青草掲示板ログ平二十三年 七月〜 2011.7〜
多に蛍火の光く神、及び蠅声なす邪しき神有り。湯嶽神・菊嶽神の集い。
素人のひらめき、力はないが騒がしくなかなか従わない、一寸の草木にもある五分の魂の発露を!
 青草談話室

[6189] Re[6188][6187][6186][6184]: オリオン座  生田淳一郎(77歳) 2011/09/30(Fri) 19:00 [Reply]
 「ツ打三ツ個ウ」さんとやら、これってアンタの名前なんかネ。
 世の中変わったねェ
 カタカナかまたはひらがなで、発音をなぞって、いうてみてみい。

 ところでオリオンの語源、シランかね。人名起源じゃハナシにならん。
 オリエンタルとかオリジンなどが内包されているみたい。

 カラスは朝の 2時半ごろから騒ぐ。
 曇った朝空のむこうに、奇ッ怪な光を(上がってくるオリオンを)(寝ずの番をしていたヤツが)みつけて仲間に報せようと、ギャーギャァー騒ぐんじゃないだろうか。

 *ol は、ネパール語、日本語では「降る」、朝鮮語では「昇る」・・・・・、オリオンの昇りで、これでワカッタ。
 出雲弁で「学校をオリル」は、「学校を卒業すること」なんじゃがね。あ。出雲弁にはそんなには朝鮮語は濃密には詰まっていませんよ。出雲においての朝鮮語語彙は三つか四つ、僅少なんでふう。

[6188] Re[6187][6186][6184]: オリオン座  ツ打三ツ個ウ 2011/09/30(Fri) 15:24 [Reply]
もうちょっと深度が増したと思うのは:
「天之甕星」別名「星の香香背男」
オリオン座の諸星の呼称方言に
「酒桝星」とか「かせさん」とかがある。
http://mirahouse.jp/name/a/ori_wamei.html
http://mirahouse.jp/name/a/ori.html

やはり「甕星」とはオリオンの星のことのようだ。
日本古代人も星空を眺めて星座を感得し、星の神話を作っていたようだ。

ってのはどう?

[6187] Re[6186][6184]: オリオン座  神奈備 2011/09/29(Thu) 20:29 [Reply]
> それじゃぁ甕槌のそれ以前の名前はなんだったか?
> 竹葉槌 じゃ、という夢想。

 この夢想は天下無双になるのでしょうか!

 竹葉槌は倭文神で、言うなれば織物の神、およそ武神とはほど遠い存在、この神が何故、最後まで抵抗した悪神の退治ができたのか、これは相手が星神ならこちらも星神でと言う作戦であったのでしょう。
 織物の神とは天棚機神即ち七夕の神、同族神でなだめすかしたのでしょう。

 さて、織物の神が武神の神になることは、神様の世界では栄達なのだと言う夢想。
 

[6186] Re[6184]: オリオン座  大三元 2011/09/29(Thu) 09:20 [Reply]
丁度オリオン座周辺を考えてました・・・

「ゆふつづ」が「夕星」 ∴「つづ」が「星」
という仮説がある。それ自体は構うまい、と思う。
むしろ、更に、「つつ、つち」も「星」を意味していまいか、という試論。
http://www.dai3gen.net/tuti.htm

これは「甕星」=「甕槌」というタイヘンなことになる。
そこで「クマソタケル」が「ヤマトヲグナ」に「タケル」を献呈したので「ヤマト
タケル」になった、というのを適用して:
 甕星がやっつけられたときに名前を献呈したので甕槌になった、と夢想。
それじゃぁ甕槌のそれ以前の名前はなんだったか?
 竹葉槌 じゃ、という夢想。

[6185] Re[6184]: オリオン座  くず 2011/09/29(Thu) 00:19 [Reply]
琉球松さん、
>弥生時代中期に南下してきた神々は、沖縄諸島に旧暦4月に到着して同7月に奄美の方向へ帰っていきます。さらに奄美諸島ではノンビリする間もなく北へ去っていきます(台風シーズンを避けるため?)。

興味深いお話ですね^^
三国史記 (新羅本紀) にも173年5月の「倭女王卑彌乎の遣使」など倭人関係の記事が見られるのは4月から6月に集中してます。条件が良いはずの秋は皆無。
技術も進んだであろう天武・持統の時代には、遣新羅使10月10日の記事もあって、
秋にも渡航が行われていたので、4月〜7月の縛りは無くなっていたのでしょうけど、
弥生時代、渡航(渡り)に関しては、信仰に伴う要素が存在した可能性がありますね。

>それと、天武&持統の時代には道教も入っているようで、それと星座の関係はどうでしょうか?

日本書紀、天武天皇の記事に「能天文遁甲」とあり、占星術に長けていたようです。
天武天皇4年1月5日の記事「始興占星臺」とあって日本で最初の天文台を作ったとも。
道教、陰陽五行的な"風封じ"を考えますと、長野の諏訪信仰の中での薙鎌神事のように、風気=木気として、木気に相剋(相手を打ち滅ぼして行く陰の関係)にあたる、
金気の薙鎌を打ち込む。というにうのが思い当たります。
日本書紀「持統五年(691)八月、辛酉。遣使者祭龍田風神。信濃須波。水内等神。

の記事がまさにこの元になるものと考えます。
691年の干支は辛卯。
十干の辛は陰の金、十二支の卯は陰の木で、相剋(金剋木)。
8月は酉月(陰の金)"辛酉の日"も辛(陰の金)と酉(陰の金)の重なり日です。

この時には龍田風神とペアで祭祀されていた廣田への祭祀がされておらず、
信濃の諏訪、水内等神というのも、風神の性格が強かったとみます。
天武天皇13年に美濃王が信濃の調査にあたっていますが、龍田風神を祭ったのもこの美濃王。
水内(みのち)の名(長野県上水内郡、下水内郡として現存)は美濃王から来ているのかも^^

天武−持統期に例祭となっていた4月と7月の龍田と廣田の祭りは、月が決まっているものの祭祀日は各年ばらばらで日の干支も様々ですので、
なにか違う要素で祭祀日を決めていたと思います。


[6184] オリオン座  琉球松 2011/09/28(Wed) 10:52 [Reply]
 くずさんへ

 日の出と日の入りで季節は確認できるとしましたが、考えてみると、一定期間の定点観測が必要ですね。
 頻繁に移動する海人にとっては、北極星や星座はやはり重要だったでしょう。

 ところで、「龍田風神の祭り」なんですが。。。
 "オリオンが見えなくなる季節4月、見え始める季節7月に相対しているのでは" というのは、偶然かもしれませんが気になります。
 弥生時代中期に南下してきた神々は、沖縄諸島に旧暦4月に到着して同7月に奄美の方向へ帰っていきます。さらに奄美諸島ではノンビリする間もなく北へ去っていきます(台風シーズンを避けるため?)。
 これは、オリオンが見えはじめるのを合図にしている可能性がありますから、この星座が不吉とする地域があるのも理解できますね。

 それと、天武&持統の時代には道教も入っているようで、それと星座の関係はどうでしょうか?

[6183] Re[6182][6181][6177]: 手力男神と住吉神  琉球松 2011/09/27(Tue) 10:13 [Reply]
 くずさん、「お星様とコンピュータ」のご紹介、ありがとうございます。

 九州弥生人が先島諸島まで行かなかったのは、その必要がなかったからと解釈できますし、季節を確認するには、日の出と日の入りを確認すれば事足りますね。
 しかし、漂流などに備えて位置確認する場合には、やはり星座の知識が必要でしょう。

 玉城グスクの聖域は、雨乞い儀式もあったわけですから「雨粒」との解釈もできますが、これは王朝時代の話で、それ以前には星に関する祭りがあったかもしれません。
 それとですね、琉球女性の手の甲の入れ墨「ハジチ」には、「海のホーミ(女陰)星」と呼ばれるデザインがあります。なぜこういう呼び名なのかわかっていないんですけどよ。

 今夜は、オリオンビール片手に星座鑑賞といきますかね(笑)。

[6182] Re[6181][6177]: 手力男神と住吉神  くず 2011/09/27(Tue) 01:58 [Reply]
琉球松さん、ありがとうございます^^

北朝鮮籍の小船が何日もかけて日本へ漂着する事があります。
弥生時代においても、例えば北九州勢力が有視界可能な航路を独占していたとした場合、
夜間も含めた遠距離渡航が必要になった可能性もあったのではないかと思います。
が、渡航に有利な4月5月に見えないオリオン座が、指標であったとは考えにくいですね。
特に観測対象とするならばですが、

「お星様とコンピュータ」
http://star.gs/のプラネタリウムで、紀元前2000年までの星空をシュミレートできます。
このシュミレートで紀元前後に設定した場合、丁度夏至の日の出前にオリオン座の3つ星が東の水平線上から上がってきます。
縦並びの配置といい暦の観測にはもってこいの星座であったと思います。

夏至の日の出に先駆けて、東の空から上がる。
立秋(8月7日)の頃には七夕神事が行われる深夜1時(夜明けの晩)頃に見え始める。
鴨の渡る時期(晩秋)には空高く輝く。

初秋から春先まで、台風の到来と冬の荒海で渡航が難しくなりますが、それがこの星座の見える時期と重なる事で、海荒れ(風雨)と関連付けられていたのではないか。
これは素戔男尊、味鋤高彦根神、建御名方神、伊勢津彦神などの神格との重なりを考えます。

「つつ」=星説からは、
東北に都々古分神社と言う名の神社が見られますが、いずれも味鋤高彦根神を主祭神とします。
この都々(つつ)も星ではなかろうかと。
福島県玉川村の都々古分神社の御由来に(藤原鎌足が)古木の下に塚があり、掘ってみると石筒があり、なかに白石と赤石が入っていた。とありました。
3つ星と同じく、白星(リゲル)と赤星(ベテルギウス)はオリオンの象徴なので、面白いとおもっています^^

>玉グスクの聖地「テンツギ/アマツギ」
玉グスク(城)の別名がアマツヅとなっているのを読みました。
天筒、星の祭祀場であったら面白いですね^^

[6181] Re[6177]: 手力男神と住吉神  琉球松 2011/09/25(Sun) 16:19 [Reply]
 くずさん、星座に関してはこちらでやりましょう。

 弥生遺跡が、宮古八重山諸島に分布していない事を考えると、少なくとも弥生人達の移動は有視界航行だったはずで星座を頼ったとは思えないんですが、古墳時代以降となると事情が違うかもしれません。

 これは参考になるかどうかですが、「玉グスク(沖縄島南部)」と呼ばれる聖地の中心に「テンツギ/アマツギ(神名・アガルおイベ/ツレルおイベ)」との名を持つ聖域があります。この施設は夏至の日の出と冬至の日の入りを重視しているんですが、「ツギ(ツヅとも)」が「粒・筒」と関わるとすれば星座との関係性があるかもしれません。

 ご存知のように、島嶼圏では太陽も月も再生して海か産まれるとの観念ですから、星もまた同じなわけです。こちらでは「ニヌファブシ(子の方向の北極星)」さえ確認できれば夜間航行はなんとかなるように伝わっていますから、オリオンなどはなかなかピンとこないいんですよ。

 ただ、この観測所?は創世神「アマミキヨ("海部"語源説あり)」の子孫が造ったとの伝承もありますから、北部九州あたりの海人が羅針盤としての星座観測技術を持ち込んだ可能性はありますね。

 だとすると、「ツギ」に「粒」の字を当てているこちらの文献からすると、星をも祀る施設かもしれませんから、そう少し考えてみたいものです。。。これは盲点かもしれない!

[6179] Re[6177]: 手力男神と住吉神  琉球松 2011/09/25(Sun) 15:31 [Reply]
 くずさん、星座に関してはこちらでやりましょう。

 弥生遺跡が、宮古八重山諸島に分布していない事を考えると、少なくとも弥生人達の移動は有視界航行だったはずで星座を頼ったとは思えないんですが、古墳時代以降となると事情が違うかもしれません。

 これは参考になるかどうかですが、「玉グスク(沖縄島南部)」と呼ばれる聖地の中心に「テンツギ/アマツギ(神名・アガルおイベ/ツレルおイベ)」との名を持つ聖域があります。この施設は夏至の日の出と冬至の日の入りを重視しているんですが、「ツギ(ツヅとも)」が「粒・筒」と関わるとすれば星座との関係性があるかもしれません。

 ご存知のように、島嶼圏では太陽も月も再生して海か産まれるとの観念ですから、星もまた同じなわけです。こちらでは「ニヌファブシ(子の方向の北極星)」さえ確認できれば夜間航行はなんとかなるように伝わっていますから、オリオンなどはなかなかピンとこないいんですよ。

 ただ、この観測所?は創世神「アマミキヨ("海部"語源説あり)」の子孫が造ったとの伝承もありますから、北部九州あたりの海人が羅針盤としての星座観測技術を持ち込んだ可能性はありますね。

 だとすると、「ツギ」に「粒」の字を当てているこちらの文献からすると、星をも祀る施設かもしれませんから、そう少し考えてみたいものです。。。これは盲点かもしれない!

[6177] 手力男神と住吉神  くず 2011/09/24(Sat) 17:25 [Reply]
神奈備掲示板からの流れですが、本来青草はなしがふさわしいのでこちらへ^^

住吉三神(海部氏、多氏?)綿津見三神(安曇氏)宗像三女神(宗像氏)
と海人族と三神を祀る関係は疑いようのないところです。
特に住吉三神、綿津見三神に見られる、表、中、底の"縦の関係"は、
真東から縦並びに昇るオリオンの3つ星の様子を映しているようにも見られます。
海に沈んだ猿田彦の御霊も同じと見ます。

オリオン座は(現在)天の赤道上に位置するため、真東から昇り、真西に沈みます。
これにより、海人族が航海をする上で方位を知る指標になったのではないか?
という説がありますが、航海に適した時期はオリオンが見えない時期でもあり、
方位を知る指標とはなりえなかったという反説もあります。
http://kouinequal.arrow.jp/0030303tutu.html

航海に適する時期にこの星座が見れなかったという事は、
逆を言えばオリオンの見える時期は海が荒れて航海に適さないという事であり、
海が荒ぶる事とオリオン座の出現が関連付けられていた可能性を考えています。
海荒れの鎮めを神格化されたオリオン座に行っていたのではと。

関連としては天武天皇、持統天皇が毎年4月と7月(もちろん旧暦)に龍田風神の祭りをしていますが、
オリオンが見えなくなる季節4月、見え始める季節7月に相対しているのではないか?など。

さらに古い時代では海を和ませる、風を凪ぐために、サナギの鈴、薙鎌などが使われたのではないか。
『諏訪大明神画詞』のなかには、「八幡大井、諏訪、住吉同体ノ由来アリト申」と。
沢山ある視点の一つからに過ぎませんが、今のところ、
住吉神―諏訪神―味鋤高彦根神―天若彦神―伊勢津彦神―手力男神
は元は同じ信仰から発生したクニ(地域、族)毎の神名の違いではないか?

[6176] スンダ語シリーズ宣言  生田淳一郎 2011/09/24(Sat) 09:16 [Reply]
 下 [ 6175 ] を書いたあと、つづけてインドネシア語辞書をよんだのですが、インドネシア語が導く日本歴史との関わりは由々しすぎます。
 まだマレー語をやっていない小生は、これまで「インドネシア語とマレー語は、かなり決定的に別扱いされて然るべきものだろう」との思い込みに支配されてきました。
 ですが、きのふ初めて 1972年に「マレー語とインドネシア語の発音表記が統一されたこと」を知りました。
 これは「大・スンダ語」の潜在を予言していると思いました。
 というのも、これまでどこの “ 国語 ” も、このお定まりのコースを辿ってきたからです。

 小生は インドネシア語という長い発音にはマイッタ・マイッタでしたので、当分間、「インドネシア語 + マレー語」を「スンダ語」と呼ぶことにしました。
 小生はこれから「スンダ語」を標題としてシリーズさせて頂きたいと存じます。


 就いては、ここの掲示板はいつのまにか小生ばかりが書き込みをするようになっていますが、もちろん斯かる事態は小生ののぞむところに非ず、みなしゃんはぜひ小生記述の流れかまわずに「飛び入り記述」をやってくださるよう願います。

 みなしゃんがここへの記述を躊躇なさるのは、想いますに、「青草」という意味を誤解なさっていたっしゃるからではないかと存念します。
 生まれてこのかた、いつも「リッパになろう、ひと様から褒められる存在者たらまし」とおもいつづけて来たみなしゃんは、「すこしでもエキセンなことを発言するのは、じぶんの名誉を傷つけることに直結するだろう」とお思いになっているのではないかと懸念します。

 文明の進歩に寄与できるものならば、火の中へ飛び込む・わが手に糞をも掴もうという燃える闘魂を胸に抱いているならば、なんの個人(じぶん)の不名誉なんざ毫も気にしないぐらいの特攻精神を持ってほしい紋です。
 二十歳前から「バカになれる神経」にあこがれ、45歳から 10年間、底辺大衆がもつ「ふだん記」にかかわった小生は、ヘテロ(異分子)的かもしれません。
 しかし、文明がここまで行きづまっているとき、それを根底から考え直すには「青草」こそ狙い目ではないでしょうか。

[6175] Re[6174][6173][6172]: ソホリのミコト    生田淳一郎 2011/09/22(Thu) 16:05 [Reply]
 インドネシア語辞書を読んでましたら、とんでもないことを見出しました。
 なんと sohor とは「有名な、名の知れた」だそうです。
 これはネパール語の 「sohor(集める)」と大いに関連あるものと見るべきでしょう。
 「スメラ」も印欧語で mehra(有名な)に強調接尾辞の S を冠したものだった。

 ホアカリも <1>知恵、思考、策、策略  <2> 根、根源、起源 と、二つの基準が供せられていました。

 面白いのは se mang at(生命、低、霊魂、精神)の語。語頭の se はわかりませんが、末尾の at はアイヌ語の ram-at(たましい)と同じ。
 せば、mang とは勾玉の マガ だとおもえる、

 インドネシア語には、その他い〜〜っぱいありそう。
 古代のヤマト政権中央の人びとは、インドネシア系だと断じてよい……みたい。

[6174] Re[6173][6172]: ソホリのミコト    生田淳一郎 2011/09/22(Thu) 07:52 [Reply]
 あり難うございます。さすが、年期が入ったてぇ感じ。
 とりわけ、神奈備掲示板のみなしゃんが神名などの発音をどのように常識化しておられるかが、ここに片鱗とはいえ、窺えたは、小生としては大収穫でした。

 直感として得られる ソホリ の意味は「集める」ではないみたいですね。
 あまりにもネパール語の sohor と似ているので、すこし振り回されたみたい……かな?
 まず、読みとしての「曽富理神(ソホリノカミ)」は、ソフリとして受け取るのが馬鹿をみる正直者の常道たらめ。
 だからといって、ソフリにして考えても、今のところは、ナンにも出ない。
 が、あえていえば「ku-ni」、「kal(金属精練)」につづく so は朝鮮語にみる “ 鉄 ” としたいところ。
 そうすと pur--i で、赤とか村となろうか? 曽富理神 が女神であれば 末尾の i がいよいよ生きてくる。

 もう一度 ソホリ に立ち帰って考えてみると、曽我さんなんざは sirga(天国)の訛りだろうから、sor--hor と置ける。
 H ⇆ K を援用すれば 「天国を開く(神)」となろうか。

 こんかい示されたカタカナ部分は、愚生を勇躍させます。もちろんワカランことばっかしですが・・・・・。
● くみど とは木組みの戸ではないことは確か。夫婦の寝室と解釈されている「ツマゴミ」と同一意味。 ku = sえx 。
● 「おこす」……、ナンだったか、佐渡島に中興の地名あり。発祥ぐらいの意味でしょう。中は「くに」。
● 娶(メト)……ミト と発音するべきでしょう。意味は「同族となること」。チンパンジーでいえば ホンガ・ホンガ。
● 大年 ……これを朝鮮語流 〜 世界語流にいうと 「オオ・サル」にしかならない。
  ここにはアイナメ祭が伏流とされている。へば「トシ」とは何かとなったとき、「 to は太陽」までは云えるが・・・…。

 ドンのご指導で以ちまして、こんごケッケムクリ励みますので宜しくゥ〜〜。

  

[6173] Re[6172]: ソホリのミコト    神奈備 2011/09/21(Wed) 13:51 [Reply]
『古事記』

須佐之男命の神裔(シンエイ)
故(カレ)、その櫛名田比売(クシナダヒメ)を以(モ)ちて、くみどに起(オコ)して、生みし神の名は、八島士奴美神(ヤシマジヌミノカミ)と謂(イ)ふ。また大山津見神(オホヤマツミノカミ)の女、名は神大市比売(カムオホイチヒメ)を娶(メト)して生みし子は大年神(オホトシノカミ)。次に宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。二柱。以下略

大年神(オホトシノカミ)の神裔
かれ、その大年神、神活須毘神(カムイクスビノカミ)の女(ムスメ)、伊怒比売(イノヒメ)を娶(メト)して生みし子は、大国御魂神(オホクニミタマノカミ)、次に韓神(カラノカミ)、次に曽富理神(ソホリノカミ)、次に白日神(シラヒノカミ)、次に聖神(ヒジリノカミ)。五柱。

 大年神については、『日本書紀』は触れていません。『古事記』のこの記事については、渡来系氏族(例えば秦氏)が、いれたのではないかとの見方があります。

曽富理神を祭る神社の例

兵庫県姫路市林田町 荒神社
愛知県新城市小畑 唐土神社
愛媛県北宇和郡広見町 河内神社
山形県東田川郡櫛引町 河内神社

[6172] ソホリのミコト    生田淳一郎 2011/09/21(Wed) 10:52 [Reply]
 神奈備ドンにお尋ねします。
> 神奈備 [10895 ] で 神は土地に縛られています。土地土地に神が居るとおもいます。
★ とありますが、社禝という本スジに立って考えれば、そうしかならないと、まったく同感です。
  ところで、8年か 10年まえ、神奈備に「ソホリのミコトとは朝鮮の神である」とした人物がいました。
  そのときのドンの考えでは「ソホリとソウルの音が似ているだけのことでは?」でした。

  ソホリとは、その後の追求で、「合同祭祀」の意味が出ました。
  そこでお尋ねです。ソホリのミコトはどこどこで祀られていましょうか?
  あんましあちこちに頻出しているようでしたら、サンプルがてら 3 〜 5ヶ所でも結構です。

 「合同祭祀」とは、渡来民が特徴ある先祖を隠蔽した跡だとも受け取られます。また、それだけ国家形成がすすんだことの証拠でもありましょう。
 ネパール語 sohor-(集める)。

[6171] Re[6170][6169][6167][6166]: 沖縄 〜 奄美 V   生田淳一郎 2011/09/20(Tue) 10:17 [Reply]
 《ikirasaN(少ない)》・・・・・アイヌ語 kir(数) <「ik(一つ)・ir(連続)」
 《ooyuN(戦う)》
 《ー−−−(凍る)》・・・・・沖縄固有の「凍る」という語は無いといっている
 《nai(果実、実)》・・・・・m → n としても -ai とは何ぞ
 《N busaN(重い)》・・・・・ o が N となるよは! ここまで音転した語形は「日本語ではない」といわねばならない。
 《ku ma(ここ)》・・・・・ここまで音転した語形は「日本語ではない」といわねばならない。
 《tʃa a(いかに、どう?)》・・・・・編者の採取ミスではないか? 小生が沖縄でえた cha: は「爾来」だった。
 《uhugumui(湖、海)》
 《syu N(笑う)》
 《aNma a(母)》……日本では盛岡周辺だけしか、この語はいわない。いちおう朝鮮語からの借用。
            アラビア語 オンマ(母)
 《maasyu(塩)》
 《attaa(彼ら)》・・・・・ < ar(あっちの)
 《maa(どこ)》
 《ittaa(あなたたち)》


 蒸気00基礎語彙対比表と喜如嘉方言から抽出した「異質を見せる沖縄語彙」は 282 になります。
 この異質の核こそ沖縄のアイデンティティーでしょう。

[6170] Re[6169][6167][6166]: 沖縄 〜 奄美 V   生田淳一郎 2011/09/20(Tue) 09:05 [Reply]
  これまで掲げた「異質をみせる沖縄語彙」は喜如嘉方言から採ったものです。以下は安本美典著『日本語の誕生』巻末基礎 200語対比一覧表から採った「異質をみせる沖縄語彙」です。2 コマに亘ります。

 《wata(腹)》・・・・・日本語のワタは臟ワタのことであり、“ 腹 ” と似てはいるがちがう。
 《magisan)(大きい)》・・・・・族際語 *max は日本語には来ていない
 《whiisaN(寒い)》・・・・・ウチナンチューは「ヒ」といえない。ネパール語 hiu(雪、氷)
 《kanuN(食べる)》・・・・・ネパール語 ka-(食う) nuN は「飲む」か
 《kuuga(卵)》・・・・・既出 ダブり
 《anda(あぶら)》……ここまで音転した語形は「日本語ではない」といわねばならない。 d のまえの N
 《hwisya(足)》・・・・・pes 系の足。 e があるので,、これを i とした。
 《tsiburu(あたま、かしら)》・・・・・沖縄には「あたま、かしら」の語は無いのか。「つぶり」を掲出している。
                  バスク語 buru(あたま)
 《tʃiNsi(膝)》
 《wikiga(男)》・・・・・台湾語
 《mi isaN(新しい)》・・・・・ニイ(新)の転訛だろうが、沖縄語は m は n にするのが普通 
 《tiitsi(ひとつ、 1)》・・・・・日本語から「とつ」だけを借用した。一つ、二つの数えかたはまったく無かったわけ。
 《ka ara(川)》・・・・・ ra とは? ネパール語 khola 、kholo(川、小川) / 日本地名 幌、母衣、豊頃
 《tsiNpee(唾)》・・・・・既出 ダブり
 《NNzun(見る)》・・・・・族際語 *nu に目玉。NNzun は「目玉する」。
 《i tʃooN(座っている)》・・・・・ここまで音転した語形は「日本語ではない」といわねばならない。
 《tiida(日)》・・・・・台湾アミ語 tsilar(太陽)
 《wiizun(泳ぐ)》・・・・・沖縄の年中で一番いい季節のウリズン <「ur(水)する」
 《zu u(しっぽ)》
 《ya a(あなた)》
 《siba(舌)》・・・・・日本古語 シバ、スワ(唇)
 《ya kutu(……だから、ゆえ)》・・・・・kutu は「こと」だろうが……
 《hagoosaN(汚い)》……「反古」からの転意だろうが……。
 《su u(父)》・・・・・ピリピノ語 su(夫)

[6169] Re[6167][6166]: 沖縄 〜 奄美 V   琉球松 2011/09/19(Mon) 15:42 [Reply]
生田淳一郎さん、どうなんでしょうかね。

 ここを訪れる方の琉球方言に対する興味は、『古事記・日本書紀』や『万葉集』などにみえる古語との関係と、日本神話を解釈するためのヒントだと思います。ご紹介の沖縄方言?は、ほとんど近年の "島スラング" ですかね。

 で〜、明らかに本土方言と関係がないと思われるのは。。。実は、すべて関係性があると考えます。
 ないとすれば「マヤー(猫)」。。。これは中国広東語とみることができますが、しかし本土側の民俗にみえる「マヤ・マヨ」などとの繋がりがあるかもしれません。中国語とネパール語の関係はヨロシク!

 どこの資料からの引用かは知りませんが、若干のあやまりがあります。
 《きれーくに(にんじん)》・・・これは「チデークニ」でしょう。ようするに「血の色の大根」。
 《あんまむ(たどかり)》・・・・これもヤドカリでしょうか。普通は「アマム・アーマン」と呼びますが、島々に定住したわけではない女神「アマミキヨ」が、借りの宿を設けて活動していたことと関係あるかも?
 《とーびらー(ごきぶり)》・・・一般的には「ヒーラー」ですね。この場合「唐(中国)のゴキブリ」の意か "引き戸周辺で" って感じですかね。

 その他は、何とか解読して下さい(笑)。

[6168] Re[6167][6166]: 沖縄 〜 奄美 V   生田淳一郎 2011/09/19(Mon) 15:32 [Reply]
 まっつぁん、スペイン語辞書は持っていませんが、手許のポルトガル語辞書には tonante(雷鳴する)がありましたよ。  
 日本語のドンタクはドイツ語 Donner(雷、雷鳴、稲妻)のほうから入って来たんですね。

 ウチナンチューは「ツ」と云えなかたのではないかと、小生は大いに疑っています。
 もし、この疑いが当っていたら、これは由々しいモンダイです。日本語と沖縄語と間隔がぐっと広がるからです。
 そして、これを逆にたどれば、ウチナンチューの原郷さがしに大いに役だちます。

 ハナシはヘンなふうに流れますのでアマカネ。
 たとえば日本語のツバ(唾)は、沖縄では tʃiNpee といいます(200対比表)。もしまっつぁんが期待なさるようにように「 tʃiNpee = ツバ」ならば、これは tsu が tʃi に対応しているわけです。 tʃiNpee 中央の N は次の p を迎える助音の m が N に音転したものでしょう。
 そして、 まっつぁんが期待なさるように「 tʃiNpee = ツバ」ならば、ba が pe に変わったことになります。あるいはこの逆の pe が ba に変わったことになります。こんなヘンな音転はほかでは経験したことはありません。
 では pe とは何でしょうか。……ずばり云わせてもらうと、これはアイヌ語の pe(水)でしょう。
 しかし、疑問はつづきます。
 もしまっつぁんが期待なさるようにように「 tʃiNpee = ツバ」ならば、なぜ pee と、同じ母音が二つ続いたのでしょう。日本語は一時的、部分的現象かもしれませんが、かなり永いあいだ、全国的に母音をつづけることを嫌いました。

 ツキ(月)はどうでしょう。
 『基礎 200対比表』では 月は tsi tʃi となって出ています。このかぎりでいえば、ウチナンチューは「ツィ」までは喋れるようです。
 ところが、この沖縄発音の tsi tʃi を丸写しにしたような ti thi(月齢)がネパール語にあるのです。
 月(moon)の語源は、ツキヨミに出ているようにネパール語の chuk(吉兆)にあります。
 沖縄語の tsi tʃi は ネパール語 ti thi(月齢)のほうを借用したのでふか。

[6167] Re[6166]: 沖縄 〜 奄美 V   生田淳一郎 2011/09/19(Mon) 14:10 [Reply]
 《あいこー(蟻)》 ……アリンコのことでしょう。たしか沖縄語には ami 系の蟻があったはず。
 《あーさ(くま蝉)》
 《あんまむ(たどかり)》・・・・・按摩虫か? ならば、なぜ「シ」を省略したか
 《まやー(猫)》・・・・・ネパール語 maya(愛、可愛がること)
 《うべーぐさ(毒を持つ草)》・・・・・クサはサンスクリット語。
 《おーべー(蠅)》・・・・・べーが日本語のハイ、ハエを写したものであれば、「おー」とは? 
  害虫おくりの「大島」の「オオ」であれば、もっと多くの虫に「オオ」がつけられているはず。
 《きれーくに(にんじん)》
 《ぐるくん、むれーじ(県魚)》 
 《びきんきる(怪魚)》
 《けーらにー(蘇鉄に澱粉料理)》……アイヌ語 kera(味)、「にー」は煮るだろうが、なぜ長音化した?
 《こーし(かいせん)》
 《ごーまた(がにまた)》……日本語の蟹はガン(癌)とおなじの *gan 。なぜ gO と、O になったか。
 《ぜんぜん(ほたる)》
 《せー(小さな海老)》
 《たーびるわたか(おたまじゃくし)》・・・・・田の bir 。ひると関係あろうか、潰すと臟ワタがとびでる。
 《とーびらー(ごきぶり)》……bir
 《ひぶとぅむし(毛虫)》・・・・・一日のあいだで太るからか
 《びんぐ(イ草)》……びんは「座る」 なぜ「クサ」のサを省略したのか。
 《ふが(卵)》……フィジー島を除くオセアニア全域とネパール語は、卵を pur という。この pur が沖縄で フルとなり
 これに台湾シラや語の pop gag(卵)の gag がついた語形であろう。 形容詞後置形だから gag は鳥だろう。

 一般的にいって、ウチナンチューは海を怖がるらしい。魚は台湾の漁民から買って食べたというので、台湾語が入ってきてもフシギではない。

 まっつぁん、上の 18語で、ゼッタイに日本語だといえる語彙はどれどれですか?

