れても・・・・・、 すんまっしぇん、すんまっしぇん。

[5711] Re[5710]: 討匪行 から 逃避行へ       佐々木 2010/09/29(Wed) 20:00 [Reply]
http://www.vn-navi.com/dictionary/
で○日越辞書の○のなかに●を表示させて、たぶんクリックしたら小さな黒丸が出るでしょう。そして横長長方形に蝶と入れてみいや。
★変な文字を使うと、またおかしな書込みを呼び込むかも。
★「ぬかるみ」も面白い言葉ですね。デハ。

[5710] 討匪行 から 逃避行へ       生田淳一郎 2010/09/29(Wed) 19:22 [Reply]
ありゃま、神奈備ドンがぬかるみにハマった足をひっぱり上げてくれた。
あり難う!! だが、鳩山さんは出てくるが、矢も蝶も出らんがな。おら逃ぐるばい。


√ ♫♡ 父よあなたはつよかった ♫♡

♫♡ ばんだ(万朶)の桜か襟の色 ♫♡ ・・・・・・ この歌では、日本陸軍は「すべてその数 20万」だった。
インパールでの大失敗作戦では、死んだ日本軍は公式(?)には、10万人だということになっている。

ところが、息子に託した記事では、オヤッサンは ちゃんと「 40万の日本兵士がインパール作戦で死んだ」と伝えている。

[5709] Re[5708]: √ ♫♡ どこまで続く ぬかるみぞ ♫♡     神奈備 2010/09/29(Wed) 17:21 [Reply]
> 下のようなコメントがでて、数分待って、また叩くこと二度〜三度。
>
> ページを開けません。

http://www.vn-navi.com/dictionary/detail.php?t=jp&s=
弓まで全部copyしてHPを見る画面の上段のhttp云々の所に貼り付ければ見ることができます。
できるかな。

[5708] √ ♫♡ どこまで続く ぬかるみぞ ♫♡     生田淳一郎 2010/09/29(Wed) 07:00 [Reply]
下のようなコメントがでて、数分待って、また叩くこと二度〜三度。

ページを開けません。
ページ“http://www.vn-navi.com/dictionary/detail.php?t=jp&s=”を開けません。サーバとの接続が予期せず解除されました。これはサーバでの処理が混み合っていると起きることがあります。数分待ってからもう一度やり直してください。

アサッテごろ、また、叩いてみます

[5707] 確認して頂ければ  佐々木 2010/09/28(Tue) 23:10 [Reply]
生田さん とりいそぎ
http://www.vn-navi.com/dictionary/detail.php?t=jp&s=

http://www.vn-navi.com/dictionary/detail.php?t=jp&s=

[5706] ククノチ 菊水 ほか       生田淳一郎 2010/09/28(Tue) 10:01 [Reply]
おたしゃどこまでキカイ・オンチなんじゃろか、 site 教えてもらったので、開いて「蝶」を検索したつもりですが、同じところをぐるぐる廻るばかりで 、ついに buom(蝶) にはあえない最後でした。

でも、おたしがこの先どこまでベトナム語に狂いこむのかはわかりませんが、おたしは微妙なところを質問できる先生に恵まれています。いま持っているベトナム語辞書はその先生から貰ったんです。慶応△△大学でベトナム語を教えておられる超美人です。わが枕頭にダンナ先生といっしょに二度も来てくださいました。

> 照来(teragi)、春来(haruki)、朝来(asago)、海上(umigami)地名があって、すべて山の中
▲ ki = 土地 ですので「寺の土地」、「はる(開墾した)土地」では? asa go は希望の神か。
先日来たガス屋さんの名前が 海神(うながみ)さんでした。千葉県銚子南の旭市ちかくに 海上(うながみ)町があります。ここにアイヌそっくりさんがいました。

いま少々ベトナム語を  A ; アイヌ語 K ; 朝鮮語 J ; 日本語 古 ; 古代日本語  無印はベトナム語
gam(下部)/ 秋田方言 gam(チンポ) ga:(若い男) / K ; チョンガ〜  tho(兎) / K ; thoki(兎) chep(鯉) / A ; chep(魚) tia(筋) / 古 ; chi(糸、すじ) tien(銭)/ A ; ichien(銭)・・・・・どこか中東でもこれがあった。 trom(盗む) / ウイルタ語 ; doromocini(盗む・・・・・ J ; ドロボー) tim(知らせる)/ ネパール語、タミル語 ; cin(知る) len , leng(沈む) / A ; ren(沈む)

hien(濃い黄色の), hien hien(顕現する)/ 稗田阿礼  suc(力) / スクネ  khoe(角、隅) / 川越 suoi(泉) / 添  cuc(菊), nuoc(国、水) / ククノチ 菊水

[5705] Re[5701]: アキツ と トンボ      佐々木 2010/09/27(Mon) 21:07 [Reply]
>神武さんのトンボはアブをくわえていたそうな。だからオニヤンマにフォーカスしたわけです。
>照来(teragi)というところが兵庫県にありまして、チョウなど化石が見つかるので有名でした。なお付近には春来(haruki)、朝来(asago)、海上(umigami)地名があって、すべて山の中の地名なのです。ついでにベトナム語では蝶はbuom(ブェム?)、トンボはchuon(チュェン?)がありました。
 http://www.vn-navi.com/dictionary/
 生田さんもがいにがんばってお書きになりました。お体お大切にぃ。
 個人名は。。。

[5704] 岩手県の素性      生田淳一郎 2010/09/27(Mon) 09:00 [Reply]
岩手県にはロンレの滝が二つあります。一つは普通の地図でも、盛岡市の西西南の山塊のつけねに見られます。もう一つは沢内甚句で有名な沢内村の中だったと記憶しています。語頭に r 音。「ナンだろなぁ〜、ナンだろなぁ〜」と考えること30年。
それがナント、ここにきて見たベトナム語で rong が龍、le が拝む。滝を龍の顕現とみる古代センス。

小沢一郎さんの異様な人相は、台湾人じゃろうと勝手に思ってきましたが、これでベトナム系であることがハッキリしました。同氏の耳の穴・・・・・ちょっと大きいなァとは感じていますが、まだまともにテレビには写ったことはありません。でも、ここ岩手には親指がスポッと入りそうな巨大な耳穴がある。

同時に「滝」の語源(?)も割れました。ベトナム語 ; thac(滝)。イタキソ様の語源割り出しとも大いにかかわる。
滝の語源も「ナンだろなぁ〜、ナンだろナァ〜」と、ここ 8年、考えつづけてきました。が、ひょいとベトナム語の辞書をみたら、チャンと出てるじゃあ〜りませんか。静岡・神奈川方言の ダル(滝)はネパール語系、垂水(滝)はタガログ語系、そしてタキはベトナム語系でした。
神奈備ドン、覚えていますか? 「あの事件」以来、ベトナム語の辞書をみることは、絶えてなかった。

le は、ただの「拝む」ですが、lay となったら「ひざまづいて拝む」となる。ニライカナイへの侵入攻撃も、あとわずか。タガログ語の nilay nilay は「瞑想」だった。

遠野物語の遠野では三つのイントネーションがせめぎ合っています。一つは気仙沼〜大船渡の三陸海岸のそれ、二つめは津軽から大きな影響をうけた東北一般型、三つめが、おたしが「ドットン・ドットン型」と呼んでいるそれ。おそらく、この「ドットン・ドットン型」が、ベトナム語系のものいい(イントネーション)ではなかろうか。

[5703] Re[5702][5701]: アキツ と トンボ      生田淳一郎 2010/09/27(Mon) 08:07 [Reply]
佐々木さん、おめめだいじょうぶですか、いっぱい書いたもんき 心配しちょりましたと。

>  神武さんのアキツは、オニヤンマ(Anotogaster sieboldii)のことらしい。おそらくオニヤンマの交尾の形態から、arch(弧)がtwo(2)ではなかろうか。
▲ たしかに・・・・・、北九州ではトンボがツガっちょるとを「ツーやん」ち、云うちょりました。この場合、ツガルとは「 2・(意欲をこめて)する」。・・・・・< ネパール語 ; -garnu。「神武さんの」との限定がわかりまっしぇんが・・・・・・。

>  ベトナム語、感覚的には百済語??や東南アジア諸語、中国語が混ざっているような。
▲ ここです! おたしが鋭意うったえたいことはここです。おたしが去年、 1050語彙が方言として掲載されている沖縄の喜如嘉方言集をあたったとき、タガログ語、シナ語、アイヌ語、台湾語がみだれ出てくる。それらの中で日本語とは関係ない語彙が 270も出てきたので、その「量 → 質」の判断で、沖縄固有が出てきたのであります。
外間守善さんには「ウンジュとは文字でのハナシはしません。ショーチュー下げていらっしゃい」と告げてチョンにしました。これで焼尻紋次郎ちゅう H.N 使用の必要は完全にのうなったとですたい。

>  con(子供、小さい・・・・・・こんめぇ)⇒ 薩摩弁のわりぃこんぽ(悪がき)、chi chi(バッタ・・・・・・蝶々)⇒キチキチバッタ、chong(速い・・・・・・いそぐ)⇒ 奔走、chang(若者、夫・・・・・・すーちゃん)⇒伴侶があうかも。
▲ su: はタガログ語です。「好き」の「スー」ではなかったってす。

[5702] Re[5701]: アキツ と トンボ      佐々木 2010/09/26(Sun) 21:03 [Reply]
生田さん
★神武さんのアキツは、オニヤンマ(Anotogaster sieboldii)のことらしい。おそらくオニヤンマの交尾の形態から、arch(弧)がtwo(2)ではなかろうか。
ベトナム語勉強になりました。感覚的には百済語??や東南アジア諸語、中国語が混ざっているような。
★con(子供、小さい・・・・・・こんめぇ)⇒薩摩弁のわりぃこんぽ(悪がき)、chi chi(バッタ・・・・・・蝶々)⇒キチキチバッタ、chong(速い・・・・・・いそぐ)⇒奔走、chang(若者、夫・・・・・・すーちゃん)⇒伴侶があうかも。

[5701] アキツ と トンボ      生田淳一郎 2010/09/26(Sun) 10:02 [Reply]
語彙はいろいろと変わりますが、その変化は発音面よりも内意〜概念の面で大きくうごきます。
「アキ・秋」は、agriculture の agri がなんらかの形で日本語になったと思われます。これは中東〜ロシアをふくむ *ak〜*ag(火)が焼き畑農耕の段階で流入してきたとも考えられます。アキは agri の r が脱落したのではないでしょうか。 日本語は濁音を嫌いますので、 agi が aki に変わったことも容易に理解できりのではないでしょうか。
内意の変化で「農耕」が「たんぼ」だと概念変化をおこした。それが「田んぼの “ 虫 ” 」として、アキツ(とんぼ)ができたのでしょう。この場合、アキツの「ツ」はタジク語に被覆形でみられる「虫、生き物」だと思われます。アキツは「田んぼの虫」に還元できると思います。タジク語背r出雲はタジク語勢力によって拓かれていることはタシカですので、「ツ」の採用は正当性を得られる。
アキツシマは「田んぼがさかんな島」で、いいのではないでしょうか。
ただ、とんぼのアキツの「ツ」には、lu(龍) → tsu の音転がからんでいるのではないか・・・・・・が、懸念されます。

日本語の「とんぼ」の bo はきのふ出したベトナム語の bo(虫)であることは、まずまちがいのないところです。「跳ぶ・虫」がトンボでしょう。
ただ、ここにもネパール語 nag’(龍・とぶ)がからまっています。

「ちょう ちょう(蝶)」も、日本だけでしかしゃべらないので不審に思われてきましたが、ベトナム語で chau chau がバッタであり、chuon chuon がトンボです。これらが日本語の蝶々に関係ないとは云いがたいのはないでしょうか。
沖縄に残っている日本語に似た語形を求める段階は、すでに終わったのではないでしょうか。それよりも、日本語とは似ても似つかない沖縄方言の語形を挙げることこそが、沖縄の “ 核 ” を衝く手段だと思いますが・・・・・。
津軽に「てらこ(蝶)」があります。te ra(の) co(子)のテがテフテフでしょう。さて・・・・・。

[5700] 大日本豊秋津洲  琉球松 2010/09/25(Sat) 22:02 [Reply]
 本州島とされる「大日本豊秋津洲」って、神武天皇の発言ということになっていますけども、どうなんでしょうかね。

 琉球方言の「アキチュ・アーケージュー・アキツ」は蜻蛉のことですが、「秋津洲」は、本州全域の形というより、大阪や奈良など一部の平野じゃないでしょうか?

 "トンボが乱舞するほどの稲作の豊かな地" が原義だと考えますね。その幼虫は田んぼの豊かさを象徴しますよ。

[5699] ベトナム語に注ぎ目      生田淳一郎 2010/09/25(Sat) 14:24 [Reply]
台湾諸氏族の語彙集、あり難うございます。
おたしが持っている、アミ、タイヤル、ブヌン語の三つの語彙集は、カバーがとてもきつく、広げて寝っころがっては見れないんです。

今朝、寝っころがってベトナム語の辞書を読んでいましたら、次のように(もちろん一部分です)、由々しきことどもを見出しました。

マニラ市街を走っているジープニーという乗り物はご存知でしょう。夜間見ると、キンキラキンキラ赤や青の電球をいっぱい光らせています。ちょうどアレみたいに、ベトナム語の母音のまわりにはいろんな発音記号がまぶしてあって、シロートには近寄りがたいものをおぼえますが、言語比較の上では、まあいいでしょう。ここは無視しましょう。
ベトナムには 53の少数民族がいるそうで、その少数氏族語の五つか六つを併せみると、もっと猛烈なものが出てきそうです。

nua(中ば・・・・・・中) nua(更に、その上に・・・・・・尚) nhay(跳ぶ、踊る・・・・・・遠野のナチャガル) nahn(滑らか、・・・し尽くす・・・・・・なめら、聰なめ) tai(の場所で・・・・・・ ta, tan) vo lay (住所不定の、ならず者・・・・・・無頼の徒) la(地上に低く…・・・アイヌ語 ra)  mimcuoi(微笑する・・・・・・めんこい、アイヌ語 mina) cuc(極・・・・・・つつ星、*it) chong(速い・・・・・・いそぐ) duc(鋳造する・・・・・・づく) chao(挨拶する・・・・・・チャービラサイ) chang(若者、夫・・・・・・すーちゃん) ngo:(座る・・・・・・ござ 蓙) 

以上はおたしが抜きだした一連の 20分の 1ですが、極めつけを少々。
mat(時間がかかる・・・・・・待つ) thoi(時) kechi(野卑な) manh(強力な・・・・・・万力) toc(髪・・・・・・床屋) khui(ボタン穴・・・・・・くいちがい) mon(種類・・・・・・モノノベ) be(辺) anh(兄) ba(祖母) 「ao(池、沼)+ ngam(地中の・・・・・・沖縄ガマ)」= 大波の池(霧島)
chi chi(バッタ・・・・・・蝶々) noc(棟・・・・・・のき) the(舟・・・・・・はしけ) nah(家、朝廷・・・・・・奈良、朝比奈) bat(鉢) be(ヴァギナ・・・・・・べっちょ、タガログ語・下北 ; ぺっぺ) boc(手に取る・・・・・・持つ) hai(○○しなさい・・・・・・紋次郎 ; ○○してくらはい) gom(集める・・・・・・馬籠、牛込) mot(第一の・・・・・・最も) ngam(見つめる・・・・・・ガンつける) noi(野原) con(子供、小さい・・・・・・こんめぇ) co(弱小の・・・・・・オチョメチョ) su(陶器・・・・・・すえ) vuc(淵) nay(生じる)cuc (菊)

 《アイヌ語関係》
ham [あご・・・・・・かまげた A ; notakam(頬)] -ma [ 強調・・・・・・kattuima(遠い)] thu [秋・・・・・・A ; chuk(秋)] tre [ 若い、幼い・・・・・・A ; turesh(妹)]  lau [秘密の・・・・・・A ; rau(秘密)] me con [ 妻子・・・・・・昔 ; メッチェン A ; メノコ ] la [ 葉・・・・・・A ; ra(葉)] kip [ 急な、速い・・・・・・A ; kep(急に出る)] lo [ 炉・・・・・・A ; *ro(炉)] cu [昔の・・・・・・A ; *tu(古い、昔の)] im [黙る・・・・・・A ; imu ]  om [抱く・・・…oma(持っている)]  chum [ 束、房・・・・・・ N,A ; shuppa(束)]  thu [ 二番目の・・・・・・K.A ; tu(2)]  sa [落ちる・・・・・・A ; *san(下る)]  ca [大きい・・・・・・A ; cha(大きい、多くの)] sa [歌・・・・・・A ; *sa(歌、ふし)]  ha [ 下・・・・・・panke(川しも)]  mu [つゆ・・・…A ; munpe(露)]  uhu [ 深く・・・・・・A ; ooho(深い)]  nuh […のような・・・・・・A ; ne(・・・のような) ]

 《ネパール語関係 》
hoc [ 凹んだ・・・・・・N ; hoco(低い)]  day ray [ たくさん・・・・・・N ; dheray(ひじょうに 沢山の)] mai [ 雌・・・・・・aimai(女、婦人)]  sang [ つの・・・・・・N ; sing(つの)]  rong [龍・・・・・・N.蒙古 lon(龍)]  tan [身・・・・・・N ; tan(からだ)] 
 《沖縄・朝鮮語》
ci [何?・・・・・・沖縄 ci(疑問詞)]  han [ 恨み・・・・・・朝鮮語 ; ハン(恨)]

いつか、全出ししましょう。神奈備ドン turesh にご注目。
メッチェンはよかったでしょアマカネ。

[5698] Re[5697][5696]: グシケンさん、とうまる篭 ほか      佐々木 2010/09/25(Sat) 13:56 [Reply]
クマルビのことで追記します。
◎フルリ人の国、キズワトナのクンマンニ(Kummanni) という信仰地があって、Kumarbiはそれに由来すると見てよいのかもしれません。
 フルリ人は特定の主神殿を持たない。
 神の名称としてTeshub:天候神 Hebat・Hepa;地母神、Shimegi:太陽神、クシュブ(綴り不明);月神(三日月)。。。
◎熊野本宮大社と比較した青草。
 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)⇔キズワトナ?
 熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)・熊野加武呂乃命(くまぬかむろのみこと) ⇔Kummanni?
 天照大神⇔Teshub?
 注連縄(茅の輪を)⇔Shimegi?
 修祓⇔*shub?