[6166] 沖縄 〜 奄美 V   生田淳一郎 2011/09/19(Mon) 11:53 [Reply]
 m が N に訛りやすいことは、よくあるようです。沖縄語ではほとんど皆、これみたい。
 が、g が b になることは、あんまし経験したことはあんもっはん。

 旅籠の go と「ごちそう」の go・・・ / 盆(ぼん);にはつよく惹かれたことがありました。
 boni は「ごちそうすること」。雨月物語に出てくることばでしたか。

 地獄の釜が開く日まで、坊さんたちは、空腹かかえてお経をとなえる。
 また、飢えている餓鬼どもにもごちそうをふるまうのが boni らしい。→ 盆
 ネパール語 bhoka(空腹の)

 まっつぁん、ウチナンチューはカミナリの音をナンと聞きますか?

[6165] Re[6164][6163][6162][6159][6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  琉球松 2011/09/19(Mon) 11:27 [Reply]
 生田淳一郎さん、ポルトガル語ではないと思いますよ。

 「神鳴(カミナリ)=雷」→「ガンナリ」→「ガンナイ」→「バンナイ」って感じでたどれます。
 これが沖縄島北部では「ブンナイ」にも転じ、「ブンナイン」に落ち着いてるはずなんですよ。

[6164] Re[6163][6162][6159][6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/19(Mon) 09:32 [Reply]
 それにしても まっつぁん、雷鳴を「どん」ときいたのはポルトガル語からの借用じゃないでしょうか。
 博多ドンタクのドンで、ばかの一つおぼえで覚えたんです。
 オランダ語は知りませんが(鈴木武樹は知ってるヨ)、ドイツ語では土曜日をドンネルス・タークといい、これはカミナリの日だそうです。
 ここから休日を ドン・タークというようになり、ドンタク祭りとなったとか。

 日本人の大多数の勤めにんが時計を見れなかったころ、ごこかの官庁のサービスか、土曜の午後が始まる時には、各地でドンと音を響かせたそうですね。
 これは土佐に伝わるかぞえ唄。√ ♫♡ とう(十)とや どんとイッパツ ひるメシだ ときは今なり それ急げ ♫♡
 「半どん」というのも、これが起源か。つとめは半日でおわり、あとは解放の休み。
 ただし、半鐘のハンは「ぶん殴る」で、別語源。 / 鹿児島弁 ; はんなぐる。 

 ウチナンチューはカミナリの音をどうききますか?
 日本人は……、アッ! ドンガラシャンガラと云っていますね。
 これは √ ♫♡ よねやま山から雲が出たあ〜〜ァ ♫♡ からですが、このオノマトペアは、ひょっとしたら新潟県に偏ってるのかもしれません。77歳になるまで「どん」は、あんまし聞いたことがありません。
 普通は(ピカピカ)、ごろごろ、ガラガラではなかったか。落雷はドッシーン!

[6163] Re[6162][6159][6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/19(Mon) 08:51 [Reply]
 まっつぁん、
 「批判」とはありがたいかぎりです。
 さきに「サルトル・いばら」を挙げましたが、仮にあっしのほざきが独善だらけで構成されているとしても、周囲にどんな反論があるのかは、知っておかねばならないことです。
 主張は反論を栄養分としてるわけです。
 ただ、事実認識について、まっつぁんも「在るものはある」、「無いものはない」と率直にお認め願います。
 この掲示板で小生がネパール語「tar(驚・恐)」をふまえて論述していましたところ、ある人物が「ネパール語には tar(驚・恐)なんて言葉はないよ」とわざわざ書いて寄越しましたので、「本当にないか、性根を据えて答えてくれ」と迫ったところ、すでに、そこに “ 自我 ” が発生していたか、そのご仁は「やっぱ無い」という返事でした。
 H.N.だし、どこの馬の骨ともしれない相手ですので、小生としては、その人物の精神状態を疑わざるをえず、ハナシはそこで切れました。そのいきがかりで、小生もここを去らざるをえなくなり、退出を決意しました。
 その直前、まっつぁんの名前を知ったのでした。

 小生はアチコーコーがどういうときに遣われているのかは微細にわたっての使用例をしりません。
 また「どんどん」とはでっきり「どんどん駈けて行く」の、それだろうとしか考えられませんでした。
 それが冷たいものにも適用されたり、雷鳴だったり・・・・・。
 喜如嘉方言集を作った人はらは音信がありません。
 どうか、足らざるを補ってください。

 小生のこれからさきのもくろみは、沖縄固有のオノマトペアが終わりましたので、次には虫などに現われている沖縄方言。次には安本美典著『日本語の起源』に出ている基礎 200語彙対比一覧表から、きわめつきの異質の基礎語彙をあげつらうつもりでいます。
 「沖縄語は 12世紀までは独立王国のことばだった」というあっしの主張は、キジャハムニー集 1050語彙の中から日本語ではない 270の語彙の摘出が基本ですが、これ全部を列挙するわけにも行かないでしょう。
 で、あと 50語彙ぐらいを挙げたところで、具体的なまっつぁんの指示を仰ぐことにさせて下さい。
 
 「批判」という語はドイツ語あたりのクリティークの訳語だそうですが、その対象の正当性をねっから全面的に反対する態度ではあんもっはん。いいとこがあれば、「それに身を投じる」という意味もあります。

[6162] Re[6159][6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/18(Sun) 14:59 [Reply]
 まっつぁん ニへーデービル

>  温度もそうですが、湯気がユラユラと香ばしい様を言います。
★ 身の危険とか熱にはまったく遣わないのでしょうか。
  「おしんこ」とは京都でできた言葉じゃろか。「シン」とは?
  学校にあがる前、豊後に母がたの里に行ったとき、同い年の従兄弟が、漬け物のことをカンコンと  
  云っていたのを覚えています。
  黄色く漬けたダイコンは「黄なコンコンで、コンコンがカンコンに訛ったのでしょう。
  沖縄でのカルチュア・ショックといえば、漬け物が無いのにはマイッタ・マイッタでした。
  あるのは福神漬けぐらいなものでした。
  漬け物を単身赴任あたりで沖縄に来ている人びとに届ける仕事はアタルと思いますよ。
  ミソもいっしょに届けるといい。
  ヒコーキ便で取って、ウチナーの弁当をこっちで売る・・・・・か。

> イイ感じに冷えたアイスクリームなどを「ヒジュルコーコー(冷香香?)」
★ ヒジュルの ヒ には、ネパール語 hiu:(雪、氷)がそのまま続いている感じですね。
  ジュルは国際語の *jul , *jol(汁)を憶いだします。
  これを造語したご仁は永年船に乗ってきたのでは? とカングリたくなります。

[6161] Re[6160][6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  琉球松 2011/09/18(Sun) 11:23 [Reply]
 生田淳一郎さんの仮説に、批判を加えるかたちにはなるんですけど、しかしそれはそれでメリットがあります。

 沖縄島でも、喜如嘉などの北部地方と中南部ではだいぶちがいますが、一定の対応関係が見られます。これは奄美方言との関係にも言えますし、さらに本土方言との関係もしかり。
 ですから、喜如嘉の喋とされる《ミー・ファーファー(呆気にとられる)》は中部の「見ーカーカー」でいいと思いますし、《ぶんないん(どんどん)》は「バンナイ=ガンナイ(神鳴)」で、"雷の音のように勇壮に" って感じですかね?

 また、宮古島方言の「魚」は、簡単に「イズー」とは表記しかねますが、少なくともその語義語源は、奄美沖縄方言の「ィウ・ィユ・イユ etc 」で、「イオ・ウオ(魚)」意外には想定できないですよ。
 宮古諸島の「Y」は「Z・D」などに転ずやすい傾向を持っていますしね。

 くどいようですが、まずは日本語の範囲で。。。!

[6160] Re[6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/18(Sun) 10:31 [Reply]
 アチコーコーのコーコー部分は神の救いをねがう一種の呪文であったこと……を書き洩らしました。
 ネパールでは Har Har と唱えながらみそぎをしますす。guhar や O ram ram は「助けてくれぇ〜」です。
 アチコーコーはそういった願いごとのことばだったと思います。
 gu-har の gu ……美称でしょうか。

 これからしばらく沖縄のオノマトペアがらみの語彙を記しましょう。
 このなかで「……in」とあるのは kay in の in で国際語であり、これは日本には来ていないとみていいでしょう。
 薩摩にはケトウ院とかイズー院の姓がありますが「院」というシナ語をつけたことによって、ぐっと家格があがったことでしょうが、ケトウとはネパール語の 畑 であり、イズーは宮古島の魚です。
 これらは、ふとしたことから小生の手に入った「キジャハ・ムニー(喜如嘉地方の喋りぐち)」から取った語彙です。

 《ミー・ファーファー(呆気にとられる)》
 この造語形態は 台湾語です。

 《ねねとぅないん(ぐったりする)》
 《ぶんないん(どんどん)》
 《なーふぃーん(もっと多く)》

 《ぎんぎてぃあっき(片足あるき)》
 《ぐーぐー(もんくをいうこと)》
 《さっこー(ひどい)・さらさっこー(どうにもならん)》
 《どぅんにー(うめき声)》・・・・・ネパール語に dhuk-(痛む)。
 《よんなー(ゆっくり)》
 《りか(さあ行こう)》 ・・・・・語頭に r 音

 これらは日本語ではないと思います。

[6159] Re[6158][6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  琉球松 2011/09/18(Sun) 10:31 [Reply]
 アチコーコーは「熱香香」って感じですね。
 温度もそうですが、湯気がユラユラと香ばしい様を言います。

 最近は、イイ感じに冷えたアイスクリームなどを「ヒジュルコーコー(冷香香?)」なんて造語も出てきました。

[6158] Re[6157][6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/18(Sun) 09:21 [Reply]
 アチコーコーの アチ は「熱い」ですので、それ以上の詮索は無用のようです。が、ネパール語には atal(かまど)のほか *ati には「ひじょうに」という意味があって、atenta , atinay , atisae と、計 4ヶもの語形があります。
 atal--go はかまどの神であり、愛宕の神です。go とはゴトビキ岩の go であり、神です。
 この ata はタジク語では O偏執で ota に変わることは覚えていたほうがいいようです。→ オタシュツ・アイヌ。

 いまは「熱い」一本に考えられている ati の昔日の意味は、もっと巾ひろく アッ! ぐらいの意味ではなかったかとおもわれます。ati 末尾の -ti は 事 ですので、「ア 事」が原始語だったはずです。

 では コーコーとはなにか? これは神庫と読ませる「*Xo = 秀」で、モノで囲まれていたり包まれている「聖なる空間」のことだと思います。
 それにしても先輩たちは「*Xo = 秀」を、どこから割りだしたのでしょうか。頭いいですね。
 この *Xo を畳重させて強調したのが XoXo(ほほ)で、ホホデミなどの神名になっています。
 アレッ 神名の意味が割れたのは、これで 14柱めだったでしたか。
 いっぽう、XoXo はココナッツやナタデココにも、そしてポナペのワッシャココ にも遣われることになりました。
 ワッシャココの「ワッシャ」は、アイヌ語にみられる 「wa(t)=甚大」かと思います。
 
 ネパール語小事典では Xo ではなく kho 表記が遣われています。百人一首はオグラですが、コクラでもよかったわけ。
 ネパール語小事典には khokra というフシギな形容詞が掲載されています。この意味は「(木のほらの中に)なにもない、空の」となっています。この khokra の kra はネパール語 kura(事物、物語)ににていますが、どうも “ 構造 ” だとおもわれます。
 (神が)包んだ空間を大事にする偏執は、ふとんのかわ(khol → 行李)、植物のさや、籾(khosto)にも顕れていますが、khol-(開ける、開く)の語は見逃せにはできません。イシコリドメの khol-i です。
 人間が聖なる空間にいちばん注目するのは、子供を生産する子宮だったことでしょう。たとえ囚人の女であれ、ここは開けてはならないのです。それをムリムリに開けた雄略天皇や武田信玄の父親は猛烈な反発をくらいました。
 城造りで名家の小堀さんは、家のまわりに小さな掘を掘りめぐらしたのではなく、環境開発にかかわる手つづき神事に詳しい家柄ではなかったでしょうか。

 アチコーコーは日本語ではないが、ネパール発の語源を持っていた……です。

[6157] Re[6154][6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/17(Sat) 19:16 [Reply]
 さて、各論がすこ〜しできる環境となりました。
 ワッシャココを出しましたが、これは第一次世界大戦の後、ドイツ領だったパラオ島に行った日本人移民たちが、持ち帰ったものです。「びっくりした」などということばはサ〜ッと広域にひろがるらしいです。

 ワッシャココの「ココ」は沖縄の「アチコーコー」の「コーコー」だと断じました。蒸したマンジューなどを手にしたとき、熱かったら「アチ・コーコー」というそうです。
 なぜ アチコーコー を挙げたかといいますと、この語が擬音擬態語(オノマトペア)だからです。しかもコーコーは日本では言いません。

 あ〜、やっぱ言語理論が要りますなぁ。オノマトペアのことについてです。
 「ことばとは何ぞや」から始めねばなりませんが、とにかく、小生はかいつまんで「ことばとは生体反応の一つ」だと考えます。生体反応ですから、植物でもことばを喋っていると思います。
 高等植物・・・たとえば柏の木。柏が数本立っている林に、害虫が一匹やってくると、それを感知した柏の木は濃密な樹液
を出してイヤンイヤンをします。それをどこでどう知るのか、ほかの木もいっせいに樹液を出すそうです。
 受精した直後には、数種のホルモンを湧出させ、人間なみの愉悦に浸る様相を挺するそうです。
 
 ことばは、このように身振り語から始まり、次に動物にみる咆哮語、次に鳥や動物の鳴きまねから始まるオノマトペアにすすみます。ですから現代では一応のめやすとして「オノマトペアを共有していれば、両者は同じ民主主義だ」といえるのではないでしょうか。
 ネパールと日本は「雨がジャンジャン降る」といいますが、朝鮮では「ジョンジヨン振る」です。

 こういう局面で、ことば現象を矮小に捉えて、「子音 + 母音の組み合わせがことばだ」みたいなことで斬り込んだりしますtと、ソシュールさんみたくに「語彙の任意性」に、じぶんも他人も振り回されることになります。
 語彙にはかならず必然の語源があるはずです。それがなかなか見えないのは、永い時間経過や社会事情の混乱がジャマしてるからです。

[6156] Re[6155][6153]: 無題  生田淳一郎 2011/09/17(Sat) 14:07 [Reply]
> 日本中どこでも通ずるようになったのは、せいぜい明治期からなんでしょうね。 
★ 明治になって、文部省の役人みたいな人から「日本語をつくれ」といわれて、一夜づけみたいにして「お父さん、おかぁさん」などをこしらえた人物の名前をご存知ありませんか?
 吉田さんだったか・・・・・。
 参勤交代のせいで武士どうしでは話は通じたのでは?
 芸人が共通語つくりに一役買ったこともありやしょう。
  m → y の音転は、聴いてすぐ「あ、地勢人にまちげぇねぇ」とわかるようにしたんでしょうか。
 せめて藩単位ぐらいで固まろうとしたのでしょうか、浄瑠璃というのが各地で語られたみたい。
 
> 数年前に水城や太宰府あたりをブラついた時の事を思い出しますが、生田淳一郎さんチは宝満山などの向こう側って感じでしょうか。
★ あっしゃ、初めて行ったとに、豊満山の北壁を 5分 15秒で降るように飛びおりやした。耳に風がうなっていました。
 降りながら、岩を蹴るとです。今から想うとゾ〜ッとしますヨ。最大 10 mぐらいの落差がありました。
 いまじゃ、足の立たんとですたい。

> 北部九州と奄美沖縄は、弥生時代中期頃から交流が盛んになってきますから、意外と親戚かもですよ(笑)。
★ 長崎のなんとかいう洞窟から出た縄文土器は 9000年の古さを示すとか。ホントですかね。

[6155] Re[6153]: 無題  琉球松 2011/09/17(Sat) 10:42 [Reply]
 西と東で言葉がちがうっていうのはよくわかります。
 日本中どこでも通ずるようになったのは、せいぜい明治期からなんでしょうね。

 数年前に水城や太宰府あたりをブラついた時の事を思い出しますが、生田淳一郎さんチは宝満山などの向こう側って感じでしょうか。
 北部九州と奄美沖縄は、弥生時代中期頃から交流が盛んになってきますから、意外と親戚かもですよ(笑)。

[6154] Re[6152][6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/17(Sat) 10:31 [Reply]
 手許には 18氏族を中心にした台湾諸語の語彙集があります。台湾諸語はマレー系です。
 いきさつの詳しいことはわかりませんが、日本から見てのいよいよも真南のインドネシア・ピリピノ・コースと、その西のマレーシアの言語は、いづれもスンダランド系に属していますが、かなりちがうと認識してもいいのでしょうか。
 
 インドネシア・ピリピノもマレー系言語も形容詞後置形です。
 さきにあっしゃ世界規模でいうと形容詞後置形を摂る言語は、「世界の半分だ」との暴言を吐きましたが、これはレッキとした根拠があるわけではなく、ただのあて推量です。フランス語が形容詞後置形であることは広く知られています。

 日本語と沖縄語が同一基盤の上に立っているかどうかの議論はさて置き、かなり昔から「台湾とのあいだには深い言語の断崖ある」といわれてきました。その断崖とは形容詞が前置であるか後置であるかの差であるとも要約されそう。
 そして沖縄語は前置形であって、そのかぎりでは日本語側です。

 そうしますと、インドネシア 〜 ピリピノ語 〜 台湾の言語圏が、その語彙を北に押し上げる力を沖縄が抑制、乃至もぎとっているということになりましょう。
 するってぇと、沖縄語はマレーシアのも一つ西の東南アジア 〜 インド系のことばということになりましょうか。

 そこで、もういちど日本語の成りたちを俯瞰する必要があろうことかと思います。とりわけ、ネパール語との関係を。
 じつは、部分的な現象かもしれませんが、インドネシア語からネパール語に入った語彙群が気になります。ここんとこは一概には割り切れないのです。
 たしかに、オセアニア(東) / インド(西) という東西には、安本美典著『日本語の起源』の巻末に出ている基礎 200語彙対比一覧表では、東西両言語にまたがっているネパール語は、圧倒的に多くを占めています。
 その南からのコースだとは断定できませんが、日本語には 1250ペアものネパール語語彙が流入しているのです。
 小生が読んでいる『基礎ネパール語辞典』は天理教海外伝道部が出したものですが、この辞書には 5754語彙のネパール語が掲載されていて……のことです。
 大野晋教授は日本語に精通した二人のタミル人助手を使って、 10万余語が載っている大辞典から、日本語との類似語を 350ペアを挙げたのですが、そんなんとはケタがちがう高率です。
 5754語彙ちゅう1350ペア ということは、関連語彙もありますので、「ネパール語の約半分が日本語になっている」というアキサミヨ 〜 アッチャマァ現象です。ウベーチクル! ワッシャココ!!

 言語をめぐっての理屈がつづきますねぇ〜。でも、こうでなくっちゃ語彙対比は始まらないのでアリマス。

[6153] 無題  生田淳一郎 2011/09/16(Fri) 16:26 [Reply]
 いちばんひどいカルチャーショックは、となりのベッドに来たオッサンの云うことばが、まったく聴き取れなかったことでした。オッサンは伊計〜宮古〜平安 島で家具屋さんをやっていました。
 このオッサンのしゃべりは、同室のウチナンチュウーには、よく聴き取れていたらしいです。
 退院したあとになって「アレがネパール語直の子音のブワブワだったか」と、悔しい思いをしました。

 まっつぁん、あっしの出自に関心もっちくれち、あり難うございます。
 生まれ育ちは福岡県の真ん中の筑豊炭田の “ 筑 ” のほう、すなわち、遠賀川は北から真南に入って、のうがた(直方)で西と東に泣きわかれしますが、その西のほうですたい。
 東がわはすぐにトヨ(豊)のくにですので、この両方を併せて筑豊(炭田)と発します。
 この西と東ではことばがちがいます。
 あっしの二親は豊のくに生まれですが、同じ豊でもぐっと南の、日田市のいっちょ上流の、山の中の「豊後」です。

 で、子供のときから豊後弁と「筑豊の筑」弁の二つを聴きながら育ったとですたい。

 余談ですが 1587年・秀吉の九州平定は有名ですが、その直前、九州は 2 〜 3の拠点を除いてのほとんどが、薩摩の勢力下にあったそうな。
 その僅かにのこっている anti-薩摩 の牙城が豊後森の切り株山だと伝え聴いちょります。切り株山は城山ともいいますが、わがオヤジはその切り株山で生まれた……まではヨカッタが爪判(連帯保証)の関係でたれかぶって、オヤジが 7歳のとき、ふとん、鍋、釜を背負って山こえて炭坑地帯に流れて来たそうです。
 そりき(それだから)、ケンカ好きの血が流れちょるらしいです。

 薩摩が戦闘につよかったのは「チェスト斬り込み」もありましょうが、貨幣を有効に「占領予定地」に広めたことだろうと思います。貨幣の通用するかぎりにおいて、軍隊は現地調達ができるので、無限に移動できます。
 そういえば長崎、津軽ではダラ(おかね)があるのですが、薩摩で「だら」は聴いたことがありません。

[6152] Re[6151][6150]: 沖縄 〜 奄美 W  琉球松 2011/09/16(Fri) 10:36 [Reply]
 琉球病院に入院されていたとのことですが、いろいろとカルチャーショックを受けたでしょうね。

 ところで、生田淳一郎さんは、どちらのご出身でしょうか。 自らの文化圏から出発すると言語学的には面白いと思いますよ。。。あ、福岡でしたっけ?

[6151] Re[6150]: 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/16(Fri) 09:01 [Reply]
 日本語の揺籃は周囲が陸つづきではなく、海に囲繞されている環境です。
 海・・・、それも渡るに危険を伴った一種の絶海(の孤島)です。この絶海がふるい(篩)の持ち手みたいに作用して、入ってくる異質の言語を、ゆさぶり・がぶって同一化を促進したのでした。
 いまでも和歌山県には「日本語の或る部分をじょうずにはしゃべれない」という人びとがいます。

 結論を先にいえば、沖縄語は上の和歌山県人とおなじで、いわば元々異質だった日本語に同一化しようとしている発展途上の言語だと思います。
 ウチナンチューとヤマトンチューの差が如実に顕れているのが、人相のちがいです。
 だれが看ても、ウチナンチューがヤマトンチューとちがっていることは、すぐにわかります。
 あっしゃ 20年前、琉球大付属病院に85日間入院していたとき、いっしょけんめいになて、ウチナンチューの人相の種類を追い求めました。あるときなどは、エレベーターを待っている男の人にクルマ椅子で駆け寄って「ウンジュはヤマトンチューですか?」と質問したこともありました。
 売店の横でしげしげと観察したあげく、「ウチナンチューは約 30種ある」ということにしました。そしてくり返しますが、だれが看ても、ウチナンチューがヤマトンチューとちがっていることは、すぐにわかるのです。

 沖縄が返還されるさい、明治大学の鈴木武樹は「このさい、沖縄は日本と合併するのではなく、独立すべきである」と主張していたほどです。
 クニなどというバケモノがこの地上にのさばることこそが、まちがいなのであります。歴史事実とは、人間の浅知恵によってどうこう左右されるものではなく、本当のことが本当のこととして通されねばなりません。。
 事情が許されるなら、ウチナーは 12世紀のままに、存続させ、ウチナンチューにはいつまでも神歌や島歌を歌ってもらいたいもんです。

 そこで、ハナシ・ポーン。
 では、ウチナーのしゃべりぐちに、法則性がみつからないもんだろうか……と、なります。

[6150] 沖縄 〜 奄美 W  生田淳一郎 2011/09/16(Fri) 07:57 [Reply]
 われわれの大脳思考 〜 ひいては “ 科学 ” は素朴的実在感覚でもって万象を区分し、整理することから始まります。
 ここには個人の趣味とか好みとか、ましてや宗教的独断が入りこんではなりません。
 この分別作業にあたって、ともすれば陥りがちな、人間共通の判断クセがあることを自戒しなければなりません。
 それは多くの項目に別かたれますが、とりわけダイジなのは小生が「◯Xの法則」と呼んでいるシロモノです。

 ◯Xの法則には二つあって、まず一つは「◯○と思いはじめると、いつのまにか◯○が正当性をえて、XXだった可能性もあったことが忘れられるばかりか、XXは誤りである」との不退転な決意が生じる・・・という心理現象です。
 二つ目は、その場合、積極姿勢の◯○には進歩が約束され、ちがいを云いたてる消極姿勢には進歩はまったく約束されない……という法則です。
 ここは「多くのクセ理論」が相互に支え合って実践面に適用される局面なんですが、思想家のみなしゃんは、そこまでは考えてはいません。また、小生は気がついているだけで、そういった理屈を組み上げる頭脳は持ち合わせていません。

 この法則性が沖縄語と日本語の異同をみる視点に深甚な影響を与えること、もちろんですが、操作をちょっとでもあやまるととんでもない方向に流されます。
 思想史上、いちばんケッサクで悲劇だったのが「サルトル・いばら」事件です。当時はまだハイデガーが生きていて、だぁれも反論しないことをいいことに、サルトルさんは友人のカミュさんを「歴史の名において告発」するまでにのぼせあがって一世を風靡したつもりでいました。カミュさんは 42歳で早死にしてしまいました。
 これが 1960年にレヴィストローフさんが出てきて「実存主義は科学的じゃない」と指摘・反論されるや、ペッシャンコになってひっくり返り、実存主義どころか哲学という大きな食台までひっくり返してしまったのでした。

 外間守善さんは、「沖縄語は日本語と根は同じだ という個人的な思いこみ」に焼き付けられ、それを一生貫かれましたが、そこには「日本といっしょになろう」との大衆の選択(好むと好まざるにかかわらずそうしかならない)が底流していて、ほかの厳密な理論の割り込みを許さなかった事情に裏打ちされていました。
 これはもう、◯X の ◯でもなく,集団形成によるシメツケであって、任意で自由な発想とは似ていて非なる現象です。

 ある種の思い込みに焼き付けられる・・・・・、それは長岡藩の河合継之助が 14歳ごろ陽明学に “ キラッと ” 焼き付けられたのと同じことです。 / 原爆被害者は一生、光のキラメキを怖がる。

[6149] Re[6148][6147][6146][6145][6143][6142][6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/15(Thu) 18:13 [Reply]
 対象とする言語がどこの第三言語と親疎関係をもつかは」、一つは類似語彙数が決定するでしょう。
 日本語 と アイヌ語は 850ぐらいの類似語彙を持つことはタシカですが、小生はまだ田村スズ子先生著の辞書も持っていませんので、両言語間の類似語摘出は徹底した追及はやっていません。やればおそらく1200は出るのでしょう。

 1200という数をだしましたが、じつは ネパール語 / 日本語 の類似語彙が 1200あるのです。ネパール語 / アイヌ語間は 530あります。

 ピリピノ語 / 日本語間には 270ほど摘出しましたが、ピリピノ語は形容詞後置形なので、後置された語形に迫らないことには、最終的な締め上げはできないというところです。
 インドネシア語においても形容詞後置形のため、リストアップが難航しています。

 オセアニア各地の語彙が非常に酷似している現象をみて、ほとんどの学者さんたちは、インドネシア〜マレー半島のどこかから、優秀な海洋民族が広く大海原に散って行ったのだろうと推測していますが、この見解は誤りです。
  というのも、コンチキ号のメンバーに名前を贈る儀式にあたって、ラオイア島の旧い酋長だったツブホエが、バイリンガルで演説したからです。
 オセアニアはバイリンガルだ・・・との認識にたてば、アイヌの名前が「ひと通りでない謎」も腑に落ちます。
 小生はオセアニアのバイリンガルの元をつくったのは紀元前 2 〜 300年ごろ、インド方面にいたバラモンたちが、シッダルタさんの教えを広めようとして、あちこちの海へ乗り出した跡だと思っています。
 この、多くの共通がみられるオセアニアの語彙分布のお陰で、インドネシア 〜 ニューギニアから自然に北上する語彙や文化のながれが中断されたような、不連続が感じられたのではないか・・・・・、を想うと残念です。
 村山七郎先生などがさかんに強調された「オーストロネシア語」など、いちど洗いなおす方がいいでしょう。

そういうオセアニアのモヤ(靄)をかいくぐって、 *pana ah(弓矢)がインドネシア語 〜 ピリピノ語 〜 台湾 を通じて日本語まで来ているという事実の掘り出しは、まさに奇蹟的驚異でした(抗顔為匠)。
 ということは、「ほとんど無い語彙の南北の連なり」は、オセアニアのモヤが煙幕になっているということでしょう。

[6148] Re[6147][6146][6145][6143][6142][6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/15(Thu) 09:47 [Reply]
 アイヌの顔の典型の一つは、まるっきしの西洋人の顔をしてる オタシュツ・アイヌです。
 オタシュツ・アイヌはタジク語に近いことばをしゃべっていました。
 霊力に秀で、出雲王国をつくったのは、この人びとだとおもわれます。
 この顔は小生らの校長だった野見山先生そっくりです。別府市にもおなじ顔を確認できています。