[5697] Re[5696]: グシケンさん、とうまる篭 ほか      佐々木 2010/09/24(Fri) 16:42 [Reply]
 ヒッタイト語は、英文のヒッタイト神話から抜き出したのですぐに回答できません。
※クマルビと読むそうです。クマルビ神話があるそうです。これはグーグルで見つかるでしょう。
 プユマ語は下記です。プユマ族がアミは北としたのがアミ族の命名起源と聞いたので少し勉強させて頂きました。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/7422/goanchubin/index.html

[5696] グシケンさん、とうまる篭 ほか      生田淳一郎 2010/09/24(Fri) 11:27 [Reply]
ヒッタイト語が出ましたので、下の書き込みにおよびました。
佐々木さんが使われているプユマ語とか、ヒッタイト語などの site を教えていただけないでしょうか。
いつまで経ってもキカイ・オンチのおたしにお哀れみを。

> sa ・・・・・・ 台湾プユマ語で1がありました。
▲ これでタガログ語の isa(1)の地歩が一層強化されました。勲章をもらってあげます!

> 百済・・・・・・ kuttaも捨てがたい。朝鮮半島(を足に例える)の(膝)下の方だから。
▲ 懸詞だらけであることは、まちがいないようですね。

> あと調べてみたいが、今一歩意味がわからないことば。
  yankas:蛇?(ヒッタイト語)、ill:神(ヒッタイト語)?
  kumarbi: 神(ヒッタイト語)←空と嵐の神 Teshub(ヒッタイト人はTarhun :台風?)の子。
▲ 約 8年ぐらい前、沖縄と台湾にいらっしゃる具志堅さんの「グシケンとは、ヒッタイト語で『金』という意味だ」と、ここ神奈備でスッパ抜いたのが 桜左近氏でした。いま、どうしてるかナァ〜。生きているのだったら、ぜひ出てきてもらいたい。
インドのクマル、クマリはヒッタイト語だったか!? クマル・ビ / カムナ・ビ
世界的により広く知られているクマルは「さつま芋」のことです。ku(おいしい?)mar(もの)。
「イリ王朝」のイリも出てるじゃァあ〜りませんか!

> 少し気になったこと・・・・・・かつて脚本家の伊上勝氏がよく多角的に言語を勉強して、怪人、怪獣などの名称(赤影、仮面ライダーほか)などに適用されていましたが、あの人はどこで勉強したんだろうか。たとえば一つ目の一角獣(じじごらと命名)と金山衆の話、熊のような怪人(東馬:トーマと命名)など。
▲ gor とgon(ツノ)は同じ音価。/ 牛来さん、ゴルカ兵。
トウマル篭は穫った熊を運んだ篭か? トウマル峠これあり。台湾ナニ語だったか・・・で、熊。
おらの尾てい骨にはパチンコ玉のようなツノが生えてますだ。なにかのときには自称ジジゴラの名にせむ。

[5695] 失せもの探し      生田淳一郎 2010/09/24(Fri) 08:43 [Reply]
ウル・シュメル・エジプト語と書くのは、長いので以後「ウセ語」と、短略することをお許しください。

川崎真治さんが今から35年前から 20年前までの 残り生涯をかけて世に訴えられたのは、「ことばも文化の一つとして、先進ウセ地帯から世界に広がっている」との見方でした。
おたしはちんちんから下をネパール語畑にうずもれたみたいにして、キョロキョロと見回しているのですが、このほど『掲示板・俳句ダービー http://6556.teacup.com/shugyo/bbs 』に巨才の tombo さんが現れてタカミムスヒ とか、カムムスヒ、ウヒジニの尊・スヒジニの尊などの日本神名を解いてみせてくれています。
これは神奈備としても聞きすてならぬことだと思い、ここに披露します。

▲ おたしが知ったかぶりをして解いた(つもりの)神名神社名は、わずか 15柱内外です。200000 の 15 です。のこりの199985はひっくり返っても語源や意味がわからない名前ばかりです。
神奈備ドンはアイヌ語での分析に期待かけておられるようですが、アイヌ語で解ける神名は、アイヌ語での atui sik kashima kamui のひとつだけではないでしょうか? しかもその kashima はタジク語だった。

▲ 岡山には「しわい」とか「しうぇ〜」という表現があります。歯にガンガンこたえて噛みにくいが、その噛みにくさそのものが、これまた楽しいという意味です。ウセ語は系統が大きくちがうので、たしかにシウェ〜。だが、裏の畑で犬がここ掘れワンワンと訴えている “ ここ ” とはウセ語のことではないでしょうか。
 
▲ ウル・シュメル・エジプト語といっても、領域はこの三つではなく、チグリス・ユーフラテス川の中流にできていた数カ所の古語都市の言語もかなりちがっていて、ここはセミチック・バビロニア語と呼ばれています。しかし、ちがうといっても、語彙面ではかなりの近似を相互にみせてるはずです。

[5694] Re[5693]: 亀 1,2,3     佐々木 2010/09/23(Thu) 20:57 [Reply]
 生田さん わけのわからんもんにお付き合い頂き、がいに感謝しとります。俳句の御名手でいらっしゃるのですね。
>msi 高御産巣日神で産がmuだったような。偶然かな。
>くら
 とりあえず水平面に対して凸なんでしょうなあ。ふっくら。ちょっくら。
>(よ)つくしじま、い(つ)きじま、(む)つしま、(なな)、さど(⇒やと)、
(*)の文字を加えると、(ひ)ふみ(よ)い(つ)(む)(なな)(やと)に見えるかとがいに無理がありました。十進法という偏見が失敗でした。
 ちょっこし修整させて下さい。
さわけじま:1、ふたなじま:2、みつごじま:3、つくしじま:4、いきじま:1、つしま:2、さど:3、あきつしま:4? 五進法? 
>sa
 台湾プユマ語で1がありました。
>百済
 kuttaも捨てがたい。朝鮮半島(を足に例える)の(膝)下の方だから。
※あと調べてみたが、意味が今一歩意味がわからないことば。
 yankas:蛇?(ヒッタイト語)、ill:神(ヒッタイト語)?
 kumarbi:神(ヒッタイト語)←空と嵐の神Teshub(ヒッタイト人はTarhun :台風?)の子。
※少し気になったこと 
 かつて脚本家の伊上勝氏がよく多角的に言語を勉強して、怪人、怪獣などの名称(赤影、仮面ライダーほか)などに適用されていましたが、あの人はどこで勉強したんだろうか。たとえば一つ目の一角獣(じじごらと命名)と金山衆の話、熊のような怪人(東馬:トーマと命名)など。

[5693] 亀 1,2,3     生田淳一郎   2010/09/23(Thu) 15:59 [Reply]
▲ 指導だなんち、ああた、おたしゃ脊椎の末端の巣がコチョばゆうして、コチョばゆうしてタマランばい。

> suk・・・・・・フランス語で suc : 体液、樹液、果汁があります。
▲ ジュース / シル ? *sir 〜 *jol(汁)は族際語です。

> 北/上 気多もあるのでは、上は神も亀もあるのでは
▲ 神などという巨大概念には、派生語彙がふたたび語源になったり・・・・・・。玄亀の方角は北、色は黒。陸地の基盤を支えているのがインドネシア語の kura(亀)。神や貴人の座も kura。峠も kura。一のクラ・二のクラ(谷)−−−谷川岳。
古代人は,亀を「へびが縮まっている」と見たのでしょうか。

> 突然思った大青草:sa は1とか最初という意味があるのだろうか。大八島の生成の島は、1、2、3の意味があるのでは。さわけじま、ふたなのじま、みつごじま、(よ)つくしじま、い(つ)きじま、(む)つしま、さど(や・とう)。。。。
▲  壱岐・対馬(tu = 2)といいますからねぇ! 
(よ)つくしじま、い(つ)きじま、(む)つしま、さど(や・とう)のこと、もう少し詳しくお教えを。
東西南北、上中下、に続く割り出し基準ですね。

> saは1とか最初という意味があるのだろうか。
▲ あるのでは?! なにごとも、積極肯定から。タガログ語 isa(1)は √ i sa だった可能性は捨てきれません。イザナギは「isa・梛」でしょうか。
『中エジプト語辞典』という本を買っていました。それには is(古い)がありました。アイヌ語に isa(古びた)があります。
同辞書には先日話題になった虫関係で、msi(子を産む)がありました。

[5692] Re[5691]: sk 百済 北 皆木 ほか     佐々木 2010/09/23(Thu) 11:10 [Reply]
 生田さん 丁寧なご指導ありがとうございました。
>suk
 フランス語でsuc:体液、樹液、果汁があります。
>北/上
 気多もあるのでは、上は神も亀もあるのでは
☆突然思った大青草:大八島の生成の島は、1、2、3の意味があるのでは。さわけじま、ふたなのじま、みつごじま、(よ)つくしじま、い(つ)きじま、(む)つしま、さど(や・とう)。。。。
saは1とか最初という意味があるのだろうか。

[5691] sk 百済 北 皆木 ほか     生田淳一郎 2010/09/23(Thu) 09:11 [Reply]
> スサノオ・・・・・・縄文時代の生まれなのでしょうか。普通の人間だったのかもしれませんね。
▲ とにかく、この日本列島在来の、「むかしからの神さま」という概念が始発のように想えますが・・・・・・。

> 久多・・・・・・百済を示唆するのかと少し気になっております。河童も出てこないかと思っております。
▲ そうですね。その視線はだいじですね。 / 山口県くだまつ(下松)市、ネパール語 khu:da(大刀)、hudar(狼)。おおうちさんがいるところを見ると、大刀が浮上するようで。u(大)chi(刀)。→ 内田さん。
 ついさいきん、山形市にも大内さんがいらっしゃることをみつけました。
 でも、百済の解釈の一つに “ 狼 ” がありうることは意外な発見でした。お陰さまです。

> ぐすく・・・・・・母親の体内のような印象。すくすく育つという表現もありますなあ。
▲ 「すこやか」もこれですね。suk(健康)があればピッタしなんですが、ネパール語では sukha(幸せ)がいちばん近い語彙かと。

> 安心?できる宿⇒安宿⇒あすか。
▲ アイヌ語 amo(休息する)。この mo はわかりません。白川郷ちかくに落差の大きな滝がある。この峠の名前がアモ峠です。滝をみながら「やれやれ」とひと休みしたのでしょうか。

> 上(北)の方の「あすか」は「かすが」?
▲ アイヌ語 kitai(頂上)、kitai omani(棟木)。北=上。あり難うございます! 北野天神、コンコン様とは?
 
> なお・・スクはロシアの地名でよくみます。モスクワにもスクがあります。他にモスク:イスラムの礼拝堂、バスク地方:洞窟壁画、すくね。
▲ 生来グズにできている我がアタマの中には、グズ、クスこみこみでゴッチャになっていました。
村、町を意味する族際語は *kot , *pur〜 *hur , のほか、*sk があったわけですね。これらの分布を地図にすると、商人や金属精練士のさるいた跡が出るでしょう。

> 皆木・・・・・・中国山地の皆木村発祥の姓名でしょうか。山の民の匂いが致します。
▲ シナ王朝の名 “ 明 ” を『漢和大辞典』の藤堂明先生に相談したところ、「唐音」ということで minŋ でした。N という発音を持たないシナ衆も日本列島に来たら容易に N音になじむのでしょうか。min が開音されると mina になりますね。いやさ、渭水発の戦乱の暗雲が彼の大陸に広がる前では「おれたちの種族名は miN というんだぞ」と思っていた人びとがいたことでしょう。
では、この日本には minŋ 系の発音はなかったのかと事問えば・・・・・・。豊後ん衆は「うんにゃ」を「うんげぇ」云うのです。岡山での「そねぇな」はゲゲゲの安木や九州では「そげぇな」いいますだ。
稲作がはじまる前から名前はあったと思います。山の民か、海・川の民しかいなかった。皆木さんの先祖は山地に取りついたかもしれませんが、あの皆木さん、それはそれは、メチャクチャな超美人でした。・・・・・・そして、那岐山からぐっと西の広島県の山地にも、メチャメチャメチャの超美人がいますのら。
このほど、おたしゃ那岐山麓の哲学者に哲学を教えてもらおうと思いたっています。その哲学者の奥さんの旧姓が皆木さんです。

[5690] Re[5689]: いぶすき(指宿) と グスク     佐々木 2010/09/22(Wed) 16:57 [Reply]
>スサノオ
 縄文時代の生まれなのでしょうか。当時の人口から判断すると普通の人間だったのかもしれませんね。
>久多
 百済を示唆するのかと少し気になっております。河童も出てこないかと思っております。
>ぐすく
 母親の体内のような印象。すくすく育つという表現もありますなあ。山に囲まれた盆地のような、安心?できる宿⇒安宿⇒あすか・。上(北)の方の「あすか」は「かすが」?
 なお・・スクはロシアの地名でよくみます。モスクワにもスクがあります。他にモスク:イスラムの礼拝堂、バスク地方:洞窟壁画、すくね。
>皆木
 中国山地の皆木村発祥の姓名でしょうか。山の民の匂いが致します。

[5689] いぶすき(指宿) と グスク     生田淳一郎 2010/09/22(Wed) 11:36 [Reply]
あれほれ、現代はモノイイがむずかしい時代でした。
このままでは伊矛△さんや、指宿の人びとにイヤな想いをさせるかと、ちょっと普賢岳。
イヤな奴という意味がハッキリ出ているのは、アイヌ婦人によくみられる imu です。60人とか 80人にひとりぐらいの率ででるのでしょうか、「すぐにムッとふくれ返ったり、奇異な身振りをするクセを持った婦人」をいうそうです。

▲ 伊矛田さんに入っている i mu は、おそらくは √ i mut で、悟りをする人、行者の謂いかと思います。

▲ いぶすき(指宿)は、インドネシア語の ibu(母)の suku(種族)が基本で、ibu族の意味でしょう。インドネシア語で “ 弓 ” を ibu pana ということは、先に紹介しました。「箭・弓」の、母の部分にあたるのが ibu pana でしょう。
沖縄のとりで(城塞)をグスクといい、このグスクの “ gu ” はわかりませんが、スクは有名な白村江の「スキ(村)」にそっくりです。同一といってもいいでしょう。
13世紀当初、朝鮮の武将が沖縄にたて籠り、この時点から沖縄は国際舞台に表れ、歴史もそこから出発したようなていさいになっています。おたしは、そのときに築いたのがグスクだと認識しています。
インドネシア語の suku(種族)と朝鮮のスキ(村)は同根でしょう。
で、指宿の suki がどっちに近いかというと、ibu がありますので、インドネシア語に近いかと想うのです。だが、それはインドネシア語の suku の原音が suk だったかどうかにかかっていましょう。原始発音は子音おわり・・・が原則でしょうけんど。

[5688] RE スサノオ と 生田          生田淳一郎 2010/09/22(Wed) 08:25 [Reply]
▲ ペンタゴンは五角形でしたか。かど=角=ツノ 三つのツノ? dra(恐ろしい)ツノ神?