 もう一つが「これぞモヨロ貝塚人か」と憶わせる人相で、じつにイカついゴツゴツした顔です。
 
 キカイ・オンチのあっしには、写真掲出の技術がなくって残念です。この顔は本多勝一さんが『ニューギニア高地人』にヤゲンブラさんとか、悪役さんと綽名をつけている、その顔です。クシャクシャッとして奥ゆかしい顔をしています。
 アイヌの中でも最も異質性を丸出しにしています。
 あっしゃ永いこと、アイヌの原郷はメラネシアのどこかだろうと思ってきました。どこかあのへんで penke 、panke(上・下)を喋っている氏族をみつけたら、このアイヌの一派の原郷は割り出せるはずだと思ってきました。

 ところが、この原郷さがしは、おもわぬところから糸ぐちがほぐれてきました。
 場所はギニアのトゥクナ族の居住地から、さして遠くないいくつかの集団。ここに月と太陽がパートナー探しにカヌーにのって旅に出るという神話が伝わっているという。
 この「月と太陽のペアと 水旅」がキーワードでした。
 アイヌは水旅を cu といい、月も太陽も同じ音の cup といい表わします。cu(水旅)をする p(者)が cup でした。

 この形態の神話は北アメリカ中西部にまで移動しているといいます(出典 ; レヴィストローフさん関係の本)。
 この顔クシャクシャ・アイヌが日本列島に来たコースは、ギニアからいちどバべルダオブ島へ北上し、そこから北太平洋海流にのって、三宅島に立ち寄った・・・と、思われます。時は 10世紀以降、大勢を運べる筏舟のタカマランに乗ってきたものと推測します。
 この観点にたてば、北海道旭川の原音 chup - ka pet の ka が、いよいよハッキリしてきます。

[6147] Re[6146][6145][6143][6142][6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/15(Thu) 08:26 [Reply]
 アイヌを見てみましょう。
 日本列島には、巨岩文化やストーン・サークルを遺した民族もいましたが、彼らのことばは、日本語の一部に取り入れられたかもしれませんが、その抽出はまず、絶望的というべきでしょう。
 北海道の原始民族のことばや意識を知るには、アイヌよりもギリヤーク、ウイルタのほうがいいにきまっています。
 ただ、アイヌ、アイヌ語には日本人の興味が集まったので、研究が蓄積されているだけです。
 
 氷河が解ける前の人類のほとんどは赤道直下地帯にいました。そこへ解けた氷が海になって押し寄せたので、適当な距離をおいて割拠していた各種氏族は、狭い地域に蝟集するところとなって、各氏族は闘争関係に入ります。
 この解氷海進は地中海方面、シュメール、インド南部でも同様で、一挙に文化が高まりました。
 すべての現代語はこの地帯のしゃべりクセを引き継いだものと看ていいでしょう。
 ですから、われわれ沖縄・日本は地域的にはスンダランド系の伝統を基本としている。ところが現実にはこれに交易や民族の移動があるので、スジは乱れます。
 言語をふくむ文化一般はモザイク状混在を呈していて、そのクセの「アクの強さ」がアイデンティティーとなります。

 アイヌ民族の顔には最低四つの典型があると、小生は思っています。
 「アイヌ大多数」の顔は「ウチナンチュー大多数」に一致します。
 ですから、日本語には無くって、ウチナンチューとアイヌ語だけに共通する語彙があるはずだと思って、それを追いかけまわしたことがありました。が、あったのはさきに述べたウンマだけでした。
 これじゃ物足らんと思って更に追求していたら、「ウカユン と ウカウン」の類似がでました。
 「ヤッターッ!!」と雀踊りしながら、ひょいと脇見をしたとたんに、台湾でも同様の語形があった! 
 そして更に広範囲を眺めていましたら、なんと世界語のかたちで kay - in(交わる)があった!! カインの末裔ね。

 まっつぁん、抗顔為師(こうがんいし)を wikipediaアマカネ。

[6146] Re[6145][6143][6142][6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/14(Wed) 09:47 [Reply]
 司馬遼太郎さんが「街道を行く・シリーズ」を発表されたのは 40年ほど前からでしたが、その「出雲街道」にあっしが触れたのは 20年ほど前のことでした。
 司馬遼太郎さんの学生時代の専攻はモンゴル語でしたので、同氏は言語現象については多大な関心をもっていました。
 司馬遼太郎さんは、その「出雲街道」で窯焼きの独裁者を意味するムラゲという存在について、「ムラゲなどという言葉が判ったときとは、言語処理に関してよほどの技術革新があったときであろう」と述べています。
 これを読んだとき、あっしゃすでにムラゲの意味を掴んでいました。よっぽど出版社を通じて司馬さんに報せてあげようかと思いましたが、これほど有名になったご仁は、読むヒマはなだろうと思い、手紙は出さずじまいになりました。

 すなわち、 20年前、言語処理に関しての技術革新は遂行されていたんであ〜ます。
 その開発をした人間が、この「あっし」である点に、モノイイのむずかしさがある。
 まっつぁん、生田淳一郎さんはまっつぁんが考えているよか、はるかにエラ〜〜イ人ですので、けっして見捨てないでくださいネ。

 いや、もう一人、傑出した人物がいました。しかも、ここ神奈備掲示板で。
 当時は青草談話室などはできていませんでした。
 名前はハンドル・ネームですが 桜左近。
 グシケンとはヒッタイト語で「金」という意味であることを、どこで掘り出したか、ここに発表したんです。
 それが、モノイイの要領が分らなかったせいもあって、あっしへの人格攻撃に転嫁させたイチャモンがあらわれ、あっしゃそのご仁を庇いきれずに、ついに桜左近氏はここの掲示板から去ってゆきました。
 悔やんでもくやみ切れぬ痛恨事です。
 4回前のオリンピックのとき、台湾の野球選手にグシケンさんが登場していました。
 グシケンの ケン が「きん(金)」になったのかもしれません。
 「タマグシ」という語にもこれが入っているのかも。

 グシケンさんと 金城さん。

[6145] Re[6143][6142][6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/14(Wed) 08:46 [Reply]
 このごろ総理大臣になった野田さんは所信声明で「誠心誠意公僕たることにはげみます」と、いいました。
 この人は、すでに国が潰れてしまっているとき、ただの誠心誠意だけでは許されないことを知っているのだろうか。
 こんな難しい時局にあたって、「わしに総理をやらせてくれ」というご仁はキチガイの部類である。実効性ある具体的施策をかかげてこそ「所信声明」たらめ。
 キチガイでなければ、公の政治を個人のオモチャにしていることになる。
 いま日本に残されている第一級選択肢は、職安に歩合給委任〜請負契約(セールスマン)を斡旋させることである。
 アメリカや朝鮮の工作員にたぶらかされた MHK、公官庁、大企業の当路者はセールスといえば詐欺師だとしか考えていない。セールスに大道あるを知らない。
 その大道の核とは、誠心誠意である。
 
 ロジックの言語は、意識そのものであり、人類を破滅に接近さsない強力武装である、個人のオモチャにしてはならない……は、いうまdもない。
 マルチ対比によってわれわれは実効性を保障する「言語理論」に恵まれる。
 外国語との対比がわずか数語であれ、そこには厖大な言語理論によって裏打ちされていなければならない。
 あっしゃ、言語対比の場を海底石油掘削の橋梁に譬えている。
 わずか 10 X 10 平米の基地(正当な言語対比の場)を構築するためには、数百メートルにおよぶ 4本の鉄柱(言語理論)が必要である。
 
 言語理論は、それはそれは多種の方面におよび、長大なもんです。
 どれだけ長大なものか……は、メラネシアやニューギニアの言語分布を一瞥してみたら、直感でえられる。

 思兼 をウキペディアに解説しているご仁は、じぶんではワカランので本居さんや平田さんの言を引いて、じぶんの発言に権威を添えていないだろうか。
 その本居さん、平田さんたちは、朝鮮語やアイヌ語の一片でも見たことがあるのだろうか。

[6144] 無題  生田淳一郎 2011/09/13(Tue) 16:01 [Reply]
 先に沖縄のジャーマ(機械)と ワ(豚)がビルマ少数民族語のそれと共通していることをみました。
 機械といえば機織り機械のことでしょう。ブータンの着物と沖縄の着物が酷似しているのも、このへんから頷けます。
 冬の北海道で、沖縄から来たアイヌが着物の裾を寒風にヒーラヒラさせながら、コマイ(氷下魚)を釣っている図なんざには「風俗ってナンダロ?」と寒心させられます。
 書きわすれましたが、ビルマ奥地は染料が採れて、これが広域に運ばれたことが言語の上で、追認できます。
 色という語も ranŋ という発音・語形 で広域に散っています。藍はシナ語でしょうか。その藍という漢字をアイと読ませる日本語は、 ranŋ と関節的な関係があることでしょう。
 面白いのは pur , pul , hur ,というほとんど同じ発音が、赤だったり、青だったり……が、広域に見られる現象です。

 このように、交易にかかわるモノ・コトが取引先と同じ発音を示す傾向がつよくみられますので、さしずめ モノ に焦点をあてた考証が民族のアイデンティティー割り出しに効果的です。とくに時代を画するモノは見逃せません。

 気がついたコトどもランダムにあげますと……。
★ そういった意味でいうと、ベトナム語で最も強調、訴えたいのは ngua(馬)です。
 北海道に入ったウチナンチューと沖縄のウチナンチューだけが馬をウンマといっています。
 日本語の馬も ウンマも語頭に ng みたいなのを置いて、これにシナ・朝鮮語の ma ,ba系を加えたものかもしれません。
 おそらくは、日本語の ウマは「ウ(大)マ(目)」で、上層階級とか監督をいうことで音が変化したものと見込めます。
 いま、ざーっとベトナム語を見ていて、たいへんな見落としをしていることに気がつきました。
 岩手県に二つあるロンレの滝は「龍拝みの滝」であることを、さきにここに紹介したところですが、その滝の語源ともいうべき thac(滝)がベトナム語にあるのです。
★ 塩(沖縄語 ; マース)はほとんでの動物に不可欠なので “ 文化語 ” としては認識し辛いこともありますが、塩がなかったら、海岸から 5キロ以上はいった内陸の暮らしはほとんど成り立ちません。
 マースがピリピノ語〜インドネシア語 に深く根を張っていることは、ここで述べました。
★ 弓矢もピリピノ語〜インドネシア語 に深く根を張っていることもここで述べました。

★ その他、酒は アラッキで世界語。清水は *sim で、半分世界語。臼、杵、鋤、鍬、など気をつけて語形を観たいです。
 ふるい(篩)はアイヌ語、朝鮮語、ネパール語に共通語形があります。「挟み」は朝鮮語・ネパール語に *kay です。
 網は暮らしに大変化(安定)をもたらしました。
 金属精練関係の刀、つるぎ、剣……、わけても「ふいご」には目が離されません。

[6143] Re[6142][6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/13(Tue) 11:47 [Reply]
 オモイカネを見た瞬間、あっしゃ「あ、こりゃ ウイルタ語だ」とおもヒました。
 内意はオオクニヌシの別名・アシハラ ノシコオと同一の「意味捌き」である。
 地図をひろげて栃木市〜古河市を見てください。そこには栃木市のほうに「思い川」というのがあ〜ます。
 ここは永いあいだ、ついさいきんまで。一面の大 taraw(沼沢)です。
 阪東太郎という呼称は、今では利根川のことですが、こここそ阪東太郎の本場です。

 だが語彙構成でオカシなところがある。
 o:mo: はウイルタ語で沼沢ですが、同じウイルタ語に沼沢を謂う kahara があるのです。これが一つ。
 次に、 e , i は、ウイルタ語ではなく、ギリヤーク語の川のことです。ウイルタ語では e で始まる語彙はない。
 で、オモイ川とはウイルタ語とギリヤーク語をチャカポンにした造語です。

 いずれにせよ、オモイガワは稲作が始まる前、数百年間にわたって、どこか近隣の民に代々うけ継がれてきた首領をいう呼称だったと、思ったんです。
 なぜ、これが残ったのか? それは、ギリヤーク人たちがミズラ(美豆良)を結っていたからだとおもわれます。

 カワと云ってしまうと、紀記編纂当時では、英語の river となってしまうので、カワを避けて カネ としたんでしょう。
 金子さんの大半は「川ね(土地)co 」さんだったと思います。べっぴんしゃんの言語学者の名前は「川根」さん。
 カワ も カネ も大したちがいはありません。 ネパール語 ka は「◯◯の」。wa が人であり、 ne は指導者です。
 このように、日本語にはネパール語が指導言語として深甚に機能していますので、まっつぁんも皆しゃんも宗旨換えをしてください。
 
 思兼は 「おもヒかね」と発音するのが真っ当なんじゃない?
 そうなると、分析・解釈は上とはガラリとちがってきます。
 出雲ではヒカワのヒは、簸、氷、斐と三様があります。これ、ひょっとしたら意識的に操作された上での遣いわけかも。
 基本的には ヒ は hir(タジク語 ; 宗教上の指導者)だろうとおもうのですが、まだまだ予断大敵です。
 
 長野市には「氷鉋(ヒガノ)」があります。

 稲作開始のまえ、人びとの結束はイノシシやウサギを獲る山の民では、ありえません。
 ネギをくわえて熟睡しているカモを、暗闇に襲って暮らす人びとが沼沢の民です。これなら集団が組める。

[6142] Re[6141][6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/13(Tue) 10:28 [Reply]
>  なかなか面白いんじゃないですか? 神女達はこれの何十倍ものセンテンスを記憶してきたわけで、
★ あるていどまで沖縄語の素養がないと、「面白い」までには行きまっしぇんばい。
 あっしが 26歳から足しげく通った霊能者の長谷川わかさんは、「坊さんが読むだけで 30分かかるお経を初めて一度聴いただでぜんぶ覚えちゃった」と云うのが自慢でした。
 そういった神経異常の成果を一般の共有にまで高めるには精神文化全般の高揚が必要であることはまちがいあ〜ませんが、そのためにもロジックの整理は不可欠なところでしょう。

★ ウィキペディアで 思兼 をみましたよ。
 古文書にでてくる固有名詞をウィキペディアで調べられるなんざ、チ〜とも知らなかったし、初めてのことでした。
 だが、やってヨカッタ! まっつぁんアリガトさん!
 でもなぁ、あっしの胸ンなかにくすぶりつづけてきた疑問が、ハッキリと原点に戻ったげなスジはこびがあ〜ました。
 その歴史(?)経緯は 13年にもなるとですよ。
 神奈備掲示板に出てくる神名など固有名詞の発音がワカラン。そこで神奈備ドン・こと当時のサラセッセにどう読むのかを質問したんですよ。そしたら、初めのうちは丁寧に教えてくれたが、そのうち「愚問だ」とおっしゃって、虫さされになった。
 だが……、これでワカッタよ。
 古文権にはそういった漢字文字が並んでいるだけで、ふりがなでも無いかぎり、その正確な発音は誰ァ〜れも分っちゃいないんですよ。
 これまで、あっしゃ発音もわからん古代固有名詞をテネグリ(豊後表現 ; いじくる)まわす神奈備の人びととは、よほどの天才たちじゃと思ってきまいたが、ナンのことはない。
 表現がヘタで申しわけないが、神奈備掲示板の方法では、当該固有名詞さんたちにかかわる「事態の前後関係」は分っても、歴史に伏流する「事態の本質的なうごき」は、いっかな把握できない仕組みになっている。

[6141] Re[6140][6138]: 沖縄〜奄美 V     琉球松 2011/09/12(Mon) 20:00 [Reply]
 「モリ」が頻繁に出てくる神歌があります。
 この場合「森」を当てていますが、「杜・守」のほうがいいように思えます。

『やんばるの祭りと神歌/名護市教育委員会』より「ウムイガキ」
*** もとむかし あたるくと (元昔あったように)
    あまみきよに ひちやるごとい (アマミ世にしたように)
    なごもりの おほかみ (名護森の大神)
    よやげもりの みよつぎ (寄り上げ森のミヨツギ)
    すがまもりの すじなり (スガマ森のスジナリが)
    なごもりに (名護森に)
    かみにしや いみしょうち (神がお座りになって)
    すじ よやいみしょうち (神が寄り合いになられて)
    とうは もろくしま (唐は弥勒の島)
    やまと かみがしま (大和は神の島)
    よろん うきしま (与論は沖島)
    ゐらぶ はへしま (沖永良部は延え島)
    いへや やっちいしま (伊平屋は兄島)

 なかなか面白いんじゃないですか? 神女達はこれの何十倍ものセンテンスを記憶してきたわけで、もう尊敬ですね。

[6140] Re[6138]: 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/12(Mon) 13:51 [Reply]
 モリ(山)がでたところで、沖縄と朝鮮、朝鮮語のことを考えてみましょう。
 小生の偏見によれば、元寇のとき朝鮮の武将が「海戦でこい」といわんばかりに沖縄に来ていたそうで、この事件を機に沖縄は国家形成〜集団化の激動の時代に入ります。

 しかし、沖縄の歴史も朝鮮語もほとんど知らない小生には、上述の モリ とアンマー(母)と グスク ぐらいしか思いつきません。
 朝鮮語 モリといえど ri はチベット語の山ですし, mo は極東に普遍する「小さい」が適用できそう。
 すなわち、朝鮮語の mori は、「小山」に還元できます。
 また、mo を「小さい」に限定しなっくても、 mo には 母、へび ……すなわち大地という意味にも分析できます。
 東北のモリ(森、盛岡の盛、杜)は朝鮮語発の山だと考えてもいいようです。サクドヶ森は森ではなくって山です。
 ですが、「沖縄にもモリがあるし、日本にもモリがあるから、沖縄語と日本語はここでも同一であ〜る」とはなりません。

 沖縄のグスクのスクは白村江(ハク・スキ)のスクに酷似しています。
 だから、これが朝鮮・沖縄に固有のものかというと、これまた早計で、インドネシア語の suku がその解釈を阻みます。
 インドネシア語 スク とは種族、一族の謂いで、日本語の スクネ とは一族のネ(指導者)という意味です。

 東北でもアンマー(母)をいいます。
 だからといって 即、「沖縄語 = 日本語」がいえないことは、モリでみた事情と同じ アヤの論理です。
 さらに、アンマー(母)はアラビアでも言っているのです。

 今のところ、朝鮮語との関係は三つだけしか云えませんが、ここで(も)小生が強く強調訴したいことは、語彙というものがどんどんどんどん族際語化して行ってる現象です。

 
 ところで、鹿児島県南端にある指宿(イブスキ)ですが、この ibu も何語だったか、母という意味だったと記憶してます。
 また、ところで、学者の伝統的解釈によりますと、グスクの gu は美称だということです。小生はこれを拡大して gu - , g- と、二つ置いてみたんです。すると、霊能者で一世を風靡した g- ib o 愛子さんの意味がでます。
 沖縄の墓所の イビ は有名ですが、その構図は、われわれヒトを産んでくれた母の形がよく見てとれます。
 それよりも何よりも、「gu = 美称」がハッキリ云えるもんなら、熊野が 「 gu man(精神性) o(神)」でドンピシャです。

[6139] Re[6137][6136][6134][6133][6132][6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     琉球松 2011/09/12(Mon) 10:22 [Reply]
 『Wikipedia』などを利用するといいですよ。
 「思兼神」は、アマテラスを呼び出すための総合プロデューサーって感じですね。
 アメノウズメを手配したのもこの神なのでしょう。

 "「オモロ・オモリ・ウムイ・ウムリ」などは分解不可" と書きましたが、「オモ(思)」に命令形の「レ!・ロ!」がついているとも解釈できますかね。

 それと「ニライ/カナイ(奄美ではネリヤ/カナヤ)」なんですけど。。。これはなかなか難解ですが、「カナイ(カナヤ)」に「兼」や金属を見出す考え方は悪くないですよ。
 この地はたぶん、奄美沖縄にとってのヤマトでしょうか。逆に「常世国」はヤマト側からみた奄美沖縄諸島?

[6138] 沖縄〜奄美 V     生田淳一郎 2011/09/12(Mon) 10:17 [Reply]
 まっつぁん、
 出雲弁に 「アシガネ(脚力)」だありましたよ。
 だから、カネ = ちから と考えるのは、ちょっと早計かな?
 「が」 が「……の」かもしれないので、ne が力かもしれません。 / ka , ko はネパール語で「……の」。
 カネ には「つらら」の構成因子もみえますね。「直角」もあ〜ます。大工が使う カネ尺 のこと.

[6137] Re[6136][6134][6133][6132][6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/12(Mon) 08:57 [Reply]
 まっつぁん、「思兼」はどう発音するのでしょうか? 
 √ ♫♡ おうちゃ(貴男は) よかときゃ どげん言うたへ ♫♡ 

 豊後の恋ウタです。おたしの両親の青春時代には、まだ立派に活きちょりました。 このウタの返歌みたいにして
 √ ♫♡ ワグゥ オムゥワー(おまえを思えば)……♫♡  ってぇのがあ〜まず。

 兼がカネであれば、ニライカナイの「カナイ」にも通じないでしょうか。すなわち「想いを叶える」では?
 ついでに書かせてもらいますが、「カナイ」とは、まず kan(願望) という族際原始語があって、これが一つには開音化して kana に移行する。いっぽう同時に kan つづいて末尾辞 --ye(◯◯させる)がついた語形だとおもいますがどうでしょう。エ は、これまた イ と「通音みたいなもので……

> 『おもそさうし』は、島々村々の神歌を採録編纂したものであるとされていますね。
★ あり難うございます。
 そうすると、モロとはシナのことでしょうか。
 モロビト、モロコシにも通じますね。モロコシとキーを置いて転換ぶっ叩いたら「 唐黍、唐土」が出現。

> 神歌の形式としての「ウムイ・ウムリ」と通ずるはずです。
★  r 音が降って湧いたように付加されている点には不自然なものを感じますが、字たらず、字あまりを解消させる韻律第一主義の「神のムニー(モノ言い)」。
 オヤマ(ウタキ・御岳山)をウムイ、ウムリといった事実があれば、ここには朝鮮語の mori(山)が介入しているということにならないでしょうか。
 ヤマとは ja bal とは別格の jamat(人びとあつまり、集会)をいうネパール語。ここ、不退転でんす。

★ 5音階でしたか、あり難うございました。

> 「おもう」は、奄美大島南部の古い言い方では「しゃべる・おっしゃる」の意。
★ 奄美大島南部・・・・・・、出雲弁と接近してきました。

[6136] Re[6134][6133][6132][6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     琉球松 2011/09/11(Sun) 14:09 [Reply]
 琉球音階のことを忘れてました。。。

 この音階は、バリ島のペロッグや、タイ山岳民族などの歌を聴くとわかるように、もともとは東南アジアからもたらされたんでしょうね。
 貿易港の那覇から広がっのでしょうが、時期としては1609年の薩摩侵略以降だと思いますね。徳之島以北には定着していません。

 まあ、東南アジア5音階の北限は沖永良部島ともいえるかも。。。

[6135] Re[6132][6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     琉球松 2011/09/11(Sun) 12:12 [Reply]
 『おもそさうし』は、島々村々の神歌を採録編纂したものであるとされていますね。

 と言うことは、神歌の形式としての「ウムイ・ウムリ」と通ずるはずです。
 これは「思う」ということなんでしょうけど、奄美大島南部の古い言い方では「しゃべる・おっしゃる」の意ですから、思うだけではなく "神の言葉を音声にして発する" でしょうね。それを冊子形式に表したのが『おもろさうし』ということになります。

 これらは、祝詞のような感じですから、少なくとも集落単位では舞踊を伴いません。

 このあたりが、岩戸神話に登場する「思兼神」の素性に見えるんですけど、どうでしょうかね。「常世長鳴鳥」にしても、太陽の再生に必要な言葉を発する者の「ハレの言葉」なのでしょう。

 ですから、琉球方言の範囲でいう「オモロ・オモリ・ウムイ・ウムリ」などは分解不可と考えます。

[6134] Re[6133][6132][6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/11(Sun) 12:08 [Reply]
 沖縄固有・・・みたいなことをいわれている領域に「旋律」があ〜ます。
 これについては音符オンチのあっしゃ発言権はないのですが……。
 われわれフツーの日本人が明治このかた用いているドレミファソラシド音符のうち、 どこか二つばかりが欠落しているんだそうです。
  8ヶのうち 2ヶがないので、沖縄の音楽はすぐに判ります。
 ところがモノの本によると、この沖縄流楽譜は、ペルシャを含んでいたかどうかは忘れましたが、東南アジアとかに広範囲にみられるとか。
 で、そのかぎりにおいて、あの沖縄の旋律は沖縄固有であるとはいえない。
 むかしの楽器などを奏でてみたら、沖縄の旋律になっちゃったみたいなことがあるのでしょうか。

 前々からまっつぁんに訊こう訊こうと思っていたのですが、昔のウチナンチュは「ツ」と発音できたのでしょうか?
 こういう基礎発音が「できる・できない」は、語彙のいっちょいっちょの異同を論じる以前に重要です。
 太古々々の大むかしから、ウチナンチューが「ツ」を云えたんなら、日本語との同一性が考えられるってとこ。

 これとよく似たのに「 S- で始まる語彙を云えない民」がいる現象です。
 6ヶ国語をコナしたパキスタンのアリくんは、英語の教師などをやりたかったのですが、たとえば story などは history みたいにしか発音できないので困っていました。
 あ、「ツ」は、とてもニガ手で、ベロ先を歯に歯に挟んで目をシロクロさせていました。

 よくは調べてはいませんがピリピノ語では魚を isda といっています。これはスンダランドのスンダ(魚)ではないかとカンぐっているところです。 / 宮古 ; イズー(魚)。

[6133] Re[6132][6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/11(Sun) 10:00 [Reply]
 できるだけ、まっつぁんの願いをかなえたいもんです。まず、大どころを抑えてみましょう。
 「歌舞」では沖縄固有かどうかの解釈・判断はどうもムズカしいみたいでした。

 へば、三母音が沖縄固有みたいですが、これではどうだんべ。
 「三母音は鹿児島の下層階級にみられる」ときいたことがありますが、鹿児島という本州最南端の地だということは、逆に沖縄から連れてこられた……という可能性がでます。
 三母音はニューギニア方面にもみられるとのことでして、その他あちこちにもあるそうです。
 なんといっても三母音の親玉はアラビア語という大言語です。
 アラビア語が持っていることばぐせ(三母音)が沖縄まで進出してきているんだ……との認識に立てば、沖縄・鹿児島・津軽にマンジューの語があることも一挙解決でしょう。
 アラビア語でのマンジューとはマンゴーのことです。
 品性高潔なウンジュは、「マンゴーはたべもの、女陰とは関係ないだろう」とお思いかもしれませんが、ここでピリピノ語をちょっとみると、
 マンゴーという果物はピリピノ語で mangga いいますだ。そしてそれだけならいいが、これに続くように mangghasa(強姦する)だの manggahis(犯す)というイヤラシい意味がついているのです。
 これとは直接の関連はあ〜ませんが、同ピリピノ語に bati bati(自慰する)があるとです。
 マンゴーは軍隊必需品だと思います。

 アラビア語が沖縄にも日本にも進出してきているとの素直な認識にたてば、日本語のヤマ(山)も沖縄のヤンバルも、アラビア語の Ja bal(山)であることを認めたくなります。
 あれッ? 同一のはずだった沖縄語日本語にあいだに、いつのまにか、もうひとり仲間が増えていた!

 二年ほど前かな? アラビアに出兵していた日本兵が、独善の意識でなにかホコラみたいなものを造ったところ、あたまサンカクにした現地過激派から爆破されたというニガい事件がありました。
 「こんなに遠くは慣れているんだから、日本語は日本語、アラビア語はアラビア語でお互い関係ねぇだろう」と思った日本人が、百万円ぐらいはかかっただろうに、そのの努力とおかねをぶっ飛ばされたんです。まさに身勝手な近視眼的発想!
 この日本兵たちはクロマニョンの先祖がアフリカから出たことをド忘れしてたんですよ。
 
 もちょっとスナオになってアラビア語辞典でもよめば、そこに「アミダ(複数の柱)があることを見出したはず。
 どうしても出兵したという記念の碑が欲しかったんなら、柱の三本でもぶった建てたらよかったんです。

[6132] Re[6131][6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/10(Sat) 14:13 [Reply]
 このへんで「沖縄ズバリ」と行きましょう。

 通婚圏の人びとを招いて催す最高のイベントとは「歌と踊り」でしょう。
 徳川家が一大名なみに静岡へ移封ときまって、江戸を去るとき勝海舟は振り付け師の寿助に「江戸で興った舞踊をシッカリと守り通すように」と、頼みました。
 『龍のくに』での弟さんが、ことばよりも舞踊のほうに重点をおいた気持ちとは、こんなもんでしょうか。

 津軽には「エフリコキ」という “ぶり ” があります。「ええ(良い)ふりをこく」のです。
八戸のエンブリ祭りとは出羽三山に伝わる舞曲の一つで、ここに enciw の en (・・・ n ……が介入)が注目されます。
 ウチナーぶり、ヤマトぶり、アイヌぶり……。舞踊は「◯◯ぶり」の中核です。

 オモロのモロとは、「芸」の呉音なまりだと聴いたことがあります。が、これ、どうもそらぞらしい。
 もし、それが云えるなら、この歌舞は 「from シナ」となって、沖縄固有とはいえない。
 それよりもピリピノ語の molo( good maner)に注目すべきではないでしょうか。

 「出雲のおくに」などの オ は女性に対する称愛辞で、シナでは「阿ー」になるようです。
 オモロサウシのオは語頭につけて丁寧をあらわす接頭辞でしょう。
 しかし、これが嵩じてくると、日本では幕府(おかみ)や神を示す接頭辞になります。
 沖縄のオモロの オ が、神につける接頭辞だとすれば、これは新しい用法でのことではなかったでしょうか。

 サウシは比較的カンタンです。
 サは ♫♡ サのヨイヨイのサ。アイヌ語 sa(メロディー)。
 ウシは u(大) si(人)で、大人。
 源義経の恋人、「静か・しらべ・ウシ」は、調べの大人。

 沖縄のオモロサウシに、沖縄固有ということが、どこまで言えるんでせふか。

[6131] Re[6130][6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/10(Sat) 12:15 [Reply]
 さてこれからが、「言語開発手段としてマルチ対比は不可欠であ〜る」という小生主張の本論です……と、行きたいのですが、ここは方法的に “ 三十六計 離” と行きましょう。

 こんかいミャンマーの少数民族語として、ブタと機械が沖縄まで流れて来た……という事実を掴みました。
 その機械はネパール語辞典では「道具」と訳されています。
 ビルマ(ミャンマー)の奥地にも、ナニか由々しいものがありそうです。
 小生はいちどミャンマー語に取り組もうとしたのですが、ここにも少数民族語が 50ほどあるらしく、その多さをどう処理すればいいのかが分らなくなり、そのまま“ 三十六計 離” なんです。

 ビルマ語領域は西田竜男という先生が鋭意研究された……までは知っているのですが、日本、日本語とのつよい連結はここ一本では締めあげられなかったみたいです。
 ビルマ語では、薮先生のお導きでボド語族のラールング語で、日本・アイヌとつよい連結を感じたことがあります。
 いや、ナニかがあると思いますよォ〜〜!