▲ どこの言語だったか・・・、老人になると凡才はモノ忘れがひどくなって困ります。「宇佐」の内意はナンだろうか・・・・・・を巡ってです。
あのときは、 u は後ろの u で、バック・・・すなわち「昔」、往古」にちがいないと思ったんです。
s- は強調接頭辞ですので、スサノオとは ウサノオに s- をかぶせたらスサノオになります。

渡来民がやってきたとき、「この日本列島では “ 前々からの古い神さま ” としてスサノオの命を崇めてきたんですヨ。あんたらァもこの神さまを崇めなさいよ、拝めば災厄もほどほどの事で済みますよ」といったようなことばが囁かれたのではなかったでしょうか。
それを「厄介な神さまやなァ〜」と思ったのがインドネシア系渡来民だった・・・・・・カ。
「お粗末な神さまやなァ〜」と思ったのが縄文人の末裔だった・・・・・・カ。

> イクタとはどんな意味?
答えたくあんもっはん。ネパール語 ikh 、ibh には「イヤな奴」という意味がごわんど。下沢寛著『勝海舟』では、伊牟△さんが嫌われ者にされてました。「イケ好かない」や「イボをふる」は、この系統でしょう。
ですが、神社名に斯かる意味が使われるはずはごわはん。「イク」という発音の漢字は約 200あるそうですので、生田神社がシナ文化起源ならば、「手がつけられない」と判断するのが順当でしょう。
しかし、この生田の森には 生島さんが代々の庄屋で、生田さんとも呼ばれていました。それは「イクシマ・タルシマ」とよぶ習慣があったことによるものと思います。これを日本中央に持って行った事跡があります。
イクシマとは溢れでる清水の一帯、タルシマとはその湧き出た水が池や湖になっている一帯だと愚念しています。

[5687] Re[5685]: dragon 八咫烏 ほか      佐々木 2010/09/21(Tue) 21:47 [Reply]
> フィリピンでは固有の “龍” がなく、dragon 一本で通しているのは注ぎ目です。gon とはナニでしょうか。
これは中世のスペイン語かポルトガル語起源ではないでしょうか。
※スサノオは厄介者という感じが幾分あるようです。イクタとはどんな意味?

[5686] スサノオ の 語源      生田淳一郎 2010/09/21(Tue) 19:11 [Reply]
「粗末な」とか「杜撰な」という意味を載せた類似発音は、世界のあちこちで見うけられる・・・・・・と、安心していたのですが、それを、いざ正面きって提示しようとなったら、ちからあらしまへんねん。

アイヌ語に chaka(穢き)があり、同義語として ichak , ichakkara という タガログ語系造語があります。その横に チョコナンと座っているのが chanon no(粗末な)です。アイヌ語で得られる絞り語形の *cha はレプチャ語の cha(穢い)と同一。

そしてchanon no の横にこれまたチョコナンと鎮座ましてるのが同じくアイヌ語の shusan no(祖末な)・・・・・・スサノオにだいぶ似てきたどぉ〜。
そこへネパール語の thaŋgno(ボロの)げなちですばい。

こげなんボロ神さまが、ナァ〜ンで神様の座を占めつづけることができるのか・・・・・ナァ〜ンでか。
それはネ、*su-sar no o の中に「sar = 世話 」がはいっていたからァ〜〜、オレッ↗

インドネシア語 susah(困難な、厄介な)。
天災も神の所作として、人間がひきうけるアマカネ。

[5685] dragon 八咫烏 ほか      生田淳一郎 2010/09/21(Tue) 09:00 [Reply]
佐々木さん、いろいろとお教え、ご指摘、あり難うございます。

< 東南アジアには飛ぶ蛇が居るのです。ベニトビヘビ。
また一つ、南方との絆がつよまりました。草薙は kusa(わ〜るい奴らを)nag(投げとばす)?

>八重山の来訪神アカマタは飛ぶ蛇かも。竜巻のことか。数年前、竜巻に乗って、おたまじゃくしやフナが地上に。
マンタが回遊魚のマンタが始発なら、ポルトガル文化以降となって、歴史は浅くなりそう。 mar-ta からの音転なら *mar の「死ぬ、殺す」の原始語が近似をみせるようです。ネパール語 bhumari(竜巻)、 marttol(ねじまわし)。「廻る」が入っているようですね。bhumari の bhu は「土地」か?  / ブーメラン・・・・・・オノマトペア、風の「ブー」

> 飛ぶ蛇でトンボを連想しましたが、西洋ではトンボを「空飛ぶヘび」というそうです。
フィリピンでは固有の “龍” がなく、dragon 一本で通しているのは注ぎ目です。gon とはナニでしょうか。

> ところでサカ語でaska(放浪者、移動民)や ashka(涙、裂け目)がありました。
ネパール語 asu(涙)・・・・・・汗に似いちゅう。。*sk(すきま)は山中㐮太先生が指摘された日本語、いやさ世界語。
a- という語頭の限定辞、こりゃむずかしい! aska と 7行下の Yatra 、「熊野」をにおわせています。
おたしゃこのごろ、熊野の語源はネパール語の 「ghum-(まわる、見物する)」だと断じました。こころ意気です。
 
> サカ語も naga は蛇でした。※サカ語話者は秦氏そのもの?
「サカ」とはオシャカさまの所属した氏族名のシャカと同一だと考えてもいいのでしたっけ。
高校生が利用する程度の地図でも、インドに naka がついた都市の名前をみつけることができます。

> 太った(メタボ系)カラス(:いわゆるヤタガラス類似品)が地面を歩いているような動作 3本足に見える。
ネパール語 yatra(旅、巡礼)が臭い。いずれ近いうちに『やたがらす』という本を読みたいと思ってます。

[5684] Re[5683]: 原音*nax の展開      佐々木 2010/09/20(Mon) 21:08 [Reply]
>ネパール語 nag- には「飛ぶ、跳びはねる」
◎東南アジアには飛ぶ蛇が居るのです。ベニトビヘビ。
◎八重山の来訪神アカマタは飛ぶ蛇かも。竜巻のことか。数年前、竜巻に乗って、おたまじゃくしやフナが地上に降臨されました。
◎飛ぶ蛇でトンボを連想しましたが、西洋ではトンボを「空飛ぶヘび」というそうです。
 ところでサカ語でaska(放浪者、移動民)やashka(涙、裂け目)がありました。
 飛鳥川の上流の水しぶきを「涙」としたのか、上流の流れを裂け目としたのか、高松塚の飛鳥美人(の涙?)のこと。※サカ語もnagaは蛇でした。※サカ語話者は秦氏そのもの?
※太った(メタボ系)カラス(:いわゆるヤタガラス類似品)が地面を歩いているような動作をよく見ると、確かに瞬間的に3本足に見える、進路をいざなっているようにも見える。

[5683] 原音*nax の展開      生田淳一郎 2010/09/20(Mon) 13:58 [Reply]
> まずは長髄彦を例とする方が読み手の印象がよいかもしれません。
やあやあ、天才のしらべ! ばってんその場合、ne は おたしゃどうしてもネパール語の neta(指導者)にうしろ髪を握られたげなひっかかりをおぼえます。
それから、このごろのおたしの新説ですが、ネパール語 nag- には「飛ぶ、跳びはねる」があるのです。漢字の「飛ぶ」と置くのには、ちょっとひっかかりを覚えますが、長髄彦は「飛ぶ su(鳥)」となる。これならば「あすか(飛鳥)」が解体でるのではないかと愚念しています。

 《 原音 *nax の展開 》
▲ おっしゃる通り、 nax 末尾の X が脱落して na(へび、大地)が出ましょう。
オホナムチの「ナ」はこれでしょうね! あ、mut に竜がなかったか。朝鮮語の辞書がどっかへ遊びに行ってるんです。いちおう朝鮮語 mut(陸地)。ナムチにはパーリ語がへんな雑音(悟れない・・・悪魔)をたてますが、そんなこと実際にあったのだろうか?
あ、そうか! 「大地神・悟ったひと」でしょうか。
大地・土地神のめぐみとして「刀」がある。直江・・・といったか。
ナコソは「来るな」ではなくって「へび男の so(巣窟)」。
新羅初代王 ヒョッコセの別名に「○○ナイ」がある。「へび神」か / 内閣総理大臣?
▲ nag の段階で o(神)がくっついたのが 名古屋。
▲ n の濁音は d . 「ヒのくに」は日高。ただし、北海道の日高は pitar(小石原)の ka(上)。
▲ 銅鐸のさなきは「 sa(メロディー)+ nak < nax 」
▲ 原音 *nax の x が h に変わり、第二子音濁化のクセで濁音化した場合、大地神のめぐみがナバ(九州弁 きのこ)。「苗」もにおう。
▲ x が w に変わったとき、名和さんがでる。

[5682] Re[5681]: へび あれこれ  佐々木 2010/09/20(Mon) 12:09 [Reply]
>中大兄皇子や中臣鎌足
 まずは長髄彦を例とする方が読み手の印象がよいかもしれません。
>na
「な」には、土地、地面などの意味合いがあるのでは。
 「むし」には、うろちょろと動き回るなど。
>ヘレニズム
 Hellenism:古代ギリシアの名称のヘラス(Hellas)からでしょう
※死体の一部から神(生命体)が生まれるとは
 なまこはばらばらにしても、10ヵ月後新たな個体ができる。いやもしかすると当時にすでにips細胞があったのかも。

[5681] へび あれこれ  生田淳一郎 2010/09/20(Mon) 07:29 [Reply]
下、[5679] クロマビョン史 18 は 3行ぐらいしか予定してなかったので、直接板に打ち込んだのですが、指がすべってヘンなふうになりました。
サンスクリット語では蛇も竜も naga だったと記憶しています。人造語の乱脈を訴えたかったんです。

▲ 蛇はどこの民族でも忌避語が考えられます。「ナワ」というのは形態が似ているところから いちおう、“縄” におちついたみたいです。ですが、佐々木さんのご記述をみていてハッとなりました。
nag とは 原音 *nax の X が濁音 γ を経て、できあがった語形ではなかったか・・・・・・です。
中大兄皇子や中臣鎌足に使われている naka は国という語が固着する一歩前の「くに(土地神が守護する地方)」であることはタシカでしょう。少なくともこの日本列島では、蛇の古代音は nax だった・・・。いかがです?

▲ 「クチ」も多いですね。これはアイヌ語に入れこんでいるアタマには kucchi(人称形で帯)しか写らないことでしょうが、その起源はネパール語の kutta(膝から下の脚 → 靴)で、ここにゲートルを巻いて蛇から咬まれたときの対策としたものと想われます。

▲ 「ムシ」も多いですね。日本語の “虫” を根幹から疑いたくなります。日本語との関連で考えられるのは「肚のムシが収まらない」など。蛇のムシは回虫の延長だったのでしょうか。
どこの言語だったか、ムシが作る虹には、ゴロ合わせで、なにかありました。
つい最近まで顕微鏡を知らなかった人類は、ムシをウジャウジャと湧いて出る生き物として捉えていました。タカミムスヒ のムス(産す)との接点がありそう。
「飛んで火に入る夏のムシ」・・・・・・、ネパール語に muslo(炎)があって、おたしゃアタマを抱えちょります。

● ヘレニズムの「ヘレ」とはナンでしょうか? バスク語 herri (くに、地方)。heren(足の不自由な)。
suge(蛇)、heren suge が「竜」 / 飛騨の へんぺ(蛇)は her-pe に還元できそう。その場合の -pe は、sarpa(ネパール語; 蛇)の -pa に似いちゅう。
● 東條操著『全国方言辞典』の「すでる」には、蟹、蛇の脱皮が出ていました。

● ブッシュマン居住地に近いところですが、アフリカでは竜巻に中には蛇がいると信じられています。

[5680] 蛇の方言など  佐々木 2010/09/19(Sun) 21:29 [Reply]
◎へびの方言は、青森:ながなわ、新潟:へっぴ、西日本各地:くちなわ(朽縄)、奈良:くつな、香川:くちなご、徳島:ぐちな、鹿児島:へつ、飛騨:へんぺ、へっぴ、京都福井:へみ。ほかにおおむし(大虫)、からむし(幹虫)、ごうまわり(郷回り)、なが(長)、みい(巳)。。
◎「へみ」にこだわるとギリシア語のhemi-は、半分(片っぽ?)を示す接頭辞。蛇に足がないことに通じるのかも。
◎蛇足までに、へびの脱皮も先述の「すだる」に通じるのかも。

[5679] クロマビョン史 18  生田淳一郎 2010/09/19(Sun) 19:30 [Reply]
 Podocarpus nagi、・ Nageia nagi は、サンスクリット語らしいです。

[5678] いざよい(十六夜)の月     生田淳一郎 2010/09/19(Sun) 08:13 [Reply]
> ナギの学名はPodocarpus nagi、またはNageia nagi 神木
佐々木さん、あり難うございます。これ、ラテン語ではなくギリシャ語らしいですね。ここんとこギリシャ文字から遠ざかって(遠い・sal)いましたので、あとで調べます。
するってぇと、ミナギのミも「大地の守護神・蛇」の巳、・・・でしょうね。
アイヌの始祖神・オキクルミの“ミ”も出て、慢性便秘が解消したげに存じます。
いずれにせよ、世界規模で梛が “竜樹” の一つ前の「蛇樹」だったわけですよね。

「方言・いざる」・・・・・・とは、えらく気遣った表現ですね。現代はモノイイがむずかしくなりました。ヘタしたら重営倉ですからネ。
しかし、お陰さまで忘れかけていた「十六夜」の語源が復活しました。
ネパール語に sar(うごく、移動する)があります。おたしは九州弁の「さるく(そんじょそこらを歩きまわる)」に固執しすぎて sarpa(へび)のことを忘れかけていました。
アイヌ語の猿は sarusi いいますだ。sar(しっぽを) us(くっつけた)i(者)の謂いで、ここでは sar はシッポ・・・・・・「長いもの」に転用されているかと。
おなじネパール語に sal(臍の尾)があります。これも蛇からの転用でしょう。
※ 日本語の“猿”がアイヌ語のほうに起源をもっていることには注ぎ目させられます。

おたしがネパール語の中の“包合”として bamesar(這ってあるく)を見出したのは、あの会話の連続のうちだったことでしょうか? 語彙中の e がアイヌ語にみられる包合機能だと愚念します。
この bam は「小さい、ガッチリした」という意味も持ちますが、「はぶ・へみ」と同根のドラビダ語系の *pæm(蛇)発の語でしょう。
さきに「bam(へび)だよ」とテーゼを相手に知らせておき、次に e で「それが」と続ける。これが包合の特徴でんす。沖縄の「アン・エ・タン(そうだったのか)」と同じ造語法です。

十六夜は √ i ○○V の造語法で、「 i ・蛇」が基本。この造語法はタガログ語にも多いです。
胴体を大地にくっつけて歩く蛇のようにグニャグニャと、気をもませながらあがってくる月。

[5677] Re[5676]: 「is (神)・  nag(へび)」での分析    佐々木 2010/09/18(Sat) 10:56 [Reply]
たいへん面白く拝読させて頂きました。
◎「なぎ」が蛇、「いざ」が、方言の「いざる」に近似する意味合いだと仮定すると、「いざなぎ」はとぐろを巻いた状態の蛇または蛇そのもの(蛇は足が退化していて、いざり歩行?)
 なおナギの学名はPodocarpus nagi、またはNageia nagi 神木でよく見かけます。
※Nageia nagiは蛇中の蛇のような印象です。
>皆木さんは、もともとは「南木」だった方も居るかもしれません。南木さんやら木南(君波)さんは、楠木正成の一族が逆賊扱いされて、中世以降苗字を変えたようです。

[5676] 「is (神)・  nag(へび)」での分析    生田淳一郎 2010/09/18(Sat) 10:12 [Reply]
イザナギは、さきに * izan(神)の開音化した *izana から展開してみました。
が、佐々木さんもおっしゃるとおりに、「イザ・ナギ」の分析もありそうです。その場合の「ナギ」は「土地の守護神としての nag(蛇)」・・・が確定できるようです。
nagi 末尾の -i は「者」でしょう。
*is も、伊勢などをみると、これも“神”に格上げできそう。is が開音化された語形は isa 。

こう見てくると「神・へび」も、説得力がありますね。
クジラの古名のイサナも「神・na(名詞化)」。
イサズミ神社という名前も「神・水」へと落ち着きます。
これらを並べて見ていますと、どうも形容詞後置形になっていて、インドネシア〜タガログ語に通じそうで、うれしくなります。

では、「izan からの展開」と「神・へび」と、どっちが正しいのかといえば、これはどちらとも正しいと思わざるをえません。しかし *is(神)の用例が少ないのが泣きどころです。
佐々木さんがおっしゃった「ナギの木(梛)」ですが、これも「土地神」ではないかと愚念しますがいかがでしょう。
熊野のどこの神社でしたか、参道の両側にオス・メスの木を並べ植えてあるそうですね。ところが、あのあと、おたしはふと地図の上で、ナギの自然分布の北限が山口県防府のすぐ北であることを知りました。すると、ここよりも北にあるナギの木は、歴史のうちにゴロ合わせで人工的に植樹されたものだと考えざるをえません。
岡山県には優秀な遺伝因子を持っている皆木さんがいます。「湊びと」とも考えられますが、これも「 mi(尊身)nag(へび・土地神)」らしい。
岡山県の北のなぎせん(那岐山)があって、ここら周辺でオロチ退治が起こっています。竜信奉が蛇信奉を駆逐した跡かと愚念しています。

[5675] おっと、比嘉さん      生田淳一郎 2010/09/17(Fri) 11:14 [Reply]
>  ※ 以前生田さんにご指導賜ったように思いましたが、勘違いかも
なんの、佐々木さんの勘違いにございます。pana を持たせようとのご配慮、おあり難うございます。

ついつい「すだる」と誤記しました。新しいEメールが sur-dar@…………ですのでアマカネ。

寅の刻といえばゼロから単純に 二時間を三つ積み上げれば「午前六時の、明け六つ」・・・なんでしょうか?
誕生にかかわる水……ということで“羊水”とか“破瓜”を想いだしました。やっぱ水が命なんですね。

旭川の原音 chup ka pet の ka が割れたところで、沖縄固有みたいな姓の比嘉さんをおもいだしました。ヒカはいろいろ解釈もできましょうが「日の方角」すなわち“東”ともとれますね。
これを延長できれば 、キタカタ(北方)とかムナカタ(宗像)、山形、などの解釈にも幅をそえるようです。「はるか」などは par(あっち)ka(のほう)。

比嘉さんに「日」をあてはめると、沖縄での日本語大量流入は 13世紀以降のことですから、比嘉姓も13世紀以降のことになる・・・……とも考えられます。が、どっこい、日本語の「日」は南オーストラリアにいるアボリジニ語 yhi(太陽の女神)に通じているかと愚念していま。
太陽を「てんとう」という表現は、同じ地域にいる chintoo(太陽)と同根でしょう。
いっちょ、いっちょ、クロマニョン 16万年の歴史がしみこんでまんねん。

でも魚をフィーともいいました。比嘉さんは「魚・カ(家)」さんかもしれません。
おたしの新しい Eメールは上掲出に movie.ocn.ne.jp がつづいて完了です。

[5674] 生田さん参考までに  佐々木 2010/09/16(Thu) 20:48 [Reply]
「すでる」とは、吉成直樹「琉球民俗の底流」の原文引用すると「八重山の来訪神アカマタ、クロマタは、明け寅の刻に生まれるが、この生まれ方には「すでる」という言葉が用いられる。ここで言う「すでる」とは、ヘビが皮を、蟹がからを脱ぐような生まれ方をさしている。来訪神が“すでる”には、“すでる”ための水、“すで水”が用いられる。・・・」
※以前生田さんにご指導賜ったように思いましたが、勘違いかもしれません。

[5673] 旭川 chup-ka が完全解読された    生田淳一郎 2010/09/16(Thu) 08:08 [Reply]
 *sud のことで、善意の第三者のみなしゃんに報告しますが、ネパール語に 「sudeni(産婆さん)」というのがあるとです。おしまいにある ni は“尼”のように、女性をいいます。
 この sud とは「『よみがえる』という意味だ」とおっしゃった(と、おら記憶)のが、提督・sasakyan だったんでした。
 ま、ここはシロートの詮索の場だすけ、トコトンの追求をしたらおえん。

 おたし(豊後方言 ; わたし)が気にするのは、 ネパール語に surdae(日の出)があることです。この場合、*sur は太陽です。日本語に入ってきて「そら」に転意しているかと思います。ネパール語では、ふつう太陽は surye というのですが、この末尾の ye が何を意味しているかはわかりません。フランス語の太陽はソレイユでしたか、末尾の -y が共通しているみたい。
surdae 末尾の d と、surye 末尾の y は、日本語なら『ゲゲゲの女房』に出るように、規則的に d → y がいえるのですが……。
そればかりではあんもっはん。男性を敬称するに nahodae なる語があります。maho は「まはらば、まほろば」で、 * max(大)起源の概念でしょう。
surdae (日の出)の dae は日の出の「出」に似ている。mahodae との関係、どうかならんですか。

それにしても、佐々木さんはどこまで天才なんやろか。現代国語辞書、古代語辞書の両方をみましたが載っちょらん。ようやく東條操著『全国方言辞典』に「すだる」をみつけました。「卵などの孵化」という意味でした。

はなしポ〜ン。北海道旭川の原音として伝わっている chup-ka(東)の ka は、これまでアイヌ語では「上」としか訳せませんでしたが、佐々木さんのお導きで、「太陽、月の方向」……。快刀乱麻のドンピシャです。

[5672] *sud = 甦生  佐々木 2010/09/15(Wed) 10:36 [Reply]
折角のご質問でありますが、わかりません。思い出せないのかもしれません。
「すでる」という言葉と関係があったのか、生田さん、まこって申し訳ございません。

[5671] 言語に出る心霊現象     生田淳一郎 2010/09/15(Wed) 10:02 [Reply]
手許の台湾聰総督府がだした『阿美語集』で調べました。たしかに“北”は ka ɦamis でした。東は ka wari でした。現地発音はウィキペディアによれば、われわれ日本人感覚では アーメイ ユー に近い発音らしいですな。amis としたのはイギリス人のしわざらしい。
オレがなぜ錯覚したかには、あのとき、どこかの Google 検索で「アミ = 東 」が出ていたことがからんでいたことかとおもいます。
その前に、この“アミ”宣言を一種の心霊現象としてオレが把握し、ビックリして、予言として成立させようと計ったいきさつがありました。ナニゴトも「驚愕」はイケませんなぁ。

佐々木さんには、とくに確かめたい語がいま一つあります。それは「*sud = 甦生、よみがえり」ですが、出典とか、根拠はナニでしょうか? お教えくださいませんか。この *sud は、s- を強調接頭辞と置けば「ud = 陽がのぼる」に重なります。これが云えるなら「希望の asa 」が浮上するかと思います。asa はタガログ語、ネパール語で希望なんです。

言語面に出る心霊現象のことですが、このほど奇怪な書き込みにでくわしました。
「前世を語る主婦」http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/485/p485_1.html がそれです。
言語総体としての響きが、なんらかの機構となって、ひとりの日本婦人に、突如現れた結果になっているかと愚念します。

[5670] Re[5669]: 「割り出し基準」と HVHY さんのこと     佐々木 2010/09/14(Tue) 23:16 [Reply]
>台湾アミ語では その「アミ」が東でした。
確か北だったと思うが、さわり(東)、さもてる(南)、さわっぷ(西)だったかな。「さ」は方角とか太陽を意味すると思うが。「さ」も照(出)ると、勝手に書くとなるほどと思ったものです。

[5669] 「割り出し基準」と HVHY さんのこと     生田淳一郎 2010/09/14(Tue) 06:32 [Reply]
佐々木さんがおっしゃっている「東西南北」、神奈備ドンが言われる「上中下」などは、ウ〜〜ム! たしかに、歴史にこびりついている地名・人名・神名、天皇名などの固有名詞の内意の「割り出し」にはとても有効な方法だと思います。ウ〜〜ムッ !!

佐々木さんのみ教えでは、台湾アミ語では その「アミ」が東でした。アミ族は台湾の東一帯に割拠してます。ここが回廊となってインドネシア・タガログ語文化を日本列島まで北へ押し上げていることもタシカでした。
ところが「東西南北」は、氏族ごとにちがった発音をしている。が、「陽が出る」が東になるのはかなり共通しているみたい。
陽は安里屋ユンタだけでもマタハリ、nur , てだ、tsilar , ra-(エジプト)、xanur 、sham(アラビア語)と、いぱい詰まっている。「陽」はあてにできない。すると「昇る」はドンジャラホイ。朝鮮後ノッポは「高い」ということで、「上昇」概念に繋がる要素が薄いみたい。朝鮮後 *ol が上昇。これじゃァ いよいよナップンじゃ。

では、「あがる」はドンジャラホイ。「明るい」にも繋がって希望がもてる。/ 明けの明星。
でも発音のうえでは、すぐに中東方面の *ak , ag (火)と絡む。火 = 陽・・・? そういうこともあるのかナァ。

「川上」には懸詞が絡んでいます。kawwa はカラスだし、カラスは金属精練士。kam-i は仕事人。インドネシア語 kawan は仲間。 kami はネパール語で 「ka(の)mi(尊身)」ともとれる。山形県の「カミノヤマ(上山)」は金属精練士のにおいがぷんぷんです。
「シモ」も「 shi(の、之)mo(くに)」が絡む。naka も「くに」らしい。 / 朝鮮語 nakæ(水辺)。

とまれ、東西南北・上中下は、目を離せない割り出し基準ですが、おらはここで HVHY さんのことを想いだします。
HVHY さんは、ここでもかなりのボリュームを述べられましたが、漢字オンチ、数字オンチのおらには、理解不能でした。
いま、HVHY さんと同じ割り出しが http://6556.teacup.com/shugyo/bbsで語られてま。
平明な庶民語に翻訳してくれと願いでたのですが、いまのところ回答はありまへん。やっぱ平明語への翻訳はムズカシイらしい。
斬新な割り出し基準にはちがいないのですが、誰れぞ、平明な日本語に翻訳してくれへんやろか。

[5668] Re[5666][5664][5663]: イザナギ イザナミ       神奈備 2010/09/13(Mon) 16:48 [Reply]
『和名類聚抄』に、上−中−下を思わす郷名が並んでいるのが気に掛かっていました。
 川の上流を賀美としているような気がします。

大和宇智郡
阿陁郷、賀美郷、那珂郷、資母郷

大和吉野郡 予想地域
賀美郷  川上村
那珂郷  吉野川の北
資母郷  下市町
吉野郷  上市町の南

河内安宿郡 賀美郷、尾張郷、資母郷

伊勢河曲郡 賀美郷、資母郷

越前大野郡 加美郷、資母郷

播磨多可郡
賀美郷 加美村
那珂郷 中町
資母郷

[5667] 深呼吸 と 目の体操      生田淳一郎 2010/09/13(Mon) 10:35 [Reply]
佐々木さん、琉球松さん、やっとかめ なも(名古屋弁)。

佐々木さんには、あのとき、おしまいには長文の返答文章を迫ったようで、あのまま a:dho(ネパール語; 盲目)にしてしまったかと、内心ジクジクでした。
おめめは、深呼吸をしながら「遠い・近い、遠い・近い」をくりかえしていたら、良くなるってェ〜!
深呼吸はまいにち 150回はやってみてください。深呼吸は、なにもしないで、つづけて 10回もやるとアタマ・ぼ〜ですので、目のまわりなどを刺激しながら、肺とアタマをだましだましやるのがコツ。
おらは腹をなでたり、あたま揉んだり叩いたり、つねったり・・・、「肩を大きくうごかしながら左右を見ること 100回」などなどです。
お医者さんが「ご臨終でございます」と言ったときには、もう、ナニをやっても間に合いません。それが、今なら間にあう!

a:dho は a-adho に還元できるかと。いちばん前の a- が「反 非 不 否 」。つづく adho は「ひとみ・瞳」だろうと思っています。この adho の a- は「人の・・・」とかなんとかを表わす超古代の語頭限定辞で、小生は dho がシナ語の “ 瞳 ” と同根ではないかと、熱い注ぎ目でにらみつけています。

赤壁の戦いがあった時点の二年ほど前、「どうきゃく」とよばれた一騎当千のつわもの 800名が、四川省から荊州へでて、それから呉に与します。これが熊襲にちがいないと、これも熱い注ぎ目です。赤壁の戦いのあと、船ななんぼでも余っていた。

iBook はヨカッタ。「どうきゃく」のドゥもすぐ採れたが、こんかいの BookMac では字が出ません。
「……」も、日陰者みたいに小さくなって、下付きなる。「“”」また然り。

[5666] Re[5664][5663]: イザナギ イザナミ       佐々木 2010/09/12(Sun) 21:56 [Reply]
 大青草にてご寛容方。
 和名類聚抄から、「奈美」と「那紀」の郷名の位置を考えてみると「奈美」は西、つまり日没側(死後の世界?)、「那紀」は東、つまり日の出側(何かが生まれる)のように推定しました。(イザ)ナミを皇室が祀らないのはそうゆうことかな。
 ほか「賀美」は北?。「賀茂」は南?。
「余戸」は適当な地名が思い当たらず、とりあえず付けた地名、「拝志」は何かの間という意味のような地名。
☆いさなといえば勇魚・・・和名「くじら」も気になります。

[5665] Re[5664][5663]: イザナギ イザナミ       琉球松 2010/09/12(Sun) 11:57 [Reply]
訂正・・皇室が祀らないのは、イザナミでした。

[5664] Re[5663]: イザナギ イザナミ       琉球松 2010/09/12(Sun) 11:19 [Reply]
 沖縄諸島方言の「チュラカーギ」は「清ら影」で、「カゲ」は容貌を表しますね。
 本土側共通語の「カゲを慕う・見るカゲもない」などの「カゲ(姿)」と同じです。

 ですから、単語としての「カーギ」と「gi」は、切り離して考えたほうがいいんじゃないでしょうか?