 ネパール語と日本語のあいだにはケタタマしいまでの類似語彙があることは、別掲のとおりです。
 http://kamnavi.jp/log/ikuta.htm
 ネパールの東にはブータン王国がありますが、そのまた東部にメンパ族がいて、その言語には日本語と類似をみせる 約200語彙があることを、シナの言語学者が発表して 15年以上の時間が経っています。
 昭和 30年ごろからベストセラーになって日本中を沸騰かせたレプチャ語は、インド北部のシッキム州で遣われていることばです。シッキム州はネパールとブータンに挟まれたようなインド領です。
 このレプチャ語と日本語との間にどれくらいの類似語彙があるかは、安田督太郎の著述では数えることができませんが、これも最大 200語彙ぐらいと推測しています。

 沖縄のカカァ天下は、チベットの特定地ですが、「とある湖畔」の風習に酷似していると、小生には思えます。
 沖縄は歴史の舞台に登場してこのかた、元寇につぐ倭冦・・・闘争の連続でした。そういう激戦のなかでカカァ天下を護り通した威力は、並みの「男 対 男」のケンカでは、まんず(男女まるごと)生きぬくことができなかったでしょう。

 このネパール、シッキム、ブータン、奥ビルマ、チベットの住民の一部が、前漢武帝のときに筏や舟で、兵站輸送を受けもって蛋民となり、日本大衆の基盤を固めたのだと 《ひとつは》 思っています。

[6130] Re[6129][6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/10(Sat) 10:41 [Reply]
>  アイヌ語どころではないですよ。まずは琉球方言全般〜倭語?ですかね。
★ まっつぁん、「可愛い子には旅をさせろ」といいますわなぁ。
 故郷を遠くはなれてウロつきまわると、おのずから眼が開かされてくる……。そういうもんじゃござんせんか?
 われわれが 17世紀にうまれていたと仮定しますと、まず、東南アジアを廻ってくることを奨めするんだがナァ。
 そしたら、まっつぁんが 沖縄に戻ってきたときには アキサミヨ〜ばぁを連発するこってござんしょう。
 ギリシャ人のファルコンという大商人が船を乗り回していたんです。びっくりしたときはエクセムベオ〜言いますだ。

 このアクセムべオ〜を構成している *acem が、どこをどう巡ってきたかは不明ながら、日本古語の「あさまし」とか豊後表現の「アッチャマァー」という驚き声になっています。
 沖縄に「あさまし(びっくりするような)」はありましょうか? 無いとなったら、一連のアキサミヨ〜系は、ファルコンさんたちから沖縄が借用したことになりましょう。
 急がば廻れともいいますばい。

>  「思兼神」が気になってしょうがない!
★ ナンじゃラホイ
  このごろ知った「兼」には領主という意味があったが、これじゃ、考えかねるかな?

[6129] Re[6128][6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     琉球松 2011/09/09(Fri) 20:53 [Reply]
生田淳一郎さん

 アイヌ語どころではないですよ。まずは琉球方言全般〜倭語?ですかね。

 「思兼神」が気になってしょうがない!

[6128] Re[6127][6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/09(Fri) 16:07 [Reply]
 こういう視角はどうですか。
 もう 40年もまえ、元首相の吉田茂さんによく似た名前の学者さんが、日本の地名や固有名詞について本をかいていました。みると、外国語の援用が一つも無いのです。
 そこで、その先生に「なぜ外国語の援用をやらないのですか」と手紙で質問しました。
 すると「外国語を援用するなんて、それはもう、大変なことです」と返事のハガキが来ました。
 そのハガキに接した小生は「じぶんがこれから払う(だろうところの)苦労と真理を取っ替え引ッ替えにしている」と思いました。
 これから先、無限とも予想される受難の途がどんなにつらくても「やるべきはやる」というのが、学徒たる者のつとめでしょうが。
 つらいからといって、途中で止めるようなら、初めっから思い立たないほうがよっぽどいいに決まっらい。

 次に、こげな視角はどげですか?
 幕末に近いころ、長岡藩の鵜殿団十郎(号は春風)と河合継之助という二人の俊才若侍が夜っぴぃて「精読主義がいいか、多読主義がいいか」をめぐって大議論を交わしたそうです。
 二人はそのとき 15歳だったことにさせてください。
 河合継之助は「これから大きな国難がくる、そのとき長岡藩を切りまわせるのはオレだけだ」と豪語していたので、家老職を委任され、ついに長岡藩を滅亡させることになります。
 鵜殿団十郎は幕府に採用され、軍艦頭並になりますが、 35歳で病没します。

 この議論のあと始末として惜しまれるのは「どうして二人は、あと 5年後という期限をきって、「相手がいう多読 または 精読を実践してみなかったか」……ということです。
 精読主義のほうは多読をせず、多読主義のほうは精読をしない……では、それこそ宝の持ち腐れです。

 言語のマルチ対比・・・ナァ〜〜ンち、てぇへんなこったろうとお思いでしょうが、そこはそれ、要領というもんがござんす。苦労人・生田淳ちゃんの苦労が光るところでやんす。
 言語のマルチ対比なぁんて、いとも簡単なことです。
 まっつぁん、アイヌ語はもう済みましたか?
 ケナす人も多いのですが北海道の山音文学の『アイヌ語小辞典』 600円など、手頃でいいですよ。
 それをなんべんも精読すればいいんdす。

[6127] Re[6126][6125]: 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/09(Fri) 10:18 [Reply]
 ハナシの流れは、言語のマルチ対比が必要かどうかの曲がり角にきたようです。
 小生は「そりゃぁ必要不可欠ですよ」という口ですが、ここを平明にみぢかく申し述べることは、“ 今は ” 難しい。
 そのうち、パチッと短く言えると思いますので、まっつぁん待ってて頂戴ナ。

 簡単にいおうとしたら、松本克己先生の方法論を一瞥すりゃいいでしょ。
 言語についてのこれまでの認識には「どんな言語でも、昔むかしの大むかしから一つの固有のクセに貫かれた塊(の総体・・・一つ)がある」と、研究者箇々の身勝手な思い込みがあったとおもうんです。
 い、いや、それでもいいです。というときのこっちの腹は「何もしないよかはるかに良い」という意味で、いいんです。

 ところが、言語現象を覗く学問的視野は、他の一切の視野とともに、西洋型偏執の俯瞰となっていたのです。
 ご維新このかた 140年、語源分析の分野は「学会」としては本居宣長のレヴェルから一歩も前進できないままに、こんにちに至っています。
 小生は、松本克己先生については詳しくは知りませんが、先生の胸裡には、この矛盾の突き上げがあった・・・・・と。

 おっと、松本克己先生などの権威を、ここにもって来て振り回すはイケナイことでしたか。

 へば、こげなん視角はどげですな。
 現代言語学の父と仰ぎ奉られるソシュールさんの言に「語彙の恣意性」というのがあ〜ますよね。犬のことを inu といおうが Hund といおうが、dog 、kur といおうが、それら一つ々々の単語構成は、まったくバラバラの現出様を示していて、それら単語には必然の根拠が無い・・・というんです。
 ソシュールさんの考え方を日本に紹介した丸山圭三郎さんは「単語の恣意性とは、そんなんじゃないヨ」と云って、幾許かのコメントを並べましたが、その説明は直截的ではなく、この誤解(?)は、今なお解けていません。
 要するに、語彙(単語)の意味内容、語源起源、由来、変遷過程が聴いていて受け取るほうに、常に諒解されていたならば、こんな「恣意性」などという困惑感は無かったはず。
 その困惑感の原因はナンだったのか……をつきつめていくと、ソシュールさんが対象とした言語群が、他の民族学、歴史学、地学、人類学などの分野でハッキリと「同族」だと判りきっている領域内だけの言語群だった……んでした。
 すなわち、印欧語という大言語群で、ここの諸言語はすべて同族ですので、そこには言語系統樹も「学問らしく・鮮やかに」描くことができ、音韻対応に法則じみたことで「学問らしくスジを透す」こともできたんです。
 その西洋流「言語系統樹」と「離れている二つの言語間には音韻対応が見られなければならない」という考えかたを、日本の言語学者たちは、こともあろうに、そっくりそのままアジアに持ってきてしまったんです。

 この一点を見ただけでも、明治維新このかたの日本の言語学者たちが、どんなにサ◯ン症、ダ◯症患者であったことかが解りましょう。オッと、アスペルガー症患者と言いなおします。

 ここの「曲がり角」については、あと 3 〜 4コマの説明を要するみたい。

[6126] Re[6125]: 沖縄〜奄美 U     琉球松 2011/09/08(Thu) 11:22 [Reply]
 学問は好き嫌いではないですね。参考になる研究はドンドン採用しますし、今のところ外間先生の解釈が最も妥当と考えてるだけです。

 琉球方言の豚は「ゥワ・ウァ」など、これもなかなか表記しずらいですが、その語源がミャンマーあたりだとすると、琉球列島との間に。。。例えば中国雲南省やベトナムに「ゥワ・ウァ」に近いがあるといいんですけどね。

[6125] 沖縄〜奄美 U     生田淳一郎 2011/09/08(Thu) 10:40 [Reply]
 や〜 すまん すまんです。
 じつは「パンジャウ」という発音かどうか、忘却の途についているところです。
 脂ののったところで、いいかげんな名前をつくって挙げてみたまででんす。「パンジャブ」に似てるでしょ。
 佐々木さんがその言語での一覧表を挙げられたのですが、その中にワとジャーマが、ハッキリと認められました。

 下に “・ ” のないクエスチョンマ−ク(?)、その上部分を先につづけて ?wa てなふうに表記するらしいですが、ことば(語彙)が氏族・民族間をただようとき、斯かる ワ は 、ッワ でも ワ でも同様に扱われるのでは? おなじブタですので。
 語頭につける促音みたいな発音に似ているのに、語尾につける促音もあ〜ますよね。例 ; 鹿児島の タマッ(アイヌ語 の ramat と同じ)。


  まっつぁんが尊敬なさっている先生をチャチャクムチャクみたいに言うてすんまっしぇん。
> 「チ」は「血・乳」、あるいは霊力をも表すようですが、この場合は終止形のでいいんでしょうかね
★ 九州弁でいいますと、「そげちですばい」でもよかし、ただの「そげち(そんなだと)」でも意味は通じます。標準語は「と」ですので、ト で切ってもぜんたいの云わんとする様子がわかる・・・・・。
 「ト止め用法」みたいな表現方法が公認されたら便利ですね。

> 「チュ(例 海んチュ・島んチュ」は、文献には「キヨ・ク・コ」とありますから「キュ」に近い音だったんでしょうけど、本土側日本語のどれに当てはめたらいいんだかわかりません。
★ またワルクチみたいになってスンマッシェン。キ ⇆ チの音転を小生はキチガイ音転と言ってます。
 これは沖縄だけにあるのではなく、東北にも出雲にもあ〜ます(出雲弁)。
 日本語つぃては、坂本龍馬の亀山社中だの、女中さんだの……。「チュー = 人」は、かなり安定したものとしてその座位を占めているようです。「そのご仁はうちの藩の家中だ」などともいいます。
 日本のチューは単数の人ではなく、「人びと」とすべきでしょう。
 沖縄の「中」は上中下の中みたいに遣われていますが、これは中曽根さんや中大兄皇子、中臣鎌足の中のように「くに、国」の代用としてもちいられたいたと、推測してま。
 この「チュー = 人、人びと」は、一般常識にはなっていないとおもわれます。
 岡山県津山のご仁がh本をだして、そのなかに「チューとは人のことであ〜る」と、高らかに謳いあげたのは、まだ 4年ぐらい前のこってす。

[6124] Re[6123][6121][6120][6119][6118][6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     琉球松 2011/09/08(Thu) 09:36 [Reply]
 "ワとジャーマはミャンマーのパンジャウ語" とのことですが、地図上ではどの辺りの言語でしょうか?
 
 琉球方言の「ワ(豚)」は、より正確には「ゥワ」に近いですから「ワ」の頭に何かついていた可能性があります。パンジャウ語ではどうでしょうかね。

[6123] Re[6121][6120][6119][6118][6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     佐々木 2011/09/07(Wed) 22:42 [Reply]
>ワとジャーマはミャンマーのパンジャウ語
 忘却の途にあり。ワの発音は「vwa」だったような記憶あり。
>・・・ゥチ
 「・・・さあ」「・・・ごわす」「・・・でっせ」「・・・どす」、または標準語の「・・・です」のような印象です。
生田さん、脂がのってきましたねい。

[6122] Re[6121][6120][6119][6118][6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     琉球松 2011/09/07(Wed) 13:40 [Reply]
 外間守善先生に対しては、いろいろと誤解もありますね。

 氏の基本的なスタンスは "日本語の範囲内で琉球方言を解く" って感じですから、未詳語は他者の研究に委ねているようです。
 まあ、もう高齢な方ですから、外国語を持ち出す余裕がないんでしょうか、まだまだ本土側日本語との関係に限定して追求したいんだと思いますよ。

 さて「チ」なんですけど。。。これは「チー・チェ・ッチ」でもかまわないですし、そもそも平仮名でビシッと表記だきそうにないです。
 一音節の「チ」は「血・乳」、あるいは霊力をも表すようですが、この場合は終止形のでいいんでしょうかね。
 ただ、人や神を表す現代奄美沖縄スラングの「チュ(例 海んチュ・島んチュ」は、文献には「キヨ・ク・コ」とありますから「キュ」に近い音だったんでしょうけど、本土側日本語のどれに当てはめたらいいんだかわかりません。

[6121] Re[6120][6119][6118][6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     生田淳一郎 2011/09/07(Wed) 11:34 [Reply]
 モノを教わる身分の者が、偏狭な先入観を持っているということは、ハナシの流れもスジもハチャメチャにする……は、十分にこころえているつもりです。が……(アハハ)。
 それにしても、オモロが斯くばかりに猛毒をもっているとは、想いもよりませんでした。
 そういう{ [ 6118 }・陶酔のことば)次第ですので、「おもろ」は準拠基準といい難い面を多分にもっているのでは?
 当分間「おもろ」の場で分らなくなった語彙の詮索は、外すのがいいのではないでせふか。

 オモロもさることながら、外間守善さんは、まったくもって、外国語を見ようともしない先生でしたね。
 ガンコ・トンカチ・イシアタマとはこのこと!! もう 87歳ぐらいのご高齢。
 斯かる先生をカタワレとはいえ、権威の一つに戴いている沖縄(語)学は、不幸をかかえこんでいるようなもんです。

 沖縄料理で有名なチャンプラーは東南アジアのあちこちにありますよね。
 あまりにも よそのことばを見ようとしないので、「では、沖縄の海に年にいちど回遊してくるマンタについて、先生はどう思われるか」と質問したところ、 ぜんぜん返答がない。

 これがこうなったきっかけは、オレが「マタハリ ヌ テダ ラー ハヌ シャマ ヨ(陽)」はいろんな国語での太陽だった」と報せたところ、外間守善しゃんから手紙で「そんなのはシロートを喜ばすにはいいかもしれないが、学問とはいえない」と云ってきたんです。
 そこで「へば、学問とはナンじゃらホイ」となったわけ。

 学問とは真理を追求する場です。真理が「おまえ死ね」と云うたら、死ぬのが学徒のつとめ。
 ところが、今の学問は物理化学以外の分野は「集団形成」から大幅に毒されています。ぜんいんがとかなんとか平和裡に収まったり、現状に風波を立てないものであれば、即、真理としてしまう猛烈な傾向をもっています。ヒドいのになると多数決だったりして……。
 
 外間守善先生はその著『沖縄の言葉t歴史』中公文庫 P 342 に「このような不明な語彙も多少はある」として ワ(豚)、マフッカ(夏の暑いまっさかり)、ジャーマ(機械)、ガマク(腰)の 4語彙を挙げ、ほかは皆、本土語に還元できるとの筆致です。
 ところがガマク、マフッカ、ジャーマはネパール語であり、ワとジャーマはミャンマーのパンジャウ語にあることは、ここで天才・佐々木さんが示されたとおりです。
 マンタはポルトガル語かスペイン語の マントと同根であることは、ほとんどの皆しゃんの認めるところでせふ。なんなら多数決で決めますか。

[6120] Re[6119][6118][6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     生田淳一郎 2011/09/07(Wed) 10:35 [Reply]
 まつ様 あり難うございます

> これは、「召し/よわちえ」に分解したほうがいいでしょうね。
★ まだ「チ」、「チエ ⇆ チワ」の意味が、沖縄公式の場でどのように受け取られているのかは、聴いていませんが……。
 W ⇆ Y の通音(一般的にいって “ どっちでもいい ” ということ)があるのでしょうか?
 「W , Y , は P にも転訛しやすい」……ことは、小生は世界的傾向として掴んでいました。
 それ(W = Y )が沖縄にみられるということは、ここに 「 P → H の移行もありうる」ということを示唆します。ここをうけて、その場合、「チへ」の へ が光ってくるところかと存じおりそうろう。

 また、神のウタは懸詞だらけですので TW(ciw・・・人)をムリムリに嵌めこんだともみてとれます。
 ciw というのはウチナンチューの チューで、村山七郎さんが好んで掲出した語形です。
 アイヌの自称 enciw は、アイヌ語固有みたいですが、これはペルシャ語のエンサーン(人)の en であり。
一般的には「格上の」という意味だと思えます。 en(格上) は各地に残っていて、把握できますが、ネパール語でもあります。

[6119] Re[6118][6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     琉球松 2011/09/07(Wed) 09:41 [Reply]
 現在は「〜そうち・〜しょうち」ですけど、「めしよわちへ」で調べればいいと思いますよ。

 これは、「召し/よわちえ」に分解したほうがいいでしょうね。
 「よわちえ」は「おわちへ」に復元できますから、日本語の範囲ということになります。

[6118] Re[6117][6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     生田淳一郎 2011/09/06(Tue) 11:48 [Reply]
> 「〜そうち・〜しょうち」は、「しよわちへ」と表記されています
★ 「〜そうち・〜しょうち 、しよわちへ」の三つの語から、それぞれ「ち」と「ちへ」をもぎ取ると「ソウ、ショウ、ショワ」が、同じ意味をもった別発音であることがわかります。
 なぜ小生が「チ、チヘ」をもぎ取ったかといいますと、「チ も へ も疑問詞ではなかろうか」と思ったから。
 チ はベトナム語と共通の疑問詞であり、へ はとくに大分県に顕著で、岡山の矢掛町でも聞いたことがあります。不鮮明な記憶ですが秋田か山形県にもあったはず。
 疑問詞というのは、おおよそ単節音だろうと想像するのはシロートのアサマカサで、樺太アイヌでしたかハンネプカという 3節 4節の疑問詞もあります(これは川崎真治さんの本で記憶)。
 「なにをかいわんや」のように、表面では疑問詞をつけてはいるが、その実、強調をするという云いまわしもよく遣われます。

★ それにしても、「ソウ、ショウ」は自然な転訛ですが、末尾に割り込んで来た ワ とは何でしょうか。

★ 「陶酔境(宗教)のことば」
 およそことばというものは、ロジックといように論理の積み重ねができるものです。
 小生はたったの今まで、沖縄のヒドい音転は、日本語大量借用に起因しているとばかりに思ってきましたが、基幹部において宗旨替えしたほうがいいと思い定めました。すなわち、その基幹と宗教的陶酔です。
 むかし……といっても 30年ぐらい前でしょうか『龍のくに』という大河ドラマが放映されました。
 沖縄が薩摩藩に併呑されるとき、兄弟二人が沖縄代表として薩摩との折衝にあたるのでしたが、兄貴はまじめに交渉の任務にあたるのに、弟のほうは口を閉ざし、その代わりに沖縄舞踊ばかりを踊っていました。
 そのときは、「情念という意識叢を選択の第一基準に持ってしまった男のありよう」として、その弟さんの佇まいを観察・了解したのでした。
 が、ここにきて「おかた(方・・・まつ……出雲弁)様の言に接しますと、ギャッと別判断がでました。
 集団形成とか論理のことばをどんなに聴こうとも、それを全体として受け容れる意識の構築がないかぎり、出てくる「ウチナーぶり」は、女権優位の従来型思考しかないわけですよ。
 もう 85歳になりましたが、陸軍◯年学校で天才との評価を得ていた Aさんが、3年ほどまえ、小生に「宗教の核は陶酔である」と助言してくれました。
 くらげのような陶酔意識からは、正確な発音も・その意味も伝わらないんでアリマス。

[6117] Re[6116][6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     琉球松 2011/09/05(Mon) 15:37 [Reply]
 「〜そうち・〜しょうち」は、『おもろさうし』に「しよわちへ」と表記されていますね。
 このへんの理解には、外間守善先生の著書が参考になると思います。

 通過は貨幣でもあり、古く中国では貝を使ったようですから、琉球列島は銀行のような所かなとも思いますけどね。
 しかしよく考えると、島々には貝がザクザクとワンサカありますから、スーパーインフレだったかも(笑)。

[6116] Re[6115][6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     生田淳一郎 2011/09/05(Mon) 13:39 [Reply]
 ウ〜〜ン! 分らんような、ワカランような……。

  ● いまうちやうん = いもうちゃん= 参られた
  ● はうち = そうち = みそうち

 アハ−ン、歌なので字余り部分を調節する必要があるのでしょうか。
★ 「* いもふ」あたりの語彙に「お出でになる」という敬語があるのですか?
★ はうち、そうち の チは九州出身の小生には馴染みが深いものがあるみたい。「……して」ですか?

 ま、ちょっとづつ教えてください。
 沖縄語は借用がほとんどなので、語源意識がぬけ落ちた分だけ、音転がはげしいのだと思えます。
 
★ シナが貝を通貨にしたことはタシカでしょう。子安貝とかニタリ貝ならシナの沿岸で採れるので、わざわざ沖縄までくる必要もなかったでしょう。
 たくさんのゴホウラ貝を両腕に透して出土した人骨の写真をみたことがあります。

★ 40年も前、テレビで放映していました。塩飽の漁民は 20日ほどかけて三島半島近くで鯛を釣ってくると。
 これは、倭冦のなごりでしょう。
 広島の人の研究では最大 2万人の倭の海賊が来たとか。2万人とは、これはもう日本列島人ではないでしょう。
 倭冦はシナ人から倭とか日本の名前をカタられ、利用された面もあったでしょうが、日本人が海賊はたらきをしたこともタシカでしょう。
 その海賊の数派が沖縄方面に行ったこともタシカでしょうが、何をしに行ったんでせふか。

★ 沖縄は元寇で世界史の舞台に登場し、それ以降、日本文化の圧倒的な影響を受けたのだと思ってます。

★ 済州島、朝鮮にはカッパはいないよですね。

[6115] Re[6114][6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     琉球松 2011/09/05(Mon) 10:39 [Reply]
 神歌は、おおむね昭和の時代に採録されていますし、音声伝承ですから島々によって変化しています。

 「いまうちやうん」は、沖縄島中南部では「いもうちゃん」ですから「いらっしゃって」でもOKで、「おりんはうち」は、同じく「うりみそうち」ですから「降りられて」でもかまわないですね。
 このへんは "揺れ" と考え、あまりこだわらないでいいと思いますよ。

 重要なのは、島々にやってきた神が "ヤマトの中心の生まれ" であることです。しかも女性!
 時代的にはどうでしょうか。宮古八重山には上陸していないようですから、考古学とからめて考えると少なくとも平安時代以前と思われ、言語学的には『記・紀』編纂以前でしょうか?

 「アマミキヨ(キヨ・ク・コは人を表す)」を、奄美人と解する方がいるんですけど、奄美大島北端でも北からやって来ることになっていますから、ヤマトの女神ですね。「ヒルメ・アマテラス・卑弥呼・百襲姫」。。。

 「オヲ」なんですけど、以前にも紹介したように「大島・青島・粟島・淡島・雄島・奧武島」など地先の小島で、"コチラとアチラをつなぐ" エリヤでしょう。観念的には「橋・箸・間・土師?」でいいと思いますがどうでしょうか。

 それから「めくら神」との観念は琉球圏には存在しないように思われます。
 まったく聞かないんですが、河童の系統である「キジムン・ケンムン」が魚の目を欲することと関係あるでしょうかね。

[6114] Re[6113][6112]: ウチナー 〜 奄美     生田淳一郎 2011/09/04(Sun) 15:39 [Reply]
 まっつぁん ウ〜〜ン! アッパカットくらひまひた。

> 「テルクミ・ナルクミ」。奄美大島では「テルコ・ナルコ」ですね。
★ テル、ナル、kumi ですね。どこでチョン切ればいいのかもわかりませんでした。

> いまうちやうん = 参られた
> はうち = たまい
★ この二つに絞って、どこがどうなっているのか、文法みたいなこと(云いまわし)の解説を!!
 アイヌ語 un には「……を通る」がありますが、まさか。ウ〜〜ン
 北海道の旭川ちかくの有名観光地、層雲峡は so(滝を) un(通っていく) ke(場所)。
 こおごろ浜田方言で「はう」に「延びる」があることを拾いましたが。これもマサカの部類。

 なかなかに「オヲ」様までにたどりつけないようです。
 面白いこと発見しましたヨ。マンジューには二通りの語源分析ができるってぇことです。
1) アラビア語のマンゴーは O ,E を発音しないのでマンジューであること。
2) ブッカンジューは ネパール語の「 man-i + dho(門)」であること。ブックとはアイヌ語の pok。
  発音 ト、ド、タ、ダ あたりが, 戸、門として世界に散っているような。
  あ、それから奄美方面にはめくら神はいませんか。a-ma には盲目もいえそう。

  ワァッ 話題の裾野がワッとひろがった。

[6113] Re[6112]: ウチナー 〜 奄美     琉球松 2011/09/04(Sun) 10:06 [Reply]
 生田淳一郎さん、お付き合いどうもです。

 「テルクミ・ナルクミ」に関しては、伊平屋島(沖縄諸島北端)の神歌にみられますが、奄美大島では「テルコ・ナルコ」ですね。

『やんばるの祭りと神歌/名護市教育委員会』より抜粋
*** テルクミのいまうちやうん(テルクミが参られた)
    ナリクミのおりんはうち(ナリクミが降りたまい)
    あまん人のはじまる(アマミ人の初めこそ)
    おまん人のぬたてる(アマミ人の言葉こそ)

 ここで解釈できることは「アマミ(オマン)・テルクミ(テルコ)・ナリクミ(ナルコ)」が同義であることで、対語としての「シネリ・シロミ・シルミ」は説明語かもしれないということですね。
 そうすると「アマ(海?)・テル(輝?照?)・ナル(朝鮮古語の太陽?)」などは "白いお方" であると伝えているかもしれません。
 本土側の「アマテル」や、隠語の「オマンコ(アマミコの転)」との関係が気になるところです。

 これは自説ですけど。。。東北地方の「オシラサマ」は養蚕と関係していますから、「ヒルコ・ヒルメ・機織り」につまがるかもで、多分「ヒルコ」は羽が退化した蚕蛾のメスの成虫に例えられているんじゃないかと。
 また「オシラサマ」は馬とも関わっていますから、スサノヲが機織殿でやらかした事件をも連想しますね。

[6112] ウチナー 〜 奄美     生田淳一郎 2011/09/03(Sat) 16:12 [Reply]
 まっつぁん、だんだん。
 初めて接する神名に次から次にぶつかっています。

★ シロミという名前も初めてですが、日本語の白(シロ)が、太陽起源であることを直感しますが……。
  / 台湾アミ語 tsilar(太陽)、おしらさま。 いちじるし(著)なども同系でしょうね。

★ 神や文化は「海のむこうから……」
  絶海の孤島とまではいかなくとも、一定の島に少数の仲間と暮らしていると、胸をかきむしりたくなるような人恋しさにさいなまれる……とかを、聴いたことがあります。
 「アマ」も、「沖の、そのまた先の見はてぬところ(目が届かぬ)」とも解釈できるのかなァ? 

★ テルクミ・ナルクミも初めてでした。
  どう分析すべきでしょうか。
  ルクミ を lok-mi と置き換えることが許されなら「地上の神」かなァ〜。ミルク神にも似ている。
  福岡市には輝国という地名がありますが、「テル」とはわれわれが知っている “ 照る ” とはちがうのかも。
  「ク」は目下、出雲弁浜田弁で追いかけまわしています。ザルク(粗雑)があるのです。

★ 「オヲ島」のうんちく箱をひっくり返してください。

[6111] Re[6109][6108][6107][6106][6105][6104][6102] RE 次の方言      琉球松 2011/09/03(Sat) 13:24 [Reply]
生田淳一郎さん、どうもどうも。

 「アマミ」の語源は "海部説" も含めても難解です。
 「アマ」は海と考えられますが、「ミ(穴?)」は女性と解したいですね。
 『おもろさうし』には「これぞ海見」の意味でみえていますから、"奄美諸島の向こう側(沖縄?)を望む" との解釈も可能かと。。。
 と言うのも、この名は奈良or京都の貴族によって命名された可能性があるわけで、「ワタツミ」の意味が含まれているかのしれません。

 それと、「シネリ・シロミ etc 」 はインドネシア語か否かは別としても「光(太陽?)」と解することはできるはずです。ただ、対語は無意味な場合がありますから女神に対する男神とは言いがたいので、一応脇に置いて考えたほうがいいですね。

 また、同格の神としては「テルクミ・ナルクミ」があって、やはり太陽を意味しているようですが、あくまでも海の向こうからやってきますね。「オヲ島」経由か。「スクナヒコナ」あるいは「オキクルミ」との関連が推測されます。

[6110] Re[6109][6108][6107][6106][6105][6104][6102] RE 次の方言      生田淳一郎 2011/09/03(Sat) 11:32 [Reply]
> >  沖縄島育ちの僕としては、奄美方言も射程範囲ですよ〜。

★ まっつぁん、「ついて行く」なぁ〜んて、そうおっしゃらずに先頭きって教えてください。

 アマミキヨのアマミはいちおう「天神」ですか?
 よく似た神さまにシネリキヨがありますよね。
 この シネリ はインドネシア語の sinar(光、輝き)と関係があると思うのですが、どう思われますか?
 「シナテル片岡山」のシナテル……かな?

 キヨ にも シネリ にも O 、E の音がみられます。
 やっぱ。沖縄人といってもいろいろで、 O 、E の発音を嫌う人と、そうでもない人と混在していたのでせふか。

 童顔をしていて、全身ビカビカと輝き、輝いたあまりに発火して、腰にさしている刀のサヤや着物の裾からいつも炎や煙が出ている……と修飾されたアイヌ(人間)の始祖神・オキクルミとも似ていますね。

 このオキクルミは キオ・クルミと置き換えてみると、「ki(光線) o(いっぱい)」となって、語形・意味の上ではスンナリします。
 世界規模でみれば、形容詞後置形と形容詞前置形は 五分五分ぐらいでしょうか。
 キオ でも オキでもよかったんですかね。もっとも ok(男の子)にしたことによって、童顔の神さまが出現したのでせふ。

[6109] Re[6108][6107][6106][6105][6104][6102] RE 次の方言      生田淳一郎 2011/09/03(Sat) 11:29 [Reply]
>  沖縄島育ちの僕としては、奄美方言も射程範囲ですよ〜。

★ まっつぁん、「ついて行く」なぁ〜んて、そうおっしゃらずに先頭きって教えてください。

 アマミキヨのアマミはいちおう「天神」ですか?
 よく似た神さまにシネリキヨがありますよね。
 この シネリ はインドネシア語の sinar(光、輝き)と関係があると思うのですが、どう思われますか?
 「シナテル片岡山」のシナテル……かな?

 キヨ にも シネリ にも O 、E の音がみられます。
 やっぱ。沖縄人といってもいろいろで、 O 、E の発音を嫌う人と、そうでもない人と混在していたのでせふか。

 童顔をしていて、全身ビカビカと輝き、輝いたあまりに発火して、腰にさしている刀のサヤや着物の裾からいつも炎や煙が出ている……と修飾されたアイヌ(人間)の始祖神・オキクルミとも似ていますね。

 このオキクルミは キオ・クルミと置き換えてみると、「ki(光線) o(いっぱい)」となって、意味の上ではスンナリします。
 世界規模でみれば、形容詞後置形と形容詞前置形は 五分五分ぐらいでしょうか。
 キオ でも オキでもよかったんですかね。もっとも ok(男の子)にしたことによって、童顔の神さまが出現したのでせふ。

[6108] Re[6107][6106][6105][6104][6102] RE 次の方言     琉球松 2011/09/02(Fri) 17:10 [Reply]
生田淳一郎さんへ

 沖縄島育ちの僕としては、奄美方言も射程範囲ですよ〜。

 奄美方言(与論&沖永良部は沖縄北方言)は、琉球方言でもより古形を温存していますから、つまりは『記・紀』編纂以前の倭語の宝庫とも言えそうです。
 例えば、美しいを意味する沖縄島の「チュラ」は奄美大島では「キョラ」ですから、その語義語源は古語の「清ら」であることがわかります。

 さらには、倭人の神観念の理解にも奄美は欠かせないんです。

 淳一郎さん!!この辺の話題ならついて行きますよ〜(笑)。

[6107] Re[6106][6105][6104][6102] RE 次の方言     生田淳一郎 2011/08/30(Tue) 14:15 [Reply]
 ♫♡ 勝ってくるぞと 勇ましくゥ〜 っとカッコつけて出かけたのですが、出たとたんにズッコケました。

 浜田方言にひと通り目を透したのですが、出雲弁での出会いとはまるでちがいました。
 やっぱ「方言とはなんぞや」が決まっておらず、方言を族際感覚でみることの意味も、ぼやけてしまいました。
 一つの方言で検討すべき項目は多種ありましょう。
 そこを小生の如く近視眼的に狙いをつけたんじゃ、相手のほうで云うことをキカンわけです。
 でも、やるとすれば、これしか無い。

 気が進まないままに、しょうことなしに、次のコマで示すように、今まで通りの視角で「突出している語彙」を並べますが、出雲弁で俎上にあげた四分の一にも達しません。
 ま、挫けずに「第一次攻撃」をつづけてみます。
 細かいことよりも、こっちの「おおざっぱ」なほうが面白いでしょう。
 二次攻撃からは、リッパな掲示板を作って、そこで成果を開陳する予定です。

 俟っているものは、奄美方言と各種方言との対比ですのでアマカネ。

[6106] Re[6105][6104][6102] RE 次の方言     佐々木 2011/08/29(Mon) 13:54 [Reply]
 白峰弁は研究者はいらっしゃるのですが、一覧表は外部サイトに出ていません。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B3%B0%E5%BC%81
 ぼうっとしていると津軽弁アクセントかな。方言になりやすいもの、なりにくいもの(行政強制的なもの)があるのでしょう。

[6105] Re[6104][6102] RE 次の方言     生田淳一郎 2011/08/29(Mon) 12:19 [Reply]
 佐々木さん、だんだん、
 白峰のほうは一覧表を探せなかったのですが、浜田方言はかなり詳しい一覧表に恵まれました。
 浜田方言は岡山や広島方言に似ていますね。
 やっぱ、広島と長州は起源とか成り立ちがちがうのでしょう。
 浜田方面には旧友の K がいるはずです。どうせとしとってヒマなはず。

 ちょっと見ただけですが、掲出された語彙の大半は、共通語とか標準語の発音が少し訛ったもので、いつも「方言とはナンなんだろーなぁ」と思います。
 これから、一覧表のあるかぎり多くの方言を、出雲弁をみたときのように「めざましい語彙」を中心にピックアップして行きたいと思っています。
 そういう作業の果て、バカはバカなりに「方言とはナニか」「言語とはナニか」が少しづつ分ってくるものと信じます。

[6104] Re[6102] RE 次の方言     佐々木 2011/08/28(Sun) 19:55 [Reply]
とりいそぎ ご指摘の通りです。
 金沢は越後出羽出雲弁近江弁話者などが入り乱れています。
※金沢方言よりも白峰弁の方がどうでしょう。
 http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/hakusan/documents/27-2.pdf

※石見大田方言よりも浜田方言の方がよいかもしれません。
 http://www.city.hamada.shimane.jp/kankou/bunkazai/hurusato.html

[6103]  飛び入り    生田淳一郎 2011/08/28(Sun) 14:30 [Reply]
佐々木さん、いつも手どり足とりあり難うございます。

 さっそく丹後方言をチラとみました。
 あ〜〜るじゃござんせんけぇ。はえ縄の「ハエ」。「這う」と同根かも。

 はえる []延る。/「縄をずーとはえていって」「丹民」p41 ¶作業としては長い延縄(はえなわ)を順序良く海面に落とし込む仕事になると想像するが、作業を終えれば海に罠縄が張られている状態になる。西鶴の「日本永代蔵」に「蜘蛛の糸筋延へて」とある。 

[6102] Re RE 次の方言     生田淳一郎 2011/08/28(Sun) 14:12 [Reply]
 とりあえず、北陸方言と石見太田の方言を一瞥してみました。
 金沢 ; http://www.google.co.jp/webhp?sa=N&hl=ja&tab=lw
石見 ; http://senjukaihomepage.web.fc2.com/00-hougen-na.html

 その一覧表に取り組んだ作者の意気込みやレヴェルが奈辺にあるかは、画面の横溝を走る青色の水玉みたいなやつの長さで、判断でけます。
 出雲弁の訛りでは、かなり難儀をしましたので、上二つの方言は、かなり舐めてかかれそうです。

 北陸といえば、まず金沢でしょうか。
 金沢といえば、やっぱ近畿で醸成された標準的な日本語をかかえたエリートたちが、地方長官として代々収まった土地がらで、「加賀百万石」で,方言も不動の座を占めるに至ったことでしょう。
 しかし、小生が抱く最大の問題点は、鈴木大拙と西田幾多郎のコンビが、なぜ、この風土から出現したか、でんねん。
 それを言語手段で、「必然だった」として把握できれば最高ですが……。

 石見は銀山に象徴されるように、いわば小生が生まれ育った炭坑街と同じで、あちこちの広域から人びとが集まって来たことでしょう。それだけに標準化がゆき亘り、太古を写す語彙は失われているかもしれません。

 両方言共に中央化したものを感じます。が、とにかく、やってみないことにはナンも始まらない。


 アッ、丹後ですか! それそれ、それですよ。黒猫も好きですシィ ↗

[6101] Re[6100]: 次の方言      佐々木 2011/08/28(Sun) 14:07 [Reply]
とりあえず丹後弁はどうですか。ご確認ください。
http://www1.atpages.jp/zipzip/tanken/TANKEN.html


[6100] 次の方言      生田淳一郎 2011/08/28(Sun) 10:47 [Reply]
 佐々木さん、だんだん。
 出雲弁はカスっただけですが、同時多発みたくにして、おおくの方言を一つの眼下に置く俯瞰の必要を痛感していました。
 余談ですが “ 宗教 ” もそうですよね。
 でも、あたまバカですので、一度に多くはでけまへん。出雲弁の次はどこだらかと迷っていました.。北陸弁ですか!? やります。
 あまえてわ〜るいのですが、いい site がありましたらアマカネ。

 おへまがヘマばぁするので怒鳴りつけていたら、声が枯れてしまひまひた。
 おへまの耳には松ヤニみたいな耳くそが 又々 4年ぶりにこびりついてきて、夫婦の会話は以前の四分の一ほどに減りました。
 でも、転んでもタダじゃ起きないのが淳ちゃんのシンショーですばい。このへんで、結核患者を含めての、新しい音転の法則を掴まなくっちゃあ……。

[6098] Re[6097]: 出雲弁のおべんきゃう 14(完)       佐々木 2011/08/27(Sat) 17:53 [Reply]
生田さん 幾多の方言、だんだん。
 これらの方言は、やはり肺病患者の発生音を再現した音に似ております。
 日本海側は結核患者が多かった関係か。
 北陸には「おてんこ」がありました。

[6097] 出雲弁のおべんきゃう 14(完)       生田淳一郎 2011/08/27(Sat) 11:46 [Reply]
 《おてんけ(公然、大っぴら)、おてんべ(誰に気兼ねすることもなく)》
 これまで、巷間にいわれている「ノーテンキ」の意味、語源は、まったくわからず、手がつけられなかったが、先に出た「のーまつ(のろ人 → 阿呆)」とともに、「ノーテンキ」はなんとかアプローチできるのではないかとの直感を得る。
 かといって「おてんけ、おてんべ」が分析できるわけでもなく……、けっきょく病 膏肓か。

 《おりる(卒業する)》
 *or は、ネパール語では「降りる」、朝鮮語では「昇る」。この場合、朝鮮語のほうだろう。

 《ぞよぞよ(ぞろぞろ)》
 斯くまでに r 音を嫌うものかよ。

 《えっと(多く、ずいぶん)》
 「えっと」は広島、長崎でいう。北九州ではいわない。

 《おだつ(空気中、水中でゴミが立つ)》
 「お」は汚物のオか? もしかしたら「うだつが上がらぬ」の語源かも。
 北九州では「オダチあがる」の語がある。これまで小生は「陰茎を立てて」と、意訳してきた。
 陰茎を立てるとは、戦闘開始の宣言。

 《おじょじょ(幼児語 ; 怖いこわい)》
 豊後浄瑠璃にいう。渡辺の綱から腕をなり首から切りおとされた鬼が、おばばに化けてやって来て「綱ヨイ、わが(汝は)オジイもん(怖いもの)てぇじた(胎児した)ちゅうじゃねぇか、そりゅう(それを)おりぃ(オレに)みしい(見せよ)」ち、いや(といえば)・・・・・。
 北九州では「おじい」ではなく、「えじぃ、えずい」という。


 以上で「出雲弁のおべんきゃう」の、第一次攻撃を終えます。
 採取先の 出雲弁の泉 http://www7a.biglobe.ne.jp/~izumobenn/ に掲載されているボリュームは絶大ですので、これまでのような感覚で追求しようとすれば、上述の二倍の語彙が俎上に乗っけられることでしょう。
                                          ーーー 完 ーーー

[6096] Re[6095]: ハエ     生田淳一郎 2011/08/27(Sat) 10:36 [Reply]
 ヘ〜〜イッ! まっつぁん 、あり難うございます。
 ここの掲示板、オレばっかし書くような具合になって、おら内心じくじくやったですばい。
 学問テキなことは神奈備ドンたちに任せて、ここは庶民天下の世界にしまっしょうぜ。

★ ハーエー ハーエー はアイヌの唄でも出ますね。キヤイを入れるような ヘイ! は heicchya と。
 安南シャムで活躍した浜田弥兵衛の映画を、戦争中に学校ぐるみで見にいったことがありました。
 現地人たちが ♫♡ヤヒョエ・ヤヒョエ ホーイ ホーイ と歌っていたので、学校じゅうで流行りました。

★ むかしの人間は「ハイもたからぬような食い物には霊力は籠っていない」ぐらいに思っていたらしい。
 幕末の豪傑医者、松本良順が新撰組の屯所に行って、残飯などを片付けさせたので、それまで ハライタでゴロゴロしていた隊員たちの数がぐっと減ったそうです。

★ アラビア語からの借用とされていますが、インドネシア語に hayat(いのち)がありますね。

★ 上海、ハイナン(海南)のように フェーカジの ハイは「海」かもしれません。
 オレが「ハイ = 魚」だと断じたのは、ハイナワからでしたが、あれは「海網」だったのか。蠅は「魚に湧く虫だと看たから。
 それと、もう一つ、シナ江南方面で魚をフィーといってるから。日本語の魚には イ・ユ がある。

★ 羽振・・・・・。あんときゃ 57歳。死ぬかと思って「タマしいの乗り物」として、沖縄の病院で蝶々を想いました。
  このごろ、本を読んでいたとき、「蝶々 =「◯◯べら」といのにどこかで出会いましたよ。

 
 出雲弁のおべんきゃうシリーズは、あと少しで終わります。 
 いまになって気がつきましたが、「方言と方言の対比」は、とても重要ですね。

[6095] ハエ  琉球松 2011/08/26(Fri) 15:55 [Reply]
生田淳一郎さんへ

 琉球方言の「ハエ」も「南風」をあてるんですけど、これは風そのものではないと思いますね。
 心地いいとか、さっそうとしているとか、霊力とか、まあカッコイイとかで、祭りなどの掛け声「ハーエーハーエー(日本本土ではハイーハイ!)」ともつながるはずで『記・紀』編纂以前の倭語と考えますがどうでしょう。

。。。以前にも書いたかもしれませんが、昆虫の「蝿」は今では厄介者の筆頭ですが古代人にとってはどうでしょう、死者の肉体を吸収して昇天させてくれるような「鳥葬」の変形かもしれません。
 関連して、琉球圏では死者の魂が蝶(羽振?)の形をしているとされる事と「卑弥呼の鬼道」との関係性を説く方もいますね。

 南風をことさら「ハイカジ・パイカジ etc」と言うのも、夏至の頃のこの風が農業や航海にとって歓迎すべきだからだと考えられます。

『箸墓は卑弥呼の墓か/大和岩雄(大和書房)2004』より
*** 大倭国を生んだ姫という名をもつ女性(オヲヤマトクニアレヒメ)の別名を、『古事記』では「蝿伊呂泥(ハエイロネ)」と書き、妹を「蝿伊呂ド」と書く。『日本書紀』も「蝿イロ姉(ネ)」、「蝿イロ弟(ド)」と書く。「はへ」について三谷栄一は、沖縄の「おもろそうし」にみえる久米島のノロの長である「君南風(キミハエ)」の「はへ」と同じと書き、嘉味田宗栄は、三谷説を採って「はへ」は「霊験あらたかな、霊逸ぶる高級神女の呼びかた」と書く。***

[6094] 出雲弁のおべんきゃう 13   生田淳一郎 2011/08/26(Fri) 15:36 [Reply]
 《まぶ(山の横穴式貯蔵庫)》
 崖などに掘る横穴、坑道はほとんど全国で マブ といってました。これが江戸期になると、玄人おんなか囲う情夫を指す意味へと変化した。漢字が普及されるにつれ、マブが間夫と書いても良いように思えたからだろうか。
 ところが、じつに不思議な言語現象がある。ウルドー語 mahbuhは男性名詞として「恋人、愛人」という意味。
 沖縄のウミャ−グヮー(秘密の恋人)はネパール語だった。sex をテテテキに隠蔽して成り立っている一夫一婦社会は「秘密裡に」抜け穴をあけておくのが賢いやりかたなんだろう。秘密語は世界にひろがる。
 

 《みたてる(見送る)、みる(送る)》
 「鹿島たち」とは、征伐にゆく人びとを鹿島神宮で見送ることだったのか・・・? ま、そこまでは言えないナァ〜。


 《めじけんか(田水の引き込みでのケンカ)》
 田の面をタノモというのは、メンの一つ前は 免 と書いていたからだろう。地名に遣われている「免」は朝鮮語で田んぼのことだと、つきとめた研究者があったとか、聞いたことがある。
 「めじ」の ジ は chi(みち……水路)であろう。


 《もげる(禿げる)》
 札幌の藻岩を禿げ山と訳す人がいる。その場合 「iwa =山」に無理がある。


 《もっけな(あきれた、意外な、気のどくな)》
 津軽B;; もつけ。津軽Bの「もつけ」の起源はかえる(蛙)だった。
 「も(すこし)・うつけ(ばか)」と連想されるからか、「出しゃばり世話好き」ぐらいの意味。


 《れーし(ごーや)》
 わかりません。お手あで。サルのコシカケをレイシ(霊芝)というが。注意して見守りたい語ではある。


  …………………    …………………


 《あまる(雷が堕ちる)》 / あもる(天降る)


 《おちーがん(うつり香)》
 ネパール語 ganda(におい) 「おちー」は「うつり」の訛り。

[6093] 出雲弁のおべんきゃう 12          生田淳一郎 2011/08/26(Fri) 11:04 [Reply]
 《ひさぐい(手で持ってかぶりつく食べ方)》
 日本古代語 ひし(災難・は滅) ネパール語 hissi-(がっかりした)
 「春をひさぐ」ということばの裏には、夫に死別し、むすこに裏切られた婦人の姿がある。

 《ふら(側法、日当りの良い側)》
 「ら」は「……の」。ヒラ の音転した語形だと思える。側方とは「一つの」。「ヒラ(枚)」の慣用からか。

 《べった(いつも)》
 アイヌ語 obitta(すべての) → 日本語 ひとつ(一 、1)

 《べっちゃ(びっしょり)》
 アイヌ語 pet(水)

 《ほいた(乞食)》
 日本語「ほいと(乞食)」は門づけで「√ ♫♡ この屋敷はめでたい屋敷」などとほぎ(寿ぎ)ごとをいうところから出たものと思われる。寿ぎひと → ほいと。
 アイヌ語の乞食はハイタグル。「ha(大きく) ita(踏み外した)」からか? 

 《ほっほ(ふくろう)》
 《よじく(ふくろう)》
 出雲には門外不出とされてきたノジコという珍鳥がいる。月夜の晩に鈴を振るような美声をころがして啼く。
 大国主の別名 「アシハラの シコオ」の sik ではないだろうか。

 《まい(美味しい)》
 小生の記述をまじめにつづけて読んでくれてる人はいないと思うが、それでもここに謹んで訂正します。
 小生は「出雲には『ウ= 大』がある」と、あちこちで述べたかと思いますが、出雲には『ウ= 大』は無いようです。
 ただし、豊後、薩摩、南海、日本古語には『ウ・ウー = 大』は歴然としてあります。

 ついでに、もう一つ訂正 ; これもこれまで「フルツク(ふくろう)は、出雲と大三島でいう」と書いてきましたが、これをいうのは、阿波、尾鷲、和歌山、淡路、奈良、徳島、愛媛、高知、山口、広島県沼隅郡、島根県鹿足郡の広域でしゃべられていることでした。謹んで訂正します。

[6092] 出雲弁のおべんきゃう 11       生田淳一郎 2011/08/25(Thu) 19:52 [Reply]
 《は(大きさ、質量、型)》
 金属精練士用語 ka(量)。「は釜」とは型もののことだったか。
 「朝鮮語に『 ha(大きい)』があると云ったキムシカさんの言に振り回されたのも、過去のことになった。

 《はいかじぇ(南風)》
 沖縄にもワンサと残っている「フェーカジ」。小生はフェーの起源はベトナム・カンボジア方面の魚だと思っている。
 掻きまぜるようだが、バスク語 haizi (風)。

 《はぎし(歯ぐき)》
 筑豊の筑地域で、いたどりの幼茎をギシギシという。これに塩つけて歯ぐきを摩擦して鍛える。
 アイヌ語 *kis(摩擦)。

 《はしらかす(破裂させる)》
 アイヌ語 pus(破裂)。出雲弁の「……らかす」の「……部分」は、完全自動詞。

 《はせる(苗を植える、タネを蒔く)》
 大すじでは ハセは 「ha(大きく)su(する)ye(……化する)」と分析できそう。長谷川、はせ寺の語源。

 《はちる(平手打ちする、ひっぱたく)》
 アイヌ語 hachiri(倒れる)。筑豊 ; はちまわす(ぶったたく)。ネパール語 hatkela(てのひら)。

 《はんちゃ(藁入れ半纏)》
 青森県七戸方面にハンサがある。南米のポンチョと同根。

 《はんなげる(強くあしざまに抛りなげる)》
 ネパール語 han ai(打つこと)- ai は強調接尾辞。はんなぐる(薩摩方言か ぶん殴る)。半鐘。。

 《ひょーひょどこ(泉門)、ひょっひょどこ(泉門)》
 佐渡のヂ唄 ; √ ♫♡ とんとんかんかん ピーさまさん あぐちゃラチャカン ねまらんせ ♫♡
 朝鮮語 pyor あたりに何かないか。笛?

[6091] 出雲弁のおべんきゃう 10     生田淳一郎 2011/08/25(Thu) 15:02 [Reply]
 《なぎー(数詞 握り)》
 「にぎり」⇆「なぎり」の音転。
 長さの尺度が確立されていないとき。掌の巾が基準とされて「ヤツカ(八つ掴み)の剣」などと表現していた。
 クサナギを「九サ + 握り」とした場合,, 草薙とは、ヤツカよりひと握り長い刀ということになる。
 「クツカの剣」としなかったのは、サナキ(銅鐸)を含ませたのだと思える。

 《なじん(愛人)》
 「じん=人」なので、ついつい「ナ = 愛」とやりたくなる。が、これは「馴染み」の音転とすべきだった。
 青森県五戸方言に「なまかす(愛する)」があった。
 謡曲にある 「√ カリョウビンカのなれなれし」・・・・・、やっぱ ナル は夫婦愛のことらしい。ナルから生るへ。

 《なちちーけ(暑気あたり)》
 ネパール語に N- という強調接頭辞がある。アツからナツへ。
 「ちー」はキリに還元できる。キルは回転発火装置で「火がつく」こと。
 出雲弁にも「チ偏執」があるのでは? 豊後ではタチツテトが皆な チ となります。

 《のく(暑い)》
 共通語「ぬくい」。

 《のくたらし(ひじょうに暑い)》
 ネパール語 -dar(……でいっぱい、……がいっぱい).。

 《のーまつ(阿呆)》
  r 音を長音化して消している。「のろまつ」のこと。「まつ」とは「お方さま」。
「まつ」が「お方さま」となったのは、松江に嫁いできた佐竹のお姫様と関係のあることではなかろうか。
  mat は世界的に女性をいう。

 《のーて(陽蔭)》
 「て」は地帯、「その方角」だろう。「のー」は、ネパール語 nir(低い)ではないだろうか。生産性の低い地帯。

[6090] 出雲弁のおべんきゃう 9 追補        生田淳一郎 2011/08/25(Thu) 13:56 [Reply]
★ 《おだり(溝のような谷川)》 へ
 八重山〜長崎〜薩摩〜津軽の勢力がおカネのダラを持って日本列島にやって来たことは別にのべました。
 このダラが英語のダラー、アメリカのドルと同根であることは誰もが認めるところでしょう。
 日本人総体としては、すでにダラというおかねに馴染んでいたのでした。そこへアメリカのドルが入ってきたので、幕末の江戸期にはドルダルという呼称が定着していました。
 このダラ、ダラー、ドルの呼称はおだり(小谷)と同根だったのでした。
 一般にいわれていることは、チェコスロバキアのヨアヒム谷で採れた金属で通過ができたので、その谷のドイツ語音のTal がダルやダラーとなって世界に散ったにだとされています。
 しかし、ヨアヒム鉱山が胚発されたのは 16世紀からですので、世界共通の原因となった谷は、別の、もっと古い Tal だったはずです。
 このTal にそっくりなのが、ピリピノ語の tal(滝)です。ややこしいことに静岡県で滝はダルといいます。滝の古い形は tal-mi です。そしてネパール語 dhar は流水です。

★ 《おとす(鳥獣を殺す)》 へ
  日本古語 ; おちぐさ(鷹が小鳥を追い落とした草原)

★ 《おとで(兄弟)》 へ
 ネパール語 *dai(兄弟)あり

★ 《おべる(水を入れて冷やす)》 へ
 タジク語 oB(水)の消長が気にかかる。原音はオブだが、母音のあとの B は W と発音される。→ オウ

[6089] 出雲弁のおべんきゃう 8     生田淳一郎 2011/08/25(Thu) 09:17 [Reply]
 《たかぼっせる(入れすぎて山盛りになる)》 
 「ぼっせる」はむずかしい。“ ぼっ ” は mori(山)の r 音がまず促音をおこし、 m も濁音化して b となった……としか考えられない。最大の問題は「せる」。これは「せり出す」なんだろうか?
 「せる」を seru ではなく、ceru と c にしてみると、岡山の「ぼっこう(たいそうな)」や「高かボッチ」が見えてきそうだ。高ボッチは信州松本の東にある広い傾斜地に見える。へっこみのすぐ上に突出した部分がある。
 ごはんを山盛りによそったら「山が見えない」と言うのが古い時代のエチケットだったらしい。豊後でもよく聞いた。

 《だば(ウラジロ)》
 da は 一般形 dan(歯)なるべし。25年ほど前、浦和で聞いた名前。「だば」は、あんがいありふれているのでは?

 《〜ち、〜ちー(〜という)》
 北九州・豊後と同一。

 《*chokk(少し)》
 「ちょこっと」とか「ちょく ちょく」、「ちょこちょこ」、と同根だろう。
 ゲゲゲの女房放映のとき、「ちょっこし(少し)」がよくしゃべられた。
 子供のころ、日本jから拉致されて(その数 40万人!!)朝鮮系労働者が大勢来ていた。意味は分らないままに「チョッコン・カーマイッソ」などと、朝鮮人の真似をしてふざけていた。
 八歳とし下の弟は、朝鮮人独身寮の舎監からチョコマンというあだ名をもらった。
 
 《ととろく(命令に従う、うろたえる、動揺する、要求や督促にすぐ反応する)》
 「(名声が)轟く」と訳されている古代の「とよむ」とのあいだに、たび重なる意転があったのではなかと推測する。
 福岡県中央の稲築町から、せんず(千手)の「ととろ」まで歩いたことがある。宮崎のととろ海水浴場。

 《とぶ(走る)》
 豊後では「つーじくぇ」という。しゃべっている本人は「とんで行け」と言ってるつもり。
 アイヌ語 tush(速やかに)。

 《 〜ない(なさい)、〜なはい(〜なさい)》
 福岡県中央の稲築町南に碓井町があった。そこから青年の「ウスイのジュンちゃん」というバカがあそびに来ていた。
 民家の入り口につっ立って左掌を出し、その左肘を右掌で叩きながら「おばさぁ〜ん、タバコやんな〜い(下さい)」と言う。タバコを貰ったら、こんどは別の民家の入り口に立って「おばさぁ〜ん、マッチやんな〜い」と言っていた。
 上州新田郷、三日月村を振り出しに浮浪した木枯らし紋次郎は一杯めし屋で「ザルそばをくらはい」と言っていた。

[6088] 出雲弁のおべんきゃう 7    生田淳一郎   2011/08/24(Wed) 15:44 [Reply]
 《 〜すと(……ず、打ち消し)》
 名古屋弁「◯◯せすと(◯◯しないで)」。名古屋弁との共通がでたことは目出たい。
 岡山弁と名古屋弁は「ウミヤァ(美味い」」とか「キキャァ(機械」)などの言い回しまでが似ているのに、これまで方言語彙の共通が見られないことについては、研究者の間でフシギがられていた。
 いや、小生が観るかぎり名古屋と岡山には方言語彙は一つだけある。それは名古屋で「でら(とても)大きい」などいうに対して、岡山では「でぇろう(とても)」があることだ。しかし、この二つともネパール語 dher(沢山の)、 dheray(非常に、沢山の)に起因していた。

 《そーき(ざる)》
 九州ではざるをショーケという。サンカの仲間で「われわれの本当の呼び名は “ ショーケンシ ” というんだってだぞ」と、代々言い伝えれれているそうだ。が、その内意は「ショーケの人」だった。 ネパール語 si =人。

 《ぞーよ(経費)》
 必要以上の出費をしたときなどには、いつも豊後生まれのおふくろから「う〜んマ、何ちゅーゾヨぶちい(太い」)」といってたしなめられていました。また「ちょっとゾラしたね」とも。思い切っての買い物をするは「ゾラす」。
 ゾヨ と ゾラ は *zor で同根かもしれない。

 《そろっとこーか(梟の啼き声)、てれちけほーせ(梟の啼き声)》
 豊後ではフクロウをコーズという。こーかの ka は鳥のこと。コーズの -z は生き物。
 アイヌ語 チレクテは「楽器などを鳴らす」。テレチケ と チレクテ・・・似てないだろうか。アイヌ語 se は「言う」。

 《たお、たわ(峠)》
 山の稜線が tawo(撓む)んだようになっている所からこの名前が出た。山岳用語。

 《ちゃーちゃこ ちゃーちゃこ(べらべら)》
 アイヌ語 char(くち……それも喋りぐち)。ネパール語には被覆形として char がある。
 「ちゃーちゃこ」の ko は、ネパール語 ko(……の)。

 《ちれ(仲間)》
 キチガイ音転。アイヌ語 kiri guru(仲間)。< ku(わが) iri(イロモ、イロセのイロ) guru(kur・・・人びと)。

[6087] 出雲弁のおべんきゃう 6       生田淳一郎   2011/08/24(Wed) 12:55 [Reply]
 《さでぼろける(派手に堕ちる》
 強調接頭辞の「さで」の語源はわかりません。
 三国志に出てくる鳳落玻(ツチへん、坂のこと)がおおいに関係したものと思える。シナ語 崩落。
 豊後では「ほらき堕てる」という。 / アイヌ語 horatutu(滑る)。tutu も崩壊。 horoka(逆行)。

 《さでくー堕ちる(滑り堕ちる)》
 「さでくー」は「さでくり」の略。豊後でも「堕ちる」の意味で用いる。滑るの意味があるのは、上のアイヌ語。

 《しぼる(煙ってよく燃えない)、しもり(煙)、すもる(煙る)》
 i / u 通音。ピリピノ語 *su(火)。モは雲、霜、モヤなどの空気の変化だろうか? ネパール語 bal-(燃やす)
 ネパール語 hussa(霧 朝霧)。日本古語 ; ふすぼる、ふすぶ(燃えずに煙りがたつ。 hu < *su(火)