 「gi」は、何か蔑称に使うような気がするんですが、どうでしょう。

 「シラギ」は「シルラ(新羅)ギ」が詰まったと考えることができますから、まあ、天智派 VS 天武派の事情の影響かもしれません。耽羅(済州島)をタンラギとは言いませんよね。

 それと、現在の皇室がイザナギを祀らない事実も考慮していいと思います。

[5663] イザナギ イザナミ       生田淳一郎 2010/09/11(Sat) 06:55 [Reply]
イザナギ イザナミ はいちど、これで大略の分析は済んだものとして掲出したかと記憶しています。
しかし、その後、別角度からのアプローチが出ましたので、ここはその改訂版としての掲出です。

前の分析は、主に ネパール語 jyan(命)からの展開でした。
「いのち」と書いて命(みこと)と読ませるように、いのちは神概念の中核にあります。

こんかいの改訂の発端はタジク語に「 izad(神)」という語があることを見出したことでした。この izad は前述の i-jyan(いのち・する)の関連語として位置づけしてもよいでしょう。
そして更にネパール語をみていましたら、*jan(生む、産む)があったことに気づきました。
ネパール語には umla , ubja(生産、産出)の語形もあります。 → ウブスナ。
そうしますと、 jyan のような拗音を採択するよりも、ここはタジク語がらみで *zan を祖形におくことのほうが、イザナギ イザナミの「発音としての正当性」が確保されます。
ネパール語・ヒンディー語の領域から一歩はずれた i-zan(神) を正面に据えることができるのです。

すでに開音化のことは申しのべました。子音終わりだった原始語は母音(おもに a )を末尾にもってくることで、安定した語形になるのです。
i-zan が開音化されれば「イザナ」が出るのです。これに gi がついたのが イザナギ だったわけ。

では gi とはナニでしょうか。
そのまえにことわっておきたいことがあります。古代では「神 = 人」です。
イザナギ イザナミを考えるにあたって問題となるのは、 gi とは男性であるか、それとも女性なのかという点です。
新羅の gi については朝鮮の学者も投げ出しています。しかし関連があるはずです。
この gi は ki の濁音化(第二子音濁化のクセ)でしょう。「紀のくに」や「滝」の ki でもある可能性がすこぶる高いです。でも、ここは不問に付しておきましょう。
……どうも、この gi は極東に限定されるようです。
マタギは狩りの女神です。だから gi = 女神 かと問うと、そうはいきません。沖縄のチュラカーギ(清らかな人)は男性でもあり、女性ででもあります。
そこで、小生は「始発の gi 」には男女の区別はなかったと、考えました。とにかくイザナギ は男女両性を兼ねそなえた神であったと思うのです。まず イザナギ があった。それが「くに生み」をしなければならなくなったとき、女神の存在が必要となって、izan-a に mi がついたのが イザナミ だった。
mi とは木の実のミでもありますが、アイヌ語、セミチック・バビロニア語にみられる女陰です。「メス」や九州方言のメメコのメでもありましょう。

イザナミという女神の出現によって、イザナギ は男性化した……、そうしかならないでしょう。

[5662] 天天   [Url] 2010/09/10(Fri) 12:11 [Reply]
歴史や古い文化が大好きな私ですが、「茶道」は今まで全く無縁の世界でした。子供の頃お琴こそ習っていたものの、「着物」や「お茶」なんかは決まりごとが多そうでめんどくさそう、若気の至り(笑)でほんとに興味なかったんですよね。だけど近頃年のせいかお茶や着物などの伝統文化についてあまりに無知だと恥ずかしいと感じるようになって、そろそろ触れてみたいなあなんて思ってたんです

[5661] pana と 神社 と 日本文化     生田淳一郎 2010/09/09(Thu) 13:17 [Reply]
ただし、台湾パイワン語の pana は「川」です。英語の rivar のように川を挟んで、いつも矢が飛び交ったところかもしれません。しかしシナの周時代には、あちこちの川に han が使われていますので、一概にはいえません。
この pana(川)が、日本列島各地にひろがっていることは論を俟ちません。
赤壁の戦いのあと、揚子江周辺には急激な干拓がすすみ、それまでの兵士はヒトゴロしの兵士をつづけるよりも、農民になることの方を選んだので、呉には兵士が足らなくなりました。そこで船が多く残っていたのを利用して、兵隊狩りをやりました。そのとき行った先の敵は鹿の角を武器にしていたといいますので、台湾だろうと思われます。
へんなことを書いたようですが、秋田県鹿角市には「塙町」があることを訴えたかったのです。
北海道八雲町にも花浦があります。

 では、弓矢の pana は日本列島ではどう消化されたのかといえば、それは神社仏閣の「花まつり」に如実に現れていることかと思われます。橘・藤・源・平といいますが、そのいちばん古い形の橘とは「太刀・弓矢」だと思われます。
 のしあがった武士は神社の社紋を譲りうけて、自らの家紋にしました。その多くは花模様でした。というより、神社そのものが移動する兵士の「宿」になり、神社と兵士は不可分の関係にあったといえましょう。

 武蔵一宮の大宮氷川神社の所在地は旧大宮市「高鼻町」にあります。
 旧大宮市の西北 25キロにある東松山市は「箭弓(やきゅう)神社」を中心に発展しました。今では野球に勝つために若者が参拝してるそうです。

●  ibu-すき(指宿)には花村一家がいます。「スキ」が朝鮮の村と同一なことにご注目あれ。
● 幕末、江戸城引き渡しの前、官軍がたと交渉にあたった徳川がたの大久保一蔵、勝海舟などの家に、刀の目利きとして出入りしていたのが、花川三樹。薩摩の密偵だとされています。
● 薩摩では、とってつけたような形で、遅れて「橘神社」を1ヶ所だけ作ってます。
● 鳥取には花房さんがいます。bus-a は bus(武士)の開音化された語形かと。
● 岡山県矢掛町に親友の花川がいます。若いときの顔はナポレオンのような鼻をしていました。
● インドネシア人といえば、虫の音に感情移入することで、平安貴族と同じ脳構造をもっていることで注目されていますが、小生の知り合いの近くにいるインドネシア人はとても色が白くて美人です。新潟県にいます。

[5660] Re[5659]: 追補 ak = 射る について      琉球松 2010/09/09(Thu) 11:19 [Reply]
 「コノハナサクヤ姫」って、金属製の完成品じゃあないかと考えますがどうでしょう?
 姉の「イワナガ姫」が、ゴツゴツとした醜い岩(鉱石)、あるいは材料の段階と考えれば、妹(次の段階)は "ハナ(キラキラと)" と解釈することも可能かと。。。「コノ」は「木の」でしょうか。

 そう解釈すると、南九州の勢力が姉を欲しがらないの理由も何となくわかる気がしますね。

 それと、「花の岩屋」とも呼ばれるイザナミの再生装置?では、植物の花で祭りをするようですが、この神が破壊された銅鐸だとすれば、"ハナ" はやはり金属の輝く様かも。

[5659] 追補 ak = 射る について      生田淳一郎 2010/09/07(Tue) 13:07 [Reply]
コノハナサクヤの語源解剖にあたって、どうして小生がアイヌ語の akno-guru を援用したかについては、説明を要すようです。
じつは、これを援用するまでには、かなり遠回りした路程と深ァ〜いわけがあります。

弓とか矢などの武器は次から次に改良されるので、古い語形はなかなかに現代まで伝えられていない趨勢にあります。ところが、それが奇跡的に伝えられていました。

 *pana-k という語形がインドネシア〜タガログ語で醸成されて、台湾アミ語を回廊にしながら日本列島に到着している……としかならない現象があります。
 それを語種別にたどりますと

 インドネシア語  panah     弓、矢
   〃      anak panah  矢
   〃      ibu panah   弓
 タガログ語     pana      弓 と 矢
 台湾クヴァラン語 pani      弓 と 矢
 台湾アミ語    panaq      矢
 チウリアタヤル語 panelu   矢

 小生がなぜ粗形を *pana-k へと絞りこんだかといえば、アイヌ語に aknoguru(弓の名手)という語があるからです。aknoguru 中央の no ですが、これはシナ語の「能」に似ていて、「よくする」というのがその内意だと思えます。
ネパール語にも nokar(女中、手伝い人), nokari(仕事、働き)があって、太古の語彙の広がりを見せています。
弓矢の祖形を*pana と置きたいところですが、台湾アミ語やインドネシア語をみると、 pana の後にナニかがついています。そこで祖形を *pana-ak と置いてみたときにアイヌ語の ak-no-guru を想いだしたのです。

この pana が日本文化の中にどんなに入りこんでいるかは、稿を改めて詳述したいと思います。

[5658] コノ ハナ サクヤ ヒメ      生田淳一郎 2010/09/07(Tue) 07:47 [Reply]
中央アジア語としては、小生はタジク語しかみていません。ですから、もっとほかの中央アジア語をあたると、もっと適切な語彙にめぐり遭えることでしょう。
また、小生はネパール語とヒンディー語は同一だと言っていながら、方法的に、まだヒンディー語はあたっていません。ヒンディー語をあたれば、もっと核心にふれた解釈が得られるのかもしれません。

koh というのはタジク語の山です。多くの民族が集まった古代では、山は山でも高野山のような聖なる山のことをいったのだと思います。また koch( chは フ に近い音)は宮殿でもあります。
「コノハナ」の no には “ 神 ” という意味もこめられています。
ハナとは花にはまったく関係なく、弓矢のことです。

さきに アイヌ語の akno-guru(弓の名手)を診ておいたがいいです。
akno の no はシナ語の能と同じで「よくする」という意味。ak とは弓を射る。
コノハナサクとは「聖地を守る弓矢 を ak 」だったのですが、春雨がハルアメとはならずにハルサメとなるように u と a のあいだに s という介入子音を入れて、語形を落ち着いたものとします。詳しく述べれば「 koh を護る弓矢を射る」が、コノハナ サク。
コノハナサクヤの末尾の ya は “ 神 ” でもありますが、抽象的な名詞をつくる接尾辞です。もしかしたらこの ya は強調を意味する「語り終わりの da 」が音転したものかもしれません。

聖地を護る武力団(コノハナサクヤ)のお嬢さんがコノハナサクヤ姫。

[5657]  カム ヤマト イハレヒコ     生田淳一郎 2010/09/06(Mon) 07:44 [Reply]
 神武天皇の諡(生前の通称)
「カム ヤマト」とは「大和にカン(冠)たり」と解してもよかろう。カン(冠)は一種の美称接頭辞。
大和はこのときすでに国名になっているが、ネパール語の jamat(人びとの集まり)から発展した国名。

末尾のヒコはタジク語 hir に名残をとどめる「宗教上の指導者」。「宗教上の指導者」とは辞書の記載をそのまま引いただけで、古代では宗教・行政・軍事が未分化だったわけだから、当然にも「権力者」でもある。

hirko の r 音が脱落して hik-o となったが、 hik-o 末尾の o は神、または男。
ヒロシマ周辺のヒロや、出雲の氷川、斐川、簸川を構成する氷、斐、簸は眼を離せない。

イハレとは Har har 言うこと + 強調の re < ra +-ai が基本。ここには「言われる」が懸詞されている。
Har har とはインダス川やガンジス川でみそぎをしながらヴィシュヌ神をたたえる言葉。
イハには iswau , iswor(神)が石、岩に変化した事情も内包されている。
イハレとした場合、「ルート i ○○ V 」の造語法での「祓いをする」も懸詞されている。

大和に冠たりて、har する指導者……が、カム ヤマト イハレ hir co。

[5656] カムヤイミミも割れたよ        生田淳一郎 2010/09/04(Sat) 08:08 [Reply]
 『ゲゲゲの女房』では、その女房の芙美子さんと、女房のダンナ・向井茂さんのふるさとである安木〜境港の方言がさかんに出てきます。
 具体的な例を挙げるために、五つ六つをメモしておけばよかったのですが、ついついわすれてしまいました。
 とにかく、ここの方言は法則的に徹底して d が y になるのです。

 BC 1300年の古さを示す津軽文化は、その固有のイントネーションに載せて固有の語彙も長崎〜薩摩までひろがっています。
 この地帯だけが女陰をマンジューというのです。もちろんマンジューだけではありません。このことは別稿の追求で申し述べます。
 これまでの考察では津軽〜長崎間は距離が離れすぎていました。ところがこのほど長岡市ちかくの小千谷市でもマンジューがしゃべられていることが判明しました。
 そこへへんな形で古代の偏執をみせる安木〜境港文化の浮上です。
 
 安木〜境港の d が y になる偏執は、そっくりそのまま「神八井耳命」の yai に代入することができるでしょう。
 すなわち、ヤイ耳とは「大耳」です。
 カムヤイミミの kam とは、カム・ヤマトのように「有名な」とか「成功した」を意味する古代接頭辞でしょう。

 あ、今日のゲゲゲ放映には n の濁音, d がありました。n が y に変わることもあるのかなぁ。

 まもなく『ゲゲゲの女房』の放映は終わるそうです。おわったら熱のさめないうちに安木〜境港の市役所に電話するつもりでいます。

[5655] イシコリドメの語源        生田淳一郎 2010/09/01(Wed) 17:15 [Reply]
 出かかっているヤツは気になるなぁ。……、アレじゃごわはんど。
 ナニがかというと、イシコリドメとい天の岩戸を開いた神様の名前。

 聖徳太子の取り巻き連もそうだったが、こういう人名はそのへんにいるオッチャン、オバチャンを適当にネパール語ででっちあげるのが常套手段です。
 皇室には割礼の風習があるとか聴きおよんでいます。やっぱスメラなどの西洋語をもっている皇室には、濃縮された中東語〜中東文化を引き継いでいるのではなかろうか。

 ここではまず中東〜ペルシャでの xo は、ネパール語では kho と表記されることを認めてほしいです。ホクラ(神庫)というのが中東〜ペルシャ系で、小倉となるのはネパール語的です。
 イシコリドメの「イシ(石)」は、さきに述べた iswar(神) , isworの日本的変貌です。イシコリドメは、岩戸開きのときには「神」ではなく、「石(=岩)」として適用すべきでしょう。

 イシコリドメの「コリ」の部分は、すぐに解決されます。ネパール語には khul(劇場などがひらいている)と khol-(開く)の同列語が辞書に記載されています。この二語は日本庶民の用語にはならなかったみたいですが、「窯クラ(子供の雪洞あそび)」には、入っているようです。
 で、石コリとは「岩を開く」になります。

 さて、問題はイシコリドメのドメの部分です。
 小生の結論をさきに言いますと、これはネパール語の dos(咎め、告発)と、日本語の「メ(目)」との合成によるもので、目付やウマ(大目)と同様に職掌の呼び名だったと思います。梅棹とか梅原というのも、これと同類語で「ウ(大)」+ 目 だとおもいます。
 dos は更に分析できます。 -s は西洋系言語に共通で主格を表わします。名詞形を作ると思っていてまちがいないところです。で、do だけでも「咎め」の意味となるのです。

 *do は「目」ではないかと、小生はカンぐっています。四川省を出て赤壁の戦いの直後に日本にやってきた熊襲……、一騎当千の800名の梟雄。かれらは「ドウキャク」と呼ばれました。その四川省の三星堆遺跡には眼が飛び出した銅製のマスクが出土しています。
 一つ文字の「目」だけで「サカン」と読ませています。飯塚市にのこっています。 sak-an = できる人の謂いでしょう。

 あ、ネパール語には khul , khol に似ている言葉に khod-(掘る) , khur(削る)があります。これらが歴史のうちに揉みもみに揉みあげて、日本語としての位置が決まっていったものだと思います。 

[5654] 神社・神名と現有言語        生田淳一郎 2010/08/30(Mon) 09:27 [Reply]
 数字オンチのオレがいうことですので、眉にべっとり唾つけてみてください。
 必ず認識不足やあやまちがあるはずですので、ぜひ指摘し、お教えください。

 疑問とか現実へのためらいがないことにはハナシは始まりません。
 ……疑問とはこうです。
 神社は日本全国に 25万あるということをききました。新羅神社のように同じ名前もあるので、この数字はかなり減ることでしょう。祭られている神もスサノオとかアマテラスもダブッています。しかし、神社名、祭神を合わせるとやっぱ 25万ぐらいになるのではないでしょうか。
 司馬遼太郎さんは言語学者でもあります。その司馬遼太郎さんが「日常会話に要する語彙は 500で十分だ」と書き遺しておられます。
 500 が 250000を産出しているという事実!!
 日本語が一つではなかったことの証拠でしょうが、この事態をどうみればいいのでしょう。
 日本人の名字も 35万あるということを聴いたことがあります。明治の徴兵制度実施で爆発的に増えたこともたしかでしょうが、ここには「500 と 250000」の同じ原理が底流れしているような気がします。