 《しゃご、さいぼ、しんざい(いずれも つらら)》
 基本形 *sai だろうが意味を掴めない。「しんざい」は「しみざい」 / しばれ(凍結)。英語 shiver

 《しめ(]の記号)》
 いつごろから流行りだしたか。]は神のしるしで、神聖・禁忌をあらわす。忌中や閉門のマーク。
 シメナワ(注連縄)とはこれだろう。

 《じゃまくそ、じゃまくた(邪魔なもの)》
 語彙採取を漁民、農民を対象にしたからか、出雲弁はクソ、クタを多用している.。しかし、期限的にはただの「事物」を謂っていたのだと思える。ウイルタ語に -kuta をもつ語彙が多い。ウイルタ語 -ktu(物)がある。

 《しょう(集まる)》
 O 偏執をとり払うと、シナ語 のシューとなる。朝鮮語 so(物がたくさんあること、その場所)。

 《じらじらがつく(気が遠くなる、目眩がする)》
 「どら息子がシレ〜ッとして戻ってきた」などに似ている。ネパール語 jilla 、jillaram(驚いて茫然自失の状態)。
 「じら・じら」と、重複したのは ネパール語で jhiljhil(明るい)などのつよい語彙があるからだと思える。

[6086] 出雲弁のおべんきゃう 5      生田淳一郎 2011/08/24(Wed) 08:46 [Reply]
 《〜がいち、〜がいつ(……のもの)》
 子供のあそびでのグループからの逸脱宣言 ;「いち抜〜けた!」。 ネパール語 itihas(歴史) iti 〜物事 → 市

 《がしんけな(貧しそう)》
 大阪弁の「がしんたれ(いくじなし)」はこの語が意転したものか。
 出雲弁では N = M なので、「が染み」もありうる。そうすると「が = 餓」かもしれない。
 また、出雲弁の S は他言語の T と思われるふしがある。「山がつ」の「ガツ」にも裾野がひろがる。
  / gadar(コンヤロ〜) ハナタレ、ガッツ!(五島列島のののしり)

 《かすむ(嗅ぐ)、タバコをかむ(吸う)》
 レッキとした日本語 ka(香)はシナの KA(蓮)からか?。「すむ」はネパール語 sus(呼吸)に関係あろう。
 密教や修験道での托鉢にかかわるテリトリーをカスミという。じぶんらは空気を食べていると主張しているわけだ。

 《かたから(初めっから)》
 「片っ端から」という表現に圧されながら……。「はたから」が原義原音だったのでは? ha = 末端、 ta = 場所
 古代人は自然形状を人体になぞらえた。ネパール語 tan(身体)。強調接頭辞 S がついたら stan(国)。

 《くみる(米、材木、藁、野菜などが湿気で醗酵して、変質すること》
 岡山県がわでは「お茶がくみる」という。アイヌ語 kumi(かび)。

 《こつ(咳)》
 日本古語 ; ごつごつ(咳をする音)。ネパール語 khoki(咳) アイヌ語 kakse(咳する)

 《ころころ’(ニワトリ)》
  O 偏執を取り除くと kurkur となる。ネパール語 kukhura(ニワトリ)。

 《さこ(狭い谷)》
 共通語 ; サコ、サク。 サクは侵蝕の浅い狭い谷。

 《さでおちる(派手に堕ちる)》 
 豊後でもかなり広くこれをしゃべる。「ばちくり 出す」などと一連の語

[6085] 出雲弁のおべんきゃう 4     生田淳一郎 2011/08/23(Tue) 19:42 [Reply]
 《おちしけーやね、おちしこんやね、おちしやね’(いづれも 土砂降りという意味)》
 まったく寄りつけない語彙です。「おち」とは「落ち」だろうか。ネパール語、アイヌ語には *ochi 〜*uchi(追放、絶滅)がある。「ねや」を出雲弁流に正直に訳せば「……のようである」にしかなるまい。
 雨を意味する音は「おちし」のシでしかない(例 ; 嵐、しぐれ)。注意しておきたい出雲弁・・・。
 だがだが、ここに「アメノコヤネ」が隠蔽されているような気がしてならない。

 《おとす(鳥獣を殺す)》
 直前の上(↑)と同じ。柔道でも首締めて「おとす」という。

 《おちんたー(家の周り)》
 おち = うち(家)。N = の。「たー」の原音は tar 。 tar とは「わタリ(周辺)」のタリ。
 ネパール語 ; tar は「海や川を渡る」。ネパール語 wa には「すぐ側」の意味がある。

 《おっきゃん(大きい)》
 昭和 15年ごろ、豊後の従兄弟がいつも「おっきい(大きい)」と言っていたことを憶いだした。
 「イャン」 と拗音化した必然は分らない。

 《おとで(兄弟)》
 岡山・出雲で「おとでー(兄弟)」。こういう場合、「出雲弁固有」とはどういうことだろうか。
 しかし、たしかに「◯◯語固有」という語彙はある。それによって一昨年、小生は「沖縄が 13世紀以前には、まったくの固有言語・固有文化を持っていた独立王国であったことを見出した。

 《おべる(水を入れて冷やす)》
 出雲弁の O 偏執。北九州では「うべる」と言っていた。おへまの里では「うめる」というそうな。

 《かしらへちる(逆上する、血が頭に昇る)》
 キ= チ。ズーズー弁の特徴 「キチ交い現象」。ただし、出雲のズーズー弁は 17世紀から。
 キルは神事での原始的な錐揉み発火(キル)のこと。

[6084] 出雲弁のおべんきゃう 3     生田淳一郎 2011/08/23(Tue) 14:23 [Reply]
 《おかざー(浮く)、おかだる(浮かぶ)》
 oka は uk-a に還元できる。uk-a の −ə とは開音のこと。子音おわりだった原始語彙の多くが、主として a を末尾にとって語彙らしいていさいをとります。これは世界的傾向です。
 アイヌ語 ubas uka (固雪)、ネパール語 ukal-(登る)。
 「おかざー」の「ざー」はネパール語 sal(うごく、移動)だと思えます。「おかだる」は、少し発音を動かすことで類似概念を造る造語のやりかた。例 ; 英語の pat と bat 。

 《ぐそー(薬)》
 出雲弁の長音には r が隠蔽されている。グソーはグソリに還元される。
 また、出雲弁は O 偏執があって、やたらとオ段を遣いたがる。この O 偏執はタジク語も同じ。いづれ詳しくしますが、出雲帝国にはタジク語系の霊人が来ていたと思います。北海道のオタシュツ・アイヌと同一氏族だと思っています。
 アイヌ語でも クシリ は薬であり、糞尿でもあった。 どうなってるんだろ。

 《おこす(きれる)、おごる(怒る)》
 「出雲弁の泉」の「きれる」という意味は「怒りの感情を抑えることができなくなる」との意味だと取ります。
 小生が小さかったとき「おこられ」ことはなく、いつも「おごられ」てばかりでした。
 豊後では子供が泣いていたりすると、おとなは「だれがオコノうたか(ムチャをしたか)」と訊いてやりました。
 オコサはバカ唄で、オケサは悲しい唄だと思っています。ねこ(メコ)が歌った唄ですって。
 アイヌ語 si-ok(とても悲しい)。 sa はメロディー √♫♡ サノよいよい。

 《おじょぼ(裸足で尻からげをしない水辺の仕事)》
 ネパール語 bhijau-(濡らす)。日本語 ビショ 。地名 ; 美女木 木曽 ; 田麦峠ちかくにも美女ーー。
 ネパール語 bho(性質) / かくれんぼ

 《おだり(山間から出る溝ていどの小さな水の流れ)》
 ネパール語 ; dhar’(流水)。フォッサマグナ・ラインの上(北)の門ちかくが小谷と書いてオダリと読ませる町。
 安曇野、チクニ街道(塩のみち)。ボッカたちはその夜のチクニを唯一の愉しみにして難所を歩いた。
 従来は を(苧)の集荷地だろうと解釈されてきたが、これで判った。出雲と邑智地溝帯経由での長野のルート。

[6083] 出雲弁のおべんきゃう 2    生田淳一郎 2011/08/23(Tue) 08:19 [Reply]
 《あじる(困る・うごく、ごそごそする)》
 香川方言の「あずりなわる」と同根語とみました。「あずりなわる」とは、あごあげて焦って、そんじょそこらをウロつきままわるという意味です。足摺岬と関係あるかも。

 《〜た 〜たー(……してください)》
 これも香川方言。香川では「……してぇたぁ」とか、「……いたぁ」と表現します。柳田邦男が旅の語源として提示した東海地方の「……してたべ」とも同根がいえそうです。

 《ぼっか(……の傾向をもつ人)》
 あたまぼっか(頭でっかち)、おこーぼっか(怒りっぽい人)のように使います。
 いまでも尾瀬などの山岳地帯には低地から 120キロもの重い荷を運びあげるボッカさんがいます。この語源はネパール語 bok(はこぶ)wa(人)ですので、発音はただのボカだったはずです。それが 「ボッカ」と、促音をいれるようになったには、このボッカという下値があったわけ。r 音を消す長音(出雲弁のクセ)にご注目あれ。

 《あで(畦)》
 ネパール語 ali(畦)が第二子音濁化のクセで adi となった。「あぜ」よりも出雲弁のほうが原音に近い。

 《 Y = i 》
 い(湯)、いさぶる(ゆさぶる)、いすぐ(ゆすぐ、濯ぐ)

 《イン(煤)》
 in = yn から「ヨナ(火山灰)」が検出される。アイヌ語の灰はヨナ、ウイナ

 《えっぱい(いっぱい)》
 イがエとなるのは出雲弁の特徴。おへまの里(新潟県西南)では イとエの区別は無い。
 アイヌ語 epa(たくさん)、 pa(量)

 《おうちゃくたら(横着者)》
 大阪〜福井〜北陸一帯に広がっているダラ(あほんだら)と一線を画して、タラ。ネパール語 *tal(最下低)。

[6082] 出雲弁のおべんきゃう     生田淳一郎 2011/08/22(Mon) 18:58 [Reply]
 小生はここんとこ出雲方言を知りたいと思って、『出雲弁の泉』http://www7a.biglobe.ne.jp/~izumobenn/
をちょっと見ました。
 そこで出会った「めざましい出雲弁の語彙」を 100ヶほど摘出しました。興味ある人にはいいだとうと、掲出することにしました。
 株式界者 出雲王国という所を教えてもらったので、電話してみたところ、近畿方面にあった出雲の本営は、桜井ちかくではなく、京都の三輪山周辺だとのことでした。
 電話ぐちに出られた方のイントネーションは、八幡で生まれた親友のユワ公の語りぐちによく似ていました。

 出雲は大和政権ができる前の王朝であり、その王朝はかなり広域だったとおもわれます。
 本当は語彙のいっちょいっちょを詮索するよか、イントネーションを当たって他と比較すれば、効率よく出雲や筑紫などの勢力の出入りを端的に掴めると思いますが、これはそのうちやるとして、こんかいは、語彙の特徴つかみからです。

 《てんばさく(活発な女の子)》
 この一語で、コノハナサクヤ姫のサクとは「女の子」と解してよろしいようで……。
 ネパール語 sakh i が「女ともだち」。
 ネパール語では sakh i 末尾の i が女性を意味するのだが、古代日本では sajh だけでも「女ともだち」だったのかもしれない。先日問題になった「サク」の一つは「(男の)仲間」だった可能性を含むことになりますか。
 コノハナとは「 kox(聖なる山、 or 宮殿)Pana-ak(弓矢)」か?

 《あいさ(ちがい、差異、期間)》
 「あいだ(間)」の da が sa になっている。八重山〜長崎〜薩摩〜津軽に顕著にみられる「◯◯サ」が、出雲弁にもある(?)・・・・・と、いうことは!?

 《あしかね(脚力)》
 カネ=力 どこか出雲以外の土地で使われていてくれと、拝みたくなるようなことばの化石。
 ただし、人名には「兼」としてジャカスカ使われています。
 「叶う、叶わない」は、これだろうか? kana(願う)が一般的なんだが。

[6081] 国かかす大社を創ろう     生田淳一郎 2011/08/20(Sat) 11:24 [Reply]
 日本国家の起死回生のねがいをこめて『国かかす大社』を建てましょう。
 「かかす」の内意解釈は、ここでも難渋しました。
 古語辞典を編纂するほどの学者さんも難渋しているらしいです。
 でも、先日神奈備ドンから紹介うけた角川書店の『古語辞典』 P253 には、足利幕府の “ 利 ” をひいて「利益」の意味に解釈しています。
 足利・・・といった場合のアシカガとは毒蛇以外には考えられませんが、まぁいいでしょ。
 毒は使いようによってはクスリになります。かの有名なトリカブトも神経賦活の特効薬になります。
 へびは大地の護り神ですので、日本再生をこめた願いとしてはいい名前ではないでしょうか。

 日本が起ちなおるには、こんご数千万人の「いのちしらず」の活躍が不可欠です。靖国神社はおもに兵士を祀ってきましたが、こんご「国かかす大社」は国を救った民間人を中心とした人びとを祀ってはどうでしょう。
 祀られる人びとは、生前、そのことを知ったら「名誉だなんて……、そんな気持ちからじゃありませんよ」というでしょうが、これはせめてもの、こちらの気持ちだけのことです。
 

● まず忘れてはならない人物はシナの蒋介石閣下です。
  日本の賠償金をチャラにして頂いた高恩はかなり知られていますが、ロシアのえげつない日本領土分割の危機を、現下に撥ね付けて日本を護ってくださったことは、あんまり知られていないようです。
 閣下は日本軍部の無軌道な横暴ぶりにも眼を狂わせることなく、アジア人としての奥深い眼で判断を下されました。

● 高田屋嘉兵衛さんと、この人物を世 に広く紹介した司馬遼太郎さん。
● マライのハリマオ

★ こんかい福島の原発事故をみて逃げた 200名は国賊とか売国奴として、名前を刻みおくべきでしょう。
  3月 11日の夜、コーリャン・キャバレーでうつつをぬかした清水正隆は首だけの銅像をつくって、梟首にして曝す。

[6080] 古代を偲ぶ会  神奈備 2011/08/18(Thu) 12:40 [Reply]
2011 8 20(土曜日)14時〜16時

テーマ
古代の天皇と豪族 ー世界最長の王権を生み出す国一
講師
大阪府文化財センター 理事長 水野 正好

http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm

エル大阪 本館6F 大会議室

[6079] お墓のバーゲン     生田淳一郎 2011/08/17(Wed) 13:55 [Reply]
 神道にも葬式があるそうで……えへへ
 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/sato1976/catalog/61-sintou.htm

 我が家には仏壇も神棚もありません。淳一郎の 一 は長男とは関係ないんです。
 8年ほどまえ、墓のことを考えていたら、めんどうくさくなって「(墓を)新規に買おうか」という気にもなりましたが、こんかい、墓を買うことにふっきれました。
 ただし、手でさげる行灯がそれ……墓。
 死ぬまで毎日オレがそれを見る。
 オレやおへまが死んだあと、子や孫がそれを飾ろうと燃やそうとオラシラン。

 たしか、どっかで 1380円の値段のものがあったが……。
 ふざけ過ぎちょりますか?

[6078] エネルギー     生田淳一郎 2011/08/16(Tue) 11:11 [Reply]
 14日夜、池上さんが放った終戦記念放映をみるまで、小生は石橋湛山氏を知りませんでした。
 これまでの小生は、名前はきいたことはあっても、同氏の石炭産業に重点をおいた政策などどこ吹く風でした。
 それは石炭と鉄に重点をおいて戦後の復興をはかろうとした政策でしたが、石炭( → 新エネルギー)がそのまま日本再出発の引きがねになっている偶然におどろかされます。

 エネルギーといえば、江戸期あたりでは木を燃やして得られる発熱ぐらいのものでしたが、いまや「化石燃料・マイナス・木の熱量」分だけ人口が増え、暮らしが贅沢になっています。
 石油を中心とした化石燃料は、早晩燃やし尽くして、その分だけ地球を温暖化し、燃え尽くしたら大量の人口が食えなくなります。そういった時代へ移行するまでの間、太陽熱や風力が人を殺さずに支えることはできるのでしょうか。
 
 いまの原発をめぐっての世論は「人が死ぬような事態にたちいたる危険があるのだから、被爆国日本としては原子力関係の開発はヤメにしよう」ということらしいです。
 しかし、国家エゴが渦巻くいまの場にあっては、ここは一番考えなおして、死ぬ技術を確保しながら、原発技術をトコトン習得して国家百年の方針を建てるべきチャンスだと思われます。
 原発は、要は、安全であり、人智によって制御できさえすればいいのですから。また、習得した技術をすぐに使うかどうかは別問題です。
 大和民族はこのへんで原子民族になるのもいいでしょう


 病気や異常によって正常態の機能やメカをより詳しく読み取れるもんです。
 あの事故に関する資料はシナも北朝鮮も韓国も、いや全世界がノドから手がでるほどほしがっています。
 地震のあと、待ってましたとばかりに、はやばやとアメリカの艦隊が 2万名の兵士とともに「援助だ」といってかけつけました。そして兄貴づらこいて「アメリカとしては、大勢の科学者や資材、ノウハウを提供できるので、具体的な事故のなりゆきを報せてほしい」と、日本政府に申し入れをしました。
 これに対して管総理は「一国の資料を外国に通報するには、それ相応のむずかしさがあります」と返答しました。
 その実。おひとよしのツラで、ヘイコラと全面的に資料をアメリカへ送ったかどうかは、小生は知りませんが、もし、管さんがここで二重肚、三重肚で対処し、原発事故を日本のアイデンティティーの一部として処理していたのなら、管さんはもう少し総理をやってもらうだけのモノを持っているのかもしれません。

 そういう、全世界がほしがっている原発事故データを、逃げた 200名のあいつらが仕組んだのではないでしょうか。
 人のうわさも 75日、コソ〜ッと、あとで売れば一生あそび暮らせるだけのゼニが入るヨ。個人主義じゃもんナ。

[6077] Re[6076][6075][6074][6073]: 肝 と 肚         生田淳一郎 2011/08/13(Sat) 13:57 [Reply]
 これまでの宗教に代わって、これから先の人類をリードする基準をD.N.A様主義と呼んでもいいでしょう。
 人間がシモベでD.N.A様がダンナですので、小生個人の心情としては、ダンナ主義と呼びたいところです。

 埼玉県吉見町にあるヨシミ百穴をご存知でしょう。古代の墓らしいのですが、岡にたくさんの穴があります。
 この穴の群をひと目でみるときに得られる「風景」は、「人びと」であり、一つの穴の中に入ってしまえば、それはもう「穴の外見」から得られるものとは、まるでちがった感受(じぶん)をえられます。
 一つの穴の中にいるということが “ 私 ” ということであり、私とは超次元領域でもフシギでも何でもないことでした。
 そこをとりたててフシギがらせて “ 魂 ” 概念を添えて、究極の自我と究極の宇宙を、主観のうちで合体させる……とかなんとかリクツを捏ねて、延べ数百億人のマジメ人間をどまぐらかしたのがインドや仏教のやりくちでした。

 そういった前時代思想の体制下で蓄積された混迷は、タマシイのほかいろいろとあることでしょう。
● 鉄道にとびこむ自殺者数は増えるばかりで、東京では毎日のように「鉄道事故」が発生しています。
 「みんなで生きている」という意識があったなら、こんなハタ迷惑な自殺はなかったはずです。

● 「みんなで生きている」という意識があったなら、不倶者や落ちこぼれへの対策はがらりとサマ変わりしていた筈。
 優生にかかわる用語が差別語とされて、かたわの小生も、いちどここの掲示板を去ったことがありました。
 「あんたもわたしも同じD.N.A様を戴冠しているのだ」との意識があれば、弱者のぶんだけ健常者が活躍します。不倶や病気を「個人」の責任に帰させてはならないのでアリマす。

● 行政府や医療機関には、これも個人主義とやらで「ひとは絶対に死なせてはならない」みたいな思い込みができあがってしまっているのではないでしょうか。
 それが端的に現われているのが今回の原発事故です。あの事故を知った 200名の原発管理要員はヒヤァ〜と云って福島市まで職場放棄して逃げて行ったのでした。(やつら全員は創価学会の工作員ではなかったか ?!)
 津波でポンプ小屋がやられたと知った刹那、必要なことは身を挺しても、水をリレーにしてでも確保することでした。
 あのとき、いのち知らずの野郎どもが 500人もいたなら、あれは事故にはならなかったのです。

 おひとよしの日本人は朝鮮人とアメリカ人から国を亡ぼされました。
 国家エゴが渦巻く現代ですが、「いのちしらず」には野蛮人も文化人もないはずです。
 日本をいまいちど立ち直らせる方図は、人のありかたを大基盤に据えたD.N.A様主義ではないかと愚考します。

[6076] Re[6075][6074][6073]: 肝 と 肚         生田淳一郎 2011/08/12(Fri) 17:44 [Reply]
 イスラーム圏では「なにごともアッラーの神の導きのままに」といい、キリスト教では「神と精霊のお導きのままに」と唱えます。この「導く神」のところに、現代人は「D.N.A様」を、代入することになりました。
 両者はたいして変わりばえしないようですが、大いにちがうところは、現代人はナムチン・ナムチンと拝んだりしない点です。
 現代人は「この人生は、セットされてんのか、ああ、そうですが」と、受容するだけです。ナニモノかに、指を組んだり、頭をさげて拝んだら、現状以上のナニモノかを、恵んでくれそうな存在者を、まったく期待していないんです。

 小生の記憶では、わずか 20年前までは、人類はD.N.Aという概念にはめぐり遭っていませんでした。いや D.N.Aということばは一部の生物学者は知ってはいても、これが文明全般におよぼす影響や効果は、先回りして納得・理解できないところでした。
 いや、今でも一部の大脳学者は、大脳をゆび指して「こんなモノから高度な精神性が生まれでるワケがない」と、思っているのではないでしょうか。6年前には、こんなことを言い放つ一流学者が実在していたことはタシカです。

 考えてみたら、シヤーセ志向を軽蔑することは、「D.N.A様尊重」の概念中に含まれることでした。少なくとも、小生においてはD.N.A様という概念は自らを死に恐怖のそとに置く力がありました。これは多くの人びとにとっては、たいした福音ではないでしょうか。
 このD.N.A様概念がもつ起爆力は、こんご急速に認知されることだと思えます。
 これまでは、科学的生き方ということは、ことばとしては成立しても、多くの迷信・迷妄に目くらまされて、どこからどこまでが科学といえるのかも分らぬままに、哲学の屍体をかかえてうろうろするばかりでした。
 分かったようなふりをする宗教は「いよいよ分らぬ心霊現象」を栄養分として食い漁り古いメンツを保ってきました。

 いま「心霊現象」といいましたが、心霊現象とまでは行かなくっても、これまでの人類みんなが錯覚に陥っていたのが「魂」のことです。
 これまで宗教を持っていた人類は、なんかこう、ガス体のような、前世〜この世〜来世をわたり歩く職人のような、ホタルのけつの灯のようなものを想像して、それにたましいという呼び名をつけました。これがまた、じつに便利なものでした。とくに、身すぎ世すぎには! 便利だから実在する。
 霊魂の存在を否定するはずだった共産主義者……のメッカ、赤の広場のレーニン廟では、今も葬式がつづけられている。

[6075] Re[6074][6073]: 肝 と 肚         生田淳一郎 2011/08/11(Thu) 16:41 [Reply]
 では、“ 肚 ” をつくる簡単な方法はないものでしょうか。愚生には、それがあるといえる方法があると思うので、これまでサムライダマシイなどを、ここまで引っぱって駄文を並べたのでした。
 要するに “ 肚 ” とは、どんなことが起こっても平気でいられる神経のことでしょう。
 もっとつきつめていえば、ふつうの感覚で死ねるということでしょう。

 小生は酒井潔さんの『自我の哲学史』をよんで、超次元的存在者である「じぶんという現象」に小生ほど恐怖感を抱いた人間は、二人といなかったことに気がつきました。まして、その自我が死ぬるなとということは、考えるだけでも破天荒でおそろしいことでした。これはもの心ついた 14最からずーっと引きつづき頭の隅から離れたことはなかったのでした。
 それが 43歳ごろから高橋稔という男とつきあうようになって……、53歳ごろ、それまでの死の恐怖が大幅に薄らいでいることに気がつきました。
 そして、この 5月末、発熱したを期に「このまま死んでやろうか」と思い、同時にこれまでの クセで、これまでの意識と死の領域が構成している落差とか、次元的なものを眺めてみたのですが……。
 なにか板ぎれみたいなものが渡してあると仮定します。……と、それが道路です。そこを踏み渡って行くわけですが、その板みちにはなんらの傾斜や乖離はなく、ごくふつうの素朴的実在のヤリクチで死ぬことができるとの確信をえました。
 そこには禅とか「ことばでのヒネくりまわし(宗教的独断)」も必要ではないのです。興奮もテライもありません。

 「オレが どうしてこうも平坦な道(板ぎれ)にたどり着いたんだろう」と考えてみたところ、二つの大きな要因に気がつきました。
 一つは、「オレはこれまで徹底的にシヤーセ志向」を軽蔑してきたこと」です。「どうしてか ? 」と尋ねられても、これは直感の領域事でして、ウマくはいえませんが、結果的には国家や個人のエゴイズムが非倫理性に根ざしていたわけです。
 次は、われわれのいのちはD.N.A様が支配していることを徹底して煮詰め、われわれの意識といえどもD.N.A様君臨によるものであって、ここには「取りこぼしや例外は無い」ことを痛感したからです。
 死はD.N.A様領域内での現象であり、われわれの意識とは関係のない「向こうのほう」にある事柄です。

 私はほとんど独りで考え、ひとりで生きています。残り少なくなった友人に「死ぬのが怖いか」と訊いてみるのですが、ほとんどの友は「そんなでもないよ」と返事をします。
 でも、学者の本などを読むと、「人間は死をおそれる」と書いてあります。学者さんたちはいろんな文化に触れて「詩歌管弦文弱に流れ」ているんじゃないでせふか。

[6074] Re[6073]: 肝 と 肚       生田淳一郎 2011/08/10(Wed) 15:04 [Reply]
 知的に充実した見識は、あらゆる事例に自信ある態度となって現れましょうが、それはひっくり返せば脆弱な文化人のことでもありましょう。ーー 詩歌管弦文弱に流るーー。水鳥の羽音におどろいて、富士川から京都まで逃げ走る。
 勝海舟のオヤジは若者の読書を「野郎の本箱」といってケナしたそうですが、果たして武道の修練がどれほど肚のこやしになったものやら、はなはだ疑問なしとしない。

 秦が天下をとったのは、並みいる六国の軍を次々と打ち破ってのことでしたが、それを成功させた一つの大きな原因は
最初の戦勝のとき、40万名もの捕虜を、一万名だけは国外に追放し、後の全員を虐殺したうえ穴埋めにしたことでした。
 追放した生き残りの兵士たちに、国外で秦の悪逆ぶりを宣伝させたのでした。
 それを聞いた残る 5ヶ国の兵士どもは睾丸をちぢめて怯えあがり、芯からの戦意が出なくなったと言われています。

 匈奴に似たフン族から追われたゲルマン民族がユーラシア大陸の西半分規模で逃げまわったことはよく知られています。
そして、その途中でローマ帝国を攻め滅ぼしたことも、よく知られています。……どういうことでしょうか。
 フン族は、ひとことでいうと、ちょっと考えらえないようなメチャクチャな野蛮人だということです。
 子供たちの顔に、わざわざ数本の傷をつくって オバケみたいな形相にしていたと言われています。

 神とか発達した文化をもってしまえば、もうそれだけで弱体化した軍しか持てないようになるのではないでしょうか。
 そして、フンに怯えた目で高度に発展しているローマを見れば、「なんだこんなもの、チョロいよ」となったでしょう。

 愚生には、半島にいた古い氏族民族が次から次に海を越え、日本の越前・越後・東北にはいり、百済の勢力は広島・長州に大挙して移民して来たと思えます。このことはイントネーションやアクセントで、かなりのところまで割りだせます。

 そういった野蛮きわまる「古代シナの東北」の民が日本のお隣さんに化けこんでいるのでは? 
 これ、単なる邪推であればいいんだが……。ホントだったら、有り難くはねぇよナァ〜。
 こんどの東北震災へ、韓国人が多くのホンネを吐いています。「ザマァみろ、もっと死ねばいいのに」などと/

 もう一度、日本が韓国なみに立ち直るには、まず “ 肚 ” つくりから出なおす必要がありそう。
 ここに於いて、日本の神社はなにをさし示すのか。

[6073] 肝 と 肚     生田淳一郎 2011/08/09(Tue) 17:55 [Reply]
 このごろ愚生は「きも(肝)と肚は違うのではないか」とおもうようになりました。そしてこのことについては大多数の日本の先祖は、かなりハッキリとした区別をわきまえて生きていたのではないかとおもうようになりました。
 津軽には「わ(吾は)、なんぼ(どんなに) きまげる(肝が焼ける)ば」という言葉があります。「いろいろと心配させられて肝が焼けた」といっているんです。また世話役という意味の「きも煎り」という標準語もあります。

 「あのひとは肝ッ玉が大きい」などというとき、これは「肚が座っている」という表現と同様につかわれています。
 が、しかし、“ 肝 ” というばあいには世間や世界一般を大脳的に理解しているかどうかでの「判断力」であって、いわば智的な判断能力という面がつよいと思える。いっぽう、“ 肚 ” は多分に動物的に「動じないこと」……らしい。

 この二つの意味の差がハッキリと出るのは「大砲の弾の炸裂」を身近かに見聞きしたときです。
 戊辰戦争が始まった第一日めは、公家さんたちは 「わづか 二千名の薩長軍が、二万余の徳川幕府軍に、まさか勝つわけがない」と思っていて、官軍という名前は持っていなかったのでした。
 ところが、この戦争が始まったきっかけを作ったのは、じつにたわいもない成り行きでした。
 徳川がたの第一線を指揮していた大砲隊の隊長が、薩長軍めがけてまさに第一発の火ぶたをきろうとしているのを、薩長軍の大砲隊がいち早くみつけて、その大砲へめがけて発射したんです。
 ふつう、大砲というものは、なかなか命中はしないのですが、たまたまこのときはまぐれで命中したんです。
 徳川がたの大砲も、兵士の四、五名も轟音とともに吹っ飛んだ。
 これを見た徳川がた大砲隊長は真っ青になって馬に乗り、次の次の後方陣地まで目ん玉吊りあげて逃げたそうです。
逃げる途中、四、五人の味方の兵士を馬のひづめにかけて怪我させたとか。
 この隊長の腰ぬけぶりを見た徳川がたの分隊は、戦意を喪失して一部の例外を除いて、逃げ始めたそうです。

 薩長軍に官軍の名の使用が許されたのは、公家さんたちが「これなら差長郡は勝てる」との意識ができたあとの、二日めからです。これには、その前の長州征伐のとき、徳川武士のフヌケぶりが観察されていたという事情もありました。
 徳川慶喜軍が破れた大きな原因は、戦闘ではもっとも頼りにしていた彦根藩と津藩が裏切って、北に向けていた大砲を南に向けて打ち込んだからだとか。
 とかくドガ〜〜ンとくる大砲は、サムライをフヌケにするようです。

 上野に立て籠った彰義隊も大砲の轟音でメロメロになりました。
 「伊勢行幸」でハッスルした尊王の行列も、たった一発の砲弾で、ぜんいん腰が抜けたとか。

[6072] Re[6070][6069]: 出雲と紀    生田淳一郎 2011/08/04(Thu) 10:37 [Reply]
> 出雲の名前も持っていったのでしょう
● ということは、出雲帝国の本営が桜井ちかくにあった……という意見でしょうか。
 サクラとは愚見によれば、ネパール語の chakura(王)であり、 i は場所か、または井戸です。
 中央アジアから東進してきたタジク語的勢力にとっては、水は神そのものです。井戸とは「イヅる--o(神)」であり、ネパール語には idar(井戸)の語があります。idar の id に o(神)をそえた語形が井戸ならまし。
 「こんなにおいしい水に恵まれているとは!!」 タジクの青年たちは狂喜して舟の操縦をおべんきゃうして、短期間に海洋民族になって雲霧の彼方へ散って行ったと思えます。
 出雲とは、音だけでいえば id(出ず) mo(泉)であり、 id-mil(水)とほとんど同一です。
 なぜ「クモ」の Ku がつけられたのかは分りませんが、ku には「良い」と「悪い」だ同居していることは、過去なんべんも申し上げたとおりで、 ku は一種の美称だとすれば、万事すんなりなんですけんど……。

 小生はこれまで宍道湖周辺が出雲だと思っていました。出雲大社の一連の神事が、沖縄から流れついたウミヘビを祀ることから始まるので、イズとは宮古の idzhu:(魚)に固執したキライがあります。初期の宍道湖は魚がいっぱいいた。

 《 長谷について 》
 日本の国家形成期というか、漢字をどんどん取り入れていた時期には、飛鳥、百済、大和、春日、近江、などなど、多くの「漢字音とはかけ離れた訓読みの固有名詞」がみられます。
 これらの考証は別次元の考察が施されて然るべき筋合いを感じます。とにかく、ここでは、なぜ長谷と書いてハセと読ませるのかについては、棚上げにせざるをえません。ここで問題としてよい領域は、その意味関係です。
 出雲方言集 http://www7a.biglobe.ne.jp/~izumobenn/ によりますと「はせる」があります。意味は「野菜などの苗を植える、種子を蒔く」です。これが「ハセ川」の起源だとおもえます。
 長谷川には「ハツセ」という音がついてまわっていて、なぜか、これは王族の呼び名に使われています。
 この現象は、小生にはネパール語の badsaha(王)という音が言い古されていくうちに、できあがった観念だと思えるのであります。

 《 くにかかす 》
 「…カス」は、やっぱ使役化をつくる末尾辞でしょう。
 上の出雲方言を、自動詞としての「かかる」でみると、「始める、着手する、相続する、保護する、かばう」など、尤もらしい意味が出ています。
 小生は先般、「ここに使われている『国』というのはオカシイ」と述べました。しかし「国」が今でいう郡ぐらいの地域なら「国」でもいいのです。で、半分だけ訂正します。
 日本語の国は朝鮮語やシナ語に似ているような、似ていないような……です。
 小生は「クニ」の語源は ネパール語の bhumi(土地)に求めたい。
 「家康が江戸にニューブ(入部)する」などといいますが、そのときの「ブ」がこれです。

[6071] 出雲と紀 2     生田淳一郎 (77歳) 2011/08/03(Wed) 10:09 [Reply]
 あり難うございます。[6070] への直接の応答はあとまわしにして……っと。手許に text を用意してましたので、まんずはそれをご披見あれかし。

 角川選書 ; 千田稔著『王権の海』 P 31 に
 「大きな木で舟を造って、これで朝夕に淡路島の寒水(しみず)をくみ、天皇の飲み水であるオオミモイ(大御水)を献上した」とあります。出典は古事記だそうです。水をモイと発音させているところが由々しい。
 タジク語の水はさきに紹介しましたように oB があり、tʃaʃma(泉)もあります。
 ふつう、一つの “国 ” の国語は数種の氏族語を下敷きにいて成立しているもんですので、泉や水にも数種の語形があっても、ちっともオカシくはないわけです。
 ところで、タジク語には moЯ と書いて 源、源泉をいう語があります。Яは語彙末につけるキリル語文字で 「イ」です。で、モイが 源、源泉です。オオミモイ(大御水)とはタジク語まわりの、冷たい水・・・ではないでしょうか。
 さらに、角川の『古語辞典』 P1145 には「 もひ(水9」があり、宮中の「もひとり」には “ 主水 ” の漢字が宛てられています。これまで、「モンド(主水)」の語源割りだしはむずかしかったのですが、これで半分は判ったのではないでしょうか。
 北海道八雲町にあるモーラップ川の語源追求にも、一歩前進したかと思います。「アイヌ語にはモーのような長音はない」と言われてきたんですけんど……。アイヌとは言えない第三氏族語だったでせふか。

 淡路島からは魚も毎日のように、朝廷に献上されていましたよね。
 いい水、いい魚。神奈備ドンは少年時代にいいものを食いすぎたんじゃねーだらうか。


 同 千田稔著『王権の海』 P 31 には、この大木を伐って造った舟の名前が「からの(枯野)」とあります。
 ネパール語 *ka には鳥があります。
 単節音の ka にはいろんな意味が付着するので、整理上、末尾に r をつけた段階で「カルの舟」となって古文圏に残り、さらに kar が開音化されて「から」になったものと見受けられます。
 これにはインドの怪鳥 カリョウビンカが関係にないわきゃないと思います。が、これは人造語のサンスクリット語で捏ねまわされた発音・概念ですので、気分としてかかわりたくないです。

 ところで 「からの(枯野)」の no 。ーー “ 舟 ” ではないだらふか。

[6070] Re[6069]: 出雲と紀    神奈備 2011/08/03(Wed) 09:35 [Reply]
 三輪山の南側の麓に出雲と言う地名が残っています。長谷への入口にあたります。ここにかっては野見宿禰の墓もあったのですが、道路工事で失われました。
 また、三輪山の東北にある巻向山頂近くにダンノダイラと言う聖地があり、ここに居住していた人々が出雲に移ったとの伝承があるようです。出雲の名前も持っていったのでしょう。
http://kamnavi.jp/as/yamanobe/juunisha.htm

[6069] 出雲と紀    生田淳一郎 2011/08/02(Tue) 17:50 [Reply]
 神奈備ドンにお尋ねします。
 先日、なんとかさんが、「出雲の中心地は奈良だった」とかを書かれましたが、このことについてどうおもいますか?
 たしかに、そういわれると、そのようなことがあったら、あっちこっちに合理的な解釈が得られそうです。
● ゴトビキ(岩)、那智(の滝)は、小生にはタジク語起源だと思えるし、「おぶぅ(水)」とか オオ、オゥ(水)もタジク語だとしか思われません。
 愚見によれば、出雲帝国を創ったタジク語人は北海道のオタシュツ・アイヌ氏族だと思われます。
 当時のタジク語をしゃべる人とかオタシュツ・アイヌは、とても礼節正しかった上に、テレパシーとか透視術に長けていて、それらの個人は死後は一人ひとりが神と祭られるだけの資格を備えていたようです。

 じつは、ここ二日半ほど、出雲方言を読んでいるのですが、先日書き込みの「ハセ(長谷)」が、出雲方言で解けそうなんです。意味は「苗植え・種まき」。
 大和への出雲の政権委譲は稲作開始とほとんど同時期ではなかったか。出雲方言には相手をののしったり、侮蔑する言葉はあっても、尊敬や謙譲語がほとんど無いのです。すなわち、文字(税収・階級)がほとんど無かった。
 出雲勢力の大部分が紀のくにへ押しやられた・・・…? も、感じます。
 直感で結構ですので、存念のほどを。

 《 訂正 》
 小松を 「Xoh 祭り」としましたが訂正。あまやります。
 Kox(聖なる山 or 宮殿)。「まつ」とか「まい」には「人、おかた(方)」がありそうです。
 よろず、こんな調子。バカは死んでも治らんとか。

[6068] Re[6067][6066][6065][6061]: 奄美大島 逍遥     生田淳一郎 2011/08/01(Mon) 10:14 [Reply]
 佐々木さん、あり難うございます、あり難うございます! まっことスンモっはん。
 小生のキカイ・オンチぶりは 10年経とうと 20年経とうと、質問できるご仁が脇にいないので、まったくのドシロートの出発状況がつづいているんでありまふぅ。
 古代言語領域をうろついていたら、流されたあげく「乗りかかったどろ舟」みたいな成り行きになっていたんでふぅ。

1. どうもシナの江南とか百越地帯で醸成された勢力だと思えるのですが、薩摩〜長崎〜津軽族が、まず出た。
2. 13世紀になるまでの沖縄ウルマ本島は(北にアイヌをみるように)完全な独立国だった。
3, おなじ沖縄でも宮古島は「薩摩そのもの」といって良いような、薩摩びとの島だった。
4, このごろ、ヒョイと奄美大島を叩いてみたら、なんと出雲の造語法を露呈させていた。

● かたわらでは、神社名の偏りとマンジューの分布状況によって広大な新潟平野の古代が浮上してきました。
  明日あたり司馬遼太郎さんの『峠』が着荷します。読んでみようと思っています。
● 4世紀の日本豪族の入り組みを洗い出しておられるとみたさんは、小生に「としとってきたんだから、このへんで 収斂に移ったほうがいいんじゃないか」と助言してくれます。が、やっぱ根がバカですので、なかなかそうは参りまへん。
 でもなあ、こーゆー作業はバカでないとできないと、自負するところこれあり……でんす。
● 佐竹さんですか、読んでみます。あり難うございます。

※ 薩摩のコマツ(タテワキ)さん、島原にもありますね。「Xoh(聖なる山) 祭り」なるらむ。 / 小松飛行場
※ 出雲西部の人がマイネ〜(ダメ)を知っていました。津軽のマイネ(だめ)は語頭のマにアクセントがありますが、マイネェ〜は「ネェ〜」の部分にアクセントが立ちます。「無ェ」と意識したんでしょう。借用語ですね。

[6067] Re[6066][6065][6061]: 奄美大島 逍遥     佐々木 2011/07/31(Sun) 11:18 [Reply]
>松江の殿さんが津軽から嫁。。。
◎それは佐竹氏の姫でした。
 佐竹氏が関が原の戦いで転減封(常陸から出羽)を受けたので、当時食い扶持に困っていたので、嫁入りにはたくさんの家臣を押し付けてきたことでしょう。鶴姫さんは浪費癖があった、出雲商人は営業戦略上、彼女の訛りを真似、親近感を演出、売上拡大していったのでしょうか。その過程で出雲周辺にじわじわと広まったいった?出雲のずうずうは常陸風なのかもしれません。

◎ご案内まで。どうでもよいことはすぐ忘れる、これ常なり。
 http://rlang.lib.u-ryukyu.ac.jp/rlang/index.html
◎奄美大島の古書は、下記サイトで「奄美大島」で検索下さい。
 http://www.kosho.or.jp/public/book/aimaisearchresult.do
 http://sgenji.jp/index.html


[6066] Re[6065][6061]: 奄美大島 逍遥     生田淳一郎 2011/07/31(Sun) 10:11 [Reply]
> >ずうずう弁は松江藩の知行地に限定されています。17世紀途中から。

● 佐々木さん、あり難うございます。
 お書き込みに接し、小生はようやくシャバに戻ってきたような思いです。60日かかりました。

 松江の殿さんが津軽から嫁さんをもらったことについては、佐々木さんのおことばを忘れたわけではありませんでした。
 されど、津軽と東北一般とはイントネーションが違っていて、小生のガンコ頭には「津軽はズーズー弁ではない」との思い込みがありました。
 そこへ、なにかの本で、雲伯の伯のことばと東北弁は同一だとの記述を見たのでした。
 お姫さまには付き人が 50人ぐらいついてきていて、その侍女たちがズーズー弁だった……のかナァ。
 女官のことばは急速にしもじもへ大きく影響しますよね。
 それとも一つ、東北地方には朝鮮勢力が直接に、モロに侵入した・・・?

 件のおうふうの、20万円の奄美大島方言辞典には手がとどきません。が、別にもうすこし手ごろな語彙集がありましたので、早々に入手します。
 いちど奄美大島方言のネット サイトを教えていただきましたが、去年パソコンを買い替えたときに消えてしまいました。すみませんが、もう一度お教えくださいませんか。
 あ、フランス語辞書、入手できました。あり難うございました。

 天草の南端、牛深出身のガールフレンドがいます。これも超美人です。
 「島の南端」、なにかありそうですね。

[6065] Re[6061]: 奄美大島 逍遥     佐々木 2011/07/30(Sat) 21:15 [Reply]
暑中お見舞い申し上げます。
>ずうずう弁は松江藩の知行地に限定されています。17世紀途中から。
>奄美は、○田さんが多いようですね。本土の近世以降の新田開発の影響か?
破間川:あぶるまかわ。五十嵐川:いからしかわ。あぶくまかわ、みたらしかわと聞こえました。デハ 失礼致します。

[6064] Re[6062]: リンク張りました  神奈備 2011/07/30(Sat) 19:20 [Reply]
> 私のページ「雲の筏」で宣長「古事記伝」の現代語訳を公開していますが

凄い力作ですね。
http://kumoi1.web.fc2.com/

[6063] 徘徊 奄美大島     生田淳一郎 (77歳) 2011/07/30(Sat) 15:04 [Reply]
 《 奄美 》
 奄美大島の邑都、名瀬のすぐ西に大和という地名がありますので、「おいらヤマトンチュだぞ」との自己主張を持った氏族が自らをアマといったのではないでしょうか。アマテラスは「アマ(天孫)*ther(族)as(おさ・長)」でもあります。
 アマミの mi は女神を謂っている。ギリヤーク語 mif(陸地)も匂いますが・・・・・。mi には「浦」の意味もあるとか。
 《 オオシマ 》
 オオ島は日本列島周辺に 400もあります。オオヤマツミを祭るオオミシマのすぐ横にはごく小さな大横島があります。
 何度も書きましたが、タジク語の oB(発音はオブ or オウ・・・意味は水)と同根。「シマ」そのものが泉、湧き水。
 舟に真水を汲み積むことができる島がオオシマだった。
 《 名瀬 》
 エジプト語 nas(王)とは関係がないことにしましょう。「 nar(潮流)の瀬(急流)」だと思います。
 九十九里浜にはナルトー(成東)があります。岸辺から 50メートルぐらいのところで泳いでいたはずなのに、いつのまにか 500メートルも沖に持っていかれていたという経験をしたことがあります。わが娘もここで溺死しそこないました。
 nar がいちどナーとなり、ふたたび短音の ナ になったと思います。
 《 瀬戸内 と 瀬藤 》
 キョームン(美人)看護婦さんが瀬戸内町のご出身だと聞いたとき、この語源は瀬戸内海地方から来た人が故郷の地名をつけたのかと思いました。が、この「セトウ」はクセモノだと睨みなおしました。
 r 音を消し、直前の母音を長音化するのが、ここの造語クセです。セトウは「セトリ」に還元できます。
 では「セトリ」とはどういう意味があるのでしょう。
 まず北海道渡島西にある大成町 “ カイトリマ ” で「se(アイヌ語; 貝類)取り」かと思いました。マとは湾入の浜です。
 また、 se <sai ですので、これはサイトリという発音も考えておく必要があります。トリは族、地域。
 さて、このサイトリというのがたいへんな問題を提起してくるかと思うんです。
 おへまの里や、このごろ局所地震で有名になった長野県北部の栄(県境)村の祭りにはサイトリ舞が踊られるのですが、キカイ・オンチの小生が Googってみると意味内容が掴めません。先日紹介してもらった古語辞典にも載っていません。
 それどころではなく、ここにはサンバ踊りもあるのですが、これも辞書・ネット検索ともにひっかかってきません。
 南米のサンバのリズムとも関係あろうことかと思うのですが、なんとか調べようはないもんでしょうか。
 従来、斉藤、瀬藤などは、藤原の藤にあやかったのが名付けの動機だとのみ考えられてきたのではないでしょうか。
 《 ホウラしゃん(うれしい)》
 ゴホウラ貝の語源もこれでバレたようなもんです。 Xo(秀)とはこんなに古いことばだったんですね。
 「ご」は「御」か、または「たべもの」。ウラはこころ。-san =-shyan 形容詞末尾辞。
 

[6062] リンク張りました  めかぶ [Url] 2011/07/30(Sat) 10:25 [Reply]
私のページ「雲の筏」で宣長「古事記伝」の現代語訳を公開していますが、倭建命
の足が「たぎし」のようになったというところで、神奈備さんの三重県草薙神社の
記事が面白いと思ったので、リンクを張らせていただきました。

[6061] 奄美大島 逍遥     生田淳一郎 (77歳) 2011/07/29(Fri) 17:10 [Reply]
 佐々木さん、おめめわ〜るいのかなぁ。
 奄美大島方言を齧ったのは、ごくごくちょっとだけですが、それでも大きな希望の雲がもくもくとふくらんできました。
 小生は目下、キョウムン(美人)が出雲と同一造語法によってできていたことから、i / u 通音を適用してウヴェーティキル(びっくりした)を解いた気分になっているわけです。
 しかし、なんですねぇ、こういう作業をやっていると、古代での氏族の割拠状況とか、どっちが新規でどっちが古いのか等などがしだいに判ってくるので、ほ〜んとオモシロイです。

 気がついたことを断片的に挙げます。
● 奄美大島にはマンジュウ(女陰)は言わないそうです。これは由々しい。これも出雲系か?
● 奄美大島の北部と瀬戸内町がある南部とでは、方言がかなり違っているのでしょうか?  ここは要調査。
  奄美大島には三母音のクセが無いので、沖縄や薩摩下級階級とは一線を画している。
  おそらく、奄美大島勢力はあとからやって来た氏族でしょう。
● 薩摩と宮古方言の近似が言えるらしいですが、この場合の薩摩と奄美大島との関係は?
● 学問上は「雲伯方言」と一つにまとめられていますが、ズーズー弁は出雲大社の地帯には無く、あるのは安来のほう。
  ついつい “ 安来 ” といってしまいましたが、伯耆といったほうがいいのかも。安来はゲゲゲの女房の里なんでふぅ。
  伯耆地方のイントネーションとズーズー弁がそのままの形で東北一帯にひろがっています。
  ズーズー弁は i / u 通音の本家の朝鮮からでしょう故、過去にそういった割り込みにかかわる戦争はあったのか?
  とまれ、蝦夷の俘囚の問題とその処置は、大きく時代を見せてくれそうです。
  沖縄ウルマにもズーズー弁や「キがチになる音転」があります。これと元寇やネパール語の子音との関係は?

 出雲の人は「コメ粒を舌先に乗っけて喋るとき、出雲弁ではコメ粒は落ちないが、東北弁では落ちる」といっています。
 このへんは耳がいい言語学者に聴いてもらえばすぐに分ることでしょう。

※ 奄美大島には、安来さんではないが、安田さんがいる。
※ 奄美大島には相づちを打つときの声、チャーチャーがあるそうです。これは土佐でも同一。
  ネパール語 cha ina(英語の no , not)が語源。
※ 小生は筑豊の筑の生まれ育ちですが、出雲方言と筑豊方言はとてもよく似ています。
  ですから、遠野方言集を読んだとき、筑豊弁とあまりにも似ているのでウヴェ−ティキルでした。

[6060] Re[6059]: 岩橋はイワセ     生田淳一郎 (77歳) 2011/07/29(Fri) 10:53 [Reply]
 《 はしらからのアプローチ 》
 「ましま(坐)す」という語がありますが、これはネパール語で 「mathi(上、上のほう)+ bas(座る、住む、泊まる)」と、ドンピシャです。bas は「おわす」にも音転するかと……。

 しかし、ハシラの語源分析は、あんまし自信のあるところではありません。
● 考えかたの一つとして…… ミツハのように “ ハ ” に神という意味があることは否めません。そこで どこかのことばで sil(柱)があれば、それを採用し、「神・柱」としたいのですが、台湾語にも見当たりません。
 そこで 「 sir(支配する)」を宛てがってみると、なんとか落ち着きそうです。
 が、これでは柱を引き、走りまわるダンジリ祭りの解釈がオカシくなります。ダンとは奉納とか団十郎のように、親分・親方です。
● また bas は丁寧語として遣われるので、「(神が)いらしゃる」という意味。これに強調接尾辞の -ra がつくと、いちおうハシラに近い音が恵まれそうです。
 でも、バスラではなく、ことはバシラで、中央の i がわかりません。
 でもでも、ここに e と i の近似からいって、われわれがハシと思っている「橋」が、日本語造成期にあってハセと発音されていた可能性を匂わせているではあ〜りませんか?

 《 “ 谷 ” での空想 》
 これまでは タニ(谷) の語源は学者さんたちの必死の追跡にもかかわらず判っていません。しかし垂水のようにピリピノ語 tar(滝)との近似があります。そして沖縄語のタニは男根であり、領主を意味する *tane ,thane は貴族の人名につかわれて 胤 、実(さね)として顕れています。貴族のおもなしごとは神聖なタネマキです。

 《 セ とは結婚適齢期の男 》
 結婚とかタネマキという意味がひじょうひつよい概念であることにご注意あれ。
 薩摩のニセどんも「二(土地・男根)セ」があざやかに刻印されています。

 《 構築物の橋そのものが 祈りや崇拝の対象とされた 》
 《 harsi とはペルシャ人だった 》

[6059] 岩橋はイワセ  神奈備 2011/07/28(Thu) 17:03 [Reply]
 和歌山に紀氏の古墳とされている山があります。岩橋千塚古墳群といいます。岩橋はイワセの訓です。聞くところによりますと、「八橋とか矢橋と書いて、“やばせ”とよませるところが色々あるみたいです。」だそうです。

 何故、橋をハセと読むのかです。大和の初瀬、長い谷が続く場所です。有名な長谷寺もあります。大和国中から宇陀や伊賀への境に当たります。ハセは橋と同じように境なのです。

 万葉集にも 石椅を 岩せ と 訓していますが、個人の見解なのでしょう。資料にはできないようです。


第十三巻
雜歌 3257

[原文]直不来 自此巨勢道柄 石椅跡 名積序吾来 戀天窮見

[訓読]直に来ずこゆ巨勢道から岩せ踏みなづみぞ我が来し恋ひてすべなみ

[6058] ウヴェーティキル     生田淳一郎(77歳) 2011/07/28(Thu) 16:00 [Reply]
 海音寺潮五郎の『蒙古来る』にはシセリヤ姫が出てきます。蒙古から追われて日本に亡命してきたペルシャの王姫です。
 8週間ほどまえに読んでいたところ、そのスセリヤ姫を想わせるキョウムン(奄美大島弁 ; 美人)看護婦さんが毎週来てくださることになりました。
 そのキョウムンから、奄美大島南部方言ということですが、「ウヴェーティキル(びっくりした)」を習いました。
 聴いてすぐには分りませんでしたが、この語の中央に ティ があるので、「こりゃ日本語じゃなかろうか」と思いはじめたのでした。ティ・・・すなわち、日本語の「と」とか「て」という助詞に相当するとおもったんです。
 
 ウヴェー もそうですが、キョウムン(美人)にも o や e の母音が使われており、沖縄方言や薩摩の土俗語( e 、 o の母音がない)とは乖離した統語法が筋走っていることを、次に見出しました。いろいろ考えましたが……
● わが愛妻、おへまの里では「ワー、そんなこと あってたまるか!」という心情を「 べェ〜!!」で表現します。
  ウヴェーの ウ は、出雲・大分・沖縄、古代語で「大」です。ウヴェー は「大・とんでも」でいいだろう。
  標準日本擬音擬態語 ウヘェ〜と関係あるかもしれない。
● 「キル」は、このままでは「タンカきる」のキルで、「もの言う」でしかなくシックリこない。
  そこで考えたのが「 i / u 通音」のことでした。キル は クル であろう……と。

 ここでキョウムン(美人)を分析してみましょう。
 キョウムンの ムン は日本標準語のモノ(者)であることは明らかといっていいでしょう。そしてこれは沖縄のチュラカーギ’(美人)の チュラ を写したあと、音転が加わった語形でしょう。原音キオラが沖縄ではチュラであり、奄美大島では キョー となっている。
 すると、キョーの方言統悟は 島根東部のゲゲゲの里と同じであることに気づかされます。語中に r があった場合、 r 音を脱落させて発音しない代わりに、前の母音を長音化して引きのばすやりかたです。 kior は ko: に訛るのです。
 さらに語源をいえば、kio とは「光いっぱい」で。ひじょうにアイヌ語的です。 kio ra の ra は強調接尾辞です。

 ふたたび ウヴェーティキル(びっくりした)に戻りましょう。
 ウヴェーティキルは ティの イに引かれて kuru が kiru に音転したとおもえるのです。kuru なら意味がとれるのです。
 辞書があそびに出ているので語形を挙げることができませんが、ネパール語に「愛くるしい」の kuru があります。
 アイヌ語には「死にたく無し」と訳されている yai osh kuru があります。yai は自ら、 osh はこころ。
 わずかな例ですので、公約数みたいな概念にしぼり込むのはむずかしいのですが、あえて冒険をいえば「こころにピタッとクル」ことだと、小生には思えます。この解釈にアタマに “ 来た ” 人はぜひコメントください。

[6057] Re[6056][6055][6054][6052]: 日前姫     生田淳一郎 2011/07/27(Wed) 17:39 [Reply]
 ことのついでにもう少し「かかす」につっこんでみますか。
 「かかす」などという現代日本語は消えていますので、これが現れる一つ前の原始音 *Kak がどのような意味合いを持っていたかでの詮索となります。
  *Kak が開音化を受けると日本語では kaka か kaku となって収まりますので、そこを見ようというわけです。

  *kak
 《 手足バタバタ 》……あぐらカク、抱える、駕篭カク、腰掛け
 《 囲む 、垣 》……ヤエガキのガキは法
 《 親類 》…… 嬶 、姐、叔父
 《 掻く 》≒ 《 欠く → 書く、あかをカク、牡蠣 》
 《 関係 》…… 匂いかけ、はじカキ、買い掛け・売り掛け、カケあひ(交渉・談判)、妾, 気に懸かる、罹る
 《 姿 》…… 見カケ
 《 賭ける 》…… かいまき(カケ巻き)
 《 その他 》……隠る、かこつ(不平をいう)、カッカする、水をカケる、賭け、欲をカク

 *Kag(第二子音濁化のクセ)
 《 輝く 》…… 蔭、鏡、かげろう
 《 嗅ぐ 》……( ka だけでも古代語は「匂い」)

 以上見てきたかぎりでは「国かかす」を解釈できる適当な「意味」は見当たらないようです。
 すると、われわれは国という漢字に振り回されているのかもしれません。
 「くなどの神 = くに」も十分にありうることです。ここに「隅々を照らす」とい概念と急接近が得られそう。
 くにkak-as の as 部分はアイヌ語の nipeki-at(照らす) の at ににているようです。

 古代音としての kak は hak(経営・運用)や hag(作・斉・祝・幸)を考慮に入れておくべきでしょう。
  hag(作・斉・祝)も大いに匂いますね。……神社名なので清音にした。

 でもでも、これは考えたら今すぐワカルといったしろものではないです。
 棚上げにしておいて松本克己先生率いる軍団を俟ったがいい。ここは三十六計 “ 離 ” 。

[6056] Re[6055][6054][6052]: 日前姫     生田淳一郎 2011/07/27(Wed) 12:16 [Reply]
 あり難うございます。
 漢字の区切りからいって、これは「日・通る」でしょうが、小生には「ひと(人)・降りる」となって目に入ります。
 すなわち、「(神が)ひとに降り憑く」・・・・・ではないかと。
 こう見てくると、古代の子供生みがどんなに神聖な儀式であったことかがわかります。まちがってもヒキツケ意識でみてはイケないのであります。
 
 未通女ということばもありましたよナァ。ツーやん(やんま)、つがる、つるむ、tupi あたりも同根でしょう。
 「妻」もこれかな?

[6055] Re[6054][6052]: 日前姫     神奈備 2011/07/27(Wed) 11:18 [Reply]
>  「日通童」とは、なんと発音するのでしょうか。>  

ひとおりわらわ

[6054] Re[6052]: 日前姫     生田淳一郎 2011/07/27(Wed) 10:32 [Reply]
> 三つ目は 日抱彦(ひのかかげひこ) といい、太陽の形を胸に抱いている男神。
  最後は 日通童 といい、太陽の精気を世界にいきわたらせる男神。
● 江戸期で斯かることをいうひととは、なんかこう佐久間象山みたいな天才が、口をへの字に結び、三白眼を吊り上げて天井をにらみながらモノ言ってる姿を連想します。

 「ひのかかげひこ」という発音が正しいのであって、「ひのかかす」というのはまちがいだといってるんでしょうか? 
 もし「ひのかかげひこ」というのが正しいとなった場合、「『かかす』という発音がどこからどうまちがって紛れこんできたか」、次の疑問をよびこむ……みたい。
 恣意に発音を変えてはならないのであります。
 やっぱ「かかす」といい伝えられてきた発音に基づき、そこから出発するのが順当ではないでせふか。

 「日通童」とは、なんと発音するのでしょうか。ホトを陽に曝して子種をもらうヒルメムチ / それを供給する成人となったばかりのワラベ神を匂わせています。 / 処女懐胎信仰。 “ 通 ” とは、不義密通の通。
 やっぱ、童神の「クマル」の ku には Sex が濃厚です。語頭に “ イ ” を置いてみたらいい。おっと。ヒキツケェ〜 !
 