 何べんも書きましたが、オレの日本語観は「江南に屯していた蛋民(筏暮らしの人びと)を土着語として敷き込み、この上部に四川省発のネパール語系 “どう客(人ベンに童)語 ”を指導言語として成り立っている」との考え方でした。八代に上陸した 2000名のカッパこそ、熊襲の祖で、その人たちのことばが、日本中に広がったのです。
 では、その日本語によって、どれほどの神名がバレるのか……ですが、これまでの実績ではわずか 12柱か 13柱しかなかったのです。
 7年か 8年前、物部さんが現れて「ソホリのみこととは朝鮮の神だ」と、教えてくれましたが、それはどうもソホリが首都のソールに似ていることからの思いつきだったらしかった。
 オレ、犬どし生まれで、まじめがしんしょうですので、その後、鋭意追求していたところ、ネパール語に sohor-(集める)があったので、これは「合同祭祀」のことだろうと断じてひとり喜びました。ところがその後、インドネシア語に sohor(有名な)があることを見出し、アジャ〜となりました。
 そういえばカム・ヤマトのカム、スメラ、「トヨム(轟く)→ トヨ」なども「有名な」の部類に入ります。

 500 / 250000 の落差には、われわれがまだ知らない数十の言語種があるようです。巨岩を立てた文化主、ストーン・サークルを作った言語主……のことばは、辞書にはなっていないし、今となっては辞書作りは不可能事でしょう。
 だがだが、司馬遼太郎はその著『街道をゆく』のなかで「むらげ」をとりあげて、「こんな語が語源的に解明されるときがあったとすれば、そのときは言語処理に革命的な手法が出現したときであろう」と書き遺されました。
 オレ、その「むらげ」が、形容詞後置形であることのナゾと同時に「炉の長」という意味もハッキリと掴んだような気がしてまっさ。 

[5653]      フェティシズム   生田淳一郎 2010/08/29(Sun) 07:52 [Reply]
 オレ、やっぱ、記述がへたですなあ。読みなおしてみると文章に流れがなく、焦点ボケしてら。
 でも、これでも昔は文章がオモシロ過ぎたために、ひと一人が死んじゃったんですからアマカネ。
 
 ニンゲンの意識を支配するのは、環境とふれ合ったその個の経験だけではない。このことは、万人が認めるところでしょう。十数万……いや数億年前から積み重ねた先祖の経験がビミョウに、そしてヘンな具合に末端ランナーの遺伝因子に影響を与えています。
人相をみたら凡そどんな人物なのかがわかるのも、このへんの消長でしょう。
 現代人のオレが 上 ↑ のような気の利いたことが言えるのは、フェティシズムということを知っちょるからです。ふれあったこと、経験したことの一切が “自我” を形成します。ジャンケンで勝ったことも、野球で負けたことも、そこ当面の自我の一部となります。
 しかも催眠術で誘導すれば、どんな経験でも微細にわたって記憶されていることが分かります。
 心斎橋の上からよごれ川にとびこむ様子を連想してみてください。「優勝したという環境が自我に化けた」ので、飛びこんでいるのです。
 
 科学を知らない先祖たちは、自分を作るのは主として「食べ物だ」と思いました。つい最近のサンテグジュペリさんも「象を食ったら象になる、ウワバミを食ったらウワバミになる」といいました(星の王子さま)。
 原始宗教の段階では「酋長などの偉い人の肉を食べたら偉くなる」と信じられていた(と、措いたほうが早い)。
 氷河期が終わり、無数といってよいぐらいの氏族が陸地に蝟集せざるをえなくなったとき、飢餓状況は日常のものとなった。人びとは人間の肉を食い合った。そしてそれは当たり前のこととなって、習慣になった。

 アイヌ語を少しやったご仁は、そこに ue(人肉を食う)という語があることにギョッとさせられました。そして、その ue とは u(お互いに) e (食う)と分析できることに、ふたたびギョッとさせられました。

 シッダルタさんが亡くなったあと、守屋さんの先祖でしょうか、モリヤ族はその骨を砕いて 150 の破片にして、150の塔に納めてシッダルタさんの人徳と教えを忍びました。するとケンカばかりしていた神官僧侶たちは、塔のまわりに行けばなんとか食えるので、争いはしだいに無くなって、地方の治安がぐっとよくなりました。塔のフェティシズム化です。
 それを聴いたアショカ王は「そうか、そういう治安法もあるのか」と、頭に100ワット電球が灯って、150だった骨破片を更に細かく砕いて地方ごとに 500ヶ所の塔を築きました。日本の国分寺もこのデンだろうと思えます。
 しかし、偉い人の骨……ではなく、ほんとうは偉い人の肉を食べたのが、この動機の始発ではなかったでしょうか。

[5652] トーマンカッソー        生田淳一郎 2010/08/27(Fri) 10:33 [Reply]
 席亭ドン 中 の掲出、有り難うございました。
 松本克己先生が言語を世界規模の眼で診断されているお姿には、まったく同意でけま。
 これまでは、一流学者の発言がなかったため、両言語が地域的に近ければ、その二者は似ているはずだとの思い込みに支配的されていました。

 このへんをめぐって、以下、拙文を書かせてもらいます。
 日本列島内にあるため、アイヌ語は無条件に“同類”だろうと判断されてきました。
 へば(津軽弁)、朝鮮語もすぐ近くだから、類似語はワンサとあるだろう……と、希望に胸をふくらませて朝鮮語に入っていった人びとは、無惨にも夢をうち破られて、クッシュ〜ンとなりました。日本語と朝鮮語の間には 100内外の類似語しかないんです。
 オレは優秀な辞書にめぐり遭わなかったので、日本語とアイヌ語の間にある類似語彙の総数についての聰あたりはまだやっていませんが、その類似語彙総数は 850内外ではないかと直感してま。
 そこへチョロ〜ンと言いたいのは、「ネパール語とアイヌ語との間には 500の類似語がある」ということでんす。
 5754語彙を掲載したネパール語辞書と日本語の間には 1300の類似語があるんです。大野晋教授が「日本語はタミル語が起源だ」とした、そのタミル語との間には 350しか類似語はないのです。
 ネパール語とヒンディー語は同一とみてよろしい。
 BC 1500年、ヒンズークシ峠を越え、カイバル峠を超えて南下した数十のアーリア人の群のうち、一つがまっすぐ東進した先が BC 1300年をみせる遮光器土偶……、のふるさと。津軽だったことだろうと思っています。

 オレ、このごろN.H.K の「ゲゲゲの女房」をみています。
 なんと境港とか安木は九州弁そっくりじゃないすか。
 チョンゴシもナップンも意味はちがいますが、われわれも北九州でしゃべりました。
 放映の熱が冷めたころ、境港の役場に電話してみようと思ってま。
 世の中がどこもかしこも、ず〜〜っと縄文時代だったら、言語の地方割拠の現象は、ハッキリ観察されたことでしょう。

 ハナシ、ポ〜ンと飛びますが○○ニア、ボ△ネオ、□湾。
 この人食い人種だらけの中へ、アラビアから、ペルシャから、インドから船がやってきて言語面で大混成をおこしたんです。そういう指導言語があったればこそインドネシア語やタガログ語みたいな広域言語(?)という変形ができたのだろうと思いますよ。この趨勢、構造はどこの言語にも当て嵌まると思います。
 フランス語が二つの、英語は一つの土俗語を底辺に敷きこんでラテン語を高級指導言語に仰いでなりたっている、それと同じ構造が日本語、インドネシア語、タガログ語にもいえて……、そしてすべての言語に言えるのではないでしょうか。

 司馬遼太郎さんは指摘しました。川で魚を穫って暮らす民は、数万年経とうとも意識や文化、言語は変わらないと。
 *tumakas(逃げる)という語が、タガログ語、朝鮮語、トルコ語に見えます。
 終戦前後に北九州で「チョンゴシ」とか「ナップン」が流行ったころ、いっしょに「トーマンカッソー(作業現場などを逃げる)」がはやりました。奴隷船から逃げた子供たちが流行らせたことばだったことでしょう。

[5650] 写真掲示板のほうです         生田淳一郎 2010/08/26(Thu) 09:06 [Reply]
学者をめぐってのシロートの発言も厳密さが要求されるのかナ?
ひさしぶりなので、自分の新しい Eメールアドレスをまちがえて、24日、席亭にEメールを発信したらしいです。
フシギなことに、こんどのマッキントッシュではまちがい発信は「出もどり」にはならないみたい。

わたしが kamnavi と置いてポンと叩いたら、すぐに出てきたのが松本克己先生の記事でした。写真掲示板のほうです。
松本克己先生は日本海をめぐっての、朝鮮語、アイヌ語、日本語を想定しておられるようです。
一般的概念把握としては文法の類似をめぐっての「言語系統」の把握を訴えられておられる……と認識してま。
そうしますと「環日本海言語圏」が浮上しましょうし、そこから当然にも遺されて現実にある意味不明な語彙群までへの言及は避けられないところとなりましょう。
すぐ上で使った「当然にも」の論理はこび……、これも紋題ですかナ?

これまで、席亭にはさんざ迷惑かけましたが、諸悪の根源はワカッタ!
二度とあやまちは繰り返しません。安らかにお眠りください。

[5649]  イ シ と イ ワ        生田淳一郎 2010/08/26(Thu) 08:29 [Reply]
 ここの書き込みで、すぐ下のほうでも、そして本殿の神奈備掲示板のほうでも「石(イシ)=岩(イワ)」が水面下でにぎわっているようなので、わが存念のほどをひとこと書かせてもらいまっさ。
英語での stone や lock をイシとかイワなどと発音しているのは日本語だけです。あえていえばシナ語のセキ(石)の sh がイシに似いちゅう。
ところが目を南方に移せば、*bato(石)が普遍的に、族際的に使われしゃべられておま。iwa に似いちゅうのはアイヌ語 wattar(岩)やネパール語 pattar(石)がある。イシとかイワの語はどこも使ってないのであります。これはどうした事態でありましょうか? 
こんなこと書く……というのも、じつは、オレのあたまは「斯かる基礎語は族際的になっているはずだ」との頑迷固陋、断固たる先入観念に支配されているからであります。
● アイヌ語にも iwa があります。岩内(町)などもその典型です。 上掲の wattar とiwa は似ていると憶えば似ているし、ちがうと憶えばちがうといった関係にあります。

ここのモヤモヤを一挙に解決してくれそうなのが、ネパール語の iswar(神)、iswor(神)の語彙でんす。
説明が前後しますが、ネパール語の swa は日本語の si(おのがじしの“shi”…自分の自)に対応しています。
一例を挙げますと ネパール語の swatantra は「独立の」であります。

si をネパール語の swar, swor に代入すればいいのです。
おら、いとも簡単に「代入すればいい」といいましたが、じつは現実面ではそうも簡単にはいきません。
だがテキはこの中にひそんでいることはタシカです。
-o は神や男を謂う末尾辞です。語形めちゃくちゃに掴みづらい雲の中ながら、それでも isi-o と置けば「磯」が出るじゃありませんか。そう、安曇磯羅のイソラです。iswor に代入すれば、イショラではなくって、イソラと、日本語的です。
“磯”という文字が古代日本でどんなに活躍していたかに思いを巡らせてください。

神概念と濃密にかかわる「諏訪」は、長崎にもあります。これが御柱まつりで有名な信濃の諏訪とどう関係があるか or 無いか……は、いちど、この二社は切り話して考えたほうがいいと直感します。
そこで憶いだすのが、ボケ記憶ながら遺跡を出したことで注目された江南の「諏訪」です。これ、ナンと発音するのでしょう? スホウ(周防……山口県)かな?! いづれにせよ、この三者はネパール語の iswar , iswor が底支えをしているようです。
わが友人には大磯くんがいます。井沢さん、伊沢さん、あたりも出かかってハナシは佳境に入ったところですが、長くなりますので、このつづきは別の機会に譲りましょう。
くりかえしますがテキは iswar , iswor の中にいます。諸賢も考えてみてくらはい。
あ、岩内町は岩木山文化をもつ津軽勢力の北上した地点かもしれません。日本海がわですからね。

[5648] Re[5647]: ウ ズ メ 三 態   神奈備 2010/08/26(Thu) 08:12 [Reply]
> さっそく Kamnavi を開いてみてビックリ。なんと一流学者が「古代発音の意味を把握するなどの領域」に乗り出してきていらっしゃるじゃないすか。
> 松本克己先生です。

復帰歓迎。早速ですが、上の記述は意味が判りません。

[5647] ウ ズ メ 三 態   生田淳一郎 2010/08/25(Wed) 16:43 [Reply]
みそぎかたがたあっちに行っていましたが、きのふインタネットがつながりました。
さっそく Kamnavi を開いてみてビックリ。なんと一流学者が「古代発音の意味を把握するなどの領域」に乗り出してきていらっしゃるじゃないすか。
松本克己先生です。
まったくよのなか、日進月歩ですなあ。浦島次郎になったような気分ですばい。
これまでの日本は、言語学者の数だけはワンサといるのに、ワンサと残されている古代発音に関しては、その意味追求は、言語学者はだれ一人としてまじめな取り組みはやろうとしてなかったんです。ちょといいすぎたか、but 本居宣長、堀井令以知先生、村山七郎教授、大野晋教授、それに心理学畑出身の安本美典さん。
やっている人びとといえば、いわゆる「街のもの好き学者みたいな人びと」ばかりでした。

これじゃぁもうオレみたいなウス汚ぇ野郎の出番は無くなったみたい。
安心して死ねるのかなぁと思いましたが、松本克己先生によれば「日本語アイヌ語は朝鮮語とも大いに関連がある」みたいなことをおっしゃっていらっしゃるようだ。
まだ、詳しくは分かっていないが、言語年代学にもご執心のようだ。このへん、どうもイタダケやせん。
わしみてぇなヨゴレでも、まだ“幕”は残っているみたい。

そこで……
「ウズ」に議論の花が咲いているみたいですが、オレ、「ウズ」には三つの意味が考えられると思います。
一つは超古代語として考えられる ur(水)が第二子音濁化のクセで ud (ウヅ)となり、発音の弱化でこれが「ウズ」と変わったもの。竜という意味にもなったかと。
二つめは、ネパール語起源で *ud(陽が昇る)が意味変化をおこして、「東という方角」に用いられたこと。
三つめは満州語にもみられる uzu(頭)です。古代人は自然形状の丘や山を人体に譬えて名付けていますので、朝鮮語ウズモリのような変化もあります。日本では髪に刺す花をウズといったそうですが、これも頭 → 髪の概念変化のひとつでしょう。

アメノウズメの女神……。「陽が上昇する」のはか、じつにいろいろな意味がくっついていますなぁ。ストリップという意味もムベなるかな、出ます。
これらは酒飲んだ老人たちが「ことだま」を唯一のたよりとして、ゴロ合わせしたことによるものでっしゃろばい。

[5646] 神奈備流阿波古事記5終わり  神奈備 2010/08/23(Mon) 08:21 [Reply]
 阿波国名方郡に、
天石門別八倉比賣神社[・・ワケクラヒメ](名神大。月次新甞。)と
天石門別豊玉比賣神社[・・トヨタマヒメ]と言う式内社が鎮座しています。
ほかに、佐那河内村に天岩戸別神社(あまのいわとわけじんじゃ)が鎮座。

 このような名の式内社は、摂津国には天石門別神社、
美作国に天石門別神社、土佐国に天石門別安國玉主天神社が鎮座しています。

 天石門別神は別名を天窓神と言い、忌部氏が奉斎する神であり、忌部氏の祖の天太玉命の子とされる。天石門別八倉比賣神社と言う名の神社は天石門別神と八倉比賣神の二柱の神を祭る意味にもとれますが、天石門別を修飾語と見なして、忌部氏の奉斎する八倉比賣神と理解する考え方もあるようです。八倉比賣神を天照大神と見なせば、天石門開きは意味を持って来ますが、天石門別豊玉比賣神社の場合、豊玉比賣神は天石門開きとは関係のない神で、やはり忌部氏が奉斎するとの意味と取るのが合理的なようです。