 『サムライダマシイ』の記述ではめやぐ掛けました。
 うっかり取りかかったテーマでしたが、これほどむずかしいもんだとは思いも寄りませんでした。
 ア、傷はなんとは塞がりました。またウルサくなりますのでアマカネ

[6053] サムライダマシイ 11 〜 完        生田淳一郎 2011/07/26(Tue) 17:55 [Reply]
 「集団形成」ということばは、積極的に集団形成をよいしょ・よいしょと盛り上げる面で使われることが多いかと思いますが、放っておけば、ややともすればその集団を崩壊させる要素をも多分に含みながら進行するようです。
 で、ここでは只の集団形成なる用語はさけて、「よいしょ」と「崩滅」に分けて煮詰めをやるたいと思います。
 人類が太古のむかしから乞い願い格闘してきた社会秩序とか倫理・道徳といったものは、人びとが崩滅のほうではなく「よいしょ」のほうを心がけている面に現れます。
 崩滅の傾向とは「反社会性」であり、犯罪につながる心情です。それはハッキリいうなら個人主義とイクオールです。

 第二次世界大戦がファシズムの全体主義だったので、その反動として「個人主義」がまことしやかに登場したかと思います。そしてこの提唱者たちはいろいろとリクツを並べて、個人主義が社会の本筋にあるべき基本だと主張しています。が、しかし、これはどんなに弁護しても「悪魔の落し子」であることから免れ出ることはできません。
 論より証拠、個人主義の名のもとでは個人は無制限の蓄財を許されているじゃないですか。
 モノゴトは極端に考えるとワカリがはやい。運がよければこの世の全財産を一人占めできるといってるんです。

 わが日本民族はサムライの精神を受け継いで、一億一心・火の玉になって死を賭して公に尽くす時間帯を持ちました。
 戦争が終わった後、何も外圧が加わらなければ、65年たった今、みごとな秩序ある社会が出現していたはずです。
 われわれは戦後の考え方の推移をゆっくり経験したので、感覚がマヒしてもいましょうが、急激に戦中から頽廃した日本を味わわされた横井正一さんや小野田寛郎さんには、その落差は余りにも刺激がつよすぎた。

 この日本の変貌にはアメリカの占領政策とか、世界制覇をねらう国家エゴが有無を言わさぬ風圧になった。
 四囲を海に囲繞された日本は、隣接する国境でおこる国家エゴについては、まったく無知なまま、世間しらずでした。
● ここをわきまえて、まず日本としての国家エゴの芯を堅めましょう。
● 次に「日本」などというケチなことから離れて、世界人類を「公」にして奉公すればいいのではないでしょいか。


 お隣の韓国は日本からナメられたことをバネとして、すばらし国家形成ぶりを見せて飛ばしています。
 外国の企業にはゆったりとした土地を殆ど無料で提供し、事業税なども要らないと言いだしました。
 これ、国家謀略ですよね。日本の優秀な頭脳や技術を根こそぎ取り込もうとしている。これ以外になにかありますか。

[6052] 日前姫  神奈備 2011/07/25(Mon) 08:05 [Reply]
 『舊事大成経』というのは江戸時代に出版されたようです。この中に「太陽を抱く神」について一文があるそうです。

 『大成経』には、太陽神アマテラスには、四つの相があったという。
 一つは 日中姫 といい、日輪の中に住む女神。
 一つは 日前姫 といい、太陽が照らす光の前方に居る女神。
 三つ目は 日抱彦(ひのかかげひこ) といい、太陽の形を胸に抱いている男神。
 最後は 日通童 といい、太陽の精気を世界にいきわたらせる男神。

 紀伊の日前神社は日前姫が神体の鏡を依代として鎮座しているとできそうです。日抱彦とは伊太祁曽の神のことでしょう。
 日前神社と対になっている国懸神社ですが、ここの神も日抱彦と無関係ではなさそうです。抱く→かかえる→かかす→懸 とつながるから・・・・

[6051] サムライダマシイ 10     生田淳一郎 2011/07/21(Thu) 15:53 [Reply]
 まったく不明のいたり。この標題の「サムライダマシイ」は意外とあちこちに大きな根を持っていることに、今さらながら驚いています。

 サムライダマシイは、やっぱ「ハラキリ」のことは避けて通れないところでしょう。
 切腹は日本だけにみられる風習で、士農工商のうち、サムライ階級だけに与えられた名誉ある死刑です。
 サムライが私腹をこやす事だけに走ったり、藩の目的に反したとされるとき、殿様が申しわたす刑罰です。
 ですから、端的にいえばサムライに課せられた「滅私奉公」という基本的な大路線を踏み外したときに受ける刑です。
 またいっぽう、サムライは禍いに立ち至った私情について、べんべんと弁解するをいさぎよし(潔)としません。
 そこで、事態が錯綜して理非に筋が立ちにくいときは、いっさいの責任を背負って 死ぬ が “ 美 ” だとされました(真理・楽・利役・善などではなく、“ 美 ” が突出する)。 

 こうみてきますと、例外なくリクツに弱いサムライは、朝鮮人のように カァチャー・カァーチャ喋りまくってこの世の構成をリクツで踏み荒らすことなく、「まぁ、オレのこの臓ワタを見てくれ、滅私奉公という大路線には微塵も反するところはないよ」という最後の主張として自らの腹を切った・・・といえましょう。

 だが、ここでどんでん返し。
 ハラキリの始発概念は「(刑の)仰せには全く反論も異議もありません、仮令死んでもお恨みすることはなく、化けて出てきてわるさなどは致しません。 atma hatya 結構です」というのが、その本筋ではなかったでしょうか。

 このハラキリにはサムライ・ダマシイが濃縮しているといえましょう。
 見落としてならないことは、奉公ということだけではありません。「滅私」という太い支柱が添えられています。
 武士階級から滅私奉公の精神を受け継いだ且つての農工商の平民は、西田幾多郎に騙されとはいえ、大路線を死守し、世界に冠たる精神文化の華を咲かせました。

 これが今、「日本なんざは消えてなくなれ」という近隣諸国の合唱の結果、国はほろびました。
 いまのままのやりくちでは、もう、再起不能です。あんた、このままでいいのですか。

[6050] サムライダマシイ  9     生田淳一郎 2011/07/19(Tue) 14:48 [Reply]
 すでにここで申しのべたことですが、ここに再度掲出する必要があるようです。
 縄文期以降の人びとには、すべての現象の蔭には、その現象を現象たらしめた神を想うクセが付着するようになります。  ドイツ語の「ある、在る」は Es gipt ですが、これは「それが・与えた」ということで、では「それとはなにか」と問えば、つまるところ神ということになります。
 そこに “ 物 ” があるからといっても、その “ 物 ” に実在性を認めようとしないクセは、ヨーロッパでもインドでも共通した抜きがたい偏執となっています。 有名なのはプラトンのイデアです。
 「刀が切るのではなく、相手を殺そうとする精神性が、刀のちからを借りて殺すに至るのだ」などというもって廻った考えかたが、どのような経路でこの日本にも定着したのかについては、多くの賢識の参与が希求されます。
 しかし、小生には、やっぱ BC 1500年にヒンズークシ山脈を越えて南下したコーカサスの一派が、なんらかの形で日本の集団形成に深く関与したあげくの現象ではないか……としか考えられません。

 ネパール語 atma はタマシイですが、これは日本語のアタマに酷似しています。そして atma hatya は「自殺」です。
 牛の屠殺人は go hatya です。牛は go です。hatya の ya は日本語の「屋」で hat が「殺す」です。hat は日本語では「果たし合い」に現われています。
 で、肉体だけでなく、タマシイまで消してしまうのが自殺です。
 ここに「相手の魂まで消してしまわないことには、“ 殺す ” ことにはなっていない……という考えかたが出ています。

 いわずもがなですが、へびのナマ殺しみたいにして殺したら、相手は化けて出るのです。科学的見識がなく、迷信だらけの世の中では幽霊がいたのです。現代人なみの判断は許されません。
 第二次世界大戦中、まだ十分に戦闘能力が残っているのに、いとも簡単にバンザイ突撃をくりかえして、次から次に死んでゆく日本兵について、ふしぎに思ってこれを追求したアメリカ人がいたそうですが、この人もやはり『日本兵は、相手を殺そうとする精神性が、武器(刀)のちからを借りて殺すに至るのだ、と信じていた』との、同じ結論に達したそうです。

 禅とオンブ・ダッコで特殊哲学思想を展開した西田幾多郎については、別稿を設けて取り組みたいと思います。
 そのことに関して……、小生は下で「仏教みたいなワキャワカラン概念は文化の中心に置いてはいけない」とやりましたが、同じ処理方法が西田幾多郎にも言えるとおもいます。
 ちょっと前の人びとは、いや現代でもほとんどの人は「ものを言えば、これがそのまま通じる」と、超楽観的に思っているのではないでしょうか。
 朝鮮人の思い込みとは反対に、ものは言えばいうほど通じなくなる・・・、それがこれまでの言葉というもんです。
 そこを乗りきれそうな言語理論が開発できそうなので、斯くは駄文の羅列なんでふう。

[6049] サムライダマシイ  8     生田淳一郎 2011/07/19(Tue) 10:41 [Reply]
 1543年に鉄砲を知ったあと、日本は またたく間に世界一の鉄砲保有国になっています。そして大砲も自前で造る技術を習得してしまいました。
 黒船の鉄板といえども、日本から鉄砲と大砲の中型砲を大量生産されて、これで喫水線を狙われたんては ヨーロッパからはるばる海をこてやってきただけに、この日本の技術は恐怖の目で見られたことと思います。
 日本が他のアジア諸国みたいに西欧列強から浸食されなかった理由はここにあるといってもいいでしょう。
 
 ところが、√ 今更に 外つ国ぶりを ならわめや ここにつたうる もののふの道 (井伊大老詠む)のように、「日本刀を振りまわしてこそ、敵は根絶できる」みたいな観念的精神性が優先されたようです。
 武田勝頼が長篠の闘いで鉄砲によって大敗北を喫したという言い伝えは、デマや捏造かとも考えられますが、それにしても日本刀をめぐってのサムライたちの思い入れには、じつにヘンテコリンな執念がみられます。

 いうまでもなく、上層階級の文化は時間経過とともに、しだいに下層階級へ移ります。
 遣隋使・遣唐使はシナの文物を求めたのですが、その中でも狙いとした中心は仏教でした。ところが、基礎ができてない頭脳はそんな抽象的思弁的な概念の「つらなり・まとまり」などというものは どだい理解できるものではありません。また、こういう仏教みたいなワキャワカラン概念は文化の中心に置いてはいけないんであります。仮にこんなのを強権で社会の指導概念に据えても、具体的実践面で分派が分派を生み、すぐにヒッチャカ・メッチャカになります。
 そして竜樹というインド人からシッダルタさんは神様とまつりあげられてしまった。そして、言ってることは「霊魂(輪廻の肯定)・階級の存続」となって歪められ、シッダルタさんの死後 300年も経っての「わしゃこう聴いた(如是我聴)」というささけ立った宗派の乱立もあって、日本の王侯貴族にはいよいよワカランこととなった。
 そういういきさつの果て、ワカルことといえばある集団で資格が認められた特殊行者が放つキヤイで、政敵の寿命を奪ったり、混乱を興させる呪術が、その実効性で「宗教らしきもの」として、この日本に定着したのでした。

 そのキヤイでの送念の反作用は、日本という特殊社会では「死者の怨念」がある……は忘れてはならないでしょう。
 やるならやるで、相手のタマシイの根まで断ち切ってこそ、「やっつける」といえる。

● 『 相手を殺すのは物質としての棒や刀ではない。殺そうとする精神性が、棒や刀のちからを借りているだけ 』……
  武士階級には、こういうキミョウ・キテレツな精神が伝統とされたんです。これが維新のあと市民へ伝わった。
  狭い搭乗席にはジャマで叶わんだろうに、特攻隊員は日本刀を背中に背負って飛行機に乗りこんだのでした。

[6048] サムライダマシイ  7     生田淳一郎 2011/07/13(Wed) 12:31 [Reply]
もちょいすまんです。 叙述のながれがヘンなふうになりました。ここの最初では、サムライダマシイとは霊魂ではなく、サムライが持っている意地、根性、主義のたぐいを追求すると表明したのでした。それが、やっぱり霊魂みたいな概念を持ち出さなくっては、論が進まなくなったのです。ヤヤコしくなってスミマッシェン。

 ことの興りは、武士に課せられた剣の修行では、どうしても肚を練る必要があるからです。
 いざ真剣でいのちのやりとりをする段になったとき、アガってしまってガタガタ震えたり、目が血ばしったり、筋肉が硬直したんでは、どんなに日ごろ練習していてもモノの役には立たんわけです。
 剣道をやった人は、打ち合う前後に数分間だけ瞑想みたいな、座禅組みみたいなことをやるのを知っていましょう。
 いのちのやりとりをするとき、平常心でやれるように「キモ練り」に、役にたつとされたのが禅でした。

 シナでは剣術につよい男は、どこまでも低い身分で、これで出世しようなどとは望めませんでした。が、日本では「ヤーヤーわれこそは ◯△のくにの住人……」と呼ばわって一騎討ちをやった習慣のためか、剣につよい男がもてはやされるようになりました。しかし、その歴史は浅く、剣聖といわれた塚原卜伝の頃からではないでしょうか。
 塚原卜伝がなぜ有名になったかといえば、やっぱ、その出身地が鹿島神宮ちかくだったからでしょう。ここは防人のむかしから兵隊が集合し、鹿島から「鹿島タチ(出発)」をしたからだと思われます。
 鹿島の語源はタジク語の tʃaʃm(目)、tʃaʃma(泉)を写した語形以外には考えられないところです。tʃaʃm の ʃm 部分が日本語、朝鮮語、インドネシア語の *sim 、*sum(泉)に対応しているといえるんです。

 実際にそういった剣聖がやったかどうかは別にして、サムライの間ではいろんな逸話が武辺話として語られました。
 語るほうは、さも自分の手柄のように吹聴し、聴くほうも語る人が一級も二級も上の人物みたいだと錯覚して尊敬するのです。
 それら剣聖の悟りについての共通点は・・・・・、厳冬期の山に独りで入り、飲まず食わずで不眠不休のフラフラ頭で剣を振りくり廻していたら、いろんな幻影をみるという。その幻影は、なにか白いふわふわしたものだったことでしょう。
 (そういえば、土葬した死体が火のタマを燃やすナァ〜)
 しかし、いずれにせよ剣豪はその幻覚でナニモノかを悟った(ネパール語で *sat……真実、 *ol・・・降りた)となって、「悟りならこっちが本家ですよ」としゃしゃり出てきたのが “ 禅 ” だったと、小生にはおもえます。

  

 

[6047] Re[6046][6045]: 土蜘蛛の子孫  神奈備 2011/07/12(Tue) 19:08 [Reply]
2匹目の泥鰌を探しますと、鼻垂 がありましたが、ハンドル名かも。

[6046] Re[6045]: 土蜘蛛の子孫  大三元 2011/07/11(Mon) 19:29 [Reply]
神奈備さん
>  朝、バスに乗りました。前方に運転手の名前が載せていました。「神夏磯」でした。どこかで見た名だと思いました。ひょっとしたら、九州の土蜘蛛の名前!!。

凄いですね、と思ってネット検索してみると「かみがそ」さんという名字なんですね。
これは印象に残りますね。

[6045] 土蜘蛛の子孫  神奈備 2011/07/11(Mon) 16:30 [Reply]
 朝、バスに乗りました。前方に運転手の名前が載せていました。「神夏磯」でした。どこかで見た名だと思いました。ひょっとしたら、九州の土蜘蛛の名前!!。
 降りしなに運転手さんに「お国は? 九州?」と尋ねました。そうしたら、「そうです。」とのこと。
 『日本書紀』をひもときますと、景行天皇の条に、神夏磯媛(かみなつそひめ)が出てきます。天皇の遣いが来た時に、賢木に、剣、鏡、瓊をかけて帰順しています。おかげで、子孫は今日までつながったのでしょう。めでたい。

[6044] サムライダマシイ 6     生田淳一郎 2011/07/09(Sat) 18:45 [Reply]
 ここは ことばの上からサムライダマシイを見てみましょう。

● サムライの関連語とおもわれるのに ネパール語 samraie(帝国)、samrat(皇帝)があります。raj は王ですから「あちこちの王を集めた」という意味でしょう。しかし、この語は wakil(大使)、hukum(命令)、hamula(攻撃)のように、国教をこえて広く普及する軍隊用語だと見受けられるので、もう少しあちこちの言語を当たる必要があります。
 あれほど類似語が少ないヘブライ語にもサムライに似た語彙がみられます。
● タマシイの「シイ」から先に言いますと、これは 「 si(如くある) h i(もの)」だと思います。
● タマは tama(銅 → 刀)と ram(日本では *dan 、*tam の 心)の二つが溶けあって、刀という物質に精神性をよび  こみます。
● カタナの語源はふつう言われている「片一方のヤイバ」ではなく、kat(切る) na(名詞形をつくる接尾辞)かと。

▲ 日本には神が造り賜うたとしか考えられないような、天然のギョク(玉)があったらしいです。それは六甲山系の滝の  落ち込みで、荀石のように何百万年もかかって成長したらしい。この玉は一個や二個ではなかったとみこめます。
 カタカムナ領域の本には必ず出ています。古代の日本人は心が凝縮したものとして、これをタマとよんだと思います。
 タマに憑依した霊が「タマヨリ(ひめ)」で、大きな(ik)ギョクに憑依した神がイクタマヨリ hir メかと。
▲ 中臣鎌足が死んだとき、なきがらを多武(トウと発音)の峰にまつりますが、多武とは正直に読めばタムです。 
  アイヌ語でも tam は刀です。
▲ 日本語の「らむ」は推定の助詞ですが、アラビア語 ram は心です。ネパール語には被覆形として ram(心)がみられ  ます。日本語では語頭の r がニガ手ですので ram は ウラ になって定着しています。例 ; ウラメシヤ〜。

 この精神性に富んだ刀に、個人的認識でしかなりたたない「禅ごと」を降りそそがせ、一大錯覚の権威が出現しました。
 剣禅一如が最高に燃えあがったのが西田幾多郎哲学で、幾多郎は独りでは自信がなかったらしく(あってタマルカ )、
親友の鈴木大拙と凭れあって世紀の「大きな拙いこと」をやってのけました。
 北陸のじめじめした風土がそうさせたんだろうか。おら、こげなんとはスカンたい。

[6043] サムライダマシイ 5     生田淳一郎 2011/07/09(Sat) 11:30 [Reply]
 概念というものは、おなじ様な概念の束とか類でまとまって大脳に記憶されているようです。そこには小概念の群と大概念の巨峰が観察されます。
 サムライダマシイなどというものは大概念です。それを構成している小概念をおもいついたままに並べてみます。
 時代はおもに江戸期。重複もありましょうし、並べる手際もシロート並みであることはお許しあれ。
 ● 社禝を護る。いつも自分たちの先祖の栄誉を思い、それを誇った。 ●  赤誠・・・飼い犬根性。 ● 仏徒が背中を丸めて「願いまいらせそうろう」と前かがみになるのに較べて、武士や神道は背骨をキュンと反らせて、神と人間が同一レベルに立っていることを示す姿勢をとる。いきおい、痩せ我慢となる。 ● その暮らしぶりは 農民、手工業者、商人の生き見本となることを要求される。……清廉潔白を生きる指針とす。 ● いつも天命には逆らえないと諦めている。 ● いのちを投げ出すことには躊躇することが少ない。 ● 百姓のドロまみれ、商人のゼニまみれを軽蔑する。● が、じぶんの立身出世は欣求する(先祖の名誉 + α )。 ● 調度品に至るまで端麗、芸術的である。ことばがないので、外国人はこれを「清潔」と評価する。 ● 武士は識字層である。 ● 漢詩をうたう。能、謡曲をじぶんらの音楽とした。 ● 信義を重んじ、恥を知る。
 以上を要約すれば「すがすがしい生きざま」といえましょうか。
 さきに紹介しましたが sugghar (綺麗・清潔)というネパール語が「菅」といっしょに日本語になっているんです。

 これら sugghar の諸特徴が、別項目の「剣・禅」とあい呼応して、前期武魂を形成した・・・と、小生にはおもえます。
 剣と禅は一体化してサムライたちの首スジを キキキッ と緊張させ締めあげたのです。

 この見方に立つと、信長から「今後の戦さは鉄砲が勝敗をきめる」と長篠の合戦で教えられたにもかかわらず、300年経ったあとの戊辰戦争でも、やっぱ日本刀を振りくりまわして三分の二が鉄砲で撃ち殺された新撰組の似而非サムライぶりが理解されようというもんです。
 また、生まれつきサムライになれない百姓の子供たちが寄り集まって「サムライってなんだろナァ」と空想してでっちあげたのが新撰組でした。

 剣禅一如……、この “ 禅 ” が知能が発達してなかった武士階級の中に暴れこみ、武道をヘンなぐあいに歪めたんです。

[6042] 豊中歴史同好会  神奈備 2011/07/08(Fri) 13:45 [Reply]
豊中歴史同好会 7月例会

 2011 7 9 14〜16時
大阪市立大学准教授 岸本直文
考古学から見た4・5世紀における政権交代
豊中市立蛍池公民館集会室 5階公民館集会場

http://homepage2.nifty.com/toyonakarekishi/2011.html

[6041] サムライダマシイ 4    生田淳一郎 2011/07/06(Wed) 19:59 [Reply]
 船はオランダ製ですが、日本人だけで運転して初めて太平洋を横断したのが咸臨丸です。この咸臨丸は士官約100名、水主(かこ)40名内外が乗っていました。このほか座礁したアメリカの測量船の乗組員 11名も神奈川で載せてアメリカ本土をめざしたのです。
 このうち、水主の大作オヤジは永年の経験がモノをいったのか、あまり船酔いしなかったのです。が、ほかの連中はぜんいんメロメロに船酔いしたのです。ところが、アメリカ人と福沢諭吉だけがケロッとしてまったく酔っ払わないのでした。
 福沢諭吉は豊前中津出身です。小生の両親は豊後の産ですが、この両親ともに(小生も)まったく船酔いはしません。
 福沢諭吉の顔にはほくろがありますが、小生の母がたには、眼や眉の横にほくろを持つ者が目立ちます。
 ほくろをたくわえている人は関西方面に目立ちますが、関東以北の人の顔にはほとんど見られません。

 なにが言いたいのかをいいますと、われわれが棲んでいる日本列島には200余のいろいろな氏族が棲みついた。その氏族とは、それぞれの往古の風土を写して、おもに言語・習慣・遺伝形質にちがいが見られるということ。そしてそれぞれの むかしの故郷は南方島嶼、エジプト、メソポタミア、中東(アラビア、ペルシャ)、中央 〜 東南アジア、シナ・東故、モンゴル、朝鮮半島・・・と、ありとあらゆる地帯からなだれ込んできているのです。
 おっと、日本語形成の中核となった「印欧語的な言語」とはコーカソイドそのものと看たほうが早いようです。
 そして一人が誕生するには二人の親が必要で、その双親の誕生には 4名の両親が必要。この計算でたった 1000年だけ遡ると、人口は 1億人を越える。その逆コースには無数の「同じような遺伝形質の重複がある」ことの証明となります。

 四面ぐるっと海が国境ということは、いわばザルの中に 200種の豆を入れてかきまぜるようなもんです。言語・習慣・遺伝形質にとどまらず、いろんな文化、技術、制度、などなどの面にも均一化がおこります。しかし、それもジャンル別に観察すると、そこには “ うねり” がみられます。
 さきに小生は日本の二大国教をあげましたが、どうも原始宗教 〜 土俗に根ざす「精神的抽象性に集団形成上の権威を付与した密教的なひろがり」に注目せざるをえなくなりました。

 こんなことになるのだったら、加藤喜八郎さんが生きておられたときに、もっと密教をおべんきゃうすべきでした。
 加藤喜八郎さんは仏教と密教の泰斗でした。焼酎談話も 5 , 6回におよびましたが、焼酎のんでいたので忘れました。

[6040] サムライダマシイ 3     生田淳一郎 2011/07/05(Tue) 16:14 [Reply]
 《 前期・武魂 》は、元寇によって日本としての一体性をよび醒されますが、一時的、部分的であったために「島国での一体化」にとどまり、気分として同族間の “ あまえ ” だけが残り、外国への厳しい備えは忘れられました。
 ただ、このとき神風が二度も吹いたので、「日本は神が護ってくださっている」との勝手な思いこみで、神国日本という神がかりの精神風土がうまれたことは、見逃せにできない現象です。
 1854年の日米和親条約では「わてら日本が頼れるものは、あんたらぁの友情だけヨ」と、お人よし丸出し。これが平和裡に列強の思惑を縫いわたるうちに、日本の田舎者(軍部)が独走するところとなり、けっきょく「おまえ消えてなくなれ」の大鉄槌をくらうことになってしまいました。

 《 後期・武魂 》は、エゲツなく領土拡張欲丸出しで南下してくるロシアとの遭遇によって大きく変質を余儀なくさせられました。ロシヤの203高地要塞のまえに累々と死体を横たえる友軍をみて、「どうせ、あんなふうに死ぬんだったら、友軍に決定的に勝利をもたらして死にたい」と思うのが日本兵総員の願いだったことでしょう。
 このように思う兵士たちは、もう昔日のサムライではありません。農・工・商あがりの平民ですが初等教育をうけ、兵士としての肝っ玉を練っています。そして全員が《 前期・サムライダマシイ 》をひき継いでいるのです。

 この純朴な兵士の気持ちを軍の宣伝部は大いに活用し、滅私奉公の「滅私」が強調徹底されるようになる。「その弾の緒を勇気もて繋ぎとめた勇敢なる水兵」や、ビョウコウ鎮の爆弾三勇士は神として国家によって讃えられました。
 滅私奉公という言葉は古くからあったでしょう。これが太平洋戦争にあっては「滅私=自爆」となりました。
 もともと前期武魂の時代から “ 死 ” は美しいものでした。

 アメリカ占領政策の一つ、個人主義というヘンなこじつけ哲学で洗脳された皆しゃんには不思議に聞こえることでしょうが、ヒトはチンパンジーとおなじで、群れて生きているんです。ただ、自分の子孫が他人と較べて少しでも優位に立つように、結婚のときの相手えらびや、(私有財産制度のもとで)より優位な収入に恵まれるように「個体間競争」の場に立たされるので、そこに個人の選択巾を確保させようとの配慮から「個人主義みたいなもの」も顔をだす。……これはD.N.A様のとりきめの一つです。
 だからといって、これを「主義」みたいな場につっこむのは、道理を踏みはずした世迷いごとでしかありません。

[6039] サムライ・ダマシイ 2     生田淳一郎 2011/07/03(Sun) 11:44 [Reply]
 それまで兵隊はそのつど、浮浪人や野付せり、ラッパのたぐいを駆りあつめていたのですが、織田信長は戦闘専門集団を組織しました。これが武士階級として全国に普及したらしいです。
 ですから領主(殿様)はサムライに生殺与奪の権をもち、「おまえ死ね」といわれたら、すなおに「ハァ〜イ」といっていつでもサッサと死ぬのが理想的なサムライとされてきました。そのかわり、戦さがないときのサムライは、腹がへったら口をアポ〜ン(九州弁)と上むきにあけてさえいたら、領主がえさをくちに入れてくれるんです。
 自ら考えねばならぬことなどはいっさい無い、ただいっしょけんめいやって死ねば、それでいいんです。
 
 日本人がリクツきらいの温床はここにあるようです。リクツがきらいなら、それがどうしてキライになるのかをレンガを積んで’(リクツを構築して)いうべきですが、それができないからこそキライなんです。
 日本に入ってきた仏教、キリスト教、共産主義、創価学会がすぐに勢力拡張にあたまうちする原因はここでしょう。

 日本には「ねがいが成就するかどうかは天がきめることで、人はその分に応じて死力をつくすだけだ」という底流がつづいていました。これはシナとか仏教の影響でしょうか? それにしてもすぐに息切れしてバンザ突撃(玉砕)をする日本人によく似合っています。

 サムライダマシイは、知能不足のまま維新の初期までつづき、数度の国際戦争を経過して、純化・昇華させたあと、世界に誇れる日本らしい準拠基準へと自らを完成していったと看てとれます。
 すなわち、サムライダマシイは幕末までの前期と戦争中との後期の二つに分けて考えるべきです。
 その前期とは「奉公」ということばに集約され、後期は「滅私奉公」ということばに込められていると思います。

 「世界に誇れる日本らしい準拠基準」といえば、近ごろ藤原正彦という人物が「これから先の日本の指針は武士道で行こう、武士道でなら世界を導ける」と、『国家の品格』その他の著作で鋭意うったえておられます。
 しかし、その主張をみますと、武士の佇まいのうちの「表面でのいいこと」を並べて、これを子弟に何遍もなんべんも “ 頭ごなしに ” (教条的に)叩きこむのだ……と、いっておられます。
 掘り下げがこの程度では、それこそ幕末のサムライの知能レベルがつづいているといってもいいでしょう。

[6038] サムライダマシイ    生田淳一郎 2011/07/01(Fri) 18:29 [Reply]
 標題を「サムライ・ダマシイ」としましたが、ここで謂うタマシイとは霊魂のことではありません。意地とか根性、主義に相当する概念です。
 日本の国が亡びたいま、かりに今からでも救済する手だてがあるとしたら、それはサムライダマシイではないかと想い、そのサムライダマシイを追いかけてみようと思いたちました。

 さきに小生は仏教と神道を指して日本の二大国教といいました。
 いま仏教を概観しますと、これは 530年に朝鮮から帰化して日本の中枢豪族になれた勢力が、伝統ある日本の神道が原始性を多分に含んでいるとみて、インド・支那で流行った思想を採用するように迫って成功した結果だと認識できます。

 神社には泉、岩、樹木、さかき、地形がもっている霊域、注連縄、弊、玉串、鏡、玉、刀剣、など神道を象徴す品々がありますが、お寺には見られないようです。また仏教には氏族のランキングも神話もなく、連綿とつらなる日本の歴史にポッと割り込んできた “ 新参 ” を感じます。
 まえにも申しましたが、泉とか注連縄などの一つひとつは一向にモノはいいません。が、全般とのからみにおいて雄弁にしゃべるのです。わけても日本刀はサムライダマシイの中核にあって、おおいにモノをしゃべってきました。ニッポンダマシイとかサムライダマシイをうんだ母胎は仏教ではなく、神道だったといえましょう。

 だが悲しいかな、私見によれば日本の武士階級の前身は「奴隷」です。考えるちからが欠如していたんです。
 これと関係があるようで、じつはないのですが……、インドネシア語の abdi(召使、奴隷)が朝鮮語のアブジ(父)にそっくりなため、ショックをうけたことがありました。しかし考えてみるとこれは bodh(ボーズ・・・知識)が a(ない)ということを語源にした語でした。現在の英語大辞典では 50万語ちかい語彙を収録しているそうですが、なんでもいい、脳ミソに知識をガッチリ詰めこんでいないと、働き口は召使や奴隷しかないのです。

 子母沢寛の小説によりますと、勝海舟はつね日頃「人間にはセキセェ(赤誠)のひとつせぇ腹に叩きこんでおけぁ、それでいい」といっていたそうです。
 長州が馬関海峡を通過する外国船めがけて大砲を撃ちかけたとき、京都の天王寺で坂本龍馬は仲間の兜惣助と果たし合いをしました。双方が刀をぬいたとき、勝海舟が間に合って二人を宿舎につれて帰ったのですが、その道すがら二人に
 √ ♫♡ 君がため 捨つる命は 惜しまねど 心にかかる 国の行く末 ♫♡  を何遍もなんべんも歌わせたそうです。
 ここまではいい。ここまでなら発想はできるのです。が、あとがつづかない。
 有名な竜馬の、船中八策も、とうじ日本のあちこちにいた八名の賢人が主張したことを、項目にして並べただけでした。


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