[5645] 神奈備流阿波古事記4  神奈備 2010/08/22(Sun) 08:52 [Reply]
 阿波国の海部郡が那賀郡から分離されたのは平安末期のことですが、阿波国東側には出雲系の人々や海人族が多く居住していたようです。
 海部郡にあたる海南町大里に下記の式内社が鎮座しています。
 和奈佐意富曾神社[ワナサイフソ]
 『阿波国風土記逸文』に、「奈佐の浦の項があり、奈佐とは波の音が止むときもない。それで奈佐と言う。海部は波をば奈(ナ)という。」とあり、当地の大麻神社と言う意味との解釈もあるようです。

 『丹後国風土記逸文』に奈具の社の項があります。
 和奈佐老人・老婦が天女の一人の衣装を隠して、養女とした。養女は酒を造るのが巧く、それを飲むとどんな病でも直すことができた。老夫婦は豊かになり、天女を家から追い出してしまった。
 天女は豊宇賀能売命となったのです。外宮の豊受大神の誕生譚です。

 上の『風土記』の物語は実に不自然な話に見えます。老夫婦が天女を追い出す理由はまったくないと思われます。老夫婦は天女の恩人ではありませんが、この世での縁のある人です。阿波の和奈佐意富曾神社はこの夫婦を祭っているのではないでしょうか。和奈佐夫婦神の大里分祀と言う意味かと考えます。丹後の海人が豊宇気毘売神の信仰をこの夫婦ごと持ち込んだのかも。

 丹後の海人は難波にも来ているようですし、阿波にもやって来たのでしょう。阿波で伊射奈美神が亡くなった際、和久産巣日神が誕生しています。その神の子が豊宇気毘売神と伝わっています。阿波で豊宇気毘売神が誕生したと短絡はできませんが、深い縁を感じます。和奈佐意富曾神社の存在がそれを語っていると言えるでしょう。

 なお、『摂津国風土記逸文』に、稲倉山の条があります。
 昔、止与[口宇]可乃売神は稲倉山にいて飯を盛った。また言う、昔、豊宇可乃売神はいつも稲倉山にいて、この山を台所としていた。のちにわけがあって、やむをえず、ついに丹波の国の比遅の麻奈韋に遷られた。
 これを見ますと、摂津→丹後→阿波、また丹後→伊勢と遷っているようです。
 
 阿波と丹後との繋がりでは、美馬郡の延喜式内社の天椅立神社[アメヨリタチ]が鎮座していることがあります。柱を立てることは古代からの神祭に行われていましたが、それが神社名となって残っているのは丹後と阿波だけです。興味深いことです。

 麻殖郡の式内社で天村雲神伊自波夜比賣神社二座[アマムラクモノ・・・]が鎮座、男女の水神。
 天村雲神は八咫大蛇の尾から出た剣の神格化したものの名とも見えますが、丹後の籠神社に伝わる海部系図によりますと、火明命の子の天香語山命が穂屋姫を娶って生まれたのが天村雲命となっています。その子が神武さんを案内した椎根津彦命となります。ここでは大蛇よりは海人に祀られた神と思われます。
 
 天村雲命は天五多底命との称され、射立郷が成立しています。今は湯立と言うようです。

 『出雲国風土記』大原郡の船岡山の項に、「阿波枳閉和奈佐比古命(あはきへわなさひこ)が曳いて来て据えた船が、すなわちこの山である。だから船岡という。」とあります。
 阿波枳閉和奈佐比古命とは、阿波の国の和那散から来た彦神とする説があるようです。和奈佐意富曾神社の老父神。

 『出雲国風土記』意宇郡に忌部の神戸だ記載されています。
 「国造が神吉詞の望に、朝廷へ参向する時の、御沐(ミソギ)の忌里であるから忌部と言う。」とあります。
 松江市東忌部町に忌部神社が鎮座、天太玉命を主祭神としています。明治末期までは大宮神社と称していたようです。阿波からの遷座との伝承があります。

[5644] 神奈備流阿波古事記3  神奈備 2010/08/21(Sat) 08:44 [Reply]
 さて、鴨の神とされる事代主神ですが、この神を祀る式内社で事代主と名がついているのは、阿波国二社と大和国二社の計四社です。
阿波国 阿波郡 事代主神社[コトシロヌシ] 
阿波国 勝浦郡 事代主神社[コトシロヌシ]
大和国 葛上郡 鴨都波八重事代主命神社二座[シモツカモノ・・コト・](並名神大。月次相甞新甞。)
大和国 高市郡 高市御縣坐鴨事代主神社[ミアカタ・カモノコトシロヌシ](大。月次新甞。) 

 大和は鎮座場所+事代主神社の形式の神社名ですが、阿波の二社は事代主神社の単純です。大和国はどこかから勧請された神社なので、鎮座場所がついたのかも知れません。延喜式の神社からは阿波国が事代主神の本拠地のように思われます。

 事代主神は国譲りで父神に国を天神に譲ることを承知させたり、また壬申の乱で高市社にいる事代主神が天武天皇側に味方をして託宣をしています。これらの功労で宮中にも祀られている国津神です。出雲とは関係のない神がどうして出雲の国譲りに登場してくるのかですが、これは河内王権のできた際の葛城の鴨氏の服従が背景にあるのではとの指摘があります。

 『日本書紀』(神代)に、「この時に帰順した首長は大物主神と事代主神である。そこで八十万神を天高市に集めて、この神々を率いて天に上って、その誠の心を披瀝された。」とあります。この伝承は大和の旧来の勢力(カゴサカ・オシクマ)が河内の新興勢力(神功皇后・応神天皇)に敗れたことを、神話化したものと推測することができます。(塚口義信氏『ヤマト王権の謎をとく』)

 国譲りでのもう一人の脇役を祀る式内社が鎮座しています。 
名方郡 多祁御奈刀弥神社[タケミナト・・]

 式内社の名に「カタ」に相当する字がありません。しかし一見、建御名方神、建御名方富神と思われる神名です。関連があるのかも知れません。阿波が本拠地なのか、やはり信濃は南方刀美神社二座[ミナカタトミ](名神大) (現在は諏訪大社と言う)なのかが問題ですが、阿波にこのような神社が鎮座していることが不思議なことです。
 『持統紀』に、「須波の神・水内の神を祭らしむ。」
とあります。全国的な水不足の気候があったのかもしれません。その時に諏訪から勧請された可能性もあるでしょう。

[5643] 神奈備流阿波古事記2  神奈備 2010/08/20(Fri) 14:12 [Reply]
 淡路島には延喜式内社名神大社の淡路伊佐奈伎神社が鎮座、また阿波には延喜式内社の伊射奈美神社が鎮座しています。特に伊射奈美神の名を持つ唯一の式内社が阿波に鎮座しています。ただし、式内伊射奈美神社の有力な論社は麻殖郡山川町の高越神社と美馬郡穴吹町の伊射奈美神社(十二所神社を昭和になってから改称)の二社があります。どちらかが本来の伊射奈美神社であるかは不明です。

 伊射奈美神については『古事記』では、葬られたのが出雲と伯耆の境の比婆山とあります。また『日本書記』では紀伊国熊野の有間村に葬ったとあります。花窟神社とされています。これらは淡路・阿波・紀伊を股にして活動していた海人が伝えたのでしょう。彼らが吉野川を遡っていって伊射奈美神の信仰を置いていったものが阿波国美馬郡の伊射奈美神社の形をとったものと思われます。

『古事記』
 伊射奈美神は鳥之石楠船神を生み、次ぎに大宣都比売神を生みき。次ぎに火之夜芸速男神を生みき。亦の名は火之迦具土神と謂ふ。この子を生みしに因りて、み、ほと炙かえて病み臥せり。
 たぐりに成りし神の名は、金山毘古神、次に金山毘売神。
 次に屎に成りし神の名は、波邇夜須毘古神、次に波邇夜須毘売神。
 次に尿に成りし神の名は、弥都波能売神、
 次に和久産巣日神。この神の子は、豊宇気毘売神と謂ふ。
 かれ、伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、遂に神避りましき。

 ここでも大宣都比売神が生まれています。国生みの阿波につづいて二柱目です。穀霊については幾つかの伝承があったようです。
 ここで生まれた水神と土神の二女神はやはり阿波国美馬郡の延喜式内社として弥都波能賣神社[ミツハノメ]、波尓移[方扁に弥の旁]麻比神社[ハニヤマヒメ]が鎮座しています。現在はその名の神社は残っていませんが、論社があります。この二柱の神名の式内社は阿波国だけに鎮座しています。伊射奈美神の屎と尿から水神と土神が生まれたとする神話は、女神の死体、また排泄物から食糧がとれるとするハイヌヴェレ神話の変形で、大宣都比売神を国魂とする阿波国ならではで語られていた伝承なのでしょう。
 阿波の海人族や語り部が宮廷へ持ち込んだのかも知れません。

 伊射奈美神の後を追って連れ戻そうと伊佐奈伎神が黄泉の国に行きます。しかし行くのが遅れたようで、女神は黄泉の国の食べ物を口にした後でした。男神がタブーを侵しので、一人で逃げ帰る事になりました。きたない国に行ったので御祓を行おうと、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到って禊ぎ祓いを行いました。
 死んだ女神を連れ戻そうとした男神がタブーを侵して失敗する話はギリシャ神話にもあるそうですが、その後の禊ぎ祓いは日本的なお話のようです。

 禊ぎ祓いを行った場所は一体どこか? 色々な候補があるようです。

 谷川健一氏『古代海人の世界』では、阿南市津乃峯町の橘湾を例示しています。土地の人は津乃峯が見える屋根の上に昇り、零時になると死に瀕した者の名前をあげ、その命を助け賜えと祈るのです。津乃峯の神は一日に一人だけ命を助ける神とされているのです。早い者勝ちということでしょう。伊佐奈伎神が伊射奈美神に追いかけられた際、一日に千人を殺すと言われたのに対して、それならば千五百人を誕生させると応じた故事を連想させるとしています。津乃峯の麓を青木と呼んでいるようで、「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」の幾つかに一致しているようです。

 『海神宮訪問神話の研究』宮島正人著に筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原として、福岡県古賀市青柳の地を比定しています。立花山があり、その北の尾東山麓に五所八幡宮が鎮座、ここは墨江三前神も祭神になっています。立花−橘、尾東−小戸、青柳−阿波岐と対応、青柳川から海に出るのに遠くない所です。

 その他には、日向国にも当然の事ながら候補地があります。宮崎市大字塩路に鎮座する住吉神社には禊ぎ祓いで生まれた3貴子以前の神々が祀られており、社伝によれば第六代孝安天皇(2400年前)の命によって創建され、全国二千有余社の住吉社の総社であり、社紋は「○に元」で、これは住吉社の元宮の印なりと伝えています。
又日向の橘の小戸の檍原の神域が当社より大淀河口迄を指す。とあります。

[5642] 神奈備流阿波古事記  神奈備 2010/08/19(Thu) 19:48 [Reply]
『古事記』
 天つ神の命で、二柱の神は国を修め理り固め成すことになりました。

 二柱の神、天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画きたまへば、塩

こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩が

淤能碁呂島になりました。

 二柱の神はその島に天降り、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。

 二柱の神は性交で国を生むことにしました。

 先に女神が「あなにやし、えをとこを」といいましたが、女神が先に言うの

は良くないといいましたが、そのまま性交を行い、水蛭子を生みました。この

子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも、子の例には入りませ

んでした。

 今度は男神が先に、「あなにやし、えをとめを」といいました。
淡路之穂之狭別島(アワヂノホノサワケノシマ)。
次に伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)を生みき。この島は身一つにして面

(オモ)四つあり。面(オモ)毎(ゴト)に名あり。故(カレ)、伊予国(イ

ヨノクニ)を愛比売(エヒメ)と謂(イ)ひ、讃岐国(サヌキノクニ)を飯依

比古(イヒヨリヒコ)と謂ひ、粟国(アハノクニ)を大宜都比売(オホゲツヒ

メ)と謂ひ、土左国(トサノクニ)を建依別(タケヨリワケ)と謂ふ。


 一般的には洪水が起こり、兄妹二人が生き残り、国をつくり、人々の祖先と

なると言う物語が各国に残っているようですが、日本の場合は海に囲まれてい

る国土ですから洪水は必要なかったのでしょう。

 性交の起源、最初の天降りの失敗、その後の国生みと言う構成の神話は、台

湾、インドネシアやポリネシア諸島にも分布しています。

 二柱の神の神話は一体いつ頃に形が整えられたのでしょうか。神話の原形を

日本に持ち込んだのは海人族とされています。性交のやり直しで生まれたのが

淡路島、次が四国となっています。どうやら難波に都が置かれた頃に形成され

て来た神話と見ることができます。

 仁徳天皇は吉備の黒日売を追いかけるのを誤魔化して淡路島に行きます。そ

こで一首。
 おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 自凝島 檳榔

の 島も見ゆ 放つ島見ゆ
 これは国生みの準備過程で自凝島、蛭子、淡島が生まれるのですが、それら

が歌われています。
 枯野と言う船で淡路島から寒泉を酌んで宮に運ぶとあります。
 反正天皇は瑞歯別天皇と言い、淡路島で生まれています。
 仁徳天皇以降の王朝は淡路島との関わりが多くなって来ます。その頃にアマ

の持っている伝承が宮廷に入ってきたのかも知れません。

[5641] 草薙劔  神奈備 2010/07/25(Sun) 09:54 [Reply]
 土佐の四万十川流域には剣の出土や祭礼での使用の多い地域だそうです。(『古代史津々浦々』森浩一著 から)

 普通は天皇から下げ渡されるもののようですが、地方から天皇へ剣を進呈した記事が『日本書紀』にあります。

 天武天皇四年(六七五)三月丙午《二》◆土左大神以神刀一口進于天皇。

 天武天皇の時期に、草薙剣が天皇に祟ったので、即日剣を熱田神宮へ送ったとの記事が思い起こされます。
 朱鳥元年(六八六)六月戊寅《十》◆戊寅。天皇病祟草薙劔。即日。送置于尾張國熱田社。

 草薙劔は神代に天照大神に奉じられましたが、天孫降臨で一緒に皇居に置かれていたのを、鏡と一緒に伊勢神宮に持って行かれ、日本武尊がもらい受けて熱田の宮簀姫のもとに置き忘れていたとなっています。これが盗難にあうのです。
 
 天智天皇七年(六六八)是歳◆是歳。沙門道行盜草薙劔逃向新羅。而中路風雨。荒迷而歸。

 『紀』は、この記事以降の草薙劔の行方を書いていません。

 難波の式内社阿遅速雄神社に伝わっているお話があります。

 天智天皇(三十八代)七年十一月、新羅の僧、道行尾張国熱田宮に鎮り座す御神劔、 天叢雲劔即ち草薙御劔を盗み出し、船にて本国へ帰途、難波の津で大嵐に遇ひ流し流 され、古代の大和川河口であった当地で嵐は更に激しく、 これ御神罰なりと御神威に恐れをなし、御劔を河中に放り出し逃げ去りたり(之が地名となり、放手 放出 今 「はなてん」と云ふ)。 後この地の里人、この御劔をお拾ひ申上げ、大国主命の御子  阿遅鋤高日子根神御鎮座の此の御社に合祀奉斎すること数ケ年後 草薙御神劔の御分霊は永遠に当御社に留まり座し、奉斎す。 御神劔は天武天皇(四十代)の皇居、飛鳥 の浄見原宮に御うつし申上げ更に朱鳥元年六月、皇居より尾州熱田の御社に奉還し給ひ、永へに熱田神宮に鎮り座します。

 なぜ、難波の阿遅速雄神社に置かれていた剣が土佐にあったのか、これが疑問点です。

 『続日本紀』に以下の記述があります。
 天平宝字八年(764)十一月七日 再び、高鴨の神を大和国葛上郡に祠った。高鴨神について法臣の円興、賀茂朝臣田守らが次のように言上した。 昔、大泊瀬天皇が葛城山で猟をされました。その時老夫があっていつも天皇と獲物を競い合いました。天皇はこれを怒って、その人を土佐に流しました。これは私たちの先祖が祠っていた神が化身し老夫となったもので、この時、天皇によって放逐されたのです。

 高鴨神が土佐に流されていたのです。大和葛城の鴨族としては、何とか大和に戻したいとの思いがあったのでしょう。昔年の念願だった。

 と言うことで、難波の阿遅速雄神社が手に入れた剣は、都佐坐神社(高知市一宮)に送られて、ここから朝廷へ恭しく上納されたのか、などと思います。せっかく、朝廷に戻った草薙劔ですが、天武天皇に祟ったことになって、流された高鴨神が復帰するのは79年後になってしまいました。

[5640] 岩陰遺跡こそ女神の墓所  神奈備 2010/07/22(Thu) 11:13 [Reply]
 『紀』でのイザナミの墓所とされている所が三重県熊野市有間にあります。
 
 有名な 花窟神社 の御神体の 岩壁です。

 ♪花の時は花をもってお祭りし、鼓・笛・旗をもって歌舞してお祭りする。
http://www.mikumano.net/meguri/hananoiwaya.html

 どうも、岩陰や岩窟を墓所とするイメージがあったようです。

 
 『記』では、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山 となっています。

 通常、二箇所の候補地があるようです。

広島県庄原市の比婆山
ブナ林の中に標高1264mの場所に円丘があり、伊邪那美命の御陵と伝えられる苔むした巨石が横たわっているそうです。
http://websakigake.sakura.ne.jp/05-004.html


島根県安来市の比婆山
 本居宣長の『古事記伝』は出雲と伯耆の境に近い島根県安来市の比婆山であるとしているそうです。標高331mの山で、標高約280mの中腹に熊野神社(比婆山久米神社)が鎮座、イザナミの神陵古墳と伝えられるものがあるそうです。
http://www.geocities.jp/houshizaki/hibayama-yasugisi.htm

 上記の二所は岩陰のイメージよりは墳墓を考えているようです。縄文の女神には似合わない発想だと思います。


広島県庄原市東城町(かっての比婆郡)に岩陰遺跡があります。
帝釈寄倉岩陰遺跡です。この遺跡は縄文時代のほぼ全期間にわたって営まれた遺跡で、縄文時代の墓葬にも使用されていました。
雰囲気としてはイザナミ命の墓所に相応しいイメージです。
http://home.hiroshima-u.ac.jp/maibun/hiroshimaken/yosekura.html
http://www.taishakukyo.com/p02_01.html


「阿波古事記」では高越山を比婆山に比定しています。
 根拠は、「江戸時代に書かれた阿波国最初の史書に,「伊射奈美神社小社美馬郡拝村山之絶頂にあり,俗に高越大権現,祭神一座伊弉冉尊(いさなみのみこと)」と書かれている。」ことを挙げています。これが奈良時代の文献ならば面白いのですが・・・

 高越山付近に伯耆神社があるそうですが、出雲途方記の国境と言ってもアピールするものがありません。比婆に似た地名でも残っていればいいのですが・・・。

 三好郡東みよし町に加茂谷川岩陰遺跡があります。縄文時代の住居跡とされています。住居跡ですと、墓所もあったことでしょう。
http://www.topics.or.jp/special/122545511653/2008/04/120772541277.html
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/mnews/No40.pdf

 ここの方が縄文の女神の墓所に相応しいと思いますが。


 お隣の愛媛県に格好の岩陰遺跡があります。上黒岩岩陰遺跡です。
http://inoues.net/ruins/kamikuroiwa.html
愛媛県上浮穴郡、1万年間の墓だそうです。
さらに女神像を刻だ線刻礫が出土しているのです。
http://inoues.net/ruins/kamikuroiwa_museum.html

阿波のイザナミ尊を祭る神社に対応する女神の墓所、岩陰遺跡から探し出したいものです。

[5639] 大人伝説  神奈備 2010/07/21(Wed) 14:52 [Reply]
 伊予の国に大人伝説が残っているようです。西南部の宇和郡を中心とした地域に転々と残っています。
 土佐の宿毛から来た大人は一本松町を四歩で歩き、城辺町に入ったとか、足跡伝説で、約500mを一跨ぎしているとかです。
 また、大草履の伝統行事が幾つか残っています。
 内海村(西は豊後水道に面す。愛媛県の最南端)の字家串に足半草履を奉納する風習が残っています。宇和島市大浜・小浜では、地区の入口に足半様式の大草履を掛ける伝統が残っています。
 吉田町(宇和島市)では正月に町民総出で大草鞋をないあげる風習があります。
 宇和町(西予市)でも大草鞋を毎年更新して橋のたもとにつるすと言います。

 面白いのはこの大人伝説と重なり合うように特定名の神社が鎮座していることです。

 白王(白皇)神社です。現在の祭神は伊弉冉尊、伊弉諾尊の二柱の場合と、菊理比賣命の場合が多いようです。後者は白山権現と見なされたのでしょう。
 土佐の西中部にも白王神社が幾つか鎮座、祭神は猿田彦命が多いようです。

 もうひとつは、拝高神社です。高皇産靈尊、神皇産靈尊の二柱が祭神。これも祭神が失われてから付会されたように思えます。堀井順次氏が『真言密教と古代金属文化』の中で、愛媛県で19社あり、早高、鷅鷹、隼鷹、隼太郎、早鷹など。

 神社名からは隼人が連想されます。宮崎、鹿児島から船に乗れば、すぐに愛媛です。そう言う意味でも隼人の伝承が伝わったとしますと、大人弥五郎、大人隼人(火照尊)などを祭る人々がやって来た可能性が大きいと思います。

 余談ですが、弥五郎は多くの国に祭られています。

 美濃国可児郡(岐阜県可児市羽崎341番地の1の1)剱宮神社(けんぐうじんじゃ)
【祭神】金山毘古命 速須佐之男命 彌五郎殿

 尾張国知多郡(愛知県知多郡武豊町字上ゲ8)武雄神社(たけをじんじゃ)
【祭神】須佐之男命 (配祀)大己貴命 少彦名命 彌五郎殿命

 伊賀国山田郡(三重県阿山郡大山田村大字甲野1301)鳥坂神社(とりさかじんじゃ)
【祭神】武内宿禰 大日ルメ貴命 愛鬘命 彌都波能賣命 彌五郎 大山祇神 木花咲耶姫命 速玉之男命 大山咋神 健速須佐之男命

 伊予国伊予郡(愛媛県伊予郡松前町恵久美)頭王神社(ずおうじんじゃ)
【祭神】頭王彌五郎 (配祀)建速素戔嗚尊

 筑前国夜須郡(福岡県甘木市大字甘木1526-1)熊野神社内弥五郎神社
【祭神】彌五郎命


 大人・巨人・ダイダラボッチの伝承は列島各地にあります。

 『常陸国風土記』(那賀の郡)では、大櫛と言う大人が小高い丘にいながら、その手は海浜の大蛤をほじくり出して食べ、その貝殻が積み重なって岡になったと出ています。

 ダイダラボッチ  南紀熊野

 『播磨国風土記』(託賀郡) 
 託賀と名づけるわけは、昔、大人がおり、いつもかがんで歩いていた。南の海から北の海に行き、東から巡行なされたとき、この土地にやってきて言った。「他の土地はひくいのでいつもかがまり伏して歩いて行ったが、この地は高いので背伸びして歩ける。ああ高いことだ。」と。だから託賀の郡と言う。その踏んだ足跡の処は数々の沼となっている。

 この大人を新羅の王子の天之日槍に比定する説が多いようです。金属精錬関係では巨人と言える神でしょうから、そういう風にされるのでしょう。

 伊予の大人伝説もその足跡が消えていくのは大洲市付近のようです。この南に出石山があり、金属の多い中央構造線にも近い場所です。日槍が中央構造線を知らないはずがないとすれば、伊予の大人が日槍の可能性があるのかも知れません。

[5638] Re[5637]: 伊勢湾周辺  神奈備 2010/07/14(Wed) 12:02 [Reply]
> 弥生時代後期から古墳時代前期

 伊勢湾のこの頃と言いますと、狗奴国があったんだとの見解が愛知県埋文センターの赤塚次郎さんのかねてからの主張だったように思います。

 焼き蛤の桑名はその遺称だとか。

 古代を偲ぶ会  2010 11 20
 講師 愛知県埋文センター 課長 赤塚 次郎
 演題 狗奴国はどこか−2・3世紀の東日本の風景
 http://kamnavi.jp/link/sinobu10.htm

> 諏訪神社参詣で知ったことは土着の洩矢神は鉄輪で、侵入軍のタテミナカタは天竜川を遡り、藤蔓で戦い勝利したこと。

 ご承知のことと思いますが、真弓常忠著『古代の鉄と神々』に、上記のことが述べられています。

 鉄輪とは鉄鐸のことで、植物の根につく水酸化鉄をたたいて造るようです。
 一方、藤蔓は鉄穴流しで砂鉄を集める技術で、若干進歩した技術の勝利の物語としています。

[5637] 伊勢湾周辺  とみた 2010/07/13(Tue) 12:26 [Reply]
弥生時代後期から古墳時代前期に向けて東海地方は、東海式土器のs字甕とパレススタイル土器の発祥地と前方後方墳の多く分布している地です。二重口縁壷や手あぶり式土器も東海地方が関与しているような気がしてきました。

熊本の横穴式石室を見てきました。北九州の横穴式石室と相俟って、その石室様式が伊勢の志摩や鈴鹿の亀山地方に広がり、伊勢湾を横切って西三河(矢作川の西)に広がっています。豊田市の伊保遺跡は近畿系の土器しか出ていないようです。

諏訪神社参詣で知ったことは土着の洩矢神は鉄輪で、侵入軍のタテミナカタは天竜川を遡り、藤蔓で戦い勝利したこと。

伊勢の国を治めていた伊勢津彦が追い出されたのではないか。

伊勢の朝日郎は雄略時代の地方征伐で474年に物部目に討ち取られます。このとき伊勢を追われたのが伊勢船木氏です。科野(信濃)に逃げた記録があります。

出雲建です。伊勢の出雲系の民が諏訪にやってきたかも知れません。

大和の三輪山と都祁の雄賀山に出雲信仰がありますね。

船木氏は木工集団で王権や大神社に奉仕する職人のようです。

因みに古事記では伊勢船木氏と科野の金刺氏は神八井耳命でオホ氏の係累です。金刺舎人は欽明時代の地方豪族が都に出仕したのでしょう。


[5636] 豊中歴史同好会  神奈備 2010/07/08(Thu) 10:07 [Reply]
2010 7 10 14時〜16時
同志社大学教授 辰巳和弘先生

古墳時代の他界観とその系譜

市教育センター

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/

[5635] Re[5634][5633][5631][5629][5628][5627][5624][5622]: 銅鐸の話  琉球松 2010/07/05(Mon) 11:14 [Reply]
神奈備さん、どうもです。

伊平屋島の「朝道」は小石を敷き詰めた道との意味ですから「イシ・アシ・アサ」などは揺れの範囲と考えていいと思います。

石と玉の関係なんですけど。。。神奈備さんは、沖縄島南部の「玉城(タマグスク)城」をご覧になったようですが、この聖地の本名は「タマ」で、城門の形から本来は貝輪を意味していたと推測できます。
中国の「玉(ギョク)」は石ですし、近畿地方の古墳から出土する「鍬型石」などが、沖縄諸島産巻貝製貝輪のデフォルメ版であることを考えると、エナメル質の貝(玉?)も、石と認識されていたと思いますがどうでしょうか?

 これは、「豊玉姫・玉依姫」が南海の鮫であり、同時に巻貝であるとする説を補強できるものと考えます。

[5634] Re[5633][5631][5629][5628][5627][5624][5622]: 銅鐸の話  神奈備 2010/07/03(Sat) 19:18 [Reply]
> 沖縄諸島で、朝の字をあてる「アシャ」は石をも意味しますから

 沖縄にはかって屋良朝苗と言う名の知事がいました。丈夫な苗、丈夫に育てと言う親心のネーミングなのかも。


> また、鋳型の温度管理。。。『播磨国風土記』で、磐?大神が "熱いから早く脱がしてくれ"と訴えるシーンは、その鋳型を破壊するタイミングを指示しているようにも思いますね。

『播磨国風土記』
 揖保郡 阿豆の村 伊和大神が巡行なされた時、「ああ 胸の中が熱い」といって、衣の紐をひきちぎった。だから阿豆とよぶ。
 このシーンですね。揖保郡は金属のにおいのする郡です。面白い見方だと思います。

 話は変わるのですが、石工について。
 山城国乙訓郡(京都市西京区大原野灰方町)に、式内の大歳神社が鎮座しています。主祭神は大歳大神、配祀神に石作神、豐玉姫命が祭られています。小椋一葉さんと言う歴史作家さんは、この神社の由緒を著書に引用して、「大歳神社の祭神が石作造の祖神であり、祖神は火明命であるから、大歳神は火明命と同じ神を言うとする。」と指摘していますが、由緒書きには「石作連を祀った式内の石作神社を合祀している」ことを明記しています。ここの部分の引用をせずに著書に出して、いかにも大歳神を石作造の祖神とみせかけ、従って火明命と同じ神とし、挙げ句の果てに饒速日尊と同一としています。すざましい論法です。小椋一葉氏には赤色のカードを進呈したいものです。

[5633] Re[5631][5629][5628][5627][5624][5622]: 銅鐸の話  琉球松 2010/07/02(Fri) 10:57 [Reply]
沖縄諸島で、朝の字をあてる「アシャ」は石をも意味しますから、「朝妻」も石工では?と推測しましたが、強い根拠があるわけではありません。
ただ、銅製品には高度な鋳型技術が必要なのは明らかでしょうから、「一つ目・片足・小人」などの職人や鉱山労働者は優秀な石工でもある思います。

また、鋳型の温度管理。。。『播磨国風土記』で、磐?大神が "熱いから早く脱がしてくれ"と訴えるシーンは、その鋳型を破壊するタイミングを指示しているようにも思いますね。

[5632] 阿波古事記1  神奈備 2010/07/01(Thu) 21:09 [Reply]
 『古事記』の国生みの段で、伊予の二名之島を生んだとあります。四国のことのようです。HPの『阿波と古事記』には、次のような考えが述べられています。

http://park17.wakwak.com/~happyend/kojiki/rensai.html

 愛媛県を「東予…,中予…,南予…」と言っているところから、四国西部(愛媛県高知県)を「予」の国と称していた。そうすると四国東部(香川県徳島県)を「伊の国」と呼んでいたのではとの説です。徳島の西部に祖谷と言う地名があり、これはイヤと読みますが、イの国の谷としており、徳島にはイのつく地名が多いとしています。

 阿波と讃岐をイの国とする説は実に興味深く、巧みな解釈だと思います。一歩すすめますと倭国(イコク)(ヰコク)とも読め、日本の中心地だったことへつなげられます。イ国の中に阿波地域と讃岐地域があり、淡路とは阿波地域への通り道と言えます。

 さて、『古事記』には伊予の二名島(いよのふたなじま)(四国)として
     粟国は,大宜都比賣(おおげつひめ)
     讃岐国は,飯依比古(いひよりひこ)
     伊予国は,愛比賣(えひめ)
     土佐国は,建依別(たけよりわけ)
を作ったと書かれています。この内粟国・讃岐国は共に食物に関係しています。

http://www.dai3gen.net/oki-no-3go.htm
 所で、アイヌ語で古典を解読されている大三元さんのHPに「二つの・名前・(を持つ)島はアイヌ語で tu re (kor) sir です。(2=tu, 名前=re)」との指摘があります。さらに、「turesi という言葉があり、「妹」の意味。この島には四つの国あって、二つの国に男性、残り二つの国には女性の名前が付いています。tures (kor) sir,「妹・(を持つ)国」だった(と考えられていた)なんて想像はどうでしょうか。」と続きます。
 伊予の愛ヒメと土左の建依別 ([愛]らしい姫様と力強い[建]の対)
 粟の大宜都ヒメと讃岐の飯依ヒコ(両方とも穀物・食事関係)
というペア(カップル?)に読めてくるから不思議です。」と締めておられます。見事に解読されています。


 「turesi」は「連れし」と考えれば、やはり妹を連れているとなります。

http://www.dai3gen.net/ainu_yu11.htm



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